Coolier - 新生・東方創想話

柳の下で回れ

2022/10/26 10:59:13
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 人間の里が夜の帳に覆われてしばらく経った頃。

「はぁー……今日も全然ダメだったなぁ……うぅ、お腹が空いたよぉ」

 意気消沈ぎみの多々良小傘は小道具の詰まった大荷物を引き摺りながら、人気のまったくない裏路地をとぼとぼと歩いていた。
 妖怪にも色々いるが、唐傘お化けな彼女は人を襲って食べてしまうような危ない妖怪ではない。人を怖がらせてその感情を食べる比較的安全な妖怪だ。
 比較的と書いたのは、怖がらせるのがメインの妖怪の中にも手段を選ばずに人間を怖がらせようとする輩がいるからである。もっとも小傘の場合、誰かを怖がらせる才能がどうしようもないくらいに無いので、里の人間達の間ではすっかり無害な存在として認識されていた。
 今日も今日とて彼女はご飯を食べるべく夜の通りへ繰り出していたのだが、その結果はご覧の有様。物陰から飛び出るだけでは驚いてくれないし、古典的なこんにゃくを使った驚かし方もダメ。じゃあ別のアプローチで人を驚かせようとした色々と芸を磨いた結果、今や小傘は夜の名物パフォーマー扱い。怖がられるどころか面白がられる始末である。一体何がいけなかったのだろうと本人は嘆いているが、大道芸で驚かそうというその頓珍漢な発想自体が間違っている事にはいつ気付ける事か。
 結局今日の収穫と言えば、芸を見てくれた観客からのお捻りが少しだけ。驚いてはくれなかった為、肝心の腹はまるで脹れていない。そんな状況がここ数週間ずっと続いているので、人間より体がタフな妖怪とはいえそろそろひもじくて死んでしまいそうだ。
 取り敢えず今はこの飢えを少しでもごまかすため、貰ったお捻りと予め持っていた懐の銭で適当な酒と肴を買って友人の家へ遊びに行っている最中である。もう情けないし悔しいしで、酒に溺れなければやってられない。今日の小傘はちょっぴり荒んだ心模様だった。

 §

 人間の里の中心部から少し外れた所。長屋の立ち並ぶ住宅密集地のとりわけ奥まった迷路みたいな所の更に奥、家賃が極めて安い閑静な所に小傘の友人、赤蛮奇は居を構えている。
 どうせ里に住むのならもうちょっと利便性の高い所に住めば良いのにと小傘は思うが、赤蛮奇は隠れ家みたいなここがお気に入りのようだ。『あまり人付き合いしたくないから、こういう所が一番いいんだ』とは本人の弁。
 とは言え日銭を稼ぐためのバイトは茶屋での給仕だし、看板娘扱いされるくらいには人当たりも良いので、多分なんだかんだ人と関わりたいけど素直になれないから捻くれた言い訳をしているのだろう。赤蛮奇との付き合いはまだ短いが、そんな気がする。
 そんな事をつらつらと思いながら歩いていると、いつの間にか赤蛮奇の家に到着していた。今日は特に事前に連絡していた訳でもなく、小傘が慰めてもらいに押し掛けて来た形なので軽くノックして赤蛮奇の都合を伺う。

『誰だ、こんな夜更けに? 悪いが今ちょっと手が離せないんだ、後にしてくれ』
「そんなつれない事言わないでよ、蛮奇ちゃん。わちきだよ、わちき」
『あぁ、なんだ小傘か。夜も遅いってのに私の所来るなんて珍しいな。人間を驚かせに行かなくていいのか?』
「もう大失敗してきた後だよ……それでちょっと愚痴を言いにというか、不甲斐ないわちきを慰めてほしくてやって来たという訳でして」
『相変わらず驚かせるのが下手だな、お前は。人間なんてちょいと首を飛ばしてやれば驚いて腰を抜かすってのに』
「それは蛮奇ちゃんだからこそ出来る驚かし方だよ……とにもかくにも心がボロボロなわちきを慰めておくれよぅ。ちゃんとお酒とか肴とか買ってきたからぁ」
『分かった分かったよ。ったく、本当に世話の焼ける奴だな……』

