「おなかがー、すいたらー、ごはんをー、たーべるのー♪」
「よおルーミア、なにしてるんだ?」
魔法の森。
ヘンな歌を歌いながらふよふよしている黒い球体に、魔理沙は片手をあげて声をかけた。
「あー、まりさだー。なにしてるのー」
黒い球体の中からいつもののんきな顔を出したルーミアは、ちょこちょこと魔理沙に駆け寄ってきた。
「まりさはー、今日もきのこ探してるのー?」
「まあな。魔法の実験と……あとまあ今晩の夕食な」
「そーなのかー」
そう言いながら、ルーミアは魔理沙の背中にぴょんと乗っかって、魔理沙が持っているきのこを物珍しそうに眺めている。
「おい、重いだろ」
「まりさはー、まだきのこ探すのー?」
「んー? ああ、もっと量が欲しいからな」
「それじゃあねー、るーみゃもお手伝いするのかー」
「あー? お前きのこの見分けとかつくのか? こういうのは素人がうかつに手を出すとだな」
「ねーねーるーみゃもお手伝いしたいー。ねーいいでしょー? ぐりぐりー。ぐりぐりぐりー」
「あーもうわかったからぐりぐりするなっての」
「にゃはー。やったー。まりさすきー♥」
後ろから抱き着いてのほっぺたぐりぐり攻撃に顔を赤くしつつ、魔理沙は背中にルーミアをくっつけたまま森の奥へと入っていった。
季節を通して変わらずじっとりとした空気と薄闇に覆われている魔法の森の苔むした地面には、さまざまな種類のきのこが生えている。
それを魔理沙は、確認用の手帳と見比べながら慎重に摘み取っているが……。
「ぽいぽいぽーい」
ルーミアの方はと言うと、そこらへんに生えているきのこを手当たり次第に背中に背負ったかごに放り込んでいる。
「おいお前、それちゃんと選別してるんだろうな? またおかしなの勝手に食べてぶっ倒れたりするなよ? わかってるのか?」
「だいじょぶだよー」
「ほんとかよ……」
しばらくしてルーミアは、背負ったかごにきのこをたくさん入れて戻ってきた。
「はいまりさー。きのこたくさんとってきたよー」
「……」
ルーミアのにこにこ顔に疑惑のまなざしを向けつつかごの中を覗き込むと、何やら瘴気が渦巻いている。
「お前これ……」
「んみ? なあに?」
ドン引きの魔理沙に、ルーミアはいつもののんき顔で小首をかしげている。
「こんなのヤバくて実験に使えるわけあるかー!」
「えええー。だめなのー?」
「ダメに決まってんだろなんだよこの黒いオーラは! うわっなんか肌がチリチリする! バカ近づけんな! ……いや待てよ。これはこれで使い道があるな……でかしたぞルーミア!」
「えへへーほめられたー」
「よーし、今日は特別に、この魔理沙さんが夕飯をふるまってやろう!」
「わーい、ごはんー」
ルーミアはふにゃふにゃーと笑って、魔理沙に抱き着いてきた。
「るーみゃ、まりさのごはんすきー」
「お、おう。腕を振るってやるからありがたく思えよ」
「ねーまりさー、今日、お泊りしてもいーい?」
「なんだよいきなり」
「んー、まりさといるとたのしいからー、もっといっしょにいたいなーって」
なんともストレートなその言葉に、魔理沙は自分の顔が少しだけ赤くなるのを感じた。
「し、仕方ないなー。まあ、きのこ狩りも手伝ってもらったしな……」
とかなんとか言いながら、帽子のつばを引き下げて赤くなった顔を隠す魔理沙。
「そしたらねー、るーみゃは荷物とってくるのかー」
そう言い残して、ルーミアはふよふよ飛んでいった。
その後姿を、魔理沙は小さく笑みを浮かべながら眺めている。
「……」
一足先に家に帰った魔理沙は、椅子に座ってじーっとドアの方を凝視している。
夕日もすっかり落ちて、あたりには夜の帳が降りていた。
こうやって、誰かが訪ねてくるのをこんなに首を長くして待っているのは、いつ以来だろう。
そんなことを考えながら、魔理沙は小さな宵闇の妖怪が来るのを待っていた。
外からは、窓越しの風の音がかすかに聞こえてくる。
「……」
たくさんの人妖と付き合いがある魔理沙だが、こうして一人で過ごしているときに、ふと自分の中にある黒い穴のような孤独を自覚することがあった。
その穴の中には、いる。
