菫子は道に真鍮製の水差し型ランプが落ちているのを見つけた。デザインから古いランプだと思ったが、古さに反してやけに塗装の剥げが少ないなど、不自然な真新しさも混じっている。
菫子は良く言えば行動力があり、悪く言えば軽率なオカルトマニアだ。彼女は迷うことなくそのランプを手に取り、ポケットに入れていたハンカチで擦った。
少し期待していた通りの現象が起こった。ランプの口から白い煙が湧き上がり、それが薄れると魔神が立っていた。
……魔神? 眼鏡で矯正してなお乱視で像がバラけて見える、ということでなければ視界通りに三人立っている。魔神とは複数人ランプに入っているものだっただろうか? 左から赤、黄、青。青が文字通りの青じゃなくて緑だったら信号機だったなあというようなことを菫子は考えていた。
そして、魔神の外観を魔神たらしめているのは辮髪
と黒く長い巻き鬚なのだが、その二要素に対して足し算と引き算を加えることで明らかにどこかで見たことのある姿になる。
「お主の願いを三つ叶えてやろう」
湧き上がる煙が薄れたところで、赤の魔神が口を開いた。が、駄目だ。この魔神達は、外観は誤魔化せても声の改造はできないらしい。何となく、何となくだが三人のうち一人は音を消す程度の能力を持っていそうなので高音部分だけ消せば誤魔化せる気がするが、そういうおつむは持っていないようだ。この赤の魔神はサニー何さんなんだ。
菫子はがっかりしたが、もし出てきたのが本物の魔神だったら後悔のないようにどんな願いを頼もうかと悩むところ、これなら気軽にお願いができるなと思い直すことにした。それに、たまたまどこかの妖精に似ているというだけで本物の魔神なのかもしれない。トンデモな発想だが、幻想郷とはそういうトンデモが起こる場所なのだ。
「じゃあ焼き肉と寿司とピザ!」
今は昼前だった。菫子の願望が食欲に偏るのも必然だろう。それにしても頼み過ぎなのだが、彼女は夢を通して幻想郷で侵入しているだけなので、幻想郷内では夢だからカロリーゼロ理論が通用してしまうのである。ズルい。
一方魔神三人衆(仮)は、どんな願いでも叶えますよという雰囲気を漂わせていたのに、食品という割りと楽な方であろう願いを聞いた瞬間狼狽した。
「え? 願いの物って私達で用意しなきゃいけないの?」
「そりゃそうでしょ」
「にしたってジャンルがバラバラだから店を三つ巡って調達しなきゃいけないじゃん。あの女子高生には人の心がないの!?」
「あのー」
菫子が堪りかねて魔神(?)の言い合いに混じる。
「こっちは忙しいんだから口出ししないで! ……じゃなかった。えーと、なんだ、その。……しばし待たれい!」
そうして魔神(笑)はいなくなってしまった。
菫子は、何だったんだろう今のはと、しばし呆然としたが、真夏の蜃気楼のようなものだろうと人を目の錯覚扱いして博麗神社へ歩を進めた。
つまり魔神(例の三人)を全く期待してはいなかったのだが、意外なことに魔神の言う通りにしばし、時計の時間にして一時間程経った頃、願いの品が、長距離を走って来たらしい、息を切らした本人達によって届けられた。
「霊夢っちいるー? 一緒にお昼ご飯食べない?」
いざ届けられた食べ物の、袋を貫通して分かる明らかな量の多さを前に、菫子は己の欲深さをいたく後悔し、さりとて食べきれない分をこの地で捨ててしまっては、もったいないお化けに物理的に祟られかねないと、どうせ自分の神社でぐうたらしていて昼の準備など碌にしていないだろう友と分け合うことを選んだ。
「いくらなんでも買い過ぎでしょ。自分の胃袋の大きさくらい把握しておきなさい」
「霊夢っちだって前に鯢呑亭で注文しすぎで大変なことになりかけたらしいじゃん。美宵っちが笑いながら話してたよ」
「未成年が居酒屋に行っちゃいけません!」
霊夢は赤面しつつ、自分の行動と年齢を棚に上げて菫子をたしなめた。
「霊夢っちは大体私と同い年でしょ。それにこれは買ったやつじゃない。ようせ……ランプの魔神に願いを叶えて貰ったの」
「はあ」
霊夢は信じていないようだった。菫子はあのランプを見せよう、と荷物を探ったがどうも最初に光の三魔神に会った道に落としてしまったらしかった。まあこの贅沢食品三点セットが何よりの証拠だと彼女は包みを開けた。
焼き肉は、菫子の知る焼き肉――牛肉や豚肉の薄切り肉に塩やタレで味をつけて網で焼いたもの――とは異なり、名前をつけるならば、『何かのジビエの香草焼き』という代物だった。
「あら、熊肉ね。珍しい」
霊夢は肉の違いが分かるようだったが、菫子には違いが分からない。美味しくはあるが、牛豚と比較して、どれも臭くて硬いように思う。味音痴というわけではなく、違う種類の肉を二つ並べられたときに臭みの強さや硬さの違いから、例えばこれはまだ柔らかいから鹿肉だなというような理解の仕方はできるが、今日のように一種類だけ食べて、ステータスの絶対値を感じ取って「効き肉」をするという域にはまだ到達できていない。現代的な料理が未だ浸透しきってはいないという面では幻想郷は後進的だが、こと肉の種類という点では幻想郷の食文化の方が外の世界のそれより豊かなのかもしれないと菫子は感じた。
「霊夢っちって、バーベキューは知ってる?」
「何それ?」
そう、幻想郷の現代食文化への理解は未だ不十分。幻想郷にも屋外料理の文化はあり、中には大猪を丸焼きにするなど、菫子の方が羨ましいと思うものもあるが、バーベキューの楽しさを知らないとはまだまだである。次の宴会の幹事に立候補してやろうかと彼女は考えていた。
次は寿司。
「菫子、あんた誰に配達頼んだのよ……」
寿司の運び手はどこかで転んだらしい。箱が凹んでいる段階で嫌な予感はしていたが、その通りどこぞの天邪鬼が手を加えたかのようにシャリと具の殆どはひっくり返り、それがまだマシと思えるような完全分離も一部で見られる。
寿司屋とは関係ないところで評価の星が数個マイナスされてしまったが、気を取り直して二人は寿司を手に取った。
大きくない? と菫子は思った。半分残骸と化した箱の中身を見たときでそう思って、シャリとネタの組み合わせを一つ手にとって確信に変わった。
寿司と間違えておにぎりを頼んだのかと記憶を辿るも、確かに寿司と言っていたし、おにぎりを頼んでいたとしたら今度はこの魚の切り身は何だという方向で疑問が生じていただろう。これこそが江戸時代から変わらぬ、大喰らいな幻想郷民に合わせた幻想郷の寿司だ。
しかし、ここが幻想郷故やむを得ないことだが、ネタが川魚なのである。箱の中身にマグロがないことで菫子はここの地理条件を思い出した。そして味に懸念を覚えたが、幸いにも塩や酢で丁寧に〆られた切り身は懸念したような生臭さがなく美味ではあったが、それでもやはり、この寿司は菫子の知る、磯の香り漂う寿司とは全くの別物だった。
「潤美さんだっけ? この前の宴会に魚を届けてくれた牛鬼さん。あの人、海の魚は養殖してないの?」
「していないんじゃない? 三途の川って言うくらいだから川でしょうし。というより川だろうが海だろうが魚は魚でしょ」
「全然別物。海水はしょっぱいから」
「紫も同じこと言っていたわ。昔一度だけ海に行ったことがあって、そこの水は全然塩辛くなかったからホラ吹かれたのかと思っていたんだけれど」
「海の水がしょっぱくないって、味覚おかしいよ!」
「あー。月の海だから地球の海とは違うのかも」
「それだ。今度機会があったら私も月に連れてってよ」
「私は二度と御免ね。あんな狂ったところは」
二人は焼き肉と寿司という中々のカロリーを容易く平らげ、最後の箱を開けた。
「ピザね」
「うん」
魔神は菫子が独り占めするものと思ったらしく、Sサイズのピザを宅配した。実際には二人で分け合っているのだが、他二つが重かったので結果粋な計らいとなっている。
菫子は一ピースを頬張った。
「ほう。これは紛うことなきピザ」
普通だ。が、普通であることが最大の異常だ。なんせピザだ。ピッツァだ。Pizzaだ。焼き肉や寿司すら姿を変える幻想郷で、まさか和風ファンタジーの世界観から一番遠いイタリア料理が最も外の世界そのままに伝わっているとは。いや、菫子も本場のピザがどういうものかは知らないが。
「この熊肉? の燻製美味しいね」
「ピザに入っているのは熊肉じゃなくて猪」
思えば幻想郷にはどういうわけかカレーも伝来しているのである。寒冷な幻想郷の気候では手に入らないカレーと違い、主原料である小麦粉も牛乳も塩も域内で自給できるピザが定着しているのはおかしな話ではない。原料があって製法の伝来を待つだけだったという点ではピザは焼き肉と同じスタートラインに立っていて、寿司よりもよっぽど幻想郷に「近かった」のである。
しかし、と菫子はチーズが伸びなくなったピザを齧りながら思う。配送に時間がかかりすぎて、全部できたての温かさも冷たさもないぬるい温度に統一されてしまっている。幻想郷にも、Uber ◯atsが欲しいものである。
†
菫子と霊夢が幻想郷グルメに舌鼓を打っていた頃、ランプの周りでは三柱の魔神(偽)が……。
いや、ここらで彼女達の正体を明かしてしまおう。彼女達は光の三妖精。博麗神社周辺によく出没するいたずら妖精三人組である。
ルナがランプを拾ってきて、それを見たスターが魔神が出てきそうなランプだと感想を述べ、それを聞いたサニーがじゃあ自分達が魔神になるいたずらをしかけましょうと提案して、全員それに賛成した。
で、実際にいたずらの一回目を終えた三妖精がランプの周りで何をしているのかといえば、「こんなはずじゃなかった」と反省会をしているのだ。
魔神といえば、願い事は三つと相場は決まっている。それなら三人いるんだし一人一個願いを担当したら楽勝じゃないかと脳内では想定していたのだが、現実世界は妖精の頭脳の百倍は広かったので簡単な願いでも疲労困憊する羽目になったのである。
「というか、こういうのって魔神が意地悪するものじゃないの?」
「童話だと願いを叶えたい主人公と、すんなりとは願いを叶えさせてはくれない魔神との知恵比べってイメージがあるわね」
「でも、私達に頭脳戦ができるような頭は……」
ルナが結論を言いかけたところをサニーが止めた。
「ま、まあ三人揃えば仏の知恵って言うし? 次は上手くいくでしょ」
「次やるの? 頭をひねっても結局それっぽく願いは叶えさせないといけないし、そのために物を探すのは私達自身なのよ」
「ま、まあそれは流れで……」
文殊も仏のうちだから、「三人揃えば仏の知恵」というのはあながち間違いではない。が、結局妖精が三人集まったところで文殊どころか地蔵もどきの魔法使いにも知恵比べでは負けるわけで、初回の反省は殆どなされぬまま、誰か近づいてきたというスターの言で、なんとなくの流れのまま二回目をすることとなった。
