Coolier - 新生・東方創想話

みこがさなるあじわい

2022/06/23 02:04:01
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 ── 「おどろき」という感情はいったいどういう味がするの?
 たずねられるたび小傘は答えに困った。とてもふしぎな味がするものだから。
 胡椒をふりかけたプリン。レモンを搾った芋羊羹。黒糖をくっつけたおせんべい、おいしいのかおいしいのかよくわからない、ヘンテコなあじわい。それでいておばあちゃんの家で出てくるお菓子みたいに、素朴なあじわいのするもの。
 これが「恐怖」までいくとドギツすぎたりする。家系ラーメンとか激辛料理とか、加熱用の牡蠣を生で食う時みたいな、食べる側としても覚悟のいる味になる。もちろんハマった時の味の濃さ、脳内麻薬がドバドバ出てくる感じは「おどろき」の比ではないけれど。それども小傘は「おどろき」の素朴な風味の方を愛していた。

 今日も小傘は、「おどろき」の味を求めて人里に出かけていた。目抜き通りのにぎわいを離れ、人気の少ない裏路地へと忍び込む。物陰に隠れ、誰か人がやってくるまで根気よくじっと待つ。期待に胸を膨らませながら。
 根気よく待ちつづけていると、そのうち地味な格好をした女の子がやってきた。最近の里では割とよくある洋装である。白い帽子に丸眼鏡。グレーのパーカーに膝丈まである紺のロングスカート。見るからに地味な格好である。
(ああいう格好の人って気弱な人が多そうだもんね。驚かせちゃうぞ♪)
 今にも叫びだしたくなるような胸のドキドキを頑張って抑えて、小傘はじっと待った。曲がり角を曲がる瞬間が勝負だ。今この裏路地には二人しかいない。聞こえてくる音といえば、自分の息づかいとターゲットの足音だけ。ターゲットが接近しつつある。足音が段々大きくなってくる。共鳴するみたいに心臓の鼓動が高鳴っていく。
「おどろけ~っ!!」
 おなかにグッと力を入れて小傘は声を張り上げ叫んだ。
「わわっ!!」
  ターゲットは予想以上に驚いて、尻もちをついた。たちまち大きなおどろきの感情が飛び出してくる。
 普段より味は濃いめだし、ボリューミーでもある。小傘の魂は大口を開けて、驚きの感情をパクリと食べた。魂の舌の上「おどろき」はバニラアイスのようになめらかなくちどけでとろけていく。
「おいしかったあ! おなかいっぱい♪ って……あのう、大丈夫ですか?」
 いまだに尻もちをついたままのターゲットに小傘は手を差し伸べた。「おどろき」の後の「安心」の感情もけっこう美味だったりする。本人いわく果実系の優しい甘味に、ライム系の酸味で甘すぎずくどすぎずデザートに最適とのこと。
「ふう……大きい音は苦手なのですがねえ……」
 転んだ弾みで伊達メガネがずり落ち、素顔があらわになっていた。今度は小傘が驚く番だった。いや、驚きを通り越して小傘は戦慄した。とんでもない人物に小傘は手を出してしまったのだ。
「え、ええと、あなたは……」
 ブルーハワイのかき氷のシロップみたいに顔を青くし、中古で買った洗濯機みたいに小うるさくガタガタ震えながら、おそるおそる小傘はたずねかけた
「あっ、眼鏡ずれ落ちちゃいましたか」
 小傘が驚かしてしまった相手、それは里随一の権力者にして為政者(小傘くらいいともたやすく存在の痕跡ごと消し去ることができる)、豊聡耳神子だった。

「す、すみません。全然気づきませんでした。普段とは格好が違うというか……オーラが足りないというか?」
「いえいえ、気にしてませんよ。プライベートではいつもこんな感じです。それより、飲みます?」
