Coolier - 新生・東方創想話

そのたびごとに

2021/06/09 11:06:24
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 そのたびごとに新しく、小鈴はジャンケンを持ちかける。
「ジャンケンで決めようよ」と小鈴は言った。そうして私がまだ「やる」と言わない先から、グーに握った手を頭の上まで振り上げている。「ジャンケンで」と言って高いところにかかげられたそのグーは、私が応じて手を出さない限り、まるで私に責任があるかのようにいつまでもその位置から下りてこないのだった。
 私は、長いこと書こうとしながらまだ白紙のまま書けないでいる年始の挨拶から筆を外し、改めて小鈴に向き直った。小鈴は書斎の本棚の前にしゃがみこんでいた。そこで『貝』と題された図鑑を膝の上に開いたまま顔を上げず、「ほら、ジャンケン」と左手だけを振り回している。うちの猫がやってきて、図鑑の上に前脚をのせた。小鈴はそれを押しのけて、やはり「ジャンケン」と言った。
 妙な態度だと思った。隣室の火鉢を取りにいく役を決めるのに、ジャンケン以外の方法は考えられないという態度、それでいて、方法がジャンケンでさえあれば結果はどちらでも構わないという態度だった。
 ジャンケンへの忠誠は、日ごろ私が最も頻繁に目にする不思議の一つである。
 人間なら彼女に限ったことではないが、小鈴はジャンケンの公平性を固く信じているらしかった。この小さな友達は昔から、厄介な交渉の行き止まりにはいつでも必ずジャンケンを持ち出した。あるいは単にそういう交渉自体を省略したい場合にも、ジャンケンは便利に使われた。もしもこの世にジャンケンがなければ、彼女たちの日常はどれくらい面倒になるか想像が付かないほどだろう。
 そして今、こういう場合に相応しいのも、何といってもジャンケンしかないのだった。
「別にいいわよ、ジャンケンで」
 そう返事をしながら私は、小鈴が図鑑から顔を上げて何か言うまでは、わざとゆったりとして手を構えなかった。
「ジャンケンなら公平だからね」と小鈴が言った。私は期待とも不安ともつかない微妙な気分の下で、小鈴の次の台詞を待ち受けていた。
「記憶力でジャンケンには勝てないもんね」
 小鈴はそう言って、私は短く同意した。
私の予感したとおり発せられた台詞、もう過去に何度となく耳にしたことのある台詞だった。これは小鈴お気に入りの理屈で、これを言った後はいつでも決まってパーを出すのだった。
「ジャーン、ケーン、ポン」
 無暗に元気のいい掛け声とともに、果たして小鈴はパーを出した。何も持っていないことを示すかのような、掌を上にしたパーだった。
 無論私はチョキを出した。チョキを出すときは、いつでも少し照れくさい気がする。



「ジャンケンで決めようよ」と小鈴が言った。私はまだ「やろう」と応じたわけではなかったが、気の早い小鈴はグーに握った手を頭の上まで振り上げている。
 すでに書いた話だと、思うわけにはいかない。似たようなことが起こるそのたびごとに、小鈴はまた新しくジャンケンを持ちかけるのだった。
 私は、梯子段の上で口を開けている真っ暗な屋根裏を見上げて、しばらく返事をしなかった。屋根裏は陰気で埃っぽく、そのうえ奥の方からは何やら不気味な物音が聴こえてくる。どうしても先に立って見に行く気にはなれない。しかし、ここで順番を決めるためにジャンケンをするのが公平なことなのか、私にはよく分からなかった。
 そうこうしているうちに、小鈴があの台詞を口にしてしまった。
「記憶力でジャンケンには勝てないもんね」
 小鈴お気に入りの理屈だった。これを言った後はいつでも決まってパーを出すのだった。私は少しためらったが、やはり同意した。
 私が考えたことも、以前に考えたのと似たようなことだった。もしこんな場合にジャンケンを拒んだらどうなるだろうということだった。稗田屋敷の屋根裏からは、相変わらず何やら不気味な物音が聴こえる。正体を確かめるために梯子を降ろしたものの、私は先に入りたくはない。小鈴も先に入りたがらない。もしジャンケンに応じなければ、二人は決着がつくまで根気よく交渉しなければいけないだろうか。おそらくそういうわけにはいかないだろう。屋根裏の物音はますます激しくなる。暗闇から鳥の声がする。正体を確かめるには時機を逃さずすぐにも踏み込むべきなのだから、ジャンケンをしなければきっと別のものに基準を求めることになっただろう。基準となるのに相応しい二人の差異は年齢か、身体の丈夫さか、何であるかは分からない。こうして判断を保留したままでいられるのもジャンケンのあるおかげなのだった。だから私はジャンケンに同意したのだった。
「ジャーン、ケーン、ポン」
 無意味に力の入った掛け声とともに、果たして小鈴はパーを出した。私の出したチョキを衆目に曝そうとするかのような、掌を上にしたパーだった。
「いいよ、私が先に屋根裏に上がる」
 小鈴はあっさりと受け入れて梯子段を見上げた。決まりさえすればかえって落ち着いて見えた。いざ妖怪や幽霊に遭遇したときは即座に気を失う準備ができているのだろう。予想していたこととはいえ、この結果はやはり気の毒だと思った。私も小鈴のすぐ後ろからついて上がることにした。
 私は別に、何も恥じたりはしていなかった。このジャンケンの勝ちを自分が密かに盗み取ったなどと考える理由はなかった。小鈴は誰にも強いられることなくパーを出す。たとえ例の台詞の後に何度パーが続いていたとしても、次に小鈴がグーを出すことは常にあり得るはずだった。
 ……屋根裏には結局、妖怪も幽霊も潜んではいなかった。



