Coolier - 新生・東方創想話

死体探偵「ルーズ・ユアセルフ」 上

2021/12/31 22:08:18
最終更新
サイズ
21.42KB
ページ数
1
閲覧数
1024
評価数
1/3
POINT
200
Rate
11.25

分類タグ


「もう一度おさらいしておこう。じゃじゃ馬共の抑えには船長がついてくれている。寺の守りは星と聖。そして今、最も危険な神霊廟には、一輪と雲山を配置しているな。奴を追うのは私とあんた。で、響子とこころは?」
 篝火の下、三叉槍で地面に絵面と名前とを描きながら、封獣ぬえが言う。私は二人の名にバツを書き加えた。
「はずすべきだろう。響子は土砂崩れの件からまだ立ち直っていない。無理に戦わせて暴走でもされたら厄介だろう。こころに至っては、今回の異変の元凶だ。奴が力を使えば、更に事態が混迷するかもしれん。不確定要素は排除すべきだ」
「ふうん。……さすが、徹底しているな」
 ぬえは無表情に言う。その頬には緊張が漲っている。いつものおちゃらけた雰囲気は、無い。
「天狗の首魁の名はなんて言ったか。天津風姫百合だったか? 外界では聞かない名だったが」
「だけど、この幻想郷にやってきてわずかの間に天狗の暗部を掌握したわ。天魔の孫娘とはいえ、母娘ごと外界に追放されていた女よ。その逆境を跳ね返すくらいの実力はあるという証拠。まあ、射命丸や私ほどではないけれど」
 折りたたみ携帯を弄りながら、姫海棠はたてが言う。
 たしかに、あの女の豪胆さは侮れない。
「そいつ一人の個性が組織をつないでいるのなら、逆に簡単だろう。そいつを暗殺すればいい」
 自分で描いた姫百合の名に槍を突き立てながら、ぬえが言った。私は首を振った。
「いや、そう簡単じゃあない。頭を失った大蛇がその巨体でのたうちまわれば、幻想郷とてただでは済まん。それに『賢者達』は他にもいる」
「だが、このまま後手に回り続けるよりはマシだろ」
「そうね。姫百合を殺すなら、早ければ早いほどいいわ」
「皆、見誤ってはいけません」
 大きな瞳が冷たい知性の輝きを放つ。淡々と、寅丸星が言った。
「無闇に敵を殺戮するのは、我々の戦いではありません。本当に倒さねばならぬものはなんなのか。それはたった一つのはずです」
 脳裏にあの男の顔がちらつく。
 奴だけは、例えどんな手を使おうと、必ず、絶対に排除せねばならない。
「分かってるよ。こちとら旧友が世話になったからな、落とし前はキッチリつけさせてもらう」
「いつまでも馬鹿どもの好きにはさせておけない。さっさと片付けさせてもらうわ。私の本当の敵は、他にいる」
 揺らめく炎すら凍てつかせるような妖怪共の烈気、それすら涼風に思わせるほど冷たい微笑みを浮かべて。妖怪寺の偽毘沙門天が、暗天に鉾を掲げた。
「では頼みましたよ。はたて。ぬえ。そして、ナズーリン」
 なんて女だ。
 当の私ですら、その感慨を抱かざるを得なかった。


 蛻の殻の室内には、彼女の痕跡は何も残されていない。白いシーツは皺一つなく整えられ、ベッドサイドのテーブルには何も置かれていなかった。きっとすぐに別の患者が運び込まれるのだろう。それらの事実が、私の胸に突きつける。既に。もはや。彼女がこの世界から消滅してしまっているという事実を。
 二ッ岩マミゾウ、あの音に聞こえし大妖怪が、こんなにも呆気なく消え去るとは。
 諸行無常。もはやその言葉しか出てこない。別れというものは、何度経験しても慣れぬものだ。実感の籠もらぬシーツの手触りが、ざらついた違和だけを脳に刻む。
 神子によって迷妄の淵から追い出された私は、青娥の勧めにより、永遠亭を訪れていた。向き合うことを恐れた現実と対峙するために。最初は青娥の抱える膨大な量の遺体修復を手伝うことを考えたが、青娥に拒否されたのだ。私には私のやるべきことがある、と。そうして、笑って私を送り出してくれた彼女には、いくら感謝しても足りぬ。
