*
博麗神社に鴉が住み着いたらしい。
その鴉は博麗の巫女、博麗霊夢の生活に少なからず影響を与えたということは、彼女の生活のいささかばかりの変化を見れば明らかなことだった。
朝方になれば彼女は必ず神社にやってくる妖とも動物ともつかないような鴉に、「凛」という何とも形容しがたい名前を付けて観察するのである。
どうやらその「凛」という名前はそのまま、その鴉が凛々しい顔をしていたから「凛」という名前になったらしい。
「ひどく安直ですねえ」と私が笑えば、彼女は不機嫌そうな顔をしていた。
その鴉は朝という時間帯になればどこからともなく現れて、博麗神社のどこかしらに止まり、鳴くなり毛繕いするなりして、日が南の方にのぼる前にどこかに行く。
その鴉が何者で、どこからやってきて、それでどこへ行くのか。ゴーギャンの絵画のような問いを彼女は必要としていなかった。
彼女はその鴉を見て、幻想郷という結界に包まれた世界を観測していたのかもしれない。少なくとも私はよくわからないなりに彼女の姿を観測していた。
どうして私にはそのように見えたのか、理由のない実感のようなものがその当時私にはあったのだ。
その出所もわからぬ不明瞭な実感は、おそらくは私が胸に抱く彼女の、「博麗霊夢」の肖像が作り出したものだった。
彼女の朝はそんなことから始まるのだったが、ではそれから彼女はどうしたかというと、どうもしないというのが最適な答えだろう。
別に彼女は何か特別なことはしなかった。
私は暇なときは時々神社にお邪魔していたのだが、彼女の生活は何かしらの決まったルーティンの繰り返しに見えた。
そして鴉が毎朝やってくるということを除けば、至極平和でまっとうな生活のようにも見えた。
幻想郷にある種の秩序が生まれた以上、確かに彼女は秩序維持の一翼を担っていたかもしれないが、彼女が多忙を強いられるほど幻想郷はディストピアではなかった。
確かに里の若い娘が消えたなんて事件は数か月に一回くらいはあったが、そんなときも彼女はため息交じりに「またこんな事件だわ」とつぶやいて、職務を遂行するのみ。
その事件に何か凶悪な妖怪がかかわっているなんてことは皆無に等しかったし、ほとんどが些細な事柄の積み重なりの結果だった。
彼女の日課は境内の掃除と、そしてふらりと博麗神社によりつく妖怪や私のような人間との談笑くらいだった。
だからなのかは知らないが、彼女は時々こうつぶやくことがあったのだ。
「何か面白いことないのかなあ」
面白いこと。それが誰かとの気まぐれの末の弾幕勝負か、それともなにかビックイベントなのか、それとも何かしらの異変なのか。
そんなたいそうな頻度で異変は起きなかった。異変といっても、幻想郷の根幹を揺るがすような異変はもっと起きやしなかった。
面白いこと其れすなわち、混沌であると私は解釈していた。
博麗神社の大宴会なんて混沌でしかなかったと、酒に弱いなりに私は思う。聖輦船が命蓮寺になることだって混沌でしかないだろう。
幻想郷は時折混沌の様相を見せる。
彼女は、秩序というものに、平穏という利益の裏側の怠惰と思考停止を見て、そして混沌に、危険を犠牲にした新たな発見と自由を見ていたのだろう。
これまた推測でしか語れないのは、彼女は私に混沌とか秩序とか小難しい話はしなかったからだ。
季節の感覚とか、人里のどのお店がいいとか、そんな軽い話は共有していたけれど、秩序を希求する世界の理とか、時折気まぐれに出現する混沌の正体とか、いずれ先に待つ人生の終点とか、難しい話はしなかった。
「霊夢さんって何を考えているんですかね」
つい思考を口に出した。彼女は納戸のほうに行っていてここにはいない。
見上げた空は泣けてくるくらいに青く、崩れそうだ。今の言葉は誰にも聞かれないまま死に場を求めて消えていく。