 いつもの癖で鈴奈庵の戸を入ってしまったが、その日はまだ暖簾が出ていなかった。
「すみません、午前中休業です」と奥から小鈴の声がした。
 普段なら整頓された本棚の並ぶ店内が、ものであふれていた。新聞紙を広げた床には手入れされたばかりらしい印刷用の活字が乾かされてぴかぴか光っている。鈴奈庵では毎夏のこの時期、道具類を風に当てる習慣なのだった。私は服の裾が汚れないよう気を付けながら来客用の寝椅子まで足を運び、そこで小鈴を待っていた。
 机の上に、足付きの古い碁盤が置かれていた。見るからに使い込んだ上に保存も悪いらしく、上面のあちこちにゆがみへこみが目立っていた。木は桂だった。
「なんだ、阿求か」
 そこへ間もなく顔を出した小鈴に訊ねたところ、大した値打ちの品ではないから壊して薪にするつもりなのだという。せっかくなので道具の供養を兼ねて最後に一局打とうということになった。
「ジャンケンでいいよね」と小鈴が言った。
 碁の先手を決めるには本来ニギリという方法があるが、小鈴はそれを知らなかったのかもしれない。あるいは忘れていたのだろうか。
「ほらジャンケン」とまた小鈴に言われて、私は素直に手を出した。そのときはわざわざ説明するのが面倒に思われたし、ちょっとしたことでも教えたりすれば物知りをひけらかすように見えてしまうのが、いわば私にとって生まれ持ちの過失というものだった。
「でも私、後手でいいわよ」
「どうせ碁じゃ敵わないんだから、ジャンケンくらいさせてもらうわ」
 そして小鈴は言った。相変わらずお気に入りの理屈だった。
「記憶力でジャンケンには勝てないもんね」
 これを言った後はいつでも決まってパーを出すのだった。
「ジャーン、ケーン、ポン」
 一人で掛け声を張り上げながら、果たして小鈴はパーを出した。敵意のないことを訴えるような、掌を上にしたパーだった。
 私は、躊躇することなく出た自分のチョキが大人げないようで、いつも以上に照れ臭かった。しかしそれは全く反射的に手の癖から出たチョキだった。
 私は小鈴と交互に石を並べながら、ジャンケンのことばかり考えていた。例えば、碁とジャンケンとは同じ勝負事でもなんという違いようだろうか、といったことを。
 私のチョキが無意識の反射だったように、きっと小鈴のパーも無意識的だった。どの手を選んでもどのみち運任せの三択から、無意識任せに一つの手を出すというのでは、私たちはどこに、何のためにいるのか分からない。
 うわの空の私は手癖でさっさと指した。小鈴は形勢が悪くなるとあっという間に投了した。このあっけない最後の一局に、黒ずんだ碁盤はじっと堪え忍んでいるように見えた。



