Coolier - 新生・東方創想話

つきのわ

2021/04/26 21:50:06
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「おはよう、うどんちゃん」
「……おはようございます、純狐さん」
 ある小春日和の朝。目を覚まして、自室の襖を開けた瞬間に純狐さんと鉢合わせした。鉢合わせとは言うものの、意識が覚醒した瞬間から純狐さんの波長はずっと感じていた。更に言うと、夢に純狐さんが出てきた覚えがある。もしかしたら私が眠っている時からずっとここに居たのかもしれない。怖いよー。
「寝癖がついているわよ」
「はぇ」
 純狐さんはこちらに手を伸ばして、手櫛で髪を梳いてくれた。くすぐったい。
 心地よさに身を任せていると、なんだか色んなことがどうでも良くなってきた。日差しが暖かい。今日は平和に過ごせるだろうか。純狐さんが居る時点でやや平和ではない気がするが。まあいいか、そんな些細なことは。
「ウドンゲ」
「ふぁい?」
 聞こえた声に欠伸しながら振り向くと、何やら手紙のようなものを手に持った師匠がいた。その手紙に書かれている、見覚えのある家紋を目にした瞬間、眠気が消し飛んで、喉の水分が全て失われた。冷や汗が噴き出る。見開いた目はどこにも焦点が合わない。足が震えて今にも卒倒してしまいそうだ。
「豊姫と依姫が、幻想郷に来るらしいわ」
 師匠の言葉を聞くが早いか、私は全速力で逃げ出していた。背後で師匠と純狐さんが何か言っていたが、まるで耳に入ってこなかった。瞬きも呼吸も忘れて、ありったけの力で竹林を飛び出した。
 ──豊姫様と依姫様が、来る?

     ○

 昔、逃亡兵に対する処罰規定の項を読んだ事がある。事あるごとに逃げ出したくなる自分を律するために。それでも結局は逃げてしまったのだが。
 あの項目、どんな内容だっただろう。思い出せない。思い出したくもないようなことが書かれていたのだろうか。
「どうしよう」
 私は鈴瑚と清蘭の団子屋まで来ていた。
「どうしようも何も」
「謝って許してもらえば?」
 二人は顔を見合わせて言った。
「無理無理無理。怖い怖い怖い」
 私の狼狽加減に、二人とも随分と面食らっていた。扱いに窮している様子がありありと伝わってきた。面倒くさい先輩でごめんな、と頭の片隅で思った。
「じゃ、見つからないようにずっと隠れているしかないね」
「……それは」
 それは、駄目だろう。鈴瑚の提案に首を振る。
 分かっているのだ。謝る以外に、選択肢など無いということは。それでも、怖いものは怖い。頭を抱えて蹲ってしまう。
「サグメ様は来ないのかな」
「そうそう動く人ではないでしょ」
 二人はもはや別の方向に話題を飛ばしている。薄情じゃないか。私の味方はしてくれないのか。いや、組織というものを考えれば、私より偉い人の味方をするのは当然かもしれない。だとしたら私は孤立無縁なのか。それはそうか。逃げ出したのだから。
「そもそも、私のことなんて覚えているのかな。もう忘れているんじゃないかな」
 こんなちっぽけな、たかが兎一匹のことを、いつまでも覚えているほど暇ではないだろう。そうだ。きっとそうだ。
「そうだ、私のことなんてもう誰も覚えてなくて、私なんて、はじめから居なかったことになってるんじゃないの。そうだ、そうだよ。私なんか、居ても居なくてもどうせ同じだもの、ねえ」
 だとしたら、会っても会わなくても同じじゃないか。そんな風に、会わない理由を探してしまう。さっき、隠れるのは無しだと言ったばかりなのに。俯瞰したもう一人の自分が、情けない、と言っているのが聞こえた。
「鈴仙、そういうのよくないよ」
 私を諫めてきたのは、意外なことに清蘭だった。
「鈴仙が月から居なくなって、鈴瑚がどれだけ寂しがっていたと思っているの」
 蹲って、塞がっていたはずの視界が一瞬で透明になった。
 自分の身体も景色も、何もかもが透き通って、遠ざかっていく。魂が抜けたみたいに頭が軽くなった。
 鈴瑚が何やら顔を真っ赤にして騒いでいるが、全然耳に入ってこない。周りの音が聞こえない。自分の心臓が跳ねるように鳴る音だけが響いている。
 私が居なくなって、寂しいと思う人がいる、なんて。そんなこと、思いもしなかった。これまで一度も。
 見ると、鈴瑚は清蘭の口を手で必死に塞いでいた。何してんの。やめてあげて。
「鈴瑚」
「……何」
 声を掛けると、鈴瑚はものすごいしかめ面を向けてきた。思わず笑ってしまった。
「ごめんね、ありがとう」
「……いいよ、別に」
 鈴瑚は耳まで真っ赤になって俯いた。そんな顔できたのか、と思った。