今回の標的は古明地こいし、さとり妖怪姉妹の妹の方である。この妹さん、非常に手癖が悪く、落ちているものは全て自分のものと信じて疑わない。当然ランプも、何の疑問も持たず長袖の服の袖の下に入れた。と、見せかけてランプに少し浮いた錆が気になったのか袖で拭く。
まあ無意識の手癖だったのだが、その一瞬を見逃さないのが我らが光の三魔神。モクモクと煙(サファイアがどこからか盗み出した煙玉)が上がり、三人がこいしを囲むように立つ。
「お主の願いを三つ叶えてやろう」
「願い叶えてくれるの?」
「左様」
「じゃあ過去と現在と未来!」
はい、無理です。解散。誰一人そう口にはしなかったが、つまり言葉に発さずとも察するし察せよということである。ランプも取られちゃったしなあと、三人は無言で姿を消して、立ち去ろうと……。
「あれー? 聞こえなかった? もう一度お願いするね。過去! 現在! 未来!」
しかし、まわりこまれてしまった! 光を屈折して姿を隠し、音も消していたが、無意識のさとり妖怪相手に視覚や聴覚の遮断だけで隠れようというのは無理があった。
「どうする? 抽象概念なんて私達に集めるのは無理だよ。素直に降参する?」
「いや。今こそ我らが知恵の見せどころ。なんかそれっぽいものを渡して誤魔化すのよ!」
「え、いや、それっぽいものって……」
サニーとスターは心当たりがあるのか、探すふりをして逃亡しようというのか先に去って、少し遅れてルナも続いた。
こいしがこの奇妙な魔神紛いにいかほどの期待を抱いていたのかは甚だ疑問だが、それとは関係なく三人は願いに対応するものを、確実にこいしが想定はしていなかったであろうものを持ってきた。
サニーは「過去」の枠として歴史書を持ってきた。寺子屋の資料室から盗み出した幻想郷縁起の写本である。これならば過去の代用品として申し分ないだろう。写本だし、その気になれば原本から印刷する技術も現代の幻想郷にはあるしと、本そのものは貴重ではない。が、重要ではあり、それがこともあろうに妖精「ごとき」に盗まれたというのは寺子屋運営に重大な影響を及ぼすだろうがそれはまた別の話である。
ルナはなんと何も持ってこなかった。ただこいしの前で仁王立ちして、「現在とは今である。今ここに君が生きている時点で、君は現在を手中におさめているではないか」と言ってのけた。この一世一代の大芝居にはサニーとスターも吹き出しそうになった。現在に代わるものが思いつかなかったか、服の前の方に土汚れがついていることから推理するに、持ってくる途中で転んで落としたかのどちらかかと思われた。しかしこいし本人は納得したのか妙に良い雰囲気になっているし、サニーとスターも笑いを抑えるのに必死だったのでことさらに指摘しようとはしなかった。
スターが「未来」を担当し、誤魔化すにしても明らかにこれが一番難題と思われたが、彼女はきちんと品を持ってきた。
盾、といっても武器としての盾ではなく、トロフィーとして飾る用の四角で台座がついた盾をスターは持ってきた。
盾の表面には穴だらけの地面と円錐形の塔――彼女達は「ロケット」という単語を知らない――が描かれ、「祝 2153年地球―月面民間航路完成」との文字が浮き彫りにされている。西暦年は幻想郷ではあまり使われないがなんとなく大きな数字ではあるし、現在月面航路など存在していなくて昔にあったとも思えないので、消去法で未来なのだと思われた。どの世界線、時間軸からかは分からないが、未来の外の世界から幻想郷に入ってきたのだろう。
うん。今回の三妖精はとっても頑張ったが、やっぱり「この世の全て」を包括すべく言ったのであろうこいしの元の要求には釣り合っていない。そもそも願い三つなのに手元に入ったのは二つだし。しかし、こいしは元の願いを忘れたのか普通に喜んでいて、「本は本棚に入れて、この置物はお姉ちゃんの書斎の机に置こう」と、姉の部屋の景観を勝手に崩す宣言までしている。
この件に関してはこいし視点でめでたしめでたしと言ってもよかろう。まあめでたすぎたので彼女はうっかりとランプを落とし、後には発端のランプと、二度にわたる幻想郷中宝探しで疲れ切った妖精三人が残されたのだったが。
†
こんなはずじゃなかった、と数時間前にも思った気がする。物語の魔神はいつも楽しそうで、だから自分達で真似事しても絶対に楽しいと思っていたのに。
「私達が魔神って設定でいたずらしても全然面白くないわね」
それが、三妖精が、本来一回目で気が付くべきところ、学習能力のなさから二回目でようやく気が付いた教訓だった。
「じゃあこういうのはどう? 誰かに魔神の真似事をさせるの」
一方でスターが性懲りもなくいたずらの提案をした。妖精とはいたずらに命をかけるものだから、「つまらない」という理由でいたずらを止めはするが、つまらなくなさそうないたずらは無限に思いつき、やろうとするのである。
「魔神の真似事をさせるって言ったって……。どうするのさ」
ルナと、黙ってはいるがサニーにもスターの提案の具体策は見えていない。
「ランプを誰かに見せて、『これは願いを叶える魔神が入っているランプでして』って言って触らせるの」
「嘘じゃない」
「そう。嘘だから魔神なんて出てこない。で、そこで『私たちが擦ったときは出てきてくれたんだけどなあ』みたいに煽るの。ムキになって変なことを始めたり、魔神が出てきたフリをしてくれたら成功。だから人を選ぶ必要はあるでしょうね。期待通りの反応を返してくれそうな性格の人を選ばないと成功しないから」
「スターってもしかして天才?」
サニーに褒められて、スターの鼻がちょっと伸びる。
「っていっても、そんな都合のいい人なんている?」
懐疑的なルナの意見に対し、良い解決策が思いつかなかったらスターの鼻も元に戻っているところだったが、丁度割と身近なところに都合の良い人がいた。今はもう夕刻だが、彼女なら夜遅くまで起きているだろうし問題はないだろう。
ということで、選ばれたのは霧雨魔理沙。三妖精は魔法の森へと飛んだ。
「なんだ? 私は研究で忙しいんだ。家に入ってるなら出て行ってくれ。妖精なんかに付き合ってる暇は……。何? 珍しいものを持ってきた? ああいや待て。ちょうど今暇になった。私が出て行く」
そう言って、霧雨魔法店の店主は店兼自宅から出てきた。発言から玄関のドアが開くまでの間、何かを踏む音や未知の物体同士がぶつかるかのような音が十回くらい聞こえてきた。前にここに来たとき――そのときは仕事の依頼だった――も外の地べたに座らされてその理由が謎だったのだが、たった今三妖精は理由を理解した。
それはそうと、三妖精はランプについて(嘘の)説明をした。
「なるほどこれがそのランプか。で、お前達はランプでどんな願い事をしたんだ?」
三妖精は顔を見合わせて無言になり、ただ苦笑いした。
「まあ、妖精
のやることだから、大方つまらない願いで三つ使い切って途方に暮れたってとこだろうな」
本当に馬鹿のやることだと魔理沙は思った。軽く眺めて簡易鑑定しただけで分かる。これはただのランプだ。正確にはただのランプには不釣り合いな魔力が含まれているので、かつては呪術的用途に用いられていたのかもしれないが、絶対に解けることがないように厳重な封印が施されている。缶切りを持たない人にとっての缶詰がただの鉄塊と変わりがないというのと同じ理由でこれはただのランプだ。
「ま、試しに私も魔神を呼んでみるか」
妖精はこれが事実上ただのランプであることを分かっていて自分を騙そうとしている、ということが魔理沙には分かっていたが、それでも魔理沙は誘いに乗った。むろん騙し返そうというのが理由である。
「呼び出すには魔力が足りていない。このマジッククロスで拭くか」
と言いつつ、ただのハンカチでランプを拭く。が、三妖精はその布が本当に魔力が籠ったアイテムだと思い込んでいて、そんな貴重品をこんなガラクタに、と内心面白がっている。既に騙しあいの主導権は魔理沙の側に移っていた。
魔理沙は驚いた顔でランプを落とす。その口からは白い煙がモクモクと上がっており、煙の中から声が上がる。
「お主の願いを三つ叶えてやろう」
魔理沙は驚いたフリをしただけだったが、三妖精は本気で狼狽した。
「な、なによ! どうせそういういたずらなんでしょ! 魔神の姿を見せてみなさいよ姿を!」
サニーが魔理沙に対して叫ぶが、魔神は自分への願いと聞き取った(と、いう設定に魔理沙がした)ので、どこぞの入道に体を付けたような姿を薄まる煙の中から見せた。
「ぐぬぬ」
「さて、願いの一つは叶えたぞ。残り二つはなんだ」
「ズ、ズルい」
「魔神とはズルいものだ」
「本物なら鳩くらい出してみなさいよ!」
今度はルナが、混乱しているのか魔神と手品師とを勘違いしたかのような要求をした。
「そのくらい、造作もない」
魔神は指を鳴らし、同時に魔理沙の帽子が跳ね上がり、中から大量の白い鳩が飛び出した。これまでの流れは三妖精にとっては恐怖心が上回るものだったが、この魔理沙帽子吹っ飛び事件だけは流石に見た目が面白すぎて三人とも爆笑していた。
「まあ。なかなかね。でも鳩を出したくらいで粋がってるんじゃないよ。幻想郷にはいないもの。それこそ鯨でも出してみなさいよ」
三つ目の願いとして、気を大きくしたスターがとんでもない要求をした。
「鯨か。造形が面倒……じゃなかった。海がない場所で呼び出すのは可哀想だと思うが……。まあ仕方がない。一瞬だけだ」
三人の前方上空、霧雨魔法店の向こう側の遥か彼方から何かが飛来してくる。鯨だ。魚に似ているが背びれがなく、馬鹿みたいに口が切れている。浮世絵で見たことのある姿そのまま。同じくらいの距離に生えているのであろう森の木よりもさらに大きい。
待って、木よりも大きい!?。遠くに見えていてそうなのだから、近くに来てもやっぱり木より大きいということだ。そんなものが、自分達の近くに……。
三妖精は飛んだ。そんなものに押しつぶされたらたまったものではない。鯨を見下ろせるくらいまで昇ったところで魔理沙を置き去りにしたことに気が付いたが、致し方がない犠牲と諦めることにした。箒がないと空を飛ぶことができないのが悪い。
地響きが鳴った。サニー曰く、鯨は霧雨魔法店が潰されない場所に落ちたらしい。スター曰く、人の生物反応はまだあるらしい。ということで、多分魔理沙は魔法店の中に逃れるかして無事だったのだろう。が、なんでも願いを叶える魔神が現れた、とか、鯨が出現した、とか確実に起こったことだけでも妖精の精神には耐えかねるとんでもないことであり、三人は逃げるように去って、この日は二度と戻ってこなかった。
「少しやり過ぎたかもな」
魔理沙は家の軒下からそう呟いた。鯨の大きさはとても大きいということしか知らなかったから大木よりさらに大きいものを召喚したが、おかげで家の前の広場、言い方を変えると木が生えていない禿げ地帯がさらに拡大した。アリスあたりに環境保全がどうこうとか変な嫌味を言われることも覚悟しないといけないかもしれない。