 肩からさげていた小さなカバンから、神子は水筒を取り出しお茶をついだ。
「あ、ありがとうございます」
 一口すすってみると、熱々の梅昆布茶だった。酸味と旨味のバランスがよくとれているホッとするあじわい。
「どうです? 最近、よく飲んでるんですよ?」
「おいしいです! でもなんだか意外です。神子さんみたいにカリスマァッ!って感じな人でもこういうのを呑むんですね」
「あれはおしごとモードですよ。為政者としての演出です。あれ、ちゃんと自然に見えてましたか? やってる側としては時々不安になるんです。実は全部バレてて、自分が今ずいぶんと、滑稽な存在になっているんじゃないかと」
 神子もまたお茶をすすり、小さく吐息をついた。知的でアンニュイでどことなく冷めてる雰囲気。しかし弱々しいわけでもなく、話していると静かな威厳のようなものがひしひしと伝わってくる。これが神子の素なのかと小傘はただただ驚かされるばかりだった。
「は、はい。自然に見えてましたよ。すっごくカッコよかったです!」
「ありがとうございます。為政者っていうのは俳優と似ていまして、涼しい顔して嘘をつけなきゃつとまりません。まあ、舞台裏からのぞいて見るとあれほど滑稽な俳優もいませんけどね。あっ、そうだ、よければこの後いっしょに、私と里で遊びませんか?」
「えっ、いいんですか!?」
「こんな姿見せられるの屠自古くらいですけど、彼女は足がなくて目立ちすぎますし。これまで里で羽を伸ばす時はいつも一人だったんです。だから、よければご一緒に」
「ぜひ、ぜひお願いします! やっぱり、友だちはたくさんいた方が楽しいですよ!」
「決まりですね。二人でいっしょにささやかな休暇を楽しみましょう」

 ちょうどその日の人里は快晴だった。すでに正午を過ぎ、日の光も弱まって涼しい風が吹いている。初夏の昼下がりの生ぬるい空気の中、往来には多くの人が出ていて買い物をしたり、声を張り上げ客引きをしたり、にぎやかな喧騒であふれている。
「つきましたよ小傘さん。この店です」
 神子はとある、古びた商店の前で立ち上がった。店の看板には、墨をつけすぎたかのようにやたらと太くにじみっぽい字で大きく四文字――「だ が し や」――と書かれていた。
「だ、だがし屋ですか?」
「ええ。さあ、中に入りましょう」
 神子はグッと力を込めて、建てつけの悪い引き戸を無理やりに開いた。ガラガラと音を立てて戸が開く。ギシギシ軋む網マットを踏んで中に入ると、店内は薄暗く、明かりといえば電球のオレンジ色の光だけ。安っぽくなつかしい原色の明かりと淡いかげり。加えて、木材とほこりの古めかしいにおいが鼻にただよってくる。時間の流れがまずちがう。とてもゆったりと、人間にとって自然と感じられる早さで時が流れていく。
 「やあ、トヨちゃんじゃないかい!?」
 酒灼けしたガラガラの声とともに、恰幅のいい、赤ら顔の中年の女性が現れた。この店の店主である。
「トヨちゃん?」ヒソヒソ
「私の偽名ですよ。われながら安直ですが、トヨ子と名乗っているのです」
「あら、今日はお友だちも連れてきたのかい。かわいい子だねえ」
「わぁい! かわいいだって!」
「さあ、お金は出しますから、好きなものを選んでください」
「ありがとうございます。みこ……じゃなくてトヨ子さん」
 店内にはところせましと商品の並べられた棚が置かれていた。神子は安価なだがしを少しずつ、たくさんの種類購入したのに対し、小傘は手づくりのアイスキャンディーを二本買った。棒がアイスにまっすぐ刺さっていないのはお手製ならではである。
 二人は軒先に備え付けられ赤い木製のベンチに座った。ベンチはほんのりと、昼下がりの日差しの熱を集めあたたかった。
