赤煉瓦の塀、目の前には霧の濃い湖が広がっている。
いつもと変わらない風景、いつもと変わらない毎日、今頃、屋敷の中では朝食の準備とか掃除とか、御嬢様の気紛れとかで忙しいのだろうけど、この時間の門前は来訪者もほとんど居ないので退屈だった。ふわぁっと欠伸を零して、まだ重たい瞼を擦る。私は見た目こそ普通の人間と相違ないが、これでも歴とした妖怪であり、夜型の体質をしている。私の御主人様も典型的な夜型の妖怪であるが、最近できた人間の友達に合わせて朝方妖怪に体質改善を図っている。とはいえ妖怪は妖怪、それも太陽を毛嫌いする吸血鬼ともなれば、なかなか体質改善も難しい。きっと御主人様で御嬢様な彼女もまた朝支度の最中、大きな欠伸を零しているに違いなかった。
此処が幻想郷であり、妖怪の楽園である以上、門番のお勤めは夜中が主となる。
だから夜中は門前から離れることもできず、昼間には黒白の魔法使いが定期的にやってくるので空けることもできない。つまるところ四六時中、私は門番の仕事を真っ当している訳である。とはいえタイムカードを切っている訳でもないし、明確に勤務時間が定められているわけでもない。ちょっとくらい私が門前から離れたところでお咎めに来るのは完全に瀟洒なメイドくらいなものだった。
私が此処に居る時は、何も用事がない時だ。
だから、と頭頂部に刺さるナイフを抜き取って、欠伸のひとつも許して欲しいものだ。と独りごちる。
さて紅魔館の外を出歩く時は御嬢様の許しを得る必要はあるが、休憩と称して紅魔館の中を歩き回る分には問題ない。
その時もまた完全に瀟洒なメイドがナイフを刺しに来る程度だ。むしろメイド長を呼びたい時は門前から離れて、適当に時間を潰している方が効率的とも云える。赤い壁紙に赤い絨毯を敷き詰めた廊下を歩きつつ、その途中、掃除道具を片手に駆け回るメイド服の妖精さんと挨拶を交わしながら足を進める。目指すは大図書館だ。
カツッカツッと階段を降りる。大図書館は紅魔館の地下にある。
少し大仰な両開きの扉を開けば、余りにも広大な蔵書群が視界を覆い尽くす。明らかに紅魔館の面積に収まらない空間もそうだが、一体全体、これだけの蔵書を何処から持ち込んできたのか。運び入れるのは勿論、もし仮に引っ越すとして、持ち出すのだけでも数年単位の時間が掛かりそうだ。図書館内は書籍を保管するのに適した環境になっており、空気も淀んでいる訳ではないが少し埃臭い。そして、そんな環境にいる図書館の主は入り口付近にある机にて、少し青白い顔で咳き込んでいた。コンコンと、それでも机に開いた本から視線を外さないのは本の虫が為せる技か。私は溜息ひとつ、こんにちは、と御嬢様の友人様に話しかける。私の顔を見た時、友人様はほんの少しだけ安堵するように表情を緩めた。調子が悪そうですね。そうね、お願いできるかしら? ええ、分かりました。そんな軽いやり取りの後、友人様の背中を撫でながら体内の気を整える。少しずつ友人様の顔に血の気が戻り、すぅっと穏やかに息を吸い込んだ。膨らんだ胸、ふぅーっと長く息を吐いてから「ありがとう、いつも助かるわ」と不器用に微笑み返してくれた。
私は図書館の一角を陣取り、図書館勤めの妖精さんに頼んで幾つかの漫画本を持ってきてもらった。
漫画本を読み耽っていると時折、メイド長が白けた目を向けてくる事がある。子供っぽい、という彼女の言い分に私は曖昧な笑みを返す。洒落た悪戯心を持つ貴方も充分に子供っぽいですよ。とは口には出さず、しかし言わずとも通じてしまうのか。瀟洒はメイドは少し不満げに眉を顰めた後、ふっと時間を止めて姿を消す。そんな事が偶にある、日常の一頁。
