Coolier - 新生・東方創想話

人里生活の表層

2024/12/25 22:45:19
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 最初の分のもち米を蒸しているその間は、竈の火を時々眺める以外、それほどやる事がない。みたらしのたれ、ずんだといったものは前夜に作って一晩寝かせておいた方が味は落ち着くし、きなこやごまといったものは、火から離した鍋の中でゆっくりあぶっているが、本格的に熱して香ばしさを出すのはもっと後からでいい。
 そういうわけで、もち米を蒸す火加減には気をつけなければいけないが、暇な時間自体はわりあいあった。そういう時は本を読む。本は、中有の道で開かれていたバザーなどで、一束いくらで売られているようなものだ。状態が良ければ甲、読書に耐えるものであれば乙、損傷が激しいと丙……といった印が奥付に捺されている。
 この日読んでいたのは軽い小説で、蒸されたもち米をあたためた臼に落として搗く前にじっくりと練っているうちに、内容を忘れた。
「清蘭」
 米粒の潰れ具合が良いようになってきた頃、共同作業者の名前を、そっけなく呼ぶ。
「頼むわ」
 と、自分は返しの準備に手を濡らして、相手に杵を渡しながら言った。

 鈴瑚屋と清蘭屋、一応商売敵の団子屋をやっているはずなのだが、餅を搗くのはふたりでやっている。単純に人手の問題という部分もあるが、これは双方にメリットのある事だった。
 まず、清蘭は餅を搗くのが上手かった。少なくとも鈴瑚よりは体力があるし、いわれればいつまでも杵をふるいつづける従順さがあった。
 そして、鈴瑚は餅の搗き加減を見極めるのが上手だ。いったい、これが彼女たちの作る団子の評判でもよく言われることなのだが、なんだか絶妙な弾力があった。それを実現しているのは鈴瑚の手先の返しの的確な事と判断によるものなのだろうが、その勘どころはどこにあるのか。
 鈴瑚自身、この感覚については大切に思っているらしく、いわば社外秘のような扱いにしてあった。清蘭にも教えていない。
 近頃、二人はこの餅作りの作業を、なにを話すでもなく、黙々とする事が多くなった。月にいた頃は、もっといる仲間たちと、唄をやったりぺちゃくちゃおしゃべりしながら行っていたものなのに、なぜか。
 まあ、別にひっきりなしに話す話題が、二人ではそこまであるわけでもないからなあ、と鈴瑚は思っている。そうした種類の沈黙が、怖くない性分でもあった。
 清蘭はどうだろうか。とにかく黙々と杵を振るっている。

 その日一日ぶん出捌ける数の団子を、蒸して、搗いて、丸めていくのに、何刻かはかかる。忙しい時でなくても、各工程を幾度かに分けて計画的に繰り返すので、朝早くから作業を始めてみても、里の通り沿いに店を開ける頃まで、やる事はたくさんだ。さすがにもう本を読む暇はなかった。
 しかし清蘭屋がのれんを掲げようとしている横で、鈴瑚はまったく別の作業も平行して行っていた。
「じゃ……できればうちの店番も頼んだ」
 それを聞いた清蘭は、少し困ったような呆れたような、私あんたのライバル店なんですけど? といったいつも通りの顔をしたが、たぶん律儀に店番をしてくれるだろう。
 団子の入った箱をいくつか背負って外に出るのは、団子を卸す得意先があったからだった。飲食店が提供する茶菓子、お寺でやる催事のおみやげの品、寺子屋のおやつ、個人宅で行われる法事の、お供え用の素団子といったものたち。

