生来の怠惰さで惰眠ばかりしている。
仕事を辞めてからというもの、何事にもやる気の起きない日々が続いている。
月に居た頃は、いつか地上に行くことがあったらやってみたいことを、これでもかと言うほど思い浮かべていたはずだ。
しかし、いざいつでもできる状況になると、一つも気が乗らないのだから困ったものだ。
やりたいことも無く、やるべきことも無い。私は自由を持て余していた。
きっと今日も明日もこのまま、ベッドの上でダラダラして一日を過ごすのだろう。──あいつが居なければ。
「鈴瑚、起きて!朝だよ!」
○
「清蘭、どこに向かっているの」
「着いてからのお楽しみだよ、鈴瑚!」
清蘭はこちらを振り返りもせず、林道を軽快に進んでいく。私は足取りが重い。本当は足を止めて引き返してしまいたいのだけれど、清蘭に手を引かれている以上それもできない。
ただでさえ朝早くに叩き起こされた上、目的の分からない外出を強要され、非常にだるい。帰って寝たい。
清蘭は手に持った麦わら帽子をくるくると回転させながら、鼻歌を歌っている。なんでそんなに上機嫌なんだ。
視線を下に落とすと、雑草が朝露で濡れている。よって足も濡れる。だるい。
頭上では、羽の生えた生き物──確かスズメとかいう名前だ──が、一定間隔で珍妙な声を発し続けている。耳が痒くなる。だるい。
歩みを進めるにつれ視界が開けてきて、朝日を真正面に捉える。強烈な光に目が眩んだ。だるい。
「鈴瑚はだるだる星人だねえ」
清蘭は尚も上機嫌で、スキップでもしそうな勢いで歩き続ける。繋いだ手が振り回されて、私の身体もふらふら揺れる。
「だるだる星人って何…」
そんなやつらが暮らす星はすぐに滅ぶだろ。
着いた先は、人里の外れに建つ甘味処だった。扉に貼られた紙を見ると、まだ開店時間まで半刻ほど猶予があるらしい。
しかしながら店の前には、既に十人弱の人間と若干の妖怪が列を成してした。誰も彼も清蘭と同じように、期待に満ちて、上機嫌な顔をしている。気持ち悪いな。
「やった!今日は食べられそう!」
清蘭は耳をピコピコと振りながら飛び跳ねた。いや人里で耳は隠せ。私は慌てて清蘭の耳を麦わら帽子に詰め込んだ。
「この店さー、いつ来てもすっごい列でさー、たまに並んでみるんだけどいっつも売り切れちゃってさー」
さーさーうるさいやつだな。さーさー星人め。
しかし、清蘭がそんなに頻繁に人里に来ていたとは知らなかった。私の知らないところで行動範囲を広げていたらしい。
「早起きして良かったね!」
「一人で来ればよかったじゃん」
なんで私を巻き込んだんだ。いや、知っているけど。
「えーっ、一人じゃつまんないじゃん!」
清蘭は寂しがり屋だ。単独行動を可能な限り避けたがる。月に居た頃からずっとそうだ。
一人よりも大勢でいた方が楽しい、という感覚は私にも分かる。しかし私は単独行動を好む。なぜなら、一人でいた方が圧倒的に楽だからだ。私にとって人付き合いはあまりにも面倒くさすぎる。
ウキウキと列に並ぼうとする清蘭に、並ぶのは清蘭に任せて私はどこか別の場所で開店時間を待つ、という提案をしたらがっちりと腕を組まれた。逃げられなかった。あわよくば二度寝をするつもりだったのに。
しかし、並んでまで食べなければならない甘味とは何だろう。わざわざ早朝に起きて、半刻もの時をただ立って待機することに費やすのであれば、家で寝ていた方が同じ時間で味わえる満足度が高いのではないだろうか。
そういった主張をしたところ、清蘭は満面の笑みで答えた。
「鈴瑚と一緒なら、並ぶのだって楽しいよ」
私にだって良心はある。閉口する他無かった。
甘味は間違いなく美味しかった。ただし、価格は人里の他の甘味処よりもやや高めだし、並んだ時間を加味すると、もう一回来たいとは思わない。少なくとも、一人なら。
「おーいしー!」
迷惑だから大声で騒ぐな、と思わなくもない。しかし、これだけ喜色満面の声が店内から聞こえたなら、店側としても宣伝になるのではないか。そう考えてしまうほどの喜びようだった。
