外に目をやると、境内が夕焼けで朱に染まっていた。
いつものようにちゃぶ台を挟んで魔理沙と話していたら、日が暮れてしまったようだ。何て生産性のない無駄な一日だろう。
こういう日は人形遣いやら河童なんかが羨ましくなる。彼女たちはその一日でやったことが、完成した人形や発明という形に残るからだ。いわばその日の意味が可視化される。
長く息を吐き出して、私は気分を切り替えた。
我ながら、らしくないことを考えてしまった。
魔理沙が毎日のようにうちの神社にやってくるのが悪い。別に顔を突き合わせすぎてうんざりしたわけではないが、魔理沙とちゃぶ台を挟むことは、私にとって停滞した日常の象徴だった。
普段の私はこんなことを考え込むような性格じゃない。物事にあまり頓着しすぎないのが長所のはずだ。
前の異変から間が空きすぎたか。最後に妖怪退治したことも随分昔に思える。
パトロールにでも繰り出して行って、出会った妖怪をしばき倒してみたら気分が晴れるだろうか。
そんなことを考えながら、煎餅を齧っていると、私はあることに気づいた。
「……腕?」
私の目の前で魔理沙の腕が浮いていた。
右腕だ。
先ほどまで普通に魔理沙と話していたはずだ。そのはずなのに、今は左腕も頭も足も胴も見当たらない。
右腕でだけが、ちょうど鬼の腕と同じようにちゃぶ台を挟んで浮いている。
私は目を閉じて人差し指と親指で目蓋を抑えた。そしてゆっくりと目を開いた。
「…………腕ね」
やはり右腕だけが浮かんでいる。
少し考え事に耽っていたが、ちゃぶ台の向かいに座る魔理沙は視界に入っていたはずだ。それにも関わらず、私は今の今までこの異常事態に気づかなかった。
外の夕焼けを見た時だろうか。いや、そのあと魔理沙を視界に入れたはずだ。そのときの魔理沙の様子までは思い出せないが。
まばたきの瞬間に急に腕だけになったとかではなく、ゆっくりと腕だけに変わっていったので気づかなかったというような感覚だ。髪は毎日伸びているのに、ある日長くなっていることに気づき髪を切ろうとする。喩えるならそんな感覚だ。
今日は魔理沙と暑気払いにかこつけた宴会の予定を練ったり、彼女が煎餅がちょっとしけっていると文句が言ったりしたことを覚えている。だから最初から腕だけだったわけではないはずだ。
一体これはどういうことだろう。
妖怪の仕業と考えるのが一番わかりやすいが、妖気は特に感じられない(神社に出入りする妖怪たちの残り香のような妖気を除けばだが)。
魔理沙が何か魔法の実験に失敗したのだろうか。例えば透明になる薬が右腕以外に作用しただとか。
「……うん」
少しずつ検証するしかない。私は小さく頷いた。
右腕の位置から考えて、体があるであろう空間に、恐る恐る私は手を伸ばした。
しかし手は空を切るばかりだった。
何となくだが、魔理沙の腕が不思議そうにしている気がした。
右腕以外透明人間説はハズレのようだ。体はここには無いらしい。
腕以外はどこにあるのだろうか。ひょっとして幻想郷中の住民の元に散らばっているのではないだろうか。例えばアリスの家に右足が、紅魔館に左足が、といった具合に。
仮にそうなら、自分に右腕が割り当てられたのがちょっと不満だった。魔理沙と一番仲が良いのは私だろうし、もっと重要な部分、つまり頭なんかが割り当てられるべきではないだろうか。
そこまで考えて、私は下らない思考をため息と一緒に吐き出した。何を考えているんだか。
本当に幻想郷各地に魔理沙の体が配られているなら、誰か一人くらい慌ててこの神社に駆け込んでくる奴がいるだろう。誰も来ないということは、異常事態が発生しているのはこの神社だけということだ。
もう一度大きいため息をついた。わざとらしい大きなため息だったが、腕は何も反応しなかった。
そういえばこの腕に、私の声は聞こえているのだろうか。
