この時期の朝は、もう布団から出るのがひどく辛い。あったかい毛布からちょっとでも外に出ると途端に痛いくらいの冷気がやってくる。冬は好きだけど、この時間帯だけは嫌いだった。
何とか気合を入れて上体を起こす。やっぱり寒い、誰だ冬なんて好きだって言ったの。冬なんて最低だ、消えてほしい。
「うー寒い。ほら、朝ですよ。小傘さん起きてー」
まあ、そんな最低な冬にも良いところがない訳じゃない。隣で寝る小傘さんだ。寒いと一緒に布団で寝てくれる。これがひどく可愛い。ずっとくっついてたい。実を言うと、寒いなんてのは布団から出たくない理由の精々一割くらいしか占めてない。だって、殆どが小傘さんと離れたくないって理由だもん。でも朝だから起きなきゃらならない訳で、いつもそのジレンマに腹が立つ。
「なんでよう、せっかく今日は休みなのに」
「だから今日一緒に買い物行こうって話だったじゃないですか」
小傘さんは意外と寝起きが悪い。それを知った当初は全然想像つかなかったけれど、普段元気に振る舞ってる分、知らぬ間に疲れてるのかもしれなかった。けれど、これは私にしか見せない姿でもある訳だから、こうやって仕方のない彼女を見るのも好きであった。
別にこのまま二人で布団にくるまっててもいいけれど、それじゃ今日の予定がボロボロになってしまう。駄々をこねていた小傘さんから毛布の主導権を奪い取り、即座に畳んでやった。まだ寝ぼけ眼の小傘さんが不満そうに見つめてくるけれど、いつまでも甘やかしてあげる訳にもいかない。
「……おはよー」
「おはようございます」
今日は私が朝食を作る番だったので先に洗面所を借りた。顔を洗って歯を磨いて、寝癖を直したりした。戻ったら小傘さんが枕に顔を伏せながら二度寝に勤しもうとしてたから、思いっきり枕を引っぱって起こした。
「いったーい!」
「洗面所空いたから顔洗ってきちゃってくださいね」
「もっと優しく起こしてよ。それにさ、待ってる間暇になっちゃうんだから洗面所空いた時に起こしてくれれば良かったじゃない」
「やだ。朝からずっと話していたいじゃないですか」
「くそう、かわいい奴め」
朝食を作ってる間、顔を洗い終わった小傘さんが手伝いに来てくれた。小傘さんはこういう気遣いをさりげなくしてくれる。大丈夫なのに、って言っても私がしたいからさ、って言って嫌な顔一つもしない。そういう所が凄く好きだった。
私と小傘さんは二人で暮らしている。ついこの前、付き合って三年が経つ頃に、私達は里で家を借りて、そこからずっと二人暮らしだ。元々は、小傘さんが鍛治を教えてもらってる師匠の所から独立する際に、家を欲しがってたのが始まりだった。工房を持ったはいいけど、それにお金を使ってしまったらしく、何処か安くて良いところがないか探してると相談を受けて、それから私の決心は固まった。
だから頑張って働いてお金を貯めた。三年記念日に小傘さんに何か贈り物がしたかった。欲しいものを我慢して、前よりずっと熱心に働いた。ちょっとずつ貯金が増えていって目標まで進んでる光景を見るのが嬉しかった。
ようやくお金を貯め終えて、小傘さんに伝えに行った時、凄く驚かれたのは今でも鮮明に思い出せる。
「一緒に住む? でもそうなら結構広い家にしないといけないじゃん。私まだそんなお金ないよ」
「大丈夫です! ほら、ちゃんと貯めてきましたから。暫くの間、家賃は私持ちでも平気ですよ」
「えっ、えっすごい。ほんとに、ほんとにいいの?」
「小傘さんが自分のお店持つお祝いと、ちょっと早いけど付き合って三年の記念です。だからさ、一緒に住みましょうよ」
「うう、ありがとう……」
あの後、感極まったのか小傘さんが泣き出しちゃって、何だか私も釣られて泣いてしまった。それから何故だか分からないけれど、そのままの流れで諏訪子様と神奈子様の所に行った。小傘さんが、早苗を預かる以上、保護者の方にちゃんと挨拶をしないとなんて泣きながら言い出して、私も勢いでそれに頷いてしまった。神社に着く頃には流石に二人して落ち着いてきていて、というか寧ろ勢いで来てしまった事に後悔すら感じていた。だって何話すかお互い何も考えてなかったし、もう二人でずっと緊張しっぱなしだった。
今まで小傘さんと付き合っている事はそれとなく伝えていたから、割とすんなり家に入れてもらえて、そこから同棲する旨を話した。同棲したい理由とかそういう諸々を話していた内に、やっぱりさっきの妙に感動的な気分が残っていたらしくて、小傘さんがまた泣き始めて、それで私もこれまでの小傘さんとの思い出とかが走馬灯みたいに巡り始めてきて、また泣いてしまった。
二人して嗚咽を漏らしながら、お互いの良い所を褒め続けて、これからずっと二人で暮らしていきたいみたいな事を延々と喋り続けていたと思う。諏訪子様と神奈子様は、多分二人で泣き出したくらいからずっと引き始めていて、なんとか私達を落ち着かせてくれた後、一緒に暮らす許可を出してくれた。
そうして今、私達は二人で一緒に生活をしている。きっとこれ以上ないくらいに穏やかで、何より幸せだった。
「今日も早苗の料理美味しかった」
「良かった。ありがとうございます」
「うん、次も楽しみ」
朝食を済ませた後は二人で片付けをした。その際、小傘さんはいつも私の料理を褒めてくれる。それは絶対にお世辞とかじゃないし、元々そういうのが言えるような感じの人ではないのもあって、一層嬉しく思える。一緒に住み始めてからはずっと、こうして褒めてくれることが頑張って起きてご飯を作ることへのモチベーションになり続けていた。
食器を洗い終えた後は、そろそろ出掛ける準備をしなくてはならない時間になっていて、髪を整えたりたりとかお化粧をしたりとか、そうやって外に出るのに必要な準備を色々やった。加えて今日は二人きりで出掛けられる日な訳だから、いつもより気合を入れていた。それが仇となって、途中時計を見たら予定より遅れてしまっていたから、仕方なく結構巻きで支度を終わらせなくてはならなかった。
「ねー変じゃないかなあ」
「大丈夫だよ。いつも通り可愛いって」
「えへ、じゃあ大丈夫ですね」
支度を終えて玄関を開けると、外から冷たい空気が入り込んできて、私達は一様に身体を震わせた。季節は十二月、もう冬真っ只中で、道行く人達も皆寒そうにして歩いている。
そういえばもうすぐクリスマスだ。こっちではそんな風習なんてまだ定着してないけれど、私と小傘さんの間ではクリスマスを祝う事になっている。まあ、これといって変わった事をする訳ではなくて、外の世界、というか日本人みんながやっているように、いつもよりご飯を豪華にして、プレゼントを渡すくらいの日だった。
付き合った当初は小傘さんはクリスマスの事なんて勿論知らなくて、サプライズみたいに私が一方的にプレゼントを渡してあげた形になった。けれど、去年のクリスマスには小傘さんの方もプレゼントを用意してくれたみたいで、手編みのマフラーと手袋をくれた。それがびっくりするくらいに完成度が高くて、寧ろ仕事の合間に作っていた事を疑うくらいだったから、嬉しくてずっと大切に使っている。今日だって、マフラーと手袋、どちらも身につけながらデートするんだって決めていた。
「あら、小傘ちゃんじゃない。この前はありがとうね」
「こんにちは! とんでもないです、またよろしくお願いします」
里を歩いていると、小傘さんはよく声を掛けられる。今だってほら、常連さんみたいなおばちゃんと挨拶してたし。前にベビーシッターの真似事か何かをしてたりだとかで知名度自体はそれなりにあったらしいけれど、最近はずっと鍛治屋のお姉さんで通っていて、今じゃ結構な人気者みたいになってる。客足も順調に伸びているらしくて、まあ、他の職人さんって何となく気難しい人が多いから、人当たりの良い小傘さんが選ばれるのも当然なんだろう。
