季節は冬。師走も残すところあと9時間となった、朗らかな陽光に照らされた昼下がり。久しぶりに帰省した私は、暇つぶしに思い出の場所を歩いて回っていた。そんな折りにやってきたこの神社は、鳥居の先に玉砂利が敷かれた境内があり、その中心に本殿が建っている、ごくごく普通な神社らしい神社だ。でもそんな、ありふれているはずの風景には、しかし何か重要なピースが欠け落ちている気がする。
それはそれとして、だ。この神社の境内には、子供時代の思い出が天高く積もっている。これは予想だが、1平方メートルにつき最低でも3つの思い出がある。我ながらよく分からない例えをしたと思う。しかし、そう錯覚してしまうほど、私はこの境内を遊び場にしていたのだ。
例えば鳥居の横にある、松らしき大木。あの前に立って、目をつぶり数を数えていると背後に数人の気配を感じる。ここだ!というタイミングで後ろを振り向くと、私に忍び寄る友人たちが、思い思いの態勢で硬直している。もう一度、松に顔を向けて目をつぶると、背中に手が触れる感覚と同時に友人の歓声が響いた。
或いは本殿の床下。雨が降った翌日も、そこの砂はいつもサラサラと乾いていた。ある日の夕方、友人とアリの行列を追っていると、気づけば床下にいた。どこまでも続くかと思われたアリたちの織り成す隊列は、逆円錐の砂地を前に分散消滅し、いくつかの隊士がその穴の底に滑落していく。幼き私達は、当然そのアリが迎える結末を知りつつも、その最期を見届けるべくじっと見ていた。
一度コケて頭をぶつけて意識を失ったときがあった。
「あ、狛犬がいない」
在りし日の思い出に浸かっていると、先ほど感じた違和感の正体が判明した。鳥居から本殿へと続く石畳。その両脇に控えていたはずの、御影石で出来た狛犬が台座ごと無くなっているのだ。そしてまた、過去の記憶に引き戻される。
そう、あれは小学校4年生だった。いつも通り境内で遊んでいた私は、鬼役の友人に追われながら松の大木へと走っていた。あの木を利用して、鬼から距離を取ろう。そう閃いた私は、しかし追ってくる鬼に顔を向けていたせいで、進行方向に鎮座する狛犬に気付かなかった。
衝撃、暗転、何かが倒れる音。
気が付くと、私は花畑の中にいた。かつて金曜日の夜に観た、大人たちから虫を庇う少女の映像。あの金色の小麦畑に似た、美しい花畑をあてどなく歩いていると、目の前に小さなせせらぎが現れた。その水は透き通っていて、覗き込むと少し息を荒げる私がそこにはいた。顔をあげると、正面には対岸。自分のいる此方とは、どことなく違った雰囲気の彼岸に、私の幼心は強く惹かれた。幸いにも、目の前を流れる小川は飛び越えられそうな川幅で、足元もしっかりとしている。いざ、両足に力を込めたその瞬間。
「待って」
どこからともなく聞こえた声に、両足から力が抜けた。後ろを振り向くと、そこには見たことのない女の子が立っていた。沖縄のような赤白模様のシャツに、ぱっちりとした瞳。緑色の髪に屹立する二本の白い角に、私はとても興味を持っていた。
「だれ?」
そう呟いた直後、私の意識は覚醒し、不安そうな友人たちの瞳の中に自分の顔を見た。
そんな、懐かしい日々を思い出した。溜め息が、ひとつ。心の闇を、一滴の涙が滴り落ちる。境内を駆けた毎日も今は昔。仕事に忙殺される現在と、記憶の中の自分の姿には、どれほど走っても追い付けないくらいの距離があった。
ふと、地面に視線を落とす。玉砂利とは違う、質の高い光の反射を視界の端に捉えた。その光源であろう場所には、水晶の原石らしき石が落ちている。当然ではあるがここは神社であり、水晶の産地ではない。首をかしげつ
つその水晶を手に取ると
「おひさしぶりです!」
そんな、快活な少女の声が聞こえた気がした。周りを見渡しても、誰もいない。しかし、不思議と恐怖は感じない。むしろ心の奥底から先端に向けて暖かさが広がっていく。よくよく見てみると、この水晶が落ちていたのは
意識を失い倒れたあの場所と同じ、狛犬の台座があった辺り。狛犬の素材は御影石、つまり花こう岩だ。それを構成する物質のひとつに、水晶も含まれていると聞いたことがある。ただそれだけの気付き。
一考した後、なんとなく綺麗だから持って帰ることした。天頂を越え、西日も終わりつつある大晦日の夕方。カラスと一緒に帰りたくなる、そんな時間帯。視線を鳥居に向けると、境内に長く伸びる傾いた自分の影。開けていたコートのボタンを閉めながら、ゆっくりと自宅に向けて歩き出す私は、ついさっきまで心を埋め尽くしていた寂寥感がいつの間にか消えていることに気が付いた。きっと、何かが心の隙間を埋めてくれたのだろう。