「……魔理沙」
そう呼びかけてみるも、腕に目立った反応は見られない。全く動かないわけではないが、私の声が聞こえている様子ではない。
「聞こえないの、魔理沙?」
声が小さすぎただろうかと、少し声を張ってみた。だがやはり特に反応が見られない。
「…………あほ、ばか、オタンコナス…………えーっと、最近宴会続きでちょっと太った、鍵付きの日記をしたためてる、最後のおねしょは6歳のときでしょうもない言い訳した、可愛いものなんて興味ないと言いつつ使ってる小物は大体乙女趣味」
やはり反応がない。部屋には沈黙が降り、遠くでカラスの鳴く声が聞こえる。
聞こえないフリをしているわけではないようだ。近くにいて私をからかっているという線も無いと見ていいだろう。これだけ言えば怒って出てくるはずだ。
やはり魔理沙の腕だけがここにあるらしい。
「わからん……」
私は座った姿勢から、後ろに倒れ込んだ。ちょっと畳の匂いがした。ぼんやりと天井を眺める。
もう検証したいことは尽きてしまった。
そもそもこういうのは私の性に合わない。直感で動いているうちに真相にたどり着くのがいつもの私だ。仮説を立てて一つ一つ検証していくというのは魔法使い的なやり方であり、どちらかと言えば魔理沙の領分だ。
そういえば異変が起きたときは何かしらこうした方が良さそうだ、という勘が働くのだが、今日はそれが全くない。
ということはこれは私が解決しなくてはならない事象ではないのだろう。
この腕魔理沙は異変ではないということだ。多分、一晩経てば元に戻る程度の話なのだ。
ここは幻想郷だ。多少不思議なことなどいくらでも起こりうる。その全てに構っていたらキリがない。不思議は不思議のままでも良いのだ。
「よっ……っと」
畳に寝っ転がっていた私は、弾みをつけて上体を起こし、またちゃぶ台の前に居直った。相変わらず魔理沙は腕だけだった。
腕が動いているのを見て、そもそもこれは本当に魔理沙の腕なのだろうかという疑問が湧いてきた。
私は気がついたら魔理沙が腕だけになったと思っていたが、腕だけになるところを明確に見たわけではない。魔理沙がいたところにいるから魔理沙の腕と考えていたが、そうではない可能性もある。
「……」
意識してじっくりと腕を観察してみる。
いや、確かにこれは魔理沙の腕だ。
柔らかそうな腕だが、ある程度は筋肉が付いている。力仕事も多少やっていることを感じさせる。とはいえ成人男性のそれとは程遠く、少女もしくは少年の腕であることは確かだ。二の腕がとても柔らかそうだった。
肌は私と比べると少し焼けている。もっとも私はどちらかと言えば色白な方なので、この腕の方が平均値に近いだろう。
指先に目を向けると、手荒れが酷いのがわかる。魔理沙の手と一緒だ。
彼女は薬品を扱うことが多いため、手が荒れている。流石に彼女も危険な薬品を扱うときは手袋をしているのだが、本来安全なはずの薬品であっても、回数を重ねれば多少の影響は出てしまうからだ。
よく見れば親指の爪を噛んだ跡がある。これも魔理沙の腕の特徴と一致する。
研究が行き詰まると親指の爪を噛む癖があるのだ。ことあるごとにやめろと言っているのだが、答えは決まって「やりたくてやってるわけじゃないものをやめるのは難しい」だった。やりたくてやってることをやめるのも難しいと思うのだが。
「確かにこりゃアンタの腕ね」
私は何となく魔理沙の手に軽くデコピンした。腕は怒ったのか、拳を握って抗議してくる。
「ごめんごめん」
私が心配しているのに、どこ吹く風の魔理沙の腕が少し憎たらしく思えたのだ。もっとも腕から表情は読み取れないので、私の目にはそういう風に映ったというだけで、案外魔理沙も腕だけの自分に動揺しているのかもしれない。
声が届かないのは先ほど実証済みなので、謝罪の声も聞こえていないだろう。