でもそうなるまでも色々な事が絶対にあった筈だ。だって鍛治やってる女の人なんて人里の何処を探しても全然見つからないし、まして小傘さんは妖怪だ。分かってしまう人には勘付かれてしまう。だからきっと、弟子入りするまでも大変だったのだろうし、こうやって独立するまでも奇異の目に晒されてきたのだろう。
小傘さんはあんまり弱音を言う事はなくて、あったとしても、もう自分の中で終わった事として昇華しきってしまった後だから、一緒に悩ませてくれない。勿論、それらを全部解決してしまうような彼女の人柄はとても尊敬している。けれど恋人として、今までしてきた筈の苦労を私にも背負わせてほしいとも思う。
「早苗? どうかした?」
「ううん、何でもないですよ」
少し考え過ぎてたらしい。ぼーっと前を向いてた私を不思議に思ったのか小傘さんが私の顔を覗き込んできて、それでやっと我に返った。いけないな、折角二人の時間なんだからもっと楽しまなきゃ。
さっきまでの考えを振り払うようにして里を見回していると、突然私のお腹が鳴った。あまりの滑稽さに、ちょっと暗い気分だったのが吹き飛んでしまって、代わりに安心するような恥ずかしいような変な気持ちになった。もうお昼時なのだろうか。朝ご飯を食べたのは何時も通りの時間だったけれど、家を出るのがちょっと遅かったから気付かなかった。
「小傘さん、私お腹空いちゃったみたい」
「もうお昼かー。何食べる?」
「あったかいのが良いですねえ」
「じゃあ鍋食べようよ! 最近良い店見つけてね、早苗も連れて行きたかったんだ」
「えー良いなあ、早く行きましょうよ!」
「じゃあ決まりね」
案内されるがままにそのおすすめのお店に着くと、やはり小傘さんが勧めるだけあるのか結構な数のお客さんが入っていた。ただ、小傘さん曰く普段一番繁盛してる時間帯なら店の外にも人が並ぶくらいであるから、今日はちょっと少ない方らしい。もしやと思って店にある時計を見たら、里のみんなが昼食をとってる時間よりもまだ少し早い時間だった。
「やっぱり、まだちょっとお昼には早かったんですね。全然買い物終わってなかったからおかしいとは思ってたんですけど」
「まあ、私らって朝食べるのいつも早いし、この時間にお腹空いちゃってもしょうがないって。でも、そのおかげで直ぐ席に座れるんだから寧ろ良かったよ。私が前にここにきた時は外で結構待ってたもん」
空いてる席に座った後、注文する料理を決めていたら、段々とお客さんの数が増えてきた。注文を済ませて料理が運ばれてくるのを待つ頃にはもう既にお店の中は満員になっていて、店の外にまで何組かが並び始めたくらいになっていたから、タイミング的には結構ギリギリだったんじゃないかなって思う。
「はー、すぐ一杯になっちゃいましたね……」
「ほんと、いつもこんな感じなんだよね。今から並ぶとなると結構待つからさ、早めに来れて正解だったよ」
そう小傘さんが言ったので、また店の中を見回してみる。店員さんが慌ただしく接客や片付けをしていて、厨房の方も忙しそうにしていた。人手も多いように見えないし、鍋ってそんなに回転率が高い訳じゃないと思うから結構待つって言うのも頷ける。
「大変そうだなあ」
こういう時、若干だけど店員さんに悪いような気がしなくもなくて、だからこそ、店員さんにはちゃんと感謝するべきだなってよく思う。その為にも注文の時にいつもより丁寧に話そうとか、お店を出る時に絶対にご馳走様でしたって言おうとか、己の感謝をきちんと態度で示すように努めていた。本当に些細な事しか出来ないけど、やらないよりは絶対いいし、こういう意識を持つ事は大切な筈だ。
そう、だから、お店の人に愛想を良くしてると小傘さんが、早苗ってそういう所しっかりしてるよね、なんて褒めてくれるからやってるという、不純な動機が半分程含まれてるとか、そんな事は断じてなかった、断じて。
注文を終えてから暫くの間、料理を待っていた。やっぱり忙しいせいかちょっと運ばれてくるのが遅くて、二人で暇を持て余していた。
何というか、店の中が徐々に騒がしくなるのを感じる。私らと同じくらいかその後くらいに席に着いた人達が、お店の雰囲気に慣れ始めてきたこの感じ。外の寒さで固まってた身体が、暖まった屋内のお陰でほぐれてくると、会話の方も弾むようになってくる。外食に行くと偶にこういう、場の空気の変化に遭遇する事がある。何となくだけど、私はそれが好きだった。みんながみんな純粋に食事を楽しもうとしているのを見ると、ここは幸せな空間なんだなって事を認識できて居心地が良かった。
加えて、別に人が沢山居る所が得意って訳じゃないけれど、こうした雑踏の中の方が、かえって目の前の事に集中出来たりもする。例えばそう、目の前にいる人とのお喋り。周りから色んな人の話し声が聞こえる筈なのに、どうしてか小傘さんの声しか聞こえないような錯覚を覚える。本当に音のしない静かな場所より、ある程度の雑音があった場所で話す方が、落ち着くような気さえした。
「早苗さあ、ここ出たら次は何処行く?」
「え、まだ料理すら来てないのにもう食べ終わった後の話するんですか?」
「いやー、ここが結構長引きそうだし、早めに予定立てとかないと日が暮れちゃうかも」
確かに日が暮れるまでには帰りたい。冬なんて太陽が沈んじゃったら急に寒くなるし、そうなったら外に居たくない。家に帰って炬燵に入ってたい。
「買うものって他になんだったっけ」
「えっと、あと買ってないのは、まあ食品系は重くなるから最後にして、この前割っちゃったお皿の代わりと小傘さんの仕事道具くらいかな?」
「その二つならあそこの霧雨店でいけそうじゃない? あんまり行かないから分かんないけど、色々売ってるんでしょ?」
「私だってあんまり行ったことないですよ。うちは基本物持ちが良いのもあるし、小傘さんが大体直せちゃうし。まあでも、多分売ってるだろうから大丈夫だとは思いますよ」
そんな事をお互い喋っていたら、途中で店員さんが声を掛けてきた。二人で振り向くと、注文してたものが運ばれてきていた。店員さんに火をつけてもらって、その上に鍋を置いてもらう。見ると、お肉と野菜がたっぷりな上に大きなお豆腐と椎茸がいかにも鍋っぽさを出していて、その最高の様相に思わず顔が綻んでしまう。店に入ってからずっと頭の中で美味しそうな鍋を想像してはいたけれど、いざ本物を見るとやはり格別だった。
「わー美味しそう!」
「でしょー」
良い匂いがする。湯気の温かさにもう幸せな気持ちになる。口に運んだ時の想像が膨らみに膨らんで、もう他の事なんてどうでもいいなんて気さえする。今日のこれからの予定の細かい所とか、今はちょっと話す気になれない。
そう思ったから、小傘さんにさっきの話は後にしないかって言おうとしたら、先に小傘さんの方が口を開いた。
「ごめん早苗。もう鍋来ちゃったし、食べてから考えよ。私もお腹空いちゃった」
「異議なし!」
待ってましたと言わんばかりに食い気味で返事をした。小傘さんはそれにちょっとだけ驚いたようだったけど、すぐに笑ってくれた。小傘さんの笑顔を見てたら私の方も何処となく楽しくなってきたから二人で笑いながらいただきますをした。
最高の食事を提供してくれたあの店を出るのは名残惜しかったけど、二人でまた行く約束をして、私達は霧雨店に向かった。とりあえず、新しいお皿と小傘さんの仕事道具を選ぶにあたって、私達は分かれて店を回る事にした。正直、小傘さんの仕事に関してはあまり詳しくないし、道具の事だって本人が見なくてはならないから、私が一緒に見ても手伝えるような事はない。あとお皿に関しては、私が不注意で割ってしまった訳で、それもお気に入りのものだったから、自分で選ばないと気が済まなかった。
