夕暮れ時のこの空気が嫌い。何故って、私の全てを持っていきそうだから。朝焼けの方が好きだ。だからいつか見た朝焼けを思い出して、私はまた歩き出す。
里の人たちは私に会釈をして私はそれを手を振って返す。誰も話しかけてこない。里の人間からすれば私は御阿礼の子、偉い人、遠ざけたいと思われる人だろう。私の思い当たる記憶の中から引きずり出すとそうなるんだろうと。
屋敷に着くと私を出迎えてくれるばあやを制して部屋へと向かった。部屋の襖を閉めて文机に向かう。
そうだ、ひとつ、書いてみようか──
~*~
「お母さん、幻想郷縁起見なかった!?」
バタバタと私は階段を降りてお母さんに聞く。
「昨日、自分の部屋に持っていったじゃない。そんなに慌てることなの?」
「あれ阿求が解説してくれたやつなの! なくしたくないのよ!」
「なら知らないわよー自分で探しなさい」
お母さんは書庫の整理をしながら気のない返事をした。どうして私はなくしたのかしら! バタバタとまた部屋に戻って私は探す。無い、無い、無い! どうして無いのよ! 私はあわあわと部屋をぐるぐると回る。どこに置いたっけ、もう! 思い出せない!
「おおーい小鈴、店の方に縁起あったぞ」
お父さんの声だ。大きな音を鳴らしながら階段を駆け下りた。
「お父さんありがとう!」
店の方に駆け込んで貸出机の上に幻想郷縁起が置かれていた。
「良かったあ……」
ほっと一息ついたら腰が抜けた。地べたに座り込んでしまった。
「ちょっと小鈴、地面に座らないで。洗うの大変よ」
本を持ちながらこっちに来たお母さんは言う。
「腰が抜けただけだって。洗うのは私がするもん」
「本当かしら……」
お母さんは首を傾げながら本を入れ替えていく。
「ほら小鈴も手伝って」
ゆっくりと立ち上がって私は土埃をはらった。手伝いをしようと思って行こうとするとカラカラと店の戸が開く。
「郵便です。本居小鈴さんはいらっしゃるでしょうか」
ゆうびん、郵便? 少し混乱したけれど最近始まった郵便屋さんだったっけ。確か外の世界とかで遠くの人に手紙とか届ける人……だったかな。そんなことを思いながら私は答える。
「はい、私のことですが……」
「ああ良かった、いなかったらどうしようかと」
郵便屋さんは大きな鞄からなにか取り出した。『本居小鈴様へ』と書かれた手紙を取りだした。
「これ、阿求様からの手紙です。本人以外に渡すなと仰せつかっていたので。確かに渡しましたよ」
私はその手紙を受け取る。見慣れた阿求の文字に私の名前が書かれていた。
「……えっとありがとうございます。お仕事お疲れ様です」
「どういたしまして。それでは失礼します」
そう言って郵便屋さんは店を出ていった。
「小鈴、阿求ちゃんになにか失礼なことした?」
「ちょっとお母さん! それって私に失礼じゃないの!?」
私は思わず叫んだ。
*
私は店の手伝いをそこそこに夜ご飯の買い物に行けと言われて今、里を歩いている。やけに暑い今日の日差しにやられながら歩いていく。
言われたものを買って、さっさと帰宅する。
「ただいまー買ってきたよ」
「ありがとう小鈴。台所に置いておいてくれるかしら」
お母さんが店の棚の隙間から返事をした。顔が見えて少し不気味だった。
「置いてきたら部屋戻るからー」
「分かったわ」
そう言って台所に行って籠を置いて階段を上っていく。そう言えば、阿求の手紙がポケットに入ったままだった。出すと見慣れた阿求の文字。一体何が書いてあるのか楽しみだった。
折られた外紙を外して中の便箋を見る。
『拝啓
本居小鈴様へ
唐突なお手紙失礼します。驚いたでしょうか。書きたくなったので書きたいことを書いてみようと思います。
最近、夕焼けを見て少し嫌な気持ちになりました。何故でしょうね、私の中では分かっているかもしれません。
