「――なるほどな」
舟を降りた神子は、そびえ立つ摩天楼と田舎じみた家屋が並び立つ都市に目を見張った。空も大地も禍々しい緋色に覆われており、光の届かないこの世界は非常に昏い。人工的な明かりが暗闇の中、ほのかに浮かぶだけである。神子は鼻をつく異臭に口元を覆った。
「ここが魔界か。魔法の森とは比べ物にならん瘴気だな」
「ええ。くれぐれも気をつけて……なんて、仙人の貴方には余計なお世話でしょうけど」
隣にいる白蓮は、瘴気をものともせず平然と立っている。かつてこの魔界の一角、法界で千年の時を暮らした身には瘴気などへでもないのだろう。
「それにしても昏い。一筋の光すら届かぬとは、ここに堕とされるような輩はさぞ悪行の限りを尽くしたのであろうな」
「あら、胡散臭いという一点から封印されるような輩よりはマシかと思いますが」
いつもの調子で皮肉を言ってやれば、白蓮は笑顔で返してくる。では思う存分言いたいことをぶちまけて、などと戯れている暇はない。冗談はここまででよいだろうと、神子は本題に入る。
「して、聖白蓮よ。本当にこの魔界にお前の弟子が住んでいるというのか?」
「はい。妖怪の子供ですよ。大人しくて可愛らしい子です……それが、どうして」
白蓮は遠くに見える街並みの賑わいを眺めて、悲しげに目を細めた。
◇
時は少し遡る。
白蓮が神子の住む神霊廟を単身訪ねてきたのである。
「何の用だ。宗教勧誘なら間に合っているし、まさかお前が改宗しにきたわけでもあるまい」
「ただの布教活動ならよかったんですけどねえ」
白蓮は神子を前に嘆息する。商売敵とはいえ、一時は異変解決のためタッグを組んだ仲でもある。やや警戒気味の布都と屠自古を追い払って、神子は白蓮を奥へと招き入れた。何の前触れもなく、弟子も連れずにやってくるとは、何がしかののっぴきならぬ事情があるに違いない。
「単刀直入に言います。神子。私と一緒に魔界へ来てくれませんか?」
「……魔界、だと?」
神子は眉をひそめた。噂に聞いたことはある。幻想郷とは別の異界で、かつて白蓮が封印されていた地が魔界だ。幻想郷との交流はないが、白蓮は今でも時折、時に魔理沙などを連れて魔界へ足を運んでいるという。
しかしずいぶん唐突な申し出である。白蓮の思惑が何かこの耳で聴いてもよいが、会話が制限されるのもつまらない。何より白蓮が冗談でこんな話を持ちかけるとは思えなかった。
「今更、お前の古巣になぜ私が足を運ぶ必要がある」
「つい先日、魔界に住む私の弟子から連絡があったのです」
「魔界にお前の弟子がいるなど、聞いたことがないが」
「命蓮寺の弟子達とは違って、僧侶ではありませんから。そうですね、寺子屋の教師と教え子のようなものといえばわかりやすいでしょうか」
白蓮曰く、封印が解かれた後に魔界を訪ねた際、魔界で暮らす妖怪の子供に懐かれ、二人の子供に自らの魔法と法力を教えたそうだ。多忙の身ゆえ頻繁に魔界まで顔を出すことはできないが、今でも子供達のことは気にかけているという。
先日、子供の一人から連絡が来た。もう一人が行方不明になってしまった。魔界は広く、探し回っても一向に見つからない、どうしようと白蓮に助けを求めてきたのだ。事情を語る白蓮の眉がひそめられる。
「このまま見捨ててはおけません。行方を探しに行こうと思います」
「それで? なぜ私なんだ?」
神子は口を挟んだ。聞いた限りでは白蓮の個人的な事情としか思えないし、人探しに手伝いが欲しいなら神子を頼る必要もない気がする。
「お前の寺の弟子達はどうした。そいつらを連れて行けばいいだろう」
「私が不在の間は留守番をしてもらわなければなりませんから。それに、魔界には濃厚な瘴気が満ちています。並の妖怪や人間にはとても耐えられません。私を助けに来てくれた時は致し方なかったのですが、なるべくあの子達を巻き込みたくないのです」
「商売敵の私なら巻き込んでもよいというのか」
「貴方は確かな実力を持っているから。それに仙人の体なら魔界の瘴気も耐えられるでしょう」
神子はそれしきの賞賛に心を動かされはしないが、白蓮の意志は固いようだ。事情は理解したし、白蓮に頼られるのも構わない。魔界がどんな場所か、この目で直々に確かめてやるのも悪くないだろう。
とはいえ、商売敵の頼みを安請け合いするのも躊躇われる。過去のいざこざは今は脇に置くとしても、貸し借りはなるべく均衡に保ちたい。
「仮に私がお前の相談を引き受けたとしよう。お前は私に何の対価をくれる?」
「そうですねえ、魔界名物、魔界せんべいなんていかがでしょう?」
「ふざけているのか?」
「美味しいのに」
真面目な顔をしている白蓮に神子はため息をつく。そんな手土産で未踏の地を踏むなど割りに合わない。さすがに冗談だったのか、白蓮は苦笑いを浮かべた。
「無理を承知で頼むのですから、もちろん貴方の望みにはできる限り応えましょう。だけどあんまり無茶は言わないでね」
「ふっふっふ、さて、何を頼もうかな」
「それで、これ以上聞きたいことがないのでしたら“仮に”を取ってもらいたいのだけど。私の頼みを聞いてくれますか?」
「――いいだろう。未知の場所であろうと、私とお前で二人がかりなら妖怪の子供一人見つけるぐらい容易いことだ」
神子が口元をつり上げて宣言すると、白蓮はほっとしたように笑った。
そうと決まれば早速支度に取り掛かる。布都と屠自古にしばし留守にする旨を告げ、不在の間道場の守りや来客への対応を頼む。神子の行き先が魔界だと言えば二人はたいそう驚いていたが、連れが白蓮だと聞けば屠自古はともかく布都の方はなら案ずることはないと納得したようだった。
笏を持ち、剣を佩き、マントを羽織ったところで神子は外に出る。いつのまにか空飛ぶ宝船、聖輦船が神霊廟の入り口に浮かんでおり、傍らには白蓮が立っていた。
「お前のとこの宝船か。船長を呼んだのか?」
「この舟は自動操縦。舵手がいなくとも私の法力で動きます。この舟に乗れば魔界への行きも帰りも楽に過ごせるわ」
「それは気楽でいい。……が、持ち主にも私にも無断で舟をここに召喚するのはどうなんだ?」
「心配しなくても、ムラサ達にはもう私が魔界に出かけることは伝えてあるわ」
「……お前、私が頼みを断るとは考えなかったのか?」
「貴方なら聞いてくれると思っていたのよ」
白蓮の屈託のない笑みに、神子は鼻白む。普段は温厚なくせして、意外にこの白蓮は押しが強い。神子が相手となると、遠慮すらどこかへ行ってしまう。まあ遠慮をしないのはお互い様であるし、信頼を寄せられるのは悪くない。
「お前もなかなか面の皮が厚いな」
「嫌ではないくせに」
「御託はいい。行くぞ、魔界へ」
「ええ」
白蓮に先立って甲板まで上がると、白蓮も後を追って乗り込み、舟が浮上する。何度かこの舟を舞台に決闘と洒落込んだことはあるが、本来の役目である渡航は初めてだ。
さて、まだ見ぬ地に何が待ち受けているのか――神子には恐れや不安など微塵もなく、好奇心すら抱いていた。
聖輦船は仙界を超え、幻想郷の空を飛び、目的地の魔界まで一直線に向かう。神子は白蓮の案内で舟の内部を周りつつ、魔界への到着を待った。
やがて舟は魔界にたどり着く。降り立った神子は、白蓮に連絡を入れた弟子がどこにいるのか探して辺りを見渡した。神子はまだ魔界の地理をよく知らない。白蓮によれば、舟を降ろしたのはエソテリアという都市の入り口で、白蓮の弟子ともここで落ち合う予定だったというのだが。
「聖様!」
その時、一人の少女が神子達の元へ駆け寄ってきた。ややウェーブのかかった金の長い髪、背は低く見た目は十歳前後の人間の少女のようだ。しかしこの瘴気に満ちた魔界で平然と息をしていられることから彼女は紛れもなく妖怪なのだろう。
少女の声を聞いて、白蓮は目を見張る。彼女が“聖様”と呼んだので予想はついたが、この少女が白蓮の弟子の片割れか。息を切らせてやってきた少女を見て、白蓮はかがみ込んで少女と目線を合わせた。
「よかった、本当に来てくださったのですね! もう、私だけじゃどうしようもなくて……」
「久しぶりですね、リズ。私が来たからにはもう大丈夫。それに、今日は頼りになる助っ人を連れてきたんですから」
白蓮は神子に目配せをする。そこで初めて少女、リズも神子に気づいたようで、リズは呆然と口を開けて神子を見上げている。
「聖様、このお方は?」
「よくぞ聞いてくれた。我こそは……」
「静粛に。リズ、貴方は今、畏れ多くも聖徳王の御前にいるのです」
「おい」
意気揚々と名乗ろうとしたところを遮られて、神子は眉をひそめる。聖徳王って、普段そんな仰々しい呼び方をしないだろう。そんな紹介をされなくとも自分の威光は自分で示す。
白蓮の真剣な声を聞いて、リズはまじまじと神子を見つめた。恐れる様子はない。不意に、リズはぱっと顔を輝かせた。
「そうか、それじゃあ、貴方が噂に聞いていた太子様!」
頬を好調させ、無邪気に笑っている。どうやら白蓮は魔界の弟子にまで神子の話を聞かせていたようだ。
……魔界に来てわざわざ神子の話をするのか? 神子はいささかくすぐったく思う。神子を見上げたリズは、何の屈託もない笑顔で言い放った。
「十人の声を同時に聴き、聡明で、尊大で、とてつもなく偉そうな人!」
「……聖白蓮よ、お前は私のことをどう言いふらしているんだ?」
「ありのままの事実を。こんな素直な子供に嘘を教える訳にはいきませんから」
よくもまあいけしゃあしゃあと。リズは失礼だとも思っていないようだし、白蓮に至っては微笑すら浮かべている。師匠が師匠なら弟子も弟子か、と神子は頭を抱えた。
「ねえリズ、もう少し貴方の口から詳しく聞かせてもらえるかしら。エマはいつから消息を絶ったの?」
「十日ほど前です」
自己紹介という名の悪ふざけも済んで、白蓮は本題に入る。失踪したもう一人の弟子はエマという名前らしい。リズは暗い面持ちで語り始めた。
「思い返せば、エマは最近様子がおかしかったんです。三ヶ月前に聖様が帰った後、いつものように私達二人で寂しいね、なんて言い合ってたんですけど、エマはあの時からずっと何かを考え込んでいたみたいで……よく物思いに耽っているし、どうしたのって聞いたもなんでもないって上の空で答えるし。私が家まで訪ねても留守にしてたりして」
悔しそうに手のひらを握りしめる。もっと早く気づいていれば、そんな後悔が押し寄せてくるのだろう。少なくとも、このリズという少女は失踪したエマをひどく気にかけているようだ。
「それで、エマは十日前に突然飛び出して行ったんです。『私、聖様みたいなすごい魔法使いになって帰ってくるから、待っててね!』って言い残して。……それっきり、音沙汰がないんです」
幼い少女の顔が歪み始める。気丈な性格なのか、憧れの白蓮と初対面の神子の前で泣くまいと必死に堪えている。
「どこに行くかも教えてくれなかったし、みんなにエマを見てないかって聞いても知らないって。どうしよう、聖様、エマが帰ってこなかったら……」
「落ち着いて」
今にも泣き出しそうなリズの頭を撫でて、白蓮は優しく告げた。
「私と神子で必ず見つけ出します。貴方は少し休みなさい。ずっとエマのことを心配していたのね? 前に会った時よりもやつれているわ」
「だけど」
「私も同意だ。君の力だけではどうにもならなかったから、聖白蓮に助けを求めたのだろう?」
暗について来られても足手纏いだと伝えれば、神子の言葉の裏を読み取ったのか、リズは口ごもる。
神子は頭の中でリズの話を整理する。最後に言い残した言葉からして、エマは魔法の力を強める方法を求めて旅に出た、もしかしたらエマには何か当てがあって、目的地はリズに伏せた上で一直線にそこへ向かった、そう考えるのが自然だろう。
「魔界は魔法使いが強くなる地なのだろう。力を得られる場所に向かった可能性がある。この魔界にはパワースポットのような場所はないのか」
「ええと、それは……」
「この魔界にそんなものはありませんよ。強いて言えば、魔界そのものが魔法使いにとってのパワースポットなのです」
神子の問いに白蓮が答える。なかなかに厄介だ、と神子は腕を組む。事前に白蓮から聞いた話では、この魔界は途方もなく広い。何の当てもなく闇雲に探したって見つかりはしないだろう。
白蓮を見れば、彼女もまた困惑している様子だった。自分より魔界に詳しく、弟子のことも理解している白蓮ならあるいはと思ったが、彼女にもどうやら心当たりはないようだ。
「あの、聖様、太子様」
おずおずとリズが声を上げる。まだ食い下がるつもりかと思いきや、リズの眼差しは、先程までの切羽詰まった様子はいくらか薄れている。
リズは勢いよく頭を下げた。
「私、ぜんぜん手がかりを持ってなくて、ちっともお役に立てないのに、お願いするのもおこがましいんですが……どうか、エマを連れて帰ってきてください」
「……リズ」
「エマが待っててって、帰ってくるっていうから、私も信じようと思ったのに。こんなに心配かけるなんて許せない。エマが帰ってきたら、私、思いっきり文句を言ってやろうと思ってます」
彼女の表情は怒りに満ちている。勝手に飛び出して戻らない友の身を本気で案じているのだろう。
こんなに親身になってくれる者がいるとは、失踪した少女も幸せな奴だ。白蓮もまた、いくらか元気を取り戻したリズを見て微笑んだ。
「そうね。勝手にいなくなるなんて悪い子だわ。言いたいことはあるけれど、元を正せば私にも非があるみたいだし、お説教はリズに任せようかな」
「確かに今、我々に手がかりはない。が、それしきで諦める我々ではないさ。地道に調査を続けて、必ず君の友達を連れて帰ろう」
「……はい! よろしくお願いします!」
リズがまた深々とお辞儀をする。
さて、大見得を切ったからには、神子はこの問題を“白蓮の手伝い”などで済ませるつもりは更々ない。彼女達は白蓮を慕っているとはいえ、正式な弟子ではないようだし、ついでに布教でも……いや、それは後回しだ。目の前で泣きそうな子供がいたら、手を差し伸べるのが人の上に立つ者の役目だろう。
ひとまず情報を収集するべきだ、と神子は思考を働かせた。
◇
「なあ、そのエマという子供、魔界の外に出ていった可能性はないのか?」
「それはありえません」
一旦リズと別れた神子と白蓮は、都市を歩きながら改めて情報の整理と新たな可能性の模索を行っていた。
神子と白蓮が聖輦船で魔界へ来たように、魔界からも外へアクセスするルートがあるのなら。辛うじて思い至った可能性を挙げても、白蓮は首を振る。
「あの子は、エマは臆病で引っ込み思案だから、そんな思い切った行動には出られないと思うわ。リズを置いて飛び出したのだって信じられないくらいだもの。それに、魔界の者は外に出てはならないという掟があるのです」
「掟だと? となると、この魔界にも一応統治者がいるのか。それらしき影をまったく見かけないがな」
「幻想郷の賢者が普段隠れているのと同じよ。表に出てこないだけ」
「しかし、魔界の外に住む我々は普通に魔界へ訪れている。外の世界との交流を絶っているわけでもないのに、外に出るなと遮断する意味はあるのか」
「正確に言えば、魔界の住民は魔界から出られないわけではないの。けれど、この濃厚な瘴気に満ちた魔界で生まれ育った住民の肉体は、外の薄い瘴気に適応できない。掟は魔界の住民を守るためにあるのよ」
白蓮の話を聞いて、神子はおおよその仕組みを把握した。幻想郷を外の世界から隔離する結界に似ている。一部の強力な妖怪は平気で外に出られるが、力の弱い妖怪は結界の外では生きられない。異なるのは魔界には明確な結界などの隔てがないというだけだ。
「お前、長年封印されておいてよく出てこられたな」
「私が封じられたのは法界だから。封印のおかげで邪悪な空気も遮断されていたのです」
神子は改めて魔界の景色を見やる。見渡す限り不吉な緋色の空、赤茶の地面。目に悪い赤色は紅魔館の主が出す紅い霧よりもずっと邪悪なものだ。歩けども歩けども光が差し込む僅かな隙間すら天上にはなく、昼も夜もわからないほどに昏い。それでいて街並みはそれなりの発展をしており、住民達も比較的穏やかに過ごしているのだから、魔界の光景は幻想郷の地底世界を彷彿とさせた。しかし魔界は地底よりは開放的で、地底よりも禍々しい。
白蓮は表面上は落ち着き払っているものの、内心穏やかでないのか、足取りが自然と早くなってゆく。そう焦るな、と声をかけようとしたところで、白蓮が口を開いた。
「駄目元で聞き込みぐらいはしてみましょうか。……すみません、人を探しているのですが」
「あ、おい」
白蓮が通りすがりの妖怪に話しかけたのを見て、神子は慌てて後を追う。聞き込みといったって、神子はまだエマとかいう少女の特徴をほとんど知らない。
「小さな女の子なんです。背丈はこのくらいで、髪の色は紫色で、癖っ毛です。服はいつも黒を基調としたものを着ていて……」
「女の子? いや、悪いけど見てないよ。ちょっと前にも金髪の女の子が同じことを聞きに来たけど、まだ見つかってないのかい?」
「そうでしたか……どうもありがとうございます」
白蓮は残念そうに眉をひそめ、頭を下げる。神子はとりあえず白蓮の口にしたエマの外見の特徴を頭に叩き込んだ。背丈はリズより少し低め、紫の癖っ毛、黒い服。
「お前な、そういう情報はまず私にも共有してもらわねば困る」
「ごめんなさい」
「あんまり焦るな。お前らしくもない」
神子が愚痴をこぼせば、白蓮は困ったように笑った。
「駄目ね。ひとりぼっちで心細くて泣いていないかしら、ひもじい思いをしていないかしら、悪い奴にひどい目に合わされていないかしら……どうにも悪い方向にばかり考えが行ってしまう」
「まあ、探す当てがないのは確かだからな。目ぼしい行動範囲内にいるならあのリズがとっくに見つけている。私とお前で地道に聞き込みを行うにしたって、この広さでは気が遠くなるな」
「別行動するってこと? 構わないけど、貴方、この昏くて広い世界で道に迷わない?」
「目印があればいいんだろう? この昏さならかえって好都合だ」
「そうは言っても、ここでは摩天楼ですら瘴気に霞んで道標の役に立たないわ」
神子は構わず笏を天上に向かって高く掲げた。弾幕と同じ要領で一筋の眩い光を放つ。渦巻く瘴気も澱んだ空気も突き破り、目に痛いほどの白い光の柱となって魔界に光芒が差した。
「これなら遠くからでもどこにいるかわかるだろう」
「ああ、なるほど。私は金剛杵で同じことをやればいいわけね」
「合図はそうだな、何か見つけた、あるいは逆にお手上げだと判断した時に光を掲げる。どちらかが合図を送ったら、同じように送り返す」
「合流するのはどちらにしましょうか」
「私がお前の方へ向かう」
「わかった。まあ、どちらかが力尽きてても合図さえ出せればそっちへ向かえばいいだけですものね」
納得した白蓮がそれじゃあ、と早くも一人で進もうとするので「待て」と神子は白蓮の細い手首をつかんだ。怪訝そうな顔をする白蓮を睨んで念を押す。
「いいか? 一人で先走るなよ。必ず私に伝えろ」
「はいはい、わかってますよ。私、そんなに信用ないかしら」
「今日のお前を見ていると嫌な予感がするんだ」
「貴方はいつのまに予知能力なんて身につけたの。ああいや、元からそういう能力だったかしら」
白蓮は苦笑しつつ神子の手をほどいた。
「言われなくたって、何かわかったら一番に貴方に伝える。そうじゃなきゃ、何のために貴方を呼んだのかわからないじゃない」
「……それならいい」
「それじゃあ私は隣の街まで行くわ。貴方こそ、わかったことがあったらすぐに知らせてくださいよ」
言うが早いか、白蓮は一秒すら惜しいと言わんばかりに空を飛んでいった。神子は肩をすくめる。本当にわかっているのだろうか。
白蓮は根本的にお人好しというか、お節介だ。日々の修行に住職としての仕事、弟子への指導、檀家や参拝客への説法、果ては異変の調査まで、とにかく白蓮の毎日は忙しい。本当は楽をしたいと思っているくせに、今回のように困っている者がいると聞けば――自らの弟子だからというのもあろうが、魔界まで飛んでゆく。いくら人間を超越した身とはいえ、体がいくつあっても足りないのではないだろうか。
考えながら神子もまた失踪した少女の足取りをつかむべく調査にあたる。白蓮には嫌な予感がすると言ったが、胸騒ぎがするのは本当だ。幾度となき決闘や舌戦の末に何となく白蓮の人となりや信念も理解し、お互いに相容れぬ一線はあれども神子は白蓮の実力に一目置いている、とはいえ。
「今日のあいつは私の元を尋ねてきた時からどこかおかしかったんだ」
誰にともなくつぶやく。いくら瘴気の影響を気にしてとはいえ、このだだっ広い魔界を探るならせめて布都や一輪あたりは連れてくるべきではなかったか。焦燥しきったリズの手前では落ち着いていたが、別れてからは白蓮にも焦りの色が浮かび、魔界へ来る途中もそわそわと舟の外をしきりに眺めていた。
早くあの子を見つけてあげなければ――白蓮の逸る気持ちはわかるが、神子は白蓮がエマという子供のために無茶をするのではないかと懸念があった。大切なもののため、己の掲げる信念と正義のためなら白蓮はなんだってする。
「……ま、そう簡単に捨て鉢にはさせないさ」
神子はにやりと笑う。商売敵とはいえ、いや、商売敵だからこそ、白蓮に神子の与り知らぬところで散ってもらっては困る。潰すなら神子自ら叩き潰す。だからこそ、一緒に魔界へ来てほしいという急な頼みを引き受けたのかもしれない。
神子は魔界を飛び回りながら、道ゆく妖怪を捕まえてはエマを見かけなかったかと尋ねた。だが答えは知らない、見かけたこともない、と頼りにならないものばかり。エマが大人しく臆病な少女なら、誰かに拐かされ幽閉されている可能性もある。妖怪達の言動を注意深く伺っても、知っていながら隠し事をしているそぶりもなかった。
当てもなく聞き込みを続けるうちに、神子はあることに気づいた。どうやら魔界には統治者はいても自警団のような組織はなく、また住民達も暢気で子供一人いなくなっても本気で心配し、一緒に探そうと言い出す輩がいない。リズがお手上げになるのも納得だ。
かつて外の世界の為政者だった神子はもう少し魔界の社会を見直すべきではないかと義心に駆られるが、今はエマを探すのが先決だ。幸い、魔界に降りてからそれなりの時間が経過しても、神子の体に瘴気の影響は見られない。白蓮も今頃、広大な砂浜の中から一粒の砂金を探すような気持ちで魔界を駆け巡っているのだろう。
それから神子は長らく探し回ったが、結局何の手がかりもつかめず、ため息をついた。
「いったい、ここへ来てからどれだけの時間が経過したんだ?」
住人の少ない寂れた町の一角で空を見上げる。相変わらず変わり映えのない空だが、この町が人気もなく寂れているせいか余計に昏く、心なしか瘴気もエソテリアと比べて濃いような気がした。
魔界は日の光が差し込まないので、今が昼なのか夜なのかもわからない。白蓮曰く、「魔界の時間の流れは幻想郷とそんなに変わらないわ。だけど、まったく同じだと思い込んでいると浦島太郎になってしまうかも」とのことなので、時差はあるもののさしてないと見ていいのだろう。
疲れはさほど感じていない。が、適度なタイミングで切り上げなければ白蓮は魔界の果てまで行ってしまいそうだ。神子は笏をかざして白蓮へ合図を送った。ほどなくして、遥か北の方角で同じような光の柱が上がった。
「あいつ、ずいぶん遠くまで行ったな」
神子は肩をすくめて白蓮が放った光の元へ進む。白蓮は寂れた空き地に一人でぽつんと立っていた。
「何かわかりましたか?」
「いいや、残念ながら何も。そっちは」
「同じよ」
答えはわかりきっていたが、やはり白蓮も消えた弟子の足取りをつかめなかったようだ。あからさまに意気消沈している。
「なあ、ここらで一旦今日の探索は終了としないか。このまましらみ潰しに探していても我々が消耗するだけだ。一度落ち着いて考え直したいこともあるしな」
「……そうね。私も今のままじゃ何も進まないと痛感しています」
意外にも白蓮はこちらの提案をあっさり飲み込んだ。ひとまず無用な焦りはないようだと判断して、神子は胸を撫で下ろす。
白蓮は開けた空き地に向かって手を差し伸べた。一瞬のうちに、エソテリアの入り口に置いてきたはずの聖輦船が空き地に出現する。
「中で休みましょう。来た時と同じように、好きに使っていいから」
白蓮の後に続いて、神子も舟の内部に上がった。
◇
舟の内装は、今や命蓮寺となった先代の聖輦船にならって和風に設えられている。畳の敷き詰められた部屋で、神子は黙々と考えていた。
もう一度初めから、失踪したエマの動向について思考を巡らせる。
彼女はなぜ失踪したのか? 強くなるためだというが、魔界のどこにいても力がみなぎるなら、無理に住み慣れた場所を離れる必要もないはずだ。
そもそもどこへ向かおうとしたのか? 妖怪とはいえ幼い子供、何の当てもなくただ飛び出したとは考えにくい。
リズに言い残した伝言は本当か? 素直と馬鹿正直は違う。エマという少女には、仲良しのリズにも秘密にしていることがあったのではないか。
白蓮のような魔法使いに――彼女もまた、白蓮に対し強い憧れを抱く者のようだ。では白蓮のような強力な魔法を手に入れたとして、彼女は何をしたかったのだ?
