Coolier - 新生・東方創想話

強行突破の衝撃に備えろ

2021/01/15 09:28:34
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   一

 わずか三畳、低いテーブルとかたい座布団のみがある。多々良小傘の部屋だった。朝日は燦々照っていたが、小傘の部屋に陽は差さない。薄暗い部屋は貧困の同義語で、膝を抱える朝は空腹の同義語だ。
 
 畳には小銭が散乱している。それは鍛治や子守と云った手段でまっとうに稼いだ銭金に違いないが、いかんせん小傘には足りなかった。なにか大きな目標のあるわけでもなく、里に流通している貨幣などいくらあっても仕様がなかった。人間以外にとって味などはおよそ嗜好に過ぎず、腹を満たすには確かな実が無くてはならない。いくら味がついていようと、霞では腹ごなしはできない。それが小傘の見つけた空虚さの同義語だった。
 
 不意に玄関の戸が開いた。入ってきたのは髪の赤い飛頭蛮、名を赤蛮奇という小傘の友人だ。最近なら、小傘は食堂で給仕をしていた。赤蛮奇の勤める食堂にて共に働いていたのである。赤蛮奇は無言のまま、じろじろと小傘をみつめる。膝を抱えたままぷいとそっぽを向いてみせる小傘だったが、赤蛮奇は腕を組み、ごく冷静に口を開いた。
 
「サボタージュ。しまいにエスケープ……おまえ、そういうふうに考えてるだろう。理由は、そうだな……」

 赤蛮奇は組んだ腕の片方を顎にあて、今度は見定めるような視線で小傘を見まわした。小傘はなおも抱えた膝でそっぽを向いたままでいるが、ときおり頬を払うようにした。おおむね、羽虫かなにかと刺さった視線を錯覚しているのだろう。
 
「貧困……空腹だろう? おまえのそれは」
「ちがいますー! ざんねーん!」

 小傘はがらりと態度を変えて、ため息を吐きながら、結局いつものあぐらに直った。厭な視線と長い思案のわりに月並みな指摘で毒気を抜かれてしまった様子で、じゃあなにさとでも言いたげな赤蛮奇の無表情に小傘は応える。
 
「ちがうよ、ちがいますぅ……なんていうかさ、まっとうに働いて食べるご飯なんておいしくないんだよう。結局、わたしも妖怪なわけだし? 人を驚かさないことにはしようがないなって。……そりゃまっとうな、世のため人のためをやってさ。えらいねーってなもんで、なんてったっけ。畏怖? みたいなこわさもあるとは思うんだけど……給仕ってそんなんじゃないしー」
 唇を尖らせて宣う小傘に赤蛮奇が言う。「じゃあやっぱり空腹だ」口を動かしながら足先をいじくってた小傘はむっと赤蛮奇に向き直る。「じゃあさー!」
 
「じゃあさ! 聞かせてもらいますけど、あなたどうなのよ。なんだかぬらぬら里で立ち回ってるけどさ、実際そうして食べるご飯がおいしいの? せこせこ御足貯めてらっしゃるようですけど、そんなんでほんとにうれしいの? ちがうじゃん!」
「それは、まあ。ちがうけれども。だけど、気が向いたらやってるよ。夜の柳にじっと潜んでそれでもって……わーっ! ってやつ。やっぱり人を驚かさないと。おまえもさっき言ってたけども」

 小傘はつまらなさそうにむっと押し黙っている。「すりゃいいじゃないか、おまえも」赤蛮奇の追い打ちに今度は実際に「むっ」と声を上げてみせた。「いつもみたいにこんにゃくでもって、こう……わーっ! とさ」さらなる追い打ちに小傘は「むむ」と、むを増やしてみせる。「どうしてやらない? どうして黙ってる」今度はむむむだった。しかし以降赤蛮奇がどうしてを繰り言にするので、小傘はとうとう諦め、手のひらを頬杖にして、またつまらなさそう口を開いた。

