Coolier - 新生・東方創想話

私の好きな一等星

2022/07/02 20:09:32
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 人間は楽しい。
 人間は楽しい。
 人間は、とても楽しい。
 遊んで楽しく、見ていて楽しく、一緒にいるととても楽しい。
 人間は自然の存在で、生きとし生けるものの中で一番強く光る星だ。
 だから当然、妖精との相性も良くて。
 妖精からすれば、生活には欠かせない存在だ。
 例えば、ご近所に住む強大な力の持ち主だったり。
 例えば、会うと楽しい普通が持ち味の人だったり。
 例えば――偶々出くわしただけの、相手だったりして。
「――――」
 小さく、細く、消え入りそうに瞬く光。
 そのとき眼に映ったのは、そんな星だった。
 なんとなしに、気を惹かれる。
 弱くも遠くへ届く光に、自然と身体がそちらを向く。
 今にも消えそうで、だけれどずっと消えることはなかった。
 視つけて、飛んで、走って、見つけて、近くに寄るまで。
 その輝きは、変わらなかった。
 まるでこぐま座の二等星みたいに、強くはないけど消えない瞬き。
 そのときは、そんなふうに思ったのだった。
 だけどそれはあくまで錯覚。空に輝くソレと違って、この眼に映る星々は、いつかは消える定めなのだ。
 大抵の場合、視ているときに消えることはないのだけれど。
 妖精は、よくお休みになるのでそういうこともたまにある。
 ――だけど、これは初めてだった。
 大きく、太く、燃え盛る灯であるはずの瞬きが、けれど目の前で無くなろうとしているのは。
 そして、聴こえたのだ。遠い空から降るような、小さな小さな人の声が。
 幾光年もの彼方から聴こえるように思えて――その実、すぐ傍から聴こえる声が。
「――、て」
「…………?」
「――すけ、て」
「――――」
 妖精の頭でも、その信号の意味は理解することができた。
 一歩を、前に出す。
 仰向けで倒れているそれに――人間に、歩み寄る。
 寄って、覗き込んだ。
 本当に、小さな姿だった。
 自分よりも少しだけ小さい、人の形の原始星。
 そしてその星は、覗き込んだこちらを返すように仰ぎ見た。
 星と顔を合わせるなんて、まるで天体観測ね――と、呑気な発想が頭をよぎる。
 ――そのとき、その子に浮かんだのは果たして笑みだったかどうか。
 わからない。一瞬のことだから忘れてしまった。
 けれど覚えていることもある。
 それは、自分の表情のコト。
 星の名を冠する妖精に浮かんだ、そのときだけの光り方。
 笑みだった。
 ほのかに光る地上の星。安堵を得て笑む小さな人間。そんな姿を前にして、自然の、人間に近しい、人間が大好きな妖精は、笑ったのだ。
 笑ったのだ。
 だって、こんなの笑うしかない。
 こんな、こんな――死にそうな人間を、見つけてしまったのだから。
 
  ◇◇◇

「――遅くなっちゃいましたね。サニーたちが先に始めちゃってなければいいけど」
「魔理沙の奴も置いてきたから、有り得るわね。私がいない間によろしくやってたらどうしてくれようかしら」
「霊夢さんって、すぐ魔理沙さんのこと気にしますよね。口を開けば魔理沙さんのことばかりですし――」
「はい黙る。一回休みにされたくないでしょ?」
「きゃあ、霊夢さんに襲われるー」
 ――夜天の、帰り道だった。
 人里から神社へ続く、長い長い一本道。星明りに照らされながら、一匹と一人は歩いていた。
 一匹は、長髪を風に流した小さな妖精の姿で。
 一人は、黒髪を赤色でまとめている人の姿で。
 二人は幾つもの紙袋を腕に抱えて、夜に濡れた道を歩いていた。
「荷物がいっぱいになっちゃったけど、今日は歩きやすくて助かるわ」
「確かに星が元気な夜ですけど、本当に大丈夫ですか?」
「慣れた道だからね。いざってときは浮けばいいし。スターだってそうでしょ?」