「マミゾウさんのご遺体は、先日、お引取りになられました。命蓮寺の、その……寅丸星さんが」
 鈴仙・優曇華院・イナバが言いづらそうに告げた言葉は、私には少し意外に響いた。
「星が?」
「ええ。お師匠様が連絡してくださったらしくて」
 その驚きは、友の喪失を前に回転を止めていた脳を動かすには十分だった。
 確かに命蓮寺は二ッ岩マミゾウを客として抱えてはいたが、遺体の引き取りとなると微妙なところである。彼女は幻想郷の化け狸、いわゆるマミ達の頭領として、独自の勢力を築いていたからだ。遺体を返すなら命蓮寺でなく、まず彼女の部下達に返さねばなるまい。それが常道というものだ。八意永琳がそれを弁えぬ愚者だとは思えないが……。
 私は頭を振った。
 私は下らぬ迷妄で時間を無駄にしすぎていた。これ以上、思考の迷路に迷い込んでいる暇はなかった。まずは現状を整理しなければならない。
 鈴仙の話によると、ヤマメは未だ入院中らしい。
「予後が悪いのか」
「いえ、その逆です。なぜだか元気が有り余ってるらしくて、何度も病室を抜け出そうとしてて困ってるんです」
「あ、ああそう……。さすが地獄の妖怪、並外れた生命力だな」
「笑い事じゃないんですよ」私の苦笑いに、鈴仙は眉を吊り上げていた。「お腹に大きな穴が開いてたんですから。無理して動いたらまた傷が開いちゃいますよ。だから今はまだ絶対安静。貴女も、申し訳ないけれど面会は禁止です。貴女が来たなんて言ったらヤマメさん、今度こそ病室を飛び出しちゃいますから!」
 まあ確かに、ヤマメならやりかねない。地下迷宮での戦いで、ヤマメは深刻なダメージを受けている。今日のところは鈴仙の言に従ったほうがよいだろう。
 燐の病床を訪れると、彼女の姿は無かった。鈴仙の言葉通りだった。異世界からの帰還後、燐は塞ぎ込んで誰とも話そうとせず、ついには姿をくらましてしまったようだ。あの名前を与えられなかった子供達の成れの果てが、あの自警団を名乗った男だった事。その事実は、燐に大きな衝撃を与えたのだろう。燐はあの子達の為に戦おうとしていたのだから……。
「ここにおったのか。毘沙門天の使者、いや人里の探偵よ。探したぞ」
 聞き覚えのある声に振り返ると、全く見覚えのない顔がそこにあった。
 そこにいたのは、なんだか妙な少女だった。外来ものの白いワンピースを着て、こんな季節なのに麦わら帽子なんて被っている。おまけに年端も行かないような顔つきで、しわがれた老婆みたいな深みのある声で喋る。この声、何処かで聞き覚えがあるのだが……。
「……誰だ?」
「誰って、私だよ、私」
 少女は自分の顔を指差して知り合いアピールしてくるが、記憶の糸を手繰っても、全く手応えが無い。
「すまない、記憶に無い。人違いではないか?」
「もう私を忘れるとは非道い奴だな! ほら私だ、私!」
 少女の後ろから六つの毛の塊が出現して、ようやく私は記憶の針に手応えを感じた。
「ああ、あの時の六尾狐か!」
「そうそう。いつぞやは孫が世話になったな」
 前に里で狂言誘拐をやらかした、孫馬鹿の妖狐だ。
「いや、なんだその格好は」
 私が会った時には妖狐の姿だったので、分かるわけがなかった。
「なんだとはなんだ、普通の人間の格好だろうが。前にも言っただろう、孫と暮らす為に、私も里人に化けたのだ」
「里人が洋服なんぞ着るか。おまけにそんな若作りなんかして。歳を考えろ、歳を」
「それに関しては君にとやかく言われる筋合いはないぞ」
 いや、私はずっと昔からこの姿だが。
「ええい、そんなことはいい。それより、何の用だ?」
「おお、そうだった。これを渡さなければな」
 六尾狐が取り出してきたのは、新聞の束だった。
「『文々。新聞』に『花果子念報』、他にもたくさんあるな。どうしたんだ? これは」
