Coolier - 新生・東方創想話

あかり from HERE

2021/05/02 19:23:36
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 長生きしたい。
 それは何の理由もない、ぼんやりとした願望だった。産道を通る時に、一緒にまとわりついてきたのだろう。
 私は寿命が他人よりも短い。それは仕方のないことで、昔から決められた定めだから、簡単には覆せない。幼い頃から同情を買っていた私は、悲劇の主人公を気取りたいという欲求はすでに満たされていて、そこに関しては今は達観できている、と思う。
 長生きはしたい、だけど今のままで良い。例えば求聞持の力と引き換えに寿命が欲しいかと、悪い鬼に取引を持ち掛けられたとしたら、確実に断るだろう。魔女が寿命の延びる薬をただでくれたとしても飲まないし、妖怪になるつもりも毛頭ない。現状に不満はない。つまるところ欲張りなだけである。何せ私は若いから、色々なものが欲しくなる。手に入らないとさんざら聞かされてきたものなら、当然欲しい。例えば貧乏な人は豪勢な食事を夢に見るだろうし、物欲が満たされている人は、おそらく羨望のまなざしなどが欲しくなる。家は裕福で食べるものには困らず、また代々妖怪に抗う術を伝承しているという歴史や信頼、羨望を生まれた時から得ているこの私が、唯一手に入らないものが寿命なのだ。
 私は寿命について、幼い頃からずっと考えている。稗田の大儀とは別の初期衝動であった。
 さて、長生きするという願望を代替的に満たすため、私は執筆活動という一つの解を見つけた。私が死んだ時、幻想郷縁起は残るが、私はきっと語り継がれない。阿求とは稗田という巨大な巻物の小項目に過ぎない。そして次の御阿礼の子が生まれた時、私は礎の一部として子孫の知恵となることだろう。
 それは名誉なことで、誇りに思っているのだが、一方で面白くないと感じる自分もいるわけで、そんな二重思考の片割れが形をとったのがアガサクリスQである。彼女はとても生き生きとしていて、その活力を筆の先に込めた時、小説となって産声を上げる。
 そしてその小説は間違いなく私よりも長く生きるだろう。これが長生きの秘訣である。こじつけであるが、執筆中はその願望が霧散し、筆をおいた瞬間満たされた気分になるので良しとしている。
 そんな私の執筆に対する心情を、小鈴になんとはなしに伝えたことがあった。

「私が書いた文章は確実に私より長く生きるわ」
「なんか詩人だね。長生きしたいの?」

 小鈴は私がアガサクリスQだと知る数少ない里の人間である。稗田の当主が執筆活動しているという事実を知る者は、屋敷の従者と出版に携わった一部の関係者だけだ。別に隠すような後ろめたいことではないのだけれど、やはり稗田家が趣味を公にするのは塩梅が悪いらしい。というのも建前で、実は私自身あまり言いふらしたくないのだ。潜入意識を持たずに、純粋な作品として読んでもらいたい。あわよくば、アガサクリスQという名が稗田から完全に独立して、犀の角のようにひとりで、未来まで歩いて欲しいのだ。

「別にそう言うわけじゃないけど。ま、死んでも忘れられたくないだけなのかも」
「だったら私が覚えているよ」

 屈託のない笑顔で小鈴はそう言った。あまりにもすんなりと言うものだから、ありがとうが言えなくて、私は小馬鹿にしたように返してしまう。

「小鈴はきっと忘れるわ」
「失敬な。忘れないよ、たぶん」
「忘れるわよ。もう少し年を取ったら結婚して、小鈴はあんまり見る目なさそうだからちょっと奇っ怪な男性ね。だけど生活しているうちに馴染んできて、そこからは花嫁修業の始まりよ。で、子供が生まれて、そうしたら、もう家事に育児に大忙し。あんたのことだから、たぶんあまり要領が良くなくて、毎日毎日失敗して、若旦那に慰めてもらって、幸せを噛み締めながら生きていくのよ。そうなったら私のことなんて思い出す暇もないわ」
「私の人生を勝手に決めないでよ! 結婚かぁ、想像できないな。貸本屋やめるなんて」
「別に婿を取ったっていいじゃない。少しは変な眼で見られるかもだけど、それはそれで小鈴らしいし」
「また勝手に。まあいいけどさ。どうなったって。たぶん上手くいくでしょ」

 なんて楽観的な。小鈴はいつもそうだ。何とかなる、が信条なのだ。危うさを持っているが、小鈴は力強いから誰も止められない。その体力が羨ましくすら思える。

「それにさ、たぶんどんなに忙しくなっても、阿求のことは忘れないと思うよ」

 ああ、もう、楽観的過ぎる。やけに眩しく見えるのは、私が日陰のような暗い一面を持っているからだろうか。




 私の執筆活動も実を結んできた。所謂ファンレターが届くようになったのだ。連載初期から好評だったが、それが本の形となって里に出回ると、目に見えてファンレターの数が増えていた。正体を明かしていないのに、ファンレターが届くようになったいきさつはというと、どうにも熱心な読者がいて、新聞屋に直接渡したそうだ。初めて文字起こした感想を読んだ時は、もう嬉しくて仕方がなかった。私にも承認欲求とやらがあるらしい。こと執筆においては、その気持ちが人一倍強いのも事実だった。それ以来、ファンレターは積極的に受け取るようにしている。稗田家の住所を記載するわけにもいかないので、連載している新聞屋の元に届くようになっている。それらは朝の新刊と共に、郵便受けに届けられるという手はずだ。
 今日は十枚も届いている。そう、読者が増えたとはいえ、ファンレターは十枚が関の山なのだ。もっと読書が普及すれば、この数もうなぎ上りになるだろう。
 実はもっと多いのだが、中には罵詈雑言で構成された悪意の塊みたいなのも混じっているので、使用人が勝手に仕分けしてしまう。私としては、興味半分にそう言うのも読んでみたいのだけれども、まあ彼らも親切でしてくれているのだから無碍にするのも悪いと思い、伝えてはいない。
 ファンレターの内、一枚を読んだ。