「それは確かに」
 ……本当に、明るい夜ねえ。
 少女は――スターと呼ばれた少女は、心の中で伸びをして、同時に深呼吸を大きく入れる。夜に息を吐き出すと、熱に浮かぶ爽やかさが胸の中に沁みわたった。
 夏の、夜の、しかし夢ではない現実の歩み。
 隣を歩く人間――霊夢を見れば、彼女はきょとんとした顔を浮かべていた。
「何よ」
「いえ、楽しいなーって」
「……否定はしないけど。でも、納得いってないからね」
「はは、それはまあ」
 本来ならばとっくに宴会は始まっていて、今頃は深い酒が入り始める時間となるはずだったのだ。
 そうならなかったのは、ひとえに運が悪かったからとしか言いようがない。
「まさか、誰もお酒を持ってきていないとは思いませんでした」
「こういうときに限って紫の奴は来てないし。全くもう」
 お酒は誰かが持ってくるだろう、と皆が思ったのが運の尽きだった。今日の宴会は持ち寄りで、と通達していたの遠因でもある。
 結果として酒の肴ばかりが集まることとなった。そして、急遽誰かがお酒を買いに行くことになったのだが、
「だからって普通、家主に行かせるかなーもー」
「仕方ないじゃないですか。じゃんけんで、って言い出したのは霊夢さんなんですし」
「ぐっ……そういうの、あんまり負けないんだけどなあ」
 つまりは、そういうことだった。
 薄情な仲間たちに見送られ、哀れ二人きりで人里に向かったのが少し前のこと。今は、その帰り道であった。
「ま、あんたが来るなら私がいたほうが早いし。丁度よかったけどね」
「霊夢さんと一緒にいれば人里に入れるんだったら、今度もお願いしようかなー」
「変なこと言ってないで早く帰るわよ。肉と魚とお酒が私を待っているわ」
 そう言って霊夢は足を早める。お酒が割れてしまいそうだったので飛んで帰るのはやめたのだが、この様子ではいつ誘惑に負けてもおかしくないように思えた。
 そんな霊夢を見ていると、自然に笑みが浮かぶ。もっとも、人間を見ていると自然に笑ってしまうのはいつものことなのだが。
 楽しそうな姿を見ると笑ってしまうし。
 困っている姿を見ても笑ってしまうし。
 あるいは、それ以外の姿であっても、きっと自分は笑うだろう。
 そうスターは思い、からころと音を零す。
 面白い人間と共に歩くのは、本当に心地が良い。
 降り注ぐ星の光の中。今この時間がもう少し続くことが、幸いに思えて仕方がなかった。
 ――だが。
「……あれ、霊夢さん。何か聞こえません?」
「んー? どうせ、野良妖怪か何かでしょ?」
「いえ、この声は……」
 霊夢の言うこともわかる。夜を生きる妖怪たちが、この時間に騒いでいるのは珍しいことではない。
 しかし、この僅かに耳に届く声は、そんな楽しげなものではなくて――。
「――――」
 霊夢の雰囲気が変わったのが、見なくてもわかった。
 確かに、聞こえた。遠い何処かから、腹に響くような必死の声が。
「明かり、付けるわよ」
「は、はい」
 返事をするが早いか。霊夢の周囲に符が浮いて、光が灯ると明かりとなった。
 そして数秒の後、意味を持つ言葉が明確に耳へ届いた。声の主が光を見つけたことで、こちらに寄ってきたのだろう。
 そしてその言葉とは、こういう意味の言葉だった。
 助けて、と。
 声の主は、それだけを主張していた。
「こっちですこっち! どうしました!?」
 もはや声がどの方向から届いているかは明確だった。霊夢はそちらの方向に光を振って、声を張り上げ誘導する。
 ……何時かのときも、霊夢さん優しかったわよねえ。
 なんとなく、昔のことを思い出す。霊夢を驚かそうとして、あっさりと失敗したときのことを。
 しかしそんな物思いは一瞬で吹き飛んだ。光の中に声の主が浮かび上がり、ついに姿を見せたからだ。
 その姿は人里では何処にでもいるような、極々普通の女性にしか見えなかったのだが、
 ……あれ?
