「期限は今日までだって、まさか忘れてたわけじゃないでしょうね」
私は嗤った。すると正座したまま男は申し訳なさそうににへら、と愛想笑いをする。
「は? 何笑ってんのあんた? 貸した金の返済期限が今日までだって話してんのよ。笑って誤魔化せると思ってんの?」
私は笑顔から一転、真顔になり男の胸倉を掴み上げた。ひぃ、と男は情けない声を漏らす。私は力任せに男の体をゆすり、そして壁の方に乱暴に突き飛ばした。ボロの家屋が嫌な音を立てて揺れ、天井に積もっていた埃がぱらぱらと降りてきて部屋がかび臭くなる。この家は人里の離れにあるため、こうやって多少物音を起こしても誰も気にしない。もはや恫喝されるためにここに住んでいるのかとも思えてくる。そういった場所を住まいにしてしまうような迂闊さがあるから私のような悪人にこの男はカモにされるのだ。
「まさか利息も払えないってことはないでしょうね」
私は借用書を男の目の前ではためかせる。利息は十日で一割。利息くらいは払えるだろうが、元手まで支払えないのはリサーチ済みだ。そもそも返済能力がないのは貸した段階で分かっていた。男は肺を患っていて禄に労働も出来ない。特別な技能を持っているわけでもない。こいつが金を稼ぐ方法といったら、危険を顧みず無縁塚へ行きそこで落ちている外から流れてくる物品を拾い集めて売るか人里で物乞いするくらいだ。
なので男は一生、元手を減らせないまま私に利息を払い続ける。とても素敵なシステムだ。
「で、でも女苑さん。利息がこんなにあるとはおれは……」
「はぁ? ちゃんと書面に書いてあるでしょ。知らぬ存ぜぬじゃ通らないわよ」
私はせせ嗤う。この男は識字能力が低く、正しく内容を理解しないまま私から金を借りたのだ。無学ほど恐ろしいものはない。そういった者から順にこの世界では食い物にされていく。外ならこいつはもっと酷い目に遭っているだろうから私はまだ甘いほうだ。外は幻想郷以上に悪党がのさばっていると耳にしたことがあるし。
男は小刻みに震えながら頭を振る。唇がパクパクと動いている。『払えない、払えない』と声を出さずに言っているようだった。念仏でも唱えてるみたいで笑える。
「女苑! お金あったよー! やっぱりこいつ、へそくり隠してたわー」
部屋の奥から物音を立てながら姉の紫苑が顔を出した。文字通り床を這いつくばって探したのだろうか、体中埃まみれで小汚い。下手したら私が恫喝しているこの家主よりみすぼらしいが、姉はこの男と違ってとても能天気そうにヘラヘラしている。姉さんの右手に握られた金は私の見込み通り利息分くらいは有りそうだった。
「でかした姉さん。やっぱあるんじゃーん。とりあえず今日はこれで勘弁してあげるわ」
そう言い放つと男はしどろもどろになりながらも頭を地面に擦り付けた。いわゆる土下座である。
「ま、待ってください! そのお金がないと、明日から生きていけません。おれも子どももう何日もひもじい思いをしていて……」
「へぇ。明日から生きていけないんだったら、今日ここで私があんたを殺してやろうか」
私は土下座している男の胸倉を掴み、無理矢理立たせた。私はこぶしを握っていて、そこに霊的なエネルギーを凝縮させている。それを見て男は真っ青になっていた。
瞬間、ドンと何かが背中にぶつかった。振り返るとそこにはみすぼらしい子どもが居て私を睨みつけていた。体当たりでもしてきたらしい。この家主の子どもだろうそいつは歳の頃は十も越えていないだろうが、なるほど。私に歯向かうくらいの覇気は残っているらしく強い敵意を感じた。
「いい度胸じゃん。あんた」
言うが早い。私はその子どもの胸を軽く押して突き飛ばした。子どもに踏ん張る力はなく、そのままよろよろとしりもちをついた。
「まさか暴力でどうにかしようと思ったわけじゃないでしょうね。こう見えても私、かわいい女の子じゃなくてれっきとした神様だからあんたじゃどうしようもないわよ」
子どもは答えない。瞳には恐怖の色が見えたが、しかしそれを見せまいと強くこちらを睨み返す。これだけ活きが良ければこの子どもの方が金を稼ぐ能力はありそうだなと私は感じた。
「金は貰っていくわ。そういう契約だし。あんたの親父がどうやって金稼いでるかは知ってるでしょ? 死ぬかもしれないけど、無縁塚辺りで命がけで拾い物をすることね。一週間後にまた来るからそれまでに耳そろえて借りた金用意しときな。じゃなきゃ、一生利息だけ払い続けることになるわよ」
私は家主の男ではなく、子どもに向かってそう言った。子どもは私を睨んだまま「上等だ」と答える。私は怯え切った家主の男を放し、肩に下げていたバッグから小袋を取り出した。中身は兵糧丸の詰め合わせだ。これで一週間くらいは食いつなげるだろう。
その小袋を子どもに投げつけて、私はボロ屋をあとにした。姉さんがお金を数えながら私に続く。
「なんだかんだ言って女苑って結構甘いよねぇ」
姉さんはキラキラした目でお金をいじりながら私をそう評す。それを受けて私はばーかと返す。
「姉さんは浅いわね。完全に追い込んでも金は生まれないのよ。ああやってちょっと慈悲を与えてやるのが長く搾り取るコツなの。それに兵糧丸だって、その辺の忍者から無理矢理カツアゲしたやつだからタダみたいなもんだし」
「ああ言えばこう言うねぇ。まあ、私はお金さえもらえればなんでもいいけどさー」
