白む空、博麗神社。その裏に広がる森にあるミズナラの大木。
まだ寝てるはずの同居人を起こさないように、ゆっくりと扉を開けて、閉じた。
そろりそろりと歩みを進める。
自らの名が書き記された表札の掛けられた扉の前、息を殺して、慎重に取手を回した。
私室に戻って、ふぅっと息を漏らす。
夜な夜な外を出歩く悪い妖精の私は、朝方近くにベッドの温もりに包まれながら瞼を閉じる。
次に目を醒したのは太陽が昇りきった後だった。
目を擦りながら部屋を出ると、黒髪ロングヘヤーのパッツン妖精が珈琲片手に私を出迎えてくれた。
彼女は若干、呆れたように告げる。
「サニー、昨日もまた朝帰りしていたでしょ? 何処に行ってるのよ、ルナが心配していたわ」
彼女の心配に、私は曖昧に笑って誤魔化すしかなかった。
「次は何時になるの?」
同居人のスターサファイアの溜息混じりの問いには「三日後」とすぐに答えることができた。
しかめっ面を浮かべる彼女の眉間には、濃い皺が寄せられる。
とりあえず、あるもので昼食を摂る。
チーズを乗せた食パンをお腹の中に収めて、牛乳増し増しの珈琲を啜る。
読書に耽る同居人の横顔を眺めながら、昨晩のことを思い返す。
昨晩、私が居たのは紅魔館の地下深くだった。
ふっかふかのベッド。金髪サイドテイルなお姉さんの膝上に座らされている。背中越しに回された腕には、妖精の私にとっては強い力が掛けられており、満足に身動きを取ることもできなかった。まるで人形の様な扱いに不満を覚えるが、それを口に出したところで意味がないことを私は知っている。そんな私を憐れんでくれたのか、ベッド脇にあるサイドテーブルには、摘まんで食べられる菓子類が置かれてあり、それをポリポリと齧ることで急場を凌いでいる。
時折、頬に吹きかかる息が擽ったい。後頭部に顔を埋められる事もあり、そのまま何かを吸い上げるように深呼吸を繰り返したりもする。良い匂いがする、と金髪のお姉さんは言っていた。抱き締めているとぽかぽかする、とも言っていた。きっと太陽ってこんな感じなのね、と口角を上げる彼女には若干の呆れと、怯えを感じた。
彼女は吸血鬼である。紅魔館の主人であるレミリア・スカーレットの妹、フランドール・スカーレット。紅魔館に居座る妖精達の話によると、とびきりにやばい妖怪のようだ。
気が触れている、とか。情緒不安定、とか。そんな話だ。
「……本当に大丈夫なんでしょうね?」
なにかを感じ取ったのか、念押しされる言葉に私は「大丈夫よ」と笑い返す。
あんまり大丈夫ではないけど、誰かに頼る程のことでもなかった。
◆
三日後の夕暮れ時、私は紅魔館の門前にいる。
門番のお姉さんは私の顔を見るや門扉を開いて迎え入れてくれた。
庭には多くの妖精がいる。雑談を交えながら、ひらひらと花壇の手入れなんかをしている。
外で聞いたりする吸血鬼のイメージと合わないな、と思いながら館まで足を運んだ。
メイド長に出迎えられて、そのまま地下に続く道へと案内される。
薄暗い廊下、石煉瓦の壁。靴が床を叩く乾いた音。
荘厳に閉じられた扉の前まで連れられた後、メイド長は軽く頭を下げた後に音もせずに消える。
これは何時ものことなので今更、驚いたりしない。あの氷精の友達に似たようなことができる妖精もいるし。
扉をノックしようとして、ちょっとだけ躊躇した後にコンコンと二回、鳴らした。
そして、一歩、二歩と扉の前から離れる。
「サニー、待ってたよ!」
バン! と満面笑顔で勢いよく扉を開けるのは金髪の吸血鬼フランドール、彼女の元気な様子に私は頬を引き攣らせた。
「こ、こんばんは」
片手を振って挨拶する私を確認するや否や、彼女は私を抱き寄せて部屋の中へと引きずり込んでしまうのだ。
バタンと閉じられる扉、ガチャリと掛けられる鍵。気付けばベッドの上に座らされている私、爛々と無邪気に目を輝かせるフランドールが向かう合うように私の前に座る。じいっと見つめられて、耐え切れず唾を飲み込んだ。再会した直後、今でも私は強張って身体を思うように動かせなくなる。それも当然、彼女には悪評が多いし、巨大な隕石をひと握りで破壊したなんて話もある。怖くないって方が嘘ってもんで、私は今でも彼女のことを恐れていた。できるだけ顔に出さないようにしているが本能的な恐怖を拭いきることは難しい。
彼女に見つめられていると蛇に睨まれた蛙の気持ちが分かる。また唾を飲み込んだ。
「ちゃんと約束を守ってくれた!」
しかし彼女は、そんな私の恐怖心に気付いているのか、いないのか。
ぱあっと明るい笑顔を見せて、そして、ぎゅうっと真正面から抱き締めてくる。
ちょっと痛いけど、我慢できない程ではない。
とりあえず、今すぐに一回休みにはならずに済むと思って気を緩める。
私の頭をくしゃくしゃに撫でながら「今日は何をして遊ぼっか?」なんて聞いてくるけども、ここで出来る遊びなんて少ない。
大抵は彼女の気が済むまで人形遊びをしていることが多かった。
ちなみに人形役は私である。
今日は髪型を弄られることになった。