(聖白蓮のように……あいつに近づきたいのか? 布都や屠自古が私を慕うように、彼女も自分を憧れの対象と同化させたかったのか?)
そこまで考えて、神子ははっと気づく。近づきたい。それが単なる憧憬ではなく、白蓮との物理的な距離を縮めたいのだとしたら、エマの目的は。
「神子」
神子が顔を上げたのと同時に、傍らに座り込んでいた白蓮が声を上げた。白蓮の顔は青白く、眉をひそめ、心苦しげに胸元を押さえていた。
「あの子は……エマは、魔界の外に出たかったのかもしれません。幻想郷に住む私に会いたかったのではないでしょうか」
「……私も今、同じことを考えていたよ」
神子がたどり着いた答えを返せば、白蓮は拳を強く握りしめた。自分より弟子をよく知る白蓮が言うのなら、この憶測はあながち的外れではないのかもしれない。
「あの子は昔の私によく似ていた。寂しがりで、臆病で、誰かの温もりに縋らずにはいられないの」
「お前がそんな殊勝な性格には見えないがな」
「私だって昔は普通の人間だったんですから」
何気なくまぜっ返せば、即座に反論が返ってくる。確かにそこそこ老成している割には白蓮は人間臭い。
「今のままでは魔界の外の薄い瘴気に耐えられない。なら、強い魔法の力を手に入れたら、外の世界に出られるんじゃないか……あの子はそう考えたのかもしれない」
「ああ。しかし、そのエマという娘は大人しい性格なんだろう。魔界の中をうろつくならともかく、それだけの度胸や行動力があるものか」
「塞ぎ込んでいる時は何をしでかすかわからないものよ」
「エマが外に出るなんてありえないと言ったのは何だったんだ。それはお前の経験からか?」
「ええ。尽きない悲しみに浸り過ぎた果てに私は外法に手を染めた」
白蓮は自らの事情となると翻って淡々とした口調になる。神子は白蓮の来し方を知っている。最愛の弟の死を嘆き、やがて自らの死を恐れて不老長寿の力を求めたと聞いていた。白蓮はその選択を自らの罪と数えているのだろう。
白蓮が語るエマの人物像は臆病で大人しくて引っ込み思案で、白蓮がここまで気にかけている理由も納得がゆく気がした。そんな子供を白蓮がほっとくはずもない。昔の自分に似ていると感じたのなら尚更だ。慕ってくる子供を無碍に出来ず、わざわざ魔法の手解きまでした。
しかし白蓮にとって魔界は“仮の宿り”のようなもの。時折顔を出すといっても、必ず幻想郷の命蓮寺へ帰ってゆく。エマにとってはそれが以前からずっと耐えがたいものだったのではなかろうか。最後に白蓮が魔界に来たのが三ヶ月前だったか。残された寂しがり屋の子供がどんな思いでいたのか……神子は眉間にしわを寄せる。温もりを知らなければ、寂しさを知ることもない。
「お前のせいだな」
神子はわざと低い声で言い放った。白蓮は黙って神子の顔を見つめている。
「中途半端に情けをかけておいて、忙しさにかまけて放置する。エマという子供はお前の気まぐれに心を痛めたのだろう」
白蓮のお人好しを神子はそれなりに認めている。だが、その甘さは時に神子を苛立たせたし、あれもこれもと手を伸ばしてどれも半端に終わってしまう、そんな懸念もあった。いくら超人的な能力を身につけても、白蓮は千手観音ではない。その末路が此度の少女の失踪だ。
救いを求める者すべてをあまねく救おうと願っても、限りがある。白蓮の詰めの甘さを容赦なく突けば、白蓮はうっすらと笑った。
「まったく、その通りよ」
白蓮は神子の目を真っ直ぐに見つめてくる。好敵手の糾弾をすんなり受け止める、自らの過ちを認める素直さは持ち合わせているのだ。過去に犯した大きな過ちの反省からかもしれない。
「だからこそ、くよくよしてはいられないのです。何としてでも私があの子を見つけなければ」
当てどなく魔界を駆け回っていた時の焦燥しきっていた表情から一転、白蓮の瞳には強い光が宿っていた。神子なりの喝は効いたようだ。
焦りが消えたのならそれでよい。白蓮はいつだって己の掲げる理想と正義のために奔走してきた。時に偽善と謗りを受けながらも決して己の信念を曲げなかった。自分が為すべきことは何か、何ができるか理解しているのなら、神子は安心して白蓮と力を合わせられる。
白蓮は憑き物が落ちたような顔で立ち上がった。
「明日、改めてエマを探しに行きましょう。神子、もう少し私に付き合ってくれる?」
「今更私が乗りかかった舟を降りるとでも思っているのか。私もあのリズという子供に約束してしまったからな。無垢な子供の願いを足蹴にしたとなれば聖人の名折れだ」
「ふふっ、そんな言い方しなくたって、貴方は誰かのために自分の力を振るう人だって私は知っているわ」
白蓮の柔和な笑みに、神子は一瞬虚を突かれる。神子が復活してからもう数年経つ。神子は己の能力も相まって白蓮を一方的に理解したつもりになっていたが、見透かしているのは何も神子の方だけではなかったようだ。
むず痒いのに居心地は悪くなくて、神子はそっぽを向いた。
◇
薄い敷布団の中で、神子は浅い眠りから目を覚ました。
あれからひとまず寝食を済ませようと、聖輦船内に備え付けられている布団と寝巻きを借りて眠りについたのだった。じきに覚醒してくる意識で、神子は今は何時だろうかと考えた。
室内はランプの薄明かりだけが照明でほの暗い。時計の針は四時二十五分を差している。果たしてそれが早朝なのか、夕方なのか……幻想郷と同じ時刻を示しているなら朝方だ。普通の人間ならまだ寝ているだろうが、早くも目が冴えてきた神子は起き上がることにした。何気なく隣を見て、神子はぎょっとした。
すぐ隣で、同じように布団を敷いた白蓮が寝息を立てている。
(あ……そうか、同じ部屋で寝たんだったか)
見慣れない光景に、思わず神子は白蓮の方をまじまじと見つめる。まさか商売敵と枕を並べて寝るだなんて数年前の自分は予測していただろうか。白蓮はよく寝ている。少しは緊張感を持った方がいいだろうに、と思うも、心配で一睡もできませんなんて言われるよりマシかと思い直す。
それにしても、と神子は今更のように考える。聖輦船は遊覧船として運用しているだけあって中は広いし、部屋もこの一室のみではない。何も同じ部屋で隣合って眠る必要はなかったんじゃないか。いや、不快なのかと聞かれれば決してそうではないのだが。
やがて、神子の気配に気づいてか、はたまた彼女の体内時計が働いてか、白蓮が身じろぎした。寝ぼけた吐息と共に上体を起こし、うっすらと開いた瞳はやがて神子へと向かう。
「ああ、おはようござ……」
寝起きの掠れた声で挨拶をした。と思ったら、白蓮は神子を見るなり目を丸く見開き、口元を覆って笑い出した。
「おい、何だいきなり」
「い、いえ、貴方……髪がすごいことになっているわ」
無理に笑いを堪えようと必死な姿が癪に障って、神子は眉間にしわを寄せる。近くに鏡がないので自分では見えないが、たぶんいつも通りくせ毛が暴発しているのだろう。
「元来のくせ毛だ。笑うな」
神子は以前一輪に『寝癖がひどいですよ?』と真面目な顔で言われたのを思い出した。神子は己の髪質を恥じたことも厭わしく思ったこともないし、むしろおかしいと笑い出す奴の方が間違っているのだ。
ようやく笑いが治った白蓮は、侘びるように眉を下げる。
「ごめんなさい。貴方が髪を下ろしているのを見るのは初めてだわ」
「ふん。洗面所を借りるぞ」
「待って。ねえ、せっかくだから私に結わせてよ」
「……はあ?」
神子は思わず素っ頓狂な声を上げた。せっかくだからって、いきなり何をにこやかに言い出すのだ。
「いらん、自分でやる」
「いいじゃない。お詫びってわけじゃないけど、こんな機会滅多にないんだから」
「あのなあ」
「綺麗にまとめてあげるから、ね?」
白蓮は笑って手を合わせてくる。どうしてこう変なところで押しが強いんだ。こんな時にまでお節介を発揮しなくてもよいのに。
白蓮が引く気配がないので、神子は根負けしてため息をついた。まあ、髪をいじらせるくらいなら、いいか。寝巻きのまま攻防を繰り広げるのも面倒だ。
着替えが済んだところで、白蓮に勧められて神子は鏡台の前へ連れて行かれる。白蓮の細い指が神子の髪を掬い上げた。
「あら、意外と髪質は硬いのね」
「面倒ならやらなくていいぞ」
「やりがいがあっていいわ」
何が楽しいのやら、白蓮は上機嫌で櫛を毛先から通してゆく。鏡に映る自分と白蓮の姿を見ているのが決まり悪くて、神子は鏡台に置かれた整髪料やら髪結の紐やらに視線をやる。
その昔、大王の皇子として傅かれていた頃には、身の回りの世話はほとんど召使いにやらせていた。長き眠りから覚めた今は自分で身支度をこなしているし、部下に任せるのもせいぜい道具を持ってこさせるぐらいだ。他人に髪を触らせるなんていつぶりになるのか。白蓮は自由奔放に跳ねる髪をものともせず、歯に引っかからないよう丁寧に櫛で梳き、いくつかの束に分けながら着々と進めている。
ずいぶん慣れた手つきだ。まさか弟子達にも同じことをして回っている……なんてことはないだろうが。というか、自分の髪はいいのか。神子ほどのくせはなくとも、ウェーブのかかった長い髪は手入れに時間がかかりそうだ。
「あの子もね、ひどいくせ毛なの」
中心で髪を二つに分けながら、白蓮はぽつりと言った。鏡に映る白蓮の目が遠くを見つめているようで、神子はすぐに“あの子”が失踪したエマを差しているのだとわかった。
「ぼさぼさで、うねって、まとまらなくて、こんな髪嫌いだって拗ねてた。だから私、髪を結ってあげたの。編み込みを入れて三つ編みにして、リボンをつけて、これならかわいくまとまるわよって」
「……」
「自分じゃうまくできないって言うから、次に来た時にまた編んであげるって……約束したのよ」
声はだんだん消え入るように沈んでゆく。白蓮の顔に影が差す。なるほど、神子の乱れた髪を見て白蓮の世話好きのさがが疼いたわけだ、と神子は納得した。
相手が人間だろうが妖怪だろうが、困っている者を見れば白蓮は救いの手を差し伸べずにいられない。親身になって話を聴き、相手の目線に立って物事を考える。時にはこころや女苑のように一時的に寺で面倒を見たりする。
では忙しなく駆け回る白蓮の世話はいったい誰が焼くのだろう? 白蓮の弟子達だろうか。いや、彼女達はそれなりの実力者だがまだ危なっかしい面がある。そもそも白蓮本人がそんな柄じゃない、と遠慮しそうではあるが、他人の心配ばかりしている白蓮を誰が気にかけてやるのか――。
神子はわざと大袈裟にため息をついた。
「それで、私はいつまでお前の感傷的な独り言を聞かされるんだ?」
「ああ、ごめんなさい。つい無駄話をしてしまった。……うん、できたわ」
最後に紐で左右対称に髪を括って、白蓮は得意げな笑顔を見せた。全体のバランスは整っているし、紐の結び目もきつ過ぎず緩すぎず、丁度いい。
「まあ、悪くはないな。……ありがとう」
何なら自分でやる時よりも上手くまとまっていて、神子はむず痒さを感じつつも礼を言った。白蓮はそれを聞いてまた嬉しそうに笑う。
「さあ、気は済んだだろう。そろそろ出る。お前も自分の支度を済ませておけよ」
「ええ、わかってるわ」
いつまでもこの言葉にし難い感情を抱えているわけにはいかない。白蓮が約束を果たしたいと願っているなら、二人のやることは一つ、探索の再開だ。神子は衣紋掛けに吊るしたままのマントを羽織って笏を持つ。甲板に出れば、首に数珠を下げ編み笠を被った白蓮が後ろから着いてくる。魔界の景色は昨日と一切変わりなく、濃厚な瘴気のたち込める昏い空間だった。
「魔界には朝も昼も夜もないんだな。余計に探しづらい」
「空の明るさが変わりませんからね。ここは空き地で街灯もありませんし」
「明かり……」
舟を降りた神子は、改めて聖輦船の全貌を見た。昏い魔界も進めるように提灯明かりが至る所にぶら下げられている。
神子は不意に、昨日探索途中で訪れた寂れた小さな町を思い出した。あの町も明かりがなくて昏くて――。
「なあ、舟の明かりを消してくれるか?」
「え? かまいませんけど」
白蓮が舟に手をかざすと、たちまち舟は空き地の暗がりの中に紛れてしまった。神子は神経を研ぎ澄ませる。魔法に関しては専門外だが、昨日一日魔界を飛び回って、魔界の空気にはそれなりに馴染んできた。そうしてわかったのは、パワースポットなんてないが、魔界に満ちる瘴気の量は一定ではないということだ。濃き薄きがあり、ほんの僅かな差だが、瘴気が濃い場所は辺りがより昏い。ちょうどこの空き地のように。
「やっぱりな」
「え?」
「ここは瘴気が少し濃い。お前は気づかないのか?」
「それぐらいわかってますけど、どの道この世界が瘴気まみれなのに変わりありませんから。教えた方がよかったかしら?」
「……聖白蓮よ。魔法の力を強めたいと思った時、瘴気の濃い場所と薄い場所、どちらを選ぶ?」
「それは……」
そこまで聞いて、白蓮も神子の言いたいことを理解したようだ。小さなものだが、エマを探す手がかりが見つかった。白蓮ははっとして神子を見つめる。
「だが、私にも二つに一つを決めかねている。手っ取り早く力を求めるなら瘴気の濃い場所に向かうだろうが、彼女の目的が魔界の外へ出ることなら、瘴気の薄い場所から出口を探すという考えも……」
「両方探ればいいわ」
白蓮の声には力が満ち、瞳は輝いている。
「昨日と同じ、二人で手分けして回ればいいの。私が瘴気の濃い方へ、貴方が瘴気の薄い方へ。昨日より時間がかかるでしょうけど、何もわからないまま探るよりずっといいでしょう?」
「――ああ、そうだな」
「ありがとう。灯台下暗しってこのことだわ。貴方がいてくれてよかった」
神子は苦笑する。まだ肝心の少女は見つかっていない、喜ぶには早いだろうに。
合図を忘れるなよ、と一応忠告をすると、今日は私が貴方の方へ向かうわと返ってくる。神子は白蓮と別れた。
「本当に、これで見つかってくれればいいんだがな」
いくら神子が智に長けているとはいえ、それ以外に思いつく手段なんてそうそうない。白蓮はありえないと言っていたが、もしエマがもう魔界にいなかったらお手上げだ。エマの抱える寂しさが、彼女自身をよからぬ方向へ導いていなければいいのだが。
神子は瘴気の濃淡を探って、なるべく薄い方へと向かってゆく。ここは商人の多い街なのか、様々な店が並び多くの妖怪で溢れている。神子の見立て通り、人通りが多く活気と賑わいのある場所は明るく、ほんの僅かながら瘴気が薄くなっているようだ。
どういう原理か不明だが、神子は街灯などの明かりではないかと見当をつけている。妖怪が光を厭い夜に活発化するように、暗がりは魔に近い者を引き寄せる。
「いやあ、本当にひどいことになってるって噂だぜ」
人混みの中に件の少女の姿がないか探していると、客人らしき男の声が耳に届いてきた。
「大人しかった妖怪が急に暴れ出すんだとよ。何か変なものでも持ち込まれたかね?」
「おや、お客さんもその噂を聞いたのかい? ついさっき来たお客さんも同じ話をしてたよ。今あそこに近づいたらまずいってな」
「嫌だねえ。早いとこ静かになってくれないかな」
神子は足を止めた。今までも魔界の妖怪達の噂話には注意深く耳を傾けていたが、どれもこれも他愛もない世間話ばかりだった。しかし此度は気色が違う。大人しい妖怪が暴走する。まるで小人と天邪鬼による下剋上の時みたいだが、呆れ返るほど暢気で穏やかな魔界には珍しい物騒な話だ。
「失礼。その物騒な場所とはどこのことだ?」
神子が声をかけると、話し込んでいた二人は驚いたように顔を上げた。
「おや、お姉さん、見慣れない顔だね」
「ここからずーっと西に向かったところだよ。そこはもう何十年も前に打ち捨てられた廃墟のはずなんだがなあ、なぜか急に妖怪が住み着いたって……」
「ありがとう。感謝する」
「えっ、ちょっとあんた、まさか行くつもりなのかい?」
二人の妖怪に礼を行って、神子は街の外へ出た。西の方角を見つめても、視界が不鮮明で何も見えやしないし、物々しい雰囲気が立ち込めているわけでもない。
ひとまず神子は笏を掲げ、昨日と同じように光で白蓮に合図を送る。南の方で光が上がって、それから間もなくして白蓮が駆けつけてきた。
「どうしました? 今日はずいぶん合図が早いですね」
「気になる情報を得たのでな」
神子は西の彼方の廃墟や、そこで暴れる妖怪の噂について白蓮に話した。白蓮は腕を組む。
「西の? 私もそんな話、聞いたことないわ……あ、でも待って。貴方の言う通り、昏くて人気のない場所って瘴気が濃くなるのよ。つまり、魔法の力も強くなる」
「妖怪が暴れ出すのもその影響かな。どうする? 行ってみるか?」
「行くしかないでしょう。たとえあの子がそこにいなくたって、何か手がかりが見つかるかもしれない」
決まりのようだ。白蓮が真剣な眼差しで西の方角を見やったのを目にして、神子もうなずいた。
◇
二日目にして、神子は魔界の瘴気にもずいぶん慣れたものだと思い込んでいた。全身にまとわりつく不気味で毒々しい空気も平気になっていたが、それでもこの西の廃墟に立ち込める瘴気は尋常でないと実感した。
「なあ、これは……」
「ええ。異常だわ。こんなに瘴気が膨れ上がるなんて自然には起こらないもの」
瘴気が霧のように色濃く充満していて、視界が悪い。目を凝らして、かろうじて瓦礫らしきものが辺りに散らばっているのが目視できる程度だ。おまけに鼻をつく異臭まで漂っており、並の人間がここにいたらひとたまりもないだろう。
極めつけは、商人達のいた街で聞いた通りの凶暴化した妖怪の群れだ。魔界の至る所にいた暢気な妖怪達の姿はどこへやら、誰も彼もが正気を失い、奇妙な雄叫びを上げ、好き勝手に暴れ回っている。
神子はヘッドホンをずらして耳を澄ませた。有象無象の妖怪の声を注意深く伺っても、聴こえるのは“暴れたい”という純粋な欲望ばかり。押し寄せる怒涛の欲望に耳鳴りを覚えつつ、神子はその中にある最も強大な欲望を持つ者の存在を認識した。
目では捉えられない。だが妖怪の群れの奥に、一際禍々しい魔力を放つ者が居座っている。
こいつが親玉なのか? いや、それにしては妖怪達は我を忘れて自由に暴れており、統率が取れていない……。
「神子!」
その時、白蓮の悲痛な叫びが神子の耳をつんざいた。振り返ると、白蓮の体は震えており、今にも泣き出しそうな顔をしている。
「やっと、やっと見つけたわ……」
感慨と悲しみの混じった白蓮の言葉に神子ははっと目を見開いた。見つけたって、まさか、白蓮が探し求めていた少女は、あの奥にいる禍々しく強大な魔力を持つ妖怪だというのか?
