――豊聡耳神子さんについて、貴方の知るお話を聞かせてください。
◯霍青娥の語る
ええ、あのお方はまごうことなき聖人ですよ。彼女の復活からもうずいぶん経ちますのに、今更こんなことを記事に纏めようなんておかしな気がしますね。
かれこれ一四◯◯年も昔になりますか。ちょっとした気まぐれで、私は大陸から当時の、まだ大王の支配すら安定していない日本へやってきたのです。そこで出会ったのがかの聖徳太子――今では厩戸王の方が広く知られているんでしたっけ? まあ、どちらにせよ、幻想郷では豊聡耳神子の名で知られるあの方です。
彼女は類稀なる才能を秘めた皇子でした。十人の話を一度に聴く能力ばかり取り上げられますけど、学問にしても、武芸にしても、雅楽にしても、政の先見の明にしても……まさしく神の子と言わんばかりに幼くして何でもできてしまう方でした。
彼女と比べてしまえば、どんなに学だの武力だの美貌だのに優れた皇子達も月とすっぽんですわ。ご存じのとおり、私は強い人間が好きでしたから、彼女のことは一目で気に入りました。この人は紛れもなく国の王となる相を持つ方だと思って、彼女に近づいたのです。彼女も最初こそ異国から来た私を警戒している風でしたが、私がちょいと仙術を彼女の前で披露し、常に彼女のそばを離れないようにしたら、彼女も次第に私に気を許してくれました。
ところが、肝心の大王というのが個人の才能で選ばれるのではないようでしてね。彼女の父が病であっけなく死んでしまったら、後継者はあっさり別の人間の血筋に流れようとしました。つくづく、彼女が大王の座につく瞬間をこの目で見られなかったのは残念でなりません。
それでも世間は彼女を放っておきはしませんでした。彼女自身も大王の座に未練があったようで、政にはいつでも関心を持って、若い頃からあれこれ手を尽くして実権の掌握に努めたのです。ええ、私が道教を本格的に勧めたのもそんな折でしたわ。
彼女は賢しい人でした。「誰でも仙人になってしまえるなら統治には向かない」と看破して、私の勧めを一度は突っぱねました。……ふふ、あの方を単なる志が高い道士とお思いですか?
彼女は生まれついての為政者ですよ。
人々の心を一身に惹きつけ、豪族や民衆を自らにとって御し易いしもべとして飼い慣らし、思いのままに国を政を支配する。そういうものですよ、為政者というのは。それで何が悪いのです? よく言うじゃありませんか、政治家と雑巾は少し汚れている方がいいと。
彼女に第一の提案を断られたものですから、私は次に仏教を勧めました。当時、すでに物部と蘇我とで廃仏・崇仏に分かれて争っておりましたし、民の平定とついでに邪魔な政敵の一掃に向くでしょうと語りましたら、彼女も納得したようでした。
あとは皆さんご存知のとおりですよ。仏教の興隆、隋との外交、法や冠位の制定。寺子屋の子供でも知っていることですわ。まあ、仏教を広めた後でも彼女が私の弟子として密かに道教を重んじていたのは、一四◯◯年もの間、誰にも暴かれなかったようですがね。
そうですねえ、はっきり言ってしまいましょうか。政に精を出す彼女を見ているのは退屈でしたよ。私にとっては異国の政なんてどうでもいいのですから。彼女が大王になればいいと思ったのも、当時の強者の頂点としてわかりやすかったからですもの。
彼女、仙術の上達はともすれば私をも凌ぐ勢いでしたが、不老不死の研究に手をつけてからは目も当てられませんでしたね。私はちょっとがっかりしたものでした。私もまだ人間を見る目がなかったかなあ、なんて。あれこれ長寿の妙薬を聞きつけては節操なく試して、そのたびに体を壊して、晩年は実年齢以上に老けて見えましたよ。彼女が生まれるより昔に秦の始皇帝が踏んだ轍を、同じように彼女も踏んだのです。
ああでも、妙薬にせよ仙術にせよ、新しく私に教わるものはまず部下に試させる点は気に入っていましたね。布都さんはいつだって彼女の忠犬でしたし、彼女も頼み事は真っ先に布都さんへ持ちかけるのでした。おかげで布都さんの体もだいぶボロボロになってましたねえ。にもかかわらず、尸解仙の術を試す際だって、彼女は本当に効果があるのが不明だからといって、布都さんを実験台にしたのですよ? ……ふふふ。彼女も臆病だったんでしょうか。生きていれば死は平等に訪れますし、無闇矢鱈と死を恐れるのも無理はありません、当時の彼女はまだ人間でしたから。人間だからこそ、むごい仕打ちができるのですわ。まあ私はそれ以上に口に出すのも憚られることをやってきましたけどね。
彼女は布都さんが眠りにつくところをしかと確かめて、ようやく自分も尸解仙の術を行う気になったようです。その顔は布都さんと比べると、どっちが死体なんだかわからない土塊みたいな色をして――ところが、蝋燭の火が消える直前になって一際大きく燃えるように、と言いますか、いざ自らの死を目前にすると、彼女の横顔はきりりと引き締まり、見る者をはっとさせるほど神々しく、若き日よりもずっとずっと若々しく、それこそ日輪のように輝いて見えたのです。先に部下に尸解仙の術を試させたせいでしょうか? それとも死に際になって彼女は何かを“悟った”のでしょうか? 今となってはどちらでもよいのですが。
私は彼女の横顔を惚れ惚れ見上げてため息をついたのです。何百年か何千年か先の、彼女の復活は遠い西の国の聖者よりも輝かしいものになるでしょう。やっぱり私の目に狂いはなかったと確信しました。我ながら現金ですねえ。
さて、私からはこんなところでしょうか。私は彼女の暮らす神霊廟にいつも居座っているわけではありませんし、今の彼女に関しては、私の口から語ることなど特にありません。今でも死の恐怖から逃れるべく修行を続けているのでしょう。気になるのなら本人にも取材してみたらどうです? あら、芳香にも取材希望ですか? 構いませんけど、あの子に才気煥発な貴方が満足するほどのお相手が務まるかしら。
そうそう、何やら彼女に道教を教えた私を諸悪の根源のように語る者があるようですが、私からすればまったくのナンセンスです。一度でも彼女を見れば、誰が悪で誰が善なのかわかるでしょうに。彼女の眠る神聖な霊廟の上に寺なんかを建てたあの尼さんの方が、よっぽど悪女のように見えますよ。
ああ、この特集記事のタイトル、“聖女について”というのでしたか。彼女が聖女、ねえ……いえ、元の意味からはだいぶ離れてしまったような気はしますが、彼女は紛れもなく聖女ですよ。彼女の師である私が保証します。
◯物部布都の語る
初めに言っておくが、我の昔の記憶は一部とても曖昧で、おぬしの求めていることを話せるかどうかわからない。それでも良いと言うなら、我の朧げな記憶から太子様との懐かしい思い出を探し出して語ろうか。
我が太子様と初めて会った頃、太子様はお歳が十に届くかどうかといった、麗しい童であった。弁舌は爽やかで、誰に対しても敬意を払い、それでいて誰にも謙らぬ気位の高さを持ち、にっこり微笑みかけられようものならこちらがどぎまぎしてしまう立派なお方よ。まだ男と女の見た目がはっきり分かれるようなお歳でないせいか、太子様が男の格好をしていらしても不自然なところがなく、性の曖昧な感じがいっそう神々しさを際立たせたものじゃ。
ああ、世間では聖徳太子は男で通っているな。あれは太子様のお父君が――そうか、今は用明天皇と呼ばれていらっしゃるのか……橘豊日様が、ご自身が決して皇族の嫡流になれないのを嘆いて、せめて才気に恵まれた我が子の太子様にお鉢が回ってくるようにと、男としてお育てしていたためだ。太子様も、男の方が何かと楽でいいと、性別を偽るのをちっとも気に留めていらっしゃらないご様子だった。もちろん男であれば大王になれるなんて単純なものではないが、太子様はお優しい方だ。父君の意向を無碍にできなかったのであろう。
残念ながら太子様は大王にはなれずじまいであったが、太子様が当時の皇族の誰よりも優れた才能をお持ちなのは一目瞭然だった。炊屋姫、もとい推古天皇もな、女帝としては政の手腕はケチのつけようがないし、美貌の持ち主であったし、決して悪いお方ではないのだがな? 太子様ひいきの我には物足りなく思えてならなかった。おっと、これは太子様には言ってくれるなよ? 太子様ご自身は叔母にあたる炊屋姫をいたく尊敬して、いつもご自身より上におし頂いていたのだから。何なら記事にする時にカットしておいてくれ。
つくづく太子様は立派な方よのう。何せ国の平定のため、仏教を道具として割り切って広めるなど、我にはとてもできぬ真似だ。物部の一族に生まれたせいか、我は幼い頃から筋金入りの仏教嫌いでな。とにかく仏像のあの不気味な顔を見るのが嫌で嫌で仕方なかった。正直、道教に帰依したのも仏教よりは馴染みやすくてましだというあんまりな理由だった。なれど太子様は仏教に対して、我のようなみみっちい嫌悪感など微塵も抱いておらぬ。いつだって、目先の小さな利益よりもっと大局的な、大いなるものを見据えていらっしゃる……残念ながら、我が兄・守屋にはその視点がなかった。蘇我馬子殿と兄の対立が決定的なものになる前から、物部一族がいずれ滅びる運命にあることは我にも察せられた。一族の人間はどいつもこいつも血気盛んで、自分の血筋を鼻にかけて、時代の流れを読む力などちっともない。
こんな言い方をすると、まるで我が物部一族を嫌い、廃仏派の一掃を口実に太子様へ売り渡したように思うであろうな。しかしそれは誤解じゃ。どんなに愚かしくても、自分と同じ血を分けた一族とは愛おしいものだ。太子様に傅きながら、古き神よりも異国の仏を尊ぶ世の流れに一族の中でも人一倍憤っていたのは、他でもない我だ。それに物部の中でも、過激に廃仏を唱えたのは兄とそれに同調する一派のみ。中には兄の所業に眉をひそめる者もあった。
ゆえに我は太子様のためだけでなく、少しでも物部の一族を生き残らせるために、物部のタカ派とハト派の分断を煽った。我の目的は達成されたようだ。歴史の表舞台からは消えたものの、物部の血筋は名を変えて今も残っていると聞く。それでこそ我が汚れ役を引き受けた甲斐があったというものだ。滅びを避けられぬなら、せめて物部の娘たる我の手で一族の歴史に幕を下ろしたかった。
蘇我の一族について? 恨んでなどおらぬよ。馬子殿は太子様が信頼を置く豪族の一人であったし、我も物部と蘇我の対立を扇動した以上、蘇我の一族との付き合いは深かった。とりわけ親しかったのは屠自古だ。
屠自古は口が悪くて生意気だが働き者だった。え、屠自古が太子様の妃? 何を言う、屠自古は今も昔も我と同じ太子様の部下で……あれ、どうだったかな? どうにもあいつのことはうまく思い出せん。馬子殿の娘に刀自古郎女というよく似た名の女がいたからな。史書に残るそやつと混同しているのやもしれぬ。まったく、歴史家がしっかりしてくれぬと我らが困るではないか。……いやいや、当事者たる我が忘れたから責任転嫁してるとかではないぞ、断じて。
それはともかく。仏教嫌いなところといい、太子様に忠誠を誓ったところといい、我らはよく似ておったなあ。我も屠自古も、どちらがより太子様に貢献できるか競うように太子様に仕えたものだ。……え、何? 太子様が我を犠牲にしたと? 誰がそんなことを……青娥殿か。まったく、世話になった身でこんなことを言うのも気が引けるが、あの邪仙の言葉を真に受けるではないぞ。
誓ってもよい。尸解仙の術の実験は、我が自ら志願した。太子様のためならこの命、惜しくなどない。何より太子様がそんなことを命じるはずがないだろう。確かに為政者は誰にでもいい顔をして、優しく接すればよいものではない。清濁を平等に併せ呑まねばならない。時に非道な手段を選びこそすれども、太子様はいつだって人のためにお力を振るう方であった。少なくとも、我や屠自古には優しいお人だったよ。我が体を壊すごとに太子様は心を痛めて、物部にばかり負担をかけてすまないともったいないお言葉までいただいた。逆賊・物部の娘と飛ぶ鳥を落とす勢いの蘇我の娘、どちらを公に重んじるかなど火を見るより明らかだ。我はそれをよく弁えていたが、屠自古はどうもわかっていないようだなあ。我は何も屠自古に対抗意識ばかり燃やしていたわけではないぞ?
