果たして地底に太陽は昇るのか。
洞窟の奥深く、此処には夏もなければ冬もない。
灼熱地獄の業火に当てられて、じんわりとした熱に篭る旧地獄街。温泉が噴き出すことから湿度が高く、肌は汗に滲んで鬱陶しい。
こんな陰鬱な場所に引き篭るものだから私のお姉ちゃんは陰湿に育ってしまった。根暗で陰険、救いがない。頭に茸を生やすような生活をしているものだから、お姉ちゃんが書く小説も救いのないものが多かった。育ちが知れるというものである。
偶には外の世界に出て、新鮮な空気を胸いっぱいに取り込めば良いのにと思いはするも、手八丁口八丁を駆使したところで日がな憂鬱な姉が洞穴の奥深くから出てくるとは思えない。そもそも私のお姉ちゃんは引きこもりがちなので地霊殿の外を出る事すら面倒臭がった。折角、河童やらなにやらが近道を作ってくれたのに勿体ない。せめて、部屋の空気を入れ替えようと考えても、外は外で陰湿な空気が充満しているものだから意味がない。
私は溜息ひとつを零して、お姉ちゃんの部屋を後にする。
バタン、と扉の閉じる音。背後から「こいし」と私を呼ぶ声が聞こえたけど、そのまま館を後にした。
外の世界に飛び出すと桃色の花弁が一枚、私を出迎えてくれた。
どうやら外は春のようだ。これから少しずつ暖かくなる時分、春といえば桜であり、これは重畳と綺麗な桜が咲き誇る場所へと出向く事にした。
長い長い雲の上まで続く石段を、とんたった、と意気揚々に登り続ける。
途中で妖精さんと顔を合わせては声を交わし、睨めっこをして遊んでは手を振って別れて頂上を目指して歩みを進める。標高が高くなるにつれて、空気は白じみ、少しばかり肌寒くなってきた。何時だったか、お姉ちゃんがプレゼントしてくれたマフラーを帽子から取り出して首に巻き付ける。手編みじゃないのは御愛嬌、これを貰った時、執務室のソファではお燐が使いさしの毛糸の玉で遊んでいた。
頂上まで辿り着いた時にはもう空は真っ暗だった。
一番星を見つけた時、幾つもの星がキラキラと夜空に浮かび上がって、どれが一番星だったのか分からなくなってしまった。
表札に、白玉楼と書かれた大仰な門扉を飛び越えて、桃色に染まる庭に駆け込んだ。此処は昼であっても、夜であっても綺麗だ。ひらひらと桃色の花弁が落ちる中、ひと際に大きな枯れた桜の木を見つけた。その一枝にポツンと咲いた一輪の花。月夜を背景にうっすらと輝くそれは不思議と私の目を惹いた。妖艶と咲き誇る桜が他にもあるにも関わらず、暫し見惚れて足を止める。
まあ一本くらい良いよね?