たとえ、博麗の巫女の力をもってしても完全には消しされないであろう、恐ろしい怪物が――。
「まりさー、まりさー、るーみゃだよー」
「……っ!」
控えめなノックとのんきなその声が、魔理沙を現実に引き戻した。
慌てて椅子から立ち上がったせいでつんのめりそうになりながら、魔理沙は家のドアに手をかけた。
ドアを開けると、そこにいたのは見慣れたのんき顔。何を用意してきたのか、ルーミアはでっかい風呂敷包みを背負っている。
「おせわになりますー」
「おう。まあ入れよ」
ぺこりとお辞儀をするルーミアを、魔理沙は家の中に招き入れた。
「……で、お前そのでかい風呂敷はなんなんだよ」
「これー? えっとねー、お着替えとねー、あとおみやげー」
ルーミアが風呂敷の中から取り出したのは、野菜や魚、肉といった食材だった。
「うわ、こんなにたくさん持ってきたのかよ。……っていうかこれ、どうやって手に入れたんだ?」
「んー? こーまかんであるばいとしてきたのかー」
「……」
「んみ? まりさがぎわくのしせんを向けてるのかー。なんでー?」
「なんでってお前……紅魔館だぞ? あそこの食材って言ったら……」
「あー、だいじょぶだよー。ふつーの食べ物だけだってばー」
「ほんとかよ……」
そう言いながらも、魔理沙はエプロンを着けて台所に立つ。
「ほら、何してんだよ。お前も手伝うんだよ」
「わーい、るーみゃ、お料理するのはじめてー。いつもはねー、頭からぱっくんってー」
「メシ前にそういう話するなっての……」
などと騒ぎながら、魔理沙とルーミアは仲良く台所に立って料理を作り始めた。
不器用な手付きで玉ねぎの皮をむいているルーミアを見ていると、我知らず笑みがこぼれてくる。
「ごちそーさまー」
「おう、おそまつさま。……っていうか、お前そのちっこい体のどこにあんな量詰まってるんだよ……」
鍋を完食した上にご飯を6杯もおかわりしてけろりとしているルーミアに、魔理沙はあきれ顔。
「だってー、まりさのごはんおいしいんだもーん」
のほほーんと笑っているルーミアには、魔理沙も悪い気はしない。
ルーミアの喜ぶ顔を見ていると、嬉しいような恥ずかしいような、くすぐったい気分になる。
食器を洗い終わった魔理沙が部屋の方に目を向けると、ルーミアはこの間泊めてやったときと同じようにベッドに寝転がっていた。
自分の家に、自分以外の誰かがいる。
それだけのことに、魔理沙はなぜか、ひどく安堵を覚えた。一人でいることなど珍しくもないはずなのに。
(なんで……だろ)
ベッドに腰掛けて、ふわふわの金髪を撫でてやると、ルーミアは子猫のように目を細めた。
「ふにゃー。るーみゃ、なでなでしてもらうのすきー」
「はは……ほんと、猫みたいなやつだなお前」
ふにゃふにゃーと喜ぶルーミアの頭をなでてやると、むやみに幸福感が湧いてくる。
「さて、わたしはちょっと風呂入ってくるからおとなしく待ってろよ。そこら辺のもの勝手にいじったりするんじゃないぞ?」
「るーみゃもいっしょに入るー」
「え?」
「んみ? だめー?」
「い、いや、別にいいけど……」
「あはは、まりさははずかしがりやさんなのかー」
「そんなんじゃないっての……ってあーもうお前こんなとこで脱ぐなよ!」
ルーミアがぽいぽい脱いでしまった服を拾いながら、魔理沙は苦笑する。
「おふろー、おふろすきー」
ルーミアはいつもののほほーん顔で、気持ちよさそうに湯船に浸かっている。
「そういやお前、風呂とかいつもどうしてるんだよ?」
「んー? ちゃんと水浴びとかしてるよー」
身だしなみには気を使ってるのかーと、ルーミアはぺったんこな胸をそらして得意げだ。
ルーミアは当たり前みたいな顔で、魔理沙の胸に背中を預けてきた。
一人用の木製の浴槽は二人入るにはやや狭いが、小柄なルーミアと一緒ならなんとか入る。しかし、どうにも肌が密着してしまうので落ち着かない。
そんな魔理沙にはお構いなしに、ルーミアは魔理沙の腕の中でほわほわしている。
「もーお前そんなにくっつくなよー……」
「えー? いーじゃんべつにー。すりすり」
「あーもー、お前ってそんなにあまえんぼだったっけか?」
