私は、一つの盆栽に心を奪われていた。
月都万象展。永遠亭で行われる月の物品の展覧会は、毎年多くの来場者数を記録する。この日も会場は大入りだった。しかし、客の大半にとって、展示の目玉は月の技術力を感じることのできる品であった。私の後ろを流れる波は、「見たことが無い美しさだ」といった言葉だけを、博物学的真新しさはあっても技術的新規性は無い盆栽にかけては去ってを繰り返している。
私は後ろの波の邪魔にはならないよう腰を深く落として、その姿勢のまま、金縛りにあったかのように不動で見とれていた。私にとってもこれは見たことの無い木の盆栽だ。だが、その七色に光る、沢山の玉をつけた枝ぶりに、目新しさと同時に懐かしさのような想いを感じていた。
***
私の出身地には、「団子の木」という年中行事があった。
毎年、小正月の時期になると――現代っ子は小正月なんて知らないので、一月の半ばとだけ覚えていた――居間の壁にミズキの大枝を、ヘラジカの頭の剥製のように二本吊るして、紅白の団子や飾りで装飾した。
飾り付けは子供も行った。枝を切って吊るすのは祖父が、団子を作るのは祖母が行うから、子供が手伝うことができるのは飾り付けだけだったとも言う。
我が家の場合、飾り付けとは紐で括った古銭だった。江戸時代頃の穴開きの銅貨は直接紐で括り、型落ちした古の紙幣はカードスリーブのような透明な覆いに入れて吊るした。現代円に換算すればささやかなものとはいえ、お金そのもので飾るのだから、木に込められた願いは随分と俗物的なものだと、子供心に苦笑した。
この風習を通して知った豆知識なのだが、昭和二十年に発行された紙幣には裏面が無い。太平洋戦争末期で物資欠乏に喘ぐ中、裏側を白紙としたのである。国語だったか歴史だったかの授業でその話題になり、家にあると言ったら、次の日学校に教材として持って行くこととなった。我が家以外にその時代の紙幣を置いている家庭は、同学年にはいなかった。他の家では団子の木の飾り付けに古銭を用いないのか、それとも団子の木という慣習自体が存在しなかったのか。今となっては謎のままだが、もし後者なのであれば、私は一つの文化が死ぬ瞬間を看取った人だったのかもしれない。
ああ、古銭以外にめんこも飾り付けに使っていた。本の知識で、叩きつけて用いる遊び道具ということは知っていたが、現代っ子にはめんこで遊ぶ相手などいない。そういうわけで、紙幣ほど丁寧には扱われず、直接紐を通す用の穴を開けられ、飾り物として老後の人生(?)を、このめんこ達は送っていた。個人的な好みとしては、大体大正時代から昭和の初期頃に作られためんこが好きだった。明治時代のめんこは白黒に近くて地味であり、逆に戦後のめんこは新し過ぎてありがたみがない。旧字体とカタカナで装飾された、古い絵本の挿絵調の絵柄が、高々十歳程度の子供の内心に潜む虚構のノスタルジーを刺激するのである。しかし、古銭と違って、何を願ってめんこを飾るのか、その意図はさっぱり分からなかった。
飾りを使うのは一年を通して精々半月程で、使わない時は白い紙箱に入れてあった。定期的に倉庫から引き出して開けているので、古いもの特有のカビ臭さはあまり無い。それでも、博物館の秘蔵展示品を見るかのようなワクワク感を、飾りを取り出すたびに覚えたものである。
団子の木の片付け方は家によってまちまちなようだが、我が家では半月程放置していた。冬の乾燥した空気に団子の水分は奪われてゆき、そのうちひび割れが弾けるようにして床に落ちる。そう、この紛い物の木は、紛い物であるにも関わらず、一丁前に落果という果樹特有の現象を再現してみせるのである。
子供達は畳に落ちた団子の欠片を拾ってはどんぶりに入れる。どんぶりが一杯になると、祖母がそれを砂糖醤油で煮込んでおかきにしてくれた。なかなかどうして美味しいおやつに化けるのだが、一つ気をつけなければならない点があった。このおかきを急いで食べてはいけない。団子は落ちるときに、木の芽を道連れにすることがしばしばある。加工する際に木の部分だけ取り除くなどという手間のかかることをしてはくれないので、慌てて食べると、木が入ったおかきを引き当てて、苦い思いをしなければいけなくなるのである。
今年もたくさんおかきが食べられますように。お金を飾る俗物さを軽く冷笑していた子供が団子の木に込めた願いは、お金以上に俗物的なものだった。
***
「綺麗な盆栽でしょう?」
盆栽に見とれていると、突然、後ろから話しかけられた。驚いて振り返ると、いかにもお姫様という雰囲気の女性が佇んでいた。彼女がこの盆栽の持ち主なのだと直感した。
「ええ、とても。これは月の植物なのですか?」
「そうよ。優曇華と言うの。月では開花しないのだけれど、地上の穢れを吸収したことで開花したのよ」
私はこの七色の玉を果実だと思っていたが、実際には花だった。月では地上の常識は通用しないのだろう。
「それにしても、随分と熱心に眺めていたわね。まだお若いようだけれど、盆栽が趣味なのかしら?」
「いえ、そういう訳ではないのですが、この木を見ていたら懐かしさのようなものを覚えまして」
「へー。地上にもこういう木はあるのね。またお忍びで出かけて探しに行こうかしら」
「あ、いや、私が見たのは模造品で……」
私は彼女に、団子の木の逸話と、私が神隠しに遭ってつい最近ここに来た、いわゆる外来人だ、ということを伝えた。