「ちがうの、なんかちがう。そういう、わーっ! ってのはさ、ちょっとなら楽しいけど……いつもはやれないよ。短絡的だもん。わたし、これでも仕事できるほうだしさ。もっと大きいことがやりたいよ。いわゆる、大妖怪みたいにさあ。こう……ギザギザしてて、ぬらぬらしてて、それでいてすぱっとしたやつ」

 赤蛮奇は腕を組み考え込んだ。「なに?」小傘は怪訝そうに表情を伺うも、わかるのは赤蛮奇の真剣さのみだ。もしかすると小傘の云うところの大妖怪的な計画でも考えているのかもしれない。「むりむり。蛮奇には無理だよ」赤蛮奇の思慮深そうな顔立ちと口調にさんざ騙されてきた小傘は考え込む飛頭蛮を茶化すが、どうも耳に届かないらしい。赤蛮奇はちっと変わらない無表情に何やら逡巡を続けている。「むり! むりでーす! 大ポカの“おせきちゃん”には無理だもん!」しつこくはやし立てるも、考え込む赤蛮奇の耳はただの穴だった。「ちょっと! いい加減に――」

「そう思い出した。もらったんだよ、チケットを。まあいわゆる、そういうチケットをさ」
「……えー?」

 聞けば近々、佐渡の二ッ岩で知られるいわゆるところの大妖怪が講演会を開くらしい。赤蛮奇はひとづてにそのチケットを入手したとのことで、二枚貰ったうちの一枚でもって、一緒にどうかと小傘を誘った。しばし考えた小傘だったが、ようよう考えれば提案に乗らない手はないと思い至り、譲り受けましょうと提案を飲んだ。そうしてその日、日時と場所を伝え、現地集合を契って赤蛮奇は自宅へと引っ込んでゆく。残された小傘の考えるのは明日からの給仕についてだったが、大妖怪の話を聞けば万事上手く運ぶだろうと楽観に徹し、寝ては起きてをただ繰り返しその日を待つのだった。

 「――つまり、成功とは偶然の上にあるものではなく、具体的な行為の積み重ね、その延長線上にあるものなのです。自力で辿り着いたアイディアはユニークに思えますが、はっきり言いましょう。ユニークさで成功は掴めません。突発的な衝動に身を任せた計画は、たとえ成功したとしても次には決して繋がらないのです。先ほども言った通り、重要なのは低いアベレージを高い位置へと引っ張り上げることです。必要なのは具体的な行為の積み重ね……では、それを継続させるためにはどうすればいいのか? ここで、先ほど説明したシステムが活きてきます――」
 
 ――甘味処。ふたりは対面の座席で向き合っていた。小傘は薄い茶を啜って、あんみつなぞ突っつく赤蛮奇を恨めしそうに睨みつけている。講演会を観終えた足で入った甘味処だったが、今日までを楽観一徹過ごした小傘には薄い茶の味は辛辣に感じることだろう。「ちょっと頂戴よ」講演会は里の口入屋を貸切って行われていた。集まった聴衆といえばどこをとってもうだつの上がらない風体をした妖怪ばかりで、その際赤蛮奇がこぼした、むじな、の一言に、小傘は始終、別の穴、別の穴、と繰り言にした。「小傘も頼めばいいじゃないか」別の穴だろうが同じ貉には違いないが、小傘はどうしても繰り言を止めることはなかった。「奢ってくれんの」定刻をおして現れたスーツ姿の大妖怪を赤蛮奇含む聴衆は盛大な拍手でもって迎えたが、小傘が手を打つことはなかった。「え。おまえ食べるの。言ってくれれば、余計に持ってきてたのに」

