咲夜は一人、夜の庭園を歩く。
ハミングするように、古い洋楽を口ずさみながら。
「Poets often use many words to say a simple thing. It takes thought and time and rhyme to make a poem sing.」
(詩人はたったひとつの事を言うのに沢山の言葉を使う。それに詩を作るのには、思考と時間、それから韻も必要ね)
「With music and words I’ve been playing for you I have written this song. To be sure you known what I’m saying,I’ll translate as I go along.」
(私は私に歌える歌と言葉で貴女の為に歌を作ったの。貴女にきちんと伝わるように、翻訳しながら歌うわ)
人々が寝静まった夜深く。吸血鬼の館である紅魔館は、眠る事なく妖精メイド達が忙しく動き回っていて、窓ガラスからは眩しい灯りが覗いている。
吸血鬼である主人に忠誠を誓い、ここ紅魔館のメイド長を務める咲夜は、しかして人間である。その体は睡眠を必要とする不自由なものであり、実際、深夜から朝までの間には睡眠の為の自由な休憩の時間が与えられていた。
咲夜は大きく伸びをする。夜の外気を大きく吸い込む為だ。
涼やかな風が、体の中に入ってくるのを感じる。今夜の空は、薄い雲が月をところどころ朧げに隠しているようだった。
月の光というのは不思議なものだ。心をどこか情緒的にさせる。咲夜はそう感じた。星の灯りと月の光が、まるで瞬きをするごとに、見るものを陶酔させるかのようだ。
幻想郷の天蓋に浮かぶその月は、かつて咲夜が行ったことのある本物の月ではない、作り物のそれだけれど、しかし、彼女をどこかセンチメンタルな気持ちにさせるには十分なものだった。
咲夜は歌う。
広い広い庭園を歩き、大理石の噴水がある広場へと抜けていく。
「Fly me to the moon,and let me play among the stars. Let me see what spring is like,on jupiter and mars.」
(私を月へと連れて行って、星々の狭間で遊ばせて。木星と火星の春が見たいの)
白く輝く大理石の噴水には、一足先にやってきて腰を掛けている存在がいた。咲夜もまた、彼女の隣に腰を掛ける。
「早いのね、美鈴」
「ええ、咲夜さんと会うのが楽しみで」
門番である彼女が咲夜にニコリと笑いかける。彼女は名を紅美鈴と言い、咲夜にとっては部下であり、愛する恋人でもある。
こうして夜の時間に、お互い示し合わせたように噴水のある広場で共に過ごすのは、別に今夜が初めてのことではない。二人は毎夜、雨でも降っていない限り、こうして夜半の空を眺めているのだ。
別段、どちらから言い出した事ではない。ただ、二人の気に入った場所や時間が同じで、恋人同士として付き合い始める前から、こうして夜に会う事は日常の一部となっていた。
二人は言葉少なに空を見上げる。お互い、特に何かを話したいわけではない。隣に少し暖かな、愛する人の存在を感じながら、夜空を見上げていられれば、それだけで十分なのだ。
先に口を開いたのは、美鈴からだった。
「さっき歌っていた歌って何ですか? 素敵だったものですから、つい気になって」
「あら、知らないの? 『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』、ジャズのスタンダードナンバーよ」
「そうなんですね。素敵な歌声でした」
美鈴はお世辞ではない心からの言葉で、咲夜のことをそう褒めた。なにしろ好きな人の歌声なのだから、どうせ何を歌っていても素敵に聞こえるのだろうけれど。
「褒めても何も出ないわよ」
「続き、歌って下さいよ」
「そう言うなら、いいわ。歌ってあげる」
美鈴は月を見上げながら、咲夜の歌う声を聴いていた。
「In other words,hold my hand. In other words,darling kiss me.」
(言い換えるならば、私の手を繋いで。言い換えるならば、私にキスをして)
そうやって咲夜が一番のメロディを歌い終えると、ふわりと置いていた手に暖かな感触が乗っかってくる。
美鈴の手だ。
くすぐったいような気がしたけれど、咲夜はそれを跳ね除ける気にもならない。好きな人の温度が感じられて、なんだかとても良い気持ちになって、咲夜は思わず美鈴の頬にキスをした。
「なんですか、急に」
「とぼけないで。貴女、意外と英語も分かるのね」
「まあ、それなりには」
そう言われて、美鈴は少しばつが悪そうに、キスされていない方の頰を掻いた。照れ笑いと言った感じの美鈴をよそに、咲夜は歌い続ける。
「Fill my heart with song,and let me sing forever more. You are all I long for,all I worship and adore.」
(私の心を歌で満たして。そしていつまでも歌わせて。貴女は私が恋焦がれるひと。大好きでやまない、憧れのひと)
「In other words, please be true.」
(言い換えるならば、真実であってほしいの)
そこまで歌って、咲夜は美鈴に向き直る。彼女は美鈴の顔を両手で掴み、ぐっと自分の顔と向き合わせる。
「よく聴いてなさい」
美鈴は言われるがまま、咲夜の瞳を見つめながら、歌の続きに集中する。
「In other words...」
(言い換えるならば……)
最後のフレーズを溜めに溜めた咲夜が、歌い終える前に美鈴にふわりとキスをする。今度は頬ではなく、きちんと唇に。
「I love you」
歌い終えると咲夜は、ニコリと笑って見せた。美鈴はただただ、咲夜の積極的な愛の言葉に、頬を赤く染めて、俯くしかなかった。
「もう一度言ってもいいのよ?」
「十分ですよ……」
二人の手が、優しく繋がれる。
月の光は、どこまでも淡く二人を包んでいた。
良かったです
きれいな百合は素晴らしいですね
素晴らしいめーさくでした。