「んー? そーなのかなー? でもねー、まりさにくっついてるのはたのしいなーって。えへへー」
「ヘンなヤツ……」
そう言いながらも、魔理沙はルーミアの濡れた髪を撫でてやる。そうすると、ルーミアは目を細めて体を擦り寄せてきた。
ぎゅっと密着した小さな体の柔らかさに、魔理沙は動揺する。
途切れた会話のあいだに、天井から湯船に落ちた水滴の音が反響した。
「お前、さ……」
その先の言葉は、湯気の中に溶けてしまった。ルーミアは不思議そうな顔で首を傾げている。
「んみ? なーに?」
黙ってしまった魔理沙に、ルーミアはずいっと顔を近づけてきた。ほんのり赤らんだ顔が、文字通りめと鼻の先にある。
ルーミアは、赤い瞳でじーっと魔理沙の方を見つめている。
至近距離から見つめられて、魔理沙は思わず目をそらしてしまった。
いつもはのんきで幼いルーミアだが、こうしていると妙な色気を感じる。
日にあまり当たらないせいか白い肌が、今はほんのりと色づいている。
華奢で未発達なラインの幼い体が湯船の中でゆらぎ、魔理沙の体にするりと絡みつく。
熱い湯船に浸かっているのに、魔理沙は自分の体が酒でも飲んだようにかあっと熱くなってくるのを感じた。
「まりさー、どしたのー? お顔あかいよー?」
「あーもう近い近い近い! なんでお前そんなに距離感近いんだよ!? もう上がるぞ!」
「あーん、まってー」
ばしゃんとお湯をはねさせて、慌てて湯船から出ていく魔理沙をぺたぺた追いかけるルーミア。
背中越しにルーミアののんき顔にタオルを放り投げながら、魔理沙は落ち着かない様子で不器用に体を拭いているルーミア視線をやる。
「うわ、床ビシャビシャじゃんか。ほら、拭いてやるからこっち来いよ」
「はーい」
子供のように素直なお返事をして駆け寄ってきたルーミアに頭からタオルを被せて、魔理沙は小さな頭をごしごし拭いてやる。
「もがもがもが。あははー」
「こら、動くなって……」
体を拭き終わった魔理沙が自室へ行こうとすると、ルーミアがきゅっと手を握ってきた。
ルーミアの小さな手と、ほんのり赤らんだ顔を交互に見つめる魔理沙。
誰かが見ているわけでもないのに、けっこう恥ずかしい。
それでも魔理沙は、その手を握り返して、自分の部屋へと向かった。
「おふろー、おふろはいいなー」
湯上がりほかほか状態でほわわーんとしているルーミアの濡れた髪を、魔理沙はベッドの上で、八卦炉をドライヤー代わりに乾かしてやっていた。
ルーミアは、いつもの黒のベストとスカートから持ってきたピンク色の可愛らしいパジャマに着替えている。
「ほれ、これでいいだろ」
「えへへー、ありがとー」
うれしそうに笑っているルーミアの顔を見ていると、なんだか固まっていた体がほぐれるような、不思議な安堵感を覚える。
「それじゃ、そろそろ寝るか」
「うんー」
ベッドに入った魔理沙が壁際に体を寄せてスペースを作ってやったのに、もぞもぞ入ってきたルーミアは当然のように魔理沙の胸の上にぽてんと乗っかってきた。
何か言おうとした魔理沙だが、たぶんなに言ってもあんまり聞かないだろうなーと判断し、そのままにしておいた。
「んー、んー」
ルーミアは何やら、魔理沙の胸の上でもぞもぞ身じろぎしている。密着したままもぞもぞされるのでさすがに落ち着かない。
「お、おい、人の体の上でなにもぞもぞしてるんだよ。寝らんないだろ」
「んー、さがしてるのー」
「探してるって、何をだよ」
「んーとねー、べすとぽじしょんー」
「ベストポジション?」
よくわからない魔理沙をよそに、ルーミアはなおももぞもぞを継続中。やがてルーミアは魔理沙の背中に小さな手を回して、ぎゅっと抱きついてきた。
シーツの中では、細い足が魔理沙の足を挟み込み、小さな顔が魔理沙の胸に押し付けられている。
「んー、こうかなー。おちつくなー」
魔理沙の胸の上では、ルーミアはのんき顔でそんなことを言っているが、魔理沙は体を密着されて顔を真っ赤にしている。
「ちょ、お前……くっつきすぎだって……!」
「んみ? まりさはー、くっつくのすきじゃないのー?」
「好きじゃないっていうか……落ち着かないっていうか……恥ずかしいっていうか……ごにょごにょ……」
