Coolier - 新生・東方創想話

兎の目覚めに傷痕ひとつ

2022/05/09 10:59:42
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兎の目覚めに傷痕ひとつ


 たとえば、あなたが私を殺そうとしたとして、
 それでも私はあなたを愛し続けられるのだろうか?



 清蘭に杵で搗かれて、一度ぐちゃぐちゃになった私の右手は、まだ元通りに治っていない。日常の中で、当たり前のように、思い出すように痛み続けている。けれども、私はどうにか生活を続けていた。
 人里で団子屋の屋台を営む傍ら、昼間の客足が遠のく時間帯に、鈴仙と一緒にお餅を搗いた。私は右手を動かせないから、左手でお餅を臼の中でひっくり返す役だ。もうすっかり陽の光は力を増していて、そんなに多くのお餅を搗かなかったのに、私は汗だらけになってしまった。
「できたお餅はここに置いとくよ。それじゃ、私は別の仕事があるから行くね」
 鈴仙は波長で外見を薬師の姿に調整しなおす。けれどもすぐには歩き始めずに、しばらく私のことを見ていた。
「……鈴瑚、清蘭のこと、よろしくね。明日は私が行くから」
 それだけ言って、鈴仙は人里の中に消えていった。
 私は応える言葉を見つけられないまま、ただ喉の奥で自分に言い聞かせるように、「うん」と響かせただけだった。
 鈴仙が屋台の作業台に残していったお餅をちぎって丸める。そうしてお団子を作っていく。数はきっちり十一等分だ。それをほお葉で包んで置いておく。
「こんにちはお鈴さん。お団子一本いいかしら?」
 私の人里での名前を使って、人間が私に話しかけてくる。だから私はいつもの迎え文句をお客に伝える。
「いらっしゃい。うちは味一番、一本四文ですよ。どれにしますか?」
 外見の波長のモニタリングも忘れない。黒い髪に、黒い瞳、それから人間の耳。それが人里で鈴瑚屋を営む店主、お鈴さんの外見だ。そうやって私は、人里の一角の、なんでもない風景を営んでいく。夕方になると団子もすべて売れてしまったので店じまいだ。屋台を引いて長屋まで帰る。
 そして私はその帰路の途中に、清蘭が住む長屋へ立ち寄る。
「えーっ、そうなんですかー? それってすごいですねえ!」
 まるで小鳥が朝を喜ぶように、清蘭の声は澄んで響く。けれどもその声は透明すぎて、なんの色も持たないみたいだった。
「そうなのよお、またお清ちゃんもよかったら来てね! あと療養はいつまで続きそう? 清蘭屋を再開するの、たのしみにしてるからねえ」
「あはは、ありがとうございます! あ、そうだこれ良かったらもらってくださいよー、問屋さんからもらって美味しかったお菓子です!」
 黒い髪の毛を、二つのおさげにして、黒い瞳、そして人間の耳。それが人里で清蘭屋を営む店主、お清ちゃんの外見だ。お清ちゃんは、いつだって常連客や顔なじみと一緒に、楽しそうに、親密そうに笑ってる。
 月はまだ登ってこない。けれども、人の姿は段々と消えていく。「また明日ねえ」「ありがとうございました」そんな言葉を交わして、それぞれの家路についていく。私はその様を、少し離れたところで立ち尽くしながら眺めている。
 やがて清蘭の長屋の前には、私と清蘭だけが残った。私は一歩二歩と、清蘭の方へ近づていく。黒い髪に、黒い瞳。お互いにそうやって外見を偽りながら、私たちは近づいていく。清蘭の黒い瞳が何を映しているのか、私にはよくわからなかった。
 中途半端な距離で私の足は止まってしまった。お団子はきっと手渡せるだろう。けれども、まだどこか遠いように感じる。私と清蘭の間には何の音もなく、ただ朱に黒がとけかけた、隔たりのような色が広がるばかりだった。
「ありがとう鈴瑚」
 やっと響いたのは、ただそれだけだった。清蘭は私からほお葉に包んだお団子を受け取ると、そのまま長屋の方へ振り返った。長屋まで、まだ五歩はあるだろうか。私が何か言葉を発すれば、もしかすると清蘭は立ち止まるのかもしれない。
 月の兎はみんな、奴隷や戦場という、過酷な月の生活から精神を保つために、世界をポップで楽しく認識する催眠を自分自身にかけている。かつて、清蘭もそうしていた。
 私は清蘭に酷いことをした。情報特技兵として、自分だけ安全な場所にいて、戦場で殺されそうになっている清蘭のことを知りながら、自分の平穏ばかりを守っていた。私は、清蘭に惨いことをした。だから、幻想郷で私たちが暮らすようになってしばらく経ち、清蘭が怒りのままに私の右手を杵でぐちゃぐちゃにしたのも、当然の報いなんだと分かっている。
「ねえ、清蘭」
 だから、行いには、報いがあって。それで、全部は清算されて。あとにはもうすっかり、元通りのものが残っていい。そう思うことの、何がいけないというのだろう。
 けれども、私の声がとけ消えていった、私と清蘭の間に広がる黒と朱の隔たりの色は、ますます深くなっていく。
 私の耳が、私の声をひろう。
 ――ああ、どうして私はこんな声しか出せないのだろう?
 清蘭は私に振り返ってくる。けれども、その表情は。
「……なあに?」
 やめてほしい。やめてほしい。やめてほしい! どうして、清蘭は、私におびえるの?
 表情は、とっても自然なんだ。いつもの、清蘭の顔。けれども、その応えるまでの間が。僅かな、目と額との陰が。その声の何でもない響きが。どうしても、私の胸の奥底に、私が清蘭へナイフを突きつけているような罪悪感を、産みださざるを得なかった。
 ねえ、清蘭。清蘭はちょっと前まで……清蘭が私の右手をつぶすまで、さっきの人里の人間に向けていたような、あの小鳥みたいに澄んだ笑い声を、私にも向けていたよね? 私だって、何にも考えないで大笑いして、清蘭のお団子を食べていたよね? 私は、清蘭と一緒にいて何を言うことも怖がらなくてすんだよね。清蘭は、私におびえていなかったよね……。なのに、どうして、どうして……。
 私は、ただ頷くだけだった。清蘭は、やはり間を少しだけおいて、頷き返す。そして清蘭は、簡単に長屋の中へ消えていく。かたん、と音を立てて、長屋の扉はすぐに閉まった。
 ずきん、ずきん、ずきんと、私の右手がずっと痛む。私は清蘭が私の右手を杵でぐちゃぐちゃに潰した瞬間を思い出す。おそろしかった。いたかった。そして、私の大切なものを奪った清蘭が、憎々しくて、しかたがなかった! いまだって!
 けれども、清蘭は私の右手を潰しただけだった。本当なら、私の頭だって狙えたはずなのに、右手をつぶしただけだった……。
 清蘭は、私を愛そうとしていたはずだと思えるから。そうやって、私は信じていたいから。だから、私は、清蘭にお団子を持ってくることしかできない。それ以外に、どうやって私は清蘭の傍にいられるのだろう。
 でも、清蘭。清蘭も……。こわくって、おびえてしまって、しかたがないの?
 また、清蘭が、私の右手を、潰してしまうかもしれないことが? ねえ、清蘭。清蘭は、本当に優しくって、他者想いで仕方がない玉兎だから……。あるいは、私が、怒りと復讐のままに、清蘭を憎んでしまうかもしれないことが? 私はあんなにも、自分勝手で、清蘭が苦しむことをし続けた、醜い玉兎だから……。
 だから、清蘭は、私に、おびえないではいられないの……? そうやって、おびえて、私をいないように、まるで死んだように扱い続けるしかないの……?
 私は、踵を返す。そうして屋台を引いて自分の長屋まで帰っていく。これ以上考えても仕方がないことだから……。それでも、私の右手は、ずっとずっと、ずきんずきんと、当たり前のように、忘れることができないように、いたみつづけた……。



