慧音が『ぽてとちっぷす』というものを持ってきた。じゃがいもから作り出されたもので、人里で流行ってるという。
「あまり食べすぎると良くないらしい……しかし、人里の子供も食べるものだ、一応私が確認しておかなければ」
真面目だなぁ、と思ったが、慧音の表情を見て、食べたいだけじゃないの? なんて思った。
「そうだ、致し方なく食べるのだぞ? 決して食べたくて食べるわけでは」
「いいから早く食べなよ」
慧音はもぐっと食べる。
「うん。美味しいな」
満足そうな顔。私も少し気になる。
「どれ、私も貰おうかな」
「食べるのか? 一枚やるぞ」
「……一枚だけ?」
「ふふ、冗談だよ。でも食べすぎは良くないからな?」
「はいはい」
パクッ、からのサクッ。
うん、塩が香ばしくて濃い味付けじゃないのが悪くない。
「これは流行るだろうなぁ。でもこんな美味しいもの、本当に外の世界で廃れたのか?」
「ん? どういうことだ、妹紅?」
「ほら。幻想入りしたってことじゃないの?」
「それが違うんだ。なんと、外の食文化の噂を聞いた一人の人間が、商売として開発し売り始めたんだよ」
「へえ、そりゃあすごい」
「食文化は常に外の世界に劣ってしまうのか……なんて、悔しくて野心を燃やしてる人間がいたって不思議じゃないさ」
「もう一枚いただくぞ」
「おい! 食べすぎだ!」
結局三分の二くらい食べてしまったが、慧音は怒ってるというより泣きそうになっていた。やっぱり食べたいだけなんじゃないか?
「ふぅ、この時間だけは一人のものだ」
タバコをふかし屋根の上、夜空を見上げる。
とっくに慧音が眠った頃。藤原妹紅はぼっーと一日を振り返っていた。
「今日もまた、決して悪い一日じゃなかった。相変わらず慧音は優しくしてくれるし、幻想郷のやつらは喧嘩っ早くて性に合う」
毎日が苦しかったあの日々から、早どれくらい経ったであろう。それぐらいに過去のことであった。しかし、だからといって忘れることはない。あの憎しみも、あの悲しみも、まだ心の中では燻っていた。
「今日もまた、決して悪い一日じゃなかったんだ……でも、どこか、なぜか、満たされない。結局私はこの場所に、一生いれるわけじゃない。そういうことなんだろうな」
ぽつりと。
「なあ慧音」
屋根の上から声をかけたが、相手は寝てるしそもそも小声。分かってる、そもそも伝える気などないのだから。
だけど上白沢慧音がこっそり涙を流していたのを、妹紅は知らない。
「起きろっ、妹紅。朝だぞ!」
「もうちょっと寝かせてくれ……」
「身体への甘えは心への甘えになる。生活習慣が乱れれば、心も乱れてしまう」
「……すまん、ねむい」
「ダメだ」
妹紅は寝ぼけながら、慧音が作った朝食を食べる。
「美味い」
「それはなにより」
美味しいが、慧音の作る料理はいつも薄味だ。それは慧音が質素な生活を好むのもあるし、何より健康志向だからである。
不老不死に健康だなんてバカらしいのだが、作ってもらっている以上薄味だろうと文句は言えない。
「じゃあ行ってくる」
「今日も竹林か?」
「いや、今日は人里に行ってくるよ」
「おお、そうか、ならせっかくだから後で寺小屋に来て喋らないか」
「うーん、考えとく」
「あはは、相変わらず妹紅はつれないな」
慧音は私の冷たい態度にも慣れてるように笑ったが、少し申し訳なくもこれが私なんだ、と玄関から家を出た。
「今日も快晴だ」
この幻想郷は天気がいい日が多い、なんだかそれだけで嫌な気分が減るのであった。
「でもまあ、弾幕の雨は降るわな」
頭上では霧雨と氷の妖精が弾幕バトルをしていたようだった。巻き込まれないように退散、退散。少し早歩き。
「あっ、妹紅さんじゃないですか!」
「あんたは」
「覚えてますよね? 東風谷早苗、東風谷早苗ですよ!」
妖怪の山にある神社の巫女さんだったか……随分前に宴会で会った記憶がある。
「お久しぶりですね!」
「そうだな、と言っても前に会ったときもそこまで喋ったわけじゃないが」
「もー、冷たいじゃないですか。ほら、来てください、今団子を食べてるんです」
どうやら団子屋の椅子に座って団子を食べてた最中に私を見つけて、慌てて走ってきたらしい。
「良ければおひとつどうですか?」
「あ、いや、悪いよ」
「悪いなんて、気にしないでください! だって妹紅さんと私はズッ友ですよ! ズッ友!!」
「ズッ友?」
「ずっと友達ということです!」
「そんなに深い関係でしたっけ……?」
素直に疑問だった。
「なっ、失礼ですねあなた」
「……傷つけたなら申し訳ない」
「だって聞いたんですがあなたって不老不死なんですよね?」
「まあ一応」
「なら嫌でも一生の付き合いじゃないですか。この幻想郷は狭いんですから」
「うーん、そんなものかな」
「だからズッ友なんですよ、妹紅さん!!」
一気に顔を近付かせてくる。
あまりの気迫に妹紅も強く物を言えない。
「ほら、どうぞ、口を開けてください」
しかも顔を離したと思ったら、今度はまさかの団子を一本こちらに近付けてくる。どうやら食べさせたいらしい。
「なっ、恥ずかしいよ」
「ズッ友らしいことがしたいので!」
「いや距離は少しずつ近付けるものだし」
「じゃあいいです」
「意外と諦めがいいな」
あっさりと団子を食べさせることを諦め、もぐもぐと美味しそうにその一本は巫女さんが食べた。
「いやですね、私もやってるうちになんか違うなと思いまして」
「はあ」
「ついテンションが上がってしまいましたが、冷静に考えて友達でもあーんは抵抗ありすぎです。ごめんなさい」
意外とまともらしい。
恥ずかしそうに笑っていた。もしかしてこの子は幻想郷に染まろうにも染まりきれない、本当は真面目な女の子なのかもしれない。その一瞬の仕草でも、彼女の素が垣間見えた気がした。
「ですがここのお店の団子、本当に美味しいんですよ。どうしても食べてほしいんですが、遠慮しそうだったのでつい強硬手段に……」
人間、自分の好きなものは共有したいものだ。そして、興味を持ちもっと知りたいと思った相手の好きなものは、やっぱり共有したいものだ。
「分かった、一個貰おうかな」
そう言うと分かりやすく満面の笑顔を見せた。この東風谷早苗という巫女さんは、かなり正直な人間らしい。
「どうですか、感想は!?」
興味津々に目を輝かせている。
もぐもぐと団子を食べる。
「これは美味しいな」
「でしょ!? これは本当におすすめなんです!」
たまには違った行動をしてみるものだ。
今までなんとなくで選ばなかった選択肢から、思わぬ発見をすることがある。
「ありがとう。良いものを食べさせてもらった。一本の値段はいくらだ?」
和菓子はもともと好きなのだが、そもそも、人の多い人里にはあまり近づかなかった節がある。しかし、やはりここには美味いものが多い。
「いいですよ、奢りです!」
「自分の食べた分くらい払うさ」
昨日、慧音のぽてとちっぷすを半分以上食べたことは棚に上げていた。
「だけど私、あなたと友達になりたくて……」
少し涙目のように見えた。
なんだ、この子、てっきりちょっかいをかけに来たのかと思ったが、最初から私と友達になりたくて近付いてきたのか。
外から来たんだっけな、不器用なやつだ……でも、憎たらしいやつはいつも綺麗に心を隠す、だから正直なやつは嫌いじゃない。
「巫女さん」
「うぅ、早苗って呼んでください」
「早苗さん、私が思うに」
「早苗って呼んでください」
どうやら頑なに呼び捨てで呼んでもらいたいらしい。
「早苗、私が思うに友達っていうのはそういうものじゃないと思うんだ」
「どういうことです?」
「神は人を救い、そして敬われる。しかし、人と人との友情は、そうじゃない。恩を売ることだけが友情を深める術じゃないのさ。私は変に気を遣ってくれない方がいい」
「で、でも」
「こんな絶品を教えてくれただけでお駄賃だ。今度は私の好きな景色なんか教えてやるよ」
らしくもなくニコッと笑ってしまった。
すると拗ねてしまったのか、早苗は顔を逸らしてしまった。
「じゃあいいです。それで。ですが、お返しならそれだけじゃなくて」
「うん?」
「これからも友達として会ってください」
「……お安い御用だ」
しばらく話したのち、今日は早苗と別れて寺小屋へと向かった。ちなみに、団子は気に入って二つも持ち帰りで買ってしまった。
「おおっ、妹紅、来てくれたんだな」