今回はメイド長は来ず、代わりに話しかけてきたのは小悪魔だった。わざわざ足を運んでくれてありがとうございます。と頭を下げる彼女の手にはティーセットがあり、漫画本を積み重ねる机にティーカップを置いて、つーっと真っ赤な紅茶を注ぎ入れる。澄んだ色合いは研磨した宝石のように美しく、しかし口に付けた時の味わいは、なんというか優しくて柔らかくて深みがある。それは舌触りのほんの些細な違いに過ぎないのだろうけど、そのほんの少しの違いが心地良かった。私には紅茶の味なんてよくわからないし、語れるほどの知識もない。だから、良い。とだけ語る。どうせ、私が手に持っている書籍も武術書か漫画の二択なのだから紅茶を飲んで絵になるはずもなかった。偶々ですよ、頂きます。そう言って、彼女の淹れてくれた紅茶を啜る私を、小悪魔は慈しむような瞳で暫く見つめていた。
少し読書を嗜んだ後、うんと体を伸ばしてから図書館を出る。
此処でも妖精さんは働いており、パタパタとはたきを振り回しながら私に駆け寄ってきた。そんな彼女と一言、二言、会話を交わした後、私は館内の散策を続ける。階段を登って、今頃、ティータイムを嗜んでいるであろう御嬢様の元へと歩を進める。こんなところをメイド長に見られてしまえば、ナイフの一本や二本、頭に突き立てられそうなのだけど、幸いにもまだ気付かれていないようで何時の間にか頭にナイフが生える事態にはなっていない。
そもそも門番なんて役職に大した意味なんてない。見栄が九割、パーティーとかで客人を案内することが一割、外敵を相手にする事なんてほとんどなかった。
扉の前でノックを数回、「美鈴ね、入っても良いわよ」と私の声も聞かずに許しを出す。
失礼します、と中に入ると紅茶を嗜みながら雑誌を読み耽る御嬢様の姿があった。その表紙を見るに、恐らく香霖堂で仕入れたものだと当たりをつける。外の世界から幻想郷に流れ着いたものが店頭に並べられていたのだろう。ひょっこりと覗き見るに内容は典型的なオカルト雑誌、妖怪である私が云うのもなんだけど、ちょっと流しみた程度でも眉唾だとわかるものが多かった。どうして、こんなものに興味を持ってしまったのか。そういえば、巷ではオカルトボールなる異変が流行っていたか。
少しの間、思考を巡らせていると「貴方も興味がある?」と御嬢様は爛々と目を輝かせて問い掛けてきた。
永遠に幼き赤い月様は好奇心旺盛だ。
そうですね、と私は御嬢様からオカルト雑誌を受け取り、そういえば、と口を開いた。
「最近、こういったものを題材に取り扱った漫画を読みましたよ」
「え、なにそれ?」
「確かニャンコ友人日記……いや、帳? だったような?」
「ちょっとパチェに頼んで借りてくるわ!」
御嬢様は言うや否や、上品さを辛うじて損なわない早歩きで部屋を出て行った。
取り残された私はオカルト雑誌をパラパラと捲り、後でまた瀟洒なメイドに「余計なことを吹き込んで」と小言を言われるんだろうな。と苦笑する。しかし、この頁にあるネッシー。確か妖怪の山にある湖で発見されたと文々。新聞でやっていたような――いや、余計なことは言うまい。この事を言ってしまったが最後、御嬢様は最も信頼におけるメイドを連れて、一目散に妖怪の山へと飛んで行くに決まっているのだ。
オカルト雑誌を片手に部屋を出る、そしてまた廊下の掃除をする妖精さんに話しかけられた。
通り縋り妖精達に話しかけながら廊下を歩き回る。