暫く店の中を見て回っていたら、ようやく食器関連の物が並んで置いてある場所を見つけた。此処は外の世界のスーパーとかと比べれば全然だけど、それでも里にある建物の中ではかなり大きな方だ。それに、置いてある物も身近な日用品から何に使うかよく分からない物まで多岐にわたって存在してるから、目的のものを見つけるまでが結構大変だった。
「はー色んなの置いてるなあ」
良い感じのお皿はないか、食器コーナー的な場所をじっくり眺めてみたけれど、思ったよりも種類が多い。ひとえにお皿といっても他の店よりも品揃えの数が段違いで、ここが大手と呼ばれてるのも納得できる。そういえば、魔理沙さんの実家ってここなんだっけ。結構凄いところの生まれなんだなあ。
「あ、これうちでも使ってるやつじゃん」
色々と眺めてる内に家でよく使ってるお皿を見つけた。これを買ったのは確か別の店で小傘さんと二人で選んだ時なのだけれど、ここにも置いてあったんだ、なんて思った。
よくよく見ると、あの割ってしまったお皿も売っていた。どうしよう、買おうか悩む。別に同じ物を買っても良いのだけれど、気分的には全く新しい物を買おうと思って来た訳であるし、何というか、割れてしまった物と同じ物をまた買うのも何だか違うような気がする。
でもあのお皿は今の家に引っ越した時からずっと使ってて、結構な愛着もある。健在だった時は特に何も考えずに使ってたけど、失ってしまった途端に少し寂しくなってしまった。何というか、思い出が蘇ってしまって物が捨てられなくなるような、あんな感覚に似ている。
「うわーどうしよう。悩むなあ」
「どう早苗? 決まった?」
「わ、いつの間に」
頭を抱えていたら、急に後ろから声を掛けられてちょっとだけ驚いた。背筋がびくって動いてしまって、それに気づいた小傘さんが、びっくりさせちゃったかー、なんてどこか満足気な顔をしているから悔しくなった。普段驚かすの下手な癖に、まぐれで成功した時にドヤ顔してくるのがちょっと気に食わない。可愛いから許すけどさ。
「いやーまだ決まってないんですよね。色々悩んじゃって」
「だろうと思ったー。私も目利きに時間かける方だけど、早苗はもっと時間かけるもんね」
「買い物ってほんと時間かかりますよ。まあ、そういうところも楽しいんですけどねえ」
そう、買い物っていうのは楽しい。偶々みつけた物に一目惚れしたり、何個かある内のどれにしようか迷ったり、自分のお財布と相談したりとか色んな出来事がある。買い物っていうのは将来への投資であって、そうやって未来の為にあれこれ考える時は凄く心が躍る。
でも一つ例外があって、それは他人の為に何かを買おうとする時だ。これが本当に難しい。楽しくない訳じゃないけれど、あの人はどう思ってくれるのかなって不安になるし、いくら考えても結論を出してくれるのは自分じゃないから、ずっと悩みっぱなしだ。
そういえば、もうクリスマスが近い。買い物で思い出したけれど、早いところ買う物を決める為にまた里を回らなくちゃいけないと。何をあげるか当日までバレる訳にはいかないし、小傘さんに喜んでもらえそうなものを決めるとなると、これから先時間が足りるのか結構危ないかもしれない。本当に、今年は何をプレゼントしようか。
「そういえばさ、早苗はどれで悩んでたの?」
「え? ああ、これですよ。ほら、割っちゃったやつと同じお皿があったからどうしようかなって」
そう言って、さっきまで買おうか悩んでたお皿を指差す。
「あ、これかー。確かに同じやつだね」
「そうなんですよ。結構長く使ってた分愛着が湧いちゃったんですけど、別に同じ物っていってもあのお皿そのものって訳じゃないしなーって」
「んー」
小傘さんは、私が指差したお皿を見ながら少し考え込むようにしていた。何か迷う事でもあるのかなって思ったけれど、そんな風な事を考えているような顔付きでは全然なくて、寧ろ答えは決まっているけど、なんて答えようか言葉を探しているような感じだった。
「何というか、早苗がそれを買うかどうかは自由だけど、前のお皿はちゃんと使ってもらえてた事に多分だけど満足してたよ。だからもっと、新しい出会いをみたいな明るい感じでこの子達を選んであげるべきだと思うな」
「えっと」
「まあ要するに、どの子が好きかってのだけ見て決めればいいんだよ。あの子の代わりって意味で買われても、この子達からしたらちょっと複雑だろうしね」
「なるほど」
一瞬、ただのお皿の話なのに、とか思ってしまったけれど、小傘さんは付喪神であった。きっと彼女は、私達と道具を見る視点が根本的に異なっていて、それがさっきの言葉に表れていたんだろう。付喪神としての側面をちゃんと見る事は今までそんなになかったし、何か新鮮な気分だ。ちょっとかっこいいとすら思える。そういえば、小傘さんと物が壊れたから新しい物を買いに行くっていうのは、これが初めてかもしれない。もう付き合って三年以上経つっていうのに、初めての事もまだあるものなんだなって思う。
「小傘さんって、そういう道具の気持ちみたいなの分かるんですか?」
「うーん、別に分かるって程でも無いんだけど、何となく勘みたいな感じかな。古いのほど分かりやすかったりはするんだけど。あ、でもあのお皿の事は分かりやすい方だったよ」
「でもあれって買ったとき新品でしたからまだ三年そこらだったと思いますけど」
「んー何でだろうね。毎日自分達で使ってたってのもあるだろうし、私もあの子の事を気に入ってたからなのかもなあ」
「かもしれないですね。ずっと二人で使ってましたから」
「……そうだねえ」
そう一言相槌をすると小傘さんは神妙な面持ちになって口を閉じた。こんな風な顔付きをするのは珍しい。心配になって声を掛けようか少し迷って、けれど何か言いたげでもあったから、小傘さんが喋ってくれるまでは見守るだけにしなければならないような気がした。
「こんな事言うのもあれなんだけど、私、あのお皿の事がちょっと羨ましかったんだ」
「……」
「毎日ちゃんと使ってもらえて、壊れた事にこうして心残りさえ持ってもらえる。きっと満足のいく捨てられ方だった。人間に選ばれた道具ってこんな感じなんだなって、早苗と今まで一緒に暮らしてみて初めてちゃんと分かったよ」
「小傘さん……」
掛けるべき言葉が見つからない、というより掛けちゃ駄目なように思った。別に励ましの言葉くらいは出てくる。信者の人の悩みとか聞いたりしてるし、あの人達の為に慈愛のこもった言葉を用意するのは、言い方が悪いかもしれないけどもう簡単に出来る。決して心にも思ってない事を言ってる訳じゃない。あの人達は守るべき人達で、だからこそ真摯に悩みを聞いて、私なりの答えを用意してあげている。
でも小傘さんは別だ、特別なんだ。もう何年も好きで、ずっと一緒にいる。だから、これは私の我儘なのは分かっているけど、あの人達と同じような手の差し伸ばし方をしたくなかった。勿論、彼女が何かしらの苦悩を抱えていた事は分かっていた。けれどそれを私に話してくれる事はなかったし、であるからこそ、きっと言葉としての救いを求めてはいなかったんだろう。そんな小傘さんに私が出来る事といったら、いつも通り小傘さんを好きでいる事だけだったから、私はそれをずっと続けるべきであった。
「ごめんね、なんか湿っぽくなっちゃった」
「ううん、大丈夫です。私、まだ迷ってて、このままだと遅くなっちゃいますし、お皿はまた今度買いに行きましょう」
「……うん」
私達は霧雨店を出て、食材の買い物した。正直、ちょっと気まずくなったのもあって、もう帰ろうかなとも思ったけど、家にあんまり食料品が無かったのもあるし、小傘さんが大丈夫だと言うのでそのまま買い物を続けた。けれどお店を回ってる間はやっぱりまだ湿っぽい雰囲気が残ってたのもあって、会話はあったけどそれもいつもと違うような感じだった。
