春うらら。陽は眩しく、命あふれる幻想郷は今日も豊か。青々しい自然の中で陽気さに包まれて、蝶と妖精がダンスする。
そんな誰もが浮かれる青空が素敵な日に、八雲紫は死んでいた。
屋敷の居間で畳の上に、生気のない目をしてうつ伏せで倒れ込んでいた。
八雲家殺妖事件である。
「…………眠りたい。冷房をガンガンに掛けた部屋で厚手の布団にくるまって半世紀くらい眠りたい」
訂正、死んだ魚のような眼をしてるだけで別段死んではいなかった。
ほっぺに畳の後を付けようとしながら、虚ろな目をした紫は小さく開いた口から呪詛のような言葉を立ち昇らせる。
「泥のように眠りたい。いやもう泥になりたいわ。私の体はドロドロの泥になって幻想郷と一体化して永遠の虚無を過ごすの。そうすれば一切の雑務から開放されるの。ウフフフフ……」
妖怪の賢者とまで呼ばれるパーフェクトレディやくもゆかりちゃんがこうなったのには、それこそマリアナ海溝より深い理由がある。
幻想郷における彼女の役割は実は多義に渡る。外界から流入してくる物品の選別、幻想郷各地の監視、パワーバランスの調整、結界の管理、古くからプレイしてるソシャゲのイベントと新作ソシャゲのスタートミッションetc......。
数多くの仕事と半ば義務と化した趣味などがタイミング悪く折り重なった修羅場の末、美少女ゆかりんの精神は限界に達してしまったのだ。
開け放たれた縁側から降り注いでくる陽光の暖かさも冷え切った心には届かず、着替える気も起きない仕事着(道士服)がズッシリと身体に圧しかかる。
しんどい、きつい、だるい、えらい、こわい、怖いといえば饅頭と睡眠。眠ったまま饅頭放り込まれて甘さを堪能する仕事だけしていたい。噛むのも面倒だからミキサーにかけてペースト状にしてから流し込む役が誰か欲しい。
まとまりのないネガティブワードを頭の上にポワポワを思い浮かべながら、ぼんやりと畳の目を数えている。
あー、これヤバいわー。参ってるわー。もう精神状態が720度くらい回って今なら世界の真理に辿り着ける気がするんだけどそこらへんどうなのかしら? そんな支離滅裂な気分でいると屋敷周辺を警戒する探知術式に妖力が走り、紫の脳内に『ピィーン』という耳鳴りにも似た警報を届けてきた。
遠くに感じられる切り裂かれた空間の気配。八雲家を覆う隠蔽結界が何者かの手によって破壊され、外敵の侵入を許してしまったことを知らせてきているのだ。
常に影に隠れて世を伺うべし妖怪の賢者であるならば、看過すべきでない異常事態――――であるはずだが、紫はなーんにも変わりなく畳の上で死に続けていた。
ハイハイ、どーせアイツでしょ。いい加減慣れたわ、いつものやつよ。そんな自堕落で投げやりな背中に、あの甲高い叫びがの突き刺さってきた。
「こう良い日が続くとひと暴れしたくなるな紫! この偉大な天人様の準備運動に付き合わせてやりにきたぞ!!」
無駄に尊大な口上の直後には、落下してきた要石が庭に穴をあける『ドズーン!』という音が轟いてくる。荒れた庭に後で藍が怒るだろうに、自分は知らないぞ。
立ち込める砂煙から帽子を押さえながら颯爽と現れてきたのは、ご存知迷惑天人の比那名居天子嬢であった。
家まで震わせる地響きを体感した紫は、仕方ないと溜息を吐きながらも起き上がろうとする。
「決してお前みたいに絡む友達がいないわけじゃないぞ! 衣玖も紫苑も用事でいないから暇をしてたわけとかではないからな!」
あっ、やっぱヤメ。寝とこう。
紫は再び倒れ込むと、庭も一瞥もせずにほっぺた膨らませてふて寝の体勢に突入した。こちとらしんどいのだ、こんなやつに構ってられるか。
決して自分が3番目の候補だったことにちょっと拗ねてるわけじゃない。こんなわがまま娘を相手に嫉妬する理由なんてないもん。
その視界に割り込んで、顔を覗かせた天子がまんまるな緋色の目で紫のことを見つめてきた。
「どうした妖怪。年甲斐もなく変な顔をして?」
紫は視線をわずかにも動かさず、両頬に餅を膨らませたまま頑なに寝たままの姿勢を崩さない。
大人の賢者も今日は休みだもん。おバカな小娘を相手にする暇なんてないもん。
あー、喋るのもしんどいわー、思考するのもイヤだわー、呼吸するのもめんどくさいわー、などと脳内でわざとらしく考えている紫を前にして、天子は密かに偉そうな天人の仮面を外し、”おてんば”な顔でニッと笑う。
そうして妖怪の困ったちゃんに対する有頂天の困ったちゃんは、一度離れてからグッと腰を落として走り出すと、助走をつけて紫の頭上に飛び上がってきた。
「ホラ起っきろー! ゆっかりぃー!!!!」
「ふげっブゥッ!!!?」
プロレスラー顔負けの大胆不敵なボディプレスが、死に絶えていた紫の息を強制的に吹き出させた。
ボキボキと背骨を鳴らして哀れな断末魔を上げた紫は、甚大なダメージに体をピクピクと震える。
しかし死にかけの体に活を入れて気合で起き上がると、全身から怒りを漲らせて天子のド頭をふんずと鷲掴みし、血管を浮き立たせて睨みつけた。
「て・ん・しぃ~~~……!!!!! いきなり何をしてくれてくださるのかしら、そのお行儀の悪い舌と手脚をもいで柱に貼り付けてみるぅ!!?」
「あっがががががががが! ちょっ、頭がミシミシ言って……イダダダダダダダダッ! 割れる! 割れる!!」
必殺の意志のアイアンクローとともに溢れる妖気は、並の妖怪なら即死しそうなほどドス黒い感情で濁っていて、けれども無駄に頑強な天人様には頭をジタバタさせる程度に過ぎない。
あぁこのへこたれなさが憎たらしい。紫は怒り収まらないものの、これ以上のおしおきをするとなるといつかの神社よろしく自宅が巻き込むことになるので、この程度で手を離してやった。
すると開放された天子がジンジンと痛む頭を押さえながらも、ニッと歯を見せて嬉しそうに笑ってきた。
「へへっ、やった。元気になったじゃない」
その着飾らない笑顔に、薄暗い気持ちを跳ね除けるほどの眩しさに、見下ろしていた紫は一瞬目を奪われてしまった。
しかしすぐに気を取り直して浮ついた気持ちを恥じると、満足げな天子の額に扇子を突き立てた。
「あいたっ」
「やった、じゃないわ。人が優雅な休息を楽しんでいたというのにブチ壊してくれて」