 口ではぶつくさと文句を言いつつも、非常識な時間に訪ねてきた小傘を中に入れてくれる辺り赤蛮奇はかなりお人好しだろう。やっぱり素直じゃないなと思いつつ、小傘は中に入る。
 最近は妖怪としての本分はともかく、副業として始めた鍛治仕事が調子が良い。懐も大分暖かいので、今日は赤蛮奇が好きそうな高いお酒を買ってきたのだ。おいそれと手が出る値ではなかったし、きっと大いに喜んでくれるはず。
 そんな能天気な所のある小傘は、しかし、家の中に足を一歩踏み入れた所でピタリと動きを止めた。

「ほら、上がるなら上がりなよ。ちょっと散らかってるけど、そこはまぁ気にしないでくれると助かる」

 結構家ではずぼらな性分なのか、よく言えば生活感のある、悪く言えば雑多な印象を受けるごちゃっとした部屋の中ではあちこちに生首が転がり、赤蛮奇自身も生首を抱えて小傘の方を見ている。
 別にそれは特段おかしな事ではない。赤蛮奇は九つの頭を持つ飛頭蛮という妖怪であり、こうして暇な時に使っていないそれぞれの頭の手入れをしてやる事はしょっちゅうあるからだ。以前小傘が遊びに来た時も普通にやっていた。

「……? おーい、どうした? 玄関でそんなに固まって。夜風が寒くなってきたんだから、早く入ってくれ」

 だが、今赤蛮奇が抱えている生首は一体何だ?
 不思議な髪飾りを着けた長いおさげを持つその頭は。
 特徴的な紅白のリボンが似合うその黒髪の少女は。
 あの、博麗霊夢の、首ではないのか。

 先も言ったように小傘は人を驚かすだけの無害な妖怪だ。
 本人の才能の無さもさる事ながら、元々が人に使われる為に作られた道具だったという事もあり、人間に害を成そうだなんて考えた事は一度も無い。
 そして赤蛮奇も自分と似たような妖怪だと、小傘は今まで思っていた。
 理由はどうあれ人に危害を加える事無く、驚かすことで恐怖を与え、その感情で存在を維持するタイプの妖怪。人を殺すなんてまかり間違っても決してしない、比較的安全で友好的なタイプの妖怪だと。
 ところが今目の前に佇む赤蛮奇はどうだ。
 彼女はなんでもないような顔で手元の生首を弄り回しているではないか。あの妖怪退治の権威、幻想郷の調停者、泣く妖怪さえ調伏する恐ろしき博麗霊夢の首を!
 果たしてどのようにして霊夢の首を討ち取ったのだろう? もしかして今まで実力を隠していただけで、赤蛮奇は実はとんでもなく恐ろしい妖怪だったのではないか?
 その辺りの真偽はどうあれ、今の小傘にとっては赤蛮奇がよく見知った人の首を抱えているという事実だけが重くのしかかる。

「なぁ、大丈夫か? 凄く具合悪そうだぞ。体調が悪いってんならそこで少し横になるといい」

 尋常ならざる様子の小傘を心配して赤蛮奇はそう声をかける。
 しかし、混乱の極みに陥った小傘にその声が届く事はなかった。代わりに彼女は周囲を見て気付かない方が良かった事に気付いてしまい、更に顔を青ざめさせる。
 赤蛮奇が抱える霊夢の生首。それだけでも充分に小傘の理性を破壊するに足る衝撃だったが、それ一つだけではなかったのだ。
 部屋のそこかしこに転がっている首、そのどれもが赤蛮鬼のものではない。
 布団の上には白黒魔法使いの首が。
 机の下には人形師の首が。
 囲炉裏の傍には半獣教師の首が。
 衣装箪笥の近くには御阿礼の子に貸本屋の娘の首もある。
 更には、あぁ、何たる事か! 部屋の奥の方には赤蛮奇の良き友人であったはずの、人魚と狼女の首まであるではないか!
 小傘はガタガタと体を震わせ、両目に涙を浮かべながら赤蛮奇の方を見やる。
 これを、これを全て赤蛮奇が殺ったというのか。
 里で全く話題になっていない事から、恐らく今日一日でこれらを、全て。
 もはや小傘は恐怖のあまり声も出ない。思考も上手くまとまらず、その場でただ震える事しか出来なくなってしまった。
 ついさっきまでは友人だと思っていたのに、今ではただひたすら赤蛮奇の事が恐ろしい。

