1.霧雨魔理沙
霊夢の声がして目が覚めた。身だしなみを整えてないので入ってくるなと言ったら、それを見に来たんだから入れろと言われ、滅茶苦茶だと思いながら渋々扉を開けた。
私がトイレのドアを開ける様子を霊夢は見ている。私が顔を洗っている様子を霊夢は見ている。私が歯を磨いている様子を霊夢は見ている。私が髪を梳かしている様子を霊夢は見ている。私が着替える様子を霊夢は見ている。私が朝ご飯を用意する様子を霊夢は見ている。私が朝ご飯を食べている様子を霊夢は見ている。私が宇宙の入ったフラスコの中身をぐいと飲み干す様子を霊夢は見ている。私の炭を塗ったような髪が生え際から順番に金色に変わっていく様を霊夢は見ている。
そして、何の用か聞くと、萃香が猪を捕ってきて、それが食べきらない量なので今夜食べに来いと言った。別に朝早く言いに来るようなことではないと思った。霊夢は、あんた黒髪綺麗よねと言った。霊夢に言われちゃ嫌味にしか聞こえない。お前より黒髪が綺麗なやつなんか、足元に及ぶものすら見たことないんだから。
「違うわ。あんたの黒髪見れるのが、今となっては草の根分けたってどれだけ居るかってことよ」
外で寝泊まりする時は、家に帰ってくるまでどれくらいか魔力が持つだろうと計算して宇宙を飲んでおく。アリスとかは常識があるので、外で待ってろと言えばおとなしく待っててくれるし、そんな奴は霊夢以外にいなかった。
「んで、それ言いに来ただけならもう帰るか?晩御飯は食べに行くよ」
「居ていいなら居るわ」
「いいよ。ちょうどさ、今晩までにキリになりそうな処だったんだよなあ」
「見てる」
「いいよ」
私が魔導書に何やら書き留めていく様子を霊夢は見ている。まったく新しい反応をするキノコを見つけたので、それの精査とか網羅に二週間近く費やした。霊夢の分の朝ご飯も作ったのに全然食べないな、と思っていたら背中の方から食器の音がしたので、多分食べていた。その後、多分千本を研いだり、お札を作ったりしているんだろうなという作業音も聞こえた。
私の作業は異常と言える程捗り、お昼前にはキリがついてしまったので、ついでに霊夢を驚かせてやろうと思って、今回の研究成果が詰まったフラスコを霊夢側の机の上にぶん投げてやった。
フラスコは割れて中身が散乱した。霊夢は小さく悲鳴を上げた。フラスコの中身が勢い良く蒸発すると、霧雨魔法店は夜になった。窓の外では夜空が見えた。
「またこんな雰囲気が良いだけの魔法作ったの」
「失礼だな、これは本物の夜だぞ。魔術的にどれ程意義があると思ってるんだ、お前はなんにも解ってない」
はいはい、と霊夢は言った。この魔法があれば何時でも夜を条件付けた魔法を使える。妖怪へのバフとしても優秀だ。占いの精度が二十四時間いつでも最大で行えるようになるのも大きい。この高尚さが理解できないとは愚かだ。パチュリーなんかに見せたら三日三晩質問責めに遭うようなとんでもない代物だぞ。
音が通る、夜の空気と頼りない明り。その向こうには朝焼けと昼の膨れた光が順番に見えるのだ。時間すら手の内に支配しているような錯覚を覚える。この視界を正確に表現する術を私は持たない。雰囲気がいいだけ、とは言ったものの、雰囲気がいいことを霊夢は何より好んでいる筈だった。人の生活の一部始終、観察するのが趣味の変態の癖しやがって、口だけは辛らつなやつだ。どうにも信じられん。
「じゃあ私帰るわ。朝ご飯ありがとね」
「うん」
そうだ、そういえば、二週間。二週間研究に没頭していたのだ、私は。霊夢と会うのも二週間ぶりだった。夜結界と外の境界にある緩やかなグラデーションで、飛んでいく霊夢があらゆる時間帯の光に照らされて輝く様に心が躍った。
猪、香霖のとこでも最近食べた。そんなにお目にかかりやすいものでもないと思うのだけれど、なんだかんだ月に一回は食べているような気がする。幻想郷の猪が絶滅する日は近い。
***
2.八雲紫
顔を出すとお茶を食っていた。昼飯時に何をしているのと聞くと、昼飯時と分かっていながら私の前に逆さで現れたのかと嫌味を言われた。斯様にして、育て親に向かってこの様な口の聞き方をする仔に育ってしまった事は慙愧の念に耐えぬものだとすすり泣く真似をすると、わかったわかった、干し魚と味噌汁で良かったら用意するからと言って、ぱたぱた音を立てて台所へ消えていくものだから、これでは飯をたかりに来た様ではないかと、それはそれで憤慨した。
私は純粋にこの仔の体調を気にかけているに過ぎぬと言うのに、嘆かわしい。干し魚も式に用意してもらえない情けない名ばかり賢者だと思われている。遺憾の一語に尽きる。しかし、この仔の用意してくれたご飯というなら喜んで頂かない訳にも行かない。第一、飯を出すと言われたのに不機嫌を顕にするような堅物と誹りを受けても敵わない。仕方ない、仕方ない。
ご飯を前にして、私が行儀というものがどういうものかと実践して見せていると、それで何の用なのかと聞いてきた。ちょっとお休みがてら顔を見に来ただけだと言ったら、あんた冬眠以外で休むことあるのねと驚かれた。体調管理くらいは当たり前にして見せないと、貴方にちゃんとご飯を食べろと言えないから進んで取り組んでいるに過ぎません。お茶とお茶請けだけで生きていける人間はいないのだから。