知ったような口を姉さんは利く。私は特に反論しない。そう思いたければ勝手に思っていればいいのだ。依神女苑は甘い女だって。誰になんと思われようと関係ない。自分が自分をどういうヤツなのかちゃんと把握していれば。
「ねえねえ。このお金で焼き肉でも食べようよ。一仕事してお腹減ったわー」
「姉さんは床を這いずってただけじゃん。まあ、焼き肉食べるって案は賛成。人里に良い店あるの見つけたのよね」
私は姉さんに適当に返事をしながら考えていた。私は根っからの悪党なのだと、先ほど姉さんに甘いと小突かれたのを否定するように、心の中で繰り返す。私は自分の右手を見る。そこにはきらびやかな宝石の付いた指輪がいくつも嵌っていた。紅い、碧い、紫。これを見るたびに私は安らぎを感じる。心が落ち着き、まだまだ笑えると自覚する。私はみっともない奴や苦しんでる奴を見ると胸がすく思いになるし、ストレスも柔らぐ。こうやって他人から奪った金で遊ぶと至福を得る。
私はちゃんとやれている。この宝石の数だけ、私は人を踏みにじってきたのだ。宝石だけじゃない。ジャケットも、バッグも、ブーツも、帽子も、サングラスも、イヤリングも、髪留めや重い財布。物質的な証拠。私が如何にあくどいのかを証明するための証拠。私は嗤う。
私は自分がちゃんとやれるようになったときのことを指に嵌った宝石を見るたびに思い返せるのだ。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
人里というのは意外と広く、いつの間にか住人が増えていてもあまり気にされない。しかしそれは、不自然に増えた住人は大抵人妖のたぐいであるから干渉しない、という人里での暗黙の了解だったのかもしれない。普通に考えればその辺から人が勝手に生えてくるわけないし。あとは外来人って可能性もあるし。
ともあれ、幻想郷に入りたての頃、私と姉さんは人里でひっそりと人間の振りをして生活をしていた。もっとも姉はその性質上、家にこもりがちで完全に私の稼ぎに依存してるだけだったのだが。
「あれー。女苑、今日はお仕事休みなの?」
朝食の用意をしていると、起き抜け開口一番に姉さんは私の背中にそう声を掛けてきた。いつもこの時間には私は家を出て務め先の定食屋に居るからそう訊いてきたのだろう。振り返ると姉さんは布団に包まったまま、伏目がちにこちらを見ている。鼻を鳴らして、朝食が何なのか探るような仕草をする。冬の寒い時期も明けて暖かくなってきたこの時期に、なんとぐうたらなんだろうと私は苦笑した。
「うん。休み休み。朝ごはんは川魚の塩焼きと味噌汁ね。お魚は昨日お店のあまりものを貰ってきたやつだから少し傷んでるかもしれないけど、姉さんなら大丈夫よね」
「うん。余裕よ」
私は再び苦笑した。我が姉ながら、たくましいことだ。料理を皿に盛りつけて、食卓に並べる。そうするとようやく姉は布団から這い出てきた。ただし、掛け布団を背負ったまま。
「そんなに寒いの?」
「いやあ。あったかいのが好きなだけ。この女苑の作った味噌汁も、あったかくて好き」
「そりゃよかったわ」
両手を合わせて私たちは朝食を摂り始める。姉さんは川魚に真っ先に手を付けて、続いて茶碗を持って米を行儀悪くがつがつとかっ喰らう。とても卑しくて、双子の姉であることをたまに忘れそうになる。私は普通のペースで食べている。
「あれ。女苑ちゃん。その格好、どうしたの?」
味噌汁に手を付けた辺りでようやく私の様相が普段と違うことに姉は気づいた。食事関係以外のことに関しては鈍い姉にしては敏い反応だ。
「ああ、気づいた? 今日デートだからちょっとおめかししてるの」
今日の私の着物は普段よりいい生地の物で、髪留めも桜色の綺麗なかんざしを使っていた。耳飾りも木製の色付きのやつで、どれもこつこつ稼いだお金を奮発して使って買ったものだ。
「あらあら、我が妹ながらかわいいねぇ。――ってデート? もしかして相手はまたあの外来人の子?」
私の相手に思い至った姉さんは、すぐに不審そうな半眼になる。
「また、ってなによ。私はこう見えても一途なんだからそんなに相手をとっかえひっかえしたりしないわよ」
「そういう問題じゃなくてさぁ。うーん。前から言ってるけど、私は上手くいかないと思ってるんだけどなぁ。だって、相手は人間でしょ」
「うるさいなぁ。私が人間じゃないってバレてないし、大丈夫よ」
「でもなぁ」
姉はもぞもぞと座りが悪いように体を揺らす。なんだってこういうときだけ姉さんは姉面するのだろう。自分は男が出来たこともないくせに。
「ごちそうさま。そろそろ行くわ。悪いけど洗い物くらいはしといてよね」
私は手を合わせて立ち上がり、姉に踵を返す。ちらりと姉さんを見ると、味噌汁をすすりながらやはり不安げに私を見ている。一体何がそんなに心配なのだろう。私は勤め先でも上手く立ち回れてるし、近所付き合いだってできている。自分で言うのも何だが、結構人から好かれる質だから今も普通に人間みたいに暮らせている。
だからいつまでも上手く生き続けるとこの時は思ってしまっていた。
待ち合わせ場所に行くと、彼は既に居た。人里の出入り口付近。彼は私を見つけると笑顔で手を振った。私はそれに応える。