魔理沙は鯨型の魔力像を消去した。気が付けばすっかり夜だ。今日は新月らしく、八卦炉で明かりをともしてもそれほど遠くは見えない。地面がどうなっているのかの確認は明日にした方がよいだろう。もっとも「そうする気が残っていたら」というエクスキューズはつくが。
魔理沙は八卦炉の明かりを反射するものが落ちているのを見つけてしゃがんだ。あのランプだ。妖精三馬鹿が逃げたときにうっかり落としたらしい。広場の中央寄りという転がっている場所からして鯨の下敷きになっていたと思われるが、ひしゃげているということもなく、変わらず黄土色に光を反射し続けている。
「興味深いといえば興味深いが……」
魔理沙は拾った。秘められた魔力といい、この頑丈さといい、ランプがただものではないということは分かる。が、魔力を秘めた道具、非常に頑丈な道具、それぞれの特徴自体はありふれたものであり、危急で調べなければならないというようにも思えない。少なくとも今の研究を中断してまで調査しようという気になる程の魅力はないのである。
「家の中にも置いておきたくはないなあ」
いや、魅力がないというより気味が悪いという方が近いのかもしれない。このランプは封がされていた。開けるべきではないから封がされていたのであり、封じられたのが魔力で、ランプという道具の呪術的意味合いも含めると、開けたら多分ろくでもないことが起きる。厳重な封の開け方を知っていて、かつその後に起こるであろう事態に対策を練れる者が開けるべきだ。幻想郷においてそれが可能な候補はいくらかはいるが、自分ではないと魔理沙には分かっていた。
魔理沙はランプを玄関前のガラクタ置き場――魔理沙の語彙におけるガラクタとは、ゴミの同義語ではなく、風雨にさらしてもない頑丈さで比較的重要度の低い物品という意味である――に置いた。今の研究が終わったら、一度見てみてどうしようもなさそうなら香霖か霊夢に押し付けようという算段である。もっともその前に妖精か何かに盗まれるかもしれないが。
†
翌朝、三妖精は魔法の森にもう一度赴き、魔理沙の店の前のガラクタ山に件のランプが乱雑に投げ捨てられているのを見つけた。あんな危険物に対して保管方法が雑だと三人は驚きと恐怖と怒りが混じった感情を覚えた。
これはプランBをすべきだ。三妖精にしては極めて珍しいことに、このプランBには中身も、元の案であるプランAもある。つまり、魔理沙がランプを丁寧に家の中にしまい込んでいていたらもうどうなろうとも魔理沙の勝手だと押し付けようというプランAを発動するつもりだったのだが、魔理沙の管理が余りにも雑なので、いったん自分たちで盗んでもう少しまともそうな人に渡そうというという次善策をすることになったのである。
ということで三妖精は真面目な理由で博麗神社を訪れた。だが、霊夢の視点では三妖精が突然神社にやってきていて、それだけならまあいつものことかと特に気にも留めないところ、どういう意図があるのか白い旗を振りながらやってきたので首をかしげるしかないのである。
「何なのそれ、戦争ごっこ? 降伏から始まる戦争ごっこなんて聞いたことないのだけれど」
「ごっこじゃないです! 緊急事態なんです! でも敵意がないことをはっきり示さないと霊夢さん全然容赦してくれないんだもん!」
「それはいつものあんたらに敵意があるからでしょ」
「そんなことないですよ。いたず……遊びに来ただけなのに殴られたことが何回あったことか」
「参拝じゃないのに神社の敷地に、それも人間でないのに入るの自体が敵意なの」
「えー。いっつも妖怪ばかり来客している神社なのに。妖精はダメだなんてそんなの妖精差別だー」
「そうだそうだー」
「降伏しに来たのか喧嘩を売りに来たのかどっちなのよ……。まあいいわ。本当に真っ当な理由で来たっぽいし」
「さっすがー霊夢さん話が分かるー」
三人は遠慮もなく縁側から本殿に上がり、自分の分の湯呑みだけ持ってきた霊夢にランプを見せた。
ランプ。その単語に聞き覚えがある気が霊夢にはしていて、その理由は昨日大量の食べ物を持ってきた菫子がランプの魔神がどうこうと言っていたからだと思い出した。多分その出来事がなかったら、水差しにも見えるこの金色の物体をランプと認識することすらできていなかったのかもしれない。
三妖精は、魔理沙がこのランプから魔神を呼び出していて、大変なことになったと思いランプを彼女から盗んで神社に持ってきたのだと話していた。多分三人は話を端折っていて、魔理沙が魔神を出す前に「このランプが魔神が入ったランプだと偽っていたずらをしていたら本当に魔理沙が魔神を呼び出して」というようなエピソードがあるのだろうと霊夢は思っていた。そう思う理由は二つあって、まず一つ目にランプの魔神の話が少なくとも当初はただのいたずらだったとすれば、菫子が持ってきた食事が、その運搬において余りにもお粗末だったことの説明がつく。
そしてもう一つ、これはただのランプでしかない。霊夢は魔法使いではないにせよ呪術に近いことを扱う巫女であるから直感的に分かる。魔神など呼べはしない。だから妖精の説明は不十分であると同時に不正確で、魔理沙は「魔神を呼び出したふりをして三妖精にいたずらをし返した」のだ。
「ふうん。そんなことが。まあ一応私が預かっておくわね。どうせ大したことにはならないでしょうけど、弱い妖精のあんたらには手に余るでしょうし」
霊夢はランプを拾おうと手を触れたが、その瞬間背筋が少し冷える感覚を覚えた。自分の直感は言っている。このランプはただのランプだが、ただのランプではない。とりあえず持ち上げて手のひらの上に置いてみたが、思ったより厄介なことに巻き込まれたのかもしれない。
「違和感はあるけど、どうしてなのかは私には分からない……。森に行って調べてもらうから、一応あんた達もついてきなさい」
「いや、霊夢さん話聞いてました? 私達はもう魔理沙さんの所に行っていて、そこで魔神出現事件が起きて……」
「じゃなくて。道具の謎を調べるのなら魔理沙よりもよっぽど適任がいるでしょ」
†
「これが魔神のランプねえ……」
魔法の森、の入り口近く。香霖堂と書かれた看板が扉の上に設置されている一軒家の中で、その主は不機嫌そうな顔をしていた。
「魔神なんて出てこれないよ。今のこの道具の用途はランプで、それ以上でもそれ以下でもない。まあ油の代わりに水を入れれば水差しとしても使えはするがね。何、魔理沙が魔神を出した? それは魔理沙に騙されているよ。あの子のやることを真に受けることほど愚かしいことはない。あの子が生まれたときからの付き合いの僕がそう言うんだから間違いはないね」
不機嫌そうな顔のまま霖之助にランプを突っ返されたことに三妖精はひどく落胆したが、霊夢は食い下がった。
「霖之助さん、本当にそれだけ? この馬鹿三人組が魔理沙に騙されていたことなんて私にもとっくの昔に分かっていたわ。それ以上のことがあると思って来たのだけれど……」
三妖精の落胆はさらに深まり、霖之助の不機嫌もまたさらに深まった。彼は眉間にはっきりと皺を作っている。
「はー。知らないままでいる方が幸せなことがあるとは思わないか。君にとっても幻想郷全体にとっても」
「私の直感が正しければ幻想郷が知らないままでいるということはあり得ない。知った瞬間異変になりかねないし、知ったのが悪意の側であったならば修復不可能になりかねない。私は知った方が幸せという知的好奇心ではなくて、博麗の巫女として知らなければならない義務があると思う」
「仕方ない。そういう気分になった君は僕には止めようがないからね」
霖之助はやはり不機嫌なままだが、今は眉間に皺を作るような怒りや警告ではなく、諦念のような無気力な不機嫌さを漂わせている。
「霊夢が察しているように、このランプは元々は本当に魔神が呼び出せるランプだった」
「じゃあ私達も騙されてないじゃん! 多分昨日までそうだったんだよ!」
「残念だがこの場合の元々は数百年前だから結局君達は騙されているよ。最後に呼び出した人が相当に強い封印を施している。よほど腕の立つ呪術師だったのか、願いの一つを封印に使ったのか。いずれにせよ君達とは比べ物にならない知恵者だね」
三妖精の心はいよいよ完全に折れ、今にも溶けて消えるのではないかという雰囲気を漂わせていたが、霖之助と霊夢は無視して話を続けた。
「知らない方が良かっただろう? 知らなかったらただのランプで済んだのに、知ってしまったおかげでいつ封が破られるか怯えなければならない」
「いつ封が破られるか? それは今でしょうよ。この幻想郷に魔術的封を開けれる奴なんてごまんといるの。ここにも一人ね」
霊夢がランプに触れて、何かを察した霖之助は腕を上から抑えた。
「待て。封を破ろうと?」
「私にできないと思ってる?」
「できると思っているから止めている。相手はあの魔神だぞ? 君に制御できるとでも?」
「私を誰だと思ってるのよ。魔神なんかよりよっぽどヤバい奴も何度も調伏してみせたわ」
「それは皆幻想郷のルールを理解していたか、理解する気があったからだ。ランプの中の魔神もそうだという保証はどこにもない」
「だからルールを受け入れさせるために願いを使う。これなら確実に魔神も幻想郷の枠内に置いておける。どこの馬の骨とも分からない奴だの、悪意の塊みたいな奴だのに先に封を開けられるよりは安全でしょ?」
「しかし……」
「まあせっかくだし、この子がどれだけ強くなっていて幻想郷を理解しているのか試してみてもいいんじゃないかしら」
香霖堂の空間に赤紫色の切れ目ができて、そこから無数の不気味な目と、二つの少女の目が霖之助を見つめる。幻想郷の賢者の一人、八雲紫だ。気まぐれに乱入したという感じで、元々出てくる予定はなかったのか、よそ行き用の道士服ではなく、普段着のドレスの方を着ていた。
「貴女は妙なところで霊夢に甘すぎる。失敗した場合の被害と失敗する可能性を鑑みてもっと慎重になった方が良いと僕は思うよ」
「だからいざというときのバックアップとして私が出てあげてるのよ。心配しなくても店が壊れたら萃香にでも頼んで建て直してあげる」
「僕は店やら商品やらが壊れることそのものを心配してるんだ! せめて他所でやってくれ!」
霖之助はかなり強めに霊夢と妖精三人組をまとめて押し出した。「大人げないわねえ」と口を揃えて言う霊夢と紫の頭のねじが外れたペアと三妖精は博麗神社に戻った。
「鏡よ鏡……は別の呪文ね」
「別に無言で良いじゃない」
「あんたにしては珍しくロマンがないわね。こういうのは雰囲気が大事なのよ。……って、開いちゃったわね」
