熱を出して生死の境をさまよった私だったが、どうにか元気を取り戻せた。でもしばらく養生しなければいけないと兎に言われ、その通りにする。
永琳は不在。兎に話を聞くと、人里再建に協力すべく自警団や半獣のもとへ話し合いに行く日が最近多いという。診療はよほどの重症者でない限り、永琳や鈴仙に手ほどきを受けた兎妖怪たちが担うみたいだ。その鈴仙は自分が罹っていた病が感染性のものであれば危険だというので、しばらく部屋にこもるらしい。私と同様、マスクをつけた兎たちが世話をしている。
「聞いた話だと、鈴仙そうとう頑張りすぎだよ。たとえ完治したとしても、いい機会だから休んだ方が良いと思う」
年長者の兎(たぶん、彼女はてゐだ)が言う。
もっとも彼女の苦労にはこの子の悪戯も含まれているのでは……。
「お前が言うなって思う? そうかもね。でも私も他の兎どももみんな鈴仙を心配してるのは本当だよ。そんで、永琳様には私から言っとくから、あんた達も検査とかした方が良いよ」
二日ほどで全快し、チルノもにとりも幸い感染の兆しはなかった。永琳にお礼を言いたい所だけど、彼女は今日も人里にいるとの事。兎や鈴仙にお礼を言い、再び河童軌道の車両に乗った。運転手のおかっぱ頭の河童はにとりを見ると片手を上げてあいさつし、近況を話し合っている。
「魔法動力車の調子はどうだい」
「すこぶる元気だよ、実はにとりの設計にちょっと手を加えて、出力をアップさせたエンジンをこっそり積んでいるんだ、えへへ」
「やるなあ、でもいざという時以外は必要以上に馬力を出すなよ」
「わかってるって。昨日夕方、まっすぐな区間で全力テストやったら脱線しかけたし。やっぱ軌道も強化しなきゃなあ。そういえばそっちの飛行テストは?」
「ははっ、墜落しちまった。死人はゼロだけどね。機体なんざ消耗品。生きて改良点が分かっただけでも儲けもんよ」
「それよそれ、『このやり方じゃダメ』って分かっただけでも立派な成果。お互い頑張ろうね」
こんな世の中でもやたらポジティブだなあ。さすが技術者といった感じ。
車内には何人か里の人々の姿もあって、患者らしき人だけでなく、行商人らしき人の姿もいる。だんだんと断ち切られていた人や妖怪のつながりが戻るにつれて、幻想郷も息を吹き返していくようだ。
「これは、あなたのおかげだっていうじゃないか」 おかっぱ河童が私に言う。
「いいえ、私はほとんど何もしてないじゃない」
「でも、湖に居座っていたあのでっかいのあなた達が倒して、それをきっかけににとりと鉄道が再開できて、紅魔館や永遠亭との行き来も戻ったのは事実だよ。そのうち車両の増結も考えなくちゃ」
「私はちょっときっかけを作っただけ、むしろこの地に暮らすみんなの成果でしょう」
「ふ~む、そんなあなたがなんであんな……」
「何かしら?」
「いや、何でもない。もうすぐ人里だよ」
もしかして、この平行世界の私だけでなく、私自身この世界に来て何かをやらかしたのかしら? だとしたら何を、もしそれがこの世界の混乱につながっているのなら、私は……。
「人里広場前でーす」 答えが出ないまま車両は人里に着いた。
紅魔館の湖に帰るにとりとはここでお別れ。とりあえず慧音にあいさつして、それから幽香にもらった妖怪特性の枝切りばさみを使い、あの博麗神社に再挑戦しよう。ゲームでもよくある話、序盤で見えているのに行けなかった場所についに突入するのだ。そこにこちらの幻想郷がこうなった理由と、私の記憶と、元の世界に帰る手立てがあるに違いない。
広場に行くと、真ん中にやぐらが組まれ、その上に縦1メートル、横2メートルほどの大きさのテレヴィジョンが置いてあった。このような科学の道具を持ち得るのは河童か、あるいは……。
「あっ、チルノ帰ってきた」
「チルノおねえちゃん、遊ぼう」
チルノの姿を見て、寺子屋の子どもたちが歓声をあげて寄ってきた。
「おお、お前ら元気だったか。ユカリ、ちょっとこいつ等の相手してきていい?」
「うん、遊んであげなさい」
「ユカリも一緒に遊ばない?」
「私は良いわ、ごめんね」
