Coolier - 新生・東方創想話

たとえ始めが暗くとも

2022/12/23 21:03:57
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ある日、命蓮寺に珍客が現れた。かつて一時的に幻想郷の嫌われ者となった貧乏神と不良天人のコンビである。厄介な客のおでましに、修行僧達は言わずもがな、直に対面した白蓮も思わず眉をひそめた。

「いったい何のご用件でしょうか、紫苑さん、天子さん」
「そんなあからさまに“困ります”みたいな顔しないでよね。私だってこんなお寺、好き好んで来たくないってば」
「同感だな、寺の財宝も天界の宝に比べれば塵に等しい」

後ろで修行僧達が「喧嘩売りに来たんですかね」「暇つぶしならよそでやってほしいなあ」とひそひそぼやいている。白蓮は諫めの意味も込めて咳払いをし、ひとまず話を聞かねばと膝を進めた。紫苑は何やら言いにくそうに視線をあちこちに逸らしては言葉にならない声を発して、隣の天子にすがりつく。

「遠慮する必要はないぞ紫苑。こいつは人の話を聞くのを生業にしてるんだ、腹を割って話せ」
「……天人様の言う通りですよね。困った時の神頼みならぬ仏頼みよ」

などと紫苑は一人で納得したのか、「言いにくいんだけどね」とようやく本題に入った。

「また何かいいお金儲けの手段がないかなーって女苑と企ん……相談してたの。あっ、いや、本当にそんな悪いことするつもりじゃなかったのよ? ちょっとした遊ぶ金欲しさのはずだったのに、まさかあんなことになるなんて」
「あんなこと、とは?」

どう聞いても犯罪動機の告白だが、それはさておき、白蓮は飛び出た女苑の名前に首をかしげる。紫苑は天子と遊ぶ時はともかく、金儲けが目的の際は大抵妹の女苑とタッグを組むことが多いが、今ここに女苑の姿はない。
紫苑は普段から暗い目をさらに暗く澱ませて、囁くように告げた。

「女苑が賭博で多くの人間達を破産させたって、人里で槍玉に挙げられてるの」

白蓮が目を見開くと同時に、遠巻きに静観していた修行僧達が部屋に雪崩れ込んできた。

「ちょ、ちょっと待って、賭博? まさかコレのこと?」
「それ以外に何があるのよ。てかお坊さんのくせにその仕草……」
「すいませんねー、こちとら地底生活が長かったもんでね!」

壺を振る真似を紫苑が訝しめば、一輪は口を尖らせる。無論、僧侶が賭博に手を染めるなどあるまじきことだが、地底はお綺麗なだけでやっていける場所ではない。地底に封じられた一輪達にはそれなりの苦労があるのだった。決して地下王国で強制労働をさせられていたわけではない。
ともかく、紫苑の口ぶりから察するに、コソ泥働いて恨まれましたなんて可愛らしいレベルではないようだ。第一、人里にも賭博があるとはいえ、あまりおおっぴらにできる遊戯でないのは確かだというのに。

「だって鯨呑亭でもやってんでしょ? ちょっとくらいならいいじゃん。外の世界でもカジノ? とかいう博打ができるようになるって話があるみたいだし。私達だって最初はこっそり、人気のない場所でやってたんだけど……」

紫苑の話によれば、姉妹のどちらからともなく、女苑の能力を利用して賭博の胴元になれば楽に大金が稼げるのではないか、と提案が出て、鯨呑亭の客と被らない場所を選んで密かに賭博場を開いたそうだ。狙い目は比較的裕福かつ暇を持て余していそうな富裕層。女苑の人懐っこさゆえにカモは割と簡単に集まり、半ば女苑に貢ぐような形で人間達は博打に大金をはたくようになった。
しかしギャンブルは依存症を引き起こしやすい一面もあり、熱中した一部の人間が次第に身持ちを崩し出した。いつもなら危機を感じた時点でトンズラする姉妹だが、出入りする人間の中に里で名の知れた富豪がいたのがまずかった。一気に大貧民へと転落した富豪は怒り心頭で、阿諛追従する太鼓持ちと一緒になって疫病神たる女苑の責任を強く糾弾し始めた。

「ヤバいんだよ、このままじゃバブルよろしく人里の財政が崩壊するとか人間達が言い出して」
「そんな……いくらあの疫病神でもそんなことしないわよ! まあお金にがめついとこあるけど」
「そうそう、悪気があったわけじゃないんでしょう。あんまりお近づきになりたくないけど」
「ただ煌びやかなものが好きなだけなんですよね。審美眼はないけど」
「お前らもうちょっとマトモにフォローしてやれ」

早くも『まさかあの人がやるなんて』的な空気を醸し出す一輪・ムラサ・星に天子は肩をすくめた。つくづく信用のない疫病神である。
白蓮は眉間のしわを深める一方だった。女苑は一度命蓮寺で預かった身、庇ってやりたいのは山々だが、女苑にも自業自得な面があるのは認めざるを得ない。石油騒動でも方々に迷惑をかけまくり、最終的に霊夢にこってり絞られたと聞く。それでも寺を逃げてから少しは大人しくなったと聞いていた矢先の騒動に対する落胆もあり、また一方で女苑にばかり罪を被せようとする人間達の思惑も気がかりだった。
里の、というより、幻想郷の一般的な人間は良くも悪くも素朴で牧歌的な性格だ。純粋ゆえに、一度覚えた悪い遊びに味をしめてのめり込む様も想像に難くない。そして後ろめたさからすべてを『妖怪のせい』にして目を逸らしたがる心理も、理解できなくはないのだった。
思案に暮れる白蓮の横でムラサが「あれ?」と声を上げる。

「というか、噂になってるのは疫病神だけ? 貴方は?」
「途中まで一緒だったんだけど、儲けの山分けで揉めて喧嘩別れしたの」
「身内で金銭トラブル……」

生々しくて嫌な響きである。しかし喧嘩をしても妹の危機に相談にくるのは姉としての温情か、単に自分にまで火の粉が降りかかるのを嫌がっての保身か。できれば前者であってほしいと願いたい。
そこへ天子が得意げに顔を突き出す。

「で、紫苑がどうにかならないかって私に泣きついてくるものだからね。そこまで頼まれて断るのは天人の名折れだ、天界を降りて紫苑と人里までこれから一緒に殴りに行こうかしたら」
「いや里の人間を殴っちゃ駄目でしょ!?」
「ノリだよノリ、本当に手を上げるわけないじゃない。とりあえず人間達の誤解を解こうと試してみたんだが」
「……まさか」
「なぜか余計に騒ぎが大きくなった」
「でしょうね!」

一輪は頭を抱える。人間達にとって暴れ回った二人の噂はまだ記憶に新しいだろう。警戒するのも無理はないし、たとえ殴り込みをしなかったとしても一般常識を一切搭載していない二人が何をしたのか想像がつく。だいたい貧乏神が絡んだ騒動が簡単に円満解決で終わるはずがないのだ。自覚のない紫苑はますます顔を曇らせため息をついた。

「とうとう人間達がパニック起こしちゃってさあ。もうこうなったらきっちり落とし前をつけるって、厄介な奴を助っ人に呼んじゃったのよ」
「助っ人ですか」

白蓮は真っ先に霊夢の顔が浮かぶが、厄介と称されるような人物ではない。むしろ人間と妖怪の均衡に関してはシビアな考えの持ち主である。霊夢でないとするなら、と考え、胡散臭い妖怪が頭をよぎる。

「八雲紫さん?」
「うげっ、ヤな奴の名前を出すなよ。そいつも充分厄介だけど、今回ばかりは八雲紫が出てくる方がマシだったかもな」

天子は露骨に顔を歪め、白蓮の目をじっと見てつぶやいた。

「人望があり、実力があり、人のために動くと豪語してやまない奴――お前の方がよく知ってるんじゃないのか、妖怪坊主」

その一言で、白蓮は即座に助っ人の正体を悟った。

「――神子」

白蓮の声は自ずと震え、体に緊張が走った。神子が人間達に呼ばれた理由、神子が引き受けた理由、神子の好敵手たる白蓮にはすべて手に取るようにわかる。
思えば神子は、完全憑依異変の時から依神姉妹には厳しい姿勢を示していた。異変時の気の昂りかもしれないが、この世から消してやろうとまで口走った。最終的には霊夢と紫が姉妹の悪行を食い止め、異変の後始末もさせるという沙汰に、神子もしぶしぶながら納得したかに見えた。
しかし神子はともすれば白蓮以上に悪を憎む、いや、自らの理想とする秩序に邪魔な者の排除を厭わない性格をしている。ひょっとしたら、神子は未だにあの時の沙汰に密かに不服を抱いたままだったのではないか。今回の人間達からの懇願を口実に、姉妹を――そんな白蓮の懸念を肯定するかのように、天子は堅い口調で告げる。

「あの仙人、どうやら本気で疫病神をこの世界から排除するつもりだ」

修行僧達は一同に絶句する。すぐさま口を開いたのは一輪で、

「いくら神子様でもそこまでしませんって――」
「あの人ならやりかねません」

弟子の希望的観測を白蓮は一刀両断する。
もはや白蓮に動揺はなかった。喧嘩両成敗でどうにか女苑と人間、双方に納得してもらう折衷案はないかと考えていたが、神子が出てきたとなれば手をこまねいている暇はない。

(あの人っていつもそう、なまじ頭の回転が早いぶん、自分で勝手に物事を決めるところがある。和を重んじるふりをして傲慢を押し通す。自覚があってやっているんだから余計にたちが悪いわ)

いつも心穏やかな白蓮にも憤りが込み上げてくる。思い返せばあの時も、この時も……神子と対立した様々な経験が蘇って、尚更『女苑を救わねば』と白蓮を奮い立たせる。女苑に寄せる憐れみと同じくらい、神子に対する怒りと対抗心を燃やしていた。
立ち上がった白蓮は「わかりました」と不安げな顔の紫苑を見下ろした。

「私が女苑の処罰を撤回させるよう説得します。神子の専横を見逃すわけにはいきません。一輪、雲山、来なさい」
「は、はいっ!」
「他のみんなはお寺で待っていなさい。いいですね?」
「わかりました」

白蓮の剣幕に圧倒されて、弟子達は意義を唱える暇もない。すぐさま白蓮は一輪と雲山を引き連れて人里に向かった。

(落ち着いて、冷静に……頭に血を昇らせてはあの人に打ち負けてしまう)

白蓮は心の内に真言を唱えるも、穏やかならぬ感情は自ずと滲み出るのか、頼みに来た張本人たる紫苑ですら白蓮の後ろ姿を見て息を呑むのだった。



一方、少々時は遡って、神霊廟に神子を尋ねてきたのは被害者である富豪の腰巾着の一人だった。

「そうですか。また件の疫病神が問題をね」
「もう辛抱なりません! どうか貴方様にお力添えしていただきたいのです!」

唾の飛ぶ勢いでしゃべる腰巾着に内心眉をひそめつつ、神子は話に耳を傾けた。
説明にしては冗長で余計な言葉が多く、何やら思い込みによる脚色めいた話もあるが、神子にかかれば情報の取捨選択など容易い。ノイズを排除し、必要な情報だけを頭の中で整理する。

(しかしまあ、ずいぶん自分達に都合のいいように語るものよ)

神子は苦笑する。疫病神の関与を考慮に入れても、物欲に目が眩んだ人間の自滅と受け取れなくもないのだ。とはいえ、此度の騒動の中心に疫病神がいるのは事実である。人間が被った損害は今までと比べものにならないほど大きいし、悪評も千里を駆ける。

「もうあの姉妹に振り回されるのはうんざりだ!」

それもまた嘘偽りない本音だろう。自らの不始末を棚に上げて疫病神になすりつけている節はあるが、思うに腰巾着も、富豪も、神子が話を伺う限りではそこまで悪辣な人柄ではない。遊びの性質が違うだけで、やっていることは己の失態を見咎められまいと隠したがる子供と大差ない。数多の欲望を聴く身としては、この程度の欲望は素朴で微笑ましい、人間らしいものとしか思えないのだ。

(さて、どうしたものかな……)

神子は人間達の依頼を受けるか受けまいか、損得を秤にかける。
自分がわざわざ出張る案件でもないと思う。人里で起きた揉め事なら霊夢に任せるのが一番だろう。
一方で、神子の中の義心というか、使命感に似たものが静観の構えに留まるのを良しとしない。そもそも姉妹が表に現れた完全憑依異変の時から、神子は姉妹の処罰が些か不満であった。第一あの姉妹は身持ちも性根も貧相なのだ。高貴な生まれの神子とは相容れない。

「だいたいねえ」

と、神子が黙っている間も腰巾着はしゃべり続ける。

「あのお坊さんがいけないんですよ。更生させると預かっておきながらこの体たらくなんですから。人妖平等ったって、やっぱり妖怪相手に甘いんじゃないですか」

不満の矛先が本来関係ないはずの人物に向いた途端、神子も思考を中断せざるを得なくなった。

(そうだ、疫病神に半端な情けをかけたのもあいつだったな)

神子は眉間にしわを寄せる。白蓮が疫病神を引き取ると申し出た時、神子は「やめておけ」とそれとなく忠告した。捨ておけないと慈悲を向ける気持ちは理解できたが、神子は疫病神の貧困を根本から解決できるとは思えなかった。

『下手したらお前にまで厄災が降りかかるぞ。ならば姉妹揃って霊夢に預けておけばいい』
『あら、私は厄災だなんて気にしません。自分に自信がないからって口出ししないでください』

温厚な性格のわりには強情な面があって、白蓮は神子の忠告をそっけなく退けた。今、腰巾着に相談を持ちかけられた神子は「だから言ったじゃないか」と一喝してやりたい気分である。

(お前はいつも詰めが甘いんだ。だから肝心なところで王手に届かない。お前のやっていることは単なる時間稼ぎでしかないんだ)