「いただきまーす♪ あっ、そうだ。よければ神子さんもどうぞ」
 小傘は二本買っていたアイスキャンディーのうち、一本を神子へと差し出した。
「あっ、ありがとうございます。お返しといってはなんですか、よければ……」
 神子は丁寧に頭を下げ、フルーツ餅(あおりんご味)を小傘に渡した。
「ありがとうございます! 私も駄菓子とか好きなんです。ちょっとのお金で色々買えるのがいいですよね! って、神子さんには共感されづらいか……」
「いえいえ、わかりますよ。ほら、この小さな袋におかしがパンパンに詰まってる感じ、心浮き立つじゃないですか」
 神子はおかしの詰まった袋を掲げて小傘に見せた。
「仕事中とかに、チビチビと少しずつ食べるのが好きなんですよ。いつも豪勢だったり華麗だったりじゃ、疲れちゃいますもの。こういう素朴な楽しみが、人間の幸福には必要だと思うのです」
 神子はつつましいしぐさで、アイスキャンディーのさきっぽをくわえながらいった。その横顔の良く整った目鼻立ちはやはりうつくしいもので、小傘は魅惑されるのを感じた。普段のキンキラキンしてるのも十分魅力的だけど、今のものしずかな雰囲気の神子もやはり人をひきつける力にあふれている。小傘はそれをすなおに「スゴいな」と思った。
「神子さん、今度はどこに行きますか?」
「そうですねえ。どうしましょうか……選択肢は色々ありますけど……」
「よければ、お酒を飲みながらヤツメウナギでも食べませんか? 昼間から飲むお酒もおいしいですよ! それに今回は私がおごりますよ!」
「いいですねえ。昼間から冷酒でちびちびと飲むのは、きっといい気分だと思います。でも、おごってもらっていいんですか? お金なら私の方が余裕が……」
「お金出してもらってばっかりだと、友だちって感じがしないじゃないですか。今度は私が神子さんを楽しませちゃいますよー!」
 小傘は神子の背中をパンパンと軽く叩きながらいった。無邪気な笑顔だった。恩着せがましさとかよそよそしいだけの謙譲とか、人間関係につきもののイヤなにおいがしてこない。その晴れ空のようなほほえみに神子がおぼえた感情は――かわいた諦めだった。
「……やめましょう。こんなことやっぱり、バカげてます」
「……えっ?」
 小傘の眼を見ることなく、視線を落としながら神子がいう。小傘はキョトンとした表情を浮かべた。
「あ、あれ……? 私何か、失礼なこと言っちゃいました!?」
「あなたは悪くありません。さっき言いましたよね、政治家なんて、俳優みたいなものだと。今だってそうなんです。「ほんとうの自分」を演出しようとする私がいつまでたっても消えてくれない」
「……ど、どういうことなんですか? 私……バカだからかなあ、全然わからないですよ……」
「声の抑揚、発声のタイミング、顔の角度、距離感の調整、言葉の選び方……どうすれば一番自分を魅力的に見せられるか、普段の派手な自分のイメージと、素朴な自分とのギャップを最大化できるか――すべて計算してのことなんです。あまりに仮面をかぶっている時間が長すぎて、私はとうの昔に自分の素顔を忘れてしまった。こんな人間があなたのような、ほんとうにきれいな人と「友だち」だなんて、やっぱりバカげていると思います」
「……で、でも私は神子さんのことを、いい人だと思いますよ」 
「いい人のはずないでしょう。生まれた時から王族で権力の暗闘に散々かかずらい、私の両手には怨のこもったドス黒い血がこびりついている」
「で、でもそれは仕方がないことだったんでしょう?」
「……もうよしてください。そういう言葉をかけられるのは、心苦しい……」
