私はいま、とある旅館へ向かっている。
とある高名な歌仙がその最期を迎えた伝説が残る、庵の跡地に建てられた旅館。その名も白玉楼。その最も高いグレードの部屋には、なんと庭園もついてくるらしい。豪華な庭園に生える、大きな立派な一本の桜。
その名は西行妖。実は今、この西行妖がネットの片隅で話題になっている。その発端は、5年前にスピリチュアルな界隈のインフルエンサーが投稿した「この桜の下で臨死体験が出来ました!」という、桜の写真付きの一文にある。この投稿がなされて以降、旅館『白玉楼』の客足は右肩上がりらしい。かくいう私もその一人である。臨死体験ができるという桜の木。そこに赴き、あわよくば実際に体験してみようという魂胆だ。
だがしかし、私をただのスピリチュアルな人間だとは思わないで欲しい。確かに私は臨死体験をしに来たが、神秘的体験をするためにやってきたのではない。臨死体験という、異常な精神状態。トランス状態にある脳は、果たしてどう機能しているのだろうか。その疑問を払拭するべく、自身の体を使い、実際に脳波のサンプルを採取する。それが私の目的だ。
私の背負うリュックサック。女性が背負うには少々ゴツく大きなその中には、大学から借りてきた、脳波を測る装置が入っている。といっても、装置自体は嵩張らない。専用のアプリがインストールされたスマートフォンと、ありふれたイヤホン。この二つがあればいつでもどこでも脳波を測定できるのだから。では、何が入っているのだろうか?答えは簡単、着替えである。たかが一泊、されど一泊。女性は荷物が多いのだから。
斯くして私はやってきた。旅館『白玉楼』で最もグレードの高い部屋に。桜の大樹が根付く部屋へと。
チェックインを済ませた私は、旅館の従業員に案内され、件の部屋へと案内された。本館から続く廊下を通ってのみ行くことが出来るその部屋は、いわゆる離れというものだった。
やはり、最高グレードと言うだけあって豪華な部屋だ。しかし、私は癒されに来たのではない。畳の質感をソックス越しに感じながら、縁側へと突き進む。
やがて見つけた一枚の障子。きっとこの先に、満開の桜があるのだろう。薄っすらと外の光を通す襖。それを思い切り開くと、そこには満開の桜が–––
あるはずもなかった。
季節は冬。桜どころか梅の蕾すら開いていないこの時期に、満開の桜を拝むことなど出来るはずがない。襖の先には、枯れ果てた桜の木が生えていた。それも、一本だけ。
あとは敷き詰められた砂利の中に、切株が島のように浮いているだけ。あまりに寂しく侘しい、目につく者すべてが眠るような景色。それなのに、なぜだか物哀しさは感じない。枯れてなお堂々と根を張る桜の木。
その姿に思わず、最期まで老後を満喫した祖父の姿を重ねてしまう。
「わたしの老後もああだといいなぁ」
ふと、言葉が零れる。今際の際にありながらも存在感を示す西行妖。それでいて確かなエネルギーを感じさせる、今までに見たことのない桜の木だった。
さて、そろそろ本題に移ろうか。物思いに耽るのもいいが、今日は目的があってここに来たのだ。さっさとサンプルを採ってお風呂を満喫しよう。そのあとはおいしいカニを食べるんだ。
折り畳み椅子とスマホをリュックサックから取り出して、桜の根元へと近づいていく。
よく見ると、桜の根元に砂利は無く、乾燥した土肌が顔を覗かせていた。その上には雑草も虫もいない。月面の様に無味な土。さすが最高グレード、細かいところまで手入れが行き届いているなぁ。
桜と向き合うように置いた椅子の上に座ると、桜の幹しか見えなくなった。耳にイヤホンを入れ、アプリを起動する。あとは、臨死体験をするだけだ。
が、私はあることに気が付いた。臨死体験って、どうすればいいのだろう?