魔神を呼び出すという幻想郷秩序において結構な大事をしているにも関わらず、その秩序を維持するべき巫女と賢者は神社の縁側で足をぶらつかせながら、出前でも頼んでいるかのようなお気楽さで魔神を呼び出した。それこそが今の幻想郷秩序なのだ。大事だとしても、気を締めるべきときまではただひたすらに暢気であれ。
「お主の願いを三つ叶えてやろう」
魔神は女性だった。幻想郷という世界がそうさせたのだろうか? 偶然にも願うべきことが一個減ったと霊夢は思ったが、やるべきことは変わらない。
「願い一つ目。スペルカードを作りなさい」
「分かったわ。スペルカー……なんだって?」
魔神は困惑した。無理もない。スペルカードなんて単語、幻想郷にしかない。魔神は幻想郷外からランプの幻想入りにより来た存在だった。それに、仮に魔神が幻想郷の生まれだったとしても、スペルカードという制度の発祥から数十年も経っていないのだから、百年単位で封印されていたこの魔神にはどのみち知りようがない。
「説明の必要があるわね。紫、あんたも手伝いなさい」
紫も手伝う、というか八割がた紫の説明により、魔神もスペルカードと、それを用いた弾幕ごっこ、さらにはそれが紛争解決手段として用いられている、というところまで理解した。元々弾幕ごっこという遊びにおいては、棒切れから魔法まで、ありとあらゆる物が弾幕として用いられるのだ。魔術の権化たる魔神にとってスペルカードの作成自体は造作もないことであり、むしろ「それは遊びであるから回避不能であってはならない」とか、「美しさも競う対象であるから美しくなければならない」とか、戦闘効率を損ねる制約を含めることの方に難儀し、霊夢と紫により、両耳にたこができるくらい念押しされて渋々そうした制約を含めたとはいえ、納得はしていなかった。
「作ったわ。これで願い一つ目」
「願い二つ目。それを使って私と戦いなさい」
戦う、というと威勢が良いが、弾幕ごっこという名称からも分かるように、よほどのことがない限り命のやり取りは発生しない、遊びなのである。
封印されるまで、魔神は幾度となく願いを叶えてきた。いたずらにランプを擦った子供の願いを叶えたことも何度もあった。子供故大したものは得ず、結果破滅にも至らなかったから、記録にも記憶にも残らないような出来事ばかりだったが、おもちゃを要求されることがしばしばあったということは覚えている。が、遊び相手をくれ、ましてや自分が遊び相手になれと要求された記憶はない。目の前の少女がそれを願った最初の人物である。
盲目に、ただその願いを聞くだけならばその願いを出した者のなんと寂しい存在か! となるところである。が、視界に映るその少女は、現在進行形で何人もの、おそらくは彼女の友と呼んで差支えのないであろう妖怪たちに囲まれているのである。なぜ、遊び相手はごまんといるだろうにわざわざ自分を指名するのか、魔神には分からなかった。
「戦う前に聞きたいわ。なぜ戦わなければならないの? 弾幕ごっことは紛争の解決手段だと聞いた。でも私は今のところこの地では紛争を起こしてはいない」
「いずれ紛争を起こすかもしれない。だったら今のうちに釘を刺しておこうと思ってね」
「いまだ起きていない事件を事前に処罰するとは、とんだ蛮族ね。ここの秩序はよっぽど理不尽に思えるわ」
「理不尽ねえ。幾度となく言われてきたわ。正直昔は理不尽って言われてカチンとくることもあったわ。でも、理不尽を使える人に役割があって、その役割の中でやっている理不尽が軽い冗談で語られているうちが一番平和だなって最近思うの。だから、呼び出された魔神
が本物の悪人ではなくて軽いおとぎ話の一員で済んでいるうちに、あんたから理不尽を取り上げさせてもらうよ」
「いいこと言っているようだけど、理不尽なのは霊夢個人の性格もあるのよねえ」
「そこ、外野、うっさい。とにかくとっとと始めるよ!」
†
戦いの結果はわざわざ詳細に記載するまでもないだろう。魔神がいかに強大といえども、相手は文字通りの鬼神や大妖をも成敗してきた歴戦の巫女なのである。魔神にとっては予想外なことに、その他全員にとっては予定調和なことに、魔神は叩きのめされた。完膚なきまでに叩きのめされた。
「この場は素直に負けを認めましょう。でも、茶番でしかないとは思わない?」
「力関係がはっきりとした。今後あんたがオイタをしようとも、幻想郷のルールにおいてはあんたは私に退治されるしかない。言い方を変えると、あんたは私に退治されたことで、幻想郷に受け入れられた。それだけで十分だと私は思うけど」
「私は願いを叶える魔神。それこそ誰かが『博麗霊夢を殺せ』と願ったら私はそれを叶えなければならない。私をお遊びの枠に置いておくなんて、どだい無理なことなのよ」
魔神は服の切れた箇所を煩わしいそうに触っていたが、また魔神らしい、仁王立ちのポーズを霊夢の前でとり直した。
「さて、願いは残り一つ。はっきり言ってどうでも良いような願いで二つ浪費しているんだからね。慎重に選びなさい」
「ない」
「は?」
想定外の答えに、魔神は霊夢に負かされた瞬間よりも遥かに明確にたじろいだ。
「だってうちのルールに従わせるだけならスペルカードを作らせて私と戦わせるだけの二つあれば足りるし。巫女として欲しいものは今特にないし……」
「だからと言って三つ目の願いを保留されたらこっちも商売上がったりなのよ。今度から時間制限つけようかなあ。だいたいお前も年頃の女の子なんだからそういう願いの二つや三つあるでしょうに」
「慎重に、って言うわりにそういう迫り方するのね。いや私だって無欲じゃないから『おっきいパフェが食べたい』とかあるけど、今そんな個人的な願いするのも違うじゃん」
「パフェね。分かった」
「違うって言ってるでしょ。ああ、多分あんた、前の人の三つ目に、『ランプに封印されて二度と出てくるな』って願われたでしょ。私もそれを頼もうかしら」
「あっ。それはなしで。折角数百年ぶりにシャバの空気を吸えたんだからもっと楽しませてよ」
「まあそう言うでしょうね……」
願う気がない霊夢と、願わせたい魔神は沈黙状態で均衡を形成してしまった。
一方観客の三妖精。霊夢と魔神の弾幕ごっこの口火が切って落とされた途端、これは自分らが出る幕ではない、巻き込まれたらただでは済まないと本殿の中に逃亡していたが、戦いの音がしなくなったら戻ってきて、どうも霊夢は三つ目の願いを保留しているらしいという現状を認識すると、これ幸いとしゃしゃり出てきた。
「ねー霊夢さん。霊夢さんのお願いの三つ目、私達が代わりに使ってもいい?」
いつもの霊夢が相手ならば割り込んで口を開いた瞬間にお祓い棒で殴られるか陰陽玉を投げつけられるかしてたんこぶを増やしていたところだったが、正直現状に煮詰まっていた霊夢にとって三妖精の割り込みは渡りに船であり、存外にあっさりと霊夢は三人の申し出を受け入れた。
「だってさ」
「駄目だよ。私は今霊夢と契約しているんだから。君達は霊夢との契約が終わったら改めて呼び出しな。そうしたら一つとは言わず三つ叶えてあげるから」
「じゃあこういうのはどう? 『私の代わりにこの子達の願いを一個叶えてあげて』」
「うーん。そういうのって、悪用できる気しかしないんだけれど、こうしてただ時間無駄遣いするのも気に食わないし、今回だけは特別にそれでも良いかな」
魔神は内心ほくそ笑んでいた。二つ目までの願いは大したことがなかった。三つ目の願いを託された目の前の妖精達は、初対面でも分かるくらい頭が足りていない。こんな簡単に数百年の封印から無罪放免されるのだから、この世界はチョロくできている。
そんな、ある種油断していた魔神にとって、三妖精の願いは余りにも予想外だった。
「あんた、私達の友達になりなさい」
「はい?」
霊夢と同じだ。三人でまとまって行動しているのだから、それぞれ一人にとって残り二人は親友であろうに、さらに友を欲している。友人に飢えているというわけでもないだろうに、まさしく一生に三度、この妖精達はさらに一度機会を得ているとはいえそれでも片手の指の本数にも満たない願いを叶える機会において、貴重な願いの一つを交友関係を広めることだけで消費しようとしている。この地の住民は対人関係に関して強欲が過ぎる。
ああ、そうだ。逆だ。交友関係がなく、誰よりも友を欲しているのは自分自身なのだ。ふと、妖精三人組の楽し気な様子を羨ましく思った魔神はそのことに気が付き、妖精達にとってはつまらぬ願いであろうにとは思いつつも、その願いを恭しく受け入れたのだった。
†
願われて三妖精の友人となった魔神は、幻想郷にうまく溶け込んだようだった。どんな願いでも叶えられるという能力の無法ぶりは相変わらずだが、三妖精の友人でありつづけなければならず、三妖精が他愛のない馬鹿というところであまり強大になりすぎると友として不適切になってしまうというのが足かせとして機能していた。もっとも、当然魔神は妖精よりは強くて馬鹿でもないので、魔神が三妖精と一緒にやるいたずらは中々に厄介で、とりわけ霊夢は手を焼くことになるのだが、それはまた別の話である。
「で、正式なあんたの歓迎も兼ねて宴会を開こうと思ったのだけれど……」
「素敵でありがたい話じゃない。何か問題でも?」
「宴会幹事に菫子がなるって言ってて、でもその割に全然料理の準備とかしてなさそうなのよ」
「準備なら問題ないでしょ。ね、魔神さん」
霊夢が魔神に菫子の適当さを愚痴っていると、丁度菫子本人が幻想郷に入ってきた。
「願いを使うのね。昔、貴族の娘に『習い事の課題難しすぎるから代わりにやって!』って願われたことがあるんだけど、そのときのことを思い出すわ」
「いやいやそんな私利私欲じゃなくて、私は幻想郷の繁栄を願って……。ということでお願いするわ! 焼き肉と寿司とピザを!」
「完全に貴女の食欲という名の私利私欲じゃないの。というより、たかが食べ物に願い三つ全部使うとはねえ。無欲なんだか欲が深すぎるんだか」
「別にいいじゃん。変な願いで困らせようって訳じゃないんだから上客でしょ?」
「それもそうね。みんな貴女みたいに単純ならこの仕事も楽なんだけどねえ」
魔神は笑いながら願いのものを出した。菫子が想像する通りの外来式の焼き肉と寿司とピザ。当然妖精が徒歩で運んできたかのようなぬるいものではなく、今まさに生成されたような、というか文字通りにたった今生成されたできたて新鮮なものである。幻想郷とは別の発展を見せていた外の世界の食文化に皆舌鼓を打ち、魔神という新たな存在が加わったことで、幻想郷にも新たな変革が起きていることを実感したのだった。
菫子は良く言えば行動力があり、悪く言えば軽率なオカルトマニアだ。彼女は迷うことなくそのランプを手に取り、ポケットに入れていたハンカチで擦った。
少し期待していた通りの現象が起こった。ランプの口から白い煙が湧き上がり、それが薄れると魔神が立っていた。