手土産代わりにと、枝のひとつをポキリと手折った。
地底界に四季の概念はないが、お姉ちゃんにとっては外が夏でも冬でも関係ない。
この前、遂にお姉ちゃんの頭に茸が生えてしまったので、お燐が主導で朝のラジオ体操が始まった。関節をバキボキといわせるお姉ちゃんは面白くって、その後で筋肉痛になってソファから動けなくなった姿には腹を抱えて爆笑する。いつも私に気付いてくれないお姉ちゃんも、この時ばかりは気配を感じたのか始終、むすっとした仏教面を崩さなかった。
執務机では、湯呑に刺された桜の枝がゆらゆらと揺れている。
身体は貧弱な癖して、梃子でも動かぬ鉄の意志で館に引きこもるお姉ちゃんは今日、久方ぶりに外に出た。外は相変わらず、じめじめとしているけども、人類にとっての小さな一歩は、お姉ちゃんにとっての大きな飛躍だった。
これも貴女のおかげなのかな。と思ったり、思わなかったり。
処変わって館の中、執務室。綺麗に整頓された執務机。その上には、皿に乗っかった大きな饅頭があったので、手に取ってぱくりと喰らいついた。
思い立つは吉日。桜の花を指先で撫でた後、お姉ちゃんのことはお燐達に任せて、地霊殿を飛び出した。
地下も暑ければ、外も暑い。
地底界はじめじめとした鬱陶しい暑さであれば、地上はじりじりと照り付ける暴力的な暑さだった。
まん丸クラウンの帽子がなければ、命に関わったかも知れない。消沈する心持ちをお姉ちゃんの頭から生えた茸をしゃぶることで持ちこたえる。こんなことなら外も中も変わりゃしない。私もお姉ちゃんと一緒に地底の奥深くに引きこもってしまおうか。いやでも外に出た今、帰るのも億劫だ。進むは地獄、戻るも地獄。天候と地理による地獄の板挟みとなった私は、汗を涙のように流して地上を放浪する羽目となった。
炎天下の中、歩き回ること小一時間。茸を咥えていたせいか、茸がよく生えそうな森に迷い込んでいた。
まるでお姉ちゃんの様な森の中、こんなところに住む奴はきっと、お姉ちゃんのように陰湿で陰険に違いない。こんなところに居ると私まで茸が生えちゃうわ、と心持ち早足で出口を探せば、チリリン、と道中で涼しげな音が鳴り響いた。
鈴の音のように軽やかな音に誘われてみれば、そこには貧相な一軒家が建てられていた。
どうやらお店のようだ、お店というよりも収集家のおうちのようだ。
誰も来なさそうな辺鄙な場所に構えられた店頭、きっと店主はお姉ちゃんに負けず劣らずの偏屈家に違いない。
聞いてもいない蘊蓄を垂れ流しては、周りを困らせるような類の人間、あるいは妖怪。警戒心を高めて、距離を詰めれば、閑古鳥が囀る店内に寂れた身なりの男が椅子に腰を下ろす。
天狗のゴシップ記事に目を通す彼の前を横切って、僅かに開かれた窓の縁に吊るされた風鈴を見つけた。
わずかに風が吹き込んで、チリリン、と涼しい音が耳に響いた。
その音色の心地よさに身じろぎした私は「これく~ださい!」と風鈴に指を差した。
男は僅かに見開いた目で私を見た後、こほん、と咳払いする。私はお小遣いを持っていなかったから、手に持っていた茸で物々交換を申し出た。男は茸を見た時に嫌な顔をしてみせたが、これは地底にしか生えない11点満点の珍しい茸だと触れ込むことでようやっと風鈴を手に入れることができた。
チリリン、チリリン、と風鈴の音を陽気に鳴らして、来た道を戻る。
これがあれば、きっと灼熱地獄に焙られた地底界にも涼しげな風が訪れる事になるだろう。
空気の入れ替えもほとんどしない執務室の窓は今日、僅かながら開かれていた。
窓縁には風鈴が吊るされている。地底界にも風は吹いており、時折、鈴鳴りの音を響かせて部屋の主を楽しませる。