     ○

 豊姫様と依姫様がやって来る日になった。前日は全く寝付けなくて、朝になってもまるで落ち着かなくて、やるべきことはたくさんあるのに何一つ手につかない。見兼ねたてゐが鈴瑚と清蘭を呼び寄せてくれたおかげで私は何とか冷静になることができた。
「鈴瑚、見ててね」
「……ん」
 私が言うと、鈴瑚は曖昧に、しかし確かに頷いてくれた。
 私のことを見ている人がいる。
 それだけで、勇気がこんなに湧いてくるなんて、知らなかった。
 清蘭はなんだか面白くなさそうな顔をしていたが、構っている余裕は無かった。

     ○

 私は物陰に隠れて豊姫様と依姫様が来るのを待っていた。永遠亭の正門をじっと見据える。
「なんで隠れてんの」
「堂々としなよ」
「出ていきづらくならない?」
 てゐと鈴瑚と清蘭が口々に言うが、緊張するのは仕方無いだろう。て言うかなんであんたらまで隠れてんの。
 そんなやり取りをしていると、不意に門が開いた。師匠の後に続き歩いてきたのは、見間違えようもない。豊姫様、依姫様、そして──。
「だれ、あれ」
 お二人の後を、申し訳なさそうについて来る一匹の玉兎の姿があった。不安げな顔をして、背中を丸めて、きょろきょろと辺りを見回している。
「レイセンだよ。あんたの後釜で綿月家のペットになった子」
「……へえー」
 レイセンて。もうちょっと、新しい名前を考えようという気にはならなかったのか。雑じゃないか。豊姫様の雑は今に始まったことじゃないが、依姫様も少しは反対してくれればいいのに。いやでもあの人も抜けてるとこあるからな。
「がっかりした?」
「……なんか、気が抜けたわ」
 さっきまでの緊張は完全にどこかへ消えた。お二人の性格を思い出したからかもしれない。
「行ってくる」
 私が足を踏み出すと、三人は手を振ってくれた。いやあんたらいつまで隠れてるつもりだ。
「豊姫様、依姫様」
 声を掛けると、お二人は少し驚いた顔をして、ふわりと笑った。
「久しぶりね、レイセン」
「レイセン? えっ、あの、豊姫様、この方は?」
 ああ、かわいそうに。混乱している。それはそうだろう。自分と同じ名前の存在が現れたんだから。しかしなんと言うか、あんまり優秀じゃなさそうな子だな。
「前に言ったでしょう? 貴女の前に飼ってた、逃げ出しちゃった子よ」
 依姫様は淡々と説明した。ざっくりした説明だなぁ、と思った。
「その節は、ご迷惑おかけしました」
 私は頭を下げた。このまま素粒子のチリにされたりするだろうか。それはそれでいい気もする。罪は罪だから。
「あはは、いいって。元気そうで安心したわ」
 豊姫様は明るく笑った。私の罪は、あははと笑って済まされてしまった。
「ウドンゲ、お茶の用意お願い」
「はーい」
 師匠の指示に、間延びした返事をする。鈴瑚と清蘭が台所へ向かうのが見えた。気が効くなぁ。てゐは清蘭に引き摺られている。変な力関係だ。そう言えば姫様の姿が見えない。空は雲一つ無い青空で、晴れて良かったな、と思った。
「今はウドンゲって名前なの?」
 豊姫様が興味津々と言った面持ちで尋ねてきた。相変わらず好奇心旺盛な方だ。
「みんな好き勝手に名前付けるんですよ」
 私がそう言うと、豊姫様が吹き出した。何わろてんねん。まあ、私も笑っていたのでおあいこか。

     ○

「ねえ、鈴瑚」
 台所でお茶を淹れながら話し掛ける。
「私は、この罪を死ぬまで背負って生きていくんだと思ってた」
 鈴瑚は何も言わない。清蘭は未だに面白くなさそうな顔をしている。私は構わず話し続ける。
「でも、私の罪を気にしていたのは、私だけなのかもしれないね」
「もう一人いるでしょ」
 私の言葉に、清蘭が間髪入れず反論してきた。清蘭、さっきからなんだか機嫌が悪い。けど、言いたいことはよく分かった。
「そうだね。……鈴瑚」
 呼び掛けても、鈴瑚は何も言わない。こちらを見もしない。それでいい。これまでずっと隠してきた本音を、すぐに曝け出すことなんてできなくて当然だ。それでも。
 せめて、こっちからは本音を伝えようと思う。
「あの時、逃げてごめんね」
 私がそう言うと、鈴瑚は笑っているような泣いているような怒っているような、これ以上無いほど歪な表情をした。それを見て、私は大いに笑った。

