「ねえ、宇宙ってどんなとこだった?」
フランがそう私に尋ねた時、なんだ、行きたかったんじゃん、と思った。
「宇宙ねぇ。星々が手に届きそうなところに一面広がっているのは、それはそれは綺麗な光景だったわ」
私は遠い目をして、いつかロケットで月に行った時のことを思い浮かべる。
実際は、そう昔の思い出でもないけれど。
「青かったり紅かったり黄色かったり、そんなような星々が空一面に、まるで宇宙にキャンディをぶちまけたように色めきだっていたわ」
ブックライトだけが照らす、フランのベッドの上に腰掛けて、それこそ絵本を読み聞かせるように私は物語る。
あの時のことを思い出すと、頬が緩んでしまう。
純粋に、楽しかった。
パチェにロケットを作ってもらって、霊夢と魔理沙がそれに乗っていて、咲夜とメイドたちが私に付き添って空を超えた記憶。
幻想郷の宇宙は不思議に昼と夜とがあって、昼は薄青の空に雲が延々と連なる退屈な景色だったけれど、夜になれば地上から眺めていた星たちが、それこそ手に取れるくらい大きく、光り輝いていて。
それを咲夜たちと見た思い出は、その後の顛末を含めても、とっても素敵な思い出だと言うに相応しかった。
だからそれをフランと見れたら、もっと良かったのになぁとずっと思っていたのだけど。
「ちょうどフランの羽根みたいな色とりどりの星屑が散らばっててさぁ」
私はそう言いながら、隣に座るフランの七色の羽根に指を絡める。
フランは、きもい、と言ってそれを手ではねのけた。
「そうしていくつもの雲を超えて、月に辿り着いた私はそこでふんぞり返ってる奴らをぎゃふんと言わせたってわけ。思い出してみても傑作だわぁ、私がグングニルで月兎どもをばったばったと薙ぎ倒すシーン、フランにも見せたかったなぁ」
「咲夜は、お嬢様は調子に乗ってコテンパンにのされてましたって言ってたよ」
「咲夜しばく」
「どうでもいいのよ、月なんて」
フランは無表情でじっと私の目を見つめていた。
そんなあどけない顔で、まるい瞳で至近距離で見られたら照れちゃう。
「やだ、私の妹可愛すぎじゃん」
「でも、星屑には興味あるの」
「え、私の言葉スルー?」
「きっと綺麗なんでしょうね。だって、幻想郷から見る星空だって綺麗だもの。それが触れられそうなほど近くにあるなら、尚更」
「ええ、それはもうフランの羽根が全天に広がっているような、圧巻の景色よ。フランの羽根のほうが綺麗だけどね!」
「別に月はどうでもいいけど、宇宙には興味あるの」
「さっきから私の愛の言葉全スルーじゃん」
「気狂いとは会話が成立しないものよ」
「どこに自分が気狂いって自覚してる気狂いが居るかい」
私はきゃあきゃあ騒ぎながら、フランの言葉について考えていた。
どういう風の吹き回しなのか。私も気まぐれだけど、妹も大概だな、と思う。そこも可愛いけれど。
かつて行った月に妹は同行しなかった。
誘ったけど、月を乗っ取るとか紫をぎゃふんと言わすみたいな話に妹は心底興味が無さそうだった。
多分、本心。
今も変わりないと思う。
「宇宙に行きたいの?」
「……」
フランは艷やかな金髪のその前髪をいじくっていた。
フランが星空をまた見れるようになったのは、ここ数年のことだった。
幻想郷に来るまでフランが外に出ようとしたことは、数えるくらいしかなかったと思う。特に後ろの二百年ほどは。
私が軟禁していたのもあったし、フラン自身も外に出たがることはなくて。
それは興味が無いというより、外に出る意義を見い出せなかったんだろうな。
当然だ。何もかも手にかかればすぐ壊れてしまう世界で、ましてや姉には外に出るなと言われていて……。
だから、年を経るごとにつれてフランは外に出ようとしなくなった。
軟禁は有名無実となって、私は逆にいかに外の世界に興味を持たせるかに苦心するようになった。
私は、ひどい姉だ。
結局、私がフランを外に連れ出すことは出来なかった。その役目は、魔理沙や咲夜がやってくれた。
私は、私がフランにしてしまった仕打ちを自分で清算することが出来なかったことをいつも後ろめたく思っている。
誰かに言うことなんて、とてもできないけど。
そして妹は、そう簡単には壊れない人間たちとこの幻想郷で初めて触れあって、外界に興味を持つようになった。
それは日増しに強くなっているはずで、宇宙の話をし始めたのも多分それが動機で。
本当は是が非でも宇宙に行きたいはずだろう、と思った。
それを、私を前にして言えないんだろうか。
……言えないんだろうな。
それが分からないほど私は愚かな姉じゃない。
「フランが行きたいと望めば、私はどこへだって連れていってあげるわ」
閉じ込めたのは自分だった癖に。
そう、頭の中で声がする。
「……べつにぃ、そこまで行きたいわけじゃない」
「……」
フランは足をぷらぷらと遊ばせていた。私はそれを見ては黙り込んだ。
フランを外に連れ出す、そういった話題の時だけ、私はいつも口数を減らしてしまう。
私が連れていくなんて、どの口が言ってるんだ。私がフランにした仕打ちを考えれば……。
……。
フランと宇宙、行きたいなぁ……。
いいこと思いついた。
私が行きたいってことにすればいいじゃん。実際行きたいし。
そしたらフランは私に渋々乗る形になる。結果フランも願いが叶ってウィンウィンでみんな幸せじゃん?