思い返せば白蓮の生温い態度が忌々しく、笏を持つ手につい力が入る。
腰巾着の愚痴が人間寄りの見解だとしても、人ならざる白蓮が妖怪贔屓だと受け取られるのは致し方ない。対して神子は、声高に妖怪排除を唱えた覚えも反妖怪の姿勢を取った覚えもないが、基本的に『人間のために動く者である』と自らのスタンスを示している。
腰巾着が神子を頼った理由が読めてきた。人里近くの命蓮寺には間違いなく疫病神の噂が入る、白蓮は一時期面倒を見たよしみもあって疫病神の肩を持つに違いない。ならば対抗馬として、何かと白蓮と敵対しがちな上に人間寄りと見なされがちな神子に白羽の矢が立つわけである。

「――いいでしょう」

腰巾着が顔を上げる。神子は腰巾着を懐柔するべく、にこやかな笑みを作った。

「私を疫病神の元まで案内してもらえますか。聖人として、民草の頼みを無碍にあしらうわけにはいきませんからね」
「あっ……ありがとうございます!」

平伏する腰巾着を尻目に、神子は直ちに布都を呼び寄せ、今後の対応を練り始めた。
神輿扱いとはいささか不服なものの、名を広めるためには講演や演説以外にも精力的な活動は欠かせない。何より、神子は以前から幻想郷の秩序の在り方に対し思うところがあったのも事実である。
――和を乱す者は去れ。かつての為政者として、人の上に立つ者として、混沌とした世の有様をあるがままに認められるものか。
そうした不満の矛先に、白蓮の詰めの甘い理想がある。中途半端な寛容が神子を苛立たせる。

(いいだろう、誰にもやれぬというなら私が大鉈を振るってやる。聖白蓮。お前と私は争う運命でしかないようだ)

神子の頭に白蓮が嫌いか、依神姉妹が嫌いかなんて考えはなかった。元より神子は個人の好き嫌いで動く俗な考え方はしない。
ただ生まれ持った強い使命感と才能、それに見合った実力を身につけた自負が、神子を突き動かしていた。



白蓮が一輪と雲山を伴って人里へ踏み込むと、いつも平穏な里はどことなく異様な雰囲気に包まれていた。
ほとんどの店が昼間なのに閉まって、往来の人影も少ない。その割に屋敷の中からこちらへ向けられる疑惑の視線を感じる。白蓮達の後ろにくっついている紫苑と天子に向けられるものとも異なるものだ。
命蓮寺を人里近くに構えただけあって、白蓮が訪ねれば人々はそれなりに歓待するし、投げかけられる眼差しもどちらかといえば好意的なものが多かったはずだった。

「何だか変な感じですね。昔を思い出します」

一輪は雲山と身を寄せ合って警戒する。悪意というほど攻撃的ではないが、ねぶるように絡みつく視線は「果たしてあの噂は本当なのだろうか?」という人々の疑惑を雄弁に語っていた。

「紫苑、お前達が賭博をやってた店ってどこだ?」
「ええと、路地裏の、あと二本くらい小道を通り過ぎた先の……あっ、あそこです!」

紫苑が指差す先に、傍目にもわかりやすい人だかりができていた。駆け寄れば、ひしめく人間達の中に見覚えのある派手な髪型を見つけて、

「女苑!」

白蓮は思わず叫んだ。白蓮達の姿を認めた女苑は大きく目を見開く。普段の女苑ならたかが人間の群れぐらい意に介さないだろうに、大の大人達に囲まれてさすがに萎縮するのか、それとも後ろめたさがあるのか、やたらと大人しい。

「あんた、何しに来たのよ。姉さんまで連れてきて……」
「決まってるでしょう、私は」
「おや、これは命蓮寺の住職殿、行脚の途中ですか」

二人の会話を遮りいけしゃあしゃあと言い放ったのは里一番の富豪と噂の中年男である。白蓮を前に余裕たっぷりの構えも当然、彼の隣には思った通り、白蓮の好敵手たる聖徳道士が威風堂々たる佇まいで白蓮を見つめているのだ。

――やはり来たな。
――当然じゃない、貴方の名前を聞いたら。

白蓮と神子、互いの視線がぶつかった途端、目に見えぬ火花が散った気がした。
神子への警戒を続けたまま、白蓮は女苑の様子を伺う。見たところ、目立った外傷はなく、誰かに手を挙げられた痕跡はない。だが彼女の両手を背中で拘束する金具を目にして、白蓮は気色ばんだ。

「おやおや、何やら誤解なさっているようですな」

白蓮の様子を察した富豪は鷹揚に笑う。

「怪しからぬ道具ではありません。ただこやつめを自由にしておいて、またも皆が素寒貧にされては困りますので。こちらの太子様にお知恵を拝借したまでです」
「貴方が?」

白蓮が神子を睨みつければ、神子は口元を緩める。

「大人しくしてくれ、と口で言って聴くような奴じゃないのは、お前が一番わかってるんじゃないのか? 言うなれば孫悟空の緊箍児みたいなものだ。しかも真言要らずで私の匙加減一つで戒めを与えられる優れ物だよ」
「……相変わらず饒舌ね。口から生まれた邪仙とは案外言い当て妙ではないかしら」

白蓮が注視した限りでは、女苑の戒めは怪しい道具ではない。とはいえ、本来なら飛んで逃げられるはずの女苑が両腕を拘束されただけで何もできないのもおかしなものだ。

「ど、どうしよう、天人様……」
「ははあ、地上の仙人にもまあまあ頭の回る奴がいるもんだ」

狼狽えるばかりな紫苑の一歩前に出て、天子は皮肉っぽく言う。
改めて金具を隈なく観察すれば、金具に施された細工が女苑の妖力を吸い取っており、鉄球より重い枷となって女苑の動きを封じていた。
里の人間がこんな道具を持っているはずがない。神子の言う通り、仙術によるものだ。

「お前の言いたいことはわかる。解放しろ、だろう?」
「こんな仕打ちはいくらなんでも一方的すぎではありませんか」
「こいつが何をしたか知らないとは言わせないよ。こいつに改心なんて無理だ。何度諌められても、懲りずに今回のように多くに迷惑をかけ被害をばら撒き続ける。和を乱す者は心を鬼にしてでも廃さねばならない」
「貴方の都合の良い支配のために和を持ち出すなど笑止。何もすべて水に流して許してやってくれとは言いません。ただ、人間も妖怪も、誰だって誤ちを犯します。せめて償う機会を与えてはくれないのですか」
「もう少し周りを見てみろ。平等を唱えながら踏み躙られた者達の声は聴こえないのか? 私の目にもお前の方が世渡り上手に見えたんだけどな」

途端に周囲の人間達の視線が一段と冷たくなった気がした。
見渡せば、誰も彼も神子の意見に流されているのか、白蓮らを見つめる人々の目には不信感が宿っている。
さすがに白蓮も戸惑った。いくら神子が台頭してきたからといって、白蓮ら命蓮寺が急速に信用を失うのも妙な話だ。今回の騒動には天狗のゴシップも、面霊気の感情暴走の余波も関与していないのに。

「聖様、やっぱり変です。里の人間達に根回しされているとしか思えません」

一輪がぴたりと白蓮に寄り添いながら言う。付和雷同で流されやすいのは人の心の常――どうやら神子が先手を打つ方が早かったらしい。人心掌握も政治的戦略も神子の方が長けていると認めるしかなかった。

「お前は償う機会をというが、他でもないお前が一度与えたはずだ。だが私は仏の顔と違って二度以降はない。一度失った信頼は取り戻すのに苦労する」

神子の言葉が示すのは女苑のことか、白蓮のことか。
白蓮とてそれは身に染みている。千年前、白蓮の正体を知った人間達の恐怖の目を思い出せば、あの時の人間達に“もう一度やり直しを”など望むべくもなかったと理解できる。

「欲望ほど飼い慣らすのが難しいものはない。悔やまずともよい、お前が失敗するのも無理はないんだから。いいじゃないか。こいつがいなくなれば、結果的にお前の過ちも帳消しになる。汚名返上の名誉挽回だ」

神子の口調が急に柔らかくなる。慰めが余計に侮蔑的に響いて、白蓮は怒りで目が眩む。お前にとっても悪くない案だろう、とでも言いたげだ。
あまりにも軽い。秩序は黄金より重く、命は羽毛より軽い。

「……女苑への処罰を撤回しなさい」

拳を強く握りしめて、白蓮は低く言い放つ。

「私は名誉などいりません。真に守るべきものを切り捨ててまで得る栄華ほど空虚なものはない!」
「立派だな。だがお前の立派なお題目のために周りが苦しむんだ」
「貴方の虚栄心がいらぬ犠牲を増やすのです」

神子を真っ直ぐに睨んでも、神子は少しも怯むことなく睨み返してくる。
両者共、一歩も引く気配はない。神子は今更発言を撤回するつもりなど微塵もないし、白蓮とておめおめ引き下がるわけにはいかなかった。

「これ以上は平行線のようですね」
「皮肉なものだ、話せばわかるとでも言いたげな奴が一番話の通じない頭でっかちとは」

交渉決裂でありながら、(ならば)と二人の考えは一つだった。
――この諍いに決着をつけるには、決闘しかない。

「諸君!」

神子は直ちに不安げな顔の人間達に呼びかける。

「これより疫病神を私の仙界へ移します。ご安心ください、決して逃しはしません。厳重な封印を施し、中からも外からも干渉できないようにします。此度の沙汰、私に預けてくださいますか?」

しばしの間、人間達に動揺が広がったが、まもなくして富豪を中心に「意義なし」との同意が唱えられた。

「いいんですか、聖様」

一輪が不満げに囁く。神子の仙界に移るということは、決闘の場所が一方的に神霊廟に決められたということだ。

「完全に相手の空気に持っていかれてますよ、神子様のホームで戦うなんて」
「いいのです」

白蓮は心を鎮めるべく呼吸を整える。
決闘をこのまま人里で行うわけにもいくまい。宗教戦争の人気集めの時とは違う、流れ弾が人間達に新たな被害を及ぼす可能性があった。人里に近い命蓮寺も同じだ。なら、神子が封印を施し流れ弾を防いでくれる仙界はうってつけといえる。
納得いかない、といった表情の一輪に白蓮は微笑みかけた。

「大丈夫ですよ。慣れてますから。神子の仙界で戦うのも、神子と戦うのも」
「それは……私だってそうですけど」
「あーあ、こうなるんなら長い無駄話なんかせずに最初っから仙界でドンパチやってりゃいいものを」
「うう……どんどん話がこじれていく……」

傍らで気だるげに二人のやりとりを聞いていた天子は、うなだれる紫苑をあくび混じりに引っ張った。

「貴方も来るのですか」
「当たり前じゃないか。お前らの決着を見届けない限り、疫病神の沙汰も決まらないんだろう」

やけに素直な天子に違和感を抱きつつ神子を見やれば、神子は極めて落ち着き払っており、

「天人様にご満足いただけるかわかりませんが、どうぞ見物はご自由に。もちろん貧乏神も。餞別の時間ぐらい作ってあげましょう」
「ああくそ、もう処分する気になりやがって!」

紫苑が天子の陰に隠れながら爪を噛む。やはり妹の処遇が心配なのだろう。
神子がその場で仙界への入口を開き、白蓮達もすぐ後に続いた。全員が招かれた時点で入口は閉ざされ、念のために確認を取ったが紛れ込んだ人間は一人もいなかった。
仙人はそれぞれ自分の仙界を持つ、といっても、仙界の構造に大差はない。四方に四季を持ち、建物は大陸風の設え、遠方には断崖絶壁の山が雲に霞んで見える。

「さて、布都」
「はい!」

神子が呼びかければ、すかさず神霊廟の中から布都が出てくる。布都は一輪の方をちらと見たが、すぐに向き直った。

「お前は一切手出し無用だ。屠自古にもそう言い聞かせて、黙って疫病神を見張っていなさい」
「承知しました」
「一輪、雲山、貴方達もよ。私と神子で決着をつけないと意味がありません」
「かしこまりました。御武運を!」
「ふーん、これはちょっと弾道が逸れたくらいじゃびくともしないだろう」

入り口が閉ざされてなお、天子は仙界のあちこちを入念に見回っている。神子を振り返り、鼻を鳴らした。

「確かに堅牢な封印だ。私でも緋想の剣で一突き、とはいかないだろうね」
「お褒めにあずかり光栄です」

嫌味っぽく笑って、神子は捕まえたままの女苑を乱暴に紫苑と天子の元へ放った。

「ゆっくり話でもしてな。縁の儚さは人間も妖怪も変わらない。いつ今生の別れとなるかわからないのだから」

含みのある物言いに、白蓮は嫌な予感がする。あの金具は対象の妖力を吸い取る。今のところ、女苑に目立った悪影響は見られないが――もし、肉体に依存しない妖怪の力を根源から吸い尽くしたら、女苑はどうなってしまうのか?

