この文章は取材相手の語る話を読みやすく再構成したものだ。内容自体は取材相手の話に忠実で、改竄していない。ただ、このままではお客さんに出せない。名前は仮名に変える必要がある。和雄さんをKさんに変えるといった具合に。主軸に関係ない部分も端折らなければならない。特に、和雄が勉強道具を捨てに行くまでの経緯はもっと省略してよいだろう。しかし、それだけでも不十分だ。
まず、怪異の主役が「蛍の化身」というのは宜しくない。実話という体で怪談を語るのだから、話には真実味がなければならない。幽霊には真実味がある。人の魂の残渣めいたものは、「何となく出てきそうな気がする」と思う人が少なくない。ただ、蟲の触角が生えた少女は妖怪だ。妖怪というものは、怪談の題材としてはあまりにもチープである。今時、唐傘お化けやろくろっ首の居場所などないのだ。頑張っても狐狸の類が限度で、それも、もっと古いほのぼのとした時代の体験談という文脈になる。ましてや、「蛍の化身」なんてあまりにもファンタジーじみていて噴飯物だ。小川で溺死した少女の幽霊か何かに変える必要があるだろう。触角の代わりに、顔に藻でもへばりつけておくか。蟲繋がりで、顔に蛆がいっぱいというのも有りかもしれない。
さらに言えば、怪談にはある程度の意味不明さは必要だが、多すぎるのも宜しくない。「蛍に囲まれた少女の幽霊」程度ならば、他の怪談との差別化もできる、程々の意味不明さだ。聞き手の印象に残りやすくなるだろう。ただ、和英辞典のくだりは余計だ。意味不明な描写は一つあれば十分。体験談としては興味深いところもあるが、怪談としては蛇足に過ぎない。オチが弱くなってしまう。せめて、「う」のページがどうして抜き取られたのかが分かっていればどうにかなるが、今のままではあまりにも唐突すぎる。理由を捏造するのも難しい。この部分は丸ごと削ってしまうのが正解だろう。
こうして、私は趣味で集めた体験談を、仕事の怪談に変えていく。私の手により、いくつもの話が怪談になった。中には私の十八番とも言える評判を得たものもある。それなのに、どこか虚しいのは何故だろう。仕事というものは、そういうものなのだろうか。
望んで会えるものではないのかも知れないが、もしかしたら、いつかどこかでふらりと出会うこともあるのではないだろうか
色々と考えさせられるお話でした
なるほどなあ。
作中作と言いますか、誰かの体験談という体の文章が、どことなく趣があって面白かったです。
怪異を話し手の都合で捻じ曲げ、変質してしまうことに対するやるせなさのようなものを感じました。良かったです。
フォークロアさが出ていてよかったと思います。
これから嘘を混ぜて物語にする。という前提が体験談そのものの信ぴょう性を引き上げていて素晴らしかったと思います。
しかし本物の怪談がこうやってゆがめられていくのだと思うと、言いようのない寂しさも感じました。
とても面白かったです。
聞いた体験談をさらに改変したものという発想が良かったです。
話の進め方、説明の細やかさ、とてもわかりやすく、良かったです。