それに、太子様がご自身の限界を見定めた頃には、我もいささか世の中に疲れていた。陰謀渦巻く政の世界で他人も自分をも欺き続け、自分を見失いそうな中、我は寄る辺を求めていた。それこそが太子様だった。あの面霊気ではないが、我にとって太子様は希望だったのだ。戦で血に塗れても、年老いて衰えても、死を間近に控えても、なお凛と輝く日のようなあの瞳……今は仏教が世の中を支配してもそれはいっときのこと、己の死にすら毅然と立ち向かい、いつか憎き仏教を駆逐し、道教をもって世の中を平らかにするお方。そう信じていた。それがここまで仏教がしぶとく残っているとは計算違いだ。我の謀略もまだまだよのう。あー、寺を燃やし尽くしたい。
屠自古と何があったかって? それがな……まったく思い出せんのだ。すっとぼけているのではないぞ? 思い出していたのなら、屠自古とだってもっと早く仲直りしていたはずだ。壺のことなんて何も知らぬ。尸解仙ではなく亡霊になっている屠自古を見て、初めて知ったくらいだ。
「たまたま何か不慮の事故で壺が倒れ、壊れてしまったのではないか?」
我がそう言った時のあいつの顔はとても忘れられぬ。いやはや、雷は何発も落ちるし、恐ろしかった。まるで鬼そのものじゃ。
まあ、今となっては屠自古も亡霊になったのはあまり気にしていないようだし、我らの諍いとやらも大したことではないのだろう、たぶん。
それにしても、太子様が聖女か。いかにもお似合いではないか、ちょっとばかし響きがお綺麗すぎるが。なんて、聖童女などと冠する我が言えた口ではないかな、はっはっは。
◯蘇我屠自古の語る
刀自古郎女は私じゃない。蘇我馬子の娘、刀自古郎女は実在したけれど、聖徳太子の妃は私である。
要は蘇我の一族が大王に仇なす“逆賊”として討伐されたから、まともな記録など残っていないんだろう。同じことは布都の物部一族にも言える。あいつ、書物によって布都姫だったり太媛だったり名前が一致しないだろ? 逆賊の烙印を押された一族の末路なんてそんなもんさ。
ああ、言わずもがな、太子様は今も昔もれっきとした女性だ。いかに超人的な能力を持つ太子様でも、己の性を好き勝手変えることはできなかったよ。だから当時はあくまで男を装っていただけ。民草はともかく、豪族や王族はみんな太子様が本当は女だって知っていたよ。暗黙の了解という奴だった。女の私が女の太子様の妃になる、なんて不可思議が罷り通ったのは、その暗黙の了解のなせる技だ。それに表向きは妃でも、私はあくまで太子様の部下だった。数ある太子様の妃達の中には、女でも構わないからと本気で太子様をお慕いする人もいたようだけどね。あの方の人徳を思えば納得だ。
本当に、誠心誠意お仕えするつもりだったんだ。同時に、蘇我の娘として太子様との縁を通じて一族に栄華をもたらすはずだった。けれど私のやることなんて、山背大兄王を始めとした皇子達の養育ぐらいで、あの頃から布都ばかりがお側去らず。太子様は私をあまり政や仙術の修行に関わらせてくれなかった。
「道教を信仰するのは私の意志だ。お前まで無理に付き合わなくていいんだよ。お前はお前の一族を第一に考えていればいい」
太子様はそうおっしゃったけれど、どうして無理に付き合いなどしただろうか。私だって道教を信仰していた。仏教を信仰する蘇我一族の中で、仏教を嫌い密かに太子様と同じく道教を信仰する私なんてひどく肩身が狭いものだ。……物部の裏切り者になった布都も同じようなものだったのかな。あの頃の私達は、少し喧嘩をしたって仲違いすることなく……。
そうだ、あいつはいつも太子様のそばにいた。太子様の命を受けて、物部と蘇我の対立を裏で糸引いたのはあいつだったし、その結果己の一族が滅びてなお、太子様に変わらぬ忠誠を誓い続けた。布都は決して物部の一族を恨んではいなかった。むしろ愛していたと言ってもいい。今でも物部の秘術を得意げに披露することからもわかるだろう。兄の守屋殿とも仲違いをした様子はなかった。けれど守屋殿が討たれたあの戦乱の後、布都の様子が変わったのから察するに、きっと布都の企みが守屋殿に漏れて兄妹の仲は破綻したのだろうな。今になって思うよ、もしかしたら布都は一族の命を差し出してまで太子様に尽くした自分に対して、何も失うことなく馬子殿を筆頭に栄華を極めてゆく我ら蘇我の一族が恨めしかったのかもしれない、と。
あるいは太子様も、布都に一族を犠牲にさせた罪悪感があったのだろうか。だから馬子殿を重用するのに負けないほど、物部の娘である布都を側近として引き立てたのか?
太子様が新しい仙術や不老長寿の薬を試す際、いつも布都が一番に始めるものだった。太子様の御身に何かあっては困ると毒見役を買って出た。なぜ私を使ってくれなかったんだろうな。私の身を思って……なんて甘い期待をできるほど当時の布都は親切ではなかったよ。とにかく表向きの妃である私を押し退けて、何が何でも太子様の第一の側近になりたい。そんな妄執にも似た執着ばかりがほとばしっていた。眼窩は落ち窪んで、頬は痩せこけて、目だけが血走ってぎらぎらした欲望を湛えて。一族を失い、世間には憎い仏教が着々と広まって、布都は焦っていたのかもしれない。
だからといって私を出し抜いた事件を許してやれるほど私も優しくない。ああくそ、どうして私は間抜けにもあいつの言葉を信じて……! 私の壺を、あいつは……!
……すまない。少し取り乱した。どうにもあの頃を思い出すと私は冷静でいられない。雷が落ちる前でよかった。
そうだよ、あいつは私の壺をすり替えて尸解仙になるのを邪魔した。お陰で私はこの通り、亡霊だ。布都の仕業だと知ってから、私はどうして布都がこんな仕打ちをしたのか本気で悩んだよ。生前の私達は仲違いなどしなかったのだから。私が悩んでいる間にも時は流れたし、なまじ自由に動ける体のせいで私は本来見なくてもよかったものを見てしまった。
皇位継承を巡る争い……巻き込まれた山背大兄王の敗死……私の子でも太子様の子でもなかったけど、私が可愛がっていた皇子だったのに。そして馬子殿の後継、蝦夷・入鹿親子の敗北と蘇我一族の滅亡。なぜ私は我が子の死を、一族の凋落を目の当たりにしなければならなかった。どうして私一人が取り残されて、こんな憂き目を。怒りと悲しみの中で私は気づいた。
『我は太子様のために愛する一族を捧げた。おぬしも一族を捧げなければ不公平であろう?』
……布都、お前はそう言いたかったのか? 聡明で狡猾なお前だ、こんな未来を予見して私をあえて尸解仙ではなく亡霊にしたのではないか?
私の布都への恨みは頂点に達した。何百年もの間、私は怨霊として彷徨い続けた。最近になってようやく積年の恨みも鎮まり、布都とも少しずつ昔のように過ごせるようになってきたが、私の恨みは完全に消えたわけではない。あいつにも取材をしたのか? 時間の無駄だと思うぞ。どうせあいつは自分の都合のいいようにしか話さないだろう。呑気に寝こけている間に後ろ暗い記憶はぜんぶ忘れやがって。くそ。
太子様は私達の確執を知っていらしたのだろうか。太子様は何もおっしゃらない。わからない、私には太子様が何を考えているかなど、何も……。
昔からそうだったよ。太子様はあまりに聡明で何もかも悟ってしまえるから、何も聴いていないふりをするのが得意だった。私が“決して何も聴いてくれるな”と強く念じれば、その欲望を読み取って太子様は何も聴かずにいてくれる。人々の悩みを聞きながら、自分の悩みは決して誰にも打ち明けなかった。いつもお一人ですべてを決めてしまう。ああでも、太子様が炊屋姫の――推古天皇の摂政だった頃、不意に太子様は私にこう言った。
「お前の二人の姉はそれぞれ大王の后になれたのに、お前はなり損ねたね」
私はこう答えた。「太子様の妃の座には及びません」と。太子様は少し笑ったようだった。太子様は、自分がもう決して大王にはなれないことを知っていらしたのだ。
あの頃の太子様は栄華の絶頂でありながら、御身はひどくやつれていた。それは不老長寿と噂の薬が持つ毒のせいでもあったけれど、別の理由もあった気がする。
思うに太子様は疲れていらしたのだろう。男として過ごしていればいずれ大王になれるかもしれない、そう言い聞かせて女の人生を棒に振って生きてきたのに、正真正銘の女性である炊屋姫が大王として認められた。自分はあくまで、大王を補佐する摂政のまま……それが太子様の心を打ちのめしたのではないだろうか。私の勝手な妄想だと言われれば、否定はできないが……。
今の太子様はちっとも悩むそぶりなど見せないし、御身も健やかだ。もはや新たな地に生まれ変わった身、昔の未練などきれいさっぱりお忘れになったのだろう。けれど、もしあの頃のように太子様がお疲れになった時、私と布都で太子様を支えられるだろうか? それとも、他の誰かが太子様の悩みを聞いてくれるのだろうか?