「にしても、あの講演はよかったな。小傘、おまえどうだ。具体性、アベレージ、システム、なんだかわからんが。やってみようって、そうなったか」
「ぜんっぜん!」

 貉は貉でも別の穴、迎合しかねるのは道理だった。普段ならよそはよそ、うちはうちを頭からうっちゃっているわりには、小傘には潔癖なところがあり、どうもよそはよそとうちはうちをはき違えているのかもしれない。とにかくとして、小傘は講演が気に入らなかった。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いでもって、スーツまでをもすっかり嫌いになっていた。

「そりゃ残念だな。うーん。それだって、私には尤もに聞こえたんだけどな。具体性、アベレージ、システムと。やっぱり、如何にも尤もらしい。とくれば、尤もじゃないか」
「ちがうよ。あんなのさ、あれ自体がシステムなんだよ。食い扶持なんだよ。なんだって、あんな講演会よく開いてるっていうけどさ。おかしいはなしじゃん。わたしの隣にいたやつなんか、聞けばもう三回も聴きに来てるってんだよ。どうして、三回も聞いてあんな風体のままなのさ。講演の内容が良けりゃ、もっと良い身なりでやってるっての。なーにがシステムさ。あんなスーツ着て!」

 小傘はあんみつをひったくってかきこんだ。赤蛮奇は上げた手と一声でもって給仕にもう一つを注文した。無表情は頬杖をついてあんみつをかきこむ小傘を見るともなく見つめる。「なにさ!」威嚇する小傘に頓着することもなく、赤蛮奇はじっとりを送り続けた。「いや。小傘おまえ、明日からどうすんのかなって思って」小傘はぎょっとして、以降しおらしくあんみつを運んだ。


   二

 わずか三畳、低いテーブルとかたい座布団のみがある。言わずもがな、多々良小傘の部屋だった。真昼の里なら燦々照っていたが、小傘の部屋に陽は差さない。薄暗い部屋は貧困の同義語で、膝を抱える昼だって空腹の同義語だ。
 
 畳には小銭が散乱している。またもや同じ理屈でもって小傘は膝を抱えていた。やはり霞で腹は膨れぬ。それが小傘の再発見した空虚さの同義語だった。
 
 不意に玄関の戸が開く。入ってきたのは髪の赤い飛頭蛮、名を赤蛮奇という小傘の友人だ。最近なら、赤蛮奇は食堂に来なかった。講演に感銘を受けた赤蛮奇は講演の明くる日から食堂の給仕係を放棄していたのである。赤蛮奇は無言のまま、じろじろと小傘をみつめる。膝を抱えたままぷいとそっぽを向いてみせる小傘だったが、赤蛮奇は腕を組み、ごく冷静に口を開いた。

「アベレージ。それからシステムだとか。やっぱり私にはしっくりこなかったな。なんというか、そうだな……」

 赤蛮奇は組んだ腕の片方を顎にあて、今度は虚空に理由を探し始めた。小傘はなおも抱えた膝でそっぽを向いたままでいるが、ときおりちらちら赤蛮奇を睨んだ。どうにも、さまよう視線が羽虫を追っているふうで、やきもきとしたのだろう。
 
「狂言……ペテンだろう? タヌキのあれは」
「ちがいますー! ざんねーん!」

 小傘はがらりと態度を変えて、ため息を吐きながら、結局いつものあぐらに直った。野暮ったい視線と長い思案のわりに的外れな戯言に毒気を抜かれてしまった様子で、えーなんだよとでも言いたげな赤蛮奇の無表情に小傘は応える。

「ちがうよ、ちがいますぅ……悔しいけど、ちょっと考えればあのひとの云うことは正しいよ。ただ結局、あのひとの云った通りをやれるやつなんていうのがごく一握りってだけでさ。……そりゃわたしだって、やれるんだったらやろうと思うよ。やってさ、すごいねーってなもんで、正真正銘の畏怖って御足を頂けるんだろうけど……そんなんわたしの柄じゃないしー」