ポケットに手を入れつつ歩く男の隣に寄り添うように、二本の角が特徴的な少女の影が伸びていた。
それはそれとして、だ。この神社の境内には、子供時代の思い出が天高く積もっている。これは予想だが、1平方メートルにつき最低でも3つの思い出がある。我ながらよく分からない例えをしたと思う。しかし、そう錯覚してしまうほど、私はこの境内を遊び場にしていたのだ。
例えば鳥居の横にある、松らしき大木。あの前に立って、目をつぶり数を数えていると背後に数人の気配を感じる。ここだ!というタイミングで後ろを振り向くと、私に忍び寄る友人たちが、思い思いの態勢で硬直している。もう一度、松に顔を向けて目をつぶると、背中に手が触れる感覚と同時に友人の歓声が響いた。
或いは本殿の床下。雨が降った翌日も、そこの砂はいつもサラサラと乾いていた。ある日の夕方、友人とアリの行列を追っていると、気づけば床下にいた。どこまでも続くかと思われたアリたちの織り成す隊列は、逆円錐の砂地を前に分散消滅し、いくつかの隊士がその穴の底に滑落していく。幼き私達は、当然そのアリが迎える結末を知りつつも、その最期を見届けるべくじっと見ていた。
一度コケて頭をぶつけて意識を失ったときがあった。
「あ、狛犬がいない」
在りし日の思い出に浸かっていると、先ほど感じた違和感の正体が判明した。鳥居から本殿へと続く石畳。その両脇に控えていたはずの、御影石で出来た狛犬が台座ごと無くなっているのだ。そしてまた、過去の記憶に引き戻される。
そう、あれは小学校4年生だった。いつも通り境内で遊んでいた私は、鬼役の友人に追われながら松の大木へと走っていた。あの木を利用して、鬼から距離を取ろう。そう閃いた私は、しかし追ってくる鬼に顔を向けていたせいで、進行方向に鎮座する狛犬に気付かなかった。
衝撃、暗転、何かが倒れる音。
気が付くと、私は花畑の中にいた。かつて金曜日の夜に観た、大人たちから虫を庇う少女の映像。あの金色の小麦畑に似た、美しい花畑をあてどなく歩いていると、目の前に小さなせせらぎが現れた。その水は透き通っていて、覗き込むと少し息を荒げる私がそこにはいた。顔をあげると、正面には対岸。自分のいる此方とは、どことなく違った雰囲気の彼岸に、私の幼心は強く惹かれた。幸いにも、目の前を流れる小川は飛び越えられそうな川幅で、足元もしっかりとしている。いざ、両足に力を込めたその瞬間。
「待って」
どこからともなく聞こえた声に、両足から力が抜けた。後ろを振り向くと、そこには見たことのない女の子が立っていた。沖縄のような赤白模様のシャツに、ぱっちりとした瞳。緑色の髪に屹立する二本の白い角に、私はとても興味を持っていた。
「だれ?」
そう呟いた直後、私の意識は覚醒し、不安そうな友人たちの瞳の中に自分の顔を見た。
そんな、懐かしい日々を思い出した。溜め息が、ひとつ。心の闇を、一滴の涙が滴り落ちる。境内を駆けた毎日も今は昔。仕事に忙殺される現在と、記憶の中の自分の姿には、どれほど走っても追い付けないくらいの距離があった。
ふと、地面に視線を落とす。玉砂利とは違う、質の高い光の反射を視界の端に捉えた。その光源であろう場所には、水晶の原石らしき石が落ちている。当然ではあるがここは神社であり、水晶の産地ではない。首をかしげつ
つその水晶を手に取ると
「おひさしぶりです!」
そんな、快活な少女の声が聞こえた気がした。周りを見渡しても、誰もいない。しかし、不思議と恐怖は感じない。むしろ心の奥底から先端に向けて暖かさが広がっていく。よくよく見てみると、この水晶が落ちていたのは
意識を失い倒れたあの場所と同じ、狛犬の台座があった辺り。狛犬の素材は御影石、つまり花こう岩だ。それを構成する物質のひとつに、水晶も含まれていると聞いたことがある。ただそれだけの気付き。
一考した後、なんとなく綺麗だから持って帰ることした。天頂を越え、西日も終わりつつある大晦日の夕方。カラスと一緒に帰りたくなる、そんな時間帯。視線を鳥居に向けると、境内に長く伸びる傾いた自分の影。開けていたコートのボタンを閉めながら、ゆっくりと自宅に向けて歩き出す私は、ついさっきまで心を埋め尽くしていた寂寥感がいつの間にか消えていることに気が付いた。きっと、何かが心の隙間を埋めてくれたのだろう。
ポケットに手を入れつつ歩く男の隣に寄り添うように、二本の角が特徴的な少女の影が伸びていた。