「ほいじゃこれ、納品書なんで。毎度あり」といった調子で命蓮寺の裏口でやりとりしつつ、本堂の方がなにやらどんがどんがと騒がしいのを聞きながら、どうして坊さんという人種は音楽イベントの類いが好きなのだろうか、きっとああいうありがたい人々は本質が陽性なのだろうなぁなどと思う。
 先日の配送の時に使ってからの餅箱を回収して、裏口から出ていく前に、もちろん次週にあるだろう法事の御用聞きもしておいた。
 こういうちまちまとしたやりとりが案外好きな自分は、変わり者なのだろうと思う。少なくとも玉兎の中ではまれな資質だった。彼らは――彼女の同族は与えられた仕事以上のことをやりたがらないし、その上に立つ月人もそれでよしとしていた。
 鈴瑚が玉兎たちの中でも地位の高いポストにつけたのも、ちょっとは自分で考えて行動する頭を持っていたからだ――なのだが、本人はそれほどえらい事だとは思っていない。むしろ、運動神経は良い方ではなかった。あれこれ自分勝手に試行錯誤してあっという間に他を追いつき追い越しできる要領の良さがあるだけで、実は他者より多少不器用なくらいだという自覚もある。だからこそ、いろいろと考える必要に迫られたのではないか……と自分でも思っているくらいだった。
 そういえば、清蘭は指示された作業だけはあっという間にできる奴だったな……と、こういう物思いをしたときの鈴瑚はなぜか必ず思った。彼女は、指示された作業は真っ先に習得できるような素直さがあるのだが、そうしているうち、他も仕事に慣れてくると、あっという間に能率の点で先を越されてしまうのだった……。

 寺子屋に団子を納品して、軽くなった背負い物を背中に感じながら鈴瑚屋に帰ろうとして、ふと乾物屋に買い物があったのを思い出した。
そこでの用事を一通り済ませて通りに出た時、顔見知りに出会った。
「……あの、ちょっとごめん、この子見なかった?」
 と、その小脇に抱えた生首をこそこそ見せつけられて、鈴瑚は即座に推理を重ねた。
 話しかけてきた多々良小傘は、鈴瑚もたまに参加している草野球チームのメンバーだった。チームのスラッガー、打率こそ一割台と二割台を行き来するような扇風機だし、選球眼もなぜか天気の悪いデーゲーム以外だとめっぽうよろしくないけれど、当たった時は大きく、爽快。草野球ではそういう気持ち良さがなにより優先されてもいい。まあ、落ちる球があれば完全にカモなんだけど……ついでに一塁守備がやたらと上手い……といった情報が、ぽんぽんと鈴瑚の頭の中を出たり引っ込んだりする。
 それで、抱きかかえられている生首が問題だった。赤蛮奇ちゃん。これも草野球で時々一緒に遊んでいる一人で、全ポジション守備できる(らしい)ユーティリティープレーヤー(という触れ込み)。直近十試合の打率は二割二分。打者としては、ひたすら相手投手の失投を待つタイプ。追い込まれてもクセで次の球を見に回ってしまう。
 そんな彼女の首を抱えて、小傘が「この子見なかった?」ときたら、どういう問題が起きているのか推理できたっていい。
「……体が好き勝手でもしてんの?」
「うーん、まあそんな感じ」
「でも、それもまた赤蛮奇ちゃんなんでしょ?」
「うーん、まあそんな感じ」
「……まあ、私は見かけなかったな。それにしても変な事に相成ったものね――」
 二つの文で区切られる間に、小傘はよそに走り去っていた。

 道沿いの露店に戻ると、清蘭が隣の店先で商売をしていた……団子を売りつける方ではなく、パーティー券を売りつけられる形で。
「ちっ……商売の邪魔だよ」
 あからさまに不快を示して、しっしと追い払おうとするのだが、それでも相手にはあつかましさというか、人懐っこさがあった。
「店のここんところに置いといてくれるだけでいいんだよ。自由にお取りくださいってね」
 霧雨魔理沙は、帳場台にチケットの束をぱしんと叩きながら言った。
「……イベントの内容は、向こうの広場でやる音楽会だよ。あんたらの団子だってそこで売れるぜ」
「だとしてもよ。そういう売り込みなら、このへんにだって商工組合があるんだし、そこに話をつけてからこっちに下ろしてもらいたいものね」
 商工組合とは堅く言いすぎた感もあるが、このあたりの露店にもそうしたゆるやかな繋がりや付き合い、元締めといったものはあった。鈴瑚もここで店を出そうとするうちに、いつの間にかそうした人の繋がりに取り込まれていたし、清蘭だって商業者同士の交流には消極的だが、いちおう受け入れられているからこそ、ここにのれんを出す事ができているのだ。
 だから無理矢理パー券なぞ売りつけてくるなら、そこから話をつけてくれ、と魔理沙に頼むのは当然なわけで――
「そこよ」
「そこよ?」
「あんたらは上から話を下ろしてもらいたいんだろうが、私は下から遡ってここいらの元締めに話を持ちかけたいわけよ」
 なるほど、魂胆をはっきりされるといっそ気分が良い。