……私は仏教を嫌う者として、太子様のその相手が僧侶でないことを願っている。今の私の望みなどそれぐらいだ。いつまでも時差ボケが治らない布都のアホ面を見ていると昔の恨みを蒸し返すのも馬鹿馬鹿しくなってくるしな。
ああ、この取材、記事に使うのか? 編集の時、好きに手を加えていいぞ。私からすれば新聞記事も歴史書も同じだ。どんなに公正であろうとしても編集する者の意図が紛れ込むし、読む者は自分に都合のいい事柄しか読み取らない。――古の蘇我の物語は私自らの手によって永遠に歴史の闇へ屠り去られるだろう。
◯聖白蓮の語る
大嘘つきですよ、それ以外にどう言えばいいというんです。……私が言えた義理じゃないかもしれませんがね。
昔、私が外の世界にいた頃、十世紀の半ばね。誰もがあの人のことを日本に仏教を広めた立役者と尊びましたし、何なら観音様の生まれ変わりとまで信じられていました。当時の私だって日本紀を始めとした書物を読んだり、先達の僧侶から話を聞いたりして、それが当たり前だと信じ込んでいたのです。
それが何です、蓋を開けてみれば――蓋をしたのは私ですけど――あの人は死んでなんかいなくて長年眠りについていて、真に重んじていたのは道教で、仏教はただの政の道具でしかなかった、ですって? 仏罰が当たりますよ。いや、御仏がお慈悲を与えても私が許せません。騙された私も浅はかでした。
おそらく目覚めたばかりの頃のあの人も、私と同等か、それ以上に私を目の敵にしていたでしょうね。結果的に復活を早めたとはいえ、あの人の死を怪しんで封印をした僧侶達と同じことを私はしたんですから。あの頃は私もかなり強気でした。もちろん、かつての血生臭い宗教戦争など私も望んではいませんが、あの人がどのように出るかわからない。もしあの人が本気で妖怪と敵対し、排除しようと考えていたら、私も手段を選ばなかったでしょう。
しかし私の心配も少しは杞憂に終わったようです。あの人はいつも人のためにと公言して憚りませんが、それは必ずしも妖怪と敵対することを意味しません。むしろ私が警戒するべきなのは、あの人の宗教家としての顔でした。
私だって千年以上生きた魔法使いです。あの人は外の世界では有名人かもしれないけれど、昔のように大きな顔をしようったって、そうは問屋が卸しません。今思えば、私はあの人の力を恐れていたのでしょう。負けられないと自分を奮い立たせて、対談でも決闘でも、あの人には特に厳しく当たるように努めました。
……ですが、何度となくあの人とぶつかり合ううちに、少しずつあの人の人となりが見えてきたんです。あの人は大衆が思うほど、悪辣でもなく、善良でもない。
人のために振るえる力があるのだから、人を救う――口先だけではないのでしょう。実際にあの人は自分が関わった数々の異変で、事態が収束する方向に向かい行動していますし、悔しいですが私の選択よりあの人の選択が解決を早めた事件もあるかもしれません。気づけば素直に敬意を抱く自分に気付きました。
けれど一方で危うさがあるのも確かです。一度吸った権力の蜜の味は忘れ難いものでしょう。自分に逆らうなという意味で和を持ち出す人ですからねえ……。なまじ知名度がある分、無批判にあの人を崇めていたら、あっという間に懐に入り込まれてしまうかもしれません。
とはいえ一度協力したよしみか、私はどうしてもあの人の善性に期待をかけてしまうのです。あの人よりも、あの人を認めつつある私自身が極めて危ういと思いました。弟子の中には、道教は邪教ではないと考える者もいます。ええ、私だってそう思っていますし、あの人の道教に対する信仰心が真摯なのは私にもわかります。けど、あの人は商売敵です。私が揺らげば、弟子達はどうなるのか……いえ。本当はそんなものではなく、私が御仏と私自身に立てた誓いが揺らぐのが恐ろしかったのです。かつて身勝手な欲望のために仏教を踏み躙った罪の償いに、私はどこまでも敬虔な仏教徒でいたかった。
迷いながらも私はあの人を認める自分を認めてしまおう、と答えを出しています。開き直りと言われれば否定できませんが、あの人を認める中で、決して相容れない一線も見えました。たとえば不老不死に対する考え方など。千年は私に不死への執着を手放させるには充分な時間だったのです。
蓋しこの世は一睡の夢。あの人の中に死への恐怖心がまだあるのかは私にもわかりません。何事も死の直前にならなければわからないのではないでしょうか。私だって悠然と構えるふりをして、いざとなればまた恐怖にかられるかもしれません。ああ、別にあの人に不老不死を求めるのはやめなさいなんて説教するつもりはありませんよ。どうせ止めたって聞かないでしょう。それにあの人の行く末は少し見てみたくもあります。天道は六道の一つであって、天にたどり着いても輪廻からの解脱はできない。天道を極めた時、あの人はどうなるのでしょうね?
なんて、ちょっと意地悪な言い方をしましたけど、商売敵ってそれぐらいの方がいいでしょう。いえ、好敵手と言うべきかしら? 本当に因果な巡り合わせです。
私はあの人を大嘘つきと言いました。だけど本当はもうあの人が昔何をしたかなんてどうでもいいんです。私の知る聖徳太子と、今、私と幻想郷で敵対するあの人は全然違うんです。なら私はあの人の過去ではなく、今のあの人が何を考えて、どういう理想を掲げて、どんな思想を抱いて、どうして私と衝突するのか。それに向き合えばいいと思いました。
……まあ、口達者な人の話は信用できないという一面もありますからね。思えば昔も現代のようにおびただしい数の人間達が口を揃えて聖徳太子を褒め称えるものだから、余計に伝説に尾鰭がついて膨れ上がって。何が本当で何が作り物かわかりやしない――いえ、あるいは、数々の伝説や歴史の闇に屠られた事件の真偽なんて、あの人はどうでもいいのでは? ただその名が人々の口の端に登り時を越えて語り継がれることこそがあの人の、いえ、あの人達の最大の目的だとしたら?
――私の話はここまでにしましょう。なるほど、こうやってあの人に近しい人達に話を聞いて回っているんですね。私とあの人と三人で語り合った神奈子さんはどうなんです? え、取材にすら行っていないんですか。言われてみれば、確かに最近の神奈子さんはあの人との関わりが薄い気がします。
……へえ、あの邪仙が私を悪女と。わざわざ先回りして私に告げる貴方も大概意地が悪いですね。悪女としか言いようのない所業を犯しているのはあちらでしょうに。
そしてこの取材の記事、タイトルはもう決まっているんですね。聖女、ですか。何だかタイトルありきで決めているようですし、こういう括りで崇め奉るのはあまり好きではありませんが……いえ、何も言いますまい。あの人はそんな肩書きなんて気にしないでしょうから、たとえこの記事をすっかり読み切ったところで「へえ」と鼻で笑うのでしょうね。
◯秦こころの語る
私にとって太子様は何と呼べばよいのでしょう、生みの親みたいなものですから、母親? 父親? それとも職人さんでしょうか。今でも太子様は私がお面を壊すと新しく作ってくれます。「布都の皿と合わせて、いい加減、費用が馬鹿にならないぞ?」とこの前はお小言を言われましたがね。
私は秦河勝をあまり覚えていません。太子様の部下のような人だったそうですね。太子様が作って河勝に与えた六十六のお面……それが私です。まあ、私がそのことを思い出したのは幻想郷で太子様に再会してからなんですけど。
太子様はとても器用な人です。そして手が早い人です。私が失くしてしまった希望の面も、すぐに代わりをくれました。けれど太子様が作ってくれた希望のお面、私にとっては扱いづらいのです。太子様のお顔を模っていることからわかるように、あれは太子様のお力そのものです。物には力が宿りますし、作ったのが太子様であればなお……あまりに希望が強すぎて、私の持つ残り六十五のお面と全然釣り合わないんです。あのままではいずれ私の自我が乗っ取られてしまいます。太子様はそれを見越して新たなお面を作ったようでした。
もちろん、太子様に悪意があったわけではないのは、私自身がよくわかっています。あのお面はちゃんと私のためにあつらえられたものでもあったのです。太子様は私の暴走を抑えるついでに、ご自身の力を示したかったみたいですね。ほら、権力者って自分を模ったモニュメントだとか肖像画だとかを飾りたがるじゃないですか。あれは自分の持つ力のアピールです。そういえば、私は以前、聖さんにこんなことを聞いたのでした。
「世の中に大仏やお寺がたくさんあるのは、仏様の力を示すためですか?」
聖さんはちょっと困った顔をして、答えてくれました。
「仏像を作るにもお金がかかります。巨大な大仏ともなればなおさらです。お寺はお布施や寄進によってお金がたくさん集まることもあるので、作れなくもないのですが……ではその寄進を誰がやるのかといえば、皇族や貴族や武将といった時の権力者達です。単に信心深いだけではありません。財を尽くして仏像やお寺を建造することで、自分の権力を誇示しようとしたのです。ですから大仏やお寺が示すのは仏様の威光のみならず、権力者の威光でもあるのでしょうね」
私には聖さんが何を言いたいのかわからなくて、後で太子様に聞いてみたら「仏教の側が権力を求めた事実には触れないんだな」と笑いました。お金や権力といった生臭いものと強く結びついた歴史を持つ仏教への後ろめたさが聖さんにもあった、と太子様はお見通しなのでした。天狗草子と言えば貴方にもわかるでしょうか。それにしても、後ろめたいのに信仰を続けるんですね。あの人もお金とか権力になびくんでしょうか? そうは見えませんけど。
私はいくら国の平定のためとはいえ、自分が信じてもいない宗教を広めた太子様が理解できなかったのですが、聖さんの話と私のお面を合わせて、一つ思い当たることがありました。おそらく太子様は仏教を広めると同時に自分の力を誇示したかったのでしょう。法隆寺も河勝のお面も十七条の憲法も、すべて太子様の道具です。ひょっとしたら道教だって、太子様は本気で信仰してはいないのかもしれない。
要は、太子様は今も昔もやることが変わらないのです。生まれながらの為政者だからでしょうか、偉いから偉そうに振る舞うのです。というか、単に太子様って目立ちたがりなところありますよね。弾幕花火? の時もそうでしたし……。為政者に必要なのって、個人の魅力とか個性じゃないような。
たまに私は、今でも太子様は為政者になって思いのままに政を取り仕切りたいのかなあ、なんて考えますが、たぶん無理ですよね。だって幻想郷(ここ)はそんなもの必要としてなさそうですもん。だけど太子様は頭脳も出世欲もずば抜けていますし、何しろ仙人になってまで生き永らえようとした人ですから、太子様がその気になればまったくできない、なんてことはないのかも……。
私は太子様の作った道具です。太子様に思い入れがありますし、私の感情は太子様から学んだものもありますが、それでも私って、もう太子様からは独立した、自我を持った付喪神なんです。何が言いたいかって言うとですね……。
私を勝手に実験台にするなー! 三人がかりで決闘を挑むなー! 派手に目立って人間の感情を掻き乱すなー!!
あーちょっとスッキリした。これぐらいの反発なら許されるでしょう。私は政の道具にされるのはごめんですし、だいたい宗教家なんてみんな人々の感情を乱す身勝手で傍迷惑な輩ですから、私はこれからも“心綺楼”などの能楽を通して宗教家達をとことん茶化してやろうと思っています。もちろん、太子様も含めて。それが私を作ってくれた太子様への、私なりの恩返しです。私が能楽を演じれば私の感情はもっと充実するし、太子様の名前だって広まるでしょうから、悪いことばかりではないと思います。
能楽は猿楽、猿真似に通じます。誰かの真似をして笑いを誘うんです。そうして笑う行為は時に大きな力を持ちます。貴方もわかるんじゃありませんか? 天狗は芸能の神様・天鈿女に縁のある猿田彦の子孫ですからね。
……え? 貴方から新しい能楽の提案? どんなものを……風刺花伝? それはちょっとキツくありません? 貴方達の記事みたくお蔵入りになるのは困るわー。
◯茨木華扇の語る
彼女も私と同じ仙人だったわね。けれど私は宗教家を名乗っていないし、私の天道と彼女の天道は異なるように思えてならないわ。
私は仙術をあくまで己を高めるため、より長く生きるための心得と認識していました。他者を救うためではなくどこまでも自分のためなのよ。本来、仙人とはそういうもの。けれど彼女がこちらに来てからだいぶ派手に目立って、いつの間にやら宗教家の一人として台頭して。焦ったわよ、彼女一人の存在で仙人の定義があやふやになりかねないんだから。
ああ、でも私だって時折山を降りてお説教したりはするけどね。あんまり成果は得られないけど。霊夢なんて、何度言っても修行に励みやしない……。
それはさておき。私は以前、同業者たる彼女になぜ仙人を目指すのかと聞いたことがあります。あの頃の、厭世観に満ちた世の中で仙人たる私も人々を救うべきなのか? と悩んでいたもので。彼女は快く私を迎えてくれて、私の問いにも答えてくれたわ。
彼女は「人を超えたかったから」とはっきり言った。まあ、その答え自体は私の期待からも想像からも大きく外れてはいないわね。そもそも彼女は生前……いや、眠りにつく前かしら、その頃からあまりにも人間離れした力を持っていたそうじゃない。特段人間を下に見ている風ではなかったけれど、彼女の力は人間の器には到底収まり切らないと感じました。だから彼女が仙人という、然るべき器を求めるのも納得が行く。
……え、私が仙人を目指す理由? 長生きしたいなんて、人妖問わず抱く普遍的な欲望だと思うし、そこまで悪いことではないでしょう。だから私には、邪仙と呼ばれるあの方……青娥さんがそこまで悪い方にも見えなかった。ええ、青娥さんとは頻繁にではないけど、何度か会っているわ。
都良香? もちろん知っているわよ、平安期の有名な詩人でしょう。そういえば、青娥さんの部下に宮古芳香というキョンシーがいたっけ。詩人との関係性は私も知らないわ。えっ、あのキョンシーにも取材しようとしたの? 会話が成立するか怪しいと思うけど。……ああ、やっぱりやめたのね。代わりに彼女の話ができそうな人? 貴方に畜生達の抗争に揉まれる覚悟がないなら大人しく諦めなさい。
あら、失礼しました。話を戻しましょう。そうね、彼女について、同じ仙人として私が思うこと……難しいけどなるべく客観的に話してみるわ。誰だったかしら、不老不死を求める者と求めない者、その違いは栄華を極めたか否かによるのではないかと言ったのは。栄華の絶頂を永遠にしたいと願うんじゃないか、って思ったのね。これは私の勝手な憶測になるけれど、彼女は、聖徳太子は栄華を極め損なった。そりゃあ今も昔も彼女はたいそうもてはやされているけれど、彼女本人は“太子”止まりでは屈辱だったのではないかしら。藤原道長が臣下の身で摂政に就き『この世をば』と高らかに我が世の春を謳歌したのとはまったく異なる。彼女は紛れもない皇族なのだから。
あるいは彼女は、ただ自己を高めるためだけでなく、遥か昔に取りこぼした栄華をつかむために、人を超えたかったのかもしれない。決して同情ではないけど、気持ちはわからなくもないのよ。これぞ我が生きる道と思い定めた道がある日突然絶たれてしまったら、別の道を求めなければ生きていても屍同然だもの。見果てぬ夢を天道に託したのかもしれない。そう思えば、彼女の放つ光も眩い日の輝きというよりは、情熱の宿る鬼火のような……。
こうして語っていると、かく言う私も彼女には同業者のよしみを感じているみたいだから、客観的に評価しているようで、すでに傾いているかもしれないわね。ですから自戒も込めて、警鐘しておきます。『豊聡耳神子について知りたければ、その耳で彼女の声を聞き、その目で彼女の姿を見て、自分の頭でちゃんと考えなさい』と。
◯驪駒早鬼の語る
へえ、新聞記者ってこんな地獄くんだりまで取材に来るのか。仕事熱心だな。何なら我が頸牙組に入るか? 安心しなよ、超絶ブラックだらけの畜生界でもうちは超絶ホワイトさ。……あっはっは! 冗談だよ、で、用件は何?