「……お前、本当に大丈夫なのか? さっきから挙動が病人のそれだぞ。熱でもあるんじゃないのか。どれ、ちょっと見せてみろ」

 流石に見ていられなくなった赤蛮奇が、小傘の熱を測ろうと手を彼女の額に伸ばそうとする。
 それが恐怖に支配された小傘には『今からお前の首も私のコレクションに加えてやる』という感じにしか見えなくて。
 恐ろしいやら悲しいやらでもう思考はいっぱいいっぱいで、訳が分からなくなってしまい──

「…………きゅう」
「こ、小傘!? いきなり気を失ってどうした!? おい、しっかりしろ小傘、小傘ーっ!」

 極限まで高まったストレスのせいか、小傘は意識を手放した。

 §

 目が覚めた時、小傘がいの一番に行った事は自分の首が今も繋がっているかどうかだった。
 無理も無い。凄まじい恐怖体験のせいで、夢の中でもヘッドハンターと化した赤蛮奇に追われ続けていたのだ。自分の首がまだあるのか確認するのはむしろ当然の流れだった。
 ぺたぺたと何度も執拗に、念入りに首を触る。杞憂だったようでちゃんと繋がっている。継ぎ目も縫い目らしきものもない。

「あぁ、よかったぁ……わちき生きてる……」
「そりゃそうだろ、何言ってんだお前。急にやってきたかと思えば急にぶっ倒れてさ。人騒がせな奴だ、まったく」
「ひゅっ」

 横から聞こえてきた赤蛮奇の声に再度フリーズしてしまう小傘。ぶり返してきた恐怖のせいで息が出来なくなり、油の切れたロボットの様なぎこちない動きで横を向く。

「おい、なんだよ。看病してやったのに、そんな死人を見るような目で見てくれちゃってさ」

 そこには気を失う前に見た姿と寸分変わらぬ赤蛮奇が座っていた。霊夢の生首を抱えたままで、後ろには幾人もの生首がごろごろ転がっている。
 あぁ、あの光景が全て夢だったならばどんなに良かった事か。夢ではなく現実だったと気付いてしまった小傘の精神はいとも容易く崩壊した。

「ひっ……」
「ひ?」
「人殺しーーー!」
「はぁ!?」
「誰か助けてっ、このままじゃわちき殺されるーーー!」
「ちょっ、お前いきなり何言ってんだ!? つーか声デカいよ、抑えろバカ!」
「むーーー! むぅぅぅーーー!」

 小傘は大声で叫び、周りの人へ助けを求める。自分は助からないかもしれないが、近くにいる人は危険に気付いて逃げられるかもしれない。そう考えての咄嗟の行動だった。
 しかし、赤蛮奇も黙って見ている訳ではない。即座に小傘の口を塞いで叫び声を封じる。妖怪としての力は赤蛮奇の方が上なので、どれだけ藻掻いても逃げられそうにない。
 もはや打つ手無し。万事休す。小傘の命運はここで尽きた。
 だが、このままやられっぱなしでは終われない。せめて一矢くらいは報いてやると、小傘は死に物狂いで身をよじり抵抗を試みる。

「ふむっ、んぐーっ!」
「くそ、暴れるな! ご近所さんに迷惑だろ……っ! 酷い勘違いをされてるようだがよく見ろ、こいつは私だぞ!」

 赤蛮奇は小傘の頭を無理やり押さえ付け、目の前に霊夢の生首をずいと突きつけた。

「…………ッ! ………………?」

 誰がそんなグロテスクな物を見るものかと反射的に目を逸らす小傘だったが、それでもちらりと横目で見てみるとどうも何かがおかしい。霊夢の首にしては、妙に記憶の中の姿と齟齬がある気がする。

「おいお前ら。面白がって黙ってないで、そろそろお前らの口から説明してやってくれよ。小傘がマジで怖がってんじゃないかよ……」

 未だ恐怖冷めやらぬ混乱の渦中にいる小傘を前に、赤蛮奇が途方に暮れたように力無く呟いた。
 その途端である。小傘を見詰めていた霊夢の瞳に突然生気が戻ったかと思うと、ケラケラと笑い出したのだ。続いて魔理沙の首が、アリスの首が、部屋に転がっていた生首のことごとくが笑い声をあげる。

