ここは人里。それも結界の外にある、正真正銘の人が作る里。
某県山間部の、大きな山系と盆地のちょうど境目にある村の路地。
とある日の昼下がり、そんな閑散とした道をひとりの女の子が歩いている。
彼女の名前は戎瓔花。キョロキョロしながら歩く姿は幼児そのものだけど、実はすごい神様だったりする。
え?そんな神様がどうしてこんな場所にいるのかって?それはね――
「おーい、時間だよー」
返事はない。
「もう帰る時間だよー」
やっぱり返事はない。
「みんな?来る前に約束したよね。出ておいで~」
少し声音を変えてみても、やっぱり返事はない。
それでも心は乱れない。なぜなら、わかりきっていたことだから。なにせ去年もおととしもその前も、ずっと毎年こうなんだもん。
だけど安心してほしい。私はすでに手を打ってあるのだ。
たとえば、そこの家を見てほしい。身を寄せ合うようにして立つ木造平屋のお家と、リフォームしたらしき2階建てのお家。木造平屋のお家の軒先に、ツバメを象った木像が吊るされているのがわかるだろうか。よく見れば、あっちのお家にも、朽ち果てたようなお家にも、笑い声が聞こえてくるあのお家にも吊るされている。ためしに村はずれの家の前で、もう一度名前を呼んでみると?
「あ、いたいた。返事してよー」
このようにして、軒下から男の子が出てくるのだ。もちろん、男の子だけではない。
朽ち果てたようなお家からは、女の子が。賑やかなお家からは、3人の子どもが出てきてくれる。
「はーいみんな私についてくるんだよー」
後ろを振り向き声をかけると、みんなはこくりと頷いた。……やっぱり返事が欲しいよね。
さて、そんなこんなで村を歩き回ること数時間。気付けば、私の後ろを子どもたちが列をなして歩いている。ざっと13人ほど、もうみんな揃ったかな?
でも、ここで置いて帰ると後が怖い。念のためまだ声をかけていないお家にも呼び掛けてみる。まがりなりにもリーダーなのだから。
「おーい、時間だよー」
やはり、返事はない。まだまだもう一度。
「おーい、時間だよーー」
やっぱり、もう居ない気がする。でも、三度目の正直でしょう?
「おーい、時間だよー!」
二度あることは三度ある。どうやら今年はみんなと合流できたらしい。みんなもだんだん飽きている。これは、もう潮時だな。
ふと、縁側に置かれたスイカが目に入る。瑞々しい赤と、ほのかに漂う瓜特有の香り。
「おーい、もうお家に帰る時間だよー」
気が付けば、また呼びかけていた。あわよくばスイカを貰おうだなんて、決して考えてはいない。
その欲が功を奏したのだろう。門扉の中から男の子が現れた。
「あ、ようやく出てきた。もう遅いってばー」
(よかったーーーーーあのまま帰らないで本当によかったーーーーーーーー)
心の底から安堵しつつ、現れた男の子をじっくりと観察してみる。
でも、男の子は、私の姿を見るなりポカンとした顔をして動かなくなってしまった。
「ちょっと、聞いてるの?次のお家にいくよ」
もしかしたら、やっぱり忘れている子がいるかもしれない。この子も連れて、はやく向かわなければ。でも、次の一言で私は事の重大さを思い知ることになる。
「あの、どこに行くんですか?」
男の子は、自分の居場所を忘れてしまっていた。さらによく見ると、男の子は蓮の葉っぱを被っていない。
「そういえばあなた、蓮の葉っぱはどうしたの?」
蓮の葉っぱは、いわば胞衣の代わりである。この子たちの一番の欲求は、「母親の元へ戻りたい」ただそれだけである。そんな母親と自身を繋いでいた胞衣は、つまり希望そのものだ。かつて、子どもたちに伝えた言葉を思い出す。
『外の世界に行くときは、これを被っていくんだよ。そうしたら、またお母さんと一緒になれるかもしれないね』
