Coolier - 新生・東方創想話

ほうき星は願いをかけて

2023/01/13 02:35:10
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「やっぱりさ、蓬莱人が一番だよな。本当に永遠を得てしまうのは、不便だろうけどさ」
 ――確か、そんな一言がきっかけだったか。昨日の喧嘩の原因は。
「人の身で不老不死を得られて、デメリットも無いときたもんだ。自分の意志で終わることができないのは、難点だがな」
 お酒の席で、ただの雑談だった。
 あいつが軽い気持ちで言ったのは明白で。
 それでいて、ある種の配慮を――その言葉がこっちに届いているかも判らないのに――かけていたことも、やっぱり明白だった。
「ま、蓬莱の薬なんて欲しがって手に入るものでもない。大魔法使いとしては、どうするかは決まってるよな――」
 だけどまあ、間が悪かったのだろう。
 もしくは、続く言葉が怖かったのかもしれない。
 直接会話をしていたわけでもないのに、あいつの言葉が耳に入っただけだというのに、いつの間にか己の身体は動いていた。
 あいつの言葉を否定するように。
 あいつの言葉を聴かないように。
 あいつの言葉を、止めるように。
 詳しい経緯は覚えてないけれど、いつものように弾幕を撃ち合うことになったのだ。
 咲夜の心配そうな顔も、レミリアの仕方が無さそうな笑みも、早苗の呆れたような表情も、視界に入る全てが印象的だったけれど。
 それでもやっぱり一番記憶に残ったのは、あいつの顔だった。
 呆けているうちに被弾して、意識を手放す前に、間違いなく見たのだ。
 あいつの、いつも通りの、遠く未来まで変わらないであろう――満面の、笑みを。
 ああ、その笑顔を見たとき。
 私は。
 私は――。

  ◇◇◇

「――あの、巫女様。大丈夫ですか?」
「……え? あ、ええと、はい。大丈夫。大丈夫ですよ」
 声をかけられて、意識が浮上した。
 人里の、屋敷の中だった。
 儚い灯が導く暗い廊下。永遠に続く黒い闇。その中を、霊夢は歩いていた。
 永遠に、というのは無論錯覚だ。似たような――或いは本物の永遠を見たことがあるからか、頭が誤認を起こしているに過ぎなかった。
 ここは屋敷の地下の奥。蝋燭の光しかない空間では、頭が正常に働かないのも無理はないことだ。
 それでも、意識を飛ばしてしまうのは頂けない。霊夢は、そう自分自身を顧みる。
 ……ええと、なにか考えていたような……。
 大切な、忘れてはならないことだった気がする。或いは、忘れてしまいたいことだった気もした。
 思い出せない。白昼夢は霧の向こう側へと消え去って、此方には戻ってきそうもなかった。
「……ふう」
 だから霊夢は自分の務めを優先するべく、自分の頬を両手で叩く。
 ひりひりと頬が痛んだ。隣から視線も突き刺さっている。
 しかしこれでいい。巫女の仕事は、失敗してはならないのだから。
「――よしっ。安心してください。娘さんは、必ず私が助けますから」
「ええとその……はい。本当に、有難う御座います。娘が妖怪になりそうだなんて……こんなこと、巫女様にしか頼めなくて」
 女性が――仕事の依頼主が、眉尻を下げて言った。
 その言葉に、霊夢は内心で苦笑する。自分の事に詳しい知り合いならば、おそらくは真逆の考えを抱くだろうに、と。
 妖怪は、全てが退治される対象である。そのことは、この人も判っているのだろう。そしてこう思っているのだ。巫女に退治さえしてもらえば、後は元の生活に戻ることができるのだと。
 だけどきっと、知らないのだろう。妖怪化した里人は、決して存在を許されないことを。
 ――霊夢の元に依頼が舞い込んだのは、つい数刻前のことだった。
 眠気と頭痛を身体に残しながら、食器を仕舞い終えたのが昼過ぎのこと。遅い昼食を取っていた霊夢の元に、一人の女性が依頼を持ち込んだのだ。
 妖怪になってしまった娘を助けてほしい――救ってほしい、と。
「最後に確認しますけど……娘さんは、不思議な力は持っていなかったんですよね?」
「はい。巫女様や、霧雨さんのところのお嬢様のような力はなく……とにかく、普通の女の子でした」
 一つの単語に、反射的に息を呑んだのが自分でもわかった。
 動揺を悟られぬよう――不安にさせないよう、表情を固められたのは奇跡と言えた。
「……ええと。では、やはり例のマジックアイテムが原因で……?」
 女性が言うには、娘は怪異に対しての興味が高すぎるきらいがあったという。妖怪に会うほどの勇気はなく、魔法を使いたいと思うほどの情熱はない。だからマジックアイテムを、無理のない範囲で集めている。おおよそ、そのような少女であったらしい。
 脳裏でどこかの看板娘がウインクをかましていたが、霊夢は努めて無視することにした。
 とにかく。
「どんな状況であろうと、私が何とかします。ですから、後は私に任せてください」
 廊下の突き当りに、大扉が鎮座していた。どのような術が使われているのかは不明だが、妖怪化しつつある娘を封印しているらしい。古ぼけた妖の匂い漂う霊力は、きっと娘のモノではなく封印を仕掛けた者の残滓だろう。
「主人の知り合いの……飲み仲間の方が、ここまでしてくれたんです。それで後は、博麗の巫女に頼めば解決してくれると」
「……その知り合いの人って、獣臭くありませんでした? あと眼鏡」
「眼鏡はつけていましたけど……獣臭い、ですか?」
「ああいえ、なんでもないです。まあその、後は任せてください」
 女性が会釈を一つ入れて踵を返す。足音が周囲に木霊して、徐々に闇に吸われていくのを耳が捉えた。
 反響する雑音を耳に入れないよう、目を閉じて集中する。周りは闇。恐らくは扉の中も。いち早く、女の子をその中から助け出さなければならない。
 ――そう思い目を開ければ、既に何の音も響いてはいなかった。
「さてと」
 お祓い棒を扉に向け、宙を切って印を結ぶ。如何に強力な封印とて、これで十秒を待てば消え失せるはずだ。巫女としての特別な術式。いつかのどこかで、インチキ技だと言われたことが脳裏を過ぎった。
 ……私の勘は、娘さんは大丈夫だと言っている。だけど。
 心に陰る不安の色を、無視することはできなかった。
 母親の手前さっきはああ言ったものの、確証なんてものはない。可能性としてならば、もはや“退治”するほかないことだって、あるのだから。
「……でもまあ、いつものことか」
 結果がどうであろうと、それを受け入れる覚悟はできている。それは、博麗の巫女として負うべき責務なのだから。
 ……一番は、いつもみたいに終わることなんだけど。
 巫女として、異変を解決する。そうすれば全てが丸く収まって、後には少しばかりの交友が残る。
 今までのようにそうなって欲しい。思う心が、全身を震わせていた。
 僅かに残る頭痛が、胸の中までをも締め付けた。その痛みの理由が、二日酔いだけではないことは明らかだった。
 早く母親を安心させてあげたい。娘さんを元に戻して、笑って叱ってあげたい。でも、それが叶わなかったら?
 そんな感情が溢れだすのを、胸を押さえ付けて紛らわす。
 と、目の前で変化が生じた。いつの間にか、封印も霊力も何もかもが、雲散霧消していたのだ。
 ――大扉が、軋みの声を上げる。封印が解かれれば開く仕組みになっていたのか、それとも内に眠る妖力に押された結果なのか。大扉は、自らその口を開いていた。
 よどみなく歩いて、口に飲まれる。
 すると、そこには少女がいた。
 巨大な体躯の、一匹の竜と化した少女が。
「……北陸道に伝わる三枚のお札。欧州で語られる三つの願い。願いを叶える系譜の昔話は枚挙に暇がないけれど――ええと、魔法のランプだっけ?」
 母親曰く、娘は幾つものマジックアイテムを収集していたという。そのほとんどはガラクタで、単なる装飾品と化していたらしい。
 だが、
「いつの間にかガラクタの中に混ざっていた魔法のランプが、本物のマジックアイテムだったと」
 なんとも胡散臭い。いくらここが幻想郷とはいえ、いささかファンタジーが過ぎるというものだ。
 だがそんな感想は、現実性の虚構の前に吹き飛ぶことになる。
 少女が一歩を踏む。それだけで大地が鳴動し、霊夢の足元を震わせた。
 震わせて、それだけだった。
 霊夢の身体をも震わせた地響きは、それでも霊夢の心を揺らすことはない。
「――ねえあんた、私の声は聞こえる? 永く生きてみたいだとか、強くてかっこいい存在になりたいだとか、そんなことを願ったんだって? それ、人里じゃご法度って習わなかった?」
「――――!」
 返事は簡潔で、単純なものだった。
 咆哮だ。
 大地どころか天界までをも震わせるような、一つの返答が霊夢に飛んだ。
 どう考えても、好意的な回答ではない。どうやら姿が変わってしまっただけではなく、理性も喪失してしまったらしい。まともに言葉が理解できているかも怪しいところだ。
 大刀とも剣山とも見える鋭歯の隙間からは、陽炎が揺らめき空を歪ませている。
 城のような体躯にひとたび押しつぶされたならば、容易に命は失われるだろう。
 物語に出てくるような、幻想の産物。幻想は現実となり、脅威として目の前に立ちふさがっていた。
 ――しかし。
「よかった、私の勘は鈍ってなかったみたいね」
 少女の背後に、件のランプが浮いているのが見えた。そして博麗の巫女の勘が告げていた。あのマジックアイテムさえ無力化すれば、少女は元に戻るのだと。
「まったく、ただの人間が不死だの長命だのがなんだのと……元に戻ったら、お説教だからね」
 部屋に入る前の不安は何処へやら。いつも通りの、いつもと同じ解法が、霊夢の頭の中に浮かんでいた。
 博麗の巫女らしく。
 特別な少女らしく。
 幻想郷の人間として、どんな仕事をすればいいのかが手に取るように理解できた。
 だから霊夢はそれを実行した。右手にお祓い棒を、左手に御札を、周囲に陰陽玉を浮遊させて、
「――まずは痛い目に会ってもらうわ。手加減してあげるから、お母さんには黙ってなさいよね!」
 ――決着は、一瞬のことだった。

  ◆◆◆

「貯金も無いってのに買いすぎちゃったかなあ……でも後金だってあるんだから、これくらい大丈夫よね?」
 あの後。
 弾幕を交わすことすらなく、異変は速やかに解決された。少なくとも霊夢の勘はそう告げていたし、あの少女も既に小さな姿に戻っている。
 なんてことはない。竜と化した少女ごとマジックアイテムを吹き飛ばした結果、拍子抜けするほどにあっさりと事件は解決したのだ。
 とはいえ全てが終わったわけではない。
「まだあの子が目を覚ましてないのに贅沢するのは気が引けるけど……ちょっとくらいなら、うん」
 誰に言うでもなく呟いて、勝手口に積まれた食材を崩していく。前金にしては多額の報酬は、これほどの食材を買ってもまだ余りがあった。それだけの額であったが故に、買い込み過ぎてしまったとも言えるのだが。
 贅沢をしながらも、心の中に引っかかりがあることを霊夢は自覚していた。しかし異変解決者としての勘は、現状に問題が無いと告げている。あの少女が未だに目を覚まさないことも――そして身体の一部に鱗や角がついたままでいることも、明日になればなんとかなるだろう。そんな根拠のない確信が、心の底にあった。
 ……明日になったらもう一度あの子のところに行って、ランプの力で元に戻してもらう。後は厳重に封印なりなんなりして、全部終わりね。
「こういう言い方すると不謹慎かもだけど、あんたのおかげでお金がもらえたようなものね。その代わりってわけじゃないけど、壊さないでおいてあげるから大人しくしておきなさい」
 棚上に置いたランプに、そんなことを話しかける。明確な意識があるかどうかは不明だが、なんらかの意志があるのは間違いないだろう。御札で軽い封印を施しているとはいえ、用心するに越したことはない。
 ……なんでかわからないけど、こいつちょっと重いのよね。内側に魔力を貯めてるとか? 用心用心。
 などと思いつつ、やはり心は浮かれていた。瞬く間に手は動き、鼻歌交じりで食材たちを捌いていく。気が付けばお米も炊けていて、小躍りしながら机に着席すればそこには料理の群れが待っていた――大量に。
「……あれ、私こんなに作ったっけ?」
 作ったのだ。それは間違いない。一人しかいないのだから。はたとランプを睨みつけてみるが、封印が解けた様子はない。作ったのだ。それに間違いはなさそうだ。
 まいったなー、と半目で項垂れてみるが効果はない。料理の一つ一つが会心の出来となっているのも、また霊夢の頭を悩ませた。
「いっそのこと、あんたが人型ならよかったのに。あー、今からでもならない? どう?」
 冗談を飛ばしてみるが、やはりランプはぴくりとも動きはしなかった。
 封印を施しているのだから当たり前だが、そんな簡単な願いも叶えてくれないとは。
「……仕方ない、一人で食べますか。あーあー、都合よく誰かが来てくれればなあ」
 ――と、そのときだった。障子の外から地響きが鳴り、破砕と衝突の打音が飛んできたのは。
「まさか」
「――あ……は? ええと……痛っ……。え、あ……?」
「……やれやれ。まったくもー、簡単に神社を壊してくれちゃって。困っちゃうわもー」
 何をそんなに慌てて来たのかわからないが、望み通り何処かの誰かがやって来たらしい。
 言葉と裏腹、己の口元が緩んでいるのを自覚しながら――霊夢は、誰だかわからない魔法使いを迎えに行ったのだった。

