Coolier - 新生・東方創想話

ルーミアと哲学的な蟹

2021/10/12 18:34:18
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 ルーミアが森のほうに視線を向けたのは、木が倒れる大きな音がしたからだった。
 妖精の喧嘩か、妖怪の諍い事か―どちらであろうがルーミアにはどうでもよかったのだが、少し興味がわいたので見に行くことにした。
 森の中に入ると、終わりかけの夏の暑い日射しを葉が遮ってくれて、歩くのにちょうどいいくらいの涼しさになっていた。蝉の声が風に染みこんでしまいそうな、ひどくうるさいなかで、ルーミアは倒木を見つけた。さてはこれが音の原因だな、と思った。
 しゃがみこんで断面を見ると、それはなんだか不思議なものだった。剪定鋏で何度も切ったような傷跡だった。どう見ても、誰かに意図して切られている。
 ルーミアはあたりを見渡してみた。まばらな光がそこら中に散らばって、森のなかを明るく照らしている。近くに、これをやったものがいないかと考えたのだ。
 果たして、それは居た。しかし、ルーミアは俄にそれを受け入れることが出来なかった。大きな―あくまで、“それ“の平均なものと比べてだが―カニが、その鋏で、一本の木を切りつけていた。紫混じりの紅色をした背甲がゆっくりと上下する。カニはこちらに気づいていないようだった。
 ルーミアはあえて何もしようとはしなかった。ただじっと見つめることにした。
 カニは、急いでいるふうではなく―むしろ穏やかに、カリカリ、カリカリと、樹皮を削っている。とはいえ手慰みにやっているようでもなく、あくまで穏やかに必死になっているように見えた。
 しかし、こうして木を切り倒すには、どれ程の時間がかかるのだろうかールーミアはぼんやりと考えた。この速さでは、およそカニの一生のうちに終えれるということはないだろう。まさか代々受け継いできたということもあるまい―そこまで考えたところで、くしゃみが出た。
 カニはたくさんの足を動かして振り返った。その小さい黒い目がルーミアをとらえる。
「は、初めまして」
 ルーミアはとりあえずの挨拶をしたあと、さも当然のように人の言葉を使った自分に驚いた。カニに挨拶して、なんになろうか―しかし、ルーミアはさらに驚いた。
「あぁ初めまして。といっても、今までに何度か見たことがあるが」
 カニは平然と人の言葉を吐いたのだ。
「あぁ、そうなんだ」
 しかし、その驚きも一瞬だった。むしろ、木を切り倒さんとするカニなのだから、このくらい特異なほうが“らしい”と思った。カニはすぐに木に向き直り、また樹皮を削り始める。
「貴方はさ、どうしてそんなことしてるの」
 言葉が通じるとわかったので、ルーミアはカニに語り掛けることにした。カニは鋏をとめず、背甲を向けたまま答えた。
「私が生まれたのはずっと前だが、まだ死ぬ気配はない」
 ルーミアは首を傾げた。カニは続ける。
「長くこの森で過ごし―ある日、私は生きる意味を考えだした」
 まわりくどい答え方だな、とルーミアは思った。
「それから、生きることの無為を確認するためにこうして続けている」
「つまり禅問答ってことね」
 似たようなものだ、とカニが返す。
 それからしばらくルーミアはカニを見ていたが、何の変化もないことに飽き飽きしたのか、何処かへと去っていった。カニは去っていくルーミアに気づいていたが、とくに何も言わなかった。