備え付けのソファには、この前、地上に行った時に破いてしまった私の衣服が補修された状態で綺麗に畳まれていた。執務机では、お姉ちゃんが積み重なった書類を前に、目を伏せて、舟を漕いでいる。そんなお姉ちゃんの無防備な姿を暫し楽しんだ後で、私は窓に吊るされた風鈴に、ふうっ、と息を吹きかけた。
その音色にお姉ちゃんが眠たそうに眼を開いて「こいし?」と無意識ながら呟いた。
私は微笑み返して、窓から館の外へと飛び出す。
新しい衣服に袖を通して、心機一転、今日もまた元気いっぱいに明日に向かって駆け出すのだ。
とんたった。長い洞窟を経て、地上に出る。
世界は、燃えるような赤色に染まっていた。どうやら外は秋の季節、世界は紅葉で様変わりしてしまったようだ。
紅葉色の絨毯を踏みしめる。ひらひらと落ちる銀杏の葉を摘まみ、すぅっと秋の香りを堪能する。
うん、よくわからない。わからないから、摘まんだ指で、くるくると回した。久方ぶりの地上、今日は何処に行こうか、勝手気ままの風吹くままに秋が薫る向こう側に足を運んだ。赤とか黄とか色濃い場所を目指して歩けば、丁度、緑の葉っぱに筆を添わせる紅葉模様のドレスを着た神様に出会った。話を聞くと、此処は妖怪の山。とっても怖い天狗と河童が縄張りにしている場所なんだとか、優しい神様がいる場所なんだとか。やっぱり意地汚い神様がいるんだとか、人を呪うのが趣味の蛙神がいるんだとか。ちょっとうざったい現人神が居たりもするらしい。
話を聞くのも面倒になって、得意げな顔で話し続ける神様を無視して森の奥深くへと進んでみる。
頭上に生い茂る枝葉の隙間を真っ黒な翼を広げた烏天狗が飛んで行った。追いかけようかな、とピョンと跳ねて木の上に登ると滝が見えた。滝には河童が居たので、とんたった。と近づいてみれば、その道すがら河童と白狼天狗が将棋を興じていた。その脇には幾つかの酒瓶が置いてあり、白狼天狗が御猪口に注いだ酒に真っ赤な舌でちびちびと舐めるように飲んでいる。対する河童は升を使って、ぐいっと威勢よく呷ってみせた。ぷはっ、と酒臭い息を吐き出す河童の姿に当てられて、煽られて? 将棋盤の脇に置かれた升を拝借、トクトクと酒を注いで私も一気に飲んでやった。
ちょっとキツめだけど良い喉越し、これなら何杯でも飲めてしまいそうだ。
長考する白狼天狗の頭に、ひらりと紅葉が落ちる。それはまるで髪飾りのようで、真っ白な彼女の髪によく似合った。
河童が笑って、白狼天狗が首を傾げて微笑んだ。
風が吹いた。髪に引っかかって揺れる紅葉を摘まみ取り、それを持って、この場を外れる。
地霊殿、執務室。
お姉ちゃんは去年、そうしていたように棒針を使って器用に何かを編んでいる。去年はマフラーだった、途中で挫折したけど。お姉ちゃんは少し眠たそうで、なんとなしに穏やかな顔で、少しだけ口元を綻ばせる。そんなお姉ちゃんを後ろから抱きしめて、もじゃ髪に顔を埋める。大きく息を吸い込んで、お姉ちゃん成分を補給する。お姉ちゃんにはシュークリーム三個分くらいの幸せ成分が詰まっている。
机の上には河童印の升が置かれていた。升は酒で満たされていて、水面には紅葉がひとつ、ゆらゆらと揺れている。そこには、お姉ちゃんと私の顔も映っていた。
不意に、ちらっと水面に映るお姉ちゃんと目が合った。
それがちょっと気恥ずかしくって、お姉ちゃんから離れて執務室の扉を開ける。
こいし、と呼ぶ声には気づかないふりをした。
外は一面の銀世界。足跡ひとつない雪原に、とんたった。と私の軌跡を付ける。
鼠模様の空、ひらひらと雪が降る。吐く息すらも白色に染まるから手足はかじかみ、温もりを求めて歩みを始める。
意外と綺麗に掃除された石段を登ると「わん!」と緑色の巻髪少女が私に飛び込んできた。受けてめて、ぎゅうっと抱きしめて頬ずりする。縁側には、めでたい感じの紅白巫女。眉間に皺を寄せて、訝しげに私の方を睨みつける。屋根には、お燐。その隣には、お空。ふりふりと手を振れば、にゃーっ、と、かぁーっ、と返事をしてくれた。