……魔神? 眼鏡で矯正してなお乱視で像がバラけて見える、ということでなければ視界通りに三人立っている。魔神とは複数人ランプに入っているものだっただろうか? 左から赤、黄、青。青が文字通りの青じゃなくて緑だったら信号機だったなあというようなことを菫子は考えていた。
そして、魔神の外観を魔神たらしめているのは辮髪
と黒く長い巻き鬚なのだが、その二要素に対して足し算と引き算を加えることで明らかにどこかで見たことのある姿になる。
「お主の願いを三つ叶えてやろう」
湧き上がる煙が薄れたところで、赤の魔神が口を開いた。が、駄目だ。この魔神達は、外観は誤魔化せても声の改造はできないらしい。何となく、何となくだが三人のうち一人は音を消す程度の能力を持っていそうなので高音部分だけ消せば誤魔化せる気がするが、そういうおつむは持っていないようだ。この赤の魔神はサニー何さんなんだ。
菫子はがっかりしたが、もし出てきたのが本物の魔神だったら後悔のないようにどんな願いを頼もうかと悩むところ、これなら気軽にお願いができるなと思い直すことにした。それに、たまたまどこかの妖精に似ているというだけで本物の魔神なのかもしれない。トンデモな発想だが、幻想郷とはそういうトンデモが起こる場所なのだ。
「じゃあ焼き肉と寿司とピザ!」
今は昼前だった。菫子の願望が食欲に偏るのも必然だろう。それにしても頼み過ぎなのだが、彼女は夢を通して幻想郷で侵入しているだけなので、幻想郷内では夢だからカロリーゼロ理論が通用してしまうのである。ズルい。
一方魔神三人衆(仮)は、どんな願いでも叶えますよという雰囲気を漂わせていたのに、食品という割りと楽な方であろう願いを聞いた瞬間狼狽した。
「え? 願いの物って私達で用意しなきゃいけないの?」
「そりゃそうでしょ」
「にしたってジャンルがバラバラだから店を三つ巡って調達しなきゃいけないじゃん。あの女子高生には人の心がないの!?」
「あのー」
菫子が堪りかねて魔神(?)の言い合いに混じる。
「こっちは忙しいんだから口出ししないで! ……じゃなかった。えーと、なんだ、その。……しばし待たれい!」
そうして魔神(笑)はいなくなってしまった。
菫子は、何だったんだろう今のはと、しばし呆然としたが、真夏の蜃気楼のようなものだろうと人を目の錯覚扱いして博麗神社へ歩を進めた。
つまり魔神(例の三人)を全く期待してはいなかったのだが、意外なことに魔神の言う通りにしばし、時計の時間にして一時間程経った頃、願いの品が、長距離を走って来たらしい、息を切らした本人達によって届けられた。
「霊夢っちいるー? 一緒にお昼ご飯食べない?」
いざ届けられた食べ物の、袋を貫通して分かる明らかな量の多さを前に、菫子は己の欲深さをいたく後悔し、さりとて食べきれない分をこの地で捨ててしまっては、もったいないお化けに物理的に祟られかねないと、どうせ自分の神社でぐうたらしていて昼の準備など碌にしていないだろう友と分け合うことを選んだ。
「いくらなんでも買い過ぎでしょ。自分の胃袋の大きさくらい把握しておきなさい」
「霊夢っちだって前に鯢呑亭で注文しすぎで大変なことになりかけたらしいじゃん。美宵っちが笑いながら話してたよ」
「未成年が居酒屋に行っちゃいけません!」
霊夢は赤面しつつ、自分の行動と年齢を棚に上げて菫子をたしなめた。
「霊夢っちは大体私と同い年でしょ。それにこれは買ったやつじゃない。ようせ……ランプの魔神に願いを叶えて貰ったの」
「はあ」
霊夢は信じていないようだった。菫子はあのランプを見せよう、と荷物を探ったがどうも最初に光の三魔神に会った道に落としてしまったらしかった。まあこの贅沢食品三点セットが何よりの証拠だと彼女は包みを開けた。
焼き肉は、菫子の知る焼き肉――牛肉や豚肉の薄切り肉に塩やタレで味をつけて網で焼いたもの――とは異なり、名前をつけるならば、『何かのジビエの香草焼き』という代物だった。
「あら、熊肉ね。珍しい」
霊夢は肉の違いが分かるようだったが、菫子には違いが分からない。美味しくはあるが、牛豚と比較して、どれも臭くて硬いように思う。味音痴というわけではなく、違う種類の肉を二つ並べられたときに臭みの強さや硬さの違いから、例えばこれはまだ柔らかいから鹿肉だなというような理解の仕方はできるが、今日のように一種類だけ食べて、ステータスの絶対値を感じ取って「効き肉」をするという域にはまだ到達できていない。現代的な料理が未だ浸透しきってはいないという面では幻想郷は後進的だが、こと肉の種類という点では幻想郷の食文化の方が外の世界のそれより豊かなのかもしれないと菫子は感じた。
「霊夢っちって、バーベキューは知ってる?」
「何それ?」
そう、幻想郷の現代食文化への理解は未だ不十分。幻想郷にも屋外料理の文化はあり、中には大猪を丸焼きにするなど、菫子の方が羨ましいと思うものもあるが、バーベキューの楽しさを知らないとはまだまだである。次の宴会の幹事に立候補してやろうかと彼女は考えていた。
次は寿司。
「菫子、あんた誰に配達頼んだのよ……」
寿司の運び手はどこかで転んだらしい。箱が凹んでいる段階で嫌な予感はしていたが、その通りどこぞの天邪鬼が手を加えたかのようにシャリと具の殆どはひっくり返り、それがまだマシと思えるような完全分離も一部で見られる。
寿司屋とは関係ないところで評価の星が数個マイナスされてしまったが、気を取り直して二人は寿司を手に取った。
大きくない? と菫子は思った。半分残骸と化した箱の中身を見たときでそう思って、シャリとネタの組み合わせを一つ手にとって確信に変わった。
寿司と間違えておにぎりを頼んだのかと記憶を辿るも、確かに寿司と言っていたし、おにぎりを頼んでいたとしたら今度はこの魚の切り身は何だという方向で疑問が生じていただろう。これこそが江戸時代から変わらぬ、大喰らいな幻想郷民に合わせた幻想郷の寿司だ。
しかし、ここが幻想郷故やむを得ないことだが、ネタが川魚なのである。箱の中身にマグロがないことで菫子はここの地理条件を思い出した。そして味に懸念を覚えたが、幸いにも塩や酢で丁寧に〆られた切り身は懸念したような生臭さがなく美味ではあったが、それでもやはり、この寿司は菫子の知る、磯の香り漂う寿司とは全くの別物だった。
「潤美さんだっけ? この前の宴会に魚を届けてくれた牛鬼さん。あの人、海の魚は養殖してないの?」
「していないんじゃない? 三途の川って言うくらいだから川でしょうし。というより川だろうが海だろうが魚は魚でしょ」
「全然別物。海水はしょっぱいから」
「紫も同じこと言っていたわ。昔一度だけ海に行ったことがあって、そこの水は全然塩辛くなかったからホラ吹かれたのかと思っていたんだけれど」
「海の水がしょっぱくないって、味覚おかしいよ!」
「あー。月の海だから地球の海とは違うのかも」
「それだ。今度機会があったら私も月に連れてってよ」
「私は二度と御免ね。あんな狂ったところは」
二人は焼き肉と寿司という中々のカロリーを容易く平らげ、最後の箱を開けた。
「ピザね」
「うん」
魔神は菫子が独り占めするものと思ったらしく、Sサイズのピザを宅配した。実際には二人で分け合っているのだが、他二つが重かったので結果粋な計らいとなっている。
菫子は一ピースを頬張った。
「ほう。これは紛うことなきピザ」
普通だ。が、普通であることが最大の異常だ。なんせピザだ。ピッツァだ。Pizzaだ。焼き肉や寿司すら姿を変える幻想郷で、まさか和風ファンタジーの世界観から一番遠いイタリア料理が最も外の世界そのままに伝わっているとは。いや、菫子も本場のピザがどういうものかは知らないが。
「この熊肉? の燻製美味しいね」
「ピザに入っているのは熊肉じゃなくて猪」
思えば幻想郷にはどういうわけかカレーも伝来しているのである。寒冷な幻想郷の気候では手に入らないカレーと違い、主原料である小麦粉も牛乳も塩も域内で自給できるピザが定着しているのはおかしな話ではない。原料があって製法の伝来を待つだけだったという点ではピザは焼き肉と同じスタートラインに立っていて、寿司よりもよっぽど幻想郷に「近かった」のである。
しかし、と菫子はチーズが伸びなくなったピザを齧りながら思う。配送に時間がかかりすぎて、全部できたての温かさも冷たさもないぬるい温度に統一されてしまっている。幻想郷にも、Uber ◯atsが欲しいものである。
†
菫子と霊夢が幻想郷グルメに舌鼓を打っていた頃、ランプの周りでは三柱の魔神(偽)が……。
いや、ここらで彼女達の正体を明かしてしまおう。彼女達は光の三妖精。博麗神社周辺によく出没するいたずら妖精三人組である。
ルナがランプを拾ってきて、それを見たスターが魔神が出てきそうなランプだと感想を述べ、それを聞いたサニーがじゃあ自分達が魔神になるいたずらをしかけましょうと提案して、全員それに賛成した。
で、実際にいたずらの一回目を終えた三妖精がランプの周りで何をしているのかといえば、「こんなはずじゃなかった」と反省会をしているのだ。
魔神といえば、願い事は三つと相場は決まっている。それなら三人いるんだし一人一個願いを担当したら楽勝じゃないかと脳内では想定していたのだが、現実世界は妖精の頭脳の百倍は広かったので簡単な願いでも疲労困憊する羽目になったのである。
「というか、こういうのって魔神が意地悪するものじゃないの?」
「童話だと願いを叶えたい主人公と、すんなりとは願いを叶えさせてはくれない魔神との知恵比べってイメージがあるわね」
「でも、私達に頭脳戦ができるような頭は……」
ルナが結論を言いかけたところをサニーが止めた。
「ま、まあ三人揃えば仏の知恵って言うし? 次は上手くいくでしょ」
「次やるの? 頭をひねっても結局それっぽく願いは叶えさせないといけないし、そのために物を探すのは私達自身なのよ」
「ま、まあそれは流れで……」
文殊も仏のうちだから、「三人揃えば仏の知恵」というのはあながち間違いではない。が、結局妖精が三人集まったところで文殊どころか地蔵もどきの魔法使いにも知恵比べでは負けるわけで、初回の反省は殆どなされぬまま、誰か近づいてきたというスターの言で、なんとなくの流れのまま二回目をすることとなった。
今回の標的は古明地こいし、さとり妖怪姉妹の妹の方である。この妹さん、非常に手癖が悪く、落ちているものは全て自分のものと信じて疑わない。当然ランプも、何の疑問も持たず長袖の服の袖の下に入れた。と、見せかけてランプに少し浮いた錆が気になったのか袖で拭く。
まあ無意識の手癖だったのだが、その一瞬を見逃さないのが我らが光の三魔神。モクモクと煙(サファイアがどこからか盗み出した煙玉)が上がり、三人がこいしを囲むように立つ。
「お主の願いを三つ叶えてやろう」
「願い叶えてくれるの?」
「左様」