 アポイントメントの取り付けを了承されて、魔理沙は今日のところはそれでいいやというふうで帰っていった。帰り際にしれっとパーティー券の束を放置していくというような事もなく、むしろプレゼントという形で、今夜ある別のイベントのチケットを、鈴瑚と清蘭に渡した。
「……いろんなチケットを持ってるのね」
「来週、プリズムリバー邸での月例演奏会なんてのもある」
 と、その演奏会のチケットまでおまけしてくれた。
「じゃ、また」
 なんだかんだと仕事を増やされてしまったような気もするが、まあいい。仕事によって不快な目に遭わされることはもちろん大嫌いだったが、仕事をすること自体は嫌いではない彼女であった。
「――ああ、ところで清蘭」
 渡されたチケットを眺めながら鈴瑚は友人に話しかけた。
「今夜どうする? 行く?」
 清蘭は目をまんまるくした。なんの話か、一瞬意味が通らなかったのだろう。それからやがて合点がいったらしく、首をかしげながら長い耳をくいくい動かした――考え事をする時の彼女のくせ。脳みそと耳の筋肉でもつながっているのだろうか。
 清蘭は、それに加えてはにかむように微笑むだけで、なんらかの答えになると思っているらしい。

 なんやかやとあった午前中だが、昼飯時になると団子を買いにやってくる客は減ってしまう。店の後ろの方に置いている竈で餅や乾物を煮炊きして、それをちょっとの白味噌で整えたものを器に取り、自分たちの昼食にした。
 口の端で熱い餅をおどらせていると、店先の通りを叫び声が横切っていった。
「待てやこらあああぁ」
 赤蛮奇の生首と、それを抱えてたったかと走る――意外にすらりと長い四肢をしているのに、なぜかそれを持て余しているような、ひょこひょこと滑稽な走り――小傘が、なにかを追いかけながら人里の外の方へと駆けていった。
「誰が私の体にタトゥーなんか許すか私いいいいいぃぃぃ」
 循環参照的な叫びだったが、鈴瑚はそれを特に不思議には思わなかった。頭と体が分かたれているなら、そりゃ、そういう事もあるでしょ。たまには。
「……そういえば清蘭」
 外の騒ぎを上書きして、さも気にしておらず、無関係である、と言いたげに、鈴瑚は清蘭にその日の天気の話題をふった。

 おやつ時もすぎて薄暗くなる前には、店じまいの準備をするが、その前に団子が出捌けてしまう事もある。売り上げの計上と、それに商品別の売り上げの整理と廃棄扱いになってしまったものなどの確認を、こまごま。
 それを二店舗ぶん。清蘭の店のぶんも。
 そもそも、鈴瑚屋と清蘭屋という二つの団子屋のライバル関係というものは、多分に彼女たちの自己演出によるものが大きい。きわめて単純な話だが、一つの団子屋で団子を買うとなると、それは団子屋で団子を買うという行為にすぎないが、二つのライバル関係にある団子屋で団子を買うという行為は、それ以上のものになりうる。どちらか片方を贔屓したり、逆にそれぞれ買ってみて食べ比べてみたり、対立を面白がって書き立てるメディアなんかがかかってくれば、しめたものだった。
 本当は、同じ団子を同じ立地で売っているのにね。