「どうしたの早苗。空なんか見上げちゃって」
「なんでもありません」
そうやって彼女の世界は進行していた。私はまだ彼女の小さな体の内側の情念まではわからなかったが、表面上はそのように動いていたはずだ。
*
鴉が増えたらしい。
彼女は焦燥と期待が混ざったような顔で「知らない鴉がいる」と私に報告してきた。
鴉の顔なんて見分けがつくのだろうかと思うし、第一その鴉は朝方だけに神社に飛来して去っていくのだから、彼女が言っていることが本当なのかはよくわからなかった。
夏の朝は早いから、朝早起きして神社に行くと、確かに鴉は二羽いた。
一羽鳴けば、もう一羽が鳴く。
まるでつがいのような、阿吽の呼吸。
四半刻くらいで鴉はどこかへ飛び去った。その二羽目の鴉は名前を付けられぬまま「鴉」と呼ばれていた。いい名前が思いつかなかったらしい。
もしかしたら巣があるかもしれないと彼女は思ったらしく、ある時午前中全部を使って、三妖精を巻き込んで神社中を探したらしいが、それらしきものは見つからなかったとも言っていた。
「暇なんですか」と問えば、「まあ、そうねえ」とあっけらかんと答える。
夏休みというのは人が活発に動く時期だけれど、神社には全然人がいない。人はいなかったが妖怪はいた。
賽銭箱によりつく者の一人もいなかったが、その鴉のこともあってか彼女は生き生きしていた。
相も変わらず彼女は二羽の鴉を「凛と鴉」と呼んでいたから、その二羽目がかわいそうになるのが人の情である。
「せっかくだから名前を付けてあげればいいのに」
私の提案に彼女はしばし黙考した後、あきらめたような顔をした。
「あんたが考えてよ。私はもう思いつかないし」
「なら…玲。玲にしましょう」
凛と玲、なんだかいいコンビのような気がする。
「玲」
彼女はかみしめるように言った。
「ちょっと安直だけどいい名前ね」
晩夏も過ぎようという頃に、また鴉が増えた。
一羽いて二羽に増えれば、次は三羽に増えるのだろうかと予想されていたが、全くその通り三羽に増えた。
「次は四羽かしら」
なんて言いながら彼女はえらく生き生きとした表情で私に語った。
やはりつがいなのだろうかという予想はその鴉の出現によってあっけなく打ち砕かれたが、これから四羽、五羽になっていくのではなかろうかというのが新たに予測として出現した。
名前は誰も思いつくことなく成り行きで、「鴉三号」になった。彼女は三羽を「凛と玲と鴉三号」と呼んでいた。それがあまりにも面白いので結局そのトリオの鴉は「凛と玲と鴉三号」と呼ばれるようになった。
私が観察したところによると、鴉たちが神社に滞在する時間は確実に以前より長くなっていた。それが何を意味するのか私は想像もつかないのだが。
夏至もとうの昔に越えて、どんどん日が短くなっていく。
幻想郷には秋の足音が、日に日に大きく聞こえるようになっていた。
夏にあれだけ暴力的な緑を輝かせていた葉がいつの間にやら落ち着いた赤に塗られている。うだるような暑さに悶えた夏はもう消えていた。
秋を越えればまた冬がやってくる。
食料だとか、雪の量だとか、何も考えずに過ごせる夏と違って冬は考えることが多い。
大体この時期になると彼女は「嫌ねえ。寒いのは」とか言い出すようになる。今年も彼女は「嫌ねえ。寒いのは」と言っていたことには言っていたが、実際のところはそこまで嫌な風は見せていなかった。
その理由は対照実験的に考えて、鴉の出現に起因することは間違いなかった。
鴉を通して彼女が幻想郷を観測していたように思っていたのも遠い昔。鴉が増えてしまった以上、彼女が鴉の何に期待して、何を楽しみにしているのかわからなくなってしまった。
ある日、その鴉が文々。新聞になぜか載った。
