「ねえ阿求、私さ──」
言葉を告げたあと、少し驚いたような顔をする阿求。
「ふふ、馬鹿ね、小鈴。私だって、」
~*~
これは夢だ。それをはっきりと自覚する。私が知らぬ海を見せられているのだから。
チリンと、髪にくくられた鈴が鳴る。
どこまでも続く水平線と呼ばれるものを目にして私の心は驚いていた。
一面青の世界。青空が海に映されて、どこか人の立ち入る場所でないと感じる。
私は一歩踏み出す。ピチャン、水を踏んだ感覚。下を見ると私は海の上を歩いているらしい。ブーツの中は濡れていなくて、水を踏みしめて、土の上を歩く感覚が足に伝わる。不思議だ。夢だと自覚していてもどこか不安に感じた。
ピチャン、ピチャン、ピチャン……
あてもなく歩いた。空と海以外何も無い世界は私をひとりきりだと錯覚させて。
色鮮やかな青が私を不安にさせる。怖くなって私はひとり、海の上に座り込んだ。
「怖いよ……」
このまま私はひとりきりでどこかに行ってしまうのだろうか。
誰も出会えなくなってひとりここで孤独と恐怖に発狂しなければならないのか。
「怖いよ、──」
ゴロゴロ……空の色が変わる。黒く雷を纏う入道雲が私の向いている方向からやってくる。
あれが私を貫けばいいのに。怖くて、寂しくて、泣きそうで。
立ち上がって黒い雲方向に走り出す。
いきなり肩を持たれた感覚があって後ろに向かって倒れる。
バチャン!と水が跳ねる。
「どこに行くの、小鈴」
「なんで、なんでここに──」
~*~
「うわあああ!」
ガバッと私は布団から起き上がる。何、私は何を見た?
何かを見て私は飛び上がりながら起きたのに、その内容を覚えていなかった。
「小鈴ー? どうしたのそんなに大きな声を出して! 大丈夫!」
鈴奈庵の店舗の方からお母さんの大きな声が聞こえる。叫んで起きてしまったので心配させてしまったんだろうか。私は立ち上がって、襖を開けて店舗の方に歩いていく。
「ごめんお母さん、なんか悪い夢見てたみたい」
「そう、ならいいのだけれど。ほら顔を洗ってきなさいな。顔が酷いわよ」
「えーあー、うん、ありがとう」
お母さんがそう言うならそうなんだろう。素直に聞いてバシャバシャと冷たい水で顔を洗う。ひゅうと寒さが私の顔を通り抜ける。
「うう、寒い」
窓から見える空は雪模様だった。今日も積もりそうで嫌になる。また雪かきしないといけないかな、そんなことを思った。
支度をしていつもの通りに私は鈴奈庵のカウンターの椅子に座る。雪かきはしなくていいって言われたので店番をしている。
ガラガラ……こんな雪の日に誰が来るんだろうか。そんなことを思いながら入口を見ると普段借りに来てくれる女の子だった。カウンターに本を起きながら話しかけてくる。
「小鈴おねえちゃん、本返しに来た」
「どうだった? 本は面白かった?」
受け取って本を確認しながら聞いてみる。
「うん、ちょっと難しかったけど面白かったよ」
本の面白かったことを楽しそうに話してくれた。私はそれが嬉しくて、店番をやっているのが楽しい。その子はまた二冊、本を借りてくれた。
「おねえちゃん、私帰るね」
「雪が危ないから一緒に行くよ」
「いいの?やったあ。もう少し喋ろ!」
楽しそうに笑う女の子はとても眩しく思える。そうして雪の中、お喋りをして送り届けた。
楽しそうに本の世界を話す女の子は空想家のようで少しくすりと笑ってしまう。私もそうだから、楽しそうなのを見るととても嬉しく思うのだ。
……元気にしてるかなあ。
送り届けた後、親に感謝され、小さなお土産まで貰って、私は思い出す。冬になって雪が降ってから稗田の当主、または御阿礼の子、阿求を見ていなかった。鈴奈庵に本を借りに来ることもなく、文を貰って私が届けに行くこともなく。ここ二ヶ月は姿を見ていなかった。
