「はー、今日くらいお休みほしかったな」
太陽の光が小さな点に見えるほど深い、穴の底から。心底残念がる声が聞こえる。
「さとり様も、もれや?とかいうあの神様も。わたしが地上に憧れているって知ってるはずなのに」
まばゆい輝きを放つ地の底に。恨み節を独り言ちる地獄鴉が一羽、機械に囲まれながら立っていた。
現在、霊烏路空は核融合炉のメンテナンスをしている真っ最中だ。
原子力エネルギーを用いた機械のメンテナンスと聞くと、果たして鳥一羽に任せてよいのか不安になる者もいるだろう。しかし、霊烏路空はその身に八咫烏を宿す、れっきとした神鳥である。太陽の化身を宿す彼女は、地上の太陽たる核融合炉の管理にぴったりの適材なのだ。そのため彼女に、これといった仕事はない。ただその場にいるだけでよかった。
だから、圧力やら温度やらの数値が表示されるモニターに座って、両足をぶらぶらさせていても、何も問題ないのである。
ゆえに彼女は思うのだ。「別に今日じゃなくもいいじゃん」と。
彼女は、地底に棲まう有象無象の怨霊たちと同じく、地上に興味津々だった。どのくらい興味があるかというと、地上に居るというもう一人の自分に会おうとして、一大イベントを引き起こしたくらいには、興味がある。他の怨霊たちと違うのは、地上への害意の有無だけだ。
「天の川って、どんな川なんだろう」
一週間前、珍しく地上へ出たお空は、守矢神社で七夕という行事の存在を知った。あいにくその行事の内容は忘れてしまった。天の川という川のほとりで、大切な人と出会える日だと、話していたことは覚えている。
「大切な人かぁ」
さとり様、こいし様、地獄鴉のみんな。大切な人と聞いて、見知った顔がふわふわと思い浮かぶ。そのいちばん最後に、火焔猫燐がニッコリと笑った。
でも、その火焔猫燐と、お空はしばらく会えていない。彼女とは、ただの地獄鴉だったころの付き合いだ。山の上に呼ばれた時と、もうひとりの自分を探しに行ったあの日以外、彼女と会わない日は無かった。
「おりんは何してるんだろう」
そんな彼女とお空は、ここ半年ほど顔を合わせていない。きっと、彼女は彼女で仕事が忙しいのだろう。でも、ここまで会えないとは。
モニターの上で腕を組み、蒼く輝く核融合炉に目をやる。蒼い光が漏れ出る筒の中で、いったい何が起きているのだろうか。確か、小さな粒がぶつかり合って、重たいものに変わっているとか話していたような。
小さな粒、それはきっとキラキラと光っているのだろう。それが、蒼い空間に散らばってきらめいている。もしかしたら、蒼く薄暗いかもしれない。
ぶつかり合うということは、粒が動くのだろうか。蒼く薄暗い世界で、白い粒が軽やかに動く。きっと、弾幕が飛び交うように、たくさんの粒が流れている。
重たくなるとは、どういうことなのだろう。わたしは物を持つと重たいと感じる。では、光の粒もまた、何かを持っているのだろう。流れてきた光の粒を受け止める、それとは別の光の粒。蒼く暗い背景で、それは起きる。
輝き、ぶつかり、受け止める。かつて、そんな光景をどこかで見たような気がした。
でも、ここは灼熱地獄跡。極限環境で、そんなメルヘンなイメージに浸っている余裕はない。
「あっつ!」
突然、右腕に熱を感じる。手元を見ると、制御棒が青白く輝いていた。
「ちょっと、ここで?勘弁してよ」
お空の右腕は、たまにこうなるのだ。原理はわからないが、急激に熱を持ったかと思うと、やがて猛烈な蒸気を噴出し、また元に戻る。いつもであれば、戦闘中など気分が昂ったときに起きるのだが。しかし、今は全く昂っていない。むしろ普段より落ち込んでいる。