何? 太子様についてだって? ほうほう、それで私のところへ! お前、わかってるじゃないか! ああ、懐かしいなあ。太子様のお名前を他人の口から聞くのなんて何年振りだろうか。
聞いてくれよ、私が誰に問われるまでもなく太子様の自慢話をすると、吉弔の奴が「走馬を却けて以て糞す」と言うんだ。意味わかるか? さっぱりわかんないけど私を馬鹿にしてんだろうなってことはわかる。それさえわかればカチコミの口実になるからいいんだよ。
いかにも、私は太子様の愛馬だ。私がまだただの動物として生きていた頃、甲斐国で人間達に飼われていた。ある時、夏の初め頃だったかな、太子様が全国から選りすぐりの良馬をご所望だとかで、私も太子様に献上される一匹に選ばれた。
自慢だけどな、私はこれでも並の馬より抜きん出た脚力、毛艶、馬力を持つ駿馬だと自負していたのさ。他の馬達と足の速さを競争してもいつも私が一番だったし、他の馬が些細なストレスで体を壊したって私は平気だった。だから当時の私は、太子様ってのがどんなお方かまったく知らなかったもんだから、人間に選ばれるんじゃなくって私が人間を選んでやろう、なんて恥知らずな志を抱いていたのさ。ああ、もちろんこの畜生界じゃ人間のが下だと思ってるけどね。
そうして私は初めて太子様とお会いしたわけだが……いやあ、何と表現したら良いのだろう。馬飼の人間なんてみんな同じ顔に見えてた私でも、太子様がそんじょそこらの人間とは違うってのが一目でわかったよ。オーラというのか? 光るような異彩を放つお方だった。お歳のわりにやつれていらっしゃるとの評判だったが、そんなことはない、しゃんと背筋を伸ばして凛々しく人前に立ち、瞳は野望に燃えて、はきはきとお話しになるお姿はまさに神の子としか言いようがなかった。とにかく私は『この人だ!』って運命を感じたね。思い出補正? そう言われたら否定はできないけど、仕方ないじゃないか。私には今なお燦然と輝く思い出なのだ。
そして太子様もやはり慧眼をお持ちだった。その時献上された馬は数百……いや数千? 覚えてないけど、とにかくたくさんいたのに、ひしめき合う馬の群れから、私を見つけて一瞥した瞬間、「おお、これぞまさしく神馬なり」と私をご所望なさったのだ。いやあ、あの時の喜びといったら、もう天にも昇る心地だった。実際に天翔けるのはもう少し後だけどね。
それから私は調子丸とかいう舎人に預けられた。太子様のお側にいられないのは不満だったが、考えてみれば摂政ともあろうお方が自ら厩に入って馬の世話なんかするわけにはいかないもんな。太子様が厩戸でお生まれになった? そんなの後の時代の人間が勝手に言ってるだけだ。調子丸も悪い奴じゃなかったし、そこは私も我慢した。それに太子様はたびたび私の様子を見に来てくださったし、私の体を撫でて、
「黒々とした良い毛並みだ。今しばし新たな土地に慣らしてからとは思っていたが、この馬に乗る日が待ち遠しいよ」
とおっしゃって、調子丸の仕事ぶりも大層褒めていらっしゃった。ああ、私もその日をどんなに待ち侘びたことか。
秋の暮れになって、私はようやく太子様をこの背にお乗せすることになった。手綱は調子丸が握って、太子様は慣れた手つきで馬具を整え、さっと私の背に跨った。その御身の軽さ! 私は確かに乗られている感触があるのに、太子様の体重をほとんど感じないんだ。あの頃の太子様は本当に人間だったんだろうか?
「よしよし、頼むよ」
太子様に優しいお声をかけられると、私はもう張り切ってしまって、それこそ十万馬力で地を蹴った。そうしたら――私は空を飛んだ。いや、今でこそ私は当たり前のように飛べるけど、その時は太子様よりも調子丸よりも私自身が一番驚いていたんだ。いったいいつ、私は空を飛ぶ力なんて身につけたんだ? ……太子様なのか? 太子様の人智を超えたお力が、私にも神がかった力を与えたのか? うん、きっとそうだ。
「おお、これは――」
太子様はお笑いになった。手綱を握ったまま宙ぶらりんになって、落ちまいともがいている調子丸をすかさずご自身の後ろに乗せて、
「そのまま私をどこへとも連れてゆけ、我が驪駒よ!」
歓喜に満ちた声が私に届いた。危のうございます、なんて調子丸の震え声は私の耳に入らない。どこへお連れすればいい? 遥か天の彼方へ、この方に相応しい楽園を探し求めようか? それとも太子様のご先祖だという日の神の、天上に眩く輝く日輪の元までお連れしようか?
残念ながら、当時の私にそこまでの度胸はなかった。太子様のご期待に添えるかわからないが、私の生まれ育った甲斐の地を、そこから標榜できる富士の山をお目にかけようと東を目指した。あの頃の富士山は活発で、いつか噴火するんじゃないかといった様相だったよ。それでも太子様は初めて目にする富士の絶景にため息を漏らして、調子丸は言葉にもならないみたいだった。
山頂に降り立った太子様は、思いもよらぬ出来事に『太子様の御身にもしものことがあれば』と真っ青になっている調子丸を宥めてやりながら、煙を吐き出す山の頂を眺めた。
「富士の山、とは良い名だな。富士は“不死”に通ずる」
と、感慨深くうなずいて、私に対しても「よく連れてきてくれた」と労ってくださるのだ。……この時、太子様はまだお若かったが、すでに不老不死への憧れを抱いていらしたのかもしれないな。もっとも、当時の私は太子様が喜んでくださった、それだけで有頂天になっていたから、太子様のお心なんて気にも留めていなかったのだけど。
それから私は再び二人を連れて、信濃や三越まで三日ほどかけて後に、都へと帰ってきた。いやあ、えらい騒ぎになっていたよ。太子様が突然、馬に乗って空を飛んでいった、ってただただ仰天する者と、太子様の高徳に感心する者と、国の摂政が一時消えてしまったことに動転する者と。
私は『太子様がとんでもない馬を連れてきた』と人間達に畏敬の念を抱かれるようになったけど、どうでもよかったね。太子様がこの日の出来事以来、すっかり私を気に入ってくださったことの方が嬉しくて仕方なかった。名前なんてなかったけれど、太子様が「我が驪駒よ」と目を細めて呼びかけて、たてがみを撫でてくださるだけで満たされたんだ。太子様は人間にだけでなく、動物にも優しかったんだ。普段は思わず目をつぶってしまう眩い日輪が、ほの温かい陽だまりに変化するように、下々の者には等しく愛情深いのさ。……何、地上には動物を従える仙人がいると? ふーん。何、太子様だって負けてるものか。私だけじゃない、太子様はあの頃お経を唱えられる犬だって飼っていらしたのだから。今度その仙人とやらにもカチコミに行くか。
そうさ、私は太子様が大好きだよ。だけど、そうだな。不満があったとすれば、私の方が太子様より先に逝ってしまわなければならないことだろうか。太子様は不老不死の研究をしていたけれど、私を巻き込もうとはしなかった。馬なんかを不老不死にしたって仕方ない、とのお考えだったかもしれないが。
いかに天翔ける力を得た私でも、天命には逆らえなかった。悲しみに暮れた太子様のお顔が忘れられない。そのためだろうか、私は死んでもすぐには黄泉の国へ行くことはなく、しばらく霊体のまま太子様のいる現世にいた。政や道教に明け暮れていた太子様はお気づきにならなかったけれど、太子様のなさったことは、太子様が尸解仙の術でお眠りになるまでずっと見つづけていた。私に政なんて難しいことは何もわからなかったから、ただ文字通り身を削って政と道教に打ち込む太子様を痛々しく思うだけだった。
そうして太子様が表向きには“お亡くなり”になって、ようやく私も黄泉の国へたどり着いた。それから先はまあ、太子様と関係ないから省略するけど、畜生界に流されて戦いに揉まれて気がつけば組の頭になって、今に至るわけだ。
太子様にはあれ以来、一度もお会いしていない。幻想郷で無事に復活なされたと風の噂に聞いていたけど、私も抗争に明け暮れていたから、なかなか会いに行く機会がなかったんだ。
……お会いしたいなあ。日出づる処の天子というが、私にとって太子様は天地人あまねく照らす太陽そのものだった。畜生界で名の知れた頭となった今でも私の誇らしい主人だよ。太子様だけが私を傅かせるお方だから、他の誰かの下につくのは嫌なんだ。さっさと畜生界を制圧したいもんだ。
いや、思い出に耽っていたらいてもたってもいられなくなってきた。だって私は、遥か昔の飛鳥の時代に栄華を誇っていた太子様しか知らないじゃないか。今の、幻想郷で新たに仙人として生まれ変わった太子様のことは何も知らないも同然なんだ。私は今の太子様をこの目で見たい。うん、今から私は太子様に会いに行く!
え、畜生界のしがらみ? そこらへんは吉弔の奴がうまいことやってくれるよ。ふっふっふ。遠い異国では太陽に近づき過ぎて羽が焼け落ちた哀れな男の伝説があるそうだが、既に死んだ私に恐れるものなどあるもんか。この漆黒の天馬(ブラックペガサス)に不可能などないのだ!
取材? 終わりだ終わり! 太子様への思いの丈はちゃんと伝わっただろう? いい記事に仕上がるのを楽しみに待っているぞ。
それじゃ!
