ある週末のこと、私は枯山水が有名なお寺を訪れていました。旅行好きの両親は毎週のように旅に出ます。小学校の入学式を間近に控えた私もまた、そんな二人に連れられて日本全国を巡っていたのです。そのお寺の枯山水はテレビ番組でも盛んに取り上げられ、その喧伝のおかげか、見物にくる観光客も相当な人数でした。その混雑ぶりについて、どうやら両親は事前に情報を仕入れていたようです。人のまばらな開門直後の境内で、私は存分に枯山水を堪能することができました。
渡り廊下から眺める枯山水は、未熟な感性でも感動を覚えるほど立派な景観でした。白砂の海原に点在する立石は、昨年訪れた瀬戸内海を彷彿とさせます。その立石から同心円状に広がる砂紋は、島に打ち寄せる波でしょうか。石から離れた場所では砂がうねるように形作られています。粟島への道中で見たさざ波は、その模様とそっくりでした。視線を横に移せば、三つの石が身を寄せ合うようにして立っています。小柄な石を左右に従えた大きな石は、自信にあふれた頼りがいのある大黒柱のように見え、私は密かにその石たちを自分と両親に重ねたのです。それ以外の立石、つまり散在する他の立石に対する印象は、正直あまり残っていません。ですが目の前の光景が、それら影の薄い立石たちのおかげで成り立っていることは、当時の私でも理解することができました。
「先にいこうか」
両親に連れられて移動した先には、お寺が設置した説明版がありました。
目を通してみましたが、漢字が多くて読めたものではありません。
「ねえ、ママ。これなんて書いてあるの」と母親に訊いてみると、母親はしばしの間考える仕草を見せて「このお庭は二番目のお庭で、最初のお庭は全然違う景色だったんだって。去年行った大阪城覚えてる? あれは三番目だったけど、このお庭は二番目なの」と教えてくれました。
「枯山水の石は、日本が生まれた時の昔話を表しているの。あの大きな石が私たちの住む場所で、左の石が去年行った淡路島、右の石が四国なんだって」
「さっきいた場所と見える石の順番が変わっていることに気付いた? 実は日本が生まれたときの昔話には違いがあって。見る場所によって石の順番が変わるのは、その違いを表しているの」と、説明板に書いてあることを教えてくれたのです。
「ふーん」
言われてみれば、たしかに石の順番が違っています。先ほどは左奥に見えたはずの石が、いまは左手前に見えました。それでは、また別の場所から見れば順番が変わるのでしょうか。
「ママ、あっちから見てもいい?」
「だーめ。いまママから離れると迷子になっちゃうでしょ」
残念なことに私の好奇心は満たせそうにありませんでした。先ほどいた場所に目をやれば、押し寄せる観光客に埋もれてしまい、もう見ることができません。こればっかりは仕方がないことでした。
気が付けば、渡り廊下はたくさんの人で溢れ騒がしくなっています。
そのまま渡り廊下に立ち尽くしていると、ふと、喧騒の中に少し違う声が聞こえました。
「あはしまーどこー」
鈴が鳴るようなその声は、同じ保育園のあやちゃんとそっくりです。渡り廊下に押し寄せる人の波に目を凝らして、あやちゃんの姿を探します。でも目に入るのは大人の人ばかりで、あやちゃんどころか子どもの姿さえ見えません。それでもきょろきょろ探していると、また声が聞こえます。
「おーい。どこいっちゃったのよー」
声は、先ほどよりも大きくなっていました。けれども正面のひとだかりの中にあやちゃんはいません。右を向いても左を向いても、後ろを向いてもやっぱりいません。聞き間違いなのでしょうか。そう思った瞬間、また声が聞こえます。
「ねえ、君。あはしまのこと知らない? 私の弟なんだけど」
声は真下から聞こえました。驚いてしゃがみ込んでみると、渡り廊下を支える柱の前、つまり枯山水の上に女の子がいました。白地に赤の水玉模様のワンピースを着た女の子が、朱い瞳をこちらに向けています。
「し、しらない」
「そう。ありがとうね」
そういうと女の子は枯山水を奥へ走っていってしまいました。白い髪がぽふぽふと揺れています。
「あはしまったら、どこいったの。いい加減に出ておいで」
女の子は、白い砂に足跡を点々とつけながら枯山水を走り回っています。私はと言えば、ようやく胸のドキドキが落ち着いてきたところです。あの子はひとりで探しているのでしょうか。ほかに家族はいないのでしょうか。
「ねえママ。枯山水って歩いていいの?」
「ダメ。絶対にダメ。ここは大切な場所だから、絶対に入っちゃダメなの」
「うん、わかってる。変なこと聞いてごめんね」
それではあの女の子は悪いことをしていることになります。大人に見つかったら怒られてしまうでしょう。いまに大人の怒鳴り声が聞こえるに違いありません。
