「……い……かん……よ」
ひぐらしの合唱のなかに、誰かの声が聞こえる。
「お…い……かんだ……よ」
声の高さからして、女性だろう。それも若い女性。女の子。
「おーい、時間だよー」
気が付いたときには日が傾き始めていた。どうやら眠ってしまっていたらしい。横を見ると、おばあちゃんがくれたスイカが畳の上に倒れている。眠っている間に倒してしまったのだろう。
ぼくはいま、父親の実家に帰省している。新幹線(といっても各駅停車しか止まらない)を降りて、車で2時間ほど走った場所にある、山深い集落。山塊の一番端にある小山、その裾野に寄り添ういくつかの台地。そのうちのひとつが、ぼくの父親が産声を上げた土地だ。
車を降りたぼくは、とにかく驚いた。なぜならそこにあったものは、「田舎のおばあちゃんの家」と聞いて思い浮かべる景色そのものだったからだ。平成も終わりが見えてきたこの時代に、昭和の雰囲気を纏う土地が残されていたとは。
「おーい、もうお家に帰る時間だよー」
はやく家に帰りたい。
この集落には、子どもがいなかった。道を歩いていても、出会う人はみんなおじいさんかおばあさんで、一番若い人は駐在さんだ。しかも、おばあちゃんの家にはパソコンが無かった。
もちろんWi-Fiなんてものはない。
したがって、ぼくはひとりでボーっとしていた。
「ほら、もう時間だよ?出ておいでー」
だからだろう。さっきから聞こえる女の子の声に、無性に惹かれていた。
昨日、おじいちゃんは「この村にこどもはいない」と言っていた。ということは、この声の主も両親と一緒に帰省してきたのだろう。そして、弟や妹を連れて、家の周りを散策していたに違いない。つまり、女の子は友達候補だ。
そうと決まればやることはひとつ。ぼくは縁側から下り、生垣に隠れた声の主へと歩き始めた。
スイカには、アリが集っている。
「あ、ようやく出てきた。もう遅いってばー」
門扉をくぐり外に出ると、予想通り女の子がいた。ぼくより少し年上か、同じくらい。しかし、彼女の服装は予想の斜め上を行くものだ。ワンピースなのだろうか、白と薄赤を基調にした服に、ドット模様が入っている。何より目を引くのは、その袖にヒラヒラと舞う赤い紐だ。どことなく、クラゲを連想する。
「ちょっと、聞いてるの?ほら、次のお家に行くよ」
「あの、どこに行くんですか?」
そう声をかけると、女の子の顔色が変わった。当然の疑問を訪ねただけなのだが、なにか悪いことを言ってしまったのだろうか。
「そういえばあなた、蓮の葉っぱはどうしたの?」
「蓮の葉っぱ、ですか。持っていませんが…もしかして、何か決まりがあったんですか?」
こういう田舎には、都会にはない風習が残っているという。もしかしたら無意識に破っていたのかもしれない。しかし、それを聞いた女の子は一転して穏やかな顔になった。
「そっかそっか…そうだよね。楽しかったんだもんね。それは仕方ないよ」
そして、何かに納得したような口ぶりになり、そのまま言葉をつづけた。
「あのね、君。わたし面白い場所を知っているんだけど、一緒に行かない?」
「大丈夫。全然怖くないし、お友達もたくさんいるよ。ここよりも、もーっと楽しい場所だよ」
「遠足もあるし、運動会もある。他にもいろんなレクリエーションがあるんだから」
ふふん、と胸を張るお姉さん。そこまでいわれると、少し興味が湧いてくる。
「あ、あの!ぼく夜になったら家から出ちゃいけないって言われているんです」
「お姉さんの言う楽しい場所って、暗くなる前に帰ってこれますか?」
すると、お姉さんの顔がとたんに明るくなった。ぼくの手を握りながら、嬉しそうに顔を近づけてくる。
「もちろん!すぐそこにあるからね!ほら、じゃあ行こうか!」
言うや否や、ぼくの手を握ったままお姉さんが歩き始めた。あまりの勢いに躓きそうになりながらも、お姉さんの歩幅に合わせて歩き出そうとしたその時。
「渡!どこに行くんだ!!」
突然、家の中から怒鳴り声が聞こえた。
ひぐらしが、鳴き止んでいる。
「どうしたの?早く行こうよ」