それから縁側に我が物顔で座っては、おせんべいに手を伸ばす。バシッと手の甲をお祓い棒で叩かれた。
「盗み食いは許さないわ」
後頭部を掻いて、曖昧に笑って誤魔化した。
縁側で、暫く時間を潰す。
寒気に手を擦り、はぁっと息を吹きかける。
「寒いの?」という問いに「大丈夫」と帽子からマフラーを取り出す。
それから暫く時間が過ぎた。
境内で狛犬ちゃんと遊んでいる時、夕焼け時、寂れた石段の向こう側から誰かがやって来る。ぴょこん、と癖っ毛たっぷりの薄紫色のもじゃ髪、もこもこ完全武装のお姉ちゃんが今にも死にそうな顔色、満身創痍で息を切らした姿で鳥居を潜った。両膝に手を付き、全身全霊で呼吸をしながら境内を見渡す。
お姉ちゃんは、優しく目を細めて、真っすぐに私の方へと歩いてきた。
「こいし、忘れ物よ」
そんなことを言いながら、ゆっくりと私のことを抱きしめる。
手には、手袋が握られていた。
「挨拶もしないで行って帰って、勝手な子ね」
昔はちゃんと言ってたんだけどなあ。
そんなことは口にはせず、ギュッと抱き返すことで返事にした。
洞窟の奥深く、此処には夏もなければ冬もない。
灼熱地獄の業火に当てられて、じんわりとした熱に篭る旧地獄街。温泉が噴き出すことから湿度が高く、肌は汗に滲んで鬱陶しい。
こんな陰鬱な場所に引き篭るものだから私のお姉ちゃんは陰湿に育ってしまった。根暗で陰険、救いがない。頭に茸を生やすような生活をしているものだから、お姉ちゃんが書く小説も救いのないものが多かった。育ちが知れるというものである。
偶には外の世界に出て、新鮮な空気を胸いっぱいに取り込めば良いのにと思いはするも、手八丁口八丁を駆使したところで日がな憂鬱な姉が洞穴の奥深くから出てくるとは思えない。そもそも私のお姉ちゃんは引きこもりがちなので地霊殿の外を出る事すら面倒臭がった。折角、河童やらなにやらが近道を作ってくれたのに勿体ない。せめて、部屋の空気を入れ替えようと考えても、外は外で陰湿な空気が充満しているものだから意味がない。
私は溜息ひとつを零して、お姉ちゃんの部屋を後にする。
バタン、と扉の閉じる音。背後から「こいし」と私を呼ぶ声が聞こえたけど、そのまま館を後にした。
外の世界に飛び出すと桃色の花弁が一枚、私を出迎えてくれた。
どうやら外は春のようだ。これから少しずつ暖かくなる時分、春といえば桜であり、これは重畳と綺麗な桜が咲き誇る場所へと出向く事にした。
長い長い雲の上まで続く石段を、とんたった、と意気揚々に登り続ける。
途中で妖精さんと顔を合わせては声を交わし、睨めっこをして遊んでは手を振って別れて頂上を目指して歩みを進める。標高が高くなるにつれて、空気は白じみ、少しばかり肌寒くなってきた。何時だったか、お姉ちゃんがプレゼントしてくれたマフラーを帽子から取り出して首に巻き付ける。手編みじゃないのは御愛嬌、これを貰った時、執務室のソファではお燐が使いさしの毛糸の玉で遊んでいた。
頂上まで辿り着いた時にはもう空は真っ暗だった。
一番星を見つけた時、幾つもの星がキラキラと夜空に浮かび上がって、どれが一番星だったのか分からなくなってしまった。
表札に、白玉楼と書かれた大仰な門扉を飛び越えて、桃色に染まる庭に駆け込んだ。此処は昼であっても、夜であっても綺麗だ。ひらひらと桃色の花弁が落ちる中、ひと際に大きな枯れた桜の木を見つけた。その一枝にポツンと咲いた一輪の花。月夜を背景にうっすらと輝くそれは不思議と私の目を惹いた。妖艶と咲き誇る桜が他にもあるにも関わらず、暫し見惚れて足を止める。
まあ一本くらい良いよね?
