Coolier - 新生・東方創想話

生命の形

2022/03/27 22:07:56
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 目を覚ますと肌着が嫌な汗で湿っていた。
 最近は寝起きが良くないせいか若干の気怠さも襲ってきた。
 それでも、起きないわけにはいかない。
 私は布団から出て着替えを始めた。

 その最中に追想されたのは先程まで見ていた夢のことだ。
 ここ最近、ずっと同じような夢を見続けている。
 
 日によって多少の違いはあれど、共通しているのは耳元に誰かの声が聞こえてくることだ。
 声の主は複数で、口々に「助けて」「消えたくない」と叫ぶ。
 
 夢の中の私は仰向けになったまま真っ暗な空間に横たわっている。
 耳元を塞ぎたいと思っても、身体は動かない。
 まるで自分の体ではないかのように。
 
 夢というのは不思議で、目や耳などはそれなりに機能しているのに頭は全く回ってくれない。
 生きている感覚にしても、視覚は眼前の光景をただ映すだけ、
聴覚は入ってくる音を無差別に吸い込むだけだ。

 着替えを終えて壁際に立てかけた姿見で髪を整える。
 身だしなみの確認を終えると、憂鬱な気分も多少は晴れた。
 
 そのまま外に出ると、炊事場の方から水音が聞こえてくる。
 霊夢は既に起きているようだ。

 振り返って外開きのドアを静かに閉め、箱型の自分の住居をまじまじと見つめる。
 掃除は欠かしていないので壁には埃一つついていない。
 虫篭みたいだと揶揄う人妖もいるけど、これは紛れもない私の家なのだ。 
 家の外観が綺麗なことに安心した私は水の跳ねる音が続く居間に向かった。 










「いただきまーす」

「はい、いただきます」

 ここ博麗神社に居候させてもらうようになってからお馴染みの風景。
 家主と向かい合って、一緒に朝食を食べる。
 
尤も私の背じゃ普通に座布団に座ってもテーブルに手が届かないから、
自分で縫った少し大きめのコースターを卓上に敷いて、その上で食べている。
 今日も霊夢が小さく握ってくれたおにぎりをゆっくり噛む。
 
「いつもありがとうね」

「あんたに食べさせてる分なんかほんのちょっとなんだから、
気にしないでさっさと食べちゃいなさい」

「うん……」

 つい、語尾を下げてしまった。
 しまったと思った時には既に霊夢がこちらを見ていた。

「どうしたの? なんか最近元気ないみたいだけど」

 こういう時、隠すのが無駄であることはよく分かっている。
 本人はただの勘だと言うんだけど、私にはまるで予知能力でもあるのかと思えるほど、
この博麗の巫女に隠し事は通用しないのだ。

「うん……。最近、嫌な夢を見ることが多くてさ」

「ふうん、夢ねえ」

 興味なさげな反応だけど、霊夢は誰のどんな話に対しても大体こんな感じだ。
 これも一緒に暮らしているうちに少しずつ分かってきた。
 この巫女は誰に対しても平等に接するし、決して一人に深く入れこむことをしない。
 私は気にせずに続けた。

「誰かが耳元で必死に呼びかけてくる夢なんだ」

「ふーん。あんまり酷い様なら、永遠亭にでも行ってみる? 
小人のあんたに効く薬があるかどうかは分からないけど」

「ありがとう。でもとりあえずは様子を見てみるよ」

 ‪永遠亭の薬はよく効く上に安価だと聞いたことがある。
 でも、ただでさえ霊夢には毎日面倒をかけているし、実際に体調を崩したわけでもないのだから
まずは様子を見るべきだと私は結論付けた。
 それに悩み事を霊夢に相談したおかげで話す前よりは気分が少し楽になった気がする。

 私は朝食を終えて食器を片付けると、外に出た。
 最近は境内の散歩を日課としている。
 ずっと家の中にいると、身体がなまってしまいそうに思って始めたのだ。 

 いつも境内を歩き回っていると、時々変な物が転がっている。
 大抵はゴミかなにかなので自分で運べる物は持って帰り、そうでないものは霊夢に報告をする。
 今日は何もないだろうか、そんなことを考えながら私は石段の方に向かって歩き始めた。




















 鳥居が見えてきたところで高度を下げる。
 そのまま神社の手前の草地に足をつけ、飛行を止めた。
 三十段はあろうかという石の階段が目の前に現れる。

「とりあえず、ここまでは無事に来られたわね」

 ここは幻想郷と外の世界の境目に存在するとされる場所、博麗神社だ。
 私はそこに居候しているという小人、少名針妙丸に用があった。
 彼女は弱者達が平和に暮らせる世界を創るために異変を起こした、小人族の末裔だ。










 私達姉妹は先日の輝針城異変が解決して以来、人里近くの古びた空家に
無縁塚で拾い集めた古道具を持ち込んで生活している。
 
 主な収入源は人里での演奏会だ。
 最初は食べていくことすらままならなかったけど、今では少しずつファンも増え、
飢えと隣り合わせの生活からは解放されていた。

 それに伴って人里内の人脈も増えてきたことで、
この世界の地理や有名な人妖に関する知識も身についてきた。
 情報収集を怠っていては、いざという時身に振りかかる危険から身を守ることもままならない。
 だから私は、昨日も仲間の付喪神の一人と人里で情報交換をした。 

 彼女は古本屋に住み着いた本の付喪神だ。
 背丈は人間の子供ほどしかないけど、生まれたのは私達姉妹より
ずっと前ということで付喪神としてはかなり先輩だった。
 しかし私達の演奏を気に入ってくれたからか、親切に様々な情報を提供してくれた。

 彼女曰く古本屋には毎日いろんなお客が来て受付の店の主人と話をしていくので、
それを盗み聞きしているうちに自然と世情に通じるようになったのだと言う。 
 またその際にもう一つ、気になることを言っていた。
 
 異変の首謀者の小人が博麗神社にいるらしい、と。
 輝針城異変の大まかな頓末も店にいつも置かれている天狗の新聞から知ることが出来たらしく、
首謀者二人の名前も一緒に教えてくれた。 










 それを聞いた私は真偽を確かめるべく、慎重に姿を見られないように
遠目から神社の様子を伺おうとしていた。
 妹の八橋に声をかけるかどうか悩んだけど、なにせ相手はあの博麗の巫女だ。
 こちらから手を出さなければ大丈夫だとは思うけど、最悪の事態も考えられる。
 