 唇を尖らせて宣う小傘に赤蛮奇が言う。「やらずに言うもんなあ」口を動かしながら足先をいじくってた小傘はむっと赤蛮奇に向き直る。「じゃあさー!」
 
「じゃあさ! 聞かせてもらいますけど、あなたどうなのよ。なんだかこそこそやってたようだけど、実際なにかの足しになったの? せこせこ貯めた御足が減っただけに思うんだけど、そんなんでわたしに物云うの? ちがうじゃん!」
「それは、まあ。ちがうけれども。だけど、私は給仕に戻ったよ。客の入りにやっと合わせてそれでもって……いらっしゃいませ! ってやつ。やっぱり銭を稼がないと。おまえ腹すいてるようだけどもさ」

 小傘はつまらなさそうにむっと押し黙っている。「腹すいてんだろ、おまえは」赤蛮奇の追い打ちに今度は実際に「むっ」と声を上げてみせた。「いつもみたいに甘味処でもって、こう……がーっ! とさ」さらなる追い打ちに小傘は「むむ」と、むを増やしてみせる。「食べに行こうよ。奢ってやるからさ」今度はむむむだった。しかし以降赤蛮奇があんみつを繰り言にするので、小傘はとうとう諦め、手のひらを頬杖にして、またつまらなさそう口を開いた。

「ちがうの、なんかちがう。そういう、がーっ! ってのはさ、ちょっとならおいしいけど……いつもはやれないよ。結局意味ないもん。わたし、こんなんでも妖怪だしさ。もっとちゃんとしたおまんま食べたいよ。いわゆる、恐怖的なやつをさ。こう……ふわふわしてて、わじわじしてて、それでいてつるっとしたやつ」

 赤蛮奇は腕を組み考え込んだ。「なに?」小傘は怪訝そうに表情を伺うも、わかるのは赤蛮奇の真剣さのみだ。もしかすると小傘の人格的欠点でも考えているのかもしれない。「やめてよ。お説教は無理だよ」赤蛮奇の思慮深そうな顔立ちと口調にいまいちど騙されそうな小傘は考え込む飛頭蛮を茶化すが、どうも耳に届かないらしい。赤蛮奇はちっと変わらない無表情に何やら逡巡を続けている。「いや! 絶対無理! 自分でわかってることひとに云われるの、いちばん嫌だもん!」しつこく申し立てるも、考え込む赤蛮奇の耳はただの穴だった。「ちょっと! 後生だから――」

「頭を挿げ替えるしかないな。飛頭蛮的な意味じゃなくってさ。まあいわゆる、比喩ってやつだな」
「……はー?」

 さて、そろそろサボっているのがバレるかもしれないので形式から外れる。赤蛮奇のいわゆる比喩というのはつまり、こびりついた因果な思考をがらりと心機一転入れ替えようということらしい。聞けば河童のひとりが妙な館を建てたらしい。思想を展示している博物館は読んで字のごとく思想館と呼ばれていた。赤蛮奇は近ごろパンフレットを拾ったとのことで、記載されているアクセス方法でもって、一緒にどうかと小傘を誘った。物々しい名前の感じと胡散臭さに渋りに渋った小傘だったが、行き詰っているのも確かなので後学のためにと提案を飲んだ。肝心のアクセス方法なのだが、これがなかなか難解だった。まず里の空き家数件を記載された順序通りにノックして、その後はじめの家に戻りエレベーターに乗り込み、エレベーターのなか、行先ボタンの代わりの十二桁のダイヤルを下一桁以外を全てゼロに、下一桁を一に合わせてしばし待つと湯本に出る。出たらそこから駅に向かい常磐線は四ツ倉で降り、そこから徒歩七分のワークマンいわき四倉店付近に博物館があるという。待ち合わせた日暮れに家を出てから不安以外の感情をなくした小傘だったが、パンフレットとにらめっこしつつ先導する赤蛮奇に追従すれば日暮れのうち目的地に辿り着いた。