     ○

 お茶を持って台所を出た、丁度その時。
 廊下の先からやってきた紅紫色の禍々しいオーラが、津波のように目の前の空間を埋め尽くしていった。
 自分の血の気が引く音が聞こえた気がした。



「純狐さん」
「うどん、ちゃん?」
 オーラの発生源は、庭の隅に蹲っていた。普段ほとんど揺らがない波長が、見る影も無く歪に揺れ動いている。その顔は生気を失い、能面のような無表情。視線も定まらず、果たしてこちらを認識できているのかも怪しかったが、声を掛けると波長の揺らぎが若干弱まったので、少し安心した。
 しかし、どうすればいい。師匠や豊姫様たちもすぐに異常に気付いて、こちらへやって来るはずだ。この状態の純狐さんを引き合わせるのは絶対にまずい。どこかへ移動して、それから、それからどうすればいいのか。見当もつかない。冷や汗と震えが止まらない。こうなることは予想できたはずなのに。自分の浅薄を、無力さを呪った。
「あなた、何をしているの」
 突然背後から声を掛けられて、心臓が止まりそうなほど驚いた。
「こんなことになるなら、あなたに純狐を任せるべきじゃなかったかしら」
「ヘカーティア……さん」
 振り向くと、いつ現れたのか、地獄の女神がそこにいた。呆れたようにこちらを見下ろしている。
「とりあえず場所を変えましょうか」

     ○

「綿月のお二人が、八意様に会いに行っているらしいの」
 飲みかけの紅茶のカップをテーブルに置いて、サグメさんは言った。
「知っていますよ、ここを通って行きましたから」
 今朝、槐安通路を通って行った三人を思い出す。玉兎はともかく、綿月のお二人はそれなりに浮ついていた。八意様の人望が窺える。
「私もついて行きたかった」
 サグメさんは不満げな顔をする。子供じみた我儘だ。とてもかわいらしい。それだけに、八意様に少し嫉妬してしまい、返事がお座なりになる。
「そうですか」
「そうですかじゃない」
 サグメさんが膨れる。かわいい。悪戯心が芽生えて、更にお座なりな返事を繰り返す。
「はいそうですか」
「ドレミー、あなた、私をおちょくっているのね。そうなのね」
「痛い痛い痛い痛い」
 サグメさんは私の尻尾を掴んでぎりぎりと引っ張る。やめてやめて。手が出るの早いですよ。いつまで経っても子供みたいなお方だ。そこがかわいい。
「ちょっと失礼するわよ」
「うわぁああ」
 急に空間に穴が空いて、地獄の女神が降ってきた。それに続いて仙霊一人、元玉兎が一匹。情けない悲鳴を上げてしまった。
「あの、すみません。何のつもりですか。どういう状況ですか」
「場所借して」
 私の質問には一つも答えず、地獄の女神はぶっきらぼうに言う。まるでこちらへの配慮が感じられない。
「槐安通路はレンタルオフィスじゃないんですよ」
「うるさい。非常事態なの。協力しなさい」
「……はい」
 有無を言わさぬ地獄の女神の様子に、私は折れた。
「夢の支配者って何なの」
 サグメさんが憐れんだ目でこちらを見てくる。やめて。