「新聞の報道を見てみるがいい。みな一斉に報じているぞ。神霊廟の大火災と、その犯人の名をな」
 新聞の見出し欄に踊っているのは、「死体探偵」の四文字だ。
「それがどうした。君も私がやったと疑っているのか?」
「今更そのような疑念は抱かんよ」
「ならばなんだ。私が犯人にされるのは分かりきっていたことだろう」
「だが少し、妙だ」
 尻尾を自慢げに撫ぜながら、六尾狐が言う。長い毛の塊で病室がすし詰め状態になって、非常に暑苦しいのだが。
「妙、とは」
「ああ。『死体探偵の悪行』とやら、いつものとおり扇動者が大いに喧伝しているのだが、今回の新聞はそれを上回る勢いなのだ。すべての新聞が号外を出して、しかもそのすべてが事件の詳細を事細かに記述しているのだ。実際に火事の現場に居合わせた者にも見てもらったが、誤りのある記述は見当たらんと言っていた。嘘か誠かわからんゴシップが売りの、いつもの天狗の新聞からは考えられんだろう?」
「……確かに」
 ざっと斜め読みをしてみたが、六尾狐の言う通り、その記述は正確で、しかも詳細だった。私が星に左鎖骨を砕かれたことまで書いてある。これは実際に見ていなければ書くのは難しいだろう。
 しかも、事件に対する考察として、神霊廟上層部の関与を疑う記述までしている。その根拠には、神霊廟が私を匿っていることが挙げられていた。曰く、今回の火事は、里の火付けを行わせるために飼っていた鼠に脛を齧られたのだ、と。
 これらを『文々。新聞』が、まして『花果子念報』までが同じく報じているとは。
「ここから考えられるのは、まあ一つだろうな」
 だれかが記事原稿を、天狗達に提供したのだ。それ以外、ありえない。
「わからんのは、何のためにそんなことをしたのか、だが」
 六尾狐は首を捻っていたが、私の脳裏には、一つの影が浮かんでいた。
『あの火事の犠牲者数は、ゼロじゃ』
 物部布都の、背筋が凍るような微笑みを。
 これは布都の策謀か? 何を企んでいる、布都……。
「それともう一つ。先程も言った通り、相変わらず扇動者どもの活動は続いているわけだが、その扇動者達の急死が相次いでいるらしい」
「急死だと?」
「うむ。演説中に突然言葉を失ったかと思えば、パタリと倒れ、そのまま眠るように死んでしまうという。まるで命を吸い取られたかのようにな」
「自然死ではありえないな。何者かの攻撃か」
「分からん。が、事件現場では一つの影がよく目撃されているそうだ。なんでも黒い服を着て、三日月の意匠をあしらった帽子をかぶっているらしいが」
 ルナサ・プリズムリバーか……。
 今のルナサは、憎しみに飲まれ、悪鬼そのものになっている。私を頼って神霊廟に来たあの時、私が彼女を止めていれば……。
 私がほっかむりをしてボロをまとうと、六尾狐は眉をひそめた。
「行くのか、里に?」
「友人が道を迷っている。私は行かねばならない」
「そうか。それはさぞ心配だろう。しかしそれは今、君でなければ、『死体探偵』でなければ出来ないことなのか?」
 その言葉に、私は思わず手を止めた。
 六尾狐は、静かに尻尾を揺らしながら言う。
「友人が心配なのは分かる。だが今、君には君の果たすべき役目があるのではないのか?」
 私の果たすべき役割、か。
 青娥にも同じことを言われていたな。まったく私は、度し難い。
「……そうだな。私は千手観音ではない。すべてを救うことなど出来やしない。まずはやるべきことをやらなければ」
 私は懐からペンデュラム・エンシェントエディションを取り出した。このペンデュラムを使って、奴らの居場所を突き止めること。それはあの博麗霊夢にすら出来ない、私だけに与えられた役割なのだ。
「うむ。それに何もすべてを一人で背負い込むことはない。幸い、君は仲間に恵まれておるようだからな。その友人とやらの件は、私達狐族のほうでも注意しておこう」