「ウソつきなさいよ。間違って地上に出たミミズのほうが、さっきのアンタよりマシな人生送ってたわよ」
あっという間に騒がしくなりだした空気感に紫は「はぁ〜」とため息を吐くと、スキマから肘掛けを引っ張り出して、扇子を仰ぎながらくつろぐ体勢を見せつけた。今日の私は一筋縄じゃ行きませんよー、のポーズだ。
どうせこの天人のことだ、雑に扱ったところで大人しく帰りはしまい。だからこそ厄介ではあるのだが、気兼ねなく物申せば良いのはある意味で楽だ。
「あなたが暇なのはわかったけど、こっちも疲れてるからまともに相手なんてしてあげられないわ」
「むぅ、早速怠惰モードね。せっかく高貴な天人が来てやったのだからお茶くらい出したらどうよ? ホラホラ〜?」
「人ん家の結界ブチ破って押し入ってくる不審者にはぶぶ漬けだって惜しいわ。欲しければ自分で淹れてきなさい、台所はアッチ」
「場所くらい知ってるわよー、だ」
紫がご丁寧に扇子で廊下の先を指してやると、天子はいらぬおせっかいだと不満げな声を上げた。
神社再建&再倒壊の因縁のころから紫のことを目の敵にしてくる天子は、何かと結界を破って屋敷に侵入してはちょっかいを掛けてきているのだから、家の勝手は知っているのだ。
紫のわかった上での親切にツンとした態度になった天子は、一人で台所へと向かっていく。その様子を紫がスキマから眺めてやると、案の定台所を前にした天子が迷っている姿が見えた。
彼女が足を止める理由が何なのか、予想が付いていた紫はスキマ越しにニヤケ面で声をかけた。
「さぁて、世間知らずのお嬢ちゃんに台所の場所はわかっても、お湯の沸かし方はわかるかしら?」
「馬鹿にしないでよ、それくらいできて当然でしょ!」
紫の馬鹿にしてくる気配を感じ取り、天子は鼻息を強くして言い返してくる。
確かに、常識知らずの天人とは言え、ここが普通の家ならばお湯を沸かすくらいはできるだろう。しかしながら八雲家の台所は一般的な幻想郷とは文明力がまるで違うのだ。
当然のように水道完備。火を使うならIHクッキングヒーター。食材とお酒の入った冷蔵庫。米を炊くなら炊飯器。他にもミキサーにオーブンに、デジタル式のタイマーに計量器。
幻想郷住まいの一般天人には厳しい環境と言えるだろう。
天子は慎重な視線で台所に置かれている器具を一つ一つ辿っていく。
どうやら水道に関しては理解しているようでひとまずコップに水を注いだが、まだ電気ケトルの存在に気付いていない。
しかし天子は閃いた顔で軽快に指を鳴らして電子レンジを見た。
「確か藍は食材を温める時にこの箱を使ってたわね! ここに水を入れて……」
「はい、ストップ。なんとなくそんな予感はしてたけれど。ダメよそれ、最終的に爆発するから」
コップを手にレンジへ近づいた天子の肩を、台所にワープしてきた紫がガッシリ掴む。
電子レンジのように静かに温められた液体は沸騰せず過加熱状態になり、コップを手に取るなどして衝撃を与えた瞬間に激しく沸騰する『突沸』という現象が発生し、爆発するように熱湯が飛散ることがあるのだ。良い子のみんなは気をつけようね。
引き止められた天子はキョトンと目を丸くして質問を返す。
「えっ、爆発? 水が? マジで?」
「マジよ」
「………………」
「………………」
「面白そうだから試す!」
「やめなさい!!」
割と本気の天人パゥワーでレンジにかじりつこうとする天子に、紫も疲れた体にむち打っての全力ホールドで対抗する羽目になってしまった。
最終的にはコップを取り上げられても抵抗する天子に渾身の卍固めを決めて、「ギブ! ギブ!!!」とまで言わせてることで阻止に成功した。
「お湯を作るならレンジじゃなくてこっちの電気ケトル! 湯入れてスイッチ入れれば数分で沸くから」
「ほほーう、便利ね外界製品」
疲れてる時に無闇におちょくるんじゃなかったと紫は後悔しながらも、ちょっとお高めのガラス製電気ケトルに水を入れて、常備してる茶葉に合わせて80度でセットした。
数分もせずに容れ物の中で水がゴポゴポと小気味のいい音を鳴らし始めるのを見て、天子が「おぉー、はやーい」と感嘆の声を漏らす。
「さーて、おっ茶ー。おっ茶ー♪ 紫、高い茶葉を寄越しなさい!」
「ハイハイ、粗茶ですがお使いください」
「ちっ、ケチ妖怪め。しょーがないわね、これで勘弁しといてあげるわ」
いつも家族で使っている煎茶の缶を渡されて、天子は文句を言いながらも鼻歌交じりでお茶を淹れる。
意外と手際よく用意を整えた天子は、食器棚の湯呑を二つ取り出して急須から注ぐと、湯気の立っている緑茶を紫の前にも差し出した。
「ハイ、アンタの分!」
「どうも」
こういうところは素直に分け合う二人は、ホカホカのお茶をすすって熱いため息を吐き出した。
「「ズズッ…………ハァ~~……」」
舌を楽しませる程よい苦味。天子は中々のお茶を淹れてくれていた。
体を温めてくれるお茶の恵みに二人は揃って手足を垂らし、幻想郷屈指の実力者とは思えないだらしない姿を椅子の上で晒した。
「あぁ~、疲れた体に染みて生き返るわぁ……あなたって、意外とお茶は上手なのね」
「ふふん、天界の暇さ加減を舐めるんじゃないわよ。一人でやれることは大概やり尽くしたわ」
「急に悲しくなること言わないで」
茶の腕前を自慢した天子は、湯呑に口をつけながらキョロキョロと台所を見渡した。
その様子を小動物みたいで面白いなと紫がボーッと眺めていると、天子は椅子からピョンと飛び降りて、壁際に並べられたレシピ本コーナーに近づいた。
「おかずの献立にお弁当、おつまみ、洋食、中華……けっこう色んなレシピがあるのね」
「藍は研究熱心だもの。おかげで助かってるわ」
「主人よりもできた部下よねー」
小生意気な口を挟みながら天子は一冊の本を手に取った。
パラパラとページがめくられる本の表紙には、明るい文字で『おやつを彩るお菓子のレシピ集』と書かれていた。
「洋菓子か……」
何かを考え込むような深い思案の呟きが、紫の耳に届いた。
動きを止めて本を読む天子を眺めて、紫が頬杖を突いて話しかける。
「気になるかしら? 今度の暇つぶしはお菓子作り?」
「……せっかく地上に来たんだ、暇を潰すなら他所に行くさ。そうじゃなくてだな」