「すっごいよこれ!口の中でとろけて、とろけて、あっまいの!」
食レポは下手くそだが、その表情を見ていれば美味しさは十分に伝わってくる。一口くれ。
清蘭の食べっぷりを鑑賞していると、不意に背後から軽薄な声が聞こえてきた。
「おー、やっぱり清ちゃんじゃない。おっすー」
振り返ると、三人の少女が手を振ってこちらに近づいてくるところだった。
一人はやたらと派手な服を着て、装飾品を大量に身に付けている。
二人目は白地に青い波模様の浴衣姿で、何故か幻想郷には無いはずの海の匂いを纏っていた。
残る一人は、黒い和服を着た少女…のはずなのだが、なんだろう。印象が定まらない。注視しようとすればするほどぼやけていくようだ。
「店の外まで声が響いてたわよ」
「朝から元気ですね」
「響子といい勝負ね」
口々に言う三人の姿を見た清蘭は、口の中のぜんざいを慌てて飲み込んで、咽せた。何してんの。落ち着け。
「女苑、ムラサ、ぬえ!」
三人はそれぞれ清蘭に声を返すと、私達の隣のテーブルに着いて、お品書きを見ながら騒々しく話し始めた。とは言え、三人合わせても清蘭に及ばない。清蘭の騒がしさはおかしい。
「知り合い?」
未だに咽せている清蘭の湯飲みにお茶を注ぎながら訪ねる。
「前お寺に行った時に友達になったの」
「お寺なんてあったんだ」
知らなかった。どこにあるんだ。いつ行ったんだ。私の知らない情報が増えていく。
月に居た頃は、情報を集めることが職務の一環だった。仕事を失った今、情報収集の機会も失われている。いや自分の足で集めればいいんだけど、面倒くさいしなぁ。
「清ちゃーん、そいつが前言ってたお仲間ー?」
隣の席から、派手な格好の少女が話しかけてきた。声の調子から仕草、態度に至るまで、一貫して軽薄さが溢れ出ている。まあ、何事も重いよりは軽い方がいいな。重いものは面倒くさいから。
「うん、そう!鈴瑚ちゃんだよ!」
お前にちゃん付けされる謂れは無いぞ。というか私の情報を勝手に言いふらすんじゃない。
「どうも」
紹介されて何も言わないのもどうかと思うので、おざなりに挨拶をする。おざなりなのは、ちゃんとした挨拶をするのが面倒くさいからだ。
「つまらなそうなやつね」
黒服の少女が無愛想に無遠慮な評価を下す。見た目の曖昧さと反する明け透けさに好感を覚えた。
「何てこと言うの!ちょっと!」
清蘭が怒って立ち上がった。いやなんで清蘭が怒るんだ。
「落ち着いて。いいから」
「よくない!じゃあ鈴瑚は私が馬鹿にされても落ち着いていられるの!?」
宥めようとしたら失敗した。だが、清蘭との付き合いも長い。こういう時の対処法も心得ている。
「いや清蘭は実際に馬鹿だし」
「こらーっ!!」
なんとか怒りの矛先を私に向けさせることに成功した。他所といざこざを起こすのは面倒だからやめて欲しい。
ふと、隣の席から笑い声が聞こえた。見ると、三人揃ってげらげらと笑っていた。浴衣の人なんかテーブルに突っ伏して震えている。ツボに入ったか。
「案外面白い人ですね」
浴衣の人が涙を拭いながら言ってきた。案外、ということはこの人も私をつまらなそうだと思ってたな。物腰は丁寧だが、三人の中では一番裏表がありそうだ。なんだか纏っている空気が湿っぽいし。
「面白いのは清蘭だよ」
特に反応が面白い。そう言うと三人はますます笑って、清蘭はますます怒った。ほら、面白い。
結局、店を出るまで三人と一緒に清蘭を弄り倒していた。面白かった。清蘭の機嫌はお土産に大福を買ったら直った。安い女だぜ。
「私達、これから地底に行くの。すんごく美味しいお酒があるんだってー」
女苑が言った。朝から甘味を食べて、そのまま酒を呑みに行くのか。本当にお寺の関係者なのだろうか。
「地底って?地面の下に何かあるの?行ってみたい!」
清蘭は瞳を輝かせている。きらっきらだ。
「やめておいた方がいいですよ。地獄ですから」
ムラサが忠告をする。地獄というのは比喩なのか、事実なのか。どちらにしろ行きたくはないな。
「地獄ーっ!?」
清蘭のテンションが上がった。なんで?