やだ……やっぱり私って天才……。
「あーーフランと宇宙行きたいなーー!!」
急に大声を出した私に、フランはぴくっと一瞬体を震わせた。
「宇宙ヤバいわよ! めっちゃ綺麗で! でもなーーんにもないの! でもなんにもないおかげで星がめっちゃ綺麗! 地球とか超青いし!」
「え……どうしたん急に……」
「フランにも見せたいなーー! あの光景! 星! 色とりどりの一面の星!」
「語彙力ゼロか……?」
ずい、と身体をフランの方に寄せる。
「あぁーお姉様見たいなぁ……フランと宇宙行きたいなぁ……」
「……」
「星、見たいなぁ……ねぇ……行きましょう……?」
フランは私から目を逸らして、顔をしかめて壁を見ている。
「どうやって行くのよ」
否定、されなかった。
「だって、あの時はパチュリーがロケットを作ってくれたんでしょ。私知ってるよ、ロケットはそう簡単に作れるものじゃないわ」
「ロケットなんて不要よ。私たちは宇宙に行ければそれでいい、ということは」
フランの顔を覗き込んでにやりと笑う。
「あの星屑みたいに美しい、この羽根があるじゃない」
「は?」
「あんたが連れてってよ」
「え、……」
フランは目をぱちくりさせて、私の言葉を上手く飲み込めないでいるようだった。
私は微笑んで、八重歯を見せて笑った。
「私を抱きかかえて、そのきれいな羽根で」
「……ふぇ?」
◆◆◆◆◆◆◆
まだ太陽が登るまでには遠かったけれど、早く実行できるに越したことはない。
遠い星の光だけが照らす闇の中、私たちはめいっぱい厚着をして、紅魔館庭園前の芝生の上に立っていた。
風は微風。加速するとちょっと強めに感じる程度の気持ちよく飛べる風量具合だと思う。
フランは厚いコートを羽織ってモフモフの紅いマフラーを巻いて、手袋に息を吐いていた。
「生身の宇宙は寒いらしいからね」
「……いやまあそうだけど、この程度でどうにかなるものじゃないと思うんだけど……」
私を睨みつけるフランの言葉を、ふふんと笑ってやる。
「それは本での知識でしかないでしょう? 百聞は一見に如かずよ」
「……すごい詭弁な気がする」
「大丈夫、本で見た宇宙服ってやつも同じくらいもこもこだったわ」
今が寒くって本当に良かった。夏に厚着とか死ねるからね。
ひゅう、と強めの冬風が頬を撫ぜて、フランが顔を手で覆う。
フランは不満そうな、不安そうな表情で私を見ていた。
「ほんとにやるの?」
「ええ」
今日、私たちが宇宙に出るプランはただ一つ。飛んでひたすら上空を目指す。
もちろんただ飛ぶだけじゃつまらない。
どうするかというと、抱き合って飛ぶ。
何故か。理由はない。私がフランに抱きついて飛びたいだけ。
強いて理由付けするとしたら、宇宙飛行士が宇宙船無しで宇宙に行くことなんて有り得ない、みたいな感じだろうか。
「よんぜろまるまる。作戦を開始するわ」
時計台が四時を刺すのを横目で見ると、私は宣言をした。
「ほい、じゃあフランは私をネコみたいに持って」
「……えぇー」
しかめっつらのままのフランが私を後ろの両脇から抱きかかえて、少しだけ浮上する。
私はだらんと全身の力を抜いて、ただフランに持たれるがまま。
「じゃあ行くわよ」
「いや無理無理無理私の負担がすごい」
フランが地面に足をつけ、私の靴がずさりと土の上をすべる。
「そうやって一回は乗ってきてくれるところ、スカーレットの血筋よね。好きよ」
「……」
フランが目を逸らして、べーと舌を出した。
そんな妹の所作の一つ一つが可愛らしくて私は微笑んでしまう。
「ところで負担って何よ私の体重が重いってわけ!?」
「急にニヤニヤしたと思ったらキレだして何なの怖い」
「私が思うに、やっぱり二人抱き合って飛ぶしかないと思うのよね」
「へ?」
言うが早いか、私はフランに抱きついて背中に手を回す。
「……待って」
「待たない」
フランが、顔を真っ赤にして私の身体をひっぺがそうとする。
「フランも。手を回して」
「嫌だよ、いや何これバカじゃないの」
「二人一緒に加速して宇宙に行くには、なるべく空気抵抗の少ない形かつ万が一の空中分解が起こらないようになるたけ離れないようにしっかり抱き合って飛ぶのが合理的というものでしょう?」
「すごい早口じゃんキモい」
「ハグミーキスミープリーズ」
「は?」
むにゃむにゃ言いながらフランも私の身体に抱きつく形になってくれた。
「……や、これ、……恥ずかしい」
「これってランデヴーってやつかしら」
「……多分違うと思う」
顔を逸らしてなにやら呟いているけど、耳まで真っ赤になっていた。
私も、多分そうなってる。
陳腐な表現で言えば、それはまるで恋のような胸の高鳴りだった。
けど、私たちの間にあるものはそんな単純で戯けた感情じゃない。
五世紀の間、私はフランドールに何もしてやれなかった。
五世紀の間、フランドールは私を憎んでいた。
五世紀の間、私たちは繋がっていた。
五世紀の間、私たちは想い合っていた。……と思う。
何度も何度も傷付けあった。
殺し合いになったことも何度もあった。
私はフランドールを嫌いになったり憎んだりしたことはただの一度もなかったけれど、そのこと自体がフランドールを傷つけていたことだって知っている。
でも、たった一人の愛しい妹なんだ。嫌いになれるわけがない。
たった一人の愛しい妹。
彼女に世界を嫌ってほしくなくて、世界から遠ざけたりした。
それは、間違っていたとは言いたくない。
でも、全て正しい選択だったと言い切ることはどうしてもできなくて。
「……なに、じっと黙ってんの」
今度、沈黙していたのは私だった。
「フランって可愛いなぁと思って。見惚れてた」
「……またそういう。そういうのいい加減飽きた」
私の言葉に、毎回律儀に目を逸らして赤くなるフランも大概だと思う。
この五世紀あまりの果てに行き着いた先が、抱き合って宇宙を目指すなんて、バカバカしくて最高だと思わない?
私の感じている高鳴りは、多分そういうことだと思う。
所作の一つ一つ、造形一つ一つ取っても愛らしいけれど、そんなのどうでもよくなるくらい内面の隅々まで愛らしさに溢れていて愛しい妹と二人で空を飛べるんだ。
その光景は、フランドールが初めて破壊の力を行使した日からずっと想っていた。
「行くわよ」
「……うん」
「元気がなぁーい」
「え?」
「宇宙に行くのよ!? もっとテンション上げて行かないと宇宙に失礼なんじゃないの!?」
「宇宙に失礼って何?」
「さあ行くわよ、フラン! 無限の彼方へ!」
「……うんっ」
先に地面を蹴ったのはどっちか分からなかった。
私たちは、空を飛ぶ。
そして宇宙へ行く。
妹の羽根のような、星を見に行く。
無事に辿り着いたら星々に言ってやろう。
貴様らなんかよりフランの羽根の方が無限倍美しいわ!