  ◆◆◆

「あんたっていつもタイミングがいいわよね。来てほしくないときには来ないでくれるし、来てほしいときにいつも来てくれるもの。あ、今お酒持ってくるわね?」
「……やけに機嫌がいいん……だな。何かあった、か?」
 酒瓶を空けて、魔理沙用の御猪口を戸棚から出す。博霊神社で食事をする人妖は多いが、魔理沙だけは特別だ。だから御猪口以外にも食器一式は揃っているし、今はそれを使うべきときだと言えた。
 御猪口を手に取ってみれば、身も心が軽いのが自覚された。気分が良いと言ってもいい。鼻歌が出そうだったけれど、聞かれると恥ずかしいので流石にやめておくことにする。
「ちょっと依頼があってねー。サクッと解決して謝礼も貰ったのよ。ふふん、しかもまだお金は余ってるんだから」
「だからってこれは豪勢すぎるだろ。あー……、疫病神、にあてられたか?」
「そんなんじゃないけど……うーん、あんたが来るのを無意識に予感していたから……とか?」
「なんだそりゃ」
 自分でも何を言っているのかわからなかったけど、口に出してみればしっくりとくる。霊夢は、そう思う。
 御猪口だけではなく、魔理沙専用の皿と箸を配膳して酒瓶の栓を空ける。そこまですれば、あとはいつも通りの食卓だ。
「まあまあ細かいことはいいじゃない。ほらほらー」
「あ、ああ」
 魔理沙は彼女らしくもなく、御猪口を手にして身動きを止めていた。
 一体何をためらう必要があるのか。まさか、
「もしかして私が不正なお金を手にしたとでも思ってる? 確かに最近妖怪退治の仕事は少なかったけど、私だってお金を稼ぐことくらいはできるんだからね」
「お金稼ぎと言ってもな。お前が何か企画したところで、どうせ失敗するだけだろ。精々異変の原因にお礼でも言うんだな」
「お礼なら言われたわよ、異変を起こした子供のお母さんに。本人には明日直接会って、叱ってあげないとね」
「おいおい、里の子どもが原因なのか? それならやりすぎるなよ、こわーい巫女に退治されたって噂されちゃうぜ」
「それでいいの。優しく慰めるのはお母さんの仕事だもの」
 いつもの調子で会話が弾む。やっぱり不謹慎だと思ったけれど、この場があるのもあの子供――とランプのおかげだ。完全な封印を施す前に、磨いて綺麗にしてやってもいいかもしれない。
「って、あんたお酒も料理も進んでないじゃない。お腹痛いの?」
「いや、そういうわけじゃないんだが……いいんだよな」
「駄目な理由がないでしょうが。ほらほら食べた食べた」
「……わかった、わかったよ」
 恐る恐る、というほどはないにせよ、しずしずといった様子で魔理沙が酒と料理に手を付ける。いつもの丁寧ながらも激しい食べっぷりとはえらい違いだが、さて。
「……ま、魔理沙のことなんてどうでもいっか」
「おいおい、ひどい言い草だな。流石の魔理沙さんも立ち直れそうにないぜ」
「はいはい、じゃあこれでもみて元気出しなさいよ」
「え、それは……」
 と、魔理沙の前に件のランプを置く。浮かれた勢いで魔理沙に見せてしまったが、魔理沙といえども里の子供の安全がかかっているのであれば自分のものにはしないだろう。たぶん。
「あんたこういうの好きでしょ? といっても、封印してるから今はただのランプだけど」
「見るからにマジックアイテムだが……確かに、何の力も感じないな。簡単な術式でよくもまあやるもんだ」
「そうでしょそうでしょ。まあ巫女としてこれくらいはできないと……あら?」
 改めて手に取って、一つ違和感を覚えた。
 つい先ほど炊事場で手に取ったときには、確かに重かったマジックアイテム。それが今は、
 ……あれ。なんか、軽くない?
「どれどれ」
「あっ」
 魔理沙がぶんどるように、手元からランプを引き離す。彼女は暫くの間ランプを撫でたり眺めたり叩いていたりしたが、
「……何も力を感じないな。つまらん」
「また勝手な……ま、私の封印が凄いってことで」
 魔理沙の手から取り返し、表面に傷がついていないかを確かめる。
 軽く小突いただけでへこみはしないだろうが、万が一ということもある。もはや事件は解決したも同然とはいえ、心配の種を取り除いておくに越したことはない。
 ……傷もなさそうだし、封印溶けてないはずだし、特に問題は無しっと。
「怪しげに笑う巫女ほど怖いものもないな。ついに狂ったか?」
「誰がよ。自分の仕事っぷりに満足してるだけ」
「そう慢心している時に限って、無意識が原因で失敗してしまうもんだ。精々気を付けるんだな」
 したり顔で魔理沙が言う。だが気にすることではない。魔法のランプは手中にあり、この手を離れることはないのだから。
「なあお前、そのランプどうするつもりだ?」
「え? どうするって……明日あの女の子を元に戻したら、ずっと封印しておくつもりだけど」
 愚問である。まさか、この博麗の巫女が私利私欲で願いを横取りするとでも思っているのだろうか。
「ずっと封印しておく? それはおかしな話だな。もしかしてお前、いつの間にか偽物とすり替わってたりしないか?」
「何よそれ」
 にやにやと――魔理沙が偶に浮かべる意地の悪い笑みだった――口を歪ませながら、身を乗り出してランプを指さす。
「女の子が自らを怪物に変じさせたことで一つ、それを治すのに一つ。他に願いは叶えてないんだろ?」
「た、たぶん? ――あ」
 魔理沙の言いたいことが解った。
 解ったけれど、それは。
「……妖を利用しようとする人間は、最後には痛い目を見るって決まってるのよ」
「なるほど。じゃあ針も包丁も自分で研がないといけなくなるな。それに今度からはインスタントヴィンテージワインも飲めなくなる。助け合いの無い世の中は寂しいもんだぜ」
「うぎぎ」
 魔理沙の癖に正論とは腹立たしい。そのにやにや顔はどういう了見なのだろうか。巫女を笑いものにすることなど、誰にも許されることではないというのに。
「そういうのはいいのっ。お金を払って対価を貰うのは当然だし! それに咲夜は妖じゃないでしょうが! まあそのうち吸血鬼になってそうだけどっ!」
「じゃあマジックアイテムだって同じだぜ。妖気や魔力を蓄えているかもしれないが、それはただの物品だ。利用したところでバチが当たるもんじゃあないだろ?」
「そ、そうかな? 確かにそうかも……」
 なんだか誘導されていないだろうか。
「大体なお前、今更妖怪たちとの付き合いから逃げようったってそうはいかないぜ。妖怪巫女から妖怪を抜いたらただの巫女なんだからな」
「いいでしょ、ただの巫女で」
「お前がいいなら、な」
「うぐぐ」
 その言葉の意味は解る。言われなくても、自分が今の生活を好いていることくらいは解っているつもりだ。
 こうして魔理沙と一緒に過ごすのは楽しいけど、だからといっていつもの宴会が無くなっていいとも思わない。三つ目の願いを自分のものにするかは別として、既に妖怪とは切っても切れない関係になっているのは事実である。
 ……切っても切れない関係というなら、魔理沙だってそうよねえ。
 どちらにせよ、この生活は手放せそうにない。無論、手放さなければならない理由なんてどこにもないのだけど
 そんなことを考えていたら、思わず魔理沙の顔を見つめてしまった。昔からずっと見てきた、そしてこれからもずっと見ることになるであろう、魔理沙の顔を。
「ん、なんだ? 人の顔をじろじろ見て」
「何でもないっ」
 魔法使いの卑劣な誘導に引っかかって、得なくても良い熱を得てしまった。到底許されることではないが、ただの自爆な気もするので取りあえず誤魔化しておく。
「……とにかく。魔理沙が何と言おうと、私は妖怪の力に屈したりはしないわ。第一、こんなちっぽけなマジックアイテムに大したことができるとは思わないもの」
「ああそうだな、精々宴会用のお酒が湧いて出て来るくらいじゃないか?」
「あ、もしかしてそれが狙い?」
「さあどうだか。まあこの話は忘れてくれ、博麗の巫女様は怪しげな力には屈服しないそうだからな」
「うぎ、ぐぐぐぐぐ……」
 言うだけ言って、魔理沙は酒と料理に手を付ける。一度箸を動かすや否や、猛烈な速さで食を進めるものだから反論の機会を逃してしまった。
 むう、とため息を付き卓上のランプに目を運ぶ。
 ……明日は我慢できても、いつかは頼っちゃいそうね。
 埋める場所を考えよう。そこら辺に埋めて置いたら、自分はいつか駄目になる。ついでに目の前の泥棒対策も必要なことだし。
 いっそのこと壊してしまおうと思ったけど、やっぱりそれはやめておいた。異変が解決されるのならば、元凶とはいえ消えることもないかと思って。
「……やっぱり、あんたが自立してくれれば一番なのにねえ」
 指で軽く弾いてみる。だけど固い音が鳴るだけで、何も起こりはしなかった。

  ◆◆◆

 嫌な予感はしていたのだ。
 それは今朝起きたときのこと。布団も敷いていないような畳の上で、酔いつぶれから目を覚ましたときのことだ。
 その予感は、決して二日酔いに由来する体調不良が原因ではなかった。きっとおそらく、あるいはたぶん。自己管理の至らなさが、その予感に関係していないことは明白といえた。
 ――失敗する、と霊夢は直観した。何がどう失敗するのかまでは頭の中に浮かんでこなかったが、失敗するだろうなあー嫌だなあーという漠然とした確信だけがあったのだ。
 無論、その予感が何を意味するかはすぐに解った。巫女としての勘が働かずとも、ミステリファンとしての論理的思考能力が答えを導いた。
「……私、こういう依頼は失敗したことなかったのになあ」
「あの……ごめんなさい。ちょっと昨日霊力を使いすぎてしまったみたいで……いや本当いつもはこんなことないんですけど……え、ああ、はい。あ、また明日来ますので。ええ、はい、それじゃ……か――っぷ、くく。いや悪い悪い。霊夢のあんな顔、見たことなかったからなあ」
「うー……茶化さないでよ、本気で落ち込んでるんだから……あーもー」
 治すはずだった女の子の泣きそうな顔が脳裏に浮かんで仕方がない。あの子の自業自得で起こった事件とはいえ、博麗の巫女が子供に安心を与えてあげられないとはどうしたことだろう。
 母親に気にしないでくださいと言ってもらえたのがせめてもの救いだ。しかし己の気が軽くなろうとも、あの子にとっては関係のない話。そのことを思う度、霊夢は胸に痛みを感じた。
 女の子の目が覚めていたのは幸いだが、それだけ悲しむ時間ができてしまったとも言える。
「今までこんなことなかったのになあ……」
「大丈夫だろ、たまたま調子が悪かっただけだろうさ。昨日の時点では、もう大丈夫だろうと思えてたんだろ?」
「それは、そうね」
「じゃあ平気さ。お前の勘は当たるからな」
 当たり過ぎるほどに当たるので、失敗するときは失敗すると判ってしまうのはどうなのだろう。
 大体、それを言うならば何よりも気にしなければならないことがある。
「魔理沙はそう言うけど……今のところ、明日になれば大丈夫って感じもしないのよね」
「……ふむ。なら、対策を講じないとダメかもしれないな」
 生まれ持った天性の直観力も、万能でなければ絶対でもない。事件の真相にたどり着けないことは珍しいことではなく、決闘だって常勝無敗ではない。
 しかし逆に言えば、己にとって不利な予感も絶対というわけではない。結局は、地に足が付いた解法が一番ということもあるのだ。
「魔理沙の言うことはわかるけどー。はあ、やっぱりこういう事件はスパッと解決したかったなあ」
「そう思うなら常日頃から努力をするんだな。怠け者には何も与えられないのが古今東西の習わしだ」
「……正論が痛いわ」
「まっ、お前の場合は努力してもダメダメなことも多いがな。特に儲けようとすると尚更」
「こ、今回は大丈夫なはずよ! ちょっと前金で贅沢しちゃっただけで!」
 じとり、と何かを訝しむような魔理沙の視線が顔に張り付く。聞きたくもない何かを言いたげな、嫌な視線が。
 一体何を――と思考しかけて、霊夢の頭に一つの発想が思い浮かんだ。
 ……え、まさかひょっとして。
「なあ霊夢、もしかして」
「……言わないで。私も今そう思ったところだから」
「今回の事件をお金儲けだとお前が認識してしまったから、上手くいかない事件になってしまってるんじゃあないか?」
「言わないでって言ったのに! もー!」
 苦い思い出が脳裏を過ぎる。やれなんとかランドとかだとか、やれ食中毒が疑われる豆の煮物だとか、そんなものが浮かんでは消えた。
「待って待って、いやいや」
「私は前々から思ってたんだ、霊夢に足りないのは反省だってな。人命がかかっているというのにお金に目が眩むとは、博麗の巫女もおしまいだなあ」
「ち、違うはずだから! きっと!」
「あーあー、意識の上じゃあそう思いたいんだろうな。だが無意識はどうだ? きっと霊夢の潜在的な欲深さが表に出て、巫女としての勘を鈍らせたに違いない。もしもーし、私の前に強欲な人間がいまーす」
 似ていない癖に癪に障る無意識の物真似をなんとか無視し、霊夢はいやいやとかぶりを振る。
 ……え、うそ、ほんとに? まさかそんな……いやでも。
「……そう、なのかな。もしそうだとしたら、どうしよう」
「まあまあ気にするなよ霊夢。人間、ミスの一つや二つはあるもんだ」
「だけど、それで済ませたらあの子が元に戻らないわ」
 戻らなかったとて、自分に不手際はあれども責任の所在はない。
 解決しなかったとしても、それは自分の力が及ばなかっただけ。信用は失うが、元々の原因は他にある。責任を追及されることはないだろう。
 でも、駄目だ。解決しなければ駄目なのだ。だって巫女が解決しなければ、平和に収まらないかもしれないではないか。
 今までの事件のように、異変のように。平和で、後に遺恨が残らないように解決されなければならない。それなのに。
「私のミスで失敗したんだとしたら……ああもう!」
「ミスを嘆くくらいなら、反省して二度と再発しないよう改善するんだな。巫女の仕事も、そうでない仕事も、基本は同じことだ」
「それはそうだけど!」
「例えば道具に問題があった、確認不足だった、ってのがよくあるミスの元だな」
「――え、道具?」
 道具。そう言われても、今回使った道具は御札だけだ。念のために最新の装備も三枚持ってきていたのだが、結局出番はなかった。そして昨日封印に使った御札は、間違いなく不良の無いものだったことは確認している。
 なら、魔理沙の言う道具とは――、
「そのランプ、たぶん魔力が全然入ってないぜ」
「は?」
「願いを叶えるなんて奇跡、そう起こせるものじゃあない。一度魔力を消費したら、回復するまで次の願いは叶えられないと思うぞ。おそらく、魔力の有無は重さで量れるんじゃないか?」
「……は?」
 確かに改めて意識してみれば、なんとなく軽いような気がする。いや絶対に軽い。昨日初めてランプを手に取ったときと同じ――つまりは、女の子の願いを叶えた直後の、魔力を使い果たしたときと同様の重量であったと確信できる。
 なるほど魔理沙の言うことは筋が通っている。ランプの魔力で願いを叶えているのだから、それが蓄積されるまではマジックアイテムとして機能しない。なるほどなるほど。
「――って、あんた最初からわかってたでしょ!」
「魔法使いだからな、普通の範囲で。それくらいは手に取らなくてもわかるってもんだ」
「あ、あんたねえ!」
 己のミスで依頼を失敗した――と思い込んだ巫女を嘲笑うなどという横暴が許されていいのだろうか。横から入ってきて当たり前のように付いてきて適当に煽り散らかしている魔法使いなぞに、そんなことを言われる筋合いはあるのだろうか。
 勿論、否である。
「いい度胸してるじゃない! 表に出なさい魔理沙、決闘よ!」
「表にじゃなくて空にだろ? 人里で弾幕とは、久しぶりだな」
 最初からこうなることが判っていたかのように、不敵に笑って魔法使いが宙を舞った。
 今が真昼間であることを忘れるほど、箒と共に空へ昇る魔理沙は星のように綺麗だった。
……もう。相変わらず。
 決闘をふっかけたのはこちらなのに、淀みなく動かれて機先を逃してしまった。遅れながらも空に昇るが、なんとも居心地の悪さを感じて仕方がない。
 先に動かれてしまったのは、何も魔理沙が素早かったからだけではない。いつも通りの綺麗さが、いつも通りに霊夢の目を惹いていた。
 殺し合いではなく決闘なのだから――命名決闘法なのだから。綺麗であることが正しいことくらい、霊夢にも判っている。
 だけど沸騰しかけた頭が思考を取り戻す程度には、彼女の姿はいつも通りだった。
「おいおい、何をぼーっとしてるんだ? こないならこっちが宣言するぜ」
「は、はあ? ぼーっとなんてしてないっての。ちょっと考え事をしていただけよ!」
「ほう、どんなことだ?」
「えーっと」
 どうしてそういうことを聞いてくるのだろう。少しは心の中を察してほしい。
 こちらは熱くなった脳から熱を奪われ思わず誤魔化しの言葉が出るくらいにはいっぱいいっぱいなのだ。どうしてこんな気持ちになっているかは解らないが、とにかく魔理沙のせいなので責任を取ってほしい。
 などとよくわからない思考が頭の中を過ぎり、とはいえそんなことを対面で言うわけにもいかないので、
「えーっとお……ええと、ほら、あれよあれ」
「どれだよ」
「その……あっ! そうそう、あのマジックアイテムのことよ」
 袖から件のランプを取り出し――結界術の応用である程度は収納できるようになっている――片手で持ってみる。すると確かに感じられた。昨晩と同じく、重量の差が。
「昨日あんたが来る前、確かにこいつ重かったのよねえ。魔理沙の言う通り、今は軽くなってる。魔力が足りないみたいね」
「おいおい、弾幕はどうしたんだよ」
「誰かさんのおかげでカッとなったけど、誰かさんのおかげで冷静になれたから。でも、うーん」
 魔力が足りていないからマジックアイテムが効力を発揮できない――如何にも説得力のある話だ。昨夜の記憶の通り、重量も確かに変化していた。
 だがその説を肯定するには、最大の謎が残されていた。
「あんたが来る直前までは、確か重かったはずなのよねえ。それなのに、昨日飲んでる最中にはもう今と同じ重さだった。どういうことかしら」
「どうもこうもないだろ。その短い間で、お前が何かを願ったってだけの話じゃないのか?」
「え」
 今度こそ、はっきりと口から音が零れた。
 ……まさか、それじゃあ。
「じゃあ、今日の失敗はやっぱり私のせいってこと?」
「おいおい霊夢、そういうことは小さい声で言うんだな。ほら、人が集まってきているぞ」
「え?」
 魔理沙の言葉に釣られて眼下を見れば、飛び上がった自分たちを期待や疑問の目で見る里人たちの姿があった。
「って、私たちが飛んでるから集まって来てるだけでしょうが」
「そうだな。そろそろ不審の目が混ざってくる頃合いだぜ」
「気が付いてたなら言いなさいよもう……」
 注目を集めた後に一度地上に降りるのも収まりが悪い。決闘を期待している皆には悪いが、このままお暇することにしよう。
 ……取りあえず、専門家に話を聞きに行きたいわね。
 魔理沙も技量の高い魔法使いだが、知識という点では上がいる。ならばそこに行こうと提案しようとして、
「じゃ、次に行く場所は決まったな。さっさと移動しようぜ」
「いや、なんであんたが仕切ってるのよ」
 と、魔理沙に我が物顔で横やりを入れられた。
 抗議の呻きを吐き出すも、霊夢は言葉が続かないことに気が付く。
 なんだか先を越された気がして納得がいかなかったけれど、ぐっと堪えて素直に従うことにした。