しかし、話を聞くと、今日は魔理沙のところで頂いてきたばかりだと弁明したので、あの子のことであればしっかりしたものを食べさせてもらったのでしょうと安心した。年頃の女の子の割には境内で掃除してお茶食ってれば満足なんて、老人もびっくりの食指の動かなさだと、試しになじってみると、あんたに私の世界は見えないってだけの話でしょうと言い捨てるのだからふてぶてしいなと思う。
「たまにはご飯をうまそうにかっ喰らって幸せそうな貴方の顔でも見られればまだ満足もできようものなのですけれどもね。そうだ、それを見に来たのでした。それをこの仔は私にご飯を食べさせるなんて、あべこべですわ。ところでおかわりいただけますか?」
「はあ。これだもん。いっつも、威厳たっぷりなのは最初だけなのよねえ」
「まあこの仔は。お決まりの流れを惰性で歩かれちゃあこっちもたまりませんわ」
この仔の世界が私には見えない。それはそうかもしれない。この仔からすれば、私だって箱庭ゲームを遊ぶ以外に何の楽しみもない老婆かもしれない。それでも私は情景に溢れているじゃないか。この仔のこともそう。私が動物の毛に塗れていることや、亡霊の親友の気を引こうと心を砕くあらゆる努力もそう。クソ生意気な天人をわからせてやろうと画策するのもそう。
「うん。それで、そういうのが見たいのなら、今夜は猪鍋を囲むつもりだから、あんたも来たけりゃ来れば。萃香も来るよ」
「あら、ご飯をうまそうにかっ喰らって幸せ~って霊夢が見れるって?」
今日もそう。萃香が獲ってきたのだろう猪をみて呆れること。魔理沙とご飯を食べたこと。私にご飯をたかられていること。これから皆で鍋つつこうと計画を立てること。境内で掃除してお茶食ってるだけじゃないわね、確かに。
「見れるわよ。あんたが来るならね」
急にかわいらしいことを言うので、面食らってご飯を喉に詰まらせそうになった。考えておきますと言って、直ちに完食して、隙間に入ってさようならすることにした。
***
3.鬼人正邪
すれ違えば誰であろうが振り返る、目立ちまくる格好をした上で存在感を逆転させればあら不思議といったようなもので、今ならあの異変、その後の顛末を心配しているわけでは全くないが、姫の様子を見に行けるのではないかと博麗神社へ来たところだ。
本来、鳥居と言うのは端を通るものだが、天邪鬼だし、こそこそ隠れていくというのは目立たないためにする行為であるからして、肩で風を切ってのしのしと真ん中を歩いて賽銭箱の前まで行くと、中からなにやらキーキーとやかましい声がした。
この聞き飽きた、うんざりするほど良く通る声。これは姫の声ではないか。まさか賽銭箱に閉じ込められているのか。おのれ博麗の巫女め。あの時、私をゴミみたいな目で見て蹴っ放ったことはまぁいい。事実としてゴミだからな。しかし一見して善良と分かる姫に対してこのような虐待に及ぶとは。やはり血液の代わりに怖気の通った酷薄冷徹女だったか。そんな気はしていたぞくそったれ。くたばるがいいわ。
姫、今助けますと色めいて賽銭箱をこじ開けようとすると拳骨が降ってきた。目を回して後ろを見ると博麗の巫女が!そんなばかな。今の私を認識できるやつなんて居るわけがないと思っていると、巫女はまたゴミを見るような目で、あんたなんて格好してるのよと言い放った。うつけめ。見付かると分かっていたら初めから普通の身なりで来たわ。このとても描写できないようなひどい恥さらしの外見を見られて逆切れしたいのはこっちの方だ。
幻想郷のシステムを担う博麗の巫女がこんなに残虐無比とあればやはり私の手で革命を起こさねばなるまいと決意を新たにした。真夏にクーラーくっそ効かした部屋でこたつに入って、ハーゲンダッツ喰って高笑いする、そんな生活を送りながら、泥を啜って何とか生きてる貴様を頂点から見下してやる。姫にはアイスの空箱の中で甘い匂いでも吸わせてやるさ。
私が、か弱い小人をこんなみすぼらしい箱に閉じ込めておいて平気な顔をしているとは、この鉄面皮の無感動女め、地獄へ落ちろと巫女を糾弾すると、また賽銭箱の中で遊んでるのね、と呆れた顔で姫を呼んだ。姫は普通に賽銭箱の隙間から出てきて、はにかんで舌を出した。そして私を見て、驚いた顔で正邪、なんて格好してるのと言った。
二人とも死ねと思った。この私を道化にしやがって。直ちに通常の装いに着替えた私に対して、巫女は茶でも飲んでいけと言った。
まんじゅうなんか食べたのどれくらい振りだろう。んまい。不憫そうな顔をして、あんた普段何食べてるのと巫女が言った。私は人に哀れまれるような生活はしてないね、木の皮がおやつだ文句あるかと中指を立てた。お茶もんまい。良い茶葉使いやがって、許せん。
姫が心配そうな顔でこちらを見ていたので、まんじゅうをちぎって渡して、頭を撫でてやった。巫女は信じられないといった表情で、本当に姫を騙くらかしてあの異変起こした奴と同一人物なのかと言ってきた。当たり前だ、私のような狡猾なやつにコロッと騙され利用されて捨てられるのが、こういうか弱い子の運命なんだよ、げははははァ!そして、それはそれ、これはこれ、だ!わかったか、スカタン!