「すまん、助かる」
「何、構わんよ。君には孫が世話になったからな」
「それにしても、手際よく情報収集までしてくれて」
「君の頼みは断れんからな」
 そう言って六尾狐は笑った。会話に多少違和感を覚えつつも、私は私の考えるべきことに神経を集中させた。
 今、私のやるべきこと。
 それは、このペンデュラムの力を高めることだろう。
 今までは、このペンデュラムの探査能力をもってしても、あの顔色の悪い男の尻尾を捕まえるのは困難だった。だがあの男と遭遇したことで、あの男が博麗の血を受けていることが分かった。博麗の血に宿る力には惹かれ合い共鳴する性質がある。部下による探知は音魔法により妨害されても、血の共鳴による探知は可能なはずだった。
 それなのに今、私が奴を探知できないのは、単に私の探知能力よりもあの男の隠遁する力が勝っているからだろう。私は奴に比べて博麗の力を使いこなせていないし、一朝一夕で奴を超えられるとも思えない。なぜなら奴は、生まれ落ちた瞬間から、博麗の力を使いこなす訓練を続けてきただろうからだ。私自身の力が足りないのなら、道具の力を高めるしかなかった。
 だが一口に道具の力を高めるといっても、どうしたものか。こと博麗のこととなると、私は多少かじった程度のほとんど門外漢だ。単純に血を増やせばよいのだろうか? しかし霊夢は私を敵視している。血を分けてもらうことは難しいだろう。私は途方にくれてしまった。
 そのとき私の目に入ったのは、私の腕に燦然と輝く腕時計型の機械だった。
 これこそは、河城にとり謹製の探知機『新生ネオレアメタルディテクター』。
 この探知機は一度、あの男の足取りを完璧に捕捉してみせた実績がある。この探知能力と、私のペンデュラムを組み合わせれば、あるいは。


 やるしかない。私が、やるしかない。止めてやる、すべて、必ず……
 口の中だけでつぶやいて、ルナサは瞳を上げた。
「聞いたか? 神霊廟の火災の件。あの死体探偵が放火したって。しかもその放火魔を、神霊廟の上層部は匿ってるって話だ。あの神霊廟の奴ら、里にまで火をつけようって魂胆じゃなかろうな」
 視線の向こう、自警団気取りの馬鹿共に取り壊された屋敷の空き地で、あいも変わらず扇動者達が人を集めている。街を燃やされた被害者のはずの神霊廟は、なぜか彼らの中では悪鬼の集団となって、里に襲いかかる牙を研いでいることになっていた。
 こんなことは、ここだけではなかった。里中の人間が、続発する惨事に冷静さを失い疑心暗鬼になって、他者への攻撃性を増していた。
 このままでは、暴徒共が神霊廟になだれ込むのも時間の問題だろう。
 止められるのは私だけだ、ルナサは再びつぶやいた。
 迷妄するナズーリンに頼ることは出来ない。妹達も巻き込めない。これは、レイラから与えられた、自分の役割だから。そのために自分は、騒霊現象の破壊を司っているのだ。
 ヴァイオリンを取り出し、弦をつがえる。自分の音魔法を使えば簡単だ、脳の機能を麻痺させれば、心臓の鼓動は弱まり眠るように安らかに死ねるだろう。そうやって扇動者共を一人ずつ排除していけば、きっと止められる。レイラの意思を継げる……
 そう自分に言い聞かせて、ルナサは弦を握る腕に力を込めた。
「待て」
 背後から鋭く響いたその声に、乾ききっていたルナサの精神は、幾分かの潤いを取り戻した。
「ナズーリン!」
 振り返った先には、ボロをまとった目付きの鋭い小柄な女がいた。
 毘沙門天の使者、ナズーリンだ。
「正気に戻ったのね!」
「正気? それはこちらのセリフだ、ルナサ。落ち着いて冷静になれ。君がいつも言っている事だぞ」