チルノは不満を残しながらも、子ども達に手を引かれてどこかへ走っていった。妖精並みに元気のある子ども達は眩しいな。そんな友達とのひと時を邪魔しちゃいけないから、神社には私ひとりで行こう。
「八雲さん、帰っていらしたのね」 八意永琳と上白沢慧音が広場のテレヴィジョンのそばにいた。
「永琳先生、ありがとうございました。私、倒れてしまったそうで」
「医者の務めですからお気になさらず。あなたの治癒力が良かったのよ」
「みんなのおかげですわ、ところで、この広場のテレビ受像機は一体?」
慧音が興味深そうに受像機を見上げた。彼女にとっても珍しいに違いない。
「ああ、永遠亭の人たちが、人里や幻想郷の復興に本格的に協力してくれる事になったんだ。これは里の人々に必要な情報を発する装置だそうだ。病院業務だけでも大変だというのに、申し訳ない」
慧音の言葉に対して、永琳は謙遜を示した。
「いえ、鈴仙はもう私に匹敵する医療技術を身に着けつつあります。里の人が安定して暮らせていけるようになれば、病気になる人も減るでしょう」
「その鈴仙なんだけど、帰る途中で病気になって、山小屋に運び込まれていたの」
「何ですって!」
「でも回復して、今は永遠亭で休んでいるわ。ここでの仕事が一段落したら行ってあげて」
「わかりました、では慧音先生、私はこれで、話し合いはまた後日」
「わかった、こちらこそ済まない」
永琳は軽くお辞儀をして走っていって……ああっ途中でつまずいた。起き上がって土埃を払ってまた駆けていく。彼女の人間らしい一面を見ちゃった。私は偏見を持っていたかもしれない。でも自省は後にして、今はやる事がある。
「慧音先生、私、博麗神社にもう一度行ってみようと思います。何か手掛かりがあるはずなんです」
「それは構わないが、大丈夫なのかい」
「ええ、太陽の畑で、風見さんから道具を貰いました。なんでも妖怪が鍛えた枝切りばさみだそうで」
「そういう意味じゃなくて、八雲どの、なんだか焦っているような、疲れているような感じがする、今日はゆっくり休むべきじゃないか」
「いいえ、大丈夫です、早くいかなきゃ、霊夢や幽々子、藍や橙が待っている。では用がないのでしたらこれで失礼します」
足早に神社を目指そうとしたのだけれど、周りの人々が何やら奇妙なものを見る目で私に視線を向けている。何だろう、と考えてはっと感づいた。服が飛行機の墜落でぼろぼろになったままだったのだ。恥ずかしい、あの古着屋兼仕立屋はすぐ近くだ。
「あらユカリちゃん、ひどい格好。どうしたの」
おかみさんは心配そうに私の頭を撫でる。こんな背丈だから仕方がない。
「実はいろいろあって服がやぶけちゃったの」
「まあかわいそうに! 悪いけど、あなたの体形にある服は……今はこれしかないの」
とおかみさんは白いシャツと白いズボンを選んでくれた、ズボンは今はいている膝までの丈。地味だが仕方がない。
「これ以外となると、うふふ、例のメイド服しか……」
「結構ですっ」
「ごめんねえ。でも最近は近場とのやり取りも復活しているし、あの黒いもやもやみたいな怪物も、兎さんたちがやっつけるの手伝ってくれてるし、新しい布も手に入ると思うよ~」
「あのもやもやも、じゃあ、人里は前より安心できるんですか?」
「そう、だからユカリちゃんも危ない事はやめて、モデルになってみたら?」
そういう方面に持ってかないで。私はお礼を言ってその場から去る。あ、でもお代は払わなくちゃ。
今度こそ神社に向けて歩いていくと、通りで言い争う声が聞こえた。鈴仙と似たような外界の制服らしき服を着た兎少女二人と、屋台で甘味を売っている源さんが揉めていた。
「永遠亭の検査を受けていない不衛生な物の販売は禁止だ」
高圧的な口調の兎。源さんも負けていない。
「不衛生? こちとら紅魔館メイドさんの指導で作っているんだ。んなわけあるか!」
「ごめんなさい、これは永遠亭と自警団で決めたことなので」
もう一人の兎が頭を下げる。
「つーか、お前らの団子屋は良いのかよ」
「私達の団子屋は永遠亭と里の認証を受けています」
「うまい事言って、商売を独占しようって腹だろ」
「違う、里の安全のためだ。従わないなら強制排除する」
高圧的な方の兎がなんか弾幕のような光を手から出そうとする。