足を止めたぼくに気が付いたのか、お姉さんが訊ねてくる。逆光のせいで顔が真っ黒に見えた。
「あ、これを渡していなかったね。はい」
お姉さんが右手を差し出してくる。その手には、蓮の葉っぱが握られていた。
「これ、どうすればいいの?瓔花ちゃんのこと、おじいちゃんに紹介したい」
「それを傘みたいに頭にかぶるんだよ。そうしないと楽しい場所に行けないからね」
にっこりと微笑む瓔花ちゃん。さっきと変わらず表情は伺えないのに、なぜか笑っているとわかった。
おじいちゃんには、紹介できない気がした。
諦めて、瓔花ちゃんに言われるがまま蓮の葉っぱを頭に載せようとする。
「そう。そうすれば楽しい場所に行けるよ。君も私たちの仲間入り」
蓮の葉を両手に持ち、頭の上に翳す。これを添えればぼくも仲間になれるんだ。
「渡!!聞いているのか渡!」
突然、耳元で怒声が発せられた。次いで、ものすごい勢いで肩を掴まれ、背後に引き倒される。
「じいじ」
おじいちゃんだった。お酒を飲んだ後よりも、顔が真っ赤なおじいちゃん。しかも、その瞳には鬼気迫るものが込められている。どうしたんだろう。
「渡!お前、いま誰と話していた!」
「え、瓔花ちゃん、だけど。おじいちゃんには見えないの?」
おじいちゃんの真っ赤な顔が、サーと青白くなっていく。その視線の先には、蓮の葉っぱがある。
「渡。お前、その葉っぱは頭に載せたのか?」
「まだ、載せていないけど…ね?」
同意を求めようと、瓔花ちゃんの顔を見る。
「うん。まだ被ってないよ」
だけど、瓔花ちゃんはとても悲しそうだった。悲しみだけじゃなくて、後悔や慚愧の念がこもっていた。
「あの、ごめんなさい。私、気が付かなくて」
今にも泣きだしそうな声で、瓔花ちゃんが言葉を投げかける。意味は分からなかったけど、おじいちゃんに向けられた謝罪の言葉であることは、なんとなくわかった。
「家に帰るぞ」
おじいちゃんは、瓔花ちゃんに返事をしない。有無を言わさぬ雰囲気で、ぼくに手は引かれて行く。今度は、家の中へと。半ば引きずられる形で連れ戻されながら、ぼくは瓔花ちゃんの方を振り向いた。二度と会えない予感がしたから。
瓔花ちゃんは、そこにいなかった。
家に上がる時に見えたスイカは真っ黒に黒ずんでいて、腐っているように見えた。
家に帰ると、おばあちゃんがお風呂の用意をしてくれていた。おじいちゃんに体を洗ってもらった後、夜ご飯を食べた。そして、お父さんとお母さんに手を繋がれながら、どこかへと連絡を取るおじいちゃんや叔父さんの姿を眺めていた。
「渡。あれがなんだかわかるか」
そして今、ぼくはおじいちゃんに連れられて近所の小川へとやってきている。
おじいちゃんの指さす先には、20cmくらいの木彫りの舟がいくつかと草で編まれた舟が、水面に浮かんでいた。
「なに、あれ」
「渡は、あの山の上に何があるか知ってるか?」
集落の背後にそびえる山を指さして、おじいちゃんは問う。しかし、ぼくは知らなかった。
「あの山には、ご先祖様が暮らしている。それで、毎年お盆になると、そこから村に下りてくるってわけだ」
「じいじのお父さんもあそこにいるの?」
「そうだなぁ、じいじのお父さんはまだいないかな。でも、あと少しであそこに行くかもな」
ガハハ、と豪快に笑うおじいちゃん。でも、どうしておじいちゃんのお父さんは山にいないんだろう。
「お、渡。舟を見てみろ」
次の質問を考えていたら、おじいちゃんが声を上げた。それにつられて舟に目を向ける。すると
「あ、動いてる」
先ほどまで、ゆらゆらと揺らめいていたはずの舟が、じわじわと動き始めていた。
上流に向けて。
「あれ、上に向かってるよ」
草で編まれた舟を先頭に、舟たちは上流へと舳先を向けて動き始める。その川は、スイカが流されてしまう程度の流れがある。そんな流れをものともせずに、舟団は川をさかのぼっていく。
あの舟はな。山の上に戻るご先祖様が乗っているんだ。だから、水の流れに逆らうなんてことが起きるんだ。
ご先祖様が漕いでるからな。
あの草舟には誰が乗っているかわかるか?