って。
◆◆◆◆◆◆◆
ぎゅっと腕の中に抱いた妹の身体は小さくて細かった。
藍色に澄みわたる幻想郷の空の中を、静かに上昇していた。
連なる山々を超えて、遠くの方にちぎれた雲が霞んで見えた。
私の紅魔館は肥沃なる幻想郷の大地のなかで凛然と輝いていたけれど、それも少しずつ少しずつ遠くなっていく。
フランは、その遠くなる紅魔館をただ見つめていた。
私はそんな横顔を見ていた。
何を思うでもなく、話すでもなく、ただその顔に見蕩れていた。
そして上空に広がる漠漠たる青い虚空を見た。
地上で見た星空はすぐに手に届きそうだったのに、飛び出してみればあまりに遠くて永遠に届かなそうに思えた。
でも私にはフランが居る。
「私たち二人なら、どこへだって行けるはずよね」
そう呟く。
フランは何も返してくれなかった。
濁った目でそっぽ向いて、目下の地上をただ眺めている。
きっと、フランはどこへだって行けるだなんて思ってないんだろうと思った。
それでいい。
フランがどう思ってようと、私はそう信じてる。
「……どこへでも行けるわけないじゃん」
「あら」
「どこへでも行けない方がいいでしょう? 身の程に合った場所に居た方が幸せよ。お姉さまも月の時に学んだでしょ」
「つまんない答えね」
「つまんなくて悪かったね」
私はせせら笑って、妹は口を尖らせる。
私たちの加速に抵抗する空気が、鼓膜を打つ。
それでもフランの声だけははっきりとちゃんと聞き取ることができる。
「どこへでも行けるわけないけど、」
フランがたどたどしく、言いづらそうに言葉を紡ぐ。
「どこへでも行けそうな気、しちゃうんだ」
そう言って、自嘲するように少し笑った。
「悪い気はしないよね」
その様がひどく可憐で、愛おしくて。
「……フラン」
私はそんな、日陰に咲く花のような少女を五百年も世界から閉ざしていた自分のことをとても罪深く思う。
「外、出たかった?」
「んー……今もちょっと、迷ってるかな」
声に不安を隠し切れない私の気持ちを知ってか知らずか、フランが言う。
「身の程、じゃないけど……あの頃は、きっとあれでよかったんだ」
本当に、それでよかったんだろうか。
閉じ込めたりせず、遠ざけたりせず、妹に自分の力を呪わせることなく。
もっと妹を幸せにできる選択肢があったんじゃないかと、考えてもしょうがないことを時折考えてしまう。
「今もそんなに出たいわけじゃない。疲れるし。でも、」
妹が、地上を飛び立ってから初めて、私の目を見て言う。
「綺麗なものが見たい」
「……」
「どこかに行きたいわけじゃないの。でも綺麗なものが見たい」
地下図書館にいつの間にか納められて、いつの間にか妹が読んでいた小説たち。
完璧で瀟洒で、少しとぼけていて幼いメイド。
ある日突然館にやってきて、星屑を撒いた弾幕で自分を生まれて初めて負かした魔法使い。
黒く塗りつぶしたカンバスのようだったフランの生の中に、ゆっくりと時間をかけて少しずつ少しずつ色とりどりの綺麗なものが溜め込まれていって。
それらは触れれば触れるほど、もっといろいろな美しさに触れたくなってしまう。
もっともっと、世界を知りたくなってしまう。
生まれてきた意味になり得るくらいの強い衝動に、妹は今突き動かされている途中なんだ。
私が今、同じように、そうして日々生きているように。
「……綺麗なものが見たい、ね」
「それって、遅すぎるなんてことないと思うんだ。だからそんな顔しないで」
「え?」
思わず自分の頬を触る。
フランは、寂しそうな、申し訳無さそうな顔をして微笑んでいた。
それきり二人黙り込んで、天空に向かって飛行を続けていた。
次第に肌に感じる空気は冷え込んで、風は外気に晒されている顔や耳の内を刺すようになってくる。
雲さえも飛び越えて、幻想郷はとうに見えなくなり、海に囲まれた島々となり。
もうじき、私たちが生まれた古い郷も、あの海の向こうに小さく見えるのだろうか。
海を超え、島国の山奥に辿り着いて、そしてそれを見下ろしている、今に至るまでの生を想う。
五百年の足跡が指でなぞれるくらい、私たちの下で回る星は今や地球儀だった。
ルーマニアからイギリスに渡り、いくつもの国を経て中華民国からまた欧州に戻り、そして日本の幻想郷へ。
私は、私が辿ったその国々のさまざまな美しい風景を今でもしっかと思い出すことができる。
目の前に居るこの娘は。
風の音をすりぬけて、沈黙が耳を打つ。
「フラン」
「……」
「ごめんね」
「……なにが」
「許されるとは思ってないけど」
「……ふふ」
フランが微笑する。
「なんで笑うのよ?」
「いっつも私に言ってるじゃない。過去は過去だって」
「あ」
私よりも過去を後ろめたく思っている妹に、何度も何度も過ぎ去った昔のことをいつまでも引き摺るのは愚かだと言った。
それは少しずつ着実に妹を変えているようで、私は嬉しかった。
けれど、本当に変わるべきは私で、変わるための術をまだ持ち得ていないのではないかと、それだけを不安に思っていた。
「私は気にしてないよ。閉じ篭もってたこと……本当に気にしてないの」
そう言って、妹は目を瞑った。
「あの頃は……今もだけど、あの頃はもっとおかしかったから。きっと閉じ篭ってなかったら、本当に取り返しのつかないことをしてたかもしれないし。それにさっきも言ったでしょ。身の丈に合った場所が一番いいって」
まだ、その言葉を鵜呑みにすることができない。
「……でも、そうだね、ちょっとくらい後ろめたく思われてるのもいいかな」
そんな顔しないで、と言いたいのはこっちだった。
「私も、同じだから」
言えなかったけれど。
私たちは、従者たちから仲睦まじい姉妹に思われているだろう。
私は引きこもりの妹の部屋に足繁く通い、妹を振り回して、妹はそれに付き合ってくれている。
妹も、たまにテラスで私と紅茶を嗜み、気まぐれに私と連れ添って庭園を歩く。
交わすのはいつだって言葉遊びで、二人にしか分からない符牒で、屈折した愛憎の現れだった。
それは傍から見れば仲睦まじい姉妹だろう。
一番付き合いの長い美鈴も、親友のパチェもそう思っている。日の浅い咲夜なら尚更だ。
そんなことない。
その実は、仲睦まじいなんてとても言えないくらいに殺し合った五百年があって、今はお互いにぎこちなく歪な姉妹の真似事をしている。
私たちの関係性はどす黒く腫れ上がり、畸形にねじ曲がり、愛と憎悪を煮詰めてドロドロになった坩堝のように混沌としている。
お互いに探りながら、それを癒やしている途中だった。
自分のせいだと思いあって、それでも人間たちとの出会いでやっと前を向けているような気がして、これを完全に治すにはあと何百年掛かるのだろうか。
しかも今やその塊は止まることはなく、宇宙に向けて更に加速を続けている。
「ごめんね」
今度言ったのは妹だった。
「……」
謝る必要なんてない。
何を謝ることがあるっていうの。
こっちだって謝りたいことがいっぱいあって、
でも、多分お互い尽きないから、
もう、
……
言いたい言葉は沢山あるのに、一つも口から出てこない。
「……もぉ」