話は変わりますが、ばあやに怒られてばかりです。体調管理が悪いだとか、もう少し落ち着きを持ちなさいだとか。私を思って言っていることは分かっているのですが、いささか落ち着きません。小鈴はどうですか、お母様に怒られたりしていませんか。いえ、小鈴なら怒られているでしょうね。私には分かります。
そうですね、小鈴もよければ手紙で返信してください。普段から会うとは思いますが考えてみてください。
敬具
稗田阿求より』
「ふふ、返信しようかな」
私は紙を取ってきてから、文机に向かって筆を滑らした。
~*~
「阿求様、今日は如何されます?」
侍女が私の予定を聞いてくる。
「そうね、今日は縁起のまとめに入るわ」
「了解しました」
開かれた襖が閉められ、私は幻想郷縁起を起こしていく。何時でも人が安全にいられるように。覚えている全てのものを掘り起こして書いていく。
数刻経って筆を置く。少し風に当たろうと思って立ち上がる。襖を開けて目の前に広がる庭を見ながら歩こうとすると、侍女が何かを持って私の前まで走ってきた。
「どうかした?」
「小鈴様からお手紙にございます。郵便屋から受け取りました。お受け取りください」
『稗田阿求様へ』と癖のある小鈴の文字。いつ見てもこれが小鈴の文字だと分かる。
心の中で返信が来るなんて思ってなくて少し嬉しくなる。
「持ってきてくれてありがとう」
「いえ、それがお役目ですので。それでは失礼します」
タタタと軽い足音で侍女は小走りで去っていった。私はひとつ伸びをして改めて手紙を見る。思い立って送ってみた手紙は私たちを繋いでくれたらしい。嬉しくなって私は手紙を抱えながら、部屋に戻る。少しだけ休憩しよう、そう思って手紙を開けた。
『拝啓
稗田阿求様へ
どうしたの急に手紙なんかって言いたいけど、せっかくなので私も手紙で返そうと思います。今日はねお母さんに怒りました。お母さんにはつまらないことだったのかもしれませんが、私には重要だったことでした。阿求は怒らせていると書いてましたが、私が怒ることだってあるんです!
それと今日は幻想郷縁起をなくしそうになりました。阿求が解説を入れてくれたあの縁起です。私にとっては大切なものなので、お父さんに言われて見つけた時は腰が抜けました。見つかって本当に良かったです。あとは何も無かったかな。
そうだ、阿求、なんかあるなら話ぐらい聞くからさ、また教えてよ。
敬具
本居小鈴より』
「……ふ、小鈴、生意気よ」
私は静かに笑った。
~*~
あれから私たちは手紙を何通もやり取りした。今日あったことや気になったことの質問なんかしたり、対面でも話せるようなことを手紙に書いたり。そんなことをしていたけれど、最近阿求を見ない。幻想郷縁起の仕事に目を回されているのだろうか。それでも手紙は元気そうにしているし、大丈夫なんだろうと私は勝手にそう思った。
私にとっては何も無いいつもの日常。鈴奈庵の店番して。いつもと違ったのは郵便屋さんの来る時間だった。いつもいつも来る時間は店が開く時間帯にやってきていた。だけど今日はお昼ご飯も食べ終わった時間にやってきた。
「いつもありがとうございます。阿求様からの手紙ですよ」
「あれ、いつもと違う時間なんですね」
カラカラと入ってきた郵便屋さんはいつものように私に手紙を渡す。
「いつもなら阿求様が夕方に出しに来るんだがな、今日は朝に来たんだ。だからこの時間に来たのさ」
「へえ、そうだったんですね。いつもお手紙ありがとうございます」
「それでは失礼します」
そう言って郵便屋さんは出ていった。改めて阿求の手紙を見る。
……なんかいつもと違う。いつもならきっちり書いている私の名前が少し崩れていた。なんか嫌な予感がしながら私は手紙を開ける。
そこには一言。
『あいたい』
バンと手紙を机に叩きつけて私は店から駆け出した。お母さんの声がしたけれど振り返らなかった。