「じゃあ過去と現在と未来!」
はい、無理です。解散。誰一人そう口にはしなかったが、つまり言葉に発さずとも察するし察せよということである。ランプも取られちゃったしなあと、三人は無言で姿を消して、立ち去ろうと……。
「あれー? 聞こえなかった? もう一度お願いするね。過去! 現在! 未来!」
しかし、まわりこまれてしまった! 光を屈折して姿を隠し、音も消していたが、無意識のさとり妖怪相手に視覚や聴覚の遮断だけで隠れようというのは無理があった。
「どうする? 抽象概念なんて私達に集めるのは無理だよ。素直に降参する?」
「いや。今こそ我らが知恵の見せどころ。なんかそれっぽいものを渡して誤魔化すのよ!」
「え、いや、それっぽいものって……」
サニーとスターは心当たりがあるのか、探すふりをして逃亡しようというのか先に去って、少し遅れてルナも続いた。
こいしがこの奇妙な魔神紛いにいかほどの期待を抱いていたのかは甚だ疑問だが、それとは関係なく三人は願いに対応するものを、確実にこいしが想定はしていなかったであろうものを持ってきた。
サニーは「過去」の枠として歴史書を持ってきた。寺子屋の資料室から盗み出した幻想郷縁起の写本である。これならば過去の代用品として申し分ないだろう。写本だし、その気になれば原本から印刷する技術も現代の幻想郷にはあるしと、本そのものは貴重ではない。が、重要ではあり、それがこともあろうに妖精「ごとき」に盗まれたというのは寺子屋運営に重大な影響を及ぼすだろうがそれはまた別の話である。
ルナはなんと何も持ってこなかった。ただこいしの前で仁王立ちして、「現在とは今である。今ここに君が生きている時点で、君は現在を手中におさめているではないか」と言ってのけた。この一世一代の大芝居にはサニーとスターも吹き出しそうになった。現在に代わるものが思いつかなかったか、服の前の方に土汚れがついていることから推理するに、持ってくる途中で転んで落としたかのどちらかかと思われた。しかしこいし本人は納得したのか妙に良い雰囲気になっているし、サニーとスターも笑いを抑えるのに必死だったのでことさらに指摘しようとはしなかった。
スターが「未来」を担当し、誤魔化すにしても明らかにこれが一番難題と思われたが、彼女はきちんと品を持ってきた。
盾、といっても武器としての盾ではなく、トロフィーとして飾る用の四角で台座がついた盾をスターは持ってきた。
盾の表面には穴だらけの地面と円錐形の塔――彼女達は「ロケット」という単語を知らない――が描かれ、「祝 2153年地球―月面民間航路完成」との文字が浮き彫りにされている。西暦年は幻想郷ではあまり使われないがなんとなく大きな数字ではあるし、現在月面航路など存在していなくて昔にあったとも思えないので、消去法で未来なのだと思われた。どの世界線、時間軸からかは分からないが、未来の外の世界から幻想郷に入ってきたのだろう。
うん。今回の三妖精はとっても頑張ったが、やっぱり「この世の全て」を包括すべく言ったのであろうこいしの元の要求には釣り合っていない。そもそも願い三つなのに手元に入ったのは二つだし。しかし、こいしは元の願いを忘れたのか普通に喜んでいて、「本は本棚に入れて、この置物はお姉ちゃんの書斎の机に置こう」と、姉の部屋の景観を勝手に崩す宣言までしている。
この件に関してはこいし視点でめでたしめでたしと言ってもよかろう。まあめでたすぎたので彼女はうっかりとランプを落とし、後には発端のランプと、二度にわたる幻想郷中宝探しで疲れ切った妖精三人が残されたのだったが。
†
こんなはずじゃなかった、と数時間前にも思った気がする。物語の魔神はいつも楽しそうで、だから自分達で真似事しても絶対に楽しいと思っていたのに。
「私達が魔神って設定でいたずらしても全然面白くないわね」
それが、三妖精が、本来一回目で気が付くべきところ、学習能力のなさから二回目でようやく気が付いた教訓だった。
「じゃあこういうのはどう? 誰かに魔神の真似事をさせるの」
一方でスターが性懲りもなくいたずらの提案をした。妖精とはいたずらに命をかけるものだから、「つまらない」という理由でいたずらを止めはするが、つまらなくなさそうないたずらは無限に思いつき、やろうとするのである。
「魔神の真似事をさせるって言ったって……。どうするのさ」
ルナと、黙ってはいるがサニーにもスターの提案の具体策は見えていない。
「ランプを誰かに見せて、『これは願いを叶える魔神が入っているランプでして』って言って触らせるの」
「嘘じゃない」
「そう。嘘だから魔神なんて出てこない。で、そこで『私たちが擦ったときは出てきてくれたんだけどなあ』みたいに煽るの。ムキになって変なことを始めたり、魔神が出てきたフリをしてくれたら成功。だから人を選ぶ必要はあるでしょうね。期待通りの反応を返してくれそうな性格の人を選ばないと成功しないから」
「スターってもしかして天才?」
サニーに褒められて、スターの鼻がちょっと伸びる。
「っていっても、そんな都合のいい人なんている?」
懐疑的なルナの意見に対し、良い解決策が思いつかなかったらスターの鼻も元に戻っているところだったが、丁度割と身近なところに都合の良い人がいた。今はもう夕刻だが、彼女なら夜遅くまで起きているだろうし問題はないだろう。
ということで、選ばれたのは霧雨魔理沙。三妖精は魔法の森へと飛んだ。
「なんだ? 私は研究で忙しいんだ。家に入ってるなら出て行ってくれ。妖精なんかに付き合ってる暇は……。何? 珍しいものを持ってきた? ああいや待て。ちょうど今暇になった。私が出て行く」
そう言って、霧雨魔法店の店主は店兼自宅から出てきた。発言から玄関のドアが開くまでの間、何かを踏む音や未知の物体同士がぶつかるかのような音が十回くらい聞こえてきた。前にここに来たとき――そのときは仕事の依頼だった――も外の地べたに座らされてその理由が謎だったのだが、たった今三妖精は理由を理解した。
それはそうと、三妖精はランプについて(嘘の)説明をした。
「なるほどこれがそのランプか。で、お前達はランプでどんな願い事をしたんだ?」
三妖精は顔を見合わせて無言になり、ただ苦笑いした。
「まあ、妖精
のやることだから、大方つまらない願いで三つ使い切って途方に暮れたってとこだろうな」
本当に馬鹿のやることだと魔理沙は思った。軽く眺めて簡易鑑定しただけで分かる。これはただのランプだ。正確にはただのランプには不釣り合いな魔力が含まれているので、かつては呪術的用途に用いられていたのかもしれないが、絶対に解けることがないように厳重な封印が施されている。缶切りを持たない人にとっての缶詰がただの鉄塊と変わりがないというのと同じ理由でこれはただのランプだ。
「ま、試しに私も魔神を呼んでみるか」
妖精はこれが事実上ただのランプであることを分かっていて自分を騙そうとしている、ということが魔理沙には分かっていたが、それでも魔理沙は誘いに乗った。むろん騙し返そうというのが理由である。
「呼び出すには魔力が足りていない。このマジッククロスで拭くか」
と言いつつ、ただのハンカチでランプを拭く。が、三妖精はその布が本当に魔力が籠ったアイテムだと思い込んでいて、そんな貴重品をこんなガラクタに、と内心面白がっている。既に騙しあいの主導権は魔理沙の側に移っていた。
魔理沙は驚いた顔でランプを落とす。その口からは白い煙がモクモクと上がっており、煙の中から声が上がる。
「お主の願いを三つ叶えてやろう」
魔理沙は驚いたフリをしただけだったが、三妖精は本気で狼狽した。
「な、なによ! どうせそういういたずらなんでしょ! 魔神の姿を見せてみなさいよ姿を!」
サニーが魔理沙に対して叫ぶが、魔神は自分への願いと聞き取った(と、いう設定に魔理沙がした)ので、どこぞの入道に体を付けたような姿を薄まる煙の中から見せた。
「ぐぬぬ」
「さて、願いの一つは叶えたぞ。残り二つはなんだ」
「ズ、ズルい」
「魔神とはズルいものだ」
「本物なら鳩くらい出してみなさいよ!」
今度はルナが、混乱しているのか魔神と手品師とを勘違いしたかのような要求をした。
「そのくらい、造作もない」
魔神は指を鳴らし、同時に魔理沙の帽子が跳ね上がり、中から大量の白い鳩が飛び出した。これまでの流れは三妖精にとっては恐怖心が上回るものだったが、この魔理沙帽子吹っ飛び事件だけは流石に見た目が面白すぎて三人とも爆笑していた。
「まあ。なかなかね。でも鳩を出したくらいで粋がってるんじゃないよ。幻想郷にはいないもの。それこそ鯨でも出してみなさいよ」
三つ目の願いとして、気を大きくしたスターがとんでもない要求をした。
「鯨か。造形が面倒……じゃなかった。海がない場所で呼び出すのは可哀想だと思うが……。まあ仕方がない。一瞬だけだ」
三人の前方上空、霧雨魔法店の向こう側の遥か彼方から何かが飛来してくる。鯨だ。魚に似ているが背びれがなく、馬鹿みたいに口が切れている。浮世絵で見たことのある姿そのまま。同じくらいの距離に生えているのであろう森の木よりもさらに大きい。
待って、木よりも大きい!?。遠くに見えていてそうなのだから、近くに来てもやっぱり木より大きいということだ。そんなものが、自分達の近くに……。
三妖精は飛んだ。そんなものに押しつぶされたらたまったものではない。鯨を見下ろせるくらいまで昇ったところで魔理沙を置き去りにしたことに気が付いたが、致し方がない犠牲と諦めることにした。箒がないと空を飛ぶことができないのが悪い。
地響きが鳴った。サニー曰く、鯨は霧雨魔法店が潰されない場所に落ちたらしい。スター曰く、人の生物反応はまだあるらしい。ということで、多分魔理沙は魔法店の中に逃れるかして無事だったのだろう。が、なんでも願いを叶える魔神が現れた、とか、鯨が出現した、とか確実に起こったことだけでも妖精の精神には耐えかねるとんでもないことであり、三人は逃げるように去って、この日は二度と戻ってこなかった。
「少しやり過ぎたかもな」
魔理沙は家の軒下からそう呟いた。鯨の大きさはとても大きいということしか知らなかったから大木よりさらに大きいものを召喚したが、おかげで家の前の広場、言い方を変えると木が生えていない禿げ地帯がさらに拡大した。アリスあたりに環境保全がどうこうとか変な嫌味を言われることも覚悟しないといけないかもしれない。
魔理沙は鯨型の魔力像を消去した。気が付けばすっかり夜だ。今日は新月らしく、八卦炉で明かりをともしてもそれほど遠くは見えない。地面がどうなっているのかの確認は明日にした方がよいだろう。もっとも「そうする気が残っていたら」というエクスキューズはつくが。