「新作読みました! すごい面白かったです。まさか犯人が天狗だったなんて、驚きです。途中まで絶対宗兵衛だと思っていたのに、最後の最後でびっくりしました!」

 勢いがある感想を読んで、想起したのは小鈴の顔だった。興奮しながら読んだ本の感想を言っている時、こんな感じになる。手紙の裏に書かれていた住所を見てみると、鈴奈庵とあった。

「やっぱり小鈴じゃん」

 つい口をついて出た。なんだかおかしくなって、笑ってしまった。わざわざ書かなくても、鈴奈庵に搬入するときに言ってくれればいいのに。しかし、ファンレターを書くなんて、ものぐさな小鈴らしくない。だけど、素直に嬉しかった。




 ある日、不思議なファンレターが届いた。最近出版した「第三の眼の女」という作品についての感想だった。
 文面は丁寧で、単語だけを拾うと誉め言葉の羅列のように思えるのだが、全体をまとめて読むと私の小説を小馬鹿にしているような印象を受ける。私の得意とする幻想郷的なエンタメミステリ小説を最も的確に揶揄しているのが、登場人物の内最も重要な役割である殺人犯のことを「痛快な犠牲者」と表現した部分である。被害者たちではなく、殺人犯そのものが何らかの犠牲者であると書いてあり、そしてそのなんらかは、おそらく作者である私のことである。確かにこの小説は殺人の手法や展開の妙に重きを置いたもので、動機付けや犯人の感情の揺らぎは陳腐なものではあった。だが、これ以上深く掘り下げると、エンタメ性を失ってしまうのではないかと危惧したから、あえて書かなかったのであって、今でも後悔はしていない。しかし、その部分を突かれると、妙に悔しいと思ってしまうのは私の感性が若いからだろうか。
 その日は盲目的に、このファンレターを送った奴が文句も付けられないような文章を書いてしまった。もともと書き進めていた小説に加筆しただけなのだが、それだけでがらりと作風が変わってしまった。犯人の心情描写ばかりを意識していて、解決編に入っても爽快感がなく、ただただ悲壮感が漂う幕引きになってしまった。これはこれで、リアリティがある。想定していた読み味が変わってしまうのは、なんというか、悔しい気もするが、まあこれも良い経験だ。マンネリズムの打破には毒の一つでも食べたほうが良い。現状に胡坐をかくのは、老境の物書きがすることだ。
 出版後の反響は概ね予想通りのものだった。深く読み込んでくれた読者もいれば、いつも通りにストーリーを追うだけの読者もいた。ただし、前回よりもファンレターの数は減っており、明らかに最後まで読んでいない者がいることが窺い知れた。
 今回は、あの皮肉交じりのファンレターの主らしき文体のものはなかった。ぐうの音も出なかったに違いない。ちなみに鈴奈庵からは「最後のトリックが凄くてとても面白かった」という感想が届いていた。小鈴はちゃんと最後まで読んでくれたようだが、私の意図には気づいていないらしい。




 最近、幻想郷由来の小説が増えた。私の執筆活動が、里の人々に影響を与え始めたというと傲慢な気もするが、事実、アガサクリスQに影響されて小説を書き始めましたという文面のファンレターも届いており、私という存在が火付け役という役職を得たと思うと、気分は勝手に高揚した。まるで私は先生ではないか。幻想郷縁起をしたためる際、丁稚に一度だけ先生と呼ばれたことがあるが、その時は高尚さを嘲る皮肉のようにしか思えなかった。だが今現在、そう呼ばれると、存外心地良い響きである。悪い気はまったくしない。むしろ、調子に乗って最近の小説ブームに対する評論文もどきを書き上げてしまった。娯楽小説に対する考え方や、幻想郷の風土とミステリの親和性についてを書き連ね、ノックスの十戒を紹介したうえで小馬鹿にしつつ、ついでとばかりに執筆のこだわり的な何かを記した。
 評論というよりは随筆に近いそれを、冗談半分で出版したのだが、これが売れたものだから流石に驚いた。物語もトリックも心理描写も何もない文章が売れたということは、アガサクリスQという名前が広まった証拠である。
 ファンレターの数も倍増した。しかしそれは、いずれ自らの首を絞める暖かい縄に化けることも良く理解している。期待を背負うということは、空を飛ぶ自由を失うこと。アガサクリスQが残した軌跡は完璧だったと、後の世に語り継がれるよう、立ち止まることなく邁進し続けなければならない。そう思い込んでしまうほど、名声というものは恐ろしい。束の間の快感に陶酔した後は、深呼吸してきりりと身を引き締め筆をとるのだ。
 しかし、気合を入れていざ執筆にとりかかろうとする時ほど、筆は進まないものだ。煮つめたはずのアイディアが、脳の底に沈殿し、さらにはやたらと情報量の多い記憶がそれを濁らせ、最終的に取り出せなくなる。
 こういう時は散歩がよろしい。外気に触れることはきっと身体にも良いし、何より風流である。稗田家の当主たるもの、常に気品と優雅さを滲み出させておかなければならない。
 女中に出かけてくると伝えると、彼女は心配そうにこう言った。

「どちらまで行かれるのですか」

 場所なんて決めていないので答えようがない。着の身着のまま、風の吹く方へと歩きたい。文字通り風流の体現者となるのだ。勿論財布くらいは持っていくけれど、それは必要経費というものだ。金銭がなければ団子も食べられない。風より花より月より団子である。
 私は「夕方までは戻るわ」と曖昧に告げた。暗に詮索しないで欲しい旨を伝えたつもりである。