 神子はそう言い残すと小傘に背を向けその場を去ろうとした。諦めた方がいいかもしれないと思った。これ以上の言葉は無意味ではないかと。それでもなお小傘はじっとしていられなかった。 
「そ、それでも私はあなたのことを、友だちだと思ってます!」
 神子が立ち止まり振り向く。
「……ありがとう」
 笑っているのに、どこかかなしげな顔。見ているだけでせつないきもちになってしまう。せめてあの顔だけはほんとうであって欲しいと小傘は思った。そうでなければ人間も、人間の気持ちを食べておなかを満たす自分のような妖怪も、どうして生まれてきたのか── その大切な意味を見失ってしまう気がした。

「って、ことがあったんだよねえ……」
 その日の晩、小傘はミスティアの屋台でクダを巻いていた。あまり強い方でもないのに小傘のペースは早く、すでに寒梅をコップで三杯も飲み干していた。
「へえ、あの聖人様がねえ……」
 赤蛮鬼は意外そうに相槌を打つとジンジャーハイボールをひとすすりした。
「でもたしかに、相手がいいヤツすぎて、自分のイヤなところが目立つってのはよくあるよなあ」
「蛮鬼ちゃんにもそういうことあるの?」
「ごくまれにな……」
(ホントは主にオマエと付き合ってる時とか、流石に恥ずかしくていえんよなあ)
「ああ、もう! なんだかモヤモヤする……こんなんじゃ、ごはんもおいしく食べれないよう……」
「もうヤツメウナギを三匹もたいらげてるってのに、よくいうよなオマエも」
「うう……なんか、怖いの。私昔も誰の役にも立てなくて捨てられて、今回も神子さんに何もしてあげられなくて……それがなんだか、悔しくて……」
 小傘はとうとう泣き出してしまった。普段は何事にも斜に構えがちな蛮鬼だがこの時ばかしは心がズキズキ痛んだ。
「ちょっ、泣くなよ。オマエ……」
「うう、だって……心細くて……またひとりぼっちは、イヤ……」
「そ、そんなこと言うなよ! 他の連中がどうかは知らないけど……わ、私は……」
 蛮鬼は小傘の肩を抱き寄せた。
「えっ……ば、蛮鬼ちゃん、何?」
「え、ええと、わ、私は……ずっとオマエのそばにいてやるから、だから安心しろ!」
 照れくささをやっとのことで押さえつけて蛮鬼はいった。けれども答えは返ってこない。代わりに聞こえてきたのは……。
「ングぅ……」
 可愛らしいいびきの音だった。小傘は蛮鬼の肩を枕代わりにして寝落ちしていた。
「こ、コイツ……よりによって今眠りやがって……」
「まあまあお客さん。きっとあなたといっしょにいて、ホッとしたんですよ」
 二人の会話をそっと見守っていたミスティアがなだめた。
「ハア、そういうことにしといてやるか。ところでおかみさん。私今、滅茶苦茶厠に行きたいんだよねえ……」
 今蛮鬼の肩には、小傘が思いっきりよりかかっている。席を立とうにも立ちづらい状況なのである。
「ええと……上半身と下半身が離れたりは……」
「私はろくろ首だからな。そんなのは無理だ」
「……困りましたねえ」
「ったくコイツは、毎度毎度手間ばっかりかけさせやがって……」
 愚痴っぽく蛮鬼は言った。とはいえ、ほんとうにイヤそうではないのである。むしろ少しうれしそうなのだった。

 それから、三日ほど経ったある日のこと。
 神霊廟の深部、一部の人間にしか存在を知らされてない部屋がある。外も中も壮麗で装飾的な霊廟においてその空間だけが異質だった。調度品のたぐいといえば、部屋のまんなかにおかれたテーブルとイスくらい。窓すらなく光源もロウソク程度。この殺風景さに、この部屋の用途というものが端的にあらわれているといえる。すなわち、秘め事。