  ◆◆◆

「――意外に思うかもしれないけれど、私って訪問客は嫌いじゃないのよ。ええ、勿論ここで言うお客というのは菓子折りの一つでも持ってきてくれる友人のことだけど」
「おいおいそう言うなよ、お前と霊夢の仲じゃないか」
「……お前と私の仲、と言わなかったのは評価してあげる」
 如何にも迷惑そうに――けれども決して嫌気を感じさせない様子で、溜息交じりに魔女が言う。
 ……相変わらず埃っぽい場所ねえ。
 暗くて辛気臭くて雑然としている。遥か昔に初めて訪れたときと変わりなく、紅魔館の大図書館は存在していた。
 もっとも、図書館に抱く印象はあのときとは大きく違っている。
 得体のしれないお屋敷の、得体のしれない物品保管場所。確か、そんなふうに感想したことを覚えている。
 今は違う。紅魔館がどんな場所なのかも理解できているし、本の面白さだって知っている。そして――主たるパチュリー・ノーレッジが、どんな魔女なのかも。
「いきなり押しかけたのは悪かったわ。でもほら、いつもレミリアの奴が私に迷惑をかけているお詫びってことで」
「どうして私がレミィの尻拭いをしないといけないのよ。ま、一昨日の宴会に無料で参加させてもらった分で帳消しにしてあげるけど」
 そういえば、と霊夢は一昨日のことを思い出す。珍しくと言うべきか、久々にと言うべきか、あの宴会にはこの魔女も参加していたのだった。
 パチュリーという少女は、如何にも自室が最高の生きる場所ですという顔をしておきながら、その実宴会には度々やってくる。あまり楽しみにしているとは思えないので、おそらくはレミリアの付き添いなのだろうが。
 勿論、今の霊夢にとってパチュリーの人間らしい側面はどうでもよいことであった。霊夢が当てにしているのは、彼女の魔女としての能力――知識なのだから。
「魔法のランプ、ねえ……興味十割、胡散臭さ十割ってところね」
「200%の興味関心を有難う。もしかして魔女って計算できないの?」
「魔女にとって関心と警戒は常に隣りあわせということよ。実害が出ているなら尚更、ね」
 ――つまるところ、霊夢と魔理沙が選んだ解法はパチュリーへの相談であった。
 魔法に関して門外漢な自分はともかく、魔理沙が他の魔法使いを頼るなんて珍しいと霊夢は思う。
 ひょっとすると、魔理沙も人里の住民に被害が出ていることで真面目になっているのかもしれない。魔理沙はプライドが高く見栄だって張る少女であるが、実際のところその実力の高さからあっさりと問題を解決してしまうことが多い。その魔理沙がパチュリーを頼っているのだから、推して知るべしか。
 あるいは、単に魔法使い仲間とマジックアイテム談議がしたいだけなのかもしれないが。
 霊夢にとってはどちらでも良い話だ。無論、謎が解けなければ悪い話でしかないのだが。
「へえ……ふうん……あら、ほー……まさか幻想郷とはいえこんな……」
「…………」
「ふんふん……これほど純度が高い奇跡が具現化しているだなんてね……ただのランプじゃないわね、まさかエピソードが習合して……? あーなるほど、うわお……」
「……ねえパチュリー、お楽しみのところ悪いんだけど」
「慌てないの。明日中に解決できればいいんでしょ? 今はまだお昼過ぎの人間の時間。魔女に依頼をするのなら、夜の帳が落ちるのを待つ必要があると心得なさい。あっここ面白彫刻がしてある……」
「ぐぬぬ」
 きらきらとした顔でテンションを上げるパチュリーを前に、霊夢はどうすることもできない。こちらはあくまで依頼をしている身。機嫌を損ねたらそれで御仕舞な以上、どれだけじれったくとも我慢をするしかないのである。
「ふふふ……霊夢のそんな顔、初めて見るわ。もしかして、少しは人間らしくなったのかしら?」
「私は最初から人間よ!」
「そう? 初めて会ったときは……レミィにお灸を据えて妹様と遊んでいた頃の霊夢は、もっと人ではなかったと思うけど」
 何を面白くもない冗談を。霊夢は思い、けれどパチュリーが本気で言っていることを悟る。
 魔女の中でも、パチュリーほど突飛なことを言い出す奴はいない。しかし内容が突飛であっても、それが冗談だとは限らないのだ。大して深くない付き合いでも、そのことくらいは理解できる。
「……何言ってるんだか。私はあんたらと違って最初から最後まで人間よ。一緒にしないでくれる?」
「そう。最後になったら、レミィと妹様が寂しがるわね。ついでに私と誰かさんも」
「ああ、紫の奴も悲しがるだろうな。せめて常識的な範囲で長生きしてくれよ?」
 と、魔理沙に肩を叩かれる。会話に入ってこないと思いきや、この短い時間で図書館を物色していたらしい。その手には数冊の本が掴まれていて、つまり自分は泥棒の現行犯に出くわしてしまったようだ。
「あら白黒、私の目の前で堂々と狼藉を働こうだなんて。もしかして泥棒ではなくて強盗なのかしら?」
「そう言うなよ。借りるだけだぜ、私が消えるまでな」
「ま、別にいいけど。私、お前を消そうと思えば何時でも消せるもの」
 言葉の中身と裏腹に、パチュリーは笑みを浮かべてさえそう言った。
 珍しいマジックアイテムを調べることができてテンションが上がっているのかどうか。ただの犯罪者にかける言葉としては、やけに優しいと思うのは気のせいだろうか。
「……さて、一通りは調べ終わったわ。じゃあ、本題に入る前に、少し講釈してあげましょう」
 手にしたランプを一度机の上に置き、パチュリーが顔の横に指を立てる。
 こちらとしてはそんなものは要らないので、さっさと解決してほしいものなのだけど。そんな霊夢の気持ちなど伝わるはずもなく、魔女が滔々と語り出す。
「魔理沙の見立ては、おそらく当たっていると思います。このマジックアイテムは無限の願望機ではなく、あくまでも魔力を願いというフィルターに通して出力するだけのモノ。通常質量を持たない魔力の有無で重さが変わるのも、魔力を物質化している証拠と言えますね」
「ふうん。まあ、魔理沙とパチュリーが揃って言うならそうなんでしょうね」
「力と思いが大きいほど、叶えられる願いも大きくなるでしょうね。年端もいかない少女の手に渡ったのは、不幸中の幸いと言えますね。悪だくみをする誰かに渡ったらと思うと、恐ろしいです」
 パチュリーの言葉に、思わず魔理沙を見る。
 ……なるほど、確かにねえ。
「霊夢が何かの願いを叶えてしまったという推察も、当たっているのでしょうね。ちなみに霊夢、何か思い当たるふしは?」
「うーん」
 言われ、改めて昨晩のことを思い出す。誓ってもいいが、私利私欲のためにこのランプを使おうなどとは思わなかったはずだ。きっとたぶん。無意識はどうだっただろうか。それも大丈夫だろう。人間も妖怪も、無意識を理由にしてしまってはおしまいである。
 そもそも、簡易的とはいえ封印を施していたのだ。そんな状態のランプが正常に機能するとは思っていなかったのだから、当然自分が何かを願うはずもない。
 だが、記憶の範囲で思い当たることがあるとするならば、
「ちょっと寂し……一人だと食べきれないお料理を作っちゃったから、誰か来てくれないかなーと思ったりはしたけど」
「なるほど。願いの内容は些細ですが、瞬間移動は強大な神秘の一つ。幻想郷ではずるを働く奴らが多いからわかりにくいけれど、奇跡と呼ぶには十分以上な願いの内容ですね」
「な、なるほど?」
 空間を飛ぶくらい、なんてことのない話に思えはする。考えるまでもなく幾つかの例が頭の中に思い浮かぶ。というか自分もできる。女子高生にもできる。それほどまでに大きな事なのだろうか。
 そんな霊夢の疑問が顔に出ていたのか、パチュリーの説明を魔理沙が補足する。
「単純なエネルギー量の話だからな。ワープにしろテレポートにしろ、真っ当な手段なら理論上不可能……ああいや、理論上は可能だが実質的には不可能と言っていい」
「そういうものなの?」
「ああ。宇宙全体にあるエネルギーの数倍あっても不可能だ」
「う、うーん?」
 専門外のことだからと適当なことを言われてないだろうか。こういうところ、魔理沙が軽薄なのは今に始まったことではないが、パチュリーもパチュリーで頓珍漢なことを言うことがあるので困りものだ。
 とはいえ今は専門家の言うことを信じるしかない。後でこいつらがポンコツだったことが判明したら、頼れる人形遣いか住職のところに行けばいい話だ。
「何か今失礼なことを思われた気がするんだけど……まあいいわ。とにかく、このランプは持ち主の願いを読み取って、ずるして叶えてくれるものなのです。
 ――永く生きたい、力を持ちたい、お金持ちになりたい。真面目に地道に目指すべき、けれど誰もが欲しいと思うモノ。それが手に入るまでの遥か遠い道のりを、少しだけ短くしてくれる魔法の奇跡なの」
「……で、そのずるを手伝ってもらったものには手痛いしっぺ返しが待っているわけね。世知辛い話ったらないわ」
 遠い国に伝わる昔話では、とある老夫婦が神様に三つの願いを叶えてもらえることになったという。しかし、食べ物が欲しいと口を滑らせたときに一つ、それがきっかけで仲違いをした際に一つ、そして全てを治めるために一つを使ってしまい、結局最後には幾許かの食べ物しか手元に残らなかったのではなかったか。
「童話的教訓に終始するのはつまらない話ですが、理解としては十分でしょう。我々魔法使いとしては、それを如何に上手く利用するかが本懐と言えますが」
「私としては過程はどうあれ力が手に入るならそれでいいがな。今まで培ったものが無くなるわけでもない。上乗せされるなら、それだけ楽しみの幅が広がるってもんだ」
「……話が脱線したわね。つまるところ、寂しがりの博麗霊夢は無意識に願いを叶え、結果としてこいつを召喚した。結論としてはそんなところね」
「誰が寂しがりよ誰が」
 余計なことを言わなければならないのは魔に近しい者の性なのだろうか。
 原因が解ったのはいいが、なにやら余計な恥をかいているような気がする。
「はいはい。ま、これで説明は終わりということで。じゃあ本題だけど、私とこいつの分だけでいいわよね?」
「え、何が?」
「何って、魔力よ魔力」
 魔力は二人の分だけでいいのか――つまりパチュリーが言いたいのは、
「明日には必ずランプを起動させないといけないんでしょ? 霊夢の言ってた女の子がどれくらいの魔力を使って願いを叶えたのかはわからないけれど、元々入っていた分と同じ程度の魔力がないと元には戻せないと思うわよ」
「あ、なるほど」
 短期間に溜まった魔力で魔理沙を呼び寄せる願いを叶えられるなら、丸一日待てば魔力は十分足りるようにも思える。
 しかし初めの――あの女の子が叶えた願いで使用された魔力が、一体どれほどなのかは不明なのだ。ならば、魔力は可能な限り沢山あった方が良い。魔法のことをよく知らない霊夢でも、それくらいのことは判る。
「まあ、いつも宴会に無料で参加させてもらってる分だと思うことにするわ。物珍しさで手伝ってあげる。一晩かけて貯めてあげるから、今日は泊まっていきなさい。一応里人からの預かりものなんだから、私みたいな妖怪に預けて家に帰るわけにはいかないでしょう?」
「え、いいの? そりゃあやってくれるなら有り難いけど」
「霊夢ならレミィも妹様も喜ぶでしょう。ああいえ、喜ぶというなら皆がだけどね」
「う、うん」
 妙に優しい、と思ってしまうのはさすがにパチュリーに失礼だろうか。
 ……頼っておいてなんだけど、ここまでしてくれるとは思わなかったわねー。
 人徳だろうか、それとも博麗の巫女の威光だろうか。単にマジックアイテムに興味を惹かれているだけなのかもしれないが。ひょっとすると他にも理由があるのかもしれない。候補は思いつけど、霊夢にはとんと正解が判らなかった。
「おいおいパチュリー、それじゃあまるで私は歓迎されないみたいじゃあないか。あんまりだぜ」
「少なくとも、私はあんたを歓迎しないからね。ああいや、歓迎しないというなら皆がじゃないかしら」
「えー」
 魔理沙が何やら呻いているが、これは間違いなく人徳のなせる業だろう。マイナスな方向に。因果応報、悪人は捌かれるべきと相場が決まっているのだ。
「じゃ、咲夜には霊夢の分だけおゆはんを用意してくれるように言っておくから。あんたは私と図書館に缶詰よ」
「おいおいそりゃあないぜ」
「悪いわね魔理沙。さっき私を散々煽った罰よ。嗚呼、昨日に引き続き豪華なご飯が食べられるなんて、罰が当たりそうだわ」
 口に出すと途端に気が軽くなって、心の底から活力が湧いてくる気がした。
 まるで巫女としての役割など、どこかへ消え失せてしまったかのよう。心の軽さが、早くも身体を食堂へと引っ張ろうとしていた。
「……言っておくけど、夕飯はまだまだ後だからね。レミィ達だってまだ寝てるし。小説でも読んで待ってなさい」
「それもそっか。じゃあ適当に借りるわね、死ぬまで」
「怒るわよ」
「あ、はい」
 真面目な顔で冗談を否定されると怖いのでやめてほしい。裁かれるべきは泥棒魔法使いであって、人間の味方の善なる巫女ではないのだから。
 などと、そそくさと霊夢がその場を後にしようとしたときだ。
 パチュリーは何気ない様子で――少なくとも、霊夢にはそう思えた――ぽつりと、こんなことを口にした。
「そういえば、一昨日の件はもう解決したのかしら」
「一昨日って……宴会のこと? 何かあったっけ?」
「……いいえ、なんでもない。忘れているならば、それでいいわ」
 と、パチュリーは今度こそ真顔になって話を終わらせた。
「危険な本も混ざってるから気を付けてね。巫女の勘があるのであれば、平気でしょうけど」
「え、危険な本って何? 襲い掛かって来るとか?」
「……ふふふ」
 と、そんなやり取りをしながら霊夢はその場を後にする。
 パチュリーが口にした宴会のことを僅かに気にかけながらも――天性の勘が何も警告を発しなかったので、大して心に置くことなく、一瞬後には忘れてしまっていたのだった。