忍び込んで阿求と遊ぼうかな、と思ったけれどこんな雪の日に塀を登れるとは思えなかった。滑り落ちて怪我をするのが落ちだと思う。かと言って正門から入ると御屋敷が騒々しくて嫌になる。別に阿求の御屋敷が嫌いって訳じゃなくて、何かこう……豪華すぎてあまり好きになれない。だってあれは里に向けての威権みたいなものだから。勝手にそう思ってるだけでそうじゃない人もいるんだろうけれど。それを阿求は押し付けてるつもりじゃないんだろうけれど。
里のことは今はどうでもいいんだった。阿求の事だ。元気にしてるかなって思うけど、改めて会いに行くのも恥ずかしい。忍び込むならいいけれど、面と向かって客としていくのは嫌だ。春になったら会えるかな、なんて思う。
冬眠した熊みたいに暖かくなったら、穴から這い出てきそうだ。阿求の事勝手に熊扱いしてるのバレたら怒られそう。そして最後に言われるんだ、「全く、小鈴は!」って。
私の頭の中で完璧に再生した声で、ふふっと笑ってしまう。
そんなことを沢山考えて歩いていたら、もう鈴奈庵についてしまった。会いたいのなら行けばいいだけの話だけれど、阿求をいかにして驚かそうと思うので、雪が解けたら会いに行こうか。そんなことを思って私は鈴奈庵の扉に手をかけた。
~*~
また、夢を見ていた。
今度は空が暗い、夜だった。空の色は暗く、目を凝らすと一つ、星が見えた。
いつか掠れて消えてしまいそうな星を頼りに私は歩いていく。
ピチャン、ピチャン、ピチャン……
昼の空間と同じように歩く水音が響き渡る。
どうして私はあれに向かって歩いているんだろうか。目的なんかなくて、それでもあの星が欲しくて。
私は歩いていく、歩いていく、歩いていく。
いつまでも距離が近づかない星は私を嘲笑うようで。
気がつけばどこまで歩いたんだろうか、私は急に立ち止まる。星は見える、私は歩ける……けど、どうして?
足が動かない。暗い暗い闇は私の意識を包み込んで何処かへと連れ去っていってしまう様だった。
「連れていかないで、私を何処かへと連れていかないで!」
恐ろしくなって私は腕を振り回す。動かない足は私を前には進ませない。進めない。
どうして、どうして、どうして!
訳が分からなくて私は混乱する。進ませてよ、あの星を私のモノにしたいの! なのに動かない。どうしてよ!
ザザザ……
ノイズが聞こえる。驚いて目をつむって直ぐに前を見ると誰か立っていた。
「そ れ が お ま え の」
~*~
「うわあああ!」
ガバッとまた起き上がる。なんかこれ前も見たよう気がする。また驚いたお母さんがどうしたのと声をかけてくる。
また、大丈夫だよって言って飛び上がりそうな心臓を押さえつける。
何かを見た。私は最後に何かを非難されて飛び起きたことだけは覚えている。
……大丈夫。大丈夫。私はまだここに居る。なら大丈夫。
心の中で意味の無い問答を続ける。見た夢のことなんて既に終わったことなのだからどうにもならないのだ。
そうして着替えて私はまた店番をする。見た夢が怖かったことだけを覚えていて、何か気持ち悪くて嫌になる。座ったまま顔を机に突っ伏して、ボーッとする。
阿求なら、なんて言うかな。
「馬鹿ね、そんなもの忘れなさいよ」……違う、そんなに優しくない。
ダメだ、思いつかない。阿求がここにいないと分からないや。そんなことをもやもやと思う。でも罵倒されそうな気がする。勝手にそんなこと思ってたら殴られそうだなって思った。そういえば前に気持ちが弱くなってて、しょげたことを言ったら頭を叩かれた。私が何を言ったか覚えてないけれど、阿求にとってなんかダメなセリフだったらしい。強めに頭叩かれて、痛った!と叫んでいたら、阿求に怒られた。
「あんた、何そんなに弱気になってるのよ。あんたはそんなんじゃないでしょ」って言われた。
それだけは嬉しくてなんか覚えている。阿求から見た私が少しくらい強そうに見えるんだったら嬉しくて。そんな話。
ねえ阿求、あんた今どこにいるのかしら。教えてくれない?でもまだ会いに行かない。だって私はあんたを越えられていないから。何を超えていないかなんて私が満足するまで分からないけれど!