「戒めを外してはくれないの? どうせここから逃げられやしないわ、いつまでも貴方の手中に囚われたままでは……」
「――孫悟空は釈迦の手のひらから逃げられない」

神子はにやりと笑った。憎たらしいほどの余裕綽々とした振る舞いに、白蓮は心の内に湧き上がる静かな怒りを、強いて宥めようとする。
これは単なる私怨による私闘ではない、幻想郷の流儀に則った正式な闘いだ。白蓮が神子を打ち負かさなければ女苑の生殺与奪も何もかも、神子の意向一つであっけなく決まってしまう。最悪の場合……いや、そんなものは考えたくなかった。

(それは、本来貴方が決めるべきことではないのに……)

なんと傲慢な人! そう罵るのは容易いが、白蓮だけは決して怒りに身を任せてはいけない。どこまでも心静かに、平常心で戦いに挑まねばならない。

(私達は始まりからずっとそうだった。貴方が復活したあの時から……やはり、貴方を止める役目を担うのは、私になるらしい)

静かに大きく息を吐き、懐から巻物を取り出す。同じく神子は笏を構える。それが開戦の合図だった。
一方、地上で女苑や天子らと取り残された紫苑は、始まった二人の戦闘を目にして膝をつき頭を抱えた。

「ああもう、どうしてこうなるの。厄介な聖人二人を引き出すとか、なんて迷惑な妹……」
「ちょっと、そこで私を責める? 仙人はともかく聖を引っ張ってきたのは姉さんだし、あいつらが勝手に盛り上がってるだけじゃない! 本当に姉さんは頼りにならないんだから」
「なんですって! 元はといえばあんたが能力使って変に増長したのが悪いんじゃない!」
「姉妹喧嘩は後にしてくれ。紫苑、お前に頼みたいことがある」

二人の戦闘も姉妹の喧嘩も気に留めず、仙界の観察を続ける天子が不敵に笑う。

「え、何ですか?」
「あいつらが戦闘に夢中になっている隙に、この仙界を隈なく調べようじゃないか。本当に堅牢な封印なのか、な」

神子の手前、素直に実力を認めるふりをしたものの、天子は本気で封印を破れないとは思っていない。以前、茨華仙の仙界に侵入した経験のある天子は有頂天である。地上で尊ばれる仙人も天人から見れば格下、その気になればいつだって自分の方が強いと思っていた。
元より天子の企みにほとんど異を唱えない紫苑は「さすがは天人様だわ」とこちらもつられて有頂天である。成り行きで仙界まで連れてこられてしまったが、紫苑はさっさと厄介な問題とおさらばしたい、もとい解決したいのだ。

「私にかかれば厳重な封印も紙きれ同然よ! 紫苑、手伝ってくれ!」
「はい!」
「えっ、ちょっ」

天子と紫苑は嬉々として仙界の探索を始めた。
無論、二人はただの好奇心で動いているのではない。白蓮と神子が争っている隙に結界を破って逃げてしまえばこっちのもの、という魂胆だ。女苑の戒めはすっかり忘れているようだが、目的はあくまで女苑を救うため、それに間違いはないのだが。

「この状況で置いてけぼりにするかフツー!?」
「ま、まあ、代わりに私達が付き添っててあげるから……」
「そうだ、気を落とすでない」
「変な同情すんな!」

動けない女苑は吠えるも、一輪と布都に宥められてしまうのだった。なお、一輪も布都は女苑だけでなく天子と紫苑の見張りも任されたのだが、

(まあ、あの二人じゃ何もできなさそうだし、どうせ失敗するでしょ)
(いくら天人様でも不良天人、太子様の封印は破れぬであろう)

と、完全にたかを括って放置の構えであった。
それにしても自由を奪われているわりには女苑も元気そうである。妖力と活力は別腹なのかもしれない。



(さて……)

大気の流れは外界の影響を受けず穏やかである。自らによく馴染む仙界の中で、神子は白蓮を相手に身構える。
白蓮は簡単に心を揺さぶられないと承知の上で、わざと挑発する言動を取った。できる限り彼女の怒りを煽ろう、心の平安を崩してしまおうと試みた。白蓮も決闘慣れしているといったって、元は争いを好む性分ではないため、その気にさせようと思えば一手間かかる。
神子は慎重に白蓮の動きを窺う。どんなに平静を装っていても、内心に秘めた怒りが見て取れる。けれど癇癪玉みたく爆発するものでない、あくまで神子の仕打ち一点に目がけた、真っ直ぐな怒りだ。
地の利といい、人質同然な疫病神の存在といい、こちらが圧倒的に有利とはいえ、侮ってかかれば押し負けるのはよく知っている。

(一発、二発喰らうのは覚悟した方がいいな)

早くも白蓮は巻物を広げて魔法を使った。己が肉体を強化した白蓮が放つ技は重いが、こちらも鍛えた仙人、耐えられないでもない。
神子は白蓮から目を逸らさないまま思考を練った。白蓮とはもう何度目の対峙になるかわからない、策略はあらかた絞られてくる。こちらの被害を承知の上で、大技を撃たせてしまえばいい。鍛錬を積み人間を超えた魔法使いといっても、白蓮は魔力がなければただの人間と大差ない。追い詰めて、早めに白蓮の魔力を枯渇させれば神子の勝ち筋は容易に見えてくるものだ。

(そら、来た!)

敏捷な動きで瞬時に神子との間合いを詰め、剣のように独鈷杵を振りかざすのを、鞘に収まったままの七星剣で受け止めた。

(ご自慢のスピードがどこまで維持できるものか)

一手、二手、三手、神子には白蓮の一挙手一投足が手に取るように読める。おそらくは白蓮も同じだろう。神子がどのような戦法を使うか、どのように攻撃を受け流すか、熟知した上で決め手となりうる打撃を与えようと考え動いている。
それほどお互いのことを把握していた。幾度となく矛を交え、時に手を組み、それでも理解できない領域があるとすれば。

「神子」

決闘の最中、白蓮は神子の名を呼んだ。神子が無視すればもう一度叫ぶ。集中力を乱す気か、と煩わしく思えば、

「本当に、今からでも撤回するつもりはないんですか」

白蓮は真面目な顔つきで問うてくるのである。さすがに神子も呆れて、笏で大袈裟に白蓮の腕を振り払った。
理解できないのは、この往生際の悪さだ。白蓮は決して愚鈍でないはずなのに、どうしてこうも頑ななのか。

「未だに説得を考えていたのか? 無理だと悟ったからこその決闘ではないのか?」
「ここなら余計な人達がいないぶん、話しやすいかと思いまして」
「今更お前と話など無用である! わからないのか? どんなに言葉を尽くしたって、届かないものは届かない」
「本当に言葉が無意味だと思っているなら、貴方は何度も演説なんてしないはず。今回だって、貴方の言葉と意志が里の人々を動かしたのでしょう。そうでなければあんなに頼りにされたりしますか」
「いいか、人も妖怪も、決定的な印象なんてものは話の中身より見てくれで決まる」

白蓮が鼻白んだ隙に抜刀し、八方に光を放つ。続けて札を放てば、白蓮はさらに自らの速度を上げてかわしきる。

「容姿の美醜の問題じゃない。声の抑揚、ジェスチャー、表情、間の置き方。他者にどう見られるかを意識して振る舞うかなんて、宗教家として、為政者として当たり前のことだ」
「そんなの、私だってやりますよ」
「なら私の言動の意味がわかるな?」
「わざとらしいほど悪役ぶってますね。私を怒らせようという魂胆が見え見えです」
「お前はヒールよりヒーローを演じたがるタイプだろう? 義心に酔わせて気持ちよく動かしてやるまで。図に乗った奴は手綱を握りやすくていいからな」
「――そのヒールの仮面、剥がしてくれませんか」

白蓮が渾身の力を込めて放った拳を、神子は紙一重で避ける。まったくもって容赦がない。重たい一撃に彼女の怒りが載せられているようだ。

「回りくどいんですよ。貴方の独善的な顔は知ってますけど、仮面を被られると他の顔が見えてこない。貴方の真意が見えにくくて困ります」
「性善説を信じるのか? いや、理想を持つのは悪いことじゃない。志の高い奴はむしろ好きだ。だけどお前の理想は説得力のない綺麗事なんだよ。お前の実力では到底叶えられない」
「ずいぶん頭ごなしに否定してくれますね」
「お前の所業は私が誰よりも知っているよ」

白蓮の攻撃を振り払って、神子はつらつらと並べ立てる。

「私の封印に失敗した。こころの騒動の収束だって私の面の賜物だ。オカルトボールはお前に封印などできなかった。疫病神の更生は言わずもがな。石油だって、お前の施した呪法は一時しのぎでしかなかった」
「……」
「それでもまだ無意味に足掻こうというのか?」
「せめて聖人が綺麗事を言わなかったら、誰が綺麗事を言うというの」
「為政者は清濁併せ呑まなければいけない。清水だけを選びたがる妖怪坊主にはわからないだろうが!」
「清濁を平等に併せ呑むのなら、貴方は汚濁ばかりでなく清水だって飲み込めるはず」

白蓮の言葉ごと蹴散らすように、神子は剣を掲げて光を放つ。白蓮もまた光背をまとい、光の弾幕で応対する。眩い大日如来も、神子の天道には及ばないかに見えた。

「大口叩いてその程度か。力なき大義など無力!」
「大義なき力もまた無力です!」

光がかき消されてなお、白蓮の目は光を失わず、言葉を止めない。

「邪魔者を次々に消し去るのが為政者のやり方ですか。そんなのただの身勝手な独裁者です。いっときの支持を得てもすぐに民衆は恐怖に支配される。遠く異朝をとぶらうまでもなく、いずれ風の前の塵になるのは貴方よ」
「ならばすべてを都合よく受け入れろとでも? お前だって何もかもに寛容にはなれないんだろう。嫌な奴には消えてほしいんだろう。だから一部の入門希望者を門前払いする」
「そんな一か零かじゃなくていいのよ。妥協点を探っていくのだって立派な政道でしょう。私が信じられないなら、せめてあの子の、女苑の善性を……」
「弟子の行動すら把握できない奴の言葉に説得力はない。まして元居候なんて、顧みるに値しない。お前はどうして自分から求めて我が身を滅ぼしかねない面倒事に首を突っ込む? 不利益をむざむざ被ろうとする? あんな疫病神のどこが哀れだというんだ」
「この世の衆生すべてに慈悲を向けるのが僧侶の務めです。私は元の関係者だから弁護しているんじゃないわ。あの子がたとえ赤の他人だったとしても、私は貴方の前に立ち塞がるでしょう」
「立派なお題目だな。だがそれがお前の欠点なんだ。お前が見切りをつけられないなら私がつける。お前にできないことは何でもやってやる。そうしてお前が獲得するはずだった支持者もすべて掻っ攫ってやろう」

いつだったか、神子は幻想郷に侵入した女子高生を一時的に追い出す役目を担った。人間・妖怪達の目論見を善意でコーティングして、案内役のふりをした。
今度は別の役を演じればよい。義心に駆られた白蓮の前には冷徹な悪役のように立ちはだかって、その実、神子は己の理想のために動く。白蓮に指摘されようがその姿勢を改めはしない。
心の底で、神子の生まれ持った使命感が疼く。
悪を排せよ。我こそが秩序の体現者だ。なぜなら天に選ばれ神に嘉された聖徳王なのだから!
邪魔者には容赦しない。人の上に立つ者は、時に非情とも言える手段を選ぶのも必要だ。幾年かけて切磋琢磨しあい、認めてきた白蓮だって、立ち塞がるなら退けるまで。
神子の猛攻に、白蓮は次第に追い詰められてゆく。思った通り、攻撃にも防御にも移動にも魔法を絶え間なく使わされて、白蓮の消耗は普段よりずっと早い。なのに決して地に膝をつかず、粘り強く立ち向かってくる。

「確かに、あの人達は貴方を頼ったわ。女苑の悪行を何とかしてくれとお願いした。だけど……」

息切れしながらも、白蓮の目は神子を鋭く射抜いた。

「この世界から追い出せなんて、誰も貴方に頼んでいない!」
「ならばこう返してやろう。あいつを受け入れろなんて、誰もお前に頼んでいない!」
「ええ、頼まれてないわ。貧乏神と天人が困っていたから、しかも貴方が絡んでいると知ったから、それだけよ。何より今回の貴方のやり口が見過ごせないと思った。誰にも望まれなくたって、私は私のやりたいように動く」

白蓮はふらつきながら、もう一度巻物を広げた。魔力も残り少ないだろうに、神子の隙を見計らい、一気に片をつけるつもりだ。

「私は、貴方の野望を止めて女苑を救いたい!」

嘘偽りのない白蓮の叫びに、神子はまた苛立ちが募る。
白蓮もまた白蓮なりの使命感に基づいて行動しており、同時にある種の自己陶酔で動いているのだろう。いかに純粋で清廉に見えるお題目だって、一枚皮を剥げば自己満足と大差はない。神子自身が己の義心を疑っているからこそ、白蓮の使命感の正体を見抜けるのだ。

(――こいつは私と違う)

白蓮は大阿闍梨とも呼ばれるが、思うに本当に朝廷から認められた役職ではなく、敬意を込めた称号に過ぎない。王法と仏法が分かち難く結びついた時代を生き延びながら、白蓮本人の権力に対する執着は極めて弱い。だからこそ、白蓮は為政者としての神子の役割を真っ向から否定しにかかる。

(私が単に私利私欲のためだけに動くとでも思っているのか? どんなに多くの人望を集めようが、お前は所詮お山の大将に過ぎない。本当の意味での人の上に立つ責任など知りやしないんだ)

いつだってそうだ。神子が何かを成さんと行動する時、いつも白蓮が目の前に立ち塞がる。自分には利己的な欲望などありませんと言わんばかりの態度が癪に触る。神子の前では如何なる欲望も隠し立てできないと、白蓮もわかっているだろうに。
人の上に立つ。ゆえに人のために動く。されどそれは決して妖怪との敵対を意味しない。
そのスタンスに危うさがあるのは神子も認めるところではあるが、神子はいつだって為政者として、
――もうとっくの昔の話だ。幻想郷に為政者は求められていない。
聖人として、
――人々は本当に疫病神の消滅を望んでいるのか。失われた金が戻れば溜飲を下げるのではないか?
宗教家として、
――お前を慕う者達は、果たして道教を心から信仰しているか?
聖徳王として、
――所詮、王止まりで帝王になり損ねたお前に何を成し遂げられよう?
神子は頭の中に響く内なる己の声を振り払った。それしきで惑わされ、立ち止まる神子ではない。昔からずっと、屠った政敵の血に塗れようが屍の上を踏み歩こうが強くあれた。
修行のたびに振り返っては蘇る数多の怨恨をすべて背負ってでも、生にしがみついて長く永く生きたかった。
けれど白蓮は、過去の政敵とは違う。始めに神子の霊廟を封印した僧侶達とも違う。
聖と呼ばれながら妖怪に魅入られた魔女。かつて長寿を希求し、今なお永らえながら、不死への執着は放棄している。死に怯え生を希求した始まりこそ同じはずなのに、白蓮は神子と決定的に何かが違う。
数多のしがらみに足を取られて、寄り道をせずにいられなくて、白蓮の歩みはいつだって遅い。

――私は到底、お前のようにはなれまい。
――もしも私が本心から仏門に帰依していたら。
――あるいは、お前のように生きていたのだろうか?