再び天人の顔をして硬い喋り方をする天子は、真っ直ぐな瞳でレシピを見つめながら言葉を紡ぐ。
「自分で言うのもなんだが、私は感情が普通のやつより激しくて、行動が突っ走りやすいからな。誰かのために何かをしてやりたいと思っても誤解されやすい。でも”物”でならちゃんと伝わるかもしれないと思ったんだ」
殊勝な気持ちを語る天子に、紫は一瞬虚を突かれた顔をしたが、すぐに思い直した。
そうだ、こういう娘なのだ。
天子が気持ちを届けたい相手は、衣玖か、紫苑か、針妙丸か、それとも他の誰かか。誰が相手だろうと天子が行動を起こしてもおかしくない、と紫は思う。
胸から湧き出るものを行動に変えるその生き方そのものが、天子が持つかけがえない力だから。
微妙に変化した紫の視線に、天子は馬鹿にされているとでも感じたのか、羞恥と不安がないまぜになった目で睨みつけてきた。
「何だその顔は。天人が下々の者を気にしたらおかしいか?」
「別に……なら、こっちのクッキーでも作ってみてはいかが?」
紫は棚から薄めのレシピ本を選ぶと、スキマを通して天子の胸元に押し付けた。
天子が選んだものより初心者向けで、基本的な解説が載った実践本だ。
新しい本を渡された天子は、ページをめくってレシピをななめ読みしながら問いかけてくる。
「素人でもそんなにすぐ作れるものか?」
「お菓子作りは分量が命だけれど、逆に言えばそれさえ正確ならそこそこ程度ものは作れるでしょう。私はここで台所を壊されないか監視してるけれど、やってみたければ勝手になさい」
紫はそう言うとスキマから人里で流行っている小説本を取り出して、お茶をすすりながらあからさまな読書の姿勢に入った。
突き放すような言葉を選びながらも、その場から離れるようなことはせず。
ただ、そこにいた。
そんな賢者と思えないほど不器用な紫の態度に、天子は少しのあいだ呆然と突っ立っていた。
しかし与えられた自由に気が付き始めた天子は、段々と湧き上がってくるワクワクを胸に瞳を輝かせ、勢いよくレシピへと向き直った。
「必要なのは薄力粉とバターと砂糖と卵、あとお好みでココアパウダー。バターは室温に戻すのか、もう出しといたほうが良いな」
確かめるように唱えながら、天子は己の手と足をがむしゃらに動かし始める。
まだ心は幼い彼女が台所を漁って必要な材料をザッと揃えていくあいだ、紫は手元の本を読み進めながらも時折バレないようにチラリと様子を覗き見ていた。
天子は薄力粉を探す時には少し迷っていたが、藍がわかりやすく袋に品名を書いてくれていたお陰で見つけることができたようだ。
「重さがわからないな。秤は……」
「そっちにある銀色の薄いやつ、デジタル式だから壊さないで。あとエプロンを忘れない」
天子が自分一人で解決できそうにない問題があると、それまで黙っていた紫がそっけない言葉を挟んだ。
本を読んでいるまま無関心を装った紫の顔に、天子は一度だけ視線を送ってくると、礼は言わずにエプロンを来てお菓子作りに励む。
天子も元から要領の良い娘だ。初めて見る器具も手探りでおおよそ使いこなし、調理もレシピを一つ一つ確認して、慣れないながらも着実に進めていく。ふるいを掛けたり湯前をするところなど、少し難しいところもほぼ問題なくやり遂げていた。恐らく似たような経験をどこかで積んでいたのだろう。
銀色のボウルの中にどうせならと多めに入れられた小麦の粉を、力を込めて掻き回す。そうして作業を続ける天子の不敵な横顔を、紫は時折覗き見た。
時間をかけてクッキーの生地を作っていく天子の姿はひたむきで、今この瞬間を楽しみ、そして未来をより良いものにしようという曇りのない想いが現れている。
希望に溢れて天真爛漫。大自然の陽気も顔負けな勇気で突き進む彼女をそばに、紫は椅子に深く座ったまま緩やかな時間を過ごす。
――まあ、悪くない。
比那名居天子の気性は激しくて、強引で、意地っ張りで、けれども心はいつでも前を向いていて、奥底に愛と優しさが確かにある。
その純真さと共に在れるのは、心地よい。
「次は、冷蔵庫で生地を寝かせる、か。少し休憩だな」
クッキー生地をラップで包み、冷蔵庫に入れて一段落できる頃合いになり、天子が慣れない作業で緊張していた体を伸ばしていると、新しい茶の淹れられた湯呑がテーブルの上でコトリと音を立てた。
香り立つ湯気に天子が目を丸くする前で、席に着いた紫は相変わらず本を読んでいるだけの素振りを見せている。やがて天子はフッと笑うと椅子に腰を下ろした。
相手が何も言わないから、天子も何も言わない。
ただ静かに、嬉しそうな顔をして温かいお茶をすすった。
紫は小説を、天子は他のレシピを読んで暇つぶしをして、生地が十分に冷えると冷蔵庫から取り出してまな板の上に広げた。
「さあて、ここからは型作り! 遊ぶわよ!」
「またふざけ始めて。子供ねぇ」
「食は味だけを楽しむものじゃなし、ここで遊び心を出さないでどうするのよ。紫! 型抜きを寄越しなさい!!」
「人に命令しないの。出してあげるから、ちょっと声のトーン落としなさい。こっちは疲れてるんだから」
本を閉じた紫はまるで交換条件で仕方なくと言った様子で、机の上に開いたスキマから大量の型抜きの雨をバラバラと降らせた。
天子が「いっぱいあるじゃない♪」と宝の山を前にしたような目で探り始めるのを、紫はゆったりとした気分で見物する。ここからは純粋に楽しむために、天子が何を作るのかの鑑賞タイムだ。
すると天子は、型抜きの山からお眼鏡にかなったものを取り上げた。
それは女の子なら誰でも大好きな、想いを届けるのにピッタリなマーク――。
「じゃあまずはコイツからね!」
「っ!」
摘み上げられたハートマークの型抜きを見て、紫の胸では心臓が飛び跳ねていた。
まさか天子が誰かを――!? と一瞬考えて冷や汗が垂れたが、すぐに思い直す。
いやいや、ハートマークだけで友情ではなくアレ的な好意に繋げるのなんてそんな短絡的というか。そもそも定番のマークだ、女の子なら普通に使っておかしくない形のはずだ。他意があるとは限らない。
というかだいたい天子が誰を好きになろうとどうでもいいことですし? 関係ないから。私には何も関係ないから!!
