Coolier - 新生・東方創想話

平凡な至福の夏

2021/06/28 23:24:51
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平凡な至福の夏

ーーカナカナカナカナカナナ…ナ……
 燦々と照る太陽が昇り、南の空にかかった昼前。博麗神社裏手の菜園に、この神社の巫女である博麗霊夢は立っていた。
 雲ひとつない晴天は、地面を焦がすほどに惜しげない陽光を降らせている。頭の天辺が焼けそうな気がした霊夢は、支柱の一つに掛けておいた麦わら帽子を取ってかぶる。火照った頬に陰が落ち、少し楽になったような気がした。
 まだ昼も来ていないのに既に鳴いているひぐらしの大合唱を聞きながら、霊夢は自分の畑を見渡した。
 神社裏の森を切り拓き、鍬を振るってよく耕してある畑。あまり大きくはないが、霊夢一人には十分な広さがある。その畑には作物が種類ごとに固まって植えられており、区分けしているわけでもないのに勝手に区画らしきものができていた。大根や蕪の植っているあたりはまだ若い葉が出てきている程度で、これらは冬の楽しみになる。一方、夏の区画にはちょうど食べられる大きさに育った野菜が実っていた。
 茄子、きゅうり、ししとう、いんげん。どれもつややかで、みずみずしい果皮が輝いている。少し小ぶりだが、南瓜もいくつかできているし、土の上を這う蔓を目で追っていくと、丸い西瓜の縞模様も見つけることができる。例年の面々の出来栄えに、霊夢は満足げに頷く。そのまま彼女の視線は、新たに博麗菜園に加わった作物へと移った。
 新しく付け足した一角には、竹の支柱が立てられており、その支柱に絡み付いて蔦が上まで登っている。柔らかな葉に紛れて、畑でも特に目立つ赤くて円い実がたわわに実っていた。これはトマトというもので、近頃特によく来るようになったアリスが料理に使う野菜だ。
 アリスは時折神社を訪れ、霊夢と日暮れまでいることがある。お互いそれほど話す方ではないので、会話が盛り上がるということもないのだが、それぞれ思い思いのことをして過ごすのは思いのほか居心地が良く、霊夢は気に入っていた。
 それに、アリスはそういうとき、見知らぬ料理を作ってくれることが多いし、大抵美味しい。このトマトという野菜(後から魔理沙に聞かされた豆知識では、果物という説もあるらしい。果物と野菜の豆知識、……くふふ)を使った赤いスープも、最初はびっくりした。初めの一匙は恐々と口にしたが、暖かく広がる旨味と適度な塩気に魅了されたものだった。スープ以外にも、このトマトは使い道がある。
 霊夢はしゃがみ込んで頬杖をつくと、つるりとした赤い実を見つめる。社務所の台所に立つ友人の姿を思い出して、霊夢は口元をほころばせた。アリスは以前、パスタというものを作ってくれたことがある。小麦粉と卵を練ってひとまとめにしてから、その生地を繰り返し台の上でこねるのだ。腕まくりをして見えていたアリスの細い腕が、ものすごい力で生地を引き伸ばしてはまとめる。一体どこにそんな腕力が隠されているのか、不思議に思いながらも、真剣にこね続けるアリスの横顔を眺めていたものだった。
 小麦粉を頬に付けたアリスの姿を思い出すと、炎天下の暑さを少し忘れられた。霊夢はしばしそうしてトマトを眺めた後、立ち上がって枝豆を二束と西瓜を一玉収穫し、社務所へと戻っていった。

ーーりーん、ちりん、ちりーん、りりん、りりーん……
 先週、押し入れから出して、鴨居に吊るした風鈴が良い具合に鳴っている。いつもの縁側に文々。新聞を広げ、その上に取ってきた枝豆の束を広げた霊夢は、豆のさやを枝からむしる作業を続けていた。新聞紙というものは便利なものだと、ぶちぶち枝豆の山を作りながら改めて思う。ひぐらしの鳴き声と風鈴の音色、そこにふと、涼しげな声が加わった。
「こんにちは、霊夢」
 枝豆を見つめて手を動かしていた霊夢が顔を上げると、肩口付近に届く金の髪を風に揺らし、青いワンピーススカートが夏の空に溶け込んだような少女が立っていた。アリスはふわりと着地して、霊夢に向かって微笑してみせる。
「こんにちは、アリス」
 霊夢も軽く微笑んで応えると、アリスのために少しずれて座れる場所を空けた。ありがとう、とアリスは縁側に腰掛けると、彼女のために日傘をささげ持っていた上海人形から傘を受け取り、畳む。青空の中の白い傘は入道雲のようにも見えて、霊夢はその取り合わせに上手いと思った。
「アリスって、夏も似合うのね」
「え、そうかしら?」
「色がぴったり」
「じゃあ霊夢は秋ね。紅葉色だもの」
「私が秋をとってしまったら、秋の神様に申し訳ないわ」
「それなら私だって夏の妖怪に申し訳ないわよ」
 くす、とどちらともなく笑う。実際のところ、季節は誰のものにもならないし、少女達は毎日気分で色を微妙に変えているのだ。しかし、そんな特に意味もないことを言い合えるのが嬉しくて、それだけで楽しくなってしまうのだった。
「一束貸して、私も手伝うわ」
 アリスが日避け用の手袋を外して、白い手を差し出す。その滑らかな指と、硬くて毛がとげとげしている枝豆を見比べ、霊夢はアリスに枝豆作業を分けてやるべきか逡巡した。
「怪我しないでね。見た目より硬いから」
「うん」
 結局、霊夢は枝豆一束と新聞紙をアリスに手渡した。霊夢の心配は杞憂だったようで、アリスは器用にさやを枝から外していく。縁側にはしばらく、枝豆をちぎる音と風鈴が響いていた。