数多の慟哭と嘆きに打ちのめされ、この世は五濁の憂世と悟って、それでも希望を信じられるのはなぜだ。白蓮の併せ持つ潔癖さと愚鈍さが神子をますます苛立たせ、同時に神子の持つ別の欲望を引き摺り出す。

「どうして……」

少しずつ、神子の仮面が剥がれかける。白蓮は何もわかっていない。神子は疫病神の善性などどうでもいい。
秩序と安寧のため――それは決して建前ではないが、疫病神に関わったがために白蓮が自滅するのが耐え難いのだ。昔こそ他人に敗れるのであればその程度の器だったと割り切れたが、今の白蓮は神子の商売敵であり、好敵手である。如何なる邪魔者の介入も許さない。始まりの魔女には神子が自ら鉄槌を下さなければ意味がない。
――だけど同時に、白蓮との争いを虚しく感じる自分がいる。
なぜいつも私の邪魔ばかりする。なぜいつもお前は立ち塞がる。
――なぜ私を信用してくれない。
苛立ちが頂点に達して、神子は獣のように吠えた。

「どうしてお前はそうわからずやなんだ!」



(そんなの、こっちの台詞よ)

と、白蓮は容赦なく叩き返してやりたい思いだった。早くも息切れしてきた白蓮に対して、神子はまだ余裕をいくばくか残している。魔力の枯渇もさることながら、白蓮を焦らせ、苛立たせるのは神子の頑なさである。

(どうしてそんなに頑固なの。どうしていつも貴方はそうやって、自分こそが正道を行くのだという態度を崩さないの。復活まで一四◯◯年も待てるのなら、もっとゆっくり物事を考えて判断したっていいはずなのに)

白蓮には今の神子が何か焦っているように見えてならない。仙人はもっとおおらかで、他人に教えを説くよりも仙界に籠り自らを高めることを優先するはずだ。ならば人前に頻繁に降り立つ神子は、仙人より為政者の顔を前に出している。
神子の目的は不老不死の達成だけでなく、理想とする秩序の実現でもある。千年以上の時を超えてまで為政者としての神子を突き動かすものが何なのか、白蓮にもはっきりとは掴みきれないが。
消耗した魔力を補給する手段もなく、ジリ貧に近かったが、諦めきれない白蓮は言葉を絶やさない。

「私もすべてを受け入れられない。それは認めましょう。無秩序にまで寛容であるのは私にも無理なのよ」
「パラドクスか。ならわかるだろう、憎まれようが恨まれようが、皆を導く強者が必要だと」
「貴方のやり方には賛同できない」
「時には割り切ることも肝心だ」
「折り合いをつける方が先でしょう」

やはり二人の意見はぶつかり合って噛み合わない。神子はもう対話すら鬱陶しいのか、攻撃の手数が増えてくる。話し合いが成り立たないなら、神子の言うように、実力で打ちのめすしかないのかもしれない。たとえこの身が八つ裂きにされようとも、この世の誰もが神子を見放そうとも、白蓮だけは神子を諦めきれない。

(私が止めなきゃ。元はといえば、私が封印に失敗したんだもの、何としても私が神子を止めないと……)

神子には負けられない、自分だって“聖”の名を冠する聖職者、聖人なのだから――普段にまして強く思う。
かつて若返って再び人前に現れた白蓮はその法力を讃えられ、命蓮の再来、聖と呼ばれた。
初めこそ、死を恐れ外道に手を染めた自分には不似合いだと思った。本来なら如何なる権威にも長寿にも固執しなかった命蓮に捧げられた称号なのに。
それでも白蓮は卑下だけで終わらせはしなかった。今の自分に不釣り合いだと思ったならば、名前負けしない立派な僧侶になればいいと、肩書きに見合う実力をつけてきたつもりだった。
しかし、今、白蓮の目の前には本物の聖人がいる。神の血を引き、神仙に遊び、人々の希望となり、今なお眩しいほど生を謳歌する、かつて命蓮も白蓮も敬愛した伝説の聖徳太子本人が立ちはだかる。

(――私とは違う)

神子が白蓮の失敗を数え挙げたが、白蓮だって数々の異変で自分の力が及ばずに終わった事態があったことも、一方で神子の策がうまくはまった事態があったことも充分承知している。
神子が白蓮を理解するように、白蓮だって神子の実力を素直に認めていた。
神子の前では、悔しくも白蓮が放つ如何なる光も真昼の日輪に隠される星屑に等しい。

(清水だけを選ぶですって? とんでもない。私は泥の中の蓮。煩悩という泥沼に根を降ろさなければ生きてゆけないのに、貴方はいつだって日の当たる場所にいる。いいえ、貴方こそが日輪そのもの)

神子は思慮深い。それでいて迷いがなく、躊躇いがない。ゆえに一刀両断に物事を決断できる。そんな神子が白蓮には眩しくて仕方なかった。同じ高みに並び立とうとしても、修行半ばの白蓮は未だ迷いだらけなのに。だからこそ、神子にはその力を正しく使ってほしいのに。

――本当は、貴方が少し羨ましい。
――もしも私がまだ不死に手を伸ばしていたら。
――あるいは、貴方のような生き方を選んだのかしら?

妖怪救済を説く――それは必ずしも人間との敵対を意味しない。
白蓮には歯痒くてならない。神子が何を成し遂げたいかも、神子の実力も、白蓮はとうに認めて理解している。なのに、どうして私達はまた争わなければならないのだろう。白蓮だって、好き好んで戦いたいわけではないのに。何度となく繰り返した決闘が、今回ばかりは苦しくてならない。
けれどもう白蓮は後に引けない。神子の作戦は白蓮にもわかりきっているが、その手に乗るまいと出し惜しみすればすかさず神子の猛攻が飛んでくる。結局、白蓮はありったけの魔力を投じて神子に一か八かで攻め込むしかないのだ。

(わからずや。意地っ張り。どうして貴方は私を認めてくれないのよ!)

あれほど心を鎮めなければと念じていたのに、白蓮はもう神子への意地と怒りに感情を塗りつぶされてしまっていた。



「ねえ、布都」

親分達の熾烈な争いを地上で見上げながら、一輪はぽつりと言った。

「命蓮寺の悪い噂を人里に広めたの、あんたでしょ」

布都はちらと一輪の顔を見ただけで、またすぐに頭上の神子へと目線をやる。一輪も布都と顔を合わせることなく、里の人間達が向けてきた不審の眼差しを思い返した。

「おかしいと思ったのよ。ちょっとした愚痴くらいならたまに聞くけど、あそこまで露骨な態度を取られたらね。神子様は人知れず部下を動かしていたのね」
「なぜ我の仕業だと思う?」
「あんたの仲間を他によく知らないってのもあるけど。あんた、神子様のためならそれくらいやるでしょ? 物部と蘇我の争いを扇動したように」
「……よく覚えておったな」

特段責めるでもない、淡々とした口調で突き詰めてゆく一輪に、布都は口元をつり上げた。

「その慧眼やよし、特別に我が名探偵と呼んでやってもいいぞ?」
「マジで? やりぃ。今度探偵の真似事でもしてみよっかなー、もちろん相棒は雲山で。……え、何よ、雲山」

雲山は、布都は命蓮寺にとって有害な行動を取ったのに構わないのか? とぼやく。一輪は黙って笑顔を見せた。

「ずいぶん落ち着いておるな」
「まあね。根回しに流言の吹聴に、せっせと裏工作に励むお偉いさんの内輪揉めなんて平安の世でも変わらないしさ。普段阿保っぽいあんたでも扇動はできるわけね。昔取った杵柄?」
「一言余計じゃ」

布都は少しだけ不満を顔に出した。
陰惨な権力争いは飛鳥の豪族の専売特許ではない。妹紅の一族、藤原氏は表立った人殺しこそしないものの、陰湿かつ血生臭い争いを身内同士で繰り広げていた。都から離れた場所に住み、遠巻きに聞くだけだった一輪も「高貴な人達なんてそんなもの」と慣れていて、今更驚くに値しない。
そして布都も仲のいい一輪に己が所業を指摘されても、微塵も狼狽えない。普段からくだらない遊びや揉め事で暇を潰してばかりの相手とはいえ、己の主君たる神子が絡めば話は別だ。

「後悔しておらぬぞ。お前を謀ろうが、我は太子様のためならこの手を汚すことも厭わぬ」
「そう。私もたとえこの先、あんたが敵になっても容赦しないわ」
「人の上に立つ者はいつだって孤独なのだ。せめて部下の我らが支えにならねば、太子様は独りぼっちになってしまう」
「見上げた忠誠心ね」

普段の能天気極まる言動からは想像がつかない真面目な敬意を感じて、一輪も素直に感心する。為政者の孤独など一輪にはわからないが、布都が神子のような立派な人物になりたいと無邪気に願っているのは知っていたし、一輪もまた白蓮を憧れの目標とする者である。だからか、布都が命蓮寺に不利益な情報を流したことはあまり怒っていない。

「私だって、もう二度と仏教を裏切るもんかって心に決めたんだ。どこまでも聖様についていくわよ! あんたがどんな策を使ってこようが負けないわ!」

一輪はただ白蓮の弟子として、布都の友人兼ライバルとして、高らかに宣言する。それを受けた布都はにやっと笑った。
二人はまた頭上で戦う互いの親分を見上げた。相変わらず激しい速度で移動したり、目を焼くような閃光を放ったり。普段二人に鍛えられている一輪達でも助太刀はおろか、割って入ることすらできそうにない。

「太子様の方が少々押しているようだな」
「聖様だって負けてないわ」
「しかし長引きそうじゃのう。太子様、珍しくむきになっていらっしゃる」
「そういえば聖様も。いつもは私達の喧嘩を諌める側なのに」
「ふむ」

布都は顎に手を当てて、考え込むそぶりを見せた。

「我が思うに、お二人はお互いの顔をあまり見ない方がよい」
「どういうこと?」
「顔を見ればどうしても相手のことばかり気になり、他のものが目に入らず、視野が狭くなってしまうものだ。ゆえに本来の聡明さも洞察力も曇ってしまう。あのお二人は、目を合わせるのでなく、背中を合わせるべきなのだ」

一輪は目を瞬く。背中を預けるなんて、それこそ互いを信頼していなければできない所業だ。
布都も、争いの最中にいる白蓮と神子が本当はお互いをどう思っているのか理解している。理解した上で、できれば争わずにいてほしいと願う心は、一輪と同じなのだ。

(やっぱこいつでなくちゃね)

一人納得して、一輪はまた笑みが溢れる。争う相手は手応えのある実力者であってほしいものだ。

「そうね、私もできることならお二人の戦いを止めてさしあげたいけど」
「我らは手出し無用と言われてしまったものな」
「見守りましょう。きっと、お二人なら気づいてくれるはずよ」
「ああ」

二人は神妙な顔つきで頷いた。
ところで、二人が何となくいい雰囲気で収まった横で、納得のいっていない疫病神が一人。

「ふざけんな、マジふざけんな……」

勝手に拘束されるわ仙界に連れて来られるわ放置されるわ、女苑のフラストレーションは溜まる一方である。呪詛のような吐き出しは、すっきりした二人には届かない。唯一聞き届けた雲山も、元来の恥ずかしがり屋ゆえにどう対処していいかわからないのだった。
そしてまた一方で、仙界の調査を続けている天子と紫苑はというと。
天子は調査の傍らで、時折二人の激突する衝撃を耳にしては、

「おーおー、激しいねえ」

と他人事みたいにぼやいていた。天子は神子と白蓮の決闘など毛ほども興味をそそられない。

「此れ導引の士、養形の人、彭祖寿考の者の好む所なり。あいつら揃って肉体ばっか鍛えてるけど、精神を養う方が大事だって忘れてるのかしら」

とか何とか上から目線でこう垂れる天子であるが、自分も桃などで肉体を強化して死神を追い返し、長寿を得ているのは棚の上である。

「天人様、こっちも駄目です。あちこち回っているんですけど、どこも一定の位置まで近づくとバチって弾かれてしまって」

広い仙界を見回る紫苑は、元来の貧弱さでくたびれてきたのか、動きが鈍い。
天子も自分の持てる知識を総動員し、神子の仙界を突破できないか試行錯誤しているのだが、ちっとも糸口を掴めそうにない。じれったくなってきた天子は痩せ我慢を口にする。

「ふっ、ふふ。あの仙人、地上の民にしちゃ意外とやるじゃないの」
「天人様でも難しいんですか?」
「まあ、前は死神の力を借りたからな……」

あいつ便利だったな、と思うにつけても船頭なんぞにしておくのがもったいない。かといってお迎え担当に異動されても困るのだが。

「あれ?」

その時、紫苑がふと仙界に流れる川(おそらく外の世界と地続きではあるまい)の一点を指差した。

「天人様、ここ。この湧水の湧き出るとこ、なんかおかしくないですか?」
「どれどれ」

天子も川底を覗き込んだ。この辺りは浅瀬で、透き通る水の底に転がる苔むした石が鮮明に見える。石の隙間から水の湧き出る箇所があって、天子は緋想の剣をかざして気の流れを読む。何の変哲もない場所に見えて、一部に気の乱れがあった。
(こいつが仙界の経穴らしい)と踏んだ天子はさらに詳しく調べてみる。封印は何重にも重なっているが、読み解けばなんということはない、ほとんどはフェイクで結界の要となる奥の術式は極めてシンプルなものだった。実と見せかけ虚、天子は神子の思惑をあれこれ無駄に考えすぎていたらしい。

「なあんだ、単純な五行相剋じゃないか」
「五行……水は火に強いです、タイプです相性ですみたいなやつでしたっけ」
「そう、土は水に剋つ、まったく私の目は節穴だったようだな! 逃げ道さえ確保できればあとはこっちのもんよ」
「さすが天人様、私ももうひと頑張りします!」

天子は嬉々と剣を振り上げた。紫苑も一緒になって負のオーラをぶつけ始める。
この程度の封印なら、緋想の剣に土の気質を纏わせれば、結界のほころびを突いて崩せるだろう。