~*~
三度目の夢を見る。
今度は……夕焼け空だった。空は橙色が覆っていて空から降ってくるように海の表面に写る。水平線に日が暮れかけた世界で太陽をめざして歩いてみる。
ピチャン、ピチャン、ピチャン……
美しいけれど寂しいような世界で私は一人歩いていく。
ねえ、──
名前が出ない。誰の名前を言おうとしてたんだっけ。歩くのを止めて私は立ち止まる。
夕暮れの海は私を覆ったまま時が止まっている。
ひゅう……と私の髪を撫でるような風が通り過ぎていく。
風が緩やかに出てきた。そちらに向かえってことなのだろうか。出来すぎているようだけど夢の中だ、そんなものなんだろう。なんか気が楽になって私は歩いていく。何があっても私はそれを受け入れるだけなんだろうね。
遠くに何か建物が見えてきた。何か大切な人がいたような御屋敷。豪華すぎて気が引ける御屋敷だった。
少し立ち止まる……が、決心して御屋敷の門を開いた。
ギギギ……
重くて、必死に開けて、身体が入れる隙間を開けて私は御屋敷に忍び込むようにサッと入った。
慣れた道のように私は気がつくと奥の部屋まで入っていた。
「やっと来たね、小鈴」
「あんたの仕業ね……『阿求』」
言いたかった名前が出てきた。そこに居たのは紫の髪の毛に、頭に花飾りをした、今一番会いたい人がいた。
「今までの夢もあんたの仕業?」
「さあね。それは夢の管理人に聞いてくれるかしら」
「それ一生聞けないじゃんか」
あははと笑う阿求。どこか幼く見えた。なんでだろうか。
「まあそんなこと置いておいて……小鈴、あんた分かってんの?」
「何その言い方。そもそもあんた阿求?」
「私は阿求よ」
「……まあいいわ。聞かないことにする」
「で、本題。小鈴は心の中をわかってるの」
?
どういうこと?私は私であるのになんで阿求に問われなきゃいけないんだろうか。
「意味わからないんだけど……?」
本当に頭の中にはてなが浮かぶ。
「……はあ。まあいいわ。あんたの心に従わないのなら苦しいだけなのに」
「いやだからなんであんたに言われなきゃいけないわけ?」
こいつ、本当にうっと……いや、違う。阿求はこんなこと言わない。
「この世界から消えてくれないかな、阿求じゃない、夢の管理者さん?」
「バレてしまっては仕方ないですね、では夢は覚めましょう。幸運を」
「幸運なんて言われなくても」
私は私の絶対の自信がある。でも少し怖かったりする。でも私はそれでも突撃するしかないんだ。
私は夢の世界から覚める。私は言わなければならない。
~*~
目が覚める。今までの夢を思い出す。
ほら、私のすることが分かる。うじうじしたこと、そんなこと吹き飛ばして私は、実行しなければならないのだ。
飛び起きて、全ての準備をして。言いたいことを言いに行く日だ。今日はそんな気がする。
「お母さん、ちょっと阿求のところ行ってくる」
「はい、行ってらっしゃい」
ガラガラと戸を開けて私は走り出す。
は、は、とスピードを出しながら私は走る。
雪は溶けかけていた。
*
「たのもー!阿求いますか!」
「なんだい道場破りみたいに。阿求様なら、お部屋にいらっしゃると思うぞ。あとは女中に聞いてくれ」