私は優しく魔理沙の指先に触れた。日々の実験で荒れた指先に。
魔理沙の手は最初はビクリと驚いたように動いたが、私がそれ以上何もしないでいると、彼女の方から私の指に触れてきた。何だか面白い。
私は人差し指と親指で、魔理沙の人差し指の腹をつまんだ。ぐにぐにつまんでみるが、魔理沙はそれを嫌がりはしなかった。
しばらく指をつまんだ後、今度は彼女の手を掴み、親指で手のひらに触れる。手の皺をなぞってみる。
改めて見ると魔理沙の生命線は短かった。手相のことはあまり詳しくなかったが、生命線というくらいだから恐らく良い徴ではないだろう。
私は何だか急に空寒い気分になって、手を離した。
「魔理沙……」
唇から彼女の名前が溢れる。幾度となく繰り返し呼び続けた名前も、今は本人の耳には届かない。
妙な感覚だった。彼女は目の前にいるというのに、胸にぽっかり穴が開いたような喪失感がある。
一体いつまで腕だけになったままなのだろうか。何となく明日になれば元どおりになるような気がしていたが、ずっとこのままだったらどうしようと不安になってきた。
魔理沙が毎日のように神社を訪れ、私がそれに「また来たの?」と悪態をつく。
そういう日常が永遠に続くと思っていたが、そうではない。いつでもその光景は失われうるものだったのだ。
私の気持ちを察してくれたのだろうか。
魔理沙の腕はちゃぶ台に置かれた私の手を優しく握った。手荒れでガサついた手のひらから、体温が伝わる。
「……何なのよ、もう」
腕だけじゃ声も聞こえないし目見えないはずだ。私がどんな表情をしていたかわからないだろうから、手を握ったのはただの偶然だろう。
それでも私は、手のひらから伝わる暖かさに、少しだけ鼻の奥の方がつんとした。
それからしばらくの間、魔理沙の腕は私の手を握っていた。
気がつけば私の意識は眠りの中へ落ちていった。
魔法の森の上空をゆっくりと飛ぶ。考え事をしていたら少しバランスを崩し危うく箒から落ちかけたが、右腕で箒を握りしめ何と元の体勢に戻る。
このまま神社にいくのかどうか悩んでいた。あまりにも毎日のように博麗神社に行っているものだから、霊夢に嫌がられていないかが不安なのだ。何日も連続していると気づいた日は、途中で針路を紅魔館に変えたりすることもある。
昨日はどうだっただろうか。何となく神社に行ったと思うのだが、妙に記憶がおぼろげだった。いや、暑気払いの打ち合わせをしたから、確かに行ったはずだ。
そんなことを考えている間に神社の近くまで来てしまった。ここから踵を返すのもおかしいだろう。
私は意を決して境内の石畳に着陸した。境内では霊夢が箒を掃いていた。
「よう。参拝客も来ないのに精が出るじゃないか」
そう声をかけてからしまった、と思う。こんなことを言うつもりじゃなかった。連日で来ているのが恥ずかしくて、誤魔化すようについ皮肉を言ってしまった。
恐る恐る霊夢がの顔を覗くと、何故か彼女の表情がぱっと花開くように明るくなった。
「魔理沙じゃない。今日は全部揃ってるのね。さ、休憩して茶菓子にしようかしら」
私は呆気にとられた。
いつもであれば「また来たのね。暇なの?」と悪態の一つでもつくのだが、今日の霊夢は機嫌が良いのか、むしろ私の顔を見て喜んでいるようですらあった。
それに「全部揃ってる」とはどういう意味だろうか。
「……何かいいことでもあったのか?」
「ううん。なーんにも」
私がそう聞くと、霊夢は一層嬉しそうに笑ってそう答えるのだった。彼女は茶菓子を取ってくると神社の奥へ行った。
全く意味がわからない。
まあ霊夢が楽しそうなのは別に悪いことではないし、何でもいいか。
そう思い私は右腕で頭を掻き、神社の縁側に座った。
いつものようにちゃぶ台を挟んで魔理沙と話していたら、日が暮れてしまったようだ。何て生産性のない無駄な一日だろう。