「まだそんなこと言ってるのかい、正邪。もういい加減にしときなさい。輝針城は復活したし、帰ってきなよ。いつまで隠れてるつもりか知らないけど、手配書だってとっくに撤回されてるんだよ。賢者連中もお前のことなんかもう相手にしちゃいないよ。頑張ってお前の助命を願ったんだから私に感謝の一言でもあるだろ。霊夢だって手伝ってくれたんだ、本当だったらタメ口も聞けない立場だ、お前なんか。一生霊夢に足向けて寝るなよ。大体、お前は私を騙したつもりでいるようだけど、動物拾ってきては最後まで世話してるような馬鹿正直なやつが女の子なんか騙せるもんかよ。初めから万事承知で共犯者のつもりだったのさ、私は。下らない意地張ってないで私の従者でもやってるのがお似合いだよ。全くしょうもないんだから。まんじゅうありがとう。んまいねこれ。あともっと撫でろ。手が空いてるだろ」
死にたくなった。どこがか弱い子だ。巫女は私の肩を叩いた。境内の掃除を手伝いに来たら駄賃くらいはやると言われた。巫女は私の頭を撫でた。私は姫の頭を撫でた。いい気分だった。それはそれとして逃亡は続けた。
***
4.古明地こいし
地底へ帰ろうと思って麓の間欠泉へ向かっていたら、神社の方からすごい格好をした小鬼っぽい女の子が走ってきたので、追剥にでも遭ったのかと思って話しかけた。
女の子はすごく驚いて、この格好意味ないのかなあ、おかしいなあと首をかしげて泣きそうな顔をしていた。もしかしたら悪いことをしたのかもしれないと思い、一言謝ってそそくさと神社の方へ逃げた。
鳥居を潜ると小さな女の子が、自分の三倍ほども背丈のある箒を使って汗水を流しながら境内を掃除していた。まさか霊夢さんがこんな幼気な女の子をこき使って生活しているだなんて思いもしなかったので、これは幻想郷中に広めなければならない様な気がした。妖怪掃き掃除してけ。
箒を一緒に持って掃き掃除を手伝ってあげると、女の子は突然作業が楽になったと不思議そうながらも得意げだった。
後ろから霊夢さんが、今日はお客さんが多いわねと声をかけた。女の子が私に気付いて驚いて転んだ。
「手伝ってくれたの、悪いわね。お茶でも飲んでく?」
「お茶のお代に一生スレイブにされちゃったり?」
「しないしない。ほんと、私ってなんだと思われてるのかしら。言っておくけどこの掃除だって針妙丸がやりたがったのよ」
「なあんだ」
この子は針妙丸って言うのね。なんだか神妙な名前だわ。そういえば会って喋ったことすらあるような気がしてきた。
「お前、もしかして私と戦ったことない?」
「ないわ。はじめましてよ。よろしくね、針妙丸ちゃん」
「あい、よろしくー」
話してみると、霊夢さんはとても優しくて楽しかった。どちらかというと、妖怪お茶飲んでけって感じだった。情景的には、夏休みの時にだけ会える特別なおねいさんって感じだった(夏休みって何?)。話したことはよく覚えていない。どうせお姉ちゃんのことを私が一方的に捲し立てるだけの、いつものやつだったんだろう。ふと空をみると、ごみが風に吹かれてそうなるように、貧乏神のお姉さんが漂っていた。
「今日、あんまり大人数じゃないけどね、少しだけ集まって鍋を食べるのよ。良かったらあんたたちも来る?」
「んー、今日はおうちに帰るって決めてた気がするわ。ごめんなさい」
「そう、針妙丸はどう?」
「んにゃ、私は輝針城で正邪を待つよ。帰ってこいって言っちゃったし。もし正邪が居たら一緒に顔出すよ」
「そう」
ずっと、少し暑かった。ジメジメしていて、どうにも開放的でない鬱陶しい感覚だった。肌に纏わり付く状態異常。それにも関わらず、霊夢さんがかいている汗を見ると、不思議とそれらがすべて清涼感のある爽やかなものに思えて心が綺麗になった。この人の周りにいる人は勝手に正しく回るのだろうという錯覚すら覚えるような。下らないな。刺し殺したくなってくる。
そういえば、そう、さっき口に出したけれども、帰ろうとしていたんだ。お姉ちゃんの顔を見ると決めたら、直ぐに見なければならない。
「なあー、やっぱりお前、私と戦ったことあるだろ?あるよなあ?」
「あるわ。お久しぶりね、針妙丸ちゃん。あの時は楽しかったわ」
「ねえええ!やっぱりあるじゃん!」
「でもお名前は初めて聞いたわ。そして私の名前は古明地こいしよ。それじゃあバイバイ」
私が歩き出すと背中の方から、なんか最後の方イライラしてたわよね、大丈夫かしらと聞こえてきた。針妙丸ちゃんは何が?と言っていた。私ともあろうものへ良くもまあ、そこまで気づくものだなと思った。
***
5.ルーミア
夕焼けに天気雨だった。赤札の調子が悪く、不意に闇が吹き出すので、もうそんな時期かよと思い博麗神社へ向かった。霊夢がこちらを見るともうそんな時期かよという顔をして蔵へ入っていった。道具を幾つか並べた霊夢が縁側からおいでと手招きをしたので膝に座った。霊夢は私の頭の赤札をさわさわしだした。
「最近頻度が高いんじゃないの」
「いいじゃん、暇でしょ」
「心労が貯まるわー」
溜息が頭にかかる。それがくすぐったく、頭を振ると霊夢に動かすなと怒られた。そりゃ、お札なんて机の上で触るものだし、髪に縛ってあるもののメンテナンスをするなんてデリケートな作業には神経を使うのでしょう。でも、それなら、だったら溜息は後ろを向いてしろと文句を言うくらいの権利はこっちにもあると思う。
「あ、ねえ、猫が来たよ、霊夢」
「あら、どうしましょ。今はちょっと手が離せないからなぁ」
霊夢が餌付けしている猫だ。正直、そんな愛嬌のある猫じゃない。片耳は削げてるし、毛だってタワシみたいにゴワゴワの黒猫。近づいたくらいじゃなんともないけれど、私なんか撫でさせてもくれない。全く可愛くはない。
「いっつも思うけど、なんであんなの世話してんの」」
「そもそも別に世話もしてない。よく居るからご飯食べさせてるだけだから。いや、たまに風呂にも入れてたっけ」
「世話してるじゃん」
「うーん、でも名前も付けてないわよ。まあ・・・あんたと同じかな。視界に入ると、なんかいいのよ。あんたのお札の世話するのも猫に餌やるのも、落ち葉の相手するよりは楽しいし」
「ははあ」
「殆ど此処にはいないし、実は食べるのにも困ってないんじゃないかしら。いつも何処で何してるのかしらね」
「あいつが日向ぼっこするのに決めてる場所なら知ってるよ。湖の近くに大きめの切り株があって、そこにいい感じの形した根っこがあるんだよね。大体そこにいるよ」
「そうなの。全然知らなかった」
「一緒に行く?」
「いきなり私が行ったらびっくりするかもしれないし、やめとくわ」
「そう」
話を聞いていると、餌をやってる霊夢もそうだけど、こいつもなんでわざわざこんな処に来るんだろう。よほど霊夢のくれる飯はうまいのかな。猫は私達の横に陣取って、体を震わせた。水滴が私達を襲った。振りかぶった私の腕を霊夢が掴んだ。こいつぅ。こいつぅ、ちょっとぶん殴るくらい良くない?だめ?