「紅白二色の模造品。本物の優曇華に比べて、二割八分六厘にも満たない紛い物ね。それを思えば、車持皇子は結構頑張った方なのかしら」
「でも団子の木は、模造品ながら木の実が落ちる現象を再現するんですよ」
「そういう遊び心は、地上に一日の長があるわよねえ」
盆栽の持ち主との思わぬ歓談に花を咲かせながら、時折彼女がどこかで聞き覚えのあるフレーズを口にするのが気になった。車持皇子、誰だったか……。
「楽しかったわ。またどこかで話をする機会があると良いわね」
「そうですね。失礼でなければお名前をお聞きしても……」
「そういえば貴方の名前は団子の木の説明で聞いていたけれど、私は名乗っていなかったわね。私は蓬莱山輝夜よ。以後お見知り置きを」
別れ際に名前を聞き、パーツが繋がった。彼女は輝夜、音の響きからして、かぐや姫なのだろう。流石は幻想郷、おとぎ話の世界だ。車持皇子も竹取物語の登場人物だ。学校の古文の授業で習ったなあ。とすれば、優曇華の木とは、蓬萊の玉の枝のことなのか。
優曇華の木を見たことで、私は俄然団子の木を幻想郷に作りたくなった。かぐや姫への求婚の為ではない。自分の為にである。思えば我が家の天井は余りにも殺風景過ぎた。庶民の長屋の天井などそういうものだと言ってしまえばそれまでだが、せめて小正月にくらい、装飾された枝が飾られていて然るべきではなかろうか。
しかし、私にはそんな一ヶ月後の未来の問題よりも先に解決すべき問題があることを程なくして思い知らされた。どうも優曇華の盆栽で時間を使いすぎてしまったらしく、万象展から出る頃にはすっかり日も落ちてしまっていたのである。
東の空に月が登り始めていた。今日は満月のようだが、「月がきれいですね」などと暢気に呟いている場合ではない。花より団子。今日の夕食をどうにかしなければならない。
***
私は一人寂しく、商品の団子を頬張っていた。
数年前、私は月での抑圧的な生活に耐えかねて、地上侵略のゴタゴタを縫って相方の鈴瑚と一緒に逃亡を決断した。
地上への亡命は成功した。月の都は戦後処理に追われて兎二羽如きに構っている余裕は無かったし、向こうの情勢が落ち着いてからも割に合わないと判断されたのか、追手が派遣されることはなかった。
実際、亡命自体が成功することは分かっていた。前例があったのだ。「レイセン」は私なんかよりよっぽど優秀で、月にとって必要な玉兎だったが、地上に逃げた彼女に対して、私達は帰還の要望を出すことはあっても命令を下すことはなかった。ましてくじ引きでイーグルラヴィの鉄砲玉になった程度の実力の私など、MIA(作戦中行方不明)の扱いで、書類上で死亡宣告を下してしまうのが一番合理的だ。月の都とは、そういう世界なのだ。
だが、折角得た自由に対して、私は窮屈さを覚えていた。何をすべきか指図されないということは、私にとってはレール無しでトロッコを走らせるようなものだった。地上人はミスをしても許してくれたが、他ならぬ私自身が自分のミスを許せないということが可視化されて、苛立ちを募らせた。
同志の鈴瑚は上手くやっているようだった。そもそも彼女は私よりよっぽど要領が良いし、団子があればあるだけ幸せという奴なので、地上で団子屋をするという一番の近道が天職になっていた。
一方、私はそこまで団子が好きではないのかもしれない。今も、一口目の団子を一分近く咀嚼し続けている。いや、好きではなくなった、という言い方が正しいのだろうか。ここ半年で、団子が喉を通らなくなってきた。
日も落ちて、月が見えるようになった。今日は今年最後の満月だった。イーグルラヴィでの奴隷のような日々に戻りたいとは思わないが、故郷だけ向こうにあって、そしてそこに自由に行き来ができれば良いのに。
***
二十代後半から三十代前半くらいの男が、団子を買いに来た。今日は店じまいをする気力も湧かなかったので惰性で屋台を構え続けていたのだが、まさか夜になってから団子を買いに来る人間がいるとは思わなかった。
「ああ良かった。まだやっていたか」
こんな時間になるまで団子を買いに行けなかったのだから、この男の昼間はさぞかし忙しかったのだろう。ただ、昼間働き詰めの人間らしくなく、その目には生気が宿っていた。私には、それが少し妬ましかった。
「いらっしゃい。夜食かしら?」
「いやあ、ちょっと出先で長居しすぎて夕食を食べそこねてたんだよ。できれば団子が食べたい気分だったから助かった」
いくら夜とはいえ、居酒屋や蕎麦屋なら普通に空いている時間帯だ。先程まで団子を頬張っていた自分が言うのもなんだが、変な人だなと思った。その発言が嘘ではない証拠に、彼は夜食にするには多すぎる量の団子を買っていった。
目の気力だけは忘れがたいが、他に外見上特筆すべきことのない没個性な人間。それが彼に対する私の正直な感想だった。ましてたった一回、団子を買いに来た程度の人間の顔を覚えられる程私の記憶力は良くない。出会いがこうも変でなければ直ぐに忘れてしまっていただろう。しかし、出会いがかくも不思議だったおかげで、次に彼に会ったときは、直ぐに「ああ、あのときの」と気がつくことができた。
彼との再開は、一週間後のことだった。今度の彼は常識的な時間に来て、そして残念なことに常識的な時間でも私の屋台に行列ができることは無かったので、彼とそれなりに長話をすることになった。