「あっはっはっは! こりゃあ傑作だね!」
「小傘の怯えた顔見たか? お前ら」
「見た見た。顔中しわくちゃにしちゃって、末代までの語り草だねありゃ」
「あそこまで怖がってくれりゃ、飛頭蛮冥利に尽きるってもんだわ」
「小傘は妖怪だから怖がってもらってもお腹は膨れないけどね」
「小動物みたいに震えてて可愛かったねー」

「……え? え? どういう事?」

 理解が追い付かずに小傘は疑問符を浮かべる。何故自分よく知る人達の生首が、赤蛮奇の声で喋っているのだろう。

「だから面白がるなって。ウィッグ着けたままだから誤解されてるんだろうが。いい加減それを外してくれよ」

 赤蛮奇はやや苛立たしげに手元の生首からウィッグを剥ぎ取った。艶やかな黒髪の下から蛮奇ヘッドの赤髪が現れる。
 他の生首達もウィッグを振り落とし、手拭いに顔を擦り付けて化粧を落とすと、そこにはいつもの見慣れた蛮鬼ヘッド達がいた。皆一様に意地の悪い笑顔で小傘を見詰めている。

「えーと……あれ、もしかしてただのコスプレ?」
「当たり前だろ。他に何だって言うんだ」
「いやその、てっきりわちきは蛮鬼ちゃんが首狩り猟奇殺人鬼になったものかと」
「阿呆か」

 呆れ声と共に、赤蛮奇に頭を軽く叩かれる小傘。
 だが、これは仕方ないと思うのだ。パッと見だとあまりにも本人達にそっくりだったのである。これで勘違いするなと言う方が難しい。
 その事を伝えると、赤蛮奇は気を良くしたのか少し照れだした。

「そ、そうか? そこまでよく似てたか? 趣味でやってただけだからそこまで自信は無かったんだが、そう褒められると嬉しいな」
「うん、本物そっくりだったよ。凄いね、蛮鬼ちゃんにこんな特技があったなんて」
「ふふん、まぁな。小傘には言ってなかったけど、実は結構前からずっと趣味でコスプレしてるんだよ」
「もしかして蛮鬼ちゃんが人里で働いてるのもコスプレの為?」
「コスプレだけの為って訳じゃないけどな。小物とかウィッグって結構金が掛かるんだ。化粧品とか衣装も揃えないといけないしね」
「はぇー、大変なんだねぇ」
「別に仕事は楽しいから苦にはなってないよ。ただ、もっとコスプレのバリエーションは広げたいし、シフトもう少し増やさないとなぁ」

 ちなみに小傘の生首も作れるよ、と赤蛮奇はヘッドの一つに青いウィッグを被せて、片目にカラーコンタクトをはめ込んだ。

「うらめしやぁ〜」

 ベロを出して小傘の決め台詞を言いながら、彼女の周りをふよふよと飛ぶ小傘ヘッド。
 特に化粧もしていないので本人の顔と比べると若干の差異が目立つが、それでもすぐには偽物だと見抜けない程の完成度である。小傘自身もまるで鏡を見ているかのようだ。

「いやー、本当に凄いなぁ。こんなに他の人そっくりの生首を作れちゃうなんて……」

 赤蛮奇のコスプレに感心しきりだった小傘の脳内にふと、天啓が舞い降りた。普段の彼女なら成し得ない発想のそれは、悪魔の囁きと言った方が正しいかもしれないが。

「ねぇ蛮鬼ちゃん! ちょっと頭一つ貸して! わちき、すっごく良い事思い付いちゃった!」

 §

 数日後の事である。
 草木も眠る丑三つ時、人気の無い川沿いの通りを一人の男が覚束無い足取りで歩いていた。
 見ればわかるように居酒屋帰りのこの男は大層酔っ払っていた。火照った体に夜風が心地よく、非常に良い気分である。本当はもうそろそろ帰らなければいけないが、もう一軒くらいは梯子してもいいかもしれない。
 そんな事を考えながらふらふら歩いていると、月に照らされた柳の下で何者かが怪しげな動きをしているのが視界に入った。何かをひたすらくるくると回している様子である。
 最初は不審な奴がいるなと遠巻きに見ていた男だったが、そう言えば最近夜になるとここら辺で全然怖くない唐傘妖怪がよく出るのだという噂を思い出した。
 聞いた噂ではその唐傘妖怪は驚かすのが致命的に下手糞らしい。あんまりにも驚かすのが下手で様々なアプローチのことごとくを失敗し、ここの所は大道芸のパフォーマンスで人を驚かせようと大分頓珍漢な事をしているとかなんとか。