フランが困ったように笑って、上昇のスピードを上げる。
なんだか、それは調子が悪い時のフランを宥める私を見ているようだった。
今まで生きてきた全ても、髪の色も、性格も嗜好も、何もかも違うのに。
ふとした仕草に、どうしようもなく姉妹を感じる。
それが唯一にして最大の、私たちが姉妹として繋がっている証のように思えて。
もうやめにしよう。
だって、私たちが向かっているのは過去ではないから。
◆◆◆◆◆◆◆
月は近く、重力は小さく。
私たちを包む薄靄がかった碧い空気には淡い粒子が漂って、その遠く向こうで星々が燥いで燦めく宙を見ていた。
どこまでも透き通る世界で、紅く、青く、黄、紫、橙、桃、緑に瞬く星屑。
光り輝いて、見えなくなって、揺らめいて、それは暗闇の中に宝石の欠片を敷き詰めたような美しさで。
本当に妹の羽根のようだった。
きれい。
二人のどちらかが言ったのか、私には分からなかった。
足元に転がる私たちの生まれ育った青い星に、目前に広がる大きい月、きらめく星、空と、それに見惚れる妹の顔。
あまりにも、あまりにも美しい。
生身で行ったこと、なかったから。知らなかったけど。
今、私たちを抱くこの宇宙はあまりにも膨大で、永遠のように思える。
いや、永遠すらも飲み込んでしまいそうだ。あの宇宙人たちが持つ永遠だって、この宇宙の一部に過ぎないから。
どちらにしたって、こんなに広い広い、あらゆるものを放り込んだスープのようにも思えて、ただ虚構と虚無が広がっているようにも思えるこの宇宙を、
操ることなんて出来そうにないし、壊すことなんてもっと無理そうだ。
微弱な引力が働く中で、抱き合った私たちの身体が360度回転する。
音もなく、ゆっくりと。
今、この腕を離せば、この広い宇宙の中で永遠に妹とはなればなれになってしまう気がして、
絶対に離すものかと、強く強く引き寄せる。
そのまま二人回ったり、ただ浮かんだり、ダンスと呼ぶにはあまりにも児戯なそれを繰り返して。
頬が触れそうな距離で妹が微笑んでいる。
私は宇宙の膨大さと、その中においても何よりも愛しくてちっぽけな妹と二人で居るという実感に胸が締め付けられて。
笑っていたかったけれど、うまく笑えていたかは分からない。
妹がその身を揺らすごとに、背中の羽根が振れる。
甘い甘い、キャンディのような、私だけの宇宙船。
誰よりも素敵な羽根を持ち、狂気的なまでの力を小さい身体に宿し、必死にこの世界で呼吸をする、大好きで誇らしい私の妹、フランドール・スカーレット。
妹にとっても、頼りない宇宙船に乗ってここまで来たという実感があってくれれば。
……や、でも、頼っててほしいな。
私だって、たった一人の、フランドールのお姉さまだから。
色とりどりの光が滲んで、それをバックに私たちは見つめ合う。
それを星々は何も言わずただ見ていた。
甘くて蕩けそうな永遠の中で、フランドールと浮かんでいる。
夢みたいだ。
何分、何時間、何年漂っていたのか。
弱い重力に時間の感覚も、皮膚感覚も喪失して、今見ている景色だけが私のなかに残る。
夢見心地のまま、このまま遠い遠い宇宙まで行ってしまおうか、と私が言うと、フランがとろん、とした表情で、うん、と頷いた。
私たちの身体がゆっくりと回転する。
地球の青い輪郭線をぼーっと眺めて、
「あ」
唐突にフランが声を上げた。
「……どうしたの?」
「……お姉さま。やばい」
「えっ?」
「見て」
フランが指差した方向を見ると、地球の青い輪郭線がひときわ強く輝いている。
白く白く、とても力強い光を放ち。
少しずつ少しずつ強く、大きくなっていく。
その光は。
陽の気配がする。
地上ではまだ日が昇っておらずとも、上へ上へと行った先では。
「「あ゛っつ゛ぁ!!?」」
輪郭線がひときわ強く輝いた瞬間、燃えるような閃光が瞳の中で走る。
それは宇宙を紅く紅く染め、星々はその光で最も強く輝いた。
その、壮絶な美しさに声を奪われる。
と思う間もなく、全身が灼かれるような痛みに触れ。
意識が飛びそうになって、体がぐらついた瞬間に。
突然超スピードで身体が地球に堕ちていく。
一瞬、強い重力に引かれたと思ったそれは、妹の超加速によるものだった。
私はすぐに気を取り直して叫ぶ。
「フラン! 大丈夫?」
返事がない。
「……うー……」
顔を見れば、間抜けな顔で口から煙を吐いていた。
私は笑ってしまう。
(……なるほどね)
加速が妹の仕事なら、着地は姉の仕事か。
◆◆◆◆◆◆◆
気絶した妹を抱きかかえて、ふわりと紅魔館の庭園前に降り立つ。当然、まだ陽は昇っていなかった。
が、だいぶ消耗した身体が自分と妹の重みに耐えきれなくて、どさりと芝生の上に倒れ込んだ。
強く掛かった重力で私も途中意識が飛びそうになったけど、なんとか無事降り立つことができた。
フランが居なければ今頃宇宙に私たちの灰が漂っていたとはいえ、気絶してしまうとはまだまだね。
すぐ復活するとは思うけど。
隣で寝転ぶフランの頬をぺちぺちと叩くと、フランがゆっくりと目を開ける。
「ん……お姉さま?」
「帰ってきたわよ。私たちの家に」
「……」
ぼーっと、少しの間私たちは見つめ合っていた。
が、急にフランが笑い出す。
「……あはは、あっははは……!」
「えっ、ちょ、フランどうしたの」
「ふふ? うふふふ、ふふふっ」
「……くくっ」
フランが笑っている。それも見たことないくらいの大爆笑。
それを見て、私も無性におかしくて、嬉しくてたまらなくなって。
「くく、くくくっ……ふふ……あははは!」
「ふふ…くふふふ……うふっ、あははは!」
笑っていた。
私が立ち上がって、フランも立ち上がって、
どちらからともなく抱き合って、そのままくるくるくるくると庭園の前で回って、よろけて、また芝生の上で倒れ込んだ。
大の字になって、笑いながら私たちがさっきまで居た宇宙を見ていた。
横で同じように空を見ていたフランが、突然私の手を握る。
首を傾けて見たその顔は、歪さも後ろめたさも全部剥がれた、無垢な妹の笑顔だった。
「また行こうね。今度はちゃんと、星に手が届くまで」
そう言って笑った。
私は胸がいっぱいになって、フランの手をぎゅっと握り返した。
◆◆◆◆◆◆◆
咲夜がぷんぷんと怒っているのを、どこ吹く風で聞き流していた。
「……もう、フラン様もお気をつけください! 外に出るのは大変結構ですが、日光には当たらないようにといつもいつも言っているじゃないですか! 日傘で守れるとはいえ、フラン様の身に何かあったら私は……」
珍しく横にフランが居るティータイムだった。
私はテラスの外を見て、ああ今朝も烏が元気に飛んでいるなあと思ったりしていたけど、フランは存外真面目に申し訳なさそうに咲夜の説教を聞いていた。
「ごめん……もうしないから……」
蚊の鳴くような声で言ったフランの顔を、聞き捨てならないように咲夜が覗き込んだ。
「咲夜はくれぐれもお気をつけくださいと言っているんです。もうしないでくださいとは言ってません!」
すれ違いが可愛くて、私は思わず息を漏らして笑ってしまう。
やば、と思った時にはもう咲夜の矛先はこっちに向いていた。