紅魔館にいる妖精さんは好奇心旺盛だ。気付けば増えているし、気付けば減っている。時折、外の子が紛れ込んでいることもあるけども完全に瀟洒なメイドは気付かないし、御嬢様も気にする様子もないので度が過ぎた悪戯でもしない限りは見逃したりする。そんな彼女達はメイド長の真似を見様見真似でしてみたり、御嬢様の立ち振る舞いに憧れを抱いたりした。
例えば、庭の溜まり場で妖精の妖精による妖精の為の御茶会が開かれることがある。ひっそりと厨房からくすねた茶葉と菓子を広げて、慣れない御嬢様言葉と仕草でうふふおほほと上品っぽく語り合う。それを初めて見つけてしまった時、妖精さん達からメイド長が作ったというクッキーを一枚、受け取った時から私も彼女達の共犯者。時折、御茶会に参加させて貰ったりしている。完全に瀟洒なメイドに言わせると彼女達は戦力外、しかし彼女達は噂好きで意外と情報通だったりする。
例えば、今日のパチュリー様は顔色が悪かったとか、御嬢様が新しい情報雑誌に釘付けになってるとか、メイド長が大きな袋を持って買い出しに出掛けたとか、妹様が館内を歩き回っていたとか。ふとチカチカと七色に光る宝石の翼が、ヒュッと廊下の角に姿を消した。トタトタと駆け足で廊下を進む足音に、タッタッと軽快な足取りで追いかける。幾度か突き当たりを曲がった後で、ふっとその足取りが途絶えた。きょろきょろと周りを見渡せば、パタパタと揺れる綺麗な翼が部屋の扉、その隙間にスルッと滑り込んだ。その光景に、つい頬を緩むのを自覚し、半開きの扉を開ける。
見いつけた。見つかっちゃった! 妹様は向日葵よりも素敵な笑顔で抱きついて来た。
「ねえ美鈴! 弾幕ごっこしよ!」
「う〜ん、それはちょっと咲夜さんに怒られてしまいそうですね」
「むう、美鈴は私と咲夜のどっちが大事なの?」
「二人とも比べられないくらいに好きですよ〜」
「それって駄目な男が言う台詞なんだってこと、分かってる?」
「これは手厳しい」
たはは、と私が愛想笑いを浮かべれば、妹様は眉を顰めた後、ならさあ、と代案を口にする。
それなら構いませんよ、と二つ返事で快諾した。
手を繋ぐ、真っ赤な廊下を二人で歩いた。
他愛のない話に花を咲かせて、エントランスホールまで足を運んだ。開けた場所に辿り着いた後で、妹様は小さくて柔らかい手を離して、とてとてと私から距離を離して、ふわっとミニスカートを浮かせながら半回転する。後ろ手に手を結びながら「それじゃあ見てるからね」と妹様はにんまりと歯を見せる。わかりました。と私は呼吸を整えて、全身を巡る気に意識を集中させる。これから始めるのは演舞、技の継ぎ目を感じさせない流れるような動きを意識する。わーぱちぱちと両手を叩いて喜ぶ妹様を横目に私は動きを洗練させて、見栄えの良い技を次々と披露していった。「あら? 面白い見せ物をしてるじゃない」と途中から御嬢様が見物に来て、なんだなんだ、と妖精さん達もエントランスに集まってきた。興に乗ってきたところで漫画に乗っていた技の物真似を始める。
それからも暫く場を盛り立てたところで、ピタリと時が止められた違和感を感じ取った。
「何をしているのかしら?」
背中から冷たい声で囁かれる。
ゆっくりと両手を上げて、「妹様に喜んで貰おうと思いまして」と愛想笑いを浮かべる。幼い頃から面倒を見て、見られて、すっかりと大人になった完全で瀟洒なメイドは、あんまり子供っぽいことをしないで、と妹様や御嬢様には聞こえないような声で吐き捨てる。そんな彼女に、たはは、と笑って誤魔化すしかなかった。そんな私の態度が癪に触ったのか、彼女は顰めっ面を更に険しくさせる。