「へへっ。妖怪ってのは怖い奴ばっかだと思ってたが、随分可愛らしい奴もいるもんじゃねぇか。どれ、ちょっくら冷やかしにでも行ってやるかな」

 他の妖怪ならいざ知らず、この唐傘妖怪相手ならば恐るる事はあるまい。男は酒に浮かされた頭でそう考え、無警戒に人影へ近付く。
 近付くにつれ、酒精でぼやけた視界にも人影が何をしているのか段々と鮮明に写り始めた。どうやら今夜は傘回しをしているようである。唐傘妖怪らしい特技だ。
 しばらく黙って眺めていた男だったが、なるほど、芸達者で人を驚かそうとするだけあってかなり上手い。噂になるだけの事はある。人の頭程もある球をこうも易々と落とさずに回せるとは。

「いやぁ、こりゃ大したもんだ。いいもんが見れたぜ」

 少女の見事な腕前に男は思わず口笛を吹き、拍手を送る。
 すると静寂の中に響いたその音に驚いたのか、傘がビクッと震えて球が落ちてしまった。球は地面を数回跳ねてころころと転がり、男の足にぶつかって止まった。

「おっとすまねぇ。驚かせちまったか。いや、あんたの芸が良かったもんでつい、な。邪魔するつもりはなかったんだ」

 男は弁明しつつ、しゃがんで足元の球を拾う。しかし、手が触れた瞬間に伝わってきたニチャリとした不快な感覚に思わず動きが止まった。
 はて、やけにぬめぬめしているが、雨も降っていないのに何故こんなにも濡れているのだろう。しかもこの感触、ただ濡れているわけではなさそうだ。
 それにこの球、見た目よりも意外と重い。傘回しに使っていたから軽い物だと思っていたのに、かなりずっしりとしている。
 これは一体何だ? この唐傘妖怪は、何を傘回ししていたんだ?
 とても嫌な予感がする。酔いが急速に冷めていく。思考と本能の両方が今すぐここを離れろと告げていた。
 しかし、大の男としての度胸故か、或いは怖いもの見たさの好奇心か。男は軽く震えながらもゆっくりと手に持つ球らしき物を覗き見る。

 ――そこには血に塗れ、一筋の涙を流しながら虚ろな瞳で男を見上げる女の頭があった。よく見れば顔は、男もよく利用する貸本屋の娘の顔によく似ている気がする。

「ひぃっ……」

 男は思わず息を呑んだ。本当は大声をあげるつもりだったが、声が思うように出てこない。
 何だ? 一体何が起きている? どうして貸本屋の娘が、こんな所で頭だけになっているのだ? 昼見た時はいつものように明るい笑顔を振りまいていたのに。

「球、拾ってくれてありがとね」
「うわぁっ!?」

 理解し難い光景を前に固まっていた男は、いつの間にか近くに寄ってきていた少女の囁きに酷く驚いた。思わず生首を放り捨ててしまうものの、どうにか腰を抜かさずに距離を取る。
 少女は放り捨てられた頭を器用に傘で受け止めると、またくるくると回し始めた。仄かな月灯りの下、乾ききっていない血が傘と少女の周りを赤く染める。

「最近ね、芸をやっても褒めてくれる人も驚いてくれる人もいなかったから、お兄さんが驚いてくれて嬉しいな。うん、とっても嬉しい」

 くるくると。
 クルクルと。
 狂狂と。
 微笑みながら傘を回す少女の姿に、恐怖のあまり男は体が竦んで動けない。
 聞いてた噂と全然違うじゃないか。無害? 可愛らしい? これのどこが!?