◯霍青娥の語る
ええ、あのお方はまごうことなき聖人ですよ。彼女の復活からもうずいぶん経ちますのに、今更こんなことを記事に纏めようなんておかしな気がしますね。
かれこれ一四◯◯年も昔になりますか。ちょっとした気まぐれで、私は大陸から当時の、まだ大王の支配すら安定していない日本へやってきたのです。そこで出会ったのがかの聖徳太子――今では厩戸王の方が広く知られているんでしたっけ? まあ、どちらにせよ、幻想郷では豊聡耳神子の名で知られるあの方です。
彼女は類稀なる才能を秘めた皇子でした。十人の話を一度に聴く能力ばかり取り上げられますけど、学問にしても、武芸にしても、雅楽にしても、政の先見の明にしても……まさしく神の子と言わんばかりに幼くして何でもできてしまう方でした。
彼女と比べてしまえば、どんなに学だの武力だの美貌だのに優れた皇子達も月とすっぽんですわ。ご存じのとおり、私は強い人間が好きでしたから、彼女のことは一目で気に入りました。この人は紛れもなく国の王となる相を持つ方だと思って、彼女に近づいたのです。彼女も最初こそ異国から来た私を警戒している風でしたが、私がちょいと仙術を彼女の前で披露し、常に彼女のそばを離れないようにしたら、彼女も次第に私に気を許してくれました。
ところが、肝心の大王というのが個人の才能で選ばれるのではないようでしてね。彼女の父が病であっけなく死んでしまったら、後継者はあっさり別の人間の血筋に流れようとしました。つくづく、彼女が大王の座につく瞬間をこの目で見られなかったのは残念でなりません。
それでも世間は彼女を放っておきはしませんでした。彼女自身も大王の座に未練があったようで、政にはいつでも関心を持って、若い頃からあれこれ手を尽くして実権の掌握に努めたのです。ええ、私が道教を本格的に勧めたのもそんな折でしたわ。
彼女は賢しい人でした。「誰でも仙人になってしまえるなら統治には向かない」と看破して、私の勧めを一度は突っぱねました。……ふふ、あの方を単なる志が高い道士とお思いですか?
彼女は生まれついての為政者ですよ。
人々の心を一身に惹きつけ、豪族や民衆を自らにとって御し易いしもべとして飼い慣らし、思いのままに国を政を支配する。そういうものですよ、為政者というのは。それで何が悪いのです? よく言うじゃありませんか、政治家と雑巾は少し汚れている方がいいと。
彼女に第一の提案を断られたものですから、私は次に仏教を勧めました。当時、すでに物部と蘇我とで廃仏・崇仏に分かれて争っておりましたし、民の平定とついでに邪魔な政敵の一掃に向くでしょうと語りましたら、彼女も納得したようでした。
あとは皆さんご存知のとおりですよ。仏教の興隆、隋との外交、法や冠位の制定。寺子屋の子供でも知っていることですわ。まあ、仏教を広めた後でも彼女が私の弟子として密かに道教を重んじていたのは、一四◯◯年もの間、誰にも暴かれなかったようですがね。
そうですねえ、はっきり言ってしまいましょうか。政に精を出す彼女を見ているのは退屈でしたよ。私にとっては異国の政なんてどうでもいいのですから。彼女が大王になればいいと思ったのも、当時の強者の頂点としてわかりやすかったからですもの。
彼女、仙術の上達はともすれば私をも凌ぐ勢いでしたが、不老不死の研究に手をつけてからは目も当てられませんでしたね。私はちょっとがっかりしたものでした。私もまだ人間を見る目がなかったかなあ、なんて。あれこれ長寿の妙薬を聞きつけては節操なく試して、そのたびに体を壊して、晩年は実年齢以上に老けて見えましたよ。彼女が生まれるより昔に秦の始皇帝が踏んだ轍を、同じように彼女も踏んだのです。
ああでも、妙薬にせよ仙術にせよ、新しく私に教わるものはまず部下に試させる点は気に入っていましたね。布都さんはいつだって彼女の忠犬でしたし、彼女も頼み事は真っ先に布都さんへ持ちかけるのでした。おかげで布都さんの体もだいぶボロボロになってましたねえ。にもかかわらず、尸解仙の術を試す際だって、彼女は本当に効果があるのが不明だからといって、布都さんを実験台にしたのですよ? ……ふふふ。彼女も臆病だったんでしょうか。生きていれば死は平等に訪れますし、無闇矢鱈と死を恐れるのも無理はありません、当時の彼女はまだ人間でしたから。人間だからこそ、むごい仕打ちができるのですわ。まあ私はそれ以上に口に出すのも憚られることをやってきましたけどね。
彼女は布都さんが眠りにつくところをしかと確かめて、ようやく自分も尸解仙の術を行う気になったようです。その顔は布都さんと比べると、どっちが死体なんだかわからない土塊みたいな色をして――ところが、蝋燭の火が消える直前になって一際大きく燃えるように、と言いますか、いざ自らの死を目前にすると、彼女の横顔はきりりと引き締まり、見る者をはっとさせるほど神々しく、若き日よりもずっとずっと若々しく、それこそ日輪のように輝いて見えたのです。先に部下に尸解仙の術を試させたせいでしょうか? それとも死に際になって彼女は何かを“悟った”のでしょうか? 今となってはどちらでもよいのですが。
私は彼女の横顔を惚れ惚れ見上げてため息をついたのです。何百年か何千年か先の、彼女の復活は遠い西の国の聖者よりも輝かしいものになるでしょう。やっぱり私の目に狂いはなかったと確信しました。我ながら現金ですねえ。
さて、私からはこんなところでしょうか。私は彼女の暮らす神霊廟にいつも居座っているわけではありませんし、今の彼女に関しては、私の口から語ることなど特にありません。今でも死の恐怖から逃れるべく修行を続けているのでしょう。気になるのなら本人にも取材してみたらどうです? あら、芳香にも取材希望ですか? 構いませんけど、あの子に才気煥発な貴方が満足するほどのお相手が務まるかしら。
そうそう、何やら彼女に道教を教えた私を諸悪の根源のように語る者があるようですが、私からすればまったくのナンセンスです。一度でも彼女を見れば、誰が悪で誰が善なのかわかるでしょうに。彼女の眠る神聖な霊廟の上に寺なんかを建てたあの尼さんの方が、よっぽど悪女のように見えますよ。
ああ、この特集記事のタイトル、“聖女について”というのでしたか。彼女が聖女、ねえ……いえ、元の意味からはだいぶ離れてしまったような気はしますが、彼女は紛れもなく聖女ですよ。彼女の師である私が保証します。
◯物部布都の語る
初めに言っておくが、我の昔の記憶は一部とても曖昧で、おぬしの求めていることを話せるかどうかわからない。それでも良いと言うなら、我の朧げな記憶から太子様との懐かしい思い出を探し出して語ろうか。
我が太子様と初めて会った頃、太子様はお歳が十に届くかどうかといった、麗しい童であった。弁舌は爽やかで、誰に対しても敬意を払い、それでいて誰にも謙らぬ気位の高さを持ち、にっこり微笑みかけられようものならこちらがどぎまぎしてしまう立派なお方よ。まだ男と女の見た目がはっきり分かれるようなお歳でないせいか、太子様が男の格好をしていらしても不自然なところがなく、性の曖昧な感じがいっそう神々しさを際立たせたものじゃ。
ああ、世間では聖徳太子は男で通っているな。あれは太子様のお父君が――そうか、今は用明天皇と呼ばれていらっしゃるのか……橘豊日様が、ご自身が決して皇族の嫡流になれないのを嘆いて、せめて才気に恵まれた我が子の太子様にお鉢が回ってくるようにと、男としてお育てしていたためだ。太子様も、男の方が何かと楽でいいと、性別を偽るのをちっとも気に留めていらっしゃらないご様子だった。もちろん男であれば大王になれるなんて単純なものではないが、太子様はお優しい方だ。父君の意向を無碍にできなかったのであろう。
残念ながら太子様は大王にはなれずじまいであったが、太子様が当時の皇族の誰よりも優れた才能をお持ちなのは一目瞭然だった。炊屋姫、もとい推古天皇もな、女帝としては政の手腕はケチのつけようがないし、美貌の持ち主であったし、決して悪いお方ではないのだがな? 太子様ひいきの我には物足りなく思えてならなかった。おっと、これは太子様には言ってくれるなよ? 太子様ご自身は叔母にあたる炊屋姫をいたく尊敬して、いつもご自身より上におし頂いていたのだから。何なら記事にする時にカットしておいてくれ。
つくづく太子様は立派な方よのう。何せ国の平定のため、仏教を道具として割り切って広めるなど、我にはとてもできぬ真似だ。物部の一族に生まれたせいか、我は幼い頃から筋金入りの仏教嫌いでな。とにかく仏像のあの不気味な顔を見るのが嫌で嫌で仕方なかった。正直、道教に帰依したのも仏教よりは馴染みやすくてましだというあんまりな理由だった。なれど太子様は仏教に対して、我のようなみみっちい嫌悪感など微塵も抱いておらぬ。いつだって、目先の小さな利益よりもっと大局的な、大いなるものを見据えていらっしゃる……残念ながら、我が兄・守屋にはその視点がなかった。蘇我馬子殿と兄の対立が決定的なものになる前から、物部一族がいずれ滅びる運命にあることは我にも察せられた。一族の人間はどいつもこいつも血気盛んで、自分の血筋を鼻にかけて、時代の流れを読む力などちっともない。
こんな言い方をすると、まるで我が物部一族を嫌い、廃仏派の一掃を口実に太子様へ売り渡したように思うであろうな。しかしそれは誤解じゃ。どんなに愚かしくても、自分と同じ血を分けた一族とは愛おしいものだ。太子様に傅きながら、古き神よりも異国の仏を尊ぶ世の流れに一族の中でも人一倍憤っていたのは、他でもない我だ。それに物部の中でも、過激に廃仏を唱えたのは兄とそれに同調する一派のみ。中には兄の所業に眉をひそめる者もあった。
ゆえに我は太子様のためだけでなく、少しでも物部の一族を生き残らせるために、物部のタカ派とハト派の分断を煽った。我の目的は達成されたようだ。歴史の表舞台からは消えたものの、物部の血筋は名を変えて今も残っていると聞く。それでこそ我が汚れ役を引き受けた甲斐があったというものだ。滅びを避けられぬなら、せめて物部の娘たる我の手で一族の歴史に幕を下ろしたかった。
蘇我の一族について? 恨んでなどおらぬよ。馬子殿は太子様が信頼を置く豪族の一人であったし、我も物部と蘇我の対立を扇動した以上、蘇我の一族との付き合いは深かった。とりわけ親しかったのは屠自古だ。
屠自古は口が悪くて生意気だが働き者だった。え、屠自古が太子様の妃? 何を言う、屠自古は今も昔も我と同じ太子様の部下で……あれ、どうだったかな? どうにもあいつのことはうまく思い出せん。馬子殿の娘に刀自古郎女というよく似た名の女がいたからな。史書に残るそやつと混同しているのやもしれぬ。まったく、歴史家がしっかりしてくれぬと我らが困るではないか。……いやいや、当事者たる我が忘れたから責任転嫁してるとかではないぞ、断じて。
それはともかく。仏教嫌いなところといい、太子様に忠誠を誓ったところといい、我らはよく似ておったなあ。我も屠自古も、どちらがより太子様に貢献できるか競うように太子様に仕えたものだ。……え、何? 太子様が我を犠牲にしたと? 誰がそんなことを……青娥殿か。まったく、世話になった身でこんなことを言うのも気が引けるが、あの邪仙の言葉を真に受けるではないぞ。
誓ってもよい。尸解仙の術の実験は、我が自ら志願した。太子様のためならこの命、惜しくなどない。何より太子様がそんなことを命じるはずがないだろう。確かに為政者は誰にでもいい顔をして、優しく接すればよいものではない。清濁を平等に併せ呑まねばならない。時に非道な手段を選びこそすれども、太子様はいつだって人のためにお力を振るう方であった。少なくとも、我や屠自古には優しいお人だったよ。我が体を壊すごとに太子様は心を痛めて、物部にばかり負担をかけてすまないともったいないお言葉までいただいた。逆賊・物部の娘と飛ぶ鳥を落とす勢いの蘇我の娘、どちらを公に重んじるかなど火を見るより明らかだ。我はそれをよく弁えていたが、屠自古はどうもわかっていないようだなあ。我は何も屠自古に対抗意識ばかり燃やしていたわけではないぞ?