「聖白蓮、あれが本当にお前の弟子なのか?」
「エマよ。どんなに変わり果てた姿になっても私があの子を見間違えるはずがないのよ」
白蓮の毅然とした物言いに、神子もまた疑惑を捨てて信じざるを得なくなった。神子にはまだエマの姿は見えないが、白蓮はおそらく彼女の放つ魔力から本人だと判断したのだ。
奥に佇むエマは全身から邪気を振り撒き、彼女の影響を受けて妖怪達は凶暴化したのだろう。彼女に近づこうとしても、たちまち我を忘れた妖怪達に行手を阻まれてしまう。
「神子、貴方を連れてきて本当によかった」
白蓮の額に汗が浮かぶ。膨張した魔力の厄介さを痛感しているのだ。妖怪達の暴走を鎮めるには根源のエマを何とかせねばならないが、生ぬるい手段ではエマを助けるどころか返り討ちにされてしまう。
「こんな恐ろしく禍々しい力、私一人の法力だけでは抑えきれないわ」
「法力で駄目なら、魔法はどうなんだ」
「魔法は駄目。妖術ではあの子の魔力をますます増長させてしまう。清浄な、それでいて強力な力が必要なの」
白蓮は縋るように神子を見つめた。つまり、聖人かつ仙人たる神子の仙術がいるのだろう。互いの宗教を邪悪だと乏し合っていたのが遠い昔のようだ。
神子は腹を括って荒ぶる妖怪の群れを見据えた。なぜエマがこんな禍々しい力に呑まれてしまったのか、今は悠長に考えている暇もない。
「戦うしかないわけだな。どの道、辺りの妖怪も蹴散らさねば彼女に近づけない。ところで、この魔界では好きに戦ってもいいのか」
「幻想郷の常識が魔界で通用すると思わない方がいいわ。だけど、あの子は私の弟子だから、できれば過剰に痛めつけない方法でお願いできる?」
「甘いやつめ」
神子は鼻を鳴らす。果たして手加減しながら上手く救い出せるものか。
神子は笏を構え、白蓮は巻物を広げる。肉体強化の魔法で白蓮の体がオーラに包まれた。
二人が同時に妖怪の群れに突っ込めば、荒ぶる力をぶつける恰好の相手を見つけたと言わんばかりに妖怪達が次々と襲いかかってくる。
「邪魔だな」
神子が笏で頭を叩きのめし、白蓮が己が肉体で突き飛ばしても、数が多すぎてきりがない。煩わしくなった神子は笏を両手で持ち、精神を統一して力を一点に集中させた。
「有象無象の妖怪共よ、我に従え」
頭上へ掲げると同時に、神子は高らかに宣言した。
「我こそが天道なり!」
刹那、眩い閃光が放射状に広がり、昏く澱んだ魔界をあまねく照らした。日の如く眩い光は昏い魔界に巣食う妖怪には効果的面で、ある妖怪は光に目が眩んで立ち尽くし、ある妖怪は光を恐れて逃げ出してゆく。
「魔界に光がないのなら、私が日輪となってやろう!」
魔界はあまりに昏過ぎる。闇に巣食う妖怪にはそれでいいのかもしれないが、妖怪にだって救いの光を求める者がいるのだ。渦中にある白蓮の弟子のように。
「貴方が日輪――天照大御神なら、私の光は大日如来ね」
神子から離れた位置で、白蓮が両手を合わせ、静かに目を閉じた。
恐れ知らずの妖怪が白蓮に襲いかかる。白蓮が攻撃を受けたその時、白蓮は神子に負けず劣らず眩い光を放った。大日如来の輝き。確か白蓮はそう名付けていた。白蓮の光が残りの妖怪を一掃したのを見て、神子は口元をつり上げる。
「日の神の末裔たる私に対抗しようとでもいうのか?」
「天照大御神は大日如来の垂迹神なのよ」
「図々しく古き神の名を喰らって膨れ上がるか。いかにも仏教らしい広まり方だ」
「あらあら、こんな時にまで負け惜しみを言わなくてもいいのに」
「御託はいい、道は開けたぞ」
神子が行手を指し示せば、暴走していた妖怪達は悉く地面に倒れ、起き上がる気配はなかった。相変わらず瘴気は濃いままだが、これでどうにかエマに近づけるはずだ。
白蓮は口元を引き結んで、一歩一歩、慎重に歩みを進めてゆく。彼女を刺激しないよう、細心の注意を払っているのだ。
廃墟の並ぶ中央で一人うずくまる少女の姿を目にした時、神子は即座に彼女の異変の原因を見抜いた。
「力に呑まれてしまったか」
白蓮は変わり果てた少女に憐れむような眼差しを向けている。メデューサの如く髪は乱れ、意志を持つかのようにゆらゆらと蠢く。目は血走り、肌は泥に塗れ、服もずたずたに引きちぎれた跡がある。白蓮の話とは到底結びつかない、おどろおどろしい化け物のようだ。
魔界は魔法使いの力を高めるが、制御可能な魔力の量は魔法使いの器にかかっている。エマは力を欲するあまり、身の丈に合わぬ力を求め過ぎたようだ。取り込み過ぎた膨大な魔力は器から溢れ、このままでは本人をも壊してしまう。
「聞こえる……聞こえるわ。あの子の声が。必死に助けを求める声が」
白蓮は手を伸ばすが、エマはもう自我すら失っているのか、白蓮を慕ってやまない師と認識していないようだ。低い唸り声を上げ、欲望と憎悪に濡れた目で白蓮を睨みつけている。
不用意に近づこうとする白蓮を制して、神子もまたエマの魂の叫びを聴いていた。
ヘッドホンを外さなくとも、彼女の欲が、すべて聴こえる。
もっと強い魔法の力がほしい。
聖様のいる世界に行きたい。
眩しい光を全身で浴びたい。
聖様に会いたい。
リズにごめんねって言わなくちゃ。
ひとりぼっちは寂しくてたまらない。
私を置き去りにした聖様が憎い。
寂しい、怖い、誰か私を止めて。
聖様にまつわるすべてが憎い。
助けて。……助けて。助けて!
――神子は聖人だ。妖怪と敵対してはいないものの、本質的には人間の味方だ。
しかし必死に救いを求める者を見捨てては、聖人の名が廃る。白蓮に同調するわけではないが、手を差し伸べる相手に人間も妖怪も関係ない。
「ああ。その願い、確かに聞き届けた」
エマに語りかけ、神子は白蓮に目配せをする。もはやエマはこちらの話を聞く耳など持っていない。戦え、躊躇するな、この娘を救いたいんだろう?
白蓮も覚悟を決めたのか、顔面から悲壮な色を振り払い、神子の顔を見てうなずいた。
「お前の孕んだ欲望のすべて、我らが薙ぎ払ってくれる!」
神子が笏を振りかざすと、エマは凄まじい雄叫びを上げて突進してくる。白蓮から魔法の手ほどきを受けたなら、主たる戦術は白蓮と同じ肉体強化だろう。一時的に身体能力を超強化し、肉体は鋼のように強固になり腕力と脚力は妖獣をも上回る。
神子と白蓮は二人がかりで挑むも、膠着状態を強いられる。あちらは手加減無用なのに対しこちらはエマの命を奪わないよう注意を払わねばならないし、浄化の光を浴びせても彼女はすぐさま地の利を活かして魔力を回復してしまう。
神子は妙だと気づく。いくら魔界が魔法使いに力を与えるといっても、どうしてエマはこうも魔力が無尽蔵であるかのように暴れ回るのか。彼女を突き動かすものが、膨大な魔力以外にあるのだとしたら――神子は再び耳を澄ませる。怖い、助けてという悲痛な叫びの中に、それを上回るような憎い、恨めしいという強い負の感情が混ざっている。それらはすべて白蓮に向かっており、エマの攻撃が神子よりも白蓮へ優先されるのも納得だった。
「聖白蓮!」
神子は一度白蓮と共に距離を置く。エマに追いつかれる前に、神子は手短に白蓮へ告げる。
「厄介だ。あいつの欲に、お前に対する憎しみが混じっている。それが魔法の威力を増長させているんだ」
「……ええ。あの子の憎しみを取り除かなければならないのね」
白蓮は力に呑まれているエマを痛ましげに見つめた。白蓮も彼女と手を合わせて気づいていたのだろう。愛憎は表裏一体というが、エマの白蓮への思慕は強い憎悪へと翻ってしまった。それほどまでに白蓮を慕い、白蓮との別れを寂しく思っていた証だ。
視線をエマから逸らさないまま、白蓮は強い口調で神子に告げた。
「神子。あの子の相手は私がする。私の方へ注意を惹きつけてどうにか隙を作るから、その時を狙って」
「囮になる気か?」
「わからないの? あの子の憎しみを受け止められるのは私しかいないわ。……お願い」
白蓮は再度巻物を広げて肉体強化の魔法を使う。白蓮にはもうエマを救うことしか頭にないようだ。そして神子もまた、白蓮の頑なな決意を覆すだけの言葉を持っていなかった。元を正せばお前のせいだと焚き付けてしまったのは神子だった。それにエマの攻撃が白蓮に集中している今、白蓮に任せて神子が不意打ちを狙う方が得策かもしれない。
「……手を抜くなよ」
神子はそれだけ言い残して、白蓮から距離を取った。情に絆されて本気を出せなくなる、それも杞憂だろう。白蓮は弟子相手にだって手加減をしない。けれど、神子は昨日のような不吉な予感がよぎって胸騒ぎがする。
白蓮がわざとエマと距離を詰めれば、エマは白蓮目掛けて容赦なく拳を突きつける。白蓮は限界まで引きつけてからそれを交わし、エマの激情を煽っているように見えた。両者共、強化魔法により動きが俊敏で、常人の目には追えないスピードで攻防を続けている。
白蓮がどのようにエマの動きを止めるつもりなのか、神子は白蓮の一挙手一投足を注意深く観察しながら頭を働かせる。先ほど妖怪達を一掃するのに使った大日如来の光、あれは相手の攻撃を受けて初めて発動する術だ。白蓮は攻撃をかわしつつ、一方で適度な間合いとタイミングを図っているようにも見える。同じ要領で一度攻撃を食らってから、反撃で仕留めるつもりなのか。
――いや、違う。白蓮の狙いは反撃などではない。神子は白蓮の毅然とした表情の裏にある“策略”に気づいた。
「待て、聖白蓮、早まるな!」
神子は思わず怒声を上げた。ほんの少しだけ垣間見えた白蓮の策が実行される前に、神子は地を蹴る。だが神子が再び光を放つよりも早く、エマが動いた。
猛然たる速さで突き出された腕が、白蓮の脇腹を貫いた。
「聖白蓮……白蓮!!」
鋼鉄のように硬い腕は白蓮の左の腹に穴を開ける。白蓮はわざと避けず、自分にかけた魔法すら一時的に解除していた。白蓮は歯を食いしばって痛みを堪え、両足を踏みしめて倒れないように踏ん張る。そのまま己の腹を貫いた少女の腕をつかんで引き抜いた。おびただしい量の血がどっと溢れ、地面を赤く染める。
――今よ、神子。エマの憎しみが、揺らいだ。
駆けつけた神子に向けられた白蓮の眼差しはそう語っていた。白蓮に直接攻撃を当てた手応えを得たせいか、エマの動きが急激に鈍くなる。白蓮を気遣っている暇はない。神子は素早くエマの肩をつかんで白蓮から引き離し、笏を掲げた。
「派手にぶちかまして気は済んだか? あいつは慈悲深いからお前の悪行も許してくれるだろうよ。だがおいたが過ぎたな」
神子の声は自然と低くなる。エマに神子の声が届いているのかいないのか、今はもうどうでもいい。この暴れ馬のような妖怪を完膚なきまでにねじ伏せる。ああ、でも白蓮には手加減しろと言われたのだった。神子も一応そのつもりだが、危ういかもしれない。
神子は激しい怒りを覚えている。無茶をした白蓮にも、白蓮に深手を負わせたエマにもだ。
「お前にあいつの命をくれてやる気は更々ないんでな! 逆らう事なきを宗とせよ!!」
十七の閃光と無数の札が飛び交う。邪気を払うまじないを込めた清浄な光と札は、エマにまとわりつく魔力を急速に溶かしていった。
◇
気を失っていた少女、エマが、白蓮の膝の上で目を覚ます。神子の最後の攻撃を受けて魔力の暴走から解放されたエマは、元の大人しい少女に戻っていた。さすがに手傷を負い、あちこち泥に塗れているが、彼女に深刻な怪我はない。
「聖様……」
「遅くなってごめんなさい。助けに来たわ」
白蓮の優しい声に気づいたエマは即座に起き上がる。癖の強い紫の髪が乱れてうねっていた。
エマは真っ先に白蓮の腹へ目をやったが、そこには衣装が破れた跡があるだけで傷はどこにもない。肉体強化の応用で、無理矢理表面だけを塞いだように見せかけているのだ。白蓮は何も言わずに、微笑みを浮かべてエマの頬を撫でる。エマの顔がくしゃりと歪み、目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
「一緒に帰りましょう。リズが待っているわ。約束通り、貴方の髪を編んであげないとね」
白蓮は泣きじゃくる少女を優しく抱きしめた。エマに暴走時の記憶がどこまで残っているのか定かでないが、白蓮に迷惑をかけたのは強く実感しているようだ。
神子は体を寄せ合う二人の姿を、少し離れた場所から眺めていた。エマの暴走が治ったためか瘴気も以前より薄くなり、もう他の妖怪が凶暴化する恐れもないだろう。
「ま、久々の再会だからな」
神子からも二人に物申したいことが山ほどあったが、今は遠慮しておいてやる。それにエマにはこの後、リズからの説教が待ち受けているのだ、神子が出しゃばる必要もない。
神子は腹の底に渦巻く暗い思いを抱えたまま、二人が落ち着くのを見守っていた。
それから三人は揃ってリズの待つエソテリアまで戻ってきた。リズは十日以上行方を眩ませていた友人の姿を見るなり、辺りも憚らず大声で泣き出した。
「馬鹿、馬鹿、馬鹿! わ、私がどれだけ心配したと……」
「り、リズ……」
泣き喚くリズを見てエマは動揺する。白蓮は今度はリズを宥める側に回る羽目になった。どうにかリズを落ち着かせ、リズに謝るようエマへ促してから、二人の少女はようやく仲直りをした。その後はエマの格好があまりにみすぼらしいからと、エマの家へ上がって全員休むことになった。
「なあ、エマの親は」
「いないわ。一人暮らし。……だから余計に心細かったのでしょうね」
神子はエマが白蓮に固執した理由だけでなく、リズがやたらとエマを気にかける理由もわかったような気がした。文句を浴びせながらも、リズはずっとエマのそばを離れない。風呂に入り、着替えを終え、約束通り白蓮がエマの髪を結い始めた時、リズは「私もやる」と言い出した。
「聖様、この髪型、私にも教えてください。これからは私が結ってあげようと思います」
「うん、それじゃあ、リズは右側をお願いね」
白蓮はにっこり笑って、場所を半分リズに譲った。白蓮が慣れた手つきで編み込みと三つ編みを編んでゆくのに対し、リズの編み方は拙く、うねる髪に苦戦してあちこち毛がはみ出ている。それでも懸命に最後まで髪を結おうとするリズの姿を鏡越しに見て、エマは呆然と何かを考えている様子だった。
遠目に見守っていた神子は思う。きっと、もう白蓮が足繁く魔界へ通わなくたってエマは大丈夫だ。世の中に自分が心から慕ってやまない相手だけでなく、同じように自分のことを大事に思ってくれる相手がいると気づいたなら、彼女の世界は白蓮一色で染まらずに広がりを見せる。
「聖様、太子様、本当にありがとうございました」
「あの、迷惑かけてごめんなさい……」
「いいの。困ったことがあったら、またいつでも呼んでちょうだい」
「お前は本当に甘いよな。……君、自覚があるのならもう少し隣のお友達を大切にするといい」
「あ……」
「はい! もう馬鹿なことしないように、私がちゃんと見張っておくので!」
やがて魔界を発つべく聖輦船の前に神子と白蓮が向かえば、見送りにリズとエマもやってきた。おずおずと顔色を伺うエマの手を、リズがしっかり握りしめる。白蓮も二人のやりとりを見て安堵したようだった。
「太子様、またお暇な時に魔界に遊びに来てくださいね」
「余暇があればな。しかし今回訪れて思ったが、魔界はもう少し統治体制を見直した方がいいな」
「神子?」
神子はあまりに魔界の住民が暢気過ぎるのを指摘した。さすがに子供が行方不明になっているのに、大人がちっとも動かないのはどうかしているだろう。影に潜んでいる統治者とやらも何を考えているのか、地底だってもう少し社会ができていたはずだが。
「何なら私が支配してやってもよいが? 魔界にだって民衆を導く光が必要だろう」
「やめなさいって、貴方が魔界を支配したら聖徳王から魔王になってしまうわ。私がこれからも責任を持って足を運びます」
神子が不敵に笑うと、すかさず白蓮が口を挟んでくる。悪いようにするつもりなど微塵もないのだが、白蓮はこの辺り口うるさい。白蓮は神子としばし睨み合ったのち、にこりと笑った。
「いくら昏く閉ざされた地だからって、魔界に日輪は二つもいらないわ」
「二つごときで根を上げてどうする。大陸では一度に十の太陽が昇ったことがあると聞く」
「大変、もしそうなったら伝説のように九つを撃ち落としてもらわなければね。貴方の部下に弓の得意な方がいたでしょう」
「あいつに任せたら、最後に残る日輪は私だけだ」
「どうかしら。あまりの明るさに目が眩んで、区別がつかなくなってしまうかも」
「それはどうかな?」
いつものように冗談の応酬を始めたところで、二人の少女が困惑した表情で見つめているのに気づく。別れの挨拶の途中だったと思い出して、神子と白蓮はそれぞれ咳払いをするのだった。
◇
自動操縦で行き先を設定された聖輦船は、行きと同じように法力だけで幻想郷へ向かって動く。
「聖白蓮」
窓の外を眺めている白蓮に神子が低く声をかけると、白蓮は決まり悪そうに振り返った。神子が何を言うつもりなのか、理解しているようだ。
神子は笏を振りかざし、ごくごく軽い力で白蓮の頭をはたいた。白蓮が与える警策よりかは優しいはずだ。
「いたっ」
「お前、なぜ腹を貫かせるような真似をした」
神子は白蓮との距離を詰め、逃れられないように真っ直ぐ白蓮の目を射抜いた。白蓮は剣呑な眼差しで詰め寄られても怯まずに神子の目を見つめ返してきた。
「どんな形であれ、あの子が攻撃を私に直接ぶつければ、憎しみが和らぐと思ったのです。予想通り、あの子の憎しみが揺らいだのが貴方にもわかったのでしょう?」
「確かに隙はできた。お前の魔法で傷もすぐに塞がって、お前の弟子が気に病むこともない。なるほど合理的だな。だが」
神子はわざと白蓮が攻撃を受けた左の脇腹に腕を回して引き寄せた。白蓮が微かな呻き声を上げる。やはり傷はまだ完全に癒えていない。
「お前は私の智慧を頼りに来たのだろう?」
「……っ」
「私ならお前が腹に穴を開けなくとも、あの妖怪を懲らしめる策をその場で授けてやったさ」
表面上は何もない傷跡を、触れるか触れないか曖昧な感触でなぞる。肩口に白蓮が噛み殺した小さな呻きと吐息がかかる。立っているのもつらいだろうに少女二人の前で笑顔を保ち続けていたのは立派だが、それを褒めてやるつもりは微塵もない。
神子は、魔界に降り立って初めて出会ったばかりのリズの言葉を思い出していた。勝手に姿を消した友人に腹を立て、心の底から心配する姿。たぶん神子も同じだ。わざわざ単身で神子の道場までやってきて、一緒に来てくれと頼んだくせに、白蓮は土壇場で一人無茶をする。それでは、神子はいったい何のために白蓮に協力しに来たというのだ。
そういう意味では、白蓮は自負する通りエマによく似ていた。目の前にいる相手や己の目的に精一杯で、周りの感情に気づいていない。白蓮が他人に深く心を分けるのと同じくらい、白蓮の身を案じ白蓮が傷つくのを厭う者達がいるというのに。
「このまま帰って、私がお前の弟子に恨まれたらどうしてくれる」
「私の弟子は修行を積んでいますから、そんな簡単に狼狽えたりしません」
「わかってないな」
神子は一度白蓮の体を引き離し、再度目を合わせる。うつむいて顔を隠す長い髪をかき上げる。いちいち言葉にしなくたって、目の前で白蓮が深手を負った時に湧き上がってきた数多の感情を、白蓮なら悟るぐらい容易いだろうに。
神子はそれを言葉にできない。“言語”という形で明確に口にしてしまえば、途端に空中分解して嘘になってしまう気がした。商売敵で、好敵手で、互いに掲げる正義と信念を理解する相手で。白蓮に抱く思いを一言では言い表せない。
「お前がいないと、張り合いがない」
神子は目の前の白蓮に淡々と告げた。かろうじて今の神子に言えるのはこれぐらいだ。
白蓮は神子の言葉に目を丸くする。帰ってくるなりリズに怒られ泣かれたエマの表情に似ていた。ああ、やっぱりわかっていなかった。白蓮は悩ましげに目を伏せ、しばしの逡巡の末に神子を見上げた。
「神子、私、」
白蓮の言わんとするところを察して、神子は首を横に振る。謝罪なんて求めていないし、謝ったって許さない。白蓮は迷子の子供のようにうつむいて、神子の背中に自ら腕を回した。
「……私も、貴方がいないと寂しい」
ぽつりとつぶやかれた言葉が二人きりの船内に鮮明に響いて、今度は神子が目を見張る番だった。縋るように額を寄せる仕草から嘘は感じられない。いや、白蓮は悪意を持って嘘をつく性格ではないのだ。