 今この部屋では豊聡耳神子と、とある大物が密談をしていた。
「やり手とは聞いていたが、大胆な真似をしますね。まさか驪駒の元主人である私と協力関係になろうとは……」
「だからこそですよ。驪駒は単純バカです。私と復活したあなたとの間につながりがあると知れば、ヤツの脚力は随分鈍るでしょう」
 神子の密談の相手とは畜生界の雄にして鬼傑組組長、吉弔八千慧だった。
「しかしあなた方は所詮人間の敵。つながりが発覚すれば神霊廟の評判も落ちる。そのリスクを呑んでまで協力する旨みがあるのですか?」
「そうですねえ。こういうのはいかがですか?」
 八千慧は部下のカワウソ霊に命じ黄金が詰められた風呂敷を神子の前で広げさせた。
「畜生界は大都会、異界の中では辺境の幻想郷と比べ金はいくらでも集まります」
 八千慧は上目づかいで神子を見つめた。優雅で洗練されたやわらかな物腰。しかし同時に自然な自信に満ち溢れてもいる。大勢の部下を率いることができるだけの、カリスマ性を感じさせる人物。
(やはり私には、こういう相手と腹の探り合いをしている方が性に合うな)
「わかりました。あなたたちと手を結びましょう。金というのは便利なものです。加えていくらあろうと足るということはありません」
 神子の返事を聞いた八千慧は満足そうに不敵な微笑を浮かべた。
「フフ……とても賢い決断だと思いますよ、聖徳王」

 「流石ですね組長! あれほどの人物と同盟を結べるなんて!」
「賢い人物を動かすのは簡単です。理と利を示すだけでいい。単純バカの方がよっぽど扱いづらい」
 八千慧は配下のカワウソ霊たちとともに帰途に就いていた。思惑通り計画が進んだこともあり、八千慧たちはすっかり上機嫌だった。
「……にしても、幻想郷の夜道は暗いですね。いつまでも明るくうるさい畜生界と比べると随分差があるなあ」
「どうしたんですカワウソ霊? まさか夜道が怖いのですか?」
「まっ、まさか! こちとら泣く子も黙る極道ですよ。いくら妖怪がうじゃうじゃいようと夜道くらいなんとも……」
「フフ、それでこそ私の配下です。さあ、早く畜生界に帰って、祝杯をあげましょう」
 けれど思わぬ伏兵がいたのだ。その伏兵はとても弱かった。ゆえに八千慧はその存在に気づけなかった。ちょうど、八千慧が曲がり角を曲がろうとした時のこと――
「おどろけーっ!!」
 何者かが飛び出て声を張り上げる。伏兵の正体――それは多々良小傘だった。
「うわああっ!!!」
 完全な不意打ち。八千慧は驚愕のあまり尻もちをついてしまった。
「わーい! おどろいたー! おなかいっぱーい!!」
 小傘はウキウキになって喜んでいた。しかし喜んでる場合ではなかった。
「なんだ!? カチコミか!?」
「チャカ! チャカをかまえろ!!」
 カワウソ霊たちは血相を変え一斉に拳銃をかまえた。
「えっ? ええっ!?」
 理解ができず困惑するばかりの小傘。そんな小傘に対しカワウソ霊たちは容赦なく弾をぶっぱなした。
「ぶち殺したる!!」
「ひいいいっ!」
 何がなんだかわからないまま、大慌てでその場から逃げ出す。カワウソ霊たちはその背中目掛けなおも弾を撃ったが、あたりが暗いこと、道が入り組んでいることもありかれらは小傘を見失ってしまった。
「な、なんだったんだアイツは?」
「鉄砲玉? それにしては弱すぎる気が……」
「何をボヤボヤしてるんです! 追いなさい! 確実に仕留めるのです!!」
 疑問符を浮かべるカワウソ霊たちを、金切り声を上げて八千慧は叱りつけた。
「で、でも組長……多分アイツはただの野良妖怪……」
「あれほど強そうな妖怪が野良のわけないでしょう! さあ、早く!」
(……強そう?)