姉さんも言った通り、彼は外来人である。神社から外の世界に帰れるのにそれを拒否して幻想郷に住みだしたたまにいる変わり者だ。歳は十八だと言っていた。とても若く、実は私の方が結構年上なのだ。彼は私のことを年下だと思っているだろうけど。
彼は服装も洋装で少し人里では目を惹く。背も高く、ぶっちゃけ容姿が良いから彼とは付き合い始めたのだ。
最初の出会いは勤め先で声を掛けられたのがきっかけだった。シンプルに、かわいいと褒められた。
ナンパのとっかかりとしてはなんとも言えない単純な声掛けだったのだが、彼は外来人だった。私の知らない外の話をいっぱいしてくれた。店に来るたびに結構長話をしてしまうのでよく店長に怒られたものだ。そんなに話が合うなら店が終わってからにしろ、という店長のもっともな意見でようやく私たちはプライベートでも会うようになった。そしてすぐに付き合い始めることになる。
実は彼はすぐに外へ帰る予定だったらしい。人里で世話になった人へのあいさつ回りが終わったら神社から外へ帰還する手はずだったのだ。それを先延ばしにして彼はここに居付いた。私と付き合い始めたからだ。
嬉しかった。自分のために少しの間でもここにとどまってくれるのが。
もしかしたら私はそれに報いようという気持ちもあって彼と付き合っていたのかもしれなかったが、しかしそれ以上に彼が好きだったいつの間にか自覚していた。
今日のデートは河童が人里近くでやっている漫才楽とかいう生き物のショーを見に行くのが目的だった。妖怪の運営するイベントということで安全担保を目的として巫女の姿もあった。
ショーの目玉である漫才楽は一目で私はアザラシじゃん、と気づくことができた。前に彼が外の世界に居る動物を色々教えてくれたことで知っていた。
変な生き物ながら、芸達者で可愛らしく、そりゃ人気出るわねと得心がいった。ショーは当然楽しかったけど、それ以上に隣でアザラシの一挙一動にリアクションしてくれる彼が居るのが楽しかった。
私はショーの最後に、彼が教えてくれた水族館のイベントもこんな感じなのかなぁと訊いた。いつか行ってみたい、とまでは言わなかったけど。
彼は何故か私の質問に答えなかった。何か言いたげに私を見て、ふと目を逸らす。
ショーは楽しかったのに変な雰囲気だった。
告白は急だった。
私の勤め先のお店で食事を済ませたあと、帰り道でのことだった。彼は懐から何かを出した。
指輪だった。見たこともない紅い大きな宝石の付いた、指輪。
彼は私に、一緒に外の世界に行かないかと誘って来た。一緒に暮らそうって。
私は指輪を受け取った。
日が沈みかけている。私はその紅い宝石を日にかざした。それは私が見たどんな紅色よりも綺麗だった。
「うそでしょ」
家に帰り、彼からプロポーズされて一緒に外へ行くという話を姉さんにすると、呆れたようにそう言われた。
「ホントよ。私は彼と外の世界で暮らすの」
「あのねぇ女苑、今は熱くなってるからそうやって思い付きで言ってるんだろうけど」
「安心して。ちゃんと姉さんも連れて行くって伝えてるから」
「いやいや」
姉さんはふぅと息を吐く。いつになく真剣な面持ちで。こんな姉さんの顔は見たことがなかった。姉さんは私に居直る。
「……まあ私は性根が腐ってるから上手いこと割り切って楽しく生きてるけどさ、女苑もそうなの?」
そして姉は意味がわからないことを言った。何を私に訊いているのかわからなかった。
「どういうこと」
「わからない? あんたは疫病神なの」
――致命的なことを姉は言った。私は、目の前が真っ赤になるような錯覚をする。
「私の見立てだと女苑はさ、自分の性質に割り切ってないでしょ。私と違って」
私と違って。姉さんは、自分のことでもないのに私の性質に対して深く理解があるかのような口ぶりで言う。
「考えないようにしてるんでしょ。でもそれは――」
「――うっさいわね。自分のことぐらいわかってるわよ」
私は姉に怒鳴りつけた。何もわかっていないくせに、売り言葉に買い言葉で答えていた。
「私は自分の力を理解してる。制御出来てる。姉さん、あんたが言ってることは全くの的外れよ。私は外の世界に行って幸せになるのよ」
「そんな考え方じゃ幸せになんかなれない。だって私たち姉妹は――」
私はそこから先の姉の言葉を聞かずに飛び出した。ずっと忘れようとしていたことを口走ろうとしたのを察して。そしてすぐにそのことを考えないように私は思考を閉ざした。
すぐに私は思い知る。
家を飛び出して私は彼の元へ向かった。自分が何をしたいのか、どうすればいいのか、何もわからないくせに。
事態は既に終わっていた。彼の家の前に来ると血の匂いがした。
戸は壊されていた。
中に入ると、複数人の男が彼を囲んでいた。男はどれも体格が良く人相も悪く、堅気じゃないことがわかった。
私は男たちを突き飛ばして彼に駆け寄った。異変にすぐに気づいた。彼には右腕がなかった。男たちに切り落とされたのだ。
私は彼の切断された腕を止血して名を呼ぶ。意識は朦朧としていたが、死んではいなかった。
「なんだ、てめぇ。このコソ泥の女か?」
男の一人が私の髪の毛を掴み、乱暴に引っ張った。私は答えない。
「あ! こいつ、指に盗んだるびぃを付けてやがる!」
男の一人が私の右手を見るなり吠える。私は状況を理解した。
「このクソアマ、こいつはてめぇのもんじゃねえぞ」