その後は特に何かある訳でもなく、無事に帰路につくことが出来て、私達は夕暮れの中を二人で歩いていた。少しずつ空が黄金色に染まっていく様は、冬の寒さを僅かにだけど忘れさせてくれるような温かい色をしている。だからか、私達の間にあったちょっと暗い感じも照らしてくれたのかもしれなくて、段々と今まで通りの会話が戻っていった。あそこの人がああだったとか、どこかの店のお菓子が美味しそうだったとか、そういう感じに。
「ねえ早苗、さっきはごめんね」
ちょっとだけ会話が途切れた瞬間、不意に小傘さんがあの時の話を持ち出してきた。けれどもそれは、お店にいた時と違って明るげな面持ちだった。
「さっきはあんな事言ったけど、別に今に不満を持ってるって訳じゃないのよ。だって私の夢はみんなの役に立つ事だし、今はそれがちゃんと叶ってるから。ただ、ああいう未来もあったのかなって思っただけ」
「……はい」
やっぱり小傘さんは、自分の中でもう救いを見つけている。それは長い年月の中でようやく見つけたであろう答えだから、私なんかがどうこう言う必要はない。でも、本当はそれだけじゃ割り切れないものも沢山あるのだろう。実際あの時の事は、多分まだ心に残り続けてる筈だ。私としては、小傘さんの未練とかそういうわだかまりみたいな物を一緒に抱え込んであげたいのだけれど、それを小傘さん本人はきっと許さないのだろう。この人は優しいから、私の好意につけ込むような真似をしたくないとか、そんな事を思ってる。矛盾しているようだけど、だから私は、そんな彼女の人柄に惹かれたのだ。
「だからね、そんな心配しないでいいよ! それに、湿っぽくなっちゃったのは別に理由があるからだし……」
「へ? 別の理由?」
「あ、しまった」
突然小傘さんがそんな事を口走ったものだから、気になって一体何なのかを聞いてみた。でも、どういう訳か頑なに教えてくれようとしない。まあ、しまったなんて言ってしまうくらいだから秘密にしなきゃいけないんだろうけど、流石に目の前で言われたら気になる。雰囲気が明るくなったのもあるし、今ならちょっとしつこく聞いてやろうと思って、肩を掴んで体を揺さぶってやった。
「ねー教えてー」
「えー! やだやだ、秘密だって」
少しの間それを続けてたら、いつの間にかじゃれあいみたいになっていた。ちょっと面白くなってきたせいでお互いに笑いだすと、小傘さんの服の中から突然小箱のような物が落ちてきた。
私が不思議に思ってる間も小傘さんは小箱が落ちた事にまだ気付いていなそうだったから、先にそれを拾ってみる事にした。まじまじと眺めていたら、急に小傘さんがひどく驚いた後に焦りだして、でも何処かで冷静になったみたいで諦めたようにため息をついた。
「もしかして、小傘さんが言ってた秘密ってこれですか?」
「……バレちゃったか。わかった、もう教えてあげるからさ、一回返してもらってもいい?」
「まあ、そういうなら」
小傘さんは私から小箱を受け取ると、照れた様子で視線を泳がし始めた。まだ覚悟が決まってないみたいで、その様子が何ともいじらしい。とはいえ、あんまり焦らされるのも困るので、早く早くとこちらも視線で訴えると、小傘さんはようやくその小箱を開けてくれた。
「指輪……?」
中には指輪が入っていた。そう、まるで婚約指輪を渡す時のようなあんな感じ。
「マミゾウさんに聞いたんだ。外の世界では好きな人に指輪を贈るって。だから自分で作って、あのクリスマスとやらの贈り物にしようと思ったの。その、余裕持たせようと思って昨日完成してからずっと持ち歩いてたんだけど、ほんとに喜んでくれるか不安になっちゃって、しかも、クリスマスまで待つってなると……」
「えっと、それが理由?」
「うん。私、結構暗い気分引きずっちゃうタイプだし、お皿見てた時も自己嫌悪っぽくなっちゃって、だからあんな事言っちゃった」
「そっかあ」
何というか、ちょっと色々外の世界の文化を勘違いしている所があるけれど、それを本人に言ったら無粋だろう。好きな人に渡すってくらいの感覚だとバレンタインデーの方が近いし、なんか色々ごちゃごちゃになってるけど、よく分かってなさそうな所が可愛し、面白く思ってしまう。だって、クリスマスに婚約指輪って、いや待てよ、逆にクリスマスに婚約指輪のプレゼントとか最高じゃない? クリスマスプレゼントに結婚の約束って、ほら、やっぱりめちゃくちゃ嬉しいやつだよこれ。小傘さんは意味あんまり分かってなさそうだけどさ、別に良いじゃん。大事なのは私がその指輪の意味を知ってるって事だし、後でほとぼりが冷めたくらいに教えてあげればいいって。
なんて、そんな事を考えるくらいに舞い上がっていた。けど、小傘さんはそんな私に気付いていないみたいで、まだちょっと不安そうにしたまま、必死に言葉を紡ごうとしている。
「私さ、みんなの役に立つのが夢って言ったけど、でも一番大事なのは早苗なんだ。だから早苗にはあんまり負担とか感じて欲しくなくて、弱音とか出来るだけ吐かないようにしてるけど、けどさ、やっぱり早苗には甘えてたいし。だからその指輪は、これからも一緒にいて欲しいっていう、そういう気持ち。まだちょっとクリスマスには早いけど、えっと、う、受け取って欲しいです」
所々でつっかえたり、吃ったりして、それでも懸命に出てきた言葉だった。何というか、その、やっぱり面と向かって自分が一番だと言ってくれた事が何より嬉しかった。こうしてちゃんと二人で向き合ったのはいつ以来だろう。別に喧嘩とかは、しない事もなかったけれど、でも、こんなに真剣に自分の気持ちについて語ってくれたのは、同棲するって決めた時くらいかもしれない。
それにしても、もう付き合って三年以上だっていうのに、まだこんなにも健気なのが本当に可愛らしい。私の事を気遣ってくれながら、それでもやっぱり甘えたいって、ようやく言ってくれたなと思う。小傘さんは結構無茶するからさ、そうなる前に、ちゃんと頼って欲しくて、けどそうやって本心を言ってくれたから、私もようやく彼女に頼られてやろうって決心が決まった気がする。
私の返事が来るまで、小傘さんはずっと黙って私の目を見続けていた。私は、小傘さんが差し出していた小箱の中から指輪を手に取って、左手の薬指へとはめた。
「ありがとう。最高のプレゼントです」
指輪をつけ終えると満面の笑みで、そう言ってやった。
小傘さんはそれに安心したのか、長く息を吐いて、良かったと、一言だけ言った。その顔には先程まであった不安とかは全部消えていて、代わりにほんのちょっとだけ涙が浮かんでる気がした。
「あれー小傘さん泣いてる?」
「泣いてないって」
「こういうのは貰った方が泣くのが普通なんですけどねえ」
「だから泣いてないってば!」
二人でぎゃーぎゃー騒ぎながら、帰り道を歩いた。いつの間にか二人で手を握り合って。道中で、こんな嬉しい出来事に値するようなプレゼントを小傘さんに選ばなければいけないのかなと思ったけど、今はそんなこと考える時じゃないし、小傘さんなら真心こめて考えた物ならきっと喜んでくれるだろうなとも思った。
歩く最中空を見ると、夕日がもうすぐ沈んでいく所だった。その日最後の輝きは、安堵のお陰か、それとも私がからかったからか、何はともあれ、涙で潤んだ小傘さんの瞳を美しく照らしていた。加えて、貰った指輪も斜陽の光に当てられて、優しい色に染まっていた。だから私は笑顔の振りをして目を閉じる。それは夕日が眩しかったからでもあるし、同時に、貰ってしまった涙を誤魔化す為でもあった。
おしまい
何とか気合を入れて上体を起こす。やっぱり寒い、誰だ冬なんて好きだって言ったの。冬なんて最低だ、消えてほしい。
「うー寒い。ほら、朝ですよ。小傘さん起きてー」