「このめちゃくちゃ悪びれなくて、いつもプライドが高そうで、全然可愛くなくて、でも私が出したご飯は黙って食べるところが、なんかいいのよね」
「そうなんだ」
「今日猪鍋食べるんだけどルーミア、あんたもどう?」
「ご飯の予定ならもう決まってるんだ、ごめんね」
「なんか断られてばっかりだわ、残念ね・・・って・・・ああ、ああ、やったわ、やっちゃったわ」
私の右目と口と服から闇が吹き出した。霊夢、手元を狂わせたな。
夕焼けに天気雨だった。赤に染まった葉に水が滴り、闇が蠢き日を穿った。霊夢は少しばつが悪そうに、まあ、ロマンチックね、ルーミア、と笑ってごまかした。
***
6.伊吹萃香
最近ほどあの女に知り合った奴らは幸運ってもんだ。私の時は殆ど問答無用でぶちのめされた。日毎、そう、日毎ってのはいい表現だ。丁度日の暖かさを吸い込むように人間の感情を手に入れているような。それでも異変の時はちゃんとケジメ付けてるのか、大体ぶちのめしてるが。
初めて対面した時よりもさらにずっと昔、紫があれを連れてきた時のことはよく覚えてる。誰にでもわかってもらえる。百人が百人、画面蒼白で顔だけ整ったようなあれを見て、まるで人形みたいって評したはずだ。有り体に。
夜のしじまには些か喧しい過ぎるくらいの出来事だといつも思う。紫は夜にそれらを連れてくるからだ。そしてそれは、いつものことでもある。その時期だけは博麗の巫女に空きがあるから、入ったばかりでもすぐに結界の張り直しをさせられるんだが、まあ、つまり、あいつは今まで見てきた中では一番とんでもない才能の持ち主だった。
あいつがお祓い棒を空にかざすと陣が幾重にも空に広がっていった。幻想的な景色なんざ幾らだってお目にかかれる此処でも、あれほどのモンはそういくつもあるもんじゃない。真夜中だってのに、そして真夜中のままだってのに、地面を歩く小蟻一匹だって見逃さないほど明るかったんだ。蒼くて、暗い光だ。幻想郷の全てを受け入れる光だ。入ってくるのと、出ていくことを同時に強要する光だ。
この地を全て覆うその陣が徐々に収束していって、最終的にあいつをぎりぎり鳥籠に閉じ込めるみたいな大きさまで縮まると、次にそれらは砕け散って、あいつはぶっ倒れた。紫が神社の中にあいつを連れて行って、布団に寝かせる処までは見た。
紫は一連、娘を扱うみたいにしていたけれど、私は確信していた。あれは「装置」だった。柔らかい肉に包まれているだけの。そしていま空に漂って、今日一日霊夢の様子を見ていて思う。あの確信は全く見当違いだったのかと恥じるほどに、あいつは人間だった。
霊夢は頑ななまでに日常を尊ぶ。境内を掃除して茶を喰っている間の漂う埃すらも尊ぶ。異常なまでに空を尊ぶ。雲の形に思いを馳せれば一日の大半を捧げることになる。鈴緒を振って鳴る音を尊ぶ。衣擦れを尊ぶ。やかんから流れる湯気の匂いを尊ぶ。苔に侵された柄杓を尊ぶ。飽きもせず。
私は神社の周りを漂って、霊夢のことを見て、酒を喰らって、寝る。今日は私が縊った猪を出すので、それを食う会には参加しなければならない。
我が身を振り返ると自分のほうがよほど気の触れた手前かもしれない。いや、妖怪だしなぁ。人間と比較して趣味のことを高説垂れるなんて頭が悪すぎる。人間と言ったものの、これまで言ったことを総括して、霊夢は妖怪のような時間の使い方をする。普通の人間よりは随分早く居なくなってしまうのに。いびつだ。
どうせ次のお役目が決まれば忘れてしまうと思うと、いよいよ私は何をしているのかわからなくなってくる。でも、霊夢に対しては様々なことを天秤にかけても、それでも尊いなと結論付けてしまい、選んでしまう。愛い。単純に。可愛がりたい。魅力的。こいつに時間を費やすことが、たまらなく愛しい。
せいぜい好かれるよう頑張りたいものだ。いい酒を持っていかないといけない。どうせ紫も来るし。
***
7.博麗霊夢
鍋パは終わった。今は鳥居から外に出て、階段を二、三段降りた辺りの場所に立って空を見ている。
妙に色々とある日だった。五日くらいに分けて薄めて柔らかな波状となってきて欲しいこと頻りだ。
紫はあんな態度だった割に来てくれたけど、やっぱり針妙丸は来なかったな。正邪は輝針城には帰らなかったのだろう。寂しいことだ。
冬の一番良い時みたいな夜空だった。不思議だ。夜空は冬だと思っていた。そういえば今うちには幻想郷の誇るスターゲイザーが居た。酔い潰れているけれど。いいや、起こしちゃおうかな。
「うわ、本当にすごいな」
濡れまくっている事を忘れて普通に階段に座った魔理沙はぬわーと声を上げた。もっと可愛らしい悲鳴を上げろ、女の子なら。手水舎から柄杓で水を持ってきてやるとすぐに飲み干したが、その後手水を、酒を覚ますのに使わせるなんて巫女としてどうかなんて謗るものだから引っぱたいてやろうかと思った。
「それで。星の話をしてほしいのか?」
「うん」
「いいよ。十三星座のそれぞれの魔術的特性については話したんだっけ」
「話してたけど忘れた」
「そっか、別にいいや。その中では蠍座が好きなんだよ。力と変化の象徴だからな。自分の器を超えた願いなんかも司ることがある。私にはぴったりだろ」
「そうかもね」
空を見ながら魔理沙の声を聞いていると気分が良い。最終的には外宇宙の知識を持ち帰りたいだの、紅魔が成したのとは別のアプローチで生物単体で恒星間飛行可能な方法を考えているとかいう話をしていた気がする。声が聞ければいいと思っていたので内容はあんまり入っていない。
「なあ、楽しいか?こんな話聞いて」
「うん」
「勝手なやつだな、お前」
暫く話していると、塵が風に吹かれてそうなるように、紫苑が漂ってきた。いつも通りひもじそうな顔をしていたので、良い処に来たな、猪鍋余ってるけど食べるかと聞いてみたら喜んで飛びついた。