「そりゃあまあ。今授業とか大丈夫か?」
「この時間は昼休みだから問題ない」
「そうか、なら良かった」
子供がたくさん廊下を走る。
慧音は走るな、と優しめに怒った。その風景を見ては、これは遥か昔の時代から、変わらぬものだなと思った。私も元気に走り回っては怒られたものだ。
「あそこの団子屋、慧音は食べたことある?」
「ああ、よく食べてるよ」
「よく食べてるの?」
はて、私の認識の中では、慧音はお菓子なんてそんなに食べてる記憶はないのだが。
「あっ」
慧音も顔を赤らめているのを見るに、隠し通したかったことだったらしい。
「す、すまない、家では質素な食事ばかりなのに、一人だけお菓子を食べていたなんて」
なにか的外れな責任を感じてるようだ。
「別に怒ってなんかないよ、ただ意外だなと思って。ぽてとちっぷすのときもそうだけど、お菓子好きなんだね」
「まあ、嫌いではない」
「なんでそこで強がるんだよ」
同時に寂しさも少しあった。
やっぱり一緒にしばらく暮らしていても、知らない一面はあるんだな、と。
「それで急になぜ団子屋の話を?」
「さっき妖怪の山の巫女さん……早苗に会ってな」
「ああ、東風谷さんか」
「絶品な団子を教えてもらったんだよ。今度お礼しなくちゃな」
「ふふ、そうか、そうか」
「なんでニヤニヤしてるんだよ」
「いや、なんでもないんだ、なんでも」
慧音は私を見て微笑んでいた。
きっと、人と関わる私が新鮮だったのだろう。
「この後はどうする? 私が授業を終えるまで人里をぶらぶらでもしているか?」
「いや、今日はもう帰るよ」
「そうか。夕食はどんなものがいい?」
「今日は私の家に帰るよ」
「……そうか」
慧音と私は二人同居しているように見えるが、実は私は迷いの竹林に家を持っている。にもかかわらず最近は慧音の優しさについ甘えてしまい、居候させてもらっていたのだ。
「たびたび慧音の家から竹林へ向かって巡回していたが、やはり私のいない間に迷ってる人がいたら大変だし、案内人としては竹林に住むことが一番いい。それに最近は慧音にお世話になりすぎた」
「いや私は別に困ってなど」
「また来るよ、慧音」
慧音は優しい人だ。獣人であるのもあって、人の気持ちも人ならざるものの気持ちも分かってくれる。私なんて、人じゃない寄りの存在だから、よく救われた。
でも、結局何億年後には一人なんだ。
「今度居候するときも、あのぽてとちっぷすってやつを用意しておいてくれないか、気に入ったんだ」
「……そうか。分かった。寂しくなるな、また近いうちに会いに来てくれると嬉しいよ、妹紅」
「もちろん会いには行くさ」
人里で慧音と手を振って別れた。
またしばらくは一人の日々が始まるだろう。
「っておいおい、大丈夫か?」
帰り道、道の真ん中に氷の妖精ことチルノが倒れていた。
「負けたんだ、今日も」
「あー、霧雨に?」
「そう魔理沙に」
「疲れて動けないのか?」
「いやそういうわけじゃないよ」
「じゃあ落ち込んでるのか? らしくないじゃないか、チルノ」
「うん、らしくないかも」
これは思ったよりも重症だと思った妹紅は、チルノをスルーして帰ることはできなかった。
「とりあえず起きたら? そうだ、団子が二つあるんだが、ひとつ食うか?」
「いいの?」
「味ってのは誰かと一緒に食べると良くなるもんなんだよ。かなり生きてるとそれがよく分かる」
「へぇー」
「興味なさそうだな。食べないの?」
「食べる」
すっかり空は夕焼け空。いや、少し暗くなってきて、黄昏時と言った方が近いかも。
「美味しいなぁ、団子って」
「うん、そう思う」
「なあ、チルノ」
「なに?」
もぐもぐしながらこっちを見るチルノに、なんとなく和んだ妹紅であった。
「霧雨は強いか?」
「悔しいけど、強いと思う」
「でもチルノは最強なんだろ?」
「そうなんだけど、なぜか勝てないんだ」
こんな悔しい顔をしているやつが勝てないなんて不思議だが、きっと、あの霧雨も相当悔しい顔をしてきた人間なんだろう。
「あいつは今のチルノと同じくらい、いや下手したらもっと悔しんで、努力してるかもしれない」
「努力?」
「そう。チルノは妖精だろ? 妖精ってのは今を生きる生き物だが、その悔しさは一時的なものか?」
「一時的?」
「寝て起きたら忘れちゃうか、ってことだ」
「……そんなこともあるかも」
「そうか。でも、今の悔しさは、悔しい思いをしているチルノは、少なくとも私は忘れない」
「あたいだって忘れないもん!」
「ならより良いことだ、その悔しさが武器になったりするもんだ。チルノ、勝てなかったときは、勝てるように戦法を変えるのが大事なんだ」
「勝てるように戦法を……」
「同じ手は読まれるぞ、相手の意表を突くんだ。相手の予想しない手を使うんだ」
チルノは難しそうに考えてる表情をしている。
妖精は、手を変えたりミスを認めて向上できたりするのだろうか。そもそも果たしてそれが正解なのだろうか。それは分からない。だが、霧雨なら大丈夫だろう。
あいつは強い。チルノが手を変え勝てば、霧雨も諦めず手を変えてくるはずだ。そうすればチルノは負け続けて悩むことも、勝ち続けて自分を見失うことも、ないだろう。
「ありがとう、もう少し考えてみるよ」
「うん、それがいいさ」
竹林の家に帰る。しばらく空けていたから、家の中はあまり綺麗じゃなかった。
「これは掃除が大変だなぁ」
そう呟いたときにハッとした。
「いやいや、よく考えたら前から家はこんなもんだったろう。寝れる場所さえあれば良かったわけだし」
藁布団を敷いて、横になる。
この角度だと窓から綺麗なお月様が見えた。
「タバコをふかす時間以外で一人なのは、本当に久しぶりかもしれないなぁ」
慧音と過ごした日々を振り返る。
「でもいつか、一人でいるのが当たり前になる。それで私は私のままでいれるのか?」
ふっと浮かんだのは永遠亭の連中。特に憎きあいつと永琳だ。
「喧嘩して負けるのは怖くないが、いつか日和ってあいつと仲直りするのは怖いかも」
月が見える。あんなに綺麗な月。風情として楽しむのならいいが、運悪く宿敵の故郷であった。
「でも」
寒いからか少し震えた。
「でも一人になるのはもっと怖いなぁ……」
居心地の悪い夢を見た。いや、これは遥か昔のことだ。
「君は一体何者なんだ。姿も声も変わらない、気味が悪いっ!」
違う、違うんだっ。
「なぜあなたはそんなに人に冷たいのです。分かり合おうとすれば、また変わっていたのに」
違う、私は本当はっ。
「他人に興味がないの?」
違う、興味がないわけじゃないんだっ。
私はただ……。
翌日、人里で早苗と会った。明日も会おうと約束したのであった。
「今日はどうしますか? 妹紅さん」
「うーん、別に。何も特にしたいことはないなぁ」
「なっ! それでもうら若き乙女ですか!?」
「私はこう見えてあんたよりずっーーと年上だっつうの」
「あはは、そうでしたっけ」
人里は相変わらず人に溢れてる。昨日の嫌な夢なんか飲み込まれるような勢いだ。
「ん? 人だかり?」
「行ってみましょうか」
二人で近づいてみると、そこはぽてとちっぷすのお店だった。
「ぽてとちっぷすのお店か」
「今では人里の中だけでも三、四つもポテトチップスのお店ができてるんですよ」
「そんなに人気なのか。私も一回食べたことがあるが、確かに美味しかった」
「美味しいですよね。それにしても、まさかポテトチップスが幻想郷で食べられるとは思ってませんでしたが」
「ん? そうか、たしか早苗は外の世界から」
「はい。外の世界からやってきたんです。妹紅さんもそうでしょ?」
「そりゃあまあ、そうなんだが、私は時代が違うからなぁ……ぽてとちっぷすは知らなかった」
「良ければポテトチップス、買いますか?」
「別に買ってもいいが……奢りとかは」
「大丈夫です、しません。だって友達の間に貸し借りはいらないですから」
早苗はそう言ってニコッと笑った。
「はは、その通りだ」
行列に並び、二袋のぽてとちっぷすを買った。
以前に食べたあの塩が香ばしくて濃すぎない絶妙な味わい、それを想像するだけでつい喉を鳴らしてしまった。
「あそこに座る場所があります。座って食べましょう」
「ああ、そうしよう」
しばらく歩くこともできたのに、早めに座って食べることにした。もしかして私がワクワクしていたのがバレてしまっていたり……?