     ○

 私、純狐さん、ヘカーティアさん、ドレミー、サグメ様は槐安通路の片隅でテーブルを囲んだ。
 ドレミーはヘカーティアさんの指示で椅子やら紅茶やらを用意させられていた。哀れ。
 ヘカーティアさんは指でテーブルを叩いて、見るからに苛立っている。
 純狐さんは、振る舞いだけは落ち着きを取り戻していたが、波長は安定と不安定を繰り返している。意志の力で衝動を抑えているのだ。私はその姿に畏敬の念を覚えた。
 サグメ様は悠然と紅茶を飲んでいる。なんだその度胸。状況が分かっていないだけかもしれない。
 私は、それらをただぼんやりと眺めていた。状況が分かっていないのは私も同じだ。私はどうして連れて来られたんだろう。
「で、どうするの」
 ヘカーティアさんは私に問いかけた。
「どうするって」
 問いの意味を測りかねて、私は聞き返す。私にどうしろって言うんだ。
「純狐と月、どっちを選ぶの」
 ヘカーティアさんの言葉に、サグメ様が目を見開いた。
 なるほど、そういう話になるのか。ぼんやりした頭で、私は考えた。
 私が純狐さんを選ぶなら、豊姫様や永遠亭とは縁を切る。
 私が月を選ぶなら、その逆だ。
 私は、どちらかを選ばなければならない。今、この場で。
「うどんちゃん」
 私が言葉を出さずに居ると、純狐さんが私を呼んだ。不安定な波長とは裏腹の、優しい声で、柔らかな笑顔で。それを見ていると、胸の内に温かいものが広がっていくのが分かった。
 己の衝動に抗うだけでも想像を絶する負担なはずなのに、私のことまで気にかけてくれる。なぜ、こんなに素敵な人が私の傍に居るのか、私には分からない。ただ、幸せだな、と思った。
「安心して。うどんちゃんを悲しませはしないわ」
 そう言って、純狐さんは人差し指を自分の喉に突き刺した。鮮血が勢い良く噴き出して、テーブルを赤く染めた。
 ──は?
「何してるんですか」
「私が死ねば済むことでしょう」
 純狐さんは微笑んで言った。
「動かないでね、ヘカーティア。あなたが動くより早く、私は自分の命を絶つことができる」
 その言葉で、ヘカーティアさんは伸ばしかけた腕を止めた。純狐さんを止めようとしていたのだろう。
 ああ、なるほど。純狐さんは、死のうとしているのか。
 純狐さんが死ねば、もう月の都が襲撃されることもない。
 私も、出会う前の日々に戻るだけ。
 何もかもが丸く収まるのだ。
 なるほど、そうか。
 ふざけんな。
 気付けば私は立ち上がって、純狐さんの頬を引っ叩いていた。
 純狐さんは椅子から転げ落ち、驚いた顔でこちらを見ている。手首に激痛が走った。そんなに強く叩いたのだろうか。しかしそんなことはどうでもいい。周りの全員がこちらを見ているが、それもどうでもいい。どうでもよかった。そんなこと。
「純狐さんのばか」
 思わず口から零れ落ちた言葉は、嘘偽りも見栄も遠慮も恥も外聞も無い、紛れも無い本心だった。
「純狐さんの、ばか、ばか、ばか、ばか、ばーーーか!!」
 私は、目を丸くしている純狐さんに掴みかかった。
「何が、悲しませはしない、ですか! 純狐さんが死んだら私は泣きます! 泣き喚きます!」
 いなくなる側はいつだって、残される側のことなんて考えちゃくれないんだ。私だってそうだ。
 鈴瑚も、私のことを引っ叩きたくなったことがあるんだろうな。二度や三度じゃなく。甘んじて受け入れよう。でもそれは後だ。
「純狐さん」
 純狐さんの首に空いた傷口から、どくどくと血が噴き出て、私の手を濡らしていく。それすらも綺麗だと思った。
「もう、復讐なんてやめにしましょうよ。私と一緒に楽しく生きていきましょうよ」
 純狐さんは呆然と私を見て、何度か瞬きをした。その後、うわ言のように呟いた。
「私の憎しみは死ぬまで消えないわよ」
「なら、死ぬまでずっと傍にいます。純狐さんが死ぬなら、私も一緒に死にます」
 この人を残して死ぬことはできない。どんな手を使ってでもこの人の傍にいる。そう決めた。今決めた。
 純狐さんは苦しそうに目を閉じて、頭を抱える。私は目を逸らさない。
「復讐のために他の全てを捨ててきたのに、その復讐すら捨ててしまったら、一体私に何が残ると言うの」
 純狐さんの声は恐怖に震えていた。自分が自分でなくなることを、恐れていた。
「私は、純狐さんを知っています」
 私は務めて冷静に声を出す。届くように。決して離さぬように。
「穏やかで、優しくて、あどけない純狐さんを知っています」
 それでも、声は掠れて、震えて、上擦っていく。それに反応したように、純狐さんの瞳がこちらを向いた。綺麗だな、と思った。それが合図だった。
 純狐さんの傷口から出来た血溜まりに、涙の粒が落ちていく。
「純狐さん、死んじゃやだ」
 声も出せなくなって、私は泣いた。ただ泣いた。
 純狐さんは、私の背中に手を回して抱きしめてくれた。
「あなたは、気付いていたのね。憎しみで埋め尽くされる前の、まだ人であった頃の私に。純粋な、私に」
 純狐さんの声は優しかった。純狐さんの腕は優しかった。だから私はまた泣いた。大声を上げて、子供みたいに泣いた。
「うどんちゃん。あなたはとても真摯で、勇敢で、優しい子」
 純狐さんの声は、まるで子守唄みたいで。
 私の意識は微睡んでいく。
「いつか、私の中の憎しみが全て消える日が来たら、その時は、一緒に月へ行きましょう。あなたの大事な人達に会いに」