ポニーテイルにしたり、三つ編みにしたり、ちょっと意匠を凝らしてみたり、前に来た時はマニキュアを塗って貰った。その前は化粧を施して貰った。ふぁんでえしょん? とかいうのを塗って貰って、唇には口紅を塗られた。同じく口紅を塗ったフランドールの真似をするように、んーぱっ、とすれば「可愛い!」と彼女は手を叩いて喜んでくれる。目元にもなにかを塗られると、うっとりと見惚れるように彼女は私を見つめてくる。その後、帰る時にメイド長に捕まって、彼女が満足するまでカメラのシャッターを切られる羽目になるし、門番にも呼び止められて暫く離してくれなかった。化粧はもう二度としなくていい、と思った。
そんなことを考えている内に私の髪型はサイドテイルに落ち着いていた。
「お揃いだね」
嬉しそうに笑うフランドール。それを見た私は曖昧に頷き返した。
今日はお布団の上でごろごろしている。
やることがなくなった後は、大体、フランドールは私の事を抱いている。
今日も私の事を後ろから抱き締めて、そのまま仰向けに寝転がっている姿勢だ。
時折、私の後頭部に顔を埋めて、すうっと息を吸ったりする。
どうして、こんなに好かれてしまったのか。
少し眠くなる中で、彼女との出会いについて思い返す。
◆
出会いは今から一ヶ月前、紅魔館に冒険へ。あわよくば、茶葉を拝借したい。
そんな軽い気持ちで妖精用のメイド服を着た私が紅魔館の地下を歩き回っている時に捕まったのが災難の始まりで、同居人の仲間達と一緒に逃げ出そうとした時に躓き転んでしまった私は地下の更に奥深くへと連れ去られてしまった。
それが出会い。今、抱き人形としての扱いを受けるまでの経緯となる。
まあ、扱いは悪くなかった。最初、檻の中にでも入れられて飼われるのかと思った。
しかし吸血鬼の彼女、フランドールには、その意志はないようで、最初に捕まった時も彼女が眠くなったのを機に帰らせて貰うことになる。
それは今でも変わっていない。
いつもメイド長を名乗る人間に連れられて、外に出ると、空は夜明け前の少し明るい感じになっている。それから博麗神社の裏にある大樹まで帰る頃には、もう朝の日差しも眩しい時間帯になっているという話だ。
生活リズムが狂いがちで、身体的に少し辛く思うことがある。
それでも私は此処に来る。
別れる時に「次は何時来るの?」という彼女の問いかけに、少し悩んだ後で「三日後くらい?」と言葉を濁した約束を守り続けている。
こんな約束なんて破ってしまえばいいのに、私は律義に守り続けていた。
◆
次に目覚めると真っ暗な闇の中に包まれていた。
うつ伏せの姿勢、頬に感じるのは胸の鼓動。この感触は、たぶんフランドールのものだ。
腰に回された腕のせいで、身体を起こすことはできない。
それでも頭を少し持ち上げようとすれば、コツンと後頭部に何か硬いものを感じる。
両手を広げると、すぐ壁のようなものに手が触れた。
どうやら窮屈な箱の中にいるようだ。
軽く頭で押してもビクともしないので、なにかによって固定されてるらしかった。
とりあえず脱出は難しそうだ。元よりフランドールに抱き締められている時点で、此処から出ることは不可能である。
早々に今、起きることを諦めた私はフランドールの胸の上に顔を置き直す。
頭上からはフランドールの寝息が聞こえる。穏やかで、心地よさそうだった。
それを耳にしながら、ゆっくりと瞼を閉じる。
トクントクンと鳴る胸の鼓動を聞きながら、意識は再び闇に溶け込んでいった。
次に起きたのは夕暮れ時、先に目を醒していたフランドールと共に蓋を開ける。
入っていた箱が棺桶だった事には、少しゾッとした。そういえば寝起き直後から私を抱き締める元凶は吸血鬼だったけな、と思った時にはもうどうでもよくなっていた。メイド長が用意してくれた朝食っぽい夕食を口に入れてから仲間達が待つ大樹へと帰る。
別れ際に、次は何時来てくれる? 三日後かな? と、そんなやりとりを交わす。
大樹に帰った後、ルナチャイルドが泣いて抱きついて来た。
どうやら随分と心配させてしまったらしい。頭を撫でながらあやすその先でスターサファイアがお気に入りの茸盆栽の手入れをしていた。その顔は呆れ果てており、小指を立てる。
そんなんじゃねーから。でも否定するのも面倒臭くて、小さく溜息だけ零した。
その夜、カーテンを閉めた真っ暗な部屋で一人、ベッドで横になる。
棺桶の中よりも幾分か明るい。でも、何処に何があるのか分からなくなる程度には暗かった。
寂しくはない、それが寂しいと思った事はない。
何時も感じる温もりがない。三日に一度、半日近く感じる人肌の温もりがなかった。
まあ、ちょっと冷たいんだけど、それでも感じる温もりはある。
……あの吸血鬼には、私以外の友達は居るのかな? いや、私が友達というのは、ちょっと怪しいんだけど。
でも、紅魔館の妖精達にすらも恐れられる彼女に好んで会いに行く妖精は居なかった。
私が居ない時、彼女はどうしているのだろうか。門番さん辺りは好意的だったけど、あの妖は何時も門前で突っ立っている。
今も一人なのだろうか? もしかして、私がいない時、一人の時間の方がずっと多い?