さすがにこれはマズくない? 私は勇気を出して踏み出そうとするが……。
「ちっ分かったよ、ここでは売らねえ」
源さんは譲歩し、しぶしぶ片付けの準備を始めた。
そのときサイレンが鳴り、建てられていたスピーカーから放送が鳴った。
「人里北部、2番地区に『幻想食い』が出現したとの情報が入りました、当該地区の住民の皆様、指定の避難所へ避難してください。繰り返します、人里北部……」
二羽の兎達は放送内容を聞いてすっ飛んでいった。
「あの源さん、これは何?」
「おお、永遠亭の兎達が守ってくれる事になったんだ、それについちゃあ、有難いとは思っているけどよ」
「私も行ってみます」
「奴らは強いし、あんたが戦う事もないんじゃないか」
「でも心配だから」
私も後を追う、チルノも聞いているだろう。
ところが、私がその場所につく頃にはすでに幻想食いは排除されていて、先ほどの兎少女達が何かの機械のようなもので、幻想食いがだした幻想分を集めていた。里の人々がいろいろ話し込みながらその様を見物している。皆の顔には以前ほどの恐怖や不安の色は無いように見えた。ふと兎少女達が私に気付いて、控えめな口調の方が会釈した。
「ああ、八雲紫さんですね、こんにちは」
「あなたは今まで、幻想郷をよく守ってくれた。だが情勢はもう変わった。これからは人里と永遠亭で幻想郷を維持していく。あなたの力はもう要らない。野良妖怪ライフを満喫してくれ。じゃ」
つかつかと去っていく高圧兎の後を、もう一羽の兎が済まなさそうに頭を下げつつ追いかけていく。なんなんだあいつ。
「あっ、ユカリ。あいつはどこ、もうユカリがやっつけたの?」
チルノがとてとてと走ってきたので、彼女に事を伝えると、少しつまらなそうな顔をしたものの、これで普通の弾幕ごっこができるね、と笑った。
「そうね、また弾幕をごっこで楽しめる日が来たら、勝負しない?」
「お~あたいの力を見せてやるぞ」
でもその前に確かめなければならない。神社に行かなきゃ。
「チルノ、私はこれから神社に行かなくてはならないの。貴方もついてきてくれるかしら?」
「そんなこと言わないで、ユカリ、一緒に行こう」
「ありがとう」
「それじゃあ、寺子屋のみんなに用事ができたって言ってくる、神社の入り口で待ち合わせだよ」
その前に、ちょっと源さんの事も気になる……。ええい、ここまで来たら多少の回り道上等よ。まずは源さんに会ってみよう。屋台があった場所に戻ると、彼は屋台を引いてその場を去ろうとしていた。
「あの、大丈夫、源さん」
「ああ、ありがとな、まったく、あいつらが来てから商売の邪魔ばっかりしやがる」
と源さんは自信作の練り切りを私に見せた。薄桃色の花に、黄緑の葉っぱをあしらった可愛らしいお菓子で、失礼ながら源さんのいかついイメージとは正反対に思える一品だった。
「こっちの形が崩れたやつだが、ちょっと食べてみな」
試食してみると上品な甘さが口の中いっぱいに広がり、春の陽気を感じさせてくれる。まるで目的を忘れてしまいそうなほどで、すっごく緑茶に合いそう。
「すごく美味しい」
「だろ、こんな素晴らしい商品なのに、それとも素晴らしいからこそか知らんが、不衛生だの風紀が乱れるだの因縁つけてきやがる。ふざけんな。こちとら紅魔館と『こらぼ』してるんだぞ。質は確かだっての」
「父ちゃん、それは誇張にすぎるよ」 息子さんがつっこむ。
「十六夜さんにコツを教えてもらったのは確かだし、時々買ってもらえてるし、嘘は言ってないからセーフさ」
私が源さんに商売はどうするのと聞くと、ニヤッと笑った。
「『ここでは』売らねえ、と言っただけだよ」
たくましい人だな。源さんは屋台を引いてその場を去っていった。
その後一足違いで慧音が来て、ここにあった屋台は? と聞かれたので、もう行っちゃったと答えると、彼女は残念そうに肩を落とした。
「そうか、まだ売っていると思ったんだが」
「あなたも、不衛生だから駄目だと言いたかったの?」
「違う、その……恥ずかしい話だが……あの練り切りは絶品なんで、寺子屋のみんなにも買ってやろうと思ったのでな」