 売り上げは、生活費のいくらかを引いて、そのままの足で金融業者に預け入れる事にしていた。預け入れ先はこのあたりで幅を利かせている金貸しだったが、彼らに元手を提供する側になっておくぶんには、対等なお得意先でいられる。
 相手は狸だった――比喩表現とかではなしに。
「じゃあこれ、証文」
「あ、どうも」
 証文に不備がないかどうかだけは丹念に確かめておいてから、大事にふところにしまっておく。しかし、自分でも時々謎に思うのだが、こうしてこつこつと貯まった金を、どう使っていくのだろう。たぶん里のはずれにちょっとした広さの田畑でも買って、自分では耕さずに世話をしてくれる小作人なんかを雇って、残りは資産形成にでも使うんだろうな。
 目の前にいる金貸しの化け狸も、そうした商売のにおいを敏感に感じとっているのか、近頃は雑談に混じって、投資や先物の話題を振ってくる事もある。話し込んでそのまま一緒に居酒屋コースという流れさえ一、二度あったが、今のところ、自分たちを騙して食い物にやろうなどという雰囲気は、この化け狸から感じられなかった。単にビジネスを展開する相手と期待しているのだろうし、少なくとも鈴瑚自身はそうであって欲しいと思っている。
 それはそれとして、今夜は用事があった。清蘭を待たせてもいる。だらだら世間話をしている暇はなかった。

 魔理沙が渡してくれたチケットには、イベントの内容や日時などまったく書かれていなくて、ただ居酒屋の名前とその所在地だけが記されていた。
 おずおず、二人でその店内を覗いてみると、まだ店開きをしたばかりみたいで、勘定台の向こう側はまだ奥の準備に気を回しているような雰囲気があった――と、一番隅っこの、薄暗いボックス席のテーブルに、早くから陣取っている二人が、手を振って呼び込んできた。
 例によって霧雨魔理沙と博麗霊夢という組み合わせなのが、あやしい。
「とりあえず一杯頼んでいってよ――というのも、それを条件に、ここのテーブルを受付窓口として使わせてもらっているんだ」
「……じゃあお銚子一本でも頼もうかな」
 清蘭も同様。
 酒がやってくるまでの間に、魔理沙は手短に説明をしていった。もう半刻もすれば、この先の広い辻で決闘が始まる。七番勝負制のこの決闘は賭博の対象にもなっていて、どちらが勝つか、何番まで勝負がもつれ込むかで配当が決まる。
「一口四文からよ。お安いでしょうが」
 魔理沙が手短に説明を終えた横で、霊夢が口を挟んだ。
 当夜のイベントは決闘。弾幕決闘の闇興行。

 鈴瑚も、そこまで賭け事が好きなたちではないのだが、つきあいで数口買った。どうせなら勝負が最後までもつれて欲しいので、七番まで続くと予想して、それから適当にどちらかの勝利に張る。
 清蘭も鈴瑚と同様の賭け方をした――ただし、勝敗そのものは対立する形で。
 こうして胴元から投票券を購入して、鈴瑚たちは窓口になっている席から離れた。それから半刻の間に、居酒屋の中には今夜の決闘や金銭を賭けるやりとりを楽しみにしている客であふれかえって、店内はちょっと空気が薄いというか、むせかえるような雰囲気になってきている。
「外、出よう」
 ちょうど酒にも酔うて、頭を冷ましたい頃だった。清蘭の手を引いて居酒屋を出てみると、外にも決闘が始まるのを待ち望んでいるらしい、夜中なのに暇をもてあました少女たちがぷらぷらしていて、既にただ事ではない雰囲気が漂っている。
 決闘は、もう少し向こうの少し開けた大路の辻でやられるんだったなと、そちらの方に歩いていく。
「……思ったよりおおごとになっちゃってるんじゃないでしょうか?」
 現地に集まりつつあるギャラリーの数を目で数えていくうちに、そう思った。まるで百鬼夜行のような有り様の宵の情景の中、辻の真ん中の四角の空間だけはぐるりと空けられて、ぽっかりと決闘の場に仕立てられていた。
 やが投票券購入場の窓口は締め切られたらしく、居酒屋のある小路の方から魔理沙と霊夢がやってきて、片方は決闘の場を箒でさっさと掃き清め始めるし、もう片方もお祓い棒をふりふり、なんだか神妙な感じにしていた。
 次に主催者ふたりからの口上。
「――というわけで、今夜お集まりの皆様におかれましては云々、たかまのはらにかむづまりますすめらがむつかむろぎかむろみのみこともちて……」
 サービスで大祓もしてもらい、なにやらお得感があった。
 ところでこの闇興行、誰と誰が決闘するのかというところだが……いまのところ、主催者ふたりが決闘の場に立っているだけなのだが、しかし、同時に、決闘者はすでにその場に到着していたのだった。
「――じゃ、やろっか、霊夢」
「ええ。のぞむところよ魔理沙」