「それというのもお嬢様が無茶なことをするからですね……!!」
「あーもう分かったって! 今度からちゃんと真夜中に行くから!」
「それにずるいです! フラン様と抱き合って空を飛ぶだなんて……!」
「それは今度咲夜にもさせてあげるから!」
「おい姉、おい」
「……なら良いですけど」
「良くないよ?」
くれぐれも、今度はお気をつけくださいね? と最後に私の顔をじっと見ながらきつく言って、咲夜は仕事に戻っていった。
説教を受けるためとは言え、珍しいフランとのティータイムだ。
これは存分に親睦を深めないとね、と思いながら横に居るフランを見た。
「はぁ……」
溜め息ついてるんですけど。
「ど、どうしたの」
「……綺麗だったなあ、って」
「あぁ」
それなら理由も分かる。
「……お姉さま、私変なこと言ってなかった?」
「言ってた」
「言ってたよね。言ってた気がする」
「……」
「あれ、全部忘れていいから」
くくっ、と笑う。
「忘れる忘れる。フランが言ってたことも、引き摺ってることもぜーんぶ忘れる」
またくだらない言葉遊びを、とでも言いたいようにフランが私を睨んで、
「じゃあ、私も忘れないと不公平よね。お姉さまが引き摺ってること」
そう言ってカップに口を付けた。
「それでいいのよ」
私は笑う。
「また行こうね」
今度は私から。
「……うん」
その時は、精々もう変なこと言わないように気をつける。
そう言って、フランはテラスの向こうの青い空に目を向けた。
きっと、その先の宇宙を見ている。
私はそんなフランの横顔と、歪な枝に星色のキャンディをつけたような羽根を眺める。
やっぱり、フランの羽根は綺麗だなぁと思う。
フランドールの七色の羽根は穏やかな初春の風に揺られて、あの時見た星空のように美しい光を放っていた。
フランがそう私に尋ねた時、なんだ、行きたかったんじゃん、と思った。
「宇宙ねぇ。星々が手に届きそうなところに一面広がっているのは、それはそれは綺麗な光景だったわ」
私は遠い目をして、いつかロケットで月に行った時のことを思い浮かべる。
実際は、そう昔の思い出でもないけれど。
「青かったり紅かったり黄色かったり、そんなような星々が空一面に、まるで宇宙にキャンディをぶちまけたように色めきだっていたわ」
ブックライトだけが照らす、フランのベッドの上に腰掛けて、それこそ絵本を読み聞かせるように私は物語る。
あの時のことを思い出すと、頬が緩んでしまう。
純粋に、楽しかった。
パチェにロケットを作ってもらって、霊夢と魔理沙がそれに乗っていて、咲夜とメイドたちが私に付き添って空を超えた記憶。
幻想郷の宇宙は不思議に昼と夜とがあって、昼は薄青の空に雲が延々と連なる退屈な景色だったけれど、夜になれば地上から眺めていた星たちが、それこそ手に取れるくらい大きく、光り輝いていて。
それを咲夜たちと見た思い出は、その後の顛末を含めても、とっても素敵な思い出だと言うに相応しかった。
だからそれをフランと見れたら、もっと良かったのになぁとずっと思っていたのだけど。
「ちょうどフランの羽根みたいな色とりどりの星屑が散らばっててさぁ」
私はそう言いながら、隣に座るフランの七色の羽根に指を絡める。
フランは、きもい、と言ってそれを手ではねのけた。
「そうしていくつもの雲を超えて、月に辿り着いた私はそこでふんぞり返ってる奴らをぎゃふんと言わせたってわけ。思い出してみても傑作だわぁ、私がグングニルで月兎どもをばったばったと薙ぎ倒すシーン、フランにも見せたかったなぁ」
「咲夜は、お嬢様は調子に乗ってコテンパンにのされてましたって言ってたよ」
「咲夜しばく」
「どうでもいいのよ、月なんて」
フランは無表情でじっと私の目を見つめていた。
そんなあどけない顔で、まるい瞳で至近距離で見られたら照れちゃう。
「やだ、私の妹可愛すぎじゃん」
「でも、星屑には興味あるの」
「え、私の言葉スルー?」
「きっと綺麗なんでしょうね。だって、幻想郷から見る星空だって綺麗だもの。それが触れられそうなほど近くにあるなら、尚更」
「ええ、それはもうフランの羽根が全天に広がっているような、圧巻の景色よ。フランの羽根のほうが綺麗だけどね!」
「別に月はどうでもいいけど、宇宙には興味あるの」
「さっきから私の愛の言葉全スルーじゃん」
「気狂いとは会話が成立しないものよ」
「どこに自分が気狂いって自覚してる気狂いが居るかい」
私はきゃあきゃあ騒ぎながら、フランの言葉について考えていた。
どういう風の吹き回しなのか。私も気まぐれだけど、妹も大概だな、と思う。そこも可愛いけれど。
かつて行った月に妹は同行しなかった。
誘ったけど、月を乗っ取るとか紫をぎゃふんと言わすみたいな話に妹は心底興味が無さそうだった。
多分、本心。
今も変わりないと思う。
「宇宙に行きたいの?」
「……」
フランは艷やかな金髪のその前髪をいじくっていた。
フランが星空をまた見れるようになったのは、ここ数年のことだった。
幻想郷に来るまでフランが外に出ようとしたことは、数えるくらいしかなかったと思う。特に後ろの二百年ほどは。
私が軟禁していたのもあったし、フラン自身も外に出たがることはなくて。
それは興味が無いというより、外に出る意義を見い出せなかったんだろうな。
当然だ。何もかも手にかかればすぐ壊れてしまう世界で、ましてや姉には外に出るなと言われていて……。
だから、年を経るごとにつれてフランは外に出ようとしなくなった。
軟禁は有名無実となって、私は逆にいかに外の世界に興味を持たせるかに苦心するようになった。
私は、ひどい姉だ。
結局、私がフランを外に連れ出すことは出来なかった。その役目は、魔理沙や咲夜がやってくれた。
私は、私がフランにしてしまった仕打ちを自分で清算することが出来なかったことをいつも後ろめたく思っている。
誰かに言うことなんて、とてもできないけど。
そして妹は、そう簡単には壊れない人間たちとこの幻想郷で初めて触れあって、外界に興味を持つようになった。
それは日増しに強くなっているはずで、宇宙の話をし始めたのも多分それが動機で。
本当は是が非でも宇宙に行きたいはずだろう、と思った。
それを、私を前にして言えないんだろうか。
……言えないんだろうな。
それが分からないほど私は愚かな姉じゃない。
「フランが行きたいと望めば、私はどこへだって連れていってあげるわ」
閉じ込めたのは自分だった癖に。
そう、頭の中で声がする。
「……べつにぃ、そこまで行きたいわけじゃない」
「……」
フランは足をぷらぷらと遊ばせていた。私はそれを見ては黙り込んだ。
フランを外に連れ出す、そういった話題の時だけ、私はいつも口数を減らしてしまう。
私が連れていくなんて、どの口が言ってるんだ。私がフランにした仕打ちを考えれば……。
……。
フランと宇宙、行きたいなぁ……。
いいこと思いついた。
私が行きたいってことにすればいいじゃん。実際行きたいし。
そしたらフランは私に渋々乗る形になる。結果フランも願いが叶ってウィンウィンでみんな幸せじゃん?