次の日、潰れた奴らを順番に蹴って回った。みんな女の子がしちゃいけないような不細工な顔をしていた。紫苑以外全員帰して、二人で片付けをした。全部終わって暇になったので、とりあえず茶でも飲むかと聞いた。
霊夢の声がして目が覚めた。身だしなみを整えてないので入ってくるなと言ったら、それを見に来たんだから入れろと言われ、滅茶苦茶だと思いながら渋々扉を開けた。
私がトイレのドアを開ける様子を霊夢は見ている。私が顔を洗っている様子を霊夢は見ている。私が歯を磨いている様子を霊夢は見ている。私が髪を梳かしている様子を霊夢は見ている。私が着替える様子を霊夢は見ている。私が朝ご飯を用意する様子を霊夢は見ている。私が朝ご飯を食べている様子を霊夢は見ている。私が宇宙の入ったフラスコの中身をぐいと飲み干す様子を霊夢は見ている。私の炭を塗ったような髪が生え際から順番に金色に変わっていく様を霊夢は見ている。
そして、何の用か聞くと、萃香が猪を捕ってきて、それが食べきらない量なので今夜食べに来いと言った。別に朝早く言いに来るようなことではないと思った。霊夢は、あんた黒髪綺麗よねと言った。霊夢に言われちゃ嫌味にしか聞こえない。お前より黒髪が綺麗なやつなんか、足元に及ぶものすら見たことないんだから。
「違うわ。あんたの黒髪見れるのが、今となっては草の根分けたってどれだけ居るかってことよ」
外で寝泊まりする時は、家に帰ってくるまでどれくらいか魔力が持つだろうと計算して宇宙を飲んでおく。アリスとかは常識があるので、外で待ってろと言えばおとなしく待っててくれるし、そんな奴は霊夢以外にいなかった。
「んで、それ言いに来ただけならもう帰るか?晩御飯は食べに行くよ」
「居ていいなら居るわ」
「いいよ。ちょうどさ、今晩までにキリになりそうな処だったんだよなあ」
「見てる」
「いいよ」
私が魔導書に何やら書き留めていく様子を霊夢は見ている。まったく新しい反応をするキノコを見つけたので、それの精査とか網羅に二週間近く費やした。霊夢の分の朝ご飯も作ったのに全然食べないな、と思っていたら背中の方から食器の音がしたので、多分食べていた。その後、多分千本を研いだり、お札を作ったりしているんだろうなという作業音も聞こえた。
私の作業は異常と言える程捗り、お昼前にはキリがついてしまったので、ついでに霊夢を驚かせてやろうと思って、今回の研究成果が詰まったフラスコを霊夢側の机の上にぶん投げてやった。
フラスコは割れて中身が散乱した。霊夢は小さく悲鳴を上げた。フラスコの中身が勢い良く蒸発すると、霧雨魔法店は夜になった。窓の外では夜空が見えた。
「またこんな雰囲気が良いだけの魔法作ったの」
「失礼だな、これは本物の夜だぞ。魔術的にどれ程意義があると思ってるんだ、お前はなんにも解ってない」
はいはい、と霊夢は言った。この魔法があれば何時でも夜を条件付けた魔法を使える。妖怪へのバフとしても優秀だ。占いの精度が二十四時間いつでも最大で行えるようになるのも大きい。この高尚さが理解できないとは愚かだ。パチュリーなんかに見せたら三日三晩質問責めに遭うようなとんでもない代物だぞ。
音が通る、夜の空気と頼りない明り。その向こうには朝焼けと昼の膨れた光が順番に見えるのだ。時間すら手の内に支配しているような錯覚を覚える。この視界を正確に表現する術を私は持たない。雰囲気がいいだけ、とは言ったものの、雰囲気がいいことを霊夢は何より好んでいる筈だった。人の生活の一部始終、観察するのが趣味の変態の癖しやがって、口だけは辛らつなやつだ。どうにも信じられん。
「じゃあ私帰るわ。朝ご飯ありがとね」
「うん」
そうだ、そういえば、二週間。二週間研究に没頭していたのだ、私は。霊夢と会うのも二週間ぶりだった。夜結界と外の境界にある緩やかなグラデーションで、飛んでいく霊夢があらゆる時間帯の光に照らされて輝く様に心が躍った。
猪、香霖のとこでも最近食べた。そんなにお目にかかりやすいものでもないと思うのだけれど、なんだかんだ月に一回は食べているような気がする。幻想郷の猪が絶滅する日は近い。
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2.八雲紫
顔を出すとお茶を食っていた。昼飯時に何をしているのと聞くと、昼飯時と分かっていながら私の前に逆さで現れたのかと嫌味を言われた。斯様にして、育て親に向かってこの様な口の聞き方をする仔に育ってしまった事は慙愧の念に耐えぬものだとすすり泣く真似をすると、わかったわかった、干し魚と味噌汁で良かったら用意するからと言って、ぱたぱた音を立てて台所へ消えていくものだから、これでは飯をたかりに来た様ではないかと、それはそれで憤慨した。
私は純粋にこの仔の体調を気にかけているに過ぎぬと言うのに、嘆かわしい。干し魚も式に用意してもらえない情けない名ばかり賢者だと思われている。遺憾の一語に尽きる。しかし、この仔の用意してくれたご飯というなら喜んで頂かない訳にも行かない。第一、飯を出すと言われたのに不機嫌を顕にするような堅物と誹りを受けても敵わない。仕方ない、仕方ない。
ご飯を前にして、私が行儀というものがどういうものかと実践して見せていると、それで何の用なのかと聞いてきた。ちょっとお休みがてら顔を見に来ただけだと言ったら、あんた冬眠以外で休むことあるのねと驚かれた。体調管理くらいは当たり前にして見せないと、貴方にちゃんとご飯を食べろと言えないから進んで取り組んでいるに過ぎません。お茶とお茶請けだけで生きていける人間はいないのだから。
しかし、話を聞くと、今日は魔理沙のところで頂いてきたばかりだと弁明したので、あの子のことであればしっかりしたものを食べさせてもらったのでしょうと安心した。年頃の女の子の割には境内で掃除してお茶食ってれば満足なんて、老人もびっくりの食指の動かなさだと、試しになじってみると、あんたに私の世界は見えないってだけの話でしょうと言い捨てるのだからふてぶてしいなと思う。