「霊夢さん、その人――」
「大丈夫ですか? 怪我はしてませんか?」
「――はい、ええ、大丈夫です。ですが……む、娘が……」
「娘さんが、どうかされたんですか」
「実は――」
 その母親が語ったのは、単純な経緯だった。
 ピクニックからの帰り道。日の入る時間、突然妖怪に襲われた。森の中に連れて行かれた娘を探すうち、こんな時間になってしまった。
 娘は見つからず、見つけたとて妖怪を殺す方法もない。どうしたものかと思案するうち、すっかり夜も更けてしまった。
 おおよそ、そんな内容だった。
「人里に戻るか、それとも一人で探すか……混乱しているうちに、どんどん時間が経ってしまって」
「落ち着いてください。あとは私が、なんとかしますから」
「……え?」
 母親の顔がぱっと上がり、霊夢の顔をまじまじと見つめる。
 まるで、そんなことは信じられないとでも言うように。
「もう大丈夫です。私に任せて、貴方はここにいてください」
「い、いえ、私が案内します。たぶんこっちかなと、方向は覚えているので……」
「……無理はしないでくださいね」
 奥歯を噛んで、霊夢が言う。
 霊夢の瞳が揺れていたのを、スターは見逃さなかった。
 母親を連れて行くのは危険が伴うし、自分一人で探したとて娘の元へは辿りつけるだろう。
 けれど母親を連れて行かなければ、彼女は不安に駆られて何をするかわからない。ひょっとすると、錯乱して夜道に駆け出して行ってしまうかもしれない。
 ――なら、連れて行った方が良いのではないか?
 そんな逡巡が霊夢の目に映り、しかし直後には消えていた。霊夢がそれを飲み干して、母親に不安を伝えないように全力を尽くしたことは疑いようがない。
「じゃあスター、悪いんだけど私の分も持って行ってもらえる?」
 そう霊夢が言う頃には、迷いは彼女からすっかり消えていた。
「……帰るのは構わないですけど、私も一緒に行った方が……」
「なーに言ってるのよ。あんたがいても何の役にもたたないでしょうが」
 少しは役に立てる能力を持っているのだけれど、とスターは思う。とはいえ、霊夢にはレーダーなど必要ないこともわかっているのだが。
 ……うーんでも、これは……。
 突然舞い込んだこの異常。スターには、少しだけいつもと勝手が違うように視えていた。
 だが霊夢はスターの懸念を知りもせず、躊躇もなく身体を振った。
 霊夢が向き直ったのは、母親が駆けてきた暗闇の方面だった。そちらへ目を凝らすと、確かにそこには森が広がっている。
 あの森には覚えがある。昔一人で散歩して、月光浴をした森だったはずだ。
 そんなことを思ううちに、霊夢と母親の姿が闇に溶けていく。自分の眼にも映らず、星明りにも照らされない。そんな闇の中に、霊夢たちが消えていく。
 それからたっぷり六十秒。間を置いて、耳を澄ませた。
 夜風の声と虫の音だけが耳に届く。
 もはや己の眼は、大きな息吹を捉えていなかった。
 完全に、独りぼっち。
 だから、
「……うん。行った方が、いいよわねえ」
 独りごちて、決断する。
 荷物を持って神社に帰る――ことではなく。
 スターは、別の判断をしたのだった。
 ――ふわりと、宙を舞う。
 星の空に、身を躍らせる。
 そうしてスターは荷物をその場に置き去りにして、宙を駆けたのだった。

  ◇◇◇

 闇を歩く。森を歩く。
 夜の道を、拓いていく。
 灯りは御札を数枚だけ。
 森の動物を驚かせることのないように。
 蟲と植物を騒がせることもないように。
 ほのかな光を、闇に差し込む。
 森に入ってから、明るさは最低限のものに落としてある。娘を攫った妖怪に見つからないよう、遠くからは見えにくい術を選んでもいる。
 ちらり、と後ろを窺う。
 母親は問題なく後ろを付いてきているようで、今のところは落ち着いていた。
 だがそれでも、一刻も早く事態を治めないといけないことに疑問の余地はない。
 やはり母親はスターに預けて、さっさと原因を見つけに飛んで行ったほうがよかったかもしれない。もはや考えても仕方がないことだ。しかし、どうしても頭から考えが離れなかった。
 ……いくら妖精でも、この状況で悪戯はしないだろうし。でも……。
 信用はできるが、信頼はできない。そう、判断せざるを得なかった。
 スターサファイアという少女は、妖精の中では頭が良い。自分のせいで人間に危害が及んだら、それがどのような結果を導くかを想像できるくらいの頭はある。
 それでも。彼女ら妖精たちは、あくまでも人間とは異なる存在だ。
 危機的で、非常事態で、絶対に間違ってはいけない状況で――悪戯心が彼女の背中を押さないと、言い切ることはできなかった。
 妖精の感覚でするコトが、人間にとっては致命となる。それは十分に、有り得る可能性だった。
 ならば。友達を信頼できないのは胸が苦しいが、それでもこれが――スターを置いてくることが、正解であるはずなのだ。
 ――などと思考して、はたと気が付く。
「……あ。……うわあ、あー……うわー……」
「どうかされました?」
「い、いえなんでも」
 努めて笑顔で誤魔化しておく。
 怪訝な顔を返されたが、少なくとも不安は与えなかったようなので良しとする。
 いや、それよりも。
 ……私、今なんて考えてた?