だとすれば、それは、とても寂しい事だ。
なんだか、あの吸血鬼の事を思うと寂しくなって来た。
夕方まで寝てたせいで、おめめもパッチリだ。
これは寂しい、これは辛い。胸の奥が疼いてきたから、一人でいるのが辛くなって、枕を片手に私室から抜け出した。
そして同居人の一人、ルナチャイルドの部屋に突撃する。
「……ん〜、誰? ノックもしないで……サニー?」
とりあえず彼女のベッドに枕を、ぽーん、と投げて、ルナチャイルドを巻き込むようにベッドに身を放り投げた。
困惑する彼女の胸に顔を埋めるように抱き締めて、そのまま寝息を立ててやる。
「えっ、サニー!? えっ、ちょっと、えっ!?」
所謂、狸寝入りというやつである。
こうなればルナチャイルドも無理に引き離すこともできず、ため息をひとつ零して大人しく眠る事にしたようだ。
やっぱり人肌があると落ち着くし、安心する。明日はスターサファイアの部屋に突撃しよう。
◆
三日後の夕暮れ時、私はまた紅魔館に足を運んでいた。
どうして、こんな事を続けているのかよく分かってない。結論は出ない、別に出す必要もないような気がする。ただ放ってはおけない。こんな事、吸血鬼様を相手に思う方がおかしいと思うんだけどね。自分よりも遥かに力を持つ相手の為に、という想いにちょっとした優越感もあるのかも知れない。他にはメイド長が用意する菓子類、確かにそれを目当てにしている節はある。
おそらく全てが本当で、全てが理由としては弱い。全てが混ざり合って、紅魔館に足を運ぶ原動力になっている。
だから、たぶん、なんとなく、と云うのが理由としては正しいんだと思う。
友達に会いに行くのに大した理由なんて必要ない。
今日もメイド長の案内で、あの吸血鬼が待つ地下室に足を運ぼうとした。
しかしエントランスホールで、偉い方の吸血鬼。確かフランドールのお姉さんが私に話しかけてきたのだ。
ちょっと話をしましょう、と若干の圧が込められた誘いに私が断れるはずもなかった。
星空が見えるバルコニーのテーブル席に腰を下ろす。
フランドールの姉、レミリア・スカーレットは楽しげに、物色するように私を観察する。
またしても蛇に睨まれた蛙、姿勢を正して、背中にだらだらと汗を流す。
彼女、レミリアは片手には真っ赤な液体が入ったグラスを持ち、波打つように軽くグラスを回した。
すうっと匂いを嗅いだ後、一口、舌に転がしてから口を開いた。
「最近、よく館に足を運んでいるようだけど……館主の私に対する挨拶がないのはおかしいんじゃないかしら?」
私とは視線を合わせず、レミリアは窓から夜空を見上げた。その横顔は不機嫌そうで、ふうっと息を零す。
……いやだって、怖いじゃん。吸血鬼って怖いじゃん。
吸血鬼の悪名は妖精の間だけでも広く伝わっているし、人妖問わずに恐れられている存在だ。しかし、そんなことを口には出せず、良さげな言い訳も思い付かず、あーでもない、こうでもない、と外面は笑顔を貼り付けて、頭の中で唸り続ける。
だらだらと流れ続ける汗に、レミリアは私の方を振り返って、にんまりと天使のような笑顔を見せた。
「今日は私とお話ししましょう。それで今までの無礼をチャラにしてあげるわ」
いや、でも……と続く言葉を制するように目の前の悪魔は指を鳴らす。パチン、と乾いた音が鳴った瞬間、目の前のテーブルが菓子類で埋め尽くされた。フランドールの部屋で出される菓子類、指で摘めるクッキーとかキャンディーとかよりも、ずっと豪華な菓子類、ケーキとかプリンとか。緊張や恐怖とは、違う意味で唾を飲み込んだ。
「私に付き合ってくれるなら、これ、全部食べても良いわよ?」
あ、駄目。私の心は揺れている。
◆
最近、お気に入りの妖精ができた。
サニーミルクっていう名前の茶色に近い金髪でツインテイルの可愛らしい妖精だ。
初めて見た時、メイド服を着た三人組の妖精が地下を歩いていたの、御姉様が雇っている妖精メイドかなって思った。珍しいな、とも。紅魔館の妖精が大図書館よりも先の地下に足を踏み入れる事はほとんどない。精々、道に迷った新人の妖精が迷い込むことがある程度、だから地下深くまで遊びに来る彼女達のことが珍しくって、つい捕まえてしまったのだ。ほんの出来心である。
捕まえた後、私の部屋まで連れ込んだ妖精は怯えるばかりで、どう接したものか非常に困った。
とりあえず逃げられないように後ろから抱き締めて、部屋に取り置きしておいた菓子類で餌付けをしてみた。知人から預かった猫のように身を縮こまらせていた彼女も、やはり妖精で、差し出された菓子の誘惑には勝てず、警戒しながらもおずおずと手に取った。
その姿が可愛らしくって、ついつい抱き締める腕にぎゅうっと力が入る。
あんまり人肌に触れていなかったせいか、彼女を抱き締めるのは癖になる。
彼女からは良い匂いがする、抱き締めてるとぽかぽかする。緊張が解れた頃合いを見て名前を訊くと、サニーミルクと彼女は名乗った。太陽を冠する彼女の名を聞いて、私はひとりで納得するように頷いた。これが太陽の温もりなんだろうなって、どれだけ抱き締め続けても飽き足りない。まるで陽だまりの中にいるように心がぽかぽかする。なんなら一日中だって、抱き締めていられそうだった。