やだ……やっぱり私って天才……。
「あーーフランと宇宙行きたいなーー!!」
急に大声を出した私に、フランはぴくっと一瞬体を震わせた。
「宇宙ヤバいわよ! めっちゃ綺麗で! でもなーーんにもないの! でもなんにもないおかげで星がめっちゃ綺麗! 地球とか超青いし!」
「え……どうしたん急に……」
「フランにも見せたいなーー! あの光景! 星! 色とりどりの一面の星!」
「語彙力ゼロか……?」
ずい、と身体をフランの方に寄せる。
「あぁーお姉様見たいなぁ……フランと宇宙行きたいなぁ……」
「……」
「星、見たいなぁ……ねぇ……行きましょう……?」
フランは私から目を逸らして、顔をしかめて壁を見ている。
「どうやって行くのよ」
否定、されなかった。
「だって、あの時はパチュリーがロケットを作ってくれたんでしょ。私知ってるよ、ロケットはそう簡単に作れるものじゃないわ」
「ロケットなんて不要よ。私たちは宇宙に行ければそれでいい、ということは」
フランの顔を覗き込んでにやりと笑う。
「あの星屑みたいに美しい、この羽根があるじゃない」
「は?」
「あんたが連れてってよ」
「え、……」
フランは目をぱちくりさせて、私の言葉を上手く飲み込めないでいるようだった。
私は微笑んで、八重歯を見せて笑った。
「私を抱きかかえて、そのきれいな羽根で」
「……ふぇ?」
◆◆◆◆◆◆◆
まだ太陽が登るまでには遠かったけれど、早く実行できるに越したことはない。
遠い星の光だけが照らす闇の中、私たちはめいっぱい厚着をして、紅魔館庭園前の芝生の上に立っていた。
風は微風。加速するとちょっと強めに感じる程度の気持ちよく飛べる風量具合だと思う。
フランは厚いコートを羽織ってモフモフの紅いマフラーを巻いて、手袋に息を吐いていた。
「生身の宇宙は寒いらしいからね」
「……いやまあそうだけど、この程度でどうにかなるものじゃないと思うんだけど……」
私を睨みつけるフランの言葉を、ふふんと笑ってやる。
「それは本での知識でしかないでしょう? 百聞は一見に如かずよ」
「……すごい詭弁な気がする」
「大丈夫、本で見た宇宙服ってやつも同じくらいもこもこだったわ」
今が寒くって本当に良かった。夏に厚着とか死ねるからね。
ひゅう、と強めの冬風が頬を撫ぜて、フランが顔を手で覆う。
フランは不満そうな、不安そうな表情で私を見ていた。
「ほんとにやるの?」
「ええ」
今日、私たちが宇宙に出るプランはただ一つ。飛んでひたすら上空を目指す。
もちろんただ飛ぶだけじゃつまらない。
どうするかというと、抱き合って飛ぶ。
何故か。理由はない。私がフランに抱きついて飛びたいだけ。
強いて理由付けするとしたら、宇宙飛行士が宇宙船無しで宇宙に行くことなんて有り得ない、みたいな感じだろうか。
「よんぜろまるまる。作戦を開始するわ」
時計台が四時を刺すのを横目で見ると、私は宣言をした。
「ほい、じゃあフランは私をネコみたいに持って」
「……えぇー」
しかめっつらのままのフランが私を後ろの両脇から抱きかかえて、少しだけ浮上する。
私はだらんと全身の力を抜いて、ただフランに持たれるがまま。
「じゃあ行くわよ」
「いや無理無理無理私の負担がすごい」
フランが地面に足をつけ、私の靴がずさりと土の上をすべる。
「そうやって一回は乗ってきてくれるところ、スカーレットの血筋よね。好きよ」
「……」
フランが目を逸らして、べーと舌を出した。
そんな妹の所作の一つ一つが可愛らしくて私は微笑んでしまう。
「ところで負担って何よ私の体重が重いってわけ!?」
「急にニヤニヤしたと思ったらキレだして何なの怖い」
「私が思うに、やっぱり二人抱き合って飛ぶしかないと思うのよね」
「へ?」
言うが早いか、私はフランに抱きついて背中に手を回す。
「……待って」
「待たない」
フランが、顔を真っ赤にして私の身体をひっぺがそうとする。
「フランも。手を回して」
「嫌だよ、いや何これバカじゃないの」
「二人一緒に加速して宇宙に行くには、なるべく空気抵抗の少ない形かつ万が一の空中分解が起こらないようになるたけ離れないようにしっかり抱き合って飛ぶのが合理的というものでしょう?」
「すごい早口じゃんキモい」
「ハグミーキスミープリーズ」
「は?」
むにゃむにゃ言いながらフランも私の身体に抱きつく形になってくれた。
「……や、これ、……恥ずかしい」
「これってランデヴーってやつかしら」
「……多分違うと思う」
顔を逸らしてなにやら呟いているけど、耳まで真っ赤になっていた。
私も、多分そうなってる。
陳腐な表現で言えば、それはまるで恋のような胸の高鳴りだった。
けど、私たちの間にあるものはそんな単純で戯けた感情じゃない。
五世紀の間、私はフランドールに何もしてやれなかった。
五世紀の間、フランドールは私を憎んでいた。
五世紀の間、私たちは繋がっていた。
五世紀の間、私たちは想い合っていた。……と思う。
何度も何度も傷付けあった。
殺し合いになったことも何度もあった。
私はフランドールを嫌いになったり憎んだりしたことはただの一度もなかったけれど、そのこと自体がフランドールを傷つけていたことだって知っている。
でも、たった一人の愛しい妹なんだ。嫌いになれるわけがない。
たった一人の愛しい妹。
彼女に世界を嫌ってほしくなくて、世界から遠ざけたりした。
それは、間違っていたとは言いたくない。
でも、全て正しい選択だったと言い切ることはどうしてもできなくて。
「……なに、じっと黙ってんの」
今度、沈黙していたのは私だった。
「フランって可愛いなぁと思って。見惚れてた」
「……またそういう。そういうのいい加減飽きた」
私の言葉に、毎回律儀に目を逸らして赤くなるフランも大概だと思う。
この五世紀あまりの果てに行き着いた先が、抱き合って宇宙を目指すなんて、バカバカしくて最高だと思わない?
私の感じている高鳴りは、多分そういうことだと思う。
所作の一つ一つ、造形一つ一つ取っても愛らしいけれど、そんなのどうでもよくなるくらい内面の隅々まで愛らしさに溢れていて愛しい妹と二人で空を飛べるんだ。
その光景は、フランドールが初めて破壊の力を行使した日からずっと想っていた。
「行くわよ」
「……うん」
「元気がなぁーい」
「え?」
「宇宙に行くのよ!? もっとテンション上げて行かないと宇宙に失礼なんじゃないの!?」
「宇宙に失礼って何?」
「さあ行くわよ、フラン! 無限の彼方へ!」
「……うんっ」
先に地面を蹴ったのはどっちか分からなかった。
私たちは、空を飛ぶ。
そして宇宙へ行く。
妹の羽根のような、星を見に行く。
無事に辿り着いたら星々に言ってやろう。
貴様らなんかよりフランの羽根の方が無限倍美しいわ!
って。
◆◆◆◆◆◆◆
ぎゅっと腕の中に抱いた妹の身体は小さくて細かった。
藍色に澄みわたる幻想郷の空の中を、静かに上昇していた。
連なる山々を超えて、遠くの方にちぎれた雲が霞んで見えた。
私の紅魔館は肥沃なる幻想郷の大地のなかで凛然と輝いていたけれど、それも少しずつ少しずつ遠くなっていく。
フランは、その遠くなる紅魔館をただ見つめていた。
私はそんな横顔を見ていた。
何を思うでもなく、話すでもなく、ただその顔に見蕩れていた。
そして上空に広がる漠漠たる青い虚空を見た。
地上で見た星空はすぐに手に届きそうだったのに、飛び出してみればあまりに遠くて永遠に届かなそうに思えた。
でも私にはフランが居る。
「私たち二人なら、どこへだって行けるはずよね」
そう呟く。
フランは何も返してくれなかった。
濁った目でそっぽ向いて、目下の地上をただ眺めている。