「団子を買うついでに、君に一つ相談がある。団子の予約はやっているだろうか?」
また変なことを言い始めた。もしかしたら、彼は鈴瑚に匹敵する団子マニアなのかもしれないとそのときは思った。
「まあ、受け取り日時さえ指定して貰えれば作り置きはできます。味の希望は?」
「ああ、いや、味付けはいらない。むしろ面倒でなければ砂糖も抜いて、白玉粉に色をつけてそのまま丸めたようなものの方が有り難い。飾りに使うんだ」
装飾に団子を使う? 地上に逃げてから数年経つが、そんな文化があるとは、聞いたことがない。
「はあ、作れはしますが……。あっ、すみません。聞いたこともない話なので戸惑ってしまって」
「だろうね。一応僕の出自を話しておいた方がいいか……」
彼は外来人だった。外来人、つまり地上の結界の外側からやって来る人の話は私も聞いたことがある。サグメ様の遷都計画で利用した人間も外来人ということは、玉兎の中では常識となっている。ただ、サグメ様が利用した人間の方が例外で、普通の人間は、本人が意図しない形で幻想郷に入るらしい。彼もそうした「普通の」外来人の一人なのだそうだ。
「奇遇ですね。私も幻想郷の外から来たのですよ」
男は、「はて、外の世界にこんな兎耳の人間はいたかな?」と不思議がっていた。
「外の世界じゃなくて、月からです」
「そういうことでしたか。少し前に月の姫にはお会いしましたよ」
八意様と亡命した月の罪人のことだろうか。長らく隠れていたはずだが、もう普通に幻想郷の人達と交流をもつくらいに開放的になったのか。
それにしてもこの男、事故のような形で幻想郷に来たにしては楽観的に過ぎるように思えた。
「つかぬことをお聞きしますが、元いた世界に戻りたいと思うことってありますか?」
「そもそも戻りたいと思っても戻る手段がないからね。ま、住めば都というか、ここは贔屓抜きに居心地の良い場所だ。それでも望郷の念は皆無ではないから、こうして元いた世界の文化の方をこっちに持ってこようとしている」
「それが帰郷の代わりになるのですか」
「月の兎として地上でも団子を搗いている君になら、分かってもらえると思っていたが」
「いやあ、これは他に食っていく手段が無かったからで……」
杵を見つめながら私は考えていた。男への返答は紛れもなく真実だ。月の兎としてのアイデンティティ確保という目的は団子屋にはない。しかし、男が指摘するように、私が今手に持っている杵は、月と私とを繋ぐ紐帯となっている。そしてそれは、今や唯一の接点なのだ。
「残念ながら私は、地上の兎になったのよ」
「鈴仙」は月との繋がりを完全に断っていた。私も彼女のように、地上に亡命したら自動的に月との縁は切れるものと思い込んでいた。だが、実際は繋がりは切れず、他ならぬ私自身がその繋がりにしがみつき、あわよくば伝って戻ろうとすらしている節もある。
「……。いえ、貴方がやろうとしていることは、一羽の月の兎として共感できますね」
私は、地上の兎にはなれそうにもないが、月の兎として地上で生きることをアイデンティティとすることはできるのかもしれない。この男が、誇りを持って、自身を外来人と言うように。
「ぜひ協力させてください。……ですが、」
「ですが?」
「飾りの色が赤白の二つしかないと言うのは、いささか地味だとは思いませんか?」
***
小正月の数日前。私は団子の木の飾り付けで悩んでいた。
私の知っている団子の木の飾りで主に使っていたのは古銭とめんこだった。しかし、外の世界での古銭はこちらでは現役の通貨だから、それを飾り付けに使うというのは気が引ける。めんこも同様で、幻想郷ではめんこ遊びはメジャーであり、穴を開けて飾りとするのは、仮にも教育者の端くれとしてどうなのかとなる。
なので私は教員特権を発動することにした。今年は偶然小正月とその前日が寺子屋が休みだったので、暇している子供達を家に招いて、飾り付けの作成を手伝ってもらったのである。
私が材料として折り紙を用意していたこともあり、飾りは紙で作ることができる七夕飾りに近くなった。紙を短冊の形に切って、個人的な願い事を書く子供も現れて、益々七夕である。一方小正月という行事を考慮して、家から藁を持ってきて、正月飾りのような輪の飾りを作る子供もいた。
気が早いが枝を吊るして飾りだけ先につけてしまうことにした。実家に比べて今の長屋は狭いので、ヘラジカの角が二本とまではできず、ニホンジカ大の枝だが、それでも中々天井は賑やかになった。子供達も大喜びである。
翌日、約束通り清蘭屋は団子を作ってくれていた。その代償に、私のよく知る赤白ではなく七色に色数が増えていたが、七色は七色で縁起が良いので良しとした。多分七色の団子を飾る家は外の世界にもあっただろう。それに、この団子の木に故郷への想いを乗せているのは、もはや私一人ではないのだ。
「よかったら団子の木を見に行きませんか?」
彼女は嬉しそうに頷いた。
家に帰ると、子供達は先に来ていた。私が団子を取りに行っていることは知っていたが、まさか団子屋の店主までついてくるとは予想していなかったらしい。年頃の子は、「もしかして先生の彼女?」と聞いてきて、店主は「そんなんじゃないから!」と顔を真っ赤にして否定している。恋人関係に見える程、二人の見た目年齢は近いか? 当の本人たる私はピンときていない。