 次の日もルーミアは森を訪れた。もちろん、カニに逢うためだった。
 昨日の木のところまで行ってもカニの姿が見えなかったので、おや、と思ったが、近くの木のうろからひょっこりと現れた。ルーミアはすこしほっとした。猿かなにかに食べられていやしないかと、心配していたのだ。大概のものに無関心な彼女としては珍しいことだった。あぁ、とカニはやる気のない挨拶をした。
「とくに何かしてやれるでもないが」
「いいよ。期待してない」
 カニは昨日と同じ木に向かっているようだった。ルーミアもついて行った。
 夏になったばかりだというのに、自然と汗がしたたり落ちるほどの暑さだ。昨夜に降った雨が湿気になって漂い、より不快感を増していた。一方のカニは暑さなど感じていないかのように進み続ける。
「暑くないの?」
「いつかの夏のほうが暑かった」
 軽口を叩きながらカニは進み、昨日の木についた。どの木も同じに見えるが、近くに倒れた木があるのと、根元にある傷口で判別できるのだ。木に近寄るやいなや、カニは傷口に鋏を押し当てて、カリカリと削り始めた。
 ルーミアは倒木に腰をおろして、昨日と同じようにカニを観察し始めた。身体をゆらゆらとゆらめかせ、少しずつ削っている。相変わらず、ルーミアの目ではまったく変化をとらえることはできなかった。本当に削れていってるのかもわからない。
「へんなカニ」
 ぽつりとルーミアは呟いた。
「へんか」
 ルーミアはカニに向けて言ったわけではなかったのだが、聴こえていたようだった。作業の手を止めてルーミアに向きなおる。
「へんでしょ」
「どのあたりが」
「喋ったり木を切ろうとしたりしてるとこ」
 ほう、と唸り、カニは黒目を動かす。
「では、普通のカニとはどんなものだ」
「そりゃ、水辺に住んで、砂を掘じってる」
「ほう」
 カニはまた一つ唸った。
「しかし、カニはもともと森に住み、言葉を話すものだったかもしれんぞ」
「まさか」
「なぜ言い切れる」
 ルーミアはすこしだけ頭を使った。
「この世にイレギュラーなどない。総てあるべくしてある」
 しかし何か言うまえに、カニが結論を言った。
 ルーミアはカニと真面目に議論するつもりはなかったので、それで納得したふりをした。考えるのが面倒くさかったのだ。
 カニは自分の仕事にもどる。ルーミアはひとつ背伸びをして、倒木に寝転がった。脱力して四肢をだらしなくぶら下げる。ときどき葉が揺れて、葉の隙間から射し込んだ光がルーミアの目を襲った。たまらず顔を横に向けると、カニの背甲が映った。一定のリズムを刻みながら揺れている。
 それをじっと見つめていると、ルーミアはたまらなく眠たくなった。垂らしていた手をまくらにして、カニの木を削る音を聴きながらルーミアは眠った。カニは耳聡くルーミアの寝息を聞きつけ、そちらを見た。眠っているルーミアをしばらく見つめて、また作業に戻った。
 数時間後にルーミアが目を覚ましたとき、カニはいなくなっていた。随分早く切り上げたな、と思った。見上げると空は赤くなり始めていた。昨日は晩ごはんを食べなかったなぁ、などと考えながら、目指すところもなく飛び始めた。