     ○

「あ、そうだ。サグメ様」
 目を覚まして、後片付けをして、帰り際。サグメ様に用があったのを思い出した。
「な、なに」
 あれ、怯えてる。どうしたのかな。私を後ろから抱きしめている純狐さんのことを気にしているのだろうか。これには私も参っている。目が覚めてからずっとこうだ。どうしたのか聞いても答えてくれないし。ヘカーティアさんが生暖かい視線を向けてくるのも鬱陶しい。
「鈴瑚と清蘭が会いたがってましたよ。そのうち会いに来てやって下さい」
 サグメ様は少しの間目を瞬かせていたが、やがて得心いったように頷いた。
「……分かった」
「貴女、ちょっと見ない間に随分度胸がつきましたね」
 ドレミーが言った。そうだろうか。そんなことないと思うけど。
 私が釈然としない気持ちでいると、サグメ様が私の腕を掴んできた。え、なに。
「案内して。会いに行くから」
「え」
 私とドレミーの声が重なった。

3

 今日は豊姫と依姫が永遠亭に来るらしい。しかし、ただ遊びに来るわけではなく、何らかの用件があって来るのだ。だとすれば、私は居る必要が無い。妹紅のところにでも行こう。そして必要な話が終わった頃を見計らって顔を出そう。そう思っていたのだが。
「輝夜、ごめんなさい。今日一日、メディスンを見ていてもらっていいかしら」
 そう言って、永琳は見るからにしょぼくれた表情で私の部屋にやってきた。片手は、むすっとした顔のお人形さんと手を繋いでいる。
「珍しいわね、永琳が私に頼み事なんて」
 私が言うと、永琳は「忸怩たる思い」を絵に描いたような顔をした。
「無理にとは言わな」
「やるわ。面白そうだもの」
 永琳が言い終わる前に私は答えた。
 
     ○

「こうして話すのは初めてね。私は蓬莱山輝夜。よろしくね、ふふふ」
 私が挨拶をすると、メディスンはむすっとした顔のまま言った。
「知ってるわ。永琳の一番大切な人だって」
「あら、永琳が言ってたの? ふふふ」
 永琳がそんなことを他人に言うとは思えないけれど。
「鈴仙から聞いたわ」
「そう。ふふふふふふふ」
「さっきから何を笑っているの」
 私が笑いを堪え切れずにいると、メディスンは呆れたように言った。
「あら、ごめんなさい。ふふふふふ」
 尚も笑い続ける私を訝しんでいたメディスンだったが、少し考える仕草を見せ、こう言った。
「ねえ、私、帰るわ。明日また来る」
「あら、そんなに私と居るのが嫌?」
 戯けた表情を作ってみせると、メディスンは眉間に皺を寄せた。
「そうじゃない。迷惑かけたくないの。あなただって暇じゃないでしょう」
 真面目な子だな、と思った。永琳の影響なのか、元々の性格なのか。しかし、言っていることは的外れである。
「期待に沿えず申し訳ないけれど、私はとっても暇なのよ。付き合って下さいな」
 思いがけない私の返答に、メディスンは言葉に詰まったようだ。
「ふふ、ふふふ」
「一体何がそんなにおかしいの」
 私の笑いは止まらない。メディスンは困惑している。引かれているのかもしれない。
「だって、あの永琳が、私にこんな頼み事をするなんて。ふふふ」
 永琳には、私を大事に思うあまり、何もさせようとしない時期があった。最近はマシになってきているが。
 そんな私に預けるということは。
「あなた、よっぽど永琳に気に入られているのね。妬けるわ」
 少なくとも現時点で、永琳にとってこの子は私よりも優先度が高いのだ。
 しかし当のメディスンは、俯いてなんだか悔しそうな顔をした。
「いくら気に入られていたって、一緒に居られないんなら意味無いわ」
「一緒に居たいのね」
 私の指摘に、メディスンは一気に頬を赤くした。あらかわいい。
「永琳は忙しいんだから、私が我儘言うわけにはいかないわ」
 メディスンは俯いたまま、絞り出すように言った。ふむふむ。なーるほどねー。そういうことねー。
「それは駄目よ」
「駄目って何」
 永琳と付き合うなら、遠慮は悪手だ。私は長い付き合いの中でそれを学習した。
「永琳はああ見えて会話能力は下の下だから」
「げのげ」
 メディスンは唖然としておうむ返しした。そんなに意外だろうか。それもそうか。永琳、いつでも完全無欠みたいな顔しているし。実際はそんなこと全然無いというのに。
 だから、永琳と付き合うためには、一つ心掛けなければいけないことがあるのだ。
「あなたがちゃんと伝えなきゃだめよ。どうしたいのか、どうしてほしいのか」
 メディスンはそれを聞いて、どうにも納得いかないといった顔をした。