 普段は八千慧に従順なカワウソ霊たちも今回は首をかしげずにいられなかった。
(組長は冷徹で頭もキレるけど、計算外の事態には脆いところがあるからなあ。あの邪神が現れた時も「もうおしまいだーっ!」って言って三日くらい部屋に引きこもってたし……)
 苛立ちと狼狽のためなのだろう、やすりを使ってキレイに整えた親指の爪を、八千慧はいかにも神経質そうにガリガリと噛み砕いていた。
「と、とにかく追うのです! それと、神霊廟の連中にも応援を頼みなさい!」
「えっ? どうして神霊廟に?」
「我々はここの地理を知りません。やつらの方が道には詳しいでしょうし、協力関係を強化する第一歩にもなります!」
「なるほど……」
 一度はパニくったとはいえ、流石に八千慧は冷静さを取り戻すのも判断を行うのも早かった。こうして一匹のカワウソ霊が神霊廟へと向かい、残りは小傘の後を追った。

 対する神子はというと、八千慧が帰った後も書類仕事に精を出していた。
「太子様、そろそろ休んだ方がいいんじゃないですか。最近ずっとはたらきづめじゃないですか」
 そんな神子のことを心配したのだろう、梅昆布茶をお盆にのせた屠自古がやってきて声をかけた。
「大丈夫ですよ屠自古。これくらいなんともありません」
「あなたが勤勉な方なのは知っていますけど……根を詰めすぎですよ。まるで何かを忘れようとしているかのようです。先日お忍びで遊びに行かれた時、何かあったんですか?」
(……相変わらずこの娘はカンが利きますね)
 ちょうど神子が答えようとしたその直前のこと、けたたましい靴音が突然轟いた。何者かが勢いよく扉を蹴り開け中に入ってくる。物部布都だった。
「大変です太子様! 鬼傑組の組長が刺客に襲われたとのこと! われわれにも応援を出して刺客をとらえるよう要求しています!!」
「んだと? お前それウソじゃないだろうな? ウソだったら百万ボルトだかんな!」
「な、何を言うか屠自古!」
「布都はこういう時までふざけるような娘ではないですよ、屠自古。それにしても刺客とは……いったい何者のしわざでしょう? 会談を察知したにしても、突然刺客を送るとはあまりにも軽率というか……」
「得体の知れない敵……。太子様を行かせるわけにはいきません! ここは私と布都が……」
「いや、私と屠自古にしましょう。あまり大事にはしたくないし、少数精鋭の方がいいと思います」
「た、太子様、われはそのしょーすーせいえいには入らないのですか!?」
 不安で顔を引きつらせながら布都がたずねた。神子の代わりに屠自古が呆れ顔で答えた。
「オマエに行かせると、羽虫殺すのにすら火球をぶっぱなすだろうが!!」

 こうして神子と屠自古は神霊廟を発ち、真夜中の人里を飛行した。気取られぬよう気配を抑えながらにせよ、大勢のカワウソ霊たちがうようよ里を飛行している。それもただならぬ殺気をみなぎらせながら。
「太子様、どこを探しますか?」
「……どうもこの計画、あまり練られたものではないような気がします。逃走経路を用意しているとは考えづらい。そういう時、屠自古ならばどこへ逃げますか?」
「遮蔽物が多く身をひそめるのに適し、入り組んだ場所……例えば人里の裏路地とか」
「私も同じ意見です。ものは試し、とりあえず向かってみましょう」
 お忍びで何度も出かけているだけあって、神子は人里の地理にも明るい。神子は迷うことなく、効率よく路地を探索していった。
(そういえば、小傘さんと会ったのもこのあたり……)
 そんなことを考えながら飛行していると、そばにいた屠自古が突然声を荒げた。
「テメエ、なんでそんなとこに隠れてやがる!」
「ひぃぃ!」
 すっかりおびえ切ったなさけない悲鳴。聞き覚えがあった。物陰から、力なく両手を上げた格好で一人の妖怪が現れた。多々良小傘だった。小傘は哀れにも萎縮しきっていて、小動物みたいにぶるぶると小刻みに震えている。
