ぎっくり腰とサツマイモ

大学というものは、義務教育と高校教育で学んだ知識を前提に、より広く柔軟な思考を育む教育施設兼研究機関だ。つまり、大学に通う学生はそれ相応の勉学に励むことを求められる。
しかし現実の大学生は、あまり勉強をしたがらない。
『最低限の卒業要件を満たすべく、単位を取得する。』
大学に通う学生のほとんどは、これを意識しながらキャンパスライフを過ごすことになる。
これは私、心理学科に在籍するマエリベリー・ハーンも同じだ。出来るだけ楽な講義を受講し、単位をとる。大学生として至極一般的な思考に沿った結果、私はいま郊外の畑でカブの種を植えている。『セラピー体験』という講義の単位を取得するために。

『セラピー体験』は、夏季集中講義のひとつだ。といっても、多くの講義が夏季休暇の初めに開講されるのに対して、この『セラピー体験』はその終わりごろ、10月の初めに開講される。これは講義を担当する畑中教授が発した、「うまい野菜を食べさせたい」という一言で決定したらしい。
カブの種を植えた後に、予め植えられていたサツマイモを収穫。その場で焼き芋にして頂いたら今日はおしまい。後日、レポートという名の感想文を提出すれば単位がもらえる。美味しくて楽単、取らないわけがない。

そういうわけで、今はカブの種をまいている。予め耕された畑の畝に、1cmほどの間隔を空けながら、1粒1粒埋めていく。人差し指を、第2関節くらいまで土に突っ込んで、出来た穴に種を落としていく。この穴が深すぎると上手く発芽せず、かといって浅すぎると腐ってしまうらしい。周りの学生は早々に根を上げていたが、私は苦に感じなかった。意外にも単純作業が得意らしい。
気が付くと手元にあったカブの種は全て埋めきっていた。種たちの入る穴を土で塞ぎながら、「はやく焼き芋食べたいわ～」と駄弁る派手な1年生に、心のなかで同意する。

さて、あれから1時間ほど経っただろうか。サツマイモの収穫を終えた私は、カブの種をまいた畑とは別の畑で、掘り出されたサツマイモとツルを前にして尻餅をついていた。
サツマイモのツルと根っ子は畑いっぱいにどこまでも繋がっていて、隣にいた陰のあるショートカットの1年生と困惑しながら目を合わせて。それでも、教授から手渡された軍手を装備すれば、根っ子を頼りにサツマイモにたどり着くのは簡単だった。でも、ようやく見つけたサツマイモは予想外の大きさで。ショートカットの1年生と、蔓延るツルを『大きなカブ』のように引っ張ったその瞬間に、悲劇が起きた。
腰を落として腕に力を込めたその時、私の腰に経験したことのない奇妙な感覚が走る。
「ゴギリ」とも「プチプチッ」とも表せる、繊維と繊維が無理やり引きちぎられたような感覚。
劣化した輪ゴムがはち切れるような感覚。
サツマイモのツルが、引かれて千切れるような、そんな感覚。
遅れて、痛み。
肺から絞り出された空気が、言葉を乗せることなく荒い呼吸ともに吐き出される。言葉なき声が、うめき声となって1年生の耳に届く。サツマイモが宙を舞う。
「マエリベリーさん！！」
驚きと喜びが混ざったその声は、ざわめく畑を切り裂くように駆け回った。サツマイモに苦戦している学生達がこちらを振り向いて、外れの根っ子を手に心底残念そうな顔をした畑中教授の視線が私の視線とかち合って。

そして、いまに至る。ふかふかの土に着く右手の横には、私の腰に魔女の一撃を食らわせた元凶である、30cm超えの大物サツマイモが。その真逆、左手のすぐ側には心配そうに私を見守る1年生のスニーカーが。
サツマイモを見て、1年生の顔をみて。
「ごめんなさいね、驚かせちゃって。私は大丈夫だから、絹田さんはこの芋を焼いて来るといいわ。」
腰を痛めてもう40分。ずっと付き添ってくれていた彼女を見送って、レポートのタイトル案を思い浮かべる。
『セラピー講義 レポート』か、『ギックリ腰とサツマイモ』。
後者の方が、語呂がいいなぁ。

最後にぎっくり腰になってから一年が経過したので投稿です。でも、書いたのは今年の春です。
履修登録の際に「農業体験」という講義を見つけたので、そこから着想を得ました。