     ○

「ヘイヘイヘーイ妹紅いるー? 遊ぼうぜー」
 私が突然陽気になったからか、メディスンが目を丸くしている。お恥ずかしい。てへ。
 永遠亭に留まっていても退屈だろうと判断し、妹紅のあばら家にやって来たのだが、戸を開けて出てきたのは別のよく知る顔だった。
「輝夜か。悪いが妹紅は今取り込み中だ」
「あら慧音、ごきげんよう。取り込み中って何してるの? 見てもいい?」
 言いながら、慧音の肩越しに中の様子を伺う。
「お前、遠慮を知らないのか」
「妹紅相手に何の遠慮がいるの」
 慧音は苦笑しながら招き入れてくれた。
 室内では、妹紅が赤青白の派手な服を着た妖精を羽交い締めにしているところだった。いや、ほんとに何してるの?
「あ、輝夜いいところに来た。これやるよ」
「これって何だよ! あたいはモノじゃないぞこら!」
「いらないわよそんなモノ」
「モノじゃないっての!」
 妖精はばたばたと手足を動かして、妹紅の束縛から逃れようとしている。ううむ。
「メディスン、いらっしゃい」
 私は玄関付近で所在なげにしていたメディスンを手招きした。
「なに、どうしたの」
「妖精を麻痺させる毒って出せる?」
「出せるわよ」
 言うが早いか、メディスンは妖精に向けて毒霧を噴射した。
「うぎゃーーーっ!!!」
 妖精はぐったりして動かなくなった。一件落着。

     ○

「こいつが竹林の狼女に悪戯をしているところをたまたま見かけてな。説教でもしてやろうと思って捕まえたんだが、妖精の割にかなりの力を持っていて、暴れて話にならなくて、参っていたんだ。助かった」
 慧音はそう説明した。私は竹林に狼女なんてものが住んでいることも今初めて知った。
 妖精は妹紅が手際良く縄で縛り上げてしまった。人を縛る技術なんてどこで身に付けたのだろう。不思議に思って眺めていると視線に気付いたのか、妹紅もこちらを見てきた。そして顔を顰めた。嫌なら見なければいいのではないかと思うのだが、妹紅は目を逸らさない。私も別段見るのをやめる理由が無いので見続ける。必然、見つめ合う形になる。あら、どうしてこんなことに。
「初めまして。私は上白沢慧音。里の寺子屋で教師をしている」
「メディスン・メランコリーよ」
 隣では初対面同士の挨拶が始まっていた。妹紅を見ているよりあっちの方が面白そうだ。私が視線をそちらに向けると妹紅が勝ち誇った顔をした。は? 別に目を逸らしたら負けのゲームとかしてないが。
「この子はね、永琳のお嫁さん」
「なッ、何言ってんの!? バッカじゃないの!?」
 私が補足すると、メディスンは真っ赤になって狼狽した。
「ほおー、永琳の」
 慧音は真面目な顔で感心している。
「違うわよ! 本気にしないで!」
「永琳、こんな感じが趣味なのか」
 妹紅まで混ざってきた。呼んでないのに。
「違うって言ってるでしょ!?」
「そうなのよー、私最近全然構ってもらえないの」
 嘘ではないが本当でもない。元々永琳は必要以上に私を構ったりはしない。
「違う! 違うってば!」
 メディスンの声はもはや悲鳴に近い。あまり小さい子をからかうのもよくないな、と今更思った。もう遅い。
「永琳が、永琳が、私みたいな子供、相手にしてくれるはず無いじゃない!!」
 メディスンはぽろぽろと涙を落とした。妹紅はぽかんとしている。慧音は慌て始めた。遅いわよ。私は屈んでメディスンと目線を合わせ、その頭を撫でつつ、ひとつ質問をした。
「メディスン、永琳の年齢知ってる?」
「……知らない」
 涙を拭いながら、メディスンは口を尖らせる。うーん、かわいい。
「二億歳」
「に、におく……」
 私の答えに、メディスンはあんぐりと口を開けて固まった。驚きのあまり涙も止まったようだ。
「だからね、永琳からしてみれば私もあなたもみんな子供みたいなものなのよ」
 現状、永琳にとって特別な存在は蓬莱山輝夜だけだ、というのは自覚している。
 ただ、そろそろそれを増やしてもいいのではないか、とも思うのだ。その方が、きっと楽しいから。
「メディスン。あなたも、永琳の特別になれる。私が保証するわ」
 メディスンは目を瞬かせると、震える声を零した。
「無理よ」
「無理じゃないわ」
「無理よ。私言ったもの。永琳に、好き、って。そうしたら永琳、ありがとう、私も好きよ、って笑うだけ。本気にしてくれないの」
 おおっと、これは困った。永琳め、なんてことを。
「ねえ、どうしたらいいの。私はどうしたら永琳の特別になれるの」
 メディスンは再び泣き出しそうな表情をしている。私は返答に窮して妹紅の顔を見た。妹紅は目を逸らした。役立たずめ。
「お前、そんなことも分からないのか!」
 突然、大声が響いた。見ると、縛られたままの妖精が、何事か叫んでいた。いつの間にか麻痺から回復していたらしい。全員の視線が妖精に集中する。
「好きな人に想いを伝える方法なんて、そんなの、太古の昔から一つしか無いじゃないか!!」