「……なんだコイツ? ただの野良妖怪か?」
「あっ、神子さん! 助けてください~!!」
「……屠自古、それくらいにしておきなさい。その子は……」
 神子が言いかけた時、二人の背後で大勢の「霊」たちの気配がした。二人が驚き振り返ると、音もなくカワウソ霊と、彼らの首魁――吉弔八千慧が殺気をみなぎらせ結集していた。
「いいえ。ソイツが犯人で間違いありません」
 鬼傑組の行動は迅速だった。屠自古の悲鳴を聞いた鬼傑組の面々は八千慧の指揮のもとすぐさま集結し、現場まで急行したのだ。
「……吉弔殿。まさかこの子が……」
 驚く神子に対し八千慧は冷然と言い放った。
「ソイツが刺客です。私はハッキリと見ました。それより聖徳王、その妖怪、先ほどあなたのことを「神子さん」と呼んでいましたね。まさか、あなたの知り合いだったりしませんよねえ?」
 暗く冷たい猜疑心のこもった目で八千慧はじろりと神子をねめつけた。カワウソ霊たちもそれに呼応して前傾し、臨戦態勢を取った。その圧威には屠自古ですら気圧されてしまい無意識のうちに後ずさりしてしまうほどだった。
「もしやあなたの差し金ですか? そう考えると辻褄が合いますね。会談のことを知っていたのはあなたと私だけ。刺客を送れるのはあなたくらい。すでに驪駒のヤツと組んでいて、私を亡き者にすることでヤツの利益を……。……いや、まあいい。理屈なんてどうでもいい。元からオマエみたいなヤツは気に食わなかったんだ……」
 八千慧の心の中で暴れているものの正体を神子は知っていた。修羅の世界で生きてきた者の心には、必ずそれが巣食うことになる――猜疑心という名の貪婪な虎狼。いったい歴史上どれだけの人間がこの虎狼の牙にかかり噛み殺されてきたのか。粛清、酷刑、弾圧、陰謀、暗殺。皇族の生まれで若いころから権力の暗闘とかかずらってきた神子は、その恐ろしさを骨の髄までよく知っている。
(……戦って勝てるかどうかは、五分五分といったところ。そんなリスクは取れない。最も賢い判断は小傘を見殺しにすること。里での私の知名度を考えれば、彼女が私を「神子さん」と呼んだことについてはいくらでもいいつくろえる。それに屠自古には私と小傘の関係は話していない。小傘を見捨てたところで屠自古に失望されることはない)
 間近に迫った脅威を前に神子の頭脳は極めて冷徹に答えを出した。ここで情に流されなかったから、自分の手を汚すことができたから、神子はこれまで権力の暗闘を戦い抜いてこれたのだ。
(しかし……何故? 何故私はためらっている? こんなことは今までなかった。何が私をためらわせている?)
 苦しい葛藤の時。息の詰まるような迷いと、胸をかき乱す烈しい苛立ち。神子はすっかり混乱していた。自分の心の在り処を見失っていた。
 しかしその葛藤の時は、小傘によって終わりへと導かれた。
「う、うらめしやあ……」
 か細く弱々しい、恐怖があらわとなった声音。今にも消えいってしまいそうなほど。
「こ、ここであったが百年目~。か、覚悟しろ豊聡耳~。こ、この怨みはらさでおくべきかあ……」
 ほとんど涙目になりながら小傘はそう言って、震える両腕で傘を振り上げた。このままでは神子まで巻き添えにしてしまう、そう思った小傘は何とかして刺客を装うとしたのだ。外目には滑稽で情けない姿。けれども小傘は今、なけなしの勇気を振り絞っていた。
 その瞬間、神子は自分の心に永い間垂れ下がっていた朽ち縄が、プツンと音を立てて地に落ちるのを感じた。
「小傘さん、そんなことをする必要はもうありません」
「……えっ?」
「やっと、決心がつきました」
 神子は決然ときびすを返した。そして八千慧と対峙した。
「今……その妖怪の名前を呼びましたね」
 ドス黒い憎悪と殺意が、八千慧の深紅の双眸の中でギラギラと燃え上がる。龍の烈しさと畜生の野蛮――吉弔の本性があらわになろうとしている。