スマホで検索してみると、例のスピリチュアルなインフルエンサーが、動画サイトでとある動画を公開していることがわかった。そのタイトルは「臨死の音」という、物騒なもの。
「とりあえず再生してみるかな」
再生してみると、それはノイズの塊に近いものだった。ズンズンと規則的に響く重低音と、その陰で流れる高音。ソプラノ歌手のビブラートをもっと高くしたような、太いモスキート音のような音。
聞いていると頭が痛くなりそうだ。でも、これを聞かないと臨死体験はできない。覚悟を決めた私は、音に全てを委ねることにした。頭を空っぽにして、音を全身に行き渡らせる。心を落ち着かせ、楽な呼吸を維持する。
やがて、全身がどこかに沈んでいくような感覚に陥った後、私の意識もまた深い場所へ沈んでいった。
誰かが、私の頬を撫でている。右から左、左から右へ、優しくさわさわと撫でている。誰が撫でているのだろうか。
瞳を開くと、満開の桜があった。根元に木漏れ日を降らす、大きな大きな桜の木。逞しい幹から伸びる、無数の枝。そのうちの一本、その身に纏う花びらの重さに身をしならせる、一本の枝。
私の顔を撫でていたのは、その枝だった。
そよ風と、なびく桜の触れ合う音。そして心音、鼓動のリズム。それ以外なにも聞こえない、静謐な空間。
今は冬だけど、あと2か月もすればこの風を浴びることが出来るのだ。ひと足先に春を満喫しても怒られないでしょ。
そのまま仰向けで桜を見ること数分。いや、数秒かも数十分かもしれない。とにかくふと気が付くと、風と枝と私の音が奏でる三重奏に「ザクザク」という規則的な音が混ざりこんでいた。
一定のテンポで聞こえてくる、音。しかも、だんだんと近づいてくるような?
「今日は、あなたなのね」
突然、頭の後ろから声が聞こえた。
跳ね上がる脈拍を落ち着かせつつ顔を上げると、そこにはひとりの少女がたたずんでいた。今時珍しい着物姿の少女は、静かな笑みを湛えてこちらを見ている。掴みどころのない、ふわふわと漂うような雰囲気。どことなく幽世の感を醸し出す少女。「@」マークに似た柄の帽子が気になるが、それは置いておこう。
それよりも、だ。
「あの、やめてね?」
少女の両手を視野に入れつつ、歪な笑顔を顔に貼り付けて彼女に話しかける。確かに臨死体験を願いはしたが、こんな形で叶えたくはない。
そもそも、臨死体験はこういうものだったのか。もっと、こう、川のほとりで先立った家族に出会うみたいな、目頭が熱くなる類の体験ではないか。
「これ、あなたの分だから」
おもむろに、彼女が左手を差し出す。私に向けて伸ばされた左手には、小刀が握られている。いわゆる脇差ではなく、どちらかというとナイフのような小刀。しかし、その柄には舞い散る桜があしらわれている。黒地に白く浮かび上がる花弁が美しい。
おずおずと受け取った私に、満足気な笑みを浮かべた少女は次の言葉を口にした。
「どっちが先にする?」
ちょっと待って、と思わず声が出た。
「ごめんなさい。あなたの言っていることがよくわからないの。もう少し教えてもらえない?」
相手は年下である。あくまで優しく問いかけたつもりではあった。しかし、一転して少女は悲しそうな表情を浮かべてしまう。
「……あなたもそうなのね。じゃあ、私が先にいくから」
心なしか右手に持つ小刀を握る手が震えた気がしたが、私は少女の口にした言葉を反芻することで精いっぱいだった。
「あなたも」ということは、私以外の誰かと同じやり取りをしたのだろうか。そして何より、「先にいく」の「いく」が何を指しているのか。心当たりは十二分にあるが、だからこそ疑問に感じてしまう。