「清蘭の好奇心は無限ね」
「いつか痛い目見そう」
呆れられている。実際、月に居た頃に何度か痛い目は見ているのだが、一向に変化が無いのだ。三つ子の魂百までだ。
「鈴瑚が一緒だから平気だもん!」
おい、勝手に私を巻き込むな。抱きつくな。
ぬえは奇妙な音色の口笛を吹いた。どこからそんな音が出るんだ、と思った。
「じゃーまたね、二人とも」
「また命蓮寺に遊びに来て下さいね」
「バイビー」
三人は最後までかしましく去って行った。女苑、バイビーってなに。
あんな連中がのさばる寺とは、一体どんな所なのか。俄然興味が湧いた。しかし、自分の怠惰さを考えると、明日以降は興味も薄れて、結局行くことは無いんじゃないか、とも思った。
「行く!絶対行くよ!」
清蘭は手を振りながら声を張り上げた。そんな簡単に約束をしてしまって大丈夫なのだろうか。
私は、具体性の無い約束が苦手だ。自分の性格を知っているから。明確な予定でないと動けないのだ。
「鈴瑚も、一緒に行こうね」
「ああ、まあ」
言葉を濁す。清蘭は屈託無く笑う。思わず目を逸らしてしまった。
○
「お、月の兎ども」
「あ、強い地上人」
甘味処からの帰り道。清蘭に付き合って商店街を覗いていたら、人間の魔法使いに遭遇した。いつ見ても似たような黒い三角帽子と黒い服を身につけている。
呉服屋の店先に座り込んで何をしているのかと思ったら、将棋を指していた。対局相手は黒と赤の着物を着た少女だ。大きな赤いストールを巻いていて、表情が見えづらい。
少女は私達を一瞥すると、すぐに目線を盤面に戻した。服装と相まって、暗い印象を受ける。
「相変わらず変な知り合いが多いわね」
少女は独り言のように呟いた。
「お前も変な知り合いの一人だぜ」
「違いないわ」
二人はにやりと怪しく笑い合う。本人が一番変なのではないかと思ったが、口に出すのはやめておいた。
不意に、ストールの少女が清蘭の方を向いた。頭だけがぐるりと回転したような、不自然な挙動だった。怖っ。
「あなた、その袋」
少女は清蘭が手に持っていた、大福の袋を見ていた。
「ああ、あの甘味処か」
魔理沙も知っていたらしい。そんなに話題になっているのか。知らなかったのは私だけか。
「いーでしょー」
清蘭が自慢気に、というか完全に自慢のために袋を掲げる。ストールの少女は目を輝かせている。甘い物好きか。そうか。
「並んだのか。あんな長蛇の列よく並ぶ気になったな」
魔理沙が言った。意外な人間と意見が一致したな、と思った。こいつは私とは真逆で、目的のためなら苦労を惜しまないタイプだと認識していたのだが。
「開店の半刻前くらいに並んだらすぐ入れたよ」
清蘭が言うと、ストールの少女が「明日行こう」とぽつりと零したのが聞こえた。
「私はお前らと違って忙しいんだ」
魔理沙は首を振った。
「遊んでるようにしか見えないけど」
私が指摘すると、魔理沙はケケケと笑った。
「遊ぶのに忙しいんだぜ」
「もし次行くことがあったら、私の分も買ってきてくれ」
別れ際、魔理沙が言った。なかなか具体性のある約束だな、と思った。
○
「あ」
「あ」
「あーっ!」
興味本位で立ち寄った貸本屋を出たところで、薬売りをしていた鈴仙に遭遇した。
「そっ、その袋はあの甘味処の…!ええー!なんで誘ってくれなかったの!」
清蘭の持つ大福の袋を見て愕然としている。あんたまで知っているのか。
いやでも、思い返すと、鈴仙は月に居た頃から流行り物には敏感な方だった。流行り物に食い付いておけば仲間に入れてもらえる、あわよくば尊敬を得られる、という打算もあったようだ。
「ふっふっふ〜、いいでしょー。鈴瑚が買ってくれたんだ〜」
「りっ、鈴瑚!私の分は!?」
あるわけ無いだろ。何言ってんだこの人。
「うう〜…仕事が無ければ私だって…」
鈴仙はがっくりと肩を落とした。
「相変わらず忙しそうだね」