  ◆◆◆

 ひょっとすると、ご馳走という言葉を真に理解していなかったのではないだろうか。いいやきっとそうに違いない、昨夜の博麗霊夢は無知蒙昧な愚か者だったのだ。そんな残酷な確信が、霊夢の胸中に去来した。
「あんなご飯で満足していた自分が馬鹿みたい。咲夜の作るお料理こそ、真のご馳走だったのね……」
「いやね霊夢。これくらいのお料理ならできて当然、いつも神社で出す宴会料理と大して変わらないわよ」
「そういう謙虚なところが本物の料理人って感じがするわよねー」
 肉と野菜に魚と米。一食分とは思えないほどの料理が目の前に並び、机を埋め尽くしていた。昨夜も似た光景を見たような気がするが、モノが違うのは明らかだ。
「まさか、毎日こんなもの作ってるわけじゃないわよね?」
「今日は霊夢が泊まるということで、私の判断で特別なご馳走を用意しましたわ」
「そ、そうよね」
「いえまあ質は毎日これくらいあるけど」
「え、ずるい」
 宴会で料理を作ってもらう度に目を逸らしていた事実が、鎌首をもたげて脳に入り込んできた。ついでに匂いとして鼻からも。それが事実なのならば、あまりにも生活の水準が違いやしないだろうか。
 がやがやと賑わう食堂には妖精たちが集っており、食べ慣れた様子で咲夜の料理を平らげている。
 これが日常風景かと思った瞬間、霊夢は目頭に帯びる熱を自覚した。
「はあ。事件も終わって良い気分だったはずなのに、どうしてこんな思いをしないといけないのかなあ」
「うちの料理が豪華なことくらいで、今さら何を言ってるんだか」
「そうは言うけどね。久々に奮発したなあと思った次の日にこういう現実を見ると、色々と思うところもあるってもんよ」
 昨日は昨日で満足だったけど――独り酒を回避することもできたし。誰かさんも来てくれたし。
 内心でそう思いはすれども、しかしそれはそれ。これはこれだ。
「ま、こうやってたまーに美味しい思いをできるだけでも十分だけど」
「あら、じゃあいっそのこと霊夢も紅魔館に住んでみる? お嬢様も歓迎するでしょうし。食客としてお迎えしますわ」
「魅力的なお誘いね。でも……」
 でも、と言いつつ。心が肯定を示していないことを、霊夢は感じ取っていた。
 咲夜はおかしいけどもいい奴で、レミリアはおかしいけれど面白い奴だ。おかしくて壊れている奴とか他にも色々いるが、とにかく一緒に暮らせば楽しいことは間違いない。
 でも、でもだ。それは駄目だ。
 巫女はやめられない。やめたら、こんな日常だってたぶん無くなる。
 もしかすると新しい日常に満足を得るのかもしれないけど、それを選ぶ勇気は自分にはない。どこかの魔法使いと違って。
 ……やだやだ。今の無し。
「やめておくわ。巫女だもの、私」
「そう言うと思った。じゃあ、これからも末普通によろしくね」
「はいはい。というか、そういう咲夜の方こそ永生きする予定はないの?」
 てっきり、とっくの昔にレミリアとそういう話をしているのかと思っていた。
 自力の時間操作か、それとも吸血鬼と化するのかは知れないが、人を辞めるのは既定路線だと思っていたのに。
 そんな霊夢の思考が顔に出ていたのかどうか。咲夜は困ったように微笑んで、
「お誘いは頂いたんだけどね。丁寧に辞退しましたわ」
「それはまた、どうして」
「ふふ、秘密」
「むむむ」
 笑い方が小悪魔のような悪戯めいたそれへと変わる。
 ここまではっきりと言われてしまってはどうしようもない。きっと、主にもその理由は伝えていないのだろう。
「私が死ぬ前には教えてあげるわよ。それより、意外ね」
「え、何が?」
「霊夢からそういう話をしてくるのがよ。一昨日の件、もう解決したの?」
 一昨日の件――まただ。パチュリーも言っていたが、一体宴会の夜に何があったのだろう。
 幾ら泥酔していたとはいえ、傍から見ていてそんなにも気にされるようなことを忘れてしまうものなのだろうか。ひょっとすると、それほどまでに自分にとって嫌な出来事だったのかもしれないが――。
「……ねえ、一昨日何があったの?」
「覚えてないの?」
「お恥ずかしながら。お酒に負けた巫女と笑うがいいわ」
「自棄にならないの。でも、そうねえ」
 どうするべきか、と咲夜が思案しているのがわかった。
 本人が知りたいと思っているのだから素直に教えてくれればいいのに。そう霊夢は思い、しかし言葉を待った。咲夜が考えているということは、それだけ考える必要があるということなのだから。
 そうして永い数秒が過ぎたのち、ゆっくりと咲夜が口を開く。
「魔理沙がね、言ったのよ」
「何を?」
「蓬莱人が、永い時を生きる理想のカタチだって。でもそれは手に入りそうにないから、自力で手に入れようって」
「……それで?」
「本当に覚えてないの? 魔理沙に喧嘩をふっかけたことも」
「私が? あいつに?」
 全く記憶に無い――とも言えなかった。
 言われ思い返してみれば、昨日見た白昼の夢がそんな内容だったような気もする。
 そんなことがあったのであれば、強く記憶に残っていると思うのだが――まるで、鮮烈な夢でも起きれば忘れてしまうように、今の今まで頭の中から消失していた。
「霊夢がすごい顔してたものだから、皆気にしてたみたいよ。まあ、当の魔理沙は笑っていたけどね」
「……そう。そんなことが。全然思い出せなかった」
「相当酔ってたみたいだし、頭も打ってたみたいだし。そういうことだってあるんじゃない?」
「そう、なのかなあ」
 昨日はやけに頭痛が酷かった。お酒を飲んで頭を打てばそうなりもするだろう。そして、それを理由にして嫌なことを忘れてしまうことだって。
「傍から見ていた感想を言うけど、悪いのは霊夢よ?」
「客観的意見は素直に聞いておくわ。でも魔理沙、昨日も今日も全然そんなこと言ってなかったのに」
「魔理沙からすれば気にすることでもない、ということでしょうね。霊夢が口にしないのであれば自分からは言う必要もないコトだ、って。魔理沙がそういう機敏に聡いの、霊夢が一番よく知ってるでしょ?」
「はいはい、どうせ私は鈍感巫女よ」
 嫌味なく言って、咲夜も気を悪くした様子もなく苦笑を浮かべた。
 ……はあ、まったく。
 魔理沙のあれこれに思うところは確かにある。けれど、それを今話してもどうしようもない。魔理沙がそう気を回すのであれば、今は目を瞑っておこう。
 あいつにどんな考えがあろうとも暫くは大丈夫だろうし、何かあれば天性の勘が何かを告げてくれるに違いないのだから。
 霊夢はそう心の中に留め置き、口に出すことはしなかった。代わりとでも言うように、改めて手元のグラスを口に付ける。
「あー美味しい。せっかくいい気分だったのに、魔理沙のせいで台無しよ。飲み直しましょ、飲み直し」
「ふふ。勝手に人のせいされて魔理沙も災難ね」
「いいのよあんな奴。変に気を回されるくらいなら、もう一度決闘でけりをつけた方がマシってもんよ」
「きっと霊夢が心配でいつも通りにしていたのよ。図々しくて思いやりが無いように見えるのが、魔理沙の良いところでしょ?」
「良いところっていうのかなあ、それ」
 物は言いよう、にすらなっていないのは気のせいだろうか。
 色々と言いたいことはある――やっぱり、魔理沙が口走ったというコトも含めて。だが既に魔法のランプにまつわる異変は解決したも同然で、魔理沙だって図書館に明日まで缶詰だ。そんな状況で、考えすぎるのが良くないことなのは明らかだった。
 ……魔理沙と話すのは、事件がちゃんと解決してからね。
 いつかの未来で、いずれは話さなければならなかったこと。この機会に、いつ魔理沙と話すかを自分の中で決めてもいいかもしれない。しかし何にせよ、全ては明日になってからだ。
 既に頭の中の警報は鳴りやんでいる。そして代わりに、明日こそ上手くいくはずだという漠然とした思いも浮かんでいる。
 いつもより確信に満ちていないのが不安と言えば不安だが、後はパチュリーと――魔理沙の仕事を信じるだけである。
「よし、考えるのやめ。今日はもう食べて飲んで全部忘れるわよー」
 そう口に出して、意識的に意識を切り替えようとする。
 そうするつもりだった。
 だが、それはできなかった。
 何故なら、
「……あら、でも。そういえば、おかしいわね」
 ――と。ふと呟かれた咲夜の言葉が、耳に入ってしまったからだった。
 聞き流せばいいのに――どうせ大したことはないのだから。心の隅からそんな声が聴こえる。
 だけどそうはできなかった。聞き返すのが正しい。と、勘が告げているようにすら思えた。
 だから霊夢は、おずおずと口を開いて、
「……おかしい。おかしいって、何が?」
「大したことではないんだけど……一昨日の夜、私と魔理沙で宴会の片づけをしたのよね。誰かさんが気絶してたものだから」
「そ、それで?」
「そのとき魔理沙、暫くは研究に集中するから顔を出せなくなるなって言ってたのよ。だから出かける準備なんて、するはずないのに」
 ――ああ、なんだ。そんなことか。
 霊夢は己が安堵を得たのを悟った。
「あー、ああ。そっか、そのことね。それなら気にすることじゃないわ。パチュリーから魔法のランプのこと聞いてない? どうやら私がマジックアイテムで魔理沙を神社まで引き寄せちゃったみたいなのよ。で、その後はずっと一緒に行動してるってわけ」
 そうでなければ、さしもの魔理沙も喧嘩の翌日に顔を出せるはずがない。それも箒と帽子を装備した、いつも通りの臨戦態勢でいるはずが。
 もっとも、魔理沙が元々決闘の続きをしに来ていたというのであれば腑には落ちるが――。
「……あの格好で?」
「――え」
 そう口から零れた疑問は、はたして音になっていただろうか。
「咲夜、今なんて」
「さっき魔理沙の姿は見かけたけど……一昨日宴会で見た通りの、お外行きの格好だったわよ。壁に箒も立てかけてあったし」
「それは」
「そのランプで魔理沙を呼び寄せたのって、いつ頃なの?」
「……お夕飯時」
「じゃあ魔理沙だって部屋着で過ごしていたはずじゃないの? 少なくとも、箒を持ってるのはおかしいんじゃあないかしら」
「――――」
 魔法のやったことなのだから――理不尽が引き起こしたことなのだから。それくらいの矛盾があっても、おかしいことではない。単にランプが気を利かせて、服を着替えさせて、箒を持たせて、そんな完璧な状態で呼び寄せただけだ。そんな理由付けが頭の中に浮かんで来る。
 けれど、それがおかしいということにも気が付いていた。
 魔理沙に来てほしいと思っただけで、そんなオプションがついてくるはずがないのだから。
 ……もしかして、違う?
 一人で夕飯を食べたくなかったから、誰かに来てほしいと思ったから。だから、魔理沙を無意識に呼び寄せていた。
 その推論が、間違っていたとしたら。
「…………」
 得体のしれない何かが霊夢の背筋を伝った。身体が震えていた。
 ――怖い。
 直観ではなく思いとして、霊夢は己が得ている物を感じ取る。
 得体のしれない何かを恐れている、のではない。
 何か。ナニカの正体が、少しも頭の中に浮かんでこない。そんな、不明を恐れる人間らしい自分自身に、怖れを覚えていたのだ。
「霊夢、大丈夫? 顔が真っ青だけど」
「……私、ちょっと魔理沙のとこに行ってくる」
 咲夜が心配してくれているのがわかったが、今は気にしている余裕がない。腹の底からはどんどんと不安が湧き上がり、消える様子はなかった。
 生まれて初めて感じるような――巫女として感じたことのないような、暗い何かが全身を支配しかけている。
 一刻も早く、図書館に行かなければならない。
 そう思い、食堂の扉を開けようとして――。
「あ、霊夢。聞いたわよ、急に泊まることになったって」
「レ、レミリア」
 食堂から出ようとした矢先、レミリアと出くわした。
 彼女は急な訪問客にも、パーティじみたご馳走をメイドが勝手に作ったことにも、一切気を悪くした様子はないようだった。寧ろその顔には彼女らしい笑顔が浮かんでいて、機嫌が良いことは今の霊夢にも解った。
「あらあらもう休む気? 一昨日は私と飲む前に寝ちゃったんだから、今日は付き合ってよね」
「レミリア、悪いんだけど後にして」
「ダメよダメ。私、紅魔館の主なのよ? 此処にいる以上は私の言うことを聞いてもらうから――」
 そんなこと言っている場合じゃ――と、言いかけた口が止まった。
 否。止まっていたのはレミリアの方だった。呆然と、無表情にすら見える驚嘆の表情で。霊夢が見たことのないような貌で、レミリアの動きは止まっていた。
 自分が急いでいることすら忘れて、また霊夢も動きを止めていた。
 ……何よ、その顔は。
 まるで時間が止まったかのように、二人の視線がぶつかって。
 そうして、先に動き出したのはレミリアだった。
「霊夢。霊夢、貴方――」
 彼女は彼女らしくもなく、驚きに感情を乗せない空白の表情で。
 霊夢に、こう告げたのだった。
「――いつの間に、人間を辞めたのよ」

  ◆◆◆

 ――暗い。
 地下にあるのだから。陽が当たらないのだから。夜なのだから。そんな当たり前の理由が頭に浮かび、それでも原因は別にあると霊夢は悟る。
 魔法は霊夢の知識の埒外。しかし力の強さや、存在の有無ならば感じ取れる。照明か、泥棒避けか、それとも防虫や防黴か。図書館には常に力が張り巡らされていて、それはつい数刻前まで同じだったはずだ。
 だが、それが今はない。図書館の中には、一切の魔力が存在していなかった。
 一切? それは違う。そうではない。
 図書館の中には、あるのだ。
 消失したのはそこに必要ないからであって――別の、一番重要なところに回されているだけに過ぎない。
 一つだけ、力が感じられた。図書館の奥から。パチュリーと、魔法のランプがいるであろう、暗闇の奥から。
「――もう。一晩はかかる、って言っておいたでしょう? せっかちは損なのよ」
「生憎、こっちは寿命の定まった人間なのよ。だからせっかちにもなるし、生き急いだりもするの」
「人間。人間、ねえ。随分と鈍くなったのね。それとも解って言ってるのかしら」
「――パチュリー、あんた」
 闇から浮かび上がった彼女の周りは、暗い光に包まれていた。精霊が灯すその光は、足元を照らすことすらできていない。
 ただ、パチュリーの顔を見ることはできた。薄く口角を上げる、魔女らしい顔を。
「ねえ霊夢、どこまで解ってるの?」
「解らないわ。解らないけど、元凶を倒せばどうにかなるってことは判ってるわ」
「そう。じゃあ何も解ってないのね」
「どうだか。まずはあんたを張っ倒して、どうなるかを確かめてあげるわ」
「――だから、何も解ってないっていうのよ。どうにかなる、だなんて言い方をしている時点でね」
 魔女が一歩を進む。霊夢は何も反応できない。
 反射が追い付かなかったのではない。どうにかしようと思い、しかしどうすればいいかの答えが思いつかなかったのだ。
 気が付けば目の前にパチュリーが立っていて、
「霊夢、貴方はどうしたいの?」
「どうって、いつも通り異変を解決して――」
「解決、というのはどういうことかしら。例の女の子なら、どう転んでも救われるはずよ。博麗の巫女が自己犠牲を厭わないのなら、ね」
「……どういうこと」
「質問したのは私が先よ。霊夢、貴方はどうしたいの?」
 繰り返しの問いかけに、霊夢は答えられなかった。
 意味が理解できていない。パチュリーが、一体何を言っているのか理解ができない。
「……魔法のランプには、私が全力をかけて魔力を注ぎ込んだわ。あの子が叶えられる願いであれば、不足無く具現化できるだけの魔力をね。だから、霊夢がそれを望むのであればどんな願いでも叶えられるはずよ――あと一回は、だけど」
 昔話に語られる“願い”のエピソードには、多くの場合に願いは三つまでという制限が設けられている。あのランプも、やはりその類型に倣うということか。
「そう、それは有難う。ならさっき話してた通り、女の子を元に戻すことに使用してそれで終わりね」
「あらそれでいいの?」
「他にないでしょ? それに、願いは三つまでしか叶えられないというのも都合がいいわ。もしそうじゃなければ私、欲に負けて使っちゃいそうだもの」
「ま、確かにね。幾ら霊夢でも、一人で二つも願いを叶えるだなんて強欲が過ぎるもの。それに、既に叶えた願いの内容が、大きすぎるものね」
 言うパチュリーの声色に、険はない。まるで日常の中にいるような、冗談めいた色を帯びてさえいた。
 だけど、そうであるが故に――そして告げられた内容に、霊夢は異常を覚えた。
「大きくなんて、ないでしょ。魔理沙を呼び寄せたことくらい。それともエネルギーがどうたらという話のこと?」
「そうじゃないわ。それに霊夢は、魔理沙を呼び寄せてなんていないもの」
「……さっきは嘘をついたってわけ?」
「まさか。だって私、最初から“寂しがりの博麗霊夢は無意識に願いを叶え、結果としてこいつを召喚した”としか言ってないわよ」
「――――」
 確かに。
 話の流れで、パチュリーに肯定されたものとばかり思っていた。しかし思い返してみれば、パチュリーは一度も“魔理沙を呼び寄せたことが願いの内容だ”とは言っていない。
 だが、そんな言葉のあやに過ぎない言い換えが何だと言うのだろう。
「呼び寄せたと、召喚したなんて、同じ意味でしょ。それが一体――」
「本当に鈍いのね。やっぱり――人間から離れるにつれて、巫女としての力が落ちているのかしら」
「な――」
 人間から離れるにつれて――それはどういう意味か。
 食堂を出るとき、レミリアから呆然呟かれたモノと、同じ意味の言葉。
 自分が――博麗の巫女たる、人間の代表たる自分が、人間から離れるだなんて。そんなことが起こりうるはずがない。
「――っ、埒が明かないわ! 知ってることがあるなら全部教えてよ!」
「知ってることなんてないわ。全ては推測よ。あいつにも聴いたけど、解ってないようだったし」
「魔理沙が知ってるわけないじゃない! あくまで魔理沙は、巻き込まれただけで――」
「魔理沙の話なんて、してないわ」
「――え?」
 あいつ、とは魔理沙のことではないのか。
 この話の中で、魔理沙以外の登場人物が出てくることがあるのだろうか。
 そんな疑問が顔に出ていたのだろう。パチュリーはわかりやすく溜息をついて、更に半歩を踏む。
 息が届きそうな距離に、パチュリーがいた。闇の中にあってなお、細かな表情の窺える近い距離に。
「あいつは言っていたわ。気が付いたら自分は神社にいて、その前の記憶は無いのだとね。でもすぐに状況は判ったから、合わせることは簡単だったって」
 何を言ってるのだろう。それはやはり、魔理沙のことではないのか。
「一晩経ったら、自分が何者なのかくらいは思い出したみたいね。最初は驚いたそうよ、こんな願いを叶えたのは霊夢が初めてだって」
「だから、何を――」
「大きな力を持つ巫女が、心の底から願ったからこそ起きた途方もない奇跡。無自覚にそれを引き起こしたのは、驚嘆に値するわ」
「何を言ってるのよ!」
 叫び、御札と御払い棒を構えた。
 いつものように、決闘をすれば解決するような気がして。だから霊夢は構えを取って、パチュリーを睨みつけた。
 だけど、パチュリーは動かなかった。まるで、自分がやるべきことは語ることだけなのだとでも言うように。
「……霊夢。貴方が昨日、叶えた願いはただ一つだけ。だけど、それは三つの思いが一つに収束したものなのよ」
「三つが、一つに……?」
「――まずは一つ目。霊夢は忘れているみたいだけど、貴方、あのランプに対してこう思ったでしょ。あんたが人の形を持ってくれればいいのに、って」
 確かに、言った記憶がある。
 今まで出会った妖怪のように、異変を解決したのならば、意思を疎通できれば良いのになと。
 でもそれは、なんてことのない願いのはず。怪異が人の形を持つという、幻想郷の常識をなぞったに過ぎない発想だ。特別な力などなくとも、それくらいは起こり得る現象ではないのか。
「――二つ目。これはやっぱり、寂しがり屋の霊夢が誰か来てくれないかと思ったことによるもの。霧雨魔理沙のカタチで現れたのは、それだけ霊夢が魔理沙のことを想っているということね」
 ならば、話の通りではないのか。
 誰か来てくれないかと思ったから魔理沙が来た、それだけの話ではないのか。
 それに一つ目の話にしてもおかしい。実際に、あのランプは人の形を持ってはいないではないか。
 思い、けれど頭の中では既に解っていた。
 パチュリーが、何を言いたいのかを。
「この二つの思い。それが、もっとも強い霊夢の感情を叶える手助けとして機能したのよ。だから、あいつは霧雨魔理沙ではないの。もう、解るでしょ?」
「なら、魔理沙は……あの魔理沙は」
「魔理沙じゃないって言ってるでしょう。言った通りよ、ランプがヒトガタを持ってほしい。誰かが来てほしい。その二つが混ざった結果、“霧雨魔理沙の姿と記憶を持ったランプの魔人”が創られたのよ」
「そんな――そんなこと」
 有り得ない、と反射的に口から出そうになった。
 魔法のことは解らない。中東の神秘にも理解はない。
 だけど、そんな奇跡が起こらないことくらいは判る。
 そんな、そんな新しい命を生み出すような奇跡だなんて――。
「……最後の一つってのは、何なのよ。私が一体、どんなことを無意識で願ってたっていうのよ!」
 霊夢の激昂に、しかし魔女は答えない。
 代わりにある変化が生じた。
 笑ったのだ。
 霊夢の目の前で、魔女が笑っていた。
 本当に、本当に愉快なことがあったかのように。
「……私ね、今の生活が気に入ってるのよ。きっとレミィも、皆もそう。ずっとこんな毎日が続けばいいと、そう思ってる」
「そんな、今は関係のない話」
「でも、咲夜はそう思ってないみたいなの。いいえ、今が好きだからこそ永遠を望んでいないのでしょうね。人間のままで有りたいというのは、貴方たち人間を好きになったからかしら」
 パチュリーの言葉を、霊夢は止めることができない。語るその顔は、冗談や誤魔化しを言う者のそれではなかったからだ。
「そしてそれは魔理沙も一緒。ああいえ、逆かもしれないわね。私は今の生活が続いてほしいと思っているけど、魔理沙の場合は向きが逆。探求心、冒険心、それ以外の前向きな何か。楽しく変化のある世界を永い間味わいたいと思っている。できれば、永遠にってね」
 永遠。
 それは一昨日の宴会で、魔理沙が口にした言葉と同じではなかったか。
「人の身で永遠を手に入れられれば一番なのでしょうけどね。でも、蓬莱人でさえ見方を変えれば妖怪よ。永い時を生きるモノになる以上は、人を辞めるほかはない。まあ、魔理沙なら捨虫も捨食も、その気になれば習得できるでしょうけど」
 永い時を得る。
 魔法使いになる。
 ――人間を辞める。
 パチュリーの言う通り、魔理沙であれば実現可能だろう。
 苦戦し、悩み、努力を重ね、何度も失敗して――だけど、その全てを楽しんで。
 そして、それを止める道理が霊夢にはない。
 だって、それは何の法に触れるものでもない。
 触れるというならば、一つしかない。
 それは、博麗霊夢の心そのものであって。
「魔理沙は永遠を望んでいるわ」
「知ってる」
「そして、霊夢も」
「そんな、コト」
「いいえ、望んでいるわ。正確には、違うモノだけどね」
「――じゃあ」
「ええ。霊夢、貴方が思った願いっていうのはね、それなの」
 パチュリーの、言いたいことが解る。
 魔法のランプが霧雨魔理沙のカタチを得たこと。
 博麗霊夢の身体が人から離れ、巫女としての力が薄れていること。
 それは全て、根底にある一つの願いを叶えた結果に過ぎない。
 解っていた。ついさっきまでは何も解っていなかったのに、今となっては確信できる。
 それは、つまり、
「私が魔理沙と……ずっと一緒にいたいって、思ったから。だから起きた出来事ってこと……!?」
「――ああ、どうやらそうみたいだぜ」
 声が来た、と霊夢は思った。
 そうではなかった。
 到来したのは、声だけではなかった。
 光だ。そして、低く響く重い轟音も。
 魔理沙が――魔理沙の姿を持つ者が、図書館の奥から迫ってきているのだと気が付いたとき、既に霊夢の身体は宙に浮いていた。
「ぐっ――」
 逆落としに流星が落ちるように。図書館の天蓋へ、二人の身体が昇っていた。
 光と衝撃の中、眼下に見えるパチュリーの姿が見えた。手をひらひらと振って、見送るような様子を見せているパチュリーの姿が。
 そういえば、かつてロケットが打ち上げられたのもこの図書館ではなかったか。そんな記憶が想起され、瞬間二人の身体は外に出ていた。
 パチュリーの操作で天蓋が開き、出口が現れたのだ。そう理解する頃には、周りは夜に包まれていた。
 冬の空だ。透明な空気の中では全てが見えた。
 紅魔館も、遠くに望む人里も、霧雨魔理沙の人のカタチも。
 その、星明りのような笑みでさえも。