サニーミルク、彼女に与え続ける菓子類には機嫌取りの意図がある。それとは別に、次にまた私のところまで来てくれる為の理由になってくれれば、という下心が含まれている。
だって彼女は話を聞いてると紅魔館の妖精ですらなかったから、また来てくれるように、って祈りを込めた贈り物だ。
別れ際、いつも私は「次は何時来るの?」とさりげなく問い掛ける。
彼女は何時だって、少し勿体つけるように悩む仕草を見せてから「三日後くらい?」と同じ言葉を返してくれる。
たったそれだけのやり取り、それだけのことを胸に抱いて、私は数日後を楽しみにしている。
少しの不安、できるだけ期待はせず、次に会えた時を想って待ち続ける。
前に会った時から三日後、約束の日になった。
とはいえ彼女が紅魔館まで足を運ぶのは気紛れで、数日のずれは多々ある。それでも週に二度は会いに来てくれる。
この会いに来てくれる。というのが私にとってはどうしようもなく嬉しかったんだ。
とある日のことだ。
その日、私は気紛れに地下から出てみた。
今日は約束通りなら、あの陽だまり妖精が来てくれる日だった。
逸る心を抑え切れず、散歩がてらに館の中を適当に歩き回る。
窓から外を見る。太陽が落ちて、ぽつぽつと夜空に星が浮かび始める頃合いだ。
いつもなら、この時間にはもう紅魔館に着いている。
今日はもう来ないのかな? だとしたら、ちょっと寂しいかも知れない。
そんなことを考えながら歩き回っていると、バルコニーで目的の妖精を見つけた。
何故か、御姉様と一緒の席に座っている。テーブルの上にはケーキやプリン、ゼリーといった煌びやかなデザートの数々が並んでおり、件の妖精は涎を堪えるように口を真一文字に結んでいる。
その光景を見た時、まだ私は理性を保っていた。
「私と付き合ってくれるなら、これ、全部食べても良いわよ?」
御姉様のその言葉を聴いた瞬間、カッと頭の中が沸騰した。
許せない、と。御姉様は何時もそうだ、欲しいものを手に入れる為に手段を選ばない。そうやって美鈴も、咲夜も手に入れてきた。そして今回もまた欲しいものを手に入れようとしているのだ。だけど、彼女は私が先に見つけたのだ。妖精をデザートで釣るなんて言語道断だし、ましてや横から掻っ攫うなんて絶対に許せない。彼女は私の友達なんだ。
文句を言ってやろう。そう怒り任せに足を踏み込んだ時、サニーミルクが口を開いた。
「……あー、えっと、私、約束が、ある……から…………」
非常に名残惜しそうに、でも確かに御姉様の誘いを断ったのだ。
◆
美味しそうな菓子類を前にして、断腸の思いでお断りを告げる。
いや、別に明日また出直せば良いだけなんだけど、実際、これまでも約束の日から前後する事は何度もあった。だから今日くらいは良いと思うのだけど……。それでも彼女の提案を断ったのは、あの金髪の吸血鬼を優先したのは、きっと寂しがってるだろうな、と頭の片隅に過った為だ。
あら、そう? とレミリアはあからさまに残念そうに、若干の喜色を孕ませた声色を零す。
地下室の奥深くに引き籠もっているはずの独りぼっちの吸血鬼、彼女に会う為に重い腰をあげる。
そしてテーブルの上に並べられたデザートを名残惜しみつつも……いや、やっぱりフランドールと会うのは明日でも良いかな? 心移って心変わり、やっぱりレミリアの話に乗ろうかな。と思い直した時、ガバッと後ろから抱き締められた。
視界の端に金色に輝く髪、この抱かれ心地はフランドールだ。人形のように抱き寄せられる。
「駄目よ、御姉様。これは私のものなんだからね」
怒気を含ませた言葉遣いの割には、嬉しそうな声振りだった。
「別に取るつもりなんてなかったわ。少しお話をしたかっただけよ」
「どーだか」
ふん、と鼻を鳴らすフランドールには余裕があった。
何時から話を聞いてたのだろうか、あのタイミングで声をかけてくれて助かった。あと数秒、遅かったら心変わりをしていたかも知れない。テーブルの上に並べられたデザートが名残惜しかったが、今、そのことを口にする勇気が私にはなかった。
フランドールが私を抱え上げたまま、鼻歌混じりでバルコニーを去ろうとする。
「待ちなさい」
とレミリアはケーキにフォークを刺して、一口分だけ頬張った。
「これだけの量を一人では食べ切れないわ、手伝いなさい」
「……私はサニーを可愛がるのに忙しいんだけど?」
フランドールが露骨に嫌そうな顔を晒す。
「その子の口元を見ても同じことが言えるのかしら?」
しかしレミリアは涼しい顔で挑発的な言葉を口にする。
フランドールが頭上から私の顔を覗き見た。
「涎が垂れてるわ」
しまった、と服の裾で涎を拭い取れば、フランドールは大きく溜息を零す。
「……今回だけ、特別よ」
「別に取りはしないし、取れもしないわ。この子は目先の好物よりも貴女を取ったのよ?」
「そーよ、御姉様の浅知恵なんて私達の絆の前には無駄よ、無駄」
ふふん、とフランドールは上機嫌に椅子に腰を下ろす。私は抱えられたままでフランドールの膝上に乗っかる形になった。
「あら扱いやすいわね」
レミリアのポツリと漏らした一言は、私を堪能するフランドールの耳には届かなかったようだ。
私も聞こえなかったことにした。
終始、姉妹のいがみ合いが続く中でデザートを堪能した後、いつも通りに地下室で過ごして紅魔館を後にする。