「いいぞいいぞ、私達が抜け出した後のあの偉そうな仙人の顔が見ものだな!」
「あー気持ちいい! 驕った奴を私と同じとこまで引き摺り下ろすのは気持ちいいわー!」
「――ずいぶん楽しそうにしてるのねえ」

その時、低く這いずるような声が有頂天の二人に響く。もし両手の自由が効くのなら、自力で結界をぶち壊していだろう、そう思わせる怒りのオーラを纏った女苑がいた。

「おー元気そうだな! もうちょっと待て、じきにあいつの鼻をくじいてやれる。勝負に水を差されりゃ僧侶も冷めるだろう」
「どいつもこいつも好き勝手してんじゃないわよ!!」

女苑が足を踏み鳴らして叫ぶ。さすがに紫苑も天子も手を止めた。紫苑はもうすぐ逃げられるのにどうして、と狼狽えて、

「ちょ、ちょっと、何を怒ってんの?」
「冗談じゃない、聖と仙人といい、アホ風水師とバカ入道使いといい、あんたと姉さんといい! みんな私の考えなんざ置いてきぼりで勝手に争うわ仲良くするわ企むわ! 自己中に動きやがって、ふざけんなー!!」

その怒りももっともだが、初めに自己中で動いたのは女苑(と紫苑)も同じであり、つまるところが自己責任、もとい自業自得である。
溜まりに溜まった女苑の怒りの矛先は、主に未だ決着の着かない決闘最中の聖人達に向けられる。

「特にあの二人が一番ドタマに来るわ! あんたらなんぞに私の処遇を決められてたまるか!」
「怒ってるな、お前の妹」
「早いとこ結界壊してトンズラしちゃいましょう」

女苑が意地と執念で地を蹴って飛び上がるも、紫苑は『君子危うきに近寄らず』と言わんばかりに結界崩しに専念する。どうせ今の女苑と組んでも何もできやしない。正面から挑んでも負けるとわかりきっているため、紫苑にとっては逃げるが勝ち、負けるが勝ちなのである。
天子がもうひと突き、と剣を振りかざすのと同じ頃、

「お前ら一発ぶん殴らせろ!」
「……は?」
「えっ?」

火事場のくそ力を発揮し凄まじい勢いで突っ込んできた女苑に、神子も白蓮も中断を余儀なくされ、揃って地上に降り立った、その時だった。
緋想の剣がまさに結界を破り、地面に突き立てた瞬間、大地震が仙界を襲った。

「わっ!」
「なっ……!」
「えっ、な、何これ?」

木々は揺らぎ、河川は荒れ、激しい揺れに誰もがまともに立っていられなくなる。やがて地の底からみしみしと軋む音が鳴り、地面に亀裂が走った。

「今すぐ飛べ!」
「そんなのわか、って」

ただでさえ妖力を奪われ両手も拘束され、我武者羅な突撃の余波もあって女苑の足取りはおぼつかない。地割れは治まる気配がなく、バランスを崩した女苑は裂け目に飲まれそうになった。

「女苑!」

咄嗟に手を伸ばした紫苑だったが、運悪く石礫に弾き飛ばされる。紫苑に続いて白蓮も手を伸ばす。しかと女苑の手首を掴んで気が緩んだのがまずかったのか、白蓮の体も膝から崩れ落ちた。まともに体勢を立て直せない上、瓦礫が飛び散り神子達も迂闊に近づけない。

「ちょ、ちょっと聖、あんたこのままじゃ……!」
「女苑。せめて私から離れないで、ね……」
「何をしている、早くこっちに!」

限界が近づき踏みとどまる力が尽きても、白蓮は女苑を離さなかった。紫苑に縋りつかれた天子はどうにか要石を差し込もうと四苦八苦し、神子が瓦礫にも構わず伸ばした手は、白蓮の髪を虚しくすり抜けて終わった。
女苑と白蓮はそのまま地割れの中に落ちていった。



「……はー、ちっとも要石が刺さらなくて参ったよ」

ようやく地震が治まったものの仙界は荒れに荒れていた。さすがに神霊廟はびくともしないが、木は倒れ川は氾濫し、草花の咲き乱れる地は無惨に割れて、見事な断崖絶壁が地下に出現した。

「ちょっと、何なんですか今の地震!」
「太子様ー! ご無事ですか!」

布都と一輪もやっと集まってきた。二人は揃って惨状に驚き、一輪は白蓮の不在に気づいた。

「聖様? 聖様はどちらに?」
「あいつは……女苑と、その……」

紫苑は青い顔で膝をついた。女苑が目の前で白蓮と共に地割れに落ちてゆくのをしかと見てしまった。何もできない役立たず――いつもなら「何だと!」と強気で睨み返せる罵倒台詞を浴びせられても、今の紫苑は無抵抗かもしれない。
神子は慎重に地割れの周辺を確かめる。天子が要石を仕込んだのなら余震の心配はない。地割れに飛び込もうとして、神子の体は弾かれた。

「……やってくれましたね、天人様」

神子はため息と共に額を押さえた。天子はすぐさま首を振って、

「い、いや、私は結界を破ろうとしただけで、地震まで起こすつもりは……」
「その結界破りがまずかったのです」

神子は淡々と状況を説明した。

「私はわざと要所要所に、あの湧水のような緩い結界を張りました。貴方達が大人しくしてくれるとは到底思えなかったのでね。本来はあの緩い結界こそがフェイク。破った瞬間、フェイクに見せかけた周囲の入念な結界に術式が作用して、仙界は初めて本物の堅牢な封印に守られた地となる」
「初めから破らせるよう仕向けたわけか。しかし、お前の張った結界なら、お前が術式をいじれば」
「それが不可能なのですよ」

神子の断言に、一輪までつられて息を呑む。

「貴方が、いえ、貴方達が関与したために、私の張った結界が意図せず書き換えられてしまった。術式がめちゃくちゃです。あの二人は結界の外側に締め出された状態にあるのに、このままでは私すら結界に干渉できない」
「じゃ、じゃあ! こちらから解くのが無理なら、聖様達が結界を破るのは……」
「無理だろう。あの状態では」

神子は目を伏せる。白蓮もまた魔力を消耗していた。万全の状態ならともかく、今の白蓮に神子の結界を破る力はないと見た方がいい。
それでもどうにか、と神子に食い下がる一輪とは対照的に、紫苑は茫然自失のままだ。
神子は天子達が結界に関与したせいだと言った。

(天人様が失敗するはずないわ)

ならば一緒になって結界を攻撃した、貧乏神たる自分のせいだ。さすがの紫苑も今は責任を他人になすりつける気になれなかった。
紫苑の行く先にはいつだって不幸が満面の笑みで待ち構えている。自分のせいで、天子の術がおかしな作用を生み出してしまった。自分のせいで、女苑は思いもよらぬ災害に見舞われてしまった。いつも嫌味ばかりでうざったくて、顔も見たくないと思う時だって何度もある妹だけれど、こんな形で消えられたらいくらなんでも後味が悪すぎる。

「すまない、紫苑」

うつむく紫苑の肩に天子の手が置かれた。はっと見上げれば、いつも尊大な天人らしくない、苦虫を潰したような顔の天子がいた。

「私の認識が甘かったようだ。たかが地上の仙人よと侮っていた」
「違います、天人様! わ、私がそばにいたから、手伝ったりなんかしたから!」
「自惚れるな!」

謙遜も謝罪も天子らしくない。慌てて否定しにかかる紫苑を天子は一喝した。

「私がお前の不運ごときに左右される器だと思うか? 天人たる私の誇りを貧乏神風情が乏しめるんじゃない!」
「天人様……」

天子の瞳は燃えるように赤い。
紫苑は厳しい叱咤の裏にあるものを知っている。天子は修行して天人になったのではなく、基本的に傲慢でわがままで自分本位だ。だけど天人としての気位を持ち、自分に慕い懐く紫苑にはいつだって優しい。それが見下す者への高慢ちきな憐れみであっても、紫苑は天子が好きだった。どんなに迷惑をかけても離れていかない天子を慕っていた。

「まだ打つ手はあるだろう。要は書き換えられた結界の封印術を破るか解くかすればいいんだな?」

天子は一度刺した要石を抜き取って、再び緋想の剣を地に突き立てる。神子もまた、珍しく真剣な天子の目を見てうなずいた。
天人と仙人、使用する道教由来の術は似通ったものだ。あまりに我の強すぎる二人だが、今は互いの力を合わせるより他に道はない。

「私の仙界で失踪者を出すわけにはいきません。お力を貸していただけますね、天人様」
「私が手伝ってやるんだ、遅れを取るなよ!」
「布都、お前は仙界の外側から様子を伺ってきなさい。おそらくこの亀裂は仙界の外にできている、そちらに被害が出ていないとも限らない」
「はい! 一輪、入道殿、手伝ってくれ!」
「任せて! 神子様、聖様をお願いします!」
「て、天人様、私は……」
「紫苑、お前は私のそばにいろ」

自分はもう関わらない方がいいんじゃないのか。戸惑う紫苑を天子はぞんざいに招き寄せる。紫苑と目を合わせて天子はにっと笑った。

「妹をいの一番に出迎えてやるのが姉ってもんだろう」
「……はい!」

失敗しても相変わらず自信満々な天子を見て、紫苑も自ずと笑みがこぼれた。
天子が緋想の剣を手にまじないを唱え出したのを見て、神子もまた七星剣を抜き放ち、書き変わった術式の解析を試みる。

(まったく、どいつもこいつも勝手な真似をしてくれる)

おかげで仙界はおろか神子の計画もめちゃくちゃである。ただ、神子も好き放題やっている自覚はあるので、声高に天子達や部下を責める気にもなれなかったが。
神子と天子で結界の封印を解けなければ、白蓮達は断崖絶壁の底に閉じ込められたままだ。念のため布都を寄越したが、仙界の外といったって、流石に幻想郷に突如崖が現れたりはしないだろう。ならばこの地割れの下は、仙界でも幻想郷でもない異次元の場所――いくら二人が人間でないとはいえ、危険な状態に違いはない。

(聖白蓮。お前のそういうお人好しに腹が立つ)

女苑の突撃やら天子の介入やらで有耶無耶になってしまったが、白蓮が戻ってきたら、この決闘の始末をどうつけよう。たとえ精魂尽き果てても、白蓮のあの様子では簡単に負けを認めなさそうだ。かく言う神子も、白蓮が咄嗟に疫病神を庇ったからって、そこまでするなら処遇を改めてやろうという気にはなれないのである。

「――敢えて心斎を問う。……若(なんじ)、志を一にせよ」

不意に隣から聞こえた声に耳を留めた。
緋想の術を以って気を集め、封印を破ろうとする天子はいつになく集中している。その文言は自分自身に言い聞かせるためというより、神子への訓戒に聞こえた。今は雑念を払って封印破りに集中せよと言いたいのだろう。すぐさま神子も頭を切り替え、天子に呼応した。

「之を聴くに耳を以てする無くして、之を聴くに心を以てせよ」

唱えたのは荘子の一節ながら、豊聡耳の尊称を持つ神子には皮肉めいている。
神子はひたすら心斎、心の斎戒を念じて精神の安定を図る。万物の根源・気を自在に操るのは仙人の基本といったって、精密なコントロールには相応の集中力がいる。決闘で白蓮を消耗させたぶん、神子も消耗していた。とんだ邪魔者と思われた天子が今になって心強く感じようとは。

――不良天人のくせに意外とやる。
――地上の仙人にしちゃ上出来だ。

天子の術のおかげか、神子が一人で集めるよりずっと早く結界の元へ仙界に漂う気質が収束してゆく。これなら理屈で術式を解析するまでもなく、力技で結界を打ち破れるかもしれない。
緋想の術に集中したまま、天子は続きを返した。

「之を聴くに心を以てする無くして、之を聴くに気を以てせよ」
「耳は聴くに止まり、心は符に止まる」
「気なる者は虚にして物を持つ者なり」
「唯だ道は虚に集まる。――虚なる者は心斎なり!」

神子と天子は同時に自らの得物、緋想の剣と七星剣を地面に突き立てる。気の流れを操り、一点に集まった膨大な気質の力を以って、二人で同時に突けば――予想通り、複雑化した術式がたちまち鋏を入れられたように解け、反動で仙界は再び大地震に見舞われた。

「天人様、もう一度要石を!」
「今地震を抑えたら、地割れが閉じた瞬間に下の二人も押しつぶされるぞ!」

ならば結界が破れた今のうちに、二人を連れ戻す他ない。天子が要石抜きで地震を抑え込むのに苦戦する中、神子がまた避け目に飛び込もうとすれば、収束した気質が一気に四方八方へ散漫し、瓦礫を吹き出し行手を阻む。
瓦礫を剣で弾き飛ばそうとするも、神子もとうとう膝をついてしまう。瓦礫ごときに妨害されたくなかったが、消耗に消耗が重なって神子も無茶を押し通せる身体ではなくなっていた。

(白蓮……!)