 ワークマンいわき四倉店の駐車場に穿たれた大穴を降ると狭い洞窟となっており、てらてらと湿る岩肌に手をつきながら進めば両開きの鉄扉にぶち当たる。かたく閉じられた扉のわきにテンキー錠があったが、赤蛮奇がパンフレットでみたとおりの暗証番号を打ち込めば、にべもなく扉は開放された。パンフレットに視線を落としながら進む赤蛮奇をよそに、小傘は始終あたりをきょろきょろ見回す。“よおこそ思想館”の看板、ショーケースに陳列された出所不明の品の数々。プラカードにはそれぞれ『造り物のアネモネ』『空き缶の惑星』『おもちゃのロケット』など書いてあるが、消えた照明の暗さでもって大半なにがなにやらわからなかった。無機質なノラメントの床を非常口の誘導標識だけが照らしている。いまだパンフレットに釘付けで歩き続ける赤蛮奇の袖を、小傘が掴んだそのとき。「う、うわあっ!」赤蛮奇が声を上げた。小傘は驚きのあまり飛び出した悲鳴を短く切って、赤蛮奇の肩を叩いた。
 
「な、なにさ! 急に大声だしたりして!」
「こ、小傘みろよ。ほら、パンフレットのここと。それから、あのショーケース!」

 視線を交互にすると、そこにはどこか見覚えのあるスーツがあった。「こ、これって……」講演でかの大妖怪の着ていた物に間違いなかった。「まるっきり同じものがあるなんて、驚いたな」赤蛮奇の呑気さに首と眉をひそめる小傘だったが、よくよく考えればこれがどういうことなのかよくわからなかったのでひそめた首をもどし、代わりに傾げた。不意に照明がついて明るくなる。

「ようこそおいでくださいました。ああどうも、不精でしてな。どうせひとなんて来ないだろうと、部屋で居眠りをしていましたよ」

 通路の方から白衣を着た河童が現れた。小傘はどうもの発声を試みたが、歯切れ悪く言葉を詰まらせる。原因は河童にあった。まさしく河童に切り揃えられた黒い髪や、あまりに紋切り型な丸眼鏡はともかくとして、その手にぶら下げているものが妙だった。瑞々しい管に繋がれた不格好な“くるみ”のようなそれは、小傘の口をふさぐには十分だった。「それはなにかな。その、手にもってるやつ」しかし赤蛮奇の口をふさぐには至らない。白衣の河童はしまった、という顔をして答えた。「す、すみません。お客さんにこんなものを見せるなんて」

「こんなものって?」
「いえ、そのう。……これは洗浄前の思想なんです。まいったな、本来お見せしないものを見せてしまった。……特別に、洗浄するところをご覧に入れますので、このことはどうか他の方には内密にお願いできませんか」

 ふたりは河童に連れられ広い通路を歩いた。行ってみればなんてことない。案内されたのはダイニングキッチンで、なかなかに生活感のある空間となっていた。「へえ、これが洗浄……」独りごちる小傘の前で思想の洗浄が行われている。云ってみればなんてことない。それは野菜の水洗いとなんら変わらない光景だった。「へえ、これが思想……」河童の手元、洗浄される“くるみ”がみるみる変容していくさまをまじまじと眺め、赤蛮奇は感心する。河童に水洗いされる思想は原型をなくして、いまではなにか黒い衣服となっていた。河童はぞうきんを洗うようにして、思想の洗浄を続けている。「まだかかりますな。そうだ、展示物のなかに何か気になるものはございましたか。ご所望でしたら詳しくお話しさせていただきますが」ふたりは目を見合わせる。気になるものといえばひとつだった。

「じゃあ、アレは? あのスーツ。タヌキのひとがアレを着て講演なんて開いてたけど。こことなんか関係あるの?」
「そうそう、タヌキがあのスーツ着て大勢にペテンかけてたんだ」