 いざという時にすぐに逃げられるようにしておくのに越したことはない。
 そのためには一人の方が逃げやすいと考えたのだ。
 私は一段ずつ物音を立てないよう慎重に石段を登った。 

 何故私があの異変の首謀者の小人に会いにきたのか。
 実は明確にこれといった動機があるわけではなかった。
 
 今の生活に不満はないし、今更件の小人にもう一度異変を起こさせようなどと考えているわけでもない。
 彼女は天邪鬼に騙されていた被害者とも言えるし、もう一度異変を起こさせようにも
博麗の巫女が厳重に見張っているであろう状態で容易に連れ出せるはずもない。

 ではどうして、わざわざ危険を冒してここまで一人でやってきたのか。
 それは、「自分はどうしても彼女に会わないといけない」という本能のようなものを感じたからだった。
 
 そもそも輝針城異変は天邪鬼、鬼人正邪が小人族の末裔である
彼女を騙して秘宝の小槌を使わせたことによって起こった異変だ。
 私や八橋は、その小槌の魔力がきっかけでこの幻想郷に生を受けた。
 最初は自由に動ける身体を手に入れられたことがただただ嬉しかったけど、しばらくすると体に不調を感じた。
 
 原因は異変が解決して小槌の魔力が失われたからだった。
 そのままでは消滅するしかなかったところを、同じ楽器の付喪神の雷鼓さんが助けてくれた。
 彼女から教わった呪法で新しい道具の魔力を得ることによって、
私達姉妹は今も活動を続けることが出来ている。

 このように紆余曲折はあったけど、私達姉妹は小槌の魔力から生まれた存在で
魔力の供給元が変わろうともこの事実は不変なのだ。
 
 生みの親、と言うと大袈裟かもしれない。
 でも私は何故か、顔も見たことがない彼女に、会わないといけないような気がした。
 そしてもしも彼女が博麗の巫女から酷い扱いを受けているなら、助けてあげたかった。

 やがて石段の終わりが見えてきた。
 あと五段で広場に足を踏み入れることになる。
 上体を起こしたままでこれ以上進むとすぐに見つかるだろう。
 私は前方に全神経を集中させた。

 出来ることならまずは針妙丸が本当にここにいるのかどうかを遠くから確認したかった。
 いないことが明らかならば、ここに用はないのだ。

 しかし、真夏ということもあって熟れた熱気は容赦なく私の身に襲い掛かってくる。
 あまり長い時間張り込むことは出来そうにない。
 私は眦を決し、慎重にゆっくりと顔を上げて境内の様子を観察しようとした。
  
 その時だった。
 私の目の前に突然お椀を被った着物姿の少女が現れた。
 背丈は私の顔ほどしかない。
 この幻想郷に小人が何人もいるという情報はない以上、彼女が針妙丸に違いない。
 
「貴女、もしかして少名針妙丸……?」

 一方、不意に目が合った彼女が驚きの表情を浮かべたのは最初だけだった。
突然自分の何倍もの背丈の生き物が目の前に現れたらもっと動揺しそうなものだけど、慣れているのだろうか。
 彼女はにこりと微笑んで言った。

「そうだよ! 貴女、神社にお参りに来てくれたのね!」

 私が違う、と答える間もなかった。
 彼女は踵を返すと嬉しそうな足取りで駆けて行ってしまった。
 
「本殿とお賽銭箱はこっちだよ!」

 私はしばし呆気に取られた。
 少なくともここの巫女に監禁されているわけではなさそうだ。
 ひとまず後を追いかけよう。

 と言っても、小人の歩幅はやはり小さいから歩いているだけですぐに追いついたし
お賽銭箱も案内してもらうまでもなく鳥居を潜って真っすぐに歩けば自然と視界に入った。

 彼女は私がちゃんと着いて来ていることが嬉しいのか、
お賽銭箱の手前でまた一度こちらを振り向き、微笑を口角に浮かべた。
 飾り気のない無邪気な笑顔が愛らしい。
 
 私はこの子の手でこの世に生まれたんだと思うと、悪い気はしないどころかなんだか嬉しかった。
 そんなことを考えていると、彼女は今度は縁側に向かって呼びかけた。

「霊夢ー! お客さん、お客さんだよー!」

 間もなく、足音とともに人影が現れた。
 先日の輝針城異変で戦った巫女、博麗霊夢だ。
 あの時ははるか上空での戦闘だったから気が付かなかったけど、背丈は私と同じか、僅かに低く見えた。
 その事実はいかに鬼神の如き強さを見せた博麗の巫女も、あくまで人間の少女なのだということを私に認識させた。

 霊夢は私を見て、物珍しそうな視線を向けてきた。
 でもそれはほんの一瞬だけで、すぐに探るような目つきに変わった。

「あんた、この前の異変で暴れた付喪神ね。九十九……弁々だっけ。何しに来たの?」

 知り合った理由が理由なだけに、こちらに敵意がなくとも歓迎されないことは分かっていた。
 私の要件は針妙丸と話をしたい、ただそれだけだ。
 とはいえ素直に私と彼女を二人きりにさせてくれるとは思えない。
 
 件の天邪鬼がやったように、何かを企んでいると思われてもおかしくないからだ。
 私が黙っていると、それまで霊夢と私を交互に見ていた針妙丸が声を弾ませて言った。

「この人は参拝客だよ! ね?」

「え」

 不意を突かれる形となった私は返事になっていない返事をしてしまった。
 きっと表情も微妙なものになっていたに違いない。
 すると針妙丸は急に肩を落とし、今度はがっかりしたような声で言った。

「違うの……?」

 いかにも悲しそうなその表情は私が違う、と言うことに対してとてつもない罪悪感を抱かせた。
 仕方がない、とりあえずは話を合わせよう。

「そうそう、一度ここにお参りしてみたいと思ってね!」

 我ながらなんとわざとらしい演技だろう。 
 私はその場から逃げるようにお賽銭箱の方に小走りで向かい、正面に立った。
 ポケットから硬貨を二枚取り出し、投げ入れる。