どうして気づかなかったんだろう。特に稼ぎもない外来人の彼が、どうやってこんな立派な指輪を用意したのか。どうして思い至れなかったのだろう。
「おい、この女の腕も切り落とすぞ。俺らを舐めた罰だ」
どうして思い至れなかったのだろう。私の力が作用するとき、人は正常な判断能力を失う。
それが彼を無茶な行動に追いやってしまうことに。どうして思い至れなかったのだろう。
「動くなよ。暴れると余計なところも切っちまうぞ」
私は、鉈を構えていた男のみぞおちを思い切り右手で殴った。およそ人体が出したと思えないほどの鈍い衝撃音とともに、男は吹っ飛び、壁を突き破り、外に放り出され、動かなくなった。
空気が凍り付く。私の右腕は、霊的なエネルギーが凝縮し、鈍い金色がまとわりついていた。
「アニキが殺された!」
「こ、こいつ」
「バケモンだ! 逃げろ!」
男が口々に叫び、私から距離を取ろうとめちゃくちゃに足を動かす。
私はそれを何も考えずに追いかけて殴りつけるだけでよかった。それだけですべてが終わっていた。
暗く、寒い。夜だった。人里から少し離れた林の中で、私は一人だった。
全身が軋むような痛みがあったが、しかし私は横になることが出来なかった。体は木に縛り付けられていて、私は全身の至る所にお札が貼られているのだ。
痛い。染みつくように、痛い。
体の節々に針が刺さっていて、お札と合わせてそれぞれが私の能力を阻害していることが分かった。
わかったところで何も出来ないが。
「女苑。女苑ちゃーん。まだ生きてる?」
小声で、姉の声がした。声の方を見やると、迷彩のつもりなのか、葉っぱまみれの姉さんが這うようにして私に近づいてきていた。
「よかった。村人を何人も半殺しにした挙句、駆け付けた巫女に退治されたって聞いて慌てて来たんだけど、どうやら大丈夫そうね」
姉さんは私の顔を見ると、いつもの能天気そうな笑顔を見せた。付近に人が居ないことを確認すると、上体を起こす。
「一人は腕がなくなってたらしいよ。まったく、派手に暴れたねぇ」
知ってか知らずか、当てつけのつもりなのか、姉はそんな風に言ってお札に手をかざした。
そうするとお札は灰色に濁って、ぐずぐずと崩れて消えていった。私の体に刺さった針も、一本一本丁寧に抜き取っていく。
「よくそれだけ暴れて巫女に退治されずに済んだね」
「……彼が。かばってくれたから」
巫女に殺されかけたとき、彼が起き上がって私を守ってくれたのだ。巫女は呆れていた。とりあえず私のことは殺さず封印する、と巫女は言っていた。彼は明日、外の世界に強制送還するとも言っていた。そのあとのことは、教えてくれなかった。あるいは永遠にここに縛り付ける気なのかもしれない。
「ふーん。じゃあとりあえず逃げ切れば、今回の件はいい勉強になったってことで終わりで良さそうね。でも博麗の巫女は気分屋だって聞くし、奴の気が変わらないうちにとっとと逃げちゃおうよ」
姉さんは私をおぶり気楽そうにそういった。奴の気が変わるだなんて、ぞっとしない。あんなに恐ろしい奴とは私は知らなかった。
姉に背負われているけれど、姉さんの体は不気味なほどに冷たく感じた。
そもそも体温が低いのだろうか、あんまり温もりを感じない。
「だから言ったでしょ。上手くいかないって」
いつか言った言葉を姉は繰り返す。
わかっていたのだろう。姉さんは、いつかこうなるって。わかっていたのだ。
「女苑、あなたは疫病神なの。人に関わる限り、どうあっても最後は他人を不幸にしてしまう」
当たり前のことだった。私が考えないようにしていた、当たり前のこと。
「……姉さん」
「なーに。女苑」
それでも聞きたいことがあった。
「じゃあどうすれば私は幸せになれるの」
姉さんは嗤った。
「そんなの簡単だよ」
姉さんは私を地面に下ろす。そして私の目を見つめる。いつもの、能天気そうな笑顔で。
「他人の不幸を笑えるようになろう。苦しむ人が居ればざまあみろって思おう。辛そうな人が居ればもっとしんどくなれって願おう。他人の不幸を糧にしよう。だって私たちは、貧乏神と疫病神なんだから」
姉さんの瞳は、深い闇色だった。底が無いような。でも嗤っていた。能天気そうに。幸せそうだった。
「ね? 簡単でしょ」
「……うん。そうだね」
私は、全身が粟立つような感覚を堪えながら、力なく笑って応えた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
私は右手の宝石を見る。この宝石の数だけ、私は他人を不幸にしてきた。踏みにじってきた。それだけ幸せになってきた。その実績を回想し、私はほくそ笑む。
大丈夫。私はちゃんとやれている。
「女苑! 女苑ちゃーん!」
へらへら笑っていたはずの姉が急に泣き始めた。
「なに。姉さん」
「ごめーん! お金、なくなっちゃったぁ」
姉の右手を見ると、確かに握らせていたお金が消滅していた。バカな。そんなことありえるのか。
私はうんざりしてはぁと息を漏らす。姉はしくしく泣いている。
「焼き肉がぁ」
「チッ。仕方ないわね。次のカモ探しに行くわよ、姉さん」
私はしょぼくれてる姉の手を引く。相変わらず体温が低くその手はひんやりしている。
「うん……ごめん」
「そんな顔しないの。大丈夫。私たち二人なら、いくらでもやれるでしょ?」
私たちは最凶最悪の双子なんだから。
私はそう言い放つと思いっきり笑ってやった。