「たまにはご飯をうまそうにかっ喰らって幸せそうな貴方の顔でも見られればまだ満足もできようものなのですけれどもね。そうだ、それを見に来たのでした。それをこの仔は私にご飯を食べさせるなんて、あべこべですわ。ところでおかわりいただけますか?」
「はあ。これだもん。いっつも、威厳たっぷりなのは最初だけなのよねえ」
「まあこの仔は。お決まりの流れを惰性で歩かれちゃあこっちもたまりませんわ」
この仔の世界が私には見えない。それはそうかもしれない。この仔からすれば、私だって箱庭ゲームを遊ぶ以外に何の楽しみもない老婆かもしれない。それでも私は情景に溢れているじゃないか。この仔のこともそう。私が動物の毛に塗れていることや、亡霊の親友の気を引こうと心を砕くあらゆる努力もそう。クソ生意気な天人をわからせてやろうと画策するのもそう。
「うん。それで、そういうのが見たいのなら、今夜は猪鍋を囲むつもりだから、あんたも来たけりゃ来れば。萃香も来るよ」
「あら、ご飯をうまそうにかっ喰らって幸せ~って霊夢が見れるって?」
今日もそう。萃香が獲ってきたのだろう猪をみて呆れること。魔理沙とご飯を食べたこと。私にご飯をたかられていること。これから皆で鍋つつこうと計画を立てること。境内で掃除してお茶食ってるだけじゃないわね、確かに。
「見れるわよ。あんたが来るならね」
急にかわいらしいことを言うので、面食らってご飯を喉に詰まらせそうになった。考えておきますと言って、直ちに完食して、隙間に入ってさようならすることにした。
***
3.鬼人正邪
すれ違えば誰であろうが振り返る、目立ちまくる格好をした上で存在感を逆転させればあら不思議といったようなもので、今ならあの異変、その後の顛末を心配しているわけでは全くないが、姫の様子を見に行けるのではないかと博麗神社へ来たところだ。
本来、鳥居と言うのは端を通るものだが、天邪鬼だし、こそこそ隠れていくというのは目立たないためにする行為であるからして、肩で風を切ってのしのしと真ん中を歩いて賽銭箱の前まで行くと、中からなにやらキーキーとやかましい声がした。
この聞き飽きた、うんざりするほど良く通る声。これは姫の声ではないか。まさか賽銭箱に閉じ込められているのか。おのれ博麗の巫女め。あの時、私をゴミみたいな目で見て蹴っ放ったことはまぁいい。事実としてゴミだからな。しかし一見して善良と分かる姫に対してこのような虐待に及ぶとは。やはり血液の代わりに怖気の通った酷薄冷徹女だったか。そんな気はしていたぞくそったれ。くたばるがいいわ。
姫、今助けますと色めいて賽銭箱をこじ開けようとすると拳骨が降ってきた。目を回して後ろを見ると博麗の巫女が!そんなばかな。今の私を認識できるやつなんて居るわけがないと思っていると、巫女はまたゴミを見るような目で、あんたなんて格好してるのよと言い放った。うつけめ。見付かると分かっていたら初めから普通の身なりで来たわ。このとても描写できないようなひどい恥さらしの外見を見られて逆切れしたいのはこっちの方だ。
幻想郷のシステムを担う博麗の巫女がこんなに残虐無比とあればやはり私の手で革命を起こさねばなるまいと決意を新たにした。真夏にクーラーくっそ効かした部屋でこたつに入って、ハーゲンダッツ喰って高笑いする、そんな生活を送りながら、泥を啜って何とか生きてる貴様を頂点から見下してやる。姫にはアイスの空箱の中で甘い匂いでも吸わせてやるさ。
私が、か弱い小人をこんなみすぼらしい箱に閉じ込めておいて平気な顔をしているとは、この鉄面皮の無感動女め、地獄へ落ちろと巫女を糾弾すると、また賽銭箱の中で遊んでるのね、と呆れた顔で姫を呼んだ。姫は普通に賽銭箱の隙間から出てきて、はにかんで舌を出した。そして私を見て、驚いた顔で正邪、なんて格好してるのと言った。
二人とも死ねと思った。この私を道化にしやがって。直ちに通常の装いに着替えた私に対して、巫女は茶でも飲んでいけと言った。
まんじゅうなんか食べたのどれくらい振りだろう。んまい。不憫そうな顔をして、あんた普段何食べてるのと巫女が言った。私は人に哀れまれるような生活はしてないね、木の皮がおやつだ文句あるかと中指を立てた。お茶もんまい。良い茶葉使いやがって、許せん。
姫が心配そうな顔でこちらを見ていたので、まんじゅうをちぎって渡して、頭を撫でてやった。巫女は信じられないといった表情で、本当に姫を騙くらかしてあの異変起こした奴と同一人物なのかと言ってきた。当たり前だ、私のような狡猾なやつにコロッと騙され利用されて捨てられるのが、こういうか弱い子の運命なんだよ、げははははァ!そして、それはそれ、これはこれ、だ!わかったか、スカタン!
「まだそんなこと言ってるのかい、正邪。もういい加減にしときなさい。輝針城は復活したし、帰ってきなよ。いつまで隠れてるつもりか知らないけど、手配書だってとっくに撤回されてるんだよ。賢者連中もお前のことなんかもう相手にしちゃいないよ。頑張ってお前の助命を願ったんだから私に感謝の一言でもあるだろ。霊夢だって手伝ってくれたんだ、本当だったらタメ口も聞けない立場だ、お前なんか。一生霊夢に足向けて寝るなよ。大体、お前は私を騙したつもりでいるようだけど、動物拾ってきては最後まで世話してるような馬鹿正直なやつが女の子なんか騙せるもんかよ。初めから万事承知で共犯者のつもりだったのさ、私は。下らない意地張ってないで私の従者でもやってるのがお似合いだよ。全くしょうもないんだから。まんじゅうありがとう。んまいねこれ。あともっと撫でろ。手が空いてるだろ」
死にたくなった。どこがか弱い子だ。巫女は私の肩を叩いた。境内の掃除を手伝いに来たら駄賃くらいはやると言われた。巫女は私の頭を撫でた。私は姫の頭を撫でた。いい気分だった。それはそれとして逃亡は続けた。