ただ、このままでは熱くてやってられない。かといって、戦闘中のように湧き上がる熱を放射することもできない。そんなことをしたら核融合炉が破損してしまう。これ以上の厄介事は勘弁してほしい。
「このまま我慢するしかないか……」
筒状の右腕を凝視する。徐々に熱が増していき、それに応じて熱さを感じる範囲が広がっていく。蒼白の輝きが増していき、あたりが白く染まる。
そのとき、ぷしゅーという、気の抜けた音と共に白い湯気が立ち上った。その湯気は、とても温かい。
「すっごい湯気。どこまで行くんだろう」
もくもくと立ち上る、白い湯気。30°では全然足りない。50°でようやく半分。70°であと少し。首の角度が90°に達すると、ようやく湯気の行先が目に入る。
湯気の進むその先には、地上が見えた。この湯気は、今から地上へ行くのだ。
「あっ!」
お空は思わず声を上げた。黒く暗い天井に白い湯気がたゆたう。その隙間から、白い光が見えたのだ!湯気がかかった白い光は、ゆらゆらと輝いている。
それもひとつではない。無数の光が、湯気の合間に瞬いている。
「ひとつ、ふたつ、みっつ。もっとある!」
もっと近くで見てみたい。あの光を、湯気に邪魔されずに見てみたい!
両翼に力を込め、宙に飛び上がる。熱く厚い湯気を越え、向かうは光またたく暗い天。
湯気を越えたその先には、無数の粒があった。白い光が、黄色い光が、青白い光が、赤い光が。幾千万の光の粒が、輝いていた。ある粒は力強くチカチカと、ある粒は身軽にヒラヒラと、ある粒はシトシトと落ち着いて、とある粒は周囲の粒に負けそうになりながら。それぞれが、それぞれに見合った明かりを振り撒いていた。
その光たちは、まるで川のように、暗い天井を流れている。
「これが、天の川?天の川は、天井にあったんだ」
不意に、川の流れが乱れた。明滅の頻度が上がり、光と光が、粒と粒がぶつかり合い、ひとつの大きな粒になっていく。その変化は、まるで太陽のようで。
「お空っっ!!!!!!大丈夫っっっ!?!?!?!?」
ズシリ、と全身で重みを感じた。
周囲の光を蹴散らした白い粒は、猛烈な勢いを止めることなくお空に直撃したのだった。
久しぶりに会ったお燐は、不安と焦りと怒りと呆れが混ざった複雑な表情を浮かべながら、私の正面に立ち、抱き着いてきた。そして耳元で矢継ぎ早に何かを口にしたけれど、天井に瞬く光に目を奪われていた私の耳には、大して届かなかった。
「ねえ、お燐。天の川って見たことある?」
「うん。さっき、地上から戻ってくるときに」
「天の川って、たくさんのキラキラで出来ている?」
「うん。夜空一面に星が広がっているよ」
「じゃあ、これが天の川なんだ」
お燐が肩を離れ、宙を見上げる。
「いや、これは――――うん、天の川だ。天の川だよ、お空」
否、この光は天の川ではない。井戸や間欠泉が、地上の光を漏れ伝えているに過ぎない。しかし、今この場所から見れば、天井は空なのだ。空に浮かぶ光と言えば星しかなくて、満天の星空のことを天の川と呼ぶ。だからこれは、満天の星空であり、天の川だ。だからこそ、お燐は答えた。
「天の川、きれいだね」
「うん。きれい」
「織姫は、彦星に会えたかな」
「だれ、それ?」
返事はない。どうしたのだろうと思い顔を横に向けると、お燐が唖然とした顔で、こちらを見ていた。
なぜそんな表情を浮かべるのか。だから私は、とりあえず空に顔を向けることにした。
地底の天井に、星が瞬く。天上から差し込む光が、空に瞬く。
太陽の光が小さな点に見えるほど深い、穴の底から。心底残念がる声が聞こえる。