こういう日は人形遣いやら河童なんかが羨ましくなる。彼女たちはその一日でやったことが、完成した人形や発明という形に残るからだ。いわばその日の意味が可視化される。
長く息を吐き出して、私は気分を切り替えた。
我ながら、らしくないことを考えてしまった。
魔理沙が毎日のようにうちの神社にやってくるのが悪い。別に顔を突き合わせすぎてうんざりしたわけではないが、魔理沙とちゃぶ台を挟むことは、私にとって停滞した日常の象徴だった。
普段の私はこんなことを考え込むような性格じゃない。物事にあまり頓着しすぎないのが長所のはずだ。
前の異変から間が空きすぎたか。最後に妖怪退治したことも随分昔に思える。
パトロールにでも繰り出して行って、出会った妖怪をしばき倒してみたら気分が晴れるだろうか。
そんなことを考えながら、煎餅を齧っていると、私はあることに気づいた。
「……腕?」
私の目の前で魔理沙の腕が浮いていた。
右腕だ。
先ほどまで普通に魔理沙と話していたはずだ。そのはずなのに、今は左腕も頭も足も胴も見当たらない。
右腕でだけが、ちょうど鬼の腕と同じようにちゃぶ台を挟んで浮いている。
私は目を閉じて人差し指と親指で目蓋を抑えた。そしてゆっくりと目を開いた。
「…………腕ね」
やはり右腕だけが浮かんでいる。
少し考え事に耽っていたが、ちゃぶ台の向かいに座る魔理沙は視界に入っていたはずだ。それにも関わらず、私は今の今までこの異常事態に気づかなかった。
外の夕焼けを見た時だろうか。いや、そのあと魔理沙を視界に入れたはずだ。そのときの魔理沙の様子までは思い出せないが。
まばたきの瞬間に急に腕だけになったとかではなく、ゆっくりと腕だけに変わっていったので気づかなかったというような感覚だ。髪は毎日伸びているのに、ある日長くなっていることに気づき髪を切ろうとする。喩えるならそんな感覚だ。
今日は魔理沙と暑気払いにかこつけた宴会の予定を練ったり、彼女が煎餅がちょっとしけっていると文句が言ったりしたことを覚えている。だから最初から腕だけだったわけではないはずだ。
一体これはどういうことだろう。
妖怪の仕業と考えるのが一番わかりやすいが、妖気は特に感じられない(神社に出入りする妖怪たちの残り香のような妖気を除けばだが)。
魔理沙が何か魔法の実験に失敗したのだろうか。例えば透明になる薬が右腕以外に作用しただとか。
「……うん」
少しずつ検証するしかない。私は小さく頷いた。
右腕の位置から考えて、体があるであろう空間に、恐る恐る私は手を伸ばした。
しかし手は空を切るばかりだった。
何となくだが、魔理沙の腕が不思議そうにしている気がした。
右腕以外透明人間説はハズレのようだ。体はここには無いらしい。
腕以外はどこにあるのだろうか。ひょっとして幻想郷中の住民の元に散らばっているのではないだろうか。例えばアリスの家に右足が、紅魔館に左足が、といった具合に。
仮にそうなら、自分に右腕が割り当てられたのがちょっと不満だった。魔理沙と一番仲が良いのは私だろうし、もっと重要な部分、つまり頭なんかが割り当てられるべきではないだろうか。
そこまで考えて、私は下らない思考をため息と一緒に吐き出した。何を考えているんだか。
本当に幻想郷各地に魔理沙の体が配られているなら、誰か一人くらい慌ててこの神社に駆け込んでくる奴がいるだろう。誰も来ないということは、異常事態が発生しているのはこの神社だけということだ。
もう一度大きいため息をついた。わざとらしい大きなため息だったが、腕は何も反応しなかった。
そういえばこの腕に、私の声は聞こえているのだろうか。
「……魔理沙」
そう呼びかけてみるも、腕に目立った反応は見られない。全く動かないわけではないが、私の声が聞こえている様子ではない。
「聞こえないの、魔理沙?」