 もっと演奏の腕が上がりますように、八橋とずっと一緒でいられますように。 
 願い事を心に浮かべながら、付喪神仲間が教えてくれたように両手を合わせる。
 そして目を閉じ、祈った。
 一分ほど経ったところで、私は目を開けた。
 
 霊夢達のいる方を見やると、二人はこちらをじっと見つめていた。
 さて、これから彼女にどう説明をしようか。
 長く祈りを捧げるふりをして言い訳を考える時間を稼ぐべきだったかもしれない。
 どうしたものかと思案していると、霊夢が口を開いた。

「あんた、本当にお参りのために来たの……?」

 その目はなにか信じられないものでも見たかのようだった。
 私はそんなにおかしなことをしただろうか。
 しかし、その理由は直後の針妙丸の言葉ですぐに分かった。

「お賽銭が入るの、久しぶりだもんね」
 
 すかさず霊夢が針妙丸の頭をお椀の上から人差し指でつつく。

「あんたは余計なこと言わなくていいの」




















「で、何しに来たの?」

 私は縁側に座って霊夢の淹れてくれたお茶を飲んでいる。
 お賽銭一つでここまで態度が変わるとは思ってもいなかった。
 情報をくれた本の付喪神にも今度会ったら教えなくては。
 
 今私は霊夢と一緒に針妙丸を挟む形で座っている。
 私はきっと大丈夫だろうと判断し、素直に答えることにした。 
 針妙丸に視線をやりながら言う。 

「この子と、話をしたくてね」

「なんだ、あんたへのお客だったの」

 霊夢は特に警戒した様子もなく針妙丸に視線を向ける。
 針妙丸は目を丸くして聞き返す。

「私に用事なの? ええと……」

 彼女は腕を組んで何かを考えるそぶりを見せる。
 そういえば、まだちゃんとした自己紹介をしていなかった。

「私は九十九弁々。先日の異変で生まれた付喪神よ」

 貴女の手で生まれたという言い方はしなかったけど、彼女は特に気にした様子もなく答えた。

「あ、そうだったんだ。よろしくね、ええと……」

「弁々、でいいわ。代わりに私も貴女のこと、針妙丸って呼んでもいいかしら?」

「もちろん! よろしくね、弁々」

 針妙丸がぺこりと頭を下げたので、私も軽く一礼して答えた。

「こちらこそ。よろしくね、針妙丸」

 彼女は顔つきこそいかにも子供らしい。
 でも、華やかな着物と何気ない仕草からは確かな気品が感じられる。
 
 小さな体であちこちを動き回っている割に、着物に皺や汚れはなく髪も整ったままだ。
 今も両手で丁寧に、彼女専用と思われる小さな湯呑でお茶を飲んでいる。

 まるで童話の世界に登場するちょっとお転婆なお姫様を、そのまま現実の世界に連れ出したかのような光景だ。
 私は霊夢に頼んでみることにした。

「霊夢。ちょっと針妙丸と、二人きりで話したいことがあるの。ダメかしら?」

 霊夢の返事は意外だった。
 彼女は針妙丸に問いかける。

「針妙丸。あんたはいいの?」

 針妙丸はきょとんとした表情で答える。

「え? 私はいいけど……」

「じゃ、いいわよ。ただ私が動くのは面倒だから、聞かれたくない話ならそっちが離れてしてね」

 あまりにもあっさりと承諾の返事をもらえたことに困惑したけど、この巫女のことだ。
 何かあったならその時になんとかすればいい、ぐらいに考えているのかもしれない。




















「ここなら、日も当たらないよ」

 私は弁々を神社の裏手に案内した。
 ここは表参道と違って道がほとんど整備されていない。
 
 一方で大木が枝を広げているおかげで日の光もほとんど届かず、夏でも比較的涼しいのだ。
 私達は薄く平らな岩の上を手で払い、並んで腰かけた。
 
 彼女は純粋に私に興味があって会いに来ただけのようだ。
 でも何故か先程から私の動悸は早くなっている。
 初対面の相手だから、無意識に緊張しているのだろうか。 
 そんなことを思っていると、弁々が話し始めた。

「貴女が、弱者達が平和に暮らせる世界の創造を願ってあの異変を起こしたのよね」

「……うん。 弱い人妖でも堂々と生きられる世界を創るために幻想郷をひっくり返そうとしたのは本当だよ。
人間達に負けて、失敗してしまったけどね……」

「それでも貴女のその行動がなければ、私は生まれてくることは出来なかったわ。
私以外の子達もね。 ……だから、ありがとう」

 弁々は深々と頭を下げた。
 私はどうしていいか分からなくなり、真似をして頭を下げる。
 顔を上げると弁々とちょうど視線が重なり、私達は思わず声を上げて笑った。
 ひとしきり笑ったところで、弁々が言う。

「最近はずっとここで暮らしているの?」

「うん。一人じゃ心細いし霊夢にここに置いてもらってるの」

「なんというか、意外ね。さっきもあっさり二人きりにしてくれたし、優しいところもあるのかしら」

「多分、小槌が悪用されないように見張る為だとは思うけど、霊夢は優しいよ。
弁々のことも、きっと悪い妖怪じゃないってすぐに気付いたんだと思う」

「人里でも噂の巫女の勘、ってやつかしらね」

 弁々は納得したように頷いた。
 私は気になることを聞いてみた。

「弁々は、いつもどこで暮らしてるの?」

「妹と一緒に人里近くの一軒家で暮らしてるわ」

「妹? 家族がいるの?」

「ええ、私と同じ楽器の付喪神。血のつながりこそないけど、かけがえのない、私の大切な人。
あの子に会えたのも、貴女のおかげね。普段は人里で一緒に演奏会をしているから、来てくれると嬉しいわ」

 人里には霊夢に連れられて行ったことがある。
 今度お願いしてみよう。
 
「うん、霊夢にお願いしてみるよ!」

「ありがとう、楽しみにしてるわ」

 嬉しそうににっこりと微笑み、一呼吸おいてから弁々はさらに言った。
 
「私、今日ここに来てよかったわ」

「……どういうこと?」

「ずっと気になっていたの。自分を作り出した人はどんな人なんだろう、って」

 そういえば弁々はさっきもそんなことを言っていた。 
 自然と先日の異変の光景が脳裏を過る。 
 
 かつて私は天邪鬼、鬼人正邪から小人族の嘘の歴史を吹き込まれ、それを疑うことなく信じてしまった。
 小人族は長い間他の種族によって虐げられ続けてきたのだ、
今こそ弱者が平和に暮らせる世界を創るため立ち上がる時だ、と。 