 竹皮の包みを開いて団子の数を確認したとき、私はすでに緊張しはじめていた。一串に三個ずつ刺した団子が五串分だった。無論これは小鈴と二人では分けられない数だった。
「もう一包み買ってこようか」と私は立ち上がりかけたが、小鈴はとんでもないという表情で袖を引っ張り戻した。屋台の前にはすでに、十数組はあろうかという客たちの行列が新しくできていた。評判の良い「鈴瑚屋」の団子は、日によっては開店直後に並んだとしても売り切れて買えないことがあるというくらいなので、昼時に差し掛かった今からでは買い足しはとても間に合いそうにない。
「また並ぶなんて必要ないでしょう。公平に分けて食べましょう」
 小鈴はそう言った。そして私は確信していた。そのたびごとに新しく、また始まるのだ。
「一つ余るから、小鈴にあげるわよ」
「いいよそんなの」と首を振った小鈴は私の遠慮を鬱陶しげに目の端で睨み、有無を言わせない拒否を示した。「ジャンケンで決めようよ」
 私の反応は自分ながら少し滑稽だったと思う。とにかくジャンケンをしたくないばかりに、長々と妙なことばかり喋ってしまった。ジャンケンは勝った気がしなくてつまらないとか、団子一個のために子供っぽいふるまいは恥ずかしいとか、代わりに違う賭けをしようといったことを、回りくどく晦渋な言葉で。
 小鈴の返事は私よりずっと簡単で、しかも異論の余地なく正しかった。
「ジャンケンの方がもっと早いし、公平でしょう」
 私はもう後はあきらめて小鈴の顔を見ていた。特に団子をほおばっている彼女の口のあたりを見つめて、例のお気に入りを言い出すのを待っていた。
「それに、記憶力でジャンケンには勝てないもんね」
 そう言うと小鈴は私の返事も待たず、グーに握った手を頭の上まで振り上げた。お定まりのようなそのセリフもその動作も、まるで私が無言のうちに注文したかのように想像そのままに演じられたのを見た私は、ある疑いを抱いたほどだった。つまり、私の方こそ手の込んだからかいを仕掛けられているのではないかという疑いを。
「それならまあ、別にいいわよ、ジャンケンで」
 考えてみれば、これほど何度もジャンケンをしてそのたびごとにパーで負けているのに、全く覚えていないというのは私のように記憶力の良い人間でなくても不自然なことに思える。私が負ける小鈴を黙って見ていたように、小鈴も勝つ私を見続けてきたのかもしれない。
 私は小鈴に促されて手を構えながら、その目の奥を覗き込もうとした。すると心なしかそこには、秘密を抱いた人間が隠し持つような満足げな罪悪感の影が見える気がするのだった。
 また、もしそうするとこの鈴瑚屋の余り一個はきっと私への埋め合わせの品に違いない、と私は思うのだった。
「ジャーン、ケーン、ポン」
 鈴瑚屋の団子は評判通り本当においしい団子だった。甘味に上品なところがありお茶にもよくあった。舌触りがなめらかなのは、柔らかくこねた餅にきめの細かいこし餡を練りこんでいるらしい。