私は嗤った。すると正座したまま男は申し訳なさそうににへら、と愛想笑いをする。
「は? 何笑ってんのあんた? 貸した金の返済期限が今日までだって話してんのよ。笑って誤魔化せると思ってんの?」
私は笑顔から一転、真顔になり男の胸倉を掴み上げた。ひぃ、と男は情けない声を漏らす。私は力任せに男の体をゆすり、そして壁の方に乱暴に突き飛ばした。ボロの家屋が嫌な音を立てて揺れ、天井に積もっていた埃がぱらぱらと降りてきて部屋がかび臭くなる。この家は人里の離れにあるため、こうやって多少物音を起こしても誰も気にしない。もはや恫喝されるためにここに住んでいるのかとも思えてくる。そういった場所を住まいにしてしまうような迂闊さがあるから私のような悪人にこの男はカモにされるのだ。
「まさか利息も払えないってことはないでしょうね」
私は借用書を男の目の前ではためかせる。利息は十日で一割。利息くらいは払えるだろうが、元手まで支払えないのはリサーチ済みだ。そもそも返済能力がないのは貸した段階で分かっていた。男は肺を患っていて禄に労働も出来ない。特別な技能を持っているわけでもない。こいつが金を稼ぐ方法といったら、危険を顧みず無縁塚へ行きそこで落ちている外から流れてくる物品を拾い集めて売るか人里で物乞いするくらいだ。
なので男は一生、元手を減らせないまま私に利息を払い続ける。とても素敵なシステムだ。
「で、でも女苑さん。利息がこんなにあるとはおれは……」
「はぁ? ちゃんと書面に書いてあるでしょ。知らぬ存ぜぬじゃ通らないわよ」
私はせせ嗤う。この男は識字能力が低く、正しく内容を理解しないまま私から金を借りたのだ。無学ほど恐ろしいものはない。そういった者から順にこの世界では食い物にされていく。外ならこいつはもっと酷い目に遭っているだろうから私はまだ甘いほうだ。外は幻想郷以上に悪党がのさばっていると耳にしたことがあるし。
男は小刻みに震えながら頭を振る。唇がパクパクと動いている。『払えない、払えない』と声を出さずに言っているようだった。念仏でも唱えてるみたいで笑える。
「女苑! お金あったよー! やっぱりこいつ、へそくり隠してたわー」
部屋の奥から物音を立てながら姉の紫苑が顔を出した。文字通り床を這いつくばって探したのだろうか、体中埃まみれで小汚い。下手したら私が恫喝しているこの家主よりみすぼらしいが、姉はこの男と違ってとても能天気そうにヘラヘラしている。姉さんの右手に握られた金は私の見込み通り利息分くらいは有りそうだった。
「でかした姉さん。やっぱあるんじゃーん。とりあえず今日はこれで勘弁してあげるわ」
そう言い放つと男はしどろもどろになりながらも頭を地面に擦り付けた。いわゆる土下座である。
「ま、待ってください! そのお金がないと、明日から生きていけません。おれも子どももう何日もひもじい思いをしていて……」
「へぇ。明日から生きていけないんだったら、今日ここで私があんたを殺してやろうか」
私は土下座している男の胸倉を掴み、無理矢理立たせた。私はこぶしを握っていて、そこに霊的なエネルギーを凝縮させている。それを見て男は真っ青になっていた。
瞬間、ドンと何かが背中にぶつかった。振り返るとそこにはみすぼらしい子どもが居て私を睨みつけていた。体当たりでもしてきたらしい。この家主の子どもだろうそいつは歳の頃は十も越えていないだろうが、なるほど。私に歯向かうくらいの覇気は残っているらしく強い敵意を感じた。
「いい度胸じゃん。あんた」
言うが早い。私はその子どもの胸を軽く押して突き飛ばした。子どもに踏ん張る力はなく、そのままよろよろとしりもちをついた。
「まさか暴力でどうにかしようと思ったわけじゃないでしょうね。こう見えても私、かわいい女の子じゃなくてれっきとした神様だからあんたじゃどうしようもないわよ」
子どもは答えない。瞳には恐怖の色が見えたが、しかしそれを見せまいと強くこちらを睨み返す。これだけ活きが良ければこの子どもの方が金を稼ぐ能力はありそうだなと私は感じた。
「金は貰っていくわ。そういう契約だし。あんたの親父がどうやって金稼いでるかは知ってるでしょ? 死ぬかもしれないけど、無縁塚辺りで命がけで拾い物をすることね。一週間後にまた来るからそれまでに耳そろえて借りた金用意しときな。じゃなきゃ、一生利息だけ払い続けることになるわよ」
私は家主の男ではなく、子どもに向かってそう言った。子どもは私を睨んだまま「上等だ」と答える。私は怯え切った家主の男を放し、肩に下げていたバッグから小袋を取り出した。中身は兵糧丸の詰め合わせだ。これで一週間くらいは食いつなげるだろう。
その小袋を子どもに投げつけて、私はボロ屋をあとにした。姉さんがお金を数えながら私に続く。
「なんだかんだ言って女苑って結構甘いよねぇ」
姉さんはキラキラした目でお金をいじりながら私をそう評す。それを受けて私はばーかと返す。
「姉さんは浅いわね。完全に追い込んでも金は生まれないのよ。ああやってちょっと慈悲を与えてやるのが長く搾り取るコツなの。それに兵糧丸だって、その辺の忍者から無理矢理カツアゲしたやつだからタダみたいなもんだし」
「ああ言えばこう言うねぇ。まあ、私はお金さえもらえればなんでもいいけどさー」