  ◇◇◇

「……パチェ」
「あらレミィ。遅かったわね」
「私がいると話がややこしくなりそうだから、待ってたのよ」
 パチュリーは、月光の下で友の顔を見た。
 珍しい、と言えるほどには見たことがない表情だ。困惑、憔悴、そして疑問。そんな色が浮かんでいた。
 実力があって頭も回り、なにより現状を楽しむ能力に長けている。そんな彼女からは考えられない表情だった。
「そういうところ、魔理沙と似てるわよね。レミィって」
「……どういうつもり? さっきは何も言ってなかったじゃない」
 さっき、とは夕飯の前に図書館で話をしたときのことだろう。なるべく時間をかけて魔力を充填したいが故に、先ほどは話をはぐらかしたのだが、さて。
「どうもこうも、言う必要がないと思ったからよ。魔術に関するあれこれなんて、レミィ興味ないでしょ?」
「嘘はいいから。大方、私に知られたら止められると思ったからでしょ?」
 ため息交じりに言いきられてしまってはどうしようもない。
 ……うんうん。流石はレミィ、最高ね。
「……レミィなら一目で見抜くかと思っていたけど、気が付かなかったみたいだから。だから黙ってたのよ」
 霊夢と共にやってきた存在が、霧雨魔理沙でないことは一瞬でわかった。魔力の流れ、肉体が帯びる精霊の声、そしてマジックアイテムの持つ異様さ。それら全てが答えを示していた。
「あのねパチェ。そういう言い回しも嫌いじゃないけど、今は答えだけ言ってくれないかしら。珍しく焦ってるの、私」
「実はちょっと私も楽しくなってきちゃって」
「黒幕気取りで解説するの、楽しそうだったもんねえ。それともマジックアイテムが珍しいものだったから?」
「それもあるけど……ほら、霊夢がもしかしたら永生きしてくれるかもしれないと思うとね」
 一瞬だけ、空気が止まったように感じた。
 それは会話が途切れたからそう感じたのではない。友人から、炎にも似た気配が一瞬だけ立ち上ったからだった。
「パチェ」
「わかってる。だから、こうしたんだもの」
 空を見る。透明な空を。月と星が並ぶ、綺麗な空を。
「……レミィだって、霊夢が生きていてくれたら嬉しいでしょ?」
「霊夢本人が心からそうなりたいと思ってるならね」
「思ってるでしょう、あれは」
「本能も理性も心のうちよ。だから、口から出た言葉が霊夢の本心」
「レミィが、無理矢理咲夜を自分のものにしないように?」
「……流石はパチェ。最高ね」
 我儘で自分勝手で思いやりが見えなくて。だけど、近しい誰かのことを一番に考えている。パチュリーは、そんなレミリアのことをよく知っていた。
「霊夢や魔理沙と仲良くなってからだものね、今の咲夜があるのは」
「そうね。咲夜にフラれたときは心が痛かったけど……それだけ咲夜の中で、人間というものが大きいんでしょうね。――ああ、なるほど」
 相変わらず察しが良い、とパチュリーは思う。
 飛びぬけて洞察力が高いからでも、運命を見ているからでもない。
 単に、相手をちゃんと見ているからこその察しの良さ。
「魔理沙なら、何をせずとも魔法使いになるわよね。なら――」
「そう、お察しの通りよ。霊夢と魔理沙、二人共が人を辞めたのであれば、咲夜だってこっち側に来るんじゃないかしら」
「霊夢、やっぱりそうなってるの?」
「ええ。このまま霊夢が解決しなければね」
 隣から、息を呑む音が聴こえた。
 本当に、この悪魔は優しい。霊夢が人間として在ることに拘っていることを、霊夢以上に気にかけている。
 そう思っていることを隠そうとしているのかいないのか。次にレミリアが呟いた言葉には、冷ややかな響きが含まれていた。
「解決、ね……三つ目の願いで自分の身体を治すことができれば、霊夢自身の問題は解決する。でもそれは」
「ええ、里の子どもを治せなくなることを意味するわ。だから霊夢は選ばない。それを選んだのなら、どちらにせよ人間ではなくなるもの。だから――」
 さて。
「可能な限り魔力は注いだから……本当に魔理沙を十全に再現しているのであれば、霊夢は負けるでしょうね」
「負けると、どうなるの?」
「どうもこうも、願いを叶えるだけよ。霊夢の身体はそのままに、己は消えてそれで終わり」
「つまり霊夢が元に戻るには、それまでに霊夢があいつを退治しなければいけない……と?」
「ええ。退治という形であの子を消滅させるならば、全ての願いが無かったことになるはずだもの。怪異って、そういうものでしょ?」
 言い放った結論に、しかし友からの返答はなかった。心配のあまり、すぐに飛び出していきそうな気配も。けれど納得を得ていないのは、表情を窺うまでもなく伝わっていた。
 改めて空を見る。既にそこには星はなく、もう一つも消えていた。
 今からでも見に行きたいのは自分も同じこと。だけど、それをしてはいけないことくらいは判っている。
 だからこう言うことにした。相手を利用するような言いぐさで、それでも親友は許してくれるだろうと、そう思いながら。
「夜が明ける前に、天体観測に行きましょうか。ちょっとだけ寄り道もして、ね?」
 親友が思った通りの苦笑を浮かべるのを見て、パチュリーは同じように笑みを作った。

  ◇◇◇

 星が降っていた。
 螺旋を描く川のように、帯を模る小惑星のように。
 星屑が織りなす地平線は、幻想のように離れることも近づくこと許してくれない。
 どれこれもが観測した覚えのある天体で。
 その全ての星々が、心に焼き付いていた。
 いつかの晩夏に夢見たような。
 かつて望んだ流星群のような。
 眩い数多の弾幕が、目の前に降り注いでいた。
 ――だけど、そこにはあったのだ。
 その全てと比較して、尚も褪せない一つの星が。
 未だに燃え上がってはいないけれど、それでも輝く眩い星が。
「――魔理沙、どうして!」
「おいおいなんだよ決闘中に。舌を噛んでも知らないぜ?」
「ふざけないで! 何も言わずに始めちゃうなんて――」
「お前らしくもない。私たちって、こういう関係だろ?」
「違う! だって――」
 夜の平野だ。妖精の姿は見えず、化生の影すらありはしない。
 誰もいない。彼もいない。ただ自分と相手の二人だけ。
 冷たい空気を裂きながら、身を滑らして前に出る。
 だけど、縮まらない。
 星を追えど追えど追おうとも、二人の絶対距離が縮まらない。
 光は躱せる。弾は見える。声は届く。
 けど、それでは駄目だ。
 身体は前へと飛ばさなければいけない。
 相手を視なくては追うことはできない。
 意志を貴方に伝えなければ、意味がない。
 その全てが適わない。闇を落ちる明るい星に、何を言っても届かない。
 札も針も宙を飛び、迫る星々を砕きはする。
 だが足りない。遥か遠くの流星に、何もかもが届かない。
「――待って、待って!」
「はは、まるでオリオンみたいだな。星の中で追いかけっこだなんて」
「私はサソリだって言いたいの!?」
「よく知ってたな! さそりに追いかけられたことがきっかけで命を落とし、空に昇ることになったオリオン。夏と冬で交互に姿を現す、追いかけっこの星座たち――私が霊夢に話したんだったか?」
「よくそんなことまで覚えてるわね!」
「覚えてるさ。霧雨魔理沙は、霊夢のことならなんでも覚えてるよ」
「――――」
 霊夢は見た。魔法使いの口角が上がり、その表情を深いものとするのを。
 ……どうして。
 わからない。
 博麗霊夢には、この魔法使いのことがわからない。
「どうして、そんな顔が――」
「愚問だな。霊夢ならわかるだろ、霧雨魔理沙のことが。異変解決、弾幕決闘、いつもやってることじゃないか」
「あんた、意味わかってるの? この異変を解決するってことは――」
「ああ。先に私が人里について、霊夢より早く願いを叶える。あの女の子を元に戻すって願いをな。そうしたら万事解決だ」
「解決したら、あんたはどうなるのよ!」
「パチュリーのやつも大したことないぜ。願い事一つ分の魔力しか充填してくれないとは。紅魔館からの交通費を考えると赤字だろうな、頭が痛いぜ」
「なら――」
 消える。消えてしまう。
 願いを叶えて、この魔法使いは消えようとしている。
 消えるとどうなるか。全ての願いは無かったことになるのだろうか。
 そうかもしれない。
 けれどそうではないのだろう。
 かの逸話のように、叶えられたモノ自体はそのまま残るのだろう。
 食べ物を願えば食べ物が。
 川を願えば水が、火海を願えば炎が。
 ならば今、後にも残るものとは何なのか。
 霧雨魔理沙のカタチが消えた後、残るものは何なのか。
 考えるまでもない。自分の身体の異変のことは、もはやしっかりと解っている。
 ならば、先に退治しなければならないのは明白だ。
 三つの願いを叶える怪異が、役目を果たすその前に。
 人の代表たる博麗の巫女の、役割を果たさなければ。
 今まで同じように。
 人間の代表として。
 怪異を退治さえすれば、全ての願いは無かったことになるのだろうから。
 ――だけど。
「そんな顔するなよ。異変の元凶を懲らしめれば全ては元通り。もう願いを叶える必要はない――巫女様は、怪しげな力には屈服しないんだろ?」
「そんなの――そんなの撤回よ。叶える願いを増やしてよ。私とあの子の両方を元に戻してよ。それくらいのこと、できるでしょう!?」
「できないさ。願いを叶えて起こったことは、それの全てで一組だからな。一部だけを撤回してだなんて、聴けないよ。それに霊夢、お前の願いは――魔理沙と、永い時間を生きることだろ?」
「――――!」
 否定するように腕が動いた。それは力任せの振りかぶり。
 陰陽玉を投げつけて、技も何もなく強引に星層を貫こうとした。
 できなかった。何故なら、
 ……陰陽玉が――。
 動かない。全力で投じたはずのその玉が、しかし宙を動かない。
 どうして、と疑問を覚える必要はない。
 永い時間を生きたいだなんてコト、誰が聞いても博麗の巫女失格なのだから。
 博麗の巫女しか扱えない陰陽玉が、話を聞いてくれないのは当然なのだから。
「調子が悪いな。これから先が思いやられるぜ」
「これからって」
「魔理沙と生きる、これからのことだよ」
 まるで他人事のように、魔法使いが呟いた。
 それは小さな声で、弾幕の音に消されてしまうはずの声だった。
 それでも聴こえたのだ。はっきりと、耳に残るように。
「あんた――」
「さあ、ここからが本番だ。さっきまではお前の分、ここから先も全部お前の分だ!」
 言葉と共に闇が裂かれた。
 無指向性の閃光が、嵐を創り夜に生まれた。
 遥か地上の雪さえ巻き上げ吹雪を織りなすその弾幕に、霊夢は張り合わない。
 知っている。この後の魔法こそが、魔法使いに追いつくチャンスなのだと。
 現れた星々を反射で避ける。幾重にも伸びる閃光は、寧ろ灯台のように導となった。
 視界は悪いのに、弾幕の形は綺麗に見える。スペルカードの第一人者。発案者でも創始者でもないのに、それでも一番綺麗な弾幕を撃てる人。
 霧雨魔理沙を模した弾幕は、その全てが本物にしか見えない。練度も光輝も緻密さも、全てが記憶にあるそれでしかない。
 ――だからこそ。
「――やるな。なら、次だ」
 魔法使いが札を宙に投じ、かと思えば粉々に散じた。
 それ自体に意味はない。だがこれは宣言だ。叫ばなくてもいい、朗じなくてもいい。ただただ伝わる意志として、次の弾幕が宣言された。
 魔法使いが構える。箒に腰かけ手を前にして。だがその瞬間、僅かに速度が落ちたのを霊夢は見逃さなかった。
 だから宙を踏んで前に出た。躍るのではなく跳ねるように。空気を乗り越えて、空白の空間に身体を跳ばす。
 一瞬だけ視界が黒に染まって、直後に再び光が見えた。
 だがその光は前から来たものではなかった。
 下だ。
 天上へと伸びる光撃が、左腕を貫いていたのだ。
「――な」
「どうした? 全部同じ弾幕じゃ、つまらないだろ?」
「っ――順番が違うだけじゃない!」
 言葉を返し、しかしそれだけだ。不意を打たれた反動で、身体が崩れ立て直せない。なんとか落下を防いでも、魔法使いとの距離は開くだけ。
「腕、が」
 覚えがないほどの熱に包まれていた。感覚がない。指すら動きはしなかった。
 読まれていた。光の砲撃を打つ間際――速度を落とすその隙に、前に出ようとしたのを読まれていた。ここまであの夜と同じ弾幕だったのは、これを狙っていたのか。
 ルール違反はない。美学への離反もない。ただ単に、こちらの隙を突かれただけに過ぎないのだから。
 そして、今のことで解った問題がある。
 ……宙を跳ぶことができないだなんて!
 跳ぶことそのものはできる。意識的に、どこへ行こうかと思いながら。
 だけどその先、宙を超えた先への対処が追い付かない。勘が冴えないこの身では、一瞬途切れる世界と接続するのが途方もなく難しい。
「……菫子も言ってたっけ。弾幕の中でワープしても、すぐに弾幕にぶつかっちゃう。慣れないと使いこなすのが難しいって」
 跳んだ直後に弾幕があって、そのまま被弾するのは悪夢のような痛さだろう。実際痛い。
 人の身で、神秘を扱うのがこれほどまでに辛いとは。
「もう諦めたらどうだ? じっとしていれば、お前の願いは叶うんだぞ?」
「駄目、絶対に!」
「そうか? だってお前、さっきから否定してないぜ?」
「それは――それ、は」
 言われて気が付く。どうしようもなく、心が認めてしまう。
 ……どうして。
 どうして、それが口からそれが出ていないのだろう。
 そんなことは願ってない――と、本当ならば真っ先に口から出るはずではないのか。
「ずっと一緒にいろよ、霧雨魔理沙と。それでいいじゃないか」
「それじゃ駄目よ。だって私、巫女だもの」
「知ってるさ。でも、辞めたって問題ないだろ?」
「そんな、そんなこと」
 妖怪退治に結界管理。巫女としての仕事なんて、いくらでもある。
 でも、
「重要なコトなんて、何も無いだろ?」
「結界が無くなったら、大事でしょうが」
「紫か誰かが何とかしてくれるさ。それに、代わりの誰かが巫女をやるかもしれないぜ」
「なら、妖怪退治は――」
「それ以上言うなよ。それこそ、一番要らないってお前がよくわかってるだろ?」
 魔法使いの言葉に、巫女として言葉を返せない。
 そう思ったことはなかった。考えたことはなかった。
 だけど全ては解っていたコト。
 既知を当たり前のようにを伝えられ、当たり前のように言葉が出てこない。
 でも。でも、
「でも! 人間が妖怪になるだなんてルール違反じゃない!」
「そう思うのか?」
「あんただって識ってるでしょう、幻想郷の人間が妖怪になるだなんて――」
「そうだな、里のルールを犯すかもしれない。そう解釈する奴がいてもおかしくはない」
「なら!」
「だけどさ、霊夢。紅魔館と魔法の森って、それほどまでに違うのか?」
「――え?」
 言われたことの意味が解らなくて――けれどすぐに解って、霊夢は全ての音が消えたように思った。
 無論それは錯覚だ。瞬く後には鼓膜の震えが脳に届き、変わらずの射音が身体を満たしていた。
 それでもこの感覚は嘘ではない。足元が無くなったような、浮遊感と似て非なる感覚は、確実に腹の底から湧き出ていた。
「だって、咲夜は元々妖怪側の人間で……それにあんたは里の人間で……」
「咲夜だって人里と近しくしているぜ。それにほら、早苗の奴だっている。人里で活動している宗教家が人を外れた存在だなんて、許しておけるのか?」
 何を馬鹿なと思考は巡る。
 幻想郷の生まれかどうかすらわからない咲夜は例外と呼ぶべきだし。
 現人神から人の一字が消えようとも、里に害が及ぶわけでもないし。
 そんなものは屁理屈で、言葉の上での誤魔化しだと。
 そう思い浮かべたことを、声に出そうとして、
「……ぁ」
 何も言えなかった。
 理解してしまった。
「いくらだって、解釈の余地はあるだろ? 私は、人里の人間じゃあないんだからな」
 そうだ。里に近しい人間を止めるのであれば、全て平等に思わなければおかしい。
 博麗の巫女として、平等に。
 博麗の巫女として、冷淡に。
 メイドも神も魔法使いも、同じ扱いでなければおかしいはず。
 おかしいはずなのに、それをしていない。
 していないのは、何故なのか。
 その理由を心が作ろうとして、
「――私は、どうして」
 口から出たのは、そんな言葉だった。

