地面を歩いていると時折、黒い影が悠々と私を抜き去った。
顔を上げれば、頭上を覆い隠すように生い繁る枝葉がザアザアと揺れていた。その隙間から覗かせる青空、チカチカと差し込む日差しに紛れて、ひらりと真っ黒な羽が地面に舞い落ちてくる。それを片手に取り、指で摘んですんと臭いを嗅いだ。この特徴的なインクの臭い、それでいて仄かに香る紅茶の匂い。今日もまた、自由過ぎる黒き風は妖怪の山の仕来たりを蔑ろにして、外の世界へと赴いていたようだ。そんな彼女に私は溜息をひとつ、摘んだ羽を風に乗せて放した。真っ黒な羽は枝葉の隙間を潜り抜けて、何処ぞ彼処へと飛んでいってしまわれた。それを見送り、その跡を暫し見つめた後、もう一度、溜息を零してから見廻りの仕事へと戻る。
河童の名所は夏の季節でも涼しい。天狗は河童を見下す者も多いが、避暑地としては最適で、暑さに弱い体質もあってよく足を運んでいる。程よく平たくて大きな岩の上に、ぐでっと俯せで倒れ込む。ちゃぷちゃぷと河の流れる音を耳に聞きながら冷たい空気に身を晒す。真っ赤な舌先を口から出して、無為に時間を潰すのが好きだった。呑気な性格をしているとは思う。誰も彼もが忙しなく生きる中でも私はゆったりとした時間を過ごしている。時代の流れは忙しなく、ふと気付いた頃には季節が変わって、さて頑張ろうって思った時には年が変わっていたりする。親友の河童は、呑気だね。と私を見て笑ってみせる。そんな彼女の手には仕事道具であるスパナが握られており、何時も何かしらの機械を弄っている。彼女は何時も新しい何かを求めており、新しい知識に貪欲で、新しい発明にキラキラと目を輝かせる。親友の河童は衝動的だった。たぶん私とは性根がてんで違っている。でも、なんとなしに気が合った。私がゆったりのんびりと船を漕ぐように差す将棋にも、彼女は微笑んで、ゆったりとしたひと時に付き合ってくれた。
私はあまり人間とは、性に合わない。彼女達は何時も何かに追われるように生きている。確証もないのに、怪しいからっていう理由だけで片っ端から殴り込みを駆ける巫女とは話が合わないだろうし、新しいもの好きな自称の魔法使いは用件だけを語り、用事を済ませたらさっさと何処ぞへと消えていってしまう。まるで嵐のような奴らだなあ、と私は吹き荒れた風で乱れた毛並みを整えながら、いそいそと大岩の上に腰を下ろした。同じ魔法使いでも、人形使いとは話が合った。やはり自称と本物とでは違うのか、大図書館とも話は通じる。
釣りをするのは好きだ、魚を釣るのはあまり好きではない。それは殺生を好まないとか、そういった話ではない。糸を吊るしたまま、ぼんやりとする時間が好ましかった。でも魚が掛からないのは、それはそれで味気ない。区切りといか、間というか、そういうのがないと、なんというか飽きてしまう。飽きるといえば、紅葉が河を流れていくのを見るのは楽しかった。テンションが上がる訳じゃないんだけど、ただ眺めているだけで楽しめる。思えば将棋を差す時も、ぼんやりと考えている時間が好きで、駒を打った時、パチンと鳴る乾いた音も小気味良くて好きだった。
私は烏天狗とは基本的に話が合わない。でも、市松模様を好むガラケーの烏天狗は好ましかった。同じ部屋、炬燵でぬくぬくとしながらだらりと過ごす時間が堪らなかった。蜜柑を取りに行って? 面倒臭い。そんなやりとりもまた好ましくて、ついついだらりと続ける。
話が合わないのは、紅葉柄が好きな烏天狗。彼女は兎にも角にも忙しない。私が何かしようかと考えている時にはもう山を飛び出しており、よっこいせっと体を起こした時にはもう事を済ませて、さあ動き出そうという時には山へと帰ってくる。とても彼女とは同じ時間軸を生きているとは思えない。私が大きく欠伸をすれば、彼女は私の情けない顔にシャッターを切り、私が怒る前に笑い声と共に姿を消す。そんなんだから話が通じるはずもなかった。
幻想郷に住む生き物は、よく空を飛んでいる。どうして空を飛ぶのかといえば、便利だからと語るのが常だ。誰も彼もが生き急ぐように何処ぞ彼処へと空を飛んで行った。よく人間は空に自由の意味を含ませる。思えば、巫女が空を飛ぶのは全てから解き放たれる為であり、自称の魔法使いが空を飛ぶのは自由を求めてのことだった。ただまあ私はあまり空を飛ぶことは好きではない。
あそこはちょっと忙し過ぎるから、お気に入りの大岩で俯せに寝転がっているのが性に合っている。心地良い涼しさに、くぅくぅと寝息を立てれば、「お〜い、親友!」と河の中から河童が将棋盤を片手に飛び出してきた。頭から幾分か水を被り、くちゅんとくしゃみをする。そんな私に親友の河童は謝りながら日当たりの良い場所に行こうといった。それでぽかぽかと毛を乾かしながら駒を差す。
こういうので良いんだよ、こういうので。