永久に続く石積。もしかしたら、それらから脱却できるかもしれない。そうした希望を持たせることで、単純作業に意味を与えた。それ以来、より一層子どもたちは石積に励んでいる。
それを失くすということは、即ち石積を受け入れたことになってしまう。リーダーとして、それを容認することは絶対にできない。
「蓮の葉っぱ、ですか。持っていませんが…もしかして、何かルールがあったんですか!?」」
でも、そんな不安を男の子は吹き飛ばしてくれた。
よく、いるのだ。家族の下へ戻り、あまりの居心地の良さに自分の在り方を忘れてしまった結果、文字通り何もかもを忘れてしまう子どもが。こうした子どもは、今後も現れ続けるだろう。
だから私は、こういったアクシデントへの対応も慣れっこなのだ。
「そっかそっか…そうだよね。楽しかったんだもんね。それは仕方ないよ」
まず初めに、子どもたちの気持ちに寄り添う言葉を告げる。できるだけ優しく柔和な笑顔で。
「あのね、君。わたし面白い場所を知っているんだけど、一緒に行かない?」
次に、抽象的でもいいので楽しい場所があると告げ、誘い出す。自己の在り方を忘れてしまったとしても、その根幹にある魂は変わらない。そこに直接語りかけるのだ。
「大丈夫。全然怖くないし、お友達もたくさんいるよ。ここよりも、もーっと楽しい場所だよ」
この子に限らず、子どもたちは概して孤独であることが多い。寂しさを埋めることができると告げれば、大抵の子はすぐについてくる。ほら、この子の瞳に期待が満ちてきた。
「遠足もあるし、運動会もある。他にもいろんなレクリエーションがあるんだから」
最後に、魅力を具体的に伝える。これは本当に誇れることなんだけど。
すると、子どもたちはすっかり乗り気になって、私についてきてくれるのだ。
ここまでくればあとは簡単。みんなで帰るだけだ。
「あ、あの!ぼく夜になったら家から出ちゃいけないって言われているんです」
「お姉さんの言う楽しい場所って、暗くなる前に帰ってこれますか?」
ほら、ね!?私だって伊達にリーダーやってないのよ!たまに失敗もしちゃうけど、これが真の実力よ!
「もちろん!すぐそこにあるからね!ほら、じゃあ行こうか!」
本物の笑みを浮かべながら、男の子の手を握る。もう、絶対に置いてなんて行かないんだから。
得意げな顔を浮かべ、みんなのもとへ戻ろうとしたその時
「渡!どこに行くんだ!!」
どこか遠くの場所から、誰かの大声が聞こえた。子どもたちに何かあったのだろうか。と、男の子が足を止めている。どうしたんだろう?
(あ、蓮の葉っぱだ)
きっと男の子も思い出してきたのだろう。有るべきものが無いことに気が付いて怖くなっているのだ。
「あ、これを渡していなかったね。はい」
これで男の子も安心してくれるはず。はやくみんなと合わせてあげたいな。
「これ、どうすればいいの?瓔花ちゃんのこと、おじいちゃんに紹介したい」
でも、男の子は肝心なところを忘れたままだった。まったく、そういうところがかわいいんだから。
「それを傘みたいに頭にかぶるんだよ。そうしないと楽しい場所に行けないからね」
少し考え込んだあと、男の子は葉っぱを持ち上げ始める。そうそうその調子。
「そう。そうすれば楽しい場所に行けるよ。君も私たちの仲間入り」
蓮の葉を頭上に翳して、私を見つめる男の子。そうだね、それでいいんだよ。
「渡!!聞いているのか渡!」
男の子が、ものすごい勢いで私から引き剥がされる。物理的にも、霊的にも。
気が付くと、目の前に壮年の男性が立っていた。壮年の男性は、男の子に何事かをまくし立てている。壮年の男性に見覚えがあるのは、どうしてだろう。
(あ)
脳裏によみがえる、何年か前の記憶。同じようなことが前にもあった!