手土産代わりにと、枝のひとつをポキリと手折った。
地底界に四季の概念はないが、お姉ちゃんにとっては外が夏でも冬でも関係ない。
この前、遂にお姉ちゃんの頭に茸が生えてしまったので、お燐が主導で朝のラジオ体操が始まった。関節をバキボキといわせるお姉ちゃんは面白くって、その後で筋肉痛になってソファから動けなくなった姿には腹を抱えて爆笑する。いつも私に気付いてくれないお姉ちゃんも、この時ばかりは気配を感じたのか始終、むすっとした仏教面を崩さなかった。
執務机では、湯呑に刺された桜の枝がゆらゆらと揺れている。
身体は貧弱な癖して、梃子でも動かぬ鉄の意志で館に引きこもるお姉ちゃんは今日、久方ぶりに外に出た。外は相変わらず、じめじめとしているけども、人類にとっての小さな一歩は、お姉ちゃんにとっての大きな飛躍だった。
これも貴女のおかげなのかな。と思ったり、思わなかったり。
処変わって館の中、執務室。綺麗に整頓された執務机。その上には、皿に乗っかった大きな饅頭があったので、手に取ってぱくりと喰らいついた。
思い立つは吉日。桜の花を指先で撫でた後、お姉ちゃんのことはお燐達に任せて、地霊殿を飛び出した。
地下も暑ければ、外も暑い。
地底界はじめじめとした鬱陶しい暑さであれば、地上はじりじりと照り付ける暴力的な暑さだった。
まん丸クラウンの帽子がなければ、命に関わったかも知れない。消沈する心持ちをお姉ちゃんの頭から生えた茸をしゃぶることで持ちこたえる。こんなことなら外も中も変わりゃしない。私もお姉ちゃんと一緒に地底の奥深くに引きこもってしまおうか。いやでも外に出た今、帰るのも億劫だ。進むは地獄、戻るも地獄。天候と地理による地獄の板挟みとなった私は、汗を涙のように流して地上を放浪する羽目となった。
炎天下の中、歩き回ること小一時間。茸を咥えていたせいか、茸がよく生えそうな森に迷い込んでいた。
まるでお姉ちゃんの様な森の中、こんなところに住む奴はきっと、お姉ちゃんのように陰湿で陰険に違いない。こんなところに居ると私まで茸が生えちゃうわ、と心持ち早足で出口を探せば、チリリン、と道中で涼しげな音が鳴り響いた。
鈴の音のように軽やかな音に誘われてみれば、そこには貧相な一軒家が建てられていた。
どうやらお店のようだ、お店というよりも収集家のおうちのようだ。
誰も来なさそうな辺鄙な場所に構えられた店頭、きっと店主はお姉ちゃんに負けず劣らずの偏屈家に違いない。
聞いてもいない蘊蓄を垂れ流しては、周りを困らせるような類の人間、あるいは妖怪。警戒心を高めて、距離を詰めれば、閑古鳥が囀る店内に寂れた身なりの男が椅子に腰を下ろす。
天狗のゴシップ記事に目を通す彼の前を横切って、僅かに開かれた窓の縁に吊るされた風鈴を見つけた。
わずかに風が吹き込んで、チリリン、と涼しい音が耳に響いた。
その音色の心地よさに身じろぎした私は「これく~ださい!」と風鈴に指を差した。
男は僅かに見開いた目で私を見た後、こほん、と咳払いする。私はお小遣いを持っていなかったから、手に持っていた茸で物々交換を申し出た。男は茸を見た時に嫌な顔をしてみせたが、これは地底にしか生えない11点満点の珍しい茸だと触れ込むことでようやっと風鈴を手に入れることができた。
チリリン、チリリン、と風鈴の音を陽気に鳴らして、来た道を戻る。
これがあれば、きっと灼熱地獄に焙られた地底界にも涼しげな風が訪れる事になるだろう。
空気の入れ替えもほとんどしない執務室の窓は今日、僅かながら開かれていた。
