Coolier - 新生・東方創想話

漂着/はじまり

2024/11/14 21:17:46
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その日も子どもたちは石を積んでいました。
賽の河原では親より先に命を落とした子どもたちが石を積んでいます。その理由は責め苦だとか罪滅ぼしだとか生に未練があるからだとか色々と言われていますが、実際にはそんなこと関係ありません。賽の河原にいる子どもたちは石を積むものなのです。そういう類のものなのですから、いちいち理由など考えてはいけません。三途の川の河川岸はそういう場所なのです。
賽の河原には石ころが数えきれないほど転がっています。石の下には石があり、その下にも石があり、その下に下にさらに下まで掘り進めるとようやく粒に変わるのです。
それらを掴んでカチャと置く。
その上にひとつ置く。
そのまた上にひとつ置く。
またまた上にひとつ置く。
――積み石が荒々しく蹴り倒されたのは、その間際のことでした。
いつのまにか賽の河原には子鬼が乱入しています。眼をギラギラと輝かせた子鬼の群れが、子どもたちの積み上げた積み石に向かって、我先にと駆けよってはその剛腕を揮っているのです。子どもたちは石を積むこと以外に能がありません。だから、子鬼の襲来にも、ただ怯え逃げ惑うほかないのです。
子どもたちが賽の河原のいたるところへ三々五々に逃げ惑う姿を、三途の川の死神は今日も頬杖をついて見守っているのでした。
やがて、あらかたの積み石を崩し終わった子鬼たちが、ぶつくさと文句を言いながら賽の河原を後にし始めました。こんな仕事、彼らだって好き好んでやっているわけではありません。子どもたちもまた、そんな子鬼たちの後を追うようにして河原に戻ってきます。そうしてしばらくすれば、またいつものように石を積み始めるのです。
これが賽の河原の日常です。子どもたちが石を積み、子鬼たちが突き崩す。賽の河原の住人たちは、このやり取りを、延々と繰り返しているのです。
子どもたちは石を積む以外に能はありません。それどころか、自我や意思も持ち合わせてはいないでしょう。けれども、子どもたちはあるひとつの願望を、その空っぽな頭蓋のなかに降り積もらせていたのです。
『決して崩れない積み石を作りたい』
それは、賽の河原に住まうすべての子どもたちが心の底から欲するもの。その欲が、いまや賽の河原のありとあらゆるものを侵し満たし染めていたのです。

その日も子どもたちは石を積んでいました。
賽の河原は石河原。見渡す限り一面を、まるみを帯びた石で埋め尽くされています。
それらを掴んでカチャと置く。
その上にひとつ置く。
そのまた上にひとつ置く。
またまた上にひとつ置く。
――子どもたちの耳が奇妙な音を捉えたのは、その間際のことでした。
音の出どころはどこでしょう。子どもたちは積み石の周りを練り歩き、やがて、気が付きました。
三途の川を、上流から小さな舟が流れてきているではありませんか。
もう、川岸はワラワラと集まってきた子どもたちでいっぱいです。子どもたちの無垢な視線が小さな舟に集まります。その舟は緑色で、船体のところどころに黒い縞が走っていて、なによりも簡素なものでした。まるで童子が手慰みに折った葦船のよう。事実、これは草舟です。
やがて、草舟が接岸すると、中から小さな女の子が姿を現しました。
「ここは……?」
白い髪をなびかせてあたりを見渡す少女。その目に光はありません。どうやら少女は自分の居場所を理解していないようです。右に左に目を交すと、赤い水玉模様のワンピースを摘まみあげて賽の河原に降り立ちました。その様子を見つめる子どもたちの視線は期待に満ちています。
そんな視線に気づいたからでしょうか、少女は一瞬目を見張ったもののまたすぐに光を失って、慣れた手つきで自らの肩を抓み上げました。ですがそこには素肌しかありません。赤みを帯びた皮膚を撫でながら少女はいうのでした。
「ごめんね。わたしには、もう」
哀し気に独り言ちる少女の名前は戎瓔花。その身体にはもう、ぴろぴろはありません。
瓔花にはもう、子どもたちに施せるものはありませんでした。それでも瓔花はこの子たちに何かしたいと強く願ったのです。
不意に、瓔花を取り巻く子どものひとりがその場にしゃがみ込みました。賽の河原には石ころがたくさんあります。石の下には石があり、その下にも石があり、その下に下にさらに下まで掘り進めるとようやく粒に変わるのです。
それらを掴んでカチャと置く。
その上にひとつ置く。
そのまた上にひとつ置く。
またまた上にひとつ置く。
――その積み石がぐらりと横に傾いた、その瞬間。
「石積みたいの? なら、こうしないと」
とっさに伸びた小さな手。瓔花の握る扁平な石によって、バランスを崩しかけた積み石が再び安定を取り戻すと、途端に子どもたちの動きが騒がしくなりました。ある子どもは飛び上がり、ある子どもは駆け回り、ある子どもは瓔花の足下にすり寄って、どうやら子どもたちは瓔花に何らかのアピールをしているようでした。しかしながら子どもたちは言葉を持たないため、その意図が瓔花に通じることはありません。賽の河原に足を運んだ数奇な人妖たちと同様に、瓔花もまた、困ったように笑いながらその場を後にするのでしょう。
「なに、そんなに石を積んでほしいの? わかった、わかったから少し落ち着いてよ」
しかし、そうはなりませんでした。どうやら瓔花には子どもたちの意図が伝わっているようです。足下にまとわりつく子どもたちを落ち着かせると、その場にしゃがみ込み、石を手に取ります。
「まずこうやって土台を作ってね、できるだけ平らな石を使うんだよ」
瓔花は今まで一度も石を積んだことがありませんでした。その身を捧げた人間から、その対価として一時の安息を得ていたに過ぎません。にもかかわらず、瓔花の積み上げた積み石は、それまで子どもたちが積みあげたどの積み石よりも高く長く頑丈で、そしてなによりも安定していたのです。
瓔花の積み上げた石塔を見て、子どもたちが大きな歓声を上げます。瓔花もまた、自身の築き上げた積み石の出来の良さに思わず感嘆の声を漏らしてしまいました。そうして瓔花は悟ったのです。己がここに来た意味を。石積みの技術を得た意味を。己が果たすべき役割を。
「みんな!ここじゃなくてもっと広いところでやろうよ!ほら、ついてきて!」
川端から河川敷へ。歩き出した瓔花と、その後を追う子どもたち。
自由気ままに徘徊していた水子たちが、今、瓔花を先頭に確かな統率を持って行進している。