「お兄さんの事、気に入ったな。良ければ私と一緒に芸をやらない? 大丈夫、この娘と一緒に大事に使ってあげるから」

 唐傘少女は不気味な笑顔を浮かべてジリジリと男の方へ近付いてくる。血濡れた傘を、哀れな娘の生首を回しながら。
 使うだって? 自分を? 一体何に?
 そんなの決まってる。あの傘で回すのだ。あの貸本屋の娘と同じように、自分の首も――

「ねぇ、どうかな?」

 誑かすように囁いて、少女が男の首へ片手を伸ばす。
 そのまま掴んで捩じ切る気なのだろうか。少女の細腕では無理なように見えるが、妖怪の膂力をもってすれば不可能では無い。

「ま、待て! 俺を殺していいのか!? 里の中で人を殺したとあっちゃ、巫女様が黙っちゃいな……」

 男は慌てて命乞いするも、ある事に気付き言葉は途中で止まってしまう。
 確かに自分が死ねば博麗の巫女も動き出すだろう。幻想郷のルールを破った罰として確実に調伏されるはずだ。
 しかし、この妖怪はとうにそんな事は覚悟の上で襲ってきているに違いない。だって、既に貸本屋の娘がそこに転がっているのだから、今更巫女の事を恐れようはずがなかった。
 つまりこの状況、もはや自分は助からないのでは――

「じゃあ、これからよろしくね?」

 絶望に沈む男の首に、両目に狂気の光を宿した少女が手をかける。

「あぁ……ああぁあぁぁっ!」

 少女の指が触れた瞬間、遂に男の精神が決壊した。ありったけの力で少女を突き飛ばし、言葉にもならない悲鳴をあげながら文字通り転がるように逃げる。あちこちに切り傷や擦り傷が出来るが、なりふり構ってはいられない。痛みも無視してただひたすら駆ける。
 やがて男の姿は闇の中へと消えていった。しばらく男のものとは思えない金切り声が聞こえていたが、それも程なくして聞こえなくなった。柳の下には唐傘妖怪と少女の生首だけが残される。
 しかし、男は気づかなかったが彼の予想に反して唐傘妖怪は男を追いかけようとはしなかった。その場に留まって男の姿が見えなくなるまで見送った後、唐傘と少女の生首を拾い上げて実に嬉しそうに笑い声をあげる。

「あーっはっは! やったやった、大成功! 今までにない会心の出来の驚かしだわ! 蛮鬼ちゃんも死に顔の演技ナイスだったよ!」
「そりゃどうも。しかしまぁ、趣味のコスプレでもやりようによっては案外役に立つもんだねぇ」

 唐傘妖怪に言葉を返すと同時に、生首の目に生気が戻る。それどころかその手を離れて、ふよふよと宙に浮き始めた。
 勿論言うまでもなく、この唐傘妖怪と生首の正体は小傘と小鈴に扮した蛮鬼ヘッドである。先日小傘が思い付いた名案とやらを実行してみた結果、見事に成功を収めたので二人してキャッキャッと喜びを露わにしていた。

「最近はあんまりにも驚かすのに失敗して、大道芸で皆の度肝を抜いてやろうとかかなり迷走してたけど、それも全部この日の為にあったのね! わちきって天才!」
「いや、それはちょっと違うだろう……それにしても今回のこれは随分と小傘らしからぬ発想だね。他人の生首を私に真似させて、それで怖い妖怪を演出しようだなんて。こりゃ明日は槍でも降るかな?」
「なによう、わちきだって人を驚かせる為の方法をずっと考えてるんだから。まぁ、確かに今回のはちょっとやりすぎな気もしなくもないけど」

 流石に闇夜の中で血(糊)に塗れた生首(コスプレした蛮鬼ヘッド)で大道芸をする不気味な少女と遭遇してしまっては、心に大きな傷を残しそうである。あの男には大分悪い事をしたかもしれない。
 だが、それが気にもならないくらいに今の小傘は満腹感と充足感に満ちていた。こんなに晴れ晴れとした気分なのはいつ以来だろうか。今の自分は過去最高に妖怪らしい生き方を出来ている気がする。

「でも大丈夫かな。あの人めちゃくちゃ驚いて逃げてったけど、これ明日になったら騒ぎになるんじゃないの? 下手したら巫女にしばかれない?」
「多分大丈夫だよ。実際に誰か殺した訳じゃないし。あの人が何を言った所で小鈴ちゃんはちゃんと生きてるんだから、酔っ払いの戯言って事で片付けられるよ」
「楽観視し過ぎな気がするけどなぁ……」
「それで蛮鬼ちゃん、次はいつやろっか。今度は誰の頭で驚かす?」
「え、まだやんのこれ」