「るーみゃはねー、くっついてるのすきだよー」
ルーミアはまたもぞもぞ動いて、魔理沙の赤くなったほっぺたに自分のほっぺたをすり寄せた。
「それにねー、くっついてるとー、さみしいがなくなるんだよー」
「……」
ルーミアが口にしたその言葉に、魔理沙の中でなにかいろいろなものが反応した。もぞりと、心の奥に押しやっていたはずの何かが首をもたげるのをはっきりと感じた。
なにかいろいろな言葉が、自分の喉の奥から出ようとしている。
それを必死に抑えようとしたわけでもない。ごまかそうとしたわけでもない。そんなことができないのは、魔理沙自身がいちばんよく分かっているのだ。
「……なんだよ、それ。それじゃ、わたしが寂しがりみたいじゃないか」
結局、魔理沙の口から出てきたのはそんな言葉だった。
「るーみゃには、わかるんだもんー」
「わかるって、何がだよ」
「さみしいの、味ー……」
体に覆いかぶさったルーミアの体が、もぞりと動いた。密着していた体がさらに近づいて、ルーミアの吐息が今まででいちばん近く感じられて――。
「ぺろん」
「っ!」
小さな舌をちょこんと出して、ルーミアは魔理沙のほっぺたをぺろりと舐めた。思わず肩が跳ねてしまう。
「な、なにすんだよいきなり……!」
「るーみゃね、食べるの好きだから、いろんな味、わかるのー。まりさはー、さみしいの味がするよー」
バカ言うなよ、なんだよそれ――とは、返せなかった。真実だったからだ。
今日、ルーミアと一緒にいて、楽しかった。とても楽しかった。じゃれつかれるのも、世話を焼くのも、とても楽しかった。
だが、そこには常に孤独があった。楽しいひと時が過ぎていったあとに、必ず訪れる静かな孤独への恐れがあった。
それは、今に始まったことではない。
それはもっと昔に、そう、ずっと一緒にいてくれるはずだった、ずっと自分のそばにあるはずだった温もりが失われてから――。
「んー……ぺろ、ちゅっ、ぺろん、んーん、んー……」
幼い唇がやさしく触れるたびに、そのさみしさが、少しずつ薄れていくような気がした。
胸にぽっかりと空いた穴が、なにか別のもので満たされていくような気がした。
(ああ……)
知らず、魔理沙はルーミアの小さな体を抱き寄せていた。かつて自分が、そうしてもらったように。
出所のわからない寂しさに襲われた夜に、そうしてもらったように。
「んー……」
きゅっと抱きついてくるルーミアの体温が、ひどく近くに感じられる。
「なあ……」
「んみ?」
「お前のからだ、ぷにぷにで、すべすべで……ぎゅってしてると、安心する……」
自分の声が意外なほど甘いのを自覚しながら、魔理沙は小さな体を抱き寄せた。鼻先をうずめた金髪からは、ふわりとミルクめいた甘い香りがする。
「えへへー、そーなのかー……じゃあね、じゃあね、もっとぎゅってしてー」
ルーミアを抱きしめていると、眠気を伴った懐かしい安堵が胸の奥からこみ上げてきた。
そのせいか、普段なら絶対に表に出てこない口調が、口をついて出てきた。
「……ルーミアも、さみしいの……?」
ルーミアはすぐには答えなかった。眠そうなぼんやりした視線を左右にさまよわせている。
「わかんないー……」
そう答えてから、ルーミアはくすりと笑みをこぼした。あまり見たことのない種類の笑みだった。
「味見、してみるー……?」
魔理沙は少しだけためらってから、そっとルーミアの唇に顔を寄せた。
「ん……」
どちらともつかない吐息が、小さくこぼれる。
「るーみゃもー、さみしいの味、するー……?」
「よく、わかんないや……」
「じゃあね、じゃあね……もっと、しよぉ……? るーみゃ、まりさと、ちゅーしたいな……」
気恥ずかしさよりも、輪郭のはっきりしないうれしさが勝った。
2回めのキスは、ひどく甘い気がした。
「……っ!」
ベッドから飛び起きる。
「……っ!!」
しゅばっと横を見る。
「すかぴー」
視線の先には、のんきな顔でぐーすか寝ている宵闇の妖怪の姿。
窓の外からは、爽やかな朝の光と鳥の声。絵に描いたような、理想的な朝の光景。
しかし、魔理沙は朝から激しい動悸に襲われた。
(わ……わたし昨夜……る、ルーミアと……っ!?)