メイド長に玄関まで案内される時、動物モチーフの着ぐるみパジャマを着込んだレミリアが眠たそうな顔で待ち構えていた。
次は二人きりで逢いましょう、と。私は逡巡する素振りを見せた後、一週間後くらい? と曖昧に返事する。
フランドール抜きの会談は、フランドールの話ばかりだった。
まだ寝てるはずの同居人を起こさないように、ゆっくりと扉を開けて、閉じた。
そろりそろりと歩みを進める。
自らの名が書き記された表札の掛けられた扉の前、息を殺して、慎重に取手を回した。
私室に戻って、ふぅっと息を漏らす。
夜な夜な外を出歩く悪い妖精の私は、朝方近くにベッドの温もりに包まれながら瞼を閉じる。
次に目を醒したのは太陽が昇りきった後だった。
目を擦りながら部屋を出ると、黒髪ロングヘヤーのパッツン妖精が珈琲片手に私を出迎えてくれた。
彼女は若干、呆れたように告げる。
「サニー、昨日もまた朝帰りしていたでしょ? 何処に行ってるのよ、ルナが心配していたわ」
彼女の心配に、私は曖昧に笑って誤魔化すしかなかった。
「次は何時になるの?」
同居人のスターサファイアの溜息混じりの問いには「三日後」とすぐに答えることができた。
しかめっ面を浮かべる彼女の眉間には、濃い皺が寄せられる。
とりあえず、あるもので昼食を摂る。
チーズを乗せた食パンをお腹の中に収めて、牛乳増し増しの珈琲を啜る。
読書に耽る同居人の横顔を眺めながら、昨晩のことを思い返す。
昨晩、私が居たのは紅魔館の地下深くだった。
ふっかふかのベッド。金髪サイドテイルなお姉さんの膝上に座らされている。背中越しに回された腕には、妖精の私にとっては強い力が掛けられており、満足に身動きを取ることもできなかった。まるで人形の様な扱いに不満を覚えるが、それを口に出したところで意味がないことを私は知っている。そんな私を憐れんでくれたのか、ベッド脇にあるサイドテーブルには、摘まんで食べられる菓子類が置かれてあり、それをポリポリと齧ることで急場を凌いでいる。
時折、頬に吹きかかる息が擽ったい。後頭部に顔を埋められる事もあり、そのまま何かを吸い上げるように深呼吸を繰り返したりもする。良い匂いがする、と金髪のお姉さんは言っていた。抱き締めているとぽかぽかする、とも言っていた。きっと太陽ってこんな感じなのね、と口角を上げる彼女には若干の呆れと、怯えを感じた。
彼女は吸血鬼である。紅魔館の主人であるレミリア・スカーレットの妹、フランドール・スカーレット。紅魔館に居座る妖精達の話によると、とびきりにやばい妖怪のようだ。
気が触れている、とか。情緒不安定、とか。そんな話だ。
「……本当に大丈夫なんでしょうね?」
なにかを感じ取ったのか、念押しされる言葉に私は「大丈夫よ」と笑い返す。
あんまり大丈夫ではないけど、誰かに頼る程のことでもなかった。
◆
三日後の夕暮れ時、私は紅魔館の門前にいる。
門番のお姉さんは私の顔を見るや門扉を開いて迎え入れてくれた。
庭には多くの妖精がいる。雑談を交えながら、ひらひらと花壇の手入れなんかをしている。
外で聞いたりする吸血鬼のイメージと合わないな、と思いながら館まで足を運んだ。
メイド長に出迎えられて、そのまま地下に続く道へと案内される。
薄暗い廊下、石煉瓦の壁。靴が床を叩く乾いた音。
荘厳に閉じられた扉の前まで連れられた後、メイド長は軽く頭を下げた後に音もせずに消える。
これは何時ものことなので今更、驚いたりしない。あの氷精の友達に似たようなことができる妖精もいるし。
扉をノックしようとして、ちょっとだけ躊躇した後にコンコンと二回、鳴らした。
そして、一歩、二歩と扉の前から離れる。
「サニー、待ってたよ!」
バン! と満面笑顔で勢いよく扉を開けるのは金髪の吸血鬼フランドール、彼女の元気な様子に私は頬を引き攣らせた。
「こ、こんばんは」
片手を振って挨拶する私を確認するや否や、彼女は私を抱き寄せて部屋の中へと引きずり込んでしまうのだ。
バタンと閉じられる扉、ガチャリと掛けられる鍵。気付けばベッドの上に座らされている私、爛々と無邪気に目を輝かせるフランドールが向かう合うように私の前に座る。じいっと見つめられて、耐え切れず唾を飲み込んだ。再会した直後、今でも私は強張って身体を思うように動かせなくなる。それも当然、彼女には悪評が多いし、巨大な隕石をひと握りで破壊したなんて話もある。怖くないって方が嘘ってもんで、私は今でも彼女のことを恐れていた。できるだけ顔に出さないようにしているが本能的な恐怖を拭いきることは難しい。
彼女に見つめられていると蛇に睨まれた蛙の気持ちが分かる。また唾を飲み込んだ。
「ちゃんと約束を守ってくれた!」
しかし彼女は、そんな私の恐怖心に気付いているのか、いないのか。
ぱあっと明るい笑顔を見せて、そして、ぎゅうっと真正面から抱き締めてくる。
ちょっと痛いけど、我慢できない程ではない。
とりあえず、今すぐに一回休みにはならずに済むと思って気を緩める。
私の頭をくしゃくしゃに撫でながら「今日は何をして遊ぼっか?」なんて聞いてくるけども、ここで出来る遊びなんて少ない。
大抵は彼女の気が済むまで人形遊びをしていることが多かった。