「ジャンケンしましょうよ」と私は言った。そうして小鈴がまだ「やる」と言わない先から、グーに握った手を頭の上まで振り上げてみせた。「ジャンケンで」と言って高いところにかかげられたそのグーは、小鈴が応じて手を出さない限り、いつまでもその位置から下ろすつもりはなかった。
 小鈴は、退屈まぎれに橋の上から川面へ突っ込んでかき回していた枝を引き、何やらひどく驚いた目をして私に向き直った。私は欄干にもたれたままわざと表情を変えず「ほら、ジャンケン」と右手だけ振り回して見せた。
「なんのジャンケン?」
「ただのジャンケン。遊びではジャンケンはしないの?」
「普通はね」
 季節は秋の盛りで、運河には見事に紅葉した楓の葉が一面に敷き詰められ、この橋の下をゆっくりと流されていくのは絵巻を手繰るような光景だった。それらの葉がまるで無数の小さな掌に見えて、私は小鈴をジャンケンに誘った。
「なんでジャンケン?」
「ジャンケンは公平だから」
 小鈴はなるほどという顔をしてようやく手を構えた。
「記憶力でジャンケンには勝てないもんね」
「それは……」私は少し間を置いて考えてから「でも私、チョキを出すよ」と小鈴に言った。
「なによそれ」
「ジャーン、ケーン、ポン」
 二人で調子を合わせて掛け声を張り上げた。そのとき、不思議なことが起こった。私はチョキを出した。小鈴の出した手は私のチョキを当然の分け前として要求するかのような、掌を上にしたパーだった。おそらく、その経緯について二人がどれだけ詳しい証言を持ち寄りすり合わせようとしても少しの説明にもならない、これは突飛な偶然の通じ合いだった。ただこの現実の裏側で、私と小鈴によく似た誰か二人が互いに遠く離れて手を振りあっていた。
「もう一回」とはじめに言ったのが私たちのどちらだったのかは、今になって記憶を何度たどりなおしてもはっきり聴き分けることができない。でも真実は、私の口を通して小鈴が、あるいは小鈴の口を通して私がそれを言ったのだという気がする。
「ジャーン、ケーン、ポン」
 私は今度もチョキを出した。小鈴もやっぱりパーを出した。
「もう一回」
「ジャーン、ケーン、ポン」
 三度試みてどちらにも裏切りがないのを見ると、私も小鈴もこみあげてくる笑いをどうすることもできなかった。
「記憶力でジャンケンには勝てないよ」
「でも私、またチョキを出すよ」
 そこから先は坂を転がり落ちる石のように、もう止められなくなった。「ジャーン、ケーン、ポン」と二人が同時に声を張り上げて、私はチョキを、小鈴はパーを出した。
 自分がなぜあんなことをしたのか、私には説明の代わりに、また別の不思議さの断片しか見つけ出すことができない。記憶力でジャンケンには勝てないから、それを言うと小鈴が決まってパーを出すから、小鈴のパーが掌を上にしたパーだから、私がチョキを出すときはいつでも少し照れくさい気がするから、そしておそらくこのジャンケンを覚えておく人間が私以外に誰もいないから。
 二人ともわけも分からず笑っていた。橋の上には繰り返される掛け声と、どこまでも果たされ続ける約束だけがあった。風が吹くと川辺の木々は揺れて、たくさんのきれいな赤い葉を降らせた。
 そのたびごとに新しく、私はチョキを出すのだった。





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コメント



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4.100名前が無い程度の能力削除
阿求は記憶力が優れているからではなく、小鈴が友達だから覚えているのだと思いました。
他愛のない少女たちの遣り取りが、夏の日差しよりも眩しく感じられました。
7.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
10.100夏後冬前削除
微笑ましい、可愛らしい描写を緻密に描かれていて眼福でございました。
11.100名前が無い程度の能力削除
心理戦に持ち込もうとすれども結局同じ流れの同じやり取りになってしまう二人の微笑ましさが印象的でした。
良い風景のままずっと続く、普通とはちょっと違う空気を含んだジャンケンが友情関係のようで、夏風の爽やかさすら感じられそうです。
12.100南条削除
面白かったです
ジャンケンに興じる二人がかわいらしかったです
15.100名前が無い程度の能力削除
とても良かったです。
小鈴とのジャンケンの不思議な密約にとにかく解を与えようとする阿求の熟考には執念すら感じられました。これに引きずられるまま文章を阿求の見たようになぞっているような心地で、最後の方、阿求なりに落とし所が見つかって肩の荷が下りたようになり、そこでようやく2人の戯れを淑女らしい他愛ない遊びとして遠巻きに眺められるような解放感を得られました。
阿求の語りの緻密さは写真機のようでした。誰もが忘れていく由なし事をつぶさに1つ1つ色をつけていくのが職業病らしさがあり、おそらくそれ以上に、小鈴の飾らない忘却を阿求自身が覚え留めておきたいという熱があったからかもしれません。それがあまりにもひたむきに行われているので、誠実さや真摯さでは片付けられず執念を覚えました。同時に、それだけ一瞬一瞬を大切にしているところに寂しさを覚えたのは少し外の目線が入りすぎかもしれません。
17.100名前が無い程度の能力削除
面白かった。
18.100名前が無い程度の能力削除
これ以外ないと思える美しいタイトル
19.100ばかのひ削除
最高に面白かったです
20.100名前が無い程度の能力削除
日常の中でふとした瞬間に目に映る奇妙さを独特の観点から、それでいてとても上品な文体で書き切った作者様の技術に感動を覚えました。何気ない日常の断片的シーンですが、とても読み応えがありました。面白かったです。
22.100サク_ウマ削除
とても不思議な感じがして良かったです
25.無評価名前が無い程度の能力削除
小鈴の中では阿求にしてあげるための合言葉みたくお約束になっているのかなって素敵に思った記憶があります