「いただきます」
口に入れた瞬間、少し驚いた。
「……塩が濃いな」
「ポテトチップスなんてそんなものじゃないですか?」
「でも慧音のところで食ったぽてとちっぷすはもう少し薄味で……」
濃いのも美味しいが、やはりあの薄味がちょうど良かった気がする。
「店によって味が違うとは思いますが、私の記憶が確かならどの店舗もこのぐらいの濃さだったはずです」
「じゃあなぜ……」
するとそれを聞いていたのか、優しそうなおじいさんがこう言った。
「慧音、というのは上白沢慧音先生のことかね?」
「えっ」
「慧音先生はね、以前ぽてとちっぷすのお店で見かけたときは、薄味でお願いしますとお願いしていたんだよ」
「そっか。慧音は薄味が好きだから……」
教えてくださってありがとうございます。と頭を下げるとおじいさんは満足そうにその場を去った。
すると今度は隣の早苗が申し訳なさそうにこっちを見るではないか。
「もしかして妹紅さん、このポテトチップス、嫌でしたか……?」
「い、いやそんなことはないよ! ただ、私が以前食べたのは慧音の特注品だったことが分かって驚いていただけだから」
子供たちが食べてるもののチェックだったはずなのに、そこでも薄味を要望するなんて、慧音らしいとは思った。
「じゃあお気に召さなかった、とかじゃなくて?」
「もちろん。すごく美味しかったよ」
「それなら良かったです……!」
早苗はホッとしたように微笑んでいた。
「そうだ良ければあっちで将棋を打つための場所があるんだ。一緒に行ってみないか?」
「将棋ですか?」
「ああ」
「良いですね。でも私あんまり将棋は上手くないかもですよ?」
「大丈夫。私も上手くないから」
よし、ここで。
「王手っ!」
「って妹紅さん、将棋めちゃくちゃ強いじゃないですか!!」
「あはは、つい」
「私強くないって言ったのに!」
「でもだからって手を抜かれたら嫌だろ?」
「それはそうですけど……」
私は将棋が好きだ。
それは、考えることに集中できるからかもしれないし、相手の指し手から相手の心をより知れるからかもしれない。
「大丈夫、将棋はやればやるほど上達するから」
「まさか私を将棋の世界に招こうとしてます? やりませんよ、勝てないし難しいし!」
「でも私とズッ友なんだろう? ならこれからも何回も将棋の相手してくれないとなぁ」
「むぅ、あなたは意地悪な人ですね」
分かりやすく頬を膨らませるもんだから、つい笑ってしまった。
将棋を一緒にやろうとしていることは、彼女のことをもっと知ろうとしている、久しぶりに他人に興味を持っているということで、私はこの事実に驚いていた。
「それに全然自分のことは教えてくれないですし」
「そりゃあまあ、これからだろ」
「でも私は結構教えてます!」
「そう?」
「そうですよ!!」
「あはは、ごめんって」
「妹紅さんは心を開いてくれてないし、冷たい人ですっ」
悪気はないのだろう。
私だってそんなこと気にするかと思う。でも一瞬あの言葉が浮かんでしまった。
『なぜあなたはそんなに人に冷たいのです。分かり合おうとすれば、また変わっていたのに』
違う、あれは夢で、過去で、今じゃなくて。
目の前にいる早苗は、本気で言ったわけじゃなくて、本気で私を冷たいだなんて、でも。
ああ、心が、体が、全部が痛い、ようやく慧音以外の興味を持てる人を見つけたのに、ようやく友達を見つけたのに……胸が、痛い、苦しい。助けて、ごめんなさい、苦しい。
「はぁ、はぁ、はぁ」
「……妹紅さん?」
「違う、興味がないわけじゃない、冷たくしたいわけじゃないんだ」
「大丈夫ですか!? 汗がすごいですよ!?」
「私は、私はただ」
「い、今、水を持ってきますので……!」
「関わってもすぐいなくなるから……関わるだけ苦しくなるから……! だから」
ポロポロと涙が止まらなかった。
ただ早苗は困惑している。当たり前だ、こんな私、困るしかないだろう。ごめん、早苗。私は。
「すまない、早苗っ……」
「妹紅さん!?」
思いっきり走った。
早苗が追いかけてくる音がする。道から外れて竹林の方へ向かった。迷いの竹林に入れば、簡単には追いかけられない。もうこの涙は誰にも見られない。だから思いっきり走った。
「待ってください妹紅さん!!」
そんな早苗の声もしばらくして聞こえなくなった。
ガタガタ震える足と、脳の中を振り回す忌々しい記憶。涙だけが綺麗に流れて、一人、竹林の中でうずくまった。
家に帰る力もなく、ただ座っていた。
タバコを吸う気にもなれず、でもいつもと変わらぬ美しい星空に、少しだけ心を救われて。ただ、ぼっーとしていた。
「妹紅、何をしてるんだ」
「……慧音?」
「妹紅に会いに行こうとしたらこんな道の上でうずくまってるだなんて」
「ああ、これは、その、実は慧音に会いに行こうとして迷ってしまって……」
「迷う? 竹林を知り尽くしてるおまえがか?」
「そういうときもあるんだよ」
「そうか……だがそうだとしても、おまえが家に戻ってからまだ一日しか経ってないぞ? もう寂しくなったのか?」
慧音は冗談で言ったつもりかもしれないが、今の気持ちは本当に寂しい以外の何者でもなかった。
「そうかもしれない」
そう言った私を見て、慧音は少し考える素振りをした後こう言った。
「今日は私の家に泊まりに来い、ほら」
私の方へ手を伸ばす。
「でも誰かが泊まる準備なんてすぐできるもんじゃないだろ? 悪いよ、慧音」
「気にするな。そもそも食器も布団も、おまえが長くいたせいで二人分になっている。使わないと損なんだ」
無理矢理引っ張られて慧音の家に着いた。
「靴を脱いで手を洗ってうがいをしたら、あっちで座って待っておいてくれ。今すぐ食事を用意するから」
「で、でも」
「いいから早く部屋に入れ。風邪をひいてしまう」
「慧音、私は不老不死だから風邪には……」
「そういうのはもううんざりだ!!」
あの慧音が怒鳴った。思わず体が跳ね上がる。そのときに気付いた、慧音が怒っていることに。
「おまえが平気でも、私が平気じゃない。早く、中に入ってくれ」
素直に従って、手を洗いうがいをし、座って待っていた。慧音があんなに怒ったことなんて、今までにもパッと浮かばない。
「良かった、今さっきできたばかりなんだ」
すぐに料理が運ばれてきた。
「ほら、食べてくれ」
慧音がいつものように微笑む。でも、少しだけ、寂しそうな気がした。
「いただきます」
昼のことを思うと、胸が痛くてそんな余裕はなかった。昔のことを思い出したつらさよりも、今はただ、早苗を傷つけたであろうことが耐えられなかった。
でも、慧音の表情もまた、つらいものがあり、食べないと言う選択肢はなかった。
「……味が濃い?」
不思議だった。いつもは薄味なのに……。
「なあ、妹紅」
「なに慧音?」
「聞いてしまったんだ。ぽてとちっぷす屋さんの近くで偶然、おまえと東風谷さんが話してた内容を」
あの場に慧音もいたのか……。
「ぽてとちっぷすが薄味じゃなくて驚いてたな……すまない妹紅。薄味ばっかりで嫌だったろう」
「そ、そんなわけ!」
「私がさっき言ったこと覚えてるか?」
思わず目を逸らしそうになるくらい、慧音は私の目をまっすぐ見た。
「おまえが平気でも、私が平気じゃない。そう言ったな?」
「で、でもそれは慧音が私のことを思ってくれているからであって」