「清蘭、この人はね、必要とされている実感が欲しいんだよ。そのために必須じゃない仕事まで好き好んでやってるだけで、実際は別に忙しくはないんだよ」
「なんで鈴瑚は私にだけ厳しいの?」
私はにやりと笑って答えた。
「私なりの愛だよ」
「そんな愛はいらない」
清蘭は私達のやり取りを、目をぱちくりさせながら眺めていた。なんだ。見せ物じゃないぞ。
○
「今度は私も誘ってよ!絶対だよ!」
鈴仙はそう言って去っていった。
「今度って、いつだろう」
具体性の無い約束がまた増えてしまった。
嫌だな、と思った。これから先、鈴仙に会うたびに今日の約束を思い返すことになる。果たせていない約束を抱えたまま人に会うことは、後ろめたさになり、ストレスになる。そうして会う頻度が下がり、いつしか疎遠になるのだ。幾度か経験した記憶が甦り、視界に影を落とした。
「いつでもいいじゃない。明日でも、明後日でも」
清蘭は、こともなげに言った。
「どうせみんな退屈してるんだから」
清蘭の言葉が鼓膜を揺らすと、目の奥で光がはじけた。雲が左右に流れて、空が広がったように見えた。
毎日が退屈なのは、私が怠惰だからだと思っていた。行動することを避け、現状維持を旨としてきたからだと。
だがそれは違っていた。私だけではなかったのだ。
今日会った皆を思い浮かべた。女苑も、ムラサも、ぬえも、鈴仙も。妖怪達は皆退屈していた。
清蘭はそれを知っているから、誰かに会いに行くことも、他人との約束も、躊躇しないのだ。
「清蘭は、すごいね」
私が言うと、清蘭はきょとんとした顔をしてから、朗らかに笑って言った。
「鈴瑚はダメダメだね」
むかついたので耳を引っ張っておいた。
仕事を辞めてからというもの、何事にもやる気の起きない日々が続いている。
月に居た頃は、いつか地上に行くことがあったらやってみたいことを、これでもかと言うほど思い浮かべていたはずだ。
しかし、いざいつでもできる状況になると、一つも気が乗らないのだから困ったものだ。
やりたいことも無く、やるべきことも無い。私は自由を持て余していた。
きっと今日も明日もこのまま、ベッドの上でダラダラして一日を過ごすのだろう。──あいつが居なければ。
「鈴瑚、起きて!朝だよ!」
○
「清蘭、どこに向かっているの」
「着いてからのお楽しみだよ、鈴瑚!」
清蘭はこちらを振り返りもせず、林道を軽快に進んでいく。私は足取りが重い。本当は足を止めて引き返してしまいたいのだけれど、清蘭に手を引かれている以上それもできない。
ただでさえ朝早くに叩き起こされた上、目的の分からない外出を強要され、非常にだるい。帰って寝たい。
清蘭は手に持った麦わら帽子をくるくると回転させながら、鼻歌を歌っている。なんでそんなに上機嫌なんだ。
視線を下に落とすと、雑草が朝露で濡れている。よって足も濡れる。だるい。
頭上では、羽の生えた生き物──確かスズメとかいう名前だ──が、一定間隔で珍妙な声を発し続けている。耳が痒くなる。だるい。
歩みを進めるにつれ視界が開けてきて、朝日を真正面に捉える。強烈な光に目が眩んだ。だるい。
「鈴瑚はだるだる星人だねえ」
清蘭は尚も上機嫌で、スキップでもしそうな勢いで歩き続ける。繋いだ手が振り回されて、私の身体もふらふら揺れる。
「だるだる星人って何…」
そんなやつらが暮らす星はすぐに滅ぶだろ。
着いた先は、人里の外れに建つ甘味処だった。扉に貼られた紙を見ると、まだ開店時間まで半刻ほど猶予があるらしい。
しかしながら店の前には、既に十人弱の人間と若干の妖怪が列を成してした。誰も彼も清蘭と同じように、期待に満ちて、上機嫌な顔をしている。気持ち悪いな。
「やった!今日は食べられそう!」
清蘭は耳をピコピコと振りながら飛び跳ねた。いや人里で耳は隠せ。私は慌てて清蘭の耳を麦わら帽子に詰め込んだ。
