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はー…と。
そう魔理沙がただただ見とれてしまう程に、咲夜の動きは、窓から差し込む光に、とても映えていた。
こり、こり、と、コーヒーミルのハンドルを時計回りにまわす、その凛とした姿勢も。
ハンドドリップにお湯をくるり、くぅるりと注いでいく、そのゆるやかな動きも。
サーバーからカップへ抽出したコーヒーを注ぐ、その色まで、何もかもが、美しかった。
「どうぞ」
「お、おう…さんきゅ」
白いコーヒーカップに注がれたコーヒーを、魔理沙は戸惑いながらも受け取る。
ゆぅらり漂う湯気と共に焙煎された香りを鼻に感じながら、そのまま一口、口につける。
「あ…」
飲みこんだ刹那、思わずそんな声をあげていた。
…とても飲みやすい。
ブラックコーヒーだから、もう少し苦みがあるものだと思っていたけれど。そんな雑な苦みは、咲夜の淹れたコーヒーにはどこにもない。
それに…なんだろう。とてもあったかい。まるで、さっきまでくるまれていた毛布のように、身体全体に、熱が伝わっていくというか。さっきまで抱えていた眠気も、今の今まで引きずっていた疲れも。何もかもが吹き飛んでいく、そんな気がした。
いうなれば。今の魔理沙のことを考えて、ぴったり合うように淹れられた。そう表現するべきだろうか。
「良ければこのケーキも、一緒にどうぞ」
魔理沙の反応を見て、どこかほっとしたように微笑んだ咲夜は、パチンと指を鳴らして、雪のような粉砂糖がかかったガトーショコラを、魔理沙の前に出現させた。
フォークで切り分けて、一口。…しっとりした生地はほろ甘くて、おいしい。今まで飲んでいたコーヒーにも、よく合うように作られている。あぁそういえば、ここ最近ちゃんと食べてなかったけな、としみじみ。
「…お前、こんなにコーヒー淹れるのうまかったんだな」
もしかしたら、いつもお茶会で飲む紅茶やハーブティーよりも好きかもしれない。そう思えるくらいに、咲夜のコーヒーは魔理沙にとって驚きのものだった。きっと、咲夜は、本当に長い時間をかけて、コーヒーをここまでの出来に仕上げてきたのだろう、ということが容易に想像出来る。
「本当?それなら嬉しいな」
そう返す咲夜は、頬を綻ばせていて、返事の通り、嬉しさを隠そうとしていなかった。そんな咲夜の反応に、魔理沙はぱちぱちと目を瞬かせる。
「…なんだか、お前にしては珍しい反応だな」
だって、いつものお茶会だったら、こうして味を褒めても、まるでそれが当然だというように、瀟洒な表情しか見せていなかったから。自分の職務に誇りを持ち、完璧に整った表情を崩すことはなかったから。だからこそ、こうして喜びを素直に表情に出す咲夜が、魔理沙にとってはとても珍しく感じられた。
…まるで。料理を初めて作ってみて、おいしいと褒められた子供みたいな、無邪気な反応、というか。
「まぁね。コーヒーに関しては、まだまだ練習中に過ぎないから」
咲夜は、ちょっと恥ずかしそうにはにかむ。この出来で練習中、というのか…さすが完全を求めるメイド、というか、と魔理沙が半ば呆れる。
…いや、けど。いくら練習中だからといっても、それだけでこいつはこんな表情を浮かべるような奴だっただろうか?それ以外にも何かありそうな気が…うーん、もやもや…
「気になるかしら?」
「へ?」
「そんな顔してるもの」
くすくすと咲夜は笑っている。そんなに分かりやすかったか…分かりやすかったんだろうな。ふむ、ばれちゃあ仕方ない。
こうなったらとことん聞いてみよう。知的好奇心は魔法使いにとってなくてはならないものなんだぜ。
「そんなことを言うなら、やっぱり何かあるんだろ。早く話、聞かせてくれよ」
「まぁまぁ、慌てないの。…そうね、隠すようなことでもないもの。話してあげる」
咲夜はコーヒーを飲んで、はぅ、と穏やかなため息をつくと、ぽつりぽつり、と話し始める。