まあ、そんな最低な冬にも良いところがない訳じゃない。隣で寝る小傘さんだ。寒いと一緒に布団で寝てくれる。これがひどく可愛い。ずっとくっついてたい。実を言うと、寒いなんてのは布団から出たくない理由の精々一割くらいしか占めてない。だって、殆どが小傘さんと離れたくないって理由だもん。でも朝だから起きなきゃらならない訳で、いつもそのジレンマに腹が立つ。
「なんでよう、せっかく今日は休みなのに」
「だから今日一緒に買い物行こうって話だったじゃないですか」
小傘さんは意外と寝起きが悪い。それを知った当初は全然想像つかなかったけれど、普段元気に振る舞ってる分、知らぬ間に疲れてるのかもしれなかった。けれど、これは私にしか見せない姿でもある訳だから、こうやって仕方のない彼女を見るのも好きであった。
別にこのまま二人で布団にくるまっててもいいけれど、それじゃ今日の予定がボロボロになってしまう。駄々をこねていた小傘さんから毛布の主導権を奪い取り、即座に畳んでやった。まだ寝ぼけ眼の小傘さんが不満そうに見つめてくるけれど、いつまでも甘やかしてあげる訳にもいかない。
「……おはよー」
「おはようございます」
今日は私が朝食を作る番だったので先に洗面所を借りた。顔を洗って歯を磨いて、寝癖を直したりした。戻ったら小傘さんが枕に顔を伏せながら二度寝に勤しもうとしてたから、思いっきり枕を引っぱって起こした。
「いったーい!」
「洗面所空いたから顔洗ってきちゃってくださいね」
「もっと優しく起こしてよ。それにさ、待ってる間暇になっちゃうんだから洗面所空いた時に起こしてくれれば良かったじゃない」
「やだ。朝からずっと話していたいじゃないですか」
「くそう、かわいい奴め」
朝食を作ってる間、顔を洗い終わった小傘さんが手伝いに来てくれた。小傘さんはこういう気遣いをさりげなくしてくれる。大丈夫なのに、って言っても私がしたいからさ、って言って嫌な顔一つもしない。そういう所が凄く好きだった。
私と小傘さんは二人で暮らしている。ついこの前、付き合って三年が経つ頃に、私達は里で家を借りて、そこからずっと二人暮らしだ。元々は、小傘さんが鍛治を教えてもらってる師匠の所から独立する際に、家を欲しがってたのが始まりだった。工房を持ったはいいけど、それにお金を使ってしまったらしく、何処か安くて良いところがないか探してると相談を受けて、それから私の決心は固まった。
だから頑張って働いてお金を貯めた。三年記念日に小傘さんに何か贈り物がしたかった。欲しいものを我慢して、前よりずっと熱心に働いた。ちょっとずつ貯金が増えていって目標まで進んでる光景を見るのが嬉しかった。
ようやくお金を貯め終えて、小傘さんに伝えに行った時、凄く驚かれたのは今でも鮮明に思い出せる。
「一緒に住む? でもそうなら結構広い家にしないといけないじゃん。私まだそんなお金ないよ」
「大丈夫です! ほら、ちゃんと貯めてきましたから。暫くの間、家賃は私持ちでも平気ですよ」
「えっ、えっすごい。ほんとに、ほんとにいいの?」
「小傘さんが自分のお店持つお祝いと、ちょっと早いけど付き合って三年の記念です。だからさ、一緒に住みましょうよ」
「うう、ありがとう……」
あの後、感極まったのか小傘さんが泣き出しちゃって、何だか私も釣られて泣いてしまった。それから何故だか分からないけれど、そのままの流れで諏訪子様と神奈子様の所に行った。小傘さんが、早苗を預かる以上、保護者の方にちゃんと挨拶をしないとなんて泣きながら言い出して、私も勢いでそれに頷いてしまった。神社に着く頃には流石に二人して落ち着いてきていて、というか寧ろ勢いで来てしまった事に後悔すら感じていた。だって何話すかお互い何も考えてなかったし、もう二人でずっと緊張しっぱなしだった。
今まで小傘さんと付き合っている事はそれとなく伝えていたから、割とすんなり家に入れてもらえて、そこから同棲する旨を話した。同棲したい理由とかそういう諸々を話していた内に、やっぱりさっきの妙に感動的な気分が残っていたらしくて、小傘さんがまた泣き始めて、それで私もこれまでの小傘さんとの思い出とかが走馬灯みたいに巡り始めてきて、また泣いてしまった。
二人して嗚咽を漏らしながら、お互いの良い所を褒め続けて、これからずっと二人で暮らしていきたいみたいな事を延々と喋り続けていたと思う。諏訪子様と神奈子様は、多分二人で泣き出したくらいからずっと引き始めていて、なんとか私達を落ち着かせてくれた後、一緒に暮らす許可を出してくれた。
そうして今、私達は二人で一緒に生活をしている。きっとこれ以上ないくらいに穏やかで、何より幸せだった。
「今日も早苗の料理美味しかった」
「良かった。ありがとうございます」
「うん、次も楽しみ」
朝食を済ませた後は二人で片付けをした。その際、小傘さんはいつも私の料理を褒めてくれる。それは絶対にお世辞とかじゃないし、元々そういうのが言えるような感じの人ではないのもあって、一層嬉しく思える。一緒に住み始めてからはずっと、こうして褒めてくれることが頑張って起きてご飯を作ることへのモチベーションになり続けていた。
食器を洗い終えた後は、そろそろ出掛ける準備をしなくてはならない時間になっていて、髪を整えたりたりとかお化粧をしたりとか、そうやって外に出るのに必要な準備を色々やった。加えて今日は二人きりで出掛けられる日な訳だから、いつもより気合を入れていた。それが仇となって、途中時計を見たら予定より遅れてしまっていたから、仕方なく結構巻きで支度を終わらせなくてはならなかった。
「ねー変じゃないかなあ」
「大丈夫だよ。いつも通り可愛いって」
「えへ、じゃあ大丈夫ですね」
支度を終えて玄関を開けると、外から冷たい空気が入り込んできて、私達は一様に身体を震わせた。季節は十二月、もう冬真っ只中で、道行く人達も皆寒そうにして歩いている。
そういえばもうすぐクリスマスだ。こっちではそんな風習なんてまだ定着してないけれど、私と小傘さんの間ではクリスマスを祝う事になっている。まあ、これといって変わった事をする訳ではなくて、外の世界、というか日本人みんながやっているように、いつもよりご飯を豪華にして、プレゼントを渡すくらいの日だった。
付き合った当初は小傘さんはクリスマスの事なんて勿論知らなくて、サプライズみたいに私が一方的にプレゼントを渡してあげた形になった。けれど、去年のクリスマスには小傘さんの方もプレゼントを用意してくれたみたいで、手編みのマフラーと手袋をくれた。それがびっくりするくらいに完成度が高くて、寧ろ仕事の合間に作っていた事を疑うくらいだったから、嬉しくてずっと大切に使っている。今日だって、マフラーと手袋、どちらも身につけながらデートするんだって決めていた。
「あら、小傘ちゃんじゃない。この前はありがとうね」
「こんにちは! とんでもないです、またよろしくお願いします」
里を歩いていると、小傘さんはよく声を掛けられる。今だってほら、常連さんみたいなおばちゃんと挨拶してたし。前にベビーシッターの真似事か何かをしてたりだとかで知名度自体はそれなりにあったらしいけれど、最近はずっと鍛治屋のお姉さんで通っていて、今じゃ結構な人気者みたいになってる。客足も順調に伸びているらしくて、まあ、他の職人さんって何となく気難しい人が多いから、人当たりの良い小傘さんが選ばれるのも当然なんだろう。
でもそうなるまでも色々な事が絶対にあった筈だ。だって鍛治やってる女の人なんて人里の何処を探しても全然見つからないし、まして小傘さんは妖怪だ。分かってしまう人には勘付かれてしまう。だからきっと、弟子入りするまでも大変だったのだろうし、こうやって独立するまでも奇異の目に晒されてきたのだろう。