「半獣も可愛いところがあるのね。素直に自分も欲しいと言いなさいよ」
「ははは、私も甘味は好きだからな」
「それより、なんなのあの高圧兎」
「私達は確かに八意女史には感謝しているが、風紀取り締まりの厳しさはどうかと思っているんだ。そこまでしなくても治安が悪いわけじゃないし、里のみんなもやり過ぎじゃないかと言っている」
「じゃあ、なんか言ってやりなさいよ」
「頼んではいるんだが、知っての通り昨今の異変で妖怪はもちろん、人間の経済も冷え込んでしまって、栄養失調の子どもが多いんだ。だから幻想と現実、双方の医術を修めた八意氏を敵に回したくはない」
情けないなんて言えない。慧音は、きっと私よりも重い責任を背負っている。
そして、私の中に浮かんでは消えて、また浮かんでくる疑問。この異変に自分が関わっている可能性が痛い。
「いや、私、この異変に関わっているはずはないよ。関わっているはずはない。こんな事私が望むわけない。なのに、もし私のせいだとすれば、どうすれば……」
つい独り言が出てしまう。
「貴方を責めたいわけじゃないさ。それに、貴方のおかげで、少しずつ各地域との交流が復活して、物資や食料も安定しつつある。里と紅魔館の交流復活で、新しいスイーツもできたことだしね」
「ありがとう、私、神社に急ぎます、こうなったら、さっさと真相を確かめて、すっきりしたいですからね」
「気をつけてな」
神社の参道の入り口で、チルノが待っていた。
「おーし、行こうぜ。もし『らすぼす』が待ち受けていても、あたいとユカリでしゅんさつだー」
そうだね、この先何が起こっても、この子となら絶対大丈夫。そう言ったら、霊夢や藍と橙に怒られちゃうかな。
緊張感と高揚感を伴いながら、いざ神社へ。
風見幽香に貰った枝切りばさみに妖力をこめ、参道を塞ぐ樹木を切り倒していく。
「ユカリすごいや」
「あの時難儀したのが嘘みたい」
あれほど苦労した障害が簡単に取り払われていく。私は夢中で障害を切り倒す。不安、期待、焦燥感、好奇心が混ざった気持ち。そしてとうとう、神社の境内に達する。
「これは……」
境内は荒れ果て放題。あちこちに掃かれていない落ち葉が積もり、雑草が生い茂り、神社は修復もされず崩れかけていた。異変やその他の事件で派手に吹き飛んだ時よりもみじめに見える。チルノも惨状に言葉を失う。旅のゴールがこんな場所だなんて……。
「霊夢はどこ? この幻想郷の霊夢や私はどこに?」
境内の一角、小さな祠から何らかの気配を感じた。たしかここは守屋神社の分社だ。まだ守屋神社とつながりがあるのなら……。私は縮んだ体で祠へ走った。なかなかたどり着かないのがもどかしい。
「八雲紫さんですか」
息を切らして祠の前に立つと、風祝の少女の声がした。お供えしてある鏡に1人の少女の姿が浮かび上がる。私ではない。守屋神社の風祝
「誰? ユカリの知り合い?」 チルノが祠をのぞき込む。
「貴方は、東風谷早苗?」
「はい、お久しぶりです。貴方が行方不明と聞いて、心配していました」
「この幻想郷は、どうしてこうなったの? 霊夢はどこにいるの?」
向こうの空気が変わった気がする。長い沈黙、心臓が早鐘を打つ。
「な、なんだよ、この気味悪いちんもくは」 チルノの顔が珍しく曇る。
ようやく早苗は答えた。
「記憶が……ないのですね」
「ええ、だから、教えて欲しいの」
「真実は、自身の手で取り戻してください。それからチルノさん」
「はい、ってええっ!? あたい?」
「きっと今まで、記憶のない紫さんを支えてきてくれていたのですね。でしたら、妖精代表の立場に加えて、貴方も真実を知る権利があると思います」
鏡を通して、早苗が私の眼をのぞき込んだ。まるで私の内面を見抜いているかのような空気に背筋が凍る。風祝とはいえ、人間がこのような眼を持てるなんて……。
目の前が乳白色の光に包まれ、意識が遠くなった。
その頃の人里。
「橙、話を聞いた限りだと、紫様はついさっき神社に向かったらしい。こんどこそ会えるといいのだが」
「にゃあ」
「そうだね、早く会いたいね」
藍は神社のある山を見上げる。