瓔花がやってきてからというものの、賽の河原には様々な形の積み石が積まれるようになりました。もっとも、そうしてできた積み石が、子鬼の手で破壊されることには変わりません。それでも子どもたちは落ち込む素振りを見せないようです。瓔花によって、石積みが単純作業から娯楽行為に変わったことも大きいでしょう。
賽の河原の子どもたちは今日も楽しく石を積むのです。
賽の河原には石ころが数えきれないほど転がっています。石の下には石があり、その下にも石があり、その下に下にさらに下まで掘り進めるとようやく粒に変わるのです。
それらを掴んでカチャと置く。
その上にひとつ置く。
そのまた上にひとつ置く。
またまた上にひとつ置く。
――積み石が荒々しく蹴り倒されたのは、その間際のことでした。
賽の河原に赤鬼と黄鬼と白鬼が侵入してきました。見慣れぬ鬼たちは、各々がブツブツと何事かを呟きながら、子どもたちの積み上げた積み石に暴威を揮っているのです。子どもたちは石を積むこと以外に能がありません。だから、鬼の襲来にも、ただ怯え逃げ惑うほかないのです。
「そこのお前!」
しかし、今はもう違います。
11月14日は戎瓔花の日なので瓔花ちゃんのお話です。タイトル通りです。
「漂着」と書いて「はじまり」と読んでほしかったのでこんなタイトルにしました。タイトルってルビふれませんよね……?
よー
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コメント



0.簡易評価なし
1.90福哭傀のクロ削除
うまく読み取れてないだろうなっていう前提の元、虐げられた立場の水子たち願いか望みから生まれたのが瓔花であるなら、ある種で畜生界における袿姫のような立場や役割とかそういう……見方であってるのか……?ちょっと私自身の背景知識と読解力が足りないか……
ともすれば尻切れトンボなようにも見える終わりですが、しかしこと瓔花に関してならここで終わるのは作者様の逃げや投げよりも誠実さを感じました
2.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
3.90ローファル削除
続きが気になる終わり方でした。
面白かったです。
4.70名前が無い程度の能力削除
全体的に描写がぼんやりとしていて掴みどころがない感じを受けました。どうとでも捉えていいのか、あるいは作者の意図するものがあるのか。いずれにしても独特の世界観を持った作品だなと感じました。
5.90海鮮丼丸です削除
すげぇなぁ…
6.90東ノ目削除
数回読んでラストの三人の鬼が意味するものに気が付き少しクスッときました。瓔花が舟に乗ってくるというのも記紀神話的意味でのはじまりなのかなと思ったり