里を駆ける。阿求の元へと急ぐ。里の大通りを駆け抜けて稗田の御屋敷へと走っていく。家から少し遠いので走れば四半刻で着くだろう。必死だった。親友から会いたいなんて言われたら走って行くしかないじゃないか。阿求のためならそれでいい。
稗田の御屋敷の前について、私は息を切らしながら大声で叫ぶ。
「阿求! いるんでしょ! 来たよ!」
門番さんがギョッとしたような顔でこちらを見てくる。
「ちょっと……って小鈴ちゃんか。阿求様に会いに来たのかい? 今阿求様には面会出来ないんだ、すまないね」
「どうしてですか!?」
「僕には分からないよ。一番の侍女が僕にそう行ってきたんだ。だから無理さ」
「そんな!今日の朝には出かけていたんでしょう! なら会えます!」
「屁理屈言われてもな」
門番は困った顔をするが私は無視して入ろうとする。
「ちょっと待て! 侍女に聞いてきてやるから一旦そこで待ってろ」
門番さんは御屋敷の中に入っていった。待てと言われたけど今すぐ入りたい。阿求のすぐ側に行きたい。けれど勝手に入ってなにかされるのも嫌だった。
入りたくてうずうずしていると門番さんは戻って来て言う。
「入れるらしいぞ」
「ありがとうございます!」
了承をもらった途端私は駆け出して玄関に入っていく。靴を脱いでまたバタバタと走り出す。侍女の人がいたけどそんなのどうでも良かった。前に一度だけ入ったことのある阿求の部屋を思い出しながら走っていく。
確かこの部屋!
スパーンと襖を叩き開けて部屋の中に入る。
そこには畳に転がって寝ている阿求がいた。慌てて私は駆け寄る。
「ちょっと! 阿求、何よ! 私を呼んでおいて寝てるなんていい度胸ね!」
思わず大声が出た。
「う、ううん……小鈴……?」
どうやら起きたようだった。ゆっくりと起き上がる阿求。
「なに、阿求」
「えへへ、小鈴がいる……ねえ抱き締めて……」
寝ぼけたような口調で阿求は言う。
「ちょっと阿求?」
「抱き締めてくれないの……?」
こてんと首を傾げるような仕草が不覚にも可愛かった。しょうがないので私は前からぎゅっと抱き締めた。
「ふふ、あったかい……ねえ、小鈴……」
「なあに、阿求」
「一人でも平気だけど……小鈴と一緒にいたいよ……」
「阿求……?」
腕の中を見ると阿求はすーすーと寝始めていた。全くもう! 阿求ったら、言いたいことだけ言って寝るなんて。本当に馬鹿じゃないの。起きたら問い詰めなきゃ。ゆっくりと一緒に畳に寝転んで、私の腕を阿求の頭の枕にする。そうしてじっくりと顔を見る。
よく見ると薄い隈がある。また幻想郷縁起の編纂に追われてていたのだろうか。たくさん聞きたいことはあるけれど今は私も瞼を閉じて、意識が消えていくのを感じた。
*
「……すず、小鈴! 起きて!」
大きな声でわたしの意識は浮上する。起き上がって大きな欠伸をした。
「ふぁ……なに……」
目の前に慌てたような阿求がいる。少し髪の毛が乱れていて阿求じゃないみたい。
「えっと……迷惑かけてごめんね。謝りたくて」
「ねえ、阿求。さっきの出来事覚えてる?」
そう聞くと阿求は顔を俯けた。
「覚えてる……」
小さな声でそう言った。なら話は早い。
「私と一緒にいたいって、本当?」
阿求は顔を上げた。しっかりとその目を見る。紫色の阿求の目は何かを言うかのように揺れていた。
静寂が訪れる。阿求が答えるまで私は待つ。
「……小鈴。さっき言ったことは本当よ。でもね、私は一人でも平気なの。だから……」
「阿求、あんたの思うことを言って? 私はさ、阿求より頭は良くないけど、それでもなれるものならあんたの力になりたい。頼ってくれていいんだよ」
言いかけたことがあったのだろうけれど私は遮って話してしまう。阿求は出会った頃から肝心なことは何も言わない。今日はじめて本音みたいなのを聞いて驚いている。漏らすつもりの無かった感情を聞いて私は阿求の力になりたい。そう思った。