「もう貴方は幻想郷に必要無いと言う者もいるようですが、まだまだこなしてもらう仕事がありますし、何より貴方は私の大切な方なのです、紫様」
永琳は不在。兎に話を聞くと、人里再建に協力すべく自警団や半獣のもとへ話し合いに行く日が最近多いという。診療はよほどの重症者でない限り、永琳や鈴仙に手ほどきを受けた兎妖怪たちが担うみたいだ。その鈴仙は自分が罹っていた病が感染性のものであれば危険だというので、しばらく部屋にこもるらしい。私と同様、マスクをつけた兎たちが世話をしている。
「聞いた話だと、鈴仙そうとう頑張りすぎだよ。たとえ完治したとしても、いい機会だから休んだ方が良いと思う」
年長者の兎(たぶん、彼女はてゐだ)が言う。
もっとも彼女の苦労にはこの子の悪戯も含まれているのでは……。
「お前が言うなって思う? そうかもね。でも私も他の兎どももみんな鈴仙を心配してるのは本当だよ。そんで、永琳様には私から言っとくから、あんた達も検査とかした方が良いよ」
二日ほどで全快し、チルノもにとりも幸い感染の兆しはなかった。永琳にお礼を言いたい所だけど、彼女は今日も人里にいるとの事。兎や鈴仙にお礼を言い、再び河童軌道の車両に乗った。運転手のおかっぱ頭の河童はにとりを見ると片手を上げてあいさつし、近況を話し合っている。
「魔法動力車の調子はどうだい」
「すこぶる元気だよ、実はにとりの設計にちょっと手を加えて、出力をアップさせたエンジンをこっそり積んでいるんだ、えへへ」
「やるなあ、でもいざという時以外は必要以上に馬力を出すなよ」
「わかってるって。昨日夕方、まっすぐな区間で全力テストやったら脱線しかけたし。やっぱ軌道も強化しなきゃなあ。そういえばそっちの飛行テストは?」
「ははっ、墜落しちまった。死人はゼロだけどね。機体なんざ消耗品。生きて改良点が分かっただけでも儲けもんよ」
「それよそれ、『このやり方じゃダメ』って分かっただけでも立派な成果。お互い頑張ろうね」
こんな世の中でもやたらポジティブだなあ。さすが技術者といった感じ。
車内には何人か里の人々の姿もあって、患者らしき人だけでなく、行商人らしき人の姿もいる。だんだんと断ち切られていた人や妖怪のつながりが戻るにつれて、幻想郷も息を吹き返していくようだ。
「これは、あなたのおかげだっていうじゃないか」 おかっぱ河童が私に言う。
「いいえ、私はほとんど何もしてないじゃない」
「でも、湖に居座っていたあのでっかいのあなた達が倒して、それをきっかけににとりと鉄道が再開できて、紅魔館や永遠亭との行き来も戻ったのは事実だよ。そのうち車両の増結も考えなくちゃ」
「私はちょっときっかけを作っただけ、むしろこの地に暮らすみんなの成果でしょう」
「ふ~む、そんなあなたがなんであんな……」
「何かしら?」
「いや、何でもない。もうすぐ人里だよ」
もしかして、この平行世界の私だけでなく、私自身この世界に来て何かをやらかしたのかしら? だとしたら何を、もしそれがこの世界の混乱につながっているのなら、私は……。
「人里広場前でーす」 答えが出ないまま車両は人里に着いた。
紅魔館の湖に帰るにとりとはここでお別れ。とりあえず慧音にあいさつして、それから幽香にもらった妖怪特性の枝切りばさみを使い、あの博麗神社に再挑戦しよう。ゲームでもよくある話、序盤で見えているのに行けなかった場所についに突入するのだ。そこにこちらの幻想郷がこうなった理由と、私の記憶と、元の世界に帰る手立てがあるに違いない。
広場に行くと、真ん中にやぐらが組まれ、その上に縦1メートル、横2メートルほどの大きさのテレヴィジョンが置いてあった。このような科学の道具を持ち得るのは河童か、あるいは……。
「あっ、チルノ帰ってきた」
「チルノおねえちゃん、遊ぼう」
チルノの姿を見て、寺子屋の子どもたちが歓声をあげて寄ってきた。
「おお、お前ら元気だったか。ユカリ、ちょっとこいつ等の相手してきていい?」
「うん、遊んであげなさい」
「ユカリも一緒に遊ばない?」
「私は良いわ、ごめんね」
チルノは不満を残しながらも、子ども達に手を引かれてどこかへ走っていった。妖精並みに元気のある子ども達は眩しいな。そんな友達とのひと時を邪魔しちゃいけないから、神社には私ひとりで行こう。