そう言って門を通される。玄関に向かわずに私は庭の方に飛び込んで一番近いルートで阿求の部屋を目指す。
女中の方が廊下を私を探してバタバタ走る様子が庭から見える。
すみません、と心の中で合掌しながら人が居なくなったところで阿求の部屋に直行した。
縁側で靴を脱いで、靴を持って直行する。
スパーンと襖を勢いよく開けると、何か書き物をしていた阿求は驚いたのか肩が跳ねていた。
「阿求! 聞いてくれる!?」
「ちょっと、小鈴!? あんたなんでいるの! 聞いてないんだけど!」
後ろを振り向いてから立ち上がる阿求。
「そんなことどうでもいいんだよ! 話、聞いてくれる?」
「……なにか訳あり?」
「いや違うけど……」
一瞬詰まってしまって私は動きが止まる。
「あ、いました、小鈴さん、ちゃんと話を! 通してから! 入ってください!」
やっべ、見つかっちゃった!
「こーすーず、あんたまた私の部屋直行したでしょ!」
パシッ、と頭を叩かれた。
「あいたっ!?」
とりあえず正座で座らされた。酷い。
*
女中さんにガミガミ怒られて、阿求にも怒られて、散々だった。解放されて、阿求と二人になる。
「とりあえず聞きたいんだけど、何をそんなに急いでたの?」
「ねえ阿求、私さ、あんたのこと好きだよ」
少し驚いて目を見開いている阿求。そうしてすぐ笑って、阿求は言う。
「ふふ、馬鹿ね、小鈴。私だって好きよ」
はははと、私たち二人は笑った。
「……で、言いたいことはそれだけ?」
「え、うん」
「……あんたほんとに馬鹿ね」
言葉を告げたあと、少し驚いたような顔をする阿求。
「ふふ、馬鹿ね、小鈴。私だって、」
~*~
これは夢だ。それをはっきりと自覚する。私が知らぬ海を見せられているのだから。
チリンと、髪にくくられた鈴が鳴る。
どこまでも続く水平線と呼ばれるものを目にして私の心は驚いていた。
一面青の世界。青空が海に映されて、どこか人の立ち入る場所でないと感じる。
私は一歩踏み出す。ピチャン、水を踏んだ感覚。下を見ると私は海の上を歩いているらしい。ブーツの中は濡れていなくて、水を踏みしめて、土の上を歩く感覚が足に伝わる。不思議だ。夢だと自覚していてもどこか不安に感じた。
ピチャン、ピチャン、ピチャン……
あてもなく歩いた。空と海以外何も無い世界は私をひとりきりだと錯覚させて。
色鮮やかな青が私を不安にさせる。怖くなって私はひとり、海の上に座り込んだ。
「怖いよ……」
このまま私はひとりきりでどこかに行ってしまうのだろうか。
誰も出会えなくなってひとりここで孤独と恐怖に発狂しなければならないのか。
「怖いよ、──」
ゴロゴロ……空の色が変わる。黒く雷を纏う入道雲が私の向いている方向からやってくる。
あれが私を貫けばいいのに。怖くて、寂しくて、泣きそうで。
立ち上がって黒い雲方向に走り出す。
いきなり肩を持たれた感覚があって後ろに向かって倒れる。
バチャン!と水が跳ねる。
「どこに行くの、小鈴」
「なんで、なんでここに──」
~*~
「うわあああ!」
ガバッと私は布団から起き上がる。何、私は何を見た?
