真夏の猛暑日、ジリジリと騒ぎ立てる蝉の鳴き声。
此処は妖怪の山、天狗の里。木の上に建てられた集合住宅の一角にある私の部屋にて、外でひと仕事を終えて、だらだらと汗を流す私に見せつけるように可愛らしい幼子が気持ちよさそうに寝息を立てる。背中からは涼しげな氷の羽を生やしており、その枕元には氷菓子が入っていたはずの空っぽの袋が放り捨てられていた。それは昨日、私が河童から割高の金額で仕入れたものであり、きちんと袋には“あや”と平仮名で油性マジックで書き入れている。同じく河童製の冷蔵庫には、急な来訪者の為にラムネも入れてあった。にも関わらず、この有様である。
私は大きく溜息を零して、部屋の窓と扉を全て閉め切った。
それから悪戯娘の御目に掛からなかった哀れなラムネ瓶を取り出し、私のベッドを占有する氷精の傍にドカッと腰を下ろす。くいっとラムネを呷り、あ゛〜っ、と乙女が間違っても出してはいけない汚らしい声を吐き捨てる。氷精を中心に、部屋がひんやりとしていくのが分かる。肌を流れる汗も引いていく。副業である烏天狗としての仕事はもう終わりで、今日の残りは本業の新聞記事に没頭できる。
しかし夏の熱気に煮立った頭では、まともな記事なんて書けそうになかった。
「あれ? 帰って来てたんだ」
むくりと体を起こす不法侵入者、眠たそうな目を擦っている。窓も扉も閉め切った部屋は少し薄暗く、僅かな光に照らされる透明度の高い氷の羽根は美しく透き通っていた。写真に収めたいな、と無意識に手がカメラを探し求める程に。
「あーっ、美味しそう! ずるい!」
その羽根の持ち主はあざとくも私の手に持ったラムネ瓶を見つけると今にも飛びかからんと目を輝かせる。そんな幼子に「私の氷菓子を食べてしまった悪い子がいるんですけども誰か知っていませんか?」と返す。悪戯娘は急にしおらしくなって、「あ〜、ん〜……不思議だね〜、誰だろね〜?」と左右に目を泳がせる。冷や汗を流す氷精のことを、じいっと見つめた後で枕元に放られた袋に視線を落とす。横から幼い手がバッと伸びて、氷菓子の袋は氷精の背中に隠された。
「……袋には名前が書いてあったはずなんですけどねえ?」
「あ、あたい、漢字とか読めないし?」
「ちゃんと平仮名で書いていた記憶があるのですが……」
部屋は涼しくなったというのに、悪戯娘はだらだらと冷たい汗を流し始める。そんな彼女を見つめること数分、「ごめんなさいは?」と感情を乗せずに訊くと「ご、ごめんなひゃい……」と若干、泣き出しそうな声で謝り返してくれた。まあ実際のところ、そこまで怒っている訳ではない。所詮は妖精のやったことなのだ。勝手に部屋を上がっても咎めない時点で、この程度のことは予想して然るべきである。だから代わりに彼女の体をギュッと抱き締めて、そのままベッドイン。あー、すずし。今日はもう何もする気が起きない。
「……ねえ、ちょっと良い?」
「なんですかー? これは私の氷菓子を勝手に食べたおしおきですよー」
「それは構わないんだけど……」
氷精はちょっと言い難そうに口を噤んだ後、改めて口を開いた。
「ちょっと汗くさい」
よし風呂に入ろう、急にやる気が湧いてきた。
風呂に入って洗いっこした後、醒めた頭で原稿用紙と向き合う。
頭を抱えながら、ああでもない。こうでもない。と試行錯誤を繰り返す。書いては消して、付け足して、文章の順番を入れ替える。余白が無くなれば、新しい原稿用紙を取り出して、頭をボリボリと掻きながら文章を書き直す。悪戯娘は退屈そうにベッドでぐでっており、適当に風を起こして彼女に吹き掛けてやる。あ〜、と彼女もまた涼しげに低い声を零すが、私と違って汚らしくなかった。彼女の手には僅かに中身の残ったラムネ瓶、冷蔵庫に入れていた私の飲みかけを奪われてしまった。新しいものもあったはずなんだけど、もったいないから。とそんな理由で口に付ける。