あの舟にはな、お前がさっき話していた女の子が乗っているんだ。たぶん、女の子だったよな?
実はな、じいじもあの子にあったことがあるんだ。お前と同じくらいの時に。それで、さっきの渡と同じように、じいちゃんに引き留められたんだ
どうもあの子は、里に戻ったご先祖様たちを山の上に連れ帰る存在らしい。ただ、少しうっかりな部分があるみたいで、たまに生きている人間を連れ帰ろうとするんだ。
渡が間違えられたみたいにな。
しかし、渡は運が良かった。じいじが子どもの頃はな、毎年のように誰かしらがいなくなっていたんだよ。もっとも最近はなかったけどな。
まあなんだ。渡も大人になったら誰かを助けるかもしれないから、忘れないようにな。
「じゃあそろそろ帰るか」
「うん」
気が付けば、舟は見えなくなっていた。
言葉もなく添えられたおじいちゃんの手をしっかりと握り返して、一緒に家へと歩き出す。
空を見上げると、ただ山の稜線に沿ってうっすらと青白く光っているだけだった。
「は……み……おつか…さま」
ふと、誰かの声が聞こえた気がした。もしかしたら、誰かが呼んでいるのかもしれない。
「……だ…た…た…しか……」
また、聞こえる気がする。もしかしたら、あの子かもしれない。
後ろを振り返り、声の主を探そうとする。
その時、道端の草むらで夏の虫が鳴き始めた。リンリンと鳴くこの声は、鈴虫だろうか。
「じいじ。きれいな虫だね」
「お、この良さがわかるなんて渡も大人になったな」
家に着くと、おばあちゃんが大玉のスイカを切っているところだった。
もう、渡の頭の中はスイカでいっぱいだ。
ひぐらしの合唱のなかに、誰かの声が聞こえる。
「お…い……かんだ……よ」
声の高さからして、女性だろう。それも若い女性。女の子。
「おーい、時間だよー」
気が付いたときには日が傾き始めていた。どうやら眠ってしまっていたらしい。横を見ると、おばあちゃんがくれたスイカが畳の上に倒れている。眠っている間に倒してしまったのだろう。
ぼくはいま、父親の実家に帰省している。新幹線(といっても各駅停車しか止まらない)を降りて、車で2時間ほど走った場所にある、山深い集落。山塊の一番端にある小山、その裾野に寄り添ういくつかの台地。そのうちのひとつが、ぼくの父親が産声を上げた土地だ。
車を降りたぼくは、とにかく驚いた。なぜならそこにあったものは、「田舎のおばあちゃんの家」と聞いて思い浮かべる景色そのものだったからだ。平成も終わりが見えてきたこの時代に、昭和の雰囲気を纏う土地が残されていたとは。
「おーい、もうお家に帰る時間だよー」
はやく家に帰りたい。
この集落には、子どもがいなかった。道を歩いていても、出会う人はみんなおじいさんかおばあさんで、一番若い人は駐在さんだ。しかも、おばあちゃんの家にはパソコンが無かった。
もちろんWi-Fiなんてものはない。
したがって、ぼくはひとりでボーっとしていた。
「ほら、もう時間だよ?出ておいでー」
だからだろう。さっきから聞こえる女の子の声に、無性に惹かれていた。
昨日、おじいちゃんは「この村にこどもはいない」と言っていた。ということは、この声の主も両親と一緒に帰省してきたのだろう。そして、弟や妹を連れて、家の周りを散策していたに違いない。つまり、女の子は友達候補だ。
そうと決まればやることはひとつ。ぼくは縁側から下り、生垣に隠れた声の主へと歩き始めた。
スイカには、アリが集っている。
「あ、ようやく出てきた。もう遅いってばー」
門扉をくぐり外に出ると、予想通り女の子がいた。ぼくより少し年上か、同じくらい。しかし、彼女の服装は予想の斜め上を行くものだ。ワンピースなのだろうか、白と薄赤を基調にした服に、ドット模様が入っている。何より目を引くのは、その袖にヒラヒラと舞う赤い紐だ。どことなく、クラゲを連想する。
「ちょっと、聞いてるの?ほら、次のお家に行くよ」