「薄味の方が健康に良いだなんて……さっき妹紅自身が言ったように、妹紅には関係がないんだ。なのに私が強要していた。私のエゴだった」
慧音は涙を流さなかったが、瞳に涙が溜まっていた。
私はそんなことない、と立ち上がった。
「違うっ、慧音! あのときもそう、私は薄味のぽてとちっぷすの方が好みだった! 決して慧音の薄味が嫌いだったわけじゃ!」
「だとしても、それは本当に好みの問題か?」
「えっ?」
「おまえはいつも、憂いていた。長く生きる、永遠に生きる運命を。私に会って最初の頃にこう言ったな」
慧音は涙が落ちないようにだろうか、それとも何かを思い出すためだろうか、上を見上げた。
「……薄味だな」
「私が薄味の方が好きなんだ。それに、体にも良いしな。もし嫌だったなら今から味を足すが……」
「いや、いい。私には薄味が合っている」
「どういうことだ?」
「私の時代の料理は薄味ばかりなんだ。それに」
「それに?」
「私は復讐のために生きている。そのために、これからも永遠に生き続けなければならい。そんな人生、何のためにある。そう思うことも数え切れない。でも私は死ねない」
「そんな心のままでこれからも生きてゆくのか……?」
「笑うか? でも私にはそれだけが狂わずに生きる術なんだ。そんな私の人生、生きてるか死んでるかすらも曖昧な、復讐のためだけの色の薄い人生。まさに薄味のようじゃないか」
「……」
「悪い。あんたの料理の薄味を悪く言ったわけじゃないんだ。それに、さっきも言ったが昔の時代の人間には薄味の方が好みなのさ。気にしないでくれ」
「私が黙ったのはそういう理由じゃない」
「えっ?」
我慢していた涙がぽつんと落ちて、慧音は再びこちらを強く見つめた。
そして、私は、私自身もすっかり忘れていたそんな過去を、慧音が覚えていたことに、ただ黙ることしかできなかった。
「今でも薄味がお似合いな人生だと思っているか? 私は無力だったか、妹紅。私は少しでもおまえの苦しみを取り除けたか?」
慧音の涙は止まることなく流れてる。
同時に慧音が怒っていたのは、慧音自身に対してであったことに気付いた。そして、あのとき、慧音が黙った理由もよく分かった。
「お願いだから妹紅、もっと幸せでいてほしい。自分を追い詰めないでほしい。東風谷さんと仲良くなったときは本当に嬉しかったんだ」
慧音は続ける。
「おまえがどうしようもない寂しさに震えてるとき、私は何もできない……おまえが自分の身体も心も労われないとき、私は何もっ……!」
私はずっと、ずっと、一人だと思ってた。
いくら周りが優しくても、ずっといるわけじゃない。それが心に引っかかって……。
でも、それで自分が可哀想だなんて思うのは見当違いだよな……本当につらいのは、心を開いてくれないと悩む周りだった。こんなに涙を流している慧音だった。
「慧音……」
「……なんだ妹紅」
「私は輝夜に、あいつに復讐しないといけない。それは私が今まで生きてきた理由だったからだ」
「っ、妹紅」
「だからあいつと戦うときだけは、自分の身体を労われないことを許してほしい。でも、他のことで自分を蔑ろにすることはもうやめるよ」
いつのまにか私も涙が止まらなかった。
しょっぱかった。
「今まで生きてきた理由は復讐だったけど、私は今も生きてるしこれからも生きてゆく。だから、これから生きてく理由は違う」
涙を手で拭いて、どうしても伝えたかったことを大声で言った。
「私はこの幻想郷が大好きだ。そして、私を大切にしてくれる人がいる。もう私の人生は、復讐だけじゃない。慧音や早苗、みんなの笑顔のために、生きるよ」
たとえいつか離れ離れになっても、良い思い出として振り返られるように……。懸命に頑張ってみるよ。
「なあ慧音」
私がそう微笑むと、慧音は泣きながら私を抱きしめた。私も泣きながら強く抱きしめた。二人とも大声で泣いて、でも何か分かり合えた気がした。
「起きろっ、妹紅。朝だぞ!」
「もうちょっと寝かせてくれ……」
「身体への甘えは心への甘えになる。生活習慣が乱れれば、心も乱れてしまう。いつも言ってるだろ」
「……すまん、やっぱりねむい」
「ダメだ」
妹紅は寝ぼけながら、慧音が作った朝食を食べる。
「美味い」
「それはなにより」
この薄味の味付けが私は大好きだ。
「じゃあ行ってくる」
「今日はどうするんだ?」
「今日は人里に行ってくるよ。謝りたい人がいるんだ」
「そうか……気をつけていってらっしゃい」
「いってきます」
約束はしていないが、昨日の待ち合わせ場所と同じ場所で早苗は待っていた。
「早苗」
「妹紅さん……!」
「昨日のことなんだが、その」
すると早苗が早歩きで一気に近付いてきた。あまりの気迫に妹紅も思わず後退りする。
パチーーーンッ。
ビンタされた。
「へっ?」
パチーーン。
そのあと早苗は自分で自分の頬にビンタした。
「あはは、ビンタ痛いですね」
「今のビンタは……?」
「昨日は私も失礼なことを言いました。だから己に一発です」
よく見ると涙目だった。
「でも、妹紅さんも急に走っていなくなったら心配になるじゃないですか……っ! 私を心配させた分でビンタ一発です!! 同じビンタ、これでお互い様です!!」
「でも早苗の方がビンタ弱かったような……」
「防衛本能なので仕方ありません」
早苗はそれ以上は私のことを何も聞かなかった。でも、気まずいからとかではなくて、単純にもうビンタをしてそれは解決したことであって、そんなことより今を楽しみたいという風に見えた。
「今日はおすすめの和菓子屋さんがあるんです。一緒に行きましょう!」
「あ、その前に、ぽてとちっぷす屋さんに寄ってもいいか? 慧音にお土産を持って行きたくて」
店主さんに頼んで、薄味のぽてとちっぷすを二袋用意してもらった。
「じゃあレッツゴーですよ、妹紅さん!」
早苗は嬉しそうだった。私も嬉しそうだったと思う。
「ズッ友ね……悪くないな」
「え、今なんか言いました?」
「別になにも」
「いや絶対言いましたよね!? もう一回言ってくださいよーー!」
「断る」
しばらく話したあと、早苗とは別れて帰り道。トボトボと歩く霧雨とすれ違った。
「ああ、妹紅か」
「どうしたんだ、ボロボロだけど……」
「もう少し修行が必要かもな、っていう話さ。詳しくは聞かないでくれ」
霧雨もあいつと同じ、悔しい目をしていた。絶対に次は負けないっていう目。これはもしかして……。
「あっ、妹紅!」
嬉しそうに手を振るチルノが道の先にいた。
「その様子……勝ったんだな」
「うん!!」
「良かった、良かった」
「妹紅が教えてくれたからだよ!」
「それは違うな、チルノ。私は戦法を変えることは教えたが、その変えた戦法を考えたのはチルノだ。だからチルノ自身の成果だよ」
「本当!? やったーーー!」
「そうだ。勝利祝いにぽてとちっぷすがあるんだ、食べるか?」
「食べる!」
慧音用はとっておいて、一袋を開けた。
「あれ? 前食べたのより味が薄い?」
「それはお願いして薄味にしてもらったんだよ」
「えーーなんで!? 味が濃い方が美味いじゃん!」
「まあそうかもしれないけど」
パクッ、からのサクッ。
うん、塩が香ばしくて濃い味付けじゃないのが悪くない。
「だってこっちの方が体に良いだろ?」
「妹紅、変なのっ」
ニコッと笑ってパクッ、サクッと。
やっぱり薄味に限る!