「そうですか。くれぐれをお気をつけて」

 仰々しく頭を下げ、私を見送ってくれた。彼女は家に来て十五年にもなるが、少しも偉ぶらず、しずしずと私の意を汲み、そのうえで体裁を保ってくれるなんともしたたかな女性である。私が何か後ろめたいことをする時、例えば阿片を燻らせるとか、安くて妙に効くお酒を呑むとか、そう言った不健康な行為に浸りたい時は必ず彼女を通している。そう、私は長生きしたいが、健康に気をつかって細く生きるつもりは毛頭ない。寸胴な人生を歩むのも一興である、と自らの体型を揶揄した比喩を用いて、小鈴に話したら「まあ、阿求胸ないもんね」と屈託のない声色で返されたので、なんというか、殴りたくなった。冗談を被せて来たのかそれとも、私の話の意図を読み取っていないのかはわからないが、なんでそんなこと言うの、と思った。自虐は良いが、人に改めて言われるとムカつくのである。どのぐらいムカつくかというと、うどん屋で欲張って天婦羅を四つ食べた時くらいムカムカするのである。
 さて、そんな余計なことを思い出しながら、外に出たは良いものの、目的もないので私の足は自然とお気に入りの茶店へと向かっていた。屋敷から東に向かって歩き、五つ目の曲がり角を左へと行くと、丁度その茶店のある大通りに出るのだが、今日は趣向を変えて回り道をしてみよう。普段は最短の、大動脈とも呼べるような歩きやすい道を通るから、あえて狭い路地をなぞってみた。
 大通りとは違い、家宅にによって陽ざしが遮られた路地はひんやりとしていて、心地良かった。見落としがちな野草が生えていたり、息を潜めている野良猫がいたり、記憶にない路地は新鮮で、茹った頭に一陣の風を吹かせてくれた。やはり未知に触れることは、素晴らしき体験である。こんなところを歩いていて、誰かに見つかったらどうしようか。はしたない、稗田の当主の自覚を持て、と叱られるのではなかろうか。ただ歩いているだけなのに、そんな背徳感すらもたらしてくれた。
 しばらく歩くと開けた場所に出た。茶店は目と鼻の先にあったので、丁度良いと思い、少し足を休ませるため、縁台に腰を落ち着けた。店主の娘が私に気づいたようなので、お茶とみたらしを注文した。

「ふう」

 団子を待つ間、西側の広場に眼をやると、人だかりができていた。あそこは確か、龍神像がある広場だ。龍神像の眼の色の変化で、天気がわかるのだが、あれだけ人が集まるということは、明日、豪雨でも降るのかもしれない。

「みたらしです」
「どうも。なんか広場に人が集まっていますね。雨でも降るんでしょうか」
「ああ、なんでしたっけ竜宮の使いが来ているらしいですよ。なんでも近いうちに局所的な大地震が起きるとか」
「ほう、いつ頃ですかね」

 そう聞いてから、みたらしを一つ頬張った。相変わらず美味しい。ここの団子は甘くて、柔らかくて、まさに糖を摂取しているという実感が湧いてくるので好きだった。茶店の娘は、少し考えるそぶりをしてからこう言った。

「さて、そこはなんとも。近いうちとしか聞いていませんから」
「なるほどね」

 近いうちというと、精々一週間以内だと思われるのだが、それはあくまで人間の基準である。妖怪にしてみれば一年や十年、もしくは百年くらいは近いうちに入るのかもしれない。生きる時間が違うのだから、あてにはならない。もしも私が妖怪と同じ時間の感覚を持っていたのなら、近いうちに死にますと、毎日のようにのたまっていたに違いない。死が常日頃、意識の傍に鎮座しているなんて、不治の病に罹った者の心境だ。辛いにもほどがある。とはいえ、少なくとも今は、一年を長いと感じられる感性で生きているから、これはただの妄想に過ぎない。生まれて死んでを繰り返しているのに、その時に生じるはずの恐怖や安らぎのの記憶だけは持ちえない。それで良いのだと思う。死を知り、根源的な恐怖を超越した瞬間、人の道を外れて仙人や仏となるのだ。
 みたらし団子をお茶で流し込み、お勘定を支払って、私は散歩を続けた。人ごみには行きたくなかったから、広場とは反対の方向へと向かった。




 陽が沈む前に屋敷へと戻った私は、汗を流すため食事の前に湯浴みした。
 寝間着に着替え、火照った身体が冷めてくる頃、私の脳はこれまでにないほど、回転していた。筆をとり、机へと向かう。食事も忘れ、小説を書き続けた。
 筆の速度が上がり時間を忘れる瞬間は、酩酊の感覚にも似ている。今宵、以前から書き連ねていた私の初期衝動に決着をつける作品を、完成まで持っていけそうだと思った。
 以前から寿命をテーマにした作品を書こうとは考えていたのだ。そのために永遠亭といくつかの里医者に取材して、幻想郷における医療の実情を知識として蓄えたり、死に面する者の想いを聞き、日記帳代わりに綴ってきたりした。
 骨組みは大体決まっていた。生き永らえたい五十五歳の老人と、早く死にたい十三歳の若者の話だ。若者は輪廻転生に美を見出し、老人はそれを虚無的で醜悪だと罵る。無論、この二人は社会の癌であり、彼らの死を悲しむ者はない。どこまでも寿命そのものに執着した話だ。
 いざ執筆にとりかかると、筆先にあかりが灯っているように感じた。闇夜を照らす星のように存在を主張し、光り続ける言葉を紡ぎたい。
 写実的かつ、醜悪さに向き合う私の陶酔を、アガサクリスQという名に間借りして、この世界に残してみせる。筆先で玉手箱を抉り、こじ開ける。これが最後になっても良いと思えるような、傑作を残してみせる。そう意気込んで、眠ることも忘れて、文章を綴り続けた。
 眼の下に隈をこしらえて、夜通し書き続けたというのに、結局完成はしなかった。しかし、終わりが見えてきた。あとひと月もしないうちに完成するだろう。