(この子、生きてる子だ)
やってしまった。また、やってしまった。ここ最近は間違えなかったのに、また間違えてしまった。頭の中が、自責の念で覆いつくされる。
「う……だ…って…い…」
男の子がこちらを向いている。でも、その声はうまく聞き取れない。これが普通なのだから。
私は彼岸の存在だ。本来なら、此岸の人達とはコミュニケーションを取ることはできない。でも、毎年お盆の時期だけは、姿を見られることがたまにある。しかしそれは、あってはならない事象だ。
「あの、ごめんなさい。私、気が付かなくて」
見る限り、男の子は事態を呑み込めていない。だからもう一人の男の人に謝った。
「家に帰るぞ」
でもやっぱり、男の人は返事をしてくれない。それでも私は頭を下げ続けた。
引きずられて行く男の子と目が合わないように、地面を見つめ続けた。
子どもたちを川まで引き連れて行く最中、私の気分はずっと沈んでいた。
でも、それもこれでおしまい。最後の時くらい、笑顔でいないと!
「みんな、いるよね?今から舟に乗るよ!」
川には、白樺で作られた舟の模型が浮かんでいる。それを指さしながら、子どもたちに告げた。
「みんなはこの舟に乗るんだよ。葦舟は私専用だから乗っちゃダメだからね!」
いうや否や、子どもたちはゾロゾロと舟に乗り始める。この舟は、毎年人間が用意してくれるものだ。もちろん私たちの数を知らないから、乗り切れない子も出てきてしまう。だから、あの子たちみたいに一つの舟に複数の子どもが乗ることもある。でも、みんな無事に乗れたみたい。
「みんな、お父さんやお母さんには会えたかな?」
子どもたちを振り返りつつ、問いかける。頷く子、首を振る子、反応をしない子、三者三様のリアクションだ。それでも、ひとつだけみんなの様子からわかることがある。
「よかったね!それじゃあ、寂しいだろうけどお家に帰ろうか。来年の夏休みが楽しみだね」
戎瓔花は、賽の河原で石を積んでいる水子たちのリーダーだ。そんな彼女は単調な石積を続けるために、様々なイベントを発案しては主催している。
今回の夏休み、つまりお盆に合わせて休暇を取るのも、いつかの昔に彼女の発案から生まれたイベントのひとつだ。
本来、賽の河原の水子たちはそこから出ることはできない。しかしそこは幻想郷。しかし、大人ばかりずるいと思った瓔花は、ためしに船頭の死神に訴えてみたのだ。
『水子たちにも休みを上げたい』と。
すると、なぜか許可が下りて、賽の河原にも夏休みが訪れるようになった。
現在、賽の河原に住まう水子の間では、この夏休みはいわば年間行事のひとつとなっている。
「河原に向けてしゅっぱーつ」
瓔花の号令に合わせて、舟が動き出す。川の流れに逆らって、上へ上へと、上流へ上流へと、舟が進んでいく。
目指すは山の上。異なる世界、聖なる世界。神々の住まう幻想郷に向けて、水子たちは遡上していく。
川の両岸も、徐々に姿を変えて行く。舗装されていた川べりは徐々に土へと変わっていき、ゴツゴツとした大岩が増えていく。
植生にも変化が現れる。雑草が草原に変わり、草の茎が木の幹になり、木々が集まり森となる。
やがて、視界に霧が立ち込め始めた。その霧に触れたとき、瓔花は毎回心が安堵する。
(今回も無事に帰ってこれてよかったな)
立ち込めていた霧が晴れたとき、そこにはいつもの河原が広がっていた。
既に子どもたちは舟から下りて、自分の石積へと駆けだしている。
「はーい、みんなおつかれさまー!」「どうだった?たのしかった?」
瓔花の問いかけに、子どもたちが答えることはない。
ただひたすらに、一心に石を積んでいる。
しかし、石積にいそしむその姿は、いつも以上にはつらつとしていた。
某県山間部の、大きな山系と盆地のちょうど境目にある村の路地。
とある日の昼下がり、そんな閑散とした道をひとりの女の子が歩いている。
彼女の名前は戎瓔花。キョロキョロしながら歩く姿は幼児そのものだけど、実はすごい神様だったりする。
え?そんな神様がどうしてこんな場所にいるのかって?それはね――
「おーい、時間だよー」
返事はない。
「もう帰る時間だよー」
やっぱり返事はない。
「みんな?来る前に約束したよね。出ておいで~」
少し声音を変えてみても、やっぱり返事はない。
それでも心は乱れない。なぜなら、わかりきっていたことだから。なにせ去年もおととしもその前も、ずっと毎年こうなんだもん。
だけど安心してほしい。私はすでに手を打ってあるのだ。
たとえば、そこの家を見てほしい。身を寄せ合うようにして立つ木造平屋のお家と、リフォームしたらしき2階建てのお家。木造平屋のお家の軒先に、ツバメを象った木像が吊るされているのがわかるだろうか。よく見れば、あっちのお家にも、朽ち果てたようなお家にも、笑い声が聞こえてくるあのお家にも吊るされている。ためしに村はずれの家の前で、もう一度名前を呼んでみると?