知ったような口を姉さんは利く。私は特に反論しない。そう思いたければ勝手に思っていればいいのだ。依神女苑は甘い女だって。誰になんと思われようと関係ない。自分が自分をどういうヤツなのかちゃんと把握していれば。
「ねえねえ。このお金で焼き肉でも食べようよ。一仕事してお腹減ったわー」
「姉さんは床を這いずってただけじゃん。まあ、焼き肉食べるって案は賛成。人里に良い店あるの見つけたのよね」
私は姉さんに適当に返事をしながら考えていた。私は根っからの悪党なのだと、先ほど姉さんに甘いと小突かれたのを否定するように、心の中で繰り返す。私は自分の右手を見る。そこにはきらびやかな宝石の付いた指輪がいくつも嵌っていた。紅い、碧い、紫。これを見るたびに私は安らぎを感じる。心が落ち着き、まだまだ笑えると自覚する。私はみっともない奴や苦しんでる奴を見ると胸がすく思いになるし、ストレスも柔らぐ。こうやって他人から奪った金で遊ぶと至福を得る。
私はちゃんとやれている。この宝石の数だけ、私は人を踏みにじってきたのだ。宝石だけじゃない。ジャケットも、バッグも、ブーツも、帽子も、サングラスも、イヤリングも、髪留めや重い財布。物質的な証拠。私が如何にあくどいのかを証明するための証拠。私は嗤う。
私は自分がちゃんとやれるようになったときのことを指に嵌った宝石を見るたびに思い返せるのだ。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
人里というのは意外と広く、いつの間にか住人が増えていてもあまり気にされない。しかしそれは、不自然に増えた住人は大抵人妖のたぐいであるから干渉しない、という人里での暗黙の了解だったのかもしれない。普通に考えればその辺から人が勝手に生えてくるわけないし。あとは外来人って可能性もあるし。
ともあれ、幻想郷に入りたての頃、私と姉さんは人里でひっそりと人間の振りをして生活をしていた。もっとも姉はその性質上、家にこもりがちで完全に私の稼ぎに依存してるだけだったのだが。
「あれー。女苑、今日はお仕事休みなの?」
朝食の用意をしていると、起き抜け開口一番に姉さんは私の背中にそう声を掛けてきた。いつもこの時間には私は家を出て務め先の定食屋に居るからそう訊いてきたのだろう。振り返ると姉さんは布団に包まったまま、伏目がちにこちらを見ている。鼻を鳴らして、朝食が何なのか探るような仕草をする。冬の寒い時期も明けて暖かくなってきたこの時期に、なんとぐうたらなんだろうと私は苦笑した。
「うん。休み休み。朝ごはんは川魚の塩焼きと味噌汁ね。お魚は昨日お店のあまりものを貰ってきたやつだから少し傷んでるかもしれないけど、姉さんなら大丈夫よね」
「うん。余裕よ」
私は再び苦笑した。我が姉ながら、たくましいことだ。料理を皿に盛りつけて、食卓に並べる。そうするとようやく姉は布団から這い出てきた。ただし、掛け布団を背負ったまま。
「そんなに寒いの?」
「いやあ。あったかいのが好きなだけ。この女苑の作った味噌汁も、あったかくて好き」
「そりゃよかったわ」
両手を合わせて私たちは朝食を摂り始める。姉さんは川魚に真っ先に手を付けて、続いて茶碗を持って米を行儀悪くがつがつとかっ喰らう。とても卑しくて、双子の姉であることをたまに忘れそうになる。私は普通のペースで食べている。
「あれ。女苑ちゃん。その格好、どうしたの?」
味噌汁に手を付けた辺りでようやく私の様相が普段と違うことに姉は気づいた。食事関係以外のことに関しては鈍い姉にしては敏い反応だ。
「ああ、気づいた? 今日デートだからちょっとおめかししてるの」
今日の私の着物は普段よりいい生地の物で、髪留めも桜色の綺麗なかんざしを使っていた。耳飾りも木製の色付きのやつで、どれもこつこつ稼いだお金を奮発して使って買ったものだ。
「あらあら、我が妹ながらかわいいねぇ。――ってデート? もしかして相手はまたあの外来人の子?」
私の相手に思い至った姉さんは、すぐに不審そうな半眼になる。
「また、ってなによ。私はこう見えても一途なんだからそんなに相手をとっかえひっかえしたりしないわよ」
「そういう問題じゃなくてさぁ。うーん。前から言ってるけど、私は上手くいかないと思ってるんだけどなぁ。だって、相手は人間でしょ」
「うるさいなぁ。私が人間じゃないってバレてないし、大丈夫よ」
「でもなぁ」
姉はもぞもぞと座りが悪いように体を揺らす。なんだってこういうときだけ姉さんは姉面するのだろう。自分は男が出来たこともないくせに。
「ごちそうさま。そろそろ行くわ。悪いけど洗い物くらいはしといてよね」
私は手を合わせて立ち上がり、姉に踵を返す。ちらりと姉さんを見ると、味噌汁をすすりながらやはり不安げに私を見ている。一体何がそんなに心配なのだろう。私は勤め先でも上手く立ち回れてるし、近所付き合いだってできている。自分で言うのも何だが、結構人から好かれる質だから今も普通に人間みたいに暮らせている。
だからいつまでも上手く生き続けるとこの時は思ってしまっていた。
待ち合わせ場所に行くと、彼は既に居た。人里の出入り口付近。彼は私を見つけると笑顔で手を振った。私はそれに応える。
姉さんも言った通り、彼は外来人である。神社から外の世界に帰れるのにそれを拒否して幻想郷に住みだしたたまにいる変わり者だ。歳は十八だと言っていた。とても若く、実は私の方が結構年上なのだ。彼は私のことを年下だと思っているだろうけど。