「ふぁ」

 欠伸がこぼれた。もう朝が来てしまった。
 机の端には小さいおむすびが二つ乗った盆があった。きっとあのしたたかな女中が持ってきてくれたに違いない。無言で書斎に入ってくるとは思えないが、そう言えば、生返事で応じたような気もする。よっぽど集中していたので、覚えていなかった。
 胃を落ち着かせるためにおむすびを頬張り、私は布団を敷いた。目覚めを促す陽光に舌を出すかの如く、襖をぴったりと閉めて眠りに落ちた。




 そして丁度ひと月が経ち、ついに完成した。
 本格的に着手したのはここ半年くらいだが、構想から数えると二年はかかっただろうか。初期衝動的な自己表現と自己陶酔と自己憐憫を煮つめた怪作を書ききった。しかし、傑作であることは間違いない。私の美学と知恵を詰め込んだ代物だ。表題は「閉幕」とした。
 書ききったと同時に、言いようもない充足を得ていた。この陶酔はしばらく続くだろう。まるで麻薬のように私を誘惑し、甘美な満足に浸ることを勧めてくる。何度読み直しても最高だ。文章一つ一つが幾何学模様のような美を孕み、餌を蝕む虫のように脳へと流れ込んでくる。紙と墨の上に私の真の死に場所を見つけたと、そう思った。
 もうすぐ夜だが、明日など待てない。夢に潜る暇さえ惜しい。私は迷惑を鑑みず、新聞屋にこの小説を届けようと思い、立ち上がった。
 束ねた紙を大事にしまって、書斎から出ようと歩を進めた時、地面が揺れた。
 大規模な地震だった。竜宮の使いがお告げに来たとは聞いたが、何もこんな時でなくてもいいだろうに。
 へたりと座り込んだ。揺れが収まるのを待てば良いのに、私の足は揺れる地を駆けようと必死だった。
 待つなど、とんでもない。明日の朝刊に掲載するには、今、行くしかないのだ。
 襖を開けようと手を伸ばす。枠が歪んでいて、私の力では開かない。
 なんてじれったい。私は急いでいるというのに。
 襖を開けるのに四苦八苦していると、背後から突如、嫌な音が鳴り響いた。おそらく本棚から本が落ちたのだろう、構うもんか。あとで使用人に直させる。それより襖だ。手をかけた瞬間、頭に衝撃を感じた。

「痛っ」

 頭を押さえて慌てて振り返る。わずかに血が出ていた。足元には茶葉の小さい缶が落ちていた。これが頭に当たったのだろう。意識があるということは、大した傷は負っていない証拠だ。安心して顔を上げると、一冊の本がこちらに飛んできているのがわかった。




 ああ、私は死んでしまったのだ。寿命すら迎えられずに、本の角に頭をぶつけ、気絶してしまったに違いない。打ち所が悪かったのか、それとも気絶しているうちに屋敷が倒壊して下敷きになってしまったのか、わからないが、死んだのは確かだ。その証拠に、私は三途の川を眺めていた。見たこともないのに覚えている場所だった。
 辺りには霊魂が迷ったように浮かんでいて、賽の河原では石を積み続ける子供の姿があった。伝聞通りの三途の川を眼の前にしているというのに、私は妙に落ち着いていた。自分でも驚くほどすんなりと現状を受け入れていた。

「よっ、そこの嬢ちゃん。寿命買って行かないかい」

 いくつも出店が立ち並ぶ中、怪しげに手招きする霊がいた。あれはおそらく詐欺の霊だ。人を見る目だけが優れていて、その人が欲しいものを当てることができる。欲求に付け込んで金儲けを企んでいるようだが、残念ながら私は馬鹿ではないのだ。しかし、寿命などという形のない物をどうやって売るというのだ。少し気になってしまう。

「お嬢ちゃん、気をつけな。あれはどうしようもない詐欺師だよ」
「わかってます」

 背後から声をかけられたので振り返ってみると、赤髪の死神がいた。彼女も見たこともないのに覚えている。

「おお、あんたは稗田の。そうかもうそんなに経つんだ……なぁ? ん?」
「いえ、不慮の事故なんです。悔しいものですね」
「ああそうか、それは気の毒に。まあ、あんたなら徳も十分に積んだだろうから、すぐに送ってやるさね」
「それはどうも」

 死神は小野塚小町と名乗った。言われるがままに船に乗ると、小町はゆっくりと漕ぎ出した。

「しかしなんだね。あんたも災難だね。ただでさえ寿命は短いんだろう」
「仕方のないことです」
「寿命が欲しくなるのもわかるけどね。あの霊は馬鹿だから、死んでも悪癖が治らないんだ。病気みたいなもんだから誰も止めないのさ。許してやってくれ。他の奴らはまっとうに商売しようとしてんだよ」

 賽の河原で露店を出す霊は多い。川を渡れない者が、渡し賃を得るために善行を積むのだとか。中には先ほどの詐欺師のように生前の癖が抜けずにいる者もいるようだ。
 しかし、どうにもこの死神は私があの詐欺に引っ掛かりかけた間抜けな死人に見えているらしい。確かに興味はあったが、取引を行うほど私は取り乱してはいないというのに。

「ええ、わかっています。彼らも必死なんでしょう」
「随分落ち着いているね。それになんか生気を失ってない感じだ。あんた本当に死んだのかい?」
「でなければ、なぜここにいるのです」