今日はもう終わりよ、と両手を叩いて妖精さん達を解散させる御嬢様の声が聞こえてきた。
「貴女は、昔はもっと落ち着いていたわ」
去り際にそんなことを告げるメイド長に「それは違うよ?」と妹様が不思議そうに答える。
「美鈴は昔からずっとこんな感じだよ?」
「そうね、美鈴は昔からこんな感じだったわね」
パチェにも聞いてみると良いわ。と御嬢様は新しい玩具を見つけた時のような楽しげな笑みを浮かべてみせた。
「貴女から見た美鈴は面倒見の良いお姉さんよね。成長して、だらしないところも見えるようになって幻滅でもしていたかしら?」
御嬢様の煽るような声色に「あー、だから最近、美鈴に当たりが強かったんだね」と妹様が追い討ちする。
「もう咲夜、駄目じゃない。美鈴を虐めるのは、めっ、なんだよ?」
咎めるような口振りに完全に瀟洒なメイドは耳まで真っ赤にした顔で、ぷるぷると身を震わせる。
ああ、これは駄目だ。と思って私は彼女に声を掛けた。
「咲夜さん……その、夢を壊してしまって、すみません?」
「なんで疑問符なのよ!」
パァン! という渇いた音がエントランスに響き渡った。
それからまあ大図書館にて、御嬢様と妹様と同じ机で漫画の読書会を始める。ツンとした顔で御嬢様の後ろに控えるメイド長、私が少し気不味げに紅葉を腫らした頬を撫でていると茶請けの補充に来た小悪魔が事のついでと耳打ちする。
ねえ何があったんですか? 悪魔の尻尾をふりふりと振る彼女の質問に私は人差し指を口元に添えて答える。
企業秘密です、と。
いつもと変わらない風景、いつもと変わらない毎日、今頃、屋敷の中では朝食の準備とか掃除とか、御嬢様の気紛れとかで忙しいのだろうけど、この時間の門前は来訪者もほとんど居ないので退屈だった。ふわぁっと欠伸を零して、まだ重たい瞼を擦る。私は見た目こそ普通の人間と相違ないが、これでも歴とした妖怪であり、夜型の体質をしている。私の御主人様も典型的な夜型の妖怪であるが、最近できた人間の友達に合わせて朝方妖怪に体質改善を図っている。とはいえ妖怪は妖怪、それも太陽を毛嫌いする吸血鬼ともなれば、なかなか体質改善も難しい。きっと御主人様で御嬢様な彼女もまた朝支度の最中、大きな欠伸を零しているに違いなかった。
此処が幻想郷であり、妖怪の楽園である以上、門番のお勤めは夜中が主となる。
だから夜中は門前から離れることもできず、昼間には黒白の魔法使いが定期的にやってくるので空けることもできない。つまるところ四六時中、私は門番の仕事を真っ当している訳である。とはいえタイムカードを切っている訳でもないし、明確に勤務時間が定められているわけでもない。ちょっとくらい私が門前から離れたところでお咎めに来るのは完全に瀟洒なメイドくらいなものだった。
私が此処に居る時は、何も用事がない時だ。
だから、と頭頂部に刺さるナイフを抜き取って、欠伸のひとつも許して欲しいものだ。と独りごちる。
さて紅魔館の外を出歩く時は御嬢様の許しを得る必要はあるが、休憩と称して紅魔館の中を歩き回る分には問題ない。
その時もまた完全に瀟洒なメイドがナイフを刺しに来る程度だ。むしろメイド長を呼びたい時は門前から離れて、適当に時間を潰している方が効率的とも云える。赤い壁紙に赤い絨毯を敷き詰めた廊下を歩きつつ、その途中、掃除道具を片手に駆け回るメイド服の妖精さんと挨拶を交わしながら足を進める。目指すは大図書館だ。
カツッカツッと階段を降りる。大図書館は紅魔館の地下にある。