ついにネタがなくなったかと思われたが、ほかの紙面にはあることないこと書かれていたのでネタに尽きたわけではなさそうだった。
神社に持っていくと、「いや何故載った」と彼女の思った通りのツッコミが飛んできた。
「取材なんか受けてましたっけ」
「文はいつもここに来るもの。あれが取材みたいなものよ」
そこで鴉の話をしたのだろう。鴉天狗というのは鴉に同族意識でもあるのだろうか。
「ちょっとした雑談のつもりだったんだけれど」
彼女はその新聞記事を食い入るように読んではこうぼやく。
「やっぱりあることないことしか書かないわね。この新聞は」
「ゴシップ雑誌みたいなものですよ、ほら私が名付けた玲だって、漢字が違いますし」
そこには「玲」ではなく「冷」と書かれていた。断じて鴉は氷の妖精などではないのに。
「間違いくらい許してやりなさいよ」
「だってせっかく私が名付けたのに」
「いいじゃない。どうせ読まなくなるのだから」
そう彼女は笑っていた。
因みに言えばその記事は、「博麗神社に三羽鴉現る」で始まり、鴉がどんな顔をしているだとか、三羽目の鴉が「鴉三号」という絶望的なネーミングであることとか、この現象の考察が滔々と述べられていた。
ピンとくるような考察の類は一つとしてなかった。
結局新聞は掃除用に回されたそうだった。
また鴉が増えた。
ついに四羽になった。その増えた鴉は「鴉四号」という名前になり、「凛と玲と鴉三号と鴉四号」になった。安直すぎる気がするが。
少し前に新聞に載ったこともあってか、鴉の知名度が少しずつ上がっていた。
しかしそれでも川にクジラがやってきただとか、アゴヒゲアザラシがやってきたケースのようなアイドル的扱いではなく、その多くが「何か意味があるのではないだろうか」という考察合戦だった。
文文。新聞は、少し前の記事であの鴉を「なにかしらの予兆」と薬にも毒にもならないような主張を繰り広げた。
「じゃあそれは何なんだ」「バーナム効果にもならないような言説はやめろ」と文文。新聞には珍しくその主張は非難囂囂だったらしく、結局その鴉が何なのかはうやむや扱いになってしまった。
一方、カリスマもとい紅魔館の主は、「鴉はただの鴉よ。放っておきなさい」といかにも現実的な主張を、以前神社に現れたときに声高々にしていた。
そのほか金運の象徴とか、博麗神社に新たな神がやってくるとか、それぞれ勝手な主張をしていた。
「あの鴉っていったい何なんでしょうね」
ある時そんな質問を彼女にした。
「さあね。ここの住み心地がいいんじゃない」
「何か深い意味があるかもしれないですよ」
「そんなわけないじゃない。逆にどんな意味があるっていうのよ」
「八咫烏っているじゃないですか。鴉は神聖な生き物なんですよ」
「鴉は神聖な生き物は言いすぎよ。神聖な生き物がたまたま日本神話では鴉だったに過ぎない」
「そんなこと言っていると罰が当たりますよ」
「当たらないわよ。それに」
「あの鴉もここが住みよいって言ってるわよ」
かあ、と頓狂な声を鴉三号があげていた。
結局彼女が鴉をどう思っているのか詳しいことは何も聞き出せなかった。
鴉は朝方を無視して、昼頃でも神社に居座るようになり、神社の木の上でじっと何かを見つめていた。スピリチュアルといえばスピリチュアルである。
二、三週間が過ぎたが、その鴉が何なのかは誰にもわからなかった。幻想郷で少しばかりの話題を作り出したその鴉も今更話題に上がることはなく、当然のように神社に居座っていた。
せいぜい神社にやってきた人間や妖怪が「まだいるねえ」と独り言つくらいだった。
六日に一回くらいに発行される文々。新聞にもその鴉の話は載らなくなっていた。
新聞も読者層を維持するのに大変だから、話題の灯が消えればそれに比例して鴉の記事も載らなくなっていく。