それはさておき、団子のおかげで枝は一層賑やかになった。縁起物に相応しい。
子供達は完成品を少し見て満足したのか飽きたのか、遊びに出ていき、私と清蘭屋の店主だけが後に残った。
「なんというか、ごちゃまぜね」
彼女は子供達がいなくなって気を遣う必要がなくなったと感じたのか、歯に衣着せぬ感想を述べた。口調も最初に会った頃に比べて、随分と砕けている。
「そうですね。本来はもうちょっと整然とした飾り付けだと思うのですが」
否定はできないな、と私は苦笑した。
「いや、飾り付けの種類がどうこうというよりは、枝を飾るという行為そのものが、かな?」
「月の世界は簡素な世界なのでしょうか?」
こちらの、おとぎ話の月がどのような世界なのかは私には全く分からない。ただ、自分が月に持つイメージからは賑やかな世界だとは思えず、仙界にも似た静かな世界という方がそれらしい気がした。しかし、この問いに対して彼女は首を横に振った。
「いや、月の世界はこっちよりもむしろ都会。ただなんというか、月の方が整然としているのよね。上手く言葉にはできないけれど」
その言葉に出来ない地上世界への違和感こそが彼女を構成する要素の一つなのだろう。だからこそ、彼女は「月の兎」として団子屋をしているのだろうと、私には思えた。
「それはそれとしてこれが地上の美なのですよ」
「確かに悪く無いわね。優曇華の花を思い出す」
「貴方も見たことがあるのですか?」
「ほんの数回だけどね。あれは穢れが無いと咲かないから、月における優曇華の花は、月の人々が嫌う穢れが異常に増えた凶兆なの。それでも私は花を美しいと思った」
彼女の目は、懐かしさに少し潤んでいるように見えた。
***
あれから一ヶ月経ち、団子は粗方落果し終えた。団子の木が出来たときは内心で「やっぱり七夕の要素混じっているよな……」とか、「流石に外の世界での風習をそのまま導入するのは無理か……」とか思っていた面も正直あったが、一ヶ月も経つと違和感も薄れて団子の木として見慣れた姿と本心から思えるようになったし、毎日少しずつ、団子が爆ぜるような音を出して落ちていくのを眺めては、「そうそうこれが見たかったんだ」と呟いていた。
私は落ちた団子をまとめておかきにした。個人的には酒のつまみにする予定だったので塩味にしようかとも思ったが、それで上手くいくのか前例がなく分からなかったのと、子供達にも配るしなということで、外の世界と同様に、砂糖醤油にした。
実家よりも枝が小さいのに分配する人は多いが、一人あたり小袋入りの菓子くらいの分量は確保できた。和紙で包んで学校に持っていき、別の小袋を清蘭屋に持っていった。
「これは?」
「団子の木の実が落ちたので、おかきにしました」
「ああ、花が散ったのね。地上は必ず終わりが来るから寂しいわね」
「個人的にはいよいよ始まる、という気分ですけどね。年始めの行事ですし」
「地上で生きるのなら、貴方みたいに変化を前向きに受け入れるべきなのかなあ。団子買ってく?」
「じゃあ二本」
***
私は家に帰り、団子と残りのおかきで一杯やることにした。
枝も片付けたから、天井はまた飾りっ気の無い単調なものに戻ったが、正月気分も抜けて、節分すらも超えた精神には、それこそがあるべき姿に思えた。多分年末にはまた枝が生えていて然るべきという気分が復活して、また飾りつけを行うことになるだろうが。
大人になってからも、結局団子の木の謂れも、飾りの目的も分からずじまいだった。おかきをたくさん食べるのではなく、みんなに分けるということを覚えたあたりが大人への成長部分だが、そうした俗物的な願いすらも込めなくなったという意味では、信仰の退化なのかもしれない。
私は清酒の瓶を取り出した。そこまで高価なものではない。高級酒は手が出せない。少なくとも、団子の木に古銭を吊るすというのは金運を願っているのだろうが、実家も、私自身も、お金にはとんと縁のない人生だったなと思った。私に関してはそもそも団子の木を通して金運を願う気すらないのでまあ当然として、私の親・祖父母世代の行う団子の木でも、結局金運はそう真面目に願ってはいなかったのだろう。別に願えば叶うということを無邪気に信じるほど私は信心深くはないが、本気で願っていたが叶わなかったというよりはすっきりする。それに、特に深い意味も込めず、「なんとなくやっておかないと落ち着かない」という曖昧な感情こそが、私の代まで風習が遺り、こうして幻想郷の地で復活するに至った一番な理由のように思えるのだ。
酒を口に含んでおかきを一欠片手に取る。中に入っているかもしれない枝を噛まないように、私はそれをゆっくりと頬張った。
月都万象展。永遠亭で行われる月の物品の展覧会は、毎年多くの来場者数を記録する。この日も会場は大入りだった。しかし、客の大半にとって、展示の目玉は月の技術力を感じることのできる品であった。私の後ろを流れる波は、「見たことが無い美しさだ」といった言葉だけを、博物学的真新しさはあっても技術的新規性は無い盆栽にかけては去ってを繰り返している。
私は後ろの波の邪魔にはならないよう腰を深く落として、その姿勢のまま、金縛りにあったかのように不動で見とれていた。私にとってもこれは見たことの無い木の盆栽だ。だが、その七色に光る、沢山の玉をつけた枝ぶりに、目新しさと同時に懐かしさのような想いを感じていた。