少し大仰な両開きの扉を開けば、余りにも広大な蔵書群が視界を覆い尽くす。明らかに紅魔館の面積に収まらない空間もそうだが、一体全体、これだけの蔵書を何処から持ち込んできたのか。運び入れるのは勿論、もし仮に引っ越すとして、持ち出すのだけでも数年単位の時間が掛かりそうだ。図書館内は書籍を保管するのに適した環境になっており、空気も淀んでいる訳ではないが少し埃臭い。そして、そんな環境にいる図書館の主は入り口付近にある机にて、少し青白い顔で咳き込んでいた。コンコンと、それでも机に開いた本から視線を外さないのは本の虫が為せる技か。私は溜息ひとつ、こんにちは、と御嬢様の友人様に話しかける。私の顔を見た時、友人様はほんの少しだけ安堵するように表情を緩めた。調子が悪そうですね。そうね、お願いできるかしら? ええ、分かりました。そんな軽いやり取りの後、友人様の背中を撫でながら体内の気を整える。少しずつ友人様の顔に血の気が戻り、すぅっと穏やかに息を吸い込んだ。膨らんだ胸、ふぅーっと長く息を吐いてから「ありがとう、いつも助かるわ」と不器用に微笑み返してくれた。
私は図書館の一角を陣取り、図書館勤めの妖精さんに頼んで幾つかの漫画本を持ってきてもらった。
漫画本を読み耽っていると時折、メイド長が白けた目を向けてくる事がある。子供っぽい、という彼女の言い分に私は曖昧な笑みを返す。洒落た悪戯心を持つ貴方も充分に子供っぽいですよ。とは口には出さず、しかし言わずとも通じてしまうのか。瀟洒はメイドは少し不満げに眉を顰めた後、ふっと時間を止めて姿を消す。そんな事が偶にある、日常の一頁。
今回はメイド長は来ず、代わりに話しかけてきたのは小悪魔だった。わざわざ足を運んでくれてありがとうございます。と頭を下げる彼女の手にはティーセットがあり、漫画本を積み重ねる机にティーカップを置いて、つーっと真っ赤な紅茶を注ぎ入れる。澄んだ色合いは研磨した宝石のように美しく、しかし口に付けた時の味わいは、なんというか優しくて柔らかくて深みがある。それは舌触りのほんの些細な違いに過ぎないのだろうけど、そのほんの少しの違いが心地良かった。私には紅茶の味なんてよくわからないし、語れるほどの知識もない。だから、良い。とだけ語る。どうせ、私が手に持っている書籍も武術書か漫画の二択なのだから紅茶を飲んで絵になるはずもなかった。偶々ですよ、頂きます。そう言って、彼女の淹れてくれた紅茶を啜る私を、小悪魔は慈しむような瞳で暫く見つめていた。
少し読書を嗜んだ後、うんと体を伸ばしてから図書館を出る。
此処でも妖精さんは働いており、パタパタとはたきを振り回しながら私に駆け寄ってきた。そんな彼女と一言、二言、会話を交わした後、私は館内の散策を続ける。階段を登って、今頃、ティータイムを嗜んでいるであろう御嬢様の元へと歩を進める。こんなところをメイド長に見られてしまえば、ナイフの一本や二本、頭に突き立てられそうなのだけど、幸いにもまだ気付かれていないようで何時の間にか頭にナイフが生える事態にはなっていない。
そもそも門番なんて役職に大した意味なんてない。見栄が九割、パーティーとかで客人を案内することが一割、外敵を相手にする事なんてほとんどなかった。
扉の前でノックを数回、「美鈴ね、入っても良いわよ」と私の声も聞かずに許しを出す。
失礼します、と中に入ると紅茶を嗜みながら雑誌を読み耽る御嬢様の姿があった。その表紙を見るに、恐らく香霖堂で仕入れたものだと当たりをつける。外の世界から幻想郷に流れ着いたものが店頭に並べられていたのだろう。ひょっこりと覗き見るに内容は典型的なオカルト雑誌、妖怪である私が云うのもなんだけど、ちょっと流しみた程度でも眉唾だとわかるものが多かった。どうして、こんなものに興味を持ってしまったのか。そういえば、巷ではオカルトボールなる異変が流行っていたか。