 そして私は言われるがままに小槌の魔力を使った。
 結果、いつもは大人しい妖怪が狂暴化し、あちこちでは道具が意思を持った付喪神となった。
 弁々はその時に生まれた付喪神の一人で、彼女からしたら私は生みの親と言える、ということだ。

 自分が生命を生み出したという強い自覚はなかった。
 それでも、こうして「よかった」と言われたことはなんだか嬉しい。
 
 嬉しいはずなのに、動悸は相変わらず治まらない。
 むしろ激しくなっていた。
 私は緊張を抑えつけるように平静を装って言った。

「そのために、わざわざ会いにきてくれたんだね」

「うん。人里で貴女の噂を聞いてどうしても顔を見ておきたかったの」

「……ありがとう」

「ふふ」

 私がそう言うと、弁々はまた口元を緩めて微笑んだ。
 彼女の紫の髪が風でふわりと揺れる。
 
 その落ちついた立ち振る舞いはとても生まれて間もないようには見えない。
 本当に穏やかで、綺麗な人だと思った。
 
「そうだ、一応聞きたいんだけどここに付喪神はいないわよね」

 私は少し考えて、答えた。

「うーん、私はここ最近で見たことないし霊夢も多分知らないと思う」

「やっぱりそうよね。一応聞いてみただけ、ありがとうね」

 以前は霊夢のお祓い棒をはじめとする一部の道具が姿はそのままに勝手に動き回っていたことを思い出す。
 でも、それも異変から二週間ほどの間のことだった。
 
 一ヵ月が過ぎた今、道具がひとりでに動くようなことはなくなっている。 
 私の答えを聞いた弁々も特に気にしていないようだった。
 
 嘘はついていないし、現実におかしなことも起きていない。 
 でも、なにかがずっとひっかかっている。
 
 心臓の高鳴りが何かを訴えかけてきているように感じる。
 私が黙っているからか、弁々が不思議そうに尋ねてくる。

「どうしたの? 何か気になることでもあるの?」

 そういえば、弁々はあの異変で生まれた付喪神だと言った。
 でも小槌の魔力は既に大部分が失われている。
 彼女が無事な理由はなんだろうか。

「……貴女は、小槌の魔力から生まれたんだよね?」

「ええ、そうよ」

「でも、小槌の魔力はもうほとんどがなくなってる」

「ああ、それはね」

 弁々は納得したように頷くと私に説明してくれた。
 小槌の魔力が失われ始めた頃、とある付喪神から外の世界の魔力を取り込む呪法を教わり、
そのおかげで今も付喪神として生きていられるのだと。
 
 彼女の説明を聞いて成程と思いながらも、更なる疑問が浮かび上がってくる。
 あの異変で生まれた付喪神は彼女だけではないはず。
 博麗神社には姿まで変わった付喪神はいなかったけど、
各地には弁々と同じように人型の体を得た付喪神もいたはずだ。
 
 では、その付喪神全てが弁々と同じ呪法で今も生き続けているのだろうか。 
 まさか、と思ったその時。
 弁々の口から出た言葉は私に全てを理解させた。

「まあ、私と八橋は雷鼓さんのおかげでなんとか助かったけど、元の道具に戻ってしまった子も多くいたわね……」

 直後。
 急に頭に鈍痛が走り、眼前の景色がぐにゃりと歪む。
 外から衝撃を加えられるのとは違う、頭の中で何かが激しく暴れ回るような痛みだ。
 私はたまらずお椀を脱いで頭を抑えた。
 
「どうしたの、大丈夫!?」

 私の様子に驚いたのか弁々の心配する声が響く。
 でも、返事をする余裕もない。

 痛みが僅かに治まってきた。
 しかし安堵する間もなく、今度は脳裏に暗い風景が浮かんでくる。
 
 私はこの光景をよく知っている。
 最近、夢に出てくるものと同じだ。
 見渡す限りの真っ暗な空間、足元すらろくに見えない深い闇。
 
 そして耳元にはあの「助けて」「消えたくない」という叫び声。
 今なら、声の主が誰か分かる。
 小槌の魔力が尽きたことで付喪神から元の物言わぬ道具に戻されようとしている道具たちの叫び声だ。

 命、自我を与えられながらも、僅かな時間で再びそれを失うこととなった、道具の声。
 その原因を作ったのは、小槌を振った私だ。
 それに気付いた途端、自分が無数の憎悪に晒されている感覚に陥った。

 動悸がさらに激しくなり、再び頭が激しく痛み出す。
 耐えられずにその場に膝をつくと、そのまま私の体は前のめりに倒れこむ。
 弁々の叫ぶ声が聞こえるのを最後に私の意識はなくなった。



















 
 布団に横たわる小さな姿は、立っている時よりはるかに小さく、弱々しく見えた。
 針妙丸はまだ目を覚まさない。
 
 彼女が倒れてから既に一時間以上経っている。
 呼吸はしているし体温も普通だけど、時折うなされるようにうわ言でなにかを呟いている。
 呟きの内容は聞き取れそうにない。 

 額には汗が浮かんでいる。
 私は小さく畳んだハンカチで汗を拭き取った。
 そこに霊夢がやって来る。
 私は振り向いて言った。

「まだ、目を覚ましそうにないわ」

 霊夢は水の入った桶を枕元に置いて言った。

「ただの疲労ならいいんだけど、こんなことは初めてだから少し心配ね」

 針妙丸が倒れた時、私は急いで彼女を抱えて霊夢の元に戻った。
 霊夢はすぐに布団を用意して彼女を横たえた。
 
 倒れた時の状況を私が説明したけど、霊夢にも原因は分からないようだ。
 霊夢が不意に口を開く。

「あんたが仲間の付喪神の話をした途端、急に頭を押さえて倒れ込んだのよね」

「うん……。すごく痛そうだったわ」

「最近変な夢に悩まされてるとは言ってたのよね」

「変な夢?」

「誰かが耳元に必死に呼びかけてくる夢、としか聞いていないんだけどね」

 悪夢を見ることと突然頭痛がして倒れたことに何か関係があるだろうか。
 とはいえ私は医者ではないし、理屈で考えても分かりそうにない。 
 それよりも気になるのは、彼女が話の途中で急に深刻そうな表情をしたことだ。