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私の出身地には、「団子の木」という年中行事があった。
毎年、小正月の時期になると――現代っ子は小正月なんて知らないので、一月の半ばとだけ覚えていた――居間の壁にミズキの大枝を、ヘラジカの頭の剥製のように二本吊るして、紅白の団子や飾りで装飾した。
飾り付けは子供も行った。枝を切って吊るすのは祖父が、団子を作るのは祖母が行うから、子供が手伝うことができるのは飾り付けだけだったとも言う。
我が家の場合、飾り付けとは紐で括った古銭だった。江戸時代頃の穴開きの銅貨は直接紐で括り、型落ちした古の紙幣はカードスリーブのような透明な覆いに入れて吊るした。現代円に換算すればささやかなものとはいえ、お金そのもので飾るのだから、木に込められた願いは随分と俗物的なものだと、子供心に苦笑した。
この風習を通して知った豆知識なのだが、昭和二十年に発行された紙幣には裏面が無い。太平洋戦争末期で物資欠乏に喘ぐ中、裏側を白紙としたのである。国語だったか歴史だったかの授業でその話題になり、家にあると言ったら、次の日学校に教材として持って行くこととなった。我が家以外にその時代の紙幣を置いている家庭は、同学年にはいなかった。他の家では団子の木の飾り付けに古銭を用いないのか、それとも団子の木という慣習自体が存在しなかったのか。今となっては謎のままだが、もし後者なのであれば、私は一つの文化が死ぬ瞬間を看取った人だったのかもしれない。
ああ、古銭以外にめんこも飾り付けに使っていた。本の知識で、叩きつけて用いる遊び道具ということは知っていたが、現代っ子にはめんこで遊ぶ相手などいない。そういうわけで、紙幣ほど丁寧には扱われず、直接紐を通す用の穴を開けられ、飾り物として老後の人生(?)を、このめんこ達は送っていた。個人的な好みとしては、大体大正時代から昭和の初期頃に作られためんこが好きだった。明治時代のめんこは白黒に近くて地味であり、逆に戦後のめんこは新し過ぎてありがたみがない。旧字体とカタカナで装飾された、古い絵本の挿絵調の絵柄が、高々十歳程度の子供の内心に潜む虚構のノスタルジーを刺激するのである。しかし、古銭と違って、何を願ってめんこを飾るのか、その意図はさっぱり分からなかった。
飾りを使うのは一年を通して精々半月程で、使わない時は白い紙箱に入れてあった。定期的に倉庫から引き出して開けているので、古いもの特有のカビ臭さはあまり無い。それでも、博物館の秘蔵展示品を見るかのようなワクワク感を、飾りを取り出すたびに覚えたものである。
団子の木の片付け方は家によってまちまちなようだが、我が家では半月程放置していた。冬の乾燥した空気に団子の水分は奪われてゆき、そのうちひび割れが弾けるようにして床に落ちる。そう、この紛い物の木は、紛い物であるにも関わらず、一丁前に落果という果樹特有の現象を再現してみせるのである。
子供達は畳に落ちた団子の欠片を拾ってはどんぶりに入れる。どんぶりが一杯になると、祖母がそれを砂糖醤油で煮込んでおかきにしてくれた。なかなかどうして美味しいおやつに化けるのだが、一つ気をつけなければならない点があった。このおかきを急いで食べてはいけない。団子は落ちるときに、木の芽を道連れにすることがしばしばある。加工する際に木の部分だけ取り除くなどという手間のかかることをしてはくれないので、慌てて食べると、木が入ったおかきを引き当てて、苦い思いをしなければいけなくなるのである。
今年もたくさんおかきが食べられますように。お金を飾る俗物さを軽く冷笑していた子供が団子の木に込めた願いは、お金以上に俗物的なものだった。
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「綺麗な盆栽でしょう?」
盆栽に見とれていると、突然、後ろから話しかけられた。驚いて振り返ると、いかにもお姫様という雰囲気の女性が佇んでいた。彼女がこの盆栽の持ち主なのだと直感した。
「ええ、とても。これは月の植物なのですか?」
「そうよ。優曇華と言うの。月では開花しないのだけれど、地上の穢れを吸収したことで開花したのよ」
私はこの七色の玉を果実だと思っていたが、実際には花だった。月では地上の常識は通用しないのだろう。
「それにしても、随分と熱心に眺めていたわね。まだお若いようだけれど、盆栽が趣味なのかしら?」
「いえ、そういう訳ではないのですが、この木を見ていたら懐かしさのようなものを覚えまして」
「へー。地上にもこういう木はあるのね。またお忍びで出かけて探しに行こうかしら」
「あ、いや、私が見たのは模造品で……」
私は彼女に、団子の木の逸話と、私が神隠しに遭ってつい最近ここに来た、いわゆる外来人だ、ということを伝えた。
「紅白二色の模造品。本物の優曇華に比べて、二割八分六厘にも満たない紛い物ね。それを思えば、車持皇子は結構頑張った方なのかしら」
「でも団子の木は、模造品ながら木の実が落ちる現象を再現するんですよ」
「そういう遊び心は、地上に一日の長があるわよねえ」
盆栽の持ち主との思わぬ歓談に花を咲かせながら、時折彼女がどこかで聞き覚えのあるフレーズを口にするのが気になった。車持皇子、誰だったか……。