きっと、フランはどこへだって行けるだなんて思ってないんだろうと思った。
それでいい。
フランがどう思ってようと、私はそう信じてる。
「……どこへでも行けるわけないじゃん」
「あら」
「どこへでも行けない方がいいでしょう? 身の程に合った場所に居た方が幸せよ。お姉さまも月の時に学んだでしょ」
「つまんない答えね」
「つまんなくて悪かったね」
私はせせら笑って、妹は口を尖らせる。
私たちの加速に抵抗する空気が、鼓膜を打つ。
それでもフランの声だけははっきりとちゃんと聞き取ることができる。
「どこへでも行けるわけないけど、」
フランがたどたどしく、言いづらそうに言葉を紡ぐ。
「どこへでも行けそうな気、しちゃうんだ」
そう言って、自嘲するように少し笑った。
「悪い気はしないよね」
その様がひどく可憐で、愛おしくて。
「……フラン」
私はそんな、日陰に咲く花のような少女を五百年も世界から閉ざしていた自分のことをとても罪深く思う。
「外、出たかった?」
「んー……今もちょっと、迷ってるかな」
声に不安を隠し切れない私の気持ちを知ってか知らずか、フランが言う。
「身の程、じゃないけど……あの頃は、きっとあれでよかったんだ」
本当に、それでよかったんだろうか。
閉じ込めたりせず、遠ざけたりせず、妹に自分の力を呪わせることなく。
もっと妹を幸せにできる選択肢があったんじゃないかと、考えてもしょうがないことを時折考えてしまう。
「今もそんなに出たいわけじゃない。疲れるし。でも、」
妹が、地上を飛び立ってから初めて、私の目を見て言う。
「綺麗なものが見たい」
「……」
「どこかに行きたいわけじゃないの。でも綺麗なものが見たい」
地下図書館にいつの間にか納められて、いつの間にか妹が読んでいた小説たち。
完璧で瀟洒で、少しとぼけていて幼いメイド。
ある日突然館にやってきて、星屑を撒いた弾幕で自分を生まれて初めて負かした魔法使い。
黒く塗りつぶしたカンバスのようだったフランの生の中に、ゆっくりと時間をかけて少しずつ少しずつ色とりどりの綺麗なものが溜め込まれていって。
それらは触れれば触れるほど、もっといろいろな美しさに触れたくなってしまう。
もっともっと、世界を知りたくなってしまう。
生まれてきた意味になり得るくらいの強い衝動に、妹は今突き動かされている途中なんだ。
私が今、同じように、そうして日々生きているように。
「……綺麗なものが見たい、ね」
「それって、遅すぎるなんてことないと思うんだ。だからそんな顔しないで」
「え?」
思わず自分の頬を触る。
フランは、寂しそうな、申し訳無さそうな顔をして微笑んでいた。
それきり二人黙り込んで、天空に向かって飛行を続けていた。
次第に肌に感じる空気は冷え込んで、風は外気に晒されている顔や耳の内を刺すようになってくる。
雲さえも飛び越えて、幻想郷はとうに見えなくなり、海に囲まれた島々となり。
もうじき、私たちが生まれた古い郷も、あの海の向こうに小さく見えるのだろうか。
海を超え、島国の山奥に辿り着いて、そしてそれを見下ろしている、今に至るまでの生を想う。
五百年の足跡が指でなぞれるくらい、私たちの下で回る星は今や地球儀だった。
ルーマニアからイギリスに渡り、いくつもの国を経て中華民国からまた欧州に戻り、そして日本の幻想郷へ。
私は、私が辿ったその国々のさまざまな美しい風景を今でもしっかと思い出すことができる。
目の前に居るこの娘は。
風の音をすりぬけて、沈黙が耳を打つ。
「フラン」
「……」
「ごめんね」
「……なにが」
「許されるとは思ってないけど」
「……ふふ」
フランが微笑する。
「なんで笑うのよ?」
「いっつも私に言ってるじゃない。過去は過去だって」
「あ」
私よりも過去を後ろめたく思っている妹に、何度も何度も過ぎ去った昔のことをいつまでも引き摺るのは愚かだと言った。
それは少しずつ着実に妹を変えているようで、私は嬉しかった。
けれど、本当に変わるべきは私で、変わるための術をまだ持ち得ていないのではないかと、それだけを不安に思っていた。
「私は気にしてないよ。閉じ篭もってたこと……本当に気にしてないの」
そう言って、妹は目を瞑った。
「あの頃は……今もだけど、あの頃はもっとおかしかったから。きっと閉じ篭ってなかったら、本当に取り返しのつかないことをしてたかもしれないし。それにさっきも言ったでしょ。身の丈に合った場所が一番いいって」
まだ、その言葉を鵜呑みにすることができない。
「……でも、そうだね、ちょっとくらい後ろめたく思われてるのもいいかな」
そんな顔しないで、と言いたいのはこっちだった。
「私も、同じだから」
言えなかったけれど。
私たちは、従者たちから仲睦まじい姉妹に思われているだろう。
私は引きこもりの妹の部屋に足繁く通い、妹を振り回して、妹はそれに付き合ってくれている。
妹も、たまにテラスで私と紅茶を嗜み、気まぐれに私と連れ添って庭園を歩く。
交わすのはいつだって言葉遊びで、二人にしか分からない符牒で、屈折した愛憎の現れだった。
それは傍から見れば仲睦まじい姉妹だろう。
一番付き合いの長い美鈴も、親友のパチェもそう思っている。日の浅い咲夜なら尚更だ。
そんなことない。
その実は、仲睦まじいなんてとても言えないくらいに殺し合った五百年があって、今はお互いにぎこちなく歪な姉妹の真似事をしている。
私たちの関係性はどす黒く腫れ上がり、畸形にねじ曲がり、愛と憎悪を煮詰めてドロドロになった坩堝のように混沌としている。
お互いに探りながら、それを癒やしている途中だった。
自分のせいだと思いあって、それでも人間たちとの出会いでやっと前を向けているような気がして、これを完全に治すにはあと何百年掛かるのだろうか。
しかも今やその塊は止まることはなく、宇宙に向けて更に加速を続けている。
「ごめんね」
今度言ったのは妹だった。
「……」
謝る必要なんてない。
何を謝ることがあるっていうの。
こっちだって謝りたいことがいっぱいあって、
でも、多分お互い尽きないから、
もう、
……
言いたい言葉は沢山あるのに、一つも口から出てこない。
「……もぉ」
フランが困ったように笑って、上昇のスピードを上げる。
なんだか、それは調子が悪い時のフランを宥める私を見ているようだった。
今まで生きてきた全ても、髪の色も、性格も嗜好も、何もかも違うのに。
ふとした仕草に、どうしようもなく姉妹を感じる。
それが唯一にして最大の、私たちが姉妹として繋がっている証のように思えて。
もうやめにしよう。
だって、私たちが向かっているのは過去ではないから。
◆◆◆◆◆◆◆
月は近く、重力は小さく。
私たちを包む薄靄がかった碧い空気には淡い粒子が漂って、その遠く向こうで星々が燥いで燦めく宙を見ていた。
どこまでも透き通る世界で、紅く、青く、黄、紫、橙、桃、緑に瞬く星屑。
光り輝いて、見えなくなって、揺らめいて、それは暗闇の中に宝石の欠片を敷き詰めたような美しさで。
本当に妹の羽根のようだった。
きれい。
二人のどちらかが言ったのか、私には分からなかった。
足元に転がる私たちの生まれ育った青い星に、目前に広がる大きい月、きらめく星、空と、それに見惚れる妹の顔。
あまりにも、あまりにも美しい。
生身で行ったこと、なかったから。知らなかったけど。
今、私たちを抱くこの宇宙はあまりにも膨大で、永遠のように思える。
いや、永遠すらも飲み込んでしまいそうだ。あの宇宙人たちが持つ永遠だって、この宇宙の一部に過ぎないから。
どちらにしたって、こんなに広い広い、あらゆるものを放り込んだスープのようにも思えて、ただ虚構と虚無が広がっているようにも思えるこの宇宙を、