ちなみに人形役は私である。
今日は髪型を弄られることになった。
ポニーテイルにしたり、三つ編みにしたり、ちょっと意匠を凝らしてみたり、前に来た時はマニキュアを塗って貰った。その前は化粧を施して貰った。ふぁんでえしょん? とかいうのを塗って貰って、唇には口紅を塗られた。同じく口紅を塗ったフランドールの真似をするように、んーぱっ、とすれば「可愛い!」と彼女は手を叩いて喜んでくれる。目元にもなにかを塗られると、うっとりと見惚れるように彼女は私を見つめてくる。その後、帰る時にメイド長に捕まって、彼女が満足するまでカメラのシャッターを切られる羽目になるし、門番にも呼び止められて暫く離してくれなかった。化粧はもう二度としなくていい、と思った。
そんなことを考えている内に私の髪型はサイドテイルに落ち着いていた。
「お揃いだね」
嬉しそうに笑うフランドール。それを見た私は曖昧に頷き返した。
今日はお布団の上でごろごろしている。
やることがなくなった後は、大体、フランドールは私の事を抱いている。
今日も私の事を後ろから抱き締めて、そのまま仰向けに寝転がっている姿勢だ。
時折、私の後頭部に顔を埋めて、すうっと息を吸ったりする。
どうして、こんなに好かれてしまったのか。
少し眠くなる中で、彼女との出会いについて思い返す。
◆
出会いは今から一ヶ月前、紅魔館に冒険へ。あわよくば、茶葉を拝借したい。
そんな軽い気持ちで妖精用のメイド服を着た私が紅魔館の地下を歩き回っている時に捕まったのが災難の始まりで、同居人の仲間達と一緒に逃げ出そうとした時に躓き転んでしまった私は地下の更に奥深くへと連れ去られてしまった。
それが出会い。今、抱き人形としての扱いを受けるまでの経緯となる。
まあ、扱いは悪くなかった。最初、檻の中にでも入れられて飼われるのかと思った。
しかし吸血鬼の彼女、フランドールには、その意志はないようで、最初に捕まった時も彼女が眠くなったのを機に帰らせて貰うことになる。
それは今でも変わっていない。
いつもメイド長を名乗る人間に連れられて、外に出ると、空は夜明け前の少し明るい感じになっている。それから博麗神社の裏にある大樹まで帰る頃には、もう朝の日差しも眩しい時間帯になっているという話だ。
生活リズムが狂いがちで、身体的に少し辛く思うことがある。
それでも私は此処に来る。
別れる時に「次は何時来るの?」という彼女の問いかけに、少し悩んだ後で「三日後くらい?」と言葉を濁した約束を守り続けている。
こんな約束なんて破ってしまえばいいのに、私は律義に守り続けていた。
◆
次に目覚めると真っ暗な闇の中に包まれていた。
うつ伏せの姿勢、頬に感じるのは胸の鼓動。この感触は、たぶんフランドールのものだ。
腰に回された腕のせいで、身体を起こすことはできない。
それでも頭を少し持ち上げようとすれば、コツンと後頭部に何か硬いものを感じる。
両手を広げると、すぐ壁のようなものに手が触れた。
どうやら窮屈な箱の中にいるようだ。
軽く頭で押してもビクともしないので、なにかによって固定されてるらしかった。
とりあえず脱出は難しそうだ。元よりフランドールに抱き締められている時点で、此処から出ることは不可能である。
早々に今、起きることを諦めた私はフランドールの胸の上に顔を置き直す。
頭上からはフランドールの寝息が聞こえる。穏やかで、心地よさそうだった。
それを耳にしながら、ゆっくりと瞼を閉じる。
トクントクンと鳴る胸の鼓動を聞きながら、意識は再び闇に溶け込んでいった。
次に起きたのは夕暮れ時、先に目を醒していたフランドールと共に蓋を開ける。
入っていた箱が棺桶だった事には、少しゾッとした。そういえば寝起き直後から私を抱き締める元凶は吸血鬼だったけな、と思った時にはもうどうでもよくなっていた。メイド長が用意してくれた朝食っぽい夕食を口に入れてから仲間達が待つ大樹へと帰る。
別れ際に、次は何時来てくれる? 三日後かな? と、そんなやりとりを交わす。
大樹に帰った後、ルナチャイルドが泣いて抱きついて来た。
どうやら随分と心配させてしまったらしい。頭を撫でながらあやすその先でスターサファイアがお気に入りの茸盆栽の手入れをしていた。その顔は呆れ果てており、小指を立てる。
そんなんじゃねーから。でも否定するのも面倒臭くて、小さく溜息だけ零した。
その夜、カーテンを閉めた真っ暗な部屋で一人、ベッドで横になる。
棺桶の中よりも幾分か明るい。でも、何処に何があるのか分からなくなる程度には暗かった。
寂しくはない、それが寂しいと思った事はない。
何時も感じる温もりがない。三日に一度、半日近く感じる人肌の温もりがなかった。
まあ、ちょっと冷たいんだけど、それでも感じる温もりはある。
……あの吸血鬼には、私以外の友達は居るのかな? いや、私が友達というのは、ちょっと怪しいんだけど。
でも、紅魔館の妖精達にすらも恐れられる彼女に好んで会いに行く妖精は居なかった。
私が居ない時、彼女はどうしているのだろうか。門番さん辺りは好意的だったけど、あの妖は何時も門前で突っ立っている。
今も一人なのだろうか? もしかして、私がいない時、一人の時間の方がずっと多い?