 ナズーリンの変わらぬ物言いに、ルナサはほっとため息をついた。マミゾウが死に、ヤマメは負傷し、燐はどこかへ消えてしまった今、頼れる者がいないルナサは、不安を抱いていたのだ。あの異変の犯人、顔色の悪い男が自分の兄弟のクローンであることが分かった今、ルナサにかかる責任と重圧は大きかった。ルナサ一人では抱えきれないほどに。その責任の半分を背負ってくれていたナズーリンは、ルナサにとっては非常に大きな存在だったのだ。
 ナズーリンはゆっくりと腕を持ち上げ、扇動者達を指差した。
「落ち着いてもう一度よく見てみろ。あいつは噂好きのただの里人だ。混乱初期にさり気なく不安を煽っていた扇動者達とは違う。本物の扇動者は、もっと教養がある人間達だ」
「教養ですって?」
「言い換えれば、信心深いとなるか」
 たしかに、視線の先の扇動者は朴訥そうな農民で、単にうわさ話をしているだけのようにも見えた。
 その時、群衆の間でわっと声が上がった。蜘蛛の子をちらしたように人が散り、そしてすぐにまた集まって、取っ組み合いの喧嘩になっている。
「見ろ。死の自警団だ」
 どうやら、自警団気取りの暴徒が刀を振るったらしい。何事かを叫びながら、刀を振り回している。それを男衆が必死に留めているのが見えた。
「喧嘩かしら……」
「視野はもっと広くあるべきだ。上にもな」
「上?」
 視線を上げたルナサは、息を飲んだ。
 そこには、虹色に輝く蝶が一羽、ひらひらと宙空を舞っていた。
「死蝶だ。君も無縁塚で見ていたな」
「さ、西行寺幽々子の……こ、こんな街中で、まさか!」
 西行寺幽々子の死蝶は、触れる者すべての命の芽を刈り取る鎌。
 とにかく、あの死蝶の恐ろしさを知らぬ人々を守らなければ。飛び出そうとしたルナサのその腕を、ナズーリンが強く掴んだ。
「ちょっと、何をするの!」
「見ていろ、ルナサ」
「見てろって……! そんなことしてたら……あっ!」
 ルナサの目の前で、死蝶が一人の男の背に滑るように舞い降りた。途端、男はバタリと倒れた。一瞬で眠るように、男は死んだ。
 男が死んだことに気づいた聴衆の女性が派手な金切り声を上げ、異変はすぐに伝わった。喧嘩のざわめきは一瞬で静まり、今度は人死の驚愕が広場を埋め尽くした。
「あの男は昨日、里で扇動活動を行っていた者だ。これで確証がとれた」
「か、確証って……」
「あの死蝶、無差別テロをしようというわけではない。どうやら、制御できなくなった扇動者どもを自分の手で排除しているようだな」
「西行寺幽々子が、そんなことを……」
 里の中、それも日中に堂々と力を振るった西行寺幽々子に、ルナサは恐怖を覚えた。
 しかし、最もルナサを戦慄させたのは、ナズーリンの物言いだった。
「青法被達が来たな」
 ナズーリンの言葉どおり、青法被の集団、本物の自警団がその場にやってきて、死体を調べ始めた。
「見つかったら面倒だ。ここを離れよう。私はあの死の自警団連中を追うが、ルナサ。くれぐれも馬鹿なことはしないようにな。扇動者共を一人二人殺しても、今の状況は覆らん」
「え、ええ……」
 あっけにとられたルナサは、風のように消えていくナズーリンの後ろ姿を、ただ見送るしか無かった。
 先程のナズーリン。たとえ敵側の人間だったとして、その死になんの感慨も抱いていなかった。西行寺幽々子によって殺されるがまま、見殺しにしたのだ。以前のナズーリンには考えられない事だが……あの火事が、彼女のなにかを変えてしまったのだろうか?
 大きく息を吐いて心を沈め、ようやく顔を上げたルナサは、思わず上げそうになった声を、必死で押し留めた。
 眼前に、ひらひらと極光色の蝶が舞っていた。
 急いで踵を返し、ルナサは逃げ出した。あの死蝶には音魔法など役に立たない。自分では、西行寺幽々子に絶対に敵わないのだ。逃げるしかなかった。一刻も早く、この場を立ち去るしか。
 逃げ込んだ路地裏で胸をなでおろしたルナサは、上空を見やって、再び目を剥いた。死蝶がひらりひらりと舞い踊りながら、ルナサのほうへと向かって来ているのだ。
 まさか、私を狙っているの?