小傘さんはあんまり弱音を言う事はなくて、あったとしても、もう自分の中で終わった事として昇華しきってしまった後だから、一緒に悩ませてくれない。勿論、それらを全部解決してしまうような彼女の人柄はとても尊敬している。けれど恋人として、今までしてきた筈の苦労を私にも背負わせてほしいとも思う。
「早苗? どうかした?」
「ううん、何でもないですよ」
少し考え過ぎてたらしい。ぼーっと前を向いてた私を不思議に思ったのか小傘さんが私の顔を覗き込んできて、それでやっと我に返った。いけないな、折角二人の時間なんだからもっと楽しまなきゃ。
さっきまでの考えを振り払うようにして里を見回していると、突然私のお腹が鳴った。あまりの滑稽さに、ちょっと暗い気分だったのが吹き飛んでしまって、代わりに安心するような恥ずかしいような変な気持ちになった。もうお昼時なのだろうか。朝ご飯を食べたのは何時も通りの時間だったけれど、家を出るのがちょっと遅かったから気付かなかった。
「小傘さん、私お腹空いちゃったみたい」
「もうお昼かー。何食べる?」
「あったかいのが良いですねえ」
「じゃあ鍋食べようよ! 最近良い店見つけてね、早苗も連れて行きたかったんだ」
「えー良いなあ、早く行きましょうよ!」
「じゃあ決まりね」
案内されるがままにそのおすすめのお店に着くと、やはり小傘さんが勧めるだけあるのか結構な数のお客さんが入っていた。ただ、小傘さん曰く普段一番繁盛してる時間帯なら店の外にも人が並ぶくらいであるから、今日はちょっと少ない方らしい。もしやと思って店にある時計を見たら、里のみんなが昼食をとってる時間よりもまだ少し早い時間だった。
「やっぱり、まだちょっとお昼には早かったんですね。全然買い物終わってなかったからおかしいとは思ってたんですけど」
「まあ、私らって朝食べるのいつも早いし、この時間にお腹空いちゃってもしょうがないって。でも、そのおかげで直ぐ席に座れるんだから寧ろ良かったよ。私が前にここにきた時は外で結構待ってたもん」
空いてる席に座った後、注文する料理を決めていたら、段々とお客さんの数が増えてきた。注文を済ませて料理が運ばれてくるのを待つ頃にはもう既にお店の中は満員になっていて、店の外にまで何組かが並び始めたくらいになっていたから、タイミング的には結構ギリギリだったんじゃないかなって思う。
「はー、すぐ一杯になっちゃいましたね……」
「ほんと、いつもこんな感じなんだよね。今から並ぶとなると結構待つからさ、早めに来れて正解だったよ」
そう小傘さんが言ったので、また店の中を見回してみる。店員さんが慌ただしく接客や片付けをしていて、厨房の方も忙しそうにしていた。人手も多いように見えないし、鍋ってそんなに回転率が高い訳じゃないと思うから結構待つって言うのも頷ける。
「大変そうだなあ」
こういう時、若干だけど店員さんに悪いような気がしなくもなくて、だからこそ、店員さんにはちゃんと感謝するべきだなってよく思う。その為にも注文の時にいつもより丁寧に話そうとか、お店を出る時に絶対にご馳走様でしたって言おうとか、己の感謝をきちんと態度で示すように努めていた。本当に些細な事しか出来ないけど、やらないよりは絶対いいし、こういう意識を持つ事は大切な筈だ。
そう、だから、お店の人に愛想を良くしてると小傘さんが、早苗ってそういう所しっかりしてるよね、なんて褒めてくれるからやってるという、不純な動機が半分程含まれてるとか、そんな事は断じてなかった、断じて。
注文を終えてから暫くの間、料理を待っていた。やっぱり忙しいせいかちょっと運ばれてくるのが遅くて、二人で暇を持て余していた。
何というか、店の中が徐々に騒がしくなるのを感じる。私らと同じくらいかその後くらいに席に着いた人達が、お店の雰囲気に慣れ始めてきたこの感じ。外の寒さで固まってた身体が、暖まった屋内のお陰でほぐれてくると、会話の方も弾むようになってくる。外食に行くと偶にこういう、場の空気の変化に遭遇する事がある。何となくだけど、私はそれが好きだった。みんながみんな純粋に食事を楽しもうとしているのを見ると、ここは幸せな空間なんだなって事を認識できて居心地が良かった。
加えて、別に人が沢山居る所が得意って訳じゃないけれど、こうした雑踏の中の方が、かえって目の前の事に集中出来たりもする。例えばそう、目の前にいる人とのお喋り。周りから色んな人の話し声が聞こえる筈なのに、どうしてか小傘さんの声しか聞こえないような錯覚を覚える。本当に音のしない静かな場所より、ある程度の雑音があった場所で話す方が、落ち着くような気さえした。
「早苗さあ、ここ出たら次は何処行く?」
「え、まだ料理すら来てないのにもう食べ終わった後の話するんですか?」
「いやー、ここが結構長引きそうだし、早めに予定立てとかないと日が暮れちゃうかも」
確かに日が暮れるまでには帰りたい。冬なんて太陽が沈んじゃったら急に寒くなるし、そうなったら外に居たくない。家に帰って炬燵に入ってたい。
「買うものって他になんだったっけ」
「えっと、あと買ってないのは、まあ食品系は重くなるから最後にして、この前割っちゃったお皿の代わりと小傘さんの仕事道具くらいかな?」
「その二つならあそこの霧雨店でいけそうじゃない? あんまり行かないから分かんないけど、色々売ってるんでしょ?」
「私だってあんまり行ったことないですよ。うちは基本物持ちが良いのもあるし、小傘さんが大体直せちゃうし。まあでも、多分売ってるだろうから大丈夫だとは思いますよ」
そんな事をお互い喋っていたら、途中で店員さんが声を掛けてきた。二人で振り向くと、注文してたものが運ばれてきていた。店員さんに火をつけてもらって、その上に鍋を置いてもらう。見ると、お肉と野菜がたっぷりな上に大きなお豆腐と椎茸がいかにも鍋っぽさを出していて、その最高の様相に思わず顔が綻んでしまう。店に入ってからずっと頭の中で美味しそうな鍋を想像してはいたけれど、いざ本物を見るとやはり格別だった。
「わー美味しそう!」
「でしょー」
良い匂いがする。湯気の温かさにもう幸せな気持ちになる。口に運んだ時の想像が膨らみに膨らんで、もう他の事なんてどうでもいいなんて気さえする。今日のこれからの予定の細かい所とか、今はちょっと話す気になれない。
そう思ったから、小傘さんにさっきの話は後にしないかって言おうとしたら、先に小傘さんの方が口を開いた。
「ごめん早苗。もう鍋来ちゃったし、食べてから考えよ。私もお腹空いちゃった」
「異議なし!」
待ってましたと言わんばかりに食い気味で返事をした。小傘さんはそれにちょっとだけ驚いたようだったけど、すぐに笑ってくれた。小傘さんの笑顔を見てたら私の方も何処となく楽しくなってきたから二人で笑いながらいただきますをした。
最高の食事を提供してくれたあの店を出るのは名残惜しかったけど、二人でまた行く約束をして、私達は霧雨店に向かった。とりあえず、新しいお皿と小傘さんの仕事道具を選ぶにあたって、私達は分かれて店を回る事にした。正直、小傘さんの仕事に関してはあまり詳しくないし、道具の事だって本人が見なくてはならないから、私が一緒に見ても手伝えるような事はない。あとお皿に関しては、私が不注意で割ってしまった訳で、それもお気に入りのものだったから、自分で選ばないと気が済まなかった。
暫く店の中を見て回っていたら、ようやく食器関連の物が並んで置いてある場所を見つけた。此処は外の世界のスーパーとかと比べれば全然だけど、それでも里にある建物の中ではかなり大きな方だ。それに、置いてある物も身近な日用品から何に使うかよく分からない物まで多岐にわたって存在してるから、目的のものを見つけるまでが結構大変だった。