 河童は赤蛮奇の、ペテン、で困ったように笑って、その後考え込むようにして口を開いた。

「ペテンとはなかなか手厳しいことを言いますな。いえたしかに、見かたによればそのように感じられるかもしれません。けれどそれは当然のことなのです。ひとのあたまなど千差万別、いい見かたをするものもあれば、わるい見かたしかできないものもあります。当然です、もし仮に家のお向かいに火事が起きたとして、困るのはせいぜい隣家の二、三軒。よほどのことがなければ、自分にはまるで関係のないことです。仮に向かいの火事が思いのほか大きく、それで自分がなにか不利益を被ったとして、それもまた当然のことと云えるでしょう。まあ云ってしまえばこの世というのは、各々の都合の良し悪しがごまんと転がるだけの場所なのかもしれません。……ええ確かにあのスーツはここからお貸ししたものです。なにもあのくらいのおひとであれば、本来あんなもの必要ないのですが……やはり、その方が都合が良いから、とのことでしたよ」

 言い切ると、河童は水洗いしていた思想をぱっと伸ばして水を切った。どうやらそれは詰襟らしかった。ふたりはまた目を見合わせる。小傘は眉をひそめていたし、赤蛮奇なら首さえ傾げていた。その様子を見ていた河童は先ほどと同じように笑って口を開いた。

「いえいえ、わかりますよ。こんなものが本当に思想なのかと疑っているのでしょう? 無理もありません。ここに来たひとは、はじめはみんなそう云うのです。しかし展示物を見たでしょう。造り物のアネモネ、空き缶の惑星、おもちゃのロケット……ほかにも、分解された拡声器、極彩色の瞳孔を持つ目の玉、一塊の石礫。どれもみな、かつて確かに生きていた思想なのです。このカツラ、それからこの眼鏡にしてもそうなのですが……身につければすぐにわかりますよ。どうでしょう小傘さん、物は試し――」

 河童は服を合わせるようにして、詰襟の形をした思想をふたりの前に掲げてみせた。

「――着ていきますかな?」
「いや……」

 歯切れ悪く答える小傘に、河童はまた困ったように笑った。

 それから展示ブースに戻り、いろいろな展示物の解説を受けたのち、ふたりは思想館を出た。長い往路のわりに帰途は一瞬だった。赤蛮奇はショーケースの中から手みやげとして靴をもらったが、なんだか気味の悪く感じた小傘は結局なにももらわずに一日を終えた。

「なんだか近頃、やらなくちゃって思うんだよ。世界中の誰よりはやく走り続けなきゃって思う」
「なにするのさ」

 それからというもの、赤蛮奇の様子が変わった。自信ありげな口ぶりでもって、まあついてきなと小傘を誘い、赤蛮奇は陽が出てるうちから柳の小道にじっと潜んだ。

「おどろけ! おどろけ! おどろけーっ! ――と、まあこんなものさ。これを明くる日は空のしらむまでやる。明日もやる。どうだ、おまえついてこいよ。私の背中を追うといい」
「いや……」

 小傘は渋々断って家に帰ったが、ひとりだって赤蛮奇は走り続けた。小傘がいつものように家でひねもす膝を抱えて考えてみれば、赤蛮奇が思想館から得たのはいつか聞いた具体的な行為の積み重ね、それを継続させるシステムそのものだった。その後何度か誘われるたびに断り続けた小傘だったが、赤蛮奇の足元に輝く靴を眺めれば、自分は何も得ていないだけどうにもやりきれない感じがした。


   三

 小傘は日常に帰っていた。今や部屋に閉じこもることもない。給仕をして銭を稼ぎ飯を食う。赤蛮奇はどうやら店に戻らないらしかったが、ときおり里で見かけることがあったので、小傘は別段気にも留めずにいた。赤蛮奇はいまでも世界中のなにかに追われるように人を驚かし続けているだろう。思えばどこかやるせない日々がしばらく続いていた。そんなある日のことである。