  ◇◇◇

 霧雨魔理沙の記憶が告げていた。霧雨魔理沙は、本当に嫌な性格をしているのだなと。
 傷を受けた霊夢を視界に入れ、それでも心は戸惑わない。今にも泣き出しそうな顔を見ても、それは一緒のことだった。
 胸から溢れるのは昂揚と興奮。少しばかりの身の疲れは、更なる活力を引き出すための糧に過ぎなかった。
 それは決闘が始まってからのことに限らない。霧雨魔理沙として目覚めたときから、身体中にはエネルギーが満ち溢れている。
 ……まあ、親友の腕を焼いて心が跳ねるのは正直どうかと思うけどな。
 身体の傷など日常茶飯事。その程度で心は傷付かず、単なる意思疎通の手段に過ぎないということだ。そのことを記憶で認識し、それでも心は思う。私たちは、中々にどうにかしている。
 だが、そんな幻想世界の常識とは比べ物にならないほど、霧雨魔理沙の性格はどうかしていた。
 何せ、あんな重要なことを――先ほど霊夢に告げたことを、ずっと心に置いているなんて。
 意地悪だ。
 人を辞める。己がその道を歩むことを、心の底で決めているというのに。
 霧雨魔理沙は、博麗霊夢を誘わない。一緒にいようと告げはしない。永い時間、隣にいてくれと告白しない。
 意地悪で、汚くて、卑怯だ。
 こんなにも博麗霊夢のことを想っているのに。
 博麗霊夢の側から言わせようなどと、どれほど性格が悪いのか。
 勿論、解っている。それは意地悪さからくるものではなく、あくまで霊夢に選択をさせなければならないと解っているからだと。
 人を選ぶ。博麗の巫女としての立場を選ぶ。妖怪と、根底で距離を置く未来を選ぶ。
 そんな道を、博麗霊夢は選ぼうとしている。立場に拘って、建前を訂正せずに、昔の自分を保とうとしている。
 今もそうだ。里の子どもの異常は霊夢が何をしなくても解消されるというのに、傷を負ってまで自分で解決をしようとしている。
 それは間違っていない。不正解ではない。人としてあることが、間違いである理由はない。
 ひょっとすると間違っていないだけで、正しいことではないのかもしれない。
 だけれど、魔理沙はそんなことを言うつもりはない。そんなつまらない、人生のアドバイスのようなことは。そんな助言が、一体人生にどんな面白さを与えてくれるというのか。
 そうだ。
 霧雨魔理沙は、どちらも好きなのだ。
 己の隣で永遠を生きてくれたら、きっと楽しさは無限のものとなるし。
 妖と交わり乍らもいつかは死ぬ、巫女と生きるのは最大級の楽しさだ。
 だから霧雨魔理沙は何も言わない。
 己の隣にいてくれるかどうかは判らない。
 あるいは他の誰かを選ぶかもしれない。
 全てを理解しているのに、霧雨魔理沙は何も言わない。
 なんて、薄暗闇のない人間なのだろう。
 選ばれないことに対する不安がない。嫉妬すらもありはしない。
 ライバルとしての競争心は確かにある。次も己が主役になるのだという対抗心も。
 それでも、人が持つべき黒い心のカタチが、どうしようもなく欠如している。
 そのことが、“自分”には堪らなく眩しく思える。
 ……こんな、こんな人間がいるだなんて。
 願いを叶える者としての性質が、魔理沙の心を読み取って解ったことがある。
 霧雨魔理沙には、叶えてほしい願いが無い。
 叶えたい願いはある。いつか叶うと確信している願いはある。
 だけど、誰かに叶えてほしい願いは存在していなかった。
 いつか、自分の夢は実現できる。
 競争心も対抗心も、道のりを楽しむ糧でしかない。
 当たり前にそう思っている。毅然とした確信が、心の中心にあった。
 そんな、普通の人間。
 普通の、理想の人間。
 そんな霧雨魔理沙が、堪らなく眩しく思えたのだ。
「そうさ。魔理沙には、願いなんて必要ないだろうさ。でも――」
 ――願いを叶えるエピソードは、煌びやかな奇跡の印象とは異なり、教訓としての内容に終始することがほとんどだ。
 奇跡になどに頼らず、地に足を付けて生きていけ。
 言われることに間違いはない。人は人としての力だけで生きていくのが本懐であり、得体のしれない何かに頼ってはいけないのだ、と。
 そうなのかもしれない。外の世界で忘れられた自分が、こうして幻想郷に現れているのが良い証拠だ。
 人の身にはもはや、願いを叶える神秘など必要ないのかもしれない。
 ああ、それでも。
「確かに、私は聴いたわ」
 この人間には願われた。
 空を飛び、自由であるはずの人間から、心の底から願われたのだ。
 霧雨魔理沙と、ずっと一緒にいたいと。
 だから。
 だから、これは自分の仕事だ。
 意地悪で、汚くて、卑怯者の霧雨魔理沙に変わって。
 この自分が、博麗霊夢に告げるのだ。
 だって、願われたんだから。
 博麗霊夢は、霧雨魔理沙と永遠を生きたいと。
 一緒に、いつまでも、離れちゃ嫌だと、遠くに行かないでと。
 特別で、誰よりも普通な一人の少女に。
 恋するように、願われたのだから。
 だから。
 だから。
 自分はその願いを達成する。
 この自分が無くなろうとも、それだけは叶えなくてはいけない。
 それが自分の責任だ。
 何故って、
「――告白された喜びを、私だけが貰うわけにはいかないぜ」
 無意識の底。決して言葉にはならない、そんな告白であったとしても。
 それは霧雨魔理沙が受け取るべき、博麗霊夢の感情なのだから。
「……さあ、里が見えてきたぜ。そろそろ終わりしよう!」
 最後の呪文を起動する。里に入ってさえしまえば、直接あの子供に会わなくとも身体を元に戻すことができる。
 燃え上がるような星の呪文。霧雨魔理沙の根源たる、光の魔法を起動する。
 もっとも、霊夢がそれを満足に観測できるかは疑問だ。
 いつもなら牽制にもならない弾幕を、今の霊夢は必死に避けている。
 ミスなく常に通せる当たり前の弾幕を、痛みをこらえて避けている。
 でもそれでいい。そのまま大人しくしてくれれば、全ては終わるのだから。
「もういいだろ、霊夢」
 一際大きな星弾が、霊夢目がけて降り注ぐ。
 自由に空間を跳べない今の霊夢にとっては、致命となる一弾。片腕の身では、御払い棒で打ち払うこともままならないだろう。
 起動しつつある魔法を使うこともなく終わるのか。そう思った先、霊夢が動いた。
 それは右手に持った御払い棒を大きく振りかぶることで、
「もうやめろ! お前が何をしなくても、全部私が変えてやる!」
 きっと霊夢は力が足りず、星弾に押されて地表に落ちる。
 魔理沙としての経験則が、確かな未来を予想させていた。
 だが、
 ……何?
 止まった。霊夢の姿を隠すほどの弾幕が、霊夢の前で止まったのだ。
 霊力を撃ち放し、切り抜けたのかと思えば違う。それならば、弾幕は砕けるか消えるかしているはずだ。
 それはまるで、霊夢の筋力が増したかのような現象で――。
「……なるほど。お前も、昔のままじゃないってことか」
 一瞬の後に、星弾が動いた。
 霊夢を潰し、落下させる動きではない。
 逆だ。大地に落ちるはずの星は、理に反して天上へと打ち返されていた。
 その理由が、魔理沙には解っていた。
 星を撃ち返した霊夢の背後に、見えるものがある。
「――天手力男、か。私との決闘で神を降ろすのは、初めてじゃないか?」
 また霊夢の初めてを貰ってしまったなと、そう思いながら。
 笑って、少女は最後の呪文の宣言にかかった。

  ◆◆◆

 ……ああ、もう!
 霊夢は己の状況が解っていなかった。
 己がどうしたいのかも。
 己はどうなりたいのかも。
 己の心が何処にあるのかも。
 それでも心が直観した。巫女としての直観ではない。博麗霊夢としての心の底が、この現状を否定していた。
 一度は沈んで落ちた心が、理由不明の熱を得る。
 ……私が何をしなくても、今を変えてくれるって……?
 お節介なとは思わない。それをやめてくれとも。
 ただ、心が言っていた。
「――嫌!」
「……どうして、そんなことを言う?」
「そんなのわかんないもん! だけど、嫌なの!」
 どこまでも感情でしかない。賢しい魔法使いと違って、心と気の向くままに動くのが自分なのだから。
 だけど解ることもある。
「私は今の生活が好き! だから今のままがいい、それじゃ駄目なの!?」
「駄目じゃないさ。だがな霊夢、お前だって妖怪が好きなんじゃないのか?」
「うるさい!」
「神を降ろすその業も、今からやろうとしていることも、妖怪との関わりがあったから身についたものだろう?」
「うるさいって言ってるでしょ!」
 理屈にすらなっていない、癇癪のような答え。
 それを諭すように否定され、更には今行おうとしていたことすら読まれていた。まるで大人と子どものやり取りで、傍から見れば笑う者もいるだろう。
 ――構わない。
 勢いに任せて空間を裂く。
 生まれ持っての空間跳躍の技ではない。
 隙間を開く。まるで中に女が居るような、そんな怪しい隙間を開く。跳ぶのではなく、弾幕を消す助けとして。
 壁として生まれた裂け目の群は、弾幕を食って意図通りの役割を果たした。霊力の限界は近いが、現状を凌ぐくらいはできるはずだ。
 だが全ては魔理沙の言う通り。神降ろしもオカルトも、妖怪たちの中で生きる自分があったからこその能力だ。
 そんな技を使っているというのに、やっているのは妖怪から遠ざかること。
 矛盾している。相反している。感情は理性に諭されて、今の行いが正解でないと心が知ってしまう。
 博麗霊夢は己の道を決められない未熟な子供。諭されるように言われて、そのことを自覚した。
 それでも、と心が叫ぶ。
 もし己が完全な妖怪となったならば、その生活は変わるだろう。人里には入れないだろう。神社を追われるかもしれない。もしかすると、誰かに消されてしまうのかもしれない。
 それに、怖いのだ。巫女を辞めることで、今の世界が壊れることが。
 吸血鬼や、魔女や、神様や、人間や、全ての関係性を築くであろう、今までのような出会いが生まれないことが。
「わかんない。わかんないもん。でも――」
 昨日の夜、魔理沙と飲みながら考えていたことは、何だっただろうか。
 違う。昨日の夜だけじゃない。それは今まで、ずっと見ようとしてこなかったコト。
 自分は満足できる。今の生活が壊れても、先の出会いが無くなっても。そこに魔理沙がいてくれるだけで、自分は満足してしまうだろう。
 けど。けどだ。
 子供の自分は、変化を拒んでしまう。
 変化も停滞も、共に幸いな道であると思ってはいるけれど。
 どうしてか、今の自分は後者を選びたがっているのだ。
 理由はわからない。わからないままに、がむしゃらに胸が熱くなっている。
 だから、止めなければと思った。理由はわからないけど、わからないままに変わってしまうのだけは嫌だと思ったから。
 ――だけど、一つだけ言うべきことがあった。
 矛盾した心のままに動く前に、勘違いを避けるために言っておくべきことがある。
 生活の変化と停滞。どっちを選べと言われたら、停滞という名の保留の結論しか出せないのだけど。
 どっちが好きかと言われたら、間違いなく答えを出せるのだから。
「――魔理沙、聴きなさい!」
「なんだよ、降参ならもっと静かに――」
「――好きよ!」
「……は?」
 飛ばした言葉に、心と身体が熱を持ったのが自覚できた。
 ぽかんと口を空けている魔法使いが恨めしい。こちらだけ一方的に熱を覚えるのは理不尽ではないのか。
 しかしそれでいい。一度は沈んだ心が熱さを得て、心の動力が回転するのであればそれでいい。
 今が冬であることを忘れるほどの熱が、顔面を中心として染み広がる。
「――二回は言わないわよ!? 死にそうだから!」
「……そうか。解ったよ。でもさ」
 魔理沙の周囲で、力が膨れ上がった。
 肌を刺す魔力そのものが宣言となり、彼女の魔法が鳴動する。
 ラストワードが、起動された。
「それ、ちゃんと魔理沙にも言ってあげなよ」
 そうして、光が生まれた。
 今まで見た中で、最も眩いほうき星が。
「霊夢の気持ちは解った。だけど、私は私のやりたいようにする」
 一瞬の後に、全身が衝撃を受けた。
 攻撃ではない。大量の空気が動いたことで、圧が働き身体を押したに過ぎない現象だ。
 思わず目を閉じて、そして開いた後には誰もいなかった。
 人里に、ほうき星が落ちようとしている。
 同時に数多の星がそこに生まれた。ほうき星の尾から零れるように、今日一番の星の海が生まれていた。
「……やっぱり、最後はその呪文なのね。なら――」
 天手力男に帰っていただき、代わりの神を降ろす。
 星の海、なんて見立てがどこまで適用されるかは判らない。かつてロケットを導いたように、航海の助けになってくれればいいのだけど。
 そして、懐から装備を取り出した。それは昨日、念のために持ってきていた装備の内の二枚だった。
「……残りの力で、どこまでできるかは解らないけど」
 元々、いつか力を失うだろうと予告されたマジックアイテムだ。できるのであれば、頼らずに解決したかったのだが。
「認めるわ、私が不公平な人間だってことを」
 思い、霊夢は起動した。
 恥も外聞もなしだ。利用できるものはなんでも利用して、魔理沙を止めてやる。
 絶対に、願いを叶えて消えさせやしない。
 魔理沙なら私のことを知っているでしょうと、そう思いながら。