     ○

 少し寄り道をしてから、永遠亭に戻ってきた。メディスンと、妹紅と慧音、そして何故か妖精も一緒だ。クラウンピースという名前らしい。そういえば、妖精って穢れじゃないか。豊姫と依姫は大丈夫だろうか。もう今更か。気にしない方向でいこう。
 門を開け、中に入ったところで目の前の空間に亀裂が走った。何事かと思う間も無く、裂け目からぞろぞろと集団が現れた。
「あ、姫様」
「あら、イナバ」
 出てきたのは鈴仙だった。背中に背後霊のように純狐が貼り付いている。いつ見ても仲が良い二人だ。
 その後に続いて、何やら奇妙な格好の女性が現れた。
「あら、クラウンピース。奇遇ね」
「ご主人様! 友人様!」
 クラウンピースの知り合いらしい。そう言えば、方向性は違うが服装が奇抜なところは同じだ。どこの人なのだろう。
「おや、輝夜様」
「輝夜様……!」
「あらま」
 更にその後ろから、獏とサグメちゃん。これは流石に驚いた。
「イナバ、これはどういう集まりなの」
「成り行きです」
 鈴仙は涼しい顔で言った。あら、何だか度胸がついたかしら。

     ○

 サグメちゃんは会いたい人が居るらしい。鈴仙はその案内で、獏と純狐もそっちへ着いて行った。残る全員で永琳の元へ向かう。ぞろぞろと廊下を連れ立って歩く。永遠亭にこんなに大人数が居るの、初めてじゃないだろうか。
「大丈夫かな」
 メディスンが不安そうに呟いた。
「大丈夫だ! 絶対上手くいく! あたいを信じろ!」
 クラウンピースがメディスンを励ます。
「これで伝わらなかったらもう永琳は駄目だな」
 妹紅が言う。私もそう思う。
「もし伝わらなかったら説教だな」
 と、慧音。慧音に説教される永琳、見てみたい。
「ははーん、なるほど。そういうことねえ」
 クラウンピースのご主人様は、何も説明されてないにも関わらず気付いたらしい。勘の鋭い人だ。永琳も見習え。
 そうこう言っている間に客間に着いた。襖を少し開けて中を覗くと、永琳と豊姫、依姫、あと知らない兎の子が歓談の最中だった。雰囲気から察するに、真面目な話はもう終わったらしい。
「永琳、ちょっと来て」
「輝夜。どうしたの」
 永琳は豊姫達に断りを入れてからこちらへやってきた。クラウンピースに背中を押されて、隠れて様子を伺っていたメディスンが前へ進み出る。
「あ、あのね、永琳、これ、その」
 真っ赤になったメディスンが、赤い薔薇の花束を差し出す。永琳は見事に狼狽した。