だとすれば、それは、とても寂しい事だ。
なんだか、あの吸血鬼の事を思うと寂しくなって来た。
夕方まで寝てたせいで、おめめもパッチリだ。
これは寂しい、これは辛い。胸の奥が疼いてきたから、一人でいるのが辛くなって、枕を片手に私室から抜け出した。
そして同居人の一人、ルナチャイルドの部屋に突撃する。
「……ん〜、誰? ノックもしないで……サニー?」
とりあえず彼女のベッドに枕を、ぽーん、と投げて、ルナチャイルドを巻き込むようにベッドに身を放り投げた。
困惑する彼女の胸に顔を埋めるように抱き締めて、そのまま寝息を立ててやる。
「えっ、サニー!? えっ、ちょっと、えっ!?」
所謂、狸寝入りというやつである。
こうなればルナチャイルドも無理に引き離すこともできず、ため息をひとつ零して大人しく眠る事にしたようだ。
やっぱり人肌があると落ち着くし、安心する。明日はスターサファイアの部屋に突撃しよう。
◆
三日後の夕暮れ時、私はまた紅魔館に足を運んでいた。
どうして、こんな事を続けているのかよく分かってない。結論は出ない、別に出す必要もないような気がする。ただ放ってはおけない。こんな事、吸血鬼様を相手に思う方がおかしいと思うんだけどね。自分よりも遥かに力を持つ相手の為に、という想いにちょっとした優越感もあるのかも知れない。他にはメイド長が用意する菓子類、確かにそれを目当てにしている節はある。
おそらく全てが本当で、全てが理由としては弱い。全てが混ざり合って、紅魔館に足を運ぶ原動力になっている。
だから、たぶん、なんとなく、と云うのが理由としては正しいんだと思う。
友達に会いに行くのに大した理由なんて必要ない。
今日もメイド長の案内で、あの吸血鬼が待つ地下室に足を運ぼうとした。
しかしエントランスホールで、偉い方の吸血鬼。確かフランドールのお姉さんが私に話しかけてきたのだ。
ちょっと話をしましょう、と若干の圧が込められた誘いに私が断れるはずもなかった。
星空が見えるバルコニーのテーブル席に腰を下ろす。
フランドールの姉、レミリア・スカーレットは楽しげに、物色するように私を観察する。
またしても蛇に睨まれた蛙、姿勢を正して、背中にだらだらと汗を流す。
彼女、レミリアは片手には真っ赤な液体が入ったグラスを持ち、波打つように軽くグラスを回した。
すうっと匂いを嗅いだ後、一口、舌に転がしてから口を開いた。
「最近、よく館に足を運んでいるようだけど……館主の私に対する挨拶がないのはおかしいんじゃないかしら?」
私とは視線を合わせず、レミリアは窓から夜空を見上げた。その横顔は不機嫌そうで、ふうっと息を零す。
……いやだって、怖いじゃん。吸血鬼って怖いじゃん。
吸血鬼の悪名は妖精の間だけでも広く伝わっているし、人妖問わずに恐れられている存在だ。しかし、そんなことを口には出せず、良さげな言い訳も思い付かず、あーでもない、こうでもない、と外面は笑顔を貼り付けて、頭の中で唸り続ける。
だらだらと流れ続ける汗に、レミリアは私の方を振り返って、にんまりと天使のような笑顔を見せた。
「今日は私とお話ししましょう。それで今までの無礼をチャラにしてあげるわ」
いや、でも……と続く言葉を制するように目の前の悪魔は指を鳴らす。パチン、と乾いた音が鳴った瞬間、目の前のテーブルが菓子類で埋め尽くされた。フランドールの部屋で出される菓子類、指で摘めるクッキーとかキャンディーとかよりも、ずっと豪華な菓子類、ケーキとかプリンとか。緊張や恐怖とは、違う意味で唾を飲み込んだ。
「私に付き合ってくれるなら、これ、全部食べても良いわよ?」
あ、駄目。私の心は揺れている。
◆
最近、お気に入りの妖精ができた。
サニーミルクっていう名前の茶色に近い金髪でツインテイルの可愛らしい妖精だ。
初めて見た時、メイド服を着た三人組の妖精が地下を歩いていたの、御姉様が雇っている妖精メイドかなって思った。珍しいな、とも。紅魔館の妖精が大図書館よりも先の地下に足を踏み入れる事はほとんどない。精々、道に迷った新人の妖精が迷い込むことがある程度、だから地下深くまで遊びに来る彼女達のことが珍しくって、つい捕まえてしまったのだ。ほんの出来心である。
捕まえた後、私の部屋まで連れ込んだ妖精は怯えるばかりで、どう接したものか非常に困った。
とりあえず逃げられないように後ろから抱き締めて、部屋に取り置きしておいた菓子類で餌付けをしてみた。知人から預かった猫のように身を縮こまらせていた彼女も、やはり妖精で、差し出された菓子の誘惑には勝てず、警戒しながらもおずおずと手に取った。
その姿が可愛らしくって、ついつい抱き締める腕にぎゅうっと力が入る。
あんまり人肌に触れていなかったせいか、彼女を抱き締めるのは癖になる。
彼女からは良い匂いがする、抱き締めてるとぽかぽかする。緊張が解れた頃合いを見て名前を訊くと、サニーミルクと彼女は名乗った。太陽を冠する彼女の名を聞いて、私はひとりで納得するように頷いた。これが太陽の温もりなんだろうなって、どれだけ抱き締め続けても飽き足りない。まるで陽だまりの中にいるように心がぽかぽかする。なんなら一日中だって、抱き締めていられそうだった。
サニーミルク、彼女に与え続ける菓子類には機嫌取りの意図がある。それとは別に、次にまた私のところまで来てくれる為の理由になってくれれば、という下心が含まれている。
だって彼女は話を聞いてると紅魔館の妖精ですらなかったから、また来てくれるように、って祈りを込めた贈り物だ。
別れ際、いつも私は「次は何時来るの?」とさりげなく問い掛ける。
彼女は何時だって、少し勿体つけるように悩む仕草を見せてから「三日後くらい?」と同じ言葉を返してくれる。
たったそれだけのやり取り、それだけのことを胸に抱いて、私は数日後を楽しみにしている。
少しの不安、できるだけ期待はせず、次に会えた時を想って待ち続ける。