「あ、いたいた。返事してよー」
このようにして、軒下から男の子が出てくるのだ。もちろん、男の子だけではない。
朽ち果てたようなお家からは、女の子が。賑やかなお家からは、3人の子どもが出てきてくれる。
「はーいみんな私についてくるんだよー」
後ろを振り向き声をかけると、みんなはこくりと頷いた。……やっぱり返事が欲しいよね。
さて、そんなこんなで村を歩き回ること数時間。気付けば、私の後ろを子どもたちが列をなして歩いている。ざっと13人ほど、もうみんな揃ったかな?
でも、ここで置いて帰ると後が怖い。念のためまだ声をかけていないお家にも呼び掛けてみる。まがりなりにもリーダーなのだから。
「おーい、時間だよー」
やはり、返事はない。まだまだもう一度。
「おーい、時間だよーー」
やっぱり、もう居ない気がする。でも、三度目の正直でしょう?
「おーい、時間だよー!」
二度あることは三度ある。どうやら今年はみんなと合流できたらしい。みんなもだんだん飽きている。これは、もう潮時だな。
ふと、縁側に置かれたスイカが目に入る。瑞々しい赤と、ほのかに漂う瓜特有の香り。
「おーい、もうお家に帰る時間だよー」
気が付けば、また呼びかけていた。あわよくばスイカを貰おうだなんて、決して考えてはいない。
その欲が功を奏したのだろう。門扉の中から男の子が現れた。
「あ、ようやく出てきた。もう遅いってばー」
(よかったーーーーーあのまま帰らないで本当によかったーーーーーーーー)
心の底から安堵しつつ、現れた男の子をじっくりと観察してみる。
でも、男の子は、私の姿を見るなりポカンとした顔をして動かなくなってしまった。
「ちょっと、聞いてるの?次のお家にいくよ」
もしかしたら、やっぱり忘れている子がいるかもしれない。この子も連れて、はやく向かわなければ。でも、次の一言で私は事の重大さを思い知ることになる。
「あの、どこに行くんですか?」
男の子は、自分の居場所を忘れてしまっていた。さらによく見ると、男の子は蓮の葉っぱを被っていない。
「そういえばあなた、蓮の葉っぱはどうしたの?」
蓮の葉っぱは、いわば胞衣の代わりである。この子たちの一番の欲求は、「母親の元へ戻りたい」ただそれだけである。そんな母親と自身を繋いでいた胞衣は、つまり希望そのものだ。かつて、子どもたちに伝えた言葉を思い出す。
『外の世界に行くときは、これを被っていくんだよ。そうしたら、またお母さんと一緒になれるかもしれないね』
永久に続く石積。もしかしたら、それらから脱却できるかもしれない。そうした希望を持たせることで、単純作業に意味を与えた。それ以来、より一層子どもたちは石積に励んでいる。
それを失くすということは、即ち石積を受け入れたことになってしまう。リーダーとして、それを容認することは絶対にできない。
「蓮の葉っぱ、ですか。持っていませんが…もしかして、何かルールがあったんですか!?」」
でも、そんな不安を男の子は吹き飛ばしてくれた。
よく、いるのだ。家族の下へ戻り、あまりの居心地の良さに自分の在り方を忘れてしまった結果、文字通り何もかもを忘れてしまう子どもが。こうした子どもは、今後も現れ続けるだろう。
だから私は、こういったアクシデントへの対応も慣れっこなのだ。
「そっかそっか…そうだよね。楽しかったんだもんね。それは仕方ないよ」
まず初めに、子どもたちの気持ちに寄り添う言葉を告げる。できるだけ優しく柔和な笑顔で。
「あのね、君。わたし面白い場所を知っているんだけど、一緒に行かない?」