代わりに「天狗の一人がいなくなった」や、「プリズムリバー三姉妹のライブが延期になった」など、話題が入れ代わり立ち代わりしていた。
晩秋とも言える季節になって、幻想郷はやはりせわしなくなっているようだった。
あのおしとやかな赤の葉は、全てを無に帰す寒風によって散っていった。
寒風が山から吹き下ろして、人里に降りていく。寒さに震える時期が確かに来たのだった。
もうそのころには私の習慣は、鴉の観察のため神社に出向くことになっていて、彼女からも「あんた、毎日来るわね」と驚かれていた。
あの鴉を観察することに、何かしらの意義や意味を感じていたのだ。
鴉たちが毛繕いするなり、鳴くなりするのは前と変わらなかったが、神社に居座る時間はどんどん長くなっていった。
もう神社に住めばいいのではないだろうかとも思うけれど、やはり鴉たちは、昼下がりまでは居座って、そのままどこかに行ってしまうのが常なのである。
そうこうしているうちに冬は来るのだ。あの鴉たちはどうするんだろう?
*
冬は馬鹿みたいに雪が降った。
雪が降りすぎて異変ではないかと騒がれたが、河童たちによってこれは強大な寒波とやらの仕業であることが分かり、事なきを得た。
冬は飛ぶこともままならなくなるなるということもあり(決して食欲が旺盛ということではない)、基本的にインドアな生活に終始してしまう。
そういう時に意外と文々。新聞というのは、暇を持て余した時のお供になることが多かった。
相も変わらずこの新聞はあることないこと書いていた。「大雪警戒」やら「雪続く。春雪異変再来か」などと専ら雪の話題が紙面の多くを占めていた。あの異変は春になっても雪が降り続けたという異変らしいし、こんなことを書くと異変の張本人に怒られはしないのだろうか。
そう思った矢先に、文々。新聞の大雪節はぴたりとやんだ。多分大御所様に怒られたのだろう。
それで代わりに紙面を飾ったのはこんな内容だった。
「博麗神社の鴉四羽、消える」
「はあ」と声が出た。何が書いてあるのかその瞬間には理解できなかったのだ。
五回くらい同じ記事をようやく読み返してようやく理解したのは「この豪雪の間に、鴉四羽が消えたということ」
ただそれだけだった。
本当に何もかも理解しがたいのだ。
その記事を見るや否や、晴れの日を見つけて私は博麗神社に向かっていた。
飛べないとなると、博麗神社まではいやに長かったが、そんな物理的距離は気にもならないくらいその鴉のことが気になったのである。
ぜーはー言いながら博麗神社に着いたはいいものの、あれほどまで熱心に観察していた鴉の消失に彼女はさしてショックを受けていなかったようだった。
「あら、早苗どうしたの」なんて言うものだから、拍子抜けである。
「鴉がいなくなったんですか」
「あー、確かにいなくなったわね」
彼女はさして大事のようにはとらえていなかった。
「いいんですか。いなくなっちゃいましたけど」
「いいじゃない。あの鴉たちは好きなように生きてるんだから」
「神社にもう住み着いたものかと」
「鴉は来れば去るもの。出会いがあれば別れがある」
「そんなものですか」
「そんなものよ。幻想郷では常識にとらわれてはいけない」
彼女はピシッと指を私に突きつける。
「それは私の言葉です。なんか違う意味でとらえてません?」
「いいでしょ。減るもんじゃないし」
「結局あの鴉は何だったんでしょうね」
一番聞きたかったことだ。なんとなく彼女が知っている気がしたから、それで彼女が分かる気がしたから。
「早苗はすぐ意味づけようとする」
そう呟く彼女は雪が降る前とは何かが違っていた。何が違うかが分からなかったけれど。
「というと?」
「鴉に意味なんてないのよ。ただあの四羽はここにいたかったからいただけ。それに理由や意味を求めるほうがナンセンス」