昨夜の記憶が、逆巻く怒涛となって蘇ってきた。
「こっ、こっ、こっ……これは違うんだあああっ!!」
虚空に向かって謎の言い訳を絶叫する魔理沙。
「うーんむにゃむにゃ、もう食べられないよぅ」
その絶叫に、テンプレ寝言をつぶやきながらルーミアが起きてきた。
「る、ルーミア!? えっと、その……」
魔理沙がしどろもどろの言い訳を完成させる前に、もぞもぞ起きてきたルーミアがぎゅっと抱きついてきた。
「えへへー、まりさー、朝ごはんちょーだいー」
「ちょっと待てお前なに言って……んむ」
「んーちゅ♥」
いつものようにふにゃふにゃ笑いながら、ルーミアはじゃれつくように唇を重ねてきた。
唇を離したルーミアは、やたら満足げな顔をしている。
「まりさはー、あまーくて、おいしいなー。ねー、るーみゃはどんな味だったー?」
そんなことを聞かれても、魔理沙は頭ぐるぐる状態でまともに答えられない。
だが、少なくとも。
孤独の味は、しなかった。
「よおルーミア、なにしてるんだ?」
魔法の森。
ヘンな歌を歌いながらふよふよしている黒い球体に、魔理沙は片手をあげて声をかけた。
「あー、まりさだー。なにしてるのー」
黒い球体の中からいつもののんきな顔を出したルーミアは、ちょこちょこと魔理沙に駆け寄ってきた。
「まりさはー、今日もきのこ探してるのー?」
「まあな。魔法の実験と……あとまあ今晩の夕食な」
「そーなのかー」
そう言いながら、ルーミアは魔理沙の背中にぴょんと乗っかって、魔理沙が持っているきのこを物珍しそうに眺めている。
「おい、重いだろ」
「まりさはー、まだきのこ探すのー?」
「んー? ああ、もっと量が欲しいからな」
「それじゃあねー、るーみゃもお手伝いするのかー」
「あー? お前きのこの見分けとかつくのか? こういうのは素人がうかつに手を出すとだな」
「ねーねーるーみゃもお手伝いしたいー。ねーいいでしょー? ぐりぐりー。ぐりぐりぐりー」
「あーもうわかったからぐりぐりするなっての」
「にゃはー。やったー。まりさすきー♥」
後ろから抱き着いてのほっぺたぐりぐり攻撃に顔を赤くしつつ、魔理沙は背中にルーミアをくっつけたまま森の奥へと入っていった。
季節を通して変わらずじっとりとした空気と薄闇に覆われている魔法の森の苔むした地面には、さまざまな種類のきのこが生えている。
それを魔理沙は、確認用の手帳と見比べながら慎重に摘み取っているが……。
「ぽいぽいぽーい」
ルーミアの方はと言うと、そこらへんに生えているきのこを手当たり次第に背中に背負ったかごに放り込んでいる。
「おいお前、それちゃんと選別してるんだろうな? またおかしなの勝手に食べてぶっ倒れたりするなよ? わかってるのか?」
「だいじょぶだよー」
「ほんとかよ……」
しばらくしてルーミアは、背負ったかごにきのこをたくさん入れて戻ってきた。
「はいまりさー。きのこたくさんとってきたよー」
「……」
ルーミアのにこにこ顔に疑惑のまなざしを向けつつかごの中を覗き込むと、何やら瘴気が渦巻いている。
「お前これ……」
「んみ? なあに?」
ドン引きの魔理沙に、ルーミアはいつもののんき顔で小首をかしげている。
「こんなのヤバくて実験に使えるわけあるかー!」
「えええー。だめなのー?」
「ダメに決まってんだろなんだよこの黒いオーラは! うわっなんか肌がチリチリする! バカ近づけんな! ……いや待てよ。これはこれで使い道があるな……でかしたぞルーミア!」
「えへへーほめられたー」
「よーし、今日は特別に、この魔理沙さんが夕飯をふるまってやろう!」
「わーい、ごはんー」
ルーミアはふにゃふにゃーと笑って、魔理沙に抱き着いてきた。
「るーみゃ、まりさのごはんすきー」
「お、おう。腕を振るってやるからありがたく思えよ」
「ねーまりさー、今日、お泊りしてもいーい?」
「なんだよいきなり」
「んー、まりさといるとたのしいからー、もっといっしょにいたいなーって」
なんともストレートなその言葉に、魔理沙は自分の顔が少しだけ赤くなるのを感じた。
「し、仕方ないなー。まあ、きのこ狩りも手伝ってもらったしな……」
とかなんとか言いながら、帽子のつばを引き下げて赤くなった顔を隠す魔理沙。
「そしたらねー、るーみゃは荷物とってくるのかー」
そう言い残して、ルーミアはふよふよ飛んでいった。
その後姿を、魔理沙は小さく笑みを浮かべながら眺めている。
「……」
一足先に家に帰った魔理沙は、椅子に座ってじーっとドアの方を凝視している。
夕日もすっかり落ちて、あたりには夜の帳が降りていた。
こうやって、誰かが訪ねてくるのをこんなに首を長くして待っているのは、いつ以来だろう。