これは、私の知っている臨死体験ではない。
私の顔に細かい水滴が降りかかったのは、その直後だった。
大きな桜の樹の下に、花吹雪が舞っていた。小さな小さな花弁が、空に拡がっていく。
朱鷺色の霧が、目の前を埋め尽くしていく。少女の身体を覆い隠す。
ドサリ、と何かが地面に斃れ伏す音が聞こえた。
眼前で繰り広げられた一瞬の凶行に、私は目を奪われていた。キラキラと輝く瞳で、その様子を目に焼き付けんばかりに見つめていた。胸に湧き上がる衝動に、体を震わせながら。
ショッキングな場面に遭遇した際、人は”ハイ”になると聞いたことがある。今の私も、きっと”ハイ”になっているのだろう。そうでもないと、私を突き動かさんとするこの欲求に説明がつけられない。
何を隠そう、私はこの惨状に見とれているのだ。いつかみた花火のようにシトシトと墜ち行く桜の花片に。大地にひれ伏す少女の肢体に。それらを隠そうと散る薄紅色の小片に。
そして何よりも、その様子に憧れているのだ。私も彼女のようになりたい。美しく、それでいて儚さを纏いたい。桜の満開の下で眠りたい。どうせ夢なのだから、どうせ幻想なのだから。別にいいじゃないか。
(あ、臨死体験ってこういうことなの)
きっとあのインフルエンサーも、この光景に目を奪われたに違いない。心の底から惹かれたに違いない。だからこそ、死に臨む体験をしたのだ。インフルエンサーに集るフォロワーたちも、桜の少女とやり取りをしたのだ。そして、片手に携えた小刀に映る自分自身の表情に驚き覚悟を決めたに違いない。
いまの私と同じように。
そうと決まればやることはひとつ。彼女の傍らで果てるだけだ。横には、先に果てた彼女の顔がある。血の気の引いた柔肌も、今となっては忘我の状態に導く誘引剤でしかない。
首筋に、チクリと痛みが走る。水っぽい温かさが、指先を伝い首筋へと垂れてゆく。心臓がドクドクと脈打つたびに、快感が降り積もる。自意識がとてつもない多幸感に蕩けていく。
その時、エクスタシーに見舞われる意識の中に、一本の桜の樹が浮かび上がった。その根元には、地面に這いつくばる無数の人・人・人。大人に子ども老若男女が桜に手を伸ばしている。その手は次第に毛が生え羽根と化し、桜の樹冠へと飛び上がった。
樹冠には、かつて人だったであろう鳥が数えきれないくらいに。その様子はさながら満開の桜のよう。きっと、この桜は人の想いを栄養に育っているのだ。そして、私も今から桜に身を捧げるのだ。いつか、あの枯れ木に花を咲かせるのだ。
高揚する気分とは裏腹に、体の感覚がなくなっていく。体の中枢から末端へと迸る熱が、それ以外の感覚を奪い去っていく。
熱気が指先を覆いつくし、なにかにさわさわと撫でられる感覚を覚えると、私の意識は暗いところへと落ちていった。
気が付くと、すでに朝になっていた。あれからずっと眠っていたのだろう、服に砂が付いている。
桜の大樹は相変わらず枯れていたけれど、ぐるりと一周してみると、寝室からは見えない部分には蕾が付いていた。朝食を摂り朝風呂に入ると、もうチェックアウトの時刻だった。
フロントに鍵を返す際、受付のスタッフに「いい夢は見られましたか?」と聞かれた。よく覚えていなかったので「たぶん(笑)」と答えた。
その時に聞いたのだが、桜の樹に蕾が付き始めたことは、スタッフの間でも話題だそう。専門家に聞いてみたところ、5年もすれば満開になるだろうと言われたらしい。
あれだけ大きな樹だ、満開の姿はそれはもう絶景だろう。満開の暁には、ぜひ再訪したい。楽しみだ。