 その次の日もルーミアは森に向かった。他に行くところが思いつかなかったからだ。
この日は右手にバスケットを持っていた。誰にもらったのかは覚えていない。ルーミアにとってそれは重要ではない。昨日寝ていた倒木まで行くと、すでにカニは作業を始めていた。
「おはよう」
「お早う」
 カニは振り返りもせず挨拶をした。
 大きな雲が空を覆っていた。照らされることがあんまり好きではないルーミアは、それがすこし嬉しかった。倒木に腰掛けて、バスケットを横に置く。その中身が食べ物であることをかすかに覚えていたので、お腹が空いたら食べようと思った。
「カニは雨が好き?」
「好きだ」
 端的に答えるカニだが、そこから会話が続かない。カニは話好きだと踏んでいたルーミアも、すこし面食らった。カニも冷淡すぎると思ったのか、言葉を続けた。
「今は曇っているが、そのうち降るだろう。傘は持ってきたか?」
「まさか」
 ルーミアは傘を持っていない。降ってきたらどこかに避難するだけだ―それすらしないときもあるが。ルーミアには濡れるかどうかなどどうでもいいのである。ルーミアが空を見ると、雲はより黒みを増したようだった。すぐにでも雨が降りそうな天気だ。
 それにも構わず、お腹が空いたルーミアはバスケットを手に取った。開けると、冷えた空気に混じって、何種類かのいい匂いが漂う。そこでルーミアはバスケットはアリスからもらったものだと思い出した。同時に、出来るだけ早く食べてねとか、食べ終わったら返してほしいなどと言われていたことも思い出す。
 ルーミアはまず中身を確認した。二つのサンドイッチが入っていた。一つは厚いベーコンとオニオンスライス、そして炒めたブロッコリーを挟んだサンドイッチ。もう一つは鮭のフライと玉ねぎの甘酢和えが挟まれている。
 最初にベーコンのほうを手に取った。黒胡椒とにんにくの匂いがする。かじりつくと、しっとりとしたベーコンと、シャキリとしたオニオンスライス、歯ごたえの残ったブロッコリーの食感が楽しい。ブロッコリーに絡んだ黒胡椒とにんにくが、よりルーミアの食欲を増した。
 健啖に食べ進めていき、あっという間にサンドイッチは消えた。ルーミアはふぅと息をつき、すぐにもう一つのサンドイッチを手に取る。それはザクッという小気味よい音で彼女を迎え入れた。噛むたびに甘酢和えの酸味がひろがっていき、しつこい油と脂を中和する。指に付いた酢まで舐め取り、ルーミアは食事を終えた。
 食後の一休みをしようと、ルーミアはより深く座りなおした。前のめりに腰を曲げて頬杖をつく。ふとカニが目に映った。そういえば、カニはどんなご飯を食べるのだろう―ルーミアはそんなことを思った。
「カニは好きな食べ物ってある?」
「特にない」
 そもそも何も食べないからな、と後から付け足した。
このカニは何も食べなくていいのか―ルーミアはとくに驚かなかった。もはやカニがどんな存在であろうと、ルーミアにとっては不思議ではなかった。しかし、何も食べないとは可哀想だな、と思わずにはいられなかった。
 それからすぐに、カニが言っていた通り雨が降り始めた。雨が好きだというカニは作業を止めることはなかったが、ルーミアはのっそりと立ち上がり、近くの木陰に避難した。時々かかる雨がシャツを濡らして、ルーミアの肢体を浮かび上がらせた。
 それから日が暮れるまで、雨が止むことはなかった。カニが今日の分の作業を終え、どこかへ―おそらくあの木のうろだろう―帰ったあとになって、ようやく止んだ。ルーミアは軽く身を震わせてから飛び始めた。
 出迎えたアリスはまず驚いた。びしょ濡れのルーミアが訪れたからだった。バスケットを届けに来たと言う彼女を風呂場に押し込め、すぐに晩ごはんの用意を始めた。
「アリス―、バスタオルがないよー」
「ごめんなさい、ちょっと待っててー」
 アリスは脱衣所に着替えなどを用意してから、パスタを茹で始めた。
 ルーミアがお風呂からあがってくると、すでにテーブルには料理が並んでいた。木の子と長ネギのパスタと、水菜とキャベツとごぼう天のサラダ、コンソメスープ。さも当然のようにルーミアはテーブルにつき、アリスは料理を差し出した。
「アリスは料理に拘るね」
「そう?」
「少なくとも、私の知ってるなかでは」
 ルーミアはなんとなく思ったことを言っただけだったのだが、アリスは顎に手をあてて考え始めた。そのあいだにサラダを食べ終わる。
「だって、食べることって重要じゃない」
 巻き取ったパスタを食べているときに、アリスが言った。
「なら、美味しいものを食べたほうがいい」
「間違いないね」
 心からの同意を示して、ルーミアはコンソメスープを飲みほした。
 服が乾くまではアリスの家に居ることになった。いい機会だから服でも作ってあげようかとアリスは言ったが、ルーミアはとくに興味はなかった。じゃあそのカーディガンをあげようかと言われて、ルーミアはいま着ているものを見返した。太ももまで覆う、くすんだ薄ピンクのカーディガン。素肌に感じる柔らかいふわふわとした感触を、ルーミアはひそかに気に入っていた。
「くれるんなら、貰う」
 アリスは嬉しそうに笑った。なんとなく恥ずかしくなったルーミアはソファで横になった。