「一人で平気なんてそんな人いないよ。たとえ阿求が御阿礼の子だろうと平凡な子供だろうと、私はあんたの友人でいたいの。たられば、なんてそんなこと言っても仕方の無いことだけど、そんなに私は頼りない?」
「違う!」
阿求の否定の声が響いた。驚いた私の肩が揺れる。
「違うの、頼りないとかじゃなくて、私はただ小鈴と一緒にいたいだけなの!お役目とかしがらみとかそんなこと関係無しに貴女と一緒にいたいだけなの……」
阿求は涙を堪えていた。思わず私は阿求の手を引いて腕の中に引き寄せた。
「阿求、私はさ、お役目とかしがらみとか想像しか出来ないけど。私の隣がいいって言うならあんたがいなくなるまでずっと一緒にいさせてよ。最後まで一緒にいさせて? ずっとあんたに寄り添わせてよ──」
腕の中で静かに泣き出した阿求。ぎゅっと私は抱き締める。
「小鈴の馬鹿ぁ……」
「馬鹿で結構よ」
阿求が泣き止むまで私はずっと頭を撫でていた。
*
「もういいわよ……みっともなく泣いてごめん」
阿求は私の腕の中から出る。少し名残惜しいような気もしたけれど言われるがままに離した。
「別に良いよ、阿求のためだもん」
服の裾で涙を拭いている。目元が赤くなっていてあとから冷やさないといけないかなって思う。
とりあえず私は聞きたいことを聞いてみる。
「最近うちに来なかったけどどうかしたの?」
そう言うと阿求はあらかさまに目線を逸らした。こういう時の阿求はなんか隠しているはず。
「阿求? 何隠してるの?」
「えっと……うん。今代の幻想郷縁起の完成が近くて、ずっと仕事してたら精神的におかしくなってました……仕事が嫌とかそういう訳じゃないんだけどね」
「……いやそれ、早く言いなよ!?」
仕事人間の阿求でもおかしくなるのね。というかおかしくなるまで働かないで!?
「えーと、なんか言う時期じゃないかなって思ってて、気がついたらあの手紙書いてたの」
苦笑いをする阿求。
「あんたね……転生する前に仕事に殺されるわよ?」
「流石にそれで死にたくない……」
いや、殺されかけてたけど。心の中で突っ込んだ。
「で? それで本音が漏れた阿求さんは寂しかったんだ〜」
それが嬉しくてニヤニヤしながら話してしまう。
「それが何か? いいじゃない、本音を言っても。隠すものじゃなかったって今思ってるもの」
開き直ったかのように阿求は清々しく笑って言った。
「なら私にも言ってよね。本音を」
「それは小鈴も同じよ」
あははと二人で笑っていた。
~*~
夕暮れは今も嫌い。けど、隣に夕焼けの色を持つ貴女がいれば少しはましになりそうなんて思った。
二人、手を繋いでどこまでも行けそうな気がした。
一人になったら私は貴女を待ち続けたい。貴女には最期まで言ってはやらないけど。
いつか貴女とまた出会う日を願っている。
里の人たちは私に会釈をして私はそれを手を振って返す。誰も話しかけてこない。里の人間からすれば私は御阿礼の子、偉い人、遠ざけたいと思われる人だろう。私の思い当たる記憶の中から引きずり出すとそうなるんだろうと。
屋敷に着くと私を出迎えてくれるばあやを制して部屋へと向かった。部屋の襖を閉めて文机に向かう。
そうだ、ひとつ、書いてみようか──
~*~
「お母さん、幻想郷縁起見なかった!?」
バタバタと私は階段を降りてお母さんに聞く。
「昨日、自分の部屋に持っていったじゃない。そんなに慌てることなの?」
「あれ阿求が解説してくれたやつなの! なくしたくないのよ!」
「なら知らないわよー自分で探しなさい」
お母さんは書庫の整理をしながら気のない返事をした。どうして私はなくしたのかしら! バタバタとまた部屋に戻って私は探す。無い、無い、無い! どうして無いのよ! 私はあわあわと部屋をぐるぐると回る。どこに置いたっけ、もう! 思い出せない!