とある高名な歌仙がその最期を迎えた伝説が残る、庵の跡地に建てられた旅館。その名も白玉楼。その最も高いグレードの部屋には、なんと庭園もついてくるらしい。豪華な庭園に生える、大きな立派な一本の桜。
その名は西行妖。実は今、この西行妖がネットの片隅で話題になっている。その発端は、5年前にスピリチュアルな界隈のインフルエンサーが投稿した「この桜の下で臨死体験が出来ました!」という、桜の写真付きの一文にある。この投稿がなされて以降、旅館『白玉楼』の客足は右肩上がりらしい。かくいう私もその一人である。臨死体験ができるという桜の木。そこに赴き、あわよくば実際に体験してみようという魂胆だ。
だがしかし、私をただのスピリチュアルな人間だとは思わないで欲しい。確かに私は臨死体験をしに来たが、神秘的体験をするためにやってきたのではない。臨死体験という、異常な精神状態。トランス状態にある脳は、果たしてどう機能しているのだろうか。その疑問を払拭するべく、自身の体を使い、実際に脳波のサンプルを採取する。それが私の目的だ。
私の背負うリュックサック。女性が背負うには少々ゴツく大きなその中には、大学から借りてきた、脳波を測る装置が入っている。といっても、装置自体は嵩張らない。専用のアプリがインストールされたスマートフォンと、ありふれたイヤホン。この二つがあればいつでもどこでも脳波を測定できるのだから。では、何が入っているのだろうか?答えは簡単、着替えである。たかが一泊、されど一泊。女性は荷物が多いのだから。
斯くして私はやってきた。旅館『白玉楼』で最もグレードの高い部屋に。桜の大樹が根付く部屋へと。
チェックインを済ませた私は、旅館の従業員に案内され、件の部屋へと案内された。本館から続く廊下を通ってのみ行くことが出来るその部屋は、いわゆる離れというものだった。
やはり、最高グレードと言うだけあって豪華な部屋だ。しかし、私は癒されに来たのではない。畳の質感をソックス越しに感じながら、縁側へと突き進む。
やがて見つけた一枚の障子。きっとこの先に、満開の桜があるのだろう。薄っすらと外の光を通す襖。それを思い切り開くと、そこには満開の桜が–––
あるはずもなかった。
季節は冬。桜どころか梅の蕾すら開いていないこの時期に、満開の桜を拝むことなど出来るはずがない。襖の先には、枯れ果てた桜の木が生えていた。それも、一本だけ。
あとは敷き詰められた砂利の中に、切株が島のように浮いているだけ。あまりに寂しく侘しい、目につく者すべてが眠るような景色。それなのに、なぜだか物哀しさは感じない。枯れてなお堂々と根を張る桜の木。
その姿に思わず、最期まで老後を満喫した祖父の姿を重ねてしまう。
「わたしの老後もああだといいなぁ」
ふと、言葉が零れる。今際の際にありながらも存在感を示す西行妖。それでいて確かなエネルギーを感じさせる、今までに見たことのない桜の木だった。
さて、そろそろ本題に移ろうか。物思いに耽るのもいいが、今日は目的があってここに来たのだ。さっさとサンプルを採ってお風呂を満喫しよう。そのあとはおいしいカニを食べるんだ。
折り畳み椅子とスマホをリュックサックから取り出して、桜の根元へと近づいていく。
よく見ると、桜の根元に砂利は無く、乾燥した土肌が顔を覗かせていた。その上には雑草も虫もいない。月面の様に無味な土。さすが最高グレード、細かいところまで手入れが行き届いているなぁ。
桜と向き合うように置いた椅子の上に座ると、桜の幹しか見えなくなった。耳にイヤホンを入れ、アプリを起動する。あとは、臨死体験をするだけだ。
が、私はあることに気が付いた。臨死体験って、どうすればいいのだろう?