窓縁には風鈴が吊るされている。地底界にも風は吹いており、時折、鈴鳴りの音を響かせて部屋の主を楽しませる。
備え付けのソファには、この前、地上に行った時に破いてしまった私の衣服が補修された状態で綺麗に畳まれていた。執務机では、お姉ちゃんが積み重なった書類を前に、目を伏せて、舟を漕いでいる。そんなお姉ちゃんの無防備な姿を暫し楽しんだ後で、私は窓に吊るされた風鈴に、ふうっ、と息を吹きかけた。
その音色にお姉ちゃんが眠たそうに眼を開いて「こいし?」と無意識ながら呟いた。
私は微笑み返して、窓から館の外へと飛び出す。
新しい衣服に袖を通して、心機一転、今日もまた元気いっぱいに明日に向かって駆け出すのだ。
とんたった。長い洞窟を経て、地上に出る。
世界は、燃えるような赤色に染まっていた。どうやら外は秋の季節、世界は紅葉で様変わりしてしまったようだ。
紅葉色の絨毯を踏みしめる。ひらひらと落ちる銀杏の葉を摘まみ、すぅっと秋の香りを堪能する。
うん、よくわからない。わからないから、摘まんだ指で、くるくると回した。久方ぶりの地上、今日は何処に行こうか、勝手気ままの風吹くままに秋が薫る向こう側に足を運んだ。赤とか黄とか色濃い場所を目指して歩けば、丁度、緑の葉っぱに筆を添わせる紅葉模様のドレスを着た神様に出会った。話を聞くと、此処は妖怪の山。とっても怖い天狗と河童が縄張りにしている場所なんだとか、優しい神様がいる場所なんだとか。やっぱり意地汚い神様がいるんだとか、人を呪うのが趣味の蛙神がいるんだとか。ちょっとうざったい現人神が居たりもするらしい。
話を聞くのも面倒になって、得意げな顔で話し続ける神様を無視して森の奥深くへと進んでみる。
頭上に生い茂る枝葉の隙間を真っ黒な翼を広げた烏天狗が飛んで行った。追いかけようかな、とピョンと跳ねて木の上に登ると滝が見えた。滝には河童が居たので、とんたった。と近づいてみれば、その道すがら河童と白狼天狗が将棋を興じていた。その脇には幾つかの酒瓶が置いてあり、白狼天狗が御猪口に注いだ酒に真っ赤な舌でちびちびと舐めるように飲んでいる。対する河童は升を使って、ぐいっと威勢よく呷ってみせた。ぷはっ、と酒臭い息を吐き出す河童の姿に当てられて、煽られて? 将棋盤の脇に置かれた升を拝借、トクトクと酒を注いで私も一気に飲んでやった。
ちょっとキツめだけど良い喉越し、これなら何杯でも飲めてしまいそうだ。
長考する白狼天狗の頭に、ひらりと紅葉が落ちる。それはまるで髪飾りのようで、真っ白な彼女の髪によく似合った。
河童が笑って、白狼天狗が首を傾げて微笑んだ。
風が吹いた。髪に引っかかって揺れる紅葉を摘まみ取り、それを持って、この場を外れる。
地霊殿、執務室。
お姉ちゃんは去年、そうしていたように棒針を使って器用に何かを編んでいる。去年はマフラーだった、途中で挫折したけど。お姉ちゃんは少し眠たそうで、なんとなしに穏やかな顔で、少しだけ口元を綻ばせる。そんなお姉ちゃんを後ろから抱きしめて、もじゃ髪に顔を埋める。大きく息を吸い込んで、お姉ちゃん成分を補給する。お姉ちゃんにはシュークリーム三個分くらいの幸せ成分が詰まっている。
机の上には河童印の升が置かれていた。升は酒で満たされていて、水面には紅葉がひとつ、ゆらゆらと揺れている。そこには、お姉ちゃんと私の顔も映っていた。
不意に、ちらっと水面に映るお姉ちゃんと目が合った。