 先刻のやり取りをもう一度思い出す。
 彼女は小槌の魔力がない状態でも私が無事である理由に疑問を持っていた。
 それに対して、私は別の呪法で体を維持している旨を説明した。
 
 いや、それだけではない。
 私はこうも言った、「小槌の魔力が尽きて元の道具に戻ってしまった付喪神も多くいた」と。
 この直後、彼女の体調は急変したのだ。
 
 私の中にある一つの推論が浮かび上がってくる。
 もし針妙丸が倒れた理由、いや、彼女が大きなショックを受けた理由がこの通りであるならば。
 伝えなくてはならないことがある。
 貴女がなにもかもを背負い込んで気に病むことはないんだと、言ってあげなくてはならない。

 会話の途中で急に黙り込んだからか、気付けば霊夢がこちらを凝視している。
 目線が合ったところで私は言った。

「……針妙丸って、今日私がここに来るまであの異変で生まれた付喪神に会ったことあるかしら?」

 霊夢は即座に答えた。

「多分ないわよ。一人での外出は怪我でもされたら面倒だからさせたことがないし、
神社にあの異変がきっかけで生まれた人型の付喪神なんかはいなかったもの。
せいぜい一部の道具がふらふらと動いてた程度ね」

 霊夢の答えを聞いて確信した。
 やっぱり、あの子は私に会うまで異変で生まれた付喪神のことをよく知らなかったのだ。
 確かに異変が解決してすぐにこの神社に保護されたのなら、見たことがなくて当然だ。
 
 霊夢は人差し指を針妙丸の額に当てて体温を確認している。
 一見無関心にも見えるその表情とは裏腹に指の動きは壊れ物を扱うかのように慎重だった。
 彼女が体温の確認を終えて指を離したところで、私は切り出した。

「霊夢、お願いがあるんだけど」

「何?」

「針妙丸が目覚めたら、一度うちに連れて行きたいの」

 霊夢が僅かに怪訝そうな顔をする。
 私は構わずに続けた。

「お願い、絶対に悪いようにはしないわ」

 霊夢はただ黙って私の目を見つめている。
 先程の険しい視線はなく、いつものどこか素っ気ないようにも見える表情だ。
 やがてゆっくりと言った。

「一つ聞かせて頂戴」

 私は黙って頷いた。

「あんたがそこまで言うのは、自分が小槌の魔力で生まれたから?」

 私は少しだけ間を置き、考えをまとめてから答えた。

「それも、あるのかもしれない。でも、今日初めてこの子に会って思ったの。
この子の手で生まれて、よかったって。生みの親に対する義務感とかそんなんじゃないわ。
ただ出来ることを、してあげたいの。それだけよ」

「そう」

 霊夢は短い返事とともに腰を上げて言った。

「多分あんたに任せた方がよさそうな気がするわ。針妙丸がいいって言ったら連れて行きなさい」
 
「ありがとう。必ず責任持ってここまで連れて戻るから」

 霊夢は炊事場に向かう足を止めて言った。

「別に私は保護者でもなんでもないから、本当は許可なんていらないんだけどね」

 そういって霊夢は部屋を出て行った。
 その表情は見えないし、見えていたとしても彼女の感情を表情から読み取るのは難しいだろう。
 それでも、私には何となく分かっていた。
 
 彼女は態度や言葉使い以上に、針妙丸を気遣って生活している。
 だからこそ針妙丸も、霊夢を信頼するのだ。




















 今日の朝見た夢と同じ、真っ暗な世界。
 仰向けのまま動かない自分の体。
 耳元に聞こえてくる「助けて」「消えたくない」と口々に叫ぶ声。

 いつもと同じ、いや違う。
 みんな、私を恨んでる。
 下剋上のためだけに考えなしに打ち出の小槌を使い、有限の、仮初めの命を道具達に与えた私を。

 それだけじゃない、私は異変からずっと、このことに気が付かなかった。
 いや、考えようとすらしなかった。
 
 紫のツインテールと白い琵琶の花が特徴的な少女の顔が浮かんでくる。
 ちょっと勝気そうで、それでいて優しい目をしたあの人。
 
 彼女、九十九弁々は言ってくれた。
 自分を作り出した存在が誰なのか気になっていたけど、今日ここに来てよかった、と。
 その言葉は間違いなく、嬉しかった。 

 でももし、彼女が代替の魔力を得る方法に出会えなかったら。
 自分の死期を悟った時、彼女はどんな表情で何を思うだろうか。
 考えるまでもなく明白だ。
 
 自分のエゴのために異変を起こし、道具に仮初めの命を与えた私を、彼女は決して許しはしない。
 堀川雷鼓、だったか。
 弁々に新しい魔力を取り込む方法を教えたその人物が、彼女の本当の恩人だ。

 私じゃない。
 私じゃ、ないんだ。
 一歩間違えば、彼女は私を憎みながら消えていく定めにあったんだ。
 
 それでも弁々が私に笑いかけてくれたのは、きっと彼女が優しいから。
 怖い。
 彼女の本心が、怖い。




















「針妙丸、大丈夫?」
 
 今や見慣れた博麗神社の居間の景色が目の前にあった。
 私は無意識に布団を蹴飛ばして起き上がっていた。
 頭痛もすっかり治まっている。
 
 声のした方向、向かって右側を見やると膝をついて自分に視線を送る弁々の姿が、
その横には冷水の入った桶に布巾を浸している霊夢の姿があった。 

 弁々が心配そうな表情を向けてくる。
 目線を合わせ辛かった。
 霊夢は何も言わず、じっと様子を見ている。
 
 私は口を開いた。
 それが本当に懺悔の気持ちから出たのか、吐いて楽になりたかったからなのかは自分でも分からなかった。
 もしかしたらただ、この沈黙が辛かっただけなのかもしれない。

「弁々、ごめんなさい」

「針妙丸」

 口を挟もうとする弁々に構わず続ける。

「私が後先考えずに小槌を使ったせいで、きっと弁々の仲間は何人も苦しみながら元の道具に戻ったんだよね……。
私、今日貴女に会うまで、魔力の失われた付喪神がどうなったのか、ろくに考えもしなかった。
本当は、私は弁々のことも苦しめたんだよね」