天子の隣で手を合わせて必死に祈る紫苑を普段なら馬鹿にするところだが、神子の今の心境は紫苑に似ているかもしれなかった。



地割れに飲まれた瞬間、白蓮は岩肌にぶつかって転げ落ちないよう、女苑をしっかり脇に抱え、崖を蹴りながら降りた。しかし今の状態で妖怪一人を抱えて運ぶのは無理があり、途中から女苑をかばうだけで精一杯になってしまった。
やがて地の底に二人は叩きつけられた。

「あ、あたたた……」
「女苑、怪我はありませんか」
「何とかね。くそー、今日は踏んだり蹴ったりよ」

したたかに身体を打った女苑はぶつくさ文句を言っているものの、深刻な外傷はない。白蓮も限界が近かったが、ひとまず無事であったことに安堵する。
見上げれば地上の光は遥か彼方、二人を飲み込んだ裂け目も狭くなっている。地割れで生じた深い渓谷に落ちてしまったようだ。

「あいつの仙界にこんな谷があったなんてね」
「仙界ではありませんよ」

白蓮は真上に手をかざす。仙人のように気の流れを読めはしないが、仙界に流れる空気とは明らかに違う。

「頭上から巨大な封印術を感じます。私達だけ外側に締め出されてしまったのでしょう」
「はあ!? こんな谷底に突き落とされて、私達はどうやって戻るの?」
「……向こうから封印を解いてくれるのを待つしかありません」

女苑は唖然と口を開ける。あいにく、白蓮はもはや飛ぶ力すらなく、自力では地上に戻れそうにない。

「姉さんよ、絶対姉さんがいらんことやったのよ」

と、不機嫌な女苑の文句は姉に向かう。

「いっつもそうなんだから。役立たずで人の足引っ張ってばかりで、ウジウジしてると思ったらすーぐ調子に乗るんだから。どうせ何やっても失敗するくせに」
「そんなこと言わないの。貴方を心配して私のところまで来てくれたのよ」
「あんたを呼んだ覚えはないわ」
「私は貴方に話がありましたよ。女苑」

危うい状況に変わりはないが、ひとまず気を持ち直して白蓮は微笑みかける。

「立て込んでなかなか貴方と直接話ができませんでしたが、少しだけ時間ができたようですね。不幸中の幸いです」
「ふん。私はあんたと話すことなんかないけど。あんたはあいつとの戦いに夢中だったじゃない」
「より厄介な問題を片付けてからでないと取り組めない問題があります」
「つまり私は大したことないと」
「手のかかる駄々っ子ってところね。まだまだ修行が足りないわ」
「馬鹿にしやがって、くそー」

相手が千年生きた大魔法使いでは疫病神の女苑もヒヨッコ扱いである。孫娘のお節介を焼くお婆ちゃんみたいなものだ。
女苑は白蓮の視線から感じる「わかってるわね?」の圧力に顔を背ける。賭博を始めた件だろう。誰が口を聞いてやるもんか、こんな自分勝手な奴と話なんか……しかし白蓮が目を逸らす気配がないので、女苑もすぐに根負けした。

「あーもー、わかってるわよ! 今回ばかりは私達もちょっとは悪かったです! これで満足?」
「女苑。質素倹約の心得は貴方がお寺にいた頃にみっちり言い聞かせましたから、今は別件でアドバイスをしましょう」
「あれマジでウザかったからね。別件て何よ?」
「確かにお金は大事なもの。だけどお金で人の心を買うような人に近づいては駄目。気前よく大金をポンと渡してチヤホヤしてくる人は、貴方を大事にしてくれるとは限らないのよ」
「……別に人間の手のひら返しくらい何ともないけど。まあ、特別に心の隅の隅くらいには留めておいてあげなくもないわ」
「素直でよろしい」

しぶしぶ承知した女苑に白蓮も安心する。少々因果関係が逆転しているというか、どちらかといえば女苑が人間の関心を金で買ったようなものだが、白蓮は金銭絡みではとかく心配性で口うるさい。今後女苑が被害に遭わないとも限らないので、一応はうなずいておくのだった。

「妖怪はね、肉体の在り方より精神の在り方が重要なの。貴方だって、心の持ち方次第で、無闇やたらに人から奪わなくても満足に生きてゆけるはずよ」
「そのための仏教だと言いたいんでしょう。だけど私に仏の教えは合わなかった」
「仏教が無理でも、貴方には貴方に合った生き方が見つかるかもしれないでしょう」
「……あんた、なんでそこまで私に指図するのよ」
「私は貴方に生きてほしいの」

率直な言葉に、女苑も思わず口をつぐんだようだった。
白蓮も女苑もさすがにこれしきで死にはしないと思っていたが、下手すれば地割れに飲まれた後、絶壁に押し潰されていたかもしれない。最悪の事態を思うと、どんな極限状態でも命あっての物種と思えるのだ。

「どれほど歳月を重ねても、僧侶の生業であっても、死にゆく者を見送るのは、堪えるわ」

口にしてから、白蓮はあまりに僧侶らしくない言葉だと思った。いや、僧侶だからこそ、死を当然の理だと割り切ったら、かえって死を軽く見てしまうと考えるのかもしれない。死者の葬送に関わる者として、冷淡にならないよう、悲しみの心を保ったままでいるのだろう。
眩しげに目を細める白蓮に、女苑は複雑な表情で目を逸らす。

「ご老体の頼みを聞いてやりたいのは山々だけどね」
「ま……口の減らない子」
「どうやら私はもう駄目だわ。身体中痛いし、もう動けない。この邪魔な道具、未だに力を吸い取ってくのよ」
「ちょっと見せて」

白蓮は女苑を戒める腕の枷を見た。いつまでも縛られていては気の毒だ、術者の神子からは離れているし、せめて今のうちに枷を外してやりたい。最小限の力で壊せるように、残り僅かな魔力を指先の一点にだけ集中させる。
枷の僅かな繋ぎ目を目掛けて、一気に手刀を振り下ろす。戒めは見事に壊れた。

「あー、ようやく自由! ていうか外せるんならもっと早くやってよね」
「あの人が許さないわよ。無理に外したら、もっと頑丈な檻に閉じ込められていたかも」
「うへー、言われてみりゃやりかねない……あんた、あいつのことよくわかってるのね」
「彼を知り己を知れば百戦殆からず、よ」
「そんだけ理解してるのになんで性懲りなく争うのよ」
「……そうね、どうしてかしら」

じとりと睨まれると、白蓮も答えようがなくて誤魔化しみたく笑ってしまう。
冷静になると、神子との戦いで熱くなりすぎていた自分に気づく。普段なら戦いに身を投じても心にゆとりを持てるのに、対峙する相手が神子となると、白蓮はなぜかむきになってしまう。

(本当にね。あの人がいると、私はいつもの私でなくなって、知らない私が顔を出すわ)

せめて神子がもう少し大人しくしてくれたらいいのに――外れてただの金属の塊となった戒めを眺めて、白蓮ははっと気づく。
緊箍児のようなものだと神子は言った。この戒めには対象の妖力を吸い取る術式が組み込まれていたが、破壊された戒めから読み取るに、あくまで術の効果は対象を弱らせるだけのようだ。吸い尽くしたところで命を削りはしない、ゆえに死に至らしめる効力はない。
白蓮は唖然としたまま、神子の思わせぶりな言葉の数々を思い返す。

『餞別の時間ぐらい作ってあげましょう』
『いつ今生の別れとなるかわからないのだから』
『孫悟空は釈迦の手のひらから逃げられない』

裏を読もうと勘ぐれば、たちまち排他的かつ支配的な文言に変わる。しかし額面通りに受け取れば、神子は一言も『女苑の命を奪う』とは言っていないのだ。

「ああ、もう……」
「ど、どうしたのよ?」

地面に手をつき項垂れた白蓮に、女苑も戸惑って声をかける。
含みのある言動を取って、危うい考えをほのめかして、わざと白蓮の怒りを煽って、けれど最初からずっと、神子は女苑を抹殺するつもりなどなかった。せいぜい幻想郷から追放しておしまい、その程度だったのだろう。

(どうしていつもそんな言い方ばかりするの。いつか貴方が本当に疎まれた時、誰が本心を弁明してくれるというの……)

かく言う白蓮も神子を信じきれなかった。女苑はよくわかっていると言ったが、白蓮は神子のことなど少しも理解できていないのかもしれない。今はただそれが悔しく、己の至らなさが歯痒い。

「あっ!」

不意に女苑が頭上を指差した。上空の様子が変わったようだ。

「もしかして、封印が解けたんじゃ!」

女苑の声が期待に満ちる。
地割れで生じた渓谷は緋想の剣による大地震の副作用。もう一度仙界の気質を練り直せば、封印は解けて地割れも元通りという寸法だ。
谷底に白蓮と女苑が取り残されている事実を除けば。

(このままでは絶壁に押し潰される……!)

女苑もすぐに狭まる天上の空と大揺れで崩れ落ちる瓦礫に気づいて嫌な予感がしたのか、必死に崖を登ろうとするも、足をかけたそばからずり落ちてしまう。
白蓮はわななく己の両手を見つめた。女苑の枷を外すのに魔法を使って、魔力は残りわずか。使える魔法はあと一度きりだろう。
迷っている暇はない、白蓮の心はすでに決まっていた。

「女苑」
「な、何?」
「貴方一人でも帰れるわね」
「は……?」
「里の人達にもちゃんと謝れるわね」

戸惑う女苑に、白蓮は安心させるべくにっこり笑う。

「まだ間に合います。私の最後の魔法で、貴方だけならどうにか助けてあげられるかもしれない」
「あ、あんた、何を」
「言ったでしょう、貴方には生きていてほしいの。口うるさい年寄りなんか捨て置きなさい」
「馬鹿言ってんじゃないわよ!!」

女苑は白蓮の両肩を勢いよくつかんだ。今日はよく腹を立てていたが、今までで一番怒っているように見えた。

「あんたが戻らなかったら、あんたを慕ってる連中はどうなるのよ! 私にだって、あんたと私、どっちの命が重いかくらいわかるんだから……」

女苑の声も身体も次第に震えてくる。女苑の惑いをひしと感じながら、白蓮は首を横に振った。

「神も仏も、人間も妖怪も。命は平等です。重いも軽いもないの」
「……私の帰りを待ってる奴なんかいるもんか」
「いるでしょう。貴方を心配するお姉さんが」

紫苑を挙げた途端、女苑は複雑な表情になる。

「私がいなきゃ金儲けができないって焦ってるだけじゃないの? 姉妹なんてあんたが思ってるほどいいもんじゃないのよ。うざったいし、しょっちゅう喧嘩するし、あんたとあんたの弟みたく仲良くないの」
「あら、私だって弟を煩わしく思った時もあるわ」
「嘘!」
「嘘じゃありません。我が弟ながらあまりに立派で、同じ血を分けた姉弟なのにたまに気後れするのよ。あの子が幼い頃から仏道一筋だったせいかしら、悟り澄ました横顔が誇らしい反面、憎らしくもあって……」

思い返すと、ほろ苦い思い出すら懐かしい。たとえ四六時中仲良くいられなかったとしても、後になって『そんなこともあったね』と思えるなら、きょうだいの複雑な煩わしさも悪くないのではないだろうか。

「……あんたってそういう笑い方もするのね」

女苑は意外そうに目を瞬く。まだ納得したわけではないようだが、揺れは次第に激しくなり、頭上の光はますます遠くなってゆく。女苑の返事を待たず、白蓮は残った魔力をすべて両手に集中させて、女苑を抱き上げた。

「女苑」
「ま、待ちなさいよ、あんたもちゃんと帰って来なさい! それが約束できないなら……」
「元気でね」

トスを上げる要領で、女苑の両足を組んだ手のひらの上に乗せ、跳ね上げた。
神子は女苑を生かすつもりだった。ならば、きっと白蓮が女苑を命がけで帰した意味をわかってくれるだろう。どん底の白蓮にはそれだけが希望だった。



飛び散る瓦礫に混じって、地割れの間から一人の見慣れた相手が勢いよく飛び出てきた時、紫苑は本当に肝が潰れるような心地を味わった。

「女苑!」
「し、死ぬかと思った……! あいつ、この期に及んでなんちゅう馬鹿力を!」

這う這うの体でまだ揺れの治らない地面に這いつくばる女苑を見て、紫苑の力がごっそり抜け落ちる。

「このバカチンが!」
「あいたっ!?」

安心したと同時にやり場のない猛然とした怒りが込み上げてきて、紫苑は生還した妹の顔面に見事なへなちょこパンチをお見舞いした。天子は「なぜ金八先生?」とぼやいたが、その心は誰にもわからない。

「お前みたいな人様に迷惑かけるだけの厄介な妹、他にいないよ!」

そう叫ぶなりわあっと突っ伏して泣き出した姉を前に、さしもの女苑もいつもの調子で殴り返すことはできないのだった。天子は地震を抑え込む傍らで、白蓮の姿がないことに目ざとく気づいた。

「ちょっと待て、僧侶はどうした」
「あいつは。聖は……」

顔色を失う女苑の声が途切れたのを聞いて、紫苑も顔を上げる。地割れは狭まる一方で、然るに白蓮が這い上がってくる気配は一向にない。

「天人様!」
「わかってる! どいつもこいつも身勝手なんだから!」

苛立ちながら天子は再び剣を突き立てた。地の気質を操り地脈への働きかけを試みる。少々荒っぽいが、仙界の大地を隆起させれば地の底にいる白蓮を押し上げられるかもしれない。
その時、天子の横を光の速さですり抜ける影があった。天子が慌てて紫色の切れ端を掴む間もなく、そいつは地割れの中に自ら飛び込んでいった。



無事に女苑を地上へ送り届けられたのを見て、白蓮は安堵すると共に座り込んだ。もう魔法を使うどころか、立ち上がることすらできそうにない。

「私もここまでか……」

地鳴りは未だ鳴り止まず、天の光は次第にか細く遠くなってゆく。この狭い絶壁をすり抜けて助けに来てくれる、などと甘い期待はしない方がいいだろう。
女苑に命蓮の話をしたせいだろうか、白蓮は弟の臨終を思い出していた。清廉な高僧はこの世に何の未練もなく、心穏やかに旅立っていったかに見えたが、今はこうも思う。白蓮が立派な人格者だと贔屓目に見ていただけで、案外弟も死に直面しては、内心では未練もあったのかもしれない、と。

「そこのとこ、どうだったの、命蓮? ……向こうで会えたら聞いてみたいものね」

白蓮はくすりと笑う。命蓮は大勢の弟子と姉に看取られたが、白蓮は一人きりで、かつて封じられた法界を彷彿とさせるような暗い谷底で終わってしまう。だがいざ自らの死を思うと、もはや懐かしいだけの弟よりも恋しくてたまらないのは、現在白蓮のそばにいる弟子達だった。
ようやく封印から解放されて、千年ぶりに再び巡り会えたのに。慌ただしくも平和な世界で一緒に暮らせたのに。新しい弟子や居候も増えて、地道に評判も獲得して、新天地で理想を実現すべく楽しく過ごしていたのに。

(ああ、やっぱり、何の未練もなく綺麗に死んでゆくなんて、私には無理。あれもしたかった、これも心残りだった……そんなことばかり考えてる)