     ○

「鈴仙どこ行ってたの。あんたの代わりに私がお茶汲みしてたんだよ。時給払え」
「時給なんて私も貰ったことないわよ」
 顔を見た途端にてゐに文句を言われた。居間ではてゐ、鈴瑚、清蘭が将棋崩しをしていた。暇そうじゃないか。これで時給が発生したら給料泥棒じゃないか。
「サグメ様ぁ!?」
 清蘭が驚きのあまり飛び跳ねた。飛び跳ねすぎて天井に頭をぶつけた。すごい脚力だ。
「何!? 月行ってたの!?」
 動揺する清蘭とは対照的に、鈴瑚はいたって落ち着いている。
「行ってたわけねーだろ。大方純狐の暴走を止めるために槐安通路に行ったら、ドレミーさんと逢瀬してるサグメ様に出くわしたとかでしょ」
 鈴瑚は尋常じゃない洞察力を発揮した。見てたのかな?
「逢瀬なんてそんな」
 ドレミーが照れてくねくねする。何この人。
「逢瀬ではない」
「うぐぅーっ」
 サグメ様がばっさりと切り捨てて、ドレミーが死んだ。南無。
「どちらかと言えば私とうどんちゃんが逢瀬をしていたわ」
 純狐さんが何か言い出した。そうかな。そうかも。
 不意に、サグメ様が何やら腕をカクカクと動かし始めた。なんだなんだ。
「あー、いや特に用があった訳じゃないですけど、豊姫様達が来るって聞いたから、サグメ様も来ないかなーって」
 次いで、鈴瑚が何やら喋り出した。なんだなんだなんだ。
 サグメ様は尚もなんだか不可解な動きをして、それに鈴瑚が言葉を返す。
「あはは、そうですね。サグメ様も元気そうで何よりです」
「鈴瑚、サグメ様はなんて言ってるの」
 清蘭が聞いた。これはあれか、サグメ様はジェスチャーをしているのか。どんな意味なのかちっとも分からない。まあいいか。それよりも。
「豊姫様たちは?まだ帰ってないよね?」
「客間に居るよ。八意様も」
 清蘭の言った八意様という名前に反応して、サグメ様の翼がばさりと広がった。

4

 サグメ様のジェスチャーの意味をみんなで当てるゲームが始まっている。何故だ。サグメ様はノリノリでポーズを決めている。実況はクラウンピース。いいのか、穢れとか。
 ちなみに今のところ鈴瑚だけが全問正解している。何らかの異能を持っている可能性がある。この才能を手放すのは月にとって損失ではないだろうか。知らんけど。
 ドレミーも果敢に挑んでいるが悉く不正解である。その度にサグメ様が冷たい目線を向けている。哀れだ。
 清蘭はやけに鈴瑚にくっついている。あれは何だろう。たまにこちらに視線を向けてくる。何なんだろう。
「あんたに嫉妬してるんだよ」
 てゐが言った。えー、いやいや、まさかぁ。
 そんな私の後ろには純狐さんがくっついている。これは、まあ、仕方ない。私も抵抗はしない。ただ横のヘカーティアさんのうざ絡みが本当にうざい。
 師匠はメディスンを膝に乗せている。何だか動きがぎこちない。何があったのだろう。
 そんな師匠を姫様と妹紅が両脇から囃し立てている。豊姫様まで参加している。流石にやりすぎじゃないか。慧音さんが諫めているが、誰もまるで聞いちゃいない。あ、姫様が頭突き食らった。痛そう。
 それを珍しい物を見る目で依姫様とレイセンが眺めている。実際珍しい光景ではある。
「そう言えば、依姫様と豊姫様はどんなご用だったんですか」
 私は依姫様に尋ねた。依姫様は私の背後の純狐さんを見て一瞬驚愕の表情を浮かべたが、すぐに何事も無かったかのように落ち着きを取り戻した。流石だ。
「相談よ。月の都の今後について」
「今後?」
 依姫様は頷いた。
「あそこも変わろうとしているのよ。実際に変わるには何百年、何千年かかるでしょうけど」
「へえー……」
 私は、開け放した障子のその先、真っ黒な闇夜に浮かぶ月を見上げた。そしてまた部屋を見回す。
 正直、月のお偉いさん達が何を考えていようとあまり興味は無かった。ただ、豊姫様と依姫様が、私の名前を継いだ子が、サグメ様が、かつての同僚達が、幸せになれたらいいなと思った。
 欠けの無い満月のように、私の大事な人達が、一人残らず幸福であればいいな、と思った。
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コメント



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1.90奇声を発する程度の能力削除
面白く良かったです
2.90名前が無い程度の能力削除
珍しい面子が揃っているということもあり、新鮮で面白かったです。
永琳とメディがとにかく可愛い。
3.90名前が無い程度の能力削除
良かったです。キャラクターたちの掛け合いが仲良さそうでほんわかとしました。
4.100夏後冬前削除
登場人物がワーッと出てくるのですがそれにしては話がきっちりまとまってて好きでした。
5.80めそふ削除
恋愛描写がちょっと置いてかれる感じがしてちょっと難しかったです。
沢山のキャラクターが出てるのにどの話が進行しているかが分かり易いのは良かったです
6.100南条削除
面白かったです
うどんちゃんが許されてよかったです
7.100yakimi削除
面白かったです
8.無評価yakimi削除
面白かったです