 取り乱さないのは、もしかすると稗田家が何度も死を経験しているから、せめてその度に恐怖に呑まれないように、というあちら側の配慮かもしれない。もしくは耐性がついているか。いや、そんなはずはない。現に私は、死を克服などできていなかった。なぜ、こんなにも落ち着いているのか、わからない。

「そりゃそうなんだが、普通さ、命のろうそくが消えた奴はもっと……まあいいか。あたいにはわからん。裁くのは四季様だし、関係ないか」

 死神はゆっくりと船を漕いだ。喋り好きのようで、川を渡る間、随分ととりとめのない話をした気がする。
 上陸して、裁判所の門をくぐり、しばし待った。長い時間待たされたような気がするが、時計がないから、どのくらい時が流れたのかわからなかった。この待ち時間がもどかしい。色々と無駄にしている気がする。せめて本でもあれば。高望みというのなら紙と鉛筆でもいい。それさえあれば、新しい小説の案を書き留めることができるのに。と、そこまで考えて、死んでからものを考えることの間抜けさに気づいた。
 しばらくすると案内の死神が来て、閻魔様の元へと連れて行ってくれた。
 結論から言うと、私は死んでなかった。死んだと思って精神が飛び出してしまったらしい。俗にいう幽体離脱である。転生の過程で何度も川を渡っているものだから、迷うことも戸惑うこともなく三途の川に来てしまったのだ。なんとも間抜けな話である。思い返してみると、おかしな話である。本一冊が頭に当たったくらいで死ぬものか。あの程度の揺れで屋敷が倒壊するとも思えないし、よしんばそうだとしたら、里で死人がわんさか出るはずだ。だけど三途の川はそれほど混み合ってはいなかった。よほど錯乱していたに違いない。小説を完成させた瞬間の享楽を、天災によって崩されたものだから、心が不安定になっていたのだ。
 閻魔様に現世に帰れと言われたものだから、幽体の感覚を楽しみながら里へと戻った。寿命売りの露店に立ち寄ろうかと思ったが、はたから見たら滑稽だと思い、やめた。
 里は喧騒に陥り、地震をまるで終焉のように捉えて喚いている者もいたが、その割には倒壊した建物も少なく、復興は時間の問題だと思う程度に崩壊していた。私の屋敷も無事で、窓ガラスが一部割れてはいたが、大した被害ではなかった。
 私の身体は部屋に閉じ込められてはいたが無事だった。飛んできた本は一冊だけだったようで、気絶した後に何かが飛んできて傷ついたわけでもなかった。五体満足である。
 身体に幽体の自分を重ねると、溶けるように元に戻った。頭の傷がひりひりと痛むけれども、些細なことだ。生きていることは素晴らしい、そう思ってみた。




 私の集大成とも呼べる小説の売り上げは、芳しくなかった。地震の直後ということもあって、里は復興作業に忙しく、人々が本を読む暇がなかったのもあるだろうが、それでもアガサクリスQという名の影響力はこんな程度かと、落胆した。
 評価のほうも、私は賛否両論が巻き起こることを期待していたのだが、狂乱の火付け役にはなりえなかったらしく、定型文のような感想が一、二通届いただけで、私の意図を汲み取った者もなければ、邪推して嫌悪感を抱く者さえ現れなかった。相変わらず、小鈴からは「面白かった」という感想文が送られてきたが、正直、見る目がないのではないかとすら思った。小鈴は大衆が評価しないものも、面白いと評価するようで、妖魔本集めの趣味なんかはその筆頭である。かといって大衆の娯楽小説を嫌うわけでもなし、つまり彼女は雑食なのだ。悪食とも言える。だから、小鈴の評価はあてにならない。
 あれ以来、筆をとるのが面倒だ。あれほど熱意をもっていたのに、どうにも気分がさえない。
 口が堅いだけが取り柄の里医者にかかってみると軽い鬱だとにべもなくいうものだから、淡白な事実を突きつけられてる気がして、それを容易く信じ込んだ。休養がよろしいとも。一応抗うつ薬も処方されたが、あまりにも副作用の口喝がひどく、水中毒になる姿を容易に想像できてしまったので飲まないようにしていた。
 だからここしばらくは休んでいる。永遠亭にでも行けば、もう少しまともな薬が処方されるかもしれないが、目立つような真似はしたくなかった。竹林に赴けば、多少なりとも人目についてしまうことは必至である。行商の薬を買うという手段もあったが、一回目の薬があまりにひどかったので、薬そのものを忌避するようになっていた。
 鬱について、屋敷にある書物で軽く調べてみると、症状のほとんどが当てはまっていた。怠い、気力がわかない、今まで楽しめていたことがつまらないと感じる。ついでに言うと体力も落ちたようで、本で見た限りでは老年性の鬱に近かった。
 だけど軽い鬱だから別に辛くもない。執筆作業がそこまで楽しく思えないだけで、ものを書けないわけじゃない。使用人とのやり取りは面倒だけれど、不可能ではない。だけど休んだ方が良いと思ったから休んでいる。
 使用人たちはあのしたたかな女中を筆頭に、病気を隠しているようだった。私が気狂いのように叫び、暴れたのなら、座敷牢に閉じ込めて、嘆きの一言でも漏らしたのだろうが、生憎そうではない。私自身が閉じこもりがちになっているため、隠匿するのは容易だろう。そこのところは迷惑をかけずに済んで良かったと思う。そもそも、鬱になった時点で迷惑なのだが、それを思うと余計気が滅入ってくるので、できるだけ考えないようにしていた。
 眠くもないのに眼を瞑ると、思考が浮かび上がっては泡沫のように消えていく。こういう時は散歩がよろしいのだが、今の私には外に出る気力がなかった。つい、怠惰に身を任せてしまう。
 ふと閻魔様の言葉を思い出した。事務的な話の後に、妙に親し気な声で話すものだから、こんな問答をしたのを覚えている。