「この店さー、いつ来てもすっごい列でさー、たまに並んでみるんだけどいっつも売り切れちゃってさー」
さーさーうるさいやつだな。さーさー星人め。
しかし、清蘭がそんなに頻繁に人里に来ていたとは知らなかった。私の知らないところで行動範囲を広げていたらしい。
「早起きして良かったね!」
「一人で来ればよかったじゃん」
なんで私を巻き込んだんだ。いや、知っているけど。
「えーっ、一人じゃつまんないじゃん!」
清蘭は寂しがり屋だ。単独行動を可能な限り避けたがる。月に居た頃からずっとそうだ。
一人よりも大勢でいた方が楽しい、という感覚は私にも分かる。しかし私は単独行動を好む。なぜなら、一人でいた方が圧倒的に楽だからだ。私にとって人付き合いはあまりにも面倒くさすぎる。
ウキウキと列に並ぼうとする清蘭に、並ぶのは清蘭に任せて私はどこか別の場所で開店時間を待つ、という提案をしたらがっちりと腕を組まれた。逃げられなかった。あわよくば二度寝をするつもりだったのに。
しかし、並んでまで食べなければならない甘味とは何だろう。わざわざ早朝に起きて、半刻もの時をただ立って待機することに費やすのであれば、家で寝ていた方が同じ時間で味わえる満足度が高いのではないだろうか。
そういった主張をしたところ、清蘭は満面の笑みで答えた。
「鈴瑚と一緒なら、並ぶのだって楽しいよ」
私にだって良心はある。閉口する他無かった。
甘味は間違いなく美味しかった。ただし、価格は人里の他の甘味処よりもやや高めだし、並んだ時間を加味すると、もう一回来たいとは思わない。少なくとも、一人なら。
「おーいしー!」
迷惑だから大声で騒ぐな、と思わなくもない。しかし、これだけ喜色満面の声が店内から聞こえたなら、店側としても宣伝になるのではないか。そう考えてしまうほどの喜びようだった。
「すっごいよこれ!口の中でとろけて、とろけて、あっまいの!」
食レポは下手くそだが、その表情を見ていれば美味しさは十分に伝わってくる。一口くれ。
清蘭の食べっぷりを鑑賞していると、不意に背後から軽薄な声が聞こえてきた。
「おー、やっぱり清ちゃんじゃない。おっすー」
振り返ると、三人の少女が手を振ってこちらに近づいてくるところだった。
一人はやたらと派手な服を着て、装飾品を大量に身に付けている。
二人目は白地に青い波模様の浴衣姿で、何故か幻想郷には無いはずの海の匂いを纏っていた。
残る一人は、黒い和服を着た少女…のはずなのだが、なんだろう。印象が定まらない。注視しようとすればするほどぼやけていくようだ。
「店の外まで声が響いてたわよ」
「朝から元気ですね」
「響子といい勝負ね」
口々に言う三人の姿を見た清蘭は、口の中のぜんざいを慌てて飲み込んで、咽せた。何してんの。落ち着け。
「女苑、ムラサ、ぬえ!」
三人はそれぞれ清蘭に声を返すと、私達の隣のテーブルに着いて、お品書きを見ながら騒々しく話し始めた。とは言え、三人合わせても清蘭に及ばない。清蘭の騒がしさはおかしい。
「知り合い?」
未だに咽せている清蘭の湯飲みにお茶を注ぎながら訪ねる。
「前お寺に行った時に友達になったの」
「お寺なんてあったんだ」
知らなかった。どこにあるんだ。いつ行ったんだ。私の知らない情報が増えていく。
月に居た頃は、情報を集めることが職務の一環だった。仕事を失った今、情報収集の機会も失われている。いや自分の足で集めればいいんだけど、面倒くさいしなぁ。
「清ちゃーん、そいつが前言ってたお仲間ー?」
隣の席から、派手な格好の少女が話しかけてきた。声の調子から仕草、態度に至るまで、一貫して軽薄さが溢れ出ている。まあ、何事も重いよりは軽い方がいいな。重いものは面倒くさいから。
「うん、そう!鈴瑚ちゃんだよ!」
お前にちゃん付けされる謂れは無いぞ。というか私の情報を勝手に言いふらすんじゃない。
「どうも」