 パニックになりながら、ルナサは再び駆け出した。
 早く、早く。少しでも遠くへ行かないと……!
 輝く死蝶に追い立てられるように、いつしかルナサは里の外へと出ていた。


 妖怪の山に入った私は、街道を進んだ。この街道は聖徳王によって整備されており、獣道をすすむよりも断然早く移動することが出来る。もちろん飛んだほうが早いが、人目につくことは避けたい今は、歩きやすく整備されたこの街道は、非常にありがたかった。
 にとりのキャンプがある沢に近づいたとき、ふと空を見上げた私は、妙なものを見つけた。
「なんだ、あれは……」
 それは、不可思議に輝く蝶々だった。淡いオーロラのような雪色の光を発しながら、ゆったりひらひらと舞うように飛んでいる。月光蝶とでもいうのだろうか? 美しいが、どこか不吉だ。それにあの輝き、どこかで見たことがあるような気もする。どこで見たのだったか……
 そうして視線を下げた時、私は瞬間的に思い出した。そうだ。あの色は、博麗の夢想封印に似ているのだ。私の懐から漏れ出るその極光がその証拠だった。
 ペンデュラムが反応している。あの蝶に? それとも、近くにあの男がいるのか……!
 私は瞬時に戦闘態勢を整えると、舞い進む蝶を追って、音を立てぬように走った。
 蝶はふらりふらりと、しかし明確な方向を持って飛んでいた。私はその蝶からつかず離れずの距離を保って追ったが、いつからか、私は蝶に導かれているような感覚を覚えていた。
 山を超え、谷を超え、街道を超え、河を超え。
 月光蝶はゆっくりと飛びながら、沢の先、九天の滝にまでやってくると、その上で遊ぶように揺れ始めた。見やると、他の月光蝶が四方から集まってきている。私のように誰かを、何かを導いていたのか?
 視線を下に向けると、大瀑布を臨む崖の上に、誰かが倒れているのが見えた。見覚えのある、青いレインコート。
 あれは……まさか。
 四万十!

 りぃん
  りぃん
 
 ペンデュラムが輪唱する。近くにあの男もいるのか?
「……小鼠? こんな時に!」
 四万十は接近する私に気づくと上体を起こし、水弾を発射してきた。光る水しぶきの中にかかる虹、夢想封印の輝きだ。私は新生ネオレアメタルディテクターの夢想封印熱変換装置を起動し、飛来する水弾に叩きつけて蒸発させた。
「くっ……!」
 よろめきつつ立ち上がったその脚から、鮮血がほとばしるのが見える。四万十は負傷していた。何かと戦っていたのか? 状況が分からない。それが私の脚を止めた。
 私は四万十から距離を保つと、崖縁を走りながら夢想封印の光を投げつけた。四万十は思うように動けぬようで、足元を狙った光球に牽制され、崖際から抜け出せずにいた。
 しかし四万十は私の方へ向き直ると、水盾を作り出し、そこに水弾を打ち込んで、螺旋水弾を放った。この状況で大技を繰り出すとは、腹を決めたか。その意気や良し。
 しかし、甘い。私は再び夢想封印熱変換装置を作動させ、奴の大技を虚しい水煙に変えた。
 その水煙の合間を塗って、四万十の水鞭がしなった。水鞭は私の左腕を打ち据えると、レアメタルディテクターのベルトを切り裂き、絡め取ってしまった。咄嗟に私が放った光の帯を熱変換装置で水飛沫に変えながら、奴は得意げに言い放った。
「いい道具だな! 今度はこっちが使わせてもらおう!」
 だがそれは、私の術中だった。私は四万十が必ずそうすると読んでいた。いや、四万十としてはそうするしかないのだ。防御と攻撃が拮抗したこの状況では。
 よもや諸君は忘れてはいまい。あの新生ネオレアメタルディテクターを造ったのは、誰か。
「ぐああっ!」
 奴の手の中でほとばしった光は、完全に奴の虚を突いた。爆発の炎と黒煙が奴の体を包み込む。新生ネオレアメタルディテクターが自爆したのだ。
「なるほど。確かにオーディエンスの期待通りだよ、にとり」