おわり
「あまり食べすぎると良くないらしい……しかし、人里の子供も食べるものだ、一応私が確認しておかなければ」
真面目だなぁ、と思ったが、慧音の表情を見て、食べたいだけじゃないの? なんて思った。
「そうだ、致し方なく食べるのだぞ? 決して食べたくて食べるわけでは」
「いいから早く食べなよ」
慧音はもぐっと食べる。
「うん。美味しいな」
満足そうな顔。私も少し気になる。
「どれ、私も貰おうかな」
「食べるのか? 一枚やるぞ」
「……一枚だけ?」
「ふふ、冗談だよ。でも食べすぎは良くないからな?」
「はいはい」
パクッ、からのサクッ。
うん、塩が香ばしくて濃い味付けじゃないのが悪くない。
「これは流行るだろうなぁ。でもこんな美味しいもの、本当に外の世界で廃れたのか?」
「ん? どういうことだ、妹紅?」
「ほら。幻想入りしたってことじゃないの?」
「それが違うんだ。なんと、外の食文化の噂を聞いた一人の人間が、商売として開発し売り始めたんだよ」
「へえ、そりゃあすごい」
「食文化は常に外の世界に劣ってしまうのか……なんて、悔しくて野心を燃やしてる人間がいたって不思議じゃないさ」
「もう一枚いただくぞ」
「おい! 食べすぎだ!」
結局三分の二くらい食べてしまったが、慧音は怒ってるというより泣きそうになっていた。やっぱり食べたいだけなんじゃないか?
「ふぅ、この時間だけは一人のものだ」
タバコをふかし屋根の上、夜空を見上げる。
とっくに慧音が眠った頃。藤原妹紅はぼっーと一日を振り返っていた。
「今日もまた、決して悪い一日じゃなかった。相変わらず慧音は優しくしてくれるし、幻想郷のやつらは喧嘩っ早くて性に合う」
毎日が苦しかったあの日々から、早どれくらい経ったであろう。それぐらいに過去のことであった。しかし、だからといって忘れることはない。あの憎しみも、あの悲しみも、まだ心の中では燻っていた。
「今日もまた、決して悪い一日じゃなかったんだ……でも、どこか、なぜか、満たされない。結局私はこの場所に、一生いれるわけじゃない。そういうことなんだろうな」
ぽつりと。
「なあ慧音」
屋根の上から声をかけたが、相手は寝てるしそもそも小声。分かってる、そもそも伝える気などないのだから。
だけど上白沢慧音がこっそり涙を流していたのを、妹紅は知らない。
「起きろっ、妹紅。朝だぞ!」
「もうちょっと寝かせてくれ……」
「身体への甘えは心への甘えになる。生活習慣が乱れれば、心も乱れてしまう」
「……すまん、ねむい」
「ダメだ」
妹紅は寝ぼけながら、慧音が作った朝食を食べる。
「美味い」
「それはなにより」
美味しいが、慧音の作る料理はいつも薄味だ。それは慧音が質素な生活を好むのもあるし、何より健康志向だからである。
不老不死に健康だなんてバカらしいのだが、作ってもらっている以上薄味だろうと文句は言えない。
「じゃあ行ってくる」
「今日も竹林か?」
「いや、今日は人里に行ってくるよ」
「おお、そうか、ならせっかくだから後で寺小屋に来て喋らないか」
「うーん、考えとく」
「あはは、相変わらず妹紅はつれないな」
慧音は私の冷たい態度にも慣れてるように笑ったが、少し申し訳なくもこれが私なんだ、と玄関から家を出た。
「今日も快晴だ」
この幻想郷は天気がいい日が多い、なんだかそれだけで嫌な気分が減るのであった。
「でもまあ、弾幕の雨は降るわな」
頭上では霧雨と氷の妖精が弾幕バトルをしていたようだった。巻き込まれないように退散、退散。少し早歩き。
「あっ、妹紅さんじゃないですか!」
「あんたは」
「覚えてますよね? 東風谷早苗、東風谷早苗ですよ!」
妖怪の山にある神社の巫女さんだったか……随分前に宴会で会った記憶がある。
「お久しぶりですね!」
「そうだな、と言っても前に会ったときもそこまで喋ったわけじゃないが」
「もー、冷たいじゃないですか。ほら、来てください、今団子を食べてるんです」
どうやら団子屋の椅子に座って団子を食べてた最中に私を見つけて、慌てて走ってきたらしい。
「良ければおひとつどうですか?」
「あ、いや、悪いよ」
「悪いなんて、気にしないでください! だって妹紅さんと私はズッ友ですよ! ズッ友!!」
「ズッ友?」
「ずっと友達ということです!」
「そんなに深い関係でしたっけ……?」
素直に疑問だった。
「なっ、失礼ですねあなた」
「……傷つけたなら申し訳ない」
「だって聞いたんですがあなたって不老不死なんですよね?」
「まあ一応」
「なら嫌でも一生の付き合いじゃないですか。この幻想郷は狭いんですから」
「うーん、そんなものかな」
「だからズッ友なんですよ、妹紅さん!!」
一気に顔を近付かせてくる。
あまりの気迫に妹紅も強く物を言えない。
「ほら、どうぞ、口を開けてください」
しかも顔を離したと思ったら、今度はまさかの団子を一本こちらに近付けてくる。どうやら食べさせたいらしい。
「なっ、恥ずかしいよ」
「ズッ友らしいことがしたいので!」
「いや距離は少しずつ近付けるものだし」
「じゃあいいです」
「意外と諦めがいいな」
あっさりと団子を食べさせることを諦め、もぐもぐと美味しそうにその一本は巫女さんが食べた。
「いやですね、私もやってるうちになんか違うなと思いまして」
「はあ」
「ついテンションが上がってしまいましたが、冷静に考えて友達でもあーんは抵抗ありすぎです。ごめんなさい」
意外とまともらしい。
恥ずかしそうに笑っていた。もしかしてこの子は幻想郷に染まろうにも染まりきれない、本当は真面目な女の子なのかもしれない。その一瞬の仕草でも、彼女の素が垣間見えた気がした。
「ですがここのお店の団子、本当に美味しいんですよ。どうしても食べてほしいんですが、遠慮しそうだったのでつい強硬手段に……」
人間、自分の好きなものは共有したいものだ。そして、興味を持ちもっと知りたいと思った相手の好きなものは、やっぱり共有したいものだ。
「分かった、一個貰おうかな」
そう言うと分かりやすく満面の笑顔を見せた。この東風谷早苗という巫女さんは、かなり正直な人間らしい。
「どうですか、感想は!?」
興味津々に目を輝かせている。
もぐもぐと団子を食べる。
「これは美味しいな」
「でしょ!? これは本当におすすめなんです!」
たまには違った行動をしてみるものだ。
今までなんとなくで選ばなかった選択肢から、思わぬ発見をすることがある。
「ありがとう。良いものを食べさせてもらった。一本の値段はいくらだ?」
和菓子はもともと好きなのだが、そもそも、人の多い人里にはあまり近づかなかった節がある。しかし、やはりここには美味いものが多い。
「いいですよ、奢りです!」
「自分の食べた分くらい払うさ」
昨日、慧音のぽてとちっぷすを半分以上食べたことは棚に上げていた。
「だけど私、あなたと友達になりたくて……」
少し涙目のように見えた。
なんだ、この子、てっきりちょっかいをかけに来たのかと思ったが、最初から私と友達になりたくて近付いてきたのか。
外から来たんだっけな、不器用なやつだ……でも、憎たらしいやつはいつも綺麗に心を隠す、だから正直なやつは嫌いじゃない。
「巫女さん」
「うぅ、早苗って呼んでください」
「早苗さん、私が思うに」
「早苗って呼んでください」
どうやら頑なに呼び捨てで呼んでもらいたいらしい。
「早苗、私が思うに友達っていうのはそういうものじゃないと思うんだ」
「どういうことです?」
「神は人を救い、そして敬われる。しかし、人と人との友情は、そうじゃない。恩を売ることだけが友情を深める術じゃないのさ。私は変に気を遣ってくれない方がいい」
「で、でも」
「こんな絶品を教えてくれただけでお駄賃だ。今度は私の好きな景色なんか教えてやるよ」
らしくもなくニコッと笑ってしまった。
すると拗ねてしまったのか、早苗は顔を逸らしてしまった。
「じゃあいいです。それで。ですが、お返しならそれだけじゃなくて」
「うん?」
「これからも友達として会ってください」
「……お安い御用だ」
しばらく話したのち、今日は早苗と別れて寺小屋へと向かった。ちなみに、団子は気に入って二つも持ち帰りで買ってしまった。
「おおっ、妹紅、来てくれたんだな」
「そりゃあまあ。今授業とか大丈夫か?」