紹介されて何も言わないのもどうかと思うので、おざなりに挨拶をする。おざなりなのは、ちゃんとした挨拶をするのが面倒くさいからだ。
「つまらなそうなやつね」
黒服の少女が無愛想に無遠慮な評価を下す。見た目の曖昧さと反する明け透けさに好感を覚えた。
「何てこと言うの!ちょっと!」
清蘭が怒って立ち上がった。いやなんで清蘭が怒るんだ。
「落ち着いて。いいから」
「よくない!じゃあ鈴瑚は私が馬鹿にされても落ち着いていられるの!?」
宥めようとしたら失敗した。だが、清蘭との付き合いも長い。こういう時の対処法も心得ている。
「いや清蘭は実際に馬鹿だし」
「こらーっ!!」
なんとか怒りの矛先を私に向けさせることに成功した。他所といざこざを起こすのは面倒だからやめて欲しい。
ふと、隣の席から笑い声が聞こえた。見ると、三人揃ってげらげらと笑っていた。浴衣の人なんかテーブルに突っ伏して震えている。ツボに入ったか。
「案外面白い人ですね」
浴衣の人が涙を拭いながら言ってきた。案外、ということはこの人も私をつまらなそうだと思ってたな。物腰は丁寧だが、三人の中では一番裏表がありそうだ。なんだか纏っている空気が湿っぽいし。
「面白いのは清蘭だよ」
特に反応が面白い。そう言うと三人はますます笑って、清蘭はますます怒った。ほら、面白い。
結局、店を出るまで三人と一緒に清蘭を弄り倒していた。面白かった。清蘭の機嫌はお土産に大福を買ったら直った。安い女だぜ。
「私達、これから地底に行くの。すんごく美味しいお酒があるんだってー」
女苑が言った。朝から甘味を食べて、そのまま酒を呑みに行くのか。本当にお寺の関係者なのだろうか。
「地底って?地面の下に何かあるの?行ってみたい!」
清蘭は瞳を輝かせている。きらっきらだ。
「やめておいた方がいいですよ。地獄ですから」
ムラサが忠告をする。地獄というのは比喩なのか、事実なのか。どちらにしろ行きたくはないな。
「地獄ーっ!?」
清蘭のテンションが上がった。なんで?
「清蘭の好奇心は無限ね」
「いつか痛い目見そう」
呆れられている。実際、月に居た頃に何度か痛い目は見ているのだが、一向に変化が無いのだ。三つ子の魂百までだ。
「鈴瑚が一緒だから平気だもん!」
おい、勝手に私を巻き込むな。抱きつくな。
ぬえは奇妙な音色の口笛を吹いた。どこからそんな音が出るんだ、と思った。
「じゃーまたね、二人とも」
「また命蓮寺に遊びに来て下さいね」
「バイビー」
三人は最後までかしましく去って行った。女苑、バイビーってなに。
あんな連中がのさばる寺とは、一体どんな所なのか。俄然興味が湧いた。しかし、自分の怠惰さを考えると、明日以降は興味も薄れて、結局行くことは無いんじゃないか、とも思った。
「行く!絶対行くよ!」
清蘭は手を振りながら声を張り上げた。そんな簡単に約束をしてしまって大丈夫なのだろうか。
私は、具体性の無い約束が苦手だ。自分の性格を知っているから。明確な予定でないと動けないのだ。
「鈴瑚も、一緒に行こうね」
「ああ、まあ」
言葉を濁す。清蘭は屈託無く笑う。思わず目を逸らしてしまった。
○
「お、月の兎ども」
「あ、強い地上人」
甘味処からの帰り道。清蘭に付き合って商店街を覗いていたら、人間の魔法使いに遭遇した。いつ見ても似たような黒い三角帽子と黒い服を身につけている。
呉服屋の店先に座り込んで何をしているのかと思ったら、将棋を指していた。対局相手は黒と赤の着物を着た少女だ。大きな赤いストールを巻いていて、表情が見えづらい。
少女は私達を一瞥すると、すぐに目線を盤面に戻した。服装と相まって、暗い印象を受ける。
「相変わらず変な知り合いが多いわね」
少女は独り言のように呟いた。
「お前も変な知り合いの一人だぜ」
「違いないわ」
二人はにやりと怪しく笑い合う。本人が一番変なのではないかと思ったが、口に出すのはやめておいた。