けれども「もしかしたら……」と思う紫がドキドキしながら見ている前で、天子はハートを逆さに構えると、生地をくり抜いて笑いながら指差した。
「どうだ見なさい紫。桃のクッキーよ。私らしいじゃない!」
「あぁ、も、桃ね。そうよね、オホホ」
「?」
勘違いで暴走せず良かった――! と、紫は内心肝を冷やしながらも安堵した。
しかしながら扇子で口元で隠す紫からは微妙に挙動不審さが漏れ出していたが、天子はコイツがよくわからないのはいつものことだと適当に流して、別の話を切り出した。
「ところでよ。せっかく目の前に生地があるんだし、アンタも作ったらどう?」
「私は自他ともに認める面倒くさがりなの。見ているだけでお腹いっぱいよ」
「そんなこと言ってないで、動かないでいると本当に根っこまでババアになっちゃうわよ。一つくらいやってみなさいよ、この台所の地の支配者となった比那名居天子の命令よ」
「いつ支配者になったの? そもそもここは私の支配する家なんですけれど?」
「いいから作るの!」
「あっ、コラ引っ張らないの!」
グダグダ話をかわそうとすると、業を煮やした天子が紫の後ろ襟を掴んで引っ張ってきた。
無理矢理立ち上がらせた紫の手にハートマークの型抜きを握らせてドヤ顔で鼻息をフンスと鳴らす天子に、面倒臭がっていた紫も諦めて苦笑するしかない。
「本当に、わがままな娘ね」
すると天子は透き通った蒼い髪を揺らして紫を真っ直ぐ見つめると、期待を込めて尋ねてきた。
「それが私のいいところ、じゃない?」
「ふふふ、まあ今回はそういうことにしといてあげるわ」
二人は顔を見合わせて屈託なく笑った。
それから二人は、まな板の上に広げられたクッキー生地を、まるで分け合うように切り抜いていった。
二人の指先から次々と生まれる星や月、猫に鳥、りんごにイチゴ。神が大地を創るかのように、二人の世界が台所の中で作られていく。
更には余った生地を指でいじって、型抜きにもなかったオリジナルのクッキーを作ってみたりしてみた。
「どーよ紫、これ要石!」
「まあまあね。後は黒焦げにして石並の硬さにすれば完璧かしら」
「ちょっと止めてよね、絶対美味しく作るんだから。っていうか紫のそれ何?」
「これ? これは……キツネよ。こっちは型になかったから」
「えー、ウッソだー。ブクブクに太ったたぬきでしょ」
「……うるさいことを言う口はこれかしら?」
「あべべべべべ! く、悔しいからってほっぺひっひゃらないへよ!」
そうして生地を使い果たして満足したら、最後にキッチンに備え付けたオーブンに入れて焼き上げるだけ。
機械の操作については紫が代わりにしてやって、二人は明かりの灯ったオーブンの前でしゃがみ込み、ガラスの向こうで生地が熱せられるのを肩を並べて眺めた。
「後はもうこれで焼けるだけ? やることは何かないの?」
「放っておくだけで大丈夫よ。それよりも、焼いてる間に洗い物は済ませておきなさい」
「えー。藍に任せればいいじゃない」
「あなたが家に来るたびに結界を張り直してるの誰だと思ってるの。いつも迷惑かけてるんだからやってあげなさい」
「結界はあんたも手伝ってやりなさいよ……ハイハイ、わかったわ。紫もやってよね」
「なんで私まで」
「一緒に作ったじゃないのよ!」
「あなたがやれって言ったんでしょう!?」
などと、ちょっとした言い合いになったものの、何だかんだで二人で協力し、シンクの前で相手を押し合いながらスポンジ役とすすぎ役で分担作業をしたりもした。
完成の瞬間を気持ちよく迎えるために瞬速で洗い物を終わらせると、いよいよオーブンを開く時が来た。
キッチンミトンを嵌めた天子の手が蓋を開ける。肌を刺すような熱気が鉄の匣から漏れ出して覗き込む顔を苛ませた。しかし天子はそれに負けることなくオーブンの奥底を見つめると、紫が見守っている前で手を差し込んだ。
厚手のミトン越しでも感じる強い熱を感じながらプレートを引き出すと、焼き上がったクッキーたちが窓から差す陽光を浴びて煌めくような姿を見せる。
熱を入れる前までは平べったかった生地は膨らみ、こんがりと焼かれた表面には確かな硬さを手に入れており、場所によって違う焼色のグラデーションはまるで地平線まで広がった大地のように美しい。
そして焼きたて小麦の匂いは素晴らしいほど香ばしく、それを鼻から吸うと、まるで心の隅々に芳醇さが行き渡るかのようだ。
自らの手でこの世界に生まれてきたお菓子の存在を見て感じ、天子は目を輝かせると興奮して歓声を響かせた。
「すごーい、いい匂いー! 私の腕前もそうだけど、外界の機械もやるじゃない!」
「セッティングしたのは私だけれどね。それより焼いたばかりで熱いから気をつけなさ……」
「あっつ!!」
「ほら言わんこっちゃない」
高ぶりを抑えきれない天子が、思わず素手でクッキーを掴もうとしたのも仕方のないことだ。
指先の痛みを反省として十分に冷ましてから、天子は紫から渡してもらった数枚のポリ袋にクッキーを小分けしていき、綺麗なリボンでラッピングをして彩った。
机の上に並べられる透明な袋に収められたクッキーは、輝かしい宝物に等しく、天子は胸を張り鼻を高くした。
「どうよ、よくできてるでしょ?」
「ふふっ。初心者にしては上出来だわ」
いつもは鼻につく天子の威張りであるが、この時ばかりは微笑ましい。
パチパチと慎ましやかな拍手を送った紫は、役目も終わったとばかりに一歩身を引いた。
「さあ。誰にあげるのか知らないけど、それを持ってさっさと帰っちゃいなさい。乱暴に扱って砕けると大変だから、寄り道せず、暴れたりしないように」
「わかってるわよ。いちいち口うるさいわね」
口を尖らせた天子はエプロンを脱ぎ去ると、丁寧にクッキーの袋を服のポケットに詰め込んでいく。
だがその途中で袋の一つを確かめるように見つめると、紫の胸元に押し付けてきた。
「ほら、受け取りなさい!」
「えっ?」
咄嗟に受け止めた紫は、不覚にも一瞬理解が追いつかずに目をパチクリとしばたかせた。
紫の心が追いつく前に隣を通り過ぎて台所から出た天子は、長い空の髪を振り回しながら振り返って、今日一番の笑みを陽の光のように浴びせてくる。
その顔は、その姿は、どんな疲れも拭い去ってしまうほど闇雲に眩しくて、鮮烈で、生きている素の人の力と素晴らしさに満ちていて。
きっと、良い日が続くよ――――と、そんな風に思えるような、とびっきりの笑顔だった。
思わず紫もドキリと頬を赤らめてしまうしてしまう。
「いつまでもうだつが上がらないようじゃ倒し甲斐がないからね。私の元気を分けてあげるから、それでも食べてなさい。あははっ!」
その明るさに紫が鼓動を引っ張られている隙に、天子は悪戯に成功した少女のように声を弾ませて、あっという間に廊下を駆け抜けて行ってしまった。
縁側から颯爽と外へ飛び出して帰っていく天子をスキマから見送ってから、紫は貰ってしまったクッキーの袋を居間のテーブルの上に置き、座布団の上からボーッと眺めて時間を過ごした。
やがて日が傾いてくる頃合いになると、出かけていた藍と橙が買い物袋を手に帰宅してきて、廊下から顔を出してくれた。
「紫様ただいま戻りました」
「ただいまです!」
「あら、二人共お帰りなさい」
気が付いた紫が顔を見上げると、藍の会釈と橙の元気な敬礼が目に映り、家族の姿にホッとする。