「あの、どこに行くんですか?」
そう声をかけると、女の子の顔色が変わった。当然の疑問を訪ねただけなのだが、なにか悪いことを言ってしまったのだろうか。
「そういえばあなた、蓮の葉っぱはどうしたの?」
「蓮の葉っぱ、ですか。持っていませんが…もしかして、何か決まりがあったんですか?」
こういう田舎には、都会にはない風習が残っているという。もしかしたら無意識に破っていたのかもしれない。しかし、それを聞いた女の子は一転して穏やかな顔になった。
「そっかそっか…そうだよね。楽しかったんだもんね。それは仕方ないよ」
そして、何かに納得したような口ぶりになり、そのまま言葉をつづけた。
「あのね、君。わたし面白い場所を知っているんだけど、一緒に行かない?」
「大丈夫。全然怖くないし、お友達もたくさんいるよ。ここよりも、もーっと楽しい場所だよ」
「遠足もあるし、運動会もある。他にもいろんなレクリエーションがあるんだから」
ふふん、と胸を張るお姉さん。そこまでいわれると、少し興味が湧いてくる。
「あ、あの!ぼく夜になったら家から出ちゃいけないって言われているんです」
「お姉さんの言う楽しい場所って、暗くなる前に帰ってこれますか?」
すると、お姉さんの顔がとたんに明るくなった。ぼくの手を握りながら、嬉しそうに顔を近づけてくる。
「もちろん!すぐそこにあるからね!ほら、じゃあ行こうか!」
言うや否や、ぼくの手を握ったままお姉さんが歩き始めた。あまりの勢いに躓きそうになりながらも、お姉さんの歩幅に合わせて歩き出そうとしたその時。
「渡!どこに行くんだ!!」
突然、家の中から怒鳴り声が聞こえた。
ひぐらしが、鳴き止んでいる。
「どうしたの?早く行こうよ」
足を止めたぼくに気が付いたのか、お姉さんが訊ねてくる。逆光のせいで顔が真っ黒に見えた。
「あ、これを渡していなかったね。はい」
お姉さんが右手を差し出してくる。その手には、蓮の葉っぱが握られていた。
「これ、どうすればいいの?瓔花ちゃんのこと、おじいちゃんに紹介したい」
「それを傘みたいに頭にかぶるんだよ。そうしないと楽しい場所に行けないからね」
にっこりと微笑む瓔花ちゃん。さっきと変わらず表情は伺えないのに、なぜか笑っているとわかった。
おじいちゃんには、紹介できない気がした。
諦めて、瓔花ちゃんに言われるがまま蓮の葉っぱを頭に載せようとする。
「そう。そうすれば楽しい場所に行けるよ。君も私たちの仲間入り」
蓮の葉を両手に持ち、頭の上に翳す。これを添えればぼくも仲間になれるんだ。
「渡!!聞いているのか渡!」
突然、耳元で怒声が発せられた。次いで、ものすごい勢いで肩を掴まれ、背後に引き倒される。
「じいじ」
おじいちゃんだった。お酒を飲んだ後よりも、顔が真っ赤なおじいちゃん。しかも、その瞳には鬼気迫るものが込められている。どうしたんだろう。
「渡!お前、いま誰と話していた!」
「え、瓔花ちゃん、だけど。おじいちゃんには見えないの?」
おじいちゃんの真っ赤な顔が、サーと青白くなっていく。その視線の先には、蓮の葉っぱがある。
「渡。お前、その葉っぱは頭に載せたのか?」
「まだ、載せていないけど…ね?」
同意を求めようと、瓔花ちゃんの顔を見る。
「うん。まだ被ってないよ」
だけど、瓔花ちゃんはとても悲しそうだった。悲しみだけじゃなくて、後悔や慚愧の念がこもっていた。
「あの、ごめんなさい。私、気が付かなくて」
今にも泣きだしそうな声で、瓔花ちゃんが言葉を投げかける。意味は分からなかったけど、おじいちゃんに向けられた謝罪の言葉であることは、なんとなくわかった。
「家に帰るぞ」
おじいちゃんは、瓔花ちゃんに返事をしない。有無を言わさぬ雰囲気で、ぼくに手は引かれて行く。今度は、家の中へと。半ば引きずられる形で連れ戻されながら、ぼくは瓔花ちゃんの方を振り向いた。二度と会えない予感がしたから。
瓔花ちゃんは、そこにいなかった。