何かを見て私は飛び上がりながら起きたのに、その内容を覚えていなかった。
「小鈴ー? どうしたのそんなに大きな声を出して! 大丈夫!」
鈴奈庵の店舗の方からお母さんの大きな声が聞こえる。叫んで起きてしまったので心配させてしまったんだろうか。私は立ち上がって、襖を開けて店舗の方に歩いていく。
「ごめんお母さん、なんか悪い夢見てたみたい」
「そう、ならいいのだけれど。ほら顔を洗ってきなさいな。顔が酷いわよ」
「えーあー、うん、ありがとう」
お母さんがそう言うならそうなんだろう。素直に聞いてバシャバシャと冷たい水で顔を洗う。ひゅうと寒さが私の顔を通り抜ける。
「うう、寒い」
窓から見える空は雪模様だった。今日も積もりそうで嫌になる。また雪かきしないといけないかな、そんなことを思った。
支度をしていつもの通りに私は鈴奈庵のカウンターの椅子に座る。雪かきはしなくていいって言われたので店番をしている。
ガラガラ……こんな雪の日に誰が来るんだろうか。そんなことを思いながら入口を見ると普段借りに来てくれる女の子だった。カウンターに本を起きながら話しかけてくる。
「小鈴おねえちゃん、本返しに来た」
「どうだった? 本は面白かった?」
受け取って本を確認しながら聞いてみる。
「うん、ちょっと難しかったけど面白かったよ」
本の面白かったことを楽しそうに話してくれた。私はそれが嬉しくて、店番をやっているのが楽しい。その子はまた二冊、本を借りてくれた。
「おねえちゃん、私帰るね」
「雪が危ないから一緒に行くよ」
「いいの?やったあ。もう少し喋ろ!」
楽しそうに笑う女の子はとても眩しく思える。そうして雪の中、お喋りをして送り届けた。
楽しそうに本の世界を話す女の子は空想家のようで少しくすりと笑ってしまう。私もそうだから、楽しそうなのを見るととても嬉しく思うのだ。
……元気にしてるかなあ。
送り届けた後、親に感謝され、小さなお土産まで貰って、私は思い出す。冬になって雪が降ってから稗田の当主、または御阿礼の子、阿求を見ていなかった。鈴奈庵に本を借りに来ることもなく、文を貰って私が届けに行くこともなく。ここ二ヶ月は姿を見ていなかった。
忍び込んで阿求と遊ぼうかな、と思ったけれどこんな雪の日に塀を登れるとは思えなかった。滑り落ちて怪我をするのが落ちだと思う。かと言って正門から入ると御屋敷が騒々しくて嫌になる。別に阿求の御屋敷が嫌いって訳じゃなくて、何かこう……豪華すぎてあまり好きになれない。だってあれは里に向けての威権みたいなものだから。勝手にそう思ってるだけでそうじゃない人もいるんだろうけれど。それを阿求は押し付けてるつもりじゃないんだろうけれど。
里のことは今はどうでもいいんだった。阿求の事だ。元気にしてるかなって思うけど、改めて会いに行くのも恥ずかしい。忍び込むならいいけれど、面と向かって客としていくのは嫌だ。春になったら会えるかな、なんて思う。
冬眠した熊みたいに暖かくなったら、穴から這い出てきそうだ。阿求の事勝手に熊扱いしてるのバレたら怒られそう。そして最後に言われるんだ、「全く、小鈴は!」って。
私の頭の中で完璧に再生した声で、ふふっと笑ってしまう。
そんなことを沢山考えて歩いていたら、もう鈴奈庵についてしまった。会いたいのなら行けばいいだけの話だけれど、阿求をいかにして驚かそうと思うので、雪が解けたら会いに行こうか。そんなことを思って私は鈴奈庵の扉に手をかけた。
~*~
また、夢を見ていた。
今度は空が暗い、夜だった。空の色は暗く、目を凝らすと一つ、星が見えた。
いつか掠れて消えてしまいそうな星を頼りに私は歩いていく。
ピチャン、ピチャン、ピチャン……
昼の空間と同じように歩く水音が響き渡る。
どうして私はあれに向かって歩いているんだろうか。目的なんかなくて、それでもあの星が欲しくて。
私は歩いていく、歩いていく、歩いていく。
いつまでも距離が近づかない星は私を嘲笑うようで。
気がつけばどこまで歩いたんだろうか、私は急に立ち止まる。星は見える、私は歩ける……けど、どうして?