「おおーい小鈴、店の方に縁起あったぞ」
お父さんの声だ。大きな音を鳴らしながら階段を駆け下りた。
「お父さんありがとう!」
店の方に駆け込んで貸出机の上に幻想郷縁起が置かれていた。
「良かったあ……」
ほっと一息ついたら腰が抜けた。地べたに座り込んでしまった。
「ちょっと小鈴、地面に座らないで。洗うの大変よ」
本を持ちながらこっちに来たお母さんは言う。
「腰が抜けただけだって。洗うのは私がするもん」
「本当かしら……」
お母さんは首を傾げながら本を入れ替えていく。
「ほら小鈴も手伝って」
ゆっくりと立ち上がって私は土埃をはらった。手伝いをしようと思って行こうとするとカラカラと店の戸が開く。
「郵便です。本居小鈴さんはいらっしゃるでしょうか」
ゆうびん、郵便? 少し混乱したけれど最近始まった郵便屋さんだったっけ。確か外の世界とかで遠くの人に手紙とか届ける人……だったかな。そんなことを思いながら私は答える。
「はい、私のことですが……」
「ああ良かった、いなかったらどうしようかと」
郵便屋さんは大きな鞄からなにか取り出した。『本居小鈴様へ』と書かれた手紙を取りだした。
「これ、阿求様からの手紙です。本人以外に渡すなと仰せつかっていたので。確かに渡しましたよ」
私はその手紙を受け取る。見慣れた阿求の文字に私の名前が書かれていた。
「……えっとありがとうございます。お仕事お疲れ様です」
「どういたしまして。それでは失礼します」
そう言って郵便屋さんは店を出ていった。
「小鈴、阿求ちゃんになにか失礼なことした?」
「ちょっとお母さん! それって私に失礼じゃないの!?」
私は思わず叫んだ。
*
私は店の手伝いをそこそこに夜ご飯の買い物に行けと言われて今、里を歩いている。やけに暑い今日の日差しにやられながら歩いていく。
言われたものを買って、さっさと帰宅する。
「ただいまー買ってきたよ」
「ありがとう小鈴。台所に置いておいてくれるかしら」
お母さんが店の棚の隙間から返事をした。顔が見えて少し不気味だった。
「置いてきたら部屋戻るからー」
「分かったわ」
そう言って台所に行って籠を置いて階段を上っていく。そう言えば、阿求の手紙がポケットに入ったままだった。出すと見慣れた阿求の文字。一体何が書いてあるのか楽しみだった。
折られた外紙を外して中の便箋を見る。
『拝啓
本居小鈴様へ
唐突なお手紙失礼します。驚いたでしょうか。書きたくなったので書きたいことを書いてみようと思います。
最近、夕焼けを見て少し嫌な気持ちになりました。何故でしょうね、私の中では分かっているかもしれません。
話は変わりますが、ばあやに怒られてばかりです。体調管理が悪いだとか、もう少し落ち着きを持ちなさいだとか。私を思って言っていることは分かっているのですが、いささか落ち着きません。小鈴はどうですか、お母様に怒られたりしていませんか。いえ、小鈴なら怒られているでしょうね。私には分かります。
そうですね、小鈴もよければ手紙で返信してください。普段から会うとは思いますが考えてみてください。
敬具
稗田阿求より』
「ふふ、返信しようかな」
私は紙を取ってきてから、文机に向かって筆を滑らした。
~*~
「阿求様、今日は如何されます?」
侍女が私の予定を聞いてくる。
「そうね、今日は縁起のまとめに入るわ」
「了解しました」
開かれた襖が閉められ、私は幻想郷縁起を起こしていく。何時でも人が安全にいられるように。覚えている全てのものを掘り起こして書いていく。
