破急
「――と、いうわけなのですが、貴女ではなくて?」
咲夜のナイフが人型に空間を作って床に剣山を作り上げていた。
その空間で身を縮こまらせているのは赤いマントがトレードマークの妖怪、赤蛮奇である。
「……確かに私だけど、そんな酷いことはしてないつもりだ」
「吸血は充分酷いでしょうよ。私が言うのもなんですが」
「いいや、悪い血を吸ってやったんだ。たまさか今はそういう時期だから――」
「複雑な話なのかしら?」
咲夜は手の中のナイフを玩びながら微笑み、小首を傾げた。
蛮奇はその微笑みに口角を上げながら顔を引きつらせ、話さなければ離して貰え無いのだなと直感し、観念し、せめてもこう言った。
「せめてちゃんと座って話さない?」
「ええ、勿論。どうやら面白そうな話ですし」
――一瞬で、ナイフの剣山は跡形もなく消え、二人は蛮奇の家、長屋の一室で向かい合って座っているのだった。
改めてこのメイドはおっかないと思わされつつも、このメイドにとって面白いかどうか、できれば満足してほしいものだがと願いつつ、語り出す。
「まず血を吸われたのはこの長屋傍にある立ち飲み屋の看板娘だよ」
「ええ、そこまでは私も知っておりますわ。霊夢が識ることになるのはもう少しかかるでしょう。あの子、勘は良いけど人の働きには鈍いからね」
「そっか――あんたが真相を話すことになるなら、それはそれだな」
「そうそう、貴女にも得なのよ」
「どうだか……ただのゴシップ好きじゃないか」
「そうともいいますわね」
少しも動じない咲夜の無敵感に負けつつ、蛮奇は頭を掻きつつ言葉を続けることにした。
「で……血を吸ったのが私なのも認めるよ。解って欲しいのは食人衝動とかそういうのじゃなくて……ちょうど良かったんだ、色々と」
「ンもう、たかが人を少々パクっていたところで気にしませんから、どんどんお話し続けてくださいな」
其処は気にしろよ、とツッコみたくなるのを堪えつつ蛮奇は続ける。
……というか、二度目の会話になるけどこのメイドってこんなにエキセントリックなヤツだったのかと内心驚く。
「あ、そ、そう……えーと、妖怪っていうのはさ、色んな言い伝えが入ってくると、その影響を受けるんだ。吸血鬼なんか有名だから色々大変じゃないのかい? 私もろくろ首と名乗っちゃあいるが飛頭蛮やら抜け首やらデュラハンやら……こと首と胴の離れるに関わる妖異が身体に集まってくる。ある時期に、それが身体から顕現するんだよね」
「それは面白いわね。いきなり能力が増えたりするっていうこと? お嬢様はそんなところ、見たこと無いわ……見せてくれないのか、吸血鬼は有名だから弄りようがないのか……」
「ああー、後者かもね。私みたいなマイナーなのは、噂話一つにも影響があったりするし。逆に、有名になるとその辺り動じなくなるのかもな……だとしたら、羨ましい」
蛮奇の憂いを籠めた溜息。
人間の(多分そうだと自覚してる)咲夜にはおよそ解らない感情だ。だけど、噂話一つで自分の本来の有り様が変わるという部分は人間にだってあるものだ。その影響が肉体か社会かの差に過ぎない。
「それでまあ、ちょうど其の頃に厄介なのが身体に顕現していてね、しばらくは外を出歩きたくなかったから、夜に用を済ませていたのだけれど、そんな折に、先の話の看板娘が……入水を図っているのを見ちまった」
「唐突に話が剣呑になったわね」
「妖怪の話は剣呑じゃないのかよ」
「それは茶飯事でしょう?」
あっけらかんと答えつつ、入水の方には美眉を顰めさせる銀髪メイド。本当に人間、いいや、妖怪を退治る人間というのはわけがわからん。
蛮奇はそれでも知り合いの悲報を一緒に哀しんでくれるメイドに好感と共感を受ける。
コイツは案外良い奴なのかな? と。
根が善なのだ。