「八雲さん、帰っていらしたのね」 八意永琳と上白沢慧音が広場のテレヴィジョンのそばにいた。
「永琳先生、ありがとうございました。私、倒れてしまったそうで」
「医者の務めですからお気になさらず。あなたの治癒力が良かったのよ」
「みんなのおかげですわ、ところで、この広場のテレビ受像機は一体?」
慧音が興味深そうに受像機を見上げた。彼女にとっても珍しいに違いない。
「ああ、永遠亭の人たちが、人里や幻想郷の復興に本格的に協力してくれる事になったんだ。これは里の人々に必要な情報を発する装置だそうだ。病院業務だけでも大変だというのに、申し訳ない」
慧音の言葉に対して、永琳は謙遜を示した。
「いえ、鈴仙はもう私に匹敵する医療技術を身に着けつつあります。里の人が安定して暮らせていけるようになれば、病気になる人も減るでしょう」
「その鈴仙なんだけど、帰る途中で病気になって、山小屋に運び込まれていたの」
「何ですって!」
「でも回復して、今は永遠亭で休んでいるわ。ここでの仕事が一段落したら行ってあげて」
「わかりました、では慧音先生、私はこれで、話し合いはまた後日」
「わかった、こちらこそ済まない」
永琳は軽くお辞儀をして走っていって……ああっ途中でつまずいた。起き上がって土埃を払ってまた駆けていく。彼女の人間らしい一面を見ちゃった。私は偏見を持っていたかもしれない。でも自省は後にして、今はやる事がある。
「慧音先生、私、博麗神社にもう一度行ってみようと思います。何か手掛かりがあるはずなんです」
「それは構わないが、大丈夫なのかい」
「ええ、太陽の畑で、風見さんから道具を貰いました。なんでも妖怪が鍛えた枝切りばさみだそうで」
「そういう意味じゃなくて、八雲どの、なんだか焦っているような、疲れているような感じがする、今日はゆっくり休むべきじゃないか」
「いいえ、大丈夫です、早くいかなきゃ、霊夢や幽々子、藍や橙が待っている。では用がないのでしたらこれで失礼します」
足早に神社を目指そうとしたのだけれど、周りの人々が何やら奇妙なものを見る目で私に視線を向けている。何だろう、と考えてはっと感づいた。服が飛行機の墜落でぼろぼろになったままだったのだ。恥ずかしい、あの古着屋兼仕立屋はすぐ近くだ。
「あらユカリちゃん、ひどい格好。どうしたの」
おかみさんは心配そうに私の頭を撫でる。こんな背丈だから仕方がない。
「実はいろいろあって服がやぶけちゃったの」
「まあかわいそうに! 悪いけど、あなたの体形にある服は……今はこれしかないの」
とおかみさんは白いシャツと白いズボンを選んでくれた、ズボンは今はいている膝までの丈。地味だが仕方がない。
「これ以外となると、うふふ、例のメイド服しか……」
「結構ですっ」
「ごめんねえ。でも最近は近場とのやり取りも復活しているし、あの黒いもやもやみたいな怪物も、兎さんたちがやっつけるの手伝ってくれてるし、新しい布も手に入ると思うよ~」
「あのもやもやも、じゃあ、人里は前より安心できるんですか?」
「そう、だからユカリちゃんも危ない事はやめて、モデルになってみたら?」
そういう方面に持ってかないで。私はお礼を言ってその場から去る。あ、でもお代は払わなくちゃ。
今度こそ神社に向けて歩いていくと、通りで言い争う声が聞こえた。鈴仙と似たような外界の制服らしき服を着た兎少女二人と、屋台で甘味を売っている源さんが揉めていた。
「永遠亭の検査を受けていない不衛生な物の販売は禁止だ」
高圧的な口調の兎。源さんも負けていない。
「不衛生? こちとら紅魔館メイドさんの指導で作っているんだ。んなわけあるか!」
「ごめんなさい、これは永遠亭と自警団で決めたことなので」
もう一人の兎が頭を下げる。
「つーか、お前らの団子屋は良いのかよ」
「私達の団子屋は永遠亭と里の認証を受けています」
「うまい事言って、商売を独占しようって腹だろ」
「違う、里の安全のためだ。従わないなら強制排除する」
高圧的な方の兎がなんか弾幕のような光を手から出そうとする。
さすがにこれはマズくない? 私は勇気を出して踏み出そうとするが……。