 一瞬前のことを思い出す。
 錯覚だとも思ったが、現実だった。
 確かに、今自分はこう思ったのだ。
 彼女を――彼女たちのことを、自分の世界を埋める一部であると。
 間違いなく、そう思ったのだ。
 ……甘くなったなあ、私。この間フランからも言われたし。
 全てを破壊する目とか、知らないっての。
 そのときはそう思ったものだが、はたしてそれは本当のところかどうか。
 たまに妖精と行動して、昔はなかった関係性に身を置いてみると、確かに変化を感じもする。
 巫女らしく、自分らしい、昔から感じている霊感は未だに衰えてはいない。今も歩いているだけで、件の娘と妖怪の元に辿りつける予感がひしひしとする。
 それでも。変わったかどうかで言えば、変わったのだろう。
 そして、強さが変わったかどうかで言えば――。
 ……ああ、うん。考えるまでもないかなあ。
 フラン以外の奴らにも、今度聞いてみようと霊夢は思った。それこそ、今日みたいな日は都合が良い。スターも今頃は神社に着いて宴会の用意を進めてくれているだろう。だから、あとで皆に聞いてみることは、いくらでもできるはずだ。
 ――と、そう考えたときだ。後ろを行く母親が、前方の変化に気が付いたのは。
「あ、巫女さん……あれは」
「――静かに」
 物思いにふけるうち、随分と歩いていたことを今さら悟る。
 森の隙間、奥深く。ぽっかりと空いた広場のような場所に、霊夢らは辿り付いていた。
 明るい夜はここにも届いているようで、手元の明かりに全てを任せず済みそうだった。
 そして、広場の向こう側にいたのだ。妖怪と、その腕の中に小さな女の子が。
「――ちょっとあんた、待ちなさい」
 大して力を籠めずに飛ばした声は、それでも相手に届いていた。
 熱で弛緩した空気が背筋を伸ばし、霊夢と妖怪の間に冷たさが生まれる。
 ――これは殺気だ、と霊夢は直感した。実体のない、けれども伝わる感覚。およそ幻想郷では差し込まれることのない、観念上の刃が霊夢に突き刺さっていた。
 だが、恐怖はない。畏れもない。驚きさえも、まるでない。
 ただ――呆れだけが、霊夢の胸中を支配していた。
「その子ども、人里の子よ。里の人間に手を出したらどうなるか、わかってるでしょ?」
 人里。それは、単に人間の住まう場所という意味だけを擁しない。
 幻想郷における人間の棲み家は、妖怪にとっても有益な場所だ。娯楽品の住まう場所、ということでもない。人間と妖怪は互いに依存していて、片方がいなくなればもう片方もいなくなる。
 だから、全てを受け入れる幻想郷にはそれでもルールがある。秩序がある。里の人間は決して害してはならず――もしそれを破ったのなら、末路は決まっているのだと。
 この妖怪がどうして子どもを攫ったのかはわからない。それでも、自分に――博霊の巫女に見つかった時点で、この妖怪は終わっている。
 少なくとも、そのうちに秘めた悪だくみは。
「……その子を素直に渡すなら、ちょっとボコるだけで許してあげる。でも、傷つけたのなら――残念だけど、退治することになるわ」
 まともに戦いになれば、こちらが一瞬で勝つ。例え妖怪がこの場を切り抜けられたとしても、自分に見つかっている以上もう未来はない。