スマホで検索してみると、例のスピリチュアルなインフルエンサーが、動画サイトでとある動画を公開していることがわかった。そのタイトルは「臨死の音」という、物騒なもの。
「とりあえず再生してみるかな」
再生してみると、それはノイズの塊に近いものだった。ズンズンと規則的に響く重低音と、その陰で流れる高音。ソプラノ歌手のビブラートをもっと高くしたような、太いモスキート音のような音。
聞いていると頭が痛くなりそうだ。でも、これを聞かないと臨死体験はできない。覚悟を決めた私は、音に全てを委ねることにした。頭を空っぽにして、音を全身に行き渡らせる。心を落ち着かせ、楽な呼吸を維持する。
やがて、全身がどこかに沈んでいくような感覚に陥った後、私の意識もまた深い場所へ沈んでいった。
誰かが、私の頬を撫でている。右から左、左から右へ、優しくさわさわと撫でている。誰が撫でているのだろうか。
瞳を開くと、満開の桜があった。根元に木漏れ日を降らす、大きな大きな桜の木。逞しい幹から伸びる、無数の枝。そのうちの一本、その身に纏う花びらの重さに身をしならせる、一本の枝。
私の顔を撫でていたのは、その枝だった。
そよ風と、なびく桜の触れ合う音。そして心音、鼓動のリズム。それ以外なにも聞こえない、静謐な空間。
今は冬だけど、あと2か月もすればこの風を浴びることが出来るのだ。ひと足先に春を満喫しても怒られないでしょ。
そのまま仰向けで桜を見ること数分。いや、数秒かも数十分かもしれない。とにかくふと気が付くと、風と枝と私の音が奏でる三重奏に「ザクザク」という規則的な音が混ざりこんでいた。
一定のテンポで聞こえてくる、音。しかも、だんだんと近づいてくるような?
「今日は、あなたなのね」
突然、頭の後ろから声が聞こえた。
跳ね上がる脈拍を落ち着かせつつ顔を上げると、そこにはひとりの少女がたたずんでいた。今時珍しい着物姿の少女は、静かな笑みを湛えてこちらを見ている。掴みどころのない、ふわふわと漂うような雰囲気。どことなく幽世の感を醸し出す少女。「@」マークに似た柄の帽子が気になるが、それは置いておこう。
それよりも、だ。
「あの、やめてね?」
少女の両手を視野に入れつつ、歪な笑顔を顔に貼り付けて彼女に話しかける。確かに臨死体験を願いはしたが、こんな形で叶えたくはない。
そもそも、臨死体験はこういうものだったのか。もっと、こう、川のほとりで先立った家族に出会うみたいな、目頭が熱くなる類の体験ではないか。
「これ、あなたの分だから」
おもむろに、彼女が左手を差し出す。私に向けて伸ばされた左手には、小刀が握られている。いわゆる脇差ではなく、どちらかというとナイフのような小刀。しかし、その柄には舞い散る桜があしらわれている。黒地に白く浮かび上がる花弁が美しい。
おずおずと受け取った私に、満足気な笑みを浮かべた少女は次の言葉を口にした。
「どっちが先にする?」
ちょっと待って、と思わず声が出た。
「ごめんなさい。あなたの言っていることがよくわからないの。もう少し教えてもらえない?」
相手は年下である。あくまで優しく問いかけたつもりではあった。しかし、一転して少女は悲しそうな表情を浮かべてしまう。
「……あなたもそうなのね。じゃあ、私が先にいくから」
心なしか右手に持つ小刀を握る手が震えた気がしたが、私は少女の口にした言葉を反芻することで精いっぱいだった。
「あなたも」ということは、私以外の誰かと同じやり取りをしたのだろうか。そして何より、「先にいく」の「いく」が何を指しているのか。心当たりは十二分にあるが、だからこそ疑問に感じてしまう。
これは、私の知っている臨死体験ではない。
私の顔に細かい水滴が降りかかったのは、その直後だった。