「ちっ分かったよ、ここでは売らねえ」
源さんは譲歩し、しぶしぶ片付けの準備を始めた。
そのときサイレンが鳴り、建てられていたスピーカーから放送が鳴った。
「人里北部、2番地区に『幻想食い』が出現したとの情報が入りました、当該地区の住民の皆様、指定の避難所へ避難してください。繰り返します、人里北部……」
二羽の兎達は放送内容を聞いてすっ飛んでいった。
「あの源さん、これは何?」
「おお、永遠亭の兎達が守ってくれる事になったんだ、それについちゃあ、有難いとは思っているけどよ」
「私も行ってみます」
「奴らは強いし、あんたが戦う事もないんじゃないか」
「でも心配だから」
私も後を追う、チルノも聞いているだろう。
ところが、私がその場所につく頃にはすでに幻想食いは排除されていて、先ほどの兎少女達が何かの機械のようなもので、幻想食いがだした幻想分を集めていた。里の人々がいろいろ話し込みながらその様を見物している。皆の顔には以前ほどの恐怖や不安の色は無いように見えた。ふと兎少女達が私に気付いて、控えめな口調の方が会釈した。
「ああ、八雲紫さんですね、こんにちは」
「あなたは今まで、幻想郷をよく守ってくれた。だが情勢はもう変わった。これからは人里と永遠亭で幻想郷を維持していく。あなたの力はもう要らない。野良妖怪ライフを満喫してくれ。じゃ」
つかつかと去っていく高圧兎の後を、もう一羽の兎が済まなさそうに頭を下げつつ追いかけていく。なんなんだあいつ。
「あっ、ユカリ。あいつはどこ、もうユカリがやっつけたの?」
チルノがとてとてと走ってきたので、彼女に事を伝えると、少しつまらなそうな顔をしたものの、これで普通の弾幕ごっこができるね、と笑った。
「そうね、また弾幕をごっこで楽しめる日が来たら、勝負しない?」
「お~あたいの力を見せてやるぞ」
でもその前に確かめなければならない。神社に行かなきゃ。
「チルノ、私はこれから神社に行かなくてはならないの。貴方もついてきてくれるかしら?」
「そんなこと言わないで、ユカリ、一緒に行こう」
「ありがとう」
「それじゃあ、寺子屋のみんなに用事ができたって言ってくる、神社の入り口で待ち合わせだよ」
その前に、ちょっと源さんの事も気になる……。ええい、ここまで来たら多少の回り道上等よ。まずは源さんに会ってみよう。屋台があった場所に戻ると、彼は屋台を引いてその場を去ろうとしていた。
「あの、大丈夫、源さん」
「ああ、ありがとな、まったく、あいつらが来てから商売の邪魔ばっかりしやがる」
と源さんは自信作の練り切りを私に見せた。薄桃色の花に、黄緑の葉っぱをあしらった可愛らしいお菓子で、失礼ながら源さんのいかついイメージとは正反対に思える一品だった。
「こっちの形が崩れたやつだが、ちょっと食べてみな」
試食してみると上品な甘さが口の中いっぱいに広がり、春の陽気を感じさせてくれる。まるで目的を忘れてしまいそうなほどで、すっごく緑茶に合いそう。
「すごく美味しい」
「だろ、こんな素晴らしい商品なのに、それとも素晴らしいからこそか知らんが、不衛生だの風紀が乱れるだの因縁つけてきやがる。ふざけんな。こちとら紅魔館と『こらぼ』してるんだぞ。質は確かだっての」
「父ちゃん、それは誇張にすぎるよ」 息子さんがつっこむ。
「十六夜さんにコツを教えてもらったのは確かだし、時々買ってもらえてるし、嘘は言ってないからセーフさ」
私が源さんに商売はどうするのと聞くと、ニヤッと笑った。
「『ここでは』売らねえ、と言っただけだよ」
たくましい人だな。源さんは屋台を引いてその場を去っていった。
その後一足違いで慧音が来て、ここにあった屋台は? と聞かれたので、もう行っちゃったと答えると、彼女は残念そうに肩を落とした。
「そうか、まだ売っていると思ったんだが」
「あなたも、不衛生だから駄目だと言いたかったの?」
「違う、その……恥ずかしい話だが……あの練り切りは絶品なんで、寺子屋のみんなにも買ってやろうと思ったのでな」
「半獣も可愛いところがあるのね。素直に自分も欲しいと言いなさいよ」
「ははは、私も甘味は好きだからな」