数刻経って筆を置く。少し風に当たろうと思って立ち上がる。襖を開けて目の前に広がる庭を見ながら歩こうとすると、侍女が何かを持って私の前まで走ってきた。
「どうかした?」
「小鈴様からお手紙にございます。郵便屋から受け取りました。お受け取りください」
『稗田阿求様へ』と癖のある小鈴の文字。いつ見てもこれが小鈴の文字だと分かる。
心の中で返信が来るなんて思ってなくて少し嬉しくなる。
「持ってきてくれてありがとう」
「いえ、それがお役目ですので。それでは失礼します」
タタタと軽い足音で侍女は小走りで去っていった。私はひとつ伸びをして改めて手紙を見る。思い立って送ってみた手紙は私たちを繋いでくれたらしい。嬉しくなって私は手紙を抱えながら、部屋に戻る。少しだけ休憩しよう、そう思って手紙を開けた。
『拝啓
稗田阿求様へ
どうしたの急に手紙なんかって言いたいけど、せっかくなので私も手紙で返そうと思います。今日はねお母さんに怒りました。お母さんにはつまらないことだったのかもしれませんが、私には重要だったことでした。阿求は怒らせていると書いてましたが、私が怒ることだってあるんです!
それと今日は幻想郷縁起をなくしそうになりました。阿求が解説を入れてくれたあの縁起です。私にとっては大切なものなので、お父さんに言われて見つけた時は腰が抜けました。見つかって本当に良かったです。あとは何も無かったかな。
そうだ、阿求、なんかあるなら話ぐらい聞くからさ、また教えてよ。
敬具
本居小鈴より』
「……ふ、小鈴、生意気よ」
私は静かに笑った。
~*~
あれから私たちは手紙を何通もやり取りした。今日あったことや気になったことの質問なんかしたり、対面でも話せるようなことを手紙に書いたり。そんなことをしていたけれど、最近阿求を見ない。幻想郷縁起の仕事に目を回されているのだろうか。それでも手紙は元気そうにしているし、大丈夫なんだろうと私は勝手にそう思った。
私にとっては何も無いいつもの日常。鈴奈庵の店番して。いつもと違ったのは郵便屋さんの来る時間だった。いつもいつも来る時間は店が開く時間帯にやってきていた。だけど今日はお昼ご飯も食べ終わった時間にやってきた。
「いつもありがとうございます。阿求様からの手紙ですよ」
「あれ、いつもと違う時間なんですね」
カラカラと入ってきた郵便屋さんはいつものように私に手紙を渡す。
「いつもなら阿求様が夕方に出しに来るんだがな、今日は朝に来たんだ。だからこの時間に来たのさ」
「へえ、そうだったんですね。いつもお手紙ありがとうございます」
「それでは失礼します」
そう言って郵便屋さんは出ていった。改めて阿求の手紙を見る。
……なんかいつもと違う。いつもならきっちり書いている私の名前が少し崩れていた。なんか嫌な予感がしながら私は手紙を開ける。
そこには一言。
『あいたい』
バンと手紙を机に叩きつけて私は店から駆け出した。お母さんの声がしたけれど振り返らなかった。
里を駆ける。阿求の元へと急ぐ。里の大通りを駆け抜けて稗田の御屋敷へと走っていく。家から少し遠いので走れば四半刻で着くだろう。必死だった。親友から会いたいなんて言われたら走って行くしかないじゃないか。阿求のためならそれでいい。
稗田の御屋敷の前について、私は息を切らしながら大声で叫ぶ。
「阿求! いるんでしょ! 来たよ!」
門番さんがギョッとしたような顔でこちらを見てくる。
「ちょっと……って小鈴ちゃんか。阿求様に会いに来たのかい? 今阿求様には面会出来ないんだ、すまないね」
