もきゅっ、もきゅっ、ごくん。
茹で卵を頬張る今日は晴天、何時も頭上には岩盤の天井があるだけだったけど、今日は地上に出ているから空は何処までも広がっている。此処は妖怪の山、此処は守矢神社、目の前には大きな湖が広がっている。地底の熱気と湿気がこもった空気とは違って、此処の空気は澄んでおり、涼しくて心地良かった。八咫烏様も久し振りに太陽の下に出られて御満悦のようだ、私の隣には座っている蛙の神様もケロケロっと肩を揺らしている。長閑な時間に身も心もだらけていくのがわかった。
うにゅう、と弛緩する肉体に身を委ねて、ころんと仰向けに寝転がる。
ここはあまりにも優し過ぎた。身の危険を感じることもない世界に瞼を閉じる。そして湖面にたゆたう冷たい風に晒されながら、くうっと寝息を立てる。何時までも居たい、ここはそんな気分にさせてくれる。
蛙の神様に見守られながら意識を夢の中へと落とした。
物心が付いたのは、まだ人化もできなかった頃、地獄烏として地底の中を飛んでいた。旧地獄街の喧騒に紛れて、提灯が照らす光を避けて身を伏せる。今日を生きるだけでも必死だった、明日を生きるのは困難を極めた。卑しいだとか、穢らわしいだとか、考えていられるだけの余裕が私にはなかった。だからゴミも漁ったし、誰かが地面にぶちまけた料理を躊躇なく口に入れた。それが惨めだと感じることもなかった、それが辛いと思う暇もなかった。生きているだけで儲けもの、その精神で私は地底の空を肩身が狭い思いで空を飛んでいた。
初めて、お燐と出会ったのは何時頃だったか。まだ人化もできなかった頃の話だ。
泥酔した者や賭博で身包みを剥がされた者、他にも暴行を受けた者が横たわる掃き溜めの路地裏に黒猫が倒れていた。お腹に木片が刺さっており、表通りから路地裏、彼女の倒れる場所まで血が点々と滴っている。これはもう駄目だなって思った。ここでは隙を見せた者から死んでいく、そして誰もが自分のことだけで精一杯で、どいつもこいつも自分の事しか見えていなかった。かく言う私もおんなじで、だから彼女を助けた。何故かって、彼女の目が綺麗だったからだ。地底に住む人間は誰も彼もが死んだ目をしている。生きているようで死んでいる、死にながら生き続けている。ギラギラと目を輝かせているのはひと握りの強者、圧倒的な生命力で全身を活力で漲らせる。しかし、そんな彼女達もまた力を持て余しており、ちょっとしたことで喧嘩する。喧嘩して、そして周りを巻き込んだ。奴らには周りに迷惑を掛けているという自覚がない。こんな風に木片をお腹に突き刺さる子にも目がいかず、奴らは妖殺しの自覚すらないまま誰かを殺す。此処では誰もが飢えている。暴力に、空腹に、危機に、平和に、そんな中で彼女だけが澄んだ目をしていた、死に行く体で綺麗な瞳をしていた。これは私だけの宝物だ、目玉は死ぬと光を失う。だから私は彼女を生かそうと思った、それだけの話だ。
溶岩地帯、排卵した卵を落とすと茹で卵になる。これは私の主食であり、当時、私が口にする中で最も美味しい御馳走だった。それを彼女に分け与える。それから数ヶ月後、彼女は忽然と姿を消した。ここでは毎日のように誰かが命を落としている。折角、怪我も治りかけだったのに、出会った時といい運の悪い奴だと思った。だから私は三歩歩いた。鳥は三歩歩けば忘れる、それは酒に酔った鬼達が私を見ながら語った話であり、気付いた時には私のおまじないになっていた。
それから更に数年後、空腹で野垂れていたところを妙に小綺麗な姿をした黒猫に咥えられて拾われる。
目覚める、屋根があった。床は畳だ、此処は守屋神社、客人を泊める為に使われる部屋であり、ガラッと体良く緑の巫女が部屋に上がり込んできた。「起きましたね、良かったです!」と早苗は私の側まで近寄り、私の黒くて長い髪を手で触れて、むうっと顔を顰めてみせる。まだまだ、あとちょっと、そんなことを口にした後で「今日も一緒にお風呂ですよ!」と元気よく告げられた。
地底には温泉が多い、そして妖怪の山にも温泉が多い。