 幻想郷に幻想郷たるルールがある限りは、人里の住民に手を出し誰かに見つかった時点で、どうしようもなく詰んでいるのだ。
 霊夢はそう思い、妖怪の正面に立つ。人質を取られているような状況ではあるが、気にも留めずに毅然と立つ。
 あとは娘と母親を人里に帰して、一件落着。この妖怪には反省してもらって、二度と同じことを繰り返さないように理解をしてもらう。
 それで終わるはずだった。だが、
「……それ以上近づかないで。この子を殺すわよ」
「話を聞いてなかったの? もう、抵抗しても無駄よ」
 高い、少女の声が木霊する。その身体は羽根と皮膚で覆われていて、全身が青白く光っている。どことなく鷺に似た姿は、間違いなく妖怪のそれであった。
 見たことはないが、大した妖怪ではないだろう。虚勢を張れる理由はないはずなのだが――。
「里だかのルールがどうしたってのよ。妖が人を食って、何が悪いの?」
「――あ、まさか」
「ここには力が強い人間が沢山いるって聴いたけど……お前もそうみたいね。抵抗せずに食べられてくれれば、子どもだけは助けてあげるわ」
「……そう。そういう、ことね」
 この状況を幻想郷の妖が見れば、誰だって意味を理解するだろう。もう、この妖怪に未来はないのだと。
 だがそれには、一つの例外がある。
 幻想郷にいる妖怪であっても――幻想郷にやってきたばかりの妖怪では、ここのルールなど理解しているはずもない。そんな、当たり前の例外が。
「ちょっと、待ちなさい。今ここで私を殺したら、あんたはずっと追われることになる。そうすれば、もう終わりなの。勿論、逃げてもね」
「何を意味の解らないことを……そんなもの、やってみなければ判らないでしょうに。このまま力を失って、死ぬよりはマシよ」
 ……うーん、まずい。
 完全に、幻想郷に対して理解がない。この妖怪程度の力では、逃げ切るどころか最初の追手に捕まることになるだろうに。
 そもそも、人間を殺したならば。特に博麗霊夢を殺したならば。この妖怪の末路は本当に決まってしまう。
 それは、なんとなく、嫌だ。
「……とにかく、子どもを離しなさい。一対一で、決闘しましょう」
「ふざけるな。こいつを殺した後で、お前を食ってやってもいいんだぞ」
「はあ。まあ、そうなるわよね」
 かといって、子どもを犠牲にするわけにもいかない。
 さて、どうしたものか。
 手は、あることにはある。要するに、子どもが殺される前に妖怪を一撃で倒せばいいのだ。顔を吹き飛ばしたくらいでは、妖怪はあっさりと再生するので手加減の必要はない。針か、陰陽玉か、ともかくやってやれないことはないはずだ。
 手段と心が整ったら、あとは集中するだけ。可能な限り相手に近づいて、まずは瞬間的に空へ跳ぶ。虚空からの射撃は狙いを付けにくいだろうが、しかしやるしかない。
 実行に移す前に、子どもに目をやる。その少女は疲れ切った表情をしていて、諦めたかのように惚けていた。
 本当に、小さな子供だ。森の中を長い間歩いただけでも、疲れているだろうに。妖怪に連れまわされたとあっては、ああなるのも仕方があるまい。
 ――だが、少しだけ違和感を覚えた。助けが来て――しかも母親が視界に入ったならば、子どもとはもう少し希望を得た表情をするものではないだろうか――?