「ねえ、あはしま? ほんとうにいないの?」
けれども聞こえたのは女の子の声でした。それも、先ほどとは打って変わって悲しそうな声をしています。彼女は弟を探していると言いましたが、もしかしたらそれは強がりの嘘で、本当は自分が迷子なのかもしれません。
母親の手を強く取り、いつもより大きな声で伝えました。
「ママ。さっき下に降りてた女の子がいたよね。あの子迷子かも」
「女の子? そんな子いた?」
ところが、期待していた声は返ってきませんでした。母親は心の底から戸惑っています。どうやら母親は気が付かなかったようです。
「ねえ、あはしま!? お願いだからでてきてよ!」
女の子の、今にも泣きだしそうな声が聞こえます。にもかかわらず、周りの大人は無反応です。わたしの両親にも聞こえていないようでした。
「あはしま……どこなの……」
枯山水には小さな足跡が点々と続いています。ですが、肝心の姿が見えないのです。一体、どこに行ってしまったのでしょうか。
(そうか。石の裏側にいるんだ)
お母さんが教えてくれたことを思い出しました。この枯山水は、見る場所によって石の順番が変わるのです。つまり、場所によっては見えない部分が生まれてしまうのです。つまり、女の子は今もこの島々のどこかにいるのです。
「あはしまおねがい。でてきてよ……」
あの子の涙声が聞こえます。どうやら泣き出してしまったようです。
「あはしまぁぁぁぁ……あはしまぁぁぁぁ……」
枯山水のどこかで女の子が泣き喚いています。その声は、いますぐ傍によって抱きしめたくなるような心細い声でした。
だけど女の子の姿は見えません。石の裏でひとり泣いているのです。
「どこにいるの……わたし、あなたにあいたいの……」
「ただひとりのかぞくなんだから……おねがいでてきてよ……」
「どこにいるのあはしま……あはしま……」
「ねえ、あはしま……」
それっきり、声は聞こえなくなりました。
それからしばらくして、私たち家族は枯山水を後にしました。次の目的地は地域の博物館です。恐竜が好きなわたしのために、母親がリストアップしてくれたのでした。
やがて車が動き始めました。後部座席は車中泊仕様のままです。
あの女の子は弟を見つけられたのでしょうか。
大人たちはなぜ、女の子の声に気が付かなかったのでしょうか。
あの女の子は今も泣いているのでしょうか。
リアウインドウに顔を押し付けた私は、遠ざかるお寺と枯山水を見つめていたのでした。
渡り廊下から眺める枯山水は、未熟な感性でも感動を覚えるほど立派な景観でした。白砂の海原に点在する立石は、昨年訪れた瀬戸内海を彷彿とさせます。その立石から同心円状に広がる砂紋は、島に打ち寄せる波でしょうか。石から離れた場所では砂がうねるように形作られています。粟島への道中で見たさざ波は、その模様とそっくりでした。視線を横に移せば、三つの石が身を寄せ合うようにして立っています。小柄な石を左右に従えた大きな石は、自信にあふれた頼りがいのある大黒柱のように見え、私は密かにその石たちを自分と両親に重ねたのです。それ以外の立石、つまり散在する他の立石に対する印象は、正直あまり残っていません。ですが目の前の光景が、それら影の薄い立石たちのおかげで成り立っていることは、当時の私でも理解することができました。
「先にいこうか」
両親に連れられて移動した先には、お寺が設置した説明版がありました。
目を通してみましたが、漢字が多くて読めたものではありません。
「ねえ、ママ。これなんて書いてあるの」と母親に訊いてみると、母親はしばしの間考える仕草を見せて「このお庭は二番目のお庭で、最初のお庭は全然違う景色だったんだって。去年行った大阪城覚えてる? あれは三番目だったけど、このお庭は二番目なの」と教えてくれました。
「枯山水の石は、日本が生まれた時の昔話を表しているの。あの大きな石が私たちの住む場所で、左の石が去年行った淡路島、右の石が四国なんだって」
「さっきいた場所と見える石の順番が変わっていることに気付いた? 実は日本が生まれたときの昔話には違いがあって。見る場所によって石の順番が変わるのは、その違いを表しているの」と、説明板に書いてあることを教えてくれたのです。
「ふーん」
言われてみれば、たしかに石の順番が違っています。先ほどは左奥に見えたはずの石が、いまは左手前に見えました。それでは、また別の場所から見れば順番が変わるのでしょうか。
「ママ、あっちから見てもいい?」
「だーめ。いまママから離れると迷子になっちゃうでしょ」