ーーざくっ、ざく、ざく、しゃりりり、り……
 冷たい井戸水で冷やした西瓜をまな板に乗せ、大きめの包丁で切っていく。こういうのはためらわず一刀の元に切るのが良い。大幣を振るって数多の異変を解決してきた霊夢の太刀筋は鋭く、西瓜を綺麗に分割する。黒い種が楕円に並ぶ、赤い西瓜の断面が見えると、甘さと独特な瓜の匂いが立ち上ってきた。この暑さの中、爽やかなその匂いはひとつ齧りたい欲求を誘ったが、霊夢はこらえて西瓜を三角形に切り揃える。透明な硝子の皿を二つ取り出し、盛りつけた西瓜は宝石のようにも目に映った。
 縁側に戻ると、いつの間にか靴を脱いで上がっていたアリスが丸くなって眠っていた。板間より少し奥に移動して、日陰になる畳の上で横になっている。さて、どうしたものか。まあ、あえて邪魔することもあるまい、と霊夢は頭を振り、近くの卓袱台に皿を置くと、意識を西瓜のほうに戻した。
 開け放たれた障子を越えて、庭からのそよ風が頬を撫でる。緩やかな風鈴の音と丸くなったアリスの小さな寝息。胸いっぱいに夏を感じて、いただきます、と霊夢は西瓜を一かじり。しゃり……と繊維質な歯応えと、口中に広がる控えめな甘さ。西瓜は霊夢の目論見通りよく冷えていて、乾きがちだった喉を潤してくれた。しばし気ままに西瓜をかじり、空の青さと畳に転がっている青いアリスを見比べながら、霊夢は愉しんだ。

ーーからから……ころん
 透明な瓶の中で、硝子玉が転がる。しゅわしゅわという炭酸の泡立つ音と、ほのかに香るレモンの匂い。わずかな昼寝の後に起き上がったアリスは、西瓜のお礼にとラムネ瓶を鞄から取り出し、一本霊夢に差し出した。今は二人並んで畳に三角座りをしながら、濃緑に茂った木々を眺めている。暑さに耐えること自体が一仕事で、どちらも日が落ちるまでは動けそうになかった。からから、ころんと硝子玉の転がる音が、時折室内に響く。
「……おいしい」
「そう? 良かったわ」
「アリスがラムネを持ち歩いているなんて、珍しい」
「人里に寄った時に何本かいただいたのよ。いつものお礼にって」
「ああ、この子達の」
 霊夢はアリスの隣で静かに待機している上海人形を見やる。上海は視線に気付いたのか、それともアリスの操縦なのか、霊夢を見返して得意げな顔をして見せた。
「人形劇は私の趣味でしていることだから、気を遣ってくれなくてもいいのだけどね」
「いいじゃない。里の人たちと上手くやれているってことでしょう」
「まあ、ね」
 アリスは上海の頭をそっと指先で撫でると、薄く微笑む。それを見ていた霊夢は、何となく甘えてみたくなって、自分の頭も差し出してみた。
「……なに?」
「ん」
「……仕方ないわね。ほら、これでいい?」
「えへへ」
 いつからだろうか。魔界で初めて会った頃には霊夢より背も低く、頼りないように見えたアリス。春雪の異変で再会した時には、顔立ちは大人びて、背も高く成長していたから、一目では彼女とわからなかった。今ではこうして、対等な、あるいは時々アリスの方が年上のような関係を築けている。霊夢は時々、こうして無意味に甘えて関係を確かめてみたくなる時があった。
「もう……昔の凛々しい霊夢はどこへ行っちゃったのよ」
「こっちが本当の私だもん」
「まあ、いいんだけどね」
 右手で霊夢の頭を撫でながら、アリスは苦笑する。何やかやと言いつつ、アリスも霊夢が素直に自分を晒してくれることを喜んでいた。
「今日は泊まって行って良い?」
「良いわよ」
「ありがとう。魔理沙から聞いたんだけど、今夜は人里で花火が打ち上がるらしいの」
「ふうん」
「それでね、ここから見えるんじゃないかと思って」
「なるほどね」
 博麗神社は長い石段の上にあるだけあって、標高が高い。確かに眼下を見下ろせば人里を見つけることもできるので、花火見物にはうって付けだろうと思われた。夜の花火見物、となると秘蔵しておいたあれの出番かもしれない、と霊夢は顎に手を当てた。
「じゃあ、とっておきを出してあげる」
「とっておき?」
「後のお楽しみよ」
「ふふ、気になるわ」
 気になっても、敢えてしつこく聞いたりはしない。お互いしたいようにして、強制はしないのが二人の関係だった。アリスはしばし空想を楽しみ、夜を待つことに決めたのだった。