「まさか――ぐ、うっ……!?」
 振り返ったときには、既に遅かった。
 視界に映ったのは、母親が――否、人間に化けたもう一人の妖怪が、こちらの脇腹を刺そうとしているところだった。
 間一髪のところで、身を捩って致命傷を避ける。それでも右の腹に熱いものが生まれ、手を当てれば気持ち悪い感触が肌を滑った。
「……最初から、騙していたのね」
「あの子どもは本物だけどな。一人で歩いていたのを捕まえて、利用させてもらったよ」
「こんな時間に出歩いてるなんて……どういう教育してるのよ」
 せめて子どもも妖怪で、全員敵だったら話は楽だった。腹に傷を負っていようとも、相手が三人になろうとも、蹴散らすのはたやすいことなのだから。
 だが、子どもが人質になっている状況が変わらないのなら――。
 ……あー、少し不味いかも。どうするかなあ。
「珍しく運がよかったな。こんな霊力の高い人間を食うことができるなんて」
「大したことないように見えるけどね。簡単に騙されてくれたわけだし」
「……言ってくれるわね」
 左手で抑えた腹部からは、未だに液体が流れ続けている。子どもを助けるどころか、このままでは二人とも食われかねない状況だった。
 だというのに、不思議と感情は遠くなっていた。心は震えず、危機も怒りも感じない。まるでこの状況を、諦めてしまったかのように。
 ただ少しだけ、思うことがあった。
 今ここで、例えば自分が死んでしまったならば、
 ……本当に弱くなって……そうなったのが、悪いことみたいじゃない。
 嫌だ。それは本当に嫌だ。理由はわからないけれど、嫌だと思った。
 顔を、上げる。
 どうしようもない状況であるが、どうにかしなければならない。どうすればいいかは頭の中に浮かばないが、それでもなんとかなるに決まっている。
 根拠はなく、勘でもなかった。ただ、自分がそう感じただけだった。
 だから霊夢は、身体に力を込めた。やれるだけのことはやろうと、そう思って。
 ――しかし。
「――あ、やっと見つけたあ。霊夢さん、こんなところにいたんですね」
「……え、スター。どうしてここに?」
 神社に戻ったはずの、妖精がそこにはいた。
 霊夢の後ろ、手の届かない場所。霊夢たちが歩いてきた道の途中に、その妖精は佇んでいた。
 こんな状況にも関わらず、彼女は笑っていた。
 霊夢を見つけたから、笑っているのではなく。
 霊夢の状況を見て、笑っているように思えた。
「……神社に、戻ったんじゃなかったの?」
「そうしようとしたんですけど、ね。もしかしたら、楽しいコトが起こってるんじゃないかなーって、こっちに来ちゃいました」
 そう言って、スターはこちらに近づく。森の隙間から刺す星明りが、彼女を照らし出していた。
 額に汗を浮かべて、息を荒げて、頬に熱を貯めて。
 表情を変えずに――霊夢の状況を見て尚、笑みを崩さずにいた。
「……スター、あんたまさか」
「ええ、私も妖精ですから。人間が困っているところを見たいなあなんて、思ったりすることもあるんですよ?」
 そうして、霊夢の手の届くところまでスターはやってきた。
「ふふ、霊夢さんでもそんな格好になるんですね。そんなに強いんですか? この妖怪たちは」
「……お前、こいつの仲間じゃないのか?」
 母親に化けていた妖怪が、疑問の声を発した。
 当然の反応だった。この妖怪は、先ほど霊夢とスターが一緒にいるところを見ているのだから。
「ええ、仲間じゃないです。単に一緒にいると楽しいから近くにいるだけで……ふふ、私だけで霊夢さんのこんな姿を楽しむなんて、もったいないわ」
「……スターだけ、なの?」
「ええ、見てわかりませんか? 御覧の通り誰も連れてきていませんし……音だって、私のものしかしないでしょう?」
「――ええ、そうね。……ああもう、まさか妖精に笑われる日が来るなんて」
 妖怪たちは未だに困惑の色を見せていたが――次第に、納得を得たようだった。
「そうかいそうかい。お前、友達に恵まれなかったんだな」
「残念ね。それじゃあ、まずは貴女から食べてしまいましょうね」
 二体の妖怪が共に言う。
 スターは相変らずにやにやと笑っていて、動こうともしていない。このままでは、霊夢が終わってしまうにもかかわらず。
 しかし、霊夢はもはや次に何をするべきか理解していた。