前に会った時から三日後、約束の日になった。
とはいえ彼女が紅魔館まで足を運ぶのは気紛れで、数日のずれは多々ある。それでも週に二度は会いに来てくれる。
この会いに来てくれる。というのが私にとってはどうしようもなく嬉しかったんだ。
とある日のことだ。
その日、私は気紛れに地下から出てみた。
今日は約束通りなら、あの陽だまり妖精が来てくれる日だった。
逸る心を抑え切れず、散歩がてらに館の中を適当に歩き回る。
窓から外を見る。太陽が落ちて、ぽつぽつと夜空に星が浮かび始める頃合いだ。
いつもなら、この時間にはもう紅魔館に着いている。
今日はもう来ないのかな? だとしたら、ちょっと寂しいかも知れない。
そんなことを考えながら歩き回っていると、バルコニーで目的の妖精を見つけた。
何故か、御姉様と一緒の席に座っている。テーブルの上にはケーキやプリン、ゼリーといった煌びやかなデザートの数々が並んでおり、件の妖精は涎を堪えるように口を真一文字に結んでいる。
その光景を見た時、まだ私は理性を保っていた。
「私と付き合ってくれるなら、これ、全部食べても良いわよ?」
御姉様のその言葉を聴いた瞬間、カッと頭の中が沸騰した。
許せない、と。御姉様は何時もそうだ、欲しいものを手に入れる為に手段を選ばない。そうやって美鈴も、咲夜も手に入れてきた。そして今回もまた欲しいものを手に入れようとしているのだ。だけど、彼女は私が先に見つけたのだ。妖精をデザートで釣るなんて言語道断だし、ましてや横から掻っ攫うなんて絶対に許せない。彼女は私の友達なんだ。
文句を言ってやろう。そう怒り任せに足を踏み込んだ時、サニーミルクが口を開いた。
「……あー、えっと、私、約束が、ある……から…………」
非常に名残惜しそうに、でも確かに御姉様の誘いを断ったのだ。
◆
美味しそうな菓子類を前にして、断腸の思いでお断りを告げる。
いや、別に明日また出直せば良いだけなんだけど、実際、これまでも約束の日から前後する事は何度もあった。だから今日くらいは良いと思うのだけど……。それでも彼女の提案を断ったのは、あの金髪の吸血鬼を優先したのは、きっと寂しがってるだろうな、と頭の片隅に過った為だ。
あら、そう? とレミリアはあからさまに残念そうに、若干の喜色を孕ませた声色を零す。
地下室の奥深くに引き籠もっているはずの独りぼっちの吸血鬼、彼女に会う為に重い腰をあげる。
そしてテーブルの上に並べられたデザートを名残惜しみつつも……いや、やっぱりフランドールと会うのは明日でも良いかな? 心移って心変わり、やっぱりレミリアの話に乗ろうかな。と思い直した時、ガバッと後ろから抱き締められた。
視界の端に金色に輝く髪、この抱かれ心地はフランドールだ。人形のように抱き寄せられる。
「駄目よ、御姉様。これは私のものなんだからね」
怒気を含ませた言葉遣いの割には、嬉しそうな声振りだった。
「別に取るつもりなんてなかったわ。少しお話をしたかっただけよ」
「どーだか」
ふん、と鼻を鳴らすフランドールには余裕があった。
何時から話を聞いてたのだろうか、あのタイミングで声をかけてくれて助かった。あと数秒、遅かったら心変わりをしていたかも知れない。テーブルの上に並べられたデザートが名残惜しかったが、今、そのことを口にする勇気が私にはなかった。
フランドールが私を抱え上げたまま、鼻歌混じりでバルコニーを去ろうとする。
「待ちなさい」
とレミリアはケーキにフォークを刺して、一口分だけ頬張った。
「これだけの量を一人では食べ切れないわ、手伝いなさい」
「……私はサニーを可愛がるのに忙しいんだけど?」
フランドールが露骨に嫌そうな顔を晒す。
「その子の口元を見ても同じことが言えるのかしら?」
しかしレミリアは涼しい顔で挑発的な言葉を口にする。
フランドールが頭上から私の顔を覗き見た。
「涎が垂れてるわ」
しまった、と服の裾で涎を拭い取れば、フランドールは大きく溜息を零す。
「……今回だけ、特別よ」
「別に取りはしないし、取れもしないわ。この子は目先の好物よりも貴女を取ったのよ?」
「そーよ、御姉様の浅知恵なんて私達の絆の前には無駄よ、無駄」
ふふん、とフランドールは上機嫌に椅子に腰を下ろす。私は抱えられたままでフランドールの膝上に乗っかる形になった。
「あら扱いやすいわね」
レミリアのポツリと漏らした一言は、私を堪能するフランドールの耳には届かなかったようだ。
私も聞こえなかったことにした。
終始、姉妹のいがみ合いが続く中でデザートを堪能した後、いつも通りに地下室で過ごして紅魔館を後にする。
メイド長に玄関まで案内される時、動物モチーフの着ぐるみパジャマを着込んだレミリアが眠たそうな顔で待ち構えていた。
次は二人きりで逢いましょう、と。私は逡巡する素振りを見せた後、一週間後くらい? と曖昧に返事する。
フランドール抜きの会談は、フランドールの話ばかりだった。
残念そうな口調の割に喜んでそうなお姉様とおこおこな口調の割にめっちゃ嬉しそうなフランちゃんの姿が脳内再生余裕な辺りやっぱりこの二人は姉妹だよなあと感じます。
あと概要芸が予想の5倍ぐらい長くて草。
良かったです。
フランちゃんとレミリアのやりとりの内心のところを把握しきれてないふうのサニーも無限にかわいかったです!!!! ルナとスターが心配するのもわかる無防備っぷり……ビーケアフル
サニーが怯えすぎててもっと仲良い方が好きかな……と思っていたところに、レミリア(おかし)よりもフランを取るサニーという展開が来て、今後の展望と更なる交友が望める話の持って行き方になったのが大変良かったです。
サニーがフランに向ける感情とフランがサニーに向ける感情が子供らしくも初々しくて、素晴らしいものでした。ごちそうさまでした。
描写が丁寧でよかった
よだれ垂らしてるサニーがかわいらしかったです