『イケイケ妖怪続出‼ デキる妖怪は靴が違う』

 小傘宅の郵便受けにねじ込まれた三文新聞にはそんな見出しが綴られており、曰く最近の里は赤蛮奇のように精力的に活動をする妖怪が増えたらしく、どうやらそういった妖怪の特徴としてみな一様に同じ靴を履いているとのことだった。新聞には小売店が掲載されており、ようよう見ればそこで仕入れ販売を行っているのは佐渡の二ッ岩と呼ばれる例のタヌキだった。スーツを着て堂々広告に載る例のタヌキの姿に、小傘は眉をひそめ新聞をぐしゃぐしゃ丸めた。

「買う方も買う方だよ。こんなの、みえみえのシステムなのにさ。食い扶持じゃないか、かませ犬だ、養分だ。……はあ」

 口に出してみると、小傘はひどくみじめになった。いつか赤蛮奇に突かれた図星、最近の赤蛮奇の前向きな、かがやく瞳……。小傘は結局また陰鬱になって給仕を放棄した。とどのつまり膝を抱える日々の再燃だ。薄暗い部屋は貧困の同義語で、膝を抱える日々は空腹の同義語だ。初夏の夜ならなおひどかった。小傘はなんだか家を飛び出して、からすの餌にでもなりたいような、誰彼かまわずに泣きつきたいような気さえ起きた。ひたすらに夜ばかりが続いた。畳に小銭が散乱していた。いくら味がついていようと、霞では腹ごなしはできない。それは以前小傘がみつけた空虚さの同義語だったが、うそぶけばそれがそのまま自分の甲斐なさを現わしてるように思えて泣きたくなった。
 
 しかし玄関の戸は不意に開く。入ってきたのは髪の赤い飛頭蛮、言わずもがなの赤蛮奇だった。「なにさ。いまさら……やってりゃいいじゃんか、おどろけってやつ」例のごとく赤蛮奇は無言のまま、じろじろと小傘をみつめる。小傘は膝を抱えたままふいとそっぽを向いてる。赤蛮奇は腕を組み、ごく冷静に口を開いた。
 
「もうやだよ。あいつら終わってる……あとから始めたくせに、次々追い抜いていきやがる。やめだ、もう終い……」

 赤蛮奇は握った拳のやり場に困っているようで、わなわな震わせながらな怒りの矛先を探した。小傘はなおも抱えた膝でそっぽを向いたままでいるが、ときおりちらちら赤蛮奇をみやった。いまにも八つ当たりをされそうな怒気を察し、なんだかこわかったのだろう。

「ペテン……ペテン師だろう。あの河童も!」

「そ、そうですそうです! ちがいありませんー!」

 胸ぐらをつかむ勢いで同意を求めてきた赤蛮奇に小傘は態度を改めざるを得なかった。赤蛮奇の愚痴は長かった。曰くいくらあの靴、あの思想を履いたところで、どういうわけか後から同じものを履いた後続には絶対に勝てないようになっているらしい。また先頭に立ちたければ小売店から新しく靴を買わなければいけないが、何も先頭に立ちたいのはひとりだけではないという話で、延々と続く購買レースに馬鹿らしくなった赤蛮奇はそうそうエスケープを決めたとのことだった。「まだある!」赤蛮奇の話はまだあった。聞けば里でチラシを拾ったとのことで、チラシは思想展覧会の告知をしていた。展覧会は明日里全域で大々的に開かれるらしく、記念に大きなモニュメントまで建てられるという。これでは馬鹿をみた赤蛮奇はおもしろくない。しばらく大音声でもって曖昧な不平を唱えていたが、しまいに確かな意思をもって結論を下した。