それに、太子様がご自身の限界を見定めた頃には、我もいささか世の中に疲れていた。陰謀渦巻く政の世界で他人も自分をも欺き続け、自分を見失いそうな中、我は寄る辺を求めていた。それこそが太子様だった。あの面霊気ではないが、我にとって太子様は希望だったのだ。戦で血に塗れても、年老いて衰えても、死を間近に控えても、なお凛と輝く日のようなあの瞳……今は仏教が世の中を支配してもそれはいっときのこと、己の死にすら毅然と立ち向かい、いつか憎き仏教を駆逐し、道教をもって世の中を平らかにするお方。そう信じていた。それがここまで仏教がしぶとく残っているとは計算違いだ。我の謀略もまだまだよのう。あー、寺を燃やし尽くしたい。
屠自古と何があったかって? それがな……まったく思い出せんのだ。すっとぼけているのではないぞ? 思い出していたのなら、屠自古とだってもっと早く仲直りしていたはずだ。壺のことなんて何も知らぬ。尸解仙ではなく亡霊になっている屠自古を見て、初めて知ったくらいだ。
「たまたま何か不慮の事故で壺が倒れ、壊れてしまったのではないか?」
我がそう言った時のあいつの顔はとても忘れられぬ。いやはや、雷は何発も落ちるし、恐ろしかった。まるで鬼そのものじゃ。
まあ、今となっては屠自古も亡霊になったのはあまり気にしていないようだし、我らの諍いとやらも大したことではないのだろう、たぶん。
それにしても、太子様が聖女か。いかにもお似合いではないか、ちょっとばかし響きがお綺麗すぎるが。なんて、聖童女などと冠する我が言えた口ではないかな、はっはっは。
◯蘇我屠自古の語る
刀自古郎女は私じゃない。蘇我馬子の娘、刀自古郎女は実在したけれど、聖徳太子の妃は私である。
要は蘇我の一族が大王に仇なす“逆賊”として討伐されたから、まともな記録など残っていないんだろう。同じことは布都の物部一族にも言える。あいつ、書物によって布都姫だったり太媛だったり名前が一致しないだろ? 逆賊の烙印を押された一族の末路なんてそんなもんさ。
ああ、言わずもがな、太子様は今も昔もれっきとした女性だ。いかに超人的な能力を持つ太子様でも、己の性を好き勝手変えることはできなかったよ。だから当時はあくまで男を装っていただけ。民草はともかく、豪族や王族はみんな太子様が本当は女だって知っていたよ。暗黙の了解という奴だった。女の私が女の太子様の妃になる、なんて不可思議が罷り通ったのは、その暗黙の了解のなせる技だ。それに表向きは妃でも、私はあくまで太子様の部下だった。数ある太子様の妃達の中には、女でも構わないからと本気で太子様をお慕いする人もいたようだけどね。あの方の人徳を思えば納得だ。
本当に、誠心誠意お仕えするつもりだったんだ。同時に、蘇我の娘として太子様との縁を通じて一族に栄華をもたらすはずだった。けれど私のやることなんて、山背大兄王を始めとした皇子達の養育ぐらいで、あの頃から布都ばかりがお側去らず。太子様は私をあまり政や仙術の修行に関わらせてくれなかった。
「道教を信仰するのは私の意志だ。お前まで無理に付き合わなくていいんだよ。お前はお前の一族を第一に考えていればいい」
太子様はそうおっしゃったけれど、どうして無理に付き合いなどしただろうか。私だって道教を信仰していた。仏教を信仰する蘇我一族の中で、仏教を嫌い密かに太子様と同じく道教を信仰する私なんてひどく肩身が狭いものだ。……物部の裏切り者になった布都も同じようなものだったのかな。あの頃の私達は、少し喧嘩をしたって仲違いすることなく……。
そうだ、あいつはいつも太子様のそばにいた。太子様の命を受けて、物部と蘇我の対立を裏で糸引いたのはあいつだったし、その結果己の一族が滅びてなお、太子様に変わらぬ忠誠を誓い続けた。布都は決して物部の一族を恨んではいなかった。むしろ愛していたと言ってもいい。今でも物部の秘術を得意げに披露することからもわかるだろう。兄の守屋殿とも仲違いをした様子はなかった。けれど守屋殿が討たれたあの戦乱の後、布都の様子が変わったのから察するに、きっと布都の企みが守屋殿に漏れて兄妹の仲は破綻したのだろうな。今になって思うよ、もしかしたら布都は一族の命を差し出してまで太子様に尽くした自分に対して、何も失うことなく馬子殿を筆頭に栄華を極めてゆく我ら蘇我の一族が恨めしかったのかもしれない、と。
あるいは太子様も、布都に一族を犠牲にさせた罪悪感があったのだろうか。だから馬子殿を重用するのに負けないほど、物部の娘である布都を側近として引き立てたのか?
太子様が新しい仙術や不老長寿の薬を試す際、いつも布都が一番に始めるものだった。太子様の御身に何かあっては困ると毒見役を買って出た。なぜ私を使ってくれなかったんだろうな。私の身を思って……なんて甘い期待をできるほど当時の布都は親切ではなかったよ。とにかく表向きの妃である私を押し退けて、何が何でも太子様の第一の側近になりたい。そんな妄執にも似た執着ばかりがほとばしっていた。眼窩は落ち窪んで、頬は痩せこけて、目だけが血走ってぎらぎらした欲望を湛えて。一族を失い、世間には憎い仏教が着々と広まって、布都は焦っていたのかもしれない。
だからといって私を出し抜いた事件を許してやれるほど私も優しくない。ああくそ、どうして私は間抜けにもあいつの言葉を信じて……! 私の壺を、あいつは……!
……すまない。少し取り乱した。どうにもあの頃を思い出すと私は冷静でいられない。雷が落ちる前でよかった。
そうだよ、あいつは私の壺をすり替えて尸解仙になるのを邪魔した。お陰で私はこの通り、亡霊だ。布都の仕業だと知ってから、私はどうして布都がこんな仕打ちをしたのか本気で悩んだよ。生前の私達は仲違いなどしなかったのだから。私が悩んでいる間にも時は流れたし、なまじ自由に動ける体のせいで私は本来見なくてもよかったものを見てしまった。
皇位継承を巡る争い……巻き込まれた山背大兄王の敗死……私の子でも太子様の子でもなかったけど、私が可愛がっていた皇子だったのに。そして馬子殿の後継、蝦夷・入鹿親子の敗北と蘇我一族の滅亡。なぜ私は我が子の死を、一族の凋落を目の当たりにしなければならなかった。どうして私一人が取り残されて、こんな憂き目を。怒りと悲しみの中で私は気づいた。
『我は太子様のために愛する一族を捧げた。おぬしも一族を捧げなければ不公平であろう?』
……布都、お前はそう言いたかったのか? 聡明で狡猾なお前だ、こんな未来を予見して私をあえて尸解仙ではなく亡霊にしたのではないか?
私の布都への恨みは頂点に達した。何百年もの間、私は怨霊として彷徨い続けた。最近になってようやく積年の恨みも鎮まり、布都とも少しずつ昔のように過ごせるようになってきたが、私の恨みは完全に消えたわけではない。あいつにも取材をしたのか? 時間の無駄だと思うぞ。どうせあいつは自分の都合のいいようにしか話さないだろう。呑気に寝こけている間に後ろ暗い記憶はぜんぶ忘れやがって。くそ。
太子様は私達の確執を知っていらしたのだろうか。太子様は何もおっしゃらない。わからない、私には太子様が何を考えているかなど、何も……。
昔からそうだったよ。太子様はあまりに聡明で何もかも悟ってしまえるから、何も聴いていないふりをするのが得意だった。私が“決して何も聴いてくれるな”と強く念じれば、その欲望を読み取って太子様は何も聴かずにいてくれる。人々の悩みを聞きながら、自分の悩みは決して誰にも打ち明けなかった。いつもお一人ですべてを決めてしまう。ああでも、太子様が炊屋姫の――推古天皇の摂政だった頃、不意に太子様は私にこう言った。
「お前の二人の姉はそれぞれ大王の后になれたのに、お前はなり損ねたね」
私はこう答えた。「太子様の妃の座には及びません」と。太子様は少し笑ったようだった。太子様は、自分がもう決して大王にはなれないことを知っていらしたのだ。
あの頃の太子様は栄華の絶頂でありながら、御身はひどくやつれていた。それは不老長寿と噂の薬が持つ毒のせいでもあったけれど、別の理由もあった気がする。
思うに太子様は疲れていらしたのだろう。男として過ごしていればいずれ大王になれるかもしれない、そう言い聞かせて女の人生を棒に振って生きてきたのに、正真正銘の女性である炊屋姫が大王として認められた。自分はあくまで、大王を補佐する摂政のまま……それが太子様の心を打ちのめしたのではないだろうか。私の勝手な妄想だと言われれば、否定はできないが……。
今の太子様はちっとも悩むそぶりなど見せないし、御身も健やかだ。もはや新たな地に生まれ変わった身、昔の未練などきれいさっぱりお忘れになったのだろう。けれど、もしあの頃のように太子様がお疲れになった時、私と布都で太子様を支えられるだろうか? それとも、他の誰かが太子様の悩みを聞いてくれるのだろうか?