***
4.古明地こいし
地底へ帰ろうと思って麓の間欠泉へ向かっていたら、神社の方からすごい格好をした小鬼っぽい女の子が走ってきたので、追剥にでも遭ったのかと思って話しかけた。
女の子はすごく驚いて、この格好意味ないのかなあ、おかしいなあと首をかしげて泣きそうな顔をしていた。もしかしたら悪いことをしたのかもしれないと思い、一言謝ってそそくさと神社の方へ逃げた。
鳥居を潜ると小さな女の子が、自分の三倍ほども背丈のある箒を使って汗水を流しながら境内を掃除していた。まさか霊夢さんがこんな幼気な女の子をこき使って生活しているだなんて思いもしなかったので、これは幻想郷中に広めなければならない様な気がした。妖怪掃き掃除してけ。
箒を一緒に持って掃き掃除を手伝ってあげると、女の子は突然作業が楽になったと不思議そうながらも得意げだった。
後ろから霊夢さんが、今日はお客さんが多いわねと声をかけた。女の子が私に気付いて驚いて転んだ。
「手伝ってくれたの、悪いわね。お茶でも飲んでく?」
「お茶のお代に一生スレイブにされちゃったり?」
「しないしない。ほんと、私ってなんだと思われてるのかしら。言っておくけどこの掃除だって針妙丸がやりたがったのよ」
「なあんだ」
この子は針妙丸って言うのね。なんだか神妙な名前だわ。そういえば会って喋ったことすらあるような気がしてきた。
「お前、もしかして私と戦ったことない?」
「ないわ。はじめましてよ。よろしくね、針妙丸ちゃん」
「あい、よろしくー」
話してみると、霊夢さんはとても優しくて楽しかった。どちらかというと、妖怪お茶飲んでけって感じだった。情景的には、夏休みの時にだけ会える特別なおねいさんって感じだった(夏休みって何?)。話したことはよく覚えていない。どうせお姉ちゃんのことを私が一方的に捲し立てるだけの、いつものやつだったんだろう。ふと空をみると、ごみが風に吹かれてそうなるように、貧乏神のお姉さんが漂っていた。
「今日、あんまり大人数じゃないけどね、少しだけ集まって鍋を食べるのよ。良かったらあんたたちも来る?」
「んー、今日はおうちに帰るって決めてた気がするわ。ごめんなさい」
「そう、針妙丸はどう?」
「んにゃ、私は輝針城で正邪を待つよ。帰ってこいって言っちゃったし。もし正邪が居たら一緒に顔出すよ」
「そう」
ずっと、少し暑かった。ジメジメしていて、どうにも開放的でない鬱陶しい感覚だった。肌に纏わり付く状態異常。それにも関わらず、霊夢さんがかいている汗を見ると、不思議とそれらがすべて清涼感のある爽やかなものに思えて心が綺麗になった。この人の周りにいる人は勝手に正しく回るのだろうという錯覚すら覚えるような。下らないな。刺し殺したくなってくる。
そういえば、そう、さっき口に出したけれども、帰ろうとしていたんだ。お姉ちゃんの顔を見ると決めたら、直ぐに見なければならない。
「なあー、やっぱりお前、私と戦ったことあるだろ?あるよなあ?」
「あるわ。お久しぶりね、針妙丸ちゃん。あの時は楽しかったわ」
「ねえええ!やっぱりあるじゃん!」
「でもお名前は初めて聞いたわ。そして私の名前は古明地こいしよ。それじゃあバイバイ」
私が歩き出すと背中の方から、なんか最後の方イライラしてたわよね、大丈夫かしらと聞こえてきた。針妙丸ちゃんは何が?と言っていた。私ともあろうものへ良くもまあ、そこまで気づくものだなと思った。
***
5.ルーミア
夕焼けに天気雨だった。赤札の調子が悪く、不意に闇が吹き出すので、もうそんな時期かよと思い博麗神社へ向かった。霊夢がこちらを見るともうそんな時期かよという顔をして蔵へ入っていった。道具を幾つか並べた霊夢が縁側からおいでと手招きをしたので膝に座った。霊夢は私の頭の赤札をさわさわしだした。
「最近頻度が高いんじゃないの」
「いいじゃん、暇でしょ」
「心労が貯まるわー」
溜息が頭にかかる。それがくすぐったく、頭を振ると霊夢に動かすなと怒られた。そりゃ、お札なんて机の上で触るものだし、髪に縛ってあるもののメンテナンスをするなんてデリケートな作業には神経を使うのでしょう。でも、それなら、だったら溜息は後ろを向いてしろと文句を言うくらいの権利はこっちにもあると思う。
「あ、ねえ、猫が来たよ、霊夢」
「あら、どうしましょ。今はちょっと手が離せないからなぁ」
霊夢が餌付けしている猫だ。正直、そんな愛嬌のある猫じゃない。片耳は削げてるし、毛だってタワシみたいにゴワゴワの黒猫。近づいたくらいじゃなんともないけれど、私なんか撫でさせてもくれない。全く可愛くはない。
「いっつも思うけど、なんであんなの世話してんの」」
「そもそも別に世話もしてない。よく居るからご飯食べさせてるだけだから。いや、たまに風呂にも入れてたっけ」
「世話してるじゃん」
「うーん、でも名前も付けてないわよ。まあ・・・あんたと同じかな。視界に入ると、なんかいいのよ。あんたのお札の世話するのも猫に餌やるのも、落ち葉の相手するよりは楽しいし」
「ははあ」
「殆ど此処にはいないし、実は食べるのにも困ってないんじゃないかしら。いつも何処で何してるのかしらね」
「あいつが日向ぼっこするのに決めてる場所なら知ってるよ。湖の近くに大きめの切り株があって、そこにいい感じの形した根っこがあるんだよね。大体そこにいるよ」
「そうなの。全然知らなかった」
「一緒に行く?」
「いきなり私が行ったらびっくりするかもしれないし、やめとくわ」
「そう」
話を聞いていると、餌をやってる霊夢もそうだけど、こいつもなんでわざわざこんな処に来るんだろう。よほど霊夢のくれる飯はうまいのかな。猫は私達の横に陣取って、体を震わせた。水滴が私達を襲った。振りかぶった私の腕を霊夢が掴んだ。こいつぅ。こいつぅ、ちょっとぶん殴るくらい良くない?だめ?