 小傘の提案に赤蛮奇は嫌そうな表情を見せる。
 小傘は傘を回すだけだからまだいいが、赤蛮奇は血糊塗れになった上にごろごろ転がされなければならない。気持ち悪いし目も回るしで、あまり二回目はやりたくなかった。

「だってこんなに良質な驚きの感情を大量に得られるんだもん。こんな効率的な食事方法、一回で終わらせるには勿体ないよ! ほら、蛮鬼ちゃんだってかなり力がみなぎってるんじゃない?」
「まぁ、それはそうなんだけど」
「こんなに驚いたって事は、きっとあの人はトラウマになったに違いないよ。頭を見る度うなされよ! ってね」
「止めて、人の黒歴史掘り返すのマジで止めて」
「それじゃ次は取り敢えず早苗さんの首でやってみよう! 現人神が死んだってなったらきっと皆たまげるぞ〜」
「私はまだやるって言ってないんだがな……」

 とは言え、確かにここ最近の中では一番調子がいい。逆様異変の時程ではないものの、全身に力がみなぎり今なら何でも出来てしまいそうな全能感に溢れている。
 赤蛮奇は大きな溜息を吐いた。お調子者な小傘の事だ。断ったらまた一人で勝手に明後日の方向へ暴走していくのが目に見える。
 ならば彼女の気が済むまで、或いは巫女にバレてしばかれるまでは付き合ってあげた方がいいだろう。遅かれ早かれ退治されてしまうだろうが、それまでは小傘の言う通り効率良く食事出来るのだからそこまで悪い話でもない。

「分かったよ、やろうじゃないか。乗り掛かった舟だ。こうなりゃとことん付き合ってやる」
「さっすが蛮奇ちゃん! じゃあこれからしばらくは一週間おきにここで集合ね! よーし、次もたっぷり驚かせてやるぞー!」
「まったく、こっちの気も知らないで、能天気な奴め……」

 §

 それからしばらくの間、人間の里では夜中に生首を使って猟奇的な大道芸をする恐ろしげな妖怪の噂でもちきりになった。
 しかも使われている生首が貸本屋の娘に始まり、現人神だったり御阿礼の子だったりと有名人ばかりである。やれ誰それが死んだだの死んでないだので里は大混乱に陥り、噂は更なる話題性を呼んで瞬く間に幻想郷中に広まっていった。
 その噂を遅れながらも聞きつけ、異変と断じた霊夢によって小傘と赤蛮奇がボッコボコにしばかれるのは、まだもう少し先のお話。
 
傘回ししてたら小傘ちゃんも唐傘が本体なんだし目が回るんじゃないかと思いましたが、剛欲異聞でぐるぐる回してたから多分鍛えられてるんでしょう。そう言う事でお願いします。
已己巳己
https://twitter.com/ikomiki8
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コメント



0.100簡易評価
1.100東ノ目削除
調子に乗ってる小傘が可愛い。面白かったです
2.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
3.90福哭傀のクロ削除
生首で傘回しは面白いアイデアと思いました。
ただこれ別にコスプレしなくても普通に生首回してるだけで怖いのではとは少し。
起承転結の構成がドラ〇もんのようでわかりやすかったです。
読みやすく楽しめました。
4.100名前が無い程度の能力削除
なんだかんだ面倒見がいい赤ちゃんが可愛い。
5.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです。奮闘する小傘ちゃんと、結構ノリノリで付き合っている蛮奇が可愛らしかったです。生首で大道芸、絵になりますね。
6.100のくた削除
赤蛮奇単独でもかなりイケるのではと思ったり
7.100名前が無い程度の能力削除
前半と後半で二度楽しめる構成が面白かったです!
9.100夏後冬前削除
発想も描写も非常に良くメチャクチャ楽しめました。思わず唸らされましたよ僕は。
10.100南条削除
面白かったです
小傘の創意工夫むさることながらコスプレ蛮奇がだいぶ気になりました
レパートリー多そう
11.90名前が無い程度の能力削除
スタンダートながらながらも面白い小傘ちゃんでした
有難う御座いました
12.100きぬたあげまき削除
小傘の調子に乗っている感じは勿論可愛らしいのですが、赤蛮奇のお人好しな感じと言うか、人間臭さが描写されていてそれがまた好きです。妖怪にも関わらず、ご近所さんに迷惑だろ、と言ってしまう辺りが。