魔理沙は八卦炉の明かりを反射するものが落ちているのを見つけてしゃがんだ。あのランプだ。妖精三馬鹿が逃げたときにうっかり落としたらしい。広場の中央寄りという転がっている場所からして鯨の下敷きになっていたと思われるが、ひしゃげているということもなく、変わらず黄土色に光を反射し続けている。
「興味深いといえば興味深いが……」
魔理沙は拾った。秘められた魔力といい、この頑丈さといい、ランプがただものではないということは分かる。が、魔力を秘めた道具、非常に頑丈な道具、それぞれの特徴自体はありふれたものであり、危急で調べなければならないというようにも思えない。少なくとも今の研究を中断してまで調査しようという気になる程の魅力はないのである。
「家の中にも置いておきたくはないなあ」
いや、魅力がないというより気味が悪いという方が近いのかもしれない。このランプは封がされていた。開けるべきではないから封がされていたのであり、封じられたのが魔力で、ランプという道具の呪術的意味合いも含めると、開けたら多分ろくでもないことが起きる。厳重な封の開け方を知っていて、かつその後に起こるであろう事態に対策を練れる者が開けるべきだ。幻想郷においてそれが可能な候補はいくらかはいるが、自分ではないと魔理沙には分かっていた。
魔理沙はランプを玄関前のガラクタ置き場――魔理沙の語彙におけるガラクタとは、ゴミの同義語ではなく、風雨にさらしてもない頑丈さで比較的重要度の低い物品という意味である――に置いた。今の研究が終わったら、一度見てみてどうしようもなさそうなら香霖か霊夢に押し付けようという算段である。もっともその前に妖精か何かに盗まれるかもしれないが。
†
翌朝、三妖精は魔法の森にもう一度赴き、魔理沙の店の前のガラクタ山に件のランプが乱雑に投げ捨てられているのを見つけた。あんな危険物に対して保管方法が雑だと三人は驚きと恐怖と怒りが混じった感情を覚えた。
これはプランBをすべきだ。三妖精にしては極めて珍しいことに、このプランBには中身も、元の案であるプランAもある。つまり、魔理沙がランプを丁寧に家の中にしまい込んでいていたらもうどうなろうとも魔理沙の勝手だと押し付けようというプランAを発動するつもりだったのだが、魔理沙の管理が余りにも雑なので、いったん自分たちで盗んでもう少しまともそうな人に渡そうというという次善策をすることになったのである。
ということで三妖精は真面目な理由で博麗神社を訪れた。だが、霊夢の視点では三妖精が突然神社にやってきていて、それだけならまあいつものことかと特に気にも留めないところ、どういう意図があるのか白い旗を振りながらやってきたので首をかしげるしかないのである。
「何なのそれ、戦争ごっこ? 降伏から始まる戦争ごっこなんて聞いたことないのだけれど」
「ごっこじゃないです! 緊急事態なんです! でも敵意がないことをはっきり示さないと霊夢さん全然容赦してくれないんだもん!」
「それはいつものあんたらに敵意があるからでしょ」
「そんなことないですよ。いたず……遊びに来ただけなのに殴られたことが何回あったことか」
「参拝じゃないのに神社の敷地に、それも人間でないのに入るの自体が敵意なの」
「えー。いっつも妖怪ばかり来客している神社なのに。妖精はダメだなんてそんなの妖精差別だー」
「そうだそうだー」
「降伏しに来たのか喧嘩を売りに来たのかどっちなのよ……。まあいいわ。本当に真っ当な理由で来たっぽいし」
「さっすがー霊夢さん話が分かるー」
三人は遠慮もなく縁側から本殿に上がり、自分の分の湯呑みだけ持ってきた霊夢にランプを見せた。
ランプ。その単語に聞き覚えがある気が霊夢にはしていて、その理由は昨日大量の食べ物を持ってきた菫子がランプの魔神がどうこうと言っていたからだと思い出した。多分その出来事がなかったら、水差しにも見えるこの金色の物体をランプと認識することすらできていなかったのかもしれない。
三妖精は、魔理沙がこのランプから魔神を呼び出していて、大変なことになったと思いランプを彼女から盗んで神社に持ってきたのだと話していた。多分三人は話を端折っていて、魔理沙が魔神を出す前に「このランプが魔神が入ったランプだと偽っていたずらをしていたら本当に魔理沙が魔神を呼び出して」というようなエピソードがあるのだろうと霊夢は思っていた。そう思う理由は二つあって、まず一つ目にランプの魔神の話が少なくとも当初はただのいたずらだったとすれば、菫子が持ってきた食事が、その運搬において余りにもお粗末だったことの説明がつく。
そしてもう一つ、これはただのランプでしかない。霊夢は魔法使いではないにせよ呪術に近いことを扱う巫女であるから直感的に分かる。魔神など呼べはしない。だから妖精の説明は不十分であると同時に不正確で、魔理沙は「魔神を呼び出したふりをして三妖精にいたずらをし返した」のだ。
「ふうん。そんなことが。まあ一応私が預かっておくわね。どうせ大したことにはならないでしょうけど、弱い妖精のあんたらには手に余るでしょうし」
霊夢はランプを拾おうと手を触れたが、その瞬間背筋が少し冷える感覚を覚えた。自分の直感は言っている。このランプはただのランプだが、ただのランプではない。とりあえず持ち上げて手のひらの上に置いてみたが、思ったより厄介なことに巻き込まれたのかもしれない。
「違和感はあるけど、どうしてなのかは私には分からない……。森に行って調べてもらうから、一応あんた達もついてきなさい」
「いや、霊夢さん話聞いてました? 私達はもう魔理沙さんの所に行っていて、そこで魔神出現事件が起きて……」
「じゃなくて。道具の謎を調べるのなら魔理沙よりもよっぽど適任がいるでしょ」
†
「これが魔神のランプねえ……」
魔法の森、の入り口近く。香霖堂と書かれた看板が扉の上に設置されている一軒家の中で、その主は不機嫌そうな顔をしていた。
「魔神なんて出てこれないよ。今のこの道具の用途はランプで、それ以上でもそれ以下でもない。まあ油の代わりに水を入れれば水差しとしても使えはするがね。何、魔理沙が魔神を出した? それは魔理沙に騙されているよ。あの子のやることを真に受けることほど愚かしいことはない。あの子が生まれたときからの付き合いの僕がそう言うんだから間違いはないね」
不機嫌そうな顔のまま霖之助にランプを突っ返されたことに三妖精はひどく落胆したが、霊夢は食い下がった。
「霖之助さん、本当にそれだけ? この馬鹿三人組が魔理沙に騙されていたことなんて私にもとっくの昔に分かっていたわ。それ以上のことがあると思って来たのだけれど……」
三妖精の落胆はさらに深まり、霖之助の不機嫌もまたさらに深まった。彼は眉間にはっきりと皺を作っている。
「はー。知らないままでいる方が幸せなことがあるとは思わないか。君にとっても幻想郷全体にとっても」
「私の直感が正しければ幻想郷が知らないままでいるということはあり得ない。知った瞬間異変になりかねないし、知ったのが悪意の側であったならば修復不可能になりかねない。私は知った方が幸せという知的好奇心ではなくて、博麗の巫女として知らなければならない義務があると思う」
「仕方ない。そういう気分になった君は僕には止めようがないからね」
霖之助はやはり不機嫌なままだが、今は眉間に皺を作るような怒りや警告ではなく、諦念のような無気力な不機嫌さを漂わせている。
「霊夢が察しているように、このランプは元々は本当に魔神が呼び出せるランプだった」
「じゃあ私達も騙されてないじゃん! 多分昨日までそうだったんだよ!」
「残念だがこの場合の元々は数百年前だから結局君達は騙されているよ。最後に呼び出した人が相当に強い封印を施している。よほど腕の立つ呪術師だったのか、願いの一つを封印に使ったのか。いずれにせよ君達とは比べ物にならない知恵者だね」
三妖精の心はいよいよ完全に折れ、今にも溶けて消えるのではないかという雰囲気を漂わせていたが、霖之助と霊夢は無視して話を続けた。
「知らない方が良かっただろう? 知らなかったらただのランプで済んだのに、知ってしまったおかげでいつ封が破られるか怯えなければならない」
「いつ封が破られるか? それは今でしょうよ。この幻想郷に魔術的封を開けれる奴なんてごまんといるの。ここにも一人ね」
霊夢がランプに触れて、何かを察した霖之助は腕を上から抑えた。
「待て。封を破ろうと?」
「私にできないと思ってる?」
「できると思っているから止めている。相手はあの魔神だぞ? 君に制御できるとでも?」
「私を誰だと思ってるのよ。魔神なんかよりよっぽどヤバい奴も何度も調伏してみせたわ」
「それは皆幻想郷のルールを理解していたか、理解する気があったからだ。ランプの中の魔神もそうだという保証はどこにもない」
「だからルールを受け入れさせるために願いを使う。これなら確実に魔神も幻想郷の枠内に置いておける。どこの馬の骨とも分からない奴だの、悪意の塊みたいな奴だのに先に封を開けられるよりは安全でしょ?」
「しかし……」
「まあせっかくだし、この子がどれだけ強くなっていて幻想郷を理解しているのか試してみてもいいんじゃないかしら」
香霖堂の空間に赤紫色の切れ目ができて、そこから無数の不気味な目と、二つの少女の目が霖之助を見つめる。幻想郷の賢者の一人、八雲紫だ。気まぐれに乱入したという感じで、元々出てくる予定はなかったのか、よそ行き用の道士服ではなく、普段着のドレスの方を着ていた。
「貴女は妙なところで霊夢に甘すぎる。失敗した場合の被害と失敗する可能性を鑑みてもっと慎重になった方が良いと僕は思うよ」
「だからいざというときのバックアップとして私が出てあげてるのよ。心配しなくても店が壊れたら萃香にでも頼んで建て直してあげる」
「僕は店やら商品やらが壊れることそのものを心配してるんだ! せめて他所でやってくれ!」
霖之助はかなり強めに霊夢と妖精三人組をまとめて押し出した。「大人げないわねえ」と口を揃えて言う霊夢と紫の頭のねじが外れたペアと三妖精は博麗神社に戻った。
「鏡よ鏡……は別の呪文ね」
「別に無言で良いじゃない」
「あんたにしては珍しくロマンがないわね。こういうのは雰囲気が大事なのよ。……って、開いちゃったわね」
魔神を呼び出すという幻想郷秩序において結構な大事をしているにも関わらず、その秩序を維持するべき巫女と賢者は神社の縁側で足をぶらつかせながら、出前でも頼んでいるかのようなお気楽さで魔神を呼び出した。それこそが今の幻想郷秩序なのだ。大事だとしても、気を締めるべきときまではただひたすらに暢気であれ。
「お主の願いを三つ叶えてやろう」
魔神は女性だった。幻想郷という世界がそうさせたのだろうか? 偶然にも願うべきことが一個減ったと霊夢は思ったが、やるべきことは変わらない。
「願い一つ目。スペルカードを作りなさい」
「分かったわ。スペルカー……なんだって?」