「楽しかったわ。またどこかで話をする機会があると良いわね」
「そうですね。失礼でなければお名前をお聞きしても……」
「そういえば貴方の名前は団子の木の説明で聞いていたけれど、私は名乗っていなかったわね。私は蓬莱山輝夜よ。以後お見知り置きを」
別れ際に名前を聞き、パーツが繋がった。彼女は輝夜、音の響きからして、かぐや姫なのだろう。流石は幻想郷、おとぎ話の世界だ。車持皇子も竹取物語の登場人物だ。学校の古文の授業で習ったなあ。とすれば、優曇華の木とは、蓬萊の玉の枝のことなのか。
優曇華の木を見たことで、私は俄然団子の木を幻想郷に作りたくなった。かぐや姫への求婚の為ではない。自分の為にである。思えば我が家の天井は余りにも殺風景過ぎた。庶民の長屋の天井などそういうものだと言ってしまえばそれまでだが、せめて小正月にくらい、装飾された枝が飾られていて然るべきではなかろうか。
しかし、私にはそんな一ヶ月後の未来の問題よりも先に解決すべき問題があることを程なくして思い知らされた。どうも優曇華の盆栽で時間を使いすぎてしまったらしく、万象展から出る頃にはすっかり日も落ちてしまっていたのである。
東の空に月が登り始めていた。今日は満月のようだが、「月がきれいですね」などと暢気に呟いている場合ではない。花より団子。今日の夕食をどうにかしなければならない。
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私は一人寂しく、商品の団子を頬張っていた。
数年前、私は月での抑圧的な生活に耐えかねて、地上侵略のゴタゴタを縫って相方の鈴瑚と一緒に逃亡を決断した。
地上への亡命は成功した。月の都は戦後処理に追われて兎二羽如きに構っている余裕は無かったし、向こうの情勢が落ち着いてからも割に合わないと判断されたのか、追手が派遣されることはなかった。
実際、亡命自体が成功することは分かっていた。前例があったのだ。「レイセン」は私なんかよりよっぽど優秀で、月にとって必要な玉兎だったが、地上に逃げた彼女に対して、私達は帰還の要望を出すことはあっても命令を下すことはなかった。ましてくじ引きでイーグルラヴィの鉄砲玉になった程度の実力の私など、MIA(作戦中行方不明)の扱いで、書類上で死亡宣告を下してしまうのが一番合理的だ。月の都とは、そういう世界なのだ。
だが、折角得た自由に対して、私は窮屈さを覚えていた。何をすべきか指図されないということは、私にとってはレール無しでトロッコを走らせるようなものだった。地上人はミスをしても許してくれたが、他ならぬ私自身が自分のミスを許せないということが可視化されて、苛立ちを募らせた。
同志の鈴瑚は上手くやっているようだった。そもそも彼女は私よりよっぽど要領が良いし、団子があればあるだけ幸せという奴なので、地上で団子屋をするという一番の近道が天職になっていた。
一方、私はそこまで団子が好きではないのかもしれない。今も、一口目の団子を一分近く咀嚼し続けている。いや、好きではなくなった、という言い方が正しいのだろうか。ここ半年で、団子が喉を通らなくなってきた。
日も落ちて、月が見えるようになった。今日は今年最後の満月だった。イーグルラヴィでの奴隷のような日々に戻りたいとは思わないが、故郷だけ向こうにあって、そしてそこに自由に行き来ができれば良いのに。
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二十代後半から三十代前半くらいの男が、団子を買いに来た。今日は店じまいをする気力も湧かなかったので惰性で屋台を構え続けていたのだが、まさか夜になってから団子を買いに来る人間がいるとは思わなかった。
「ああ良かった。まだやっていたか」
こんな時間になるまで団子を買いに行けなかったのだから、この男の昼間はさぞかし忙しかったのだろう。ただ、昼間働き詰めの人間らしくなく、その目には生気が宿っていた。私には、それが少し妬ましかった。
「いらっしゃい。夜食かしら?」
「いやあ、ちょっと出先で長居しすぎて夕食を食べそこねてたんだよ。できれば団子が食べたい気分だったから助かった」
いくら夜とはいえ、居酒屋や蕎麦屋なら普通に空いている時間帯だ。先程まで団子を頬張っていた自分が言うのもなんだが、変な人だなと思った。その発言が嘘ではない証拠に、彼は夜食にするには多すぎる量の団子を買っていった。
目の気力だけは忘れがたいが、他に外見上特筆すべきことのない没個性な人間。それが彼に対する私の正直な感想だった。ましてたった一回、団子を買いに来た程度の人間の顔を覚えられる程私の記憶力は良くない。出会いがこうも変でなければ直ぐに忘れてしまっていただろう。しかし、出会いがかくも不思議だったおかげで、次に彼に会ったときは、直ぐに「ああ、あのときの」と気がつくことができた。
彼との再開は、一週間後のことだった。今度の彼は常識的な時間に来て、そして残念なことに常識的な時間でも私の屋台に行列ができることは無かったので、彼とそれなりに長話をすることになった。
「団子を買うついでに、君に一つ相談がある。団子の予約はやっているだろうか?」
また変なことを言い始めた。もしかしたら、彼は鈴瑚に匹敵する団子マニアなのかもしれないとそのときは思った。