  ◇◇◇

 魔理沙と霊夢。二人の実力は拮抗していて、一方で得手不得手は存在する。
 その中で、魔理沙の領域と確実に言えるものが一つある。
 速度だ。
 魔力を込めた全身全霊の最高速度。それにだけは、どうしようとも霊夢だけでは追いつけない。
 今がそうだ。光に包まれた身体が、魔力の尾を引いて夜空を往く。
 ――身体が崩れていくのが解る。本来なら八卦路を使う魔法を、身体一つで行使しているのだから当然だ。
 あの魔女が魔力の手助けをしてくれなかったなら、魔力が足りていたかどうか。八卦路を源とする魔法が一度しか使えなかったことで、霊夢の不意を打てたのは思っても見なかった僥倖であったが。
 ……人間の身体が作れているのに、道具の一つも作れないとはな。
 特別な素材を用いた道具なのだから、仕方がない話ではある。人間を作るのに特別な素材が必要ないと思えば――例えば魂が要らないと考えれば、腑に落ちる話だが。
「さて」
 永いようで短かった夜空の旅も、もう終わりだ。この旅が終わったとき、この身体は魔力を使い果たして消えることになる。
 霊夢は魔理沙に、ちゃんと告白ができるだろうか。どんな言葉でも動じない厭らしい魔法使いに、自分の思いを伝えられるのだろうか。
 きっとどうにかなるだろう。ならないと困る。自分だけが気持ちを受けとるなんて、許されることではないのだから。
 自分のいない未来に思いを馳せ、しかし、
「…………?」
 音が聴こえた。聴こえるはずのない音が。
 自分以外の飛行音。追いつけるはずがない、霊夢が飛んでくる音が。
 ……まさか。
 振り返る。するとそこにはあった。全身を擦過と火傷に包まれて、尚も前に出る霊夢の姿が。
 追いつけるはずがない、と霧雨魔理沙の記憶が告げていた。
 追いついてくるはずさ、と霧雨魔理沙の記憶が笑っていた。
 そのどちらが正解なのか。答えは、現実が雄弁に物語っている。
 不可能を可能にした原因。その正体は、既に目に入っていた。
「霊夢の奴、アビリティカードを持ってきていたのか」
 神を宿らせるだけではなく、妖怪の作った道具も用いるとは。
 妖怪の力を借りた異変解決など今更のこととはいえ、本当に霊夢は妖怪に近しい。
 赤い光を発し、弾幕も撃たずに霊夢が飛ぶ。導きの専門家の力を宿すそのカードは、確かにこの場には適任だろう。
「だけど、それだけじゃあな」
 星弾が霊夢に迫る――と思えば霊夢の姿がそこから消えた。
 宙を跳んだのだ、と思った矢先離れた場所に霊夢が現れる。
 だが場所が悪い。そこには別の弾幕があって、その速度でぶつかれば大怪我は免れない。万全の状態ならばともかく、今の霊夢では満身の痛みを堪えることはできまい。
 そうして霊夢は被弾した。あっさりと、反応すらできずに。
 そして、それで終わるはずがないとも判っていた。
 金属質の、響きが鳴った。
 その正体が、既に自分には察せられている。
 硬貨だ。
 金属の音を孕む響きの正体は、それでしか有り得ない。
 一昨日の会話の中で、霊夢が言っていたではないか。前金を貰ったから、食材を買って尚余裕があるのだと。
 被弾の保険を得ることで空間を跳べるようになったのであれば、前に進む力はより大きなものとなる。強引に、しかし確実に距離を詰めてきたということか。
 光を抜けて出てきた霊夢は、傷に塗れながらも無事だった。 
「霊夢、お前」
 なんて、顔をしているのだろう。
 心に熱を持ち、気合を入れ直したのではなかったのか。
 霊夢の身体は既に限界だ。左腕は力なく風に流れ、右手首は腫れ上がり、体の至る所から血が流れている。
 それでも、その顔。その表情に比べれば、全ての傷は気にならない。
 見たことのないような、必死の顔。必死のはずなのに、泣き出しそうなその表情。
 最初と同じようで、違うことは霊夢の目を見れば解る。
 最後の最後まで諦めないと、その眼はそう語っていた。
 ……でも、まだだ。
 まだ。まだまだ。まだでしかない。
 そんなことでは星は砕けない。
 このほうき星を落としたいのならば、まだ手を伸ばす必要がある。
 或いは、もう策はないのかもしれない。既に使えるものを使い果たし、後は根性と、そういう話なのかもしれない。
 なら、駄目だ。
 確実に距離は縮まっている。二枚のカードと、恐らくは神の力も借りて、確実に星に手が伸びている。
 だが時間が足りない。後十秒を数えるほどで、この身は人里へと辿り着く。
 牙も太陽も、届き得る距離と速度ではない。霊夢がどんなに宙を跳んだとて、その攻撃は届かない。
 終わりだ。十秒を切った。故に身体の中の、保管しておいた魔力を解放しようとして、
「――――」
 霊夢が宙を跳んだ。それは前へと距離を縮める動きではなく、
「横に――」
 燃え上がる星の尾から逃れるように、もう少しで手が届く直前で、霊夢が夜空に放り出された。
 諦めたのか。瞬間的に、心が思う。
 違った。
 霊夢が、更なる動きを追加したのだ。
 それは御払い棒を宙に捨て、袖から最後のカードを引き抜くことであり、
 ……そっか。
 そして、霧雨魔理沙の心がそれを認めた。
 刹那の後の光景を。
 霊夢が取り出したのが、何であるのかを。
「――か」
 胸を、熱が通り抜けた。
 それだけで力が抜けた。
 負けたのだ、と。賢しい頭が悟った結論に、身体が付いて行かなかった。
 速度を失い地表へ堕ちる中、確かにこの眼は見た。
 霊夢が掲げる、そのカードが何であるかを。
 霧雨魔理沙にとって、最も見覚えがある道具が描かれているそのカードを。
「……光、か。確かに、それだけは私も追い越せないぜ」
 本当の魔理沙であれば、結果は違ったのだろうけど。
 どうやら偽物の身では、ここまでが限界のようだった。
 身体が、堕ちていく。
 堕ちて――それで、終わりだった。
 
  ◇◇◇

「――魔理沙!」
 魔理沙の身体が、墜落した。
 もう追いかける力は残っていない。自分自身も落ちるように、霊夢は魔理沙の墜落を目撃する。
 彼女の身体が大地に堕ちる。大地に落ちて、跳ねて転げた。
 遅れて自身の身体が地に触れた。跳ねることはなかったけれど、やっぱり転げて身体中が痛かった。今まで無視していた分の反動がやってきて、指を一本動かすのにも奇跡が必要だと思えた。
 だから奇跡を起こすことにした。強引に、力任せに、神秘の力など借りずに、人としての根性で。
 這うように、立ち上がろうとしては転んで伏せて、もう少しだけと腕を伸ばして。
 そうして、気が付けば霊夢は見下ろしていた。両腕を地面に付けて、息のかかるような距離で。
身体が光と砕けて消えていく、魔法使いの姿を。
「……魔理沙」
「流石だな、霊夢。やられたよ、まさか最後に持っていたのが魔理沙のカードだとはな」
「魔理沙」
「二人の間に物質が無ければ、光は光の速度で相手に着弾する。なるほど、速度で負けていても一瞬のチャンスがあれば大丈夫なわけだ」
「魔理沙!」
 そんな理屈はどうでもいい。これは必死で身体を動かした結果に過ぎない。頭を回して解決したのではなく、子供の癇癪が大人を折ったに過ぎないのだから。
「もう喋らないで! 魔力を貯めてるんでしょう!? だったら一旦身体を治すのに使いなさいよ! そうすれば――」
「駄目だ。そんなことをしたら、私は同じことをする。この場でお前を動けなくしてでも、お前の願いを叶えようとするぜ」
「――え。じゃあ、そんな」
「……そんな顔、するなよ。元々、人間一人を創り出すなんて無理のある願いだったんだ。消えるのなんて、解っていたことだよ」
 この夜、何度口から出たかわからない問いかけを言おうとした。
 言おうとして、言えなかった。どんな返事がきても、納得できそうになくて。
「あーあ、勿体ないことをしたな。ただの人間が不老不死になれる機会なんて、そうそう回ってこないぜ」
「ただの人間じゃないわ。巫女だもの」
「巫女なら尚更さ。普通の人間なら、いつかは星を掴めるからな」
 笑む魔理沙の輪郭が、ほどけて霞んで見えなかった。彼女が消えかかっているのとは違う、別の理由で。
「……お前らしくもない。異変を解決したら、いつも笑ってるじゃないか」
「でも」
「偶には他の奴らや……この間は私が解決したけど、そのときだってそんなひどい顔はしてなかったぜ? いつも通りにしろよ、霊夢」
 違う。いつもとは違う。こんなの、普通じゃない。
 こんな、こんな終わり方なんて。
「……認めるわよ。私は魔理沙と、一緒にいたいって。ずっとずっと生きていたいと、思っているって」
「そうか。なら、それでいい」
「よくない! だって、だってこんな――異変を解決して、誰かが消えるだなんて!」
 地面に倒れ込みそうになりながら、魔理沙の手を取る。未だ実体を保つ彼女の手は、どうしようもなく暖かかった。
「あんただって魔理沙なんでしょう!? それなのに、消えちゃうだなんて!」
「言っただろ、元々無理のある願いだったって。巫女であることを選んだなら、私のことなんて気にするなよ」
「……でも」
 その後に、言葉を作れない。
 どうして、巫女であることに拘るのか。
 どうして、人として生きることに拘るのか。
 どうして、心から願った奇跡を否定したのか。
 魔理沙がいればそれでいい、と。確信しているこの心が、どうしてそれだけで満足してくれないのか。
 この身体が――この日常が変化すると知ったとき、湧き上がったあの激情は何なのか。
 わからない。言葉を作れない。消えていく魔理沙に、何も言ってあげられない。
 人としての心を、思うように伝えることができない。
 ……どうして。
 ごめんなさい。そんな言葉だけが胸に浮かんで、
「ごめん。ごめん、魔理沙――」
 それなのに。
「――そっか。霊夢も、一緒なんだな」
 聞こえた魔理沙の声は、穏やかだった。
 そしてやっぱり、魔理沙は笑っていた。それも今夜見た中で、一番の深さを湛えて。
「……どうして。どうして、笑っているの?」
 結局、言ってしまった。でも今度のそれは、納得を得られる答えが返ってくると確信できるもので。
「どうしてって、当然だろ。私とお前が好きな物が、一緒だったんだ。そんなの、笑うしかないさ」
「一緒、って……」
「我儘で、ひどい奴だな。お前も魔理沙も。どっちも好きだなんて、二股は良くないぜ?」
 それがどういう意味なのか――答えは、頭の中に浮かんでこなかった。
 でも、なんとなくわかるような気がした。
 気がするだけで、気のせいかもしれないけれど――きっと、ちゃんと考えなければいけないのだろう。
 巫女として、悟るのではなく。
 人間として、理解しなければ。
「魔理沙みたいになれ、とは言わないけどさ。もう少し考えた方がいいぜ、お前は」
「無理よ。私、あんたほど賢くないもの」
「ああ、魔理沙の頭の良さにこれからも苦労するんだな」
「あんたと口喧嘩だけはしないようにするわ」
「それに魔理沙は狡い奴だ。ちゃんと、お前から言わないと駄目だぜ?」
「あんたを相手にそういうことは……したくないわね、強いもの」
 言って、いつの間にか自分の口角が上がっていることに気が付く。
 魔理沙の姿は相変らずぼやけて見えづらかったけど。もう、それでいいのだと思えた。
「お前が最後にどっちを……どの別の道を選ぶのかは、わからないけどさ」
「うん」
「ちゃんと、魔理沙にも言ってあげなよ。それくらい、明日にだってできるでしょ?」
「……それはちょっと、難しいかも」
「私の最後のお願いでも?」
「あっずるい!」
 魔理沙が、口を開けて笑ったような気がした。
 既に光に包まれて、ほとんど形が崩れていたけど。
 魔理沙がどんな笑い方をしているかくらいは、ただの霊夢でもわかるのだ。
「はあ。他ならぬ魔理沙がそう言うなら、頑張ってみるわよ。あ、明日中は無理かもしれないけど」
「いいよ、それが聞ければ安心できる。これで心置きなく消えられるから」
「……貴方」
 既に、魔法使いの装束は無くなっていた。魔法使いのカタチは無くなっていて、黄金のような輝きだけがそこにはあった。
 ごめん――とまた言いかけて、
「――有難う」
 代わりに出たのは、そんな言葉だった。
「有難う、願いごとを聴いてくれて。私、ずるしないで頑張ってみるわ」
「うん。きっと二人なら大丈夫って、願ってる」
 言葉もなく、ただ頷く。
 もう、視界は滲んでいなかった。
「頑張って……よな。私の好きな――」
 風が吹いて、手の中から暖かさが消えた。
 それでも、光は消えなかった。
 それは天に昇っていった。
 暗い夜空を彩るように、ほうき星が飛んでいく。
 飛んでいって――帳が落ちるように、星も夜空も見えなくなった。
 瞼が閉じたのだ。そう思うころには、意識は彼方に消えていて。
 星明り、夜天の下。
 胸に残る暖かさを感じながら、霊夢は静かに眠りについた。