「それより、なんなのあの高圧兎」
「私達は確かに八意女史には感謝しているが、風紀取り締まりの厳しさはどうかと思っているんだ。そこまでしなくても治安が悪いわけじゃないし、里のみんなもやり過ぎじゃないかと言っている」
「じゃあ、なんか言ってやりなさいよ」
「頼んではいるんだが、知っての通り昨今の異変で妖怪はもちろん、人間の経済も冷え込んでしまって、栄養失調の子どもが多いんだ。だから幻想と現実、双方の医術を修めた八意氏を敵に回したくはない」
情けないなんて言えない。慧音は、きっと私よりも重い責任を背負っている。
そして、私の中に浮かんでは消えて、また浮かんでくる疑問。この異変に自分が関わっている可能性が痛い。
「いや、私、この異変に関わっているはずはないよ。関わっているはずはない。こんな事私が望むわけない。なのに、もし私のせいだとすれば、どうすれば……」
つい独り言が出てしまう。
「貴方を責めたいわけじゃないさ。それに、貴方のおかげで、少しずつ各地域との交流が復活して、物資や食料も安定しつつある。里と紅魔館の交流復活で、新しいスイーツもできたことだしね」
「ありがとう、私、神社に急ぎます、こうなったら、さっさと真相を確かめて、すっきりしたいですからね」
「気をつけてな」
神社の参道の入り口で、チルノが待っていた。
「おーし、行こうぜ。もし『らすぼす』が待ち受けていても、あたいとユカリでしゅんさつだー」
そうだね、この先何が起こっても、この子となら絶対大丈夫。そう言ったら、霊夢や藍と橙に怒られちゃうかな。
緊張感と高揚感を伴いながら、いざ神社へ。
風見幽香に貰った枝切りばさみに妖力をこめ、参道を塞ぐ樹木を切り倒していく。
「ユカリすごいや」
「あの時難儀したのが嘘みたい」
あれほど苦労した障害が簡単に取り払われていく。私は夢中で障害を切り倒す。不安、期待、焦燥感、好奇心が混ざった気持ち。そしてとうとう、神社の境内に達する。
「これは……」
境内は荒れ果て放題。あちこちに掃かれていない落ち葉が積もり、雑草が生い茂り、神社は修復もされず崩れかけていた。異変やその他の事件で派手に吹き飛んだ時よりもみじめに見える。チルノも惨状に言葉を失う。旅のゴールがこんな場所だなんて……。
「霊夢はどこ? この幻想郷の霊夢や私はどこに?」
境内の一角、小さな祠から何らかの気配を感じた。たしかここは守屋神社の分社だ。まだ守屋神社とつながりがあるのなら……。私は縮んだ体で祠へ走った。なかなかたどり着かないのがもどかしい。
「八雲紫さんですか」
息を切らして祠の前に立つと、風祝の少女の声がした。お供えしてある鏡に1人の少女の姿が浮かび上がる。私ではない。守屋神社の風祝
「誰? ユカリの知り合い?」 チルノが祠をのぞき込む。
「貴方は、東風谷早苗?」
「はい、お久しぶりです。貴方が行方不明と聞いて、心配していました」
「この幻想郷は、どうしてこうなったの? 霊夢はどこにいるの?」
向こうの空気が変わった気がする。長い沈黙、心臓が早鐘を打つ。
「な、なんだよ、この気味悪いちんもくは」 チルノの顔が珍しく曇る。
ようやく早苗は答えた。
「記憶が……ないのですね」
「ええ、だから、教えて欲しいの」
「真実は、自身の手で取り戻してください。それからチルノさん」
「はい、ってええっ!? あたい?」
「きっと今まで、記憶のない紫さんを支えてきてくれていたのですね。でしたら、妖精代表の立場に加えて、貴方も真実を知る権利があると思います」
鏡を通して、早苗が私の眼をのぞき込んだ。まるで私の内面を見抜いているかのような空気に背筋が凍る。風祝とはいえ、人間がこのような眼を持てるなんて……。
目の前が乳白色の光に包まれ、意識が遠くなった。
その頃の人里。
「橙、話を聞いた限りだと、紫様はついさっき神社に向かったらしい。こんどこそ会えるといいのだが」
「にゃあ」
「そうだね、早く会いたいね」
藍は神社のある山を見上げる。
「もう貴方は幻想郷に必要無いと言う者もいるようですが、まだまだこなしてもらう仕事がありますし、何より貴方は私の大切な方なのです、紫様」