顔を上げれば、頭上を覆い隠すように生い繁る枝葉がザアザアと揺れていた。その隙間から覗かせる青空、チカチカと差し込む日差しに紛れて、ひらりと真っ黒な羽が地面に舞い落ちてくる。それを片手に取り、指で摘んですんと臭いを嗅いだ。この特徴的なインクの臭い、それでいて仄かに香る紅茶の匂い。今日もまた、自由過ぎる黒き風は妖怪の山の仕来たりを蔑ろにして、外の世界へと赴いていたようだ。そんな彼女に私は溜息をひとつ、摘んだ羽を風に乗せて放した。真っ黒な羽は枝葉の隙間を潜り抜けて、何処ぞ彼処へと飛んでいってしまわれた。それを見送り、その跡を暫し見つめた後、もう一度、溜息を零してから見廻りの仕事へと戻る。
河童の名所は夏の季節でも涼しい。天狗は河童を見下す者も多いが、避暑地としては最適で、暑さに弱い体質もあってよく足を運んでいる。程よく平たくて大きな岩の上に、ぐでっと俯せで倒れ込む。ちゃぷちゃぷと河の流れる音を耳に聞きながら冷たい空気に身を晒す。真っ赤な舌先を口から出して、無為に時間を潰すのが好きだった。呑気な性格をしているとは思う。誰も彼もが忙しなく生きる中でも私はゆったりとした時間を過ごしている。時代の流れは忙しなく、ふと気付いた頃には季節が変わって、さて頑張ろうって思った時には年が変わっていたりする。親友の河童は、呑気だね。と私を見て笑ってみせる。そんな彼女の手には仕事道具であるスパナが握られており、何時も何かしらの機械を弄っている。彼女は何時も新しい何かを求めており、新しい知識に貪欲で、新しい発明にキラキラと目を輝かせる。親友の河童は衝動的だった。たぶん私とは性根がてんで違っている。でも、なんとなしに気が合った。私がゆったりのんびりと船を漕ぐように差す将棋にも、彼女は微笑んで、ゆったりとしたひと時に付き合ってくれた。
私はあまり人間とは、性に合わない。彼女達は何時も何かに追われるように生きている。確証もないのに、怪しいからっていう理由だけで片っ端から殴り込みを駆ける巫女とは話が合わないだろうし、新しいもの好きな自称の魔法使いは用件だけを語り、用事を済ませたらさっさと何処ぞへと消えていってしまう。まるで嵐のような奴らだなあ、と私は吹き荒れた風で乱れた毛並みを整えながら、いそいそと大岩の上に腰を下ろした。同じ魔法使いでも、人形使いとは話が合った。やはり自称と本物とでは違うのか、大図書館とも話は通じる。
釣りをするのは好きだ、魚を釣るのはあまり好きではない。それは殺生を好まないとか、そういった話ではない。糸を吊るしたまま、ぼんやりとする時間が好ましかった。でも魚が掛からないのは、それはそれで味気ない。区切りといか、間というか、そういうのがないと、なんというか飽きてしまう。飽きるといえば、紅葉が河を流れていくのを見るのは楽しかった。テンションが上がる訳じゃないんだけど、ただ眺めているだけで楽しめる。思えば将棋を差す時も、ぼんやりと考えている時間が好きで、駒を打った時、パチンと鳴る乾いた音も小気味良くて好きだった。
私は烏天狗とは基本的に話が合わない。でも、市松模様を好むガラケーの烏天狗は好ましかった。同じ部屋、炬燵でぬくぬくとしながらだらりと過ごす時間が堪らなかった。蜜柑を取りに行って? 面倒臭い。そんなやりとりもまた好ましくて、ついついだらりと続ける。
話が合わないのは、紅葉柄が好きな烏天狗。彼女は兎にも角にも忙しない。私が何かしようかと考えている時にはもう山を飛び出しており、よっこいせっと体を起こした時にはもう事を済ませて、さあ動き出そうという時には山へと帰ってくる。とても彼女とは同じ時間軸を生きているとは思えない。私が大きく欠伸をすれば、彼女は私の情けない顔にシャッターを切り、私が怒る前に笑い声と共に姿を消す。そんなんだから話が通じるはずもなかった。
幻想郷に住む生き物は、よく空を飛んでいる。どうして空を飛ぶのかといえば、便利だからと語るのが常だ。誰も彼もが生き急ぐように何処ぞ彼処へと空を飛んで行った。よく人間は空に自由の意味を含ませる。思えば、巫女が空を飛ぶのは全てから解き放たれる為であり、自称の魔法使いが空を飛ぶのは自由を求めてのことだった。ただまあ私はあまり空を飛ぶことは好きではない。
あそこはちょっと忙し過ぎるから、お気に入りの大岩で俯せに寝転がっているのが性に合っている。心地良い涼しさに、くぅくぅと寝息を立てれば、「お〜い、親友!」と河の中から河童が将棋盤を片手に飛び出してきた。頭から幾分か水を被り、くちゅんとくしゃみをする。そんな私に親友の河童は謝りながら日当たりの良い場所に行こうといった。それでぽかぽかと毛を乾かしながら駒を差す。
こういうので良いんだよ、こういうので。
これもまた幻想郷の一面なんだと思いました
のんびり椛が満足そうでよかったです