 あのふたりが争う理由なんてどうでもいいのだが、ごちゃごちゃとなにか痴話喧嘩のような口上が、それなりの体裁を保って並べ立てられた後で、とにかく決闘は始まった。
 さすがに、この郷における弾幕ごっこの猛者たちではある。きらめくような光芒の中で、それぞれの手管を見せつけながら、たくみに互いの勝負を運んでいる。
 巧みすぎるだけに、これが仕組まれた流れ――八百長とまでは言わないけれど、いわゆるプロレス的な流れなのではないかと、鈴瑚は夜空を眺めながらちらと思った。こうなってしまうと、勝負の流れはいくらでも双方の間に仕込めるわけだし、オッズや胴元の一番得になる展開なども、どうとでもできる立場なのだ。
「……ま、そんなのどうでもいいか」
 目の前で行われている曲芸的な決闘を眺めていると、そうした事を咎めだてする気も失せてくる。どういう意図にせよ、彼女たちは自分の身を抵当にして、私たちの目をぐるぐるさせて、楽しませて、満足させようとしてくれている。こっちだってどうせ捨て金のつもりで賭けているだけだし。これはこれで悪い事ではない、と。
 主催者たちになにかしらのブックがあったとしても、その思い通りにさせない流れが起こりつつもあった。賭博の参加者による直接・間接を問わないなにかしらの妨害行為、妨害行為に対抗する妨害行為、妨害行為に対抗する妨害行為を是正しようとする妨害行為が発生して、場外乱闘が起きたり、もっと直接的に霊夢や魔理沙に加勢したり、直掩しに回ったり、この人里の辻一帯がなんだか陽気な暴力の巷と化しつつあった。
 完全にとんだ事になっているはずなのだが、当の魔理沙や霊夢は、ちょっと楽しそうにしているくらいだった。こうした動きすら予想の内だったのだろうか。それとも、八百長だろうとなんだろうと、気に入らない展開なら自分たちで変えてやれという、いささか乱暴だが自然発生的に起きた流れをどこか粋に思い、好ましく感じてくれたのだろうか。
 結局、勝負が何番まで進んだのかもわからない。
 気がつくと、魔理沙が肝心の決闘から気を逸らして、こうべを巡らせていた。相手の霊夢も何事か気がついている様子で――あるいは、先に気がついたのがこちらだったかもしれない――、人里の大路の向こう側からやってくる一団を、探るように見つめていた。
「――夜警だ!」
 どうやら、さすがに騒ぎすぎだったらしい。