あのね、コーヒーはね。私にとって、とても思い出深い、そんな飲みものなの。
きっかけはいつのことだったかしら…。私がここにお仕えし始めたころだから、もうそこそこ前になるわね。
あの時の私は、本当、お嬢様にお仕えするのが全てで、他のことが何も見えてなかった。
何せ、時止めの能力故に居場所をなくして歩いていた私を、拾ってくださったんですもの。それどころか、こんな素敵な名前まで付けてくださって。あぁ、この方のために生きるのが、私の生きる意味なんだなって、そう確信していた。
だから、拾われた時も、客人として迎え入れても良い、とお嬢様は言ってきたのだけどね。仕えさせてください、て、私からお願いしたの。
そんな時期だったから、一刻も早くお嬢様の傍にいるのにふさわしい存在にならなければ、という気持ちが私にはあってね。昼も夜も、休む時間を取らずに働いていた。猪突猛進、ということばが、あの時の私にはふさわしいでしょうね。
けれど、なかなか慣れることが出来なくて。この場に人間なんて私だけなのだから考えてみれば当たり前なのだけれど、あの時にはそんなこと考える余裕もなくてね。ひたすら焦っていたし、体は悲鳴をあげていた。
そうして、一月くらい経った時だったかな。私が頭を抱えている時に、お嬢様がやって来てね。いたずらっぽく微笑みながら、こう聞いてきたの。
『これからコーヒー淹れるんだ。咲夜も一緒に飲まない?』って。
最初、従者が主と同席するなんてとんでもない、と考えていたから、慌てて断ったの。お茶なら、私がお持ちします、とも。けれど、お嬢様はいたずらっぽい笑顔を崩さないまま、『気にするな。コーヒー淹れるのは私の趣味みたいなものだからさ。それにほら、一人で飲むのは味気ないでしょ?』なんてお茶目に返してこられてね。結局、お嬢様のご希望とあらばお付き合いした方が良いのかなって、その席に同席することになったの。
それで、お嬢様から出されたコーヒーを、一口飲んで。感じたの。
――――すごく、あったかい。って。
なんか、今までずっと抱えていた焦りだとか、そういった負の何もかもが包み込まれて。じんわりと消えていく。そんな感覚がした。
はっとお嬢様の方を見ると、お嬢様は、にこにこしながら私の方を見てくださっていてね。お嬢様には、私が抱えていることなんて、何もかもお見通しだった。そして、気にかけてくださった。おかしな話かもしれないけど、私のためにこのコーヒーを淹れてくれたんだなってことが、よく分かったの。
ちゃんと見ているから、そんなに焦らないで。ゆっくりと、自分のペースで良い。転んだ時には手を差し伸べてあげるから―――って。
そうしたら、今までもみんなが私に休憩を勧めてきたりしたことを思い出してね。あぁ、私は今まで無茶ばかりしてきたんだなって。心配、かけてきたんだなってことにも気付かされた。私、駄目だなぁ馬鹿だなぁって。
そして、自分はもう、ここに受け入れられて、愛されているんだなって、感じることが出来て。
とても、嬉しかった。
そうして夢中になってコーヒーを飲む私の前に、お嬢様はゆっくりと、ご自分でお焼きになったケーキを置いて、ご自分の卓にも、コーヒーとケーキを置いて。
『ねぇ、咲夜。コーヒーの花言葉って、知っているかしら?』
『?い、いえ…』
『ふふ、なら教えてあげる。コーヒーにはね、『一緒に休みましょう』という花言葉があるの』
そうどこか得意げにコーヒーカップをあげながら、お嬢様はこう続けたの。
『だから今は、休憩中。この素敵な花言葉にあやかって、気の赴くままに、共に休みましょう?』
コーヒーを飲んでいる時は、主従なんて関係ない。こうして対等な関係にいる、友人として、家族として。
「…へぇ、レミリアにもそういうところあったんだな。ただわがまま言ってはふり回しているだけかと」