それでも昔と違って、今の白蓮に死に向かう恐怖はなかった。

(いいのよ、誰だって死ぬ時は一人きりなんだから)

生の始めに暗く、死の終わりに冥し。
暗く閉ざされた円環の中で白蓮の生もまた終わるというのなら、如何なる暗闇も恐るるに足らず。
もはや微かな光しか届かなくなった暗がりの中で、白蓮は目を閉じた。
ところがその時、網膜を焼き切るような眩い光が、瞼を貫いて突き刺さった。
耐えきれずに目を開けた、次の瞬間――真っ白な日の光の中で、白蓮は力強く腕を引かれた。



気がつくと、白蓮は暗い谷底から明るい地上に引っ張り上げられていた。
辺りを見渡せば、白蓮が落ちた地割れはすっかり元通りに閉じて、代わりに飛び出た瓦礫が固まって隆起したような断崖が聳え立っている。

「あー、まったく、揃いも揃って無茶を……」

後ろで天子が剣を片手にへたり込み、慌てて紫苑が側に寄る。
何が起きたのか理解の追いつかない中で、はっきり感じるのは白蓮の右腕を強く掴んで離さない神子の手の温みである。

「……神子」

呆然と顔を上げれば、神子は汗だくでぜえぜえと荒い息をしていた。
白蓮の腕を掴む手と反対の手には、刃のこぼれた七星剣が握られている。白蓮は思わず神子の全身をまじまじと見つめた。

(マントも服も、ボロボロ……)

思えば神子の方が優勢だったとはいえ、神子も白蓮との戦いで消耗していたはずだ。白蓮は仙術に明るくないが、思いがけぬハプニングを解決するため、神子は相当な労力を使ったのだろう。挙句、無茶を通して、地割れのやまぬ中で白蓮を救うために満身創痍の身体で飛び込んでくれた。

「あの、神子――」

白蓮が再び口を開いた刹那、乾いた音が響いた。今しがた白蓮を引き上げた神子のその手で、今度は頬を張られたと気づくまで、時間がかかった。

「お前の宣う平等が如何なるものか、しかと見た」

低く震えた声が白蓮の耳を打った。叩かれた痛みや驚きより、神子の剣幕から感じる凄まじい怒りに圧倒された。

「結局、お前は自分を軽く見ているんだ。そんな奴の言い分を誰が信用する。すべての生き物は平等だともっともらしくこう垂れながら、なぜ自分をその中に入れない!」

白蓮は何も言い返せない。肩を掴まれて、至近距離まで詰め寄られて、神子がこんな風に激昂するところを今まで一度も見たことがなかった。

「死を思うあまり生を蔑ろにする、生も死も真剣に考えていない……悟りに入ったふりをして、自分だけ特別だと思い上がる! だから私は、仏教徒が嫌いだ!!」

激昂する神子に対して、不思議と白蓮は落ち着いていた。真正面から浴びせられた言葉による激情に加え、神子の噛み締められた唇の傷や、震える手を見て、全身からほとばしる怒りを痛いほど感じた。
驚きが治まれば、湧き上がるのは反省や後悔よりも、どこかしみじみとした、場違いなほど呑気な感慨である。

(――私は、この人にいてほしい)

あれだけ激しく口論していたのに。如何に相手を下すか必死だったのに。白蓮にとって神子は商売敵で、理解に苦しむこともあり、時に温厚な白蓮の心に波を立て、時に失望させられ、実力は評価しつつも、決して相容れない断絶が横たわる相手なのに。
白蓮の足りないものを指摘してくれるのはいつだって神子で、独善と紙一重の利他行に走りがちな白蓮には、神子のような諌めてくれる相手こそが必要なのだ。
白蓮は苦しげに歪む神子の目元をじっと見つめた。神子が珍しく感情を露わにぶつけてくれたのだから、自分も余計な意地や見栄を捨てて、素直な思いを伝えたい。

「神子。私……」
「――すみません、盛り上がっているところ大変恐縮ですが」

そこへ、向かい合う二人のちょうど真横の空間に突如としてスキマが生じ、無数の目玉が覗く亜空間が開いた。予想外の出来事に、白蓮も神子もただちに警戒態勢に入る。
まさか、あの妖怪が事態を聞きつけて――ところがスキマの中から顔を出したのは、スキマ妖怪本人ではなくその式神、八雲藍である。

「そんな『お前かよ』みたいな顔しないでくださいよ。私だって紫様の命令でなければこんなところに来たくありません」
「うげー、やっぱりあいつが動き出したか。しかも式神を飛ばすだけとはまた横着な」
「紫様はお忙しい身なのです。然るに飛び込んできた騒動の知らせに狼狽えず、寝巻きのまま迅速に私を捕まえなさって」
「寝てただけじゃないか!」

天子が突っ込むも、おおよその妖怪は夜行性なのだから仕方ない。藍は仙界の惨状や周囲の者達の動揺っぷりには目もくれず、自らの役割だけを忠実に実行すべく話を進めた。

「さて。此度の騒動ですが、一から十まですべて紫様のお耳に入っております。じきに霊夢も起きて人里へ赴くでしょう」
「だから何でどいつもこいつも寝こけてるんだよ、暇か、暇なのか」
「客の来ない神社ですから……ともかく、私は紫様の使いです。私がこれから話すことは、すべて紫様のお言葉だと受け取っていただいてかまいません」

背筋を伸ばした藍に、白蓮も神子もつられて身構える。藍個人の思惑は知らないが、背後の大妖怪を思えば二人とも慎重に耳を傾けざるを得ない。

「豊聡耳神子さん。聖白蓮さん。貴方達が争おうが手を組もうが、それは別にどうでもいいです。そちらの自由ですから、異変の調査でも何でも好きにしてください。ただ、肝に銘じておいていただきたいのが」

藍はじっと二人を覗き込む。

「貴方達二人には、妖怪や人間の処遇は言わずもがな、まして生き死にを決める権利などない、ということです。そもそも今回は人里で起きた問題なのですからね。人間側には霊夢から勧告が行くことでしょう。お二人共、今後は勝手な行動はくれぐれも謹んでいただきますように」

淡々と言い切った藍はどこまでも冷静で、白蓮と神子は元より、女苑達も頭から冷や水を浴びせられたような気分になった。
一気に場の空気が白けてゆく。こんな呆気なく沙汰を言い渡されて、しかも相応の説得力があるだけに異論を唱える隙がない。
いったい、此度の二人の諍いは何だったのだろうか? 呆然とする白蓮達に構わずに、機械的な従者は、

「ああそれから、寛大な紫様と親切なもう一人の賢者からのご忠告です。更生にせよ、追放にせよ、無闇に疫病神や貧乏神に関わるのはよした方がいいですよ。よく言うではありませんか、触らぬ神に祟りなし、と」

などとご丁寧に付け足したのである。もう一人、おそらくは摩多羅隠岐奈の介入まで仄めかされていよいよ顔を硬らせる二人をよそに、藍は背を向けた。

「伝言は以上です。それじゃあ私はこれで失礼」
「いや待てい! どうしてくれんだこの空気!」

天敵の式神にもかかわらず、思わず天子は引き留めてしまった。日頃口やかましく思っていた衣玖に、今こそ空気を読むために来てほしいと思うことなんてそうないだろう。が、完全に仕事モードに徹した八雲の式神はドライである。

「私、夕飯の支度の途中なんですよ。出かける前に炊飯器のスイッチを入れてきたかどうか気になって気になって……」
「夕飯以下!? お前にとってこの事態は夕飯の支度以下の優先順位なの!?」

天子は頭を抱えるが、人間と妖怪のちょっとしたいざこざなど日常茶飯事なのだから、逐一首を突っ込む程度のものではない。それが藍の態度が示す八雲紫の答えなのだろう。しかし未だにお釜で米を炊くご家庭がメジャーな中で、電気式の炊飯器完備とは八雲家はハイカラな生活様式である。まあ、藍は本気で夕飯が気になるのではなくさっさと仕事を済ませて帰りたいだけなのだろうが。

「では私はこれにて。ああ、心配しなくとも、紫様には貴方達に罰を与えようなどとのお考えはないのでご安心を」
「ならば疫病神の沙汰はどうすると?」
「同じ説明をさせないでください、人里の揉め事は霊夢の管轄です。というかもう帰らせてください。ちゃんと戸締まりをしてきたか心配なので」
「スキマから来た奴が戸締まりとか言ってんじゃないわよ」

天子は結界破りその他諸々の苦労も相まって疲労困憊である。心配せずとも八雲紫の屋敷に空き巣に入ろうなんて命知らずは存在しない。よっぽど不本意な仕事を押し付けられたと思っているらしい藍は、もう振り返りもせずスキマの中に入り、スキマは閉じた瞬間に跡形もなく消えた。
さて、残された当事者の白蓮と神子はというと。さすがに八雲紫の介入で頭は冷えたものの、あれだけ派手にやり合った後では『藍がああ言ってたしこの件は手打ちで解散』なんて潔く引き下がれそうにない。
何となく居心地が悪いが、かといって引きずってもいられない。二人にはやるべき事が山積みなのである。

「……ええと、神子」
「……聖白蓮」
「私、まだ貴方に言いたいことがあるんだけど」
「私もある。けれど今は後回しだ」

遠慮がちに切り出した白蓮に対し、神子は弓を引く真似をする。すぐにぴんときた白蓮も、拳を突き出す真似をした。

「まずは弟子達を呼び戻しましょうか」
「ああ」

おそらく、布都と一輪・雲山はまだ仙界の外で異常がないか調べているに違いない。決着をきちんと説明した上で、騒動に巻き込んだ詫びをせねばと、神子と白蓮は師の顔を取り戻した。

「あ」

立ち上がろうとした瞬間、白蓮はふらつき倒れそうになる。咄嗟に神子が白蓮を支えるが、神子も白蓮の身体を支えきれずに片膝をつく。好敵手の格好の悪い姿を目の当たりにして、二人は同時に笑い出した。

「お前、ふらふらじゃないか」
「貴方こそ、いつも涼しい顔をしているのに珍しく汗だくね」
「誰のせいだと思っている」
「その台詞、そのままお返しします」

仕方がないので、白蓮と神子はお互いに肩を借りて歩いた。ふらついて足並みもばらばらではあったが、二人が並んで歩くその足取りは、協調の歩みに見えなくもなかった。



「よかった、聖様、ご無事で……!」
「心配をかけましたね、一輪、雲山」
「太子様、仙界の修復はどうしましょう」
「外に損害が出ていないだけ幸運だ。復興作業はお前達でやってもらうが、あの崩れ天人にはのちのち賠償をきっちり請求するつもりだよ」

満身創痍ながらも無事に生還した白蓮を見た一輪は雲山と共に胸を撫で下ろす。布都は神子の指示を受けて、屠自古と共に仙界の修復に向かった。土木作業は力自慢の雲山の得意とする分野でもあるため、一輪も布都達と一緒に作業を手伝っている。
女苑もまた紫苑と天子共々、強制的に復興作業の手伝いをさせられている。「今度こそ努々目を離さないように」と布都ならびに一輪に強く言い含めたため、簡単には逃げ出せないはずだ。
魔力および体力が回復するまで、しばらく白蓮には神霊廟に留まるように勧めた。案内した神子の私室で、白蓮は大陸風の設えでできた寝台に腰掛ける。天蓋つきの寝台は豪華絢爛で、天子(この場合、もちろん不良天人ではなく君主や皇帝を指す)の住まいにふさわしい調度だった。

「ひとまずこれでも食っておけ」

と、神子は茶器と共に丹を持ってきて白蓮にも勧めた。神子はそのまま皿から取ってかじるが、白蓮は丸餅のような見てくれの丹を手に、少しばかり身構える。

「仙人じゃないのに仙丹なんて口にして大丈夫かしら」
「道・仏・儒の三教はかつて分かち難い思想として並べられた。認めがたいが道教は仏教の影響も大きい。お前頑丈そうだしたぶん大丈夫だろう」
「最後だけ雑にならないでよ。まあ、修行で心身を鍛えるのは仙人も僧侶も似たようなものかもしれませんがね」

大昔のように水銀を調合したわけではないし、毒にはならないはずだ。白蓮が苦笑しつつかじると、苦味が口の中に広がったのかますます顔が歪む。
茶器の中身はただのお茶ではなく漢方だ。内丹術を始めとした長寿の妙薬作りに身を砕いた賜物である。

「遠慮するな。蓬莱人の医者ほどではないが、私にもこれしきの心得はある」
「至れり尽くせりね。こうまで貴方達にもてなされるとなんだか居心地が悪いわ」
「ぶぶ漬けを出されているようなものだと思えばいい」
「……心配しなくたってすぐ帰りますよ。こんな調子でも一輪と雲山の手を借りればひとっとびなんですから」

言うが早いか、白蓮は口慣れないであろう仙丹を次々に頬張ってゆく。白蓮としても商売敵の本拠地に長居するのは不本意なのだろう。
さっさとお暇してしまおうとする魂胆が見え見えで、神子はすかさず白蓮の手をつかんだ。

「私の話は終わってない。それまで無断で逃げ出すなど許さん」
「……横暴なんだから」

白蓮は「仕方ないなあ」と言わんばかりに笑っている。
神子は白蓮の隣に腰掛けると、疲れが改めて身に染みてきて、そのまま後ろに寝転がった。さすがに他人の寝台でくつろげない白蓮は、座ったまま仙丹と漢方を飲み下して言った。

「何だったのかしら、私達の争いは」
「さあ……。これだけははっきりしているんじゃないか。釈迦の手のひらの上で踊らされていたのは、私達二人だった」
「違いないわ」

千年前の大魔法使いも、一四◯◯年前の聖人も、幻想郷では傍迷惑な新参者扱いである。式神越しに透けて見える賢者の顔を思い出したら疲労がどっと増した気がして、神子は深くため息をついた。
振り返ってみれば神子も白蓮もいささか浅慮だったというか、いつになく熱くなりすぎた点はある。そういった、言うなれば茶番のような馬鹿馬鹿しさを賢者は見抜いていたのだろう。式神を通して八雲紫は二人の闘いをすべて無意味だ、お前達の出る幕ではないと切り捨てた。
神子は鬱陶しげに眉を顰める。