「この時間は昼休みだから問題ない」
「そうか、なら良かった」
子供がたくさん廊下を走る。
慧音は走るな、と優しめに怒った。その風景を見ては、これは遥か昔の時代から、変わらぬものだなと思った。私も元気に走り回っては怒られたものだ。
「あそこの団子屋、慧音は食べたことある?」
「ああ、よく食べてるよ」
「よく食べてるの?」
はて、私の認識の中では、慧音はお菓子なんてそんなに食べてる記憶はないのだが。
「あっ」
慧音も顔を赤らめているのを見るに、隠し通したかったことだったらしい。
「す、すまない、家では質素な食事ばかりなのに、一人だけお菓子を食べていたなんて」
なにか的外れな責任を感じてるようだ。
「別に怒ってなんかないよ、ただ意外だなと思って。ぽてとちっぷすのときもそうだけど、お菓子好きなんだね」
「まあ、嫌いではない」
「なんでそこで強がるんだよ」
同時に寂しさも少しあった。
やっぱり一緒にしばらく暮らしていても、知らない一面はあるんだな、と。
「それで急になぜ団子屋の話を?」
「さっき妖怪の山の巫女さん……早苗に会ってな」
「ああ、東風谷さんか」
「絶品な団子を教えてもらったんだよ。今度お礼しなくちゃな」
「ふふ、そうか、そうか」
「なんでニヤニヤしてるんだよ」
「いや、なんでもないんだ、なんでも」
慧音は私を見て微笑んでいた。
きっと、人と関わる私が新鮮だったのだろう。
「この後はどうする? 私が授業を終えるまで人里をぶらぶらでもしているか?」
「いや、今日はもう帰るよ」
「そうか。夕食はどんなものがいい?」
「今日は私の家に帰るよ」
「……そうか」
慧音と私は二人同居しているように見えるが、実は私は迷いの竹林に家を持っている。にもかかわらず最近は慧音の優しさについ甘えてしまい、居候させてもらっていたのだ。
「たびたび慧音の家から竹林へ向かって巡回していたが、やはり私のいない間に迷ってる人がいたら大変だし、案内人としては竹林に住むことが一番いい。それに最近は慧音にお世話になりすぎた」
「いや私は別に困ってなど」
「また来るよ、慧音」
慧音は優しい人だ。獣人であるのもあって、人の気持ちも人ならざるものの気持ちも分かってくれる。私なんて、人じゃない寄りの存在だから、よく救われた。
でも、結局何億年後には一人なんだ。
「今度居候するときも、あのぽてとちっぷすってやつを用意しておいてくれないか、気に入ったんだ」
「……そうか。分かった。寂しくなるな、また近いうちに会いに来てくれると嬉しいよ、妹紅」
「もちろん会いには行くさ」
人里で慧音と手を振って別れた。
またしばらくは一人の日々が始まるだろう。
「っておいおい、大丈夫か?」
帰り道、道の真ん中に氷の妖精ことチルノが倒れていた。
「負けたんだ、今日も」
「あー、霧雨に?」
「そう魔理沙に」
「疲れて動けないのか?」
「いやそういうわけじゃないよ」
「じゃあ落ち込んでるのか? らしくないじゃないか、チルノ」
「うん、らしくないかも」
これは思ったよりも重症だと思った妹紅は、チルノをスルーして帰ることはできなかった。
「とりあえず起きたら? そうだ、団子が二つあるんだが、ひとつ食うか?」
「いいの?」
「味ってのは誰かと一緒に食べると良くなるもんなんだよ。かなり生きてるとそれがよく分かる」
「へぇー」
「興味なさそうだな。食べないの?」
「食べる」
すっかり空は夕焼け空。いや、少し暗くなってきて、黄昏時と言った方が近いかも。
「美味しいなぁ、団子って」
「うん、そう思う」
「なあ、チルノ」
「なに?」
もぐもぐしながらこっちを見るチルノに、なんとなく和んだ妹紅であった。
「霧雨は強いか?」
「悔しいけど、強いと思う」
「でもチルノは最強なんだろ?」
「そうなんだけど、なぜか勝てないんだ」
こんな悔しい顔をしているやつが勝てないなんて不思議だが、きっと、あの霧雨も相当悔しい顔をしてきた人間なんだろう。
「あいつは今のチルノと同じくらい、いや下手したらもっと悔しんで、努力してるかもしれない」
「努力?」
「そう。チルノは妖精だろ? 妖精ってのは今を生きる生き物だが、その悔しさは一時的なものか?」
「一時的?」
「寝て起きたら忘れちゃうか、ってことだ」
「……そんなこともあるかも」
「そうか。でも、今の悔しさは、悔しい思いをしているチルノは、少なくとも私は忘れない」
「あたいだって忘れないもん!」
「ならより良いことだ、その悔しさが武器になったりするもんだ。チルノ、勝てなかったときは、勝てるように戦法を変えるのが大事なんだ」
「勝てるように戦法を……」
「同じ手は読まれるぞ、相手の意表を突くんだ。相手の予想しない手を使うんだ」
チルノは難しそうに考えてる表情をしている。
妖精は、手を変えたりミスを認めて向上できたりするのだろうか。そもそも果たしてそれが正解なのだろうか。それは分からない。だが、霧雨なら大丈夫だろう。
あいつは強い。チルノが手を変え勝てば、霧雨も諦めず手を変えてくるはずだ。そうすればチルノは負け続けて悩むことも、勝ち続けて自分を見失うことも、ないだろう。
「ありがとう、もう少し考えてみるよ」
「うん、それがいいさ」
竹林の家に帰る。しばらく空けていたから、家の中はあまり綺麗じゃなかった。
「これは掃除が大変だなぁ」
そう呟いたときにハッとした。
「いやいや、よく考えたら前から家はこんなもんだったろう。寝れる場所さえあれば良かったわけだし」
藁布団を敷いて、横になる。
この角度だと窓から綺麗なお月様が見えた。
「タバコをふかす時間以外で一人なのは、本当に久しぶりかもしれないなぁ」
慧音と過ごした日々を振り返る。
「でもいつか、一人でいるのが当たり前になる。それで私は私のままでいれるのか?」
ふっと浮かんだのは永遠亭の連中。特に憎きあいつと永琳だ。
「喧嘩して負けるのは怖くないが、いつか日和ってあいつと仲直りするのは怖いかも」
月が見える。あんなに綺麗な月。風情として楽しむのならいいが、運悪く宿敵の故郷であった。
「でも」
寒いからか少し震えた。
「でも一人になるのはもっと怖いなぁ……」
居心地の悪い夢を見た。いや、これは遥か昔のことだ。
「君は一体何者なんだ。姿も声も変わらない、気味が悪いっ!」
違う、違うんだっ。
「なぜあなたはそんなに人に冷たいのです。分かり合おうとすれば、また変わっていたのに」
違う、私は本当はっ。
「他人に興味がないの?」
違う、興味がないわけじゃないんだっ。
私はただ……。
翌日、人里で早苗と会った。明日も会おうと約束したのであった。
「今日はどうしますか? 妹紅さん」
「うーん、別に。何も特にしたいことはないなぁ」
「なっ! それでもうら若き乙女ですか!?」
「私はこう見えてあんたよりずっーーと年上だっつうの」
「あはは、そうでしたっけ」
人里は相変わらず人に溢れてる。昨日の嫌な夢なんか飲み込まれるような勢いだ。
「ん? 人だかり?」
「行ってみましょうか」
二人で近づいてみると、そこはぽてとちっぷすのお店だった。
「ぽてとちっぷすのお店か」
「今では人里の中だけでも三、四つもポテトチップスのお店ができてるんですよ」
「そんなに人気なのか。私も一回食べたことがあるが、確かに美味しかった」
「美味しいですよね。それにしても、まさかポテトチップスが幻想郷で食べられるとは思ってませんでしたが」
「ん? そうか、たしか早苗は外の世界から」
「はい。外の世界からやってきたんです。妹紅さんもそうでしょ?」
「そりゃあまあ、そうなんだが、私は時代が違うからなぁ……ぽてとちっぷすは知らなかった」
「良ければポテトチップス、買いますか?」
「別に買ってもいいが……奢りとかは」
「大丈夫です、しません。だって友達の間に貸し借りはいらないですから」
早苗はそう言ってニコッと笑った。
「はは、その通りだ」
行列に並び、二袋のぽてとちっぷすを買った。
以前に食べたあの塩が香ばしくて濃すぎない絶妙な味わい、それを想像するだけでつい喉を鳴らしてしまった。
「あそこに座る場所があります。座って食べましょう」
「ああ、そうしよう」
しばらく歩くこともできたのに、早めに座って食べることにした。もしかして私がワクワクしていたのがバレてしまっていたり……?