背中と肩に白蓮の体温がのしかかる。生きている。白蓮の命は今、神子の腕の中で息づいている。
「八苦を滅したんじゃないのか」
「それでも寂しいものは寂しいのよ」
「私を封じ込めようとしたくせに」
「ええ、本当に。どうしてかしら。命蓮寺の弟子達のように、リズとエマのように、私を思い慕ってくれる人がたくさんいるのに。最も相容れないはずの貴方こそが私を一番理解しているんじゃないか……時々そんなことを考えるのよ」
「気の迷いだ、打ち払え」
神子はわざと素っ気なく言い放つ。こんな素直に寄りかかられて、心の内を吐露されても神子はそうだなと肯定できない。それは彼女の弟子達のためというより、神子自身のためだ。神子の動揺を察してか、白蓮はくすくす笑って神子の顔を覗き込んだ。
「ねえ、神子。私、貴方の部下に日を跨ぐかもって伝えそびれちゃった。こんなに長く貴方を連れ回して、貴方の部下に恨まれるかしら」
「心配しなくても、お前に対するあいつらの心象は今更変わらないさ」
布都も屠自古もとっくに白蓮の実力を認めているものの、いかんせん二人揃って仏教嫌いだ。仏教徒としての白蓮に対する評価は動かないだろう。
神子の答えを聞いて、白蓮は安堵したように微笑みかけた。
「そう。それじゃあこれ以上嫌われたって構わないし、遠慮しなくてもいいかしら」
不意に白蓮の目に浮かぶ色が変わる。まるでちょっとした悪戯を企む少女のように微笑んで――すんでのところで白蓮の意図を見抜いた神子は、すかさず手を顔の手前にかざした。柔らかい唇の感触が手のひらにぶつかる。
「む」
「よせ」
「あら、つれない」
「主導権を握られるのは性に合わん」
「関白宣言なんて今日日流行らないわ」
「私は摂政だ。昔のな。それに怪我人は大人しくしろ」
「これぐらい、舟を降りる頃には塞がっているわよ」
「……はあ」
神子は頭を抱えた。誰が呼んだかガンガンいく僧侶、よくわからないタイミングでスイッチが入る。じきに塞がるといったって、さっきの様子ではまだ痛みがかなり残っているはずだ。
神子はこれ以上白蓮に好き勝手される前に、白蓮の背中と膝の下に腕を回して横抱きに持ち上げた。
「え、ちょっと、神子」
意外と重い。口には出さないが。神子は困惑する白蓮を無視して、昨夜寝室として使った部屋まで運んでゆく。綺麗に畳まれて端に寄せられた布団を足で伸ばし(この際行儀が悪いなんて気にしていられない)、ゆっくり白蓮の体を布団に横たえた。
「傷が癒えるまで休んでいろ。どうせこの舟は何もしなくとも幻想郷まで帰ってくれるんだろう?」
神子のぶっきらぼうな気遣いに、白蓮は眉を下げて笑った。部屋を出て行こうと背を向けた神子に向かって、白蓮は話しかけてくる。
「今回の私は貴方に叱られてばかりねえ」
「いつも偉そうに説教をする側なんだ、お前に高説を垂れてやる輩などそういない、ありがたく思うんだな」
「それじゃあ貴方が道を誤った時には私が叱らなければね」
「その時が来るならな。……今回のような手段はもう取るなよ。いくら頑丈なお前でも寿命が縮むぞ」
「そうねえ。だけど私、もう無理に寿命を伸ばそうとはしていないのよ」
俄に心臓を鷲つかみにされた心地がして、神子は振り返った。白蓮は先ほどまでと変わらない微笑を湛えている。
魔法使いは肉体の成長を止める。白蓮は若返りの術で若い姿と長命を維持している。神子はかつて白蓮が不老不死に対し『今はもう興味がない』と言い切ったのを思い出した。仙人となり不老不死を目指す神子とは真逆の意志だ。
「お前だって命が惜しかったから邪法に手を染めたんだろう?」
「昔は確かにそうだった。だけど、もういいの。死んだって私はそこで終わりじゃない」
虚勢を張るな、とは言えなかった。それが仏教の悟りの境地とやらか。白蓮は死を存在の否定と重ね、存在意義の危うい妖怪にも仏の教えを説くことで救済を掲げ、己の死も今は平然と見つめている。
神子も政治への利用が目的とはいえ、かつて仏教を広めた身だ。白蓮の理屈を頭では理解している、けれど。
神子はいったいどんな表情をしていたのか、白蓮が困ったように口元を緩めた。
「心配しなくても今日明日に死んだりはしません。私はまだ弟子達に教えなければならないことが山ほどあるんだから」
「一度でも死に恐怖を抱いた奴は必ず不死を求める。お前だって例外じゃないだろうよ」
「だから、もう昔のことよ。私の罪は消えないでしょうけど……もう千年経った。私の弟も、そろそろ許してくれるかもしれないわ」
「――お前の弟が許しても、私が許すものか」
神子は鞘に収まったままの剣を、遠い目をする白蓮の枕元に突き立てた。わかっている、別に白蓮は怪我を負って弱気になっているわけではない。元気な時だって同じ台詞を神子に向かって言うだろう。
そうだとしても、込み上げる激情を抑えきれない。死んだ弟がなんだ、これだから死人にばかり目を向ける後ろ向きな仏教徒はいけ好かない。今なお不死を求める神子への当て付けなのか? いつもの敵対心からくる挑発なのか? 神子と同じ耳を持っていないくせに、何もかも見透かすような澄ました目が気に入らない。
神子は再度白蓮を睨みつけて、半ば脅すような調子で言い放った。
「私を封じたこと、邪教と爪弾きにしたこと、決して忘れはしない。死んで逃げられると思うな。生きて贖え、聖白蓮」
「……恐ろしい皇子さまだこと」
白蓮は神子の眼差しを悠然と受け止めて、幼子を見るように目を細めた。
神子は食い下がれなかった。これ以上は平行線だ。憤りを直にぶつける前に、神子は立ち上がりずかずかと部屋を出て行った。
いくつもの襖が並ぶ廊下を一人歩く。過去のいざこざをすべてを水に流したわけではないにしろ、神子はもう白蓮に対して恨みなどほとんど抱いていない。白蓮もそれを知っている。承知の上で、神子は白蓮の弱みに漬け込むような、痛いところを突くような台詞を言わなければならなかった。
怒りで神経が焼き切れそうだ。後から勝手に生まれて、勝手に封印をして、互いにいがみ合って、ようやくお互いを少しずつ認められるまでたどり着いたのに、勝手に終止符を打たれては困る。
『いくら昏く閉ざされた地だからって、魔界に日輪は二つもいらないわ』
神子は立ち止まって、白蓮が泣きじゃくる少女に向けた笑顔を思い出していた。神子が日の神の末裔、日出る処の道士たる日輪の光なら、彼女が掲げる救いの光もまた日輪だった。
両雄並び立たずというように、日輪は二つ同時に並ばない。布都が弓矢で射落とさなくても、白蓮は神子より先に沈んでゆく。互いの手を固く握りしめた魔界の少女二人のようにはいかないのだ。何心もなく手を取り合うには、神子と白蓮はそれぞれ長い時を過ごしすぎてしまった。
敵対心。尊敬。信頼。あるいは互いに親愛の域を凌駕するかもしれない何か。胸の奥に渦巻く澱んだ熱。こんな相手は三千世界を探し求めたってきっと簡単に見つけられないのに。
「……くそ。お前にとっても協調なんて無用か」
神子は襖に拳を軽くぶつけて、歯噛みした。宇宙の真理を求めるのに道は果てしなく長く、然るに人の命は儚く短い。どうして不老不死を極めようと欲するのが咎められよう。
互いに掲げる宗教の違い、結局はそれに収束する。どれだけ相手の正義や信念を認めようとも、死への恐れという始まりが同じでも、二人の歩む道には深い隔たりがある。もし簡単に宗旨替えをするような輩なら、相手を認めたりしなかった。
それでも、と神子は顔を上げる。踏み越えられない一線が存在しようとも、手を取り合えなくとも、一方的な幕引きは許さない。我が強いのがお互い様なら、神子だっておめおめと引き下がりはしない。
聖輦船が空の警笛を鳴らす。懐かしい日の光が窓の外から差し込んでくる。二人が帰る幻想郷が近づいていた。
◇
白蓮が最初に舟を召喚した時と同じく、聖輦船は神子の住む神霊廟前へと着陸した。舟を降りた神子は燦々と降り注ぐ日の光を全身に浴び、二日ぶりに味わう自らの仙界の空気を堪能していた。
「あー、やっと昏くて鬱陶しい瘴気ともおさらばだ」
「何、もしかしてへばっていたの?」
「まさか。住み慣れた我が家が一番だと思い知っただけだ」
神子は白蓮に構わず大きく伸びをする。いくら魔界の瘴気に慣れたといっても、あれが不快なものであるのに変わりはない。
「神子」
振り向くと、白蓮が深く頭を下げていた。体の傷はもう癒えたようだ。
「今回は本当にありがとう。貴方のおかげで無事にあの子を助けられた」
「礼には及ばない。……と言いたいところだが、お前から対価をもらう約束だったな」
「何を要求するつもりかしら。魔界せんべいだったら今すぐ着払いで送りつけられますけど」
「いらんと言っているだろう。お前は店の回し者か」
神子は肩をすくめる。着払いなんてできるのか、できたとしたら礼ではなく嫌がらせだ。
さて、対価といっても金目のものは欲しくないし、布教活動にも白蓮を関わらせるつもりはない。何がいいだろう、と考えて、神子は白蓮が一度脱いだ編み笠を再びかぶろうとしているのに気づく。神子はふと、今朝自分の髪に触れた白蓮の手を思い出して、白蓮の編み笠を取っ払った。白蓮の髪は雲のようにたなびき、紫と金の混じった不思議な色をしている。突然笠を奪われた白蓮は首を傾げていた。
「お前の頭はふわふわしているな」
「喧嘩売ってます? あのねえ、決闘をご所望なら素直にそう言ってくれればいいのですけど」
「お前の髪を私にもいじらせろ」
「……え、ええー?」
呆れ顔から一転、白蓮は目を丸くさせる。さすがにこれは白蓮も想定外だったか、と神子はほくそ笑む。
「いいだろう、減るもんでもあるまいし。お前だって私の髪をいじったんだから、これでおあいこだろう」
「うーん……まあ、できる限りで応えるって私も約束してしまったからね。……あまり変な髪型にしないでね」
「それは私の気分次第だな」
神子は上機嫌で白蓮を引っ張ってゆく。帰還の知らせを布都と屠自古に入れて、再び白蓮を奥へと通す。布都と屠自古は魔界で何をしていたのかとしきりに聞きたがっていたが、土産話は後だと押し留めた。
神子の自室にある鏡台は、聖輦船の和風なしつらえと違って大陸風に装飾を施したものだ。大人しく鏡台の前に座った白蓮は、鏡越しに不安げに問いかけてくる。
「それで、私の髪をどうするつもり?」
「そうだな、長くて鬱陶しいから結い上げてもいいんだが、あれだ。あの子供と同じ三つ編みにしてやる」
「三つ編みなんて私に似合うかしら」
「しのごの言うな」
神子は白蓮の髪を手に取った。見るからに柔らかくて軽そうな髪だと思っていたが、実際に触れてみると絹のように滑らかで、重さはほとんど感じない。さっきは頭がふわふわしていると言ったものの、白蓮は理想主義ではあるものの地に足が着いていて、少なくとも神子はお花畑だと思ったことは一度もなかった。
「本当に長いな。なぜ坊さんのくせに剃髪にしないんだ」
「結うのが面倒ならやらなくてもいいのよ」
「やりがいがあっていい」
わざと朝のやりとりを繰り返してやれば、そわそわ鏡を見つめていた白蓮もくすりと笑った。
白蓮が神子にやったように、まずは毛先から櫛で丁寧に梳いてゆく。白蓮は誰かに自分の髪を触らせたことがあるのだろうか。髪に限らず自分の体なんて他人に気安く触らせるものではないが、もし白蓮の髪をいじるのが自分が初めてなら、神子はほんの少しだけ胸がすく思いがする。
神子は得意げに白蓮の髪を梳き、真ん中で大きく二つに分ける。神子の様子を見て、ひとまず妙な髪型にはされなさそうだと判断したのか、白蓮の様子も落ち着いていた。二つに分けたうちの右側を手に取り、さらに三つの束に分けて、順番に編んでゆく。さすがに編み込みは面倒なのでやめておいた。毛先まで編むのは時間がかかりそうだが、髪が紫から金に変わる不思議なあわいを見ていると退屈しない。
君ならずして誰か上ぐべき。古くは髪を上げる行為で成人の儀式としたが、この行為は何の意味を持つのか。世話好きな白蓮の世話を焼きたかったのかもしれないし、下紐ならぬ契りの証として……なんて、いずれ必ずほどかれる髪でやるものではないか。だからこれは単なる神子の自己満足だ。神子がしばらくは白蓮に結われた髪を忘れないように、白蓮が少しの間、神子に結われた髪を見て神子を思い出せばいい。
――私は何を考えているんだろう。魔界の瘴気を浴びすぎたのだろうか、と神子は急に気まずくなる。
「聖白蓮」
「はい」
「今度会う時は、私と最強の称号を賭けて闘え」
「……はあ? なんで貴方まで一輪みたいなことを言うの」
「動くな、手元が狂う」
白蓮の表情が歪む。なぜって、そんなの白蓮が決闘を望むなら素直に言えと言ったからじゃないか。
感傷的な気分に浸るのは好かない。神子はわざとらしく鼻を鳴らした。
「寂しがる暇もなくなるぐらい、私が直々に付き合ってやるよ。お前みたいな厚かましくて面倒くさい奴、私ぐらいしか相手にならないだろう」
「ずいぶんな思い上がりね。尊大で横柄な貴方の相手を務められるのが私ぐらいしかいない、の間違いではなくて?」
白蓮もまた珍しく不敵に笑う。そうだ、その調子がいい。争いを好まない温厚な笑顔の下に、案外好戦的な素顔があるのを神子は知っている。昏くじめじめした世界はもう出てきたのだ、共同戦線もこれでおしまい。好敵手にはカラッとした日の光のような空気がお似合いだろう。
やがて髪も結い終わる。仕舞いに何か髪飾りでもつけてやろうか、と考えて、紫の布切れが余っていたから適当に引き裂いて髪留めとした。二つの長いおさげ髪を垂らした白蓮が鏡に映っている。
「よし、できた。初めてやってみたが面白いな、三つ編みとは」
「ええと……こんな髪型、私やったことないのよ。似合ってるの?」
「髪型くらい好きに言わせておけばいいだろう。それとも私の技量に不満があるとでも?」
「もう、私が何を考えているかわかっているくせに。お寺に帰ったらみんなに何て説明すればいいのよ」
白蓮は鏡に映るいつもと違う自分の姿を見て、拗ねたふりをする。それから立ち上がって、丁寧に編まれた髪の先をしきりにいじっている。そのまま戻って大いに弟子達に心配され、無茶をするなと怒られ、盛大にからかわれればいい。今回の白蓮にはそれぐらいがお似合いだ。
決闘の約束も取り付けたし、これで思い残すことはない、と考えて、神子は一つ意趣返しを思いつく。
「そうだ、忘れていたことがあった。ちょっと耳を貸せ」
「え? 今度は何?」
白蓮が何の警戒もなく近寄ってくる。その首元をつかんで引き寄せ、神子はかすめるように唇を重ねた。呆気に取られる白蓮の表情を目の当たりにして、神子は口元を緩めた。
「うん、確かに受け取った。これで今回の件は貸し借りなしだ」
「……貴方って、本っ当にずる賢くて嫌な女(ひと)ね」
私、しばらくこの髪、ほどけないじゃない。うつむいてまた三つ編みをいじる白蓮の顔はもう髪でも笠でも隠せず、ほのかに頬を染めてはにかんでいる。白蓮の反応に心底満足した神子は、高らかに笑った。
日輪は二つ並ばない。白蓮とは本当の意味ではわかり合えないのかもしれない。
けれど、二人が手を組んだ完全憑依異変の時のように、必要とあらばお互い背中を預けられるくらいには信頼している。大祀廟で目覚めた頃には考えだにしなかった現実だ。
日出る処の道士の行く道は、いつだって輝かしい日の光で照らされている。断絶があるのなら、そのぶん大股で距離を縮めてやればいいだけの話だ。神子は白蓮を見送るべく、聖輦船の停泊する神霊廟の入り口へ白蓮と連れ立って悠々と歩いて行った。
舟を降りた神子は、そびえ立つ摩天楼と田舎じみた家屋が並び立つ都市に目を見張った。空も大地も禍々しい緋色に覆われており、光の届かないこの世界は非常に昏い。人工的な明かりが暗闇の中、ほのかに浮かぶだけである。神子は鼻をつく異臭に口元を覆った。
「ここが魔界か。魔法の森とは比べ物にならん瘴気だな」
「ええ。くれぐれも気をつけて……なんて、仙人の貴方には余計なお世話でしょうけど」
隣にいる白蓮は、瘴気をものともせず平然と立っている。かつてこの魔界の一角、法界で千年の時を暮らした身には瘴気などへでもないのだろう。
「それにしても昏い。一筋の光すら届かぬとは、ここに堕とされるような輩はさぞ悪行の限りを尽くしたのであろうな」
「あら、胡散臭いという一点から封印されるような輩よりはマシかと思いますが」
いつもの調子で皮肉を言ってやれば、白蓮は笑顔で返してくる。では思う存分言いたいことをぶちまけて、などと戯れている暇はない。冗談はここまででよいだろうと、神子は本題に入る。
「して、聖白蓮よ。本当にこの魔界にお前の弟子が住んでいるというのか?」
「はい。妖怪の子供ですよ。大人しくて可愛らしい子です……それが、どうして」
白蓮は遠くに見える街並みの賑わいを眺めて、悲しげに目を細めた。
◇
時は少し遡る。
白蓮が神子の住む神霊廟を単身訪ねてきたのである。
「何の用だ。宗教勧誘なら間に合っているし、まさかお前が改宗しにきたわけでもあるまい」
「ただの布教活動ならよかったんですけどねえ」
白蓮は神子を前に嘆息する。商売敵とはいえ、一時は異変解決のためタッグを組んだ仲でもある。やや警戒気味の布都と屠自古を追い払って、神子は白蓮を奥へと招き入れた。何の前触れもなく、弟子も連れずにやってくるとは、何がしかののっぴきならぬ事情があるに違いない。
「単刀直入に言います。神子。私と一緒に魔界へ来てくれませんか?」
「……魔界、だと?」
神子は眉をひそめた。噂に聞いたことはある。幻想郷とは別の異界で、かつて白蓮が封印されていた地が魔界だ。幻想郷との交流はないが、白蓮は今でも時折、時に魔理沙などを連れて魔界へ足を運んでいるという。
しかしずいぶん唐突な申し出である。白蓮の思惑が何かこの耳で聴いてもよいが、会話が制限されるのもつまらない。何より白蓮が冗談でこんな話を持ちかけるとは思えなかった。
「今更、お前の古巣になぜ私が足を運ぶ必要がある」
「つい先日、魔界に住む私の弟子から連絡があったのです」
「魔界にお前の弟子がいるなど、聞いたことがないが」
「命蓮寺の弟子達とは違って、僧侶ではありませんから。そうですね、寺子屋の教師と教え子のようなものといえばわかりやすいでしょうか」
白蓮曰く、封印が解かれた後に魔界を訪ねた際、魔界で暮らす妖怪の子供に懐かれ、二人の子供に自らの魔法と法力を教えたそうだ。多忙の身ゆえ頻繁に魔界まで顔を出すことはできないが、今でも子供達のことは気にかけているという。
先日、子供の一人から連絡が来た。もう一人が行方不明になってしまった。魔界は広く、探し回っても一向に見つからない、どうしようと白蓮に助けを求めてきたのだ。事情を語る白蓮の眉がひそめられる。
「このまま見捨ててはおけません。行方を探しに行こうと思います」
「それで? なぜ私なんだ?」
神子は口を挟んだ。聞いた限りでは白蓮の個人的な事情としか思えないし、人探しに手伝いが欲しいなら神子を頼る必要もない気がする。
「お前の寺の弟子達はどうした。そいつらを連れて行けばいいだろう」
「私が不在の間は留守番をしてもらわなければなりませんから。それに、魔界には濃厚な瘴気が満ちています。並の妖怪や人間にはとても耐えられません。私を助けに来てくれた時は致し方なかったのですが、なるべくあの子達を巻き込みたくないのです」
「商売敵の私なら巻き込んでもよいというのか」
「貴方は確かな実力を持っているから。それに仙人の体なら魔界の瘴気も耐えられるでしょう」
神子はそれしきの賞賛に心を動かされはしないが、白蓮の意志は固いようだ。事情は理解したし、白蓮に頼られるのも構わない。魔界がどんな場所か、この目で直々に確かめてやるのも悪くないだろう。
とはいえ、商売敵の頼みを安請け合いするのも躊躇われる。過去のいざこざは今は脇に置くとしても、貸し借りはなるべく均衡に保ちたい。
「仮に私がお前の相談を引き受けたとしよう。お前は私に何の対価をくれる?」
「そうですねえ、魔界名物、魔界せんべいなんていかがでしょう?」
「ふざけているのか?」
「美味しいのに」
真面目な顔をしている白蓮に神子はため息をつく。そんな手土産で未踏の地を踏むなど割りに合わない。さすがに冗談だったのか、白蓮は苦笑いを浮かべた。
「無理を承知で頼むのですから、もちろん貴方の望みにはできる限り応えましょう。だけどあんまり無茶は言わないでね」