……妖怪として大成できないのは間違いない素養だが。
「それでまあ、それを何とか止めてやってさ、事情を聞いたんだ。そしたら……ええと、この話は本当に、内密に頼むよ? 巫女に聞かれたとかでも、できれば上手いことこの辺りは誤魔化して欲しい」
「承知しました」
「……悪い男に誑かされて、その……身籠もっちまったらしい」
「あら」
「元々身寄りの無い娘だったんだ……誰にも相談できず、悪阻も始まり、働くことも侭ならぬ様になっちまったらどうしようもない。ずうっと悩んでいたのだろうな、可哀想に……それで、もう、いっそ楽になろうとしたらしい」
「……それを貴女が見付けたのね。それで、その娘は助けられたの?」
「結果だけを言えば助けられたよ……だけど、もう、半狂乱で暴れてさ……可哀想だったよ……なによりも、男に騙された自分が、赦せなかったのだろうね」
……咲夜は、少し退屈な話になってしまったなあと思いつつも、少しも態度に出さずに頷き、同意する。なにしろ目の前の妖怪は、すこし喉まで詰まらせながら語っているのだ。人間の自分が暢気に欠伸は不味いだろう、流石に。
面白いと思ったのはろくろ首の変異の方なのだが……。
「それでさ、丁度良いって言ったのは私のことだ。厄介なのが出て来たって言ったろう? もう満足したから消えちまったけど、その時は確かに居たんだ――ペナンガランっていうヤツなんだけどね。能力というか、習性だけを言えば……胎児を食っちまう」
「…………ああ、そういうこと」
「そういうこと。まだ胎の種がようやっと形になるくらいのはずだ。だから……私のせいにすればいいと思ってね。その子を助けて、それからまあ、食われたなんて言えっこないから血を吸われたせいで……流れたって事にして、無理筋はあったけど納得してくれたよ。今その子は自分の家で療養している――元気だよ。立てるようになったらまた店に戻るそうだ」
概ね話は解ったのでそれ以上の追求はしないでおいた。
流石にその程度の良識は持っているつもりだ。
――しかし、霊夢とお嬢様にどう説明したものか。霊夢はまあ、いいだろう。
妖怪騒ぎがデマだと知って、以降騒ぎがなければあの子は興味を失うだろう。だけどもお嬢様の方はどうしたものか……。
まさか性教育を自分がするのはおかしいし。
実のところ、いっぺんその辺り腹を割って話してみたい気もするが。
……赤蛮奇なる妖怪を見やる。
口元の隠れる特異な服装は、表情を見せにくくする工夫なのだろう。
実際、妖怪がこんなに表情豊かなのはよろしくなかろう。感情が悟られるのは妖怪としては実に面白くない事である。
……それにしてもまあ、お人好しの妖怪だこと。
こんな奴もいるのだなと感心しきりだ。
こんなに人に依りすぎて、果たして妖怪の本分を全うしていけるのか? だがまあ今回の事件のお陰で暫くは大丈夫なのかもしれない。
余計なお世話かもしれないが。
「大体解ったわ。いきなり脅かしたりして御免なさいね」
「解ってくれればもう良いよ……上手いことやってくれるなら、嬉しい」
「ええ、貴女はその子のことだけ気に掛けておけば良いわ。後は私が上手いことします」
「――助かる」
「ところでペナンガランってもう覧られませんの?」
「見たいの!?」
「ええ、まぁ……折角だったし」
「あんたって本当、変わってるな……満足できたから消えちまったよ。また、いずれな」
「あら残念」
お嬢様に見せて泣かせようと思ったのに。
其処までは続けず咲夜はお暇しようと立ち上がる。
「あ、最後に聞いておきたいのですが、その……“悪い男”の詳細は聞きましたの? ……住まいとか」
「え、あ、身の上話の中で、一応は」
「ああ、それなら良かった。ちょっとだけ教えて下さる? 言い訳話とはいえリアリティが欲しいので」
咲夜は穏やかに微笑んだ。