「さて、事情は呑み込めましたかね。手続きはしておきますので、現世にお戻りください。しかし、あれですね、御阿礼の子は数多く見送ってきましたが、こんなことは初めてかもしれないです」
「はあ、そうですか」
「どうですか、せっかくですし、私の説法でも聞いていきませんか」
「いえ、ありがたいのですが結構です。わざわざお手を煩わせるほどでは」
「随分と生き急いでいるようですね。良きことです。しかし、暇を謳歌し娯楽にふけることもまたひとつの善行なのですよ。役割をまっとうしたうえで、新たな知見を求め見聞を広めることは、人を進歩へと導き、代謝を促すのです」

 ねじ込まれた。結構だと断ったのに、なんという意地だ。
 閻魔様はまるで菩薩のような微笑を浮かべているようではあるが、今の私には、ニタリという擬音が似合う厭らしい笑みにしか見えない。
 帰り足、小町から閻魔様の説教についての愚痴を聞かされたので、私は大いに同調した。なんでも、真正面から気合を入れて説教しようとすると、大抵の者は勘づいて逃げてしまうことに気づいたらしく、最近は会話に流れに乗って自然と説教できるよう、意識しているらしい。目的と方法が逆転しているが、最後に小町はけらけらと笑って「まあ、あの方なりの娯楽だから許してやってくれ」と言った。なんて良い部下なのだ。
 なぜこのやりとりを思い出したかというと、あの時は面倒だと流していたが、今になってみるとあれは的を射た忠告だったのかもしれない、と感じたからだ。随分と私は生き急いでいた。その反動が来て、鬱という病気に罹ってしまったのだ。
 別に死にたいとも思わないけれど、生きなくてもいいかなと、考えるようになった。何をしても面白くないのが目に見えている。情熱はどこへ消えたやら、きっと最後の小説を書いた時、原稿用紙の中に置き去りにしてしまったのだ。
 大地と共に心が揺れたあの日に死ねていたら、きっと美しかっただろうに。すべてを出し切って朽ち果てる、その方が劇的ではないか。嗚呼、私はいつの間にか死にたがりになっていた。きっと本が飛んできた瞬間、アガサクリスQは、しめたと思ったのだ。ミステリの死体のように謎めいてはいないけれども、それでもあの場面は十分劇的だったはずなのだから。だから勝手に飛び出して、三途の川まで行ってしまった。早とちりというよりも、無意識にそれを望んでいたのかもしれない。黄泉の道は一方通行なのに、私は帰ってきてしまったのだ。
 郵便受けはいつも空っぽだった。尤も、届いたところで、読む気力すらないかもしれない。いつも応援してくれる読者を、視覚的に感じ取れなくなったのは、悲しいことであるはずだけど、思っていたよりも辛くなかった。それを自覚した瞬間、唐突に寂しくなった。胸に穴が開いたような、とはよく使う表現だけれど、がらんどうの身体には、喪失感に比例して湧き上がるはずの悔恨や渇きすら残ってはいなかった。ただただ寂しい。誰かに寄り添って欲しいのに、それを願うのも億劫であった。




 ある日、小鈴からの手紙が届いた。アガサクリスQのファンではなく、私の友人としての小鈴からの手紙だった。尤も、その境界は彼女にしてみれば曖昧なのだろうけど、なんだか嬉しくて、久しぶりに文章をちゃんと読む気になった。

「元気? なんか皆阿求の事心配しててさ、病気になったって噂だったし、私も心配だよ。もしかすると誰かと会えない状態なんじゃないかって思って、手紙にしてみたんだけど、話もしたいし、よかったら返事くれない?」

 率直に言うなら、ひどい内容だ。まず私が病気であるという噂が流れているのは仕方がないとして、それを本人に伝えるのはいかがなものかと思う。噂というものは真実性がないから噂なのであって、手を付けられないほど成長してしまったのならともかく、霧散するまで放っておくのが最善なのだ。使用人たちも必死で隠匿しようとしているのに、それを本人に伝えてしまっては、陰口を告げ口するようなもので、こちらとしてもあまり気分が良いものじゃない。
 さらに返事くれない? とは何事か、私がもしも重篤な病気なら返事など書けるわけがないではないか。それに返事を書くにしろ、なんと返せば良いのだ。あまり元気ではないとしか返せない。もしも文通をするつもりなら、もう少し話題を振るとか、なんと返して欲しいのか具体的に書くとかして欲しいものだ。
 そこまで考えて、今私が恐ろしく自分本位でものを考えていることに気づいた。小鈴にしてみれば、ただなんとなく心配だから文を送っただけなのだろうし、悪意の欠片もない文面に勝手に猜疑を見出したのは私なのだ。小鈴は何も悪くないのに。またしても寂寥感が込み上げてきた。そう言えば小鈴ともずっと遊んでない。

「遊びに来ないかなぁ」

 そう呟いた。ふと窓から外を見ると雲一つない晴天であったが、それでも出かける気は起きなかった。




 昼も夜も眠い。身体を動かしていないはずなのに、気怠さが圧し掛かっていて、布団から出られない。食事もあまり摂れていない。朝食は何を食べただろうか、覚えていない。記憶力だけは誰よりもあるのに、最近は物忘れが激しくなった。いや、きっと忘れたわけではない。興味がないから記憶に残せないだけで、私の求聞持の能力が病魔ごときで衰えるはずがないのだ。では昔のことならどうだろうか、私が好きだった茶店の団子の味、あれなら思い出せる。甘くて、柔らかくて、ふわりとみたらしの香りがして、そして……ああ、思い出すのが面倒になってきた。きっとこれもたぶん鬱のせいだ。
 ぼんやりと、かちかち動く時計の針を見つめていると、いつの間にか夜になっていた。
 夜だから眠らなくちゃいけない。そう思って、布団の中で眼を瞑った。意識は覚醒していたが、思考はあまりまとまらず、靄の中を歩いているような浮遊感があった。
 襖の滑る音が聞こえた。使用人が食事の盆を下げに来たのだろうか。起きる気もなかったが、聞き覚えのある声がしたので、私は眼を開いた。