それがちょっと気恥ずかしくって、お姉ちゃんから離れて執務室の扉を開ける。
こいし、と呼ぶ声には気づかないふりをした。
外は一面の銀世界。足跡ひとつない雪原に、とんたった。と私の軌跡を付ける。
鼠模様の空、ひらひらと雪が降る。吐く息すらも白色に染まるから手足はかじかみ、温もりを求めて歩みを始める。
意外と綺麗に掃除された石段を登ると「わん!」と緑色の巻髪少女が私に飛び込んできた。受けてめて、ぎゅうっと抱きしめて頬ずりする。縁側には、めでたい感じの紅白巫女。眉間に皺を寄せて、訝しげに私の方を睨みつける。屋根には、お燐。その隣には、お空。ふりふりと手を振れば、にゃーっ、と、かぁーっ、と返事をしてくれた。
それから縁側に我が物顔で座っては、おせんべいに手を伸ばす。バシッと手の甲をお祓い棒で叩かれた。
「盗み食いは許さないわ」
後頭部を掻いて、曖昧に笑って誤魔化した。
縁側で、暫く時間を潰す。
寒気に手を擦り、はぁっと息を吹きかける。
「寒いの?」という問いに「大丈夫」と帽子からマフラーを取り出す。
それから暫く時間が過ぎた。
境内で狛犬ちゃんと遊んでいる時、夕焼け時、寂れた石段の向こう側から誰かがやって来る。ぴょこん、と癖っ毛たっぷりの薄紫色のもじゃ髪、もこもこ完全武装のお姉ちゃんが今にも死にそうな顔色、満身創痍で息を切らした姿で鳥居を潜った。両膝に手を付き、全身全霊で呼吸をしながら境内を見渡す。
お姉ちゃんは、優しく目を細めて、真っすぐに私の方へと歩いてきた。
「こいし、忘れ物よ」
そんなことを言いながら、ゆっくりと私のことを抱きしめる。
手には、手袋が握られていた。
「挨拶もしないで行って帰って、勝手な子ね」
昔はちゃんと言ってたんだけどなあ。
そんなことは口にはせず、ギュッと抱き返すことで返事にした。
やっかみ混じりの話は途中でスルーするこいしちゃん可愛いですし、さらっと描写されてるにともみはたぶんこいつらあの別名義のときのにともみなんだろうなあという想像が働くので最高です。
そして何よりシーンごとに机の周りの小物が変わるお姉ちゃんとマフラーを(きっと自慢げに)取り出すこいしちゃんの対比が素晴らしすぎてさとこい勢になります。なりました(過去形)。
たいへん楽しませて頂きました。良かったです。好きです。
楽しませて頂きました。
編み物に挫折するお姉ちゃんがかわいらしかったです
それと、やはり季節経過と共に変化するこいしちゃんの服飾描写と言い、季節感ゼロの地底であるにも関わらず時間と共に変化するさとりとの関わり方も好きでした。雰囲気ものの中にちゃんとストーリーもしっかり混ざっている、そんな真骨頂のようです。二人の関係性をさとり視点からでは手袋という形で描く良いさとこいでした。
『お姉ちゃんにはシュークリーム三個分くらいの幸せ成分が詰まっている。』だいすき。
(おそらく物語開始時点より前の段階での、こいしの最後の変化を受けてなのか)物語の最初でさとりの停滞を明示してますよね
基本的には四季を通したこいしの情緒的な文章という擬態をもってこの物語は進みます
象徴的なのはやはり「大きな飛躍」という一文で、あの文章の妙は、それを最初読んだ段階ではそれ自体は飾りでしかなくて、読者にとって大きな意味はないということです
それが最後のシーンで、「お、大きな飛躍……!」という、読者に対する気付きの太い線と、四季というメタファーで「実は飾りでなく、着実に変化を続けていたさとり」という結実を見せたという見事な構成だと思いました