次に、抽象的でもいいので楽しい場所があると告げ、誘い出す。自己の在り方を忘れてしまったとしても、その根幹にある魂は変わらない。そこに直接語りかけるのだ。
「大丈夫。全然怖くないし、お友達もたくさんいるよ。ここよりも、もーっと楽しい場所だよ」
この子に限らず、子どもたちは概して孤独であることが多い。寂しさを埋めることができると告げれば、大抵の子はすぐについてくる。ほら、この子の瞳に期待が満ちてきた。
「遠足もあるし、運動会もある。他にもいろんなレクリエーションがあるんだから」
最後に、魅力を具体的に伝える。これは本当に誇れることなんだけど。
すると、子どもたちはすっかり乗り気になって、私についてきてくれるのだ。
ここまでくればあとは簡単。みんなで帰るだけだ。
「あ、あの!ぼく夜になったら家から出ちゃいけないって言われているんです」
「お姉さんの言う楽しい場所って、暗くなる前に帰ってこれますか?」
ほら、ね!?私だって伊達にリーダーやってないのよ!たまに失敗もしちゃうけど、これが真の実力よ!
「もちろん!すぐそこにあるからね!ほら、じゃあ行こうか!」
本物の笑みを浮かべながら、男の子の手を握る。もう、絶対に置いてなんて行かないんだから。
得意げな顔を浮かべ、みんなのもとへ戻ろうとしたその時
「渡!どこに行くんだ!!」
どこか遠くの場所から、誰かの大声が聞こえた。子どもたちに何かあったのだろうか。と、男の子が足を止めている。どうしたんだろう?
(あ、蓮の葉っぱだ)
きっと男の子も思い出してきたのだろう。有るべきものが無いことに気が付いて怖くなっているのだ。
「あ、これを渡していなかったね。はい」
これで男の子も安心してくれるはず。はやくみんなと合わせてあげたいな。
「これ、どうすればいいの?瓔花ちゃんのこと、おじいちゃんに紹介したい」
でも、男の子は肝心なところを忘れたままだった。まったく、そういうところがかわいいんだから。
「それを傘みたいに頭にかぶるんだよ。そうしないと楽しい場所に行けないからね」
少し考え込んだあと、男の子は葉っぱを持ち上げ始める。そうそうその調子。
「そう。そうすれば楽しい場所に行けるよ。君も私たちの仲間入り」
蓮の葉を頭上に翳して、私を見つめる男の子。そうだね、それでいいんだよ。
「渡!!聞いているのか渡!」
男の子が、ものすごい勢いで私から引き剥がされる。物理的にも、霊的にも。
気が付くと、目の前に壮年の男性が立っていた。壮年の男性は、男の子に何事かをまくし立てている。壮年の男性に見覚えがあるのは、どうしてだろう。
(あ)
脳裏によみがえる、何年か前の記憶。同じようなことが前にもあった!
(この子、生きてる子だ)
やってしまった。また、やってしまった。ここ最近は間違えなかったのに、また間違えてしまった。頭の中が、自責の念で覆いつくされる。
「う……だ…って…い…」
男の子がこちらを向いている。でも、その声はうまく聞き取れない。これが普通なのだから。
私は彼岸の存在だ。本来なら、此岸の人達とはコミュニケーションを取ることはできない。でも、毎年お盆の時期だけは、姿を見られることがたまにある。しかしそれは、あってはならない事象だ。
「あの、ごめんなさい。私、気が付かなくて」
見る限り、男の子は事態を呑み込めていない。だからもう一人の男の人に謝った。
「家に帰るぞ」
でもやっぱり、男の人は返事をしてくれない。それでも私は頭を下げ続けた。
引きずられて行く男の子と目が合わないように、地面を見つめ続けた。
子どもたちを川まで引き連れて行く最中、私の気分はずっと沈んでいた。
でも、それもこれでおしまい。最後の時くらい、笑顔でいないと!