「さとり様も、もれや?とかいうあの神様も。わたしが地上に憧れているって知ってるはずなのに」
まばゆい輝きを放つ地の底に。恨み節を独り言ちる地獄鴉が一羽、機械に囲まれながら立っていた。
現在、霊烏路空は核融合炉のメンテナンスをしている真っ最中だ。
原子力エネルギーを用いた機械のメンテナンスと聞くと、果たして鳥一羽に任せてよいのか不安になる者もいるだろう。しかし、霊烏路空はその身に八咫烏を宿す、れっきとした神鳥である。太陽の化身を宿す彼女は、地上の太陽たる核融合炉の管理にぴったりの適材なのだ。そのため彼女に、これといった仕事はない。ただその場にいるだけでよかった。
だから、圧力やら温度やらの数値が表示されるモニターに座って、両足をぶらぶらさせていても、何も問題ないのである。
ゆえに彼女は思うのだ。「別に今日じゃなくもいいじゃん」と。
彼女は、地底に棲まう有象無象の怨霊たちと同じく、地上に興味津々だった。どのくらい興味があるかというと、地上に居るというもう一人の自分に会おうとして、一大イベントを引き起こしたくらいには、興味がある。他の怨霊たちと違うのは、地上への害意の有無だけだ。
「天の川って、どんな川なんだろう」
一週間前、珍しく地上へ出たお空は、守矢神社で七夕という行事の存在を知った。あいにくその行事の内容は忘れてしまった。天の川という川のほとりで、大切な人と出会える日だと、話していたことは覚えている。
「大切な人かぁ」
さとり様、こいし様、地獄鴉のみんな。大切な人と聞いて、見知った顔がふわふわと思い浮かぶ。そのいちばん最後に、火焔猫燐がニッコリと笑った。
でも、その火焔猫燐と、お空はしばらく会えていない。彼女とは、ただの地獄鴉だったころの付き合いだ。山の上に呼ばれた時と、もうひとりの自分を探しに行ったあの日以外、彼女と会わない日は無かった。
「おりんは何してるんだろう」
そんな彼女とお空は、ここ半年ほど顔を合わせていない。きっと、彼女は彼女で仕事が忙しいのだろう。でも、ここまで会えないとは。
モニターの上で腕を組み、蒼く輝く核融合炉に目をやる。蒼い光が漏れ出る筒の中で、いったい何が起きているのだろうか。確か、小さな粒がぶつかり合って、重たいものに変わっているとか話していたような。
小さな粒、それはきっとキラキラと光っているのだろう。それが、蒼い空間に散らばってきらめいている。もしかしたら、蒼く薄暗いかもしれない。
ぶつかり合うということは、粒が動くのだろうか。蒼く薄暗い世界で、白い粒が軽やかに動く。きっと、弾幕が飛び交うように、たくさんの粒が流れている。
重たくなるとは、どういうことなのだろう。わたしは物を持つと重たいと感じる。では、光の粒もまた、何かを持っているのだろう。流れてきた光の粒を受け止める、それとは別の光の粒。蒼く暗い背景で、それは起きる。
輝き、ぶつかり、受け止める。かつて、そんな光景をどこかで見たような気がした。
でも、ここは灼熱地獄跡。極限環境で、そんなメルヘンなイメージに浸っている余裕はない。
「あっつ!」
突然、右腕に熱を感じる。手元を見ると、制御棒が青白く輝いていた。
「ちょっと、ここで?勘弁してよ」
お空の右腕は、たまにこうなるのだ。原理はわからないが、急激に熱を持ったかと思うと、やがて猛烈な蒸気を噴出し、また元に戻る。いつもであれば、戦闘中など気分が昂ったときに起きるのだが。しかし、今は全く昂っていない。むしろ普段より落ち込んでいる。
ただ、このままでは熱くてやってられない。かといって、戦闘中のように湧き上がる熱を放射することもできない。そんなことをしたら核融合炉が破損してしまう。これ以上の厄介事は勘弁してほしい。