 一呼吸置き、私はさらに言った。

「……なのに貴女は優しいから、私に恨み言の一つも言わなかった」

「針妙丸」

「雷鼓さんって人が別の魔力を取り込む方法を教えてくれたって言ったよね。
じゃあ弁々にとってはその人が恩人、生みの親みたいなものだよ。
私は、違う。ただ貴女達を苦しめただけ、本当に、ごめんなさい……」

 一息に言ったところで、急に足場がなくなり身体がふわっと軽くなった。
 弁々が伸ばした両手で私を持ち上げていることに気付く。
 手は彼女の肩の高さで固定され、目線を半ば無理矢理に合わせられた。
 
 彼女の瞳は僅かに潤んでいる。
 それが怒りのせいなのか、悲しみのせいかは分からない。。
 弁々は私を抱えたまま、口を開いた。

「やっぱり、そのことを気に病んでいたのね」

「ひどい、話だよね。自分のしでかしたことに今まで気が付かないなんて」

「針妙丸、落ち着いて聞いて頂戴」

 弁々はそう言うと腕を曲げ、私をゆっくりと胸元まで抱き寄せてから言った。 

「まず、そんなに自分を責めないで。
貴女が天邪鬼に騙されていたことも、弱者のためを想って小槌を使ったことも、
私や仲間の付喪神達はみんなとっくに知っているわ」

「……でも、弁々の仲間の中には、小槌の魔力がなくなってそのまま道具に戻ってしまった子がいるんでしょう?」

「……そうね。確かに、昨日立ち話をしたばかりの子が次の日元の道具に戻っていた、ということもあったわ」

 予想はしていたけど、その事実は私の胸に重くのしかかった。
 当時の光景を思い出しているのか、彼女の表情にも明らかに陰りが見える。
 自分はとんでもないことをしたのだと、改めて認識させられた。
 
 弁々は私を非難するような言い方こそしていない。
 でもそれは首謀者をどんなに責めたところで消えた命は帰ってこないからで、
本心は決して私を許してなどいないのかもしれない。

「……弁々も、魔力が失われた時、怖かったよね? ……私が憎くないの?
後先を何も考えずに有限の命を一方的に押し付けた私が」
 
 私は今、生みの親が自分でよかった、と言ってくれた相手にひどいことを言っている。
 感情が抑えられない自らの器の小ささに自己嫌悪の気持ちが強くなってくる。
 しかし弁々はこの言葉にも表情を変えずに答えた。

「……確かに、徐々に自分の体が言うことを聞かなくなるあの感覚は怖かった。
雷鼓さんの手助けがなければ、私も今頃は元の楽器に戻っていたでしょうね」

 弁々は一度言葉を切り、一息ついてから続けた。

「でも、貴女は悪意があってやったわけじゃないんでしょう?」

 悪意はない、それは間違いなく自信を持って言える。
 私はぎこちなく頷くしかなかった。 

「……うん」
 
 でも、そんなことで弁々は私を許せるのか。
 そもそも、彼女以外の付喪神達はそれで納得するのか。
 私の返事を待たずに弁々の次の言葉が紡ぎ出される。

「弱者が平和に生きていける世界の実現を願って、小槌を振ったんでしょう?」

「……うん」

「今日、貴女の口からそれが聞けたなら十分だわ」

 そう言うと弁々は私を抱いたまま立ち上がり、霊夢に視線を向ける。
 霊夢はここまで一言も言葉を発することなく、黙って事の成り行きを見守っていた。
 二人は特に言葉を交わすでもなく、弁々は視線を私に戻して言った。

「……貴女を連れて行きたい場所があるの。一緒に来てくれないかしら?」

「私を……?」

 私の呟くような小声の返事に、彼女は無言で頷いた。
 霊夢も、何も言わない。

 私は弁々の言う場所に行かないといけない気がした。
 きっとそれは大半が罪悪感、後ろめたさから来るものだと思う。
 
 弁々の表情に私を無理矢理連れ出そうという意思は感じられない。
 それどころか目の前の私を慈しんでいるように思えるほど、彼女の視線は穏やかだ。 
 私は小さく頭を垂れて了承した。

「……分かった、着いて行くよ」

「ありがとう」

 私がそう言うと弁々は私を抱えたまま、縁側から外に出た。
 途中、霊夢と視線が合った。
 そういえば、普段神社から離れる時は霊夢がいつも一緒だった。
 この神社で暮らすようになってから霊夢以外の人妖と二人きりで外に出るのは初めてだ。
 
 今の私は小槌の魔力が失われた影響で体が元の大きさよりさらに小さく、
妖怪どころか小動物にすら命を脅かされる立場にある。
 上空で強風に煽られたらどこに飛ばされるかも分からない。
 
 だから霊夢はいつも「怪我でもされたら面倒だから一人で外に出たらダメよ」と事あるごとに言う。
 それがどんなにつっけんどんな言い方でも、私を気遣って言ってくれていることが分かっているから、
五月蠅いとは思わなかった。
 
 その霊夢が、弁々が私を連れて出かけることに何も言わない。
 私が気を失っている間に、何か話をしたのだろうか。
 そんなことを考えていると、霊夢はいつもの素っ気ない口調で言った。

「気を付けて行きなさいよ」

 私はお椀を被り直して言った。

「……うん。行ってきます」
 



















「……弁々」

 神社を発ってから体感で五分ほど経った時だった。
 後ろを振り返ってももう神社は見えず、周囲はほとんど山と森だけだ。
 それまで終始黙っていた針妙丸が急に口を開く。
 朝よりも風が微風だからか、声は風音にかき消されることなく聴こえた。 

 ちなみに今の彼女は身体を私に両手で包まれている状態だ。
 風に煽られたら危険だと思ったから提案したけど、特に嫌がられることはなかった。
 私は前を向いたまま応えた。

「……なあに?」

「……ありがとう。看病のお礼、ちゃんと言ってなかったから」

「……そう、どういたしまして。後で、霊夢にもきちんと言わなきゃね」

「……うん」

 それから目的の場所に着くまで、私達は無言のままだった。










「ここよ」

 私は飛行を止め、住み慣れた我が家の前にゆっくり足をついた。
 それから膝を屈めて、抱えていた針妙丸を静かに下ろす。
 元が古い空家だけに壁が一部剥がれそうになっていたり、塗装も色がほとんど落ちてしまっている。
 