「はー色んなの置いてるなあ」
良い感じのお皿はないか、食器コーナー的な場所をじっくり眺めてみたけれど、思ったよりも種類が多い。ひとえにお皿といっても他の店よりも品揃えの数が段違いで、ここが大手と呼ばれてるのも納得できる。そういえば、魔理沙さんの実家ってここなんだっけ。結構凄いところの生まれなんだなあ。
「あ、これうちでも使ってるやつじゃん」
色々と眺めてる内に家でよく使ってるお皿を見つけた。これを買ったのは確か別の店で小傘さんと二人で選んだ時なのだけれど、ここにも置いてあったんだ、なんて思った。
よくよく見ると、あの割ってしまったお皿も売っていた。どうしよう、買おうか悩む。別に同じ物を買っても良いのだけれど、気分的には全く新しい物を買おうと思って来た訳であるし、何というか、割れてしまった物と同じ物をまた買うのも何だか違うような気がする。
でもあのお皿は今の家に引っ越した時からずっと使ってて、結構な愛着もある。健在だった時は特に何も考えずに使ってたけど、失ってしまった途端に少し寂しくなってしまった。何というか、思い出が蘇ってしまって物が捨てられなくなるような、あんな感覚に似ている。
「うわーどうしよう。悩むなあ」
「どう早苗? 決まった?」
「わ、いつの間に」
頭を抱えていたら、急に後ろから声を掛けられてちょっとだけ驚いた。背筋がびくって動いてしまって、それに気づいた小傘さんが、びっくりさせちゃったかー、なんてどこか満足気な顔をしているから悔しくなった。普段驚かすの下手な癖に、まぐれで成功した時にドヤ顔してくるのがちょっと気に食わない。可愛いから許すけどさ。
「いやーまだ決まってないんですよね。色々悩んじゃって」
「だろうと思ったー。私も目利きに時間かける方だけど、早苗はもっと時間かけるもんね」
「買い物ってほんと時間かかりますよ。まあ、そういうところも楽しいんですけどねえ」
そう、買い物っていうのは楽しい。偶々みつけた物に一目惚れしたり、何個かある内のどれにしようか迷ったり、自分のお財布と相談したりとか色んな出来事がある。買い物っていうのは将来への投資であって、そうやって未来の為にあれこれ考える時は凄く心が躍る。
でも一つ例外があって、それは他人の為に何かを買おうとする時だ。これが本当に難しい。楽しくない訳じゃないけれど、あの人はどう思ってくれるのかなって不安になるし、いくら考えても結論を出してくれるのは自分じゃないから、ずっと悩みっぱなしだ。
そういえば、もうクリスマスが近い。買い物で思い出したけれど、早いところ買う物を決める為にまた里を回らなくちゃいけないと。何をあげるか当日までバレる訳にはいかないし、小傘さんに喜んでもらえそうなものを決めるとなると、これから先時間が足りるのか結構危ないかもしれない。本当に、今年は何をプレゼントしようか。
「そういえばさ、早苗はどれで悩んでたの?」
「え? ああ、これですよ。ほら、割っちゃったやつと同じお皿があったからどうしようかなって」
そう言って、さっきまで買おうか悩んでたお皿を指差す。
「あ、これかー。確かに同じやつだね」
「そうなんですよ。結構長く使ってた分愛着が湧いちゃったんですけど、別に同じ物っていってもあのお皿そのものって訳じゃないしなーって」
「んー」
小傘さんは、私が指差したお皿を見ながら少し考え込むようにしていた。何か迷う事でもあるのかなって思ったけれど、そんな風な事を考えているような顔付きでは全然なくて、寧ろ答えは決まっているけど、なんて答えようか言葉を探しているような感じだった。
「何というか、早苗がそれを買うかどうかは自由だけど、前のお皿はちゃんと使ってもらえてた事に多分だけど満足してたよ。だからもっと、新しい出会いをみたいな明るい感じでこの子達を選んであげるべきだと思うな」
「えっと」
「まあ要するに、どの子が好きかってのだけ見て決めればいいんだよ。あの子の代わりって意味で買われても、この子達からしたらちょっと複雑だろうしね」
「なるほど」
一瞬、ただのお皿の話なのに、とか思ってしまったけれど、小傘さんは付喪神であった。きっと彼女は、私達と道具を見る視点が根本的に異なっていて、それがさっきの言葉に表れていたんだろう。付喪神としての側面をちゃんと見る事は今までそんなになかったし、何か新鮮な気分だ。ちょっとかっこいいとすら思える。そういえば、小傘さんと物が壊れたから新しい物を買いに行くっていうのは、これが初めてかもしれない。もう付き合って三年以上経つっていうのに、初めての事もまだあるものなんだなって思う。
「小傘さんって、そういう道具の気持ちみたいなの分かるんですか?」
「うーん、別に分かるって程でも無いんだけど、何となく勘みたいな感じかな。古いのほど分かりやすかったりはするんだけど。あ、でもあのお皿の事は分かりやすい方だったよ」
「でもあれって買ったとき新品でしたからまだ三年そこらだったと思いますけど」
「んー何でだろうね。毎日自分達で使ってたってのもあるだろうし、私もあの子の事を気に入ってたからなのかもなあ」
「かもしれないですね。ずっと二人で使ってましたから」
「……そうだねえ」
そう一言相槌をすると小傘さんは神妙な面持ちになって口を閉じた。こんな風な顔付きをするのは珍しい。心配になって声を掛けようか少し迷って、けれど何か言いたげでもあったから、小傘さんが喋ってくれるまでは見守るだけにしなければならないような気がした。
「こんな事言うのもあれなんだけど、私、あのお皿の事がちょっと羨ましかったんだ」
「……」
「毎日ちゃんと使ってもらえて、壊れた事にこうして心残りさえ持ってもらえる。きっと満足のいく捨てられ方だった。人間に選ばれた道具ってこんな感じなんだなって、早苗と今まで一緒に暮らしてみて初めてちゃんと分かったよ」
「小傘さん……」
掛けるべき言葉が見つからない、というより掛けちゃ駄目なように思った。別に励ましの言葉くらいは出てくる。信者の人の悩みとか聞いたりしてるし、あの人達の為に慈愛のこもった言葉を用意するのは、言い方が悪いかもしれないけどもう簡単に出来る。決して心にも思ってない事を言ってる訳じゃない。あの人達は守るべき人達で、だからこそ真摯に悩みを聞いて、私なりの答えを用意してあげている。
でも小傘さんは別だ、特別なんだ。もう何年も好きで、ずっと一緒にいる。だから、これは私の我儘なのは分かっているけど、あの人達と同じような手の差し伸ばし方をしたくなかった。勿論、彼女が何かしらの苦悩を抱えていた事は分かっていた。けれどそれを私に話してくれる事はなかったし、であるからこそ、きっと言葉としての救いを求めてはいなかったんだろう。そんな小傘さんに私が出来る事といったら、いつも通り小傘さんを好きでいる事だけだったから、私はそれをずっと続けるべきであった。
「ごめんね、なんか湿っぽくなっちゃった」
「ううん、大丈夫です。私、まだ迷ってて、このままだと遅くなっちゃいますし、お皿はまた今度買いに行きましょう」
「……うん」
私達は霧雨店を出て、食材の買い物した。正直、ちょっと気まずくなったのもあって、もう帰ろうかなとも思ったけど、家にあんまり食料品が無かったのもあるし、小傘さんが大丈夫だと言うのでそのまま買い物を続けた。けれどお店を回ってる間はやっぱりまだ湿っぽい雰囲気が残ってたのもあって、会話はあったけどそれもいつもと違うような感じだった。
その後は特に何かある訳でもなく、無事に帰路につくことが出来て、私達は夕暮れの中を二人で歩いていた。少しずつ空が黄金色に染まっていく様は、冬の寒さを僅かにだけど忘れさせてくれるような温かい色をしている。だからか、私達の間にあったちょっと暗い感じも照らしてくれたのかもしれなくて、段々と今まで通りの会話が戻っていった。あそこの人がああだったとか、どこかの店のお菓子が美味しそうだったとか、そういう感じに。