「みんな、いるよね?今から舟に乗るよ!」
川には、白樺で作られた舟の模型が浮かんでいる。それを指さしながら、子どもたちに告げた。
「みんなはこの舟に乗るんだよ。葦舟は私専用だから乗っちゃダメだからね!」
いうや否や、子どもたちはゾロゾロと舟に乗り始める。この舟は、毎年人間が用意してくれるものだ。もちろん私たちの数を知らないから、乗り切れない子も出てきてしまう。だから、あの子たちみたいに一つの舟に複数の子どもが乗ることもある。でも、みんな無事に乗れたみたい。
「みんな、お父さんやお母さんには会えたかな?」
子どもたちを振り返りつつ、問いかける。頷く子、首を振る子、反応をしない子、三者三様のリアクションだ。それでも、ひとつだけみんなの様子からわかることがある。
「よかったね!それじゃあ、寂しいだろうけどお家に帰ろうか。来年の夏休みが楽しみだね」
戎瓔花は、賽の河原で石を積んでいる水子たちのリーダーだ。そんな彼女は単調な石積を続けるために、様々なイベントを発案しては主催している。
今回の夏休み、つまりお盆に合わせて休暇を取るのも、いつかの昔に彼女の発案から生まれたイベントのひとつだ。
本来、賽の河原の水子たちはそこから出ることはできない。しかしそこは幻想郷。しかし、大人ばかりずるいと思った瓔花は、ためしに船頭の死神に訴えてみたのだ。
『水子たちにも休みを上げたい』と。
すると、なぜか許可が下りて、賽の河原にも夏休みが訪れるようになった。
現在、賽の河原に住まう水子の間では、この夏休みはいわば年間行事のひとつとなっている。
「河原に向けてしゅっぱーつ」
瓔花の号令に合わせて、舟が動き出す。川の流れに逆らって、上へ上へと、上流へ上流へと、舟が進んでいく。
目指すは山の上。異なる世界、聖なる世界。神々の住まう幻想郷に向けて、水子たちは遡上していく。
川の両岸も、徐々に姿を変えて行く。舗装されていた川べりは徐々に土へと変わっていき、ゴツゴツとした大岩が増えていく。
植生にも変化が現れる。雑草が草原に変わり、草の茎が木の幹になり、木々が集まり森となる。
やがて、視界に霧が立ち込め始めた。その霧に触れたとき、瓔花は毎回心が安堵する。
(今回も無事に帰ってこれてよかったな)
立ち込めていた霧が晴れたとき、そこにはいつもの河原が広がっていた。
既に子どもたちは舟から下りて、自分の石積へと駆けだしている。
「はーい、みんなおつかれさまー!」「どうだった?たのしかった?」
瓔花の問いかけに、子どもたちが答えることはない。
ただひたすらに、一心に石を積んでいる。
しかし、石積にいそしむその姿は、いつも以上にはつらつとしていた。
ところで、「賽の河原にいる子どもたちは水子じゃないんですね。」知らなかった……
前回の瓔花はわざとやったわけじゃなかったんですね
それがわかっただけでもよかったです
嫌いじゃないですが、「誤解されたAnnual events」が好きだったので相対的にこちらに蛇足感を感じてしまいました。
というのも、「誤解された~」の、「少年が未知の土地で体験した一夏の不思議体験」「得体の知れない怪異」といった風情が好きだったので、それをオープンにしてしまうとその風情・空気感が薄れてしまうように感じたからです。
ですが、合わせて読むことでより納得感みたいなものは深まるのは確かで、そういう意味ではこちらの作品も見れて良かったとも思います。あと、瓔花が可愛い。