「あばれてやる。うわーっとあばれて、それでもって展覧会などぶちこわしにする」

 たしかに、いわば赤蛮奇はテストケース、河童とタヌキの商売に体よくダシとして使われた。しかし赤蛮奇の唱えまくった不平は愚痴の域を出ないもので、小傘からみればそれは八つ当たりで、とどのつまり短絡的な衝動だった。「た、短絡的な……」小傘の感嘆に拳をかためっぱなしの赤蛮奇は「ぐっ」と呻いてみせた。「やるにしたって、もうちょい冷静に考えるとか、そういうのは……」小傘の追い打ちに赤蛮奇は「ぐぐ」と、ぐを増やしてみせる。「似たような有志を募るとか、計画を立てるとか……」今度はぐぐぐだった。しかし以降小傘があんまりにぶつぶつと続けるので、赤蛮奇はとうとう噴火してぐわーと口を開いた。

「そ、そんなに言うなら小傘! おまえが……おまえが計画を立てればいいじゃないか! 私はこれまでこの性分でやってきて問題なく生きてきたんだ! そんなに言うなら、おまえ、おまえがぜんぶやればいいじゃないか!」

 顔にチラシを叩きつけられた小傘はしぶしぶ、低いテーブルに向き直った。仕方なくチラシの裏、広がる余白に筆をちょいと走らせてみる。するとどうして、小傘は走ったインクに尊厳めいた何かを感じた。日時、場所、動員規模……等々赤蛮奇とすり合わせながら、小傘はチラシの裏に出来上がりゆく計画に没頭した。一時間、二時間、三時間……時が過ぎるのは一瞬で、空のしらむころにはチラシは小傘の計画に埋め尽くされていた。

「で、できた……!」

 小傘はわなわなと震える手で計画書を掴み、興味を失くし眠っていた赤蛮奇を叩き起こしてはそれを見せた。

「どう? どうかな! ねえ蛮奇、どう思う? これ!」
「うーん。どうっていわれると……」

 小傘の立てた計画は、短絡的かと云われればそうではないが、綿密かといえば絶対にちがう、まずまずの出来だった。しかし、計画書を眺め言葉を濁す赤蛮奇の傍ら、小傘は虚空を見据えて瞳を輝かせている。ぶつぶつ、ぶつぶつと、小傘の口から言葉がこぼれていた。赤蛮奇にはなんと言ってるか解せなかったが、それはどうやら言葉は違えどすべて同じ意義を持つ言葉だった。朝日が煌々照っていたが、小傘の部屋に陽は差さない。一日の開始を告げるように雀が鳴けど、むろん部屋には届かなかった。代わりに、誰にも、小傘自身にさえ判然としないほどの音声で、部屋には希望の同義語が飽和していた。なんて足りない才能だろう。目に物を見せてやる。こんなことをしてなんになる。一杯二杯を食わせてやろう。ひとに笑われるかもしれない。いまに一泡吹かせてやろう。どうして自分はこうも仕方がないのだろう! それから――



   『強行突破の衝撃に備えろ』 完。
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コメント



0.130簡易評価
2.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
3.100名前が無い程度の能力削除
赤蛮奇...
4.100夏後冬前削除
情熱だ
5.100名前が無い程度の能力削除
行動なんだよ結局は
6.100南条削除
何をやってもやらなくてもうまくいってなくて面白かったです
小傘たちの明日はどっちだ
7.80名前が無い程度の能力削除
面白かったです。
怪しげな宗教。いや詐欺。なんか変なのにはまりそうになる可愛そうなばんきが良かったです。
8.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです。ばんきがががが
10.100名前が無い程度の能力削除
ワ ー ク マ ン い わ き 四 倉 店
11.100名前が無い程度の能力削除
名文。
14.100名前が無い程度の能力削除
a
15.90名前が無い程度の能力削除
里暮らしの妖怪の頽廃感とタヌキや河童のぬけぬけとした世渡り上手さがうまいこと対比されてて面白かったです