彼は服装も洋装で少し人里では目を惹く。背も高く、ぶっちゃけ容姿が良いから彼とは付き合い始めたのだ。
最初の出会いは勤め先で声を掛けられたのがきっかけだった。シンプルに、かわいいと褒められた。
ナンパのとっかかりとしてはなんとも言えない単純な声掛けだったのだが、彼は外来人だった。私の知らない外の話をいっぱいしてくれた。店に来るたびに結構長話をしてしまうのでよく店長に怒られたものだ。そんなに話が合うなら店が終わってからにしろ、という店長のもっともな意見でようやく私たちはプライベートでも会うようになった。そしてすぐに付き合い始めることになる。
実は彼はすぐに外へ帰る予定だったらしい。人里で世話になった人へのあいさつ回りが終わったら神社から外へ帰還する手はずだったのだ。それを先延ばしにして彼はここに居付いた。私と付き合い始めたからだ。
嬉しかった。自分のために少しの間でもここにとどまってくれるのが。
もしかしたら私はそれに報いようという気持ちもあって彼と付き合っていたのかもしれなかったが、しかしそれ以上に彼が好きだったいつの間にか自覚していた。
今日のデートは河童が人里近くでやっている漫才楽とかいう生き物のショーを見に行くのが目的だった。妖怪の運営するイベントということで安全担保を目的として巫女の姿もあった。
ショーの目玉である漫才楽は一目で私はアザラシじゃん、と気づくことができた。前に彼が外の世界に居る動物を色々教えてくれたことで知っていた。
変な生き物ながら、芸達者で可愛らしく、そりゃ人気出るわねと得心がいった。ショーは当然楽しかったけど、それ以上に隣でアザラシの一挙一動にリアクションしてくれる彼が居るのが楽しかった。
私はショーの最後に、彼が教えてくれた水族館のイベントもこんな感じなのかなぁと訊いた。いつか行ってみたい、とまでは言わなかったけど。
彼は何故か私の質問に答えなかった。何か言いたげに私を見て、ふと目を逸らす。
ショーは楽しかったのに変な雰囲気だった。
告白は急だった。
私の勤め先のお店で食事を済ませたあと、帰り道でのことだった。彼は懐から何かを出した。
指輪だった。見たこともない紅い大きな宝石の付いた、指輪。
彼は私に、一緒に外の世界に行かないかと誘って来た。一緒に暮らそうって。
私は指輪を受け取った。
日が沈みかけている。私はその紅い宝石を日にかざした。それは私が見たどんな紅色よりも綺麗だった。
「うそでしょ」
家に帰り、彼からプロポーズされて一緒に外へ行くという話を姉さんにすると、呆れたようにそう言われた。
「ホントよ。私は彼と外の世界で暮らすの」
「あのねぇ女苑、今は熱くなってるからそうやって思い付きで言ってるんだろうけど」
「安心して。ちゃんと姉さんも連れて行くって伝えてるから」
「いやいや」
姉さんはふぅと息を吐く。いつになく真剣な面持ちで。こんな姉さんの顔は見たことがなかった。姉さんは私に居直る。
「……まあ私は性根が腐ってるから上手いこと割り切って楽しく生きてるけどさ、女苑もそうなの?」
そして姉は意味がわからないことを言った。何を私に訊いているのかわからなかった。
「どういうこと」
「わからない? あんたは疫病神なの」
――致命的なことを姉は言った。私は、目の前が真っ赤になるような錯覚をする。
「私の見立てだと女苑はさ、自分の性質に割り切ってないでしょ。私と違って」
私と違って。姉さんは、自分のことでもないのに私の性質に対して深く理解があるかのような口ぶりで言う。
「考えないようにしてるんでしょ。でもそれは――」
「――うっさいわね。自分のことぐらいわかってるわよ」
私は姉に怒鳴りつけた。何もわかっていないくせに、売り言葉に買い言葉で答えていた。
「私は自分の力を理解してる。制御出来てる。姉さん、あんたが言ってることは全くの的外れよ。私は外の世界に行って幸せになるのよ」
「そんな考え方じゃ幸せになんかなれない。だって私たち姉妹は――」
私はそこから先の姉の言葉を聞かずに飛び出した。ずっと忘れようとしていたことを口走ろうとしたのを察して。そしてすぐにそのことを考えないように私は思考を閉ざした。
すぐに私は思い知る。
家を飛び出して私は彼の元へ向かった。自分が何をしたいのか、どうすればいいのか、何もわからないくせに。
事態は既に終わっていた。彼の家の前に来ると血の匂いがした。
戸は壊されていた。
中に入ると、複数人の男が彼を囲んでいた。男はどれも体格が良く人相も悪く、堅気じゃないことがわかった。
私は男たちを突き飛ばして彼に駆け寄った。異変にすぐに気づいた。彼には右腕がなかった。男たちに切り落とされたのだ。
私は彼の切断された腕を止血して名を呼ぶ。意識は朦朧としていたが、死んではいなかった。
「なんだ、てめぇ。このコソ泥の女か?」
男の一人が私の髪の毛を掴み、乱暴に引っ張った。私は答えない。
「あ! こいつ、指に盗んだるびぃを付けてやがる!」
男の一人が私の右手を見るなり吠える。私は状況を理解した。
「このクソアマ、こいつはてめぇのもんじゃねえぞ」
どうして気づかなかったんだろう。特に稼ぎもない外来人の彼が、どうやってこんな立派な指輪を用意したのか。どうして思い至れなかったのだろう。