「阿求、もう寝たの」
「寝てないわ」

 小鈴がいた。一瞬夢かと思ったが、掌に伝わる布のさらさらした感触や、ちらちらと揺れている行燈を見て、これが現実だとわかった。
 丁度良かった。小鈴となら、お喋りができる気がした。

「何しに来たの」
「いや、心配でさ。様子見に来ちゃった」
「来ちゃったって、夜だし、鍵閉まってるはずだし」
「なんか、阿求の友達って言ったらおばさんが開けてくれたよ」

 あのしたたかな女中の仕業に違いない。私はなんだか嬉しくなった。
 小鈴とたくさんお喋りした。本の感想、最近の里の様子、自分のこと、なんでもないことを思いつくままに話した。普段なら伝わるだろうと思って、言わないことも口にした。

「いつも本の感想ありがとね」
「あーうん、どうも」
「でもさ、無理に書かなくても私に直接言えばいいじゃない」

 小鈴の感想は決して文章でしか表現できないようなものではない。むしろ口にして、表情や声色を乗せたほうが伝わるはずだ。反論するかのように小鈴はこう言った。

「だってさ、前言ってたじゃん。文章が残るみたいなこと。私もそうだなぁーって思って、阿求が忘れないようにさ、書いた方がいいかなって」
「私は忘れないけどね。一言一句」
「あそっか、いやまあそうかもだけどさ、いいじゃん。私が伝え忘れるかもしれないし」
「まいいけどね。ありがと」
「どういたしまして」

 同じ話題の中でありがとうと二回も伝えたのは初めてかもしれない。私は一言に意味を要約し、すべてを伝えたつもりになるきらいがあるから、よっぽど嬉しいと感じていたに違いなかった。話題は移り、里で流れている噂の話になった。なんでも私は不治の病に侵され余命幾許もない状態であるという。私はちょっと笑って、こう言った。

「違うよ、私、鬱病なんだって」
「ええーそうは見えなかったけどな」
「本当よ。最近本も書けてないのよ」
「そう言えばそうだね」

 少し考え込む仕草をして、小鈴は続けた。

「まあ頑張ってよ。楽しみにしてるから」

 鬱に「頑張れ」は禁句なのだ。下手な罵声よりも傷を抉ると、本に書いてあった。なのにずけずけと言ってしまう小鈴はもう、どうしようもない。やはり見る目がない。観察眼も、美意識も、何もかもである。
 だけど嬉しかった。単純に、心配してくれてありがとう、と思った。ということは私は鬱じゃないのかもしれない。頭でっかちになるまで、ひたすらに詰め込んだ知識ばかりに囚われていたから、自由な発想ができずに、窮屈な思い込みをしていたのかもしれない。うん、私は鬱じゃない気がしてきた。小鈴とお喋りに興じていると、ますますそう思うようになった。

「じゃまたね」

 小鈴が帰ってから私は久しぶりに筆をとった。物語は何も絞り出せなかったから、日記を書いた。忘れないからつける必要がなかった日記を、今日はできるだけ頑張って書いてみた。
 一刻ほどで書き終わったが、なるほどこれは、ひどくつまらない。穏やかで、特筆することがない。感情が揺さぶられるわけでもない。家から出ていないから、余計そう感じるのだろう。やっぱり虚構が楽しいや。




 一週間もすると、執筆作業の気力が戻ってきた。
 鬱はやっぱり嘘だった。本来、鬱病は治るまで時間がかかるらしいけど、今がこんなにも楽しいのだから、それは嘘だとしか思えなかった。小鈴に何を読ませようか。それを想像するだけで、筆が乗る。彼女は次の小説を楽しみにしていると、そう言った。それだけの言葉だが、何万語費やした賛辞のファンレターよりも鮮明に覚えている。
 文章を紡ぐ。この表現は小鈴が好きそうだ、とかこの展開なら度肝を抜かすだろうなとか、彼女の声や仕草ばかりが脳裏に浮かぶ。まるで小鈴に想いを寄せた恋文のようになってしまうのではないか、そんな危惧すら抱いた。だけれど、とても楽しかった。あの嘘っぱちの鬱が暗闇だと仮定するのならば、小鈴の存在は私にとって、ぽつんと、しかし力強く灯ったあかりだった。夜を飛ぶ虫たちが月明かりを目指すように、私はそのあかりを頼りに筆を走らせている。
 そう言えば、小鈴が眼をらんらんと光らせて語るのは妖魔本のことばかりだ。私の小説にはいつも感想をくれるけど、あんな情熱的な語り口ではない。少なくとも彼女にとって、妖魔本は魔性の魅惑でいっぱいなのだ。嫉妬してしまう。本に。嫉妬の炎で妖魔本が焼き焦げるまで、この感情は収まらないだろう。下手をすると、私の命のろうそくよりも長く燃え続けるのではないか。
 いつか、記憶の領域の一部を奪ってやる。でんと鎮座して、一言一句が光を放ち、その閃光が眩しさ以外をすべて忘れさせるような、そんな小説を書いてみせる。あなたが私にそうしてくれたように、あなたが道に迷った時は私が煌々と先を照らしてみせる。
 今ならできる。いやきっと明日も、明後日も、死ぬまでに間に合うはずだ。
 書ける。今ならいくらでも。
 ほら、あっという間に一章が書き上がった。
 ああ小鈴ごめん。あなたは見る目あるよ。私の作品は全部面白いもん。
「つつがなく日々は繰り返されて行く 抗えぬ波に飲み込まれて行く」あかり from HERE~NO MUSIC,NO LIFE.~クラムボン feat.THA BLUE HERB
 そんな感じのあきゅすずでした。