……私は仏教を嫌う者として、太子様のその相手が僧侶でないことを願っている。今の私の望みなどそれぐらいだ。いつまでも時差ボケが治らない布都のアホ面を見ていると昔の恨みを蒸し返すのも馬鹿馬鹿しくなってくるしな。
ああ、この取材、記事に使うのか? 編集の時、好きに手を加えていいぞ。私からすれば新聞記事も歴史書も同じだ。どんなに公正であろうとしても編集する者の意図が紛れ込むし、読む者は自分に都合のいい事柄しか読み取らない。――古の蘇我の物語は私自らの手によって永遠に歴史の闇へ屠り去られるだろう。
◯聖白蓮の語る
大嘘つきですよ、それ以外にどう言えばいいというんです。……私が言えた義理じゃないかもしれませんがね。
昔、私が外の世界にいた頃、十世紀の半ばね。誰もがあの人のことを日本に仏教を広めた立役者と尊びましたし、何なら観音様の生まれ変わりとまで信じられていました。当時の私だって日本紀を始めとした書物を読んだり、先達の僧侶から話を聞いたりして、それが当たり前だと信じ込んでいたのです。
それが何です、蓋を開けてみれば――蓋をしたのは私ですけど――あの人は死んでなんかいなくて長年眠りについていて、真に重んじていたのは道教で、仏教はただの政の道具でしかなかった、ですって? 仏罰が当たりますよ。いや、御仏がお慈悲を与えても私が許せません。騙された私も浅はかでした。
おそらく目覚めたばかりの頃のあの人も、私と同等か、それ以上に私を目の敵にしていたでしょうね。結果的に復活を早めたとはいえ、あの人の死を怪しんで封印をした僧侶達と同じことを私はしたんですから。あの頃は私もかなり強気でした。もちろん、かつての血生臭い宗教戦争など私も望んではいませんが、あの人がどのように出るかわからない。もしあの人が本気で妖怪と敵対し、排除しようと考えていたら、私も手段を選ばなかったでしょう。
しかし私の心配も少しは杞憂に終わったようです。あの人はいつも人のためにと公言して憚りませんが、それは必ずしも妖怪と敵対することを意味しません。むしろ私が警戒するべきなのは、あの人の宗教家としての顔でした。
私だって千年以上生きた魔法使いです。あの人は外の世界では有名人かもしれないけれど、昔のように大きな顔をしようったって、そうは問屋が卸しません。今思えば、私はあの人の力を恐れていたのでしょう。負けられないと自分を奮い立たせて、対談でも決闘でも、あの人には特に厳しく当たるように努めました。
……ですが、何度となくあの人とぶつかり合ううちに、少しずつあの人の人となりが見えてきたんです。あの人は大衆が思うほど、悪辣でもなく、善良でもない。
人のために振るえる力があるのだから、人を救う――口先だけではないのでしょう。実際にあの人は自分が関わった数々の異変で、事態が収束する方向に向かい行動していますし、悔しいですが私の選択よりあの人の選択が解決を早めた事件もあるかもしれません。気づけば素直に敬意を抱く自分に気付きました。
けれど一方で危うさがあるのも確かです。一度吸った権力の蜜の味は忘れ難いものでしょう。自分に逆らうなという意味で和を持ち出す人ですからねえ……。なまじ知名度がある分、無批判にあの人を崇めていたら、あっという間に懐に入り込まれてしまうかもしれません。
とはいえ一度協力したよしみか、私はどうしてもあの人の善性に期待をかけてしまうのです。あの人よりも、あの人を認めつつある私自身が極めて危ういと思いました。弟子の中には、道教は邪教ではないと考える者もいます。ええ、私だってそう思っていますし、あの人の道教に対する信仰心が真摯なのは私にもわかります。けど、あの人は商売敵です。私が揺らげば、弟子達はどうなるのか……いえ。本当はそんなものではなく、私が御仏と私自身に立てた誓いが揺らぐのが恐ろしかったのです。かつて身勝手な欲望のために仏教を踏み躙った罪の償いに、私はどこまでも敬虔な仏教徒でいたかった。
迷いながらも私はあの人を認める自分を認めてしまおう、と答えを出しています。開き直りと言われれば否定できませんが、あの人を認める中で、決して相容れない一線も見えました。たとえば不老不死に対する考え方など。千年は私に不死への執着を手放させるには充分な時間だったのです。
蓋しこの世は一睡の夢。あの人の中に死への恐怖心がまだあるのかは私にもわかりません。何事も死の直前にならなければわからないのではないでしょうか。私だって悠然と構えるふりをして、いざとなればまた恐怖にかられるかもしれません。ああ、別にあの人に不老不死を求めるのはやめなさいなんて説教するつもりはありませんよ。どうせ止めたって聞かないでしょう。それにあの人の行く末は少し見てみたくもあります。天道は六道の一つであって、天にたどり着いても輪廻からの解脱はできない。天道を極めた時、あの人はどうなるのでしょうね?
なんて、ちょっと意地悪な言い方をしましたけど、商売敵ってそれぐらいの方がいいでしょう。いえ、好敵手と言うべきかしら? 本当に因果な巡り合わせです。
私はあの人を大嘘つきと言いました。だけど本当はもうあの人が昔何をしたかなんてどうでもいいんです。私の知る聖徳太子と、今、私と幻想郷で敵対するあの人は全然違うんです。なら私はあの人の過去ではなく、今のあの人が何を考えて、どういう理想を掲げて、どんな思想を抱いて、どうして私と衝突するのか。それに向き合えばいいと思いました。
……まあ、口達者な人の話は信用できないという一面もありますからね。思えば昔も現代のようにおびただしい数の人間達が口を揃えて聖徳太子を褒め称えるものだから、余計に伝説に尾鰭がついて膨れ上がって。何が本当で何が作り物かわかりやしない――いえ、あるいは、数々の伝説や歴史の闇に屠られた事件の真偽なんて、あの人はどうでもいいのでは? ただその名が人々の口の端に登り時を越えて語り継がれることこそがあの人の、いえ、あの人達の最大の目的だとしたら?
――私の話はここまでにしましょう。なるほど、こうやってあの人に近しい人達に話を聞いて回っているんですね。私とあの人と三人で語り合った神奈子さんはどうなんです? え、取材にすら行っていないんですか。言われてみれば、確かに最近の神奈子さんはあの人との関わりが薄い気がします。
……へえ、あの邪仙が私を悪女と。わざわざ先回りして私に告げる貴方も大概意地が悪いですね。悪女としか言いようのない所業を犯しているのはあちらでしょうに。
そしてこの取材の記事、タイトルはもう決まっているんですね。聖女、ですか。何だかタイトルありきで決めているようですし、こういう括りで崇め奉るのはあまり好きではありませんが……いえ、何も言いますまい。あの人はそんな肩書きなんて気にしないでしょうから、たとえこの記事をすっかり読み切ったところで「へえ」と鼻で笑うのでしょうね。
◯秦こころの語る
私にとって太子様は何と呼べばよいのでしょう、生みの親みたいなものですから、母親? 父親? それとも職人さんでしょうか。今でも太子様は私がお面を壊すと新しく作ってくれます。「布都の皿と合わせて、いい加減、費用が馬鹿にならないぞ?」とこの前はお小言を言われましたがね。
私は秦河勝をあまり覚えていません。太子様の部下のような人だったそうですね。太子様が作って河勝に与えた六十六のお面……それが私です。まあ、私がそのことを思い出したのは幻想郷で太子様に再会してからなんですけど。
太子様はとても器用な人です。そして手が早い人です。私が失くしてしまった希望の面も、すぐに代わりをくれました。けれど太子様が作ってくれた希望のお面、私にとっては扱いづらいのです。太子様のお顔を模っていることからわかるように、あれは太子様のお力そのものです。物には力が宿りますし、作ったのが太子様であればなお……あまりに希望が強すぎて、私の持つ残り六十五のお面と全然釣り合わないんです。あのままではいずれ私の自我が乗っ取られてしまいます。太子様はそれを見越して新たなお面を作ったようでした。
もちろん、太子様に悪意があったわけではないのは、私自身がよくわかっています。あのお面はちゃんと私のためにあつらえられたものでもあったのです。太子様は私の暴走を抑えるついでに、ご自身の力を示したかったみたいですね。ほら、権力者って自分を模ったモニュメントだとか肖像画だとかを飾りたがるじゃないですか。あれは自分の持つ力のアピールです。そういえば、私は以前、聖さんにこんなことを聞いたのでした。
「世の中に大仏やお寺がたくさんあるのは、仏様の力を示すためですか?」
聖さんはちょっと困った顔をして、答えてくれました。
「仏像を作るにもお金がかかります。巨大な大仏ともなればなおさらです。お寺はお布施や寄進によってお金がたくさん集まることもあるので、作れなくもないのですが……ではその寄進を誰がやるのかといえば、皇族や貴族や武将といった時の権力者達です。単に信心深いだけではありません。財を尽くして仏像やお寺を建造することで、自分の権力を誇示しようとしたのです。ですから大仏やお寺が示すのは仏様の威光のみならず、権力者の威光でもあるのでしょうね」
私には聖さんが何を言いたいのかわからなくて、後で太子様に聞いてみたら「仏教の側が権力を求めた事実には触れないんだな」と笑いました。お金や権力といった生臭いものと強く結びついた歴史を持つ仏教への後ろめたさが聖さんにもあった、と太子様はお見通しなのでした。天狗草子と言えば貴方にもわかるでしょうか。それにしても、後ろめたいのに信仰を続けるんですね。あの人もお金とか権力になびくんでしょうか? そうは見えませんけど。
私はいくら国の平定のためとはいえ、自分が信じてもいない宗教を広めた太子様が理解できなかったのですが、聖さんの話と私のお面を合わせて、一つ思い当たることがありました。おそらく太子様は仏教を広めると同時に自分の力を誇示したかったのでしょう。法隆寺も河勝のお面も十七条の憲法も、すべて太子様の道具です。ひょっとしたら道教だって、太子様は本気で信仰してはいないのかもしれない。
要は、太子様は今も昔もやることが変わらないのです。生まれながらの為政者だからでしょうか、偉いから偉そうに振る舞うのです。というか、単に太子様って目立ちたがりなところありますよね。弾幕花火? の時もそうでしたし……。為政者に必要なのって、個人の魅力とか個性じゃないような。
たまに私は、今でも太子様は為政者になって思いのままに政を取り仕切りたいのかなあ、なんて考えますが、たぶん無理ですよね。だって幻想郷(ここ)はそんなもの必要としてなさそうですもん。だけど太子様は頭脳も出世欲もずば抜けていますし、何しろ仙人になってまで生き永らえようとした人ですから、太子様がその気になればまったくできない、なんてことはないのかも……。
私は太子様の作った道具です。太子様に思い入れがありますし、私の感情は太子様から学んだものもありますが、それでも私って、もう太子様からは独立した、自我を持った付喪神なんです。何が言いたいかって言うとですね……。
私を勝手に実験台にするなー! 三人がかりで決闘を挑むなー! 派手に目立って人間の感情を掻き乱すなー!!
あーちょっとスッキリした。これぐらいの反発なら許されるでしょう。私は政の道具にされるのはごめんですし、だいたい宗教家なんてみんな人々の感情を乱す身勝手で傍迷惑な輩ですから、私はこれからも“心綺楼”などの能楽を通して宗教家達をとことん茶化してやろうと思っています。もちろん、太子様も含めて。それが私を作ってくれた太子様への、私なりの恩返しです。私が能楽を演じれば私の感情はもっと充実するし、太子様の名前だって広まるでしょうから、悪いことばかりではないと思います。
能楽は猿楽、猿真似に通じます。誰かの真似をして笑いを誘うんです。そうして笑う行為は時に大きな力を持ちます。貴方もわかるんじゃありませんか? 天狗は芸能の神様・天鈿女に縁のある猿田彦の子孫ですからね。
……え? 貴方から新しい能楽の提案? どんなものを……風刺花伝? それはちょっとキツくありません? 貴方達の記事みたくお蔵入りになるのは困るわー。
◯茨木華扇の語る
彼女も私と同じ仙人だったわね。けれど私は宗教家を名乗っていないし、私の天道と彼女の天道は異なるように思えてならないわ。
私は仙術をあくまで己を高めるため、より長く生きるための心得と認識していました。他者を救うためではなくどこまでも自分のためなのよ。本来、仙人とはそういうもの。けれど彼女がこちらに来てからだいぶ派手に目立って、いつの間にやら宗教家の一人として台頭して。焦ったわよ、彼女一人の存在で仙人の定義があやふやになりかねないんだから。
ああ、でも私だって時折山を降りてお説教したりはするけどね。あんまり成果は得られないけど。霊夢なんて、何度言っても修行に励みやしない……。
それはさておき。私は以前、同業者たる彼女になぜ仙人を目指すのかと聞いたことがあります。あの頃の、厭世観に満ちた世の中で仙人たる私も人々を救うべきなのか? と悩んでいたもので。彼女は快く私を迎えてくれて、私の問いにも答えてくれたわ。
彼女は「人を超えたかったから」とはっきり言った。まあ、その答え自体は私の期待からも想像からも大きく外れてはいないわね。そもそも彼女は生前……いや、眠りにつく前かしら、その頃からあまりにも人間離れした力を持っていたそうじゃない。特段人間を下に見ている風ではなかったけれど、彼女の力は人間の器には到底収まり切らないと感じました。だから彼女が仙人という、然るべき器を求めるのも納得が行く。
……え、私が仙人を目指す理由? 長生きしたいなんて、人妖問わず抱く普遍的な欲望だと思うし、そこまで悪いことではないでしょう。だから私には、邪仙と呼ばれるあの方……青娥さんがそこまで悪い方にも見えなかった。ええ、青娥さんとは頻繁にではないけど、何度か会っているわ。
都良香? もちろん知っているわよ、平安期の有名な詩人でしょう。そういえば、青娥さんの部下に宮古芳香というキョンシーがいたっけ。詩人との関係性は私も知らないわ。えっ、あのキョンシーにも取材しようとしたの? 会話が成立するか怪しいと思うけど。……ああ、やっぱりやめたのね。代わりに彼女の話ができそうな人? 貴方に畜生達の抗争に揉まれる覚悟がないなら大人しく諦めなさい。
あら、失礼しました。話を戻しましょう。そうね、彼女について、同じ仙人として私が思うこと……難しいけどなるべく客観的に話してみるわ。誰だったかしら、不老不死を求める者と求めない者、その違いは栄華を極めたか否かによるのではないかと言ったのは。栄華の絶頂を永遠にしたいと願うんじゃないか、って思ったのね。これは私の勝手な憶測になるけれど、彼女は、聖徳太子は栄華を極め損なった。そりゃあ今も昔も彼女はたいそうもてはやされているけれど、彼女本人は“太子”止まりでは屈辱だったのではないかしら。藤原道長が臣下の身で摂政に就き『この世をば』と高らかに我が世の春を謳歌したのとはまったく異なる。彼女は紛れもない皇族なのだから。
あるいは彼女は、ただ自己を高めるためだけでなく、遥か昔に取りこぼした栄華をつかむために、人を超えたかったのかもしれない。決して同情ではないけど、気持ちはわからなくもないのよ。これぞ我が生きる道と思い定めた道がある日突然絶たれてしまったら、別の道を求めなければ生きていても屍同然だもの。見果てぬ夢を天道に託したのかもしれない。そう思えば、彼女の放つ光も眩い日の輝きというよりは、情熱の宿る鬼火のような……。
こうして語っていると、かく言う私も彼女には同業者のよしみを感じているみたいだから、客観的に評価しているようで、すでに傾いているかもしれないわね。ですから自戒も込めて、警鐘しておきます。『豊聡耳神子について知りたければ、その耳で彼女の声を聞き、その目で彼女の姿を見て、自分の頭でちゃんと考えなさい』と。
◯驪駒早鬼の語る
へえ、新聞記者ってこんな地獄くんだりまで取材に来るのか。仕事熱心だな。何なら我が頸牙組に入るか? 安心しなよ、超絶ブラックだらけの畜生界でもうちは超絶ホワイトさ。……あっはっは! 冗談だよ、で、用件は何?