「ふっふっふ、さて、何を頼もうかな」
「それで、これ以上聞きたいことがないのでしたら“仮に”を取ってもらいたいのだけど。私の頼みを聞いてくれますか?」
「――いいだろう。未知の場所であろうと、私とお前で二人がかりなら妖怪の子供一人見つけるぐらい容易いことだ」
神子が口元をつり上げて宣言すると、白蓮はほっとしたように笑った。
そうと決まれば早速支度に取り掛かる。布都と屠自古にしばし留守にする旨を告げ、不在の間道場の守りや来客への対応を頼む。神子の行き先が魔界だと言えば二人はたいそう驚いていたが、連れが白蓮だと聞けば屠自古はともかく布都の方はなら案ずることはないと納得したようだった。
笏を持ち、剣を佩き、マントを羽織ったところで神子は外に出る。いつのまにか空飛ぶ宝船、聖輦船が神霊廟の入り口に浮かんでおり、傍らには白蓮が立っていた。
「お前のとこの宝船か。船長を呼んだのか?」
「この舟は自動操縦。舵手がいなくとも私の法力で動きます。この舟に乗れば魔界への行きも帰りも楽に過ごせるわ」
「それは気楽でいい。……が、持ち主にも私にも無断で舟をここに召喚するのはどうなんだ?」
「心配しなくても、ムラサ達にはもう私が魔界に出かけることは伝えてあるわ」
「……お前、私が頼みを断るとは考えなかったのか?」
「貴方なら聞いてくれると思っていたのよ」
白蓮の屈託のない笑みに、神子は鼻白む。普段は温厚なくせして、意外にこの白蓮は押しが強い。神子が相手となると、遠慮すらどこかへ行ってしまう。まあ遠慮をしないのはお互い様であるし、信頼を寄せられるのは悪くない。
「お前もなかなか面の皮が厚いな」
「嫌ではないくせに」
「御託はいい。行くぞ、魔界へ」
「ええ」
白蓮に先立って甲板まで上がると、白蓮も後を追って乗り込み、舟が浮上する。何度かこの舟を舞台に決闘と洒落込んだことはあるが、本来の役目である渡航は初めてだ。
さて、まだ見ぬ地に何が待ち受けているのか――神子には恐れや不安など微塵もなく、好奇心すら抱いていた。
聖輦船は仙界を超え、幻想郷の空を飛び、目的地の魔界まで一直線に向かう。神子は白蓮の案内で舟の内部を周りつつ、魔界への到着を待った。
やがて舟は魔界にたどり着く。降り立った神子は、白蓮に連絡を入れた弟子がどこにいるのか探して辺りを見渡した。神子はまだ魔界の地理をよく知らない。白蓮によれば、舟を降ろしたのはエソテリアという都市の入り口で、白蓮の弟子ともここで落ち合う予定だったというのだが。
「聖様!」
その時、一人の少女が神子達の元へ駆け寄ってきた。ややウェーブのかかった金の長い髪、背は低く見た目は十歳前後の人間の少女のようだ。しかしこの瘴気に満ちた魔界で平然と息をしていられることから彼女は紛れもなく妖怪なのだろう。
少女の声を聞いて、白蓮は目を見張る。彼女が“聖様”と呼んだので予想はついたが、この少女が白蓮の弟子の片割れか。息を切らせてやってきた少女を見て、白蓮はかがみ込んで少女と目線を合わせた。
「よかった、本当に来てくださったのですね! もう、私だけじゃどうしようもなくて……」
「久しぶりですね、リズ。私が来たからにはもう大丈夫。それに、今日は頼りになる助っ人を連れてきたんですから」
白蓮は神子に目配せをする。そこで初めて少女、リズも神子に気づいたようで、リズは呆然と口を開けて神子を見上げている。
「聖様、このお方は?」
「よくぞ聞いてくれた。我こそは……」
「静粛に。リズ、貴方は今、畏れ多くも聖徳王の御前にいるのです」
「おい」
意気揚々と名乗ろうとしたところを遮られて、神子は眉をひそめる。聖徳王って、普段そんな仰々しい呼び方をしないだろう。そんな紹介をされなくとも自分の威光は自分で示す。
白蓮の真剣な声を聞いて、リズはまじまじと神子を見つめた。恐れる様子はない。不意に、リズはぱっと顔を輝かせた。
「そうか、それじゃあ、貴方が噂に聞いていた太子様!」
頬を好調させ、無邪気に笑っている。どうやら白蓮は魔界の弟子にまで神子の話を聞かせていたようだ。
……魔界に来てわざわざ神子の話をするのか? 神子はいささかくすぐったく思う。神子を見上げたリズは、何の屈託もない笑顔で言い放った。
「十人の声を同時に聴き、聡明で、尊大で、とてつもなく偉そうな人!」
「……聖白蓮よ、お前は私のことをどう言いふらしているんだ?」
「ありのままの事実を。こんな素直な子供に嘘を教える訳にはいきませんから」
よくもまあいけしゃあしゃあと。リズは失礼だとも思っていないようだし、白蓮に至っては微笑すら浮かべている。師匠が師匠なら弟子も弟子か、と神子は頭を抱えた。
「ねえリズ、もう少し貴方の口から詳しく聞かせてもらえるかしら。エマはいつから消息を絶ったの?」
「十日ほど前です」
自己紹介という名の悪ふざけも済んで、白蓮は本題に入る。失踪したもう一人の弟子はエマという名前らしい。リズは暗い面持ちで語り始めた。
「思い返せば、エマは最近様子がおかしかったんです。三ヶ月前に聖様が帰った後、いつものように私達二人で寂しいね、なんて言い合ってたんですけど、エマはあの時からずっと何かを考え込んでいたみたいで……よく物思いに耽っているし、どうしたのって聞いたもなんでもないって上の空で答えるし。私が家まで訪ねても留守にしてたりして」
悔しそうに手のひらを握りしめる。もっと早く気づいていれば、そんな後悔が押し寄せてくるのだろう。少なくとも、このリズという少女は失踪したエマをひどく気にかけているようだ。
「それで、エマは十日前に突然飛び出して行ったんです。『私、聖様みたいなすごい魔法使いになって帰ってくるから、待っててね!』って言い残して。……それっきり、音沙汰がないんです」
幼い少女の顔が歪み始める。気丈な性格なのか、憧れの白蓮と初対面の神子の前で泣くまいと必死に堪えている。
「どこに行くかも教えてくれなかったし、みんなにエマを見てないかって聞いても知らないって。どうしよう、聖様、エマが帰ってこなかったら……」
「落ち着いて」
今にも泣き出しそうなリズの頭を撫でて、白蓮は優しく告げた。
「私と神子で必ず見つけ出します。貴方は少し休みなさい。ずっとエマのことを心配していたのね? 前に会った時よりもやつれているわ」
「だけど」
「私も同意だ。君の力だけではどうにもならなかったから、聖白蓮に助けを求めたのだろう?」
暗について来られても足手纏いだと伝えれば、神子の言葉の裏を読み取ったのか、リズは口ごもる。
神子は頭の中でリズの話を整理する。最後に言い残した言葉からして、エマは魔法の力を強める方法を求めて旅に出た、もしかしたらエマには何か当てがあって、目的地はリズに伏せた上で一直線にそこへ向かった、そう考えるのが自然だろう。
「魔界は魔法使いが強くなる地なのだろう。力を得られる場所に向かった可能性がある。この魔界にはパワースポットのような場所はないのか」
「ええと、それは……」
「この魔界にそんなものはありませんよ。強いて言えば、魔界そのものが魔法使いにとってのパワースポットなのです」
神子の問いに白蓮が答える。なかなかに厄介だ、と神子は腕を組む。事前に白蓮から聞いた話では、この魔界は途方もなく広い。何の当てもなく闇雲に探したって見つかりはしないだろう。
白蓮を見れば、彼女もまた困惑している様子だった。自分より魔界に詳しく、弟子のことも理解している白蓮ならあるいはと思ったが、彼女にもどうやら心当たりはないようだ。
「あの、聖様、太子様」
おずおずとリズが声を上げる。まだ食い下がるつもりかと思いきや、リズの眼差しは、先程までの切羽詰まった様子はいくらか薄れている。
リズは勢いよく頭を下げた。
「私、ぜんぜん手がかりを持ってなくて、ちっともお役に立てないのに、お願いするのもおこがましいんですが……どうか、エマを連れて帰ってきてください」
「……リズ」
「エマが待っててって、帰ってくるっていうから、私も信じようと思ったのに。こんなに心配かけるなんて許せない。エマが帰ってきたら、私、思いっきり文句を言ってやろうと思ってます」
彼女の表情は怒りに満ちている。勝手に飛び出して戻らない友の身を本気で案じているのだろう。
こんなに親身になってくれる者がいるとは、失踪した少女も幸せな奴だ。白蓮もまた、いくらか元気を取り戻したリズを見て微笑んだ。
「そうね。勝手にいなくなるなんて悪い子だわ。言いたいことはあるけれど、元を正せば私にも非があるみたいだし、お説教はリズに任せようかな」
「確かに今、我々に手がかりはない。が、それしきで諦める我々ではないさ。地道に調査を続けて、必ず君の友達を連れて帰ろう」
「……はい! よろしくお願いします!」
リズがまた深々とお辞儀をする。
さて、大見得を切ったからには、神子はこの問題を“白蓮の手伝い”などで済ませるつもりは更々ない。彼女達は白蓮を慕っているとはいえ、正式な弟子ではないようだし、ついでに布教でも……いや、それは後回しだ。目の前で泣きそうな子供がいたら、手を差し伸べるのが人の上に立つ者の役目だろう。
ひとまず情報を収集するべきだ、と神子は思考を働かせた。
◇
「なあ、そのエマという子供、魔界の外に出ていった可能性はないのか?」
「それはありえません」
一旦リズと別れた神子と白蓮は、都市を歩きながら改めて情報の整理と新たな可能性の模索を行っていた。
神子と白蓮が聖輦船で魔界へ来たように、魔界からも外へアクセスするルートがあるのなら。辛うじて思い至った可能性を挙げても、白蓮は首を振る。
「あの子は、エマは臆病で引っ込み思案だから、そんな思い切った行動には出られないと思うわ。リズを置いて飛び出したのだって信じられないくらいだもの。それに、魔界の者は外に出てはならないという掟があるのです」
「掟だと? となると、この魔界にも一応統治者がいるのか。それらしき影をまったく見かけないがな」
「幻想郷の賢者が普段隠れているのと同じよ。表に出てこないだけ」
「しかし、魔界の外に住む我々は普通に魔界へ訪れている。外の世界との交流を絶っているわけでもないのに、外に出るなと遮断する意味はあるのか」
「正確に言えば、魔界の住民は魔界から出られないわけではないの。けれど、この濃厚な瘴気に満ちた魔界で生まれ育った住民の肉体は、外の薄い瘴気に適応できない。掟は魔界の住民を守るためにあるのよ」
白蓮の話を聞いて、神子はおおよその仕組みを把握した。幻想郷を外の世界から隔離する結界に似ている。一部の強力な妖怪は平気で外に出られるが、力の弱い妖怪は結界の外では生きられない。異なるのは魔界には明確な結界などの隔てがないというだけだ。
「お前、長年封印されておいてよく出てこられたな」
「私が封じられたのは法界だから。封印のおかげで邪悪な空気も遮断されていたのです」
神子は改めて魔界の景色を見やる。見渡す限り不吉な緋色の空、赤茶の地面。目に悪い赤色は紅魔館の主が出す紅い霧よりもずっと邪悪なものだ。歩けども歩けども光が差し込む僅かな隙間すら天上にはなく、昼も夜もわからないほどに昏い。それでいて街並みはそれなりの発展をしており、住民達も比較的穏やかに過ごしているのだから、魔界の光景は幻想郷の地底世界を彷彿とさせた。しかし魔界は地底よりは開放的で、地底よりも禍々しい。
白蓮は表面上は落ち着き払っているものの、内心穏やかでないのか、足取りが自然と早くなってゆく。そう焦るな、と声をかけようとしたところで、白蓮が口を開いた。
「駄目元で聞き込みぐらいはしてみましょうか。……すみません、人を探しているのですが」
「あ、おい」
白蓮が通りすがりの妖怪に話しかけたのを見て、神子は慌てて後を追う。聞き込みといったって、神子はまだエマとかいう少女の特徴をほとんど知らない。
「小さな女の子なんです。背丈はこのくらいで、髪の色は紫色で、癖っ毛です。服はいつも黒を基調としたものを着ていて……」
「女の子? いや、悪いけど見てないよ。ちょっと前にも金髪の女の子が同じことを聞きに来たけど、まだ見つかってないのかい?」
「そうでしたか……どうもありがとうございます」
白蓮は残念そうに眉をひそめ、頭を下げる。神子はとりあえず白蓮の口にしたエマの外見の特徴を頭に叩き込んだ。背丈はリズより少し低め、紫の癖っ毛、黒い服。
「お前な、そういう情報はまず私にも共有してもらわねば困る」
「ごめんなさい」
「あんまり焦るな。お前らしくもない」
神子が愚痴をこぼせば、白蓮は困ったように笑った。
「駄目ね。ひとりぼっちで心細くて泣いていないかしら、ひもじい思いをしていないかしら、悪い奴にひどい目に合わされていないかしら……どうにも悪い方向にばかり考えが行ってしまう」
「まあ、探す当てがないのは確かだからな。目ぼしい行動範囲内にいるならあのリズがとっくに見つけている。私とお前で地道に聞き込みを行うにしたって、この広さでは気が遠くなるな」
「別行動するってこと? 構わないけど、貴方、この昏くて広い世界で道に迷わない?」
「目印があればいいんだろう? この昏さならかえって好都合だ」
「そうは言っても、ここでは摩天楼ですら瘴気に霞んで道標の役に立たないわ」
神子は構わず笏を天上に向かって高く掲げた。弾幕と同じ要領で一筋の眩い光を放つ。渦巻く瘴気も澱んだ空気も突き破り、目に痛いほどの白い光の柱となって魔界に光芒が差した。
「これなら遠くからでもどこにいるかわかるだろう」
「ああ、なるほど。私は金剛杵で同じことをやればいいわけね」
「合図はそうだな、何か見つけた、あるいは逆にお手上げだと判断した時に光を掲げる。どちらかが合図を送ったら、同じように送り返す」
「合流するのはどちらにしましょうか」
「私がお前の方へ向かう」
「わかった。まあ、どちらかが力尽きてても合図さえ出せればそっちへ向かえばいいだけですものね」
納得した白蓮がそれじゃあ、と早くも一人で進もうとするので「待て」と神子は白蓮の細い手首をつかんだ。怪訝そうな顔をする白蓮を睨んで念を押す。
「いいか? 一人で先走るなよ。必ず私に伝えろ」
「はいはい、わかってますよ。私、そんなに信用ないかしら」
「今日のお前を見ていると嫌な予感がするんだ」
「貴方はいつのまに予知能力なんて身につけたの。ああいや、元からそういう能力だったかしら」
白蓮は苦笑しつつ神子の手をほどいた。
「言われなくたって、何かわかったら一番に貴方に伝える。そうじゃなきゃ、何のために貴方を呼んだのかわからないじゃない」
「……それならいい」
「それじゃあ私は隣の街まで行くわ。貴方こそ、わかったことがあったらすぐに知らせてくださいよ」
言うが早いか、白蓮は一秒すら惜しいと言わんばかりに空を飛んでいった。神子は肩をすくめる。本当にわかっているのだろうか。
白蓮は根本的にお人好しというか、お節介だ。日々の修行に住職としての仕事、弟子への指導、檀家や参拝客への説法、果ては異変の調査まで、とにかく白蓮の毎日は忙しい。本当は楽をしたいと思っているくせに、今回のように困っている者がいると聞けば――自らの弟子だからというのもあろうが、魔界まで飛んでゆく。いくら人間を超越した身とはいえ、体がいくつあっても足りないのではないだろうか。
考えながら神子もまた失踪した少女の足取りをつかむべく調査にあたる。白蓮には嫌な予感がすると言ったが、胸騒ぎがするのは本当だ。幾度となき決闘や舌戦の末に何となく白蓮の人となりや信念も理解し、お互いに相容れぬ一線はあれども神子は白蓮の実力に一目置いている、とはいえ。
「今日のあいつは私の元を尋ねてきた時からどこかおかしかったんだ」
誰にともなくつぶやく。いくら瘴気の影響を気にしてとはいえ、このだだっ広い魔界を探るならせめて布都や一輪あたりは連れてくるべきではなかったか。焦燥しきったリズの手前では落ち着いていたが、別れてからは白蓮にも焦りの色が浮かび、魔界へ来る途中もそわそわと舟の外をしきりに眺めていた。
早くあの子を見つけてあげなければ――白蓮の逸る気持ちはわかるが、神子は白蓮がエマという子供のために無茶をするのではないかと懸念があった。大切なもののため、己の掲げる信念と正義のためなら白蓮はなんだってする。
「……ま、そう簡単に捨て鉢にはさせないさ」
神子はにやりと笑う。商売敵とはいえ、いや、商売敵だからこそ、白蓮に神子の与り知らぬところで散ってもらっては困る。潰すなら神子自ら叩き潰す。だからこそ、一緒に魔界へ来てほしいという急な頼みを引き受けたのかもしれない。
神子は魔界を飛び回りながら、道ゆく妖怪を捕まえてはエマを見かけなかったかと尋ねた。だが答えは知らない、見かけたこともない、と頼りにならないものばかり。エマが大人しく臆病な少女なら、誰かに拐かされ幽閉されている可能性もある。妖怪達の言動を注意深く伺っても、知っていながら隠し事をしているそぶりもなかった。
当てもなく聞き込みを続けるうちに、神子はあることに気づいた。どうやら魔界には統治者はいても自警団のような組織はなく、また住民達も暢気で子供一人いなくなっても本気で心配し、一緒に探そうと言い出す輩がいない。リズがお手上げになるのも納得だ。
かつて外の世界の為政者だった神子はもう少し魔界の社会を見直すべきではないかと義心に駆られるが、今はエマを探すのが先決だ。幸い、魔界に降りてからそれなりの時間が経過しても、神子の体に瘴気の影響は見られない。白蓮も今頃、広大な砂浜の中から一粒の砂金を探すような気持ちで魔界を駆け巡っているのだろう。
それから神子は長らく探し回ったが、結局何の手がかりもつかめず、ため息をついた。
「いったい、ここへ来てからどれだけの時間が経過したんだ?」
住人の少ない寂れた町の一角で空を見上げる。相変わらず変わり映えのない空だが、この町が人気もなく寂れているせいか余計に昏く、心なしか瘴気もエソテリアと比べて濃いような気がした。
魔界は日の光が差し込まないので、今が昼なのか夜なのかもわからない。白蓮曰く、「魔界の時間の流れは幻想郷とそんなに変わらないわ。だけど、まったく同じだと思い込んでいると浦島太郎になってしまうかも」とのことなので、時差はあるもののさしてないと見ていいのだろう。
疲れはさほど感じていない。が、適度なタイミングで切り上げなければ白蓮は魔界の果てまで行ってしまいそうだ。神子は笏をかざして白蓮へ合図を送った。ほどなくして、遥か北の方角で同じような光の柱が上がった。
「あいつ、ずいぶん遠くまで行ったな」
神子は肩をすくめて白蓮が放った光の元へ進む。白蓮は寂れた空き地に一人でぽつんと立っていた。
「何かわかりましたか?」
「いいや、残念ながら何も。そっちは」
「同じよ」
答えはわかりきっていたが、やはり白蓮も消えた弟子の足取りをつかめなかったようだ。あからさまに意気消沈している。
「なあ、ここらで一旦今日の探索は終了としないか。このまましらみ潰しに探していても我々が消耗するだけだ。一度落ち着いて考え直したいこともあるしな」
「……そうね。私も今のままじゃ何も進まないと痛感しています」
意外にも白蓮はこちらの提案をあっさり飲み込んだ。ひとまず無用な焦りはないようだと判断して、神子は胸を撫で下ろす。
白蓮は開けた空き地に向かって手を差し伸べた。一瞬のうちに、エソテリアの入り口に置いてきたはずの聖輦船が空き地に出現する。
「中で休みましょう。来た時と同じように、好きに使っていいから」
白蓮の後に続いて、神子も舟の内部に上がった。
◇
舟の内装は、今や命蓮寺となった先代の聖輦船にならって和風に設えられている。畳の敷き詰められた部屋で、神子は黙々と考えていた。
もう一度初めから、失踪したエマの動向について思考を巡らせる。
彼女はなぜ失踪したのか? 強くなるためだというが、魔界のどこにいても力がみなぎるなら、無理に住み慣れた場所を離れる必要もないはずだ。
そもそもどこへ向かおうとしたのか? 妖怪とはいえ幼い子供、何の当てもなくただ飛び出したとは考えにくい。
リズに言い残した伝言は本当か? 素直と馬鹿正直は違う。エマという少女には、仲良しのリズにも秘密にしていることがあったのではないか。
白蓮のような魔法使いに――彼女もまた、白蓮に対し強い憧れを抱く者のようだ。では白蓮のような強力な魔法を手に入れたとして、彼女は何をしたかったのだ?