 私は自分の長屋に戻ると、布団に体を投げ出した。もう、いい。もう、ぜんぶ忘れてしまおう。離れてしまおう。忘れられない痛みも、これまでの出来事も、ぜんぶ、ぜんぶ……。
 口から入ってきた空気が私の全身を巡っていく。そしてその空気が、肌から大気へ戻っていくような心地がする。熱も、水分も、きっとみんな、大気へとけて消えていく……。
 そうしていると、どこかから声が聞こえてきた。
『ねえ、鈴瑚。私たち同期十一名ね、みんな、仲が良かったよね。なのに、戦場じゃあ最後に、私一人ぽっちになっちゃった』
 それは、清蘭の声だった。いつの声だろう。私と、清蘭と、鈴仙、それ以外の八名、同期皆について話した時の声だ。
『ね、ね、たのしいね幻想郷! 私、感動だもん! いままで軍の調査任務で街とか村とか潜入してきたけどさあ、そこの住民といつも仲良くなったって、最期には皆殺しの皆浄化だもん! でもねえ、幻想郷に住んでたら、仲良くなったら仲良くなりっぱなしでいいんだもんねえ。殺さなくっていいんだもんねえ! 一人ぽっちにならなくっていいんだもんねえ』
 幻想郷の人里で暮らし始めて間もないころ、清蘭はそんなことに喜んでいた。自分に催眠をかけられる玉兎は、潜入調査の任務にうってつけだ。深く真心から他者を愛することと、その他者を殺すことを、簡単に両立できる。心が裂けるような苦悩など、玉兎の夢の中には存在しないのだから。
『うるっせえぇえええんだよっ、鈴瑚、鈴瑚さあっ! お前らが死んでいった! お前らが消えていったあああっ! そうやってお前らが私の心を殺そうとした! だから私がお前らを殺せば! 私は好き勝手、お前らと一緒に居る夢を見ることができて! 離れていくお前らなんて事実は何処にも無くてっ! 私の心の中でみんな幸せに一緒に居続けることができんだよぉオオおおお! 私が喰う側なんだよ! お前らが喰われる側なんだよ! 私に喰わせろ! 私を満たさせろ! 喰わせろ鈴瑚さぁああああああああああああっ!』
 私が、夢の世界で清蘭の夢の人格と向き合った時、清蘭はそう叫んでいた。あれはきっと、清蘭の心の奥底の本心の一つなのだろう。まるで、猛禽類が全身を振るわせて叫ぶように、清蘭は叫んでいた……。
 そう、きっと、たぶん。清蘭はいつもそうやって、叫んでいた。いまだって、いまだって……あの長屋の中で、きっと……。