「いただきます」
口に入れた瞬間、少し驚いた。
「……塩が濃いな」
「ポテトチップスなんてそんなものじゃないですか?」
「でも慧音のところで食ったぽてとちっぷすはもう少し薄味で……」
濃いのも美味しいが、やはりあの薄味がちょうど良かった気がする。
「店によって味が違うとは思いますが、私の記憶が確かならどの店舗もこのぐらいの濃さだったはずです」
「じゃあなぜ……」
するとそれを聞いていたのか、優しそうなおじいさんがこう言った。
「慧音、というのは上白沢慧音先生のことかね?」
「えっ」
「慧音先生はね、以前ぽてとちっぷすのお店で見かけたときは、薄味でお願いしますとお願いしていたんだよ」
「そっか。慧音は薄味が好きだから……」
教えてくださってありがとうございます。と頭を下げるとおじいさんは満足そうにその場を去った。
すると今度は隣の早苗が申し訳なさそうにこっちを見るではないか。
「もしかして妹紅さん、このポテトチップス、嫌でしたか……?」
「い、いやそんなことはないよ! ただ、私が以前食べたのは慧音の特注品だったことが分かって驚いていただけだから」
子供たちが食べてるもののチェックだったはずなのに、そこでも薄味を要望するなんて、慧音らしいとは思った。
「じゃあお気に召さなかった、とかじゃなくて?」
「もちろん。すごく美味しかったよ」
「それなら良かったです……!」
早苗はホッとしたように微笑んでいた。
「そうだ良ければあっちで将棋を打つための場所があるんだ。一緒に行ってみないか?」
「将棋ですか?」
「ああ」
「良いですね。でも私あんまり将棋は上手くないかもですよ?」
「大丈夫。私も上手くないから」
よし、ここで。
「王手っ!」
「って妹紅さん、将棋めちゃくちゃ強いじゃないですか!!」
「あはは、つい」
「私強くないって言ったのに!」
「でもだからって手を抜かれたら嫌だろ?」
「それはそうですけど……」
私は将棋が好きだ。
それは、考えることに集中できるからかもしれないし、相手の指し手から相手の心をより知れるからかもしれない。
「大丈夫、将棋はやればやるほど上達するから」
「まさか私を将棋の世界に招こうとしてます? やりませんよ、勝てないし難しいし!」
「でも私とズッ友なんだろう? ならこれからも何回も将棋の相手してくれないとなぁ」
「むぅ、あなたは意地悪な人ですね」
分かりやすく頬を膨らませるもんだから、つい笑ってしまった。
将棋を一緒にやろうとしていることは、彼女のことをもっと知ろうとしている、久しぶりに他人に興味を持っているということで、私はこの事実に驚いていた。
「それに全然自分のことは教えてくれないですし」
「そりゃあまあ、これからだろ」
「でも私は結構教えてます!」
「そう?」
「そうですよ!!」
「あはは、ごめんって」
「妹紅さんは心を開いてくれてないし、冷たい人ですっ」
悪気はないのだろう。
私だってそんなこと気にするかと思う。でも一瞬あの言葉が浮かんでしまった。
『なぜあなたはそんなに人に冷たいのです。分かり合おうとすれば、また変わっていたのに』
違う、あれは夢で、過去で、今じゃなくて。
目の前にいる早苗は、本気で言ったわけじゃなくて、本気で私を冷たいだなんて、でも。
ああ、心が、体が、全部が痛い、ようやく慧音以外の興味を持てる人を見つけたのに、ようやく友達を見つけたのに……胸が、痛い、苦しい。助けて、ごめんなさい、苦しい。
「はぁ、はぁ、はぁ」
「……妹紅さん?」
「違う、興味がないわけじゃない、冷たくしたいわけじゃないんだ」
「大丈夫ですか!? 汗がすごいですよ!?」
「私は、私はただ」
「い、今、水を持ってきますので……!」
「関わってもすぐいなくなるから……関わるだけ苦しくなるから……! だから」
ポロポロと涙が止まらなかった。
ただ早苗は困惑している。当たり前だ、こんな私、困るしかないだろう。ごめん、早苗。私は。
「すまない、早苗っ……」
「妹紅さん!?」
思いっきり走った。
早苗が追いかけてくる音がする。道から外れて竹林の方へ向かった。迷いの竹林に入れば、簡単には追いかけられない。もうこの涙は誰にも見られない。だから思いっきり走った。
「待ってください妹紅さん!!」
そんな早苗の声もしばらくして聞こえなくなった。
ガタガタ震える足と、脳の中を振り回す忌々しい記憶。涙だけが綺麗に流れて、一人、竹林の中でうずくまった。
家に帰る力もなく、ただ座っていた。
タバコを吸う気にもなれず、でもいつもと変わらぬ美しい星空に、少しだけ心を救われて。ただ、ぼっーとしていた。
「妹紅、何をしてるんだ」
「……慧音?」
「妹紅に会いに行こうとしたらこんな道の上でうずくまってるだなんて」
「ああ、これは、その、実は慧音に会いに行こうとして迷ってしまって……」
「迷う? 竹林を知り尽くしてるおまえがか?」
「そういうときもあるんだよ」
「そうか……だがそうだとしても、おまえが家に戻ってからまだ一日しか経ってないぞ? もう寂しくなったのか?」
慧音は冗談で言ったつもりかもしれないが、今の気持ちは本当に寂しい以外の何者でもなかった。
「そうかもしれない」
そう言った私を見て、慧音は少し考える素振りをした後こう言った。
「今日は私の家に泊まりに来い、ほら」
私の方へ手を伸ばす。
「でも誰かが泊まる準備なんてすぐできるもんじゃないだろ? 悪いよ、慧音」
「気にするな。そもそも食器も布団も、おまえが長くいたせいで二人分になっている。使わないと損なんだ」
無理矢理引っ張られて慧音の家に着いた。
「靴を脱いで手を洗ってうがいをしたら、あっちで座って待っておいてくれ。今すぐ食事を用意するから」
「で、でも」
「いいから早く部屋に入れ。風邪をひいてしまう」
「慧音、私は不老不死だから風邪には……」
「そういうのはもううんざりだ!!」
あの慧音が怒鳴った。思わず体が跳ね上がる。そのときに気付いた、慧音が怒っていることに。
「おまえが平気でも、私が平気じゃない。早く、中に入ってくれ」
素直に従って、手を洗いうがいをし、座って待っていた。慧音があんなに怒ったことなんて、今までにもパッと浮かばない。
「良かった、今さっきできたばかりなんだ」
すぐに料理が運ばれてきた。
「ほら、食べてくれ」
慧音がいつものように微笑む。でも、少しだけ、寂しそうな気がした。
「いただきます」
昼のことを思うと、胸が痛くてそんな余裕はなかった。昔のことを思い出したつらさよりも、今はただ、早苗を傷つけたであろうことが耐えられなかった。
でも、慧音の表情もまた、つらいものがあり、食べないと言う選択肢はなかった。
「……味が濃い?」
不思議だった。いつもは薄味なのに……。
「なあ、妹紅」
「なに慧音?」
「聞いてしまったんだ。ぽてとちっぷす屋さんの近くで偶然、おまえと東風谷さんが話してた内容を」
あの場に慧音もいたのか……。
「ぽてとちっぷすが薄味じゃなくて驚いてたな……すまない妹紅。薄味ばっかりで嫌だったろう」
「そ、そんなわけ!」
「私がさっき言ったこと覚えてるか?」
思わず目を逸らしそうになるくらい、慧音は私の目をまっすぐ見た。
「おまえが平気でも、私が平気じゃない。そう言ったな?」
「で、でもそれは慧音が私のことを思ってくれているからであって」