「まあ、受け取り日時さえ指定して貰えれば作り置きはできます。味の希望は?」
「ああ、いや、味付けはいらない。むしろ面倒でなければ砂糖も抜いて、白玉粉に色をつけてそのまま丸めたようなものの方が有り難い。飾りに使うんだ」
装飾に団子を使う? 地上に逃げてから数年経つが、そんな文化があるとは、聞いたことがない。
「はあ、作れはしますが……。あっ、すみません。聞いたこともない話なので戸惑ってしまって」
「だろうね。一応僕の出自を話しておいた方がいいか……」
彼は外来人だった。外来人、つまり地上の結界の外側からやって来る人の話は私も聞いたことがある。サグメ様の遷都計画で利用した人間も外来人ということは、玉兎の中では常識となっている。ただ、サグメ様が利用した人間の方が例外で、普通の人間は、本人が意図しない形で幻想郷に入るらしい。彼もそうした「普通の」外来人の一人なのだそうだ。
「奇遇ですね。私も幻想郷の外から来たのですよ」
男は、「はて、外の世界にこんな兎耳の人間はいたかな?」と不思議がっていた。
「外の世界じゃなくて、月からです」
「そういうことでしたか。少し前に月の姫にはお会いしましたよ」
八意様と亡命した月の罪人のことだろうか。長らく隠れていたはずだが、もう普通に幻想郷の人達と交流をもつくらいに開放的になったのか。
それにしてもこの男、事故のような形で幻想郷に来たにしては楽観的に過ぎるように思えた。
「つかぬことをお聞きしますが、元いた世界に戻りたいと思うことってありますか?」
「そもそも戻りたいと思っても戻る手段がないからね。ま、住めば都というか、ここは贔屓抜きに居心地の良い場所だ。それでも望郷の念は皆無ではないから、こうして元いた世界の文化の方をこっちに持ってこようとしている」
「それが帰郷の代わりになるのですか」
「月の兎として地上でも団子を搗いている君になら、分かってもらえると思っていたが」
「いやあ、これは他に食っていく手段が無かったからで……」
杵を見つめながら私は考えていた。男への返答は紛れもなく真実だ。月の兎としてのアイデンティティ確保という目的は団子屋にはない。しかし、男が指摘するように、私が今手に持っている杵は、月と私とを繋ぐ紐帯となっている。そしてそれは、今や唯一の接点なのだ。
「残念ながら私は、地上の兎になったのよ」
「鈴仙」は月との繋がりを完全に断っていた。私も彼女のように、地上に亡命したら自動的に月との縁は切れるものと思い込んでいた。だが、実際は繋がりは切れず、他ならぬ私自身がその繋がりにしがみつき、あわよくば伝って戻ろうとすらしている節もある。
「……。いえ、貴方がやろうとしていることは、一羽の月の兎として共感できますね」
私は、地上の兎にはなれそうにもないが、月の兎として地上で生きることをアイデンティティとすることはできるのかもしれない。この男が、誇りを持って、自身を外来人と言うように。
「ぜひ協力させてください。……ですが、」
「ですが?」
「飾りの色が赤白の二つしかないと言うのは、いささか地味だとは思いませんか?」
***
小正月の数日前。私は団子の木の飾り付けで悩んでいた。
私の知っている団子の木の飾りで主に使っていたのは古銭とめんこだった。しかし、外の世界での古銭はこちらでは現役の通貨だから、それを飾り付けに使うというのは気が引ける。めんこも同様で、幻想郷ではめんこ遊びはメジャーであり、穴を開けて飾りとするのは、仮にも教育者の端くれとしてどうなのかとなる。
なので私は教員特権を発動することにした。今年は偶然小正月とその前日が寺子屋が休みだったので、暇している子供達を家に招いて、飾り付けの作成を手伝ってもらったのである。
私が材料として折り紙を用意していたこともあり、飾りは紙で作ることができる七夕飾りに近くなった。紙を短冊の形に切って、個人的な願い事を書く子供も現れて、益々七夕である。一方小正月という行事を考慮して、家から藁を持ってきて、正月飾りのような輪の飾りを作る子供もいた。
気が早いが枝を吊るして飾りだけ先につけてしまうことにした。実家に比べて今の長屋は狭いので、ヘラジカの角が二本とまではできず、ニホンジカ大の枝だが、それでも中々天井は賑やかになった。子供達も大喜びである。
翌日、約束通り清蘭屋は団子を作ってくれていた。その代償に、私のよく知る赤白ではなく七色に色数が増えていたが、七色は七色で縁起が良いので良しとした。多分七色の団子を飾る家は外の世界にもあっただろう。それに、この団子の木に故郷への想いを乗せているのは、もはや私一人ではないのだ。
「よかったら団子の木を見に行きませんか?」
彼女は嬉しそうに頷いた。
家に帰ると、子供達は先に来ていた。私が団子を取りに行っていることは知っていたが、まさか団子屋の店主までついてくるとは予想していなかったらしい。年頃の子は、「もしかして先生の彼女?」と聞いてきて、店主は「そんなんじゃないから!」と顔を真っ赤にして否定している。恋人関係に見える程、二人の見た目年齢は近いか? 当の本人たる私はピンときていない。
それはさておき、団子のおかげで枝は一層賑やかになった。縁起物に相応しい。
子供達は完成品を少し見て満足したのか飽きたのか、遊びに出ていき、私と清蘭屋の店主だけが後に残った。
「なんというか、ごちゃまぜね」