(聖白蓮のように……あいつに近づきたいのか? 布都や屠自古が私を慕うように、彼女も自分を憧れの対象と同化させたかったのか?)
そこまで考えて、神子ははっと気づく。近づきたい。それが単なる憧憬ではなく、白蓮との物理的な距離を縮めたいのだとしたら、エマの目的は。
「神子」
神子が顔を上げたのと同時に、傍らに座り込んでいた白蓮が声を上げた。白蓮の顔は青白く、眉をひそめ、心苦しげに胸元を押さえていた。
「あの子は……エマは、魔界の外に出たかったのかもしれません。幻想郷に住む私に会いたかったのではないでしょうか」
「……私も今、同じことを考えていたよ」
神子がたどり着いた答えを返せば、白蓮は拳を強く握りしめた。自分より弟子をよく知る白蓮が言うのなら、この憶測はあながち的外れではないのかもしれない。
「あの子は昔の私によく似ていた。寂しがりで、臆病で、誰かの温もりに縋らずにはいられないの」
「お前がそんな殊勝な性格には見えないがな」
「私だって昔は普通の人間だったんですから」
何気なくまぜっ返せば、即座に反論が返ってくる。確かにそこそこ老成している割には白蓮は人間臭い。
「今のままでは魔界の外の薄い瘴気に耐えられない。なら、強い魔法の力を手に入れたら、外の世界に出られるんじゃないか……あの子はそう考えたのかもしれない」
「ああ。しかし、そのエマという娘は大人しい性格なんだろう。魔界の中をうろつくならともかく、それだけの度胸や行動力があるものか」
「塞ぎ込んでいる時は何をしでかすかわからないものよ」
「エマが外に出るなんてありえないと言ったのは何だったんだ。それはお前の経験からか?」
「ええ。尽きない悲しみに浸り過ぎた果てに私は外法に手を染めた」
白蓮は自らの事情となると翻って淡々とした口調になる。神子は白蓮の来し方を知っている。最愛の弟の死を嘆き、やがて自らの死を恐れて不老長寿の力を求めたと聞いていた。白蓮はその選択を自らの罪と数えているのだろう。
白蓮が語るエマの人物像は臆病で大人しくて引っ込み思案で、白蓮がここまで気にかけている理由も納得がゆく気がした。そんな子供を白蓮がほっとくはずもない。昔の自分に似ていると感じたのなら尚更だ。慕ってくる子供を無碍に出来ず、わざわざ魔法の手解きまでした。
しかし白蓮にとって魔界は“仮の宿り”のようなもの。時折顔を出すといっても、必ず幻想郷の命蓮寺へ帰ってゆく。エマにとってはそれが以前からずっと耐えがたいものだったのではなかろうか。最後に白蓮が魔界に来たのが三ヶ月前だったか。残された寂しがり屋の子供がどんな思いでいたのか……神子は眉間にしわを寄せる。温もりを知らなければ、寂しさを知ることもない。
「お前のせいだな」
神子はわざと低い声で言い放った。白蓮は黙って神子の顔を見つめている。
「中途半端に情けをかけておいて、忙しさにかまけて放置する。エマという子供はお前の気まぐれに心を痛めたのだろう」
白蓮のお人好しを神子はそれなりに認めている。だが、その甘さは時に神子を苛立たせたし、あれもこれもと手を伸ばしてどれも半端に終わってしまう、そんな懸念もあった。いくら超人的な能力を身につけても、白蓮は千手観音ではない。その末路が此度の少女の失踪だ。
救いを求める者すべてをあまねく救おうと願っても、限りがある。白蓮の詰めの甘さを容赦なく突けば、白蓮はうっすらと笑った。
「まったく、その通りよ」
白蓮は神子の目を真っ直ぐに見つめてくる。好敵手の糾弾をすんなり受け止める、自らの過ちを認める素直さは持ち合わせているのだ。過去に犯した大きな過ちの反省からかもしれない。
「だからこそ、くよくよしてはいられないのです。何としてでも私があの子を見つけなければ」
当てどなく魔界を駆け回っていた時の焦燥しきっていた表情から一転、白蓮の瞳には強い光が宿っていた。神子なりの喝は効いたようだ。
焦りが消えたのならそれでよい。白蓮はいつだって己の掲げる理想と正義のために奔走してきた。時に偽善と謗りを受けながらも決して己の信念を曲げなかった。自分が為すべきことは何か、何ができるか理解しているのなら、神子は安心して白蓮と力を合わせられる。
白蓮は憑き物が落ちたような顔で立ち上がった。
「明日、改めてエマを探しに行きましょう。神子、もう少し私に付き合ってくれる?」
「今更私が乗りかかった舟を降りるとでも思っているのか。私もあのリズという子供に約束してしまったからな。無垢な子供の願いを足蹴にしたとなれば聖人の名折れだ」
「ふふっ、そんな言い方しなくたって、貴方は誰かのために自分の力を振るう人だって私は知っているわ」
白蓮の柔和な笑みに、神子は一瞬虚を突かれる。神子が復活してからもう数年経つ。神子は己の能力も相まって白蓮を一方的に理解したつもりになっていたが、見透かしているのは何も神子の方だけではなかったようだ。
むず痒いのに居心地は悪くなくて、神子はそっぽを向いた。
◇
薄い敷布団の中で、神子は浅い眠りから目を覚ました。
あれからひとまず寝食を済ませようと、聖輦船内に備え付けられている布団と寝巻きを借りて眠りについたのだった。じきに覚醒してくる意識で、神子は今は何時だろうかと考えた。
室内はランプの薄明かりだけが照明でほの暗い。時計の針は四時二十五分を差している。果たしてそれが早朝なのか、夕方なのか……幻想郷と同じ時刻を示しているなら朝方だ。普通の人間ならまだ寝ているだろうが、早くも目が冴えてきた神子は起き上がることにした。何気なく隣を見て、神子はぎょっとした。
すぐ隣で、同じように布団を敷いた白蓮が寝息を立てている。
(あ……そうか、同じ部屋で寝たんだったか)
見慣れない光景に、思わず神子は白蓮の方をまじまじと見つめる。まさか商売敵と枕を並べて寝るだなんて数年前の自分は予測していただろうか。白蓮はよく寝ている。少しは緊張感を持った方がいいだろうに、と思うも、心配で一睡もできませんなんて言われるよりマシかと思い直す。
それにしても、と神子は今更のように考える。聖輦船は遊覧船として運用しているだけあって中は広いし、部屋もこの一室のみではない。何も同じ部屋で隣合って眠る必要はなかったんじゃないか。いや、不快なのかと聞かれれば決してそうではないのだが。
やがて、神子の気配に気づいてか、はたまた彼女の体内時計が働いてか、白蓮が身じろぎした。寝ぼけた吐息と共に上体を起こし、うっすらと開いた瞳はやがて神子へと向かう。
「ああ、おはようござ……」
寝起きの掠れた声で挨拶をした。と思ったら、白蓮は神子を見るなり目を丸く見開き、口元を覆って笑い出した。
「おい、何だいきなり」
「い、いえ、貴方……髪がすごいことになっているわ」
無理に笑いを堪えようと必死な姿が癪に障って、神子は眉間にしわを寄せる。近くに鏡がないので自分では見えないが、たぶんいつも通りくせ毛が暴発しているのだろう。
「元来のくせ毛だ。笑うな」
神子は以前一輪に『寝癖がひどいですよ?』と真面目な顔で言われたのを思い出した。神子は己の髪質を恥じたことも厭わしく思ったこともないし、むしろおかしいと笑い出す奴の方が間違っているのだ。
ようやく笑いが治った白蓮は、侘びるように眉を下げる。
「ごめんなさい。貴方が髪を下ろしているのを見るのは初めてだわ」
「ふん。洗面所を借りるぞ」
「待って。ねえ、せっかくだから私に結わせてよ」
「……はあ?」
神子は思わず素っ頓狂な声を上げた。せっかくだからって、いきなり何をにこやかに言い出すのだ。
「いらん、自分でやる」
「いいじゃない。お詫びってわけじゃないけど、こんな機会滅多にないんだから」
「あのなあ」
「綺麗にまとめてあげるから、ね?」
白蓮は笑って手を合わせてくる。どうしてこう変なところで押しが強いんだ。こんな時にまでお節介を発揮しなくてもよいのに。
白蓮が引く気配がないので、神子は根負けしてため息をついた。まあ、髪をいじらせるくらいなら、いいか。寝巻きのまま攻防を繰り広げるのも面倒だ。
着替えが済んだところで、白蓮に勧められて神子は鏡台の前へ連れて行かれる。白蓮の細い指が神子の髪を掬い上げた。
「あら、意外と髪質は硬いのね」
「面倒ならやらなくていいぞ」
「やりがいがあっていいわ」
何が楽しいのやら、白蓮は上機嫌で櫛を毛先から通してゆく。鏡に映る自分と白蓮の姿を見ているのが決まり悪くて、神子は鏡台に置かれた整髪料やら髪結の紐やらに視線をやる。
その昔、大王の皇子として傅かれていた頃には、身の回りの世話はほとんど召使いにやらせていた。長き眠りから覚めた今は自分で身支度をこなしているし、部下に任せるのもせいぜい道具を持ってこさせるぐらいだ。他人に髪を触らせるなんていつぶりになるのか。白蓮は自由奔放に跳ねる髪をものともせず、歯に引っかからないよう丁寧に櫛で梳き、いくつかの束に分けながら着々と進めている。
ずいぶん慣れた手つきだ。まさか弟子達にも同じことをして回っている……なんてことはないだろうが。というか、自分の髪はいいのか。神子ほどのくせはなくとも、ウェーブのかかった長い髪は手入れに時間がかかりそうだ。
「あの子もね、ひどいくせ毛なの」
中心で髪を二つに分けながら、白蓮はぽつりと言った。鏡に映る白蓮の目が遠くを見つめているようで、神子はすぐに“あの子”が失踪したエマを差しているのだとわかった。
「ぼさぼさで、うねって、まとまらなくて、こんな髪嫌いだって拗ねてた。だから私、髪を結ってあげたの。編み込みを入れて三つ編みにして、リボンをつけて、これならかわいくまとまるわよって」
「……」
「自分じゃうまくできないって言うから、次に来た時にまた編んであげるって……約束したのよ」
声はだんだん消え入るように沈んでゆく。白蓮の顔に影が差す。なるほど、神子の乱れた髪を見て白蓮の世話好きのさがが疼いたわけだ、と神子は納得した。
相手が人間だろうが妖怪だろうが、困っている者を見れば白蓮は救いの手を差し伸べずにいられない。親身になって話を聴き、相手の目線に立って物事を考える。時にはこころや女苑のように一時的に寺で面倒を見たりする。
では忙しなく駆け回る白蓮の世話はいったい誰が焼くのだろう? 白蓮の弟子達だろうか。いや、彼女達はそれなりの実力者だがまだ危なっかしい面がある。そもそも白蓮本人がそんな柄じゃない、と遠慮しそうではあるが、他人の心配ばかりしている白蓮を誰が気にかけてやるのか――。
神子はわざと大袈裟にため息をついた。
「それで、私はいつまでお前の感傷的な独り言を聞かされるんだ?」
「ああ、ごめんなさい。つい無駄話をしてしまった。……うん、できたわ」
最後に紐で左右対称に髪を括って、白蓮は得意げな笑顔を見せた。全体のバランスは整っているし、紐の結び目もきつ過ぎず緩すぎず、丁度いい。
「まあ、悪くはないな。……ありがとう」
何なら自分でやる時よりも上手くまとまっていて、神子はむず痒さを感じつつも礼を言った。白蓮はそれを聞いてまた嬉しそうに笑う。
「さあ、気は済んだだろう。そろそろ出る。お前も自分の支度を済ませておけよ」
「ええ、わかってるわ」
いつまでもこの言葉にし難い感情を抱えているわけにはいかない。白蓮が約束を果たしたいと願っているなら、二人のやることは一つ、探索の再開だ。神子は衣紋掛けに吊るしたままのマントを羽織って笏を持つ。甲板に出れば、首に数珠を下げ編み笠を被った白蓮が後ろから着いてくる。魔界の景色は昨日と一切変わりなく、濃厚な瘴気のたち込める昏い空間だった。
「魔界には朝も昼も夜もないんだな。余計に探しづらい」
「空の明るさが変わりませんからね。ここは空き地で街灯もありませんし」
「明かり……」
舟を降りた神子は、改めて聖輦船の全貌を見た。昏い魔界も進めるように提灯明かりが至る所にぶら下げられている。
神子は不意に、昨日探索途中で訪れた寂れた小さな町を思い出した。あの町も明かりがなくて昏くて――。
「なあ、舟の明かりを消してくれるか?」
「え? かまいませんけど」
白蓮が舟に手をかざすと、たちまち舟は空き地の暗がりの中に紛れてしまった。神子は神経を研ぎ澄ませる。魔法に関しては専門外だが、昨日一日魔界を飛び回って、魔界の空気にはそれなりに馴染んできた。そうしてわかったのは、パワースポットなんてないが、魔界に満ちる瘴気の量は一定ではないということだ。濃き薄きがあり、ほんの僅かな差だが、瘴気が濃い場所は辺りがより昏い。ちょうどこの空き地のように。
「やっぱりな」
「え?」
「ここは瘴気が少し濃い。お前は気づかないのか?」
「それぐらいわかってますけど、どの道この世界が瘴気まみれなのに変わりありませんから。教えた方がよかったかしら?」
「……聖白蓮よ。魔法の力を強めたいと思った時、瘴気の濃い場所と薄い場所、どちらを選ぶ?」
「それは……」
そこまで聞いて、白蓮も神子の言いたいことを理解したようだ。小さなものだが、エマを探す手がかりが見つかった。白蓮ははっとして神子を見つめる。
「だが、私にも二つに一つを決めかねている。手っ取り早く力を求めるなら瘴気の濃い場所に向かうだろうが、彼女の目的が魔界の外へ出ることなら、瘴気の薄い場所から出口を探すという考えも……」
「両方探ればいいわ」
白蓮の声には力が満ち、瞳は輝いている。
「昨日と同じ、二人で手分けして回ればいいの。私が瘴気の濃い方へ、貴方が瘴気の薄い方へ。昨日より時間がかかるでしょうけど、何もわからないまま探るよりずっといいでしょう?」
「――ああ、そうだな」
「ありがとう。灯台下暗しってこのことだわ。貴方がいてくれてよかった」
神子は苦笑する。まだ肝心の少女は見つかっていない、喜ぶには早いだろうに。
合図を忘れるなよ、と一応忠告をすると、今日は私が貴方の方へ向かうわと返ってくる。神子は白蓮と別れた。
「本当に、これで見つかってくれればいいんだがな」
いくら神子が智に長けているとはいえ、それ以外に思いつく手段なんてそうそうない。白蓮はありえないと言っていたが、もしエマがもう魔界にいなかったらお手上げだ。エマの抱える寂しさが、彼女自身をよからぬ方向へ導いていなければいいのだが。
神子は瘴気の濃淡を探って、なるべく薄い方へと向かってゆく。ここは商人の多い街なのか、様々な店が並び多くの妖怪で溢れている。神子の見立て通り、人通りが多く活気と賑わいのある場所は明るく、ほんの僅かながら瘴気が薄くなっているようだ。
どういう原理か不明だが、神子は街灯などの明かりではないかと見当をつけている。妖怪が光を厭い夜に活発化するように、暗がりは魔に近い者を引き寄せる。
「いやあ、本当にひどいことになってるって噂だぜ」
人混みの中に件の少女の姿がないか探していると、客人らしき男の声が耳に届いてきた。
「大人しかった妖怪が急に暴れ出すんだとよ。何か変なものでも持ち込まれたかね?」
「おや、お客さんもその噂を聞いたのかい? ついさっき来たお客さんも同じ話をしてたよ。今あそこに近づいたらまずいってな」
「嫌だねえ。早いとこ静かになってくれないかな」
神子は足を止めた。今までも魔界の妖怪達の噂話には注意深く耳を傾けていたが、どれもこれも他愛もない世間話ばかりだった。しかし此度は気色が違う。大人しい妖怪が暴走する。まるで小人と天邪鬼による下剋上の時みたいだが、呆れ返るほど暢気で穏やかな魔界には珍しい物騒な話だ。
「失礼。その物騒な場所とはどこのことだ?」
神子が声をかけると、話し込んでいた二人は驚いたように顔を上げた。
「おや、お姉さん、見慣れない顔だね」
「ここからずーっと西に向かったところだよ。そこはもう何十年も前に打ち捨てられた廃墟のはずなんだがなあ、なぜか急に妖怪が住み着いたって……」
「ありがとう。感謝する」
「えっ、ちょっとあんた、まさか行くつもりなのかい?」
二人の妖怪に礼を行って、神子は街の外へ出た。西の方角を見つめても、視界が不鮮明で何も見えやしないし、物々しい雰囲気が立ち込めているわけでもない。
ひとまず神子は笏を掲げ、昨日と同じように光で白蓮に合図を送る。南の方で光が上がって、それから間もなくして白蓮が駆けつけてきた。
「どうしました? 今日はずいぶん合図が早いですね」
「気になる情報を得たのでな」
神子は西の彼方の廃墟や、そこで暴れる妖怪の噂について白蓮に話した。白蓮は腕を組む。
「西の? 私もそんな話、聞いたことないわ……あ、でも待って。貴方の言う通り、昏くて人気のない場所って瘴気が濃くなるのよ。つまり、魔法の力も強くなる」
「妖怪が暴れ出すのもその影響かな。どうする? 行ってみるか?」
「行くしかないでしょう。たとえあの子がそこにいなくたって、何か手がかりが見つかるかもしれない」
決まりのようだ。白蓮が真剣な眼差しで西の方角を見やったのを目にして、神子もうなずいた。
◇
二日目にして、神子は魔界の瘴気にもずいぶん慣れたものだと思い込んでいた。全身にまとわりつく不気味で毒々しい空気も平気になっていたが、それでもこの西の廃墟に立ち込める瘴気は尋常でないと実感した。
「なあ、これは……」
「ええ。異常だわ。こんなに瘴気が膨れ上がるなんて自然には起こらないもの」
瘴気が霧のように色濃く充満していて、視界が悪い。目を凝らして、かろうじて瓦礫らしきものが辺りに散らばっているのが目視できる程度だ。おまけに鼻をつく異臭まで漂っており、並の人間がここにいたらひとたまりもないだろう。
極めつけは、商人達のいた街で聞いた通りの凶暴化した妖怪の群れだ。魔界の至る所にいた暢気な妖怪達の姿はどこへやら、誰も彼もが正気を失い、奇妙な雄叫びを上げ、好き勝手に暴れ回っている。
神子はヘッドホンをずらして耳を澄ませた。有象無象の妖怪の声を注意深く伺っても、聴こえるのは“暴れたい”という純粋な欲望ばかり。押し寄せる怒涛の欲望に耳鳴りを覚えつつ、神子はその中にある最も強大な欲望を持つ者の存在を認識した。
目では捉えられない。だが妖怪の群れの奥に、一際禍々しい魔力を放つ者が居座っている。
こいつが親玉なのか? いや、それにしては妖怪達は我を忘れて自由に暴れており、統率が取れていない……。
「神子!」
その時、白蓮の悲痛な叫びが神子の耳をつんざいた。振り返ると、白蓮の体は震えており、今にも泣き出しそうな顔をしている。
「やっと、やっと見つけたわ……」
感慨と悲しみの混じった白蓮の言葉に神子ははっと目を見開いた。見つけたって、まさか、白蓮が探し求めていた少女は、あの奥にいる禍々しく強大な魔力を持つ妖怪だというのか?