早苗に背中から翼、その根本、髪までも丹念に洗われる。温泉は不思議だ、裸体を晒すことへの抵抗が失われる。バシャッと頭から何度もお湯をかけられた。湯に浸かるのは好きだ。しかし湯に浸かるまでが長かった。特に八咫烏を、この身に宿してからは体が大きくなったので余計に時間がかかる。人化してから今日まで、髪を短くしたことはない。面倒臭いから切っちゃおうって思ったことがある。その都度、「それを捨てるなんてもったいない!」とお燐に止められた。八咫烏を宿してからは余計に髪が伸びたので、せめて、前と同程度には髪を短くしたいと思うのだけど「それを捨てるなんてもったいない!」と早苗に止められる。髪が綺麗なんて言われてもよく分からない、お燐の瞳の方がずっと綺麗だと思う。お燐の目の輝きは特別だと思っていたけども、地上に来ると当たり前にみんな目をキラキラと輝かせていた。早苗なんて特にキラキラで、キャピキャピしている。温泉に浸かる、んふ〜っと口から息が零れた。温泉は好きだ。でも湯に浸かるまでが面倒だ、だから私は風呂があまり好きじゃない。そんな私にお構いなしで、お燐と早苗は私のことを毎日のように浴場へと放り込んだ。
地上は、居心地が良い。お燐は赤巫女の神社に入り浸っているし、私は私で緑巫女の神社に入り浸る。
ふと此処にずっと居たいなあって思った。ずっと居ても良いんだよって何時の間にか隣に座る蛙の神様が囁きかけてきた。でも、帰んなきゃって、私は首を横に振る。外が騒がしくなってきた、黒猫の妖怪が妖怪の山に侵入したんだって話を聞いた。迎えが来たから帰るよ、と私は早苗と蛙神様にペコリとお辞儀する。そういえば、なんで地上に来たんだっけ? そうだ、こいし様と喧嘩したからだった。私の卵で作ったプリンを食べられたから、そんな理由で家出した。
神社の外に出る。ボロボロの姿になったお燐の姿を見つけたから、いちにっさん、と助走を付けてからお燐の胸に飛び込んだ。
茹で卵を頬張る今日は晴天、何時も頭上には岩盤の天井があるだけだったけど、今日は地上に出ているから空は何処までも広がっている。此処は妖怪の山、此処は守矢神社、目の前には大きな湖が広がっている。地底の熱気と湿気がこもった空気とは違って、此処の空気は澄んでおり、涼しくて心地良かった。八咫烏様も久し振りに太陽の下に出られて御満悦のようだ、私の隣には座っている蛙の神様もケロケロっと肩を揺らしている。長閑な時間に身も心もだらけていくのがわかった。
うにゅう、と弛緩する肉体に身を委ねて、ころんと仰向けに寝転がる。
ここはあまりにも優し過ぎた。身の危険を感じることもない世界に瞼を閉じる。そして湖面にたゆたう冷たい風に晒されながら、くうっと寝息を立てる。何時までも居たい、ここはそんな気分にさせてくれる。
蛙の神様に見守られながら意識を夢の中へと落とした。
物心が付いたのは、まだ人化もできなかった頃、地獄烏として地底の中を飛んでいた。旧地獄街の喧騒に紛れて、提灯が照らす光を避けて身を伏せる。今日を生きるだけでも必死だった、明日を生きるのは困難を極めた。卑しいだとか、穢らわしいだとか、考えていられるだけの余裕が私にはなかった。だからゴミも漁ったし、誰かが地面にぶちまけた料理を躊躇なく口に入れた。それが惨めだと感じることもなかった、それが辛いと思う暇もなかった。生きているだけで儲けもの、その精神で私は地底の空を肩身が狭い思いで空を飛んでいた。
初めて、お燐と出会ったのは何時頃だったか。まだ人化もできなかった頃の話だ。
泥酔した者や賭博で身包みを剥がされた者、他にも暴行を受けた者が横たわる掃き溜めの路地裏に黒猫が倒れていた。お腹に木片が刺さっており、表通りから路地裏、彼女の倒れる場所まで血が点々と滴っている。これはもう駄目だなって思った。ここでは隙を見せた者から死んでいく、そして誰もが自分のことだけで精一杯で、どいつもこいつも自分の事しか見えていなかった。かく言う私もおんなじで、だから彼女を助けた。何故かって、彼女の目が綺麗だったからだ。地底に住む人間は誰も彼もが死んだ目をしている。生きているようで死んでいる、死にながら生き続けている。