 ふと気がつくと、ルーミアはベッドで寝かされていた。いつの間に眠ってしまったルーミアをアリスが運んだのだ。アロマキャンドルまで焚かれていたので、さすがにもてなしすぎじゃないかとルーミアは思った。後からそう言ったら、昔なんとなく作って使わないままだったからちょうどよかった、と答えた。洗濯物はとうに乾いていた。
 ルーミアは何回かお礼を言って、アリスの家を出た。夜も更けていて肌寒く感じたので、カーディガンは着たままだ。
 暗いピンクがそれより暗い夜の中ではためく。もとより夜に行動することが多いルーミアだったが、さっきまで寝ていたこともあっていつもより活発に飛んでいた。
 どこまで飛んでいこうかと考えているときに―見下げた先に赤い光があることに気がついた。向かってみると、それはミスティアの屋台だった。
「おールーミア。こんばんは」
「こんばんは」
 こんな夜までやっているのかと訊くと、その方がよく客が来ると言った。
「ちょうどアンタみたいにね」
 まったくもってその通りだと思った。
 今日のおすすめはなにかと訊くと、ミスティアはしたり顔で一本の串を差し出した。
 それは豚バラと鷹の爪を交互に刺したもので、ルーミアですらすこし躊躇するものだった。おそるおそる齧ってみると、おや、そこまで辛くないな、と感じた。脂の甘さが強いので、鷹の爪の辛さも抑えられるのだ。しかし食べ終わったあとに、じわじわと辛さがひろがってきた。
「あう。ミスティア、水ちょうだい」
 差し出されたコップを一息にあおると、強烈な匂いが襲ってきた。思わずルーミアはむせてしまう。
「ゲホ、これ、焼酎じゃん」
 ミスティアはにやけ顔を崩さない。ルーミアの咳が収まるのを待って、今度こそ水を差し出した。匂いを嗅いで、確かに水であることを確認してから乾す。
「何よ、こんなイタズラして」
「ルーミア最近いいことあったでしょ」
「あ?」
 脈絡もなくそんなことを言われ、ルーミアは少し呆れる。
「まぁ、ちょっと前にアリスのとこで晩ごはん貰ったけど」
「それだけ?」
 妙に勘繰るミスティアに、ルーミアは眉をしかめた。
「なによ」
「いや、何となくいい人みつけたみたいに見えたから」
 ルーミアは首を傾げざるをえなかった。そんなことを言われる心当たりがなかったからだ。近々で会ったのも先程のアリスくらいだ。
そこで不意に、ルーミアはカニのことを思い出した。あのカニと出会ってから何かが変わったというのだろうか。考えてみたが特にそんな節もなかった。
 ミスティアが露骨に残念がっているのを見て、そんなに色恋沙汰が好きなやつだったっけ、とルーミアは思った。もとより興味などなかったので、今までたまたま見逃していただけなのだろう。
 そこまでいっぱい食べる気にもならなかったので、一本で終わらせて勘定した。焼酎に関してはミスティアの奢りらしかった。
 口の周りの脂を舐め取りながら、ルーミアはカニについて考えてみた。
 食べ物をあげたら食べるのだろうか?
 夜が明けて、カニが活動を始めたらあげてみようと思った。それまではどこかで寝ることにした。



 カニがいつものように木まで行くと、倒木に座ったまま眠るルーミアの姿があった。カニはすこし不思議に思った。いつもは悠々と何処かへ去っていくのに、まさかここで眠ったのだろうか、と考える。
 カニはまぁ関係ないことだと割り切って、作業を開始した。それからすこしして、ルーミアは目を覚ました。作業しているカニを見て、相変わらず静かなカニだ、などと考える。
「おはよう」
「お早う」
 互いに一言で挨拶を済ませる。
 ルーミアはあくびをしながら、足元に置いておいた黒い物体を手に取る。どろ、と黒いそれがこぼれ落ちて、中から一匹の魚が出てきた。
「ねぇ、これ食べてみない」
「ん?」
 振り向いたカニに、ルーミアは魚を差し出してみせた。カニは黒目を動かして魚を観察し、鋏で丁寧に受け取る。
「どうやって食べるんだ?」
 これにはさすがにルーミアも当惑した。カニの食事方法など、ルーミアには知る由も無かった。自分で考えてくれと突き放すように答える。
 カニは持っていた魚をいったん地面に置いた。それからすこし沈黙し、両の鋏でがっしりと掴んで、複雑な形の顎を大きくひらいて魚に齧りついた。カニの初めての食事は黙々とすすんで、最後には食い散らかされた魚の残骸が残った。
「美味しかった?」
 カニは答えない。答えに窮したのか、初めての咀嚼に苦労しているのか、ルーミアには判別がつかなかった。しばらく動きを止めたあと、カニが答えた。
「私は初めて食事というものをした」
 そこで区切ってから、また押し黙る。ルーミアは続きを待った。
「だから、これが美味いのか、そうでないのかは、よくわからん」
「そう、か」
 そういうことに―なるのか。ルーミアは妙に納得した。
「じゃあ、どっか食べに行こうよ。色んなのあるからさ」
 それとなく気まずくなって、ルーミアなりに冗談を言った。半分くらいは本意だったが。
「そうするか」
 カニは呆気なく答えた。あまりに安請け合いするので、誘ったルーミアのほうがびっくりした。

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