 見た目がいいとはとても言えないけど、ここが私と八橋の大切な家なのだ。 
 針妙丸は目の前の家と私の顔を見比べながら言った。

「ここが弁々の家?」

「妹と二人暮らしのね、今日は出かけてるけど」

 彼女に見せたい物は家の中にある。
 私は玄関を解錠し、戸を開けた。
 
 私達の暮らすこの建物は狭く、部屋も僅かしかない。
 玄関の三和土からすぐに突き当りがありその左右に廊下が続いている。
 右手には脱衣所とお風呂場が、左手には生活スペースである居間と寝室がある。
 
 私は居間に足を踏み入れる。
 六畳ほどしかないそこは中央に丸い木製のテーブルが鎮座している。 
 私はテーブルの脇を通って居間の入口から向かって右側の壁面のドアの前に立った。
 針妙丸に見せたい物はこの奥にある。
 
 彼女は家に入ってから一言も喋らず、ただ私の後ろを着いて来ていた。
 今日知り合ったばかりの相手の住居を眺めまわすのは失礼だという気持ちの表れか、
あるいはこれから自分が何を見せられるかが分からない不安から緊張しているのか。
 
 いずれにせよ、やはり彼女は見た目の幼さとは裏腹に思慮深い一面を秘めている。
 私はドアの方を向いたまま、振り向かずに言った。

「ねえ、針妙丸」

 針妙丸が囁くような小声で応えた。

「……なあに?」

「貴女は、生きるってどういうことだと思う?」

「……」

 間が空く。
 唐突にこんな質問をされては彼女も戸惑って当然だろう。
 でも、私は答えを求めて質問をしたわけではない。
 そのまま続けた。

「突然こんなことを聞いてごめんね。
でも、この部屋を見てからもう一度、考えてみて欲しいの」

 私はドアノブを握り、外開きのドアを開いた。
 



















 ドアを開けた弁々が先に部屋に入ったので私もその後に続いた。
 部屋は薄暗く、広さは居間の半分ほどしかなさそうだ。
 
 弁々が体を壁に寄せたので、正面の視界が開けた。
 そこには棚がいくつも置かれている。

 奥の棚には木製の縦笛や装飾のついた鈴などの楽器。
 右の棚には茶碗や箸などの食器。
 そして左の棚には鋏や筆などの日用品類。
  
 棚に置かれた道具がなんなのかは、すぐに分かった。
 肩がふるふると震えてくる。
 まるで自分が殺めた人妖の遺体と対面しているような気分だ。
 ここに大切に安置されている道具達は、つい数日前まで弁々と同じように、生きていたのだ。
 
 それが今は、元の物言わぬ道具に戻された。
 一歩間違えば、弁々もこうなっていた。
 私のせいで。
 
「……」

 後ろにいる弁々は何も言わない。
 彼女が今、何を思っているのかは分からない。
 それが余計に、怖かった。

 謝っても何も解決しないことは分かっていたし、彼女もきっと謝罪の言葉が聞きたくて
私をここに連れてきたのではないはず。
 それでも、私は言わずにいられなかった。

「ごめんなさい……」

「針妙丸」

 それは優しい声で、まるで幼子に言い聞かせるような口調だった。
 先程悪夢から目覚めた時に聞こえた声も、こんな声だった気がした。
 
 私は恐る恐る背後を振り返った。
 すると彼女は腰を屈め、目線を私の背丈に近づけながら話し始めた。
 
「安心して。この子達は確かに小槌の魔力が失われてから元の道具に戻ってしまったけど、
死んでしまったわけではないのよ」

「……え?」

「元々付喪神はその道具の使用者の念の影響を受けて、
内に住む神様の性質、神性が変わった時に生まれるものなの」
 
 死んだわけではない、という言葉に一瞬安堵したのも束の間。
 新しい不安材料が私の胸中を支配した。   
 私は本来と違う方法で付喪神を生み出してしまったことになる。
 この世の理に逆らったということだ。

「じゃあ、小槌の魔力で生まれた付喪神は……?」  

 私の不安を見透かしたように弁々は微笑みを浮かべて言った。

「原理は同じよ、私が付喪神になれたのはかつて私を使ってくれた人間がいてくれたから。
言うならば、小槌の魔力はきっかけのようなものね」

 弁々は琵琶の付喪神だと言っていた。
 元々付喪神に生まれ変われる素質を持っていたところに、
私の小槌の魔力が合わさることで今の姿に生まれ変わったということだろうか。
 黙っていると、弁々は口調をそのままに続けた。

「話を戻すわね。そこにいる子達は、魔力がなくなって道具に戻ってしまったところを私達が運んできたの。
勿論、今のままでは動けないわ。でも、これから長い時間一緒にいれば、
神様が宿って、また動けるようになるかもしれないの」

 弁々は最後に一呼吸置き、棚の上の古びた縦笛を優しく撫でながら言った。

「どれだけの時間がかかるかは、分からないけどね」

 一度魔力が尽きた道具達がまた、動けるようになるかもしれない。 
 その日を信じて、彼女は自分の仲間の元となった道具をここに大切に保管しているんだ。

「だから、ここに大事に置いてあるんだね……」

 弁々は頷いて言った。

「それから、少なくともここにいる子達はみんな一度会ったことがあるから言っておくわ。
みんな、本当に楽しそうだった。自由に動ける体を手に入れて、飛び回っていたわ。」