そんなことを考えながら、魔理沙は小さな宵闇の妖怪が来るのを待っていた。
外からは、窓越しの風の音がかすかに聞こえてくる。
「……」
たくさんの人妖と付き合いがある魔理沙だが、こうして一人で過ごしているときに、ふと自分の中にある黒い穴のような孤独を自覚することがあった。
その穴の中には、いる。
たとえ、博麗の巫女の力をもってしても完全には消しされないであろう、恐ろしい怪物が――。
「まりさー、まりさー、るーみゃだよー」
「……っ!」
控えめなノックとのんきなその声が、魔理沙を現実に引き戻した。
慌てて椅子から立ち上がったせいでつんのめりそうになりながら、魔理沙は家のドアに手をかけた。
ドアを開けると、そこにいたのは見慣れたのんき顔。何を用意してきたのか、ルーミアはでっかい風呂敷包みを背負っている。
「おせわになりますー」
「おう。まあ入れよ」
ぺこりとお辞儀をするルーミアを、魔理沙は家の中に招き入れた。
「……で、お前そのでかい風呂敷はなんなんだよ」
「これー? えっとねー、お着替えとねー、あとおみやげー」
ルーミアが風呂敷の中から取り出したのは、野菜や魚、肉といった食材だった。
「うわ、こんなにたくさん持ってきたのかよ。……っていうかこれ、どうやって手に入れたんだ?」
「んー? こーまかんであるばいとしてきたのかー」
「……」
「んみ? まりさがぎわくのしせんを向けてるのかー。なんでー?」
「なんでってお前……紅魔館だぞ? あそこの食材って言ったら……」
「あー、だいじょぶだよー。ふつーの食べ物だけだってばー」
「ほんとかよ……」
そう言いながらも、魔理沙はエプロンを着けて台所に立つ。
「ほら、何してんだよ。お前も手伝うんだよ」
「わーい、るーみゃ、お料理するのはじめてー。いつもはねー、頭からぱっくんってー」
「メシ前にそういう話するなっての……」
などと騒ぎながら、魔理沙とルーミアは仲良く台所に立って料理を作り始めた。
不器用な手付きで玉ねぎの皮をむいているルーミアを見ていると、我知らず笑みがこぼれてくる。
「ごちそーさまー」
「おう、おそまつさま。……っていうか、お前そのちっこい体のどこにあんな量詰まってるんだよ……」
鍋を完食した上にご飯を6杯もおかわりしてけろりとしているルーミアに、魔理沙はあきれ顔。
「だってー、まりさのごはんおいしいんだもーん」
のほほーんと笑っているルーミアには、魔理沙も悪い気はしない。
ルーミアの喜ぶ顔を見ていると、嬉しいような恥ずかしいような、くすぐったい気分になる。
食器を洗い終わった魔理沙が部屋の方に目を向けると、ルーミアはこの間泊めてやったときと同じようにベッドに寝転がっていた。
自分の家に、自分以外の誰かがいる。
それだけのことに、魔理沙はなぜか、ひどく安堵を覚えた。一人でいることなど珍しくもないはずなのに。
(なんで……だろ)
ベッドに腰掛けて、ふわふわの金髪を撫でてやると、ルーミアは子猫のように目を細めた。
「ふにゃー。るーみゃ、なでなでしてもらうのすきー」
「はは……ほんと、猫みたいなやつだなお前」
ふにゃふにゃーと喜ぶルーミアの頭をなでてやると、むやみに幸福感が湧いてくる。
「さて、わたしはちょっと風呂入ってくるからおとなしく待ってろよ。そこら辺のもの勝手にいじったりするんじゃないぞ?」
「るーみゃもいっしょに入るー」
「え?」
「んみ? だめー?」
「い、いや、別にいいけど……」
「あはは、まりさははずかしがりやさんなのかー」
「そんなんじゃないっての……ってあーもうお前こんなとこで脱ぐなよ!」
ルーミアがぽいぽい脱いでしまった服を拾いながら、魔理沙は苦笑する。
「おふろー、おふろすきー」
ルーミアはいつもののほほーん顔で、気持ちよさそうに湯船に浸かっている。
「そういやお前、風呂とかいつもどうしてるんだよ?」
「んー? ちゃんと水浴びとかしてるよー」
身だしなみには気を使ってるのかーと、ルーミアはぺったんこな胸をそらして得意げだ。
ルーミアは当たり前みたいな顔で、魔理沙の胸に背中を預けてきた。
一人用の木製の浴槽は二人入るにはやや狭いが、小柄なルーミアと一緒ならなんとか入る。しかし、どうにも肌が密着してしまうので落ち着かない。
そんな魔理沙にはお構いなしに、ルーミアは魔理沙の腕の中でほわほわしている。
「もーお前そんなにくっつくなよー……」
「えー? いーじゃんべつにー。すりすり」
「あーもー、お前ってそんなにあまえんぼだったっけか?」
「んー? そーなのかなー? でもねー、まりさにくっついてるのはたのしいなーって。えへへー」