「ねえ早苗、さっきはごめんね」
ちょっとだけ会話が途切れた瞬間、不意に小傘さんがあの時の話を持ち出してきた。けれどもそれは、お店にいた時と違って明るげな面持ちだった。
「さっきはあんな事言ったけど、別に今に不満を持ってるって訳じゃないのよ。だって私の夢はみんなの役に立つ事だし、今はそれがちゃんと叶ってるから。ただ、ああいう未来もあったのかなって思っただけ」
「……はい」
やっぱり小傘さんは、自分の中でもう救いを見つけている。それは長い年月の中でようやく見つけたであろう答えだから、私なんかがどうこう言う必要はない。でも、本当はそれだけじゃ割り切れないものも沢山あるのだろう。実際あの時の事は、多分まだ心に残り続けてる筈だ。私としては、小傘さんの未練とかそういうわだかまりみたいな物を一緒に抱え込んであげたいのだけれど、それを小傘さん本人はきっと許さないのだろう。この人は優しいから、私の好意につけ込むような真似をしたくないとか、そんな事を思ってる。矛盾しているようだけど、だから私は、そんな彼女の人柄に惹かれたのだ。
「だからね、そんな心配しないでいいよ! それに、湿っぽくなっちゃったのは別に理由があるからだし……」
「へ? 別の理由?」
「あ、しまった」
突然小傘さんがそんな事を口走ったものだから、気になって一体何なのかを聞いてみた。でも、どういう訳か頑なに教えてくれようとしない。まあ、しまったなんて言ってしまうくらいだから秘密にしなきゃいけないんだろうけど、流石に目の前で言われたら気になる。雰囲気が明るくなったのもあるし、今ならちょっとしつこく聞いてやろうと思って、肩を掴んで体を揺さぶってやった。
「ねー教えてー」
「えー! やだやだ、秘密だって」
少しの間それを続けてたら、いつの間にかじゃれあいみたいになっていた。ちょっと面白くなってきたせいでお互いに笑いだすと、小傘さんの服の中から突然小箱のような物が落ちてきた。
私が不思議に思ってる間も小傘さんは小箱が落ちた事にまだ気付いていなそうだったから、先にそれを拾ってみる事にした。まじまじと眺めていたら、急に小傘さんがひどく驚いた後に焦りだして、でも何処かで冷静になったみたいで諦めたようにため息をついた。
「もしかして、小傘さんが言ってた秘密ってこれですか?」
「……バレちゃったか。わかった、もう教えてあげるからさ、一回返してもらってもいい?」
「まあ、そういうなら」
小傘さんは私から小箱を受け取ると、照れた様子で視線を泳がし始めた。まだ覚悟が決まってないみたいで、その様子が何ともいじらしい。とはいえ、あんまり焦らされるのも困るので、早く早くとこちらも視線で訴えると、小傘さんはようやくその小箱を開けてくれた。
「指輪……?」
中には指輪が入っていた。そう、まるで婚約指輪を渡す時のようなあんな感じ。
「マミゾウさんに聞いたんだ。外の世界では好きな人に指輪を贈るって。だから自分で作って、あのクリスマスとやらの贈り物にしようと思ったの。その、余裕持たせようと思って昨日完成してからずっと持ち歩いてたんだけど、ほんとに喜んでくれるか不安になっちゃって、しかも、クリスマスまで待つってなると……」
「えっと、それが理由?」
「うん。私、結構暗い気分引きずっちゃうタイプだし、お皿見てた時も自己嫌悪っぽくなっちゃって、だからあんな事言っちゃった」
「そっかあ」
何というか、ちょっと色々外の世界の文化を勘違いしている所があるけれど、それを本人に言ったら無粋だろう。好きな人に渡すってくらいの感覚だとバレンタインデーの方が近いし、なんか色々ごちゃごちゃになってるけど、よく分かってなさそうな所が可愛し、面白く思ってしまう。だって、クリスマスに婚約指輪って、いや待てよ、逆にクリスマスに婚約指輪のプレゼントとか最高じゃない? クリスマスプレゼントに結婚の約束って、ほら、やっぱりめちゃくちゃ嬉しいやつだよこれ。小傘さんは意味あんまり分かってなさそうだけどさ、別に良いじゃん。大事なのは私がその指輪の意味を知ってるって事だし、後でほとぼりが冷めたくらいに教えてあげればいいって。
なんて、そんな事を考えるくらいに舞い上がっていた。けど、小傘さんはそんな私に気付いていないみたいで、まだちょっと不安そうにしたまま、必死に言葉を紡ごうとしている。
「私さ、みんなの役に立つのが夢って言ったけど、でも一番大事なのは早苗なんだ。だから早苗にはあんまり負担とか感じて欲しくなくて、弱音とか出来るだけ吐かないようにしてるけど、けどさ、やっぱり早苗には甘えてたいし。だからその指輪は、これからも一緒にいて欲しいっていう、そういう気持ち。まだちょっとクリスマスには早いけど、えっと、う、受け取って欲しいです」
所々でつっかえたり、吃ったりして、それでも懸命に出てきた言葉だった。何というか、その、やっぱり面と向かって自分が一番だと言ってくれた事が何より嬉しかった。こうしてちゃんと二人で向き合ったのはいつ以来だろう。別に喧嘩とかは、しない事もなかったけれど、でも、こんなに真剣に自分の気持ちについて語ってくれたのは、同棲するって決めた時くらいかもしれない。
それにしても、もう付き合って三年以上だっていうのに、まだこんなにも健気なのが本当に可愛らしい。私の事を気遣ってくれながら、それでもやっぱり甘えたいって、ようやく言ってくれたなと思う。小傘さんは結構無茶するからさ、そうなる前に、ちゃんと頼って欲しくて、けどそうやって本心を言ってくれたから、私もようやく彼女に頼られてやろうって決心が決まった気がする。
私の返事が来るまで、小傘さんはずっと黙って私の目を見続けていた。私は、小傘さんが差し出していた小箱の中から指輪を手に取って、左手の薬指へとはめた。
「ありがとう。最高のプレゼントです」
指輪をつけ終えると満面の笑みで、そう言ってやった。
小傘さんはそれに安心したのか、長く息を吐いて、良かったと、一言だけ言った。その顔には先程まであった不安とかは全部消えていて、代わりにほんのちょっとだけ涙が浮かんでる気がした。
「あれー小傘さん泣いてる?」
「泣いてないって」
「こういうのは貰った方が泣くのが普通なんですけどねえ」
「だから泣いてないってば!」
二人でぎゃーぎゃー騒ぎながら、帰り道を歩いた。いつの間にか二人で手を握り合って。道中で、こんな嬉しい出来事に値するようなプレゼントを小傘さんに選ばなければいけないのかなと思ったけど、今はそんなこと考える時じゃないし、小傘さんなら真心こめて考えた物ならきっと喜んでくれるだろうなとも思った。
歩く最中空を見ると、夕日がもうすぐ沈んでいく所だった。その日最後の輝きは、安堵のお陰か、それとも私がからかったからか、何はともあれ、涙で潤んだ小傘さんの瞳を美しく照らしていた。加えて、貰った指輪も斜陽の光に当てられて、優しい色に染まっていた。だから私は笑顔の振りをして目を閉じる。それは夕日が眩しかったからでもあるし、同時に、貰ってしまった涙を誤魔化す為でもあった。
おしまい
こがさなかわいい
末永く幸せであってほしいです
物語的な面白さはさほどでもない一方で、こがさな好きが求めている物が詰まっており大変キャラ物としてよかったです。
中盤から終盤にかけてキャラ物以外の要素での盛り上がりもあったので、良い作品だったと思います。
付き合って三年なのにこの温度感、が最高にこがさなの温度だなあとなって良かったです。
有難う御座いました。ライトサイドはいいものですね。
お皿を選ぶ場面で小傘にあえて励ましの言葉をかけまいとする早苗の
心理描写がすごく好きです。