彼女が此処に居るのは、涼しい風と菓子類が手に入る為、私が彼女の不法侵入を許しているのは部屋が涼しくなる為だ。
つまるところ、win-winの関係。相互利益によって成り立っている。
夏が終わって秋、空気が肌寒くなる季節だ。
この頃になると悪戯娘が部屋に来ることは少なくなる、たぶん世界が涼しくなったから私が必要なくなったんだろう。狭いはずの部屋が少し広く感じる。蝉の鳴き声もなくなったせいか、妙に静かながらんどう、紅葉の写真を眺めながら大きく溜息を零す。これからの季節、妖怪の山が最も美しくなるというのに勿体ない。秋は私が一番好きな季節であり、だからこそ、そこにはた迷惑な居候が居ないことが物足りなく感じられる。あまりにもビジネスライクな関係、冷蔵庫には「あや」と袋に油性マジックで書いた氷菓子が入っている。
今の時分、残していても仕方ないのに何をやってんだか。
冬になると氷精は見ているだけでも寒そうな格好で幻想郷中を飛び回る。
この季節、彼女が行く場所は大方決まっており、雪女の太ましい娘に付きまとっている。とはいえ雪女の方は妖精嫌いなのか、迷惑をしているようで、弾幕ごっこで氷精を一蹴することも少なくない。時折、あの悪戯娘のことが無性に気になって、マフラーに手袋、厚手のセーターを着込んだ姿で霧の湖まで様子を見に行けば、彼女は独り、氷の彫刻を作るなどして遊んでいるところに出くわす。もしかして嫌われているかも、と風呂に連れ込んだり、抱き枕の代わりにしたことを思い出し、ドキドキしながら顔を合わせるのだが、「あや!」といつも彼女は満面の笑顔で駆け寄ってくる。
氷の妖精である彼女は、冬になるといつもに増して冷たくなる。それが彼女のかまくらの周りとなれば、尚更の話。ぶえっくしょん、と大きくくしゃみをすれば、悪戯娘は足を止めて申し訳なさそうに笑いながら距離を取る。似合わない顔をしている。氷精の癖に冬よりも夏の方が笑顔の多い奴だった。
私は持ち前の速度で、氷精を捕まえてやると寒いのも我慢して家まで連れて帰った。部屋の中であるにも関わらず、厚着をして、彼女を抱き枕代わりにして眠る。
その翌日、私は風邪を患った。
「毎年、同じことをしてるんじゃないっけ? いい加減、がくしゅう? ……したらどうなのよ」
氷精は呆れた顔で私の額に手を乗せる。熱くなった額には、彼女の冷たい手は丁度よかった。
「あやは馬鹿だなあ」
「……うるさいですね、もう寝ます」
「大ちゃんに頼んで、温かいものを用意して貰うから。ちゃんと食べて元気になってよね」
ゆっくりと瞼を閉じた後、悪戯娘は何処ぞへと姿を消す。
風邪が治るまでの間、よくできた妖精が部屋に訪れたり、何処ぞで話を聞きつけたのか、妙にテンションの低い秋の姉妹が芋粥を持って来たり、厄神が勝手に厄を吸い取って行ったりする。
看病された甲斐もあって病気も治った後の話、なんとなしに冷蔵庫を開くと空になった氷菓子の袋が突っ込まれていた。
あの氷精と次に顔を合わせるのは何時頃になるか、たぶん桜の咲く頃になるだろう。