  ◆◆◆

 星が降っていた。
 頭の中に、心の底に、瞼の裏に。
 何度目だろう、と意識無く思う。もう何度、この夢を見ているのかと。
 もっとも、異変の終わりに夢を見るのはいつものことだ。
 激しい火花も、鮮やかな色彩も、眩い閃光も、何もかも。全ての弾の綺麗さが、眼の中で再現されるのだ。
 それは今回だってそう。もう何度目だろう、心の風景に星が降るのは。
 ぼうっと空を見上げる。すると星が撃ちあがる。撃ちあがった星は落ちてこない。きらきらと空に昇って、それで終わり。
 そんな夢を、何度も見ている。
 何度も何度も。眠るように夢を見ている。
 ――けど。どうやら今回は、少し趣が異なるようだった。
 ほうき星が空に昇る。昇って、それは見えなくなるはずだった。
 だけど違った。天上へと至った星が、地表へと――こちら側に振ってきて。
 ……え?
 きょとんと、夢の中で目を丸くする。それはそうだ、このままじゃぶつかるもの。
 でもどうしてか動く気にはなれなかった。どうしてかの理由はわからなかったけど、それでいいと思う自分がいて。
 ――――。
「――は」
 光が、目に飛び込んできた。
 星の作るものではない。暖かな、陽の光が。
「――あ……は? ええと……痛っ……。え、あ……?」
 星は見えなかった。夜空さえも。代わりに見えたのは、見覚えのある天井で。
 ……ええと。ここはもしかしなくても、神社?
 脳が動いていない。まさか、まだ身体に異常が残っているのか。そんな正常な思考が走ったところで、霊夢は意識を自分のものとした。
 自分が寝ているのは博霊神社。見慣れた我が家の、博霊神社。目が覚めてみれば、当たり前に実感が持てた。
 寝間着も布団も、馴染のある感触しか返さない。体中の軋みをよそに、心が安堵で満たされつつあった。
「……あれ、私……どうしたんだっけ」
「あらおはよう。起きたのね」
「わっ!」
 横からかけられた声に、思わず叫びを上げる。急な動きを強要された肉体が、叫び以上の悲鳴を上げていた。
「あ痛たた……えーと。お、おはよう? ……いやどうしたの?」
「困惑しているみたいだから説明してあげる。貴方たちの決闘が終わって暫くした後、私たちも里の近くまで遊びに行ったのよ。天体観測なんて、何時ぶりかしら」
「ええと」
「で、見覚えのある巫女が転がってたから連れて帰って来たの。で、それから皆で変わりばんこに看護してるってわけ」
「う、うん」
「里の子供のことなら安心しなさい。身体はすっかり元通り、もう確認済みよ」
「そのあたりも気になるけど……それ、どうしたのよ」
 霊夢はパチュリーの顔を指さした。全面が包帯で巻かれた顔面を。
 よく見れば左手も三角巾で釣られていて、これではどちらが看護されているかわかったものではない。
「気にしないでいいわ、特に霊夢はね。ちょっとレミィと喧嘩しただけだもの」
「あー……もしかして、私のために?」
「言い方、もう少し考えた方がいいわよ」
「……善処するわ」
 あいつと違って、細かい言葉回しは得意じゃないんだけど。
 などと思いつつ、霊夢は逆らわないことにした。もう少し考えた方が良いと、短い期間で二人にも言われてしまっては反省する他がない。
「素直でよろしい。じゃあ後は事後報告ね」
「報告?」
「霊夢の身体は無事人間に戻ってるわ。おそらく、巫女としての力もね」
「うん」
「というわけで、全治三ヵ月らしいから頑張りなさい。霊夢のお財布を見たら空だったから、レミィが立て替えておいたわ」
「うん、うん……は?」
 夢我夢中で行ったことを――お金を糧に、死を無かったことにしたのを思い出す。それも何度も。
「ま、待って! もうお金が無いの! それにこんな身体じゃ働けないし!」
「怪我が治ったら、メイドになって働くのね。個人部屋を用意して待ってるわ」
「そ、そんなあ」
 今更あの親子から後金を貰うつもりはなかった。しかしこれでは、紅魔館に命を握られたようなものではないか。
「まさか、目が覚めたら借金生活が待っているだなんて……これなら最初から、金銀財宝でも願っておくんだったわ」
「……っぷ。ごめん、冗談よ。立て替えたのは本当だけど、返す必要はないわ。レミィがそう言っていたもの」
「へ?」
 立ち上がったパチュリーが、襖を開いて出ていこうとする。
「また宴会に参加させてくれるなら、それでチャラにしてあげるだって」
「な、何よその性質の悪い冗談は! っていうか、レミリアが払ったのであってパチュリーが払ったわけじゃないのよね? 何なのよそのしたり顔は!」
「あらばれた? ――まあ、そういうことで」
「ちょっと!」
 追いかけようと身を起こして一歩を踏む。
 途端、当然のように脚に稲妻が走り、思わず転げてしまった。
 あまりにも身体が鈍っている。一体、何日の間寝ていたのか。
「痛ったあ……! もー! そもそもパチュリーがあいつを手助けしなければ、こんな目に会わなかったかもしれないのに!」
「仕方ないじゃない、魔女は身勝手なの。誰かさんと一緒でね」
「ぐう」
 それを言われると、沈黙せざるを得なかった。
 誰かさんのそういうところが、自分は好きなのだから。
「だ、だからってねえ――」
「じゃ、元気になったら菓子折りでも用意しておきなさい――私も、宴会楽しみにしてるから」
 え、と声を上げる間もなく魔女が姿を消した。
 最後の方が聞きとりにくかったが、やけに早口だったのは何だったのだろう。
「ま、まだ話は終わってないんだからね! 大体――」
 今度こそ立ち上がって、襖を開く。全身が傷んだけれど、じっとしてはいられなかった。
 襖を開く。
 開いて――動きを止めた。
 そこに魔女はいなかった。代わりに、
「よう」
「は――え、へ?」
 霧雨魔理沙が、そこにはいた。
「おはよう霊夢。よく眠れたか?」
「え、ま、魔理沙? 何でここに?」
「パチュリーとレミリアが里に入るわけにはいかないだろ? あいつらに誘われて霊夢を拾いに行った後、私が里に行って子供の様子を確認したんだ。日が昇る前だったが、そこはまあ私の探索スキルが物を言ってだなあ」
「そうじゃなくて、心の準備が!」
 おのれ紫の魔女、先ほどは魔理沙のことなど言ってなかったではないか。
 それにこの魔法使いも魔法使いである。どこまで事件の顛末を聞いているのかは知らないが、もし解って言っているのなら――。
「心の準備が? ん? 何だ? 私に言いたいことでもあるのか? うん? どうした? 言ってみてもいいぞ?」
 ……うわあ、腹立つ!
 感情に任せて腕を振りかぶろうとしたが、碌に動かなかったのでやめた。脚を動かそうとしたら電流が走ったので、やっぱりやめた。すると少しは考えると決めたことが思い出されたので、ひとまず大きく深呼吸。
「……ええと、あんたどこまで知ってるの?」
「二人からおおよそのところは聴いたよ。私がもう一人いたんだってな」
「……そうね」
「で、もっと詳しく教えてくれるんだろ?」
「あー……うん、そうね。話しておきたい、かな」
 魔理沙には伝えなければならないだろう。ほんの少しの間、霧雨魔理沙だった少女のことを。
 いきなり全てを――自分の心も含めて、話すことはできないだろうけど。
 願いを叶えてくれようとした存在がいることは、ちゃんと話しておこうと思った。
「そいつね、私の願いを叶えてくれようとしたの」
 詳しく話すと、結局心の内を言わなければならなくなるのだけど。
 言うと約束をしたのだから、この機会に言ってしまうのもいいだろう。
 そう思い口を開いて、
「始まりはこの間の宴会の翌日だったんだけど――」
「あー、ちょっと待ってくれ。回想に入る前に、確認しておきたいことがある」
 ……、えー。
「普通、こういうときに話の腰を折る?」
「普通だからな私は、偶には意外なことをやりたくなるもんだ」
 一体、話を遮ってまで何を言い出そうというのか。
 眉をひそめながらも霊夢は魔理沙の言葉を待った。
 だが言葉は来なかった。代わりに魔理沙は、笑っていた。
 その笑い方を、霊夢は知っていた。あの宴会の夜に見た笑みと、全く同じ笑い方。
 意地悪で、楽しそうで、これから起こることが楽しさに繋がると信じてやまない、そんな性格の悪い笑い方。
 嫌な予感がする。ああいや、良い予感だろうか、これは。
 巫女の勘は何も言ってくれなかった。でも霊夢の心は言っていた。魔理沙の笑みを、受け入れてもいいんじゃないかと。
 果たして魔理沙は動きを示した。
 それは言葉ではなかった。
 彼女行ったのは、身をずらすように背後を見せることで。
 そうして、そこにいたのは――。
「――うそ」
 金色が、風に靡いていた。
 どこかで見たような金髪が、そこにはあった。
 ……まさ、か。
 見覚えがあるのは、髪の色だけではない。
 どこかで――例えば鏡の前で見かけるような、赤色を帯びた黒目を彼女は持っていた。
 小さな小さな、幼い少女。
 星屑のような、幼い少女。
 首をかしげて、ぼうっとこちらを見上げている。
 エプロンドレスを着ている少女が、そこにはいた。
「魔理沙、この子は」
「言っておくが、私が生んだんじゃあない。生物的にも、魔術的にもな」
「なら」
「お前が寝込んで、一週間もした後だったかな。突然神社に現れたんだよ。色々と調べてみたんだが、まず遺伝子でいうと――」
「――どうして」
 口から零れ出た言葉に、魔理沙が喋るのをやめた。
 喋るのをやめて、喋りはじめた。
「奇跡ってことで、いいんじゃないか。願いを叶える怪異だったんだろ、今回の元凶は。お前が何を願ったのか解らないが、そういうことだってあるだろ」
「……でもあの子は、無理のある願いだったって」
「私となった願望の器が、お前ほどの奴に願われたんだ。叶わない願いなんて、ないだろうさ」
 ……それって。
「私が、魔理沙に、何を?」
 本当に、聞いてばかり。
 でもそれを嫌だとは思わなかった。
 だって、だって。問いかければ答えが来る。意地悪な、答えを考えられる魔法使いから。
「だって霊夢、お前さ。私と決闘したんだろ? 私の力を持った、願いを叶える怪異の具現と」
「うん」
「それでずっと、何かを強く願ってた。三回と言わず、何度でもな」
「……三回」
 三回。それは願いを叶えるお話に、いつも付いてくるお決まりの言葉。
 老夫婦は三度の願いを叶えてもらえることになり、三枚の御札を授かった小僧は三度の窮地を救われる。
 三回の、願いごと。
 魔理沙に――ほうき星に、三回の願いごとをしたのならば。
「それなら、叶うに決まってるさ――星が願いを叶えてくれるだなんて、子供でも知ってるお話だぜ」
「――あ」
「それに本来、ランプの魔人が叶えてくれる願いの数に限りはないからな。なのにあのランプには、三回までと条件がついていた。なら、他の願いを叶える逸話と習合している可能性は高い。なら、そういうこともあるんじゃないか?」
 そもそも、結局三つ目の願いは使われないままだったことを思い出す。
 異変の元凶が退治されて、消滅して、叶った願いが無くなって。
 でも、一つだけは消えなかったとしたならば。
「最近のお前はなんというか……優しいからな。大方、消えないでくれとでも思ってたんじゃないか?」
 辻褄は合う。消えることはないと、異変の元凶であっても、消えないでくれと思っていたのだから。
 自分の一番の願いは、自分の手で叶えると決めたのだから。
 なら最後の一つが奇跡的に叶えられたとしても、おかしなことではない。
 思って、それでも自分の心は現実を受け入れられない。
 目の前の出来事に、現実感を覚えられない。幻想の起こしたコトなのだから当たり前なのだけど、それ以上自分は何を言えばいいのかわからなかった。
 すると、その少女が動きを見せた。
 歩みを寄せたのだ。
 霊夢目がけて、静かに近づいて。
 両手を伸ばして、霊夢を仰ぎ見た。
 その両手が何かを掴もうとしているように見えたものだから、痛みを堪えて膝を折った。
 そして、
「……れいむ」
 少女に、抱き着かれた。
 首に手を回して、顔をうずめるように。
 そして声が聴こえた。瞬くような、小さな声が。
「――すき」
「あ……」
 全てが遠く離れて、霞んで聴こえた。
 途端に視界が滲んでぼやける。あの夜も、寝ている間もそうしていたはずなのに、身体の中から溢れるものがあった。
 こんなときに限って、魔法使いは茶化してくれない。恋の魔法と嘯いている癖に、こちらの心を宥めてくれない。
 感情が溢れるときは、溢れたほうがいいんだと、言うかのように。
 賢しい魔法使いは、沈黙していた。
 ――どれだけそうしていただろう。ようやく、魔理沙が口を開いた。
「やれやれ、そいつもそうだとはな」
「……そうって、何が?」
「ああほら、お前が異変を解決すると周りが……うん、うるさくなるだろ?」
「別にいいじゃない、そんなこと。それとも、魔理沙は嫌なの?」
「いいや。私もうるさくする一員だからな。できるだけそういう奴らは多い方が良い、同族愛好ってやつだ」
「そんな言葉ないでしょうが」
「まりさ、ひきょうものー」
「おいおい……」
 この子も既に解っているらしい。将来有望な子だ。
 ……って、この子の将来がどうなるかは、私次第だったり?
 少女からは、霊力も何も感じられない。将来は判らないが、少なくとも今はただの人間らしい。なら、育ての親は必要だろう。それはつまり、自分が育てないといけないということだ。
「不安が顔に出てるぜ、教育に良くないな」
「悪かったわね、これでも人の子なのよ」
 初めてのことに不安を覚えもすれば、自信が無くなることだってある。
 自信満々な魔法使いには解らないのだろうけど、普通は誰だってこうなるのだ。
「全く他人事だと思って……魔理沙も手伝ってよね、たぶん私一人じゃ無理だから!」
 弱気を誤魔化すように叫ぶ――と、声の先で魔理沙が目を丸くしていた。
 しかしそうしていたのは一瞬だけのこと。彼女はすぐにいつもみたいに笑って、
「……ああ、そうだな。手伝うことにするよ」
「れいむ、いえたー」
「え、何よあんた達その目は」
 何やら温かい目で見られている気がする。馬鹿にされているわけではないだろうが、それにしても気持ちの良いものではない。
「もう何なのよ! 言いたいことがあるならはっきり言いなさいよね! それにねえ――」
「ああ――――っ!」
 叫びかけて、けれどそれよりも大きい声に掻き消されてしまった。
 自分が発したものでも、魔理沙やこの子が発したものでもない。
 それは廊下の曲がり角から発せられていた。鳥居側からやってきたであろう、新しい訪問者の声だった。
「うわびっくりした! え、早苗? どうしてここに?」
「どうしたもこうしたもないですよ! 霊夢さんが目覚める予感がしたので飛んできたんですよ! 私の勘も捨てたものじゃないですねっ! ……ああもうそれなのに、それなのに!」
 早苗が指さした先にいるのは、やはり件の少女で。
「私が知らないうちに、魔理沙さんと子供を作っているだなんて!」
「いや待った待って、これには深い事情が――」
「あ、思ったより元気みたいね。私が来る必要なかった?」
 更なる新参は、背に大きな道具箱を背負っていた。
 彼女――鈴仙は、努めて真面目な顔で話し出す。
「私が診たときは酷い有様だったのに。もしかして、私が知らないうちに人間辞めたの?」
「あーうん。そうなりかけたんだけどね。なんとかそうならなかったというか」
「ふうん……うわ、その子ってば波長まで魔理沙と霊夢そっくり。あんた達一体いつの間に」
「冷静な顔して何分析してるのよ!」
「……ふんふん、元気そうでなによりです」
 今度は誰が、と思って視線を飛ばせばそこにはカメラを手にした天狗がいた。
 それはつまり、この子のことが幻想郷中に知れ渡るのが確定したということで。
「あや、どうしたんですか霊夢さんそんな顔をして。まるで嫌なことでもあったみたいじゃあないですか」
「……はあ、もういいわ。で、何か用?」
「いえ、霊夢さんに依頼をしていたという親子に、神社までの案内を頼まれましてね。正確には小鈴さん経由で話を貰ったんですが。実は、すぐそこまで来ているんですよ」
「え?」
 考えてみれば、異常が無くなったとはいえ、あの親子には何の説明もされていないのだ。
 しまったなあ、不安な気持ちにさせたかなあ、と思う心が顔に出ていたのか。天狗は珍しく嫌味の無い笑みを浮かべて、
「二人で、霊夢さんにお礼が言いたいそうですよ。里でも話題になってるんですよ、霊夢さんが大怪我したことは」
「そ、そうなの」
 それはそれで不安にさせてはいないだろうか。会って安心させてあげたいところだけど、この身体でどこまで説得力を持たせられたものか。
 とにかく会って来なければと慌てて表に出ようとして、
「あ、霊夢さんに隠し子がいることはもう殆どの方がご存知ですので安心してください。私が広めるまでもありませんでしたね」
「全然安心できないわよそれ!」
 叫びながらも部屋の中に急いで戻り、一瞬で着替えて表に出た。
 鳥居の側を見ると、確かにあの親子がいた。
 だけど、いたのは親子だけではなかった。
「――え、これって」
「パチュリーから聞かなかったか? 皆で変わりばんこにお前を看病してた、ってさ」
 いつの間にか隣に立っていた魔理沙が、そんなことを言ってきた。
 なんてことはないかのように。それぐらいは、当たり前だと言うように。
「皆で、って」
 見覚えのある人と妖が、そこにはいた。それも、数えられないような大勢が。
 境内は半ば宴会場と化していて、よく見れば天幕までが立てられていた。その前にある看板には料金が書かれていたので後で河童は退治しようと思う。
 大体これではせっかく来てくれた親子が怖がるじゃないかと思ったけれど、遠目で見る限りそれは杞憂で終わりそうだった。これまた見覚えのある看板娘があの少女と仲良さげに会話しているのが見えて、危ない交友関係に将来のことが思いやられた。
「……私が寝ている間に勝手しちゃって、もう」
「ほら、行って来いよ。ちなみに酒とつまみの手配は既にしてあるんだな、これが」
「挨拶が終わったら宴会ってわけ?」
「お前がいつ目を覚ましても良いように準備してたんだよ。ま、いつものことさ」
「いつものこと……いつものこと、ね」
 どうかしていると思ったけど、一番どうかしているのは現状を受け入れている自分だろう。
 本当に沢山の人と妖がここにはいた。そしてこれから宴会が始まるのだと思ったら、どうしようもなく心が温かかった。
 ――ああ。
 背後を見る。魔理沙と、魔理沙に抱えられる金髪の少女を。
 たぶん、自分は魔理沙と離れることはできない。それを心は許可しない。
 永く永く生きて生きて、ずっと一緒にいるのだろう。
 では他の生活を捨てるのだろうか。魔理沙に合わせて、人としての生活をやめて、巫女としての自分を捨てて。
 そうじゃないことは、もう解っていた。遠い未来のことも愛せるけれど、今も今で愛おしいのだ。
 だから、両方を取る。永く生きて、その上で許される道を歩む。
 そんなこと、どうすればいいのかもわからない。選べるのかもわからない。そんな道があるのかすらわからない。
 ……でも、少しは頑張ってみるとしますか。 
「魔理沙!」
「何だ?」
「ちょっと待ってなさい――後で、言うことがあるんだから!」
「――ああ、待ってるよ」
 二人なら大丈夫、と。そう願ってくれたほうき星がいたのだから。
 ずるをせずに歩いて行こうと、まずは一歩を踏むことにしたのだった。
ここまで読んで頂きまして有難う御座います。楽しんで頂けたら幸いです。
レイマリです。
前々からレイマリをしっかりと書きたいと思っていたのですが、中々に難しく頓挫しておりました。今回は納得のいく内容で投稿することができ、大変満足しています。書き切るまでに時間はかかりましたが、最初から最後まで大変楽しく書くことができました。
とはいえまだまだ書きたいことは多いのが霊夢と魔理沙というキャラクターです。またいずれ、書こうと思います。
海景優樹
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コメント



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1.100名前が無い程度の能力削除
読者を気遣った読みやすく引き込まれる文体で構成された、原作の延長線としての二次創作のお手本みたいにスっと入ってくる作品で、そんな中で作者さん自身特有の魅力的な表現が光りながら”願い“が星に収束するというとても綺麗な作品でした
めちゃくちゃ面白かったです! 
2.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
4.100東ノ目削除
本人の記憶を持っているから当然なのですが、この魔人、霧雨魔理沙の解像度が高いですね。それはそれとして、楽園を巫女として保守するという役割が与えられているがゆえに魔理沙と比べて窮屈な存在になりがちな霊夢が、自分の意思でより良い自由を掴みつつある、というのが美しかったです
5.100のくた削除
途中で「正体」がかすかに見えたときに不穏なモノを感じたのですが、そこからの流れが、展開が、解釈が、素晴らしい
7.100名前が無い程度の能力削除
とても良かったです。好きで仕方がないから、好きなものがたくさんあるから、どうしても選べなくて葛藤してしまう霊夢の感情の渦が、悩みのない魔理沙という像と対になって際立っていたようでした。
終盤の弾幕ごっこも最後は光で魔理沙を捕らえるところが成長変化と見て取れました。際限のない欲を抱え、それに悩みながらも願いを叶えながら大団円を迎えることができて、まさしくハッピーエンドという言葉がふさわしい締めくくりだったと感じます。
ふたりが望むものはすべて手に入る、そんな作者さんの解釈が存分に描かれた一作だったように思います。素晴らしかったです。
8.100南条削除
とても面白かったです
願いをかなえる魔法のランプによって霊夢の願いが表に出るという話の構成が素晴らしかったと思います
最後はハッピーエンドでよかったです
9.100夏後冬前削除
この熱量! に圧倒されつつも小説としての技術の高さが随所に滲んでいて、この熱量をロジックとウデマエで練り上げているのが凄まじい。ストーリーとしての完成度がとても高かったと思いました。圧巻。
11.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです。
13.100きぬたあげまき削除
霊夢の不安定性と魔理沙(とランプ)の安定性のコントラストが緻密に描かれていて、物語の世界に没入したままあっという間に読み終わりました。素敵な作品をありがとうございました。
15.100名前が無い程度の能力削除
噛み締めるかのように綴られた文章からなる、ありったけの思いの丈を感じるような物語でした。
また、終盤のその戦闘シーンにおいて、霊夢と魔理沙が互いに互いを良く知っているからこそ、それを前提にして弾幕ごっこが繰り広げられているというのが一文一文から伝わってくるようで、その描写の強烈さに見惚れさせられる物でもありました。
しかも当人とは一歩離れた感覚で当人のように思考する様がまた良く。
全体的に理屈で練り上げている物語のように見えるのに、文章に込められた熱量もまた素晴らしく(作者様におかれては寧ろ激情で書かれているように見受けられる)、その技量と情熱に裏打ちされた物語を読めた事を嬉しく思います。とても面白く、そして楽しく読ませて戴きました。ありがとうございます。