残念なことに私の好奇心は満たせそうにありませんでした。先ほどいた場所に目をやれば、押し寄せる観光客に埋もれてしまい、もう見ることができません。こればっかりは仕方がないことでした。
気が付けば、渡り廊下はたくさんの人で溢れ騒がしくなっています。
そのまま渡り廊下に立ち尽くしていると、ふと、喧騒の中に少し違う声が聞こえました。
「あはしまーどこー」
鈴が鳴るようなその声は、同じ保育園のあやちゃんとそっくりです。渡り廊下に押し寄せる人の波に目を凝らして、あやちゃんの姿を探します。でも目に入るのは大人の人ばかりで、あやちゃんどころか子どもの姿さえ見えません。それでもきょろきょろ探していると、また声が聞こえます。
「おーい。どこいっちゃったのよー」
声は、先ほどよりも大きくなっていました。けれども正面のひとだかりの中にあやちゃんはいません。右を向いても左を向いても、後ろを向いてもやっぱりいません。聞き間違いなのでしょうか。そう思った瞬間、また声が聞こえます。
「ねえ、君。あはしまのこと知らない? 私の弟なんだけど」
声は真下から聞こえました。驚いてしゃがみ込んでみると、渡り廊下を支える柱の前、つまり枯山水の上に女の子がいました。白地に赤の水玉模様のワンピースを着た女の子が、朱い瞳をこちらに向けています。
「し、しらない」
「そう。ありがとうね」
そういうと女の子は枯山水を奥へ走っていってしまいました。白い髪がぽふぽふと揺れています。
「あはしまったら、どこいったの。いい加減に出ておいで」
女の子は、白い砂に足跡を点々とつけながら枯山水を走り回っています。私はと言えば、ようやく胸のドキドキが落ち着いてきたところです。あの子はひとりで探しているのでしょうか。ほかに家族はいないのでしょうか。
「ねえママ。枯山水って歩いていいの?」
「ダメ。絶対にダメ。ここは大切な場所だから、絶対に入っちゃダメなの」
「うん、わかってる。変なこと聞いてごめんね」
それではあの女の子は悪いことをしていることになります。大人に見つかったら怒られてしまうでしょう。いまに大人の怒鳴り声が聞こえるに違いありません。
「ねえ、あはしま? ほんとうにいないの?」
けれども聞こえたのは女の子の声でした。それも、先ほどとは打って変わって悲しそうな声をしています。彼女は弟を探していると言いましたが、もしかしたらそれは強がりの嘘で、本当は自分が迷子なのかもしれません。
母親の手を強く取り、いつもより大きな声で伝えました。
「ママ。さっき下に降りてた女の子がいたよね。あの子迷子かも」
「女の子? そんな子いた?」
ところが、期待していた声は返ってきませんでした。母親は心の底から戸惑っています。どうやら母親は気が付かなかったようです。
「ねえ、あはしま!? お願いだからでてきてよ!」
女の子の、今にも泣きだしそうな声が聞こえます。にもかかわらず、周りの大人は無反応です。わたしの両親にも聞こえていないようでした。
「あはしま……どこなの……」
枯山水には小さな足跡が点々と続いています。ですが、肝心の姿が見えないのです。一体、どこに行ってしまったのでしょうか。
(そうか。石の裏側にいるんだ)
お母さんが教えてくれたことを思い出しました。この枯山水は、見る場所によって石の順番が変わるのです。つまり、場所によっては見えない部分が生まれてしまうのです。つまり、女の子は今もこの島々のどこかにいるのです。
「あはしまおねがい。でてきてよ……」
あの子の涙声が聞こえます。どうやら泣き出してしまったようです。
「あはしまぁぁぁぁ……あはしまぁぁぁぁ……」
枯山水のどこかで女の子が泣き喚いています。その声は、いますぐ傍によって抱きしめたくなるような心細い声でした。
だけど女の子の姿は見えません。石の裏でひとり泣いているのです。
「どこにいるの……わたし、あなたにあいたいの……」
「ただひとりのかぞくなんだから……おねがいでてきてよ……」
「どこにいるのあはしま……あはしま……」
「ねえ、あはしま……」
それっきり、声は聞こえなくなりました。
それからしばらくして、私たち家族は枯山水を後にしました。次の目的地は地域の博物館です。恐竜が好きなわたしのために、母親がリストアップしてくれたのでした。
やがて車が動き始めました。後部座席は車中泊仕様のままです。
あの女の子は弟を見つけられたのでしょうか。
大人たちはなぜ、女の子の声に気が付かなかったのでしょうか。
あの女の子は今も泣いているのでしょうか。
リアウインドウに顔を押し付けた私は、遠ざかるお寺と枯山水を見つめていたのでした。
少し不思議な出会いでした
それだけではなく親が理解してくれないっていうのもちょっと怖いシチュエーションでした