操ることなんて出来そうにないし、壊すことなんてもっと無理そうだ。
微弱な引力が働く中で、抱き合った私たちの身体が360度回転する。
音もなく、ゆっくりと。
今、この腕を離せば、この広い宇宙の中で永遠に妹とはなればなれになってしまう気がして、
絶対に離すものかと、強く強く引き寄せる。
そのまま二人回ったり、ただ浮かんだり、ダンスと呼ぶにはあまりにも児戯なそれを繰り返して。
頬が触れそうな距離で妹が微笑んでいる。
私は宇宙の膨大さと、その中においても何よりも愛しくてちっぽけな妹と二人で居るという実感に胸が締め付けられて。
笑っていたかったけれど、うまく笑えていたかは分からない。
妹がその身を揺らすごとに、背中の羽根が振れる。
甘い甘い、キャンディのような、私だけの宇宙船。
誰よりも素敵な羽根を持ち、狂気的なまでの力を小さい身体に宿し、必死にこの世界で呼吸をする、大好きで誇らしい私の妹、フランドール・スカーレット。
妹にとっても、頼りない宇宙船に乗ってここまで来たという実感があってくれれば。
……や、でも、頼っててほしいな。
私だって、たった一人の、フランドールのお姉さまだから。
色とりどりの光が滲んで、それをバックに私たちは見つめ合う。
それを星々は何も言わずただ見ていた。
甘くて蕩けそうな永遠の中で、フランドールと浮かんでいる。
夢みたいだ。
何分、何時間、何年漂っていたのか。
弱い重力に時間の感覚も、皮膚感覚も喪失して、今見ている景色だけが私のなかに残る。
夢見心地のまま、このまま遠い遠い宇宙まで行ってしまおうか、と私が言うと、フランがとろん、とした表情で、うん、と頷いた。
私たちの身体がゆっくりと回転する。
地球の青い輪郭線をぼーっと眺めて、
「あ」
唐突にフランが声を上げた。
「……どうしたの?」
「……お姉さま。やばい」
「えっ?」
「見て」
フランが指差した方向を見ると、地球の青い輪郭線がひときわ強く輝いている。
白く白く、とても力強い光を放ち。
少しずつ少しずつ強く、大きくなっていく。
その光は。
陽の気配がする。
地上ではまだ日が昇っておらずとも、上へ上へと行った先では。
「「あ゛っつ゛ぁ!!?」」
輪郭線がひときわ強く輝いた瞬間、燃えるような閃光が瞳の中で走る。
それは宇宙を紅く紅く染め、星々はその光で最も強く輝いた。
その、壮絶な美しさに声を奪われる。
と思う間もなく、全身が灼かれるような痛みに触れ。
意識が飛びそうになって、体がぐらついた瞬間に。
突然超スピードで身体が地球に堕ちていく。
一瞬、強い重力に引かれたと思ったそれは、妹の超加速によるものだった。
私はすぐに気を取り直して叫ぶ。
「フラン! 大丈夫?」
返事がない。
「……うー……」
顔を見れば、間抜けな顔で口から煙を吐いていた。
私は笑ってしまう。
(……なるほどね)
加速が妹の仕事なら、着地は姉の仕事か。
◆◆◆◆◆◆◆
気絶した妹を抱きかかえて、ふわりと紅魔館の庭園前に降り立つ。当然、まだ陽は昇っていなかった。
が、だいぶ消耗した身体が自分と妹の重みに耐えきれなくて、どさりと芝生の上に倒れ込んだ。
強く掛かった重力で私も途中意識が飛びそうになったけど、なんとか無事降り立つことができた。
フランが居なければ今頃宇宙に私たちの灰が漂っていたとはいえ、気絶してしまうとはまだまだね。
すぐ復活するとは思うけど。
隣で寝転ぶフランの頬をぺちぺちと叩くと、フランがゆっくりと目を開ける。
「ん……お姉さま?」
「帰ってきたわよ。私たちの家に」
「……」
ぼーっと、少しの間私たちは見つめ合っていた。
が、急にフランが笑い出す。
「……あはは、あっははは……!」
「えっ、ちょ、フランどうしたの」
「ふふ? うふふふ、ふふふっ」
「……くくっ」
フランが笑っている。それも見たことないくらいの大爆笑。
それを見て、私も無性におかしくて、嬉しくてたまらなくなって。
「くく、くくくっ……ふふ……あははは!」
「ふふ…くふふふ……うふっ、あははは!」
笑っていた。
私が立ち上がって、フランも立ち上がって、
どちらからともなく抱き合って、そのままくるくるくるくると庭園の前で回って、よろけて、また芝生の上で倒れ込んだ。
大の字になって、笑いながら私たちがさっきまで居た宇宙を見ていた。
横で同じように空を見ていたフランが、突然私の手を握る。
首を傾けて見たその顔は、歪さも後ろめたさも全部剥がれた、無垢な妹の笑顔だった。
「また行こうね。今度はちゃんと、星に手が届くまで」
そう言って笑った。
私は胸がいっぱいになって、フランの手をぎゅっと握り返した。
◆◆◆◆◆◆◆
咲夜がぷんぷんと怒っているのを、どこ吹く風で聞き流していた。
「……もう、フラン様もお気をつけください! 外に出るのは大変結構ですが、日光には当たらないようにといつもいつも言っているじゃないですか! 日傘で守れるとはいえ、フラン様の身に何かあったら私は……」
珍しく横にフランが居るティータイムだった。
私はテラスの外を見て、ああ今朝も烏が元気に飛んでいるなあと思ったりしていたけど、フランは存外真面目に申し訳なさそうに咲夜の説教を聞いていた。
「ごめん……もうしないから……」
蚊の鳴くような声で言ったフランの顔を、聞き捨てならないように咲夜が覗き込んだ。
「咲夜はくれぐれもお気をつけくださいと言っているんです。もうしないでくださいとは言ってません!」
すれ違いが可愛くて、私は思わず息を漏らして笑ってしまう。
やば、と思った時にはもう咲夜の矛先はこっちに向いていた。
「それというのもお嬢様が無茶なことをするからですね……!!」
「あーもう分かったって! 今度からちゃんと真夜中に行くから!」
「それにずるいです! フラン様と抱き合って空を飛ぶだなんて……!」
「それは今度咲夜にもさせてあげるから!」
「おい姉、おい」
「……なら良いですけど」
「良くないよ?」
くれぐれも、今度はお気をつけくださいね? と最後に私の顔をじっと見ながらきつく言って、咲夜は仕事に戻っていった。
説教を受けるためとは言え、珍しいフランとのティータイムだ。
これは存分に親睦を深めないとね、と思いながら横に居るフランを見た。
「はぁ……」
溜め息ついてるんですけど。
「ど、どうしたの」
「……綺麗だったなあ、って」
「あぁ」
それなら理由も分かる。
「……お姉さま、私変なこと言ってなかった?」
「言ってた」
「言ってたよね。言ってた気がする」
「……」
「あれ、全部忘れていいから」
くくっ、と笑う。
「忘れる忘れる。フランが言ってたことも、引き摺ってることもぜーんぶ忘れる」
またくだらない言葉遊びを、とでも言いたいようにフランが私を睨んで、
「じゃあ、私も忘れないと不公平よね。お姉さまが引き摺ってること」
そう言ってカップに口を付けた。
「それでいいのよ」
私は笑う。
「また行こうね」
今度は私から。
「……うん」
その時は、精々もう変なこと言わないように気をつける。
そう言って、フランはテラスの向こうの青い空に目を向けた。
きっと、その先の宇宙を見ている。
私はそんなフランの横顔と、歪な枝に星色のキャンディをつけたような羽根を眺める。
やっぱり、フランの羽根は綺麗だなぁと思う。
フランドールの七色の羽根は穏やかな初春の風に揺られて、あの時見た星空のように美しい光を放っていた。
有難う御座いました。
お互いの蟠りが溶けていくというのが作品のメインとなっていて全体的に温かい話で面白かったです。
レミフラをありがとうございました。
ふたりの小さな冒険がわだかまりを消し飛ばしたのだと思うと胸が熱くなりました
星も羽も話もとても綺麗でした