「薄味の方が健康に良いだなんて……さっき妹紅自身が言ったように、妹紅には関係がないんだ。なのに私が強要していた。私のエゴだった」
慧音は涙を流さなかったが、瞳に涙が溜まっていた。
私はそんなことない、と立ち上がった。
「違うっ、慧音! あのときもそう、私は薄味のぽてとちっぷすの方が好みだった! 決して慧音の薄味が嫌いだったわけじゃ!」
「だとしても、それは本当に好みの問題か?」
「えっ?」
「おまえはいつも、憂いていた。長く生きる、永遠に生きる運命を。私に会って最初の頃にこう言ったな」
慧音は涙が落ちないようにだろうか、それとも何かを思い出すためだろうか、上を見上げた。
「……薄味だな」
「私が薄味の方が好きなんだ。それに、体にも良いしな。もし嫌だったなら今から味を足すが……」
「いや、いい。私には薄味が合っている」
「どういうことだ?」
「私の時代の料理は薄味ばかりなんだ。それに」
「それに?」
「私は復讐のために生きている。そのために、これからも永遠に生き続けなければならい。そんな人生、何のためにある。そう思うことも数え切れない。でも私は死ねない」
「そんな心のままでこれからも生きてゆくのか……?」
「笑うか? でも私にはそれだけが狂わずに生きる術なんだ。そんな私の人生、生きてるか死んでるかすらも曖昧な、復讐のためだけの色の薄い人生。まさに薄味のようじゃないか」
「……」
「悪い。あんたの料理の薄味を悪く言ったわけじゃないんだ。それに、さっきも言ったが昔の時代の人間には薄味の方が好みなのさ。気にしないでくれ」
「私が黙ったのはそういう理由じゃない」
「えっ?」
我慢していた涙がぽつんと落ちて、慧音は再びこちらを強く見つめた。
そして、私は、私自身もすっかり忘れていたそんな過去を、慧音が覚えていたことに、ただ黙ることしかできなかった。
「今でも薄味がお似合いな人生だと思っているか? 私は無力だったか、妹紅。私は少しでもおまえの苦しみを取り除けたか?」
慧音の涙は止まることなく流れてる。
同時に慧音が怒っていたのは、慧音自身に対してであったことに気付いた。そして、あのとき、慧音が黙った理由もよく分かった。
「お願いだから妹紅、もっと幸せでいてほしい。自分を追い詰めないでほしい。東風谷さんと仲良くなったときは本当に嬉しかったんだ」
慧音は続ける。
「おまえがどうしようもない寂しさに震えてるとき、私は何もできない……おまえが自分の身体も心も労われないとき、私は何もっ……!」
私はずっと、ずっと、一人だと思ってた。
いくら周りが優しくても、ずっといるわけじゃない。それが心に引っかかって……。
でも、それで自分が可哀想だなんて思うのは見当違いだよな……本当につらいのは、心を開いてくれないと悩む周りだった。こんなに涙を流している慧音だった。
「慧音……」
「……なんだ妹紅」
「私は輝夜に、あいつに復讐しないといけない。それは私が今まで生きてきた理由だったからだ」
「っ、妹紅」
「だからあいつと戦うときだけは、自分の身体を労われないことを許してほしい。でも、他のことで自分を蔑ろにすることはもうやめるよ」
いつのまにか私も涙が止まらなかった。
しょっぱかった。
「今まで生きてきた理由は復讐だったけど、私は今も生きてるしこれからも生きてゆく。だから、これから生きてく理由は違う」
涙を手で拭いて、どうしても伝えたかったことを大声で言った。
「私はこの幻想郷が大好きだ。そして、私を大切にしてくれる人がいる。もう私の人生は、復讐だけじゃない。慧音や早苗、みんなの笑顔のために、生きるよ」
たとえいつか離れ離れになっても、良い思い出として振り返られるように……。懸命に頑張ってみるよ。
「なあ慧音」
私がそう微笑むと、慧音は泣きながら私を抱きしめた。私も泣きながら強く抱きしめた。二人とも大声で泣いて、でも何か分かり合えた気がした。
「起きろっ、妹紅。朝だぞ!」
「もうちょっと寝かせてくれ……」
「身体への甘えは心への甘えになる。生活習慣が乱れれば、心も乱れてしまう。いつも言ってるだろ」
「……すまん、やっぱりねむい」
「ダメだ」
妹紅は寝ぼけながら、慧音が作った朝食を食べる。
「美味い」
「それはなにより」
この薄味の味付けが私は大好きだ。
「じゃあ行ってくる」
「今日はどうするんだ?」
「今日は人里に行ってくるよ。謝りたい人がいるんだ」
「そうか……気をつけていってらっしゃい」
「いってきます」
約束はしていないが、昨日の待ち合わせ場所と同じ場所で早苗は待っていた。
「早苗」
「妹紅さん……!」
「昨日のことなんだが、その」
すると早苗が早歩きで一気に近付いてきた。あまりの気迫に妹紅も思わず後退りする。
パチーーーンッ。
ビンタされた。
「へっ?」
パチーーン。
そのあと早苗は自分で自分の頬にビンタした。
「あはは、ビンタ痛いですね」
「今のビンタは……?」
「昨日は私も失礼なことを言いました。だから己に一発です」
よく見ると涙目だった。
「でも、妹紅さんも急に走っていなくなったら心配になるじゃないですか……っ! 私を心配させた分でビンタ一発です!! 同じビンタ、これでお互い様です!!」
「でも早苗の方がビンタ弱かったような……」
「防衛本能なので仕方ありません」
早苗はそれ以上は私のことを何も聞かなかった。でも、気まずいからとかではなくて、単純にもうビンタをしてそれは解決したことであって、そんなことより今を楽しみたいという風に見えた。
「今日はおすすめの和菓子屋さんがあるんです。一緒に行きましょう!」
「あ、その前に、ぽてとちっぷす屋さんに寄ってもいいか? 慧音にお土産を持って行きたくて」
店主さんに頼んで、薄味のぽてとちっぷすを二袋用意してもらった。
「じゃあレッツゴーですよ、妹紅さん!」
早苗は嬉しそうだった。私も嬉しそうだったと思う。
「ズッ友ね……悪くないな」
「え、今なんか言いました?」
「別になにも」
「いや絶対言いましたよね!? もう一回言ってくださいよーー!」
「断る」
しばらく話したあと、早苗とは別れて帰り道。トボトボと歩く霧雨とすれ違った。
「ああ、妹紅か」
「どうしたんだ、ボロボロだけど……」
「もう少し修行が必要かもな、っていう話さ。詳しくは聞かないでくれ」
霧雨もあいつと同じ、悔しい目をしていた。絶対に次は負けないっていう目。これはもしかして……。
「あっ、妹紅!」
嬉しそうに手を振るチルノが道の先にいた。
「その様子……勝ったんだな」
「うん!!」
「良かった、良かった」
「妹紅が教えてくれたからだよ!」
「それは違うな、チルノ。私は戦法を変えることは教えたが、その変えた戦法を考えたのはチルノだ。だからチルノ自身の成果だよ」
「本当!? やったーーー!」
「そうだ。勝利祝いにぽてとちっぷすがあるんだ、食べるか?」
「食べる!」
慧音用はとっておいて、一袋を開けた。
「あれ? 前食べたのより味が薄い?」
「それはお願いして薄味にしてもらったんだよ」
「えーーなんで!? 味が濃い方が美味いじゃん!」
「まあそうかもしれないけど」
パクッ、からのサクッ。
うん、塩が香ばしくて濃い味付けじゃないのが悪くない。
「だってこっちの方が体に良いだろ?」
「妹紅、変なのっ」
ニコッと笑ってパクッ、サクッと。
やっぱり薄味に限る!
おわり