魔神は困惑した。無理もない。スペルカードなんて単語、幻想郷にしかない。魔神は幻想郷外からランプの幻想入りにより来た存在だった。それに、仮に魔神が幻想郷の生まれだったとしても、スペルカードという制度の発祥から数十年も経っていないのだから、百年単位で封印されていたこの魔神にはどのみち知りようがない。
「説明の必要があるわね。紫、あんたも手伝いなさい」
紫も手伝う、というか八割がた紫の説明により、魔神もスペルカードと、それを用いた弾幕ごっこ、さらにはそれが紛争解決手段として用いられている、というところまで理解した。元々弾幕ごっこという遊びにおいては、棒切れから魔法まで、ありとあらゆる物が弾幕として用いられるのだ。魔術の権化たる魔神にとってスペルカードの作成自体は造作もないことであり、むしろ「それは遊びであるから回避不能であってはならない」とか、「美しさも競う対象であるから美しくなければならない」とか、戦闘効率を損ねる制約を含めることの方に難儀し、霊夢と紫により、両耳にたこができるくらい念押しされて渋々そうした制約を含めたとはいえ、納得はしていなかった。
「作ったわ。これで願い一つ目」
「願い二つ目。それを使って私と戦いなさい」
戦う、というと威勢が良いが、弾幕ごっこという名称からも分かるように、よほどのことがない限り命のやり取りは発生しない、遊びなのである。
封印されるまで、魔神は幾度となく願いを叶えてきた。いたずらにランプを擦った子供の願いを叶えたことも何度もあった。子供故大したものは得ず、結果破滅にも至らなかったから、記録にも記憶にも残らないような出来事ばかりだったが、おもちゃを要求されることがしばしばあったということは覚えている。が、遊び相手をくれ、ましてや自分が遊び相手になれと要求された記憶はない。目の前の少女がそれを願った最初の人物である。
盲目に、ただその願いを聞くだけならばその願いを出した者のなんと寂しい存在か! となるところである。が、視界に映るその少女は、現在進行形で何人もの、おそらくは彼女の友と呼んで差支えのないであろう妖怪たちに囲まれているのである。なぜ、遊び相手はごまんといるだろうにわざわざ自分を指名するのか、魔神には分からなかった。
「戦う前に聞きたいわ。なぜ戦わなければならないの? 弾幕ごっことは紛争の解決手段だと聞いた。でも私は今のところこの地では紛争を起こしてはいない」
「いずれ紛争を起こすかもしれない。だったら今のうちに釘を刺しておこうと思ってね」
「いまだ起きていない事件を事前に処罰するとは、とんだ蛮族ね。ここの秩序はよっぽど理不尽に思えるわ」
「理不尽ねえ。幾度となく言われてきたわ。正直昔は理不尽って言われてカチンとくることもあったわ。でも、理不尽を使える人に役割があって、その役割の中でやっている理不尽が軽い冗談で語られているうちが一番平和だなって最近思うの。だから、呼び出された魔神
が本物の悪人ではなくて軽いおとぎ話の一員で済んでいるうちに、あんたから理不尽を取り上げさせてもらうよ」
「いいこと言っているようだけど、理不尽なのは霊夢個人の性格もあるのよねえ」
「そこ、外野、うっさい。とにかくとっとと始めるよ!」
†
戦いの結果はわざわざ詳細に記載するまでもないだろう。魔神がいかに強大といえども、相手は文字通りの鬼神や大妖をも成敗してきた歴戦の巫女なのである。魔神にとっては予想外なことに、その他全員にとっては予定調和なことに、魔神は叩きのめされた。完膚なきまでに叩きのめされた。
「この場は素直に負けを認めましょう。でも、茶番でしかないとは思わない?」
「力関係がはっきりとした。今後あんたがオイタをしようとも、幻想郷のルールにおいてはあんたは私に退治されるしかない。言い方を変えると、あんたは私に退治されたことで、幻想郷に受け入れられた。それだけで十分だと私は思うけど」
「私は願いを叶える魔神。それこそ誰かが『博麗霊夢を殺せ』と願ったら私はそれを叶えなければならない。私をお遊びの枠に置いておくなんて、どだい無理なことなのよ」
魔神は服の切れた箇所を煩わしいそうに触っていたが、また魔神らしい、仁王立ちのポーズを霊夢の前でとり直した。
「さて、願いは残り一つ。はっきり言ってどうでも良いような願いで二つ浪費しているんだからね。慎重に選びなさい」
「ない」
「は?」
想定外の答えに、魔神は霊夢に負かされた瞬間よりも遥かに明確にたじろいだ。
「だってうちのルールに従わせるだけならスペルカードを作らせて私と戦わせるだけの二つあれば足りるし。巫女として欲しいものは今特にないし……」
「だからと言って三つ目の願いを保留されたらこっちも商売上がったりなのよ。今度から時間制限つけようかなあ。だいたいお前も年頃の女の子なんだからそういう願いの二つや三つあるでしょうに」
「慎重に、って言うわりにそういう迫り方するのね。いや私だって無欲じゃないから『おっきいパフェが食べたい』とかあるけど、今そんな個人的な願いするのも違うじゃん」
「パフェね。分かった」
「違うって言ってるでしょ。ああ、多分あんた、前の人の三つ目に、『ランプに封印されて二度と出てくるな』って願われたでしょ。私もそれを頼もうかしら」
「あっ。それはなしで。折角数百年ぶりにシャバの空気を吸えたんだからもっと楽しませてよ」
「まあそう言うでしょうね……」
願う気がない霊夢と、願わせたい魔神は沈黙状態で均衡を形成してしまった。
一方観客の三妖精。霊夢と魔神の弾幕ごっこの口火が切って落とされた途端、これは自分らが出る幕ではない、巻き込まれたらただでは済まないと本殿の中に逃亡していたが、戦いの音がしなくなったら戻ってきて、どうも霊夢は三つ目の願いを保留しているらしいという現状を認識すると、これ幸いとしゃしゃり出てきた。
「ねー霊夢さん。霊夢さんのお願いの三つ目、私達が代わりに使ってもいい?」
いつもの霊夢が相手ならば割り込んで口を開いた瞬間にお祓い棒で殴られるか陰陽玉を投げつけられるかしてたんこぶを増やしていたところだったが、正直現状に煮詰まっていた霊夢にとって三妖精の割り込みは渡りに船であり、存外にあっさりと霊夢は三人の申し出を受け入れた。
「だってさ」
「駄目だよ。私は今霊夢と契約しているんだから。君達は霊夢との契約が終わったら改めて呼び出しな。そうしたら一つとは言わず三つ叶えてあげるから」
「じゃあこういうのはどう? 『私の代わりにこの子達の願いを一個叶えてあげて』」
「うーん。そういうのって、悪用できる気しかしないんだけれど、こうしてただ時間無駄遣いするのも気に食わないし、今回だけは特別にそれでも良いかな」
魔神は内心ほくそ笑んでいた。二つ目までの願いは大したことがなかった。三つ目の願いを託された目の前の妖精達は、初対面でも分かるくらい頭が足りていない。こんな簡単に数百年の封印から無罪放免されるのだから、この世界はチョロくできている。
そんな、ある種油断していた魔神にとって、三妖精の願いは余りにも予想外だった。
「あんた、私達の友達になりなさい」
「はい?」
霊夢と同じだ。三人でまとまって行動しているのだから、それぞれ一人にとって残り二人は親友であろうに、さらに友を欲している。友人に飢えているというわけでもないだろうに、まさしく一生に三度、この妖精達はさらに一度機会を得ているとはいえそれでも片手の指の本数にも満たない願いを叶える機会において、貴重な願いの一つを交友関係を広めることだけで消費しようとしている。この地の住民は対人関係に関して強欲が過ぎる。
ああ、そうだ。逆だ。交友関係がなく、誰よりも友を欲しているのは自分自身なのだ。ふと、妖精三人組の楽し気な様子を羨ましく思った魔神はそのことに気が付き、妖精達にとってはつまらぬ願いであろうにとは思いつつも、その願いを恭しく受け入れたのだった。
†
願われて三妖精の友人となった魔神は、幻想郷にうまく溶け込んだようだった。どんな願いでも叶えられるという能力の無法ぶりは相変わらずだが、三妖精の友人でありつづけなければならず、三妖精が他愛のない馬鹿というところであまり強大になりすぎると友として不適切になってしまうというのが足かせとして機能していた。もっとも、当然魔神は妖精よりは強くて馬鹿でもないので、魔神が三妖精と一緒にやるいたずらは中々に厄介で、とりわけ霊夢は手を焼くことになるのだが、それはまた別の話である。
「で、正式なあんたの歓迎も兼ねて宴会を開こうと思ったのだけれど……」
「素敵でありがたい話じゃない。何か問題でも?」
「宴会幹事に菫子がなるって言ってて、でもその割に全然料理の準備とかしてなさそうなのよ」
「準備なら問題ないでしょ。ね、魔神さん」
霊夢が魔神に菫子の適当さを愚痴っていると、丁度菫子本人が幻想郷に入ってきた。
「願いを使うのね。昔、貴族の娘に『習い事の課題難しすぎるから代わりにやって!』って願われたことがあるんだけど、そのときのことを思い出すわ」
「いやいやそんな私利私欲じゃなくて、私は幻想郷の繁栄を願って……。ということでお願いするわ! 焼き肉と寿司とピザを!」
「完全に貴女の食欲という名の私利私欲じゃないの。というより、たかが食べ物に願い三つ全部使うとはねえ。無欲なんだか欲が深すぎるんだか」
「別にいいじゃん。変な願いで困らせようって訳じゃないんだから上客でしょ?」
「それもそうね。みんな貴女みたいに単純ならこの仕事も楽なんだけどねえ」
魔神は笑いながら願いのものを出した。菫子が想像する通りの外来式の焼き肉と寿司とピザ。当然妖精が徒歩で運んできたかのようなぬるいものではなく、今まさに生成されたような、というか文字通りにたった今生成されたできたて新鮮なものである。幻想郷とは別の発展を見せていた外の世界の食文化に皆舌鼓を打ち、魔神という新たな存在が加わったことで、幻想郷にも新たな変革が起きていることを実感したのだった。
折角どんな願い事でも叶えるチャンスなのに、無欲なのか強欲なのか分からないような願いばっかお願いする幻想郷の住民達に、らしさ が出てるような気がしました。
魔神さん想定外の連続で狼狽えまくってるの好き笑
幻想郷入りと言ってしまえば使い古されたネタだし、展開やオチまで含めてそこまでオンリーワンを感じることはありませんでしたが、軽快で皮肉っぽい地の分と妖精の可愛さが好みでした。
話が少し漫画向けというか個人的に絵としてみたい場面が多かったですが、描写はとてもわかりやすかったです。
作者さんのエンタメを楽しませていただきました。
魔人の振りをしようとするサニーたちがかわいらしかったです
霊夢と魔理沙がすぐに妖精のいたずらだと感づくのが好きです。
魔神が幻想郷に受け入れられてから、
最後に再び食べ物のお願いごとで話が締め括られるのがよかったです。