 力なく指を振って、明かりに使っていた符を消灯する。
 妖怪たちは、その動きを諦めの意思表示だと捉えたのだろう。いよいよ霊夢に対して襲い掛かろうとする。
 だがそれよりも早く、霊夢は右手を挙げて、
「で、本当はあと何人いるの?」
「――ええ、三人です」
 スターの返事に、妖怪たちが怪訝を浮かべようとした。
 否、できなかった。
 何故なら。その妖怪たちの顔を、何者かが蹴り飛ばしていたのだから。
「――――!」
 妖怪たちの当惑をよそに、霊夢は動いた。
 脇腹の傷など、気にしなかった。
 力の緩んだ妖怪の腕の中、子どもの身体を一瞬で確保する。
 いつの間にかスターも霊夢の間近に寄っていて、さらには気配が生まれた。霊夢の隣に、二人分――二匹分の気配が。
「な、に――」
「それでスター、最後の一人ってのは」
「はい。とにかく身を守っていればいいぜ、とのことで」
「勝手なこと言うわねえ」
 苦笑と共に霊夢の指が宙を割く。
 御札を宙に投じて重ね、印を切って力を流す。
 一瞬で、結界が生まれた。
 二匹の妖怪を見れば、未だに何が起こったのかを理解してない様子であった。
 しかし説明してやる義理もない。こちらだって、余裕はちっともないのだから。
 故に、力を籠めることだけを意識する。霊夢の周り、手の届くところ。そこだけを護るように、祈りを飛ばす。
 そして闇が来た。光は曲がってくねり果て、音は虚空へ消えていく。太陽と月の創り出した、優しい闇が身を包む。
 そうして霊夢は衝撃を得た。夜を飲み込む流れ星。光と星の恋心。きらめく魔力の奔流が、結界を包み込んでいるのだろう。外が見えなくとも、きっとそうだと確信できた。
 結界の隙間から、星光がはらりと差し込んでいた。あまりの出力に、少しだけ零れ落ちてきたものだろう。今やその光は、結界の中に溢れていた。
 なんとなしに、スターを見る。するとやはり、彼女は笑っていた。
 今にも死にかねない子どもを見ながら、安堵の笑いをその顔に浮かべて。
 やがて衝撃が収まる。闇が晴れて、外が見えるようになる。そこには何も無くて、結果だけが残っていた。
 思わず溜息を一つ。
 それは、全てが終わったと知らせる合図であった。
 
  ◇◇◇

 子どもは人里に送り届けた。こんな夜更けにどうかと思ったけれど、忍び込むのは私たちの得意技。それを善いコトに使っているのだから許してほしいと、スターは思う。
 別れ際、子どもがなかなか離れてくれないのが、ちょっとだけ困った。また遊びに来るから――だからもう、今度こそ一人で出歩いちゃダメよと、そんな約束をしたりもした。
 霊夢の怪我も終わってみれば大したことはなかった。血の匂いに釣られた吸血鬼を兎の薬屋が追い払って、きゃあきゃあと騒がしく皆が楽しそうだった。
 森を台無しにした魔法使いは遠くで飲んでいるようで、あの二体の妖怪に何やら説教をしているようであった。あの人に任せておけば大丈夫だろうと思う。霊夢の機嫌が悪くなることだけが心配であったが。
「――はあ、ひどい目に会ったわ」
「あ、霊夢さん。もういいんですか?」
「やることはやったし、怪我も診てもらったしね。あとは皆に任せるわ」
 あんなことがあったにもかかわらず、平気で宴会は始まった。
 霊夢の様子を見て笑ったり、心配したり、怒ったり、色んな反応をする人と妖がいて、その全てに霊夢はうんざりとした顔を向けていた。
 もっとも、本当に嫌がっていないことはスターにもわかったのだけど。
「はい、これ」
「なんですか、このスイカは」
「私一人で食べようと思ってたんだけどね。一応、お礼よ」
 素直に受け取って、しゃくりと頬張る。甘さが口に砕けて弾け、冷たい水が喉に流れた。身体の熱が消えていく感覚が、とても気持ち良い。
「おいしい」
「それはなにより。身体は冷えた?」
「はい。片道とはいえ全力で飛んだので、さっきまで火照ってましたけど」
 飛ぶだけでも息は切れるし、身体に熱が籠りもする。慣れないことをしたせいで、下手をすると一回休みになっていたかもしれない。もう片道で箒に乗せてもらえなかったら、どうなっていたことやら。
「あーそれと。お礼だけじゃなくて、お詫びも兼ねてるから」
「はい?」
「……いやなんでもない。スイカ、もう少しあるからね」