此処は妖怪の山、天狗の里。木の上に建てられた集合住宅の一角にある私の部屋にて、外でひと仕事を終えて、だらだらと汗を流す私に見せつけるように可愛らしい幼子が気持ちよさそうに寝息を立てる。背中からは涼しげな氷の羽を生やしており、その枕元には氷菓子が入っていたはずの空っぽの袋が放り捨てられていた。それは昨日、私が河童から割高の金額で仕入れたものであり、きちんと袋には“あや”と平仮名で油性マジックで書き入れている。同じく河童製の冷蔵庫には、急な来訪者の為にラムネも入れてあった。にも関わらず、この有様である。
私は大きく溜息を零して、部屋の窓と扉を全て閉め切った。
それから悪戯娘の御目に掛からなかった哀れなラムネ瓶を取り出し、私のベッドを占有する氷精の傍にドカッと腰を下ろす。くいっとラムネを呷り、あ゛〜っ、と乙女が間違っても出してはいけない汚らしい声を吐き捨てる。氷精を中心に、部屋がひんやりとしていくのが分かる。肌を流れる汗も引いていく。副業である烏天狗としての仕事はもう終わりで、今日の残りは本業の新聞記事に没頭できる。
しかし夏の熱気に煮立った頭では、まともな記事なんて書けそうになかった。
「あれ? 帰って来てたんだ」
むくりと体を起こす不法侵入者、眠たそうな目を擦っている。窓も扉も閉め切った部屋は少し薄暗く、僅かな光に照らされる透明度の高い氷の羽根は美しく透き通っていた。写真に収めたいな、と無意識に手がカメラを探し求める程に。
「あーっ、美味しそう! ずるい!」
その羽根の持ち主はあざとくも私の手に持ったラムネ瓶を見つけると今にも飛びかからんと目を輝かせる。そんな幼子に「私の氷菓子を食べてしまった悪い子がいるんですけども誰か知っていませんか?」と返す。悪戯娘は急にしおらしくなって、「あ〜、ん〜……不思議だね〜、誰だろね〜?」と左右に目を泳がせる。冷や汗を流す氷精のことを、じいっと見つめた後で枕元に放られた袋に視線を落とす。横から幼い手がバッと伸びて、氷菓子の袋は氷精の背中に隠された。
「……袋には名前が書いてあったはずなんですけどねえ?」
「あ、あたい、漢字とか読めないし?」
「ちゃんと平仮名で書いていた記憶があるのですが……」
部屋は涼しくなったというのに、悪戯娘はだらだらと冷たい汗を流し始める。そんな彼女を見つめること数分、「ごめんなさいは?」と感情を乗せずに訊くと「ご、ごめんなひゃい……」と若干、泣き出しそうな声で謝り返してくれた。まあ実際のところ、そこまで怒っている訳ではない。所詮は妖精のやったことなのだ。勝手に部屋を上がっても咎めない時点で、この程度のことは予想して然るべきである。だから代わりに彼女の体をギュッと抱き締めて、そのままベッドイン。あー、すずし。今日はもう何もする気が起きない。
「……ねえ、ちょっと良い?」
「なんですかー? これは私の氷菓子を勝手に食べたおしおきですよー」
「それは構わないんだけど……」
氷精はちょっと言い難そうに口を噤んだ後、改めて口を開いた。
「ちょっと汗くさい」
よし風呂に入ろう、急にやる気が湧いてきた。
風呂に入って洗いっこした後、醒めた頭で原稿用紙と向き合う。
頭を抱えながら、ああでもない。こうでもない。と試行錯誤を繰り返す。書いては消して、付け足して、文章の順番を入れ替える。余白が無くなれば、新しい原稿用紙を取り出して、頭をボリボリと掻きながら文章を書き直す。悪戯娘は退屈そうにベッドでぐでっており、適当に風を起こして彼女に吹き掛けてやる。あ〜、と彼女もまた涼しげに低い声を零すが、私と違って汚らしくなかった。彼女の手には僅かに中身の残ったラムネ瓶、冷蔵庫に入れていた私の飲みかけを奪われてしまった。新しいものもあったはずなんだけど、もったいないから。とそんな理由で口に付ける。