「あいつに立ち塞がられるのはこれで二度目か。もうあいつの顔を見たくない」
「私も」

同調する白蓮の声にも疲労が濃く滲んでいた。今回は顔すら見せていないのだが、不気味な陰ばかり他人の心に残してゆく、とかくとっつきづらくて嫌な賢者である。完全憑依の時もいいように転がされた二人は揃ってため息をついた。

「とはいえ、あいつの言うことも道理に叶っている。適任が他にいるのなら任せるに越したことはない」
「ええ、霊夢さんなら一安心です」
「別にあのスキマ妖怪に従うわけではないが……私はもう、あの姉妹に関わらない。いい加減疲れたからな、どうでもよくなった」
「私も、お節介を焼くのもほどほどにしておきます」

二人は姉妹から手を引くと決めた。賢者達が本当に寛大で親切かはともかく、あの姉妹に関わると骨折り損のくたびれ儲け、ろくな目に合わないのは嫌と言うほどわかった。
そうそう、姉妹の所業と賭博に関与した人間の名前はすべて人里に公表された。この一件だけで村八分にされたり、家業が一気に傾くほどの被害を受ける者はいなかったが、名前を公表された者がしばらくの間、人里で信用を失う羽目になるのは言うまでもない。ひとまずは痛み分けといった処分であった。
そしてお騒がせ者となった依神姉妹の正式な処遇――これは後日談となるが、一応の罰は必要だと判断された二人は、後に霊夢の斡旋で人里の定食屋で下働きをさせられることになった。跡継ぎ息子が賭博に手を出した人間達の一人で、損害が大きく、その保鎮と姉妹への反省の促しも込めた奉公である。

「ちょっと、女苑はともかくなんで私まで?」
「連帯責任よ。姉さんだって途中まで一緒だったじゃない、一人だけ逃げるなんて許さないわ」
「あーあ、やだやだ、こんなことになるならお坊さんとこに駆け込むんじゃなかった。持たぬべきものは足手まといな妹ね」
「私も損害増やすだけの姉なんてほしくなかったわよ」

などといつもの調子で軽口を叩きながら、二人は不満を抱えつつ店の掃除やら仕込みやらを請け負っている。基本的に裏方仕事で人前に出る機会がないとはいえ、妖怪を雇用人として働かせるとは奇特な主人である。
そこへこれまた白昼堂々と姿を現す奇特な客が一人。未だに天界に帰っていない天子だ。

「よっ、地上の下民に婢女姿がよく似合ってるじゃないか」
「あっ、天人様! 来てくれたんですか!」
「あんた実は暇でしょ? 暇してるからちょくちょく地上に降りて来るんでしょ?」
「暇なんかじゃない。お前達が息災でやってるか気になって来てやったのにつれないね」

天子は相変わらず横柄な態度を崩さない。

「ほれほれ、私は客だよ? よきにはからえ」
「そうねーお客様は神様って言うもんね……なーんて素直に崇めるわけあるか! 天人がなんぼのもんじゃい、こちとら疫病神だぞ!」
「知ったことか、祀られない神なんて妖怪と大差ないくせに」
「天人様、今日のおすすめはですねー」
「普通に歓待しないでよ姉さん!」

接客なんて言いつけられてもいないくせに紫苑は自ら進んで天子にお品書きを渡す。女苑と天子、どっちを選ぶの? と聞かれたら、紫苑はその時より多くお金を持っている方をノータイムで選ぶ。そうやって持ち上げられれば天子はますます増長する、まったく厄介なコンビだった。

「気が乗らないならもっと気分の上がる言い方をしてやろう。――私は客だぞ! 腹ペコだ! 店のもん全部持ってこい、金ならほれ、たんまりあるぞ!」
「キャー! お大尽様のおなりよー!!」
「……もう勝手にやってろよ」
「てめぇら、何をくっちゃべってんだ!」
「げえっ、ご主人!」

無闇に天界の金(たぶん地上では使えない)をばら撒く天子に女苑が辟易してきたところへ、名物亭主のご登場である。
何を隠そう、この定食屋の亭主は人里一の頑固一徹と評判な時代親父なのだ。その頑固さと厳格さは雲山といい勝負だが、雲山が無口なぶん、厄介さではこの亭主が上回るかもしれない。

「てやんでい、てめえら、神さんだろうが妖怪だろうが、この俺の目の黒い内は悪さできると思うなよ!」
「ひえー!!」

と、紫苑も女苑も遠慮なくビシバシしごくのであった。悪い人間ではないが、時代遅れな頑固ぶりに息子が嫌気をさすのも賭博の噂から遠ざけられていたのも無理はない。
そこらの人間より丈夫だからと姉妹を馬車馬のように朝から晩まで働かせるものの、賄いと給金はきっちり支払う。今日びなかなかお目にかかれない江戸っ子気質である。
紫苑は労働は嫌がりつつも三食満足に食べられることに大変満足し、女苑は亭主の白蓮以上のスパルタっぷりに不満を抱きつつも、なんだかんだで「自分で汗水垂らして働いて稼ぐ金も悪くない」と思ったとか思わなかったとか。
さて話は戻って、神子と白蓮はというと。寝台から起き上がった神子は「聖白蓮」と声をかけた。

「はたいて悪かった」

言いたいことは山ほどあるが、まずは衝動的に手を出したことを謝った。未だ頬はわずかに赤みを帯びているものの、腫れがひけばあざも残らず元通りだろう。神子は真面目に詫びたのに、白蓮はなぜか笑っている。

「それは今更すぎない? 決闘で何度も殴ったり蹴ったりしてるじゃない」
「一時の感情に任せて手を上げるなど聖人にあるまじき行為だ、私の美学に反する」
「律儀ね」
「それに一つ訂正しなければならない。……私は仏教を嫌ってなどいない」
「貴方にとっては便利な道具ですからね。何の思い入れもないことぐらいわかっていますよ」

白蓮は平淡に言い放つ。皮肉で返しているのではない。おそらく神子や布都とやり合っているうちに、白蓮は二人の仏教に対する姿勢の明確な違いを見極めた。布都は本気で仏教を嫌っているが、神子は利用する価値を知り尽くしながら、何の執着も持っていなかった。
先ほどの神子は白蓮に詫びたのでも、利用した後ろ暗さの弁明をしたのでもない。ただ自分のスタンスを明確に示さないと気が済まない、そういう性分なのだ。
神子は物事の判断基準に好き嫌いを置かない。発端の疫病神だって思うところは数多あるが好きでも嫌いでもない。

(だというのに、こいつが絡むと、私は……)

神子は視線をそらす。内心がどうであれ、表向きには公明正大な聖人として振る舞うと決めているのに、白蓮はいとも容易く神子の私情を引き出してしまう。此度、暗がりに一人取り残された白蓮を引き上げたのは神子なのに、神子が心の底に秘めた感情を明るみに引っ張り出したのは白蓮である。
迷惑で、目障りで、鬱陶しくて、腹立たしいのに――初めこそ、神子より一足先に幻想の地で仏教勢力として台頭しつつあった白蓮を、昔のように利用してやろうかと考えていたのに、気がつけば神子は白蓮にもっと別の感情を抱いている。
複雑な思いで背を向ける神子の背中に、とん、と温もりがぶつかった。

「何のつもりだ」
「だって貴方、ちっとも私の目を見ようとしない」
「……」
「そのままでいいから、私の話を聞いて」

押し退ける気にも再び向かい合う気にもなれず、神子は白蓮の好きにさせた。神子の背中にもたれたまま、白蓮が笑った気配がした。

「助けてくれてありがとう」
「誰であれ私の仙界で死者が出ては困る。……と言いたいんだが、身体が勝手に動いていたよ」

不本意な言動が今更照れ臭くなって、声が少し荒っぽくなる。

「お前のお人好しは伝染するから困る。迷惑だ」
「そうかな。貴方は簡単に誰かに流される人じゃないと思うけど」

暗に貴方の意志でしょうと告げられてしまった。背中から伝わる白蓮の鼓動は、神子のそれより緩やかだ。

「ねえ、神子。私達、仲直りできないかしら?」

――お前のそういう素直なところが鬱陶しいよ。
たとえば布都と一輪のように、大喧嘩してふくれっ面で帰ってきたのに、一晩経てばケロッと忘れてまた一緒に遊びに行く気安い関係だったらどんなに楽だったろう。
神子も白蓮も人の上に立つ者として、どんなにお互いを認めても簡単に馴れ合えないところがある。温厚に見える白蓮だって、心の内には神子に負けるとも劣らない強情さを秘めている。なのに、白蓮は一度纏った強情な武装も、不要と気づけばあっさり脱ぎ捨ててしまう。そうなると、神子もまた己の心に被せた鎧を後生大事に着ているのが馬鹿馬鹿しくなってくるのであった。

「私だって、争おうと思って争っているんじゃない。いつもお前が突っかかるから……」
「貴方が余計な真似をするからでしょう。貴方との決闘は楽しい時もあるけれど、今回はずっと苦しかったわ」

その点に関しては、神子も同意だった。
此度の一件――思うに、神子の中には為政者としての野心の残滓があって、時に神子を独善的な判断に走らせようとする。けれど今、為政者としての振る舞いは求められていないし、神子自身も返り咲こうとは考えていない。ならばただ道教の素朴な目的、自己を高めることとそれらを布教することのみに専念すればよい。
せめぎ合う野心と理想の中で、どうにか神子は抗いがたい欲望に打ち克った。排他的な支配者にならずに済んだ。それでも未だに人前で大袈裟な振る舞いをしたり、つい衆目に立つ自分の方を優先してしまう癖があるのは、己に巣食う業であろう。
同じように、白蓮にもどこか利己的な、独善的な一面はあって、今回その業を止めたのは神子だった。そして神子の業を止められるのもまた白蓮しかいないだろうと認めている。

(仲直り、か)

二人の因縁を決定づけたものは何だったのか。神子が仏教を広めたせいか、白蓮が霊廟を封じようとしたせいか、揃って幻想の地で復活してしまったせいか、異教徒だからか、それとも単なる性格の不一致か。もはや何が何だかわからないけれど、どうでもいいということは、二人にはもう争う理由がないということでもある。今更夷夏論だの三教指帰だのを蒸し返すのも馬鹿らしい。

「私はね、貴方と一緒なら今よりいい道へ行けるんじゃないかって思うのよ。……駄目かしら」
「……お前は情が深くて温厚だが、その慎重さが命取りになりかねない」
「貴方は聡明で怜悧だけど、非情に徹しすぎて疎まれてしまうかもしれない」
「この世は仮初と割り切りながら情に絆され折り合いをつけられない」
「公私を分けて折り合いをつけられるくせに人の定命を割り切れない」
「……ならば、互いの長点と欠点を足して割れば丁度良くなりそうだ」
「いつかのように私に協力してくれるの?」
「機会があればね。また賢者に冷やかされるかもしれないが」
「いいじゃないですか、誰に頼まれようが頼まれまいが、私達は動かずにいられないんですから」
「違いない」

ようやく互いの見解が一致して、神子も白蓮も同時に微笑んだ。

「だが心しておけ。お前の息の根を止めるのはこの私だ」
「道連れに成仏させてあげましょうか。未だに不死に執着してるくせに、私より先に死んだら許しませんから」
「言っておくが、敵でなければ即ち味方になるとは思わないことだ」
「構いません。呉越同舟ってことでどうでしょう」
「お前の作る舟が私を沈める泥舟でなければいいけれど」
「人任せで自分で舵を握ろうとしないのがいけないのです。相手に自分の櫂を任せるなって、外の世界でもそう歌うのよ」
「それじゃあ私とお前の乗る舟の港は山に違いない」
「ちょっと、貴方は本当に誰かと歩みを合わせる気があるの? 貴方の唱える和はどうにも信用ならない」
「お前こそ、また自分一人で勝手な真似をするんじゃないか? お前の掲げる平等はどうにも胡散臭い」

笑い声と一緒に身体の振動が伝わってきた。神子は聖人の微笑より少女の破願を想像した。
きっとお互いに譲れない一線はあるし、これからも争う可能性は捨てきれない。蟠りが完全に解決することはないのかもしれない。それでも、二人が手を取る理想的な未来を信じてみたくなった。
神子は振り返らないまま、体重を少しだけ白蓮の方に傾けた。二人の関係の始まりは、決して明るいものではなかった。けれど終わりは、いざその時がくるまでわからないかもしれない。

聖vs神子な話でした。対立する流れでバトルにならざるを得ないのにバトル描きたくなくてだいぶ足掻いてました。ほとんど口喧嘩ですね。この二人絶対弁護人に向かないよ。
ちょっとしたツッコミ兼賑やかしのつもりで出した天子が思った以上に活躍してくれて楽しかったです。状況次第で厄介なトラブルメーカーにも頼れる助っ人にもなるのが面白いですね。
朝顔
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コメント



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1.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
2.100南条削除
面白かったです
聖VS神子の熱い思想のぶつかり合いがとても楽しかったです
さらっと出てきた藍もいい感じに澄ましていてらしかったです
最後は大団円でよかった
3.100夏後冬前削除
なんかもう色々とパーフェクトに面白かったですし、ひじみこの鮮烈さが宝石のように眩しくて涙出そうになりました。最高でした。
4.90竹者削除
よかったです
5.100のくた削除
各キャラがきっちり動いて見せて面白かったです
6.100名前が無い程度の能力削除
良かったです。二人の価値観や正義の違いがぶつかり合って、互いのことを知っているからこそ激高して、最後には丸く収まって少しだけ進展する。すべての流れが綺麗でした。聖と神子のありのままの感情があふれ出したような文章が時折見えるのが良かったです。
7.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしいひじみこでした。
双方の主張に理があり筋が通っていたため、納得のいくぶつかり合いとして描かれていたのが良かったです。
面白かったです。有難う御座いました。
8.100東ノ目削除
キャラの対比が凄く良かったです。自分もこういう神子書いてみたいなあと思いました