「おい、この女の腕も切り落とすぞ。俺らを舐めた罰だ」
どうして思い至れなかったのだろう。私の力が作用するとき、人は正常な判断能力を失う。
それが彼を無茶な行動に追いやってしまうことに。どうして思い至れなかったのだろう。
「動くなよ。暴れると余計なところも切っちまうぞ」
私は、鉈を構えていた男のみぞおちを思い切り右手で殴った。およそ人体が出したと思えないほどの鈍い衝撃音とともに、男は吹っ飛び、壁を突き破り、外に放り出され、動かなくなった。
空気が凍り付く。私の右腕は、霊的なエネルギーが凝縮し、鈍い金色がまとわりついていた。
「アニキが殺された!」
「こ、こいつ」
「バケモンだ! 逃げろ!」
男が口々に叫び、私から距離を取ろうとめちゃくちゃに足を動かす。
私はそれを何も考えずに追いかけて殴りつけるだけでよかった。それだけですべてが終わっていた。
暗く、寒い。夜だった。人里から少し離れた林の中で、私は一人だった。
全身が軋むような痛みがあったが、しかし私は横になることが出来なかった。体は木に縛り付けられていて、私は全身の至る所にお札が貼られているのだ。
痛い。染みつくように、痛い。
体の節々に針が刺さっていて、お札と合わせてそれぞれが私の能力を阻害していることが分かった。
わかったところで何も出来ないが。
「女苑。女苑ちゃーん。まだ生きてる?」
小声で、姉の声がした。声の方を見やると、迷彩のつもりなのか、葉っぱまみれの姉さんが這うようにして私に近づいてきていた。
「よかった。村人を何人も半殺しにした挙句、駆け付けた巫女に退治されたって聞いて慌てて来たんだけど、どうやら大丈夫そうね」
姉さんは私の顔を見ると、いつもの能天気そうな笑顔を見せた。付近に人が居ないことを確認すると、上体を起こす。
「一人は腕がなくなってたらしいよ。まったく、派手に暴れたねぇ」
知ってか知らずか、当てつけのつもりなのか、姉はそんな風に言ってお札に手をかざした。
そうするとお札は灰色に濁って、ぐずぐずと崩れて消えていった。私の体に刺さった針も、一本一本丁寧に抜き取っていく。
「よくそれだけ暴れて巫女に退治されずに済んだね」
「……彼が。かばってくれたから」
巫女に殺されかけたとき、彼が起き上がって私を守ってくれたのだ。巫女は呆れていた。とりあえず私のことは殺さず封印する、と巫女は言っていた。彼は明日、外の世界に強制送還するとも言っていた。そのあとのことは、教えてくれなかった。あるいは永遠にここに縛り付ける気なのかもしれない。
「ふーん。じゃあとりあえず逃げ切れば、今回の件はいい勉強になったってことで終わりで良さそうね。でも博麗の巫女は気分屋だって聞くし、奴の気が変わらないうちにとっとと逃げちゃおうよ」
姉さんは私をおぶり気楽そうにそういった。奴の気が変わるだなんて、ぞっとしない。あんなに恐ろしい奴とは私は知らなかった。
姉に背負われているけれど、姉さんの体は不気味なほどに冷たく感じた。
そもそも体温が低いのだろうか、あんまり温もりを感じない。
「だから言ったでしょ。上手くいかないって」
いつか言った言葉を姉は繰り返す。
わかっていたのだろう。姉さんは、いつかこうなるって。わかっていたのだ。
「女苑、あなたは疫病神なの。人に関わる限り、どうあっても最後は他人を不幸にしてしまう」
当たり前のことだった。私が考えないようにしていた、当たり前のこと。
「……姉さん」
「なーに。女苑」
それでも聞きたいことがあった。
「じゃあどうすれば私は幸せになれるの」
姉さんは嗤った。
「そんなの簡単だよ」
姉さんは私を地面に下ろす。そして私の目を見つめる。いつもの、能天気そうな笑顔で。
「他人の不幸を笑えるようになろう。苦しむ人が居ればざまあみろって思おう。辛そうな人が居ればもっとしんどくなれって願おう。他人の不幸を糧にしよう。だって私たちは、貧乏神と疫病神なんだから」
姉さんの瞳は、深い闇色だった。底が無いような。でも嗤っていた。能天気そうに。幸せそうだった。
「ね? 簡単でしょ」
「……うん。そうだね」
私は、全身が粟立つような感覚を堪えながら、力なく笑って応えた。
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私は右手の宝石を見る。この宝石の数だけ、私は他人を不幸にしてきた。踏みにじってきた。それだけ幸せになってきた。その実績を回想し、私はほくそ笑む。
大丈夫。私はちゃんとやれている。
「女苑! 女苑ちゃーん!」
へらへら笑っていたはずの姉が急に泣き始めた。
「なに。姉さん」
「ごめーん! お金、なくなっちゃったぁ」
姉の右手を見ると、確かに握らせていたお金が消滅していた。バカな。そんなことありえるのか。
私はうんざりしてはぁと息を漏らす。姉はしくしく泣いている。
「焼き肉がぁ」
「チッ。仕方ないわね。次のカモ探しに行くわよ、姉さん」
私はしょぼくれてる姉の手を引く。相変わらず体温が低くその手はひんやりしている。
「うん……ごめん」
「そんな顔しないの。大丈夫。私たち二人なら、いくらでもやれるでしょ?」
私たちは最凶最悪の双子なんだから。
私はそう言い放つと思いっきり笑ってやった。
女苑もさることながら紫苑がかわいらしかったです