二人は庭にできた地面の豪快な陥没を見つけたようで、藍は苦い顔をして肩を落とし、橙は何か得心したように手を鳴らした。
「あぁ、また庭に穴を開けやがってアイツ……」
「やっぱり天子来てたんだー!」
「やっぱり、って?」
紫が尋ねると藍が姿勢を正して教えてくれた。
「アレが衣玖や紫苑と一緒にいるところに出くわしましてね。紫様がお疲れで大変だと、つい愚痴を漏らしてしまったら、二人を置いて何処かに行ってしまったので」
「へぇ……」
面白いことを聞かされた紫は小さな呟きを漏らしてテーブルの上に目をやった。
「あーあー。洗濯物に土まみれになって…………ないな。簡単な結界でも作って被害を抑えたか? そこまでするなら、そもそも穴を開けないで欲しいが。誰が直すんだこれ……」
「藍様。天子にやらせれば良いんじゃないですか?」
「あら、それは名案ね。賢いわ橙。明日にでも犯人に直させてやりましょう」
「ではそのように。宜しくお願いしますよ」
藍と橙が買い物袋を持って台所へ向かってから、紫はテーブルに置かれた包に手を伸ばした。
白い指先でラッピングのリボンをほどき、開かれた口の奥からクッキーを一枚つまみ上げる。
取り出された桃の形。そこに込められた優しさを見つめてから歯を立てると、ガリッと小気味の良い音が鳴って、バターの風味が口いっぱいに広がった。
「ふふっ、おいしい」
そんな誰もが浮かれる青空が素敵な日に、八雲紫は死んでいた。
屋敷の居間で畳の上に、生気のない目をしてうつ伏せで倒れ込んでいた。
八雲家殺妖事件である。
「…………眠りたい。冷房をガンガンに掛けた部屋で厚手の布団にくるまって半世紀くらい眠りたい」
訂正、死んだ魚のような眼をしてるだけで別段死んではいなかった。
ほっぺに畳の後を付けようとしながら、虚ろな目をした紫は小さく開いた口から呪詛のような言葉を立ち昇らせる。
「泥のように眠りたい。いやもう泥になりたいわ。私の体はドロドロの泥になって幻想郷と一体化して永遠の虚無を過ごすの。そうすれば一切の雑務から開放されるの。ウフフフフ……」
妖怪の賢者とまで呼ばれるパーフェクトレディやくもゆかりちゃんがこうなったのには、それこそマリアナ海溝より深い理由がある。
幻想郷における彼女の役割は実は多義に渡る。外界から流入してくる物品の選別、幻想郷各地の監視、パワーバランスの調整、結界の管理、古くからプレイしてるソシャゲのイベントと新作ソシャゲのスタートミッションetc......。
数多くの仕事と半ば義務と化した趣味などがタイミング悪く折り重なった修羅場の末、美少女ゆかりんの精神は限界に達してしまったのだ。
開け放たれた縁側から降り注いでくる陽光の暖かさも冷え切った心には届かず、着替える気も起きない仕事着(道士服)がズッシリと身体に圧しかかる。
しんどい、きつい、だるい、えらい、こわい、怖いといえば饅頭と睡眠。眠ったまま饅頭放り込まれて甘さを堪能する仕事だけしていたい。噛むのも面倒だからミキサーにかけてペースト状にしてから流し込む役が誰か欲しい。
まとまりのないネガティブワードを頭の上にポワポワを思い浮かべながら、ぼんやりと畳の目を数えている。
あー、これヤバいわー。参ってるわー。もう精神状態が720度くらい回って今なら世界の真理に辿り着ける気がするんだけどそこらへんどうなのかしら? そんな支離滅裂な気分でいると屋敷周辺を警戒する探知術式に妖力が走り、紫の脳内に『ピィーン』という耳鳴りにも似た警報を届けてきた。
遠くに感じられる切り裂かれた空間の気配。八雲家を覆う隠蔽結界が何者かの手によって破壊され、外敵の侵入を許してしまったことを知らせてきているのだ。
常に影に隠れて世を伺うべし妖怪の賢者であるならば、看過すべきでない異常事態――――であるはずだが、紫はなーんにも変わりなく畳の上で死に続けていた。
ハイハイ、どーせアイツでしょ。いい加減慣れたわ、いつものやつよ。そんな自堕落で投げやりな背中に、あの甲高い叫びがの突き刺さってきた。
「こう良い日が続くとひと暴れしたくなるな紫! この偉大な天人様の準備運動に付き合わせてやりにきたぞ!!」
無駄に尊大な口上の直後には、落下してきた要石が庭に穴をあける『ドズーン!』という音が轟いてくる。荒れた庭に後で藍が怒るだろうに、自分は知らないぞ。
立ち込める砂煙から帽子を押さえながら颯爽と現れてきたのは、ご存知迷惑天人の比那名居天子嬢であった。
家まで震わせる地響きを体感した紫は、仕方ないと溜息を吐きながらも起き上がろうとする。
「決してお前みたいに絡む友達がいないわけじゃないぞ! 衣玖も紫苑も用事でいないから暇をしてたわけとかではないからな!」
あっ、やっぱヤメ。寝とこう。
紫は再び倒れ込むと、庭も一瞥もせずにほっぺた膨らませてふて寝の体勢に突入した。こちとらしんどいのだ、こんなやつに構ってられるか。
決して自分が3番目の候補だったことにちょっと拗ねてるわけじゃない。こんなわがまま娘を相手に嫉妬する理由なんてないもん。
その視界に割り込んで、顔を覗かせた天子がまんまるな緋色の目で紫のことを見つめてきた。
「どうした妖怪。年甲斐もなく変な顔をして?」
紫は視線をわずかにも動かさず、両頬に餅を膨らませたまま頑なに寝たままの姿勢を崩さない。
大人の賢者も今日は休みだもん。おバカな小娘を相手にする暇なんてないもん。
あー、喋るのもしんどいわー、思考するのもイヤだわー、呼吸するのもめんどくさいわー、などと脳内でわざとらしく考えている紫を前にして、天子は密かに偉そうな天人の仮面を外し、”おてんば”な顔でニッと笑う。
そうして妖怪の困ったちゃんに対する有頂天の困ったちゃんは、一度離れてからグッと腰を落として走り出すと、助走をつけて紫の頭上に飛び上がってきた。
「ホラ起っきろー! ゆっかりぃー!!!!」
「ふげっブゥッ!!!?」
プロレスラー顔負けの大胆不敵なボディプレスが、死に絶えていた紫の息を強制的に吹き出させた。
ボキボキと背骨を鳴らして哀れな断末魔を上げた紫は、甚大なダメージに体をピクピクと震える。
しかし死にかけの体に活を入れて気合で起き上がると、全身から怒りを漲らせて天子のド頭をふんずと鷲掴みし、血管を浮き立たせて睨みつけた。
「て・ん・しぃ~~~……!!!!! いきなり何をしてくれてくださるのかしら、そのお行儀の悪い舌と手脚をもいで柱に貼り付けてみるぅ!!?」
「あっがががががががが! ちょっ、頭がミシミシ言って……イダダダダダダダダッ! 割れる! 割れる!!」
必殺の意志のアイアンクローとともに溢れる妖気は、並の妖怪なら即死しそうなほどドス黒い感情で濁っていて、けれども無駄に頑強な天人様には頭をジタバタさせる程度に過ぎない。
あぁこのへこたれなさが憎たらしい。紫は怒り収まらないものの、これ以上のおしおきをするとなるといつかの神社よろしく自宅が巻き込むことになるので、この程度で手を離してやった。
すると開放された天子がジンジンと痛む頭を押さえながらも、ニッと歯を見せて嬉しそうに笑ってきた。
「へへっ、やった。元気になったじゃない」
その着飾らない笑顔に、薄暗い気持ちを跳ね除けるほどの眩しさに、見下ろしていた紫は一瞬目を奪われてしまった。