 認証の無い者が使えば自爆する。それが、新生ネオレアメタルディテクターに実装された、第三の機能だった。
 倒れ伏した奴の下へ、私は警戒しつつ近づいた。
 四万十は満身創痍で、立ち上がるどころか起き上がることすら出来ない様子だった。私を睨みつけ、苦しげに喘いでいる。
「くっ……お、おのれ……小鼠め……!」
 爆発の衝撃で肺をやられたのか、息をすることすら難しいようだ。ましてや逃げることなど出来ないだろう。
 ついに。
 ついに、四万十を捕らえた。
 思えばこいつにはずいぶんと苦汁を舐めさせられた。ロッドを真っ二つにされたことから始まり、山で、河で、里で、そして外界で、干戈を交え続けてきた。陰陽玉を盗んだ盗賊の遺体を粉々にされ、捕縛するはずだった死の自警団の剣士を殺されたこともあった。あの哀れな土蜘蛛の女を造り出したのもこいつらだ。かつて私が止めを迷ったせいで、はたては死の淵をさまよう羽目になった。
 賢者達との戦いの日々は、四万十との戦いの日々でもあった。
 それも、遂に終わるのか。
 私は四万十の目の前に立つと、ロッドを構えた。
 四万十の瞳に、怒りと焦燥はあれど、恐怖は無い。
 四万十は真の戦士だった。主の天津風姫百合に全てを捧げ、全力で戦って来たのだ。征くべき道は違えど、その姿勢は尊敬に値する。
「ナ、ナズーリン」
 振り返ると、ルナサが立っていた。走っていたのか汗だくで、肩で大きく息をしている。
「ルナサ……大丈夫なのか」
 息は荒いが、ルナサは話に聞いていたよりもかなり精神的に落ち着いているように見えた。かつて四万十に止めを刺そうとした時と同じように、憎しみに飲まれて暴走状態にあるのかと危惧していたのだが。
「あ、あなたもここへ来ていたのね。死の自警団を追っていると思っていたんだけれど」
「何だって?」
「ようやく撒けたと思ったら、貴女がいて……もしかして、あなたもあの死蝶に追い立てられて?」
 ルナサは大きく深呼吸してから、倒れ伏す四万十のほうを見下ろした。
「それより、ついに捕まえたのね。さあ、あの男の居場所を聞き出しましょう」
「そう……だな……」
 私は、滝の上で舞う雪色の蝶を見やった。
 その時。

 りぃん
  りぃん

 響いた二重奏。
 唐突に眼前へと現れたあの男が、輝くペンデュラムを掲げ、光の波動を放ってきたのだ。夢想天生を使ったのだろう。
 だが私は、それを察知していた。正確に言えば、あの蝶が教えてくれていたのだ。雪色の蝶の輝きは、ペンデュラムの共鳴と同じ周期で輝いていた。
 私は素早く虹色の幕を展開し、あの男の攻撃を防いだ。
「きゃあっ!」
 だがやはり、威力は奴のほうが上だった。私は直撃は避けたものの、衝撃の余波がルナサと四万十を吹き飛ばし、地面をえぐった。
「四万十!」
 満身創痍の四万十は衝撃で意識を失ったのか、無防備に崖下へと落ちていった。
 瞬間、私の脳裏に、ある光景が過る。
 決闘後のはたてを狙って四万十が襲撃してきたあの時。奴は水を恐れ防いでいた。水は奴にとって毒なのだ。そのために奴は、レインコートを着込んでいた。
 下は滝壺だ。このまま水中に落ちれば、四万十は……。
 迷っている暇はない。
「ルナサ! 君はあの男を追え! 後を頼む!」
 私は落ち行く四万十を追って、崖下へ飛び込んだ。
 ようやく色々落ち着いてきたので続き書きました。まあ書き始めたのは9月からなんですけれど……。よし、1ヶ月に1作ずつ書ければ来年中には終われるな……!
 ちなみに、「ニトリ・ボンバイエ」の爆発ネタはこの話の伏線でした。何年越しの回収なんだぁ?
 @2NbZdtYnF5jJ0Fr
チャーシューメン
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.100簡易評価
3.100名前が無い程度の能力削除
もう一度過去作を読んでこなくては・・・