「ええ、彼女は私の大切な友人です。もし彼女を害そうというのならば、私は全力であなたと戦います」
 しかし動じることなく、凛然としたたたずまいで神子は言い放った。緊張の水位が一気に高まる。小傘も屠自古もカワウソ霊たちも、誰もが固唾を飲んで神子と八千慧の二人をじっと見つめている。
(――こんな気持ちは、いったいいつ以来だろう)
 そんな中神子ただひとりだけが、おだやかなこころを保っていた。
(幼子のころのやみくもな勇気じゃない。こころもからだもひとつになっている。ただひとつの目的のため)
 しなやかなしぐさで神子が剣を構える。そのたたずまいに荒々しさや緊張はない。ただただ自然、明鏡止水の境地。瞬間、八千慧はひとつの気づきを得た。
(――勝てない)
 神子のまなざしは「王」のものではなく「人間」のものだった。そしてそれゆえにこそ八千慧を深く圧倒している。勝てない――計算するまでもなく直感が答えを導き、出す。
「皆、退きますよ」
「えっ、しかし……!」
「馬鹿の捨て身は怖くない。しかしこれほどの人物が腹をくくって向かってくる。それはとてつもなく恐ろしい……」
 八千慧は乾いた笑みを浮かべた。場の緊張が解かれていく。八千慧にはもう戦う意志はなかった。
「時には退くことも勇気。それを知ってるから私たちは、これまで生き延びてこれたのです。とっとと帰りますよ」
 カワウソ霊たちは困惑しながらも八千慧の言葉にうなづき、彼女の後についていった。その途中、八千慧はふと足を止め、振り向くことなく神子へと言った。
「聖徳王、あなたがうらやましくてたまりませんよ。私にはないすべてを持っているあなたが……」
 少し悔しそうに、さびしそうにそう言い残し、八千慧は神子たちの前から姿を消した。

「ああ……死ぬかと思った……」
 八千慧たちが完全に去った後も、小傘はまだ体に力が入らないようだった。うつぶせの恰好でだらしなく地面に寝そべっている。
「大丈夫ですか小傘さん? 立てますか?」
 神子はそういって小傘に手を差し伸べた。
「うう……すみません神子さん。私があんなおっかない人をおどかしちゃったばかりに……」
 小傘は神子の手を取ってのっそりと起き上がった。小傘は神子のことを上目づかいに見つめながらたずねた。
「でも神子さん、どうして私なんかを助けてくれたんですか? 私なんて人間の役に立てず捨てられちゃった、ダメダメ付喪神なのに……」
「さっき言ったじゃないですか。そもそも最初は、小傘さんが言ってくれた言葉ですよ」
 キョトンとした表情を浮かべる小傘に、おだやかな微笑を投げかけながら神子は言った。
「あなたが私の、友だちだからですよ」
 その言葉を聞いた途端、魂の舌の上に深く豊かなあじわいが広がっていった。空に虹がかかっている。赤、橙、黄、緑、青、藍、紫、七つの色彩すべてをじっくりコトコト鍋で煮詰めたような味。人間だろうと妖怪だろうと関係ない。あらゆる存在に分けもたれた短い時の中で、かけがえのない証となるようなもの。
 小傘はそれを、友情のあじわいだと思った。
 
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コメント



0.50簡易評価
3.70名前が無い程度の能力削除
良かったです
4.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです。みこがさ、堪能できました。
5.70名前が無い程度の能力削除
冒頭と最後の文がとても好きでした。
6.無評価夏後冬前削除
赤蛮鬼→赤蛮奇
ところどころ輝くものがあった(特に序盤の感情の味の部分)だけに、ちょくちょく挟まれるご都合主義感が損だったなぁと思いました。
7.100南条削除
面白かったです
小傘ちゃん根性見せた
8.90奇声を発する程度の能力削除
良かったです