しかしすぐに気を取り直して浮ついた気持ちを恥じると、満足げな天子の額に扇子を突き立てた。
「あいたっ」
「やった、じゃないわ。人が優雅な休息を楽しんでいたというのにブチ壊してくれて」
「ウソつきなさいよ。間違って地上に出たミミズのほうが、さっきのアンタよりマシな人生送ってたわよ」
あっという間に騒がしくなりだした空気感に紫は「はぁ〜」とため息を吐くと、スキマから肘掛けを引っ張り出して、扇子を仰ぎながらくつろぐ体勢を見せつけた。今日の私は一筋縄じゃ行きませんよー、のポーズだ。
どうせこの天人のことだ、雑に扱ったところで大人しく帰りはしまい。だからこそ厄介ではあるのだが、気兼ねなく物申せば良いのはある意味で楽だ。
「あなたが暇なのはわかったけど、こっちも疲れてるからまともに相手なんてしてあげられないわ」
「むぅ、早速怠惰モードね。せっかく高貴な天人が来てやったのだからお茶くらい出したらどうよ? ホラホラ〜?」
「人ん家の結界ブチ破って押し入ってくる不審者にはぶぶ漬けだって惜しいわ。欲しければ自分で淹れてきなさい、台所はアッチ」
「場所くらい知ってるわよー、だ」
紫がご丁寧に扇子で廊下の先を指してやると、天子はいらぬおせっかいだと不満げな声を上げた。
神社再建&再倒壊の因縁のころから紫のことを目の敵にしてくる天子は、何かと結界を破って屋敷に侵入してはちょっかいを掛けてきているのだから、家の勝手は知っているのだ。
紫のわかった上での親切にツンとした態度になった天子は、一人で台所へと向かっていく。その様子を紫がスキマから眺めてやると、案の定台所を前にした天子が迷っている姿が見えた。
彼女が足を止める理由が何なのか、予想が付いていた紫はスキマ越しにニヤケ面で声をかけた。
「さぁて、世間知らずのお嬢ちゃんに台所の場所はわかっても、お湯の沸かし方はわかるかしら?」
「馬鹿にしないでよ、それくらいできて当然でしょ!」
紫の馬鹿にしてくる気配を感じ取り、天子は鼻息を強くして言い返してくる。
確かに、常識知らずの天人とは言え、ここが普通の家ならばお湯を沸かすくらいはできるだろう。しかしながら八雲家の台所は一般的な幻想郷とは文明力がまるで違うのだ。
当然のように水道完備。火を使うならIHクッキングヒーター。食材とお酒の入った冷蔵庫。米を炊くなら炊飯器。他にもミキサーにオーブンに、デジタル式のタイマーに計量器。
幻想郷住まいの一般天人には厳しい環境と言えるだろう。
天子は慎重な視線で台所に置かれている器具を一つ一つ辿っていく。
どうやら水道に関しては理解しているようでひとまずコップに水を注いだが、まだ電気ケトルの存在に気付いていない。
しかし天子は閃いた顔で軽快に指を鳴らして電子レンジを見た。
「確か藍は食材を温める時にこの箱を使ってたわね! ここに水を入れて……」
「はい、ストップ。なんとなくそんな予感はしてたけれど。ダメよそれ、最終的に爆発するから」
コップを手にレンジへ近づいた天子の肩を、台所にワープしてきた紫がガッシリ掴む。
電子レンジのように静かに温められた液体は沸騰せず過加熱状態になり、コップを手に取るなどして衝撃を与えた瞬間に激しく沸騰する『突沸』という現象が発生し、爆発するように熱湯が飛散ることがあるのだ。良い子のみんなは気をつけようね。
引き止められた天子はキョトンと目を丸くして質問を返す。
「えっ、爆発? 水が? マジで?」
「マジよ」
「………………」
「………………」
「面白そうだから試す!」
「やめなさい!!」
割と本気の天人パゥワーでレンジにかじりつこうとする天子に、紫も疲れた体にむち打っての全力ホールドで対抗する羽目になってしまった。
最終的にはコップを取り上げられても抵抗する天子に渾身の卍固めを決めて、「ギブ! ギブ!!!」とまで言わせてることで阻止に成功した。
「お湯を作るならレンジじゃなくてこっちの電気ケトル! 湯入れてスイッチ入れれば数分で沸くから」
「ほほーう、便利ね外界製品」
疲れてる時に無闇におちょくるんじゃなかったと紫は後悔しながらも、ちょっとお高めのガラス製電気ケトルに水を入れて、常備してる茶葉に合わせて80度でセットした。
数分もせずに容れ物の中で水がゴポゴポと小気味のいい音を鳴らし始めるのを見て、天子が「おぉー、はやーい」と感嘆の声を漏らす。
「さーて、おっ茶ー。おっ茶ー♪ 紫、高い茶葉を寄越しなさい!」
「ハイハイ、粗茶ですがお使いください」
「ちっ、ケチ妖怪め。しょーがないわね、これで勘弁しといてあげるわ」
いつも家族で使っている煎茶の缶を渡されて、天子は文句を言いながらも鼻歌交じりでお茶を淹れる。
意外と手際よく用意を整えた天子は、食器棚の湯呑を二つ取り出して急須から注ぐと、湯気の立っている緑茶を紫の前にも差し出した。
「ハイ、アンタの分!」
「どうも」
こういうところは素直に分け合う二人は、ホカホカのお茶をすすって熱いため息を吐き出した。
「「ズズッ…………ハァ~~……」」
舌を楽しませる程よい苦味。天子は中々のお茶を淹れてくれていた。
体を温めてくれるお茶の恵みに二人は揃って手足を垂らし、幻想郷屈指の実力者とは思えないだらしない姿を椅子の上で晒した。
「あぁ~、疲れた体に染みて生き返るわぁ……あなたって、意外とお茶は上手なのね」
「ふふん、天界の暇さ加減を舐めるんじゃないわよ。一人でやれることは大概やり尽くしたわ」
「急に悲しくなること言わないで」
茶の腕前を自慢した天子は、湯呑に口をつけながらキョロキョロと台所を見渡した。
その様子を小動物みたいで面白いなと紫がボーッと眺めていると、天子は椅子からピョンと飛び降りて、壁際に並べられたレシピ本コーナーに近づいた。
「おかずの献立にお弁当、おつまみ、洋食、中華……けっこう色んなレシピがあるのね」
「藍は研究熱心だもの。おかげで助かってるわ」
「主人よりもできた部下よねー」
小生意気な口を挟みながら天子は一冊の本を手に取った。
パラパラとページがめくられる本の表紙には、明るい文字で『おやつを彩るお菓子のレシピ集』と書かれていた。
「洋菓子か……」
何かを考え込むような深い思案の呟きが、紫の耳に届いた。
動きを止めて本を読む天子を眺めて、紫が頬杖を突いて話しかける。
「気になるかしら? 今度の暇つぶしはお菓子作り?」
「……せっかく地上に来たんだ、暇を潰すなら他所に行くさ。そうじゃなくてだな」
再び天人の顔をして硬い喋り方をする天子は、真っ直ぐな瞳でレシピを見つめながら言葉を紡ぐ。
「自分で言うのもなんだが、私は感情が普通のやつより激しくて、行動が突っ走りやすいからな。誰かのために何かをしてやりたいと思っても誤解されやすい。でも”物”でならちゃんと伝わるかもしれないと思ったんだ」
殊勝な気持ちを語る天子に、紫は一瞬虚を突かれた顔をしたが、すぐに思い直した。
そうだ、こういう娘なのだ。
天子が気持ちを届けたい相手は、衣玖か、紫苑か、針妙丸か、それとも他の誰かか。誰が相手だろうと天子が行動を起こしてもおかしくない、と紫は思う。
胸から湧き出るものを行動に変えるその生き方そのものが、天子が持つかけがえない力だから。
微妙に変化した紫の視線に、天子は馬鹿にされているとでも感じたのか、羞恥と不安がないまぜになった目で睨みつけてきた。