ーーどんっぱららら、ら……
 空に反響するような、くぐもった破裂音。すっかり宇宙の色に染まった空に、地上の星が打ち上がる。鮮やかな光の花が咲いては消え、また次の花火玉が空に上げられる。人里の上空に上がる花火の様子は、ここ博麗神社からでも見ることができた。真下で見るような迫力は無いが、静かな花火というのも乙なもの。
 霊夢が耳を澄ませると、風に乗って人里の喧騒が微かに聞こえてくる。きっとあの下では多くの人間に混じって、妖怪達も歓声をあげているのだろう。もしかしたら屋台でも出して、菓子や肴を売っているのもあるかもしれない。
 一方、それらからほどほどに離れたこの縁側には霊夢とアリスが並んで腰掛け、間には茹でた枝豆を盛った竹ざると、グラスが二客、琥珀色の液体が入った瓶が一本置かれている。グラスはアリスが氷の魔法で氷結させ、準備万端。霊夢はとっておきの瓶を開けると、中にまだ浮いている実が落ちないよう気をつけながら、冷えたグラスに中身を注ぐ。注ぎ切らないうちに甘酸っぱい香りがふわりと漂った。
「あ、梅酒ね」
「正解」
「良い香り」
 裏の畑にあるのは一年ものの野菜ばかりではなく、果樹も植っている。毎年毛虫を取ってやる苦労はあれど、たくさんの実を付ける梅の古木もあり、そうして生った梅で漬ける酒は格別だった。霊夢は万感の想いを込めて乾杯すると、一口含む。飲めばむしろ喉が乾くのでは無いかというくらいの甘みと、追ってくる酸味、そして飲み下した後に残る豊かな梅の香りがあった。
「今年もうまく出来たわ」
「本当。霊夢って意外と多芸よね。冬は薬酒を作ってたし」
「意外とは余計よ。田舎派をなめるんじゃない」
「はーい」
 時折空を明るく照らす花火の光を眺めながら、二人は梅酒と枝豆を堪能する。花火大会とあればお洒落をして出かける者が多い中、霊夢とアリスは遠くから眺めるだけで満足していた。どちらも着飾って出かけようとは言い出さないあたり、都会派、田舎派と言い合っても、似たもの同士なのかもしれない。
 ふと、霊夢は思い出したようにぽろりと呟く。
「こんな普通の日々が、ずっと続いたらいいな」
 その呟きは、しかして花火の音にかき消されることもなく、しっかりとアリスに伝わって。
「……本当に」
 霊夢の言葉に心からそう思い、アリスは幸せそうに目を閉じる。それ以上語る言葉もなく、穏やかな夏の夜は過ぎていった。
9年ぶりの投稿です。
霊夢とアリスの日常風景を見てみたくなり、一幕を切り取ってみました。
もしお読みいただいた方がいらっしゃいましたら、ラムネあるいは梅酒と枝豆をお供に、夏の幻想郷を感じてみてはいかがでしょうか。

(追記)
コメント・評価をいただきまして、ありがとうございます。
時々、楽しく読ませていただいております。
シロン
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コメント



0.500簡易評価
1.90奇声を発する程度の能力削除
面白く良かったです
2.100Actadust削除
この静謐な空気感、好きです。
まったりとした空気感なのに、読んでいて飽きないんですよね。楽しませて頂きました。
4.100夏後冬前削除
各章の最初にはさまれるオノマトペに象徴されるようにかなり写実的な文体が夏の輝きを容易に想起させて非常に良かったです。
6.100めそふ削除
とても良かったです。
情景描写がとても丁寧で、その光景をありありと思い浮かべさせてもらいました。彼女達の穏やかで緩やかな日常を垣間見ることが出来て面白かったです。
7.100南条削除
面白かったです
霊夢にちょっとお姉さんっぽく接するアリスが素敵でした
心を許している霊夢もとてもかわいらしかったです
10.100ニャンまげ削除
とても良い雰囲気のお話でした。
やはりこの2人には、こんな静かで落ち着いた時間が合いますね。

17.無評価Clemmie削除
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