「ヘンなヤツ……」
そう言いながらも、魔理沙はルーミアの濡れた髪を撫でてやる。そうすると、ルーミアは目を細めて体を擦り寄せてきた。
ぎゅっと密着した小さな体の柔らかさに、魔理沙は動揺する。
途切れた会話のあいだに、天井から湯船に落ちた水滴の音が反響した。
「お前、さ……」
その先の言葉は、湯気の中に溶けてしまった。ルーミアは不思議そうな顔で首を傾げている。
「んみ? なーに?」
黙ってしまった魔理沙に、ルーミアはずいっと顔を近づけてきた。ほんのり赤らんだ顔が、文字通りめと鼻の先にある。
ルーミアは、赤い瞳でじーっと魔理沙の方を見つめている。
至近距離から見つめられて、魔理沙は思わず目をそらしてしまった。
いつもはのんきで幼いルーミアだが、こうしていると妙な色気を感じる。
日にあまり当たらないせいか白い肌が、今はほんのりと色づいている。
華奢で未発達なラインの幼い体が湯船の中でゆらぎ、魔理沙の体にするりと絡みつく。
熱い湯船に浸かっているのに、魔理沙は自分の体が酒でも飲んだようにかあっと熱くなってくるのを感じた。
「まりさー、どしたのー? お顔あかいよー?」
「あーもう近い近い近い! なんでお前そんなに距離感近いんだよ!? もう上がるぞ!」
「あーん、まってー」
ばしゃんとお湯をはねさせて、慌てて湯船から出ていく魔理沙をぺたぺた追いかけるルーミア。
背中越しにルーミアののんき顔にタオルを放り投げながら、魔理沙は落ち着かない様子で不器用に体を拭いているルーミア視線をやる。
「うわ、床ビシャビシャじゃんか。ほら、拭いてやるからこっち来いよ」
「はーい」
子供のように素直なお返事をして駆け寄ってきたルーミアに頭からタオルを被せて、魔理沙は小さな頭をごしごし拭いてやる。
「もがもがもが。あははー」
「こら、動くなって……」
体を拭き終わった魔理沙が自室へ行こうとすると、ルーミアがきゅっと手を握ってきた。
ルーミアの小さな手と、ほんのり赤らんだ顔を交互に見つめる魔理沙。
誰かが見ているわけでもないのに、けっこう恥ずかしい。
それでも魔理沙は、その手を握り返して、自分の部屋へと向かった。
「おふろー、おふろはいいなー」
湯上がりほかほか状態でほわわーんとしているルーミアの濡れた髪を、魔理沙はベッドの上で、八卦炉をドライヤー代わりに乾かしてやっていた。
ルーミアは、いつもの黒のベストとスカートから持ってきたピンク色の可愛らしいパジャマに着替えている。
「ほれ、これでいいだろ」
「えへへー、ありがとー」
うれしそうに笑っているルーミアの顔を見ていると、なんだか固まっていた体がほぐれるような、不思議な安堵感を覚える。
「それじゃ、そろそろ寝るか」
「うんー」
ベッドに入った魔理沙が壁際に体を寄せてスペースを作ってやったのに、もぞもぞ入ってきたルーミアは当然のように魔理沙の胸の上にぽてんと乗っかってきた。
何か言おうとした魔理沙だが、たぶんなに言ってもあんまり聞かないだろうなーと判断し、そのままにしておいた。
「んー、んー」
ルーミアは何やら、魔理沙の胸の上でもぞもぞ身じろぎしている。密着したままもぞもぞされるのでさすがに落ち着かない。
「お、おい、人の体の上でなにもぞもぞしてるんだよ。寝らんないだろ」
「んー、さがしてるのー」
「探してるって、何をだよ」
「んーとねー、べすとぽじしょんー」
「ベストポジション?」
よくわからない魔理沙をよそに、ルーミアはなおももぞもぞを継続中。やがてルーミアは魔理沙の背中に小さな手を回して、ぎゅっと抱きついてきた。
シーツの中では、細い足が魔理沙の足を挟み込み、小さな顔が魔理沙の胸に押し付けられている。
「んー、こうかなー。おちつくなー」
魔理沙の胸の上では、ルーミアはのんき顔でそんなことを言っているが、魔理沙は体を密着されて顔を真っ赤にしている。
「ちょ、お前……くっつきすぎだって……!」
「んみ? まりさはー、くっつくのすきじゃないのー?」
「好きじゃないっていうか……落ち着かないっていうか……恥ずかしいっていうか……ごにょごにょ……」
「るーみゃはねー、くっついてるのすきだよー」
ルーミアはまたもぞもぞ動いて、魔理沙の赤くなったほっぺたに自分のほっぺたをすり寄せた。
「それにねー、くっついてるとー、さみしいがなくなるんだよー」
「……」
ルーミアが口にしたその言葉に、魔理沙の中でなにかいろいろなものが反応した。もぞりと、心の奥に押しやっていたはずの何かが首をもたげるのをはっきりと感じた。
なにかいろいろな言葉が、自分の喉の奥から出ようとしている。