 朝が来た。
 布団から立ち上がる。一昨日に人里で買った保存食をかじって朝食にする。もうしばらく、自分で朝食を作っていない。部屋の掃除もしていない。どうしても、料理を作るとか、清潔にするとか、そういう大人が子どもに注いでやるような当たり前の愛情さえ、私は私に向けられないでいた。
《おはよう、鈴瑚。今日もまた、清蘭にお餅つきに行くけど、大丈夫そう?》
 そうやって鈴仙から、玉兎遠隔電波通信網を通じて、音声通話が入る。
 ずきん、ずきんと、私の右手は、当たり前のように、忘れられないようにいたんでいる。私は清蘭のおびえた表情を思い出す。
 でも、それでも。私は昨日の夢を思い出す。清蘭が私の頭ではなく、右手をつぶしたことを思い出す。清蘭と私は、かつてたしかに、無邪気に、たのしく笑っていたことを思い出す。
 昨日、私と清蘭が会って、私と清蘭の間には、どうしても朱と黒色の隔たりがあったことを思い出す。
 私は少しの間考えて、答える。
《うん、大丈夫。清蘭にお団子を届けよう》
 そして私は、そう答えた。
 私の右手は、目覚めてからずっと、ずきんずきんと、当たり前のように、忘れられないことのようにいたんでいる。清蘭が私の右手を潰したからいたんでいる。そして、私がいまもちゃんとこの現の世界で生きていこうとしているから、いたんでいる。


  兎の目覚めに傷痕ひとつ(了)
ここまでお付き合いしていただきありがとうございました。
いさしろ通
https://twitter.com/Pon__Vinegar
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コメント



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1.100サク_ウマ削除
呪われててどうしようもなくて何処にもやり場はないけどそれでも抱えて生きていくしかない地獄の業火に慣れてしまったかのような諦観と懺悔がたいへんに良く感じ取れました。一番好きなやつです。本当にありがとうございます。助かりました。
2.90奇声を発する程度の能力削除
良かったです
3.100名前が無い程度の能力削除
常世を生きている限り痛みは続くものですよね……鈴湖の悲痛な語りがしみました。
4.100南条削除
面白かったです
しっとりしたいいお話でした