少しの間、思考を巡らせていると「貴方も興味がある?」と御嬢様は爛々と目を輝かせて問い掛けてきた。
永遠に幼き赤い月様は好奇心旺盛だ。
そうですね、と私は御嬢様からオカルト雑誌を受け取り、そういえば、と口を開いた。
「最近、こういったものを題材に取り扱った漫画を読みましたよ」
「え、なにそれ?」
「確かニャンコ友人日記……いや、帳? だったような?」
「ちょっとパチェに頼んで借りてくるわ!」
御嬢様は言うや否や、上品さを辛うじて損なわない早歩きで部屋を出て行った。
取り残された私はオカルト雑誌をパラパラと捲り、後でまた瀟洒なメイドに「余計なことを吹き込んで」と小言を言われるんだろうな。と苦笑する。しかし、この頁にあるネッシー。確か妖怪の山にある湖で発見されたと文々。新聞でやっていたような――いや、余計なことは言うまい。この事を言ってしまったが最後、御嬢様は最も信頼におけるメイドを連れて、一目散に妖怪の山へと飛んで行くに決まっているのだ。
オカルト雑誌を片手に部屋を出る、そしてまた廊下の掃除をする妖精さんに話しかけられた。
通り縋り妖精達に話しかけながら廊下を歩き回る。
紅魔館にいる妖精さんは好奇心旺盛だ。気付けば増えているし、気付けば減っている。時折、外の子が紛れ込んでいることもあるけども完全に瀟洒なメイドは気付かないし、御嬢様も気にする様子もないので度が過ぎた悪戯でもしない限りは見逃したりする。そんな彼女達はメイド長の真似を見様見真似でしてみたり、御嬢様の立ち振る舞いに憧れを抱いたりした。
例えば、庭の溜まり場で妖精の妖精による妖精の為の御茶会が開かれることがある。ひっそりと厨房からくすねた茶葉と菓子を広げて、慣れない御嬢様言葉と仕草でうふふおほほと上品っぽく語り合う。それを初めて見つけてしまった時、妖精さん達からメイド長が作ったというクッキーを一枚、受け取った時から私も彼女達の共犯者。時折、御茶会に参加させて貰ったりしている。完全に瀟洒なメイドに言わせると彼女達は戦力外、しかし彼女達は噂好きで意外と情報通だったりする。
例えば、今日のパチュリー様は顔色が悪かったとか、御嬢様が新しい情報雑誌に釘付けになってるとか、メイド長が大きな袋を持って買い出しに出掛けたとか、妹様が館内を歩き回っていたとか。ふとチカチカと七色に光る宝石の翼が、ヒュッと廊下の角に姿を消した。トタトタと駆け足で廊下を進む足音に、タッタッと軽快な足取りで追いかける。幾度か突き当たりを曲がった後で、ふっとその足取りが途絶えた。きょろきょろと周りを見渡せば、パタパタと揺れる綺麗な翼が部屋の扉、その隙間にスルッと滑り込んだ。その光景に、つい頬を緩むのを自覚し、半開きの扉を開ける。
見いつけた。見つかっちゃった! 妹様は向日葵よりも素敵な笑顔で抱きついて来た。
「ねえ美鈴! 弾幕ごっこしよ!」
「う〜ん、それはちょっと咲夜さんに怒られてしまいそうですね」
「むう、美鈴は私と咲夜のどっちが大事なの?」
「二人とも比べられないくらいに好きですよ〜」
「それって駄目な男が言う台詞なんだってこと、分かってる?」
「これは手厳しい」
たはは、と私が愛想笑いを浮かべれば、妹様は眉を顰めた後、ならさあ、と代案を口にする。
それなら構いませんよ、と二つ返事で快諾した。
手を繋ぐ、真っ赤な廊下を二人で歩いた。