「聖白蓮、あれが本当にお前の弟子なのか?」
「エマよ。どんなに変わり果てた姿になっても私があの子を見間違えるはずがないのよ」
白蓮の毅然とした物言いに、神子もまた疑惑を捨てて信じざるを得なくなった。神子にはまだエマの姿は見えないが、白蓮はおそらく彼女の放つ魔力から本人だと判断したのだ。
奥に佇むエマは全身から邪気を振り撒き、彼女の影響を受けて妖怪達は凶暴化したのだろう。彼女に近づこうとしても、たちまち我を忘れた妖怪達に行手を阻まれてしまう。
「神子、貴方を連れてきて本当によかった」
白蓮の額に汗が浮かぶ。膨張した魔力の厄介さを痛感しているのだ。妖怪達の暴走を鎮めるには根源のエマを何とかせねばならないが、生ぬるい手段ではエマを助けるどころか返り討ちにされてしまう。
「こんな恐ろしく禍々しい力、私一人の法力だけでは抑えきれないわ」
「法力で駄目なら、魔法はどうなんだ」
「魔法は駄目。妖術ではあの子の魔力をますます増長させてしまう。清浄な、それでいて強力な力が必要なの」
白蓮は縋るように神子を見つめた。つまり、聖人かつ仙人たる神子の仙術がいるのだろう。互いの宗教を邪悪だと乏し合っていたのが遠い昔のようだ。
神子は腹を括って荒ぶる妖怪の群れを見据えた。なぜエマがこんな禍々しい力に呑まれてしまったのか、今は悠長に考えている暇もない。
「戦うしかないわけだな。どの道、辺りの妖怪も蹴散らさねば彼女に近づけない。ところで、この魔界では好きに戦ってもいいのか」
「幻想郷の常識が魔界で通用すると思わない方がいいわ。だけど、あの子は私の弟子だから、できれば過剰に痛めつけない方法でお願いできる?」
「甘いやつめ」
神子は鼻を鳴らす。果たして手加減しながら上手く救い出せるものか。
神子は笏を構え、白蓮は巻物を広げる。肉体強化の魔法で白蓮の体がオーラに包まれた。
二人が同時に妖怪の群れに突っ込めば、荒ぶる力をぶつける恰好の相手を見つけたと言わんばかりに妖怪達が次々と襲いかかってくる。
「邪魔だな」
神子が笏で頭を叩きのめし、白蓮が己が肉体で突き飛ばしても、数が多すぎてきりがない。煩わしくなった神子は笏を両手で持ち、精神を統一して力を一点に集中させた。
「有象無象の妖怪共よ、我に従え」
頭上へ掲げると同時に、神子は高らかに宣言した。
「我こそが天道なり!」
刹那、眩い閃光が放射状に広がり、昏く澱んだ魔界をあまねく照らした。日の如く眩い光は昏い魔界に巣食う妖怪には効果的面で、ある妖怪は光に目が眩んで立ち尽くし、ある妖怪は光を恐れて逃げ出してゆく。
「魔界に光がないのなら、私が日輪となってやろう!」
魔界はあまりに昏過ぎる。闇に巣食う妖怪にはそれでいいのかもしれないが、妖怪にだって救いの光を求める者がいるのだ。渦中にある白蓮の弟子のように。
「貴方が日輪――天照大御神なら、私の光は大日如来ね」
神子から離れた位置で、白蓮が両手を合わせ、静かに目を閉じた。
恐れ知らずの妖怪が白蓮に襲いかかる。白蓮が攻撃を受けたその時、白蓮は神子に負けず劣らず眩い光を放った。大日如来の輝き。確か白蓮はそう名付けていた。白蓮の光が残りの妖怪を一掃したのを見て、神子は口元をつり上げる。
「日の神の末裔たる私に対抗しようとでもいうのか?」
「天照大御神は大日如来の垂迹神なのよ」
「図々しく古き神の名を喰らって膨れ上がるか。いかにも仏教らしい広まり方だ」
「あらあら、こんな時にまで負け惜しみを言わなくてもいいのに」
「御託はいい、道は開けたぞ」
神子が行手を指し示せば、暴走していた妖怪達は悉く地面に倒れ、起き上がる気配はなかった。相変わらず瘴気は濃いままだが、これでどうにかエマに近づけるはずだ。
白蓮は口元を引き結んで、一歩一歩、慎重に歩みを進めてゆく。彼女を刺激しないよう、細心の注意を払っているのだ。
廃墟の並ぶ中央で一人うずくまる少女の姿を目にした時、神子は即座に彼女の異変の原因を見抜いた。
「力に呑まれてしまったか」
白蓮は変わり果てた少女に憐れむような眼差しを向けている。メデューサの如く髪は乱れ、意志を持つかのようにゆらゆらと蠢く。目は血走り、肌は泥に塗れ、服もずたずたに引きちぎれた跡がある。白蓮の話とは到底結びつかない、おどろおどろしい化け物のようだ。
魔界は魔法使いの力を高めるが、制御可能な魔力の量は魔法使いの器にかかっている。エマは力を欲するあまり、身の丈に合わぬ力を求め過ぎたようだ。取り込み過ぎた膨大な魔力は器から溢れ、このままでは本人をも壊してしまう。
「聞こえる……聞こえるわ。あの子の声が。必死に助けを求める声が」
白蓮は手を伸ばすが、エマはもう自我すら失っているのか、白蓮を慕ってやまない師と認識していないようだ。低い唸り声を上げ、欲望と憎悪に濡れた目で白蓮を睨みつけている。
不用意に近づこうとする白蓮を制して、神子もまたエマの魂の叫びを聴いていた。
ヘッドホンを外さなくとも、彼女の欲が、すべて聴こえる。
もっと強い魔法の力がほしい。
聖様のいる世界に行きたい。
眩しい光を全身で浴びたい。
聖様に会いたい。
リズにごめんねって言わなくちゃ。
ひとりぼっちは寂しくてたまらない。
私を置き去りにした聖様が憎い。
寂しい、怖い、誰か私を止めて。
聖様にまつわるすべてが憎い。
助けて。……助けて。助けて!
――神子は聖人だ。妖怪と敵対してはいないものの、本質的には人間の味方だ。
しかし必死に救いを求める者を見捨てては、聖人の名が廃る。白蓮に同調するわけではないが、手を差し伸べる相手に人間も妖怪も関係ない。
「ああ。その願い、確かに聞き届けた」
エマに語りかけ、神子は白蓮に目配せをする。もはやエマはこちらの話を聞く耳など持っていない。戦え、躊躇するな、この娘を救いたいんだろう?
白蓮も覚悟を決めたのか、顔面から悲壮な色を振り払い、神子の顔を見てうなずいた。
「お前の孕んだ欲望のすべて、我らが薙ぎ払ってくれる!」
神子が笏を振りかざすと、エマは凄まじい雄叫びを上げて突進してくる。白蓮から魔法の手ほどきを受けたなら、主たる戦術は白蓮と同じ肉体強化だろう。一時的に身体能力を超強化し、肉体は鋼のように強固になり腕力と脚力は妖獣をも上回る。
神子と白蓮は二人がかりで挑むも、膠着状態を強いられる。あちらは手加減無用なのに対しこちらはエマの命を奪わないよう注意を払わねばならないし、浄化の光を浴びせても彼女はすぐさま地の利を活かして魔力を回復してしまう。
神子は妙だと気づく。いくら魔界が魔法使いに力を与えるといっても、どうしてエマはこうも魔力が無尽蔵であるかのように暴れ回るのか。彼女を突き動かすものが、膨大な魔力以外にあるのだとしたら――神子は再び耳を澄ませる。怖い、助けてという悲痛な叫びの中に、それを上回るような憎い、恨めしいという強い負の感情が混ざっている。それらはすべて白蓮に向かっており、エマの攻撃が神子よりも白蓮へ優先されるのも納得だった。
「聖白蓮!」
神子は一度白蓮と共に距離を置く。エマに追いつかれる前に、神子は手短に白蓮へ告げる。
「厄介だ。あいつの欲に、お前に対する憎しみが混じっている。それが魔法の威力を増長させているんだ」
「……ええ。あの子の憎しみを取り除かなければならないのね」
白蓮は力に呑まれているエマを痛ましげに見つめた。白蓮も彼女と手を合わせて気づいていたのだろう。愛憎は表裏一体というが、エマの白蓮への思慕は強い憎悪へと翻ってしまった。それほどまでに白蓮を慕い、白蓮との別れを寂しく思っていた証だ。
視線をエマから逸らさないまま、白蓮は強い口調で神子に告げた。
「神子。あの子の相手は私がする。私の方へ注意を惹きつけてどうにか隙を作るから、その時を狙って」
「囮になる気か?」
「わからないの? あの子の憎しみを受け止められるのは私しかいないわ。……お願い」
白蓮は再度巻物を広げて肉体強化の魔法を使う。白蓮にはもうエマを救うことしか頭にないようだ。そして神子もまた、白蓮の頑なな決意を覆すだけの言葉を持っていなかった。元を正せばお前のせいだと焚き付けてしまったのは神子だった。それにエマの攻撃が白蓮に集中している今、白蓮に任せて神子が不意打ちを狙う方が得策かもしれない。
「……手を抜くなよ」
神子はそれだけ言い残して、白蓮から距離を取った。情に絆されて本気を出せなくなる、それも杞憂だろう。白蓮は弟子相手にだって手加減をしない。けれど、神子は昨日のような不吉な予感がよぎって胸騒ぎがする。
白蓮がわざとエマと距離を詰めれば、エマは白蓮目掛けて容赦なく拳を突きつける。白蓮は限界まで引きつけてからそれを交わし、エマの激情を煽っているように見えた。両者共、強化魔法により動きが俊敏で、常人の目には追えないスピードで攻防を続けている。
白蓮がどのようにエマの動きを止めるつもりなのか、神子は白蓮の一挙手一投足を注意深く観察しながら頭を働かせる。先ほど妖怪達を一掃するのに使った大日如来の光、あれは相手の攻撃を受けて初めて発動する術だ。白蓮は攻撃をかわしつつ、一方で適度な間合いとタイミングを図っているようにも見える。同じ要領で一度攻撃を食らってから、反撃で仕留めるつもりなのか。
――いや、違う。白蓮の狙いは反撃などではない。神子は白蓮の毅然とした表情の裏にある“策略”に気づいた。
「待て、聖白蓮、早まるな!」
神子は思わず怒声を上げた。ほんの少しだけ垣間見えた白蓮の策が実行される前に、神子は地を蹴る。だが神子が再び光を放つよりも早く、エマが動いた。
猛然たる速さで突き出された腕が、白蓮の脇腹を貫いた。
「聖白蓮……白蓮!!」
鋼鉄のように硬い腕は白蓮の左の腹に穴を開ける。白蓮はわざと避けず、自分にかけた魔法すら一時的に解除していた。白蓮は歯を食いしばって痛みを堪え、両足を踏みしめて倒れないように踏ん張る。そのまま己の腹を貫いた少女の腕をつかんで引き抜いた。おびただしい量の血がどっと溢れ、地面を赤く染める。
――今よ、神子。エマの憎しみが、揺らいだ。
駆けつけた神子に向けられた白蓮の眼差しはそう語っていた。白蓮に直接攻撃を当てた手応えを得たせいか、エマの動きが急激に鈍くなる。白蓮を気遣っている暇はない。神子は素早くエマの肩をつかんで白蓮から引き離し、笏を掲げた。
「派手にぶちかまして気は済んだか? あいつは慈悲深いからお前の悪行も許してくれるだろうよ。だがおいたが過ぎたな」
神子の声は自然と低くなる。エマに神子の声が届いているのかいないのか、今はもうどうでもいい。この暴れ馬のような妖怪を完膚なきまでにねじ伏せる。ああ、でも白蓮には手加減しろと言われたのだった。神子も一応そのつもりだが、危ういかもしれない。
神子は激しい怒りを覚えている。無茶をした白蓮にも、白蓮に深手を負わせたエマにもだ。
「お前にあいつの命をくれてやる気は更々ないんでな! 逆らう事なきを宗とせよ!!」
十七の閃光と無数の札が飛び交う。邪気を払うまじないを込めた清浄な光と札は、エマにまとわりつく魔力を急速に溶かしていった。
◇
気を失っていた少女、エマが、白蓮の膝の上で目を覚ます。神子の最後の攻撃を受けて魔力の暴走から解放されたエマは、元の大人しい少女に戻っていた。さすがに手傷を負い、あちこち泥に塗れているが、彼女に深刻な怪我はない。
「聖様……」
「遅くなってごめんなさい。助けに来たわ」
白蓮の優しい声に気づいたエマは即座に起き上がる。癖の強い紫の髪が乱れてうねっていた。
エマは真っ先に白蓮の腹へ目をやったが、そこには衣装が破れた跡があるだけで傷はどこにもない。肉体強化の応用で、無理矢理表面だけを塞いだように見せかけているのだ。白蓮は何も言わずに、微笑みを浮かべてエマの頬を撫でる。エマの顔がくしゃりと歪み、目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
「一緒に帰りましょう。リズが待っているわ。約束通り、貴方の髪を編んであげないとね」
白蓮は泣きじゃくる少女を優しく抱きしめた。エマに暴走時の記憶がどこまで残っているのか定かでないが、白蓮に迷惑をかけたのは強く実感しているようだ。
神子は体を寄せ合う二人の姿を、少し離れた場所から眺めていた。エマの暴走が治ったためか瘴気も以前より薄くなり、もう他の妖怪が凶暴化する恐れもないだろう。
「ま、久々の再会だからな」
神子からも二人に物申したいことが山ほどあったが、今は遠慮しておいてやる。それにエマにはこの後、リズからの説教が待ち受けているのだ、神子が出しゃばる必要もない。
神子は腹の底に渦巻く暗い思いを抱えたまま、二人が落ち着くのを見守っていた。
それから三人は揃ってリズの待つエソテリアまで戻ってきた。リズは十日以上行方を眩ませていた友人の姿を見るなり、辺りも憚らず大声で泣き出した。
「馬鹿、馬鹿、馬鹿! わ、私がどれだけ心配したと……」
「り、リズ……」
泣き喚くリズを見てエマは動揺する。白蓮は今度はリズを宥める側に回る羽目になった。どうにかリズを落ち着かせ、リズに謝るようエマへ促してから、二人の少女はようやく仲直りをした。その後はエマの格好があまりにみすぼらしいからと、エマの家へ上がって全員休むことになった。
「なあ、エマの親は」
「いないわ。一人暮らし。……だから余計に心細かったのでしょうね」
神子はエマが白蓮に固執した理由だけでなく、リズがやたらとエマを気にかける理由もわかったような気がした。文句を浴びせながらも、リズはずっとエマのそばを離れない。風呂に入り、着替えを終え、約束通り白蓮がエマの髪を結い始めた時、リズは「私もやる」と言い出した。
「聖様、この髪型、私にも教えてください。これからは私が結ってあげようと思います」
「うん、それじゃあ、リズは右側をお願いね」
白蓮はにっこり笑って、場所を半分リズに譲った。白蓮が慣れた手つきで編み込みと三つ編みを編んでゆくのに対し、リズの編み方は拙く、うねる髪に苦戦してあちこち毛がはみ出ている。それでも懸命に最後まで髪を結おうとするリズの姿を鏡越しに見て、エマは呆然と何かを考えている様子だった。
遠目に見守っていた神子は思う。きっと、もう白蓮が足繁く魔界へ通わなくたってエマは大丈夫だ。世の中に自分が心から慕ってやまない相手だけでなく、同じように自分のことを大事に思ってくれる相手がいると気づいたなら、彼女の世界は白蓮一色で染まらずに広がりを見せる。
「聖様、太子様、本当にありがとうございました」
「あの、迷惑かけてごめんなさい……」
「いいの。困ったことがあったら、またいつでも呼んでちょうだい」
「お前は本当に甘いよな。……君、自覚があるのならもう少し隣のお友達を大切にするといい」
「あ……」
「はい! もう馬鹿なことしないように、私がちゃんと見張っておくので!」
やがて魔界を発つべく聖輦船の前に神子と白蓮が向かえば、見送りにリズとエマもやってきた。おずおずと顔色を伺うエマの手を、リズがしっかり握りしめる。白蓮も二人のやりとりを見て安堵したようだった。
「太子様、またお暇な時に魔界に遊びに来てくださいね」
「余暇があればな。しかし今回訪れて思ったが、魔界はもう少し統治体制を見直した方がいいな」
「神子?」
神子はあまりに魔界の住民が暢気過ぎるのを指摘した。さすがに子供が行方不明になっているのに、大人がちっとも動かないのはどうかしているだろう。影に潜んでいる統治者とやらも何を考えているのか、地底だってもう少し社会ができていたはずだが。
「何なら私が支配してやってもよいが? 魔界にだって民衆を導く光が必要だろう」
「やめなさいって、貴方が魔界を支配したら聖徳王から魔王になってしまうわ。私がこれからも責任を持って足を運びます」
神子が不敵に笑うと、すかさず白蓮が口を挟んでくる。悪いようにするつもりなど微塵もないのだが、白蓮はこの辺り口うるさい。白蓮は神子としばし睨み合ったのち、にこりと笑った。
「いくら昏く閉ざされた地だからって、魔界に日輪は二つもいらないわ」
「二つごときで根を上げてどうする。大陸では一度に十の太陽が昇ったことがあると聞く」
「大変、もしそうなったら伝説のように九つを撃ち落としてもらわなければね。貴方の部下に弓の得意な方がいたでしょう」
「あいつに任せたら、最後に残る日輪は私だけだ」
「どうかしら。あまりの明るさに目が眩んで、区別がつかなくなってしまうかも」
「それはどうかな?」
いつものように冗談の応酬を始めたところで、二人の少女が困惑した表情で見つめているのに気づく。別れの挨拶の途中だったと思い出して、神子と白蓮はそれぞれ咳払いをするのだった。
◇
自動操縦で行き先を設定された聖輦船は、行きと同じように法力だけで幻想郷へ向かって動く。
「聖白蓮」
窓の外を眺めている白蓮に神子が低く声をかけると、白蓮は決まり悪そうに振り返った。神子が何を言うつもりなのか、理解しているようだ。
神子は笏を振りかざし、ごくごく軽い力で白蓮の頭をはたいた。白蓮が与える警策よりかは優しいはずだ。
「いたっ」
「お前、なぜ腹を貫かせるような真似をした」
神子は白蓮との距離を詰め、逃れられないように真っ直ぐ白蓮の目を射抜いた。白蓮は剣呑な眼差しで詰め寄られても怯まずに神子の目を見つめ返してきた。
「どんな形であれ、あの子が攻撃を私に直接ぶつければ、憎しみが和らぐと思ったのです。予想通り、あの子の憎しみが揺らいだのが貴方にもわかったのでしょう?」
「確かに隙はできた。お前の魔法で傷もすぐに塞がって、お前の弟子が気に病むこともない。なるほど合理的だな。だが」
神子はわざと白蓮が攻撃を受けた左の脇腹に腕を回して引き寄せた。白蓮が微かな呻き声を上げる。やはり傷はまだ完全に癒えていない。
「お前は私の智慧を頼りに来たのだろう?」
「……っ」
「私ならお前が腹に穴を開けなくとも、あの妖怪を懲らしめる策をその場で授けてやったさ」
表面上は何もない傷跡を、触れるか触れないか曖昧な感触でなぞる。肩口に白蓮が噛み殺した小さな呻きと吐息がかかる。立っているのもつらいだろうに少女二人の前で笑顔を保ち続けていたのは立派だが、それを褒めてやるつもりは微塵もない。
神子は、魔界に降り立って初めて出会ったばかりのリズの言葉を思い出していた。勝手に姿を消した友人に腹を立て、心の底から心配する姿。たぶん神子も同じだ。わざわざ単身で神子の道場までやってきて、一緒に来てくれと頼んだくせに、白蓮は土壇場で一人無茶をする。それでは、神子はいったい何のために白蓮に協力しに来たというのだ。
そういう意味では、白蓮は自負する通りエマによく似ていた。目の前にいる相手や己の目的に精一杯で、周りの感情に気づいていない。白蓮が他人に深く心を分けるのと同じくらい、白蓮の身を案じ白蓮が傷つくのを厭う者達がいるというのに。
「このまま帰って、私がお前の弟子に恨まれたらどうしてくれる」
「私の弟子は修行を積んでいますから、そんな簡単に狼狽えたりしません」
「わかってないな」
神子は一度白蓮の体を引き離し、再度目を合わせる。うつむいて顔を隠す長い髪をかき上げる。いちいち言葉にしなくたって、目の前で白蓮が深手を負った時に湧き上がってきた数多の感情を、白蓮なら悟るぐらい容易いだろうに。