「どうしてですか!?」
「僕には分からないよ。一番の侍女が僕にそう行ってきたんだ。だから無理さ」
「そんな!今日の朝には出かけていたんでしょう! なら会えます!」
「屁理屈言われてもな」
門番は困った顔をするが私は無視して入ろうとする。
「ちょっと待て! 侍女に聞いてきてやるから一旦そこで待ってろ」
門番さんは御屋敷の中に入っていった。待てと言われたけど今すぐ入りたい。阿求のすぐ側に行きたい。けれど勝手に入ってなにかされるのも嫌だった。
入りたくてうずうずしていると門番さんは戻って来て言う。
「入れるらしいぞ」
「ありがとうございます!」
了承をもらった途端私は駆け出して玄関に入っていく。靴を脱いでまたバタバタと走り出す。侍女の人がいたけどそんなのどうでも良かった。前に一度だけ入ったことのある阿求の部屋を思い出しながら走っていく。
確かこの部屋!
スパーンと襖を叩き開けて部屋の中に入る。
そこには畳に転がって寝ている阿求がいた。慌てて私は駆け寄る。
「ちょっと! 阿求、何よ! 私を呼んでおいて寝てるなんていい度胸ね!」
思わず大声が出た。
「う、ううん……小鈴……?」
どうやら起きたようだった。ゆっくりと起き上がる阿求。
「なに、阿求」
「えへへ、小鈴がいる……ねえ抱き締めて……」
寝ぼけたような口調で阿求は言う。
「ちょっと阿求?」
「抱き締めてくれないの……?」
こてんと首を傾げるような仕草が不覚にも可愛かった。しょうがないので私は前からぎゅっと抱き締めた。
「ふふ、あったかい……ねえ、小鈴……」
「なあに、阿求」
「一人でも平気だけど……小鈴と一緒にいたいよ……」
「阿求……?」
腕の中を見ると阿求はすーすーと寝始めていた。全くもう! 阿求ったら、言いたいことだけ言って寝るなんて。本当に馬鹿じゃないの。起きたら問い詰めなきゃ。ゆっくりと一緒に畳に寝転んで、私の腕を阿求の頭の枕にする。そうしてじっくりと顔を見る。
よく見ると薄い隈がある。また幻想郷縁起の編纂に追われてていたのだろうか。たくさん聞きたいことはあるけれど今は私も瞼を閉じて、意識が消えていくのを感じた。
*
「……すず、小鈴! 起きて!」
大きな声でわたしの意識は浮上する。起き上がって大きな欠伸をした。
「ふぁ……なに……」
目の前に慌てたような阿求がいる。少し髪の毛が乱れていて阿求じゃないみたい。
「えっと……迷惑かけてごめんね。謝りたくて」
「ねえ、阿求。さっきの出来事覚えてる?」
そう聞くと阿求は顔を俯けた。
「覚えてる……」
小さな声でそう言った。なら話は早い。
「私と一緒にいたいって、本当?」
阿求は顔を上げた。しっかりとその目を見る。紫色の阿求の目は何かを言うかのように揺れていた。
静寂が訪れる。阿求が答えるまで私は待つ。
「……小鈴。さっき言ったことは本当よ。でもね、私は一人でも平気なの。だから……」
「阿求、あんたの思うことを言って? 私はさ、阿求より頭は良くないけど、それでもなれるものならあんたの力になりたい。頼ってくれていいんだよ」
言いかけたことがあったのだろうけれど私は遮って話してしまう。阿求は出会った頃から肝心なことは何も言わない。今日はじめて本音みたいなのを聞いて驚いている。漏らすつもりの無かった感情を聞いて私は阿求の力になりたい。そう思った。
「一人で平気なんてそんな人いないよ。たとえ阿求が御阿礼の子だろうと平凡な子供だろうと、私はあんたの友人でいたいの。たられば、なんてそんなこと言っても仕方の無いことだけど、そんなに私は頼りない?」