それを必死に抑えようとしたわけでもない。ごまかそうとしたわけでもない。そんなことができないのは、魔理沙自身がいちばんよく分かっているのだ。
「……なんだよ、それ。それじゃ、わたしが寂しがりみたいじゃないか」
結局、魔理沙の口から出てきたのはそんな言葉だった。
「るーみゃには、わかるんだもんー」
「わかるって、何がだよ」
「さみしいの、味ー……」
体に覆いかぶさったルーミアの体が、もぞりと動いた。密着していた体がさらに近づいて、ルーミアの吐息が今まででいちばん近く感じられて――。
「ぺろん」
「っ!」
小さな舌をちょこんと出して、ルーミアは魔理沙のほっぺたをぺろりと舐めた。思わず肩が跳ねてしまう。
「な、なにすんだよいきなり……!」
「るーみゃね、食べるの好きだから、いろんな味、わかるのー。まりさはー、さみしいの味がするよー」
バカ言うなよ、なんだよそれ――とは、返せなかった。真実だったからだ。
今日、ルーミアと一緒にいて、楽しかった。とても楽しかった。じゃれつかれるのも、世話を焼くのも、とても楽しかった。
だが、そこには常に孤独があった。楽しいひと時が過ぎていったあとに、必ず訪れる静かな孤独への恐れがあった。
それは、今に始まったことではない。
それはもっと昔に、そう、ずっと一緒にいてくれるはずだった、ずっと自分のそばにあるはずだった温もりが失われてから――。
「んー……ぺろ、ちゅっ、ぺろん、んーん、んー……」
幼い唇がやさしく触れるたびに、そのさみしさが、少しずつ薄れていくような気がした。
胸にぽっかりと空いた穴が、なにか別のもので満たされていくような気がした。
(ああ……)
知らず、魔理沙はルーミアの小さな体を抱き寄せていた。かつて自分が、そうしてもらったように。
出所のわからない寂しさに襲われた夜に、そうしてもらったように。
「んー……」
きゅっと抱きついてくるルーミアの体温が、ひどく近くに感じられる。
「なあ……」
「んみ?」
「お前のからだ、ぷにぷにで、すべすべで……ぎゅってしてると、安心する……」
自分の声が意外なほど甘いのを自覚しながら、魔理沙は小さな体を抱き寄せた。鼻先をうずめた金髪からは、ふわりとミルクめいた甘い香りがする。
「えへへー、そーなのかー……じゃあね、じゃあね、もっとぎゅってしてー」
ルーミアを抱きしめていると、眠気を伴った懐かしい安堵が胸の奥からこみ上げてきた。
そのせいか、普段なら絶対に表に出てこない口調が、口をついて出てきた。
「……ルーミアも、さみしいの……?」
ルーミアはすぐには答えなかった。眠そうなぼんやりした視線を左右にさまよわせている。
「わかんないー……」
そう答えてから、ルーミアはくすりと笑みをこぼした。あまり見たことのない種類の笑みだった。
「味見、してみるー……?」
魔理沙は少しだけためらってから、そっとルーミアの唇に顔を寄せた。
「ん……」
どちらともつかない吐息が、小さくこぼれる。
「るーみゃもー、さみしいの味、するー……?」
「よく、わかんないや……」
「じゃあね、じゃあね……もっと、しよぉ……? るーみゃ、まりさと、ちゅーしたいな……」
気恥ずかしさよりも、輪郭のはっきりしないうれしさが勝った。
2回めのキスは、ひどく甘い気がした。
「……っ!」
ベッドから飛び起きる。
「……っ!!」
しゅばっと横を見る。
「すかぴー」
視線の先には、のんきな顔でぐーすか寝ている宵闇の妖怪の姿。
窓の外からは、爽やかな朝の光と鳥の声。絵に描いたような、理想的な朝の光景。
しかし、魔理沙は朝から激しい動悸に襲われた。
(わ……わたし昨夜……る、ルーミアと……っ!?)
昨夜の記憶が、逆巻く怒涛となって蘇ってきた。
「こっ、こっ、こっ……これは違うんだあああっ!!」
虚空に向かって謎の言い訳を絶叫する魔理沙。
「うーんむにゃむにゃ、もう食べられないよぅ」
その絶叫に、テンプレ寝言をつぶやきながらルーミアが起きてきた。
「る、ルーミア!? えっと、その……」
魔理沙がしどろもどろの言い訳を完成させる前に、もぞもぞ起きてきたルーミアがぎゅっと抱きついてきた。
「えへへー、まりさー、朝ごはんちょーだいー」
「ちょっと待てお前なに言って……んむ」
「んーちゅ♥」
いつものようにふにゃふにゃ笑いながら、ルーミアはじゃれつくように唇を重ねてきた。
唇を離したルーミアは、やたら満足げな顔をしている。
「まりさはー、あまーくて、おいしいなー。ねー、るーみゃはどんな味だったー?」
そんなことを聞かれても、魔理沙は頭ぐるぐる状態でまともに答えられない。
だが、少なくとも。
孤独の味は、しなかった。