「……」

「断言するわ。私を含めて、体に不調が出てきた時、
魔力を解き放った貴女を恨んだり、罵ったりするような子は一人もいなかったのよ」

「ほん、とうに……?」

「嘘なんかつくものですか」

 弁々は私の身体を抱え上げ、棚の上の白い御猪口を指して言った。

「この子は貴女と同じぐらい小さかったけど、こう言っていたわよ。
『私達を動けるようにしてくれたの、小人さんなんだよね。会ってみたいな』って」

「……」

 次に弁々は向かいの棚の筆を指して言った。

「この筆の子は動けるようになった途端大喜びではしゃぎながらこう言っていたわ。
『道具の救世主様って、どんな人なんだろう? きっとかっこいい人だよ!』ってね」

 聞けば聞くほど、恥ずかしくなってくる。
 私はそんなに大層な存在じゃないのに。
 
それでも、暗澹とした気持ちに支配されていた私の心は確実に軽くなった気がした。
 弁々が手に取った道具を元の場所に戻して言った。

「もし、これでも貴女の気が晴れないと言うのなら、
貴女も時々ここにいる子達に会いに来てくれると嬉しいわ。勿論、私達にもね」

 私の中にもう迷いはなかった。
 抱えられたまま体を捻り、弁々に目線を合わせて口を開く。
 はっきり、言えたと思う。

「……うん」
 
 同時に私は思った。
 弁々はただ仲間の復活を待っているだけではない。
 動けない仲間達の分まで、今を必死に生きようとしているのだ。
 弁々は私の返事に満足したようにしみじみと頷く。

「じゃあ、もう一度聞くわ。生きるって、どういうことだと思う?」

 私は少し時間を置き、考えをまとめてからゆっくりと答えた。

「……大切な人が、自分のことをを覚えてくれていること、だと思う。
今ここにいる道具の子達のことは、少なくとも弁々達と、私が覚えてる。
本当の終わりはきっと、誰からも忘れられてしまうこと……かな。
あってるか、分からないけど」

 弁々は優しい口元に薄笑いを見せた。

「正解なんて、誰にも分からないわ。でも、私もそう思う。
ここにいる子達は死んでなんかいない。
私も貴女も、八橋も、雷鼓さんも。みんなが信じている限り、
きっとまた目を覚ましてくれる。そう信じてるわ」

 私は弁々に抱えられたまま、棚の上に置かれた道具に一つずつ、手を触れた。
 埃ひとつないことから、よく手入れをされていることが伺えた。
 私は小声で呟いた。

「……みんな、ごめんね。これからまた、会いに来させて。
みんなが動けるようになったら、たくさん、たくさんお話させてね……」



















 
 博麗神社まであと少しというところだ。
 遠くに見える太陽はもう柿のような色になって一日の役目を終えようとしている。
 私の手の中では針妙丸がすやすやと寝息を立てていた。
 一日にいろいろなことがあって、疲れたのだろう。
 
 その寝顔をそっと覗き込むと、あどけない顔で口を微かに開いている。
 まさに無防備という他ないけど、彼女はここ最近ずっと悪夢に悩まされていたのだ、
 なるべく揺らさないように、私は飛行するスピードを落とした。

「……おやすみ、針妙丸。いい夢を見てね」

 それから神社に帰り着くと、霊夢が境内を掃除しているところだった。
 先程針妙丸と話した内容をかいつまんで説明すると、彼女は素っ気なく言った。 

「……そう。とりあえずあんたも一休みしていく? 私はこいつを寝かせてくるわ」

「……ありがとう、霊夢」

 霊夢は気のない言い方ながらも針妙丸を丁寧に布団に寝かせ、お茶を淹れてくれた。
 一口飲んで、私は言った。

「ねえ、霊夢」

「何?」

「私を信じてくれてありがとう」

 霊夢は驚いた様子もなく、当たり前のように言い放った。

「別に。あんたみたいな付喪神は初めてだったし、変わってるのねと思っただけよ。
あとお賽銭も入れてくれたし」

 これは多分本心じゃない。
 霊夢が言動以上に針妙丸のことを大切にしているのは動作の一つ一つを見ていればすぐに分かる。
 私はそれには触れずに言った。

「……神社にお賽銭を入れるのは普通のことなんじゃないの?」

「ええ、入れるのが普通よ。人里につてがあるならあんたからも周りによく言っておいて頂戴」

「巫女が妖怪にお賽銭をお願いするの?」

「うちの神社は選り好みをしないのよ」

 先日の異変で激しい弾幕戦を繰り広げた相手にも終始鷹揚な態度。
 尤も今となっては彼女が私相手に本気を出していたかどうかも怪しいものだけど。
 霊夢のこの立ち振る舞い、これが彼女の元に人妖が集まる理由なのかもしれないと思った。

 さて、そろそろ引き上げないと八橋も心配する。
 私は縁側の奥で相変わらず小さな寝息を立てて眠る針妙丸にそっと近づいて言った。

「またね、針妙丸」

 針妙丸は寝返りを打ちながらうわ言のように呟いた。

「むにゃ、弁々…………ありがと」

 自分の頬が緩んでいるのが分かる。
 こちらこそ、私に命と素敵な出会いをありがとう、小さな女神様。
 
 心の中でそう言って私は神社を後にした。
 地面を蹴って飛行を始める。
 
 さあ、明日からも頑張らないと。
 命の形は一つじゃない。
 つながりがある限り、命はどこまでも続くんだ。
五作目の投稿になります、ローファルです。
今回は弁々と針妙丸の出会いについて書いてみました。
駄文ですが少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
ここまで読了頂き、ありがとうございました。
ローファル
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コメント



0.50簡易評価
1.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
2.100名前が無い程度の能力削除
意外と少ない針妙丸の掘り下げがとても面白かったです。
3.100名前が無い程度の能力削除
素敵でした。付喪神という一つの在り方をしっかりと表現していて、しっとりと描かれる生命の綺麗さが光る作品でした。
4.100夏後冬前削除
優しくてとても素敵なお話でした。流れや感情など軟らかく表現されていて良きでした。
5.100めそふ削除
とても面白かったです。作者さんの付喪神の感性の捉え方や針妙丸が葛藤を抱え、解決していく過程の構成がとても良かったです。
6.100南条削除
面白かったです
弁々や針妙丸もよかったですが、自然体な霊夢もよかったです
7.100植物図鑑削除
原作での描かれていない絡みをここまでしっかりと描けているのは素晴らしい。良いものを読ませていただきありがとうございました。
8.80わたしはみまちゃん削除
とても良いお話でした。文章も読みやすく、随所で一人称のキャラを変えることで各キャラの心理描写も丁寧に描けていたと思いますが、人によっては視点を変えすぎると混乱してしまう方もいるので、いっそのこと三人称で書いても良かったかもしれません。九十九姉妹の話を書く作者は希少なので頑張って下さいね。次の作品も期待しています