足が動かない。暗い暗い闇は私の意識を包み込んで何処かへと連れ去っていってしまう様だった。
「連れていかないで、私を何処かへと連れていかないで!」
恐ろしくなって私は腕を振り回す。動かない足は私を前には進ませない。進めない。
どうして、どうして、どうして!
訳が分からなくて私は混乱する。進ませてよ、あの星を私のモノにしたいの! なのに動かない。どうしてよ!
ザザザ……
ノイズが聞こえる。驚いて目をつむって直ぐに前を見ると誰か立っていた。
「そ れ が お ま え の」
~*~
「うわあああ!」
ガバッとまた起き上がる。なんかこれ前も見たよう気がする。また驚いたお母さんがどうしたのと声をかけてくる。
また、大丈夫だよって言って飛び上がりそうな心臓を押さえつける。
何かを見た。私は最後に何かを非難されて飛び起きたことだけは覚えている。
……大丈夫。大丈夫。私はまだここに居る。なら大丈夫。
心の中で意味の無い問答を続ける。見た夢のことなんて既に終わったことなのだからどうにもならないのだ。
そうして着替えて私はまた店番をする。見た夢が怖かったことだけを覚えていて、何か気持ち悪くて嫌になる。座ったまま顔を机に突っ伏して、ボーッとする。
阿求なら、なんて言うかな。
「馬鹿ね、そんなもの忘れなさいよ」……違う、そんなに優しくない。
ダメだ、思いつかない。阿求がここにいないと分からないや。そんなことをもやもやと思う。でも罵倒されそうな気がする。勝手にそんなこと思ってたら殴られそうだなって思った。そういえば前に気持ちが弱くなってて、しょげたことを言ったら頭を叩かれた。私が何を言ったか覚えてないけれど、阿求にとってなんかダメなセリフだったらしい。強めに頭叩かれて、痛った!と叫んでいたら、阿求に怒られた。
「あんた、何そんなに弱気になってるのよ。あんたはそんなんじゃないでしょ」って言われた。
それだけは嬉しくてなんか覚えている。阿求から見た私が少しくらい強そうに見えるんだったら嬉しくて。そんな話。
ねえ阿求、あんた今どこにいるのかしら。教えてくれない?でもまだ会いに行かない。だって私はあんたを越えられていないから。何を超えていないかなんて私が満足するまで分からないけれど!
~*~
三度目の夢を見る。
今度は……夕焼け空だった。空は橙色が覆っていて空から降ってくるように海の表面に写る。水平線に日が暮れかけた世界で太陽をめざして歩いてみる。
ピチャン、ピチャン、ピチャン……
美しいけれど寂しいような世界で私は一人歩いていく。
ねえ、──
名前が出ない。誰の名前を言おうとしてたんだっけ。歩くのを止めて私は立ち止まる。
夕暮れの海は私を覆ったまま時が止まっている。
ひゅう……と私の髪を撫でるような風が通り過ぎていく。
風が緩やかに出てきた。そちらに向かえってことなのだろうか。出来すぎているようだけど夢の中だ、そんなものなんだろう。なんか気が楽になって私は歩いていく。何があっても私はそれを受け入れるだけなんだろうね。
遠くに何か建物が見えてきた。何か大切な人がいたような御屋敷。豪華すぎて気が引ける御屋敷だった。
少し立ち止まる……が、決心して御屋敷の門を開いた。
ギギギ……
重くて、必死に開けて、身体が入れる隙間を開けて私は御屋敷に忍び込むようにサッと入った。
慣れた道のように私は気がつくと奥の部屋まで入っていた。
「やっと来たね、小鈴」
「あんたの仕業ね……『阿求』」
言いたかった名前が出てきた。そこに居たのは紫の髪の毛に、頭に花飾りをした、今一番会いたい人がいた。
「今までの夢もあんたの仕業?」
「さあね。それは夢の管理人に聞いてくれるかしら」
「それ一生聞けないじゃんか」
あははと笑う阿求。どこか幼く見えた。なんでだろうか。
「まあそんなこと置いておいて……小鈴、あんた分かってんの?」
「何その言い方。そもそもあんた阿求?」
「私は阿求よ」
「……まあいいわ。聞かないことにする」
「で、本題。小鈴は心の中をわかってるの」
?