「何だその顔は。天人が下々の者を気にしたらおかしいか?」
「別に……なら、こっちのクッキーでも作ってみてはいかが?」
紫は棚から薄めのレシピ本を選ぶと、スキマを通して天子の胸元に押し付けた。
天子が選んだものより初心者向けで、基本的な解説が載った実践本だ。
新しい本を渡された天子は、ページをめくってレシピをななめ読みしながら問いかけてくる。
「素人でもそんなにすぐ作れるものか?」
「お菓子作りは分量が命だけれど、逆に言えばそれさえ正確ならそこそこ程度ものは作れるでしょう。私はここで台所を壊されないか監視してるけれど、やってみたければ勝手になさい」
紫はそう言うとスキマから人里で流行っている小説本を取り出して、お茶をすすりながらあからさまな読書の姿勢に入った。
突き放すような言葉を選びながらも、その場から離れるようなことはせず。
ただ、そこにいた。
そんな賢者と思えないほど不器用な紫の態度に、天子は少しのあいだ呆然と突っ立っていた。
しかし与えられた自由に気が付き始めた天子は、段々と湧き上がってくるワクワクを胸に瞳を輝かせ、勢いよくレシピへと向き直った。
「必要なのは薄力粉とバターと砂糖と卵、あとお好みでココアパウダー。バターは室温に戻すのか、もう出しといたほうが良いな」
確かめるように唱えながら、天子は己の手と足をがむしゃらに動かし始める。
まだ心は幼い彼女が台所を漁って必要な材料をザッと揃えていくあいだ、紫は手元の本を読み進めながらも時折バレないようにチラリと様子を覗き見ていた。
天子は薄力粉を探す時には少し迷っていたが、藍がわかりやすく袋に品名を書いてくれていたお陰で見つけることができたようだ。
「重さがわからないな。秤は……」
「そっちにある銀色の薄いやつ、デジタル式だから壊さないで。あとエプロンを忘れない」
天子が自分一人で解決できそうにない問題があると、それまで黙っていた紫がそっけない言葉を挟んだ。
本を読んでいるまま無関心を装った紫の顔に、天子は一度だけ視線を送ってくると、礼は言わずにエプロンを来てお菓子作りに励む。
天子も元から要領の良い娘だ。初めて見る器具も手探りでおおよそ使いこなし、調理もレシピを一つ一つ確認して、慣れないながらも着実に進めていく。ふるいを掛けたり湯前をするところなど、少し難しいところもほぼ問題なくやり遂げていた。恐らく似たような経験をどこかで積んでいたのだろう。
銀色のボウルの中にどうせならと多めに入れられた小麦の粉を、力を込めて掻き回す。そうして作業を続ける天子の不敵な横顔を、紫は時折覗き見た。
時間をかけてクッキーの生地を作っていく天子の姿はひたむきで、今この瞬間を楽しみ、そして未来をより良いものにしようという曇りのない想いが現れている。
希望に溢れて天真爛漫。大自然の陽気も顔負けな勇気で突き進む彼女をそばに、紫は椅子に深く座ったまま緩やかな時間を過ごす。
――まあ、悪くない。
比那名居天子の気性は激しくて、強引で、意地っ張りで、けれども心はいつでも前を向いていて、奥底に愛と優しさが確かにある。
その純真さと共に在れるのは、心地よい。
「次は、冷蔵庫で生地を寝かせる、か。少し休憩だな」
クッキー生地をラップで包み、冷蔵庫に入れて一段落できる頃合いになり、天子が慣れない作業で緊張していた体を伸ばしていると、新しい茶の淹れられた湯呑がテーブルの上でコトリと音を立てた。
香り立つ湯気に天子が目を丸くする前で、席に着いた紫は相変わらず本を読んでいるだけの素振りを見せている。やがて天子はフッと笑うと椅子に腰を下ろした。
相手が何も言わないから、天子も何も言わない。
ただ静かに、嬉しそうな顔をして温かいお茶をすすった。
紫は小説を、天子は他のレシピを読んで暇つぶしをして、生地が十分に冷えると冷蔵庫から取り出してまな板の上に広げた。
「さあて、ここからは型作り! 遊ぶわよ!」
「またふざけ始めて。子供ねぇ」
「食は味だけを楽しむものじゃなし、ここで遊び心を出さないでどうするのよ。紫! 型抜きを寄越しなさい!!」
「人に命令しないの。出してあげるから、ちょっと声のトーン落としなさい。こっちは疲れてるんだから」
本を閉じた紫はまるで交換条件で仕方なくと言った様子で、机の上に開いたスキマから大量の型抜きの雨をバラバラと降らせた。
天子が「いっぱいあるじゃない♪」と宝の山を前にしたような目で探り始めるのを、紫はゆったりとした気分で見物する。ここからは純粋に楽しむために、天子が何を作るのかの鑑賞タイムだ。
すると天子は、型抜きの山からお眼鏡にかなったものを取り上げた。
それは女の子なら誰でも大好きな、想いを届けるのにピッタリなマーク――。
「じゃあまずはコイツからね!」
「っ!」
摘み上げられたハートマークの型抜きを見て、紫の胸では心臓が飛び跳ねていた。
まさか天子が誰かを――!? と一瞬考えて冷や汗が垂れたが、すぐに思い直す。
いやいや、ハートマークだけで友情ではなくアレ的な好意に繋げるのなんてそんな短絡的というか。そもそも定番のマークだ、女の子なら普通に使っておかしくない形のはずだ。他意があるとは限らない。
というかだいたい天子が誰を好きになろうとどうでもいいことですし? 関係ないから。私には何も関係ないから!!
けれども「もしかしたら……」と思う紫がドキドキしながら見ている前で、天子はハートを逆さに構えると、生地をくり抜いて笑いながら指差した。
「どうだ見なさい紫。桃のクッキーよ。私らしいじゃない!」
「あぁ、も、桃ね。そうよね、オホホ」
「?」
勘違いで暴走せず良かった――! と、紫は内心肝を冷やしながらも安堵した。
しかしながら扇子で口元で隠す紫からは微妙に挙動不審さが漏れ出していたが、天子はコイツがよくわからないのはいつものことだと適当に流して、別の話を切り出した。
「ところでよ。せっかく目の前に生地があるんだし、アンタも作ったらどう?」
「私は自他ともに認める面倒くさがりなの。見ているだけでお腹いっぱいよ」
「そんなこと言ってないで、動かないでいると本当に根っこまでババアになっちゃうわよ。一つくらいやってみなさいよ、この台所の地の支配者となった比那名居天子の命令よ」
「いつ支配者になったの? そもそもここは私の支配する家なんですけれど?」
「いいから作るの!」
「あっ、コラ引っ張らないの!」
グダグダ話をかわそうとすると、業を煮やした天子が紫の後ろ襟を掴んで引っ張ってきた。
無理矢理立ち上がらせた紫の手にハートマークの型抜きを握らせてドヤ顔で鼻息をフンスと鳴らす天子に、面倒臭がっていた紫も諦めて苦笑するしかない。
「本当に、わがままな娘ね」
すると天子は透き通った蒼い髪を揺らして紫を真っ直ぐ見つめると、期待を込めて尋ねてきた。
「それが私のいいところ、じゃない?」
「ふふふ、まあ今回はそういうことにしといてあげるわ」
二人は顔を見合わせて屈託なく笑った。
それから二人は、まな板の上に広げられたクッキー生地を、まるで分け合うように切り抜いていった。
二人の指先から次々と生まれる星や月、猫に鳥、りんごにイチゴ。神が大地を創るかのように、二人の世界が台所の中で作られていく。
更には余った生地を指でいじって、型抜きにもなかったオリジナルのクッキーを作ってみたりしてみた。