家に上がる時に見えたスイカは真っ黒に黒ずんでいて、腐っているように見えた。
家に帰ると、おばあちゃんがお風呂の用意をしてくれていた。おじいちゃんに体を洗ってもらった後、夜ご飯を食べた。そして、お父さんとお母さんに手を繋がれながら、どこかへと連絡を取るおじいちゃんや叔父さんの姿を眺めていた。
「渡。あれがなんだかわかるか」
そして今、ぼくはおじいちゃんに連れられて近所の小川へとやってきている。
おじいちゃんの指さす先には、20cmくらいの木彫りの舟がいくつかと草で編まれた舟が、水面に浮かんでいた。
「なに、あれ」
「渡は、あの山の上に何があるか知ってるか?」
集落の背後にそびえる山を指さして、おじいちゃんは問う。しかし、ぼくは知らなかった。
「あの山には、ご先祖様が暮らしている。それで、毎年お盆になると、そこから村に下りてくるってわけだ」
「じいじのお父さんもあそこにいるの?」
「そうだなぁ、じいじのお父さんはまだいないかな。でも、あと少しであそこに行くかもな」
ガハハ、と豪快に笑うおじいちゃん。でも、どうしておじいちゃんのお父さんは山にいないんだろう。
「お、渡。舟を見てみろ」
次の質問を考えていたら、おじいちゃんが声を上げた。それにつられて舟に目を向ける。すると
「あ、動いてる」
先ほどまで、ゆらゆらと揺らめいていたはずの舟が、じわじわと動き始めていた。
上流に向けて。
「あれ、上に向かってるよ」
草で編まれた舟を先頭に、舟たちは上流へと舳先を向けて動き始める。その川は、スイカが流されてしまう程度の流れがある。そんな流れをものともせずに、舟団は川をさかのぼっていく。
あの舟はな。山の上に戻るご先祖様が乗っているんだ。だから、水の流れに逆らうなんてことが起きるんだ。
ご先祖様が漕いでるからな。
あの草舟には誰が乗っているかわかるか?
あの舟にはな、お前がさっき話していた女の子が乗っているんだ。たぶん、女の子だったよな?
実はな、じいじもあの子にあったことがあるんだ。お前と同じくらいの時に。それで、さっきの渡と同じように、じいちゃんに引き留められたんだ
どうもあの子は、里に戻ったご先祖様たちを山の上に連れ帰る存在らしい。ただ、少しうっかりな部分があるみたいで、たまに生きている人間を連れ帰ろうとするんだ。
渡が間違えられたみたいにな。
しかし、渡は運が良かった。じいじが子どもの頃はな、毎年のように誰かしらがいなくなっていたんだよ。もっとも最近はなかったけどな。
まあなんだ。渡も大人になったら誰かを助けるかもしれないから、忘れないようにな。
「じゃあそろそろ帰るか」
「うん」
気が付けば、舟は見えなくなっていた。
言葉もなく添えられたおじいちゃんの手をしっかりと握り返して、一緒に家へと歩き出す。
空を見上げると、ただ山の稜線に沿ってうっすらと青白く光っているだけだった。
「は……み……おつか…さま」
ふと、誰かの声が聞こえた気がした。もしかしたら、誰かが呼んでいるのかもしれない。
「……だ…た…た…しか……」
また、聞こえる気がする。もしかしたら、あの子かもしれない。
後ろを振り返り、声の主を探そうとする。
その時、道端の草むらで夏の虫が鳴き始めた。リンリンと鳴くこの声は、鈴虫だろうか。
「じいじ。きれいな虫だね」
「お、この良さがわかるなんて渡も大人になったな」
家に着くと、おばあちゃんが大玉のスイカを切っているところだった。
もう、渡の頭の中はスイカでいっぱいだ。
これは寺生まれの人呼ばないといけない案件ですね
うっすら怖くて季節感もあってとてもよかったです
田舎という未知の土地で体験した、不可思議な現象、怪異。それが飾らない子供目線で描かれるのがとても雰囲気があり、好きです。
悪いわけではないが、ときどき間違えて連れて行く、という理不尽さも、ああ日本の土着の怪異っぽいなあと思えて良いです。
夏の終わりに読めて良かった。