どういうこと?私は私であるのになんで阿求に問われなきゃいけないんだろうか。
「意味わからないんだけど……?」
本当に頭の中にはてなが浮かぶ。
「……はあ。まあいいわ。あんたの心に従わないのなら苦しいだけなのに」
「いやだからなんであんたに言われなきゃいけないわけ?」
こいつ、本当にうっと……いや、違う。阿求はこんなこと言わない。
「この世界から消えてくれないかな、阿求じゃない、夢の管理者さん?」
「バレてしまっては仕方ないですね、では夢は覚めましょう。幸運を」
「幸運なんて言われなくても」
私は私の絶対の自信がある。でも少し怖かったりする。でも私はそれでも突撃するしかないんだ。
私は夢の世界から覚める。私は言わなければならない。
~*~
目が覚める。今までの夢を思い出す。
ほら、私のすることが分かる。うじうじしたこと、そんなこと吹き飛ばして私は、実行しなければならないのだ。
飛び起きて、全ての準備をして。言いたいことを言いに行く日だ。今日はそんな気がする。
「お母さん、ちょっと阿求のところ行ってくる」
「はい、行ってらっしゃい」
ガラガラと戸を開けて私は走り出す。
は、は、とスピードを出しながら私は走る。
雪は溶けかけていた。
*
「たのもー!阿求いますか!」
「なんだい道場破りみたいに。阿求様なら、お部屋にいらっしゃると思うぞ。あとは女中に聞いてくれ」
そう言って門を通される。玄関に向かわずに私は庭の方に飛び込んで一番近いルートで阿求の部屋を目指す。
女中の方が廊下を私を探してバタバタ走る様子が庭から見える。
すみません、と心の中で合掌しながら人が居なくなったところで阿求の部屋に直行した。
縁側で靴を脱いで、靴を持って直行する。
スパーンと襖を勢いよく開けると、何か書き物をしていた阿求は驚いたのか肩が跳ねていた。
「阿求! 聞いてくれる!?」
「ちょっと、小鈴!? あんたなんでいるの! 聞いてないんだけど!」
後ろを振り向いてから立ち上がる阿求。
「そんなことどうでもいいんだよ! 話、聞いてくれる?」
「……なにか訳あり?」
「いや違うけど……」
一瞬詰まってしまって私は動きが止まる。
「あ、いました、小鈴さん、ちゃんと話を! 通してから! 入ってください!」
やっべ、見つかっちゃった!
「こーすーず、あんたまた私の部屋直行したでしょ!」
パシッ、と頭を叩かれた。
「あいたっ!?」
とりあえず正座で座らされた。酷い。
*
女中さんにガミガミ怒られて、阿求にも怒られて、散々だった。解放されて、阿求と二人になる。
「とりあえず聞きたいんだけど、何をそんなに急いでたの?」
「ねえ阿求、私さ、あんたのこと好きだよ」
少し驚いて目を見開いている阿求。そうしてすぐ笑って、阿求は言う。
「ふふ、馬鹿ね、小鈴。私だって好きよ」
はははと、私たち二人は笑った。
「……で、言いたいことはそれだけ?」
「え、うん」
「……あんたほんとに馬鹿ね」
まぶしいくらいにきれいな話でした