声が小さすぎただろうかと、少し声を張ってみた。だがやはり特に反応が見られない。
「…………あほ、ばか、オタンコナス…………えーっと、最近宴会続きでちょっと太った、鍵付きの日記をしたためてる、最後のおねしょは6歳のときでしょうもない言い訳した、可愛いものなんて興味ないと言いつつ使ってる小物は大体乙女趣味」
やはり反応がない。部屋には沈黙が降り、遠くでカラスの鳴く声が聞こえる。
聞こえないフリをしているわけではないようだ。近くにいて私をからかっているという線も無いと見ていいだろう。これだけ言えば怒って出てくるはずだ。
やはり魔理沙の腕だけがここにあるらしい。
「わからん……」
私は座った姿勢から、後ろに倒れ込んだ。ちょっと畳の匂いがした。ぼんやりと天井を眺める。
もう検証したいことは尽きてしまった。
そもそもこういうのは私の性に合わない。直感で動いているうちに真相にたどり着くのがいつもの私だ。仮説を立てて一つ一つ検証していくというのは魔法使い的なやり方であり、どちらかと言えば魔理沙の領分だ。
そういえば異変が起きたときは何かしらこうした方が良さそうだ、という勘が働くのだが、今日はそれが全くない。
ということはこれは私が解決しなくてはならない事象ではないのだろう。
この腕魔理沙は異変ではないということだ。多分、一晩経てば元に戻る程度の話なのだ。
ここは幻想郷だ。多少不思議なことなどいくらでも起こりうる。その全てに構っていたらキリがない。不思議は不思議のままでも良いのだ。
「よっ……っと」
畳に寝っ転がっていた私は、弾みをつけて上体を起こし、またちゃぶ台の前に居直った。相変わらず魔理沙は腕だけだった。
腕が動いているのを見て、そもそもこれは本当に魔理沙の腕なのだろうかという疑問が湧いてきた。
私は気がついたら魔理沙が腕だけになったと思っていたが、腕だけになるところを明確に見たわけではない。魔理沙がいたところにいるから魔理沙の腕と考えていたが、そうではない可能性もある。
「……」
意識してじっくりと腕を観察してみる。
いや、確かにこれは魔理沙の腕だ。
柔らかそうな腕だが、ある程度は筋肉が付いている。力仕事も多少やっていることを感じさせる。とはいえ成人男性のそれとは程遠く、少女もしくは少年の腕であることは確かだ。二の腕がとても柔らかそうだった。
肌は私と比べると少し焼けている。もっとも私はどちらかと言えば色白な方なので、この腕の方が平均値に近いだろう。
指先に目を向けると、手荒れが酷いのがわかる。魔理沙の手と一緒だ。
彼女は薬品を扱うことが多いため、手が荒れている。流石に彼女も危険な薬品を扱うときは手袋をしているのだが、本来安全なはずの薬品であっても、回数を重ねれば多少の影響は出てしまうからだ。
よく見れば親指の爪を噛んだ跡がある。これも魔理沙の腕の特徴と一致する。
研究が行き詰まると親指の爪を噛む癖があるのだ。ことあるごとにやめろと言っているのだが、答えは決まって「やりたくてやってるわけじゃないものをやめるのは難しい」だった。やりたくてやってることをやめるのも難しいと思うのだが。
「確かにこりゃアンタの腕ね」
私は何となく魔理沙の手に軽くデコピンした。腕は怒ったのか、拳を握って抗議してくる。
「ごめんごめん」
私が心配しているのに、どこ吹く風の魔理沙の腕が少し憎たらしく思えたのだ。もっとも腕から表情は読み取れないので、私の目にはそういう風に映ったというだけで、案外魔理沙も腕だけの自分に動揺しているのかもしれない。
声が届かないのは先ほど実証済みなので、謝罪の声も聞こえていないだろう。
私は優しく魔理沙の指先に触れた。日々の実験で荒れた指先に。
魔理沙の手は最初はビクリと驚いたように動いたが、私がそれ以上何もしないでいると、彼女の方から私の指に触れてきた。何だか面白い。