「どーよ紫、これ要石!」
「まあまあね。後は黒焦げにして石並の硬さにすれば完璧かしら」
「ちょっと止めてよね、絶対美味しく作るんだから。っていうか紫のそれ何?」
「これ? これは……キツネよ。こっちは型になかったから」
「えー、ウッソだー。ブクブクに太ったたぬきでしょ」
「……うるさいことを言う口はこれかしら?」
「あべべべべべ! く、悔しいからってほっぺひっひゃらないへよ!」
そうして生地を使い果たして満足したら、最後にキッチンに備え付けたオーブンに入れて焼き上げるだけ。
機械の操作については紫が代わりにしてやって、二人は明かりの灯ったオーブンの前でしゃがみ込み、ガラスの向こうで生地が熱せられるのを肩を並べて眺めた。
「後はもうこれで焼けるだけ? やることは何かないの?」
「放っておくだけで大丈夫よ。それよりも、焼いてる間に洗い物は済ませておきなさい」
「えー。藍に任せればいいじゃない」
「あなたが家に来るたびに結界を張り直してるの誰だと思ってるの。いつも迷惑かけてるんだからやってあげなさい」
「結界はあんたも手伝ってやりなさいよ……ハイハイ、わかったわ。紫もやってよね」
「なんで私まで」
「一緒に作ったじゃないのよ!」
「あなたがやれって言ったんでしょう!?」
などと、ちょっとした言い合いになったものの、何だかんだで二人で協力し、シンクの前で相手を押し合いながらスポンジ役とすすぎ役で分担作業をしたりもした。
完成の瞬間を気持ちよく迎えるために瞬速で洗い物を終わらせると、いよいよオーブンを開く時が来た。
キッチンミトンを嵌めた天子の手が蓋を開ける。肌を刺すような熱気が鉄の匣から漏れ出して覗き込む顔を苛ませた。しかし天子はそれに負けることなくオーブンの奥底を見つめると、紫が見守っている前で手を差し込んだ。
厚手のミトン越しでも感じる強い熱を感じながらプレートを引き出すと、焼き上がったクッキーたちが窓から差す陽光を浴びて煌めくような姿を見せる。
熱を入れる前までは平べったかった生地は膨らみ、こんがりと焼かれた表面には確かな硬さを手に入れており、場所によって違う焼色のグラデーションはまるで地平線まで広がった大地のように美しい。
そして焼きたて小麦の匂いは素晴らしいほど香ばしく、それを鼻から吸うと、まるで心の隅々に芳醇さが行き渡るかのようだ。
自らの手でこの世界に生まれてきたお菓子の存在を見て感じ、天子は目を輝かせると興奮して歓声を響かせた。
「すごーい、いい匂いー! 私の腕前もそうだけど、外界の機械もやるじゃない!」
「セッティングしたのは私だけれどね。それより焼いたばかりで熱いから気をつけなさ……」
「あっつ!!」
「ほら言わんこっちゃない」
高ぶりを抑えきれない天子が、思わず素手でクッキーを掴もうとしたのも仕方のないことだ。
指先の痛みを反省として十分に冷ましてから、天子は紫から渡してもらった数枚のポリ袋にクッキーを小分けしていき、綺麗なリボンでラッピングをして彩った。
机の上に並べられる透明な袋に収められたクッキーは、輝かしい宝物に等しく、天子は胸を張り鼻を高くした。
「どうよ、よくできてるでしょ?」
「ふふっ。初心者にしては上出来だわ」
いつもは鼻につく天子の威張りであるが、この時ばかりは微笑ましい。
パチパチと慎ましやかな拍手を送った紫は、役目も終わったとばかりに一歩身を引いた。
「さあ。誰にあげるのか知らないけど、それを持ってさっさと帰っちゃいなさい。乱暴に扱って砕けると大変だから、寄り道せず、暴れたりしないように」
「わかってるわよ。いちいち口うるさいわね」
口を尖らせた天子はエプロンを脱ぎ去ると、丁寧にクッキーの袋を服のポケットに詰め込んでいく。
だがその途中で袋の一つを確かめるように見つめると、紫の胸元に押し付けてきた。
「ほら、受け取りなさい!」
「えっ?」
咄嗟に受け止めた紫は、不覚にも一瞬理解が追いつかずに目をパチクリとしばたかせた。
紫の心が追いつく前に隣を通り過ぎて台所から出た天子は、長い空の髪を振り回しながら振り返って、今日一番の笑みを陽の光のように浴びせてくる。
その顔は、その姿は、どんな疲れも拭い去ってしまうほど闇雲に眩しくて、鮮烈で、生きている素の人の力と素晴らしさに満ちていて。
きっと、良い日が続くよ――――と、そんな風に思えるような、とびっきりの笑顔だった。
思わず紫もドキリと頬を赤らめてしまうしてしまう。
「いつまでもうだつが上がらないようじゃ倒し甲斐がないからね。私の元気を分けてあげるから、それでも食べてなさい。あははっ!」
その明るさに紫が鼓動を引っ張られている隙に、天子は悪戯に成功した少女のように声を弾ませて、あっという間に廊下を駆け抜けて行ってしまった。
縁側から颯爽と外へ飛び出して帰っていく天子をスキマから見送ってから、紫は貰ってしまったクッキーの袋を居間のテーブルの上に置き、座布団の上からボーッと眺めて時間を過ごした。
やがて日が傾いてくる頃合いになると、出かけていた藍と橙が買い物袋を手に帰宅してきて、廊下から顔を出してくれた。
「紫様ただいま戻りました」
「ただいまです!」
「あら、二人共お帰りなさい」
気が付いた紫が顔を見上げると、藍の会釈と橙の元気な敬礼が目に映り、家族の姿にホッとする。
二人は庭にできた地面の豪快な陥没を見つけたようで、藍は苦い顔をして肩を落とし、橙は何か得心したように手を鳴らした。
「あぁ、また庭に穴を開けやがってアイツ……」
「やっぱり天子来てたんだー!」
「やっぱり、って?」
紫が尋ねると藍が姿勢を正して教えてくれた。
「アレが衣玖や紫苑と一緒にいるところに出くわしましてね。紫様がお疲れで大変だと、つい愚痴を漏らしてしまったら、二人を置いて何処かに行ってしまったので」
「へぇ……」
面白いことを聞かされた紫は小さな呟きを漏らしてテーブルの上に目をやった。
「あーあー。洗濯物に土まみれになって…………ないな。簡単な結界でも作って被害を抑えたか? そこまでするなら、そもそも穴を開けないで欲しいが。誰が直すんだこれ……」
「藍様。天子にやらせれば良いんじゃないですか?」
「あら、それは名案ね。賢いわ橙。明日にでも犯人に直させてやりましょう」
「ではそのように。宜しくお願いしますよ」
藍と橙が買い物袋を持って台所へ向かってから、紫はテーブルに置かれた包に手を伸ばした。
白い指先でラッピングのリボンをほどき、開かれた口の奥からクッキーを一枚つまみ上げる。
取り出された桃の形。そこに込められた優しさを見つめてから歯を立てると、ガリッと小気味の良い音が鳴って、バターの風味が口いっぱいに広がった。
「ふふっ、おいしい」
また読めて本当に嬉しいです。
電動ドリルさんのゆかてんがまた見れるなんて...
嬉しい、ただひたすらに嬉しい
天人モードの天子ちゃんも人の面がよくでている天子ちゃんもやはり素晴らしいですね。
そしてそんな天子ちゃんに感情動かされるゆかりんも最高ですね。
珍しく、というわけでもないですけど食べ物ネタでしたが、仲良くわいわい作業するゆかてんが暖かく大変良かったです。
ゆか
てん
素晴らしいゆかてんでした
さすがのドリルさん……っ
再び世界にゆかてんが満ちる…!