彼女は子供達がいなくなって気を遣う必要がなくなったと感じたのか、歯に衣着せぬ感想を述べた。口調も最初に会った頃に比べて、随分と砕けている。
「そうですね。本来はもうちょっと整然とした飾り付けだと思うのですが」
否定はできないな、と私は苦笑した。
「いや、飾り付けの種類がどうこうというよりは、枝を飾るという行為そのものが、かな?」
「月の世界は簡素な世界なのでしょうか?」
こちらの、おとぎ話の月がどのような世界なのかは私には全く分からない。ただ、自分が月に持つイメージからは賑やかな世界だとは思えず、仙界にも似た静かな世界という方がそれらしい気がした。しかし、この問いに対して彼女は首を横に振った。
「いや、月の世界はこっちよりもむしろ都会。ただなんというか、月の方が整然としているのよね。上手く言葉にはできないけれど」
その言葉に出来ない地上世界への違和感こそが彼女を構成する要素の一つなのだろう。だからこそ、彼女は「月の兎」として団子屋をしているのだろうと、私には思えた。
「それはそれとしてこれが地上の美なのですよ」
「確かに悪く無いわね。優曇華の花を思い出す」
「貴方も見たことがあるのですか?」
「ほんの数回だけどね。あれは穢れが無いと咲かないから、月における優曇華の花は、月の人々が嫌う穢れが異常に増えた凶兆なの。それでも私は花を美しいと思った」
彼女の目は、懐かしさに少し潤んでいるように見えた。
***
あれから一ヶ月経ち、団子は粗方落果し終えた。団子の木が出来たときは内心で「やっぱり七夕の要素混じっているよな……」とか、「流石に外の世界での風習をそのまま導入するのは無理か……」とか思っていた面も正直あったが、一ヶ月も経つと違和感も薄れて団子の木として見慣れた姿と本心から思えるようになったし、毎日少しずつ、団子が爆ぜるような音を出して落ちていくのを眺めては、「そうそうこれが見たかったんだ」と呟いていた。
私は落ちた団子をまとめておかきにした。個人的には酒のつまみにする予定だったので塩味にしようかとも思ったが、それで上手くいくのか前例がなく分からなかったのと、子供達にも配るしなということで、外の世界と同様に、砂糖醤油にした。
実家よりも枝が小さいのに分配する人は多いが、一人あたり小袋入りの菓子くらいの分量は確保できた。和紙で包んで学校に持っていき、別の小袋を清蘭屋に持っていった。
「これは?」
「団子の木の実が落ちたので、おかきにしました」
「ああ、花が散ったのね。地上は必ず終わりが来るから寂しいわね」
「個人的にはいよいよ始まる、という気分ですけどね。年始めの行事ですし」
「地上で生きるのなら、貴方みたいに変化を前向きに受け入れるべきなのかなあ。団子買ってく?」
「じゃあ二本」
***
私は家に帰り、団子と残りのおかきで一杯やることにした。
枝も片付けたから、天井はまた飾りっ気の無い単調なものに戻ったが、正月気分も抜けて、節分すらも超えた精神には、それこそがあるべき姿に思えた。多分年末にはまた枝が生えていて然るべきという気分が復活して、また飾りつけを行うことになるだろうが。
大人になってからも、結局団子の木の謂れも、飾りの目的も分からずじまいだった。おかきをたくさん食べるのではなく、みんなに分けるということを覚えたあたりが大人への成長部分だが、そうした俗物的な願いすらも込めなくなったという意味では、信仰の退化なのかもしれない。
私は清酒の瓶を取り出した。そこまで高価なものではない。高級酒は手が出せない。少なくとも、団子の木に古銭を吊るすというのは金運を願っているのだろうが、実家も、私自身も、お金にはとんと縁のない人生だったなと思った。私に関してはそもそも団子の木を通して金運を願う気すらないのでまあ当然として、私の親・祖父母世代の行う団子の木でも、結局金運はそう真面目に願ってはいなかったのだろう。別に願えば叶うということを無邪気に信じるほど私は信心深くはないが、本気で願っていたが叶わなかったというよりはすっきりする。それに、特に深い意味も込めず、「なんとなくやっておかないと落ち着かない」という曖昧な感情こそが、私の代まで風習が遺り、こうして幻想郷の地で復活するに至った一番な理由のように思えるのだ。
酒を口に含んでおかきを一欠片手に取る。中に入っているかもしれない枝を噛まないように、私はそれをゆっくりと頬張った。
なお、風習の名称や飾りは違いますが私の地域にもあった文化なので懐かしい!と少し感動しました。またいつかやりたい。
また、団子の木を蓬莱の玉の枝に結びつけるアイデア、語り手を寺子屋の教員にすることで幻想郷へ来てからのことを想像させるのも良かったです。
ある意味では外で忘れ去られた団子の木の文化が
清蘭の月のセンス?によって7色となって幻想郷で蘇ると考えると素敵ですね。
紅白も黒白も7色の二割八分六厘にも満たないですしね。
少し説明が多いのが気になりました。
外来人が幻想郷に溶け込んでいく姿、外の世界から持ち込んだもの、残すものが清蘭とのやり取りの中に描かれていると感じました
故郷を想う郷愁の念が伝わってくるようでした
面白い風習があるものだと新たな知見を得られました
物語を構成する要素の説明を苦も無く読ませてくれる文章の作り方も素敵でした。
団子の木の風習をこの作品で初めて知ったので、読んでいて楽しいお話でした。