「ふふ。はーい」
 一体何を言おうとしたのか。わかるような気がしたけれど、深くは考えないことにした。
 もう少し親しくなったそのときに、教えてくれればそれでいい。将来的には、友達だと思ってくれると嬉しいのだけれど。
「ああでも、さっき怒ってた子が言ってたこともわかるかも。昔の霊夢さんだったら、あんなバレバレの罠に引っかかってなかったと思いますし」
「え。バレバレだったの?」
「私の眼にもあの妖怪は強く映ってましたし。そもそも経緯も怪しいところが多かったですし。霊夢さんなら、すぐに見抜くと思ったのにあっさり騙されちゃうんですもん」
「……そっかー。やっぱり私、弱くなったかなあ」
 先ほど、宴会に来ていた吸血鬼が膨れ顔で霊夢を糾弾していたのを思い出す。
 きっと、霊夢が弱くなったことに思うところがある妖怪は多いのだろう。貧弱な妖精の身としては、理解が及ばないところではあるのだけど。
 ただ一つ言えるのは、
「昔から、一緒よねえ本当に」
「……え、今の私のこと? そうよね。やっぱりそうよね、うんうん」
 勝手に納得して頷いている。本当にこの人は、面白い。
 面白くて、楽しくて、近くにいると笑顔でいられる素敵な人間。
 私の好きな、昔からの一等星。
 そうスターは思ったけれど、口に出すことはしなかった。だって、
「――あ! スターだけずるいわ! 霊夢さん私も私も!」
「そうよスター。私とサニーだって、活躍したんだから」
「あら見つかっちゃった。だそうですよ、霊夢さん」
「わかったわかった。じゃあ取って来るから――」
 そういって霊夢が土間に向かう。取って来ると言っていたのに、サニーもルナもあとを付いて行ってしまった。
 それを見て、やっぱりスターは笑ってしまった。
 本当に。本当に、そうなんだなあ、と。
「ああ、もう――そんなこと、言うまでもないわよね」
 呟いて、星空の下をゆっくりと歩き出す
 私の好きな――私たちの好きな、一等星に追いつくために。
ここまで読んで頂きまして有難う御座います。楽しんで頂けたら幸いです。
スターは妖精の中で一番好きなので、短編ですが綺麗に書けて楽しかったです。
妖精たちは人間と価値観も死生観も異なりますが、それでも人の命はこう捉えているのかなあというお話でした。
海景優樹
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コメント



0.360簡易評価
1.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
5.100東ノ目削除
詩的な表現が素敵でした。良い作品をありがとうございます
7.100ケスタ削除
相変わらず好きという感情を描くのが上手ですね。いつにも増して情景が強く描かれていたように思えます。霊夢の変化はとても望ましいもので、彼女が幸せに暮らせていけばいいなという気持ちが一層増しました。
9.100名前が無い程度の能力削除
霊夢の変化の部分と、スターの持つ妖精的な視点を描いているのがとても良かったです。
10.100Actadust削除
霊夢が弱くなったからこそ、広がってくる世界がある。それが見え隠れしているのが伝わってきました。
11.100めそふ削除
良かったです。霊夢が周囲との関係性を育む内に弱くなった、そしてそれを自覚していた事に寂しさを覚えつつ、弱くなった事が悪いことであってほしくないという彼女の感情は美しいなと思いました。
12.100南条削除
面白かったです
いろんな経験を経て何かを得るごとに少しずつ弱くなっていくような霊夢が素敵でした
スターも絶妙に黒い部分が見えていてよかったです
13.80福哭傀のクロ削除
詩的で綺麗な表現が心地よかったです。
霊夢を主として見た場合(作者の意図としてはスターが主かもしれませんが)、
弱くなっていく霊夢を観測する立場に置くキャラにスターを選んだのが、なかなかおもしろいなと思いました。
15.100桜葉めディ削除
霊夢の踏ん張る姿がかっこよかったです。その後の展開ではダークさを含みつつも、仲間の力により勝利を掴んで熱かったです。スターの感性は決して人間のそれと同じでは無いけど、霊夢を本当に気に入っているのが伝わってきて胸が暖かくなりました。