「違う!」
阿求の否定の声が響いた。驚いた私の肩が揺れる。
「違うの、頼りないとかじゃなくて、私はただ小鈴と一緒にいたいだけなの!お役目とかしがらみとかそんなこと関係無しに貴女と一緒にいたいだけなの……」
阿求は涙を堪えていた。思わず私は阿求の手を引いて腕の中に引き寄せた。
「阿求、私はさ、お役目とかしがらみとか想像しか出来ないけど。私の隣がいいって言うならあんたがいなくなるまでずっと一緒にいさせてよ。最後まで一緒にいさせて? ずっとあんたに寄り添わせてよ──」
腕の中で静かに泣き出した阿求。ぎゅっと私は抱き締める。
「小鈴の馬鹿ぁ……」
「馬鹿で結構よ」
阿求が泣き止むまで私はずっと頭を撫でていた。
*
「もういいわよ……みっともなく泣いてごめん」
阿求は私の腕の中から出る。少し名残惜しいような気もしたけれど言われるがままに離した。
「別に良いよ、阿求のためだもん」
服の裾で涙を拭いている。目元が赤くなっていてあとから冷やさないといけないかなって思う。
とりあえず私は聞きたいことを聞いてみる。
「最近うちに来なかったけどどうかしたの?」
そう言うと阿求はあらかさまに目線を逸らした。こういう時の阿求はなんか隠しているはず。
「阿求? 何隠してるの?」
「えっと……うん。今代の幻想郷縁起の完成が近くて、ずっと仕事してたら精神的におかしくなってました……仕事が嫌とかそういう訳じゃないんだけどね」
「……いやそれ、早く言いなよ!?」
仕事人間の阿求でもおかしくなるのね。というかおかしくなるまで働かないで!?
「えーと、なんか言う時期じゃないかなって思ってて、気がついたらあの手紙書いてたの」
苦笑いをする阿求。
「あんたね……転生する前に仕事に殺されるわよ?」
「流石にそれで死にたくない……」
いや、殺されかけてたけど。心の中で突っ込んだ。
「で? それで本音が漏れた阿求さんは寂しかったんだ〜」
それが嬉しくてニヤニヤしながら話してしまう。
「それが何か? いいじゃない、本音を言っても。隠すものじゃなかったって今思ってるもの」
開き直ったかのように阿求は清々しく笑って言った。
「なら私にも言ってよね。本音を」
「それは小鈴も同じよ」
あははと二人で笑っていた。
~*~
夕暮れは今も嫌い。けど、隣に夕焼けの色を持つ貴女がいれば少しはましになりそうなんて思った。
二人、手を繋いでどこまでも行けそうな気がした。
一人になったら私は貴女を待ち続けたい。貴女には最期まで言ってはやらないけど。
いつか貴女とまた出会う日を願っている。
最後の一文まで読んだ時、二人の関係性への愛おしさが胸の中に沸々と込み上げてきたのを感じました。
それから文字量がちょうどいい!
短編として長すぎず、それでいて読後の満足感が高くて、いい塩梅の文量だったと思います。
このみずみずしい感性をいつまでも大事にして下さい!ご馳走様でした!
王道で良かったです
愛おしくて素敵なお話でした。本音を言い合って寄り添って笑い合える、二人の距離の近さが感じられてとても良かったです。
「あいたい」ここを始めとして文章に込められたパワーすごい。ハンマーでガツンと殴っている百合パワーを感じました。素晴らしいかよ。
ぽろっとこぼれた阿求の弱さを丁寧に受け止める小鈴がすばらしかったです
読んでいて心が温まる素敵な話でした
二人の距離感がとてもよかったです。