ギラギラと目を輝かせているのはひと握りの強者、圧倒的な生命力で全身を活力で漲らせる。しかし、そんな彼女達もまた力を持て余しており、ちょっとしたことで喧嘩する。喧嘩して、そして周りを巻き込んだ。奴らには周りに迷惑を掛けているという自覚がない。こんな風に木片をお腹に突き刺さる子にも目がいかず、奴らは妖殺しの自覚すらないまま誰かを殺す。此処では誰もが飢えている。暴力に、空腹に、危機に、平和に、そんな中で彼女だけが澄んだ目をしていた、死に行く体で綺麗な瞳をしていた。これは私だけの宝物だ、目玉は死ぬと光を失う。だから私は彼女を生かそうと思った、それだけの話だ。
溶岩地帯、排卵した卵を落とすと茹で卵になる。これは私の主食であり、当時、私が口にする中で最も美味しい御馳走だった。それを彼女に分け与える。それから数ヶ月後、彼女は忽然と姿を消した。ここでは毎日のように誰かが命を落としている。折角、怪我も治りかけだったのに、出会った時といい運の悪い奴だと思った。だから私は三歩歩いた。鳥は三歩歩けば忘れる、それは酒に酔った鬼達が私を見ながら語った話であり、気付いた時には私のおまじないになっていた。
それから更に数年後、空腹で野垂れていたところを妙に小綺麗な姿をした黒猫に咥えられて拾われる。
目覚める、屋根があった。床は畳だ、此処は守屋神社、客人を泊める為に使われる部屋であり、ガラッと体良く緑の巫女が部屋に上がり込んできた。「起きましたね、良かったです!」と早苗は私の側まで近寄り、私の黒くて長い髪を手で触れて、むうっと顔を顰めてみせる。まだまだ、あとちょっと、そんなことを口にした後で「今日も一緒にお風呂ですよ!」と元気よく告げられた。
地底には温泉が多い、そして妖怪の山にも温泉が多い。
早苗に背中から翼、その根本、髪までも丹念に洗われる。温泉は不思議だ、裸体を晒すことへの抵抗が失われる。バシャッと頭から何度もお湯をかけられた。湯に浸かるのは好きだ。しかし湯に浸かるまでが長かった。特に八咫烏を、この身に宿してからは体が大きくなったので余計に時間がかかる。人化してから今日まで、髪を短くしたことはない。面倒臭いから切っちゃおうって思ったことがある。その都度、「それを捨てるなんてもったいない!」とお燐に止められた。八咫烏を宿してからは余計に髪が伸びたので、せめて、前と同程度には髪を短くしたいと思うのだけど「それを捨てるなんてもったいない!」と早苗に止められる。髪が綺麗なんて言われてもよく分からない、お燐の瞳の方がずっと綺麗だと思う。お燐の目の輝きは特別だと思っていたけども、地上に来ると当たり前にみんな目をキラキラと輝かせていた。早苗なんて特にキラキラで、キャピキャピしている。温泉に浸かる、んふ〜っと口から息が零れた。温泉は好きだ。でも湯に浸かるまでが面倒だ、だから私は風呂があまり好きじゃない。そんな私にお構いなしで、お燐と早苗は私のことを毎日のように浴場へと放り込んだ。
地上は、居心地が良い。お燐は赤巫女の神社に入り浸っているし、私は私で緑巫女の神社に入り浸る。
ふと此処にずっと居たいなあって思った。ずっと居ても良いんだよって何時の間にか隣に座る蛙の神様が囁きかけてきた。でも、帰んなきゃって、私は首を横に振る。外が騒がしくなってきた、黒猫の妖怪が妖怪の山に侵入したんだって話を聞いた。迎えが来たから帰るよ、と私は早苗と蛙神様にペコリとお辞儀する。そういえば、なんで地上に来たんだっけ? そうだ、こいし様と喧嘩したからだった。私の卵で作ったプリンを食べられたから、そんな理由で家出した。
神社の外に出る。ボロボロの姿になったお燐の姿を見つけたから、いちにっさん、と助走を付けてからお燐の胸に飛び込んだ。
ちょっとうるんだ
オチのお燐も可愛いかったです
生きようと、お燐と出会ったところとか本当に好きです。ゆで卵の描写とかほんとに……
面白かったです。可愛かった!
過去のエピソードをまた別の場でもう少し長く読んでみたい気がしました
可愛いかよ
大変に洗練された関係性の塊でした
可愛いかよ