「このまま我慢するしかないか……」
筒状の右腕を凝視する。徐々に熱が増していき、それに応じて熱さを感じる範囲が広がっていく。蒼白の輝きが増していき、あたりが白く染まる。
そのとき、ぷしゅーという、気の抜けた音と共に白い湯気が立ち上った。その湯気は、とても温かい。
「すっごい湯気。どこまで行くんだろう」
もくもくと立ち上る、白い湯気。30°では全然足りない。50°でようやく半分。70°であと少し。首の角度が90°に達すると、ようやく湯気の行先が目に入る。
湯気の進むその先には、地上が見えた。この湯気は、今から地上へ行くのだ。
「あっ!」
お空は思わず声を上げた。黒く暗い天井に白い湯気がたゆたう。その隙間から、白い光が見えたのだ!湯気がかかった白い光は、ゆらゆらと輝いている。
それもひとつではない。無数の光が、湯気の合間に瞬いている。
「ひとつ、ふたつ、みっつ。もっとある!」
もっと近くで見てみたい。あの光を、湯気に邪魔されずに見てみたい!
両翼に力を込め、宙に飛び上がる。熱く厚い湯気を越え、向かうは光またたく暗い天。
湯気を越えたその先には、無数の粒があった。白い光が、黄色い光が、青白い光が、赤い光が。幾千万の光の粒が、輝いていた。ある粒は力強くチカチカと、ある粒は身軽にヒラヒラと、ある粒はシトシトと落ち着いて、とある粒は周囲の粒に負けそうになりながら。それぞれが、それぞれに見合った明かりを振り撒いていた。
その光たちは、まるで川のように、暗い天井を流れている。
「これが、天の川?天の川は、天井にあったんだ」
不意に、川の流れが乱れた。明滅の頻度が上がり、光と光が、粒と粒がぶつかり合い、ひとつの大きな粒になっていく。その変化は、まるで太陽のようで。
「お空っっ!!!!!!大丈夫っっっ!?!?!?!?」
ズシリ、と全身で重みを感じた。
周囲の光を蹴散らした白い粒は、猛烈な勢いを止めることなくお空に直撃したのだった。
久しぶりに会ったお燐は、不安と焦りと怒りと呆れが混ざった複雑な表情を浮かべながら、私の正面に立ち、抱き着いてきた。そして耳元で矢継ぎ早に何かを口にしたけれど、天井に瞬く光に目を奪われていた私の耳には、大して届かなかった。
「ねえ、お燐。天の川って見たことある?」
「うん。さっき、地上から戻ってくるときに」
「天の川って、たくさんのキラキラで出来ている?」
「うん。夜空一面に星が広がっているよ」
「じゃあ、これが天の川なんだ」
お燐が肩を離れ、宙を見上げる。
「いや、これは――――うん、天の川だ。天の川だよ、お空」
否、この光は天の川ではない。井戸や間欠泉が、地上の光を漏れ伝えているに過ぎない。しかし、今この場所から見れば、天井は空なのだ。空に浮かぶ光と言えば星しかなくて、満天の星空のことを天の川と呼ぶ。だからこれは、満天の星空であり、天の川だ。だからこそ、お燐は答えた。
「天の川、きれいだね」
「うん。きれい」
「織姫は、彦星に会えたかな」
「だれ、それ?」
返事はない。どうしたのだろうと思い顔を横に向けると、お燐が唖然とした顔で、こちらを見ていた。
なぜそんな表情を浮かべるのか。だから私は、とりあえず空に顔を向けることにした。
地底の天井に、星が瞬く。天上から差し込む光が、空に瞬く。
最近お燐に会えていない状況と天の川というシチュエーションまであったうえで、
織姫?彦星?誰それ?なところが実にお空。
無垢なお空がかわいらしかったです
最後もお空らしくてすごく良かったです