大きな桜の樹の下に、花吹雪が舞っていた。小さな小さな花弁が、空に拡がっていく。
朱鷺色の霧が、目の前を埋め尽くしていく。少女の身体を覆い隠す。
ドサリ、と何かが地面に斃れ伏す音が聞こえた。
眼前で繰り広げられた一瞬の凶行に、私は目を奪われていた。キラキラと輝く瞳で、その様子を目に焼き付けんばかりに見つめていた。胸に湧き上がる衝動に、体を震わせながら。
ショッキングな場面に遭遇した際、人は”ハイ”になると聞いたことがある。今の私も、きっと”ハイ”になっているのだろう。そうでもないと、私を突き動かさんとするこの欲求に説明がつけられない。
何を隠そう、私はこの惨状に見とれているのだ。いつかみた花火のようにシトシトと墜ち行く桜の花片に。大地にひれ伏す少女の肢体に。それらを隠そうと散る薄紅色の小片に。
そして何よりも、その様子に憧れているのだ。私も彼女のようになりたい。美しく、それでいて儚さを纏いたい。桜の満開の下で眠りたい。どうせ夢なのだから、どうせ幻想なのだから。別にいいじゃないか。
(あ、臨死体験ってこういうことなの)
きっとあのインフルエンサーも、この光景に目を奪われたに違いない。心の底から惹かれたに違いない。だからこそ、死に臨む体験をしたのだ。インフルエンサーに集るフォロワーたちも、桜の少女とやり取りをしたのだ。そして、片手に携えた小刀に映る自分自身の表情に驚き覚悟を決めたに違いない。
いまの私と同じように。
そうと決まればやることはひとつ。彼女の傍らで果てるだけだ。横には、先に果てた彼女の顔がある。血の気の引いた柔肌も、今となっては忘我の状態に導く誘引剤でしかない。
首筋に、チクリと痛みが走る。水っぽい温かさが、指先を伝い首筋へと垂れてゆく。心臓がドクドクと脈打つたびに、快感が降り積もる。自意識がとてつもない多幸感に蕩けていく。
その時、エクスタシーに見舞われる意識の中に、一本の桜の樹が浮かび上がった。その根元には、地面に這いつくばる無数の人・人・人。大人に子ども老若男女が桜に手を伸ばしている。その手は次第に毛が生え羽根と化し、桜の樹冠へと飛び上がった。
樹冠には、かつて人だったであろう鳥が数えきれないくらいに。その様子はさながら満開の桜のよう。きっと、この桜は人の想いを栄養に育っているのだ。そして、私も今から桜に身を捧げるのだ。いつか、あの枯れ木に花を咲かせるのだ。
高揚する気分とは裏腹に、体の感覚がなくなっていく。体の中枢から末端へと迸る熱が、それ以外の感覚を奪い去っていく。
熱気が指先を覆いつくし、なにかにさわさわと撫でられる感覚を覚えると、私の意識は暗いところへと落ちていった。
気が付くと、すでに朝になっていた。あれからずっと眠っていたのだろう、服に砂が付いている。
桜の大樹は相変わらず枯れていたけれど、ぐるりと一周してみると、寝室からは見えない部分には蕾が付いていた。朝食を摂り朝風呂に入ると、もうチェックアウトの時刻だった。
フロントに鍵を返す際、受付のスタッフに「いい夢は見られましたか?」と聞かれた。よく覚えていなかったので「たぶん(笑)」と答えた。
その時に聞いたのだが、桜の樹に蕾が付き始めたことは、スタッフの間でも話題だそう。専門家に聞いてみたところ、5年もすれば満開になるだろうと言われたらしい。
あれだけ大きな樹だ、満開の姿はそれはもう絶景だろう。満開の暁には、ぜひ再訪したい。楽しみだ。
奇妙ながらも神秘的で美しさすら感じました
こんなきれいな臨死体験なら自分もしてみたいと思いました
あとカニも食べたいと思いました
面白かったです。
ゆゆ様を題材?にしてこの手の作品書くには個人的にかなりの表現力と幻覚が不可欠でハードルかなり上がるのですが、これはしっかりと超えてきたと思います。
お見事