~次回予告~

「懐にもち米を」

「天災が起こります」竜宮の使いがそう告げた次の月、里を未曾有の大地震が襲った。揺れが鎮まった後、本居小鈴は友人である稗田阿求の安否を確認するべく、稗田の屋敷へ踏み入った。書斎には友人の死体があった。懐にはもち米が……不思議に思うのもつかの間、地震で荒れたというには不自然なほどに整った状況、明らかに人の手が加わっていた。事故か殺人か自殺か、謎が謎を呼び、徐々に疑心暗鬼に陥っていく。巨匠アガサクリスQが描く新作。

登場人物
稗田阿求 稗田家当主
本居小鈴 見る目のある友人 
小野塚小町 喋り好きの死神 
四季映姫 説教好きの閻魔 
紅ひげ 口の堅い藪医者 
おこと したたかな女中 
永江衣玖 地震を知らせた竜宮の使い
おぎん 糖分過多の茶店の一人娘
弥兵衛 三途の川の詐欺師

アガサクリスQ先生の次回作にご期待ください!
灯眼
https://twitter.com/tougan833
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コメント



0.220簡易評価
2.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
5.100Actadust削除
阿求が執筆と周囲の反応でやきもきしている感じ、やるせなさともどかしさみたいなものがひしひしと感じられて好きです。楽しませて頂きました。
7.90名前が無い程度の能力削除
最後の一文が最高ですね。
色々と悩んだ後の着地点が、一番の相手を考えて筆を取ることで解消されて、熱量が爆発するという流れが良かったです。
あきゅ
すず
8.100名前が無い程度の能力削除
とてもよかったです
9.100めそふ削除
いやぁ本当に面白かったです。
自分が小説を書く立場になったからこそ、阿求が小説を書いている時の気持ちがよく理解できて、自己投影と言いますか、とにかくそれも相まってこの物語に本当に入り込めました。ありがとうございました。
10.100南条削除
とても面白かったです
小鈴に会うだけで元気いっぱいになっちゃう阿求が素晴らしかったです
阿求の執筆への熱量も最高でした
11.90UTABITO削除
 自分もたまたま別視点から「語り継ぐ」ことをテーマにした小説を書いていたので、読んだ時ちょっとびっくりしましたw
 小説を書く時の姿勢と、その反応についての期待・感情の浮き沈みについては自分にも共感出来るものがありました。何となく、他人事とは思えない…自分も反応とかどうなのかな、というのが気になって何回もコメント見に行ってしまったりするので…
12.90名前が無い程度の能力削除
これはいいあきゅすず
13.100水十九石削除
率直に言ってしまえば、物を書く人間でこの作品が刺さらない人は中々居ないだろうとさえも思わされる作品でした。
阿求という幻想郷住人の視点を借りながらも創作活動での気分の高揚や苦悩を委細丁寧に紡ぎ上げ、再起へと至るまでの道筋までもを読者に語り掛けるかのように気持ち良く伝えてくれる。それなのに小鈴と来たら楽観視はするしデリカシーは絶妙に欠けているし、でも阿求にとっては大切な友人で自らの二重思考を知っている理解者で率直で。
この物書きと感想書きの二人三脚が痛快で、かつ露悪的な部分の一切を欠いている温かさがあって、阿求と小鈴の関係性の物語としても見てもとても楽しめたものです。

まあ自分は寧ろ感想を書いてファンレターを投函する側ではあるのですが、作品を数作書きかつ一作100kb弱書き上げて満足した事のあった身であるが故に、作中の阿求の情熱の喪失に対して思う物があったのです。
心に創作を行う時の機微が染み付いてしまっていて、書いてはいなかったあの頃には戻れない。記憶の層が積み重なるように、喩え紺珠の薬を飲んでいたとしても同じ動きは二度と出来ない。自分の創作活動はあそこで全衝動を置き去りにして終わってしまったのだ、と言われてしまえば事実そうなのかもしれないとも思わされます。全てを出し切って果てるという浪漫と、そうはならなかった現状。
でもやっぱり何かするってのはとても楽しいんですよ。阿求が作中で『やっぱり虚構が楽しいや』って思い直せたように、どこかで転機が訪れてまた新しいスタート地点から始められる。
だからラストの『いつか、記憶の領域の一部を奪ってやる。』から始まる啖呵切りが凄い好きなんです。いつまでも鮮明に人の記憶を彩り離れない、そんな作品といつかまた巡り逢いたいと思うのは性でしょうか?もしくは書き手に一生刺さり続け色褪せない感想を送ってみたいと思うのもまた性でしょうか?それが寿命という確約された運命と一心同体に進む阿求というキャラクターであれば尚更。
『ああ小鈴ごめん。あなたは見る目あるよ。私の作品は全部面白いもん。』という最後の一節には、そんな阿求の将来への希望が満ち溢れているようでとてもお気に入り。
アガサクリスQという立場も火付け役としての鼻高々さも関係無しに小鈴の感想を待ち望み自分の作品に胸を張って誇れる、そんな姿で終わるこの作品にはカタルシスの語源の通り、心が洗われたのかもしれません。

読了までに至る自分自身の葛藤も含めてとても読み応えがあり、面白く気持ち良く読ませて戴きました。
阿求の語りも小鈴のお調子者加減も作品主軸の扱いも、互いが互いの良さを殺さずに高水準で纏まっており、自分の立ち位置がちょっとでも違えばまさしく記憶の一部に鎮座し続ける程の作品であったと思います。
ありがとうございました。次の作品を楽しみにしております。
14.100ローファル削除
面白かったです。
阿求が立ち直るきっかけが大切な小鈴からの「頑張れ」なのが
とてもよかったです。