「このめちゃくちゃ悪びれなくて、いつもプライドが高そうで、全然可愛くなくて、でも私が出したご飯は黙って食べるところが、なんかいいのよね」
「そうなんだ」
「今日猪鍋食べるんだけどルーミア、あんたもどう?」
「ご飯の予定ならもう決まってるんだ、ごめんね」
「なんか断られてばっかりだわ、残念ね・・・って・・・ああ、ああ、やったわ、やっちゃったわ」
私の右目と口と服から闇が吹き出した。霊夢、手元を狂わせたな。
夕焼けに天気雨だった。赤に染まった葉に水が滴り、闇が蠢き日を穿った。霊夢は少しばつが悪そうに、まあ、ロマンチックね、ルーミア、と笑ってごまかした。
***
6.伊吹萃香
最近ほどあの女に知り合った奴らは幸運ってもんだ。私の時は殆ど問答無用でぶちのめされた。日毎、そう、日毎ってのはいい表現だ。丁度日の暖かさを吸い込むように人間の感情を手に入れているような。それでも異変の時はちゃんとケジメ付けてるのか、大体ぶちのめしてるが。
初めて対面した時よりもさらにずっと昔、紫があれを連れてきた時のことはよく覚えてる。誰にでもわかってもらえる。百人が百人、画面蒼白で顔だけ整ったようなあれを見て、まるで人形みたいって評したはずだ。有り体に。
夜のしじまには些か喧しい過ぎるくらいの出来事だといつも思う。紫は夜にそれらを連れてくるからだ。そしてそれは、いつものことでもある。その時期だけは博麗の巫女に空きがあるから、入ったばかりでもすぐに結界の張り直しをさせられるんだが、まあ、つまり、あいつは今まで見てきた中では一番とんでもない才能の持ち主だった。
あいつがお祓い棒を空にかざすと陣が幾重にも空に広がっていった。幻想的な景色なんざ幾らだってお目にかかれる此処でも、あれほどのモンはそういくつもあるもんじゃない。真夜中だってのに、そして真夜中のままだってのに、地面を歩く小蟻一匹だって見逃さないほど明るかったんだ。蒼くて、暗い光だ。幻想郷の全てを受け入れる光だ。入ってくるのと、出ていくことを同時に強要する光だ。
この地を全て覆うその陣が徐々に収束していって、最終的にあいつをぎりぎり鳥籠に閉じ込めるみたいな大きさまで縮まると、次にそれらは砕け散って、あいつはぶっ倒れた。紫が神社の中にあいつを連れて行って、布団に寝かせる処までは見た。
紫は一連、娘を扱うみたいにしていたけれど、私は確信していた。あれは「装置」だった。柔らかい肉に包まれているだけの。そしていま空に漂って、今日一日霊夢の様子を見ていて思う。あの確信は全く見当違いだったのかと恥じるほどに、あいつは人間だった。
霊夢は頑ななまでに日常を尊ぶ。境内を掃除して茶を喰っている間の漂う埃すらも尊ぶ。異常なまでに空を尊ぶ。雲の形に思いを馳せれば一日の大半を捧げることになる。鈴緒を振って鳴る音を尊ぶ。衣擦れを尊ぶ。やかんから流れる湯気の匂いを尊ぶ。苔に侵された柄杓を尊ぶ。飽きもせず。
私は神社の周りを漂って、霊夢のことを見て、酒を喰らって、寝る。今日は私が縊った猪を出すので、それを食う会には参加しなければならない。
我が身を振り返ると自分のほうがよほど気の触れた手前かもしれない。いや、妖怪だしなぁ。人間と比較して趣味のことを高説垂れるなんて頭が悪すぎる。人間と言ったものの、これまで言ったことを総括して、霊夢は妖怪のような時間の使い方をする。普通の人間よりは随分早く居なくなってしまうのに。いびつだ。
どうせ次のお役目が決まれば忘れてしまうと思うと、いよいよ私は何をしているのかわからなくなってくる。でも、霊夢に対しては様々なことを天秤にかけても、それでも尊いなと結論付けてしまい、選んでしまう。愛い。単純に。可愛がりたい。魅力的。こいつに時間を費やすことが、たまらなく愛しい。
せいぜい好かれるよう頑張りたいものだ。いい酒を持っていかないといけない。どうせ紫も来るし。
***
7.博麗霊夢
鍋パは終わった。今は鳥居から外に出て、階段を二、三段降りた辺りの場所に立って空を見ている。
妙に色々とある日だった。五日くらいに分けて薄めて柔らかな波状となってきて欲しいこと頻りだ。
紫はあんな態度だった割に来てくれたけど、やっぱり針妙丸は来なかったな。正邪は輝針城には帰らなかったのだろう。寂しいことだ。
冬の一番良い時みたいな夜空だった。不思議だ。夜空は冬だと思っていた。そういえば今うちには幻想郷の誇るスターゲイザーが居た。酔い潰れているけれど。いいや、起こしちゃおうかな。
「うわ、本当にすごいな」
濡れまくっている事を忘れて普通に階段に座った魔理沙はぬわーと声を上げた。もっと可愛らしい悲鳴を上げろ、女の子なら。手水舎から柄杓で水を持ってきてやるとすぐに飲み干したが、その後手水を、酒を覚ますのに使わせるなんて巫女としてどうかなんて謗るものだから引っぱたいてやろうかと思った。
「それで。星の話をしてほしいのか?」
「うん」
「いいよ。十三星座のそれぞれの魔術的特性については話したんだっけ」
「話してたけど忘れた」
「そっか、別にいいや。その中では蠍座が好きなんだよ。力と変化の象徴だからな。自分の器を超えた願いなんかも司ることがある。私にはぴったりだろ」
「そうかもね」
空を見ながら魔理沙の声を聞いていると気分が良い。最終的には外宇宙の知識を持ち帰りたいだの、紅魔が成したのとは別のアプローチで生物単体で恒星間飛行可能な方法を考えているとかいう話をしていた気がする。声が聞ければいいと思っていたので内容はあんまり入っていない。
「なあ、楽しいか?こんな話聞いて」
「うん」
「勝手なやつだな、お前」
暫く話していると、塵が風に吹かれてそうなるように、紫苑が漂ってきた。いつも通りひもじそうな顔をしていたので、良い処に来たな、猪鍋余ってるけど食べるかと聞いてみたら喜んで飛びついた。
次の日、潰れた奴らを順番に蹴って回った。みんな女の子がしちゃいけないような不細工な顔をしていた。紫苑以外全員帰して、二人で片付けをした。全部終わって暇になったので、とりあえず茶でも飲むかと聞いた。
実用性云々を語っていながら雰囲気の良さで選んだ側面もありそうな魔理沙とか、大真面目に面の皮の厚い紫とか、唐突にスン……となるこいしちゃんとか、とかく各々の性格が素晴らしく魅力的に描かれていて、実に唸らされました。お見事でした。良かったです。
星の見える夜空、羨ましい…
全体の雰囲気がいいなあと感じました
最後がとても良かったです。面白かったです。
魔理沙編が特に好きでした
内容がわからなくても魔理沙の話を聞いてるだけで楽しめるってすごくいいと思いました