 払戻金は後日、香霖堂にて投票券と引き換え。投票券をお持ちの方は絶対に紛失しないように。
 決闘の見物に集まった群衆が一斉に散らばっていく中で、そうした事が自然と伝え聞こえてきたが、今考える事ではない。
「屋根づたいに帰ろう」
 鈴瑚は清蘭に向かってそれだけ言うと、近くの家屋の屋根に飛ぶように上って、その瓦屋根から瓦屋根をつたい、酒場の横丁を縦走し、長屋町を飛び石のように渡って、人里を横断し、自分たちのすみかに戻ろうとしている。身の内にさっきまでの昂ぶりはわずかに残っているが、もう騒ぎの中心からはじゅうぶん離れたところだったので、夜のお散歩のような気分になっていた。
「……賭けがふいになっちゃったのはあれだけど、けっこう楽しかったね」
「うん」
 清蘭の返事はそっけなかったが、心ここにあらずというふうではなかった。
「まあ、なかなか面白かったわ。ありがと」
「ありがと?」
「……あーあ、明日がお休みでよかった。ちょっと夜ふかししてから寝ちゃおっかな」
 ちょうど住まいに到着したところで、清蘭は大きくのびをしながら言った。団子屋は毎日開いているわけではない。団子作りだってそれなりの労働なので、毎日気張ってやるという気にはなれない。ひと月の中で、nの倍数日だけ店を開けるといった形式にしていた。
 なので、明日は店開きしないのだ、が。
「……明日も仕事あるよ」
「え、そうなの」
「仕出し、命蓮寺、お供え用の団子、量は餅箱一枚分」
 懐から取り出した手帳の、スケジュール書きそのままを鈴瑚は読み上げた。
「というわけで、明日も、朝は早い」
「……ただのお供え用なら、今日のうちに余分に作って、置いておけばよかったのに」
「できたてがいいんだよ。うちはできたてが評判いいんだから」
「お餅を搗き終えたら二度寝してやるー」
 ああ、そりゃ素敵な計画ね。私もそうしたい。
「それはご勝手に。夜更かしもご勝手に」
 でも、清蘭って夜更かしなんかしたらなにやるんだろうな。本を読んでいるようなたちでもないし、ぼんやりと、故郷の月に思いを寄せている様子しか思い浮かばないや。
「――じゃ、おやすみ清蘭」
 鈴瑚は早々と自分の寝床を準備すると、就寝の挨拶をして、そのついでに、それとなく相手の尻を触った。
「きゃっ」
 相手が小さく叫んだ時には、もう寝床の中に滑り込んでいて、これで明日も頑張れそうだなあとのんきに思いながら目を閉じている。布団の外ではこのエッチ変態ドスケベ地上の兎もとい痴情の兎といったかわいらしい罵詈雑言が、彼女の子守歌代わりになっている。
 鈴瑚屋と清蘭屋の団子の絶妙な弾力は、清蘭の尻たぶを揉んだ時のそれに等しい。
Q.でも清蘭ってこの後ヤクザの情婦になったりするんでしょ?
A.なりません!
かはつるみ
https://twitter.com/kahatsurumi
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コメント



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3.100産地直送新鮮果物詰め合わせ削除
ふーん、やるじゃん(白眼)
4.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
5.90福哭傀のクロ削除
元月の兎の切り取られた日々という感じが良かった。距離感がなんかもう夫婦に近くて。きれいな文章力の中で、ショート守って2番あたり打ってそうな鈴瑚のキャラが素敵でした。あとがきが……流れる月日。ありふれた日常。あの頃は良かった。
6.70名前が無い程度の能力削除
いい話だなーと思ってたら最後おいこら
7.100夏後冬前削除
現実世界で生活をやっているはずの俺よりもよっぽど地に足のついた生活をやっていて負けた気分になりました
8.100名前が無い程度の能力削除
生活感というか、地域のいいあんばいのつながりの中に玉兎たちが馴染んでいる感じが良かったです。
9.100南条削除
面白かったです
すっかり地上に馴染んだ二人がかわいらしかったです
10.90名前が無い程度の能力削除
見たものに対する思ったことを描く手つきがユーモアで満ちていて素敵でした。まったくありふれた一日のようで、そこはかとなく治安の悪さが滲み出ているとことか、アポイントメント/ブックといったビジネス用語が普通に登場するところとかが、作者さん独自の世界観に基づいて描かれた人里という感じがして面白かったです。
11.90東ノ目削除
玉兎の二人が人里生活になじんでいるようで何よりです。その人里の雰囲気に所々ある種の適当さが見え隠れしているわけですが、個人が実生活を送る範囲内という意味での社会ってそんなものだよなあと
12.90ローファル削除
清蘭たち野良妖怪の日常が落ち着いた鈴瑚の視点で描かれていてほっこりしました。
読んでいて楽しかったです。