神子はそれを言葉にできない。“言語”という形で明確に口にしてしまえば、途端に空中分解して嘘になってしまう気がした。商売敵で、好敵手で、互いに掲げる正義と信念を理解する相手で。白蓮に抱く思いを一言では言い表せない。
「お前がいないと、張り合いがない」
神子は目の前の白蓮に淡々と告げた。かろうじて今の神子に言えるのはこれぐらいだ。
白蓮は神子の言葉に目を丸くする。帰ってくるなりリズに怒られ泣かれたエマの表情に似ていた。ああ、やっぱりわかっていなかった。白蓮は悩ましげに目を伏せ、しばしの逡巡の末に神子を見上げた。
「神子、私、」
白蓮の言わんとするところを察して、神子は首を横に振る。謝罪なんて求めていないし、謝ったって許さない。白蓮は迷子の子供のようにうつむいて、神子の背中に自ら腕を回した。
「……私も、貴方がいないと寂しい」
ぽつりとつぶやかれた言葉が二人きりの船内に鮮明に響いて、今度は神子が目を見張る番だった。縋るように額を寄せる仕草から嘘は感じられない。いや、白蓮は悪意を持って嘘をつく性格ではないのだ。
背中と肩に白蓮の体温がのしかかる。生きている。白蓮の命は今、神子の腕の中で息づいている。
「八苦を滅したんじゃないのか」
「それでも寂しいものは寂しいのよ」
「私を封じ込めようとしたくせに」
「ええ、本当に。どうしてかしら。命蓮寺の弟子達のように、リズとエマのように、私を思い慕ってくれる人がたくさんいるのに。最も相容れないはずの貴方こそが私を一番理解しているんじゃないか……時々そんなことを考えるのよ」
「気の迷いだ、打ち払え」
神子はわざと素っ気なく言い放つ。こんな素直に寄りかかられて、心の内を吐露されても神子はそうだなと肯定できない。それは彼女の弟子達のためというより、神子自身のためだ。神子の動揺を察してか、白蓮はくすくす笑って神子の顔を覗き込んだ。
「ねえ、神子。私、貴方の部下に日を跨ぐかもって伝えそびれちゃった。こんなに長く貴方を連れ回して、貴方の部下に恨まれるかしら」
「心配しなくても、お前に対するあいつらの心象は今更変わらないさ」
布都も屠自古もとっくに白蓮の実力を認めているものの、いかんせん二人揃って仏教嫌いだ。仏教徒としての白蓮に対する評価は動かないだろう。
神子の答えを聞いて、白蓮は安堵したように微笑みかけた。
「そう。それじゃあこれ以上嫌われたって構わないし、遠慮しなくてもいいかしら」
不意に白蓮の目に浮かぶ色が変わる。まるでちょっとした悪戯を企む少女のように微笑んで――すんでのところで白蓮の意図を見抜いた神子は、すかさず手を顔の手前にかざした。柔らかい唇の感触が手のひらにぶつかる。
「む」
「よせ」
「あら、つれない」
「主導権を握られるのは性に合わん」
「関白宣言なんて今日日流行らないわ」
「私は摂政だ。昔のな。それに怪我人は大人しくしろ」
「これぐらい、舟を降りる頃には塞がっているわよ」
「……はあ」
神子は頭を抱えた。誰が呼んだかガンガンいく僧侶、よくわからないタイミングでスイッチが入る。じきに塞がるといったって、さっきの様子ではまだ痛みがかなり残っているはずだ。
神子はこれ以上白蓮に好き勝手される前に、白蓮の背中と膝の下に腕を回して横抱きに持ち上げた。
「え、ちょっと、神子」
意外と重い。口には出さないが。神子は困惑する白蓮を無視して、昨夜寝室として使った部屋まで運んでゆく。綺麗に畳まれて端に寄せられた布団を足で伸ばし(この際行儀が悪いなんて気にしていられない)、ゆっくり白蓮の体を布団に横たえた。
「傷が癒えるまで休んでいろ。どうせこの舟は何もしなくとも幻想郷まで帰ってくれるんだろう?」
神子のぶっきらぼうな気遣いに、白蓮は眉を下げて笑った。部屋を出て行こうと背を向けた神子に向かって、白蓮は話しかけてくる。
「今回の私は貴方に叱られてばかりねえ」
「いつも偉そうに説教をする側なんだ、お前に高説を垂れてやる輩などそういない、ありがたく思うんだな」
「それじゃあ貴方が道を誤った時には私が叱らなければね」
「その時が来るならな。……今回のような手段はもう取るなよ。いくら頑丈なお前でも寿命が縮むぞ」
「そうねえ。だけど私、もう無理に寿命を伸ばそうとはしていないのよ」
俄に心臓を鷲つかみにされた心地がして、神子は振り返った。白蓮は先ほどまでと変わらない微笑を湛えている。
魔法使いは肉体の成長を止める。白蓮は若返りの術で若い姿と長命を維持している。神子はかつて白蓮が不老不死に対し『今はもう興味がない』と言い切ったのを思い出した。仙人となり不老不死を目指す神子とは真逆の意志だ。
「お前だって命が惜しかったから邪法に手を染めたんだろう?」
「昔は確かにそうだった。だけど、もういいの。死んだって私はそこで終わりじゃない」
虚勢を張るな、とは言えなかった。それが仏教の悟りの境地とやらか。白蓮は死を存在の否定と重ね、存在意義の危うい妖怪にも仏の教えを説くことで救済を掲げ、己の死も今は平然と見つめている。
神子も政治への利用が目的とはいえ、かつて仏教を広めた身だ。白蓮の理屈を頭では理解している、けれど。
神子はいったいどんな表情をしていたのか、白蓮が困ったように口元を緩めた。
「心配しなくても今日明日に死んだりはしません。私はまだ弟子達に教えなければならないことが山ほどあるんだから」
「一度でも死に恐怖を抱いた奴は必ず不死を求める。お前だって例外じゃないだろうよ」
「だから、もう昔のことよ。私の罪は消えないでしょうけど……もう千年経った。私の弟も、そろそろ許してくれるかもしれないわ」
「――お前の弟が許しても、私が許すものか」
神子は鞘に収まったままの剣を、遠い目をする白蓮の枕元に突き立てた。わかっている、別に白蓮は怪我を負って弱気になっているわけではない。元気な時だって同じ台詞を神子に向かって言うだろう。
そうだとしても、込み上げる激情を抑えきれない。死んだ弟がなんだ、これだから死人にばかり目を向ける後ろ向きな仏教徒はいけ好かない。今なお不死を求める神子への当て付けなのか? いつもの敵対心からくる挑発なのか? 神子と同じ耳を持っていないくせに、何もかも見透かすような澄ました目が気に入らない。
神子は再度白蓮を睨みつけて、半ば脅すような調子で言い放った。
「私を封じたこと、邪教と爪弾きにしたこと、決して忘れはしない。死んで逃げられると思うな。生きて贖え、聖白蓮」
「……恐ろしい皇子さまだこと」
白蓮は神子の眼差しを悠然と受け止めて、幼子を見るように目を細めた。
神子は食い下がれなかった。これ以上は平行線だ。憤りを直にぶつける前に、神子は立ち上がりずかずかと部屋を出て行った。
いくつもの襖が並ぶ廊下を一人歩く。過去のいざこざをすべてを水に流したわけではないにしろ、神子はもう白蓮に対して恨みなどほとんど抱いていない。白蓮もそれを知っている。承知の上で、神子は白蓮の弱みに漬け込むような、痛いところを突くような台詞を言わなければならなかった。
怒りで神経が焼き切れそうだ。後から勝手に生まれて、勝手に封印をして、互いにいがみ合って、ようやくお互いを少しずつ認められるまでたどり着いたのに、勝手に終止符を打たれては困る。
『いくら昏く閉ざされた地だからって、魔界に日輪は二つもいらないわ』
神子は立ち止まって、白蓮が泣きじゃくる少女に向けた笑顔を思い出していた。神子が日の神の末裔、日出る処の道士たる日輪の光なら、彼女が掲げる救いの光もまた日輪だった。
両雄並び立たずというように、日輪は二つ同時に並ばない。布都が弓矢で射落とさなくても、白蓮は神子より先に沈んでゆく。互いの手を固く握りしめた魔界の少女二人のようにはいかないのだ。何心もなく手を取り合うには、神子と白蓮はそれぞれ長い時を過ごしすぎてしまった。
敵対心。尊敬。信頼。あるいは互いに親愛の域を凌駕するかもしれない何か。胸の奥に渦巻く澱んだ熱。こんな相手は三千世界を探し求めたってきっと簡単に見つけられないのに。
「……くそ。お前にとっても協調なんて無用か」
神子は襖に拳を軽くぶつけて、歯噛みした。宇宙の真理を求めるのに道は果てしなく長く、然るに人の命は儚く短い。どうして不老不死を極めようと欲するのが咎められよう。
互いに掲げる宗教の違い、結局はそれに収束する。どれだけ相手の正義や信念を認めようとも、死への恐れという始まりが同じでも、二人の歩む道には深い隔たりがある。もし簡単に宗旨替えをするような輩なら、相手を認めたりしなかった。
それでも、と神子は顔を上げる。踏み越えられない一線が存在しようとも、手を取り合えなくとも、一方的な幕引きは許さない。我が強いのがお互い様なら、神子だっておめおめと引き下がりはしない。
聖輦船が空の警笛を鳴らす。懐かしい日の光が窓の外から差し込んでくる。二人が帰る幻想郷が近づいていた。
◇
白蓮が最初に舟を召喚した時と同じく、聖輦船は神子の住む神霊廟前へと着陸した。舟を降りた神子は燦々と降り注ぐ日の光を全身に浴び、二日ぶりに味わう自らの仙界の空気を堪能していた。
「あー、やっと昏くて鬱陶しい瘴気ともおさらばだ」
「何、もしかしてへばっていたの?」
「まさか。住み慣れた我が家が一番だと思い知っただけだ」
神子は白蓮に構わず大きく伸びをする。いくら魔界の瘴気に慣れたといっても、あれが不快なものであるのに変わりはない。
「神子」
振り向くと、白蓮が深く頭を下げていた。体の傷はもう癒えたようだ。
「今回は本当にありがとう。貴方のおかげで無事にあの子を助けられた」
「礼には及ばない。……と言いたいところだが、お前から対価をもらう約束だったな」
「何を要求するつもりかしら。魔界せんべいだったら今すぐ着払いで送りつけられますけど」
「いらんと言っているだろう。お前は店の回し者か」
神子は肩をすくめる。着払いなんてできるのか、できたとしたら礼ではなく嫌がらせだ。
さて、対価といっても金目のものは欲しくないし、布教活動にも白蓮を関わらせるつもりはない。何がいいだろう、と考えて、神子は白蓮が一度脱いだ編み笠を再びかぶろうとしているのに気づく。神子はふと、今朝自分の髪に触れた白蓮の手を思い出して、白蓮の編み笠を取っ払った。白蓮の髪は雲のようにたなびき、紫と金の混じった不思議な色をしている。突然笠を奪われた白蓮は首を傾げていた。
「お前の頭はふわふわしているな」
「喧嘩売ってます? あのねえ、決闘をご所望なら素直にそう言ってくれればいいのですけど」
「お前の髪を私にもいじらせろ」
「……え、ええー?」
呆れ顔から一転、白蓮は目を丸くさせる。さすがにこれは白蓮も想定外だったか、と神子はほくそ笑む。
「いいだろう、減るもんでもあるまいし。お前だって私の髪をいじったんだから、これでおあいこだろう」
「うーん……まあ、できる限りで応えるって私も約束してしまったからね。……あまり変な髪型にしないでね」
「それは私の気分次第だな」
神子は上機嫌で白蓮を引っ張ってゆく。帰還の知らせを布都と屠自古に入れて、再び白蓮を奥へと通す。布都と屠自古は魔界で何をしていたのかとしきりに聞きたがっていたが、土産話は後だと押し留めた。
神子の自室にある鏡台は、聖輦船の和風なしつらえと違って大陸風に装飾を施したものだ。大人しく鏡台の前に座った白蓮は、鏡越しに不安げに問いかけてくる。
「それで、私の髪をどうするつもり?」
「そうだな、長くて鬱陶しいから結い上げてもいいんだが、あれだ。あの子供と同じ三つ編みにしてやる」
「三つ編みなんて私に似合うかしら」
「しのごの言うな」
神子は白蓮の髪を手に取った。見るからに柔らかくて軽そうな髪だと思っていたが、実際に触れてみると絹のように滑らかで、重さはほとんど感じない。さっきは頭がふわふわしていると言ったものの、白蓮は理想主義ではあるものの地に足が着いていて、少なくとも神子はお花畑だと思ったことは一度もなかった。
「本当に長いな。なぜ坊さんのくせに剃髪にしないんだ」
「結うのが面倒ならやらなくてもいいのよ」
「やりがいがあっていい」
わざと朝のやりとりを繰り返してやれば、そわそわ鏡を見つめていた白蓮もくすりと笑った。
白蓮が神子にやったように、まずは毛先から櫛で丁寧に梳いてゆく。白蓮は誰かに自分の髪を触らせたことがあるのだろうか。髪に限らず自分の体なんて他人に気安く触らせるものではないが、もし白蓮の髪をいじるのが自分が初めてなら、神子はほんの少しだけ胸がすく思いがする。
神子は得意げに白蓮の髪を梳き、真ん中で大きく二つに分ける。神子の様子を見て、ひとまず妙な髪型にはされなさそうだと判断したのか、白蓮の様子も落ち着いていた。二つに分けたうちの右側を手に取り、さらに三つの束に分けて、順番に編んでゆく。さすがに編み込みは面倒なのでやめておいた。毛先まで編むのは時間がかかりそうだが、髪が紫から金に変わる不思議なあわいを見ていると退屈しない。
君ならずして誰か上ぐべき。古くは髪を上げる行為で成人の儀式としたが、この行為は何の意味を持つのか。世話好きな白蓮の世話を焼きたかったのかもしれないし、下紐ならぬ契りの証として……なんて、いずれ必ずほどかれる髪でやるものではないか。だからこれは単なる神子の自己満足だ。神子がしばらくは白蓮に結われた髪を忘れないように、白蓮が少しの間、神子に結われた髪を見て神子を思い出せばいい。
――私は何を考えているんだろう。魔界の瘴気を浴びすぎたのだろうか、と神子は急に気まずくなる。
「聖白蓮」
「はい」
「今度会う時は、私と最強の称号を賭けて闘え」
「……はあ? なんで貴方まで一輪みたいなことを言うの」
「動くな、手元が狂う」
白蓮の表情が歪む。なぜって、そんなの白蓮が決闘を望むなら素直に言えと言ったからじゃないか。
感傷的な気分に浸るのは好かない。神子はわざとらしく鼻を鳴らした。
「寂しがる暇もなくなるぐらい、私が直々に付き合ってやるよ。お前みたいな厚かましくて面倒くさい奴、私ぐらいしか相手にならないだろう」
「ずいぶんな思い上がりね。尊大で横柄な貴方の相手を務められるのが私ぐらいしかいない、の間違いではなくて?」
白蓮もまた珍しく不敵に笑う。そうだ、その調子がいい。争いを好まない温厚な笑顔の下に、案外好戦的な素顔があるのを神子は知っている。昏くじめじめした世界はもう出てきたのだ、共同戦線もこれでおしまい。好敵手にはカラッとした日の光のような空気がお似合いだろう。
やがて髪も結い終わる。仕舞いに何か髪飾りでもつけてやろうか、と考えて、紫の布切れが余っていたから適当に引き裂いて髪留めとした。二つの長いおさげ髪を垂らした白蓮が鏡に映っている。
「よし、できた。初めてやってみたが面白いな、三つ編みとは」
「ええと……こんな髪型、私やったことないのよ。似合ってるの?」
「髪型くらい好きに言わせておけばいいだろう。それとも私の技量に不満があるとでも?」
「もう、私が何を考えているかわかっているくせに。お寺に帰ったらみんなに何て説明すればいいのよ」
白蓮は鏡に映るいつもと違う自分の姿を見て、拗ねたふりをする。それから立ち上がって、丁寧に編まれた髪の先をしきりにいじっている。そのまま戻って大いに弟子達に心配され、無茶をするなと怒られ、盛大にからかわれればいい。今回の白蓮にはそれぐらいがお似合いだ。
決闘の約束も取り付けたし、これで思い残すことはない、と考えて、神子は一つ意趣返しを思いつく。
「そうだ、忘れていたことがあった。ちょっと耳を貸せ」
「え? 今度は何?」
白蓮が何の警戒もなく近寄ってくる。その首元をつかんで引き寄せ、神子はかすめるように唇を重ねた。呆気に取られる白蓮の表情を目の当たりにして、神子は口元を緩めた。
「うん、確かに受け取った。これで今回の件は貸し借りなしだ」
「……貴方って、本っ当にずる賢くて嫌な女(ひと)ね」
私、しばらくこの髪、ほどけないじゃない。うつむいてまた三つ編みをいじる白蓮の顔はもう髪でも笠でも隠せず、ほのかに頬を染めてはにかんでいる。白蓮の反応に心底満足した神子は、高らかに笑った。
日輪は二つ並ばない。白蓮とは本当の意味ではわかり合えないのかもしれない。
けれど、二人が手を組んだ完全憑依異変の時のように、必要とあらばお互い背中を預けられるくらいには信頼している。大祀廟で目覚めた頃には考えだにしなかった現実だ。
日出る処の道士の行く道は、いつだって輝かしい日の光で照らされている。断絶があるのなら、そのぶん大股で距離を縮めてやればいいだけの話だ。神子は白蓮を見送るべく、聖輦船の停泊する神霊廟の入り口へ白蓮と連れ立って悠々と歩いて行った。
ただその命蓮に囚われた世界から引っ張り上げることが出来る存在が神子なのだろうと考えるとこの先は明るいのかなとも思います
とても良いイチャイチャと舌戦のひじみこでした
お互いに腹に一物抱えながらも舌戦を繰り広げつつ打ち解けていく、いいひじみこを頂きました。
丁寧な描写と展開でとても満足できましたし、なにより二人の可愛らしい百合展開がささりますね。強気の掛け合いも、イチャつき具合もとても良かったです。ありがとうございました。
まず聖が善人としてしっかりと描かれているところが良かったです。楽をしたいと思いならがらも、別のところではおせっかいで困っている人を助けずにはいられない善き人というのが存分に表現されており、好きでした。
好きで言うと、解釈が全般的に合っており好みでした。二人とも、なんだかんだと誰かにために動ける人という善性が前面に出ていて気持ちの良い作品でした。
ストーリーも全体として綺麗にまとまっており、ひと山越えて話が落ち着いたところで、事件解決後のひじみこ百合やり取りが入っていることで安心して百合さを楽しめて良かったです。
オリキャラも癖が無くすんなりと受け入れられて、文体も読みやすく長めの分量ながらすらすら読めました。
有難う御座いました。
聖と神子のコンビが読んでいて楽しかったです
なんだかんだ言って信頼し合っているようで素敵でした
そして、余りにも親身で、誰に対してもお節介で、それでいて自己犠牲も問わない精神性の持ち主である聖の精神性を同じような宗教家のトップとしての立場を持ち比肩する事が出来る神子に見抜かせながらも、その当の二人が共同戦線を張りながら使命抜きで悪友じみたやり取りを交わしていくかのような会話の作り方がとても丁寧で、かつそれでいて実に含蓄に富んだやり口で書かれていた――謂わばこのキャラクターが言ってそうという実感を強く抱けたのが本当に良かったものでした。
二つの日輪というタイトルに絡めるかのように大羿射日の逸話を引っ張ってきながら、それを布都という射手を加味して更に一枚上手の返しをさせている箇所がとりわけお気に入りの箇所だったものです。
オリジナルキャラクターの扱いも含め、とても手馴れている方の作品だという感触が強く、文章の強さとは裏腹にとてもスイスイ読めた面白い作品でした。ありがとうございました。
しかし八苦を滅した尼公と言えども実の弟との愛別離苦は如何なるものなのでしょうか、少し気になってしまいますね。