不意に、ストールの少女が清蘭の方を向いた。頭だけがぐるりと回転したような、不自然な挙動だった。怖っ。
「あなた、その袋」
少女は清蘭が手に持っていた、大福の袋を見ていた。
「ああ、あの甘味処か」
魔理沙も知っていたらしい。そんなに話題になっているのか。知らなかったのは私だけか。
「いーでしょー」
清蘭が自慢気に、というか完全に自慢のために袋を掲げる。ストールの少女は目を輝かせている。甘い物好きか。そうか。
「並んだのか。あんな長蛇の列よく並ぶ気になったな」
魔理沙が言った。意外な人間と意見が一致したな、と思った。こいつは私とは真逆で、目的のためなら苦労を惜しまないタイプだと認識していたのだが。
「開店の半刻前くらいに並んだらすぐ入れたよ」
清蘭が言うと、ストールの少女が「明日行こう」とぽつりと零したのが聞こえた。
「私はお前らと違って忙しいんだ」
魔理沙は首を振った。
「遊んでるようにしか見えないけど」
私が指摘すると、魔理沙はケケケと笑った。
「遊ぶのに忙しいんだぜ」
「もし次行くことがあったら、私の分も買ってきてくれ」
別れ際、魔理沙が言った。なかなか具体性のある約束だな、と思った。
○
「あ」
「あ」
「あーっ!」
興味本位で立ち寄った貸本屋を出たところで、薬売りをしていた鈴仙に遭遇した。
「そっ、その袋はあの甘味処の…!ええー!なんで誘ってくれなかったの!」
清蘭の持つ大福の袋を見て愕然としている。あんたまで知っているのか。
いやでも、思い返すと、鈴仙は月に居た頃から流行り物には敏感な方だった。流行り物に食い付いておけば仲間に入れてもらえる、あわよくば尊敬を得られる、という打算もあったようだ。
「ふっふっふ〜、いいでしょー。鈴瑚が買ってくれたんだ〜」
「りっ、鈴瑚!私の分は!?」
あるわけ無いだろ。何言ってんだこの人。
「うう〜…仕事が無ければ私だって…」
鈴仙はがっくりと肩を落とした。
「相変わらず忙しそうだね」
「清蘭、この人はね、必要とされている実感が欲しいんだよ。そのために必須じゃない仕事まで好き好んでやってるだけで、実際は別に忙しくはないんだよ」
「なんで鈴瑚は私にだけ厳しいの?」
私はにやりと笑って答えた。
「私なりの愛だよ」
「そんな愛はいらない」
清蘭は私達のやり取りを、目をぱちくりさせながら眺めていた。なんだ。見せ物じゃないぞ。
○
「今度は私も誘ってよ!絶対だよ!」
鈴仙はそう言って去っていった。
「今度って、いつだろう」
具体性の無い約束がまた増えてしまった。
嫌だな、と思った。これから先、鈴仙に会うたびに今日の約束を思い返すことになる。果たせていない約束を抱えたまま人に会うことは、後ろめたさになり、ストレスになる。そうして会う頻度が下がり、いつしか疎遠になるのだ。幾度か経験した記憶が甦り、視界に影を落とした。
「いつでもいいじゃない。明日でも、明後日でも」
清蘭は、こともなげに言った。
「どうせみんな退屈してるんだから」
清蘭の言葉が鼓膜を揺らすと、目の奥で光がはじけた。雲が左右に流れて、空が広がったように見えた。
毎日が退屈なのは、私が怠惰だからだと思っていた。行動することを避け、現状維持を旨としてきたからだと。
だがそれは違っていた。私だけではなかったのだ。
今日会った皆を思い浮かべた。女苑も、ムラサも、ぬえも、鈴仙も。妖怪達は皆退屈していた。
清蘭はそれを知っているから、誰かに会いに行くことも、他人との約束も、躊躇しないのだ。
「清蘭は、すごいね」
私が言うと、清蘭はきょとんとした顔をしてから、朗らかに笑って言った。
「鈴瑚はダメダメだね」
むかついたので耳を引っ張っておいた。
とても楽しく読ませていただきました。
登場するキャラクターをしっかりと感じられて、大変読みやすかったです。
元気な清蘭がかわいらしかったです
これがコミュ強か