何? 太子様についてだって? ほうほう、それで私のところへ! お前、わかってるじゃないか! ああ、懐かしいなあ。太子様のお名前を他人の口から聞くのなんて何年振りだろうか。
聞いてくれよ、私が誰に問われるまでもなく太子様の自慢話をすると、吉弔の奴が「走馬を却けて以て糞す」と言うんだ。意味わかるか? さっぱりわかんないけど私を馬鹿にしてんだろうなってことはわかる。それさえわかればカチコミの口実になるからいいんだよ。
いかにも、私は太子様の愛馬だ。私がまだただの動物として生きていた頃、甲斐国で人間達に飼われていた。ある時、夏の初め頃だったかな、太子様が全国から選りすぐりの良馬をご所望だとかで、私も太子様に献上される一匹に選ばれた。
自慢だけどな、私はこれでも並の馬より抜きん出た脚力、毛艶、馬力を持つ駿馬だと自負していたのさ。他の馬達と足の速さを競争してもいつも私が一番だったし、他の馬が些細なストレスで体を壊したって私は平気だった。だから当時の私は、太子様ってのがどんなお方かまったく知らなかったもんだから、人間に選ばれるんじゃなくって私が人間を選んでやろう、なんて恥知らずな志を抱いていたのさ。ああ、もちろんこの畜生界じゃ人間のが下だと思ってるけどね。
そうして私は初めて太子様とお会いしたわけだが……いやあ、何と表現したら良いのだろう。馬飼の人間なんてみんな同じ顔に見えてた私でも、太子様がそんじょそこらの人間とは違うってのが一目でわかったよ。オーラというのか? 光るような異彩を放つお方だった。お歳のわりにやつれていらっしゃるとの評判だったが、そんなことはない、しゃんと背筋を伸ばして凛々しく人前に立ち、瞳は野望に燃えて、はきはきとお話しになるお姿はまさに神の子としか言いようがなかった。とにかく私は『この人だ!』って運命を感じたね。思い出補正? そう言われたら否定はできないけど、仕方ないじゃないか。私には今なお燦然と輝く思い出なのだ。
そして太子様もやはり慧眼をお持ちだった。その時献上された馬は数百……いや数千? 覚えてないけど、とにかくたくさんいたのに、ひしめき合う馬の群れから、私を見つけて一瞥した瞬間、「おお、これぞまさしく神馬なり」と私をご所望なさったのだ。いやあ、あの時の喜びといったら、もう天にも昇る心地だった。実際に天翔けるのはもう少し後だけどね。
それから私は調子丸とかいう舎人に預けられた。太子様のお側にいられないのは不満だったが、考えてみれば摂政ともあろうお方が自ら厩に入って馬の世話なんかするわけにはいかないもんな。太子様が厩戸でお生まれになった? そんなの後の時代の人間が勝手に言ってるだけだ。調子丸も悪い奴じゃなかったし、そこは私も我慢した。それに太子様はたびたび私の様子を見に来てくださったし、私の体を撫でて、
「黒々とした良い毛並みだ。今しばし新たな土地に慣らしてからとは思っていたが、この馬に乗る日が待ち遠しいよ」
とおっしゃって、調子丸の仕事ぶりも大層褒めていらっしゃった。ああ、私もその日をどんなに待ち侘びたことか。
秋の暮れになって、私はようやく太子様をこの背にお乗せすることになった。手綱は調子丸が握って、太子様は慣れた手つきで馬具を整え、さっと私の背に跨った。その御身の軽さ! 私は確かに乗られている感触があるのに、太子様の体重をほとんど感じないんだ。あの頃の太子様は本当に人間だったんだろうか?
「よしよし、頼むよ」
太子様に優しいお声をかけられると、私はもう張り切ってしまって、それこそ十万馬力で地を蹴った。そうしたら――私は空を飛んだ。いや、今でこそ私は当たり前のように飛べるけど、その時は太子様よりも調子丸よりも私自身が一番驚いていたんだ。いったいいつ、私は空を飛ぶ力なんて身につけたんだ? ……太子様なのか? 太子様の人智を超えたお力が、私にも神がかった力を与えたのか? うん、きっとそうだ。
「おお、これは――」
太子様はお笑いになった。手綱を握ったまま宙ぶらりんになって、落ちまいともがいている調子丸をすかさずご自身の後ろに乗せて、
「そのまま私をどこへとも連れてゆけ、我が驪駒よ!」
歓喜に満ちた声が私に届いた。危のうございます、なんて調子丸の震え声は私の耳に入らない。どこへお連れすればいい? 遥か天の彼方へ、この方に相応しい楽園を探し求めようか? それとも太子様のご先祖だという日の神の、天上に眩く輝く日輪の元までお連れしようか?
残念ながら、当時の私にそこまでの度胸はなかった。太子様のご期待に添えるかわからないが、私の生まれ育った甲斐の地を、そこから標榜できる富士の山をお目にかけようと東を目指した。あの頃の富士山は活発で、いつか噴火するんじゃないかといった様相だったよ。それでも太子様は初めて目にする富士の絶景にため息を漏らして、調子丸は言葉にもならないみたいだった。
山頂に降り立った太子様は、思いもよらぬ出来事に『太子様の御身にもしものことがあれば』と真っ青になっている調子丸を宥めてやりながら、煙を吐き出す山の頂を眺めた。
「富士の山、とは良い名だな。富士は“不死”に通ずる」
と、感慨深くうなずいて、私に対しても「よく連れてきてくれた」と労ってくださるのだ。……この時、太子様はまだお若かったが、すでに不老不死への憧れを抱いていらしたのかもしれないな。もっとも、当時の私は太子様が喜んでくださった、それだけで有頂天になっていたから、太子様のお心なんて気にも留めていなかったのだけど。
それから私は再び二人を連れて、信濃や三越まで三日ほどかけて後に、都へと帰ってきた。いやあ、えらい騒ぎになっていたよ。太子様が突然、馬に乗って空を飛んでいった、ってただただ仰天する者と、太子様の高徳に感心する者と、国の摂政が一時消えてしまったことに動転する者と。
私は『太子様がとんでもない馬を連れてきた』と人間達に畏敬の念を抱かれるようになったけど、どうでもよかったね。太子様がこの日の出来事以来、すっかり私を気に入ってくださったことの方が嬉しくて仕方なかった。名前なんてなかったけれど、太子様が「我が驪駒よ」と目を細めて呼びかけて、たてがみを撫でてくださるだけで満たされたんだ。太子様は人間にだけでなく、動物にも優しかったんだ。普段は思わず目をつぶってしまう眩い日輪が、ほの温かい陽だまりに変化するように、下々の者には等しく愛情深いのさ。……何、地上には動物を従える仙人がいると? ふーん。何、太子様だって負けてるものか。私だけじゃない、太子様はあの頃お経を唱えられる犬だって飼っていらしたのだから。今度その仙人とやらにもカチコミに行くか。
そうさ、私は太子様が大好きだよ。だけど、そうだな。不満があったとすれば、私の方が太子様より先に逝ってしまわなければならないことだろうか。太子様は不老不死の研究をしていたけれど、私を巻き込もうとはしなかった。馬なんかを不老不死にしたって仕方ない、とのお考えだったかもしれないが。
いかに天翔ける力を得た私でも、天命には逆らえなかった。悲しみに暮れた太子様のお顔が忘れられない。そのためだろうか、私は死んでもすぐには黄泉の国へ行くことはなく、しばらく霊体のまま太子様のいる現世にいた。政や道教に明け暮れていた太子様はお気づきにならなかったけれど、太子様のなさったことは、太子様が尸解仙の術でお眠りになるまでずっと見つづけていた。私に政なんて難しいことは何もわからなかったから、ただ文字通り身を削って政と道教に打ち込む太子様を痛々しく思うだけだった。
そうして太子様が表向きには“お亡くなり”になって、ようやく私も黄泉の国へたどり着いた。それから先はまあ、太子様と関係ないから省略するけど、畜生界に流されて戦いに揉まれて気がつけば組の頭になって、今に至るわけだ。
太子様にはあれ以来、一度もお会いしていない。幻想郷で無事に復活なされたと風の噂に聞いていたけど、私も抗争に明け暮れていたから、なかなか会いに行く機会がなかったんだ。
……お会いしたいなあ。日出づる処の天子というが、私にとって太子様は天地人あまねく照らす太陽そのものだった。畜生界で名の知れた頭となった今でも私の誇らしい主人だよ。太子様だけが私を傅かせるお方だから、他の誰かの下につくのは嫌なんだ。さっさと畜生界を制圧したいもんだ。
いや、思い出に耽っていたらいてもたってもいられなくなってきた。だって私は、遥か昔の飛鳥の時代に栄華を誇っていた太子様しか知らないじゃないか。今の、幻想郷で新たに仙人として生まれ変わった太子様のことは何も知らないも同然なんだ。私は今の太子様をこの目で見たい。うん、今から私は太子様に会いに行く!
え、畜生界のしがらみ? そこらへんは吉弔の奴がうまいことやってくれるよ。ふっふっふ。遠い異国では太陽に近づき過ぎて羽が焼け落ちた哀れな男の伝説があるそうだが、既に死んだ私に恐れるものなどあるもんか。この漆黒の天馬(ブラックペガサス)に不可能などないのだ!
取材? 終わりだ終わり! 太子様への思いの丈はちゃんと伝わっただろう? いい記事に仕上がるのを楽しみに待っているぞ。
それじゃ!
神子の多面性が良く描かれていて興味深いなあとなりました。良かったです。
やはりアナタ達はワカってない。豊聡耳神子という人物を―――