「まぁ、なんてことを。お嬢様は、誰よりもまわりのことをよく見てくださっている方です」
「はは、わりぃわりぃ」
「まったくもう」
その時から、時々、お嬢様の淹れたコーヒーと共に、休憩するようになった。お嬢様のコーヒーは、いつもあたたかくて、カップ片手にするとりとめもない話は、とても楽しくて。
そして、そんな時間を過ごしているうちに、誰かのためではない、自分のために生きたい、と。そう考えるようになった。生きていて良かった、幸せだった、と。そう胸を張れるように過ごしていこう、と考えるようになった。その方が、こうして私を見てくださるみんなに報いることにつながる、そう思ったから。
「…それが、私とコーヒーの馴れ初め。私がこうして、コーヒーを淹れるようになった経緯」
それから、私もお嬢様みたいにおいしいコーヒー淹れられるようになりたいな、なんて憧れて。豆も勉強して、自分のコーヒーセットをそろえて。今度は私が、休息の時間を紡げる立場になれたら良いな、と、練習を重ねてきた。…けど。
「けど、駄目ね。なかなかお嬢様のようにはうまく淹れられなくて」
「そーか?私はこれでもすごい気がするけどなぁ」
「ううん、まだまだ。お嬢様の淹れたコーヒーをいつか飲んでみなさい。びっくりするんだから」
「ふぅん…レミリアのコーヒーが、ねぇ…」
きっと、お嬢様は幻想郷で最もおいしいコーヒーを淹れられる方なのだと、私は確信している。お嬢様自身、『たとえ誰が相手であっても、コーヒーに関しては、そう簡単に勝ちは譲れない。咲夜であってもね』と、誇らしげに語っていたことがあったっけ……けど、ここのキッチンを取り仕切る身としては―――完全な従者を目指す私としては、ちょっと複雑だったり。むぅ。
紅茶とかハーブティーとかなら、もう誰にも負けないところまで来たんだけどな。本当、何が違うんだろうなぁ。
「あははっ」
そうして複雑そうな表情な咲夜を見て、魔理沙はひたすら愉快そうに笑う。
「お前がそうして頬を膨らませるの、なんだか珍しくて面白いな」
「うるさい。ほっといて」
恥ずかしくなって、ぷい、と顔を背ける。その様子を見て、魔理沙はさらに顔を綻ばせる。
本当に面白いのかって?そりゃそうだろう。だって、こんなに豊かな表情を見せる咲夜、めったに見られないんだから。こうした光景も、自分のため生きると、あの時咲夜が決めたからこそ見られるものなのだろうか。これが、素敵な花言葉を持つコーヒーが紡ぎだす、一つの魅力なのだろうか。
「まぁ、あれだな。そういうことなら、いつでもコーヒーに付き合ってあげても良いぜ」
「…そんなこと言って、あなたはちゃっかりここのお茶会に参加したいだけでしょう?」
「まぁまぁ。試食係は1人でも多い方が良いだろう?」
「まったく、調子良いんだから」
ほら、眉をハの字にしながら、こうして微笑んだりして。こうしてコーヒーを飲み続けていれば、もっともっと知らなかった表情を知ることが出来るのかな。
そう考えるだけで、こうして咲夜と共にコーヒーを飲む時間が、私にとって高揚する時間になっていく。そんなにかって?そりゃあそうだろう。だって、
「ま、良いわ。その代わり、試食係というからには、しっかりと役に立ってもらうわよ」
「へへ、その辺はどんと任せとけ。期待してるぜ、咲夜バリスタ?」
「…それ、なんだかむず痒いからやめてくれる?」
「えー。良いじゃん良いじゃん。似合ってると思うぜ」
「…もう」
こう見えても、こいつは、私にとって友人だって思ってるから。
そして、こうしてコーヒーを出してくれるってことは…向こうからしても、少なからず、私のことをそう思ってくれているのだろうから。
柔らかい文体で優しい雰囲気が伝わってきました。とても素敵でした。
朝からコーヒーとケーキを平気で食する魔理沙に若さを感じました
旨し、珈琲旨し
紅魔館組は紅茶なイメージですが、なかなかどうしてコーヒーも合いますね。
良かったです。