彼女が此処に居るのは、涼しい風と菓子類が手に入る為、私が彼女の不法侵入を許しているのは部屋が涼しくなる為だ。
つまるところ、win-winの関係。相互利益によって成り立っている。
夏が終わって秋、空気が肌寒くなる季節だ。
この頃になると悪戯娘が部屋に来ることは少なくなる、たぶん世界が涼しくなったから私が必要なくなったんだろう。狭いはずの部屋が少し広く感じる。蝉の鳴き声もなくなったせいか、妙に静かながらんどう、紅葉の写真を眺めながら大きく溜息を零す。これからの季節、妖怪の山が最も美しくなるというのに勿体ない。秋は私が一番好きな季節であり、だからこそ、そこにはた迷惑な居候が居ないことが物足りなく感じられる。あまりにもビジネスライクな関係、冷蔵庫には「あや」と袋に油性マジックで書いた氷菓子が入っている。
今の時分、残していても仕方ないのに何をやってんだか。
冬になると氷精は見ているだけでも寒そうな格好で幻想郷中を飛び回る。
この季節、彼女が行く場所は大方決まっており、雪女の太ましい娘に付きまとっている。とはいえ雪女の方は妖精嫌いなのか、迷惑をしているようで、弾幕ごっこで氷精を一蹴することも少なくない。時折、あの悪戯娘のことが無性に気になって、マフラーに手袋、厚手のセーターを着込んだ姿で霧の湖まで様子を見に行けば、彼女は独り、氷の彫刻を作るなどして遊んでいるところに出くわす。もしかして嫌われているかも、と風呂に連れ込んだり、抱き枕の代わりにしたことを思い出し、ドキドキしながら顔を合わせるのだが、「あや!」といつも彼女は満面の笑顔で駆け寄ってくる。
氷の妖精である彼女は、冬になるといつもに増して冷たくなる。それが彼女のかまくらの周りとなれば、尚更の話。ぶえっくしょん、と大きくくしゃみをすれば、悪戯娘は足を止めて申し訳なさそうに笑いながら距離を取る。似合わない顔をしている。氷精の癖に冬よりも夏の方が笑顔の多い奴だった。
私は持ち前の速度で、氷精を捕まえてやると寒いのも我慢して家まで連れて帰った。部屋の中であるにも関わらず、厚着をして、彼女を抱き枕代わりにして眠る。
その翌日、私は風邪を患った。
「毎年、同じことをしてるんじゃないっけ? いい加減、がくしゅう? ……したらどうなのよ」
氷精は呆れた顔で私の額に手を乗せる。熱くなった額には、彼女の冷たい手は丁度よかった。
「あやは馬鹿だなあ」
「……うるさいですね、もう寝ます」
「大ちゃんに頼んで、温かいものを用意して貰うから。ちゃんと食べて元気になってよね」
ゆっくりと瞼を閉じた後、悪戯娘は何処ぞへと姿を消す。
風邪が治るまでの間、よくできた妖精が部屋に訪れたり、何処ぞで話を聞きつけたのか、妙にテンションの低い秋の姉妹が芋粥を持って来たり、厄神が勝手に厄を吸い取って行ったりする。
看病された甲斐もあって病気も治った後の話、なんとなしに冷蔵庫を開くと空になった氷菓子の袋が突っ込まれていた。
あの氷精と次に顔を合わせるのは何時頃になるか、たぶん桜の咲く頃になるだろう。
しっとりとした文体の、たいへん良い文チルでした。絶妙な距離感かと思います。良かったです。
詳細な描写もないのに、各々お見舞いにやって来た際の賑やかさが伝わってくるよう。
win-winな関係と割り切ったようなことをいいつつお互いにちゃんと気に掛けている絶妙な距離感が素敵でした。
いやめっちゃ可愛い!
文チルかわいいヤッター
Win-Winなんて言いつつ会いたくて探しに行っちゃうところがよかったです