他愛のない話に花を咲かせて、エントランスホールまで足を運んだ。開けた場所に辿り着いた後で、妹様は小さくて柔らかい手を離して、とてとてと私から距離を離して、ふわっとミニスカートを浮かせながら半回転する。後ろ手に手を結びながら「それじゃあ見てるからね」と妹様はにんまりと歯を見せる。わかりました。と私は呼吸を整えて、全身を巡る気に意識を集中させる。これから始めるのは演舞、技の継ぎ目を感じさせない流れるような動きを意識する。わーぱちぱちと両手を叩いて喜ぶ妹様を横目に私は動きを洗練させて、見栄えの良い技を次々と披露していった。「あら? 面白い見せ物をしてるじゃない」と途中から御嬢様が見物に来て、なんだなんだ、と妖精さん達もエントランスに集まってきた。興に乗ってきたところで漫画に乗っていた技の物真似を始める。
それからも暫く場を盛り立てたところで、ピタリと時が止められた違和感を感じ取った。
「何をしているのかしら?」
背中から冷たい声で囁かれる。
ゆっくりと両手を上げて、「妹様に喜んで貰おうと思いまして」と愛想笑いを浮かべる。幼い頃から面倒を見て、見られて、すっかりと大人になった完全で瀟洒なメイドは、あんまり子供っぽいことをしないで、と妹様や御嬢様には聞こえないような声で吐き捨てる。そんな彼女に、たはは、と笑って誤魔化すしかなかった。そんな私の態度が癪に触ったのか、彼女は顰めっ面を更に険しくさせる。
今日はもう終わりよ、と両手を叩いて妖精さん達を解散させる御嬢様の声が聞こえてきた。
「貴女は、昔はもっと落ち着いていたわ」
去り際にそんなことを告げるメイド長に「それは違うよ?」と妹様が不思議そうに答える。
「美鈴は昔からずっとこんな感じだよ?」
「そうね、美鈴は昔からこんな感じだったわね」
パチェにも聞いてみると良いわ。と御嬢様は新しい玩具を見つけた時のような楽しげな笑みを浮かべてみせた。
「貴女から見た美鈴は面倒見の良いお姉さんよね。成長して、だらしないところも見えるようになって幻滅でもしていたかしら?」
御嬢様の煽るような声色に「あー、だから最近、美鈴に当たりが強かったんだね」と妹様が追い討ちする。
「もう咲夜、駄目じゃない。美鈴を虐めるのは、めっ、なんだよ?」
咎めるような口振りに完全に瀟洒なメイドは耳まで真っ赤にした顔で、ぷるぷると身を震わせる。
ああ、これは駄目だ。と思って私は彼女に声を掛けた。
「咲夜さん……その、夢を壊してしまって、すみません?」
「なんで疑問符なのよ!」
パァン! という渇いた音がエントランスに響き渡った。
それからまあ大図書館にて、御嬢様と妹様と同じ机で漫画の読書会を始める。ツンとした顔で御嬢様の後ろに控えるメイド長、私が少し気不味げに紅葉を腫らした頬を撫でていると茶請けの補充に来た小悪魔が事のついでと耳打ちする。
ねえ何があったんですか? 悪魔の尻尾をふりふりと振る彼女の質問に私は人差し指を口元に添えて答える。
企業秘密です、と。
美鈴にナイフを刺したくなる咲夜も可愛らしくって良かったです。
彼女たちそれぞれが何気ない日常を可愛らしく楽しんでいていいですね。面白かったです。
妖怪からしたら精神は殆ど変わらないので美鈴への見方も変わらないのでしょうけど、人間は違いますもんね。
日常の切り取りから人間と妖怪との間に流れる時間の違いを感じることができて良かったです。
紅魔館で美鈴を主体にホームビデオを取ったらこうなるのかもな、とニコニコしながら文章を下に下にと進めていけるのは日常物の特権な気がします。
咲夜さんの愛嬌と言うか恥じらいと言うか…良い物です。