「さいですか」
彼女がそう思うならそうなのだろうか。また私の頭の中に新たな疑問符が残った。
「じゃあ霊夢さんがあの鴉たちを観察していたのは?」
「観察とはまた違うような。早苗は自分の飼い猫を観察するの?」
彼女は不思議そうな表情だった。私も多分不思議そうな表情をしていたのだろう。
「しませんね」
「観測とか観察は何か遠いものを理解しようとしてするもの。あの鴉たちは私にとっては観測対象じゃない」
「ペットみたいなものだったんですか」
「鴉がここにやってきて、それを受け入れる。そして鴉は去ってゆく。それだけのこと。」
「なるほど」
分かったような分かっていないような返事をする。
「そんなことより、ちょっとゆっくりしていったら?」
「そうします」
ここでお茶を嗜むのは、雪の前にも後にも変わらなかった。ただ目に焼き付いた四つの影はもうそこにはなかった。
*
あの日、博麗神社に行った以来、雪はぱったりと止んで初春の空気が幻想郷に流れ込んできた。
あの鴉が結局何だったのか、という議論はあの後、少しは耳にすることがあった。
あの鴉は、雪の危機から幻想郷から守ったのだとスピリチュアルに騒いでいる人もいた。鴉なんて鳥類カラス科に過ぎないなんて言っている妖怪もいた。天狗勢にしばかれていたが。
その話題も時の流れに消し去られ、春告げ精が現れ、それで春が来た。
前の年も次の年も、博麗神社に時々出向くことは変わらなかった。
「霊夢さん来ましたよ」といえば、「また来た」と彼女はつぶやく。
彼女といてどれほど経ったかわからないが、この会話の流れは決まっていた。
もう鴉の話を聞くことはなくなった。
時というのは残酷なもので、博麗神社にやってくる妖怪も人も誰もあの鴉の「か」の字も言わなくなったから、鴉のことを覚えているのは私だけなのかもしれないと錯覚するほどだった。
当の彼女といえば、鴉がいなくなろうが、何だろうがノーダメージのようにも見えた。
彼女の生活は決まりきったルーティン通りにまた進行していた。
それをああだこうだ言う資格は私にはない。春が来て私はまたこの神社に時折現れて彼女を観測する。
桜が咲いて、いずれ春風に吹かれて散っていく。
桜吹雪が境内を埋め尽くしていく。
彼女の横顔に咲いては散る花への寂寞を見た。
その表情はあの鴉がいなくなったと聞いて、私がここに来た日の彼女のそれに似ていた。
「霊夢さんって何を考えているんですかね」
本心を彼女にぶつけた。遠い昔に虚空に吐いては消えたあの言葉。
「どうしたのよ急に」
「気になるんですよね。霊夢さんってなんか深遠で高尚なことでも考えてるのかなーって」
「さては早苗。貴様、私が大事にとっておいたせんべい、勝手に食べたな?」
さっき見せた寂寞の表情は、私への懐疑の目に変わる。
「いや、それは知らないです。機嫌取りとかじゃないですよ」
「本当でしょうね」
「本当ですよ。間違えて食べちゃったんじゃないですか?」
「そんなわけあるかい」
また話が変わってゆく。
結局私の疑問は解決することはなかったけれど、それはそれでいいような気がした。
少なくとも今は、いや、これから先もこんな日常が多分心地いいのだろうから。
一生懸命に意味を求めて走り回る早苗のやり取りがいいなと思いました。
面白かったです。
霊夢にとっては早苗もこのカラスと同じような存在なのかと思うと複雑な気持ちになりました
それにしても文の新聞がぼろクソに言われていて面白かったです
「妖とも動物ともつかない」といわれる鴉の姿や生態に関する記述がもう少しあっても風景が想像できてより良いような気が少しだけしました。これはあくまで私の好みですが……。
素敵な作品をありがとうございました。