私は人差し指と親指で、魔理沙の人差し指の腹をつまんだ。ぐにぐにつまんでみるが、魔理沙はそれを嫌がりはしなかった。
しばらく指をつまんだ後、今度は彼女の手を掴み、親指で手のひらに触れる。手の皺をなぞってみる。
改めて見ると魔理沙の生命線は短かった。手相のことはあまり詳しくなかったが、生命線というくらいだから恐らく良い徴ではないだろう。
私は何だか急に空寒い気分になって、手を離した。
「魔理沙……」
唇から彼女の名前が溢れる。幾度となく繰り返し呼び続けた名前も、今は本人の耳には届かない。
妙な感覚だった。彼女は目の前にいるというのに、胸にぽっかり穴が開いたような喪失感がある。
一体いつまで腕だけになったままなのだろうか。何となく明日になれば元どおりになるような気がしていたが、ずっとこのままだったらどうしようと不安になってきた。
魔理沙が毎日のように神社を訪れ、私がそれに「また来たの?」と悪態をつく。
そういう日常が永遠に続くと思っていたが、そうではない。いつでもその光景は失われうるものだったのだ。
私の気持ちを察してくれたのだろうか。
魔理沙の腕はちゃぶ台に置かれた私の手を優しく握った。手荒れでガサついた手のひらから、体温が伝わる。
「……何なのよ、もう」
腕だけじゃ声も聞こえないし目見えないはずだ。私がどんな表情をしていたかわからないだろうから、手を握ったのはただの偶然だろう。
それでも私は、手のひらから伝わる暖かさに、少しだけ鼻の奥の方がつんとした。
それからしばらくの間、魔理沙の腕は私の手を握っていた。
気がつけば私の意識は眠りの中へ落ちていった。
魔法の森の上空をゆっくりと飛ぶ。考え事をしていたら少しバランスを崩し危うく箒から落ちかけたが、右腕で箒を握りしめ何と元の体勢に戻る。
このまま神社にいくのかどうか悩んでいた。あまりにも毎日のように博麗神社に行っているものだから、霊夢に嫌がられていないかが不安なのだ。何日も連続していると気づいた日は、途中で針路を紅魔館に変えたりすることもある。
昨日はどうだっただろうか。何となく神社に行ったと思うのだが、妙に記憶がおぼろげだった。いや、暑気払いの打ち合わせをしたから、確かに行ったはずだ。
そんなことを考えている間に神社の近くまで来てしまった。ここから踵を返すのもおかしいだろう。
私は意を決して境内の石畳に着陸した。境内では霊夢が箒を掃いていた。
「よう。参拝客も来ないのに精が出るじゃないか」
そう声をかけてからしまった、と思う。こんなことを言うつもりじゃなかった。連日で来ているのが恥ずかしくて、誤魔化すようについ皮肉を言ってしまった。
恐る恐る霊夢がの顔を覗くと、何故か彼女の表情がぱっと花開くように明るくなった。
「魔理沙じゃない。今日は全部揃ってるのね。さ、休憩して茶菓子にしようかしら」
私は呆気にとられた。
いつもであれば「また来たのね。暇なの?」と悪態の一つでもつくのだが、今日の霊夢は機嫌が良いのか、むしろ私の顔を見て喜んでいるようですらあった。
それに「全部揃ってる」とはどういう意味だろうか。
「……何かいいことでもあったのか?」
「ううん。なーんにも」
私がそう聞くと、霊夢は一層嬉しそうに笑ってそう答えるのだった。彼女は茶菓子を取ってくると神社の奥へ行った。
全く意味がわからない。
まあ霊夢が楽しそうなのは別に悪いことではないし、何でもいいか。
そう思い私は右腕で頭を掻き、神社の縁側に座った。
素敵なレイマリ頂きました。普段魔理沙には見せない霊夢の感情が垣間見えるのが素敵でした。面白かったです。
ちゃんと二人で仲良くしてね。とても面白かったです。
普段から魔理沙のことをよく見てるものだと感心しました
あんまり動じてない霊夢が場慣れしてて面白かったです
よいレイマリでした